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私の祖父は海軍第6航空隊としてミッドウェイ基地に駐留すべく零式艦上戦闘機と共に空母「加賀」に乗りました😮米航空機の攻撃が激しく僚機と共に「加賀」を発艦し母艦被弾後は空母「飛竜」に着艦して戦い抜きました内地帰還後は204航空隊に所属😮204航空隊解隊後はフィリピン迄転進して「神風特別自爆隊」の護衛を勤めました😢「気が変になった…」と戦後に語りました愛機を残して松山基地迄戻り新機材受領後に沖縄へ向かう筈でしたが臨時に343航空隊に仮配属され「紫電」に乗りました😅着陸時に脚を壊して修理中に終戦😢航空自衛隊ではF86の単独飛行に成しましたが自身ジェット機操縦の特性は無いと判断し教官勤務を病没迄勤めました😢海軍時代は撃墜9機 撃破9機最終階級はニ尉でした😊😢😢
令和の現代日本ならこの作戦は必ず実行出来ない。何故なら、今の国会議員達の為に生命を掛けるのが馬鹿馬鹿しいから。
航空燃料が底をつく前に特攻作戦で大戦果を挙げ講和へ持ち込む構想だったわけですが、正規空母が毎月進水、護衛空母は毎週、駆逐艦など毎日、航空機を1日百数十機という本気を出したアメリカの工業力の前にはあまりに儚い希望でした…。
1943年だか1944年には1年で10万機以上生産したから、1日に300機は作ってるぞ。
燃料枯渇から、試運転も無し、養成も月10時間。輸送中の損失が戦闘での損失を上回る。試運転さえ為てない、航空機で空中輸送すれば、どうなるか。
考えさせられますね、この番組と日本の先人にありがとうございました。
以前・丸エキストラ誌の記事で、太平洋戦争開戦前にイギリス東洋艦隊のレパルスとプリンス・オブ・ウェールズを航空隊で攻撃することになった時から「イギリス戦艦を撃沈できないならば1式陸攻で体当たりしよう」という意見が出ていたそうです。悲しいかな、開戦前から「お国のためならわが身は惜しくない」という考え自体が存在していたのも事実のようです。そして南太平洋海戦以降、航空機の損害が増えていきます。そのうちに一度攻撃隊を出すと半分近く帰ってこないように。アメリカ軍の対空砲火がどんどん強化されていったのと、日本軍機の防御力が高くなかったこと、高速の新型機の開発が追い付かなかったのも理由でしょう。そして特攻が当たり前になった戦争末期でも、最後まで特攻を禁じて通常攻撃にこだわった指揮官がいたのも忘れてはいけないです。
現在の財務省が減税をやらないのは国民より財務省を守りたいから。これを軍部が降伏したくないのは組織を守りたいから降伏しないと言うのと同じ理論。
いいね。こういう意見。
一撃講話論です
視点を変えると特攻機の分は確実に自軍の戦果が保障されている作戦でもある。末期は最早死ぬ為だけの作戦になっており考慮すべきだった点が多い。
よくわからないのは 桜花など かなり前から考えないといけないのが有ったところ
軍部が自らの戦争責任を誤魔化したかっただけだと思う。国体維持=軍部の維持が目的でしょうから。事実、発令側は責任を取らずに戦後もぬくぬくと生きた人が多い。
僅かでも生存の可能性があるからパイロット達はどんな危険な任務でも遂行する、生存の可能が皆無の特攻作戦を日本のパイロット達はどのようにして納得したのか米軍側では理解出来なかっただろうな。
海軍航空本部は反対しているし。陸軍飛行本部長は反対して更迭。
陸軍は19年3月から議論が始まっている、航空揮発油の枯渇から。10月には、残量20万KLに成る。海軍も同じ。
十4零生の特別攻撃を志願した者と充分な護衛機だけで決行すれば士気 戦力ともに充実していたと思うのだが…
結果は出ないけどな
大西中将は敷島隊の戦果報告を聞いて「よし これで何とかなる!」と言った真相はどうだったのでしょう?
