【廃線跡】駅も街も消滅しました。その11 Stations and towns have disappeared.Part 11
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- Опубликовано: 3 окт 2024
- 今回は今まで巡った廃線跡で、かつては駅を中心に形成された街(市街地、集落)が消滅、もしくは著しく衰退してしまった場所を駅跡を中心に紹介していきます。
11回目の今回は北海道の万字線(1985年廃止)の万字駅跡と万字炭山駅跡です。万字地区は炭鉱で賑わい最盛期は5,000人以上の人が暮らしていましたが、閉山後は衰退の一途を辿り現在は80人程度しか住んでいません。かつての街も原野に還りつつあります。これも炭鉱街の宿命なのでしょうか…
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:www.gsi.go.jp/...
ひろりんさん、こんばんは。
万字線、はじめて知りました。
少しでも、遺構が残ってるのは、うれしいですね。
駅舎が、簡易郵便局になってる所は、営業されてるのか、
が、気になりました。
この簡易郵便局も将来は…
原野を開拓し、また原野に戻る。
汗を流された人生の先輩方の笑顔
を祈るのみです。
今回もありがとうございました。
👍
自然に戻りながらもその中に微かに残る廃線跡。なんだか切ない気持ち。
東京オリンピック前の小学校の授業で先生から「これからは北海道の時代だ」みたいな授業を習ったな 石炭がじゃんじゃん採れて農業用地も広大だ でも石炭から石油へと急速に変化して室蘭などの製鉄所が縮小で石炭は不要となり北海道の炭鉱は急速に廃止されたから鉄道とセットだから多くあった線路も消えて携わった人も徐々に消えて行く 大切な記録をありがとうございます
炭鉱全盛期は正に北海道の時代でしたね…
おじいちゃんやん
解体される前の2010年9月22日に万字炭山駅跡に行きました。
あまり下調べしてなかった為、「万字炭山駅」を剥がした跡が薄っすらとあったのに気付かず、旅客ホーム跡も特定できずちょっと心残りとなりました。
吹けば飛びそうなガラス張りの駅舎を見てみたかったです。
数日前に万字に行ってきました。やうやく紅葉が始まりました。
駅跡付近は「おっふ」しか出ませんが、古い橋があったり、旧山神社など、往時を感じられる風景があります。私のチャンネルで近々公開したいと思っています。
ちなみに万字に岩見沢の鮮魚市場があり、セリが行われていたらしいです。それだけ重要な場所だったんですね。
👍
万字の名は明治時代に石炭の鉱脈を発見し所有していた朝吹家の家紋(卍)に由来しますが、規模はこの地域の炭鉱としてはさほど大きくはありませんでした。他の中小鉱と同様に北炭の傘下に入り、国のエネルギー政策転換とともに消滅しましたが、まだ集落はぽつぽつとは残っています。美流渡にある美味しいコッペパンの店にハマり、コーヒーとバター持参で買いに行って現地で食べたのを思い出します。(最近は行っていませんが今も盛業中のようです)
コッペパンのお店…
行ってみたいですね…
「ミルトコッペ」で検索すると出てきます。私が行っていた頃は予約すれば確実に買えましたが、今は予約は受け付けずに当日先着順だけになったみたいですね。
郵政民営化の影響で万字駅前の郵便局も無くなる可能性有りますね。
そうですね…
原野に還りつつも、現役の頃を残している姿が美しい。
👍
ひろりんさん
今回も楽しませて頂きました!😊
炭鉱の閉山と運炭路線の廃止、町の衰退はどこも同じように寂しいですね😢
でも、ひろりんさんの映像はただ寂しい詫びしいだけではない何かを感じます😉
今回もありがとうございました👍
ありがとうございます!
