【大阪の本気!】これが戦前の「大大阪時代」だ!観光プロモーション用フィルム『大大阪観光』がガチでヤバすぎた【1937年】
HTML-код
- Опубликовано: 8 фев 2025
- 大阪市民に大阪府民の皆さん、近代史好きの皆さんに「戦前趣味」の皆さんも、お待たせしました。とっておきの映像ですよ~!
今でこそ、やれ「お笑い」だのやれ「コナモン」だのが「名物」だとステレオタイプなレッテルが貼られている「大阪」というまちですが、世間一般で流通しているばかりか肝心の大阪人に住む人々、大阪を商品として売り出したい人たちが思い描いているその「イメージ」とは、飽くまでも戦後に在阪企業などが生み出した「創られた伝統」とでもいうべきものです。
戦前期の大阪の「文化」の華やかさ、特に1930年代の盛り上がりは凄まじいものでして、所謂「大大阪」と呼ばれる時代がそうです。
アジア・太平洋戦争という悲しく愚かな戦でメチャクチャに壊れてしまったその往にし辺の「大大阪」の残照は今や街のそこかしこに微かに残り偲ばれるばかりですが、いったいどんなものだっのか?
幸い、往時を映像と音声で見られるよいフィルムがあるんですよ!2009年に大阪市交通局(現・Osaka Metro)が制作・限定販売したDVD『大阪市交通局昭和レトロ映像2』に収録の、『大大阪観光』という1937年に大阪市電気局(大阪市交通局の前身)が制作した観光プロモーション用の映画に、「「大大阪」のイイところ!」がこれでもかというほど詰まっています。著作権は以前は大阪市交通局にありましたが、もう無くなってしまったことと1953年公開以前の映像なので、ヨシとしましょう。
個人的に映像を見て考えるのが、天皇家に関する事象に対しナレーションがやけに「上下関係」に関する尊大な敬語を使っているのが皇族の「パレード」をスマホで一般人が撮影する今と違ってやけに凄まじくて隔世の感があるな(天皇を尊敬されている方には悪意はありませんが、私は正直言って笑ってしまいます。もっと言えば戦前期の日本の国家神道などに関する本を読むと、そういう言葉の大洪水です)という点と、空を突く数多の煙突がもうもうと煙を吐く様をナレーターが自慢そうに語る点が環境保護の理念が浸透した現代では考えられないなという点、それから、宮本輝の『泥の河』に出てくる水上生活者の姿をカメラに収めて(やや上から目線気味に語って)隠さずに紹介している点ですね。
これも、昔も今も市民のまち、いいまち、面白いまち、の「大阪」ならではでしょう。
ただし!注意すべきは、このフィルムは「観光」のプロモーションであるために観光客に売り込みたい「大大阪」の光の面しか映されていない、即ち「表層」であること。そして何よりこの「大大阪」の華やかさは15年戦争という事態に臨んで景気がよくなったことの恩恵であること、さらに煌びやかさは「恐怖」への「怯え」や「不安」といったものとコインの裏表一対の関係である点です。
そこを注意深く深読みして映像を読み解くと、面白い発見に気が付かれるでしょう。
もちろん、投稿したのは2022年ですけれども、来る2025年の「大阪万博」の暁にはこれほどの華やかさと風格を演出できるでしょうか?
