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4:48 日豊本線初の特急みずほが20系で設定された際に、大分機関区ではC57に牽かすつもりで色々準備してたら本社から圧力があったらしいです。また大分機関区では富士や彗星の為に代走用のC57を常時待機させていました。C57よりDF50の故障率が高いのと予備車不足からの措置で、宮崎電化までの間に富士・彗星を何度も牽引しました。あと大分機関区へDD54の売込もあったそうで、米子から1両持込まれた事があったそうですが即返品されたそうです。
Naruoさん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気に牽引させなかった指示はある意味わかります。ハレのブルートレインで東京から戻った人が宮崎で降りて機関車見たら蒸気機関車だったら、がっかりする人もいたでしょうからね。C57が富士・彗星の牽引している写真は一度彗星を見たことがあるのですが、トレーンマークは無かったと記憶しています。
@@Yukkuri-Lab さん非常事態対応ですからトレインマークは無かったようですね。鉄道ジャーナル誌の取材で特別に富士のトレインマーク付けた写真がありましたけど、実は前日の富士に入ってたとかで悔しがってる記者の話が載ってました。あと20系特急みずほは門司で熊本行基本編成と大分行付属編成に分割してましたけど、熊本編成の方は博多からC59牽引でした。
みずほのことすっかり覚えていませんでした。大分で分割していましたね。C59みずほは実に様になっている蒸気特急だと思います。
凸型しか見たことがなく、箱型は全く未見。常磐線に箱型が配置されていた史実など日立製で水戸機関区とは、もはや想像の域です。日本のディーゼル技術に関しては、確か流体工学の一例に凸型DD51が引用されていて、電気式のと比較やらトルクコンバーターの解説など記事を(百科事典)で知りました。鉄道趣味からはDD14の異風な形態、16の可愛らしい姿が印象に残ります。特にDD16は飯山線で軽貨物を牽引、どことなくC56を彷彿としながら見送ったものでした。
DD54形は山陰本線に配置されたが、西ドイツ製エンジンの部品確保が難しく、欠陥エンジン事故を発生させてしまった為に短命に終わったDL。
DD54の短命問題は国会でも取り上げられたそうです。動画で言っているのですが、DD54って安かったのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 様、西ドイツ製エンジンが構造的欠陥があったのと、伯備線と山陰本線の無煙化を達成したが、ドイツ製エンジンの欠陥の修理費が高く付いたことが背景にあった。
3:22門司駅だと思います。架線碍子が交流用。直流の通過中線も確認できます。
こうたんさん、ご視聴頂きありがとうございました。DF50-50ですが、碍子で交直見分けられるのは存じませんでした。教えていただきありがとうございます。私も動画製作中、機関区プレートが「米」なので門司はないよなぁと思った次第です。
元門司区民です。架線碍子で見分けがつくの知りませんでした。背景の倉庫などからこの写真は門司駅の可能性が高いです。でもなぜ米子のDFが門司に?それもズルツァー搭載車。
DD54のデザインは西ドイツV160ファミリーの流れを汲んだ塊感のあるデザイン好きだなあ。特に好きなのは試作車的要素のある1次型と完成度の高い最終6次型。前者はドイツのV160系列と日本のED72•73あとりの良いとこ取りしたようなハーフ顔。後者は計6枚の前面窓がHゴムで完全に独立しのて、ドイツスタイルをより深化させたスタイル。バランスなら1次型、完成度なら6次型といったところか。
KYさん、ご視聴頂きありがとうございました。四角い立方体のDLは違和感をあまり感じません。すきなEF58に似ているところがあるからかもしれないなと思ってます。
DLと旧国の貴重な写真をありがとうございます。6:14 の旧国はおそらく、クハ55(平妻初期車)と付属編成クモハ60(丸妻偶数向き)でATS搭載以前の昭和30年代中期と推測。
uton_hosuさん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。この頃の旧型国電とても複雑怪奇で適当なこと発言すると必ず間違うので、視聴者様に振りました。教えていただきありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab クハ55の形式と番号が1列表記のようなので昭和34年12月以降、DF90の紅白塗りは昭和36年夏頃(全検時茶色に塗り替え)までなので、その間の撮影でしょうか。 この頃から中央線・山手線の101系増備で捻出した4扉73系の転入が始まり、17m車や3扉クハは南武・横浜線や改造で地方転属していったようです。列車ダイヤを縫って走る、俊足クモハ60は重宝され40年代前半まで残りました。昔も今も変わらない常磐線痛勤事情。
昭和35年の10月中旬の撮影になります。撮ったのは私の係累です。一緒にC62のはつかりを見にいきました。
DF90カッコイイなぁ〜、流線形ってのがカッコイイ
0721さん、今年もよろしくお願いします。ご覧いただきありがとうございます。DF90は日立の努力のたまものと言っているようです。1900馬力というのが凄いようです。半流線形の湘南電車風ですね。
シャ-プな感じなのに無骨さも相まってる感じがいいんだよね〜
EF58型電気機関車からパンタグラフを外したような格好 湘南マスクいいな!
明けましておめでとうございます。昨年はちょうど一年間、貴研究所の動画で週末を楽しく過ごさせていただきました。今年も宜しくお願いします。私が鉄道と機関車に興味を持ち始めたころには、DF50もDD54も図鑑の中だけの存在になっていたようですが、なかなか愛嬌のある外観でいいですね。タイ国鉄のDLも、銀座線カラーと湘南フェイスの組み合わせ?が可愛くて、日本製蒸気ともども末永く大切にされていってほしいと思えます。
成田さん、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくご支援お願いいたします。タイの機関車、銀座線カラーの表現良いですね!これから使います。DD51が何輌か無償譲渡されているのですが、ろくに使われないままになっているようです。客車は大事にされているんですけど。タイぐらい運賃が安くて全国鉄道網があると、長旅したい気分になります。
明けましておめでとうございます🙋わたしは元国鉄職員でした元機関士でした。DD13.DF50.DD51.DE11懐かしくです。もう一度ハンド握りたです😅
谷口さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。DLの機関士さんだったのですね。私も係累が国鉄職員だったので、RUclipsやっていますので、これからもご贔屓にお願いいたします。
素人がほんの数百メートル運転させて貰うだけで大感激なんだから、何百トンもの貨物列車を牽引してドッシリした機関車を運転する時の充実感は凄いんだろうな。
同感です。DD13/DD54は蒸気と共存していて好きでした。DD13は初期の1灯タイプDD54も初期型アルミサッシ車が好きでした。DD51は幹線用として諦めましたが亜幹線の蒸気を駆逐したDE10は嫌いです。最後の望み簡易線もDD16の登場で終わって仕舞いました。
Kwさん、今年もよろしくお願いします。ご視聴頂きありがとうございます。DD16にとどめ刺されたという感覚良く分かります。無くなってしまうのも早かったですね。無理して無煙化しなくてもとか勝手に思っています。
54と付く形式は所謂「呪われた形式」扱いなので、キハ54を開発するときは「本当に54にするか」真剣に悩んだとか
Homareさん、本年もよろしくお願いいたします。ご視聴頂きありがとうございます。キハ54は出来が良いディーゼルカーですよね。そんなことを悩んだとはおもろいですね。
ED54でもブフリ式駆動方式にかなり苦労させられたようですから
クモハ54やスロ54など成功作もありますけどね。
6:23 40 系電車 めっちゃ古くて素敵です。!!
旧型客車は汚くて嫌な思い出がありますが、古い電車はちゃんと清掃も消毒もしていて、その心配はなかったです。
四角いDLはディーゼル機関車の戦後すぐに見られますね。この後凸型機が多いのは大型大出力機関が作れなかったからですね。エンジン2基積んで補っていたという。 DD54は故障の逸話が多いですね。格好よくて大好きなのですが。 DF50が矢立峠走っていたのは知りませんでした。奥羽沿線の地元民ですけど。D51とDD51のトップナンバーが走っていたのは知っていたのですが。
伊藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD54やDD53は格好いいですし、DF50は動画でも言っていますが、古からの馴染みです。DF50は奥羽本線全般にわたり主力DLだったと思ってます。北ではDD51が目立ってますね。
扇形庫から追い出された蒸機、我が物顔のDL....。それから数年後、岸壁に友達と釣りに行った時、「オジサン乗せてよ。」「仕方ない、確り掴まってろよ。」臨港線DLのデッキに乗せてもらった。(なんか、DLも優しかった....。)今年も宜しくお願いします🙇。
小樽築港機関区さん、新年あけましておめでとうございます。ことしも何卒宜しくお願い致します。わたしもDE10には何度かある線区で乗せてもらったので、凸でも懐かしい機関車です。マル生盛んな時で組合は先鋭化していましたが、現場の人たちは一般人やファンにはとても親切でした。そういう活動方針だったのかも。
私、ディーゼルフアンなので😂ちょっと悲しいですが😢これからもよろしくお願いします❤ありがとうございました🙌
プリムあたるさん、初めまして、ご視聴頂きありがとうございました。私も蒸気が無かったらDLを撮影していたかもしれません。うーん、ないかな?