炭鉱と共に発展してきた街は、炭鉱の閉山後はこうなってしまいますね…
万字仲町簡易郵便局見に行きました😅
👍
炭鉱でワーッと人が集まったのなら、閉山すればスーっと
人が消えてゆくのもまた道理ですね
そうですね…
鉄道に限らないと思いますが、建物も人がいなくなるとだめになりますね。
綺麗に手入れ整備されていらっしゃる方に感謝です。
笹原康平さんへ
お早うございます。あなたのコメントを興味深く拝読しました。昨夜私もこの動画を見通して、ひろりんさんが扱われた万字(ここの炭鉱を発見した朝吹家の家紋「卍」に由来とか)線も炭鉱で賑わい閉山後は万字・万字炭山の駅は集落は消えどもホームは遺り朝日駅の跡はB20型タンク式蒸気機関車が屋根付きで静態保存されているだけでも笹原さんも安堵された事でしょう。秋が深まりますが、健康管理や感染症に注意し過ごされますように。
(記・10月15日の午前6時台)
@@和田秀樹-r7u お疲れ様です。
朝夕の寒暖差が変わって来ましたね。
体調には気をつけます。
炭鉱町のご多聞に漏れずですね。
半端に残っている遺構が虚しいです。
そうですね…
万字炭鉱は地質が脆弱で出水量が多く、1950年代には坑道が水没することもあったそうです。この炭鉱は、1976年の台風による出水事故で主力坑道が水没してしまい、復旧できずに閉山となったそうです。
76年の写真と比べると、とても同じ場所とは思えない衰退っぷりですね…。
ここまで変わってしまうんですね…
万字駅も万字炭山駅もオッフぶりが止まらない...
途中のB20型蒸気機関車が保存されている朝日駅は幸せなんですね...
そうですね…
朝日駅跡は幸せな部類かと…
平成12年当時は万字炭山駅周辺はオッフ〜化してましたが、万字駅周辺は、生活の香りはしてましたし宗谷本線の雄信内駅周辺よりはマシでした。
両駅跡とも、今はおっふですね
ですね…
ここも乗ることできなかった😢
国鉄末期のキャンペーン~ナイスミディパスを使って全国を
女性3名組が旅をする単発のNHKドラマで万字線が登場しました。
この女性3人組は菅井きんさん、野際陽子さん、泉ピン子さんで
ナイスミディパスのポスターとCMに起用された御三方でした。
内容は旅番組ではないものの画面に各地の国鉄の列車や駅舎が登場し
末期の国鉄が最後の輝きを見せていたと思います。
残念ながら、放送されたときには既に万字線は廃止されており
画面下に万字線は○月○日に廃止されました。
とテロップが出ていたのがちょっと寂しかった。
録画しなかったのが悔やまれます。
ということ思い出しました。
万字線がドラマに登場していたとは…
雪深い万字炭山駅を訪問し、撮影した記録写真が自宅に残っていました。キハ40単行でした。
👍️
万字の町も美流渡からと、夕張からと何度も訪れてるけど、駅舎が無くなったんですね。二十年も前は道沿いに商店や劇場も残ってたけど、今はどうなったんでしょうね。北海道に行きはじめた頃は万字線も含めて、北海道で廃止になった路線は全て残ってたのに、鉄道に興味がなかったのが残念でした。後年、夜汽車で雪の万字駅を訪れることもできたのに、と後悔してます。
こりゃまた懐かしい。親戚のジジが炭鉱マンだったので、ガキンチョの時(閉山前)に一度遊びに行った事ありますが、駅近辺にタダで入れる公衆浴場が2箇所あったのは覚えてます。
近くには雑貨屋もあり、そこで公衆電話(手回し式の交換手に繋いでもらうタイプw)を借りて実家に電話したことも。
その雑貨屋。98年に行った時はかろうじて営業していたみたいですが、その後廃業して、しばらくは展示場みたいな事してたみたいですが、今は倒壊寸前の廃墟になってますね。
おはようございます。岐阜愛知長野など、大地を手あたりしだいにセメントで固めてます。
未来の人々の為に北海道だけでも原野に戻る事は良い事だと思ってます。