…開催の是非は敢えて問いませんが、一市民として遠目に見て待ちたいあたりです。
★☆追記☆★
最初はボチボチであったこの動画も2023年3月末現在バズっております!これも単に視聴者様のお陰、感謝多謝でございます。
この映像について詳しい資料があるので紹介しましょう。
ズバリなものは『映画「大大阪観光」の世界―昭和12年のモダン都市』(橋爪節也編著 大阪大学出版会 2009年)。これはこの映画『大大阪観光』について様々な史料文献を横断的に調べ、徹底的に紐解き尽くした非常によい本です。
映っている建物はもちろん、使われた音源の一覧からセリフの文字起こしに至るまで痒いところに手が届いており、映像リテラシー、「メディア・リテラシー」面で注意すべき点、例えば
「地下鉄車内で女性に席を譲る紳士、実は大阪市電気局の中の人だよ、つまり演出だよ!」
「船に住んでいる水上生活者はどこから来た人なのかな?実はその人びとは大阪、ひいては「日本」というまちや国を昔も今も支えてくれている、大切な人びとだよ!」
といった「映像に映っていないこと、もの」も解説してくれちゃうのです。
Amazonでも買えますし、石橋にある大阪大学総合学術博物館のミュージアムショップでも買えますからぜひ一冊お手元に、あるいは図書館で。
お手軽な新書で、『大大阪の時代を歩く』(橋爪紳也編 洋泉社 2017年)。こちらは「大大阪」をお手軽に学べちゃうフトコロに優しい新書です。その筋に詳しい著名な学者ですから(橋爪紳也さんと節也さんはご兄弟で、どちらも研究職です。名前も研究テーマも似ていますから、私もよく間違えます)、内容はシッカリ組まれており安心して楽しく読ませる一冊です。
上記の二冊とも巻末に参考文献がズラリと並んでいて、それらを読み解くと「大大阪」の淵にズブズブとハマってゆくこと間違いナシ。ほかにも類書多数アリ。
博物館でならば馬場町の大阪歴史博物館、天六の大阪くらしの今昔館もオススメ。それぞれ大阪城、天神橋筋商店街散策観光のついでに、寄ってみるといいでしょう。
…古人曰苛政猛於虎也でございます。
最近元気のない大阪ですが、今でも何とか「救い」はあります。近代を生きた人びとが頑張ってつくった「大大阪時代」の痕跡は今でも大阪のそこかしこに残っており、直接訪れれば決して「お笑い」「コナモン」だけでない「深層の大阪」、そして所謂「日本の古層」というものが身をもって体験できることを、大阪のひととまちを愛する大阪人の桔梗刈萱が保証いたします。私はその「救い」に賭けたいです。
…みなさんもこの動画を見終えたら、ぜひスマホを片手に大阪のまちを歩いてみましょう!
2022年1月16日投稿
2022年1月17日本文改稿
2023年3月26日タイトル変更本文追記変更
桔梗刈萱 Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ
大阪市内で働いているものです。
こうして見ると現代の大阪にも、当時の面影が残っているところがあって興味深いです。
大企業の多くは大阪に本社を置いていた
間違いなく当時の日本の経済を支えていたのは大阪であった
戦後東京に本社を置いてもらうための政治指導の政策をたててほとんどの企業は本社を東京に移転した
そして東京は急激に成長し大阪は衰退していった
母が生まれた頃の大阪を見られて、とても嬉しいです。
ありがとうございます。
大阪万博を開催するなら、この当時の文化や氣風を
再現するような展示がなされると好いな。
と、思いました。
(大阪生まれ・横浜育ち・大阪ぐらしの64歳)
まだまだ江戸時代生まれがかなりいた時代。幕末の斬り合いを経験した世代が電車に乗っているとか感慨深いな。
ありがとうございます。この動画を所有していたんですが、引越し続きでなくしてしまっていたので、また見られてうれしいです。
凄いです。こんな貴重な動画が残っているなんて信じられません。戦前の動画なんて見たこと無いです。ありがとうございました。
生粋の大阪人より。
今より大阪の歴史と文化に自信を持っているし、戦前の映画を見てもいい意味で商都という感じで華やかやね。
「こんな田舎嫌や!」と農村部から逃げた祖母が目指したのが大阪。そこで証券マンをしていた祖父をどうにかしてゲットして親父を産んだ頃の光景の映像ですね。
すでに地下鉄等都市インフラや商業施設がかなり整っていた大阪は当時の田舎娘にとっては夢のような世界だったんでしょう。「大大阪」を描いた絵葉書を自慢気に見せた理由がわかる気がしました。
凄い、ええものを見させてもらいました。戦争がなかったらどんな日本になってたかと思いました。
貴重な映像をありがとうございます!
豊かでモダンな時代だったと改めてわかりました。
戦後の映像が多いような・・・
大阪っていうのもあるけど、30年代でこの発展技術はすごいですね
この後に焦土になったのは誠に残念でならない
残ってもらいたい光景だった
アメリカの戦争犯罪を許してはならない
この頃はバランスの取れた良好国家だった。。今やすべてが東京へ。。
素晴らしい映像。
父親が生まれるさらに10年以上前の時代か・・・
しかし何だろう、今での大阪の名残を感じるシーンがあり、この頃からすでに今の大阪があったんだなーと感じた。
大阪の底力を感じますね、もっともっと活気のある大阪になりますように
名古屋人から見ても、すばらしいの一語。東京のこういう資料は多いが大阪もおもしろい。 永久保存版、TVでも放映してほしい。
NHKを見なさい。
地下鉄の構内とか基本今と変わってないの凄いなあ
貴重な映像を見せて頂きまして、ありがとうございます。
この映像を見て、経験したことの無い感情が込み上げてきて涙が出ました。
約100年前から地下鉄があったなんて。
南海難波駅があったなんて。
これはなんという名の感情なのだろう。
戦前の方が道が広くて建物もヨーロッパ調が多くて綺麗!