フィリピンの二航艦がスキップボミングの真似をして戦果なし、一航艦が体当たりで戦果あり、となればこうなるのは自然の成り行き。まぁテンノーの戦争責任をかわすには個人の着想だと言い張るしかないわな。
この特攻対策にもサッチウィーブのサッチさん考案でした。そして特攻もリモート化されてドローンになりましたとさ。(朝鮮戦争ではリモート化されたF6Fを爆弾積んで落とす事を計画されてまし、リモートF6Fを空中標的にはしてました。)
当時の学徒兵が未来の戦争では機械が我々の代わりになってくれるはずだと言っていました
日本を追い詰めるととんでもないことをやるからと今でも英霊が侵略を防いでくださっている
しかもあの頃と違ってハイテク兵器でそれやられたらシャレにならねえよ、とは元米海兵隊員の言葉。ついでに言うとヤツら(自衛隊員の事)だとやりかねない面構えしているしなあ、絶対敵にしたくないとも言ってました。
単純に戦術として優れていたから採用された特攻に使われた戦闘機は普通に運用しても陳腐化して撃墜されるだけのただの的だっただが特攻させることで誘導爆弾として使えるようになった特攻は狂気の作戦ではない(感情的な部分を除けば)合理的な戦術の1つだ
それなら戦果が上がらなくなった時点で再検討すべきだった。ただ落されに行くようになってまで続けたのはどう考えても合理的じゃない。
@@芝鯖ロン?下記の説明を骨の髄まで理解したらいい➡️特攻は、ムダ呼ばわりする連中対象に、突入出来た特攻機の理由をエビデンスから検証した投稿をしたら、非論理的、感情だけの●カがたくさん集まりました。せっかくなのでなぜ突入出来たのか?その根拠の説明投稿を下記に記します➡️さてさて、特攻攻撃は、4重の防御体制で守られたアメリカ空母に突入出来てますよ❗️いい加減、特攻は、無駄だったという効率主張では説明出来ない、アメリカ任務部隊中心の正規空母に突入出来た理由を説明します。添付の画像をご参照ください①4重の防空体制、システムをアメリカ側は、構築した、と説明した。添付の説明を再確認してみたらいい。艦隊最外殻の駆逐艦には、距離200キロほどに接近した特攻機を発見出来る対空レーダーを搭載していた。レーダーピケット艦と呼ばれた駆逐艦。この早期警戒網に探知された情報は、即空母に伝えられて直掩戦闘機が対応する。結果的にこの段階の撃墜率が1番高かった。②ここを突破した特攻機は、艦隊20キロ前後に対応する5インチ高角砲(VT信管付砲弾)に晒される。実戦では、カタログデータよりもかなり撃墜率は、低かった。③艦隊内部まで突入出来た特攻機は、10キロ以下の距離で、40ミリ対空機関砲に晒される。直掩機の次に特攻機を撃墜したのがこの大口径機関砲。④空母直近まで突入出来た特攻機は、最後近接火力として20ミリ対空機銃の範囲内になる訳。この艦隊からの距離に対応した防空システムを、見事に突破して、中心部の大型正規空母に突入出来た機体が、多数存在したのが史実。それと、たまたま出撃準備中で、燃料と弾薬を満載した艦載機が飛行甲板や格納庫に溢れかえった状態の時突入出来た特攻機搭載爆弾が破裂して誘爆したのが、今に写真が残る複数の炎上空母。実は、当時日本側もレーダーを必死に開発中だった。この研究データから、当時最先端かつ完璧のように思われるようなアメリカ側のレーダーにも欠陥があった事を日本側は、熟知してた。低空は、探知困難❗️この情報は、当時の陸海軍の前線部隊にも情報共有され、特攻機の攻撃方法として活用されていた。しかし、長時間低空飛行可能なパイロットは、熟練搭乗員。訓練が足りない学生出身や少年飛行兵たちは通常高度から突入せざるを得なかった。