古代日本には2つの国があった?書物には何度も登場するのに、なぜか表に出ない日高見国。その正体とは?東北大学名誉教授 田中英道が明かす。
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- Опубликовано: 19 апр 2024
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▼プロフィール
東北大学名誉教授 田中英道氏は、ボローニャ大学・ローマ大学客員教授も務め、50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど美術家に関する国際的な新説を発表してきました。著書は合計100冊以上、おもな研究論文は150本以上にのぼります。
田中先生の、新しい視点からの日本史に大変感慨深く見ております。私は千葉県出身ですが鹿島・香取の両神宮が大和からは全く独立して存在していることには昔から疑問を持っておりました。またその後山陰(境港市)に10年程住でいまして出雲の歴史にも触れ、これまでの歴史観にも多くの疑問を持っていました。所沢にも住みましたので日高見国についても興味津々です。先生の益々のご研究の成果の発表と、後継者の登場を願って止みません。
大祓の祝詞に大倭日高見国というのが出てきます。これに最初に着目したのが折口信夫です。
ぼんやりした関東以北の歴史イメージも明かりがともった感じがするお話ですね。
日本が昔2つの国だったのは、一部では知られた話で、今回、田中先生が学術的に解明したと考えています。
愛知県の知立神社には、神武天皇の敵方のウガヤフキアエズ朝の王が祀って有り、愛・地球博の時は、古代に東西日本が衝突した場所で21世紀最初の記念すべきイベントと讃えた先生もいました。
東西で文化もイントネーションも違います。やはり二大国家。
その考察もまた面白いです。
賛同できます。縄文時代の気候や遺跡を考えて東北や信州が人口が多いので此方が中心だったはず。
古事記を口述した稗田阿礼は、日高見国の一部であった飛騨の阿礼さんだったのではないか。阿礼の口述を太安万侶が大和王朝に都合のよいように取捨選択して編纂したのが古事記で、稗田阿礼が口伝したものはもっと膨大なものであったとか、阿礼一族の子孫が生きているとかいううわさもある。
先生のお話をいつも拝聴し、学ばせて頂いております。ありがとうございます。
和歌山県にも日高地方がございます。
茨城県水戸市在住ですが、近所に「高天原」というバス停があります。
調査してくださいね。
@@asa01053 鹿島に高天原という地名があるそうです。確か田中さんの著書の一つに、よくある町名表示の写真が載っていたはずです。地名は高天原1丁目だったはずです。
信濃川水系の縄文文化について田中先生に徹頭徹尾調べてほしい。火焔型土器があの近辺からしか大量出土しない理由が知りたいです。
伊邪那美(女神、水神)、火之迦具土(火之神)を祀る愛宕信仰のもとになるようなものがあったのかなと推測。縄文の女神の土偶や遮光器土偶は死んだ黄泉の国に行った伊邪那美自体だといった考察もあるし
勉強になりました続きが楽しみです❤
さすが田中先生。わかりやすい!
国というのが土地ではなく、結びのかみによる結び連合であった。納得がいきます。天なる道の伝えの考え方とも繋がりますね。
先生にお知らせします。奈良県橿原市に飛田と言う村があり、高山の方に移住したから飛田と言う名前がついたと、高山のホテルに冊子がありましたよ。
2018年末に奈良の橿原考古研究所から、奈良・中西遺跡から2400年前の最大10haを超える可能性がある日本最大級の水田遺構が発見されたと発表しています。国内から出て来た水田遺構の中でもけた外れに大きい移籍が出て来たということです。ある意味で記紀の記述を裏付けているとも言えます。古事記で言えば塩土の爺が西に豊かな土地がある。行って手に入れよう的な発言が歴史的な事実を踏まえていることの証明になっているんじゃないかと愚考する次第です。
日高見国を治めていたのが天氏系で、天=海であり、海洋民族で太陽信仰、アリューシャン列島沿いに中南米まで拡がっていた
大和国を治めていたのが出雲系で、出雲=盆地であり、山師で山岳信仰、鍛治に長けていた
岩手県北上市には日高見橋という橋が普通にある
えみしの古墳群である江釣子古墳群の近くには鳥海柳地区があったり、鬼柳という地名があります
田中英道先生を視聴し学んでします深謝申し上げます。
アカホヤ噴火との関係を教えて下さい。
鹿島生まれで香取も川向いです。非常に興味深い面白いお話です。
2つでいいのでしょうか?大和に匹敵する規模だと諏訪や越、吉備にもありましたよね。
日高見国と、大和があったとするならば、日本書紀の話の辻褄が合います。
地名に歴史の事実が見え隠れしているのが面白いです。