中之島公会堂や天王寺公園の美術館や地下鉄の駅のホームが戦前に作られ、今も私達が変わらずそれらを使ってることが感慨深いです。
商店街も大阪らしい雰囲気は今も昔も同じですね❤
実は江戸の延長。 明治政府のおかげではないらしい。
今も嘘ばかりついているし映像と
聞いていたことが違います。大阪は
明治から川が汚れたそうです。明治政府はきっと無知だったのでしょう。
事実を言います。この街並みを壊したのは日本人です。大阪中之島付近の伝統的街並みの残るエリアは空襲を受けませんでした(今でも滴塾等の建物は現存する)。にもかかわらず、高度経済成長期にビルを建てるためと躊躇なくそれらを壊して回った。古き良き街並みを守ろうという感覚は昭和初期の人間にはあまりなかったのかれしれない。日本人は明治に洋風建築を建てていたように、元来新しいものが好きな民族なのもあるかもしれない。
5:23 天王寺公園 現存
7:24 住吉大社 現存(国宝)
8:57 四天王寺 戦災焼失
10:20 大阪城天守閣 現存
12:03 明治天皇記念館 現存
12:08 大阪天満宮 現存
14:44 大阪市役所庁舎 1979年解体
15:04 中央公会堂 現存(重要文化財)
21:13 大阪朝日新聞社 2013年解体
21:17 大阪毎日新聞社 2000年解体
21:32 新大阪ホテル 1965年解体
21:45 大阪市交通局庁舎(大阪市電気局) 2004年解体
23:28 大阪電気科学館 1989年閉館
お前に何がわからるの?はぁ?
@@スムースジャスティスなにいってるんや
まぁ京都があのザマですからね。あながち間違いではないと思いますよ
東京もそうですよね。日比谷通りとか戦前の西洋風の街並みが丸々残ってたのに解体されました。
この頃も良いこともあれば悪いこともあり
今も良いことも悪いこともまた両方ある
いつの時代も良いところがたくさん見つけられる人間でありたい😊
四ツ橋の電気科学館…プラネタリウムはよく行きました。戦前の大阪は商都と言われて経済的には東京を遥かに凌ぐ勢いだった。大大阪というのが如何にもという感じです。
この時代ってまだ旧字体のはずなのに、意外と新字体が混ざってるからごちゃごちゃで面白いですよね
想像してた戦前の10倍は発展してた。
この街並みや文化の多くが戦争で破壊されたと思うと惜しくてたまらない。
また東京の阿呆が懲りずにやらかそうとしてるがな
@@CaesarBC100-BC44 ?
4:12
地下鉄御堂筋線が、「梅田から難波まで」って事は、昭和10年~13年の映像ですね。
案外認識されてないけど大阪は京都より断然歴史が古く、少なくとも1700年前には大和と大陸を結ぶ港として存在した。
根底にそういう歴史の積み重ねがあるので大阪の人は大阪を地方とは思ってい無いし、大阪の誇りがあると思う。
大変申し上げにくいのですが、兵庫県人は大阪と一緒にされたくないという意識が根強くあります。
@@user-pwjtndgkjnd152 マスコミなんかでは大阪といえばすぐにお笑いとかお好み焼きとかあまりにも画一化された見方しか言われてないので、別の見方もあるよという例として取り上げました。突き詰めると何を持って古いとするかの定義は難しいのでそういう議論でなく、大阪を捉えてみる一例として取り上げました。
ちなみに私は奈良出身で京都に住んでます。大阪は仕事と友人の繋がりで縁があります。
凄かったのですね大阪は。
今から約90年も前の都会の光景と思えないです。
日本で2番目に、しかも東京のすぐ後にこれだけ立派な地下鉄が出来たことからも、相当な大都市だったことが伺える。
大阪市役所なんて戦争でも壊されなかったのに、歴史的価値のわからん当時の大阪市の市長か市議会が壊してしまった。私が20代のころまで映像にある市庁舎があって、威厳のある建物だなあと御堂筋を歩くとき見ていた。
