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あんなにすごい大ヒットした【ストリートファイター2】なのに一生懸命作った人が報われていないのは悲しいですね。でも、私はストリートファイターという作品に夢や希望をもらいました。作ってくれた方々に心より感謝いたします。
おそらく一般ユーザーはストⅡシリーズの大ヒットで開発スタッフは巨万の富を得たから西谷さん等が独立したんだと思っていた!と思います。いくらサラリーマンとはいえ、そんなに世知辛い待遇だった事に驚きました。。。
今から考えてもやっぱり塩っぱい対応ですよね🥲
あー、どうなんでしょう。私は当時学生でしたが「まあ、カプコンで長くは働きたくないよね…。身体壊したら元も子もないし」という感想を持った記憶がありますw
才能もあって頑張っている部下の為に交渉してくれる上司はとても素晴らしいと思います。岡本さんはよく部下には無理をさせたり怒ったりしたと話ますが、やはりどこかで人を惹きつける魅力・カリスマ性があるからこそ皆が着いてきてたんだろうと今回のお話を聞いて改めて思いました。逆に部下に対する接し方で、昔と今で大きく変わったりした部分等あれば是非お聞きしたいです。
私たちが楽しくスト2を遊んでいる裏でそんな出来事があったんですねてっきりカプコンも従業員もこの世の春を謳歌しているのかと思ってました
以前話されてたコナミでも今回のカプコンでも当時の会社の基準はクリエイター職に冷たかったようですね。上層部が都合の良いようにものを考えすぎる所があるような気がします。有能な人が去っていくまで気付かない、もしくは去っても気付かない程、鈍感な感性の人達が上司というのは悲しい現実ですね。
12:00 ジョジョがカプコンの格ゲーで面白いのが最後だったのはこういう理由だったのか… でもよくそれでモンハンやバイオや連ジが生まれたよなぁ。
ダッシュのころにはすでに各ゲーセンで当たり前になってた別筐体対戦方式があくまでメーカー非推奨どころか禁止だったものを現場のアイデアから発生したものだったとは驚きさらにはかつて対戦やってもその対戦が終わったら両方終わりになるようなこともあったところを乱入勝ち抜き方式がメインになっていくところはアメリカの25セント文化の影響を受けたってのも
ただ、その当時小さなゲーセンでバイトしてたけど、スト2は稼ぎ頭で社長はいつも笑顔で赤いポルシェを買って乗ってた。ゲーセン内は対戦で熱気がありザクザク儲かるのは本当に凄かった。
あきまんさんが税金対策で有限会社を設立することになるくらい、スト2メインスタッフへの待遇は良いものだと思っていたので、西谷さんへの扱いはとても意外でした。
なかなか給料を上げるのは難しくても、せめてヒット作出た時は社員全員に「大入り袋」出したりヒット作出した功労者や開発部に「ボーナス弾む」のは欲しいですよね。
吉田戦車さんのマンガでもエドモンドホンダが人気でしたね。
日本のサラリーマンで億とかムリ、そんな事していたら開発に半年かかったら半年間は最低賃金くらいになるからな、しかし給料と夏冬のボーナスとは別に特別ボーナス300万円くらいと記念品(値段なんて10万円前後で良い、なにか記念になる物)くらい与えて欲しいよね
Led開発した中村教授だって 会社側が勝手に手玉取ってた
人材ガチャで超絶URを初期に何人もゲットしてしまったが故にそれが綺羅星の希少人材だと気づけず杜撰に手放してしまったなぁ、という話だ。
ダッシュから働いてた玩具店に筐体を導入して、百円で2クレジット制にして朝から子供や大人までも遊びに来てました、コインが足りなくてコインボックスから両替とかもやってましたが、そんな裏話があったとは驚きました。
92年発売のSFC版スト2も盛り上がりに大きく貢献したと思ってます
やっぱりそうだったのですね’Turboなんかをみていると、とにかく出せ、で出させたのだろうから、開発している方たちは面白くなかったろうなと思いますそれで、評価もないと言うのでは、当然離れていきますよね
91年の末くらいか92年になってからだったか、まだダッシュが出る前に会社近くで向かい合わせの対戦台見た時の衝撃は忘れられない大げさだけど、相手の顔が見えない対戦にオンラインゲームのアバターになり切る感覚のようなものを感じたと思うそれまでは確かにそれなりに客は付てたけど、CPU攻略が進むと結構空きが多い状態だったからあれは凄かったと思う、完全に流れが変わった
作り手と会社の悲しい現実ですね…。スト2から夢中になってやってましたが、そんなことになってたとは…。
電波新聞社の…今は無き、マイコンベーシックマガジン…通称、ベーマガでも、当時、初代ストⅡ対戦の熱さを独特の語り?で記事にし…盛り上がりに大きく貢献…!していたと思います…
ありがとうございますその通りです❤
意外 😮 発売直後から物凄い人気で 、並んでプレイした記憶しか無かったのでビックリです 😊 。最後の お話しは ... そりゃ疲弊もしますわな ... 。
対戦ハーネス・・・当時、社長から言われて店番しながら毎日制作させられてた記憶が・・・対戦台流行りましたよね。店によっては2Pレバーの左右を入れ替え、モニターの表裏切り替えの配線いじって、どちらも1P感覚で対戦出来る様にしていた店なんかもありましたね。
これは貴重なお話です、傍から見るにストII売れまくってウホッ!って訳でもないのですね。ただ単に会社の上層部がケチなのか、バンバン売れまくってお金は入ってくるけど社内外に知られたくない支出先があったりしたのか。カプコンのゲームってタイトルに関わらずゲーセンで割と見かけるメーカーだと思ってたんですけどね、作品ごとのクオリティも高いですし。家庭用への移植も盛んでしたよね。移植といえば、ストIIってほぼ全部のコンシューマ機に移植されてましたね。PCエンジン版は販売・発売がNECではあるものの開発はカプコンでしたよね(サイドアームも?)この辺の移植に関するエピソードなどありましたら、聞かせていただけるとありがたいです。
今回も面白かったです。いつかヴァンパイアハンター2・セイヴァー2という作品を発売した裏事情が聞きたいです。
この頃のCPSシステム等でバンバン名作を産み出しチャレンジ精神に溢れていたカプコンが好きでした。そして恐らく連ジの時代が自分の中のカプコンらしさという物を発揮していた最後の時代だったと思います。バイオからモンハン一辺倒になってしまった今のカプコンには全く興味がないです。
確かに「あの時はウハウハだったぜーー!」って感じならとっくに岡本さんの動画で取り上げられてますよね
ですねwww
一つの店に同じ基板が2枚以上入ったのって、テトリス以後ではスト2が数年ぶりになしとげた快挙だよね。普通は店に一枚なのを複数枚を買ってくれたのだから、そりゃ売れますよ。
