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カプコンのプログラマーは必死にヒット作ストリートファイターを作ったが、担当者の給料はほとんど上がらなかった。会社の対応に絶望したプログラマー達は退職して別のゲーム会社を作ったという。カプコンは社長の親戚の役員たちが訳の分からん事業にストリートファイターで儲けた金を投じて、次々と数億円の損害を作った。このためカプコンは金を失ったが、それ以降もプログラマーの給料を上げる、などという考えは持たなかった。
「波動拳!」この音声だけで「ゲームがしゃべってる!」と驚いた。この感動は今の若い人はわからないだろうな。
ピヨる。って言葉は…スト2から広まった。
熱帯魚販売してる店舗の2階にスト2の筐体設置されてたり、文房具屋にレインボーあったりで自販機並に生活に溶け込んでたのがスト2。
ストⅡのダッシュターボの頃はもう、大手チェーンのゲーセンは「アミューズメントゾーン化」してたから、薄暗くて不良のたまり場のイメージは少なくともチェーン店では払拭されてたけど……(地方の個人経営はその限りじゃないんだろうけど)
キャラクターのアニメーションや挙動やシステムやグラフィックのすべてが当時の他のゲームを圧倒していたんだよなあ今でもスト2Xが遊ばれてるぐらい、スト2だけ30年以上先を行っていたゲームだといってもおかしくなかったのかも
スト2あればそれだけでゲーム機に人がいっぱい何処でも同じような光景スト2ダッシュ以降が分かれ道ゲーセン離れるかそのままやり続けるかで。
ゲーセンのはよく知らなくて、SFC版が発表された時にゲーセンに見に行ったぐらいだったなぁ地面のラインスクロールに凄いなぁと思った記憶があるわSSFC版が出てからは、友達みんなで狂ったようにやってたわw
ずっと勝ち続けている奴を倒す掃除屋みたいな人がゲーセンで働いていた
当時はもうゲーセンに入ったら「はどーけん、はどーけん、よがふぁいやー」って音がこだましていたのよ、ずっと。
それとダルシムステージの像の鳴き声がやたらに響いてましたねw それにUFOキャッチャーから流れるソニックのBGM
CAPCOMは大阪が誇る老舗のスーパーゲーム会社
当時ゲーセン店員をしてました。ダッシュの頃がピークだったと思います。当時よくいた奴・・・「強キックの連射が出来ない」と言ってくる奴。
ザンギエフがソ連でフェイロン出身国の国旗がイギリスになってたりして時代を感じさせられます。
当時はゲーセンだけじゃなくて、田舎の駄菓子屋、床屋などの商店の店先、駅のスーパー、ホテル、ありとあらゆる所にゲーム筐体が置いてあってスト2があった。そういう場所はゲーセンより危険な人は居ないから子供たちが集まってスト2やってたな対戦台が出来た後は道場破りのような遠征文化が生まれてネット対戦じゃ味わえない地域性があったし伝説が生まれた
当時は学校でゲームセンターは禁止でゲームコーナはOKでしたね、なおゲーセン行ったのバレたら先生にしばかれましたw
俺は断然ネオジオ格闘派
格ゲー音痴だから波動拳みたいな基本のコマンドも満足に出せなかったが見ていて面白いんだよな
ジャッキーはシティハンターでやってたな
リュウトケンの違いは、リュウが気絶しやすいのではなく、気絶モーション時にダメージが倍になるバグがあるという話だったと思います。「Dアツシ&Tヒロちゃんねる」さんでその検証動画が投稿されていますし、開発者の岡本吉起さんも自身のチャンネルでそのように解説していました。
ただ、CPUではケンは初心者に容赦ない攻撃・・・二人共、必殺技を連発する、リュウは波動拳を、ケンは昇龍拳を連発する、クセがあった、
正確に言えばリュウの気絶モーションが前傾の時にダメージを与えると攻撃したダメージ量が倍になるというもの。気絶モーションは前傾からスタートするので、起き上がり直後にダメージを重ねるだけで大ダメージを与えられた。
発売当時、ゲーセンで初プレイした時は魅力的なキャラの数々とクオリティの高さに衝撃を受けました。ストⅡが今に至る格ゲージャンルを確立させた全ての始まりと言っても過言ではありません。少年時代に格ゲーの進化の過程をリアルタイムで見てこれたのは本当に幸せでした。
時は1992年。毎日のように部活動終わってからゲームコーナーでやってました。うまい人の背後には見物の人集り。ネットが無い時代、うまい人のテクを盗み見して上手くなっていきました。
むかし、小学生の頃、乱入されてギリギリ負けた時「もう一回やろう」って100円くれた高校生くらいのお兄さん思い出した。今はいいオッサンになっているのだろうけどあの時、乱入対戦って相手のレベル見てから乱入する人多くて嫌悪感持ってたけど、楽しみ方の一つを教えてくれた初めての人でした。
リュウは気絶しやすかったんじゃなくて、気絶中にダメージが2倍になる試作当初の仕様が消し忘れられてた。
恐らく当時の中高生の殆どがスト2を初めて見た瞬間に「これ絶対おオモロいゲームや」って感じたはず
あれ?リュウが「病気持ち」って言われてた理由、「気絶モーションの一部のみ、ダメージを多く食らうバグがあるから」じゃなかったっけ?