結局、中之島の歴史的建造物で跡形なく消えたのは大阪市役所だけですね。
取り返しのつかないことをしてくれました…
中之島公会堂、中之島図書館、日本銀行と立派な歴史的建築が並んでる中で大阪市庁だけショボくて場違い感が凄い。
失われた歴史的価値は取り戻せないが、威厳ある街並みは取り戻せるから次市庁舎を建て替えるときはぜひこの市庁舎を再現したものを建ててほしい。一度この目で見てみたい。
その通りですね。中央公会堂も危ないところでしたが何とか保存運動が実って存続されましたけど、ぎりぎりの攻防でしたね。
本当に先代大阪市役所は惜しいことをしたものです。昔の写真を見るたびに悔しい思いでいっぱいです。
出来れば再建してほしいくらいの思いです。
しかも東京みたいに全国から税を取って作ったんでなく全部民間の寄付だからね。
中之島界隈は住友が多い。
昔の大阪はほんまに上品やわ
電車の客は一般人だろうけど、洋服を着てる女性も結構いるね。都市部はもうこんな感じだったのかな。
大正14年生まれの祖母が「小中学生の頃かな、修学旅行にいってはじめてエスカレーターに乗ったの。楽しくて何回も乗っちゃった」と生前に話してたけど、そんなものこの時代にある?って信じられなかった。でもこのフィルム見ると、当時あったんだな…って信じられる。高度経済成長期より前に、人が賑わうこんな時代があったんだ。
何回も乗るのは迷惑行為ですっ!!
大阪創業の銀行、証券会社、保険会社が多く元気だった頃の映像でしょうね😊
東京都民には申し訳ありませんが都内には駅や百貨店にしても座る場所が少ないです。その点は改善して欲しいです。また大阪にお越しの際は大阪メトロ「心斎橋駅」をご覧下さい。天井も高く開放的な地下鉄駅ですよ。
@@Udbeirnrl 様
コメントありがとうございます。モスクワには行ったことはありえませんが良くご存知ですね!もしかして防空壕の役割も担っているかもと感じます。
3:55 地下鉄心斎橋駅、当時の面影がまだ残ってるのエモい
ずっとこの雰囲気が残ってたのに最近ペラッペラに改装されて辛い
貴重な映像ですね。書籍でしか知らない大大阪時代を映像で確認できるとは。
現代のほうが物質的にはよっぽど豊かでしょうが、写っている人々の服装・所作を見ると気品と落ち着きがあるようで、とても100年近く前とは思えませんね。正直我々の生活の営みと大きく変わらなく映りました。
私の御先祖が暮らしてた街
大大阪 素晴らしい!
パリのような街並み!
60年前の知ってる建物あった!☺️
貴重な動画ありがとうございました!!自分が生まれるず〜〜と昔の大阪を観光出来て本当に楽しかったです!!ww
母の生まれた時代はこんなに近代に近い景色だったのですね。人も街も落ち着いて見えますね。映像も見やすい位にぶれが無く、不思議です。
戦前は実は経済的には大阪の方が東京より上だった。
江戸時代に江戸は将軍様のおひざ元、大坂は天下の台所と言われていたのは有名だが、戦前も実は似たような関係だった。
東京一極集中は戦後になってから。
人口も大阪の方が多かったような、、
てか一方的な盗人と一方的な被害者を
スポーツマンシップがあったかのように比べる意味…
例えるなら、フィリピンのルフィー一味と襲われた大富豪の今の資産を比べるほど無意味
アクアライナー🛥️(水上バス)って、この頃からあったのにはビックリしました😵プラネタリウムにも驚きました😮煙突からモクモクと煙り、昔は自慢してたんだ😅時代が変わっても、素晴らしい建築物や文化は残して行きたいですね🙇
今の大阪より魅力的に見える
白黒だからか上品な印象
うちのばあちゃんが言ってましたわ
昔は京都に負けないくらい美しかったと
その面影は八尾や河内付近にまだ健在です
19:51 椅子がくるくる回るのかわいい
この時代の40代とかって1800年代に生きてるのすごい。戦前にこんなに栄えてるのすごい
今も昔も大阪は、やっぱりよろしおますな!