こういうの見ると欲しくなるなぁ。そして、再現したく成るなぁ。
伊鈴屋ヒミコさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございました。再現されたいのは、この日暮里の場面でしょうか?あの辺りはいまでも十分当時の面影残っていて好きな場所です。
今回は憎き宿敵、DF50ですね。でも今になると大淀川鉄橋で日南3号を待つ前に来た20系+DF50はでもカッコ良いですね。宮崎駅でc57だけで無くDF50も沢山撮ったはずです。定年になって時間ができたらスキャンしたいと思ってます。
832bunchanさん、明けましておめでとうございます。ご視聴頂きありがとうございます。南九州何度か行きましたが、DF50は殆ど撮影していません。ところで過去のネガ・ポジですが一応それなりに注意して保存してきたつもりですが、この10年ぐらいでしょうか、恐るべき速度で悪化しています。今はデジタルでかなり修正ができるのですが、満足に仕上げるのに途方もなく時間がかかります。RUclipsで使っているものもPC画面では粗は見えなくても実際酷いのもかなりあって、全部をデジタル化するのは大変な作業だなと思っています。
私は、53-54年に製造されたDD50が結構印象深いですね。重連で走る時は大型蒸気機関車と変わらないパワーだったらしいですね。
ishing_kouさん、わたしはDD50は見ていないと思います。重連使用が前提でD52並みとかすごいです。
DF50は電化前の中央西線でも活躍してましたね。何かの本で見たような気がする。
中村さん、ご視聴頂きありがとうございます。中央西線のDF50あまり記憶ないですが、名古屋ー中津川でしょうか。
@@Yukkuri-Lab 今調べたら、中央西線でなく中央本線でした。1960年代に準急「穂高」などを牽引していた写真を発見しました。
DD54の失敗はエンジンと変速機はドイツの技術のライセンス生産品、それ以降の推進軸と台車が純国産品で、これらのマッチングが上手くいかなかったからだということのようですね。今や三菱重工業は世界的企業ですが、50年前は発展途上の企業だったわけです。
中村さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございました。海外とのJVとかライセンス契約は文化と言葉の違いが大きくて、本当に綿密にやらないとうまく行かないことが多いです。相手に信用されていないとなおさらです。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したそうですが、日本だけ大失敗したんですね。
DD53の2号機は、C57の代理で平成18(2006)年に「ばんえつ物語号」を牽引したことは車涯で最高の名誉だったと思います。DD51と中身が同じ事が幸いだったかなと思います。無理して買ったマイクロエース製のNゲージ製品は、調子も良いので宝です
ro Naさん、ご視聴頂きありがとうございました。180号ですね。そんなニュースあったこと覚えています。
今回は初のDL中々の物でした。機会有ればEF55辺りやって欲しいかな☺️
塚越さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。早速ご視聴頂きありがとうございます。EF55って流線形のELですよね。そのうち流線形特集を組みたいです。
茶色いDF50は昭和50年ごろ京都口の山陰本線で旧客を牽引して梅小路蒸気機関車館の横を通過するのを見たことがあります。Nゲージもオレンジはよく見かけますが茶色のDF50はあまり見ませんね。
高須正光 さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですね。そんなに遅くまで残っていたことは知りませんでした。
DD13は、貨物ヤードや操車場に大量配置されて、9600形蒸気機関車などを大量駆逐した。DE10形は、入れ替えやローカル線などの貨物運用などに使われている。ちなみに、JR九州のDE10は、DF200形七つ星九州に合わせた黒色。
大坂さん、明けましておめでとうございます。今年もご視聴お願いします。DD13派生のDLが京浜工業地帯の軌道でたまに見かけます。架線がないところを列車が走るのは見ていて楽しいです。
@@Yukkuri-Lab 様、あけましておめでとうございます。DD13形は、貨物ヤードや操車場に大量配置されて、貨物の入れ替えなどに使われた。DE10形は、貨物の入れ替えだけでなく、貨物列車の牽引も行っている。各地の臨港鉄道の貨物運用にも、入っている。
初めましてm(__)m日立製台湾向けディーゼル機関車DF91(初代)が試験的に1ヶ月限定で常磐線走っていましたね。確かドイツMAN製エンジンだと思いますが、台湾では、日立製DF91は、R0型に改名されエンジンもMAN製からGE製エンジンへ変更改造されました。
スバル660さん、はじめましてこんにちは。ご視聴頂きありがとうございます。スバルの660ccは4気筒なので良いですね。DF90ベースの機関車はタイに輸出されていて、静態保存されているようです。
新年あけましておめでとうございます初期のDF50やDD54が箱型のボディなのは、海外製エンジンの背が高く、そうしないと収まりきらないというネタがありますなこれはエンジンが直列のL型で、ヘッド部分にバルブが集中していたためといわれています国産が凸型になるのはエンジンをⅤ型に配置して、谷間にバルブ類を配置することで低くできたことによりますまた、箱形のボディでは狭いトンネルで側面部分との隙間がなくなり、エンジンの冷却に支障があったそうです凸型にすることで隙間が広がり、効率的な冷却ができるようになったという事情もあるそうです
電光刑事さん、新年あけましておめでとうございます。今年もごひいきにお願いいたします。機関車や船舶のエンジンってほとんど知見がないのですが、ドイツやスウェーデンにはかなり力があるんだなって感じています。米国も当然として。日本は動力分散化の電車の世界だから、これから世界の鉄道を驚かせるような機関車は出そうもないですね。
サムネのDF90-1塗装が確か世界展?の為のDD50と似たクリームと朱の限定塗装ですね。常磐線の水戸機関区に配属だったんでしたっけ(マイクロでも製品化されてましたね)
LocalE233 Joban さん、ご視聴頂きありがとうございます。元はBWですが、AIの判断でこの塗装になりました。水戸で急行北上の仕業が多かったそうです。
@@Yukkuri-Lab模型でもほぼ同色なのでAIも凄い再現度なんですね。
でもこの一枚仕上げるのに都合3、4時間はかかりました。左の看板が特に。まだまだ手を入れないとだめです。
DF50は力が無いってよく言われてたけどC57程度にはパワーがあったんだ。
OUTATIMEさん、ご視聴頂きありがとうございました。C57=C61ですから、日豊本線で富士とか彗星のブルトレを牽引してもらいたかったです。
DF50は昭和32年当時、1000PSクラスの液体変速機をつくれなかった国鉄がやむを得ず造った「一応」本線用の電気式ディーゼル機関車です。SL駆逐の無煙化の要請がとても強かったことに押されて早急につくった面もあります。「一応」と言ったのは、本線用としてはその出力が低すぎたのです。おおかたスルザー形にしろMAN形にしろ、1250PS,1350PSの入れ換え用・支線区用のDE10とほぼ同じくらいの出力でした(この当時はDE10はなかった。)。スルザー形(100kwモーター×6台)もMAN形(110kwモーター×6台)も、101系電車1ユニット分(100kwモーター×8台)にも満たない出力でした。そのため例えて言うと、原付バイクで1000kg以上くらいのキャンピングカーを平らな道路で長時間引っ張り続けているようなものでした。これは何とも奇妙なことで、これで特急、急行などと言っていたのです。だから勾配区間にはとても弱かったのでよく補機を必要としたのです。その数年後1000PSクラスの液体変速機が実用化されたことから、DD51(1100PS×2台、昭和37年)と、そしてその後、DD51の片肺分の出力を持つDE10(昭和41年)ができます。液体式の方が重量、軸重の点で軽量化に有利です。以降DD51,DE10が量産化されてゆきます。DF50はこの当時の国鉄のつくった苦肉の策の代物だったというわけです。なおこの指摘をする人はあまりいませんが、DD13は、DF50と同時期の国鉄のつくった目立たない決定的な名機でした。構造が著しく単純(前後均等の500PS✕2台)であった面もあったとは思います。DD51やDE10はその機関出力が1000PS以上であるため、途中に「常時、流体継ぎ手」を使わざるを得ませんでしたが、DD13タイプは、気動車と同様に「直結段を持つ変速機」が用いられました。こちらの変速機はメインテナンスに優れていたので、DD51,DE10製造終了後も、臨海鉄道などの私鉄ではDD13と同タイプのものが新製され続けました。2000年以降につくられたものまであります。日本の機関車の中でこれほど長期にわたり生産され続けた機関車も珍しいと思われます。