確かに昔のゲーセンはそのままリアルファイトに繋がる事も珍しくなかった
余裕なかったからなwバーチャ3や鉄拳3あたりから一本は取らせてやる余裕が出はじめた
新聞報道も小さく扱われましたしね
マジでキレて昇龍拳をやってるヤツ居たぞ(笑)
ストⅡは本当楽しかったな。
寂れた映画館でアニメのストリートファイターの上映件があり、上映すると超満員家族で営業していた映画館の人の驚きと喜びは計り知れなかった。
対戦台でガイルで投げハメをしたら相手が「お前!今ハメたやろ?」ってキレて、ゲームが終わったら本当のガチのリアルストリートファイトが始まる。
灰皿のソニックブームが飛んできましたねw
当時のゲーセンは怖い人が多くて入るのもドキドキ、100円入れてプレイするのもドキドキだった乱入されただけで体が震えたのを覚えてる
@@換捌部 DQNがめちゃくちゃいたからストレス解消したい時はゲーセンに行けば喧嘩相手には困らなかった一人ずつ裏に連れ出していざリアルファイトを始めると喧嘩もまともにした事ないような見掛け倒しの人ばっかりだったw
小さいとき近所のゲーム屋でスト2勝ちぬき大会があって、ハメまくって10連勝してゲームソフトをもらったことがあるあの時は子供だったから何も考えずにハメてたけど、もう少し大きかったら後で対戦した相手が待ち伏せしてて「お前こっち来い」ってなってたかもしれない
6ボタンは初代ストリートファイターの通常筐体からなんだが・・・。それを流用したのがスト2だろ
ストリートファイターを始めとする格闘ゲームの影響でGガンダムが格闘ものとなった
私はストIIダッシュからだったけど、とある場所に行く際にゲーメスト増刊号を買い、それで本田、バイソン使いになった😊
懐かしいですね!
海外版のキャラは名前が入れ替ってた!バイソンとベガとか!
カプコン本社にカプコンUSAからの指摘で日本仕様のままだとアメリカで肖像権等で裁判起こされるので已むを得ず海外仕様はキャラ名を入れ替えるしかなかったとの事ですね、、
対戦台が出来てからが凄かった当時田舎のゲーセンでバイトしてたけどキャッシュボックスが溢れ運営会社から大入り袋が支給されるほどだった
ストツーでは中学の時に買ってやっていた時がありました。確かだいぶ前に、海外に行く飛行機の中でも確かこのゲームが出来るようになっていたのを思い出しますね。
SUPER辺りから、リュウとケンの差が結構シビアになったよな。
ストツーは衝撃的だった!!今みたいに情報もなかったから人がやってるのをみるためだけにゲーセンに行ったり、今思うと凄いブームだった
まさしくストⅡあってこその格ゲー、ストⅡあっての今の全てのゲーセンの改革、まさしく社会の全てを変えたゲーム作品。自分のストリートファイターシリーズ好きも全てはこの作品からです。
なんか稼働率高すぎてやたらとボタンがぶっ壊れてた記憶があるなぁ6個のボタンが全部違う色、なんて筐体もあった記憶
スト2の筐体は駄菓子屋やおもちゃ屋にもあった。
昔僕の地元なんか餃子の王将にスト2置いてた
同じコマンドなのに、初代と波動拳の入力タイミングが違うから、初代慣れしてた俺は波動拳が中々出せなかったんだよね。( ̄▽ ̄;)餓狼伝説も。これ、俺だけじゃないはず。
「ストリートファイター」が圧力センサー式の2ボタンだったのはアップライトという立って遊ぶ筐体用のやつですね。テーブル筐体用のは普通に弱中強のパンチとキックの6ボタン式のが出てましたよ。
本当にあの頃はどこにでも置いてあった。スーファミもよかったが、とにかくゲーセンは「ゲームの未來」が詰まってる感じがした。
筐体によるプレイアビリティやサウンドの迫力は、ゲーセンが圧倒的だったな。家庭用の完全移植では絶対にかなわない魅力があった。
地元に初めて稼働した時は何をすれば良いのかわからず客入りはそこまででもなかったです1月経つといろいろわかるようになり人が群れ始め、2月経った頃にはたった一台に永井列が出来る程の人気になりましたやがていろんな店で遊べる様になり対戦の面白さがわかりだすと、土日祝日はゲーセンに人が溢れんばかりに集まる様に遂にはツテ等を使って基盤まで買う猛者まで出る様にこのゲームにより対戦格闘ゲームの歴史が始まったのだなと感じますね 当時は凄かったなぁ
ずっとSFC版をやっててコンボとかもできるようになって難易度8でもクリア出来るようになっても、ゲーセンに行ったらスティック操作で波動拳すら満足に出せなくてCPUに全然勝てなかったなぁ
自分もSFCメインでしたが、アーケード派からすると逆に「よく十字キーで必殺技出せるな・・」ってなるんですよね。
筐体にコントローラ挿せれたらええのにね
LR使いにくいやろ
スト2の恐ろしいところはスト1から尋常でないぐらいクオリティが上がった上に同系列のスパ2Xが2022年現在でも遊ばれているところ。他にそういったゲームは中々見ないですね。
リュウのめくりは中Kより大Kの方がやりやすいのではあとめくりというワードはゲーメストのライターが「背中の皮めくりだあー」と言いながら対戦していて記事に書いたら定着した
ストIIのアニメ映画、篠原涼子が歌う主題歌が爆売れしたな〜
糸井重里〜
最近本人カバー出たよ
ジャッキー・チェンはその後、映画シティーハンターで春麗のコスプレをするのですw
シティハンター見ました!確か悪役がケンにコスプレしてジャッキー・チェンが春麗でしたね
まずはエドモンド
ケン役の人がガイルのソニックブームと打ち合ってたけどラストに真空波動拳みたいな技打ってましたねw…真空波動拳の先駆けはシティーハンターだったのか!?