四ツ橋の「電気科学館」はたぶんトロリーバスに乗って父(大正9年生まれ)に連れられて行きました。交差点の北東角にあって昭和40年代後半で小学生の頃だと思います、プラネタリウムや展示物の全てに目を輝かして見学していました。今になって思えば父は戦争から帰ってきて焼け野原の中、昔の大阪の面影が残っている場所で感慨深かったかもと思います。
日本は西洋ばかり見てため息をつくのでは無く、和洋折衷であるべき。日本は勝ち負けにこだわるのでは無く、相手を上手くいなすべきであると思います。
なぜか今よりも発展してるように見える
日本は戦争に負けたらしいですよ
1930年代の大阪は凄すぎ!電塔通天閣、地下鉄乗り場とホールは昭和50年代の作りと余り変わらないそして近代的洋風ビルの数々や観光船や電気局!こちらも昭和40年代と引けを取らない照明器具に部屋、科学力がもはや戦前のアメリカ並み。海の玄関大阪港、大型船の数はまさに横浜をも凌ぐ、動物園ではオラウータンが背広を着て煙草をふかし人間のまねごとを披露、自動車の数が東京よりも多そう。もはや東京衣食住の全てのメンで陵駕している!どう見ても東京や中華民国国際都市上海よりも豊で科学技術が進んでいる!戦前の経済の中心は東京ではなく大阪だった事が解る。テレビや学校の教科書では農村の悲惨な現状を打破するための226事件や「米国に戦争で負けて軍部を開放したから高度経済成長を成し遂げて豊かになった。」のではなく戦前の時から豊だった。騙された!
大阪は東京より発展してなかったし、一度敗戦して焼け野原になってからアメリカのおかげで復興できたのも事実
大阪人は東京コンプ・アメリカコンプ拗らせすぎなんだよな
@@conspiracy_shine この動画の昭和初期の大大阪と呼ばれていた時代の大阪市域は、人口も工業製品等の出荷額とかも東京より多く発展していたのではないかと記憶しています。
あの松下幸之助が東京よりも大阪の街並みの方が綺麗だったと述懐してますからね.
@@siulinable それでこんだけしょぼいんだから、そりゃ日本がアメリカに勝てるわけないわな😅
@@conspiracy_shine
まず高麗郡と新羅郡があり
次に出てきたのが秩父氏
↑これが関東人の原型
・そこに河内源氏の頼朝が鎌倉幕府を
・摂津源氏の太田道灌が江戸城を作ってやり
・家康が大阪人を名乗って将軍になる。
・その後も大阪商人が手取り足取り…w
東京じゃなく、完全に東大阪。
・淀屋の400兆、今の予算だと8000兆円を踏み倒す
・三菱、住友はじめ、民間大企業を根こそぎ奪う
・今居る東京の名家や資本家層はほぼ大阪商人と大阪士族
東京じゃなく、完全に東大阪
倭国を日本と変えたのは大阪の難波宮であり、日本の最初の首都。
盗京は大阪とアメリカのパクリなだけ
東京コンプ・アメリカコンプ←並べてる三下こそアメリカコンプが出てて受ける
それより日本が攻撃された時の政権は全て関東政権である無能っぷりを反省すれば?また中国から本土攻撃喰らうのも関東政権になりそうじゃん
近畿政権の方が4倍も長いのに0%、関東は100%って普通じゃないから
1966(昭和41)年生まれの私には、
11:38 NHK旧局舎
21:46 大阪市交通局旧庁舎
23:29 電気科学館
あたりが見覚えあって懐かしいですね。
26:03 大阪歌舞伎座は後に大火災を起こした「千日デパート」の建物ですよね。
ヘイトじゃなくて、感動を求めようって、そこに真実詰まってますやん!ムネアツ!!
