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河内長野の高校への通学に使ってた急行のこの電車、すごいテクノロジーだったのね…ズームカーの意味も初めて知りました
夏季合宿で20000系[こうや号]で高野山を訪れたが派手な意匠の20000系に対して地味だがシックな21000系(湘南顔)にも好感を持った🟢
優れた車両性能の代表例としては、阪神ジェットカーがよく出てきますが、南海ズームカーも優れた車両性能でしたね。
生涯1番好きな列車がこのこうや号でした😊ボロボロの電車ばっかの中1日2回だけ難波駅に入って来る🤗
当初600Vで これだけのマルチな高性能を実現する為の重装備も 1500V化で1C8Mと余裕が出来て 冷房化も実現。しかも22000系と 半分のモーターをトレードして 上手く対応させたのはお見事と思います。因みに 橋本−極楽橋間は 制御装置をそのままにモーターのつなぎ替え(並列→直列)で対応出来るよう 600Vの2倍の1200Vに落としてあったそうですね。
ちな和歌山線時代の高野山参詣の玄関駅は橋本ではなく高野口ですね
初めて乗った南海の車両は21000系でしたね長距離運用に就くのにロングシートなのは混雑緩和だったんですね
近鉄のL/Cカーみたいなのが開発されたら評価も変わってたことだろう
昇圧時に新製されたモーターは、今も現役です31000系のモーターとして
31000系のモーターは7100系の廃車発生品の流用です。
大井川の車は譲渡前にラピートの塗装比較実験に使用され、譲渡に際して旧塗装に戻されたんだっけ
確か車体はズームカーと同じだか、吊り掛けモーターのニセズームカーというものがあったよね。
最終的に先頭車1両がクハになって、貴志川線で走ってましたしかし3両編成運転終了時に廃車に
21201系ですね😊 タネ車の都合で1両サハが混じってたたかな?
先頭車同士で二両編成組めば良かった。
新型車体に古い台車と吊り掛けモーター音のミスマッチが目を引いた珍車
旧型車の装備の3M1Tで実用になるなら、ズームカーが4Mである必要はなかったのでは?というより、デラックスズームカーは定員乗車だったから3M1Tで実用になったのかな?
「酷使」と書いて「かつよう」と読む。すばらしい!
それは、「南海」な話だな。
寿命が来るまで、南海(何回)も使い倒すという-w-w
21000もいいけどやっぱ20m2扉の旧1000系の優等列車用と言わんばかりの堂々としたスタイルもかっこよかったな。
扉が二枚で乗り降り目的に扉付近の場所が取り合いでしたっけ…。急行で、たまに乗りました!狭山ニュータウンから、堺東の叔母に会いに行くのに乗りました。
こんばんわ❗️ズームカーお疲れ様でした。補償線の解説の下り流石です。かなり工学的に説明されていますね。ズームカーは600v架線でしたから走りはハンディがありましたが1500vに昇圧後は90kwになり走行性能があがりましたね。しかやはり山登り専用車でしたから高速性能はイマイチでした。今週私の動画は引き続き8A 系の詳細です。明日アップしますのでよろしければご覧ください。
21000系の転クロは重厚で、他の在阪私鉄の料金不要転クロ(阪急2800や京阪初代3000など)と比べると、転換にかなり力が要った。
その割に背もたれが京阪旧3000系や阪急6300系なんかよりかなり低かったから、頭部のホールド感が無く座高の高いオレなんか首が辛かったんだよね…💦
こうや号カッコイイ
長きに渡り南海高野線で活躍した21000系ズームカー、難波ー高野山極楽橋間で高野山参拝客輸送で活躍して、昭和30年代から平成9年まで高野線の移り変わりを見つめて走り抜けた車両、さらに高野下から極楽橋間の急勾配、急カーブに対応するため17メートル車体、オール電動車方式を採用した車両、難波ー河内長野間の急行運用、さらに臨時特急運用も行った車両、阪神ジェットカーも真っ青な高加減速も特徴的な車両でもあった、
モーターの回転数に限界があるのか、100km/hになると運転台では警告ブザーが鳴ってました。
そういえば運転台の表示に『最高速度』の赤表示が点灯してたね
21000系は子どもの頃に一度乗ったことがあります。ただし、クロスシートではなくオールロングシートの車両でした。
一畑で乗ったのを思い出しました。2ドアのロングシート車は珍しかったが、運賃が車内収受だと前しか使わないから都合良かったのかも。
一畑電車に行った3000系に急行円板付けて撮影させてもらいました。
21000系、いい仕事しましたなぁ……😄😄😄
カッコよすぎですね、アタシは湘南金太郎顔では阪和の70系と南海のズームや四国号が最高と思います。
今なお現役で活躍する昭和の名車ですね。大井川鐵道では、2020年に老朽化が進む元近鉄16000系の代替車両として、南海6000系を購入しましたが、いつ営業運転されるのでしょうか...