現実は厳しいですね...ただ当時、小学校低学年でしたがこのゲーム絶対買うと思わせるぐらいカリスマ性がありました。作っていただき本当にありがとうございました。当時の開発メンバーでストリートファイターの続編作ったらどんなものができるんだろう...と日々妄想してます。
ああ、今は亡き新声社…
今で言うやりがい搾取ですね。
やりがいは働かないと得られません
あれだけの超絶メガヒットした作品なんだからボーナスくらいはまだまだ多くてもバチは当たらないですよね
今のカプコン。売り上げも凄いですが、この時にまともな経営をしていたら、売り上げも倍にはなっていたでしょうね。
本当に残念な人材が多数流出してますよね🥲
当時は毎日のようにゲーセン行ってスト2やってたし、すごい盛り上がりだったのに、社内ではそんな反応だったのか。そた西谷さんが抜けるのも仕方ない。反面SNKの格ゲーとの競争となり格ゲーブームが長引いたのも皮肉ですね
当時南大阪地区のロケで勤務してました。ストⅡが入った当時はカプコンとリース契約で発売後すぐに2台入荷し、インカムは当初良かったもののやはり1Pプレイが多くいまいち売上が少なかったです。インカムが多くなったのはゲーメストのお陰もあり対戦が流行って来て爆発した感があります。当時入ってた筐体はニューコンセプトと言う筐体で、これ椅子で座ってプレイするのですが座る位置が高いのでプレイしてたら熱くなり何故かお客さんが良く転倒してましたw松原に有ったカプコンが懐かしいです。
幼稚園児か小学生くらいでしたが水野美紀さんのチュンリーと篠原涼子さんの歌に乗せて流れるCMいまだに覚えてます
いくらスト2売れても辻本の私腹になるだけやったんやなぁ 可哀想やで
当時遊んでいた地元のおもちゃ屋さんやスーパーの屋上は2台並列の対戦台が多かった。良くも悪くも対戦相手の顔が知れて、緊張感ありセコい戦い方する人は少なかった。
社長室ワッショイワッショイで現場の給料には全く反映しなかったら悲しすぎますね😂
初代ストⅡからターボ位迄ゲーセンの仕事に関わってましたが、私が勤めていたテーブル25 ~30位のゲーセンでも初代は最初からインカム凄く良くて、速攻で基盤5枚追加購入しましたよ。(筐体リースもやってたので…)
まさかの対戦台がゲーセンの人、つまりメーカーじゃない人の発明だったとは…
良いよ🆗
カプコンからディレクタークラスの人がボコボコ抜けるのが理解できる気がするお話でしたw「カプコンの開発現場はヤバイ」というのを、当時のゲームファンはなんとなく把握してた気がします。 当時はどこもヤバかったでしょうが、カプコンは特にそういう語られ方をしていたと記憶しています(他だと旧スクウェアなんかも結構。ただこちらは「現場は地獄だが給料はいい」という評判もありました)「3作目のカプコン」なんて言葉があって、カプコンファンの私はそれを良い意味で使っていましたが、今思うとこれもシリーズを立て続けに出すからこそだよなーとw
初代スト2の時はソロプレイで遊ぶのが常識だった記憶(地元では)。ダッシュが出て対戦が流行りだし隣同士でも対戦してた。あちこちに対戦台がずらっと並んだゲーセンが登場し、遠征に遠くのゲーセンまで行ったりカツアゲされたりした思い出。
一族経営の闇w
あれだけ大ヒットしたビックリマンを企画した反後四郎さんもほとんど特別ボーナス的なものは無かったって聞きました。80~90年代の日本企業って全体的にそんな感じだったのかな
それは悲しい情報ですね😭そんなやから世界から取り残されて行くんやと僕は思います。
スⅡ大ヒットで栄光の歴史黄金時代みたいな印象を持ってたので苦渋をにじませながらの語り口を驚きました。ですが、失礼ながらその意外なところが外部の無責任なヤジウマとしてはとても興味深かったです。
普通それで人が抜けて会社おわるのにバイオとモンハン生まれるのが凄い
スト6もね。
カプコンの大恩人の西谷さんに。。。泣きそうになったわ
1からのファンは波動拳、旋風脚は問題なく、昇竜拳はたまにしか出ないという腕でもリリース当初は優位性を保っていたがすぐに追いつかれ対戦台が出てきたころには勝てそうな人を探して100円を突っ込む。勝つと下手そうなプレイをして次の挑戦者を待つ、逆にザンギなどカモと思い、挑んで秒殺されるなど、またいい勝負で負けるとまた100円投入して1分持たずに負けさらに突っ込むなど熱く金を浪費していたのはいい思い出。
全然関係ないけどTシャツかっこええなぁ〜
岡本氏が当時ゲーメストに連載していたコラムからのファンの1人ですが、今も連載当時から変わってない印象を受けました相変わらず熱い人だなぁ...とこれからも期待しています、頑張って下さい!
当時、私もJAMMAのハーネスを手作りしてました。社内的には、2P側の筐体には適当な基盤を入れておかなければならず、不人気なゲームのインカムが上がるという現象が起きていました。
経営センスと人の管理や人望って全く別物のようです。クリエイターが報われない話は他にも聞いた事があります。かといってクリエイターが経営センスがあるとは限らないから、独立しても今一つな場合も多いと思います。西谷亮は会社を維持出来ていてそれ自体立派な事なんだけど、今の立場になって本当に作りたいゲームを作れてない気がします。
はい、僕も思います
あの時代、スト2で熱い思い出を作った俺たちは本当に感謝してます。クラウドファンディングで金を集めて、ボーナスを贈りたいくらいです。スト2に熱中した人たちの中に、出してくれる人はいるでしょう。俺は金は出せないですが、宣伝ぐらいはします。
4:52 連打型→溜めキャラ→コマンドキャラブランカ→ガイル→ケン 俺氏、完全に作り手の目論見どおり
ストⅡのお祭りはカプコンではなくゲームセンターのようですね。それから30年経っても継続してストⅥが来年発売されるのはすごいことだと考えます。90年代の熱い対戦熱を知らない現在30歳以下の方はある意味不幸ですね。タイムマシンがあれば1990年代に戻って、あの熱気を再び感じたいです。今後あの熱気を再体験することは恐らく無いでしょうね。
ストⅥもそうだが13年後にハパ2、26年後にウル2とストII自体の新作が出ていることやいまだに格闘が盛んなゲーセンではスパ2Xの大会やってることからもいかにスト2がということがわかる
僕にとってもお祭りが続いてるよーな時期でした。僕もあの時代にタイムスリップしてみたいもんです。
スパ2xはゲーム史に残る芸術作品だと思います
時代が違うとは言え、最近ではブルーホールのPUBGのスタッフに大盤振る舞いした話を聞いて隔世の感がありますね。
スト2がブレイクするのに2つの要素 禁止事項である2台対面使用 宣伝の役割のゲーメスト が必要だったとはね
当時の話、西谷さんにも聞いてみて欲しいです!!!