先月大阪で中之島図書館に行きましたが、この映像にも出てきて感慨深い!大阪といえば道頓堀周辺やUSJのイメージしかなかったのですが、中之島辺りの建築や雰囲気は好きでしたね。
東京利権に都合がいい角度の映像ね。
・基本的に主人公系は渡したくない
・一番が好き
・お上に逆らう不届き者めで見下し
↑
最近、大阪の影響で対人恐怖症や猫かぶりが緩和してるけど、
これこそザ・関東だから
これってよくよく考えると、儒教思想の半島系と同じマインド
TVメディアによってコテコテなイメージにされてしまう前の大阪
吉本お笑い芸人の力は相当に関西のイメージに影響してると思う
大阪と言えば?で食べ物なんかよりも遥かに大阪的なものが吉本芸人
何故なら、お好み焼きもたこ焼きも、日本全体に完全に普及していて、大阪を感じにくくなっている
しかし関西芸人は関西弁を話すから関西を感じやすい
今の大阪は豹柄とかああいう変な作られたステレオタイプを内面化しちゃった場所が多くて見ててつらいね。伝統的な場所も洗練された近代建築群もまだまだ残ってはいるけどね。テレビは道頓堀のグリコの看板と新世界と西成(というか釜ヶ崎)しか写してくれないから観光客もそっちとUSJばっか行っちゃって何だかなあ
まったくそのとおりですね。
同感です。何か大阪を貶めようという意図が、物凄く感じられます。確かに大阪にはやんちゃで、元気なところもあるけど、西鶴や浄瑠璃や上方歌舞伎や神社仏閣の多さ、そして谷崎潤一郎の小説の世界(細雪など)には、大阪の「いとはん=お嬢様」の話がたくさんあります。そういう上品な大阪は、絶対に認めない!という悪意が時々感じられます。
そんなこと言うても標準語話せないらしいやん
@@国民保護サイレンススズカをどうぞ ちゃんとした標準語を話せる人は実際あんまりいないですよ。首都圏の方々が話してる言葉も首都圏方言か関東弁なので。やっぱり他人の言葉を馬鹿にする人とステレオタイプを押し付けてくる人達って同じ層なんだなあ。歪んでる
@@oxooxo6938 自分は別にバカにしてるわけではないですよ寧ろ大阪は大好きです関西弁しか話せないってだけなのでただそれで上品かで言われると下品に見られがちなのかなって事です。
昔の中央公会堂はそれこそ昭和初期そのものだった。今は変に綺麗になり過ぎ。
昔から立派すぎて誇りに思う😊
昔の映像を観るとワクワクするのは何故やろか?
これがカラー加工されると何故かワクワクと共に身近に感じてしまうというね。
今も昔も大阪の繁栄ぶりは同じやね😄
4:12 当時は車内放送装置が設置できなかったからだと聞くけど、現代のトレインビジョンの元祖ともいえる装置が戦前に存在していたことに驚く。
国鉄時代にはこのような装置はほぼ設置がなくJRになってから一般化していった。
でもその装置を造った企業が倒産して延伸部の表示が出来なかったため後に取り外したとか。
とても良い動画です
概要も素晴らしく新たな大阪の発見です
こうしてみると戦前戦後が全く別の国というより
実に連続的なものなんだなぁと感じさせられる
にしても戦前からこんなビル郡があったんだなぁ
今の大阪の街並みより綺麗に感じる
亡くなったばあちゃんが言ってましたわ
昔は京都に負けないくらい大阪は美しかったと
でも僕は発展した今の大阪が好きです
貴重な映像有難う御座いました😊
この頃すでに地下鉄が走ってたなんて、すごくない?
どれほど進化してないか分かるな
ニューヨークの都市計画のモデルになったとも言われるだけある美しく整然とした街並み!!当時からここまで完成していたとは…
この素晴らしい街があと数年で焼け野原か…
どこで道を間違ったのか…
おほさかって書いてあるのなんかいいなぁ
私は、日本🇯🇵🗾だいすきです!
スゴいな~。当時の大阪は我々が想像していた以上の洗練された近代都市だったんですね。同じ過ち(戦争)を二度と繰り返してはならないと改めて感じました。
おほさかマジで好き
100年前の心斎橋駅が今と余り変わっていなくて驚いた。
うわぁ~!貴重なフィルムがよく残ってましたね。これは、後世に残すべき記録です。素晴らしい!