@@直人幸田 あれ?エドモンド本田が先じゃない?
エドモンドが先でチュンリーがその後
格ゲーの基礎中の基礎を築いた作品だね。俺はお小遣いを貰ってなかったから中々乱入する事ができなかったけどそれでも学校の帰りに友達とよく行ってたね✨みんな100円玉を持って画面をみながら順番待ちをしていたのが懐かしいね。
当時小学生、市内全ての小中高でゲーセン=不良の行くところだから禁止の決まりになってて結局ゲーセンで対戦格闘デビューできず家でSFC版しかやらなかったなぁ。
香港版シティーハンターで春麗ジャッキーなら見れるぞ
スト1でも弱中強の3ボタン(計6ボタン)の筐体あったけどな。
×:気絶しやすかった 〇;気絶モーションの1コマ目だけ非ダメージが倍(カウンターが設定されていた)
今更なんですがスト2の描画フレームは正確には59.2か59.3ですね今とは描画技術が根底から違っている(割愛)ので算出するとこのあたりの数字に。まぁお伝えしたかったのはこっからでして、初代スト2は約60fpsだったものの、当時のブラウン管は大半が30fpsに統一されていたので、実質みんな30fpsでプレイしてました。ターボかスーパーでちょっと動きが見易くなった!って言われたのは単に筐体が良くなっただけだったりします。当時家のテレビでスーファミ版とかプレイしてた人は漏れなく30fpsですね。灰皿ソニックを教科書エイジスで跳ね返してたのが懐かしい…🧔
朝昇龍が力士にいた時代に夜波動、昼竜巻と言ってやっていた。
ゲーメスト、懐かしいっすね!
子供の頃は勝っても怒られないザンギを使って対戦してましたね
スト2のせいでインド人はみんな手足が伸びると思っていた。
春麗の下段強キックでポーズかけなかったプレイヤーはいない・・・今の両足キックは何か違うんだよなぁ・・・
春麗はどのシリーズも魅力的です。ゼロシリーズは露出度が下がってガッカリだけど。
スピニングバードキック中にスタートボタンを押したのは俺だけではないはず(´・ω・`)
負けて倒れてる時がいい!
こんなに凄いゲームなのに、なんで筋肉少女帯の曲は売れなかったのかなあ
カラオケにはまだあるよね(* ̄ii ̄)メジャーにはなりにくい路線とかやったんやろな(:3_ヽ)_マニアックなのばっかりを好きになる俺が大好きになる訳だよ((└(:3」┌)┘))筋少LOVE
篠原涼子はダブルミリオンだったのに…(泣)
大槻ケンヂはいいヴォーカルだけど歌上手いとは言えないからなあ90年代初頭だとまだ歌謡曲の名残りが強かったしカラオケ歌唱で映える曲じゃないと売れなかったから・・・
混ぜるな危険で知名度上がったやん
最初めっちゃ気になった「なんで2なの??」という疑問。ネットも無かった当時、スト1の存在を知るまで大分かかりました。今ではVCとかで1も割と気軽にプレイできるけど、1から2に至る過程で開発者がエイリアンか何かに攫われて知識貰ったんじゃないかってくらい進化してますね。
実は東半分が共産化したパラレルワールドで作られたゲームをパクって出来たのがストツーそのオリジナルではソドム[資本主義の日本]バルログ[今なお残るファシズム国家]サガット[タイ王国]ガイル[米帝]が悪役四天王だったのでありアメリカでバイソンがらみで名前入れ換えたのも日本、CAPCOMへの皮肉だったのさという妄想ネタ
私もそうでした、何故2なんだと…無印の存在を知った時はちょっとした衝撃すらありました。
@@ぐぅ-q5i 初代の企画者がSNKの餓狼伝説作るんだよな…すげーや。
このゲームのおかげでカミさんと知り合えたし、今でも青春だと思っています。のちに出た格ゲーがシステムばかりの一元お断りゲーだったんで格ゲーから離れたが・・・
嫁さんもスト2やるのか。女性でやってる人みたことない。
@@waiha-tomotaro5528 格ゲーブームでしたし、ウチの周りはコスプレイヤー多かったんでかなりやってる女性多かったですよ。
6ボタンはスト1の後期に採用されていてこれが続編のスト2が自然に6ボタンのゲームとしてスタートする基になった
当時ストIIも凄かったけど前の年に出たファイナルファイトも凄かったです。
インベーダーゲームもすごかったらしいから歴史は繰り返すんだろうなぁスト2はスーファミとは相性が悪かったんだよなぁスーファミのコントローラ壊れるし
投げハメというか弱攻撃ガードさせて投げというのは地元では暗黙の禁止になってた!