権三郎平衛 さん、ご視聴頂きありがとうございました。私はDE10やDD51のパワートレインは優秀であることは理解していますが、あの凸型と色が大嫌いなんです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、あらゆるところで遭遇しても忌み嫌っていました。でも特にDF50はいろいろ遭遇しましたが、蒸気と同等の性能、信頼性に欠ける機関とか聞いていたので、蒸気の敵ではないなと安心していたこと、客車や好きなEF58のような箱型スタイルがわるくないなとおもっていたわけです。DD13は凸型ですが、まぁ小さいし昔からどこにでもいたので、保線区用の小型DLみたいな感覚ですね。それほど優れているとは認識なかったです。教えていただきありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab さんDLは本線用でも引き込み線等の入れ替え作業が結構多いものです。入れ替え作業を見ているのは、とても面白いものです。DD51設計当初も、本線用で凸型とは!?という反発があったのは記録に残っております。しかし、凸型だと、メインテナンス、点検、製造価格、作業効率、軽量化、入れ替え作業時の運転台の変更不要等、あらゆる面で有利なことが多いです。オレンジ色とグレーの色は当時アメリカやドイツなどではやっていた色(当時の日本は欧米諸国のDLなどの研究をしていた。)でしたが、臨海鉄道などの私鉄などでは、いろいろな色のスイッチャーがありましたし、今もあります。今後、DLというと、北海道を除くと、おおよそ本州以南では、入れ替え作業や小運転が中心になってゆくものと思われます。凸型に慣れるしかありません。
6:00DD51よりもDF50のほうが非力なので、役不足→力不足な
ご視聴頂きありがとうございました。言葉の使い方ご指摘ありがとうございます。今後も気を付けてまいります。
明けましておめでとうございます。DD54はマイバッハ(現MTU、ダイムラー・ベンツ系列)エンジン、DF50はズルザァー/MAN(合併でMANが存続、フォルクスワーゲン系列)ですね。以前ピアノ線の話と一緒でDD54の当時は間違いなく冶金技術が西ドイツに劣っていたのでしょう…
繁神名さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。西独の車メーカーですが、ICEの消滅を前にしてどのような差別化戦略が出てくるのでしょうか。私はEVでポルシェやランボルギーニが出てきても、中国ローカルのスーパーカーと違いは見いだせないですね。
DD54の失敗を元にDE50を作ったは良い物の、幹線の電化進行及びDD51が良い子ちゃん過ぎて量産化がされなかったのは惜しいです。。。もしDE50が量産化されていたらDD51では無くDE50が全国津々浦々に配置されていたのでしょうか??
大山さん、ご視聴頂きありがとうございました。DE50はどこかで見たことがあるかもしれませんが、赤い姿をみると目を背けたりしたので。Wikiを読むと一本化でDE50は外されたようですね。無煙化の進展と貨物・旅客の減少を読み違えてDLを作りすぎたと思っています。
DE50は岡山の「津山まなびの鉄道館」に保存されているのをご存知でしょうか?自分は一昨年の夏見に行きましたよ。
DF91は試作機なのに急行牽引を任された。今ではできない事だ。昔の人は自由だったんだな。
夕刻夕刻さん、ご視聴頂きありがとうございました。常磐線は長距離列車殆どが蒸気牽引で電化も遅れていてサービス向上を何とかしたかったんだとか。
@@Yukkuri-Lab 電気式だけど1200馬力、最高速度90km、当時としては良かったかもしれませんがDE10の1250馬力より劣ります。(DE10の最高速度は85km)だけどSLよりは良かったかもしれません。周りの事を考えれば。無煙化したかったのでしょうか?
しかDF91は昭和46年に壊しちゃったんだって。静態保存くらいできなかったのかな?もったいない!
あれ?台湾に静態保存されていますね。
@@Yukkuri-Lab そうでした。壊したのはDF90のほうでした。すみません。
アムトラックの機関車も電気式でしたね。タイもGE製の古い電気式持ってますね
どんぶりレンジャーさん、ご視聴頂きありがとうございました。インバーターの制御が上手くなったからトルコンがオワコン化したそうです。ところで内燃機関の機関車って音がうるさいですね。
電気車、殊にハコものの電車に関しては文字通り[十八番]な本邦鉄道界ですが、内燃車となるとカマもハコも今一つorz。機械式は閑散路線の少量輸送限定としても…内燃機関を鉄道車輛に搭載しそれを鉄道車輛として求められる特性に合わせて制御するのは中々難しいようですね。自動車の世界では今や標準装備ともなったオートマチックトランスミッション、鉄道界でいうところの液体式(液圧式)。自動車の軽量車体ならこれで十分だったものの大柄な鉄道車輛(キハ40クラスだと車重45t。大型トラックどころじゃない重量ですね)用のエンジンを制御させるにはこの方式を導入するのは結構大変で殊に本線用の大型機にこれを採用できたのは実質日本とドイツぐらいなもので、世界的には電気式が主流ですね。これなら電気車の技術も応用できまた地上設備も電化は不要な分導入コストは安くなります。ただ、言ってみれば電気車に火力発電所を積むようなものですからどうしても重量面では不利になります。路盤土壌地質がしっかりしていて重い車両も走れる頑丈な軌道であれば少々重量があっても良いでしょうが本邦の脆弱な軌道にはたとえ本線用大型機と雖も重量制限は厳しいものが課せられます。しかも特甲線・甲線系は電化が前提、内燃車輛で対応する予定の路線は良くて亜幹線、大概は支線区丙線・簡易線となると猶更厳しくなります。性能面では今一つで蒸気を完全には駆逐できなかったDF50は然し、特急列車や食堂車程度にしか冷房が無く、急行以下の列車はロザと雖も冷房が無かった当時、せめて急行旅客列車だけでも無煙化したいという当局や担当管理局更には沿線利用客の切実な願いにこたえることが出来た点が最大の功績だったかと愚考します。3:25のDF5050、下関駅ですか?すると…幡生寄りの方でしょうか?(門司側だと本線の下り側は貨物操車場、上り側は[関転]が広がっていて線路のすぐわきには建物はない筈)3:32のカモレ前補機は次位がC57の様ですから若しかしたら日豊本線では?日豊本線南部は確かD51が入線できずパシフィックがカモレも担当していましたね。山陰本線だとD51がいてカモレは勿論一部の客レも担当していましたからわざわざC57をカモレの本務機にはしなかったと愚考します。DF90はEF58を彷彿とさせるエクステリアデザインは中々秀逸だったと愚考します。これが量産されていれば…と思ったりもするのですが量産化に当たっては特に当時は在来一般型客車による旅客列車は幹線の長距離急行はじめローカル列車も含めて夥しい数があり、そうなると冬場のSGは旅客用機には必須アイテム。果たしてこれを積み込み更に軸重14t(運転整備重量56t)に収められるか?が成否のカギですね(甲線・乙線までで良ければ軸重15t、運転整備重量60tまで許容できますが丙線運用も考えるなら軸重14t以下は絶対条件)本邦DLが本線用ではなくまず入換用から導入されたのはやはり操車場・車両基地等で働く小型蒸機の煤煙対策が切実だったことが最大の理由でしょうね(それらの施設は得てして人口の多い都市部にありますから)。本線用のカマまで凸型ってのはちょっとそれらしくない感は無きにしも非ずですが、運転席が前頭ではなく車体中央部にあって長いボンネット越しになる構造は然し、蒸機組には寧ろ違和感なく受け入れられたのでは?そして蒸機の様な煤煙もなく炎熱地獄もないので現場には好評だったことでしょう(沿線で蒸機を待っていた当時の諸先輩方にはにっくき仇敵に見えたでしょうが)(^^);重量面で不利とされ本邦ではすたれていた電気式内燃車ですが技術革新と言うものは侮れず、カマ(DF200、HDD300等)は元より内燃動車迄電気式(HC85系)が登場し殊にHC85系は公式(JR東海)が[電車]と呼び記号も[クモハ]!老境に差し掛かったアラカンオジン[鉄]には隔世の感ひとしおです(^^);
