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こんな凄い階段を登ってくださいまして、ありがとうございます。こういう動画が無ければ一生見ることができない神社です。あの石段を造った人々にも感謝いたします。
確かに作った人も大変だったでしょうね、感謝ですコメントありがとうございました
熊野古道を歩いていて、本宮から交通機関を使って時間がなく熊野速玉大社から眺めて、那智に行き、登れなかったので現地の雰囲気が見れて感動です。本宮近辺ではなくこちらで泊まって南紀を探るのもいいですね。神倉神社の案内にある、宇井、榎本、橋本(穂積)氏の三氏が熊野での八咫烏の足を表していると、熊野でもお勤めをされた添御県坐神社の宮司から教えて頂きました。きっと高倉下の子孫の方々がかなり協力されたのでしょうね。三宝荒神様も祀られていて、神道、密教、修験道も大切にされていて、紀氏、姫氏、徐福(物部)、お稲荷様もあり秦氏との関係も面白そうですね。御燈祭の松明は星で流星を表しているんでしょうかね。「下り竜」となっていますが。
宇井、榎本、橋本三氏の事は今の私では意味不明の段階ですそれにしても紀州熊野地区は複雑すぎますね元々の古代信仰から高倉下、物部、徐福、仏教、修験道、本地垂迹で大権現、熊野信仰一筋縄では行きそうにないです太平洋移動ルートの重要な拠点でもあったのでしょうし高倉下の力、影響は相当あったのだろうとも思えますね丹敷戸畔も気になりますし、事解男命も謎ですし、事代主に結び付ければクシヒカタから葛城族まで一気に広がりそうですし考察のしがいがありますね
@@kanji-kun1280 宇井、榎本、橋本三氏は高倉下の子孫ですね。この流れで朝廷が創られていたのは間違いないとは思いますが。
ここは、かなり登り甲斐がありました。
私は今回2度目でしたが様子が分かってただけに1度目よりは楽な気がしましたただアソコを駆け降りるのは絶対無理ですよねあの火祭りで怪我人が出ないのが不思議です
@ 試しにやってみようと思いましたが、無理でした。
私は大事をとって左の林の中の女坂を通って降りましたがそっちも結構足元が険しかったです年齢の自覚、やっぱ大事ですね
貴重な動画をありがとうございます。10年くらい前に地元の教育委員会(?)の方を交えた熊野古道ツアーの一環で神倉神社にお参りしました。若い時に登っておいてよかったです😊案内された方は毎年火祭りに参加されるそうで、iPad で実際の動画を見せて頂きました。圧巻ですね。あそこを大勢の人が全速力で駆け降りるなんて考えられません。皆さんお酒を飲んで裸で降りるそうです。神業ですね。地元の人人はこの行事に参加するのを誇りに思っているそうです。そんな方々のおかげで日本の文化が存続しているのですね。
神武東征がなぜ出雲口伝?なんか楽しそうです❤
ありがとうございます何より私自身メチャ楽しいです謎を解くために自分なりに勉強するのもこの歳でワクワクしますしそれを発表できるステージがあるのが又刺激があって楽しいですで、出雲口伝ですが基本実在の人間の歴史を口伝で伝えていてそこからの考察で勿論著者の方の考察も主観も入りますがそこはある程度フィルターをかけて捉える必要はありますが私には周波数が合いますその理由は私の母方は神道で葬式も神式で神主さんの祝詞で玉串です爺ちゃん達の葬儀でも神様になったと教えられ、お祝いです要するに我が家系は先祖さまが神さまであり氏神様、地神さまなのですで、神武東征とかは神話ですので、その事自体は創作物語ですので実際はなんの話なのか、その話のモチーフは何か?が知りたくて出雲口伝で書かれている物部東征の実話との類似点が多いのでそこが怪しいのでは?と思いそこから辿るとどこへ行き着くのか?資料文献より先ずはそこへ行ってみる事を基本線に、行く事そのものもワクワクしながら楽しんでいると言う所ですので、視聴者の方にも一緒に楽しんで頂けたらと思ってはいますが中々映像や編集、構成、切り口等などのスキルレベルが低い為さらなるブラッシュアップが必要なようですこれからもよろしくお願いします
@ 色々説明いただき感謝です。出雲口伝は名前だけ知ってるだけなので、自分でも色々調べてみたいです。有難う御座いました。また楽しい動画期待しています♪😊
架空・神武さんの即位年代BC660年は、革命が起こるとされる「辛酉説」から設定したもの。海村雲大王の后・タタラ五十鈴姫を后とした等々900年間の空間物語と言えるでしょうね。
紀元前660年頃は出雲(出芽)王国が成立した年代。初代の出雲(出芽)王である大穴持(オホナモチ(主王。帝))にインド~民を誘い導いた英雄、クナト大神(王)の直系子孫、菅(スガ)の八耳命が周囲から強く推戴されて登極遊ばした。彼の后(皇后)が稲田媛命。皇室はお二方のご子孫。
やはりそれぞれに意味はあるんでしょうねぼや〜っと創られたわけでは無いって事でいろいろ深いですね勉強になりますありがとうございます
海(アマ)高倉下命(紀伊国造の祖。徐福の孫の一人)の血脈が結果的に皇室に繋がった。
高倉下命さんを神武東征神話に組み込んだのは案外そこが目的だったのでは?上手く説明は出来ませんがそう思います