日本の地形から見て富士山中心に北は東北・関東の集落群
南は琉球・鹿児島・佐賀・福岡・熊本の集落群
日本海側の島根近郊集落と四国集落
九州集落群が拡大しながら北上し近畿に定着した天皇勢力が率いる大集落群が
日本国家を定着させたと考えたらスッキリしますね
奈良の橿原考古研究所が奈良・中西遺跡から2400年前の推定10haを超える可能性がある日本最大級の水田遺構を発見したという発表がなされています。東京ドーム2個分を超える大きさです。又、中国の考古学を統括する国家機関から朝鮮半島の水田稲作は日本から伝わったと2016年に発表しています。このことは神武東征が歴史的事実に基づくものであることを示唆しているのではないかと思われます。少なくとも邪馬台国東征せつのは不都合な事実だと思います。
現代でも日本を東西に分けると、中部地方あたりが境界線になりますよね。近世まで、西には天皇がいて、東国に幕府があり...。
そう考えると、日高見国があったというのも、すんなり納得できます。
これは、小名木さんはもっと明らかに言われていますよ。
そもそも、古代に統一国家などと言うモノが作れるわけがない。
日本各地にそれぞれリーダーのある一団がいた。人が集まればそれを統率する人間が出て来るのは自然なことです。始めは町内会程度の規模でも、それが次第に自治体レベルになる。それが同時多発的に日本各地に出来ていたとしても何も不思議はありません。
同時はそう言う集まりをどう呼ぶかなんて決まってないんですから日本国内に複数の国が存在したって何の不思議もありません。
実際、家康は日本を統一はしましたが、各藩はそれぞれ財政も司法も独自採算だったそうです。
天皇という頭をいただいて幕府が全国的な統治をして各藩が独自な行政を行っていたということで、日本という一つの国であったことは間違いありませんよ。
@@user-en6nc1nj8u だから、幕府なんてモノが生まれる以前から天皇はいたんですよ。
神武が日本を統治する以前から全国に集団生活をしていた一族はいた。
で、九州にいた一族が京都に移って起こしたのが大和朝廷。
先日茂木誠先生が群馬高崎で講演なさり日高上国の事に少し触れたのですが高崎にも日高遺跡がありまして鉄鋼生産してたように思われますわりと大きな日高病院もあり金井姓が沢山おられます
面白いなぁ〜。定年してから歴史に興味を持った「理系人」ですが、白紙から考えたらとても客観的で「なるほど」って歴史観ですよね。義務教育で教える歴史は偏っているかもしれないと、最近やっと気づきました。本当に面白い!
兵庫県北部、神鍋山(火山)付近は日高と呼ばれています。
出石神社(御祭神は天日鉾命)の元の漢字は伊豆志だそうで色々由来がありそうです。
日立市には巨石も有ります 他の方がコメントされていますが日本最古とされる地層もあり、鉱山もあった・本当の古き書物のつながりもあるなー
ちなみに日立市には日高と言う地名あります
日本列島はかつて、欧州に例えればドイツフランススペインポルトガルくらい離れた民族意識をもつ集合体が武力や外交によって徐々に言語文化経済が統一されヤマト朝廷に統一された
日航123便が落ちたところが高天原であると、ネットで見た覚えがあります。
日高見も北上も、我々(宮城)の発音ではほぼ同一なのです。
シダカミ
チタカミ
北に上る川と言う発想は、あくまでも我々から見た南側から来た人々の目線。北上川は北から南へ流れる大河です。
西高東低の歴史学が日本国の主流ゆえ、我々東北人の関心が薄くなってしまった。そもそも、教科書に出てくる歴史的遺物に触れる機会は、中学高校の修学旅行位ですからね 笑
人間とて生き物ですから、寒い所から暖かい所へ移動するのが自然かと思います。
これが逆転したのが特に奈良時代、黄金の発見(宮城県遠田郡涌谷町)や馬と女性であったと言う意見もあります。言うなれば欲ですね。それらの為に北上して来たと。寒い中わざわざ 笑
北上川流域は正にそれらの名産地。大和人たちは文字通り北上川沿いに北上して来たのか?と感じます。
近世、特に江戸時代になってからの繁栄を見せた仙台藩は、北上川を始め川を効果的に活用した治水事業展開にて発展しました。重要な交通インフラでもありました。
等々、東北の歴史にはまだまだ沢山のユニークな痕跡が残っていますよ!是非遊びに来てください 笑
『古代日本には2つの国があった?』ほか先生の著書数点を興味深く読ませていただき感銘を受けております。
私は2000年に定年退職後 北海道から岡山市に移住しこの地方の古代について勉強してきました。
非常に初歩的なことで恐縮ですが、質問させて下さい。
この地方には、大和朝廷が開かれる以前、「吉備王国」栄えた地域として捉えておりました。
山陰地方の「出雲の国」と併せて、「古代日本には2つの国」との関わりから、この「吉備王国」と「出雲の国」など2つの国をどのように捉えておけば宜しいでしょうか?