超多段ギア式のバーニア制御が災いして、走る度に限られた直流電力を食い尽くす弱点が…。大昔の元小田急SE車もでしたが、大鐵は身の丈に合わない車両に手を出しては失敗の繰り返しが伝統に…。
今は無くなった、急行高野下行き。
各停はまだ健在ですね
難波駅のパタパタや6200系等の方向幕には用意されるもこれまで一度も使われなかった御幸辻行急行。古くは紀伊清水付近に車両基地を設ける予定だった関係で昔の22000系の幕には急行紀伊清水があったらしい
@@森田和也-f1i 同様の方向幕で 準急紀伊清水の表示が当時の6100に見られたよ
登場は1958年、で基本的に旧世代吊り掛け車は昇圧時新性能車に置き換えられ廃車になったけども新しかった本系列は2000系に置き換えられるまで活躍。
ラッシュ時には21000系+2000系の8両編成も存在した。連結構造の関係で極楽橋行くのは必ず21000系だった
後継の2000は本来の用途から外れて本線で走っているし。
@@森田和也-f1i さん21000系+22000系+2000系も見たことがあります。
21000系は今は大井川鐵道で活躍してる。22000系は銚子電鉄で活躍してる。
てっきり4両編成のまま廃車になったかと思いきや一時的に2両編成になった車両あったのか。
少なくとも南海では4両のままのはず。
和歌山港線で走ってました
最晩年は二両になり和歌山港線へ乗りに行きました😊水軒迄行って写真撮りまくりました😊懐かしい😊
多奈川線でも使われた
はい、高野線で永らく使用されていた21000系、和歌山市から水軒間、多奈川線で2両化されて、最終大井川鐵道&一畑電車に行きましたね。
大井川に残ってる第一、二編成のクーラーは確か一畑の仲間から譲渡してなかったかな?クーラー故障して暫く使えないまま走ってたっと聞きました😮
一畑電車の3000系から取外した部品を、大井川鐡道がトラックで乗り付けて大量に持って帰ったそうです。
大型ヘッドライトに前面二枚窓の湘南顔の車両も今やめっきり珍しくなって、大井川鉄道と銚子電鉄くらいでしか見られませんね
この21000系の辛うじて残ったクロスシート車編成が臨時こうや号の運用に就き、転換クロスとはいえ本こうや号の20000系とは雲泥の差があり、その本こうやより割安とはいえ、あんな内装で(しかも車端部のロングシートまで)指定席料金堂々と採っていたのだから、この臨時こうや号のことをその内装から当時個人的に…「荒野号⤵️」って呼んでたなぁ..( ̄▽ ̄;)😁💦
ロングシートの指定席😂
南海本線の1000系四国号も同じく。しかも多客時の臨時特急は全車指定席30000系登場後の臨時特急は全車自由席になって22000系も使われるようになった(一部河内長野か橋本まで6両編成も)
しかもれっきとした有料特急に、振動の酷いコイルばね式のFS-17A台車。ズームカーを除く一般的な通勤車(支線用の1521系も含む)でさえ、エアサス台車装備が当たり前だった時代に。
こうや号の特急料金は600円で、臨時こうや号は350円だった。そりゃ~こうや号の方がいいですね。
それでも、サザン登場までは本線の特急四国号と同じ内装・・こうや号が特別だったと思います。
時刻表でも難波北野田間がズームカーが19分でステンレスの区間急行か20分でした。昭和末期の記憶です。
当時の南海高野線の特急は「特急料金」ではなく「座席指定料金」で、21000系の全席指定「臨時こうや」は20000系より安めの座席指定料金をとっていたように思います。まれに走る自由席の無名特急はもちろん料金なしで乗れました。末期はよく知らないので、自由席「臨時こうや」があったのかもしれないですが。
「橋本」と聞いてやって来ますた。 (京王 新 5000系)
大井川の21000もそろそろやばいと思い始めてる
京福電鉄福井にいたよね。学生の頃に通学で乗った思い出があります。
あれは 顔は同じですが 20m車体の101001系(京福福井 3001系)です。
旧1000系改造から漏れた初期型でしたかな?