西谷くんとも話しますけど、彼は根に持ってたりはしてないみたいです。とはいえ、外からのオファーに魅力があったのも事実です。今度ゆっくり聞いてみますね♪
おすすめに出てきたから半年ぶりに見てみたよ👓👴✌
岡本さんには申し訳ないけれど、岡本さんや他の様々な地位の方の収入や仕事のお話を聞いたりしていると上に居るだけの人間と実際に手を動かした現場の人間への待遇の大き過ぎる格差は今も殆ど改善はしていない様に思えます😅
どうなんでしょうね他社さんの話を僕は知りませんが、でらゲーでは現場の社員の月給が安いって事はなくて、取ってる子やと1.3億円+ボーナスが支払われてたので、年収やと20億円を超えてました。
@@yoshiki-okamoto1961 返信ありがとうございますm(_ _)mおおぉ・・・でらゲー凄い!😲僕は作り手とは関係はなくあくまでただ遊ぶだけの客の側の人間ではありますが、そんな自分でも直接作っている方々がこういった風に「きちんと扱ってもらっているよ」というお話を伺えると「良かったなぁ🥲」「ちゃんと報いてくれる所が在ってくれるんだ」とどこか救われた気分になります
違法改造(筐体2台繋ぎ)がヒットのスパイスになったとは…あのシステムメーカー側が狙ってやってたと思い込んでた
北浜の橋付近の建物にスト2のでっかい垂れ幕かかってたの覚えてます。話それますがインベーダーも相当やったんでしょうね。
この頃のゲーメストは昇竜拳コマンドの出し方の練習方法まで書いてありましたね。後のスト3辺りに入ってきた格ゲー新規さんにスト2のゲーメストムックを読ませてあげてたりしました。今の子たちはこういうものが無くても付いてくる。適応能力が凄い。
👓を前に90°たおして見りゃれ💁
色んな才能に溢れた人達が、みんなカプコン辞めていったのってそういう事情があったんですね。今でもゲーム会社とかSEってブラックだっていいますもんね。まだ90年代なんて年功序列やパワハラは当たり前の時代に、よくあれだけの名作を世に送り出してくれたと感動しています。
今回の話や岡本さんの話に時々出てくる『Sさん』って、「スパ2X」を「3DO」独占決めちゃったりした人と同じ方ですかね。
その方です
@@yoshiki-okamoto1961 返信ありがとうございます! 短期的な会社経営の面からみると優秀な方だったのかもしれませんが、CAPCOMの優秀な人が抜けて行ってしまったことを考えると、岡本さんや開発の方から見ると、言い方は悪いですが嫌な方だったんでしょうね…。
そういう現場からの不満からプロデューサー制度導入に至ったんかな
会社は潤っても一般社員には殆どリターンが無いというのは今も昔も変わらずなのですね。そりゃ人材流出も起こりますよ・・・
身近に、元カプコンの方居ますだけに、残念です…。大好きなタイトル、毎回楽しませてもらい、美術やデザインにワクワクしながら台に座ってましたが、見返りを現場に還してなかったのはショックですよね…。スタッフみんな、アイデア発想に体力、知力、取材を重ねに重てクオリティや驚き、作業量の倍で済まない大変な制作…。僕らが台に入れたお金の幾らかを、ちゃんと現場に還元していて欲しかったです…。
その後有力なスタッフが抜けて行った理由が分かりますね。正当な評価が為されないのは士気に影響しますよねおそらく幹部の人達には、懸命なスタッフのお陰で会社が回っているという感謝の思いがなかったのでしょうね。
ストⅡ大ヒットしても開発陣に多額のボーナスを上げられなかったのは、これまで積み上げてきた莫大な負債の支払いにストⅡの利益が流れたからかな
カリフォルニアのナパバレーに大きな土地を買ったからやないでしょうか!?
会社によって待遇は違っただろうけど、当時のカプコンの成功報酬はショボくて報われてなかったんだなあと。当時のカプコンってF3000とF3のレースを、スポンサーではなく自社でチームを作って運営してたから、そんなとこに回す金があるなら、屋台骨であるゲーム事業の人件費の方にも金回せよと、普通は思うでしょうし社員の不満も蓄積していくのもむべなるかな。
せめて500万円〜1000万円ほどボーナス出してくれてたら結果は変わってたと思うんですけどねぇ。
@@yoshiki-okamoto1961 新車の車が買えるくらいのボーナスは出してあげてほしかったですね。
髪型が好きで真似させていただいております。
てー事はバイオなんかもダラダラとシリーズが続いているのはやっぱり上の意向って事なんですかね!?1をクリアして衝撃を受け、2の発売に飛びついて、「おお!きっと次回作ではアンブレラをぶっ潰すクライマックスへの流れだな!」ってワクワクしながら3をプレイしたら話がまるで進んでなくてガッカリし・・・、1本のソフトの為にドリキャス買ってまでコードベロニカを買ってクリアしたらどーでもいい方向に話が展開してて、、「ああ、カプコンさんもうコレ話を完結させる気なんて更々無いんだなあ・・・」と落胆してその後バイオのゲームにも映画にも見向きもしなくなった自分がおりました。実に残念な過去です。
まさにな2のエンディングの次への期待感が完全に裏切られてアンブレラがいつの間にか勝手に倒産してたし、サイエンスホラーじゃなくファンタジーの方向に行ってしまったのも本当にがっかりした
期待に応えられてなくて大変申し訳ないです
アニメ「ストリートファイター2V」の制作過程についていつかお話し聴きたいです。
今の家庭用×ネットで対戦できる環境から入った人はワンプレイ25円でも高いと思うだろうな〜。隔世の感。当事者からするとたまったもんじゃないでしょうけど、優秀なクリエイターが次々独立し、枝分かれの先で色々なタイトルを出したり、フリーのイラストレーターや作曲家などで活躍するのを見ていると、どんどんスタッフが辞めていくカプコンはゲーム業界の活性化という一点においては良い部分もあるような気がしてしまいます。
最初ねストⅡをゲーセンで初めて見た時に人のやってるのを見てたんだけどその人は対戦はしてなかった一人用で遊んでたんだ、でも対戦格闘ゲームを初めて見た時は対戦なんてどうでもよかったんだ格闘ゲームは最初どういう所に面白みを感じるかというと技のカッコよさなんだストⅡは最初からそれがあった頭に鉢巻をした胴着姿の男が「波動拳!」と叫んで手からエネルギーの弾を出したんだ、どう考えてもカッコいいだろこんなの
【魔界村】で、ビルが建ったって、本当?