SuperExpressJNRさん、今年もよろしくお願いします。ご視聴、貴重なコメントありがとうございます。電気式が軌道も含めて比較的脆弱な日本では不利な点良く理解できました。DF90は日立の中ではかなり出来が良いとされたようですが、結局重量なんでしょうね。DD50ふくめいろいろな四角のDLが試作機で出てきた時代は、ファンの方にはたまらなかったでしょうね。私は全く興味ないのでだめです。DF5050、そのDF50xC57の写真も含め、前後のネガから山陰旅行の時のものです。DF50補機のほうは日豊線のように見えますが、山陰線の何処か特定できません。アラカンとおっしゃっておられますが、わたしよりずーーっとお若いのに車輛全般の知見豊富で尊敬いたします。
@@Yukkuri-Lab 改めて貴動画のDF50+C57を拝見しますに…C57が煙を吐いていませんね。若しかしたら所謂次位無動の回送機だったのでしょうか?若しも主連棒(メインロッド)が外されていれば間違いなく無火回送ですね(生憎ウチのモニタの解像度では貴写真のC57のロッドの様子までは読めませんでした)。
オリジナルのスキャンデータの拡大したものをコミュニティにアップしましたので、ごはん代位頂けますでしょうか?ロッドが外されているようにも見えます。煙は出ていないようなので、回送かもしれませんね。
芸備線も、昔はディーゼル機関車が走ってました。今日(1月1日・元日)、諭くん(弟)と一緒にハローキティ新幹線に乗って新尾道駅まで行って、新尾道駅からバスに乗って尾道駅まで行ってまたバスに乗って、D51 422号蒸気機関車を見に行きました。ハローキティ新幹線の車内アナウンスと、D51 422号蒸気機関車の動画を見に来てくださいね……。🙏お願いします。🙏
機関車ヒロさん、新年あけましておめでとうございます。今年も一杯ご覧になってください。422号は家のご近所にあるのではなく、わざわざ出かけられているんですね。ハローキティ号にはクロミはいますか?
あけましておめでとうございます。今回は、DE50形の特集記事ですか。DE50は全国に普及したが、DD51は、文珍形で蒸気機関車を駆逐した、昭和40年代鉄オタを激怒させたDL。JR貨物のDF200形誕生まで居座ったディーゼル機関車。
DF50は古い時代の蒸気とおなじころからなじみなので、あまり違和感ないですね。
@@Yukkuri-Lab 様、誕生時は、茶色で登場した。晩年は、DD51形と同じように赤色になってしまった。
なんで茶色を継続しなかったんでしょうね。赤は色あせが早いですし。
@@Yukkuri-Lab 様、なぜでしょう。焼きタラコ色機関車と言われたとか。
凸型DLって、入れ換え用とか、ローカル私鉄のチマチマ貨物列車用みたいな先入観があるので、実物のDD51をみると意外な大きさと迫力にビックリしたものです。
6:00役不足とは本来本人の能力に対して割り振られた仕事のレベルが低い、釣り合わないという意味のはず
ご視聴頂きありがとうございます。正しい熟語の使い方をご教授いただきありがとうございました。
霊夢ちゃん❤「神奈川臨海鉄道」が近くの「住まい」なんだネ👍 私は「若かりし頃」その神奈川臨海鉄道に勤務(塩浜操車場⇐現 川崎貨物駅)で操車掛してましたょ~🎵
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございました。霊夢は近いわけでないのですが、品川の東大崎に住んでいて、ベイエリアを車で流すことがあるようです。たまにDLを見かけると言っていました。
そうですか🎵DD13タイプ55〜56t級です👍タキ35000型なら浮島からの油積載を最大24両を重連で浮島橋越えに挑んでました。
でも新型(OTタイプ)に成り東亜燃料に合併した「旧ゼネラル」と併せても出荷車輪が少ない❓ので〜DLは1台が多いですネ~
一度高島線と絡めて撮影に行こうかと思っています。
私が若き現役作業して居た「頃」は、重連で牽引して居る機関士2名の「息の合った」力行ノッチ上げの汽笛吹鳴&力強い💪牽引力の振動を機関補佐席に乗車して躍動感❤を感じてました❤👍🎵
当時、日本何処でも見えていた凸型から、各地でレアな存在の箱型は、受け入れ易かったのでは?箱型に駆逐される現代では、もう趣味対象外かも?だけど箱型だけは、首都圏では貴重レア過ぎて地方で見た時、憎めない存在だったのでは?
ご視聴頂きありがとうございます。ご説明いただいた点、なるほどと思います。確かに東京の周りには箱のDLは珍しい一方で、DD51はよく見かけました。電気機関車は、EH10やEF58等々やってきますから、DD51は異端と言うか、駅の隅にある保線区用の小さい機関車のでっかいのみたいな感覚持ってました。
DD13は近所にあった操車場を所狭しと動いていましたが、あまり興味を持てなかったです。DD50やDF50と言った箱型のDLは客車と見た目の違和感がないので好きです。いずれも電気式でエンジン馬力に対して軸出力が低かったのでしょうか。DD54はマンの高性能エンジンやスマートなデザインが良かったがドイツ流のライセンス方式(勝手な改良を許さない)と中間台車の追加で大失敗したのは残念でした
ドイツからライセンスを買って失敗というと、二次大戦のDB601を思い出します。国民性の違いなのか、同じ工業国でもドイツが日本と組むのは相性が悪いようですね
hondraさん、ご視聴頂きありがとうございます。ここだけの話DD51、DD13ってなんて格好しているんだろうって。DD13は神奈川にいまだ派生機種がいっぱいいますが見に行ったことありません。DD51はあちこちで見ていますが、やっと見れなくなって良かったなぁって。
ドイツと日本は元々相いれないですよ。あそこは三国同盟の前には中華民国とべったりでしたしね。
明けましておめでとうございます。「54」は国鉄車輌の不運な数字のようです。DD54形は、西ドイツのトランスミッションが複雑な構造で、推進軸が折れて転覆事故やらかし。棒高跳び事故などと揶揄されます。C54形は、ゆ研様がよ~くご存じの機関車。モハ54形は、モハ51のモーター出カUPと歯車比を高くしただけの電車で、見た目が変わらない。晩年は飯田線の戦前形の主役になります。キハ54形は、北海道のローカル運用で心臓部、台車がお古で目立たない存在。等々。DD13形同形機は、小名浜、鹿島、京葉、神奈川、名古屋の各臨海鉄道にいましすね。改良型もDD13ベースでそれとわかります。
いあさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。54はラッキーナンバーではないようなのですが、DD54ばかりはちょっとまずい機関車ですね。今回DD51の写真を集めて眺めていると、旧型客車には全然似合わないですけど、DF50やDD54だとさまになるんですよね。
@@Yukkuri-Lab 様因みに、DF90形の傍らの電車はモハ60、クハ55、モハ10の並びですね。
教えていただきありがとうございます。
箱型
ご視聴いただきありがとうございます。
ディーゼル機関車のメキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したのに、なぜ日本だけ大失敗したんでしょうね。
鉄道模型大好きおじさん、これもご視聴ありがとうございました。DLのことは殆ど知らないのですが、その辺の製造技術的な劣る点があったのかもしれません。
役不足、の使い方、間違い→→戌
他の視聴者様からもご指摘いただいてます。ごめんなさい。なお一層注意して製作していきます。戌ってなんでしょう?