先生の解明された「古代日本には2つの国」 のあと、縄文・弥生時代以降に出来た国(集落)と捉えるべきなのかご指導頂けますでしょうか。
四方の國中と大倭日高見國を安國と定め奉りて。祝詞にあります。
アイヌと蝦夷の区分と先住が良く解りました。
林原チャンネルでしたっけ?あれで詳細に述べられていて、ずっと聞いていました。
フタツどころか何百もの国があったのではないですか?
延喜式の大祓詞(おおはらえのことば)のなかに、『大倭日高見國を安國と定め奉りて(おおやまとひだかみのくにをやすくにとさだめまつりて)』とちゃんと記載されておりますね。
当時から、日ノ本は二つの国で構成されていると云う認識があった訳ですね。
日高見國とは、現在の北上川以北の東北地域の連合国家のことですね。
北上川は、後世の当て字で当時は日高見川だったと推測されます。
ちなみに、日本国の元となった『日ノ本』ですが、これは決まった地域の固有の地名ではなく、フロンティアと同義であって、九州から見たら大和が日ノ本、大和から見たら東国が日ノ本、東国から見たら陸奥が日ノ本になります。
同じ理屈で、中華から見たらが東の小島が日ノ本だった訳ですね。
日高見国と称する国があったことは知っていましたが、その国が北上川以北の地に実存した東北地方の国家連合であった、とは全く思いがけないことで、目から鱗の感を覚えました。
田中英道先生の、歴史に対する深い洞察に改めて感銘を受けた次第です。ありがとうございました。
長野県にも高天原と言う地名が有りますね志賀高原に有ります・
高天原は宮崎県高千穂に在ります!魏志倭人伝をフィクションだと言いますがその中に出てくる地名は現在も九州に存在していたりしていますよ!
対馬然り福岡にも❗
高天原という地名がが鹿島神宮の近くにありますが、高天原があるならアマテラスを祀る神社があってもよさそうに思いますが・・・。
理化学研究所のゲノム情報だと関西に住んでいるのが古墳系(黄河系)要素が強いみたいで、東北に住んでいる人は北東アジアのアムール系遺伝子を多く持っていた民族で沖縄が縄文系が多いみたいですね。
関西は中国、朝鮮からの渡来人系だろ
縄文、弥生、邪馬台国、大和、古代日本の歴史は国土が狭いにも係わらず大部分が未知
、古墳の大々的な調査と皇室秘蔵の文献資料の調査公開をすれば日本の古代史研究は
解明される
賛成します。タブーにしないで徹底的に解明すればいいのに。直系男子の遺伝子解明も日本人のルーツを探る大きな鍵になるかも。
2つどころじゃないと思う
今でも住みやすい関東平野。昔だってそこに手を付けないわけ無いですね。私は、天津甕星の話も絡んでくると思います。
自分も2つあったほうが辻褄が合うとずっと思ってたからやっと腑に落ちた。古事記にも国譲りしたって言ってるし争うことを嫌って同化していったんやろな。それを嫌った人達は東へと戻って行ったんやろな。神代文字とか岩に刻まれてる文字が沢山神社とかに有るからね。
日高見 ひたかみ 高級鮨店に必ずおいてある日本酒銘柄です。宮城県の日本酒です。濁りません。
北上はキダカミとは言わないしな
古事記のどの辺に出てくるのか知りたいです
古代は地方都市乱立っていうイメージが沸いてきました。
江戸時代、鳥島に漂着した2つのグループはお互いに出くわすまで鳥島は各々自分達だけの島だった。
本土の歴史も同じなんじゃ?
