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日本初の鉄道死亡事故の犠牲者は外国人だった事が意外でした。
大抵昔の事故って(前回のもそうだが)ダイヤが変更されてるときが多いよね
ていうか兵員輸送がらみ
通常と違うのを「なんかの故障」と思ってしまう平常心バイアスだよねというか1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故もJRからの臨時列車絡んでたんだし昔というわけでもなかろう
これから普段の生活でしっかりと閉塞扱いしていきたいと思います
BGM音量が大きすぎて解説が聞こえないし、集中できない
とても良い解説ですがBGM大きすぎてよく聞こえず残念(><)
この動画の状況だと下り回想列車の運転士は西ノ宮駅の神戸方の分岐器で異音及び異常振動で間違いに気づきそうな気がするのだが。(分岐器は上り線ホーム方向に開通してある状態になったままの状態と思われる)
素人目にしても、蒸気機関車だから前方が見えづらいにしても、ポイントはそのままだろうし無理やり通過するんですから、分かりそうなもんですけどね?スプリングポイントだったんかいな?
今では考えられない位単純な事故だね。
鋼索線並みの運行管理していたらそりゃあ簡単に事故になるわ
単純ゆえに、人間の勘違いや思い込みが、即重大事故に繋がる事例ですね。
当時の機関車は低速最高でも65キロ~70キロ位だったから死傷者が少なかったかも知れないけど、今だったらワンちゃん120/120位で衝突するから死傷者が大勢でるかも(-ω-;)
工務省の言い分を擁護すると規律の乱れで後続列車に影響が出るほど兵員輸送が遅れた。でも兵員輸送を優先したから定期列車がめちゃくちゃ遅れたって所かな。
兵員輸送列車が現に下り回送されて来ている(←衝突)のに、先の上り兵員輸送列車に乗れなかった兵員が、定期列車(←衝突)に乗せろだのなんだの言ったのでは?
昔は駅が少なかったのですね
説明に対する補足です。明治10年の西南戦争の際、増大する軍事輸送に対応するため京都大阪間に同年3月に票券式閉塞とブロック電信機が設置されました。ただし大阪神戸間はこの事故の後の10月11日に採用されたとのことです。この事故では外国人運転手と日本人火夫の意思疎通の欠如が問題となり、外国人運転手が一掃されたとのことです。当初のスタッフは長さ35センチ直径4センチの樫の木の棒であったといいます。
外国人機関手一掃のキッカケになった事故だったのですね。ありがとうございます
正面衝突よりもこの当時、追突リスクがかなり高いような…
自動閉塞も導入されていないと思われるので追突リスクは高かった可能性がありますね
「閉塞扱いを行わない」って今の基準だと相当パワーワードだけどこんな時代もあったんですね
事故原因のすり替えって、この頃から行われていたのですね。
別窓で運命かかったかと思って探してしまった。音声を聞くのはあきらめました。
いい加減BGMの音量を考えて貰えませんか?聴き手の立場からするときついです。オーケストラ曲はダイナミックレンジが大きいのでBGMには不向きです。
BGM大きすぎると内容が入ってこないですよね。内容は興味深いのに、残念。
BGMがベートーベンは運命で草
池田雅史 草を生やしてはいけない(林)
なにげに横須賀線は未来的。
阪神間が単線とかすごい時代ですねw事故原因を兵員のせいにしてるあたり当時のお役人の傲慢さがうかがえます…
京浜間も最初は単線やったんやで・・・いまや東海道線、京浜東北線、品鶴線で3複線はある時代だけども
古い事故臨時列車関係多いなー
質問があります。まず信号の話ですが、明治5年新橋横浜間が開業した際腕木式信号機らしきものを描いた錦絵が残っていますが、これは出発信号とは異なっていたのでしょうか。また明治10年は京都神戸間が開通したばかりで、この頃は照明といったものがほとんどありませんから(腕木式も照明なし)夜間に臨時列車を運行することはリスクがあったと思います。なぜ夜間真っ暗な中、臨時列車を運行させたのでしょうか。
