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当時のF1はブラジル人にも厳しかったみたいですねフィッティパルディってやっぱすげえんだな
ミシュランへの移行はセナの強い要求。その後ミシュランはF1を去りトールマンは履くタイヤがなくなる、言いだしのセナもロータスへ 我が強くなければ生き残れない世界。
84年のモナコでセナにマクラーレンと同スペックのタイヤを供給することを決めたミシュランの担当者はエライ!!もし、これがなかったらセナのあの伝説の走りはなかったかもしれません。
懐かしい名前がたくさん出てきて嬉しいです。ロリーバーンやパットシモンズ、ウォーウィックやヨハンソン等々。特にロリーバーンは、ゴードンマレーやエイドリアンニューウェイと共に奇才と言われてましたよね。
私の一番好きな車です。津川さんがメカニックをされてたのもスゴい!
チームメイトだった、ジョニー・チェコットはバイクレース(350CCクラス)で19歳でチャンピオンになり(当時の最年少記録)ジョン・サーティースに続く記録達成者となるか?と、期待されていましたがクラッシュによりドライバー生命が絶たれてしまい残念ながら成れませんでした、チャンピオンになれたかどうかは分かりませんが、どこまで行けたか観てみたかったですね。
アイルトン・セナの名を世に知らしめたトールマンTG184でしたが、あのモナコGPで前を行くウィリアムズ·ホンダのケケ·ロズベルグを追っていた際に、シケインで縁石に乗り上げて着地した際にステアリング系にトラブルが発生し真っ直ぐ走れない状態だったと以前CSで放送されたF1LEGENDSで今宮純さんが解説していました。そんな中でも表彰台を獲得したセナの凄さを実感しました。
84年のモナコ。懐かしいですねコメントの皆さんの補足解説も素敵です
最後の2戦はTAGマクラーレンを追いかけ回すのはTG184とう構図みたいなものでしたからね。後、さらっと振られているTG183もスポーツカーノーズのF1として最後に入賞を果たしたと考えると偉業なのでは?キャラミではフロントのカウルが外れてまともに曲がれない車で入賞したなどセナの凄さもあるのかと思うけど。
あながち極端にマシンが劣っていたというワケでもなかったようですね…モナコGP後のヨハンソンの好走なんかを見ると
トールマンのシャシーも良かったがハートエンジンが秀逸。ブライアンハート……素晴らしいエンジン屋ですね。簡易的なブーストコントローラーとかヘッド一体型のエンジンとか、アイデアでプライベーターがまだ勝負出来た最後の1人……。レジェンドですね。セナが乗ったからインパクトある活躍をしましたがセナじゃなくても活躍出来たマシンだと思いますね。
ボディ各所に点在するセガフレードのマークセナが最後に搭乗したFW16にも貼られてましたね
この頃はもうターボエンジン全盛期だったんですね😁。ハートエンジンも中小メーカーながら健闘していた。後にセナのチームメイトになった中嶋悟さんが述べていたけど雨中走行では身体に掛かるGが軽くなったそうです。もちろん前面の視界は最悪だけど😅。レイン・マスターと呼ばれたセナの伝説の始まりでしたね😊。
7:15 TG184のゼッケン19番のフォントは、B188のベネトンと同じだったりして、なんか歴史を感じる。
84年のモナコ(9:52)はアイルトン・セナと以前の動画で紹介していたステファン・ベロフというドライバー2人の運命を狂わされた様なレースにも感じますね…。
84年のモナコでのベロフ対アルヌー、今宮さんが解説してる動画がRUclipsにあります。歩道の段差乗り越えて…って、マジですごいですよね👍 ベロフの未来も見たかったな。
今のF1と違って、上位と下位のチームとの差が秒単位だった頃にドライバーの力量でここまでやったセナの速さスタイルは全然違うけど、そのセナを一年単位だと追い詰めるプロストフェルスタッペンも速いしハミルトンも凄いけどもう一息何かが足りなく思うなぁ関係無いかもだけど、次の主役角田君頑張れ
ハミはルーキーイヤーでアロンソ追い詰めたし上々だろ
