屈辱の呼び名 裏目に出たエンジン強奪..名門がハマった辛すぎる低迷期【F1解説】【リジェ JS33/JS35】
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- Опубликовано: 11 окт 2024
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今回はリジェの低迷期である80年代後半から90年代前半のJS33、JS55について解説していきます。
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ラルースからエンジン強奪したのにリジェがノーポイントで
コスワース使わざるおえなかったラルースの方がポイント取れた件は失笑するしか無かった
しかもサンマリノではブーツェンは同じランボルギーニのモデナのヴァンデポールの後方をずっと走ってたなんて…。
しかもロータスの二人、それもベイリーに負けるとは…。
93年 94年に出てたルノーエンジンのリジェは割とかっこよかったと思ってる
「妖怪通せんぼジジィ」と不名誉な呼び名を付けられたアルヌー氏
けど本人はとてもいい人なんだけどまぁ不器用なドライバーだったという見方も
引退レースで記者から「あなたご自身が印象に残ったレースは?」と聞かれ笑顔で
「(79年ディジョンでの)ジルとのバトルだねッ」と即答したのがとても微笑ましく印象的でした(*´ω`*)
結局こういったズタズタな体制や醜いやり方はプロストになっても変わらんかったね。
チームとして政治的に汚い事ばかりしていたから、後々、しっぺ返し食らったというのが現実だと思います😅。
90年ラルースを失格に追い込んだ。
ギ・リジェの手腕で運営できていたようなものだったのかもしれませんね。
政治力を活かしてやりたい放題していたけど、チーム運営の力はあったのかも。
友人が「妖怪・通せんぼ・ジジイ今なら全部アウトだ」と言ってて笑った。
オリビエ・グルイヤールは後にティレルで相棒がチェザリスになるんだけど、チェザリスに
全く刃が立たないといった感じでした。速かったんだなあチェザリス
それはともかく、リジェのブルーは本当に綺麗で好き。
92年のグルイヤールの成績は酷かったですね…。フランスでのあからさまなフライングやら、日本での下手くそなクラッシュやら、ミス連発という感じでした。
前の年のメキシコでポンコツマシンで予選上位につけた時は、おおっ!と思ったのですが…。
グルイヤールは鈴鹿のS字入り口からスロットルの開け方がラフ。チェザリスはスムーズ。メキシコのフォメットの予選10番手は奇跡ではない。特殊ガソリンが禁止になり、使っていたチームが失態。フォンドメタルは市販品。それが結果に。
しかしこんなにも下位に低迷しててもジタンがスポンサーを続けていたのはある意味凄い。
この後96年にモナコGPにて無限ホンダエンジンで優勝したのが最後の輝きでしたね。
サバイバルレースではありましたが。
初代トランスフォーマーにリジェというロボットが居た。フェラーリでもロータスでもブラハムでもなく、なぜかリジェだった。けっこうかっきかったよ。
フレンチブルーVSカラフルのリジェとラルースフランスライバル対決!そのフランスチーム両方をドライブした日本人鈴木亜久里!
なんというかフランスらしいチームだったねえ…
オーナーのギ・リジェは政治力大魔王とか言われてたような記憶が....
83年のアルヌーって、フェラーリドライバーですごくカッコよくて期待の…みたいな感じなんですけどね。
87年鈴鹿で中嶋を散々ブロックして一言「このレースでは、僕は絶対に負けるわけにはいかなかったんだよ」
って、何やねん。
マクラーレンのマルボロ、ウィリアムスのロスマンス、ロータスのキャメルときて
リジェのジタンのオシャレなロゴマークがまさか同じタバコの銘柄だと知った時はさすがおフランスだわと感心した中学生でした。
そして大人になってワクワクしながら初めてジタンを開封した時の臭さと
黒タバコ独特の喫い口の苦味にドン引きした思い出。。
かつてNHK-PSPで放送された関口知宏のヨーロッパ鉄道大紀行で、関口氏がモデナのフェラーリ博物館に訪問後、レストア専門の工房に立ち寄った際に、そこにルネさんがおられました。
現役時代は童顔を武器にイロイロブイブイいわせていたと思いますが、番組では「フェラーリF1のパイロットだったんだZE!」とちょい悪オヤジ感を醸し出しながらも、関口氏を助手席に乗せてブイブイいわせて街を疾走しておりました。
ジャックラフィー事故ったのが運の尽きかも
オリビエ・グルイヤールは「妖怪油すまし」と言われるしまつ
フランスの予選セッションでオイル吹き出しながら走った。レコードラインだけに、その後のセナはタイム伸びず。
今は亡き名古屋・久屋大通のアネックスにF1グッズのショップが出てた頃、ついリジェのTシャツを購入してしまった…。リジェ推しではなく、単に黒青のデザインが気に入っただけだったけど。
福袋買ったらジタンブロンドのブルゾンが入ってて長い間気に入って使ってました。
個人的には80年のクルマが格好良くて好きなんですが、このアルヌー頃の「青いF3000」のグラフィックはかっこよかったですね。シンプルかつオシャレなLOTOと
GITANEのロゴ。たまらんですね。最後のナショナルカラーと言ってもいいかもしれません。
ルネ・アルヌーは日本では妖怪通せんぼジジイと呼ばれたけど、ルノー時代とフェラーリ時代はトップドライバーでフランス人初のF1王者になるのではと期待されていた...が、その株はプロストに奪われた。
JS31とJS35、自分は見た目は好きです。
なんでランボルギーニV12エンジンで入賞すらできなかったのか...