そこで未熟なパイロットは、前述の4重防御システム最外殻のレーダーピケット艦を目標に突入した。この猛攻は、レーダーピケット艦の損耗を招き一時的に対警戒網に綻びを生じさせた。この早期警戒網の盲点を突き、熟練搭乗員操縦の貴重な新鋭機、高速艦爆彗星や新型中攻銀河など、そして爆装零戦などが低空飛行と、薄暮時や天候、これは雲を利用してアメリカ任務部隊に接近したのだよ。記録に残る対空砲火に撃墜される特攻機のインパクトは大きなイメージになるが、実際には映像に残っていない、熟練搭乗員の猛攻があったのだよ。特攻は、下策だったかもしれないが、近代的電波兵器に全く対抗出来なく、無謀な作戦ばかりだと認識してしまう事は大きな歪みが史実認識に生じてしまう。それと、当時既に、金属箔を別の空域にばら撒いて、攻撃機を欺瞞するチャフ散布作戦も実行されていた。沖縄は、捨て石にされていなかった。
零戦に250キロ爆弾をつけ体当たりしても貫通力は無い。レイテ沖海戦は戦艦部隊の殴り込み作戦であり、小沢艦隊も含め、他の部隊はそれをお膳立てするのが目的です。だから合理性が薄い事でもやったのでは無いかと思います
@@芝鯖ロン 史実を認識すれば、判断された大西提督は、貴兄が主張する事はやってますが?まだまだ学び不足だね。
この20分ない動画でCM3回って多いな(笑)
米軍歌に突っ込んだ特攻隊員の亡骸の写真を見たことあるけどとてもじゃないが特攻なんて美化は出来ない勝手なロマンチズムでどれだけ命を粗末にしてるんだか
なんか利権があったのかねえ防空に徹したり地上戦重視の戦術になったら儲けられなくなる人が大西とかを焚きつけたのかな
👍🇯🇵
投稿お疲れ様です恐怖を煽ったり日本人の脅威的な精神力に畏怖させたと言う意味では一概に失敗とは言えないと個人的には思います!
米軍「我々は狂人と戦ってるのだ!」
あくまで推測だが日本が負ければ日本兵はみな処刑。しかも残虐ななぶり56しになるとうわさされたのではないか?そんな4に方ならまだ特攻の方がましである
太平洋戦争で命を落とした日本軍の将兵のうち、戦闘で亡くなった方は約10%殆どが餓●、病●そして負傷後の●です。 それを思えば、特攻と言えども幸運だったかも知れません。
特攻は、ムダ呼ばわりする連中対象に、突入出来た特攻機の理由をエビデンスから検証した投稿をしたら、非論理的、感情だけの●カがたくさん集まりました。せっかくなのでなぜ突入出来たのか?その根拠の説明投稿を下記に記します➡️さてさて、特攻攻撃は、4重の防御体制で守られたアメリカ空母に突入出来てますよ❗️いい加減、特攻は、無駄だったという効率主張では説明出来ない、アメリカ任務部隊中心の正規空母に突入出来た理由を説明します。添付の画像をご参照ください①4重の防空体制、システムをアメリカ側は、構築した、と説明した。添付の説明を再確認してみたらいい。艦隊最外殻の駆逐艦には、距離200キロほどに接近した特攻機を発見出来る対空レーダーを搭載していた。レーダーピケット艦と呼ばれた駆逐艦。この早期警戒網に探知された情報は、即空母に伝えられて直掩戦闘機が対応する。結果的にこの段階の撃墜率が1番高かった。②ここを突破した特攻機は、艦隊20キロ前後に対応する5インチ高角砲(VT信管付砲弾)に晒される。実戦では、カタログデータよりもかなり撃墜率は、低かった。③艦隊内部まで突入出来た特攻機は、10キロ以下の距離で、40ミリ対空機関砲に晒される。直掩機の次に特攻機を撃墜したのがこの大口径機関砲。④空母直近まで突入出来た特攻機は、最後近接火力として20ミリ対空機銃の範囲内になる訳。