@@余市ハイボール さまそうです。結果的に本家よりも長寿命でした。ruclips.net/video/N5oepS7nqu8/видео.htmlsi=hryWzpYy5K4HYXaH
千代田からの初電に21000系転クロ車が使われたの思い出した
円盤が千代田 なんばで6時発急行高野山極楽橋になるので別の円盤持って来るか反転してただの急にしてたかな?
小学生の頃憧れて乗りました金剛からです
@@みつはしのりゆき 別に用意している。確かただの急の裏は難波橋本が追記された急だった
この車両の客室窓寸法は、阪堺(南海軌道線)501形・351形とたしか同じだったと思う。
湘南型や~!
力作でございましたね。
21000いまも現役!?果たして何年活躍したんだろう
復旧未定の千頭駅で静態保存状態の朽ち果てたズームカー、果たして復活するのかな?あの車両は動くのかが疑問
木造国電のように博物館入りなら可能性がありますけども、SE車という前例がありますからね。それ以前にも、とある模型雑誌編集者(有名推理小説作家の親族だったかな?)個人所有の2軸木造客車を預かっていたことがありましたが、結局台車部分より上は崩壊していたような。
貴志川線にいたのはツリ掛け車の車体更新車だったとおもうのですが・・・ご存じの方補足お願いします
21201系の事かな? 紀伊細川での事故発生品のメカ三両分新製車体に載せた3M1T車で昇圧でメカ交換+冷房費用の事考えたら22000系を追加発注した方が良いらしく貴志川線にTc改造され転属しました😮
21201系は偶々21001系誕生前に焼失した旧型車の電装を採用して前年に登場しました。3M1Tの編成でしたが12001系とは異なり、昇圧改造時の予備としてこき使われた後中間車は廃車、先頭車の片割れは実験台にされ、21201は電装解除されて貴志川線の増結車となりました。
@@余市ハイボール さん ありがとうございます。事故車の再生だったんですね。貴志川線での凸凹編成がいかにも田舎電車という感じで好きな車両でした!
極楽橋向きの先頭車21202は休車扱いで長らく羽倉崎検車区の和歌山寄りで放置され、末期(1982年頃)は塗装が剥げた哀れな姿を晒していた。最終的には新設千代田工場での塗装試験に利用され、廃車・解体された。
21201は昭和63年に伊太祁曽で見た😁
東洋電機(ーターモ)
河内長野の高校への通学に使ってた急行のこの電車、すごいテクノロジーだったのね…ズームカーの意味も初めて知りました
夏季合宿で20000系[こうや号]で高野山を訪れたが派手な意匠の20000系に対して地味だがシックな21000系(湘南顔)にも好感を持った🟢
優れた車両性能の代表例としては、阪神ジェットカーがよく出てきますが、南海ズームカーも優れた車両性能でしたね。
生涯1番好きな列車がこのこうや号でした😊ボロボロの電車ばっかの中1日2回だけ難波駅に入って来る🤗
当初600Vで これだけのマルチな高性能を実現する為の重装備も 1500V化で1C8Mと余裕が出来て 冷房化も実現。
しかも22000系と 半分のモーターをトレードして 上手く対応させたのはお見事と思います。
因みに 橋本−極楽橋間は 制御装置をそのままにモーターのつなぎ替え(並列→直列)で対応出来るよう 600Vの2倍の1200Vに落としてあったそうですね。
ちな和歌山線時代の高野山参詣の玄関駅は橋本ではなく高野口ですね
初めて乗った南海の車両は21000系でしたね
長距離運用に就くのにロングシートなのは混雑緩和だったんですね
近鉄のL/Cカーみたいなのが開発されたら評価も変わってたことだろう
昇圧時に新製されたモーターは、今も現役です
31000系のモーターとして
31000系のモーターは7100系の廃車発生品の流用です。
大井川の車は譲渡前にラピートの塗装比較実験に使用され、譲渡に際して旧塗装に戻されたんだっけ
確か車体はズームカーと同じだか、吊り掛けモーターのニセズームカーというものがあったよね。
最終的に先頭車1両がクハになって、貴志川線で走ってました
しかし3両編成運転終了時に廃車に
21201系ですね😊 タネ車の都合で1両サハが混じってたたかな?
先頭車同士で二両編成組めば良かった。
新型車体に古い台車と吊り掛けモーター音のミスマッチが目を引いた珍車
旧型車の装備の3M1Tで実用になるなら、ズームカーが4Mである必要はなかったのでは?
というより、デラックスズームカーは定員乗車だったから3M1Tで実用になったのかな?
「酷使」と書いて「かつよう」と読む。すばらしい!