TG184!今回もちょうど2ヶ月前にメルカリで手に入れたマシンを〜奇遇ですな、ありがとうございます😁👍👍👍👍👍👌🏎️🔵⚪🔴のやつ。動画半ばのモナコGPあたりの白と青だけのカラーリングも好きですが、こちらも売ってる人いたから買っておけばよかった〜💦J・チェコット氏は二輪は350のチャンプでしたかな。日本でF2の鈴鹿の交流戦のヨーロッパ側のBMW勢のエースのイメージでした👍
ロータスからボロクソ酷評されたクソタイヤのピレリのくせに参戦を続けていたのはある意味リスペクトだな。 トールマンからベネトン時代までカーナンバー19・20を使っていたのも長かったな。 メカニックの津川さんも忘れてはならない
その後トラブルに巻き込まれやむなくチームはベネトンに売却。トールマン→ベネトン→ルノー→ロータス→ルノー→アルピーヌ。現存するF1コンストラクターでは古い方になるか。
ヨハンソンはこの年、イタリアグランプリの4位1回のみ。ティレルから出走した記録などは剥奪されたものの、セナの代役でポイントを獲得。
トールマンのF2マシンは日本にも導入されて活躍しましたね。
一年で見限ってロータスにセナが移籍したのもむべからざるべきだな。違約だったけど良いと思う選択をするのも一流の条件だから。
契約を尊重してベネトンからのオファーを断った右京にシューマッハが『おまえはバ○か?」と言ったという話もあるくらいですしね。
トールマンを駆るセナ、生で見たかった。あっ、ミニカーは持ってます(笑)
セナも予選落ちしたことあるなんて初めて知ったわ。
雨のモナコの真のヒーローはステファン ベロフです。
トールマンの最初のカラーは紺と赤だったのか。
トールマン「セナは私が育てたようなもんだ」
トールマンはサンマリノGPで、ピレリと揉めましたね。TG184からミシュランタイヤに変更し戦闘力が上がったけど、1984年シーズンでミシュランタイヤは撤退するんですね。ハートエンジンは信頼性不足が否めなかった
モノブロックエンジン
そんなトールマン約10年後コンストラクターズ名を「ベネトン」と替え、アゴの長い若手ドライバーのドライブするマシンでセナの野望に立ち塞がります。
そこからさらに約10年後「ルノー」に名を変え眉毛の濃い若手ドライバーがアゴの長いチャンプに立ちはだかる訳だな。
@@堀越一男-d5zそして今は…
戦わざるを得なかった
自称アナウンサー・キャスターの安藤優子氏も「〜せざる おえない」って言ってましたね。最後まで。
@@moto_noraneko まぁ、口頭ではそうなりがちで、そう聞こえたりもしますね。しかし字幕を入れるなら「せざるを得ない」になります。どうでもいいですが、どうにも気になってしまって。(笑)
TG184, カラーリングがどんどん変わっていったのはセナの活躍でスポンサーがついたからなのかな?でも、肝心のカラーリングがどんどんダサくなっていったのは少しいただけないなww
モナコGPの時のカラーリングが一番洗練されてたのに…赤色を加えてダサくなったような気がします😅
6:54 この年のサンマリノがセナの生涯でキャリア唯一の予選落ちでしたね。
そして10年後のサンマリノで事故死する事になりますね。
津川氏の著書によれば、ピレリとの件に関してはトールマン側がミシュランタイヤへのスイッチを焦ったためにかなり不義理をしたので、最終的に身売りしなくてはならない結果になったのは自業自得だったという趣旨の内容でしたね。
モナコGPがハーフポイント4.5でチャンピオンを0.5で逃すプロストw
トールマンってこの後どうなったんだろうバブルの頃にはもうおらんかったよな
1986年にベネトンに買収されました。
当時のF1はブラジル人にも厳しかったみたいですね
フィッティパルディってやっぱすげえんだな
ミシュランへの移行はセナの強い要求。その後ミシュランはF1を去りトールマンは履くタイヤがなくなる、言いだしのセナもロータスへ 我が強くなければ生き残れない世界。
84年のモナコでセナにマクラーレンと同スペックのタイヤを供給することを決めたミシュランの担当者はエライ!!