4:48 日豊本線初の特急みずほが20系で設定された際に、大分機関区ではC57に牽かすつもりで色々準備してたら本社から圧力があったらしいです。
また大分機関区では富士や彗星の為に代走用のC57を常時待機させていました。
C57よりDF50の故障率が高いのと予備車不足からの措置で、宮崎電化までの間に富士・彗星を何度も牽引しました。
あと大分機関区へDD54の売込もあったそうで、米子から1両持込まれた事があったそうですが即返品されたそうです。
Naruoさん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気に牽引させなかった指示はある意味わかります。ハレのブルートレインで東京から戻った人が宮崎で降りて機関車見たら蒸気機関車だったら、がっかりする人もいたでしょうからね。
C57が富士・彗星の牽引している写真は一度彗星を見たことがあるのですが、トレーンマークは無かったと記憶しています。
@@Yukkuri-Lab さん
非常事態対応ですからトレインマークは無かったようですね。
鉄道ジャーナル誌の取材で特別に富士のトレインマーク付けた写真がありましたけど、実は前日の富士に入ってたとかで悔しがってる記者の話が載ってました。
あと20系特急みずほは門司で熊本行基本編成と大分行付属編成に分割してましたけど、熊本編成の方は博多からC59牽引でした。
みずほのことすっかり覚えていませんでした。大分で分割していましたね。C59みずほは実に様になっている蒸気特急だと思います。
凸型しか見たことがなく、箱型は全く未見。常磐線に箱型が配置されていた史実など日立製で水戸機関区とは、もはや想像の域です。
日本のディーゼル技術に関しては、確か流体工学の一例に凸型DD51が引用されていて、電気式のと比較やらトルクコンバーターの解説など記事を(百科事典)で知りました。
鉄道趣味からはDD14の異風な形態、16の可愛らしい姿が印象に残ります。特にDD16は飯山線で軽貨物を牽引、どことなくC56を彷彿としながら見送ったものでした。
DD54形は山陰本線に配置されたが、西ドイツ製エンジンの部品確保が難しく、欠陥エンジン事故を発生させてしまった為に短命に終わったDL。
DD54の短命問題は国会でも取り上げられたそうです。動画で言っているのですが、DD54って安かったのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 様、西ドイツ製エンジンが構造的欠陥があったのと、伯備線と山陰本線の無煙化を達成したが、ドイツ製エンジンの欠陥の修理費が高く付いたことが背景にあった。
3:22門司駅だと思います。架線碍子が交流用。直流の通過中線も確認できます。
こうたんさん、ご視聴頂きありがとうございました。DF50-50ですが、碍子で交直見分けられるのは存じませんでした。教えていただきありがとうございます。私も動画製作中、機関区プレートが「米」なので門司はないよなぁと思った次第です。
元門司区民です。架線碍子で見分けがつくの知りませんでした。背景の倉庫などからこの写真は門司駅の可能性が高いです。でもなぜ米子のDFが門司に?それもズルツァー搭載車。
DD54のデザインは西ドイツV160ファミリーの流れを汲んだ塊感のあるデザイン好きだなあ。
特に好きなのは試作車的要素のある1次型と完成度の高い最終6次型。
前者はドイツのV160系列と日本のED72•73あとりの良いとこ取りしたようなハーフ顔。
後者は計6枚の前面窓がHゴムで完全に独立しのて、ドイツスタイルをより深化させたスタイル。
バランスなら1次型、完成度なら6次型といったところか。
KYさん、ご視聴頂きありがとうございました。
四角い立方体のDLは違和感をあまり感じません。すきなEF58に似ているところがあるからかもしれないなと思ってます。
DLと旧国の貴重な写真をありがとうございます。6:14 の旧国はおそらく、クハ55(平妻初期車)と付属編成クモハ60(丸妻偶数向き)でATS搭載以前の昭和30年代中期と推測。
uton_hosuさん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。この頃の旧型国電とても複雑怪奇で適当なこと発言すると必ず間違うので、視聴者様に振りました。
教えていただきありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab クハ55の形式と番号が1列表記のようなので昭和34年12月以降、DF90の紅白塗りは昭和36年夏頃(全検時茶色に塗り替え)までなので、その間の撮影でしょうか。
この頃から中央線・山手線の101系増備で捻出した4扉73系の転入が始まり、17m車や3扉クハは南武・横浜線や改造で地方転属していったようです。列車ダイヤを縫って走る、俊足クモハ60は重宝され40年代前半まで残りました。昔も今も変わらない常磐線痛勤事情。
昭和35年の10月中旬の撮影になります。撮ったのは私の係累です。一緒にC62のはつかりを見にいきました。
DF90カッコイイなぁ〜、流線形ってのがカッコイイ
0721さん、今年もよろしくお願いします。ご覧いただきありがとうございます。
DF90は日立の努力のたまものと言っているようです。1900馬力というのが凄いようです。
半流線形の湘南電車風ですね。
シャ-プな感じなのに無骨さも相まってる感じがいいんだよね〜
EF58型電気機関車からパンタグラフを外したような格好 湘南マスクいいな!
明けましておめでとうございます。昨年はちょうど一年間、貴研究所の動画で週末を楽しく過ごさせていただきました。今年も宜しくお願いします。
私が鉄道と機関車に興味を持ち始めたころには、DF50もDD54も図鑑の中だけの存在になっていたようですが、なかなか愛嬌のある外観でいいですね。タイ国鉄のDLも、銀座線カラーと湘南フェイスの組み合わせ?が可愛くて、日本製蒸気ともども末永く大切にされていってほしいと思えます。
成田さん、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくご支援お願いいたします。タイの機関車、銀座線カラーの表現良いですね!これから使います。DD51が何輌か無償譲渡されているのですが、ろくに使われないままになっているようです。客車は大事にされているんですけど。タイぐらい運賃が安くて全国鉄道網があると、長旅したい気分になります。
明けましておめでとうございます🙋わたしは元国鉄職員でした元機関士でした。DD13.DF50.DD51.DE11懐かしくです。もう一度ハンド握りたです😅
谷口さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。DLの機関士さんだったのですね。私も係累が国鉄職員だったので、RUclipsやっていますので、これからもご贔屓にお願いいたします。
素人がほんの数百メートル運転させて貰うだけで大感激なんだから、何百トンもの貨物列車を牽引してドッシリした機関車を運転する時の充実感は凄いんだろうな。
同感です。DD13/DD54は蒸気と共存していて好きでした。DD13は初期の1灯タイプDD54も初期型アルミサッシ車が好きでした。DD51は幹線用として諦めましたが亜幹線の蒸気を駆逐したDE10は嫌いです。最後の望み簡易線もDD16の登場で終わって仕舞いました。
Kwさん、今年もよろしくお願いします。ご視聴頂きありがとうございます。
DD16にとどめ刺されたという感覚良く分かります。無くなってしまうのも早かったですね。無理して無煙化しなくてもとか勝手に思っています。
54と付く形式は所謂「呪われた形式」扱いなので、キハ54を開発するときは「本当に54にするか」真剣に悩んだとか
Homareさん、本年もよろしくお願いいたします。ご視聴頂きありがとうございます。
キハ54は出来が良いディーゼルカーですよね。そんなことを悩んだとはおもろいですね。
ED54でもブフリ式駆動方式にかなり苦労させられたようですから
クモハ54やスロ54など成功作もありますけどね。
6:23 40 系電車 めっちゃ古くて素敵です。!!
旧型客車は汚くて嫌な思い出がありますが、古い電車はちゃんと清掃も消毒もしていて、その心配はなかったです。
四角いDLはディーゼル機関車の戦後すぐに見られますね。この後凸型機が多いのは大型大出力機関が作れなかったからですね。エンジン2基積んで補っていたという。
DD54は故障の逸話が多いですね。格好よくて大好きなのですが。
DF50が矢立峠走っていたのは知りませんでした。奥羽沿線の地元民ですけど。D51とDD51のトップナンバーが走っていたのは知っていたのですが。
伊藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD54やDD53は格好いいですし、DF50は動画でも言っていますが、古からの馴染みです。
DF50は奥羽本線全般にわたり主力DLだったと思ってます。北ではDD51が目立ってますね。
扇形庫から追い出された蒸機、我が物顔のDL....。
それから数年後、岸壁に友達と釣りに行った時、「オジサン乗せてよ。」「仕方ない、確り掴まってろよ。」臨港線DLのデッキに乗せてもらった。
(なんか、DLも優しかった....。)
今年も宜しくお願いします🙇。
小樽築港機関区さん、新年あけましておめでとうございます。ことしも何卒宜しくお願い致します。わたしもDE10には何度かある線区で乗せてもらったので、凸でも懐かしい機関車です。マル生盛んな時で組合は先鋭化していましたが、現場の人たちは一般人やファンにはとても親切でした。そういう活動方針だったのかも。
私、ディーゼルフアンなので😂ちょっと悲しいですが😢これからもよろしくお願いします❤ありがとうございました🙌
プリムあたるさん、初めまして、ご視聴頂きありがとうございました。
私も蒸気が無かったらDLを撮影していたかもしれません。うーん、ないかな?