それは、「南海」な話だな。
寿命が来るまで、南海(何回)も使い倒すという-w-w
21000もいいけどやっぱ20m2扉の旧1000系の優等列車用と言わんばかりの堂々としたスタイルもかっこよかったな。
扉が二枚で乗り降り目的に扉付近の場所が取り合いでしたっけ…。
急行で、たまに乗りました!
狭山ニュータウンから、堺東の叔母に会いに行くのに乗りました。
こんばんわ❗️ズームカーお疲れ様でした。補償線の解説の下り流石です。かなり工学的に説明されていますね。ズームカーは600v架線でしたから走りはハンディがありましたが1500vに昇圧後は90kwになり走行性能があがりましたね。しかやはり山登り専用車でしたから高速性能はイマイチでした。今週私の動画は引き続き8A 系の詳細です。明日アップしますのでよろしければご覧ください。
21000系の転クロは重厚で、他の在阪私鉄の料金不要転クロ(阪急2800や京阪初代3000など)と比べると、転換にかなり力が要った。
その割に背もたれが京阪旧3000系や阪急6300系なんかよりかなり低かったから、頭部のホールド感が無く座高の高いオレなんか首が辛かったんだよね…💦
こうや号カッコイイ
長きに渡り南海高野線で活躍した21000系ズームカー、難波ー高野山極楽橋間で高野山参拝客輸送で活躍して、昭和30年代から平成9年まで高野線の移り変わりを見つめて走り抜けた車両、さらに高野下から極楽橋間の急勾配、急カーブに対応するため17メートル車体、オール電動車方式を採用した車両、難波ー河内長野間の急行運用、さらに臨時特急運用も行った車両、阪神ジェットカーも真っ青な高加減速も特徴的な車両でもあった、
モーターの回転数に限界があるのか、100km/hになると運転台では警告ブザーが鳴ってました。
そういえば運転台の表示に『最高速度』の赤表示が点灯してたね
21000系は子どもの頃に一度乗ったことがあります。
ただし、クロスシートではなくオールロングシートの車両でした。
一畑で乗ったのを思い出しました。2ドアのロングシート車は珍しかったが、運賃が車内収受だと前しか使わないから都合良かったのかも。
一畑電車に行った3000系に急行円板付けて撮影させてもらいました。
21000系、いい仕事しましたなぁ……😄😄😄
カッコよすぎですね、アタシは湘南金太郎顔では阪和の70系と南海のズームや四国号が最高と思います。
今なお現役で活躍する昭和の名車ですね。
大井川鐵道では、2020年に老朽化が進む元近鉄16000系の代替車両として、南海6000系を購入しましたが、いつ営業運転されるのでしょうか...
超多段ギア式のバーニア制御が災いして、走る度に限られた直流電力を食い尽くす弱点が…。
大昔の元小田急SE車もでしたが、大鐵は身の丈に合わない車両に手を出しては失敗の繰り返しが伝統に…。
今は無くなった、急行高野下行き。
各停はまだ健在ですね
難波駅のパタパタや6200系等の方向幕には用意されるもこれまで一度も使われなかった御幸辻行急行。古くは紀伊清水付近に車両基地を設ける予定だった関係で昔の22000系の幕には急行紀伊清水があったらしい
@@森田和也-f1i
同様の方向幕で 準急紀伊清水の表示が当時の6100に見られたよ
登場は1958年、で基本的に旧世代吊り掛け車は昇圧時新性能車に置き換えられ廃車になったけども新しかった本系列は2000系に置き換えられるまで活躍。
ラッシュ時には21000系+2000系の8両編成も存在した。連結構造の関係で極楽橋行くのは必ず21000系だった
後継の2000は本来の用途から外れて本線で走っているし。
@@森田和也-f1i さん
21000系+22000系+2000系も見たことがあります。
21000系は今は大井川鐵道で活躍してる。22000系は銚子電鉄で活躍してる。
てっきり4両編成のまま廃車になったかと思いきや一時的に2両編成になった車両あったのか。
少なくとも南海では4両のままのはず。
和歌山港線で走ってました
最晩年は二両になり和歌山港線へ乗りに行きました😊水軒迄行って写真撮りまくりました😊懐かしい😊
多奈川線でも使われた
はい、高野線で永らく使用されていた21000系、和歌山市から水軒間、多奈川線で2両化されて、最終大井川鐵道&一畑電車に行きましたね。
大井川に残ってる第一、二編成のクーラーは確か一畑の仲間から譲渡してなかったかな?クーラー故障して暫く使えないまま走ってたっと聞きました😮
一畑電車の3000系から取外した部品を、大井川鐡道がトラックで乗り付けて大量に持って帰ったそうです。