1980年前半に当時の国鉄全線完乗に向けて周遊券で道内を乗車してて、幌内線幾春別往復の後、万字炭山往復だったのですが、幾春別往復して岩見沢到着の際に、車掌さんから声を掛けられて、「次はどこ行くの?炭山?」と言われたので「はい、万字炭山です」と答えたら、「この列車がそのまま炭山行になるから」と教えてくれました。
しっかり行動を読まれてました😅
同じようなことを飛行機(機材運用と同じ行程で搭乗)ですると、乗務員さんもずっと同じになる場合が多いので、ちょっと恥ずかしいです😅
今となっては、いい思い出ですね~
30年くらい前、万字に初めて行ったときこんな奥に住宅街が…と驚いたものです。当時はまだ万字温泉が営業してたり小学校が残っていたり、、最後に訪れたのは2年位前ですが明らかに更地ばかりになりましたね。
残るはお菊人形の万念寺くらいでしょうか
ひろりんさんへ
全編を通して拝見しました。くたきちさんのコメントから万字線の名前は明治時代に炭山を発見した朝吹家の家紋である卍(まんじ)に由来と知り、理解が深まった思いです。万字と万字炭山駅は、共に長い当時のプラットフォームが遺るという共通点に気付きました。1976年に万字炭山が閉山しその9年後万字線も廃止となり、街と共に原野に還りつつある過程から私は一世風靡セピアのこんな一節を想起しましたね。
♪(散った花片は)後[あと]は土へと還るだけ
(「前略、道の上より」の1番から)但、途中の朝日駅の跡が記念公園に整備され屋根付きでB20型タンク式蒸気機関車が静態保存されているという現況から、あなたも安堵をされた事でしょう。
ひろりんさんも多々感じられた事でしょうけれども、ここは気を取り直し来月上旬の遠征に向けて感染症や健康管理に注意し過ごされますようお祈りします。
(記・10月14日の22時台)
ありがとうございます👍
万字は母親の田舎で子供のころよく遊びに行きました。美流渡から汽車に乗ってお盆にはお寺さんに、いってあのお菊人形を見たものです。
万字の万念寺にはお菊人形が祀られていましたね。
景色が美しいだけに、人の営みの儚さがあまりにも刹那的で哀れに見えて仕方がありません。
旧万字駅舎の前にはまだ人の手が加わっているようですが、自然を傷つけることなく仲良く暮らしているのかなぁと思いました😊
万字地区も限界集落となり、商店は無くなり、診療所も今年度末で廃止になるようです…
@@hiroring0323 いつも素晴らしい映像です。簡易局も民営化後は減少する一方です。ロイヤリティは取られませんが一種のフランチャイズですからこう住人が減ると……。
@@テツユー
郵政民営化は必要だったのでしょうか…
ついこないだ岩見沢から夕張へ夜のドライブで通りましたが、こんなに栄えているとは思えないほどひっそりとしていました…
夜の8時頃でしたが、万字を通っている道道では夕張市街地まで一台も車とすれ違わず、鹿とキツネとタヌキがたくさんいました!
👍
万字線というと運炭路線ですが、私は冬のスキー列車「上志文銀嶺号」を思い出します…
少年時代に、スキーの選手だった友人に誘われて2度程乗車した憶えがあります…
万字炭山森林公園は、もはや遺跡の様相を呈してますね…
大手財閥系以外にも道内には中小の炭鉱が点在していましたが、国策の転換期に殆どが姿を消してしまいましたね…
万字線では上志文のスキー列車も有名でしたね。
乗車されたことがあるんですね…
市街地消滅してても、まだ現役の建物が残ってるだけで、すこしホッとします。
そうですね…
そう言われると宗谷本線の秘境駅はまだマシな方かもしれません。
万字炭山駅…山々に囲まれた谷のような立地と記憶してます。ミニ夕張を思い起こさせますね…
山を越えたら夕張ですからね…
平成12年に行った時も、今で言うミニ夕張化してました。スーパーオッフ〜🐻。
万時駅前簡易郵便局の局長さんのインタビューを読んだ事があったんですが、遂に閉局ですか…??