ミッテラン大統領との仲を利用して予算では苦労していなかったはずなのにラルースへのいちゃもんはほんとガッカリしましたね…
ただジタンカラーのマシン特に93年のスペシャルカラーとかはほんとキレイでカッコよかった
リジェが96年のモナコGPで
15年ぶりに優勝したレースは
面白かったです
コマス
「リジェ辞めて良かったわ」
アルヌーをとやかく言うなら1979年のフランスGPを観てからにして欲しい。ヴィルヌーヴとの激闘を。
アルヌーが引退する最後のレースに出走する際に、フランス人ジャーナリストから「最も思い出に残るレースは?」と聞かれた時に、このレースの事をいの一番に挙げてました。
ジルには競り負けていますが、負けたことは気にならなかったという。そしてジルを「世界最高のドライバー」と褒め称えていたといいます。
リジェのエンジン…ルノーが復帰した1989年から1年後の1990年からルノーV10の供給を受けていたら…結果は少し違っていただろうなぁ…。ただその場合はウィリアムズのような新型ではなく型落ちの旧型の方をリジェに供給していたのは明白だろうとかね…。
JS33の時にもう1~2社フランス関係のスポンサーが取れたら未来が変わった様に思える。
90年は前年型改良でなく新マシンで臨めた。
ヒューマンのF1トリプルバトルだと、グルイヤールがグレテヤールになっていたなぁ…懐かしい
アルヌーはアルチュー
当時は子供ながらに、アルヌーへのキャッチフレーズはあまりにも失礼だと思ってました。
リジェ時代は下位を走る事が多かったし、むしろアルヌー自身わざとそうした節もあったのは事実だけど、複数回の優勝経験があるドライバーに対してあまりにもリスペクトが感じられない。そういう部分であのアナウンサーが苦手になってしまった。
青旗無視の意味を考えたら、過去の栄光がどうとかの前に、ドライバーとして最低。
ブラバム、ミナルディに次ぐ好きなチームだったな、リジェ
WGPもそうだったけど、オールフランスチームはダメになってく印象。
鈴鹿で初めて生で観た時、フレンチブルーの美しさに目を奪われたのを覚えています
結構好きなチームでしたのでルノーエンジン搭載で期待していたんですけれど...
資金力の高さをうまく生かせなかったのが残念でした。
政府がバックについてて、ボスが強面で、ライバルチームからエンジン強奪してと悪役感満載のチームでしたね。
JS33Bはグッドイヤー+DFRの組み合わせでは最速の部類でした。一粒で二度おいしいピレリやワークスのマルチシリンダー勢には一歩及びませんでしたが。
グッドイヤーとコスワースDFRの組み合わせで最速はリジェではなく2ポイントを獲得したアロウズでは?
確か、ラルースの輸送費は補填されたはず😡
「新設計」じゃなく「珍設計」のJS31
アルヌーはルノー、フェラーリで活躍したいいドライバーですけどね、
この何年後かのモナコでオリビエ・パニスがリジェに最後の優勝を捧げるんだよね。
アイルトン・セナ以外はすべて「敵キャラ」って感じのあだ名付けw
90年代にV12はだいたい失敗してるな
そしてルノーV10はベネトンに奪われると••••
因果応報??