@拙者、三毛蔵。 確信犯でやると当時はリアルファイトでしたからね(笑)
無印のSFC版はストシリーズ全体で一番売れて、唯一近い時期のドラクエにも勝ってる。もはや伝説である(昔の話とも言う)。
懐かしい…が、当時はあまりの人気にプレイ待ちの列ができてることが多く、中々プレイできなかった。そのため、いかに穴場の空いているゲーセンを探すかを友達のネットワークを最大限に使ってたのはいい思い出。意外とバーちゃん一人でやってる駄菓子屋なんかに置いてあったりして、そこはマジで穴場だったなぁ…。あと最後までコンパネのいわゆる「ワイングラス持ち」には慣れんかった。SFC版でのパッドでプレイした時はあまりの技の出やすさに“コレだ!”と感心しました。手首ごとじゃなくて指だけの操作の方がやっぱ細かい動きがしやすいのかな。
ブランカのローリングアタックに昇龍拳を当てた時のカウンターダメージがヤバかったなしゃがみ弱Kから強Pにつなぐマニアックなコンボもできたりしてずっと遊べてたね
ゲームだとスト2アニメだとドラゴンボールZで個性豊かなキャラが闘う対戦格闘がエンタメとして確立したな〜と思った!!
スト2のBGMが好きです!全部名曲じゃないですか!?特に好きなのはケン、ガイル、ザンギ、バイソン、バルログのステージです!あと餓狼伝説もBGM名曲揃いで特にギースステージはもうまさに伝説の名曲!
格ゲー市場を作り出したと言っても過言ではない伝説のゲーム
小さい頃技が出せなかったけど面白かった😂
私も昇竜拳とかが出せなくって友達に歩きながら波動拳を打つと出るて教えてもらいましたね、懐かしいです。
@@Aドジっ子 あっ なるほど😂教え方わかりやすい😊
当時の地元で、50連勝の 鬼ザンギの 小学生がいたな。
スト2で昇龍拳がだせずに小学生に聞いた。高校時代が懐かしい。
令和になってストⅡの曲を紅白で聴けるとは思わなかったぜ...
地元のスーパーの入り口にあったわ
ジャン・クロード・ヴァンダムのリアルサマーも凄いと思ったけどジャッキーのフェイロンも見たかったなあ
地元のゲーセンの常連数人で有名ゲーセンに遠征にいくとかやってたなあ。
50円だったよ
同じく50円でした
ジャッキーチェンの代わりに沢田が出たんだね☺️
9歳の頃、高校生に乱入されて、俺が勝つたびに、ゲーム機をバコバコ蹴りまくるバカがいたな
ベガの悪の組織シャドルーの総帥という設定に触れる前にえ?ラスボスってなんか○○オみたいだなって思ったなバイソン、バルログ、サガット、そしてベガの使用出来ないボスキャラに当時は苦戦しまくったな
猫ひろしさんがネタで昇龍拳したのもやっぱりそうですよね?あと、デビルメイクライ3から「Rising dragon」(ベオウルフ装備時)という技が出ましたが、和訳すれば昇龍拳ですよね?
対戦格闘ジャンルはスト2以前はアクションゲームのオマケ扱いだったよな。
ストファイがなかったらキングオブファイターズもギルティギアもブレイブルーも生まれなかった
50円玉並べて遊んでる人にプレッシャーかけるのが当時キッズの基本戦術
ストⅡはいつまで経っても色あせない名作ですよね。俺なんかいまだにPS2でハパⅡばっかりやってますから。ちなみに他の方も指摘されてますが、初代のリュウは気絶して顔が前にある状態で攻撃を受けると、ダメージが倍になるという欠点があります。バグなのか、意図的にそうしたのかは分かんないですけども。
初めてスト2を見たのは学校の社会の課外授業で近所のスーパーに行った時だった。入り口脇に一台だけ置かれていたアーケード台。時間帯もあってか誰もプレイしておらず、デモだけが流れていた。その見たことのないゲームジャンルに当時小学生だった自分は他のクラスメイト共々目が釘付けになって、そして先生に怒られた。学校の帰り道に寄ってみるとやはり誰もやっていない。ワンプレイ50円だったので、名札の裏の100円を両替してプレイ。見事に初戦敗北。そもそもキャラ脇の矢印の並びがわからない。なのでタメと連打でなんとかなるブランカを使った。これが初めてスト2、ひいては格ゲーとの出会いだった。
バルログの負けグラフィックは鼻血ではなく鼻水もありましたねダッシュからは鼻血になりました
幼稚園児とか小学校入ったくらいだったけど友達と集まったらスト2とファイナルファイトは必ずやってた記憶がある。あまり知られていないけど🇺🇸の実写映画版のゲームもあってビデオレンタル店の試遊台でよく遊んだよ
スト2のガイル空気投げ二連てバク技出来るようになったの楽しかったな人がやってるのをずっと観察して出し方何回も何回も練習まさしく修行だったなー
「龍虎の拳」のリョウサカザキの虎煌拳のコマンド説明をSNK公式がスト2の波動拳と同じと説明してるのを見てCAPCOM強ぇ!って驚いたもんだ。数年後まさかリュウとリョウが戦える日が来るとは
ガイル最強だったな~ 私はほぼガイルオンリーだったあとおもちゃ屋と駄菓子屋にあったからカツアゲは無かったな(*^^*)
子供だった私は、スーファミ版スト2を心待ちにしてました。ゲーセンで遊ぶ勇気と度胸もなかったから…。その後、スーファミ版スト2のせいで筋肉少女帯にハマって行くのはまた別の話…。