この艦隊からの距離に対応した防空システムを、見事に突破して、中心部の大型正規空母に突入出来た機体が、多数存在したのが史実。それと、たまたま出撃準備中で、燃料と弾薬を満載した艦載機が飛行甲板や格納庫に溢れかえった状態の時突入出来た特攻機搭載爆弾が破裂して誘爆したのが、今に写真が残る複数の炎上空母。実は、当時日本側もレーダーを必死に開発中だった。この研究データから、当時最先端かつ完璧のように思われるようなアメリカ側のレーダーにも欠陥があった事を日本側は、熟知してた。低空は、探知困難❗️この情報は、当時の陸海軍の前線部隊にも情報共有され、特攻機の攻撃方法として活用されていた。しかし、長時間低空飛行可能なパイロットは、熟練搭乗員。訓練が足りない学生出身や少年飛行兵たちは通常高度から突入せざるを得なかった。そこで未熟なパイロットは、前述の4重防御システム最外殻のレーダーピケット艦を目標に突入した。この猛攻は、レーダーピケット艦の損耗を招き一時的に対警戒網に綻びを生じさせた。この早期警戒網の盲点を突き、熟練搭乗員操縦の貴重な新鋭機、高速艦爆彗星や新型中攻銀河など、そして爆装零戦などが低空飛行と、薄暮時や天候、これは雲を利用してアメリカ任務部隊に接近したのだよ。記録に残る対空砲火に撃墜される特攻機のインパクトは大きなイメージになるが、実際には映像に残っていない、熟練搭乗員の猛攻があったのだよ。特攻は、下策だったかもしれないが、近代的電波兵器に全く対抗出来なく、無謀な作戦ばかりだと認識してしまう事は大きな歪みが史実認識に生じてしまう。それと、当時既に、金属箔を別の空域にばら撒いて、攻撃機を欺瞞するチャフ散布作戦も実行されていた。沖縄は、捨て石にされていなかった。
私の祖父は海軍第6航空隊としてミッドウェイ基地に駐留すべく零式艦上戦闘機と共に空母「加賀」に乗りました😮
米航空機の攻撃が激しく僚機と共に「加賀」を発艦し母艦被弾後は空母「飛竜」に着艦して戦い抜きました
内地帰還後は204航空隊に所属😮
204航空隊解隊後はフィリピン迄転進して「神風特別自爆隊」の護衛を勤めました😢
「気が変になった…」と戦後に語りました
愛機を残して松山基地迄戻り新機材受領後に沖縄へ向かう筈でしたが臨時に343航空隊に仮配属され「紫電」に乗りました😅
着陸時に脚を壊して修理中に終戦😢
航空自衛隊ではF86の単独飛行に成しましたが自身ジェット機操縦の特性は無いと判断し教官勤務を病没迄勤めました😢
海軍時代は撃墜9機 撃破9機
最終階級はニ尉でした😊😢😢
令和の現代日本ならこの作戦は必ず実行出来ない。何故なら、今の国会議員達の為に生命を掛けるのが馬鹿馬鹿しいから。
航空燃料が底をつく前に特攻作戦で大戦果を挙げ講和へ持ち込む構想だったわけですが、正規空母が毎月進水、護衛空母は毎週、駆逐艦など毎日、航空機を1日百数十機という本気を出したアメリカの工業力の前にはあまりに儚い希望でした…。
1943年だか1944年には1年で10万機以上生産したから、1日に300機は作ってるぞ。
燃料枯渇から、試運転も無し、養成も月10時間。輸送中の損失が戦闘での損失を上回る。
試運転さえ為てない、航空機で空中輸送すれば、どうなるか。
考えさせられますね、
この番組と日本の先人に
ありがとうございました。
以前・丸エキストラ誌の記事で、太平洋戦争開戦前にイギリス東洋艦隊のレパルスとプリンス・オブ・ウェールズを航空隊で攻撃することになった時から「イギリス戦艦を撃沈できないならば1式陸攻で体当たりしよう」という意見が出ていたそうです。
悲しいかな、開戦前から「お国のためならわが身は惜しくない」という考え自体が存在していたのも事実のようです。