フラビオの権謀術数
ランボルギーニエンジンは博打だったなあ
リジェかっこいいですね👌マシンは微妙でもスタイリッシュな、
89年度も91年度のも
好きですが、ルノーエンジン時代のウィリアムズ型も結構好きです👍
配色が独特のエリックコマス氏の初陣マシン
ランボルギーニそこまでほしいほど、
エンジンパフォーマンスなさげだけど、むしろコスワースでもよかったんじゃあ💦と思う
。
ランボルギーニって意外といろいろなチームにエンジンがいってますね。
ラルースそのあとベンチュリーに名前を改めてまたランボルギーニエンジンを選んでましたね。
神風の異名をもつ2人目の日本のドライバーを👍
ジタンてお洒落なんだよ。あのルパン三世も愛飲していたはず?。なのになぁ。(泣)結局アルヌーって速かった時期短いのね。
この年のリジェはモナコのアルヌーが1番印象に残ってます。むしろ、それしか記憶に無いくらい目立たなかった。リジェではありませんが、ローズでのピケとチェザリスの事故も通せんぼジジイでしたね。
91年からF1を見始めたんですけど、リジェのフレンチブルー?の塗装はキレイだったなぁ。という印象しかない。elfのブルーもキレイだったか。
この動画を見るとギ・リジェというかプロストもそうですけど、困ったら政治力でなんとかしようという嫌らしい感じもフランスらしいw
ルノーも当時は(今も?)「ルノー公団」って言われてて国営みたいなものだったんでしょうし。
リジェのクソマシンを特集してくださって本当にありがとうございます!
特に91年のマシンは素人の私が見ても変な形だなぁと当時思ったものです。
細いノーズにデカいリアセクションは、90年のライフを思わせました。
案の定遅かったです。
デザイナーが同じリカルド・ディヴィラだしな😎
後釜のフランク・ダーニーも大して性能の向上には寄与しなかったな
フルタチは失礼なヤツだったな、チェザリスにもボロクソ言ってた気がする。
あいつはセナ以外眼中に無いからね
プロスト派の僕には辛かったよ
サーキットの通り魔とか、酷過ぎるよね。
「サーキットの通り魔」や「犬も歩けばチェザリスに当たる」とかね。本人は面白いと思ってるんやろね。アホとしか言いようが無い。
それとセナ善玉&プロスト悪玉って決め付けも嫌いだったな。セナのやらかしは棚上げでね。俺も古舘は大嫌いでした。
@@ae9223チェザリス本人も古舘伊知郎に苦言申し立てたそうです。そりゃ怒るわな。
今のネット民から比べたら、はるかに失礼じゃないよ(笑)
結局ね…名門が低迷からの脱出とか、新興チームは、基本、信頼性、軽量、コンパクトだと思うね。
革新的な技術や意欲的な設計で1発逆転を狙いたくなるのは分かるけど(笑)
青色好きで2輪ではソノートゴロワーズヤマハが好きでリジェにも好意を持ってたけど、ランボルギーニ強奪の一件から嫌いになりました。
パリ・ダカ(ル・カップ含む)用のプロトパジェロ開発にも協力していたソノートでしたっけ。
同じフランスのオレカはマツダのSWC活動にも関与、間接的に91年のル・マン24h優勝の手助けをしていましたね。
それに比べジェときたら。
アルヌーは実績も実力も有るドライバーだったんだから、古舘みたいな電波芸者におかしなニックネームをつけられる様なドライバーではなかった。
本当にその通りだと思います。中嶋悟の納豆走法もムカつきました。
自分もウケ狙いの酷い、個人へのリスペクトの欠けた古舘伊知郎の実況は大嫌いでした。
セナ贔屓が酷く、聴き苦しさばかりが先に立って嫌でした。
三宅さんや馬場さんの実況のほうが落ち着いて視聴できましたね。
妖怪通せんぼジジィ、走るシケイン、まあ中嶋さんに妖怪はないでしょ、トップ争いしたドライバーなのにと怒っていたそうだ。
まあプロレス中継の人ですからね、イタイのは仕方ないでしょう。ダサいといえばテーマ曲もダッサイですからね。いい音楽は時代を越えますが、これは埃っぽいことこの上ない。
古舘がいたからF1は盛り上がったんだ‼️
オランダGP直近5回のレースウィナー(フェルスタッペン、フェルスタッペン、ラウダ、プロスト、アルヌー)で聞いたアルヌーさんだ!