こういうの見ると欲しくなるなぁ。
そして、再現したく成るなぁ。
伊鈴屋ヒミコさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございました。
再現されたいのは、この日暮里の場面でしょうか?あの辺りはいまでも十分当時の面影残っていて好きな場所です。
今回は憎き宿敵、DF50ですね。でも今になると大淀川鉄橋で日南3号を待つ前に来た20系+DF50はでもカッコ良いですね。
宮崎駅でc57だけで無くDF50も沢山撮ったはずです。定年になって時間ができたらスキャンしたいと思ってます。
832bunchanさん、明けましておめでとうございます。ご視聴頂きありがとうございます。
南九州何度か行きましたが、DF50は殆ど撮影していません。
ところで過去のネガ・ポジですが一応それなりに注意して保存してきたつもりですが、この10年ぐらいでしょうか、恐るべき速度で悪化しています。今はデジタルでかなり修正ができるのですが、満足に仕上げるのに途方もなく時間がかかります。RUclipsで使っているものもPC画面では粗は見えなくても実際酷いのもかなりあって、全部をデジタル化するのは大変な作業だなと思っています。
私は、53-54年に製造されたDD50が結構印象深いですね。重連で走る時は大型蒸気機関車と変わらないパワーだったらしいですね。
ishing_kouさん、わたしはDD50は見ていないと思います。重連使用が前提でD52並みとかすごいです。
DF50は電化前の中央西線でも活躍してましたね。何かの本で見たような気がする。
中村さん、ご視聴頂きありがとうございます。
中央西線のDF50あまり記憶ないですが、名古屋ー中津川でしょうか。
@@Yukkuri-Lab
今調べたら、中央西線でなく中央本線でした。1960年代に準急「穂高」などを牽引していた写真を発見しました。
DD54の失敗はエンジンと変速機はドイツの技術のライセンス生産品、それ以降の推進軸と台車が純国産品で、これらのマッチングが上手くいかなかったからだということのようですね。今や三菱重工業は世界的企業ですが、50年前は発展途上の企業だったわけです。
中村さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございました。
海外とのJVとかライセンス契約は文化と言葉の違いが大きくて、本当に綿密にやらないとうまく行かないことが多いです。相手に信用されていないとなおさらです。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したそうですが、日本だけ大失敗したんですね。
DD53の2号機は、C57の代理で平成18(2006)年に「ばんえつ物語号」を牽引したことは車涯で最高の名誉だったと思います。DD51と中身が同じ事が幸いだったかなと思います。無理して買ったマイクロエース製のNゲージ製品は、調子も良いので宝です
ro Naさん、ご視聴頂きありがとうございました。180号ですね。そんなニュースあったこと覚えています。
今回は初のDL中々の物でした。
機会有ればEF55辺りやって欲しいかな☺️
塚越さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
早速ご視聴頂きありがとうございます。EF55って流線形のELですよね。そのうち流線形特集を組みたいです。
茶色いDF50は昭和50年ごろ京都口の山陰本線で旧客を牽引して梅小路蒸気機関車館の横を通過するのを見たことがあります。Nゲージもオレンジはよく見かけますが茶色のDF50はあまり見ませんね。
高須正光 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんですね。そんなに遅くまで残っていたことは知りませんでした。
DD13は、貨物ヤードや操車場に大量配置されて、9600形蒸気機関車などを大量駆逐した。
DE10形は、入れ替えやローカル線などの貨物運用などに使われている。
ちなみに、JR九州のDE10は、DF200形七つ星九州に合わせた黒色。
大坂さん、明けましておめでとうございます。今年もご視聴お願いします。
DD13派生のDLが京浜工業地帯の軌道でたまに見かけます。架線がないところを列車が走るのは見ていて楽しいです。
@@Yukkuri-Lab 様、あけましておめでとうございます。
DD13形は、貨物ヤードや操車場に大量配置されて、貨物の入れ替えなどに使われた。
DE10形は、貨物の入れ替えだけでなく、貨物列車の牽引も行っている。
各地の臨港鉄道の貨物運用にも、入っている。
初めましてm(__)m
日立製台湾向けディーゼル機関車DF91(初代)が試験的に1ヶ月限定で常磐線走っていましたね。確かドイツMAN製エンジンだと思いますが、台湾では、日立製DF91は、R0型に改名されエンジンもMAN製からGE製エンジンへ変更改造されました。
スバル660さん、はじめましてこんにちは。ご視聴頂きありがとうございます。
スバルの660ccは4気筒なので良いですね。
DF90ベースの機関車はタイに輸出されていて、静態保存されているようです。
新年あけましておめでとうございます
初期のDF50やDD54が箱型のボディなのは、海外製エンジンの背が高く、そうしないと収まりきらないというネタがありますな
これはエンジンが直列のL型で、ヘッド部分にバルブが集中していたためといわれています
国産が凸型になるのはエンジンをⅤ型に配置して、谷間にバルブ類を配置することで低くできたことによります
また、箱形のボディでは狭いトンネルで側面部分との隙間がなくなり、エンジンの冷却に支障があったそうです
凸型にすることで隙間が広がり、効率的な冷却ができるようになったという事情もあるそうです
電光刑事さん、新年あけましておめでとうございます。今年もごひいきにお願いいたします。機関車や船舶のエンジンってほとんど知見がないのですが、ドイツやスウェーデンにはかなり力があるんだなって感じています。米国も当然として。日本は動力分散化の電車の世界だから、これから世界の鉄道を驚かせるような機関車は出そうもないですね。
サムネのDF90-1
塗装が確か世界展?の為の
DD50と似たクリームと朱の
限定塗装ですね。
常磐線の水戸機関区に配属
だったんでしたっけ
(マイクロでも製品化されてましたね)
LocalE233 Joban さん、ご視聴頂きありがとうございます。
元はBWですが、AIの判断でこの塗装になりました。
水戸で急行北上の仕業が多かったそうです。
@@Yukkuri-Lab
模型でもほぼ同色なのでAIも
凄い再現度なんですね。
でもこの一枚仕上げるのに都合3、4時間はかかりました。
左の看板が特に。まだまだ手を入れないとだめです。
DF50は力が無いってよく言われてたけどC57程度にはパワーがあったんだ。
OUTATIMEさん、ご視聴頂きありがとうございました。
C57=C61ですから、日豊本線で富士とか彗星のブルトレを牽引してもらいたかったです。
DF50は昭和32年当時、1000PSクラスの液体変速機をつくれなかった国鉄がやむを得ず造った「一応」本線用の電気式ディーゼル機関車です。SL駆逐の無煙化の要請がとても強かったことに押されて早急につくった面もあります。
「一応」と言ったのは、本線用としてはその出力が低すぎたのです。おおかたスルザー形にしろMAN形にしろ、1250PS,1350PSの入れ換え用・支線区用のDE10とほぼ同じくらいの出力でした(この当時はDE10はなかった。)。
スルザー形(100kwモーター×6台)もMAN形(110kwモーター×6台)も、101系電車1ユニット分(100kwモーター×8台)にも満たない出力でした。
そのため例えて言うと、原付バイクで1000kg以上くらいのキャンピングカーを平らな道路で長時間引っ張り続けているようなものでした。これは何とも奇妙なことで、これで特急、急行などと言っていたのです。だから勾配区間にはとても弱かったのでよく補機を必要としたのです。
その数年後1000PSクラスの液体変速機が実用化されたことから、DD51(1100PS×2台、昭和37年)と、そしてその後、DD51の片肺分の出力を持つDE10(昭和41年)ができます。液体式の方が重量、軸重の点で軽量化に有利です。
以降DD51,DE10が量産化されてゆきます。