とても良い動画ですね‼️
卯ぷ主さん、ありがとう❤️‼️
意外と「あ、あそこや」ってところあるね
街並み、景観、行きかう人々、全体に、現代より優雅で品と落ち着きがあるように見える。広告宣伝用の映像なので、多少割り引いても、そう感じる。この大都会を焼き尽くした戦争、そして戦後の高度成長とバブルが日本人の品格と優雅さを失くさせてたのかもしれない。
高度経済成長とその後の安定期そしてバブル経済が日本人を大量生産大量消費に染め上げましたね
大阪は都心回帰が進行しています。郊外部の人口が増えているのは吹田と茨木だけ。西区は人口密度2万を超えました。
そういえば天王寺公園は野外音楽堂と図書館あったな。確か昭和50年代までだったと思う。なつかしい
野外音楽堂でのライブ楽しかったです♪
野外音楽堂で吹奏楽の演奏してました中学。新世界から美術館に繋がる
階段が素晴らしく上ったところから見渡す風景が絶景。夕陽丘のままで
夕日が落ちるのが見えて素晴らしいです。
6:45 チンパン凄すぎて草
おほさかの表示が、かわいい❤
「かさほお」が良い感じ😊
製作の「J.Oスタヂオ」は京都にあった映画会社で、実は東宝の前身。この映画が製作された1937年にピー・シー・エル映画製作所、東宝映画配給、写真化学研究所の3社と合併、東宝映画株式会社となった。特撮の神様円谷英二も撮影技師主任として在籍し、そのまま東宝へ移籍。撮影の玉井正夫は後に成瀬巳喜男監督作品「浮雲」などの名カメラマンとして有名&一作目「ゴジラ」の本篇(特撮以外のドラマ部分)のカメラマン。構成の中野孝夫はJ.Oスタヂオのトーキー漫画部のリーダー格で切り絵アニメーションなどを作っていた(路線図などで簡単なアニメーションが入るのは多分そのせい)。その中野は1936年にトーキー漫画部ぼ縮小に伴い企画部に移動。代わりにトーキー漫画部の責任者になったのが当時21歳の新人、後の名監督市川崑だったりする(とは言え1936~7年頃はもう市川と手伝いの女性ひとりしかいなかったそう。なのでひょっとして路線図のアニメーションを手掛けたのは市川っだたのかも知れない)。しかし1年足らずでトーキー漫画部は閉鎖し、市川は助監督へと転身、監督への道を歩み始める。ちなみにこの1937年にJ.Oスタヂオは原節子主演の有名な日独合作映画「新しき土」(監督・脚本:アーノルト・ファンク / 伊丹万作)を製作している。という訳でこの観光映画、ものすごくちゃんとした映画会社が作っています!
全然と聞くと別世界みたいに感じるけどこうして見ると現代の延長線上にちゃんとあるんだなとわかって嬉しい
先人に感謝あるのみ。
戦前とは思えない、既に現在の東欧等は超えているレベル
明治生まれの祖父母が、戦前の美しく大阪の話しをしてくれていました。
戦中、戦後の大空襲だけじゃなく
傷付いた大阪は、日本全土が傷付いた証だと言っていました。経済大国になるまでには、美しい風景が大きく壊れて行く姿も、戦後、混乱期からの脱却が日本人を奮い立たせた便利な現在も日本の証の歴史だけど、心に残る美しい風景があったことも、先人達が遺した遺産と成るとも言っていました。
どんなに便利になっても、美しい風景を過去に求めてしまいますよね。
当時は地方から大阪に出る事を上阪と言ってました。
『昭和時代 戦前・戦中期』(中央公論新社)によると、「大大阪観光」は1937(昭和12)年制作。1940年に予定されていた東京五輪と東京万博に訪れる外国人向けという意味合いもあって、大阪市電気局(現・交通局)と産業部が制作したとか。
難波駅、今よりオシャレじゃね?
ドーム型のデザインがね。でも見渡した雰囲気は今も残ってますね。
地下鉄のとこ、おじさんが女性に席を譲って、女性も会釈して普通に座るところを見るところと、この時代の男性は紳士なんだな、と思う。
「俺」は「己」が雑になったもの、「お前」も丁寧な意味だったのに、足利尊氏が東から京に入ってきたとき、今のニュアンスの汚い言葉に変えてて京都で流行らせたんだよ。
江戸以降の東京一極集中文化が下品にしたんだから、原因なんて考えるまでもない。全国放送で関東は上品と洗脳してるけど、昔から蛮族が住む地域。ネットがない間は騙せてたけど、腹の中みせるようになってから東京人がどんだけ差別主義者が多いかも、その理由が自分の田舎を見下すタイプが出稼ぎしてるからなのも、もう確証段階にあるからね。
男は女に譲るのが紳士という認識は男性差別です。
女尊男卑社会らしい認識だ。
@@NikeBC190