当時小学5年生まぁ昇竜拳がでないでない〜
カプコンのプログラマーは必死にヒット作ストリートファイターを作ったが、担当者の給料はほとんど上がらなかった。
会社の対応に絶望したプログラマー達は退職して別のゲーム会社を作ったという。
カプコンは社長の親戚の役員たちが訳の分からん事業にストリートファイターで儲けた金を投じて、次々と数億円の損害を作った。
このためカプコンは金を失ったが、それ以降もプログラマーの給料を上げる、などという考えは持たなかった。
「波動拳!」
この音声だけで「ゲームがしゃべってる!」と驚いた。この感動は今の若い人はわからないだろうな。
ピヨる。って言葉は…
スト2から広まった。
熱帯魚販売してる店舗の2階にスト2の筐体設置されてたり、文房具屋にレインボーあったりで自販機並に生活に溶け込んでたのがスト2。
ストⅡのダッシュターボの頃はもう、大手チェーンのゲーセンは「アミューズメントゾーン化」してたから、薄暗くて不良のたまり場のイメージは少なくともチェーン店では払拭されてたけど……(地方の個人経営はその限りじゃないんだろうけど)
キャラクターのアニメーションや挙動やシステムやグラフィックのすべてが当時の他のゲームを圧倒していたんだよなあ
今でもスト2Xが遊ばれてるぐらい、スト2だけ30年以上先を行っていたゲームだといってもおかしくなかったのかも
スト2あればそれだけでゲーム機に人がいっぱい何処でも同じような光景スト2ダッシュ以降が分かれ道ゲーセン離れるかそのままやり続けるかで。
ゲーセンのはよく知らなくて、SFC版が発表された時にゲーセンに見に行ったぐらいだったなぁ
地面のラインスクロールに凄いなぁと思った記憶があるわ
SSFC版が出てからは、友達みんなで狂ったようにやってたわw
ずっと勝ち続けている奴を倒す
掃除屋みたいな人が
ゲーセンで働いていた
当時はもうゲーセンに入ったら「はどーけん、はどーけん、よがふぁいやー」って音がこだましていたのよ、ずっと。
それとダルシムステージの像の鳴き声がやたらに響いてましたねw それにUFOキャッチャーから流れるソニックのBGM
CAPCOMは大阪が誇る老舗のスーパーゲーム会社
当時ゲーセン店員をしてました。ダッシュの頃がピークだったと思います。
当時よくいた奴・・・「強キックの連射が出来ない」と言ってくる奴。
ザンギエフがソ連でフェイロン出身国の国旗がイギリスになってたりして時代を感じさせられます。
当時はゲーセンだけじゃなくて、田舎の駄菓子屋、床屋などの商店の店先、駅のスーパー、ホテル、ありとあらゆる所にゲーム筐体が置いてあってスト2があった。そういう場所はゲーセンより危険な人は居ないから子供たちが集まってスト2やってたな
対戦台が出来た後は道場破りのような遠征文化が生まれてネット対戦じゃ味わえない地域性があったし伝説が生まれた
当時は学校でゲームセンターは禁止でゲームコーナはOKでしたね、なおゲーセン行ったのバレたら先生にしばかれましたw
俺は断然ネオジオ格闘派
格ゲー音痴だから波動拳みたいな基本のコマンドも満足に出せなかったが見ていて面白いんだよな
ジャッキーはシティハンターでやってたな
リュウトケンの違いは、リュウが気絶しやすいのではなく、気絶モーション時にダメージが倍になるバグがあるという話だったと思います。「Dアツシ&Tヒロちゃんねる」さんでその検証動画が投稿されていますし、開発者の岡本吉起さんも自身のチャンネルでそのように解説していました。
ただ、CPUではケンは初心者に容赦ない攻撃・・・
二人共、必殺技を連発する、リュウは波動拳を、ケンは昇龍拳を連発する、クセがあった、
正確に言えばリュウの気絶モーションが前傾の時にダメージを与えると攻撃したダメージ量が倍になるというもの。
気絶モーションは前傾からスタートするので、起き上がり直後にダメージを重ねるだけで大ダメージを与えられた。
発売当時、ゲーセンで初プレイした時は魅力的なキャラの数々とクオリティの高さに衝撃を受けました。ストⅡが今に至る格ゲージャンルを確立させた全ての始まりと言っても過言ではありません。少年時代に格ゲーの進化の過程をリアルタイムで見てこれたのは本当に幸せでした。
時は1992年。毎日のように部活動終わってからゲームコーナーでやってました。
うまい人の背後には見物の人集り。ネットが無い時代、うまい人のテクを盗み見して上手くなっていきました。
むかし、小学生の頃、乱入されてギリギリ負けた時
「もう一回やろう」
って100円くれた高校生くらいのお兄さん思い出した。
今はいいオッサンになっているのだろうけど
あの時、乱入対戦って相手のレベル見てから乱入する人多くて嫌悪感持ってたけど、楽しみ方の一つを教えてくれた初めての人でした。
リュウは気絶しやすかったんじゃなくて、気絶中にダメージが2倍になる試作当初の仕様が消し忘れられてた。
恐らく当時の中高生の殆どがスト2を初めて見た瞬間に
「これ絶対おオモロいゲームや」
って感じたはず
あれ?リュウが「病気持ち」って言われてた理由、「気絶モーションの一部のみ、ダメージを多く食らうバグがあるから」じゃなかったっけ?