魔界村ではビルは建ってないでしょうね
お金にはならなくても伝説になりましたよね!
確かに当時の対戦台は向かい合わせで顔見ずに、また負けて帰る時もそいつの横通らずに店出れてた!そんな店は流行ってた!計算されてたのか。向かい席にカメラつけてたネオジオ64が流行らない訳だ。そして連打とタメだけで技が出るブランカと本田からみんな始めてたのも確か。春麗は恥ずかしかった…
今でも一定のヒット作を産んでいるから、軌道修正はしているのかな?でも空前絶後のヒット作を出したんだから、一発ドカンと欲しいですよね。
1992年にストリートファイターⅡのためにスーパーファミコンを購入しました。 スーパーマリオのカートリッジしか持っていません。 そしてWorld Warrior SF2カートリッジ。 しかし、私だけではありません。 私の意見では、任天堂はあなたのクリーチャーのおかげで多くのスーパー ファミコンを販売しています。 人々が Amiga フロッピーを複製した時代にさかのぼります!!!
意外でした。コンシューマーに移植された時はどうだったんでしょうか?
あまりにも人気だったため安易な続編を出しても売れ、儲けられるうちは儲けとけって感じで、ダッシュターボスーパーと続いた最小限の努力で大きな成果を得るって経営方針が対戦格闘を衰退させた感じがしました。面白いものを作ろうと思っても時間が過ぎていけばなにやっとんだってせかされるし天地を食らう2のエンディングでは、幽霊になった曹操が「続編出るといいなあ」って言っててそのぐらい新しいアイディアで面白いものを出すのは大変ってことが分かりましたドット絵の美しさ、いままでにないアニメパターン数、春麗の太ももで大ヒットしたんだと思いますがそれはクリエーターが作りたかったもので会社に強制されたものではありませんでした当時のゲーム雑誌に新品基盤の値段が載ってましたが25万円。ゲーセンの筐体ほぼどこもかしこもスト2ダッシュだらけでした。しかもすぐに遊べず待ち時間もあったし。魔界村も大ヒットでじぶんも夢中でやりましたけどあり得ないですよね。春麗飛翔伝説なんて恥ずいCD持ってたし
カプコンもそんな、せこいことしてたんだねスト2がそんなに売れたなら部下には臨時ボーナスを出すのがあたりまえだけど、会社と上司は潤って、部下には潤いが無かったんですね。
ロンドンのSOHOで1人プレイしてたらガラの悪そうな同年代がいきなり乱入してきた俺の初スト2初対戦。その後ロンドン近郊のゲーセンで香港人と対戦友達になったり。そのノリで直後に帰国してからも自分から乱入したりしてたら、その後入る大学の人たちと友達になったりして、良い思い出しかない。その後、ゲーム開発の仕事にも就いたし、影響受けまくりです。今はカプコン株が上がりまくってるけどニヤニヤ眺めるだけで、売りません。
貴重なお話ありがとうございました!ストⅡがヒットして、開発メンバーよりも営業マンの方がボーナス高くなったりしたのでしょうか?もしそうだとしたらやるせないですね…
いえ、営業もそんなにボーナス貰えてないはずです
@@yoshiki-okamoto1961 お忙しい中、お返事ありがとうございます!
ほんと日本の経営陣って技術者を冷遇するね~儒教的観念による文人優遇、武人(技術者)冷遇。
金欲しかったら、カプコン行くより、起業している方がマシってことですね!!
街に溢れてた筐体の数を考えると前前お安い😵
こんだけクリエーターに還元しないからどんどん有能な人がやめてっちゃうんだよ。CAPCONは・・・ヒット作を作ったみんなやめちゃったもんなー
同じ理由での退職ではないにしても、何らかの問題がある事も間違いない事実です
とあるゲーセンが始めた乱入出来る対戦台という概念が凄かった、勝ち続ければずっと遊べる 負けたら交代か連コというねつか開発側が報われないのはキツイですね
毎日働いた人には対価が発生するけど違う人には出ないんですよ。
断るのが仕事😮凄い内容。ゲーメストで見てアーケードのストⅡやり始めたのはあります😊
岡本さんはバットでストリートファイトするんやな
ストⅡの出だしの頃はサガットの次にベガが出てきたんだなーって思ってましたが、時効?だと思うので、書きますけど、阿倍野のゲームセンターでバイトしていた友人に、ストⅡの対戦がとんでもないインカム出すから見に来いと言われて、見に行ったことがあります。あの時の筐体はどこのメーカーか知りませんが、ファミコンのゲームを時間制でする筐体を使い、画面を挟んでお互いの顔を見せないようにするスタイルにびっくりしましたし、閉店まで対戦が終わらないと聞いて、どんだけ稼ぐんやろって思ってました。収入の件は、青色発光ダイオード訴訟もあって多少改善したかもしれませんが、業種問わず、同じような思いを持たれている方は多いですね・・・・今のゲーム開発の方の待遇は、改善されているのでしょうか。
どうなんでしょう…他社さんのことは知らないんですが、でらゲーの開発部員の年俸はかなり高めです
笑いが止まらないくらいもらってると思ってた
ストリートファイターが分裂してSNK+ADKVSカプコンの内戦になるからか?
ファイナルファイトのスタッフロールにあるokachanって岡本さんなんですかね
スト2はテトリスやスーパーマリオに並ぶほどハマったゲームです。しかしヒットさせても大して評価をされないと分かれば、本人もやる気をなくすし、周りで見てた人も期待しなくなって頑張ろうと思わなくなりますよね。スト2から30年、もうテトリスやスーパーマリオと並ぶような熱くなるゲームと出会っていません。
よほど良いゲームに出会わなかったんだね笑それとも、ただの懐古厨?