九州にヤマト王朝より古い、ウガヤフキアエズ王朝もありましたよ。
九州ウガヤフキアエズ王朝から、関西ヤマト王朝に交代したんですね。
鹿島神宮が冬至ライン、香取神宮が夏至ライン。太陽🌄の通り道。
先生の貢献は本当に大きい
4200年前の世界的な寒冷化でメソポタミアや長江もほとんど壊滅
天日鷲(あめのひわし)の元は天日鷹(あまのひたか)
鷲=大きい鷹、西日本の方言で鷲と呼び、東日本の方言で鷹と呼んでいた
桜島の別名が鹿児島じゃなかったかな?
鹿島の児の根拠は何かな?
サハラが砂漠化したりしたのも東北が寒冷化したのも先史と言われた時代のことですね 点が線になってほしいな
私が独自で調べたものなんですけど、茨城県の日立市が有力だと推してます。
・鹿島や香取の二神でも歯が立たず、倭文神武葉槌命がやっと封じ込めたとされるラスボス的存在の甕星香々背男がいたこと(君の名はのモデルになった大甕神社です!)
・その大甕神社の少し北にある真弓神社周辺で日本最古の地層が発見されてること
・そして、その北に行くと宇宙飛行士が見た光の柱でも有名な御岩神社(縄文時代は儀式の場だったそうです)があること
・またまた、その北に行くと高天原の地名があること
これら一つの山脈から成り立っています。
他に、大祭礼(72年ごとに行われる祭りで約1200年の歴史を持ってます)でも有名な東西金砂神社の御神体は、大甕の近くに現れたとか近江国の日吉神社と関わりがあるそうです!
なにかの参考になれれば!
信じますか?って言われても、あ、そんな説もあるんですねとしか、、、
祝詞に出てくる日高見国は茨城県にあったと言われています!高天原も茨城県にありました(今も同じ地名ですがw)
天孫降臨先は淡路島だと思うけど・・そこから四国を開拓・平定(何世代も掛けて)そして鹿児島上陸ではと覆います、出雲はもっと前の帰還渡来系(インド辺りからの、アムール川北方経由で)で先に縄文に広まり、次の帰還渡来系が日高見国作ったのかな(海洋航海技術と水稲栽培の知識を持ってた人々)
14:00 政府のアイヌ政策は歴史改ざんだということがよく分かりました。
尾張が西の終わりとはよく言いますね
もっと多かったかも。ヤマトタケルのクマソ征伐や、出雲の国譲りの話もあるし。
鹿島に行った時、鎌足の生誕神社があると聞き自分の源流なので見に行ったことがある。
鎌足が鹿島の鹿に乗り奈良の春日の地に行ったと書いてあったが ???
その後談山神社にも行って、大和を作った豪族は関東から来ている事がわかった。
その中で鹿島の重要な国が鹿島の児ども=鹿児島というのを知った。
更に鹿島香取の日高見国の重要な国が出雲、纒向、諏訪で、約束の地大和に向い統一国家を作り上げた!
出雲の国譲りや鹿児島日向の神武東征の様な話は各国にもあったらしい。
高天原は「たかまがはら」ではなく、「たかのあまはら」が正しい読みで唯一である。
面白い見解だけど、学会では無視されるんだろうな〜。
ホツマツタエでは天照大神はヒタカミ国のトヨケ大神(イザナミの父)のところに預けられ教育を受けています。
2つ。もっとたくさん
もっと有ったでしょう
鹿島の児なら児鹿島であり神名の鹿島を分断し鹿児島とするのは不自然です。同一遺物がなく無理やり同一視しないほうがいいのでは?
愛媛に多い飛鷹(ひだか)さんも、何か関係があるのでしょうか?
すごい名前
古代には群雄割拠アッチャコッチャに国があった、現代の国ではないがね、
旧唐書倭国伝にも、倭国と日本国の2つがあったと書かれていますしね。
2つどころでは無いのでは?
古代日本、国、単位でわなく、集落単位であったはずなので、何十、何百、いや、それ以上あったはす、弥生時代なんて、一万年以上続きましたからね、
彼らが日高見国を建国したのは、この地に戦(いくさ)のない平和な国(Arzareth)を作ろうとしたのでしょう。しかし、日本武尊、坂上田村麻呂と2度にわたって滅ぼされました。復活を願って奥州藤原氏がミイラとなって埋葬されたのかも知れません。即身仏が東日本に多いのもうなづけます。
ふたつしかなかった?、、、ことに驚き。
この人は日本史に詳しいよね
縄文晩期に全国的に人口が減ってるのは喜界カルデラの大噴火が原因なのでしょうか。
鹿島の子、鹿児島。薩摩から鹿児島。鹿児島に、鹿島の子孫がいないかな。鹿児島も、茨城県も男っぽいイメージがあります。
かこは水夫、船乗りの古語
確かに言われるように、弥生以降に西日本で遺跡や人口が増えてはいますが、東日本で減っているかと言うとそんな事はなく東日本でも縄文晩期以降も遺跡も人口も増え、関東の遺跡数や人口は近畿とさして変わらないと思えるのですが、これはどう説明できるのでしょうか?