確かに昔のゲーセンはそのままリアルファイトに繋がる事も珍しくなかった
余裕なかったからなw
バーチャ3や鉄拳3あたりから一本は取らせてやる余裕が出はじめた
新聞報道も小さく扱われましたしね
マジでキレて昇龍拳をやってるヤツ居たぞ(笑)
ストⅡは本当楽しかったな。
寂れた映画館でアニメのストリートファイターの上映件があり、上映すると超満員
家族で営業していた映画館の人の驚きと喜びは計り知れなかった。
対戦台でガイルで投げハメをしたら相手が「お前!今ハメたやろ?」ってキレて、ゲームが終わったら本当のガチのリアルストリートファイトが始まる。
灰皿のソニックブームが飛んできましたねw
当時のゲーセンは怖い人が多くて入るのもドキドキ、100円入れてプレイするのもドキドキだった
乱入されただけで体が震えたのを覚えてる
@@換捌部 DQNがめちゃくちゃいたからストレス解消したい時はゲーセンに行けば喧嘩相手には困らなかった
一人ずつ裏に連れ出していざリアルファイトを始めると喧嘩もまともにした事ないような見掛け倒しの人ばっかりだったw
小さいとき近所のゲーム屋でスト2勝ちぬき大会があって、ハメまくって10連勝してゲームソフトをもらったことがある
あの時は子供だったから何も考えずにハメてたけど、もう少し大きかったら後で対戦した相手が待ち伏せしてて
「お前こっち来い」ってなってたかもしれない
6ボタンは初代ストリートファイターの通常筐体からなんだが・・・。
それを流用したのがスト2だろ
ストリートファイターを始めとする格闘ゲームの影響でGガンダムが格闘ものとなった
私はストIIダッシュからだったけど、とある場所に行く際にゲーメスト増刊号を買い、それで本田、バイソン使いになった😊
懐かしいですね!
海外版のキャラは名前が入れ替ってた!バイソンとベガとか!
カプコン本社にカプコンUSAからの指摘で日本仕様のままだとアメリカで肖像権等で裁判起こされるので已むを得ず海外仕様はキャラ名を入れ替えるしかなかったとの事ですね、、
対戦台が出来てからが凄かった
当時田舎のゲーセンでバイトしてたけどキャッシュボックスが溢れ
運営会社から大入り袋が支給されるほどだった
ストツーでは中学の時に買ってやっていた時がありました。
確かだいぶ前に、海外に行く飛行機の中でも確かこのゲームが出来るように
なっていたのを思い出しますね。
SUPER辺りから、リュウとケンの差が結構シビアになったよな。
ストツーは衝撃的だった!!
今みたいに情報もなかったから人がやってるのをみるためだけにゲーセンに行ったり、今思うと凄いブームだった
まさしくストⅡあってこその格ゲー、ストⅡあっての今の全てのゲーセンの改革、まさしく社会の全てを変えたゲーム作品。自分のストリートファイターシリーズ好きも全てはこの作品からです。
なんか稼働率高すぎてやたらとボタンがぶっ壊れてた記憶があるなぁ
6個のボタンが全部違う色、なんて筐体もあった記憶
スト2の筐体は駄菓子屋やおもちゃ屋にもあった。
昔僕の地元なんか餃子の王将にスト2置いてた
同じコマンドなのに、初代と波動拳の入力タイミングが違うから、初代慣れしてた俺は波動拳が中々出せなかったんだよね。
( ̄▽ ̄;)
餓狼伝説も。
これ、俺だけじゃないはず。
「ストリートファイター」が圧力センサー式の2ボタンだったのはアップライトという立って遊ぶ筐体用のやつですね。
テーブル筐体用のは普通に弱中強のパンチとキックの6ボタン式のが出てましたよ。
本当にあの頃はどこにでも置いてあった。スーファミもよかったが、とにかくゲーセンは「ゲームの未來」が詰まってる感じがした。
筐体によるプレイアビリティやサウンドの迫力は、ゲーセンが圧倒的だったな。
家庭用の完全移植では絶対にかなわない魅力があった。
地元に初めて稼働した時は何をすれば良いのかわからず客入りはそこまででもなかったです
1月経つといろいろわかるようになり人が群れ始め、2月経った頃にはたった一台に永井列が出来る程の人気になりました
やがていろんな店で遊べる様になり対戦の面白さがわかりだすと、土日祝日はゲーセンに人が溢れんばかりに集まる様に
遂にはツテ等を使って基盤まで買う猛者まで出る様に
このゲームにより対戦格闘ゲームの歴史が始まったのだなと感じますね 当時は凄かったなぁ
ずっとSFC版をやっててコンボとかもできるようになって難易度8でもクリア出来るようになっても、ゲーセンに行ったらスティック操作で波動拳すら満足に出せなくてCPUに全然勝てなかったなぁ
自分もSFCメインでしたが、アーケード派からすると逆に
「よく十字キーで必殺技出せるな・・」ってなるんですよね。
筐体にコントローラ挿せれたらええのにね
LR使いにくいやろ
スト2の恐ろしいところはスト1から尋常でないぐらいクオリティが上がった上に同系列のスパ2Xが2022年現在でも遊ばれているところ。他にそういったゲームは中々見ないですね。
リュウのめくりは中Kより大Kの方がやりやすいのでは
あとめくりというワードはゲーメストのライターが「背中の皮めくりだあー」と言いながら対戦していて
記事に書いたら定着した
ストIIのアニメ映画、篠原涼子が歌う主題歌が爆売れしたな〜
糸井重里〜
最近本人カバー出たよ
ジャッキー・チェンはその後、映画シティーハンターで春麗のコスプレをするのですw
シティハンター
見ました!