昨日たまたま万字線の今昔を国土地理院地図やグーグルアースで閲覧したばかりでしたので、ひろりんさんのご投稿タイミングに驚きました。
いつもながらの廃坑→人が去って町が消えるオッフですが、ホームや炭鉱の遺構が残っているうちに訪れてみたいです。あと十数年くらいすると自然回帰しそうで...。
いつか、「〇〇炭山駅」シリーズもお願いします。
既に限界集落なので、完全に集落が消滅する日も遠くなさそうです…
お疲れ様です~今回は、万字駅跡、万字炭山駅跡、どちらも、自然に還りつつある、オッフ〜シリーズです~オッフ〜🐻
オッフ…🐻
万字線の沿線は🐻さんが出没区域なので、探索は怖かったですね。スーパーオッフ〜🐻。
万字駅跡の下り階段、今日は躊躇されていないのですね。
(^^
夏場なら躊躇していたかも…
卍駅ホーム「なんたる失策か!」
確かに、万字駅に行ったのは夏場だったので、例のあれが出ると怖いので行く気はありませんでした。
@@真智子関川 🐻
@@真智子関川
オッフ…
万字線で現役の岩見沢駅と志文駅、駅舎が保存されているのは上志文駅(スキー場の施設の一部だったような?)、朝日駅、万字駅(簡易郵便局)のみで朝日駅にいたっては鉄道公園になってますよね😊 万字線、幌内線、上砂川支線、歌志内線など産炭地を抱えていた路線は悲しい事に😢国のエネルギー政策の影響は恐ろしい😭😭
産炭地を多く抱えていた北海道では大打撃を受けましたね…
釧路コールマインが好調のように、設備さえある程度あれば採炭が可能という見方もある
みたいですが、閉山された炭鉱に初期投資をすると全く採算が合わないみたいですね
以前の動画でも拝見しましたが路線末端地区以外はそれなりに市街が残っている路線ですよね
万字炭山駅も完全に原野に還っていても不思議ではないのに建物が残っているが珍しいです
石炭の需要はあり北海道にも石炭は眠っているんですが、海外産の方が安くコストが見合わないんですよね…
今年の5月に万字炭山森林公園のズリ山に登ってきました!
上志文から先の駅跡を見ましたけど駅として保存されてるのは朝日駅だけでしたね。
炭山駅は立ち入っていいのかわからなくて見ることができませんでしたので、ここで見ることが出来て良かった!
👍
民家を見下ろす高い位置に路線が有ったなぁ~。万字炭山駅舎はホームから、わりと歩くんですよ。
万字炭山駅はホームが駅舎から離れたところにありましたね…
列車が走ってきそう。
万字駅の転車台は旅客関係のだったのかな?
跡地まで行くの大変そうだけど
運炭路線なので転車台は貨物用でしょうね…
次回は転車台跡も探してみたいですね。
北海道の廃線跡は今の北海道を表している用で好きなんだよね…
今回も見事なおっふ案件でしたね。両駅ともホームが残っている分、まだよいのでしょうね。
何かしら遺構が残っているだけでも…
炭鉱の後を見ると
その当時はすごくにぎわってるけど
今は廃墟化してさみしいね。
北海道の炭鉱街は、閉山後はこうなってしまいますね…
人がいなくなると衰退も激しいものですね・・・遺構が残ってくれているだけでも少しホッとします。
そうですね…
こんばんは〜万字線足繁く通った 炭山駅のホームは多分残っている方だと思ういます 転車台は一度万時炭山駅で機関車外し万字で転換して連結して岩見沢方面に出発します 気動車化されてからは 使ってない様です 万字には配達する局あった様ですがすでに簡易局なり 人口減少しましたから仕方ないです 石炭は小規模ながらやってたらしいがやめたかな? ボタ山かつてあり 温泉宿有った良くはいったな〜
万字炭山駅に転車台が無かったので、万字駅で機関車の向きを変えていたんですね。万字地区も商店が無くなり、今年度で診療所も廃止になりますね…
THE北海道の廃線って感じがたまりませんね。比較的札幌市から近いけどダメなんですね~。
ミニ夕張市って感じです✨
そういえば道道38号一本で夕張に行けますね。
もしかして大昔は夕張線と万字線をくっつける計画が?