そして南太平洋海戦以降、航空機の損害が増えていきます。
そのうちに一度攻撃隊を出すと半分近く帰ってこないように。アメリカ軍の対空砲火がどんどん強化されていったのと、日本軍機の防御力が高くなかったこと、高速の新型機の開発が追い付かなかったのも理由でしょう。
そして特攻が当たり前になった戦争末期でも、最後まで特攻を禁じて通常攻撃にこだわった指揮官がいたのも忘れてはいけないです。
現在の財務省が減税をやらないのは国民より財務省を守りたいから。
これを軍部が降伏したくないのは組織を守りたいから降伏しないと言うのと同じ理論。
いいね。こういう意見。
一撃講話論です
視点を変えると特攻機の分は確実に自軍の戦果が保障されている作戦でもある。
末期は最早死ぬ為だけの作戦になっており考慮すべきだった点が多い。
よくわからないのは 桜花など かなり前から考えないといけないのが有ったところ
軍部が自らの戦争責任を誤魔化したかっただけだと思う。
国体維持=軍部の維持が目的でしょうから。
事実、発令側は責任を取らずに戦後もぬくぬくと生きた人が多い。
僅かでも生存の可能性があるからパイロット達はどんな危険な任務でも遂行する、生存の可能が皆無の特攻作戦を日本のパイロット達はどのようにして納得したのか米軍側では理解出来なかっただろうな。
海軍航空本部は反対しているし。陸軍飛行本部長は反対して更迭。
陸軍は19年3月から議論が始まっている、航空揮発油の枯渇から。10月には、残量20万KLに成る。海軍も同じ。
十4零生の特別攻撃を志願した者と充分な護衛機だけで決行すれば士気 戦力ともに充実していたと思うのだが…
結果は出ないけどな
大西中将は敷島隊の戦果報告を聞いて「よし これで何とかなる!」と言った真相はどうだったの
でしょう?
フィリピンの二航艦がスキップボミングの真似をして戦果なし、一航艦が体当たりで戦果あり、となればこうなるのは自然の成り行き。まぁテンノーの戦争責任をかわすには個人の着想だと言い張るしかないわな。
この特攻対策にもサッチウィーブのサッチさん考案でした。
そして特攻もリモート化されてドローンになりましたとさ。(朝鮮戦争ではリモート化されたF6Fを爆弾積んで落とす事を計画されてまし、リモートF6Fを空中標的にはしてました。)
当時の学徒兵が未来の戦争では機械が我々の代わりになってくれるはずだと言っていました
日本を追い詰めるととんでもないことをやるからと今でも英霊が侵略を防いでくださっている
しかもあの頃と違ってハイテク兵器でそれやられたらシャレにならねえよ、とは元米海兵隊員の言葉。
ついでに言うとヤツら(自衛隊員の事)だとやりかねない面構えしているしなあ、絶対敵にしたくないとも言ってました。
単純に戦術として優れていたから採用された
特攻に使われた戦闘機は普通に運用しても陳腐化して撃墜されるだけのただの的だった
だが特攻させることで誘導爆弾として使えるようになった
特攻は狂気の作戦ではない(感情的な部分を除けば)合理的な戦術の1つだ
それなら戦果が上がらなくなった時点で再検討すべきだった。
ただ落されに行くようになってまで続けたのはどう考えても合理的じゃない。
@@芝鯖ロン?下記の説明を骨の髄まで理解したらいい➡️
特攻は、ムダ呼ばわりする連中対象に、突入出来た特攻機の理由をエビデンスから検証した投稿をしたら、非論理的、感情だけの●カがたくさん集まりました。せっかくなのでなぜ突入出来たのか?その根拠の説明投稿を下記に記します➡️
さてさて、特攻攻撃は、4重の防御体制で守られたアメリカ空母に突入出来てますよ❗️