大型ヘッドライトに前面二枚窓の湘南顔の車両も今やめっきり珍しくなって、大井川鉄道と銚子電鉄くらいでしか見られませんね
この21000系の辛うじて残ったクロスシート車編成が臨時こうや号の運用に就き、転換クロスとはいえ本こうや号の20000系とは雲泥の差があり、その本こうやより割安とはいえ、あんな内装で(しかも車端部のロングシートまで)指定席料金堂々と採っていたのだから、
この臨時こうや号のことをその内装から当時個人的に…
「荒野号⤵️」って呼んでたなぁ..( ̄▽ ̄;)😁💦
ロングシートの指定席😂
南海本線の1000系四国号も同じく。しかも多客時の臨時特急は全車指定席
30000系登場後の臨時特急は全車自由席になって22000系も使われるようになった(一部河内長野か橋本まで6両編成も)
しかもれっきとした有料特急に、振動の酷いコイルばね式のFS-17A台車。
ズームカーを除く一般的な通勤車(支線用の1521系も含む)でさえ、エアサス台車装備が当たり前だった時代に。
こうや号の特急料金は600円で、臨時こうや号は350円だった。
そりゃ~こうや号の方がいいですね。
それでも、サザン登場までは本線の特急四国号と同じ内装・・こうや号が特別だったと思います。
時刻表でも難波北野田間がズームカーが19分でステンレスの区間急行か20分でした。昭和末期の記憶です。
当時の南海高野線の特急は「特急料金」ではなく「座席指定料金」で、21000系の全席指定「臨時こうや」は20000系より安めの座席指定料金をとっていたように思います。まれに走る自由席の無名特急はもちろん料金なしで乗れました。末期はよく知らないので、自由席「臨時こうや」があったのかもしれないですが。
「橋本」と聞いてやって来ますた。
(京王 新 5000系)
大井川の21000もそろそろやばいと思い始めてる
京福電鉄福井にいたよね。学生の頃に通学で乗った思い出があります。
あれは 顔は同じですが 20m車体の101001系(京福福井 3001系)です。
旧1000系改造から漏れた初期型でしたかな?
@@余市ハイボール さま
そうです。結果的に本家よりも長寿命でした。
ruclips.net/video/N5oepS7nqu8/видео.htmlsi=hryWzpYy5K4HYXaH
千代田からの初電に21000系転クロ車が使われたの思い出した
円盤が千代田 なんばで
6時発急行高野山極楽橋になるので別の円盤持って来るか反転してただの急にしてたかな?
小学生の頃憧れて乗りました
金剛からです
@@みつはしのりゆき 別に用意している。確かただの急の裏は難波橋本が追記された急だった
この車両の客室窓寸法は、阪堺(南海軌道線)501形・351形とたしか同じだったと思う。
湘南型や~!
力作でございましたね。
21000いまも現役!?果たして何年活躍したんだろう
復旧未定の千頭駅で静態保存状態の朽ち果てたズームカー、果たして復活するのかな?
あの車両は動くのかが疑問
木造国電のように博物館入りなら可能性がありますけども、SE車という前例がありますからね。
それ以前にも、とある模型雑誌編集者(有名推理小説作家の親族だったかな?)個人所有の2軸木造客車を預かっていたことがありましたが、結局台車部分より上は崩壊していたような。
貴志川線にいたのはツリ掛け車の車体更新車だったとおもうのですが・・・ご存じの方補足お願いします
21201系の事かな? 紀伊細川での事故発生品のメカ三両分新製車体に載せた3M1T車で昇圧でメカ交換+冷房費用の事考えたら22000系を追加発注した方が良いらしく貴志川線にTc改造され転属しました😮
21201系は偶々21001系誕生前に焼失した旧型車の電装を採用して前年に登場しました。
3M1Tの編成でしたが12001系とは異なり、昇圧改造時の予備としてこき使われた後中間車は廃車、
先頭車の片割れは実験台にされ、21201は電装解除されて貴志川線の増結車となりました。
@@余市ハイボール さん ありがとうございます。事故車の再生だったんですね。貴志川線での凸凹編成がいかにも田舎電車という感じで好きな車両でした!
極楽橋向きの先頭車21202は休車扱いで長らく羽倉崎検車区の和歌山寄りで放置され、末期(1982年頃)は塗装が剥げた哀れな姿を晒していた。
最終的には新設千代田工場での塗装試験に利用され、廃車・解体された。
21201は昭和63年に伊太祁曽で見た😁
東洋電機(ーターモ)