DF50はこの当時の国鉄のつくった苦肉の策の代物だったというわけです。
なおこの指摘をする人はあまりいませんが、DD13は、DF50と同時期の国鉄のつくった目立たない決定的な名機でした。構造が著しく単純(前後均等の500PS✕2台)であった面もあったとは思います。
DD51やDE10はその機関出力が1000PS以上であるため、途中に「常時、流体継ぎ手」を使わざるを得ませんでしたが、DD13タイプは、気動車と同様に「直結段を持つ変速機」が用いられました。
こちらの変速機はメインテナンスに優れていたので、DD51,DE10製造終了後も、臨海鉄道などの私鉄ではDD13と同タイプのものが新製され続けました。2000年以降につくられたものまであります。日本の機関車の中でこれほど長期にわたり生産され続けた機関車も珍しいと思われます。
権三郎平衛 さん、ご視聴頂きありがとうございました。私はDE10やDD51のパワートレインは優秀であることは理解していますが、あの凸型と色が大嫌いなんです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、あらゆるところで遭遇しても忌み嫌っていました。でも特にDF50はいろいろ遭遇しましたが、蒸気と同等の性能、信頼性に欠ける機関とか聞いていたので、蒸気の敵ではないなと安心していたこと、客車や好きなEF58のような箱型スタイルがわるくないなとおもっていたわけです。
DD13は凸型ですが、まぁ小さいし昔からどこにでもいたので、保線区用の小型DLみたいな感覚ですね。それほど優れているとは認識なかったです。教えていただきありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab さん
DLは本線用でも引き込み線等の入れ替え作業が結構多いものです。入れ替え作業を見ているのは、とても面白いものです。
DD51設計当初も、本線用で凸型とは!?という反発があったのは記録に残っております。
しかし、凸型だと、メインテナンス、点検、製造価格、作業効率、軽量化、入れ替え作業時の運転台の変更不要等、あらゆる面で有利なことが多いです。
オレンジ色とグレーの色は当時アメリカやドイツなどではやっていた色(当時の日本は欧米諸国のDLなどの研究をしていた。)でしたが、臨海鉄道などの私鉄などでは、いろいろな色のスイッチャーがありましたし、今もあります。
今後、DLというと、北海道を除くと、おおよそ本州以南では、入れ替え作業や小運転が中心になってゆくものと思われます。凸型に慣れるしかありません。
6:00
DD51よりもDF50のほうが非力なので、役不足→力不足な
ご視聴頂きありがとうございました。言葉の使い方ご指摘ありがとうございます。今後も気を付けてまいります。
明けましておめでとうございます。
DD54はマイバッハ(現MTU、ダイムラー・ベンツ系列)エンジン、
DF50はズルザァー/MAN(合併でMANが存続、フォルクスワーゲン系列)
ですね。
以前ピアノ線の話と一緒でDD54の当時は間違いなく冶金技術が西ドイツに劣っていたのでしょう…
繁神名さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
西独の車メーカーですが、ICEの消滅を前にしてどのような差別化戦略が出てくるのでしょうか。私はEVでポルシェやランボルギーニが出てきても、中国ローカルのスーパーカーと違いは見いだせないですね。
DD54の失敗を元にDE50を作ったは良い物の、
幹線の電化進行及びDD51が良い子ちゃん過ぎて量産化がされなかったのは惜しいです。。。
もしDE50が量産化されていたらDD51では無くDE50が全国津々浦々に配置されていたのでしょうか??
大山さん、ご視聴頂きありがとうございました。DE50はどこかで見たことがあるかもしれませんが、赤い姿をみると目を背けたりしたので。
Wikiを読むと一本化でDE50は外されたようですね。無煙化の進展と貨物・旅客の減少を読み違えてDLを作りすぎたと思っています。
DE50は岡山の「津山まなびの鉄道館」に保存されているのをご存知でしょうか?自分は一昨年の夏見に行きましたよ。
DF91は試作機なのに急行牽引を任された。今ではできない事だ。昔の人は自由だったんだな。
夕刻夕刻さん、ご視聴頂きありがとうございました。常磐線は長距離列車殆どが蒸気牽引で電化も遅れていてサービス向上を何とかしたかったんだとか。
@@Yukkuri-Lab 電気式だけど1200馬力、最高速度90km、当時としては良かったかもしれませんがDE10の1250馬力より劣ります。(DE10の最高速度は85km)だけどSLよりは良かったかもしれません。周りの事を考えれば。無煙化したかったのでしょうか?
しかDF91は昭和46年に壊しちゃったんだって。静態保存くらいできなかったのかな?もったいない!
あれ?台湾に静態保存されていますね。
@@Yukkuri-Lab そうでした。壊したのはDF90のほうでした。すみません。
アムトラックの機関車も電気式でしたね。タイもGE製の古い電気式持ってますね
どんぶりレンジャーさん、ご視聴頂きありがとうございました。
インバーターの制御が上手くなったからトルコンがオワコン化したそうです。ところで内燃機関の機関車って音がうるさいですね。
電気車、殊にハコものの電車に関しては文字通り[十八番]な本邦鉄道界ですが、内燃車となるとカマもハコも今一つorz。
機械式は閑散路線の少量輸送限定としても…
内燃機関を鉄道車輛に搭載しそれを鉄道車輛として求められる特性に合わせて制御するのは中々難しいようですね。
自動車の世界では今や標準装備ともなったオートマチックトランスミッション、鉄道界でいうところの液体式(液圧式)。自動車の軽量車体ならこれで十分だったものの大柄な鉄道車輛(キハ40クラスだと車重45t。大型トラックどころじゃない重量ですね)用のエンジンを制御させるにはこの方式を導入するのは結構大変で殊に本線用の大型機にこれを採用できたのは実質日本とドイツぐらいなもので、世界的には電気式が主流ですね。これなら電気車の技術も応用できまた地上設備も電化は不要な分導入コストは安くなります。
ただ、言ってみれば電気車に火力発電所を積むようなものですからどうしても重量面では不利になります。路盤土壌地質がしっかりしていて重い車両も走れる頑丈な軌道であれば少々重量があっても良いでしょうが本邦の脆弱な軌道にはたとえ本線用大型機と雖も重量制限は厳しいものが課せられます。しかも特甲線・甲線系は電化が前提、内燃車輛で対応する予定の路線は良くて亜幹線、大概は支線区丙線・簡易線となると猶更厳しくなります。
性能面では今一つで蒸気を完全には駆逐できなかったDF50は然し、特急列車や食堂車程度にしか冷房が無く、急行以下の列車はロザと雖も冷房が無かった当時、せめて急行旅客列車だけでも無煙化したいという当局や担当管理局更には沿線利用客の切実な願いにこたえることが出来た点が最大の功績だったかと愚考します。
3:25のDF5050、下関駅ですか?すると…幡生寄りの方でしょうか?(門司側だと本線の下り側は貨物操車場、上り側は[関転]が広がっていて線路のすぐわきには建物はない筈)
3:32のカモレ前補機は次位がC57の様ですから若しかしたら日豊本線では?日豊本線南部は確かD51が入線できずパシフィックがカモレも担当していましたね。山陰本線だとD51がいてカモレは勿論一部の客レも担当していましたからわざわざC57をカモレの本務機にはしなかったと愚考します。
DF90はEF58を彷彿とさせるエクステリアデザインは中々秀逸だったと愚考します。これが量産されていれば…と思ったりもするのですが量産化に当たっては特に当時は在来一般型客車による旅客列車は幹線の長距離急行はじめローカル列車も含めて夥しい数があり、そうなると冬場のSGは旅客用機には必須アイテム。果たしてこれを積み込み更に軸重14t(運転整備重量56t)に収められるか?が成否のカギですね(甲線・乙線までで良ければ軸重15t、運転整備重量60tまで許容できますが丙線運用も考えるなら軸重14t以下は絶対条件)
本邦DLが本線用ではなくまず入換用から導入されたのはやはり操車場・車両基地等で働く小型蒸機の煤煙対策が切実だったことが最大の理由でしょうね(それらの施設は得てして人口の多い都市部にありますから)。