90年は予備予選にまで回ってしまってましたね〜。しかもラルースに90年、91年と、2年続けて負ける、カッコ悪い。
1979年のフランスGPの後、 ルノーエンジン、ターボエンジンの初優勝でもあり、 若い2人のレーサーが胸アツなバトルをした伝説のレースです。1人はパパヴィルヌーブであり、もう一人はアルヌーです。 妖怪とうせんぼジジイなんてふざけたあだ名をつけた、知ったかぶりの軽薄なアナウンサーが大嫌いです。
実際、青旗無視してブロックしまくったんだから文句は言えまいよ。
古舘は、なんだかんだ言われつつも、F1人気に寄与した1人であることには間違いはない。
カラーリングは良いんだ カラーリングは
金はあるんだ!金は。のチームだけどうまく生かせなかった。マニクールはリジェのホームコース。ブランドル、ブランデルが予選3・4番手につけたのはハイライト。
すったもんだな時代ですな。
過去の栄冠を引き摺ったチームは、奈落の底を味わうとどこをどーすればいいのか解らなくなってしまうんですね。
フランス政府のバックアップって資金は潤沢だけどプレッシャーはさぞかし...
リジェのフレンチブルーはジタンの広告と共に80年代のマシンしか記憶にないのは、こうゆー理由だったんですね。
いやいや左派政権のマネロンに利用されていたとのことなんで
大してプレッシャーはかかっていないはず
庄野真代の飛んでイスタンブールに出てくるジタンの空箱という歌詞が
たばこのメーカーと知ってあー昔リジェについてたアレだと思った記憶が(^。^)y-.。o○
しかし当選簿ジジイと油すましは最凶の妖怪コンビです🌁
ニコララリーにはノーポイントだったけどよく頑張っ🍛
JS33はギアボックスのみならずマーチ881の設計書を購入して参考にしたという噂があったけど
本当なんだろうか?
素人考えだけどそれが本当ならコンコルド協定とやらに抵触していたかも。チーム毎の独自設計が義務だから。
JS35は不恰好な車だなぁと当時思ったな、まぁ今見ても不恰好なんやけど。エンジンカウルを外した方が最高速が高くなったとか。見た目ってやっぱり大事やね
リソースを活かせない呆れたチーム😂金はあるが…
リジェの不振は、多分、1982年のマトラV12搭載からだと思うんですが、1980年代後半からなんですか?
なんかリジェ特集おおくね😂
中野信二選手が乗らなかったっけ?
チーム名義がリジェからプロストになった年ですね。かなり冷遇されたそうですが二度の6位入賞でグレーテッドドライバーになったのは見事。
アルヌーは何となく嫌いになれない。
というか今となっては微笑ましく思うくらいだ。
プロストは嫌いだけど😮
古館氏に「妖怪通せんぼジジイ」と言われてますが
リジェ時代のアルヌーは見た目は若々しいんですよね
少なくとも40過ぎには見えなかったです
70年代の車を見るとカッコ良いしラフィーもいたし、なんか良かったんだろうなーとも思うが、ぼくがF1を見始めた頃は青一色のダサい遅い車だったなぁ、毎年。ジタンとロトで何十年も生かされていた信じられないチーム。ふれんち
4:26 「妖怪通せんぼジジィ」・・・
いくらなんでもこれは酷すぎ・・・。
そりゃあの温厚な中嶋さんもブチキレますよ・・・。
80年代後半から90年代前半は本当にゴタゴタ続きのチームでしたね。
90、91年とノーポイントに終わって92年にようやくルノーエンジンを獲得したもののプロストが復帰に向けてのテストを行いブーツェン、コマスの両ドライバーも気が気じゃない状態でしたし、開幕後はブラジルGPで同士討ちやベルギーGPでコマスが大クラッシュを起こしたり、リザルト的には前年よりはマシ程度でしたね。
V12に合わせたシャシーを作れないと逆効果ですよねぇ
因果応報って感じ。
昔、ランボルギーニはヴェンチュリーにエンジンを供給していましたねえ。
92年のラルースの成れの果てね。
93年からは、ラルースに戻ったけど
リジェのブーツェンは給料泥棒だったな。高いギャラ貰いながらルーキーのコマスと同じとこ走って2年目には負けてるし
ドライバーの力だけでどうにかできるのはゲームか小説か映画の中だけですよ。