SNKはどんな感じやったのか気になりますね。
昔はソフトの価値の意識相当低かったですしね。昔大阪のソフマップのところでアップライト筐体で初代スト2やったの思い出しました。最初コマンド入れ方分からなくて、レバーをニュートラルから全部弾く感じでコマンド入れてたー
あんなにすごい大ヒットした【ストリートファイター2】なのに一生懸命作った人が報われていないのは悲しいですね。でも、私はストリートファイターという作品に夢や希望をもらいました。作ってくれた方々に心より感謝いたします。
おそらく一般ユーザーはストⅡシリーズの大ヒットで開発スタッフは巨万の富を得たから
西谷さん等が独立したんだと思っていた!と思います。いくらサラリーマンとはいえ、
そんなに世知辛い待遇だった事に驚きました。。。
今から考えてもやっぱり塩っぱい対応ですよね🥲
あー、どうなんでしょう。私は当時学生でしたが「まあ、カプコンで長くは働きたくないよね…。身体壊したら元も子もないし」という感想を持った記憶がありますw
才能もあって頑張っている部下の為に交渉してくれる上司はとても素晴らしいと思います。
岡本さんはよく部下には無理をさせたり怒ったりしたと話ますが、やはりどこかで人を惹きつける魅力・カリスマ性があるからこそ皆が着いてきてたんだろうと
今回のお話を聞いて改めて思いました。
逆に部下に対する接し方で、昔と今で大きく変わったりした部分等あれば是非お聞きしたいです。
私たちが楽しくスト2を遊んでいる裏でそんな出来事があったんですね
てっきりカプコンも従業員もこの世の春を謳歌しているのかと思ってました
以前話されてたコナミでも今回のカプコンでも当時の会社の基準はクリエイター職に冷たかったようですね。上層部が都合の良いようにものを考えすぎる所があるような気がします。有能な人が去っていくまで気付かない、もしくは去っても気付かない程、鈍感な感性の人達が上司というのは悲しい現実ですね。
12:00 ジョジョがカプコンの格ゲーで面白いのが最後だったのはこういう理由だったのか… でもよくそれでモンハンやバイオや連ジが生まれたよなぁ。
ダッシュのころにはすでに各ゲーセンで当たり前になってた別筐体対戦方式が
あくまでメーカー非推奨どころか禁止だったものを現場のアイデアから発生したものだったとは驚き
さらにはかつて対戦やってもその対戦が終わったら両方終わりになるようなこともあったところを
乱入勝ち抜き方式がメインになっていくところはアメリカの25セント文化の影響を受けたってのも
ただ、その当時小さなゲーセンでバイトしてたけど、
スト2は稼ぎ頭で社長はいつも笑顔で赤いポルシェを買って乗ってた。
ゲーセン内は対戦で熱気がありザクザク儲かるのは本当に凄かった。
あきまんさんが税金対策で有限会社を設立することになるくらい、スト2メインスタッフへの待遇は良いものだと思っていたので、西谷さんへの扱いはとても意外でした。
なかなか給料を上げるのは難しくても、せめてヒット作出た時は社員全員に「大入り袋」出したり
ヒット作出した功労者や開発部に「ボーナス弾む」のは欲しいですよね。
吉田戦車さんのマンガでもエドモンドホンダが人気でしたね。
日本のサラリーマンで億とかムリ、そんな事していたら開発に半年かかったら半年間は最低賃金くらいになるからな、しかし給料と夏冬のボーナスとは別に特別ボーナス300万円くらいと記念品(値段なんて10万円前後で良い、なにか記念になる物)くらい与えて欲しいよね
Led開発した中村教授だって 会社側が勝手に手玉取ってた
人材ガチャで超絶URを初期に何人もゲットしてしまったが故に
それが綺羅星の希少人材だと気づけず杜撰に手放してしまったなぁ、という話だ。
ダッシュから働いてた玩具店に筐体を導入して、百円で2クレジット制にして朝から子供や大人までも遊びに来てました、コインが足りなくてコインボックスから両替とかもやってましたが、そんな裏話があったとは驚きました。
92年発売のSFC版スト2も盛り上がりに大きく貢献したと思ってます
やっぱりそうだったのですね
’Turboなんかをみていると、とにかく出せ、で出させたのだろうから、開発している方たちは面白くなかったろうなと思います
それで、評価もないと言うのでは、当然離れていきますよね
91年の末くらいか92年になってからだったか、まだダッシュが出る前に
会社近くで向かい合わせの対戦台見た時の衝撃は忘れられない
大げさだけど、相手の顔が見えない対戦にオンラインゲームのアバターになり切る感覚のようなものを感じたと思う
それまでは確かにそれなりに客は付てたけど、CPU攻略が進むと結構空きが多い状態だったから
あれは凄かったと思う、完全に流れが変わった
作り手と会社の悲しい現実ですね…。
スト2から夢中になってやってましたが、そんなことになってたとは…。
電波新聞社の…今は無き、マイコンベーシックマガジン…通称、ベーマガでも、当時、初代ストⅡ対戦の熱さを独特の語り?で記事にし…盛り上がりに大きく貢献…!していたと思います…
ありがとうございます
その通りです❤
意外 😮 発売直後から物凄い人気で 、並んでプレイした記憶しか無かったのでビックリです 😊 。最後の お話しは ... そりゃ疲弊もしますわな ... 。
対戦ハーネス・・・
当時、社長から言われて店番しながら毎日制作させられてた記憶が・・・
対戦台流行りましたよね。
店によっては2Pレバーの左右を入れ替え、モニターの表裏切り替えの配線いじって、
どちらも1P感覚で対戦出来る様にしていた店なんかもありましたね。
これは貴重なお話です、傍から見るにストII売れまくってウホッ!って訳でもないのですね。
ただ単に会社の上層部がケチなのか、バンバン売れまくってお金は入ってくるけど社内外に知られたくない支出先があったりしたのか。
カプコンのゲームってタイトルに関わらずゲーセンで割と見かけるメーカーだと思ってたんですけどね、作品ごとのクオリティも高いですし。家庭用への移植も盛んでしたよね。
移植といえば、ストIIってほぼ全部のコンシューマ機に移植されてましたね。PCエンジン版は販売・発売がNECではあるものの開発はカプコンでしたよね(サイドアームも?)