いい加減、特攻は、無駄だったという効率主張では説明出来ない、アメリカ任務部隊中心の正規空母に突入出来た理由を説明します。
添付の画像をご参照ください
①4重の防空体制、システムをアメリカ側は、構築した、と説明した。添付の説明を再確認してみたらいい。艦隊最外殻の駆逐艦には、距離200キロほどに接近した特攻機を発見出来る対空レーダーを搭載していた。レーダーピケット艦と呼ばれた駆逐艦。この早期警戒網に探知された情報は、即空母に伝えられて直掩戦闘機が対応する。結果的にこの段階の撃墜率が1番高かった。
②ここを突破した特攻機は、艦隊20キロ前後に対応する5インチ高角砲(VT信管付砲弾)に晒される。実戦では、カタログデータよりもかなり撃墜率は、低かった。
③艦隊内部まで突入出来た特攻機は、10キロ以下の距離で、40ミリ対空機関砲に晒される。直掩機の次に特攻機を撃墜したのがこの大口径機関砲。
④空母直近まで突入出来た特攻機は、最後近接火力として20ミリ対空機銃の範囲内になる訳。
この艦隊からの距離に対応した防空システムを、見事に突破して、中心部の大型正規空母に突入出来た機体が、多数存在したのが史実。それと、たまたま出撃準備中で、燃料と弾薬を満載した艦載機が飛行甲板や格納庫に溢れかえった状態の時突入出来た特攻機搭載爆弾が破裂して誘爆したのが、今に写真が残る複数の炎上空母。
実は、当時日本側もレーダーを必死に開発中だった。この研究データから、当時最先端かつ完璧のように思われるようなアメリカ側のレーダーにも欠陥があった事を日本側は、熟知してた。低空は、探知困難❗️
この情報は、当時の陸海軍の前線部隊にも情報共有され、特攻機の攻撃方法として活用されていた。しかし、長時間低空飛行可能なパイロットは、熟練搭乗員。訓練が足りない学生出身や少年飛行兵たちは通常高度から突入せざるを得なかった。
そこで未熟なパイロットは、前述の4重防御システム最外殻のレーダーピケット艦を目標に突入した。この猛攻は、レーダーピケット艦の損耗を招き一時的に対警戒網に綻びを生じさせた。
この早期警戒網の盲点を突き、熟練搭乗員操縦の貴重な新鋭機、高速艦爆彗星や新型中攻銀河など、そして爆装零戦などが低空飛行と、薄暮時や天候、これは雲を利用してアメリカ任務部隊に接近したのだよ。
記録に残る対空砲火に撃墜される特攻機のインパクトは大きなイメージになるが、実際には映像に残っていない、熟練搭乗員の猛攻があったのだよ。
特攻は、下策だったかもしれないが、近代的電波兵器に全く対抗出来なく、無謀な作戦ばかりだと認識してしまう事は大きな歪みが史実認識に生じてしまう。
それと、当時既に、金属箔を別の空域にばら撒いて、攻撃機を欺瞞するチャフ散布作戦も実行されていた。
沖縄は、捨て石にされていなかった。
零戦に250キロ爆弾をつけ体当たりしても貫通力は無い。レイテ沖海戦は戦艦部隊の殴り込み作戦であり、小沢艦隊も含め、他の部隊はそれをお膳立てするのが目的です。だから合理性が薄い事でもやったのでは無いかと思います
@@芝鯖ロン
史実を認識すれば、判断された大西提督は、貴兄が主張する事はやってますが?
まだまだ学び不足だね。
この20分ない動画でCM3回って多いな(笑)
米軍歌に突っ込んだ特攻隊員の亡骸の写真を見たことあるけど
とてもじゃないが特攻なんて美化は出来ない
勝手なロマンチズムでどれだけ命を粗末にしてるんだか
なんか利権があったのかねえ
防空に徹したり地上戦重視の戦術になったら儲けられなくなる人が大西とかを焚きつけたのかな
👍🇯🇵
投稿お疲れ様です
恐怖を煽ったり日本人の脅威的な精神力に畏怖させたと言う意味では一概に失敗とは言えないと個人的には思います!