本線用のカマまで凸型ってのはちょっとそれらしくない感は無きにしも非ずですが、運転席が前頭ではなく車体中央部にあって長いボンネット越しになる構造は然し、蒸機組には寧ろ違和感なく受け入れられたのでは?そして蒸機の様な煤煙もなく炎熱地獄もないので現場には好評だったことでしょう(沿線で蒸機を待っていた当時の諸先輩方にはにっくき仇敵に見えたでしょうが)(^^);
重量面で不利とされ本邦ではすたれていた電気式内燃車ですが技術革新と言うものは侮れず、カマ(DF200、HDD300等)は元より内燃動車迄電気式(HC85系)が登場し殊にHC85系は公式(JR東海)が[電車]と呼び記号も[クモハ]!老境に差し掛かったアラカンオジン[鉄]には隔世の感ひとしおです(^^);
SuperExpressJNRさん、今年もよろしくお願いします。ご視聴、貴重なコメントありがとうございます。電気式が軌道も含めて比較的脆弱な日本では不利な点良く理解できました。
DF90は日立の中ではかなり出来が良いとされたようですが、結局重量なんでしょうね。
DD50ふくめいろいろな四角のDLが試作機で出てきた時代は、ファンの方にはたまらなかったでしょうね。私は全く興味ないのでだめです。
DF5050、そのDF50xC57の写真も含め、前後のネガから山陰旅行の時のものです。
DF50補機のほうは日豊線のように見えますが、山陰線の何処か特定できません。
アラカンとおっしゃっておられますが、わたしよりずーーっとお若いのに車輛全般の知見豊富で尊敬いたします。
@@Yukkuri-Lab 改めて貴動画のDF50+C57を拝見しますに…C57が煙を吐いていませんね。若しかしたら所謂次位無動の回送機だったのでしょうか?若しも主連棒(メインロッド)が外されていれば間違いなく無火回送ですね(生憎ウチのモニタの解像度では貴写真のC57のロッドの様子までは読めませんでした)。
オリジナルのスキャンデータの拡大したものをコミュニティにアップしましたので、ごはん代位頂けますでしょうか?ロッドが外されているようにも見えます。煙は出ていないようなので、回送かもしれませんね。
芸備線も、昔はディーゼル機関車が走ってました。
今日(1月1日・元日)、諭くん(弟)と一緒にハローキティ新幹線に乗って新尾道駅まで行って、新尾道駅からバスに乗って尾道駅まで行ってまたバスに乗って、D51 422号蒸気機関車を見に行きました。
ハローキティ新幹線の車内アナウンスと、D51 422号蒸気機関車の動画を見に来てくださいね……。
🙏お願いします。🙏
機関車ヒロさん、新年あけましておめでとうございます。今年も一杯ご覧になってください。422号は家のご近所にあるのではなく、わざわざ出かけられているんですね。
ハローキティ号にはクロミはいますか?
あけましておめでとうございます。
今回は、DE50形の特集記事ですか。
DE50は全国に普及したが、DD51は、文珍形で蒸気機関車を駆逐した、昭和40年代鉄オタを激怒させたDL。
JR貨物のDF200形誕生まで居座ったディーゼル機関車。
DF50は古い時代の蒸気とおなじころからなじみなので、あまり違和感ないですね。
@@Yukkuri-Lab 様、誕生時は、茶色で登場した。
晩年は、DD51形と同じように赤色になってしまった。
なんで茶色を継続しなかったんでしょうね。赤は色あせが早いですし。
@@Yukkuri-Lab 様、なぜでしょう。
焼きタラコ色機関車と言われたとか。
凸型DLって、入れ換え用とか、ローカル私鉄のチマチマ貨物列車用みたいな先入観があるので、実物のDD51をみると意外な大きさと迫力にビックリしたものです。
6:00
役不足とは本来本人の能力に対して割り振られた仕事のレベルが低い、釣り合わないという意味のはず
ご視聴頂きありがとうございます。正しい熟語の使い方をご教授いただきありがとうございました。
霊夢ちゃん❤「神奈川臨海鉄道」が近くの「住まい」なんだネ👍 私は「若かりし頃」その神奈川臨海鉄道に勤務(塩浜操車場⇐現 川崎貨物駅)で操車掛してましたょ~🎵
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございました。霊夢は近いわけでないのですが、品川の東大崎に住んでいて、ベイエリアを車で流すことがあるようです。たまにDLを見かけると言っていました。
そうですか🎵DD13タイプ55〜56t級です👍タキ35000型なら浮島からの油積載を最大24両を重連で浮島橋越えに挑んでました。
でも新型(OTタイプ)に成り東亜燃料に合併した「旧ゼネラル」と併せても出荷車輪が少ない❓ので〜DLは1台が多いですネ~
一度高島線と絡めて撮影に行こうかと思っています。
私が若き現役作業して居た「頃」は、重連で牽引して居る機関士2名の「息の合った」力行ノッチ上げの汽笛吹鳴&力強い💪牽引力の振動を機関補佐席に乗車して躍動感❤を感じてました❤👍🎵
当時、日本何処でも見えていた凸型から、各地でレアな存在の箱型は、受け入れ易かったのでは?
箱型に駆逐される現代では、もう趣味対象外かも?だけど
箱型だけは、首都圏では貴重レア過ぎて地方で見た時、憎めない存在だったのでは?
ご視聴頂きありがとうございます。
ご説明いただいた点、なるほどと思います。確かに東京の周りには箱のDLは珍しい一方で、DD51はよく見かけました。電気機関車は、EH10やEF58等々やってきますから、DD51は異端と言うか、駅の隅にある保線区用の小さい機関車のでっかいのみたいな感覚持ってました。
DD13は近所にあった操車場を所狭しと動いていましたが、あまり興味を持てなかったです。DD50やDF50と言った箱型のDLは客車と見た目の違和感がないので好きです。いずれも電気式でエンジン馬力に対して軸出力が低かったのでしょうか。DD54はマンの高性能エンジンやスマートなデザインが良かったがドイツ流のライセンス方式(勝手な改良を許さない)と中間台車の追加で大失敗したのは残念でした
ドイツからライセンスを買って失敗というと、二次大戦のDB601を思い出します。国民性の違いなのか、同じ工業国でもドイツが日本と組むのは相性が悪いようですね
hondraさん、ご視聴頂きありがとうございます。ここだけの話DD51、DD13ってなんて格好しているんだろうって。DD13は神奈川にいまだ派生機種がいっぱいいますが見に行ったことありません。DD51はあちこちで見ていますが、やっと見れなくなって良かったなぁって。
ドイツと日本は元々相いれないですよ。あそこは三国同盟の前には中華民国とべったりでしたしね。
明けましておめでとうございます。
「54」は国鉄車輌の不運な数字のようです。
DD54形は、西ドイツのトランスミッションが複雑な構造で、推進軸が折れて転覆事故やらかし。棒高跳び事故などと揶揄されます。
C54形は、ゆ研様がよ~くご存じの機関車。
モハ54形は、モハ51のモーター出カUPと歯車比を高くしただけの電車で、見た目が変わらない。晩年は飯田線の戦前形の主役になります。
キハ54形は、北海道のローカル運用で心臓部、台車がお古で目立たない存在。
等々。
DD13形同形機は、小名浜、鹿島、京葉、神奈川、名古屋の各臨海鉄道にいましすね。改良型もDD13ベースでそれとわかります。
いあさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。54はラッキーナンバーではないようなのですが、DD54ばかりはちょっとまずい機関車ですね。
今回DD51の写真を集めて眺めていると、旧型客車には全然似合わないですけど、DF50やDD54だとさまになるんですよね。
@@Yukkuri-Lab 様
因みに、DF90形の傍らの電車はモハ60、クハ55、モハ10の並びですね。
教えていただきありがとうございます。
箱型
ご視聴いただきありがとうございます。
ディーゼル機関車のメキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国ではそこそこ成功したのに、なぜ日本だけ大失敗したんでしょうね。
鉄道模型大好きおじさん、これもご視聴ありがとうございました。
DLのことは殆ど知らないのですが、その辺の製造技術的な劣る点があったのかもしれません。
役不足、の使い方、間違い→→戌
他の視聴者様からもご指摘いただいてます。ごめんなさい。なお一層注意して製作していきます。戌ってなんでしょう?