確か
悪役が
ケンに
コスプレして
ジャッキー・チェンが
春麗でしたね
まずはエドモンド
ケン役の人がガイルのソニックブームと打ち合ってたけどラストに真空波動拳みたいな技打ってましたねw
…真空波動拳の先駆けはシティーハンターだったのか!?
@@直人幸田
あれ?エドモンド本田が先じゃない?
エドモンドが先でチュンリーがその後
格ゲーの基礎中の基礎を築いた作品だね。俺はお小遣いを貰ってなかったから中々乱入する事ができなかったけどそれでも学校の帰りに友達とよく行ってたね✨みんな100円玉を持って画面をみながら順番待ちをしていたのが懐かしいね。
当時小学生、市内全ての小中高でゲーセン=不良の行くところだから禁止の決まりになってて結局ゲーセンで対戦格闘デビューできず家でSFC版しかやらなかったなぁ。
香港版シティーハンターで春麗ジャッキーなら見れるぞ
スト1でも弱中強の3ボタン(計6ボタン)の筐体あったけどな。
×:気絶しやすかった 〇;気絶モーションの1コマ目だけ非ダメージが倍(カウンターが設定されていた)
今更なんですがスト2の描画フレームは正確には59.2か59.3ですね
今とは描画技術が根底から違っている(割愛)ので算出するとこのあたりの数字に。
まぁお伝えしたかったのはこっからでして、
初代スト2は約60fpsだったものの、当時のブラウン管は大半が30fpsに統一されていたので、実質みんな30fpsでプレイしてました。
ターボかスーパーでちょっと動きが見易くなった!って言われたのは単に筐体が良くなっただけだったりします。
当時家のテレビでスーファミ版とかプレイしてた人は漏れなく30fpsですね。
灰皿ソニックを教科書エイジスで跳ね返してたのが懐かしい…🧔
朝昇龍が力士にいた時代に夜波動、昼竜巻と言ってやっていた。
ゲーメスト、懐かしいっすね!
子供の頃は勝っても怒られないザンギを使って対戦してましたね
スト2のせいでインド人はみんな手足が伸びると思っていた。
春麗の下段強キックでポーズかけなかったプレイヤーはいない・・・
今の両足キックは何か違うんだよなぁ・・・
春麗はどのシリーズも魅力的です。
ゼロシリーズは露出度が下がってガッカリだけど。
スピニングバードキック中にスタートボタンを押したのは俺だけではないはず(´・ω・`)
負けて倒れてる時がいい!
こんなに凄いゲームなのに、なんで筋肉少女帯の曲は売れなかったのかなあ
カラオケにはまだあるよね(* ̄ii ̄)
メジャーにはなりにくい路線とかやったんやろな(:3_ヽ)_マニアックなのばっかりを好きになる俺が大好きになる訳だよ((└(:3」┌)┘))筋少LOVE
篠原涼子はダブルミリオンだったのに…(泣)
大槻ケンヂはいいヴォーカルだけど歌上手いとは言えないからなあ
90年代初頭だとまだ歌謡曲の名残りが強かったしカラオケ歌唱で映える曲じゃないと売れなかったから・・・
混ぜるな危険で知名度上がったやん
最初めっちゃ気になった「なんで2なの??」という疑問。
ネットも無かった当時、スト1の存在を知るまで大分かかりました。
今ではVCとかで1も割と気軽にプレイできるけど、
1から2に至る過程で開発者がエイリアンか何かに攫われて
知識貰ったんじゃないかってくらい進化してますね。
実は東半分が共産化した
パラレルワールドで作られたゲーム
をパクって出来たのがストツー
そのオリジナルでは
ソドム[資本主義の日本]
バルログ[今なお残るファシズム国家]
サガット[タイ王国]
ガイル[米帝]
が悪役四天王だったのであり
アメリカでバイソンがらみで
名前入れ換えたのも
日本、CAPCOMへの皮肉だったのさ
という妄想ネタ
私もそうでした、何故2なんだと…無印の存在を知った時はちょっとした衝撃すらありました。
@@ぐぅ-q5i
初代の企画者がSNKの餓狼伝説作るんだよな…すげーや。
このゲームのおかげでカミさんと知り合えたし、今でも青春だと思っています。のちに出た格ゲーがシステムばかりの一元お断りゲーだったんで格ゲーから離れたが・・・
嫁さんもスト2やるのか。女性でやってる人みたことない。
@@waiha-tomotaro5528 格ゲーブームでしたし、ウチの周りはコスプレイヤー多かったんでかなりやってる女性多かったですよ。
6ボタンはスト1の後期に採用されていてこれが続編のスト2が自然に6ボタンのゲームとしてスタートする基になった
当時ストIIも凄かったけど前の年に出たファイナルファイトも凄かったです。
インベーダーゲームもすごかったらしいから歴史は繰り返すんだろうなぁ
スト2はスーファミとは相性が悪かったんだよなぁ
スーファミのコントローラ壊れるし
投げハメというか弱攻撃ガードさせて投げというのは地元では暗黙の禁止になってた!