もし、これがなかったらセナのあの伝説の走りはなかったかもしれません。
懐かしい名前がたくさん出てきて嬉しいです。ロリーバーンやパットシモンズ、ウォーウィックやヨハンソン等々。
特にロリーバーンは、ゴードンマレーやエイドリアンニューウェイと共に奇才と言われてましたよね。
私の一番好きな車です。津川さんがメカニックをされてたのもスゴい!
チームメイトだった、ジョニー・チェコットはバイクレース(350CCクラス)で19歳でチャンピオンになり(当時の最年少記録)
ジョン・サーティースに続く記録達成者となるか?と、期待されていましたがクラッシュによりドライバー生命が絶たれてしまい残念ながら成れませんでした、チャンピオンになれたかどうかは分かりませんが、どこまで行けたか観てみたかったですね。
アイルトン・セナの名を世に知らしめたトールマンTG184でしたが、あのモナコGPで前を行くウィリアムズ·ホンダのケケ·ロズベルグを追っていた際に、シケインで縁石に乗り上げて着地した際にステアリング系にトラブルが発生し真っ直ぐ走れない状態だったと以前CSで放送されたF1LEGENDSで今宮純さんが解説していました。
そんな中でも表彰台を獲得したセナの凄さを実感しました。
84年のモナコ。懐かしいですね
コメントの皆さんの補足解説も素敵です
最後の2戦はTAGマクラーレンを追いかけ回すのはTG184とう構図みたいなものでしたからね。
後、さらっと振られているTG183もスポーツカーノーズのF1として最後に入賞を果たしたと考えると偉業なのでは?
キャラミではフロントのカウルが外れてまともに曲がれない車で入賞したなどセナの凄さもあるのかと思うけど。
あながち極端にマシンが劣っていたというワケでもなかったようですね…モナコGP後のヨハンソンの好走なんかを見ると
トールマンのシャシーも良かったがハートエンジンが秀逸。ブライアンハート……素晴らしいエンジン屋ですね。簡易的なブーストコントローラーとかヘッド一体型のエンジンとか、アイデアでプライベーターがまだ勝負出来た最後の1人……。レジェンドですね。セナが乗ったからインパクトある活躍をしましたがセナじゃなくても活躍出来たマシンだと思いますね。
ボディ各所に点在するセガフレードのマーク
セナが最後に搭乗したFW16にも貼られてましたね
この頃はもうターボエンジン全盛期だったんですね😁。
ハートエンジンも中小メーカーながら健闘していた。
後にセナのチームメイトになった中嶋悟さんが述べていたけど雨中走行では身体に掛かるGが軽くなったそうです。
もちろん前面の視界は最悪だけど😅。
レイン・マスターと呼ばれたセナの伝説の始まりでしたね😊。
7:15 TG184のゼッケン19番のフォントは、B188のベネトンと同じだったりして、なんか歴史を感じる。
84年のモナコ(9:52)はアイルトン・セナと以前の動画で紹介していたステファン・ベロフというドライバー2人の運命を狂わされた様なレースにも感じますね…。
84年のモナコでのベロフ対アルヌー、今宮さんが解説してる動画がRUclipsにあります。歩道の段差乗り越えて…って、マジですごいですよね👍 ベロフの未来も見たかったな。
今のF1と違って、上位と下位のチームとの差が秒単位だった頃にドライバーの力量でここまでやったセナの速さ
スタイルは全然違うけど、そのセナを一年単位だと追い詰めるプロスト
フェルスタッペンも速いしハミルトンも凄いけどもう一息何かが足りなく思うなぁ
関係無いかもだけど、次の主役角田君頑張れ
ハミはルーキーイヤーでアロンソ追い詰めたし上々だろ
TG184!