こんな凄い階段を登ってくださいまして、ありがとうございます。こういう動画が無ければ一生見ることができない神社です。あの石段を造った人々にも感謝いたします。
確かに作った人も大変だったでしょうね、感謝です
コメントありがとうございました
熊野古道を歩いていて、本宮から交通機関を使って時間がなく熊野速玉大社から眺めて、那智に行き、登れなかったので現地の雰囲気が見れて感動です。本宮近辺ではなくこちらで泊まって南紀を探るのもいいですね。
神倉神社の案内にある、宇井、榎本、橋本(穂積)氏の三氏が熊野での八咫烏の足を表していると、熊野でもお勤めをされた添御県坐神社の宮司から教えて頂きました。
きっと高倉下の子孫の方々がかなり協力されたのでしょうね。
三宝荒神様も祀られていて、神道、密教、修験道も大切にされていて、
紀氏、姫氏、徐福(物部)、お稲荷様もあり秦氏との関係も面白そうですね。
御燈祭の松明は星で流星を表しているんでしょうかね。「下り竜」となっていますが。
宇井、榎本、橋本三氏の事は今の私では意味不明の段階です
それにしても紀州熊野地区は複雑すぎますね
元々の古代信仰から高倉下、物部、徐福、仏教、修験道、本地垂迹で大権現、熊野信仰
一筋縄では行きそうにないです
太平洋移動ルートの重要な拠点でもあったのでしょうし
高倉下の力、影響は相当あったのだろうとも思えますね
丹敷戸畔も気になりますし、事解男命も謎ですし、事代主に結び付ければ
クシヒカタから葛城族まで一気に広がりそうですし
考察のしがいがありますね
@@kanji-kun1280 宇井、榎本、橋本三氏は高倉下の子孫ですね。
この流れで朝廷が創られていたのは間違いないとは思いますが。
ここは、かなり登り甲斐がありました。
私は今回2度目でしたが様子が分かってただけに1度目よりは楽な気がしました
ただアソコを駆け降りるのは絶対無理ですよね
あの火祭りで怪我人が出ないのが不思議です
@ 試しにやってみようと思いましたが、無理でした。
私は大事をとって左の林の中の女坂を通って降りましたが
そっちも結構足元が険しかったです
年齢の自覚、やっぱ大事ですね
貴重な動画をありがとうございます。
10年くらい前に地元の教育委員会(?)の方を交えた熊野古道ツアーの一環で神倉神社にお参りしました。
若い時に登っておいてよかったです😊
案内された方は毎年火祭りに参加されるそうで、iPad で実際の動画を見せて頂きました。圧巻ですね。
あそこを大勢の人が全速力で駆け降りるなんて考えられません。皆さんお酒を飲んで裸で降りるそうです。神業ですね。
地元の人人はこの行事に参加するのを誇りに思っているそうです。そんな方々のおかげで日本の文化が存続しているのですね。
神武東征がなぜ出雲口伝?なんか楽しそうです❤
ありがとうございます
何より私自身メチャ楽しいです
謎を解くために自分なりに勉強するのもこの歳でワクワクしますし
それを発表できるステージがあるのが又刺激があって楽しいです
で、出雲口伝ですが基本実在の人間の歴史を口伝で伝えていてそこからの考察で
勿論著者の方の考察も主観も入りますがそこはある程度フィルターをかけて
捉える必要はありますが私には周波数が合います
その理由は私の母方は神道で葬式も神式で神主さんの祝詞で玉串です
爺ちゃん達の葬儀でも神様になったと教えられ、お祝いです
要するに我が家系は先祖さまが神さまであり氏神様、地神さまなのです
で、神武東征とかは神話ですので、その事自体は創作物語ですので
実際はなんの話なのか、その話のモチーフは何か?が知りたくて
出雲口伝で書かれている物部東征の実話との類似点が多いので
そこが怪しいのでは?と思いそこから辿るとどこへ行き着くのか?
資料文献より先ずはそこへ行ってみる事を基本線に、行く事そのものも
ワクワクしながら楽しんでいると言う所です
ので、視聴者の方にも一緒に楽しんで頂けたらと思ってはいますが
中々映像や編集、構成、切り口等などのスキルレベルが低い為
さらなるブラッシュアップが必要なようです
これからもよろしくお願いします
@ 色々説明いただき感謝です。出雲口伝は名前だけ知ってるだけなので、自分でも色々調べてみたいです。有難う御座いました。また楽しい動画期待しています♪😊
架空・神武さんの即位年代BC660年は、革命が起こるとされる「辛酉説」から設定したもの。海村雲大王の后・タタラ五十鈴姫を后とした等々900年間の空間物語と言えるでしょうね。
紀元前660年頃は
出雲(出芽)王国が成立した年代。
初代の出雲(出芽)王である
大穴持(オホナモチ(主王。帝))に
インド~民を誘い導いた英雄、クナト大神(王)の直系子孫、
菅(スガ)の八耳命が
周囲から強く推戴されて登極遊ばした。
彼の后(皇后)が
稲田媛命。
皇室はお二方のご子孫。
やはりそれぞれに意味はあるんでしょうね
ぼや〜っと創られたわけでは無いって事でいろいろ深いですね
勉強になります
ありがとうございます
海(アマ)高倉下命(紀伊国造の祖。徐福の孫の一人)の血脈が
結果的に
皇室に繋がった。
高倉下命さんを神武東征神話に組み込んだのは案外そこが目的だったのでは?
上手く説明は出来ませんがそう思います