事故当時はよくわかりませんが出発信号はなくて駅員の合図か手旗が出発信号がわりになっていることがありますね。津軽鉄道とか場内はありますが出発信号ないです。昔秩父鉄道も出発はなくて通過する列車に向かって手旗を現示してました。通過信号がなくて手旗ってのもありましたが。
機械の融通の利かなさに業を煮やした人間が起こした人災と云う意味では、信楽高原鐵道の事故と同じ。ネット社会の今日、我々人間の機械との関わり方を今一度再考するためのいい動画だと、思います。
ありがとうございますm(__)m
@@迷列車で行こう閉塞編図 様。返信有難うございます。言いにくいのですが…私のコメント、実はup主様の別の動画「二個出たタブレット」へ送ろうとしたものでして…ごめんなさい。
大丈夫ですよ!コメントありがとうございます。
単線って怖いですね…
安全対策として複線化されることが昔は多くあったようです
鉄道信号について新しい知見が得られたためご報告します。イギリスでは初期、昼間は手旗信号、夜間はカンテラを使っていました。1844年にはセマホア信号機が取り入れられ、出発と停止を表示していました。1852年に保線区間単位でレールに車輪が通ると信号が閉塞となるクロコダイルの原型が取り入れられました。ですので錦絵に残る信号は出発信号である可能性があります。大きな違いは閉塞単位が保線区ごとだと言うようです。ご参考までに。
動画全体はいい動画だけど、BGMの運命がうるさい
ご意見ありがとうございます。これからの動画はbgm音量に気をつけます。
Toshi Tani 同じこと思ってる奴いたw
無閉塞運転による事故ですねちなみに2002年に鹿児島本線で発生した事故も無閉塞運転による事故でした。
そもそも閉塞装置が無いのですから、現在でいう無閉塞運転とは違いますね、鹿児島本線の事故ともパターンが違います。
なんまんだぶつ
キの棒でも、言葉書いときゃスタフニナルノカ
人人 スタフの意味が棒杖らしいので木の棒を使用するのもマチガイデハナイカナ追記尚スタフ閉塞を行う際本来は棒状の金具が使用されるが今ではタブレットで代用される場合が多いとの事。
新橋横浜間は所要時間が53分で、1時間毎の発車ですから、基本的に単線区間の起点と終点の間に上下1本の列車しか走っていないため、駅ごとの閉塞という概念がなかったのかもしれません。
所要53分の単線なら2時間ごとでないと…
新橋横浜間は、川崎で列車交換してたって聞いてたけど。
お音楽いらないよ、、、、うるさいだけ
ふつーに事故ったって感じ
日本初の鉄道死亡事故の犠牲者は外国人だった事が意外でした。
大抵昔の事故って(前回のもそうだが)ダイヤが変更されてるときが多いよね
ていうか兵員輸送がらみ
通常と違うのを「なんかの故障」と思ってしまう平常心バイアスだよね
というか1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故もJRからの臨時列車絡んでたんだし昔というわけでもなかろう
これから普段の生活でしっかりと閉塞扱いしていきたいと思います
BGM音量が大きすぎて解説が聞こえないし、集中できない
とても良い解説ですがBGM大きすぎてよく聞こえず残念(><)
この動画の状況だと下り回想列車の運転士は西ノ宮駅の神戸方の分岐器で異音及び異常振動で間違いに気づきそうな気がするのだが。
(分岐器は上り線ホーム方向に開通してある状態になったままの状態と思われる)
素人目にしても、蒸気機関車だから前方が見えづらいにしても、ポイントはそのままだろうし無理やり通過するんですから、分かりそうなもんですけどね?
スプリングポイントだったんかいな?
今では考えられない位単純な事故だね。
鋼索線並みの運行管理していたらそりゃあ簡単に事故になるわ
単純ゆえに、人間の勘違いや思い込みが、即重大事故に繋がる事例ですね。
当時の機関車は低速最高でも65キロ~70キロ位だったから死傷者が少なかったかも知れないけど、今だったらワンちゃん120/120位で衝突するから死傷者が大勢でるかも(-ω-;)
工務省の言い分を擁護すると規律の乱れで後続列車に影響が出るほど兵員輸送が遅れた。
でも兵員輸送を優先したから定期列車がめちゃくちゃ遅れたって所かな。
兵員輸送列車が現に下り回送されて来ている(←衝突)のに、先の上り兵員輸送列車に乗れなかった兵員が、定期列車(←衝突)に乗せろだのなんだの言ったのでは?