寒冷化で西日本に移動したのであれば、東日本の遺跡や人口が減っていないと説明がつかないのではないでしょうか?
また、大和朝廷の祖先が日高見国であるならば、なぜ蔑視する必要があるのでしょうか?大和朝廷以外、または以前に国を作るだけの他の勢力があった事は否定しませんが、なぜ建国神話の中で祖先を蔑視するのかが説明できないと、先生の説は成り立たないのではないでしょうか。
祝詞は宮崎県宮崎市の江田神社が本家本元です❗それを知らない神主さんもいるんだと❗
トンデモけいサハラが砂漠化したり➗座
卑弥呼とは、姫巫女のことなんじゃないかと。音当てと聞き違いから卑弥呼となったのでは。
🥵
ニホン、ニ本、、、二つの島が合体して出来た(男女みたい)、中央にフォッサマグナ、今も違う東西のヘルツ数、よくわかんないけど東西日本では振動数も違う?アマテラスとスサノオ、淡路島と琵琶湖の相似形、似本こそおおもと世界の縮図、ひょっとしたら人類の始まりは日本かも。
西の大和文明と東の蝦夷ですね
アイヌ人が縄文人とは関係ないなら、なんでアイヌ人は縄文人のDNAの割合が最も濃いのですか? 同じ系統の民族でしょ?
大和に追い出されシベリアまで逃げて
オホーツク系と混血して
アイヌになったんでしょうね
蝦夷やアテルイも縄文人の直系の
子孫だから大和民族とは
ソリが合わず暗殺されたり
迫害を受けたのでしょう
田中の顔は断じてユダヤ顔じゃない😅
わびさび 文化が のこった
それ以外にも倭国と日本という話がありますね
日本という国名が良い名前だからと倭国が日本という名前をパクったと唐書にハッキリ書かれています
先生 だいすき 愛してる チュ~~~~~
阿波忌部を中心とした 卑弥呼王国と 京都奈良を中心と倭の国が二大勢力であったみたいですね
飛騨神国じゃないの?
真実を明らかにするためにも一刻も早く陵墓を掘り返せ。陵墓は、皇室の私有財産ではなく国民の共有財産である。掘ったらなにでてくっかわからない。先生、残りの人生陵墓掘り出すことに全力あげてくらさい。
日の本八十八国と言っていたんだし近代的統一国家観で考えるほうが可怪しい。
個人的に信じます。しかし教科書を変えるくらいにならないと虚しい。友人などと話をしても全く盛り上がらない。
戦後80年、一体いつまでGHQ=米国の言いなりなのでしょう。贅沢は言わないから自国の歴史くらい好きにさせて
欲しいものです。人生75年、日本・日本人という面において正しい誇りを持った一般人にお目にかかったことが無い。
それどころか染み付きつつある自虐がツケとなり、増々じり貧に向かっているような気がします。
二つどころかいくつもあったよ知らないのか?
自己紹介は要りません
大丈夫です
縄文時代には国というよりは部落しかないでしょう。
ちなみに三内丸山古墳は国とは言えませんね。
日高見国とは、幻の国ではないか。遺跡もありませんし。
弥生時代には何十か国もありましたよ。
日本という国名は奈良時代から始まった国号でしょう。
鎌倉時代
例の元寇と戦ったのは?
鎌倉幕府と北の王国と聞きますね!
北の王国は、優れた航海技術を持っており
海外からも多くの人間が、来日してた
秋田県か青森県のある地方
偶に、白い肌目の青い子供が産まれるそうです
神
ネ(禰宜、イザヤ)
申(申す、モーセ)
何となく思うのですが、関東、東北は、本当にずっとずっと同じ様な暮らしをしていて、文化的には面白味がない、鎌倉幕府の様な、良く言えば質実剛健、質素、倹約…を美徳とし、徳川家康が江戸を開くまで…あまり変化が無かったのではないか?と思われますね。東北はさらに…変化がないと思います。冬は雪に覆われて動きが取れません。しかしながら、日本国内では、東北の東側、関東の茨城(鹿島あたり)だと太陽が大きく昇って来たでしょうから、日高見、と名乗るのは頷けます😊最近暖かいですが😂(関東人です)