この辺の移植に関するエピソードなどありましたら、聞かせていただけるとありがたいです。
今回も面白かったです。いつかヴァンパイアハンター2・セイヴァー2という作品を発売した裏事情が聞きたいです。
この頃のCPSシステム等でバンバン名作を産み出しチャレンジ精神に溢れていたカプコンが好きでした。
そして恐らく連ジの時代が自分の中のカプコンらしさという物を発揮していた最後の時代だったと思います。
バイオからモンハン一辺倒になってしまった今のカプコンには全く興味がないです。
確かに「あの時はウハウハだったぜーー!」って感じなら
とっくに岡本さんの動画で取り上げられてますよね
ですねwww
一つの店に同じ基板が2枚以上入ったのって、テトリス以後ではスト2が数年ぶりになしとげた快挙だよね。普通は店に一枚なのを複数枚を買ってくれたのだから、そりゃ売れますよ。
現実は厳しいですね...ただ当時、小学校低学年でしたがこのゲーム絶対買うと思わせるぐらいカリスマ性がありました。作っていただき本当にありがとうございました。当時の開発メンバーでストリートファイターの続編作ったらどんなものができるんだろう...と日々妄想してます。
ああ、今は亡き新声社…
今で言うやりがい搾取ですね。
やりがいは働かないと得られません
あれだけの超絶メガヒットした作品なんだからボーナスくらいはまだまだ多くてもバチは当たらないですよね
今のカプコン。売り上げも凄いですが、この時にまともな経営をしていたら、売り上げも倍にはなっていたでしょうね。
本当に残念な人材が多数流出してますよね🥲
当時は毎日のようにゲーセン行ってスト2やってたし、すごい盛り上がりだったのに、社内ではそんな反応だったのか。そた西谷さんが抜けるのも仕方ない。反面SNKの格ゲーとの競争となり格ゲーブームが長引いたのも皮肉ですね
当時南大阪地区のロケで勤務してました。
ストⅡが入った当時はカプコンとリース契約で発売後すぐに2台入荷し、インカムは当初良かったものの
やはり1Pプレイが多くいまいち売上が少なかったです。
インカムが多くなったのはゲーメストのお陰もあり対戦が流行って来て爆発した感があります。
当時入ってた筐体はニューコンセプトと言う筐体で、これ椅子で座ってプレイするのですが座る位置が高いのでプレイしてたら熱くなり何故かお客さんが良く転倒してましたw
松原に有ったカプコンが懐かしいです。
幼稚園児か小学生くらいでしたが水野美紀さんのチュンリーと篠原涼子さんの歌に乗せて流れるCMいまだに覚えてます
いくらスト2売れても辻本の私腹になるだけやったんやなぁ 可哀想やで
当時遊んでいた地元のおもちゃ屋さんやスーパーの屋上は2台並列の対戦台が多かった。
良くも悪くも対戦相手の顔が知れて、緊張感ありセコい戦い方する人は少なかった。
社長室ワッショイワッショイで
現場の給料には全く反映しなかったら悲しすぎますね😂
初代ストⅡからターボ位迄ゲーセンの仕事に関わってましたが、私が勤めていたテーブル25 ~30位のゲーセンでも初代は最初からインカム凄く良くて、速攻で基盤5枚追加購入しましたよ。(筐体リースもやってたので…)
まさかの対戦台がゲーセンの人、つまりメーカーじゃない人の発明だったとは…
良いよ🆗
カプコンからディレクタークラスの人がボコボコ抜けるのが理解できる気がするお話でしたw
「カプコンの開発現場はヤバイ」というのを、当時のゲームファンはなんとなく把握してた気がします。 当時はどこもヤバかったでしょうが、カプコンは特にそういう語られ方をしていたと記憶しています(他だと旧スクウェアなんかも結構。ただこちらは「現場は地獄だが給料はいい」という評判もありました)
「3作目のカプコン」なんて言葉があって、カプコンファンの私はそれを良い意味で使っていましたが、今思うとこれもシリーズを立て続けに出すからこそだよなーとw
初代スト2の時はソロプレイで遊ぶのが常識だった記憶(地元では)。ダッシュが出て対戦が流行りだし隣同士でも対戦してた。あちこちに対戦台がずらっと並んだゲーセンが登場し、遠征に遠くのゲーセンまで行ったりカツアゲされたりした思い出。
一族経営の闇w
あれだけ大ヒットしたビックリマンを企画した反後四郎さんもほとんど特別ボーナス的なものは無かったって聞きました。80~90年代の日本企業って全体的にそんな感じだったのかな
それは悲しい情報ですね😭
そんなやから世界から取り残されて行くんやと僕は思います。
スⅡ大ヒットで栄光の歴史黄金時代みたいな印象を持ってたので
苦渋をにじませながらの語り口を驚きました。
ですが、失礼ながらその意外なところが外部の無責任なヤジウマとしてはとても興味深かったです。
普通それで人が抜けて会社おわるのにバイオとモンハン生まれるのが凄い
スト6もね。
カプコンの大恩人の西谷さんに。。。泣きそうになったわ
1からのファンは波動拳、旋風脚は問題なく、昇竜拳はたまにしか出ないという腕でもリリース当初は優位性を保っていたがすぐに追いつかれ対戦台が出てきたころには勝てそうな人を探して100円を突っ込む。勝つと下手そうなプレイをして次の挑戦者を待つ、逆にザンギなどカモと思い、挑んで秒殺されるなど、またいい勝負で負けるとまた100円投入して1分持たずに負けさらに突っ込むなど熱く金を浪費していたのはいい思い出。
全然関係ないけどTシャツかっこええなぁ〜
岡本氏が当時ゲーメストに連載していたコラムからのファンの1人ですが、今も連載当時から変わってない印象を受けました
相変わらず熱い人だなぁ...と
これからも期待しています、頑張って下さい!
当時、私もJAMMAのハーネスを手作りしてました。社内的には、2P側の筐体には適当な基盤を入れておかなければならず、不人気なゲームのインカムが上がるという現象が起きていました。
経営センスと人の管理や人望って全く別物のようです。クリエイターが報われない話は他にも聞いた事があります。かといってクリエイターが経営センスがあるとは限らないから、独立しても今一つな場合も多いと思います。西谷亮は会社を維持出来ていてそれ自体立派な事なんだけど、今の立場になって本当に作りたいゲームを作れてない気がします。
はい、僕も思います
あの時代、スト2で熱い思い出を作った俺たちは本当に感謝してます。
クラウドファンディングで金を集めて、ボーナスを贈りたいくらいです。
スト2に熱中した人たちの中に、出してくれる人はいるでしょう。
俺は金は出せないですが、宣伝ぐらいはします。
4:52 連打型→溜めキャラ→コマンドキャラ
ブランカ→ガイル→ケン
俺氏、完全に作り手の目論見どおり
ストⅡのお祭りはカプコンではなくゲームセンターのようですね。
それから30年経っても継続してストⅥが来年発売されるのはすごいことだと考えます。
90年代の熱い対戦熱を知らない現在30歳以下の方はある意味不幸ですね。
タイムマシンがあれば1990年代に戻って、あの熱気を再び感じたいです。
今後あの熱気を再体験することは恐らく無いでしょうね。
ストⅥもそうだが13年後にハパ2、26年後にウル2とストII自体の新作が出ていることや
いまだに格闘が盛んなゲーセンではスパ2Xの大会やってることからも
いかにスト2がということがわかる
僕にとってもお祭りが続いてるよーな時期でした。
僕もあの時代にタイムスリップしてみたいもんです。
スパ2xはゲーム史に残る芸術作品だと思います
時代が違うとは言え、最近ではブルーホールのPUBGのスタッフに大盤振る舞いした話を聞いて隔世の感がありますね。
スト2がブレイクするのに2つの要素 禁止事項である2台対面使用 宣伝の役割のゲーメスト が必要だったとはね
当時の話、西谷さんにも聞いてみて欲しいです!!!