昔は駅が少なかったのですね
説明に対する補足です。明治10年の西南戦争の際、増大する軍事輸送に対応するため京都大阪間に同年3月に票券式閉塞とブロック電信機が設置されました。ただし大阪神戸間はこの事故の後の10月11日に採用されたとのことです。この事故では外国人運転手と日本人火夫の意思疎通の欠如が問題となり、外国人運転手が一掃されたとのことです。当初のスタッフは長さ35センチ直径4センチの樫の木の棒であったといいます。
外国人機関手一掃のキッカケになった事故だったのですね。ありがとうございます
正面衝突よりもこの当時、追突リスクがかなり高いような…
自動閉塞も導入されていないと思われるので追突リスクは高かった可能性がありますね
「閉塞扱いを行わない」って今の基準だと相当パワーワードだけどこんな時代もあったんですね
事故原因のすり替えって、この頃から行われていたのですね。
別窓で運命かかったかと思って探してしまった。音声を聞くのはあきらめました。
いい加減BGMの音量を考えて貰えませんか?聴き手の立場からするときついです。オーケストラ曲はダイナミックレンジが大きいのでBGMには不向きです。
BGM大きすぎると内容が入ってこないですよね。内容は興味深いのに、残念。
BGMがベートーベンは運命で草
池田雅史
草を生やしてはいけない(林)
なにげに横須賀線は未来的。
阪神間が単線とかすごい時代ですねw
事故原因を兵員のせいにしてるあたり当時のお役人の傲慢さがうかがえます…
京浜間も最初は単線やったんやで・・・
いまや東海道線、京浜東北線、品鶴線で3複線はある時代だけども
古い事故臨時列車関係多いなー
質問があります。まず信号の話ですが、明治5年新橋横浜間が開業した際腕木式信号機らしきものを描いた錦絵が残っていますが、これは出発信号とは異なっていたのでしょうか。また明治10年は京都神戸間が開通したばかりで、この頃は照明といったものがほとんどありませんから(腕木式も照明なし)夜間に臨時列車を運行することはリスクがあったと思います。なぜ夜間真っ暗な中、臨時列車を運行させたのでしょうか。
事故当時はよくわかりませんが出発信号はなくて駅員の合図か手旗が出発信号がわりになっていることがありますね。津軽鉄道とか場内はありますが出発信号ないです。昔秩父鉄道も出発はなくて通過する列車に向かって手旗を現示してました。通過信号がなくて手旗ってのもありましたが。
機械の融通の利かなさに業を煮やした人間が起こした人災と云う意味では、信楽高原鐵道の事故と同じ。
ネット社会の今日、我々人間の機械との関わり方を今一度再考するためのいい動画だと、思います。
ありがとうございますm(__)m
@@迷列車で行こう閉塞編図 様。
返信有難うございます。
言いにくいのですが…私のコメント、実はup主様の別の動画「二個出たタブレット」へ送ろうとしたものでして…
ごめんなさい。
大丈夫ですよ!コメントありがとうございます。
単線って怖いですね…
安全対策として複線化されることが昔は多くあったようです
鉄道信号について新しい知見が得られたためご報告します。イギリスでは初期、昼間は手旗信号、夜間はカンテラを使っていました。1844年にはセマホア信号機が取り入れられ、出発と停止を表示していました。1852年に保線区間単位でレールに車輪が通ると信号が閉塞となるクロコダイルの原型が取り入れられました。ですので錦絵に残る信号は出発信号である可能性があります。大きな違いは閉塞単位が保線区ごとだと言うようです。ご参考までに。
動画全体はいい動画だけど、BGMの運命がうるさい
ご意見ありがとうございます。
これからの動画はbgm音量に気をつけます。
Toshi Tani 同じこと思ってる奴いたw
無閉塞運転による事故ですねちなみに2002年に鹿児島本線で発生した事故も無閉塞運転による事故でした。
そもそも閉塞装置が無いのですから、現在でいう無閉塞運転とは違いますね、
鹿児島本線の事故ともパターンが違います。
なんまんだぶつ
キの棒でも、言葉書いときゃスタフニナルノカ
人人
スタフの意味が棒杖らしいので木の棒を使用するのもマチガイデハナイカナ
追記
尚スタフ閉塞を行う際本来は棒状の金具が使用されるが今ではタブレットで代用される場合が多いとの事。
新橋横浜間は所要時間が53分で、1時間毎の発車ですから、基本的に単線区間の起点と終点の間に上下1本の列車しか走っていないため、駅ごとの閉塞という概念がなかったのかもしれません。
所要53分の単線なら2時間ごとでないと…
新橋横浜間は、川崎で列車交換してたって聞いてたけど。
お音楽いらないよ、、、、うるさいだけ
ふつーに事故ったって感じ