日本三大祭り、神田まつり別名もんもん祭り。京大阪にはそんなもんもんは
祭りにそもそも参加すら出来ない。全然レベルが違いすぎて話もならんわ。
@@あいうえお700-j5v
なんも意味わかってないんだな~・
カラーで見ると今と変わらんでしょうね。よく復興したもんだ。
本当にすごいですね
大正モダンの華やかな時代だね。 戦時中の暗い雰囲気の前に、現代のように和やかな時代があったんだね。
昭和11年頃か。
3:59 😮この時代にエスカレーターあるの驚いた
この時期の大阪は 関東大震災のダメージで関東エリアが機能マヒ 一時的に避難民が大量に押し寄せた大阪を中心に経済・文化が
花開いた時代。大阪の人口は 東京府を超えて 日本初の 300万都市に成長。
近い将来 東京直下型・相模トラフ・南海トラフ地震で 首都圏南部が被災した場合 埼玉あたりに首都機能を移す計画が
あるらしいけど NHKの体制みても 結局 大阪に一時的に機能が移りそうなんだよね。
関東エリアは 関東ローム層に象徴されるように 箱根山等の噴火により 太古から定期的に 火山灰等で機能不全になる土地。
首都の安定運用のためにも 大阪・関西がだめなら 甲信越 愛知岐阜エリアに 真面目に一部移転を考えないとやばいよ。
この議論ってなんか下火になってだーれも言わなくなったよね…なんかあんのか
そう、大大阪は関東大震災の副産物。SHARPは元々東京市本所で操業した企業なのが良い証拠。関東大震災で大阪に逃げてきたのよね。
なんでやねん。東南海の被災地は関西圏やろ。東京も大阪も同じ位危険やわ😅
@@チワワン-x6d 東南海のダメージは関西圏もありますが(主に和歌山県) 大きいのは 中京圏(死者18万人)。
それでも 関東沖の3つのプレートが重なり合う地震の巣と呼ばれるエリアに位置してる東京と 大阪とを比べるのは ちょっと厳しいかな。
日本中何処にいても地震の災難からは逃れられないけど、大阪より東京の方が危険度は高いと思う。まず大阪には近くに火山が無い。富士山が噴火すれば、東京は数ヶ月の間、火山灰が降る事になる、火山灰の清掃除去は大変な労力。私は東日本大震災の時、東京の高層ビルで働いていたが、かなりの時間大きく揺れて机にしがみ付いているしかできなかった。帰宅は徒歩で大変だったが、アパートでは本棚がひっくり返っているくらいで被害なし。下水道に被害が出た地域があり場所によりトイレが制限されるくらい。何が言いたいかと言うと、海洋型地震では揺れは大きいけれど、現代の耐震基準を正しく採用されている建物は、震源地のそばでない限り壊れない。怖いのはやはり大津波。その点大阪の場合は鳴門海峡があるので大災害にはなりにくい。大阪湾内に入れば2~3mくらいの津波に減衰される。東日本大震災のように10mを超える津波とはならない。無傷とはいかないが、川沿いに遡ってくる津波に多少やられるくらい。海沿いの堤防の低い地域や、細い川、特に道頓堀川近辺からは非難した方がよさそう。あと、直下型地震の場合は、震源地の真上だと現代の耐震基準でも危ないので不運だと諦めるしかない。但し被害範囲は限定される。
映像で中之島に架かっている橋は今も現役のものが結構有りますね。桜宮橋、天神橋、天満橋、難波橋、大江橋などなど。
日本にはこれほどの文明が存在していて、精神性も高い時代だったのでしょうか。これほどの高度な建築物やその都市での人々の暮らしを想像すると、今の時代にはない品のようなものを感じます。
この頃は列強の一国で国際的地位も高く、海外に沢山の植民地や海外領土もあり、栄光の時代だった。
今より洗練されていたのでは?
みんな着物で地下鉄っていうのが凄いなw
勝てます。GDPは大阪の方が上ですし
音楽が素晴らしいね
15:03 中央公会堂今も同じなの凄いな
戦前の大阪って今とは違う旧い和風建築やアールデコの近代西洋建築が沢山あってなかなかオシャレな街もあったんよね 戦争で残念ながら壊れたものもあるけど 相撲で使う施設とか見てほしいですね 今の大阪とは人種も人の雰囲気もまるで違う本来の大阪がこれ 今が悪いって意味ではないけど 昔は堺の浜寺公園近くに金持ちは住んだ 今でも一部おるけど 最近は北部に行く傾向はある 戦前の大阪は大げさじゃなくテレビ局もないのでいい意味でモダンな街だった ちなみに繁華街は梅田でなく昔は京橋天神橋なんかが栄えてました 江戸時代の大坂や戦前の大阪ってなかなか魅力的ですよ調べてみると ヤクザやろくでなしも沢山集まっては来たけど 今みたいな共産党がでかい顔して闊歩してないしな