西谷くんとも話しますけど、
彼は根に持ってたりはしてないみたいです。
とはいえ、
外からのオファーに魅力があったのも事実です。
今度ゆっくり聞いてみますね♪
おすすめに出てきたから
半年ぶりに見てみたよ👓👴✌
岡本さんには申し訳ないけれど、岡本さんや他の様々な地位の方の収入や仕事のお話を聞いたりしていると
上に居るだけの人間と実際に手を動かした現場の人間への待遇の大き過ぎる格差は今も殆ど改善はしていない様に思えます😅
どうなんでしょうね
他社さんの話を僕は知りませんが、
でらゲーでは現場の社員の月給が安いって事はなくて、
取ってる子やと1.3億円+ボーナスが支払われてたので、
年収やと20億円を超えてました。
@@yoshiki-okamoto1961 返信ありがとうございますm(_ _)m
おおぉ・・・でらゲー凄い!😲
僕は作り手とは関係はなくあくまでただ遊ぶだけの客の側の人間ではありますが、
そんな自分でも直接作っている方々がこういった風に「きちんと扱ってもらっているよ」というお話を伺えると
「良かったなぁ🥲」「ちゃんと報いてくれる所が在ってくれるんだ」とどこか救われた気分になります
違法改造(筐体2台繋ぎ)がヒットのスパイスになったとは…
あのシステムメーカー側が狙ってやってたと思い込んでた
北浜の橋付近の建物にスト2のでっかい垂れ幕かかってたの覚えてます。
話それますがインベーダーも相当やったんでしょうね。
この頃のゲーメストは昇竜拳コマンドの出し方の練習方法まで書いてありましたね。
後のスト3辺りに入ってきた格ゲー新規さんにスト2のゲーメストムックを読ませてあげてたりしました。
今の子たちはこういうものが無くても付いてくる。適応能力が凄い。
👓を前に90°たおして見りゃれ💁
色んな才能に溢れた人達が、みんなカプコン辞めていったのってそういう事情があったんですね。
今でもゲーム会社とかSEってブラックだっていいますもんね。
まだ90年代なんて年功序列やパワハラは当たり前の時代に、よくあれだけの名作を世に送り出してくれたと感動しています。
今回の話や岡本さんの話に時々出てくる『Sさん』って、「スパ2X」を「3DO」独占決めちゃったりした人と同じ方ですかね。
その方です
@@yoshiki-okamoto1961 返信ありがとうございます! 短期的な会社経営の面からみると優秀な方だったのかもしれませんが、CAPCOMの優秀な人が抜けて行ってしまったことを考えると、岡本さんや開発の方から見ると、言い方は悪いですが嫌な方だったんでしょうね…。
そういう現場からの不満から
プロデューサー制度導入に至ったんかな
会社は潤っても一般社員には殆どリターンが無いというのは今も昔も変わらずなのですね。
そりゃ人材流出も起こりますよ・・・
身近に、元カプコンの方居ますだけに、残念です…。
大好きなタイトル、毎回楽しませてもらい、美術やデザインにワクワクしながら台に座ってましたが、見返りを現場に還してなかったのはショックですよね…。
スタッフみんな、アイデア発想に体力、知力、取材を重ねに重てクオリティや驚き、作業量の倍で済まない大変な制作…。
僕らが台に入れたお金の幾らかを、ちゃんと現場に還元していて欲しかったです…。
その後有力なスタッフが抜けて行った理由が分かりますね。正当な評価が為されないのは士気に影響しますよね
おそらく幹部の人達には、懸命なスタッフのお陰で会社が回っているという感謝の思いがなかったのでしょうね。
ストⅡ大ヒットしても開発陣に多額のボーナスを上げられなかったのは、これまで積み上げてきた莫大な負債の支払いにストⅡの利益が流れたからかな
カリフォルニアのナパバレーに大きな土地を買ったからやないでしょうか!?
会社によって待遇は違っただろうけど、当時のカプコンの成功報酬はショボくて報われてなかったんだなあと。当時のカプコンってF3000とF3のレースを、スポンサーではなく自社でチームを作って運営してたから、そんなとこに回す金があるなら、屋台骨であるゲーム事業の人件費の方にも金回せよと、普通は思うでしょうし社員の不満も蓄積していくのもむべなるかな。
せめて500万円〜1000万円ほどボーナス出してくれてたら結果は変わってたと思うんですけどねぇ。
@@yoshiki-okamoto1961 新車の車が買えるくらいのボーナスは出してあげてほしかったですね。
髪型が好きで真似させていただいております。
てー事はバイオなんかもダラダラとシリーズが続いているのはやっぱり上の意向って事なんですかね!?
1をクリアして衝撃を受け、2の発売に飛びついて、
「おお!きっと次回作ではアンブレラをぶっ潰すクライマックスへの流れだな!」
ってワクワクしながら3をプレイしたら話がまるで進んでなくてガッカリし・・・、
1本のソフトの為にドリキャス買ってまでコードベロニカを買ってクリアしたらどーでもいい方向に話が展開してて、、
「ああ、カプコンさんもうコレ話を完結させる気なんて更々無いんだなあ・・・」と落胆してその後バイオのゲームにも映画にも見向きもしなくなった自分がおりました。
実に残念な過去です。
まさにな
2のエンディングの次への期待感が完全に裏切られてアンブレラがいつの間にか勝手に倒産してたし、サイエンスホラーじゃなくファンタジーの方向に行ってしまったのも本当にがっかりした
期待に応えられてなくて大変申し訳ないです
アニメ「ストリートファイター2V」の制作過程についていつかお話し聴きたいです。
今の家庭用×ネットで対戦できる環境から入った人はワンプレイ25円でも高いと思うだろうな〜。隔世の感。
当事者からするとたまったもんじゃないでしょうけど、優秀なクリエイターが次々独立し、枝分かれの先で色々なタイトルを出したり、フリーのイラストレーターや作曲家などで活躍するのを見ていると、どんどんスタッフが辞めていくカプコンはゲーム業界の活性化という一点においては良い部分もあるような気がしてしまいます。
最初ねストⅡをゲーセンで初めて見た時に人のやってるのを見てたんだけど
その人は対戦はしてなかった一人用で遊んでたんだ、でも対戦格闘ゲームを初めて見た時は対戦なんてどうでもよかったんだ
格闘ゲームは最初どういう所に面白みを感じるかというと技のカッコよさなんだストⅡは最初からそれがあった
頭に鉢巻をした胴着姿の男が「波動拳!」と叫んで手からエネルギーの弾を出したんだ、どう考えてもカッコいいだろこんなの
【魔界村】で、ビルが建ったって、本当?