@拙者、三毛蔵。 確信犯でやると当時はリアルファイトでしたからね(笑)
無印のSFC版はストシリーズ全体で一番売れて、唯一近い時期のドラクエにも勝ってる。
もはや伝説である(昔の話とも言う)。
懐かしい…が、当時はあまりの人気にプレイ待ちの列ができてることが多く、中々プレイできなかった。
そのため、いかに穴場の空いているゲーセンを探すかを友達のネットワークを最大限に使ってたのはいい思い出。
意外とバーちゃん一人でやってる駄菓子屋なんかに置いてあったりして、そこはマジで穴場だったなぁ…。
あと最後までコンパネのいわゆる「ワイングラス持ち」には慣れんかった。
SFC版でのパッドでプレイした時はあまりの技の出やすさに“コレだ!”と感心しました。
手首ごとじゃなくて指だけの操作の方がやっぱ細かい動きがしやすいのかな。
ブランカのローリングアタックに昇龍拳を当てた時のカウンターダメージがヤバかったな
しゃがみ弱Kから強Pにつなぐマニアックなコンボもできたりしてずっと遊べてたね
ゲームだとスト2
アニメだとドラゴンボールZで
個性豊かなキャラが闘う対戦格闘がエンタメとして確立したな〜と思った!!
スト2のBGMが好きです!全部名曲じゃないですか!?特に好きなのはケン、ガイル、ザンギ、バイソン、バルログのステージです!
あと餓狼伝説もBGM名曲揃いで特にギースステージはもうまさに伝説の名曲!
格ゲー市場を作り出したと言っても過言ではない伝説のゲーム
小さい頃技が出せなかったけど面白かった😂
私も昇竜拳とかが出せなくって友達に歩きながら波動拳を打つと出るて教えてもらいましたね、懐かしいです。
@@Aドジっ子 あっ なるほど😂教え方わかりやすい😊
当時の地元で、50連勝の 鬼ザンギの 小学生がいたな。
スト2で昇龍拳がだせずに小学生に聞いた。高校時代が懐かしい。
令和になってストⅡの曲を紅白で聴けるとは思わなかったぜ...
地元のスーパーの入り口にあったわ
ジャン・クロード・ヴァンダムのリアルサマーも凄いと思ったけど
ジャッキーのフェイロンも見たかったなあ
地元のゲーセンの常連数人で有名ゲーセンに遠征にいくとかやってたなあ。
50円だったよ
同じく50円でした
ジャッキーチェンの代わりに沢田が出たんだね☺️
9歳の頃、高校生に乱入されて、俺が勝つたびに、ゲーム機をバコバコ蹴りまくるバカがいたな
ベガの悪の組織シャドルーの総帥という設定に触れる前に
え?ラスボスってなんか○○オみたいだなって思ったな
バイソン、バルログ、サガット、そしてベガの使用出来ないボスキャラに当時は苦戦しまくったな
猫ひろしさんがネタで昇龍拳したのもやっぱりそうですよね?
あと、デビルメイクライ3から
「Rising dragon」(ベオウルフ装備時)
という技が出ましたが、和訳すれば昇龍拳ですよね?
対戦格闘ジャンルはスト2以前はアクションゲームのオマケ扱いだったよな。
ストファイがなかったらキングオブファイターズもギルティギアもブレイブルーも生まれなかった
50円玉並べて遊んでる人にプレッシャーかけるのが当時キッズの基本戦術
ストⅡはいつまで経っても色あせない名作ですよね。
俺なんかいまだにPS2でハパⅡばっかりやってますから。
ちなみに他の方も指摘されてますが、初代のリュウは気絶して顔が前にある状態で
攻撃を受けると、ダメージが倍になるという欠点があります。
バグなのか、意図的にそうしたのかは分かんないですけども。
初めてスト2を見たのは学校の社会の課外授業で近所のスーパーに行った時だった。入り口脇に一台だけ置かれていたアーケード台。時間帯もあってか誰もプレイしておらず、デモだけが流れていた。その見たことのないゲームジャンルに当時小学生だった自分は他のクラスメイト共々目が釘付けになって、そして先生に怒られた。学校の帰り道に寄ってみるとやはり誰もやっていない。ワンプレイ50円だったので、名札の裏の100円を両替してプレイ。見事に初戦敗北。そもそもキャラ脇の矢印の並びがわからない。なのでタメと連打でなんとかなるブランカを使った。
これが初めてスト2、ひいては格ゲーとの出会いだった。
バルログの負けグラフィックは
鼻血ではなく鼻水もありましたね
ダッシュからは鼻血になりました
幼稚園児とか小学校入ったくらいだったけど友達と集まったらスト2とファイナルファイトは必ずやってた記憶がある。あまり知られていないけど🇺🇸の実写映画版のゲームもあってビデオレンタル店の試遊台でよく遊んだよ
スト2のガイル空気投げ二連てバク技出来るようになったの楽しかったな
人がやってるのをずっと観察して出し方何回も何回も練習
まさしく修行だったなー
「龍虎の拳」のリョウサカザキの虎煌拳のコマンド説明をSNK公式がスト2の波動拳と同じと説明してるのを見てCAPCOM強ぇ!って驚いたもんだ。数年後まさかリュウとリョウが戦える日が来るとは
ガイル最強だったな~ 私はほぼガイルオンリーだった
あとおもちゃ屋と駄菓子屋にあったからカツアゲは無かったな(*^^*)
子供だった私は、スーファミ版スト2を心待ちにしてました。
ゲーセンで遊ぶ勇気と度胸もなかったから…。
その後、スーファミ版スト2のせいで筋肉少女帯にハマって行くのはまた別の話…。
当時小学5年生
まぁ昇竜拳がでないでない〜