今回もちょうど2ヶ月前にメルカリで手に入れたマシンを〜奇遇ですな、ありがとうございます😁👍👍👍👍👍👌🏎️🔵⚪🔴のやつ。
動画半ばのモナコGPあたりの白と青だけのカラーリングも好きですが、こちらも売ってる人いたから買っておけばよかった〜💦
J・チェコット氏は二輪は350のチャンプでしたかな。
日本でF2の鈴鹿の交流戦のヨーロッパ側のBMW勢のエースのイメージでした👍
ロータスからボロクソ酷評されたクソタイヤのピレリのくせに参戦を続けていたのはある意味リスペクトだな。 トールマンからベネトン時代までカーナンバー19・20を使っていたのも長かったな。
メカニックの津川さんも忘れてはならない
その後トラブルに巻き込まれやむなくチームはベネトンに売却。トールマン→ベネトン→ルノー→ロータス→ルノー→アルピーヌ。現存するF1コンストラクターでは古い方になるか。
ヨハンソンはこの年、イタリアグランプリの4位1回のみ。ティレルから出走した記録などは剥奪されたものの、セナの代役でポイントを獲得。
トールマンのF2マシンは日本にも導入されて活躍しましたね。
一年で見限ってロータスにセナが移籍したのもむべからざるべきだな。
違約だったけど良いと思う選択をするのも一流の条件だから。
契約を尊重してベネトンからのオファーを断った右京にシューマッハが『おまえはバ○か?」と言ったという話もあるくらいですしね。
トールマンを駆るセナ、生で見たかった。あっ、ミニカーは持ってます(笑)
セナも予選落ちしたことあるなんて初めて知ったわ。
雨のモナコの真のヒーローはステファン ベロフです。
トールマンの最初のカラーは紺と赤だったのか。
トールマン
「セナは私が育てたようなもんだ」
トールマンはサンマリノGPで、ピレリと
揉めましたね。
TG184からミシュランタイヤに変更し
戦闘力が上がったけど、1984年シーズンで
ミシュランタイヤは撤退するんですね。
ハートエンジンは信頼性不足が否めなかった
モノブロックエンジン
そんなトールマン約10年後コンストラクターズ名を「ベネトン」と替え、アゴの長い若手ドライバーのドライブするマシンでセナの野望に立ち塞がります。
そこからさらに約10年後「ルノー」に名を変え眉毛の濃い若手ドライバーがアゴの長いチャンプに立ちはだかる訳だな。
@@堀越一男-d5zそして今は…
戦わざるを得なかった
自称アナウンサー・キャスターの安藤優子氏も「〜せざる おえない」って言ってましたね。最後まで。
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まぁ、口頭ではそうなりがちで、そう聞こえたりもしますね。
しかし字幕を入れるなら
「せざるを得ない」
になります。
どうでもいいですが、どうにも気になってしまって。(笑)
TG184, カラーリングがどんどん変わっていったのはセナの活躍でスポンサーがついたからなのかな?
でも、肝心のカラーリングがどんどんダサくなっていったのは少しいただけないなww
モナコGPの時のカラーリングが一番洗練されてたのに…
赤色を加えてダサくなったような気がします😅
6:54 この年のサンマリノがセナの生涯でキャリア唯一の予選落ちでしたね。
そして10年後のサンマリノで事故死する事になりますね。
津川氏の著書によれば、ピレリとの件に関してはトールマン側がミシュランタイヤへのスイッチを焦ったためにかなり不義理をしたので、最終的に身売りしなくてはならない結果になったのは自業自得だったという趣旨の内容でしたね。
モナコGPがハーフポイント4.5でチャンピオンを0.5で逃すプロストw
トールマンってこの後どうなったんだろう
バブルの頃にはもうおらんかったよな
1986年にベネトンに買収されました。