魔界村ではビルは建ってないでしょうね
お金にはならなくても伝説になりましたよね!
確かに当時の対戦台は向かい合わせで顔見ずに、また負けて帰る時もそいつの横通らずに店出れてた!そんな店は流行ってた!計算されてたのか。向かい席にカメラつけてたネオジオ64が流行らない訳だ。そして連打とタメだけで技が出るブランカと本田からみんな始めてたのも確か。春麗は恥ずかしかった…
今でも一定のヒット作を産んでいるから、軌道修正はしているのかな?
でも空前絶後のヒット作を出したんだから、一発ドカンと欲しいですよね。
1992年にストリートファイターⅡのためにスーパーファミコンを購入しました。 スーパーマリオのカートリッジしか持っていません。 そしてWorld Warrior SF2カートリッジ。 しかし、私だけではありません。 私の意見では、任天堂はあなたのクリーチャーのおかげで多くのスーパー ファミコンを販売しています。 人々が Amiga フロッピーを複製した時代にさかのぼります!!!
意外でした。コンシューマーに移植された時はどうだったんでしょうか?
あまりにも人気だったため安易な続編を出しても売れ、儲けられるうちは儲けとけって感じで、ダッシュターボスーパーと続いた
最小限の努力で大きな成果を得るって経営方針が対戦格闘を衰退させた感じがしました。面白いものを作ろうと思っても時間が過ぎていけばなにやっとんだってせかされるし
天地を食らう2のエンディングでは、幽霊になった曹操が「続編出るといいなあ」って言っててそのぐらい新しいアイディアで面白いものを出すのは大変ってことが分かりました
ドット絵の美しさ、いままでにないアニメパターン数、春麗の太ももで大ヒットしたんだと思いますがそれはクリエーターが作りたかったもので会社に強制されたものではありませんでした
当時のゲーム雑誌に新品基盤の値段が載ってましたが25万円。ゲーセンの筐体ほぼどこもかしこもスト2ダッシュだらけでした。しかもすぐに遊べず待ち時間もあったし。魔界村も大ヒットでじぶんも夢中でやりましたけど
あり得ないですよね。春麗飛翔伝説なんて恥ずいCD持ってたし
カプコンもそんな、せこいことしてたんだねスト2がそんなに売れたなら部下には臨時ボーナスを
出すのがあたりまえだけど、会社と上司は潤って、部下には潤いが無かったんですね。
ロンドンのSOHOで1人プレイしてたらガラの悪そうな同年代がいきなり乱入してきた俺の初スト2初対戦。
その後ロンドン近郊のゲーセンで香港人と対戦友達になったり。
そのノリで直後に帰国してからも自分から乱入したりしてたら、その後入る大学の人たちと友達になったりして、良い思い出しかない。
その後、ゲーム開発の仕事にも就いたし、影響受けまくりです。
今はカプコン株が上がりまくってるけどニヤニヤ眺めるだけで、売りません。
貴重なお話ありがとうございました!
ストⅡがヒットして、開発メンバーよりも営業マンの方がボーナス高くなったりしたのでしょうか?
もしそうだとしたらやるせないですね…
いえ、営業もそんなにボーナス貰えてないはずです
@@yoshiki-okamoto1961
お忙しい中、お返事ありがとうございます!
ほんと日本の経営陣って技術者を冷遇するね~
儒教的観念による文人優遇、武人(技術者)冷遇。
金欲しかったら、カプコン行くより、起業している方がマシってことですね!!
街に溢れてた筐体の数を考えると前前お安い😵
こんだけクリエーターに還元しないからどんどん有能な人がやめてっちゃうんだよ。CAPCONは・・・
ヒット作を作ったみんなやめちゃったもんなー
同じ理由での退職ではないにしても、
何らかの問題がある事も間違いない事実です
とあるゲーセンが始めた乱入出来る対戦台という概念が凄かった、勝ち続ければずっと遊べる 負けたら交代か連コというね
つか開発側が報われないのはキツイですね
毎日働いた人には対価が発生するけど違う人には出ないんですよ。
断るのが仕事😮凄い内容。
ゲーメストで見てアーケードのストⅡやり始めたのはあります😊
岡本さんはバットでストリートファイトするんやな
ストⅡの出だしの頃はサガットの次にベガが出てきたんだなーって思ってましたが、
時効?だと思うので、書きますけど、阿倍野のゲームセンターでバイトしていた友人に、
ストⅡの対戦がとんでもないインカム出すから見に来いと言われて、見に行ったことがあります。
あの時の筐体はどこのメーカーか知りませんが、ファミコンのゲームを時間制でする筐体を使い、
画面を挟んでお互いの顔を見せないようにするスタイルにびっくりしましたし、閉店まで対戦が終わらないと聞いて、
どんだけ稼ぐんやろって思ってました。
収入の件は、青色発光ダイオード訴訟もあって多少改善したかもしれませんが、
業種問わず、同じような思いを持たれている方は多いですね・・・・
今のゲーム開発の方の待遇は、改善されているのでしょうか。
どうなんでしょう…
他社さんのことは知らないんですが、
でらゲーの開発部員の年俸はかなり高めです
笑いが止まらないくらいもらってると思ってた
ストリートファイターが分裂してSNK+ADKVSカプコンの内戦になるからか?
ファイナルファイトのスタッフロールにあるokachanって岡本さんなんですかね
スト2はテトリスやスーパーマリオに並ぶほどハマったゲームです。
しかしヒットさせても大して評価をされないと分かれば、本人もやる気をなくすし、
周りで見てた人も期待しなくなって頑張ろうと思わなくなりますよね。
スト2から30年、もうテトリスやスーパーマリオと並ぶような
熱くなるゲームと出会っていません。
よほど良いゲームに出会わなかったんだね笑
それとも、ただの懐古厨?
SNKはどんな感じやったのか気になりますね。
昔はソフトの価値の意識相当低かったですしね。昔大阪のソフマップのところでアップライト筐体で初代スト2やったの思い出しました。最初コマンド入れ方分からなくて、レバーをニュートラルから全部弾く感じでコマンド入れてたー