札幌から然程遠くないですが、岩見沢から20キロ以上離れた山の中なので…
ご指摘の万字線と夕張線を連結の話しは、戦前にありましたが、やはり万字峠があったので建設費の問題はありました。ミニ夕張ですか?昔はその言葉はありませんでした、やはり時代ですね。
@@真智子関川
やはりですか。グーグルマップで見る限り険しそうだとは思いましたが…
今ならトンネルで抜くだろうけど、鉱脈に当たりそうですね(笑)
@@なぞの小袋 確かに、夕張支線の駅巡りをしようと、万字峠越えも考えましたが、あまりにも急勾配で断念しました。おまけに🐻さんが出たりするので怖かったでした。
駅名に 「炭山」は珍しい
私鉄では昔はいくつかありましたが、国鉄では珍しかったですね。
卒業式に桜の木の下で記念写真を撮ったのかもしれないですね
在りし日には、そんな事もあったんでしょうね…
終末世界のようなロマンがありますね…
👍
おっふ・・・
これは・・・
こうなるのも炭鉱の街の宿命って奴ですかね・・・
オッフ…
👍
Waroc Ng 先生
早上好(大家好)。十月下旬了,但你還好嗎? 我有一段時間第一次讀到你的評論,非常有趣和感興趣。現在,(Hiroring先生上傳)顯示了[原國鐵]萬字(Manji)線末端的兩個車站的廢墟,這裡曾經忙於煤炭生産和運輸。這是一件事。下面我簡單介紹一下相關的萬字線和萬字煤礦。(來源・維基百科)
☆萬字線→志文(Shibun)ー萬字炭山(Manji-Tanzan)之間(23.8㎞)
車站數量=6,軌距=1067㎜(窄軌),最小曲線半徑=200m,非電氣化,開場=1914年11月11日、廢除=1985年4月1日(換算成巴士)
→兩個地點均設有平臺。站房(「萬字」保留,「萬字炭山」拆除)。
☆萬字煤礦
北海道煤礦輪船株式會社於1903年從發現並開発煤層的朝吹(Asabuki)家族手中接手業務,並於1905年開設了礦山(イ朝吹家族的家徽“卍(萬字)”爲名,命名爲萬字煤礦)。但該礦因血基鬆軟,洪水氾濫,因1976年6號颱風襲撃而關閉(主軸被淹没)。萬字地區的人口5000人,但人口不斷減少,小學和幼兒園於2010年關閉。
如上。隨著秋天的深入,我祈禱您能花時間照顧自己的健康。願上帝保佑你們大家。
2023年10月20日 星期五
和田秀樹
今年は卍には行ってないけど峠の反対側のメロン城址に行って参りました。
メロン城…
すべてが野に還ってるな
閉山後に街が消滅してしまうのは炭鉱街の宿命ですね。
でもその原野に還りつつある駅跡や街の風景がまたいいですね...
👍
いち!
コメントは後で!
1コメありがとうございます🐻
まぢ卍!のヤぁツぅなw
北斗号も、立ち席が出るくらい
大反響!かーらーの!!!
自由席ガラ空き祭りとか・・・
試され過ぎた大地、北海道は
難しい!(泣)
@@黒いPoohさん
オッフ…