米軍「我々は狂人と戦ってるのだ!」
あくまで推測だが日本が負ければ日本兵はみな処刑。しかも残虐ななぶり56しになるとうわさされたのではないか?そんな4に方ならまだ特攻の方がましである
太平洋戦争で命を落とした日本軍の将兵のうち、戦闘で亡くなった方は約10%
殆どが餓●、病●そして負傷後の●です。
それを思えば、特攻と言えども幸運だったかも知れません。
特攻は、ムダ呼ばわりする連中対象に、突入出来た特攻機の理由をエビデンスから検証した投稿をしたら、非論理的、感情だけの●カがたくさん集まりました。せっかくなのでなぜ突入出来たのか?その根拠の説明投稿を下記に記します➡️
さてさて、特攻攻撃は、4重の防御体制で守られたアメリカ空母に突入出来てますよ❗️
いい加減、特攻は、無駄だったという効率主張では説明出来ない、アメリカ任務部隊中心の正規空母に突入出来た理由を説明します。
添付の画像をご参照ください
①4重の防空体制、システムをアメリカ側は、構築した、と説明した。添付の説明を再確認してみたらいい。艦隊最外殻の駆逐艦には、距離200キロほどに接近した特攻機を発見出来る対空レーダーを搭載していた。レーダーピケット艦と呼ばれた駆逐艦。この早期警戒網に探知された情報は、即空母に伝えられて直掩戦闘機が対応する。結果的にこの段階の撃墜率が1番高かった。
②ここを突破した特攻機は、艦隊20キロ前後に対応する5インチ高角砲(VT信管付砲弾)に晒される。実戦では、カタログデータよりもかなり撃墜率は、低かった。
③艦隊内部まで突入出来た特攻機は、10キロ以下の距離で、40ミリ対空機関砲に晒される。直掩機の次に特攻機を撃墜したのがこの大口径機関砲。
④空母直近まで突入出来た特攻機は、最後近接火力として20ミリ対空機銃の範囲内になる訳。
この艦隊からの距離に対応した防空システムを、見事に突破して、中心部の大型正規空母に突入出来た機体が、多数存在したのが史実。それと、たまたま出撃準備中で、燃料と弾薬を満載した艦載機が飛行甲板や格納庫に溢れかえった状態の時突入出来た特攻機搭載爆弾が破裂して誘爆したのが、今に写真が残る複数の炎上空母。
実は、当時日本側もレーダーを必死に開発中だった。この研究データから、当時最先端かつ完璧のように思われるようなアメリカ側のレーダーにも欠陥があった事を日本側は、熟知してた。低空は、探知困難❗️
この情報は、当時の陸海軍の前線部隊にも情報共有され、特攻機の攻撃方法として活用されていた。しかし、長時間低空飛行可能なパイロットは、熟練搭乗員。訓練が足りない学生出身や少年飛行兵たちは通常高度から突入せざるを得なかった。
そこで未熟なパイロットは、前述の4重防御システム最外殻のレーダーピケット艦を目標に突入した。この猛攻は、レーダーピケット艦の損耗を招き一時的に対警戒網に綻びを生じさせた。
この早期警戒網の盲点を突き、熟練搭乗員操縦の貴重な新鋭機、高速艦爆彗星や新型中攻銀河など、そして爆装零戦などが低空飛行と、薄暮時や天候、これは雲を利用してアメリカ任務部隊に接近したのだよ。
記録に残る対空砲火に撃墜される特攻機のインパクトは大きなイメージになるが、実際には映像に残っていない、熟練搭乗員の猛攻があったのだよ。
特攻は、下策だったかもしれないが、近代的電波兵器に全く対抗出来なく、無謀な作戦ばかりだと認識してしまう事は大きな歪みが史実認識に生じてしまう。
それと、当時既に、金属箔を別の空域にばら撒いて、攻撃機を欺瞞するチャフ散布作戦も実行されていた。
沖縄は、捨て石にされていなかった。