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鷹司平通氏はDF50のことを[火力発電所を積んだ電気機関車]と評していました。内燃車輛には大きく分けて機械式・電気式・液体式があることはココに御集りの諸賢には釈迦に説法もいい所ですが…小型軽量の気動車なら機械式でも対応できても、本線用の大型機にそれは難しい。かといって液体式はまだ開発途上(本線用大型機に液体式を採用し実用化出来たのは日本とドイツだけとのこと)、となると電気車のknow-howが応用できる電気式が選択肢に上がるのは自明の理。実際諸外国ではカマに関しては電気式が主流です。然しこの方式は重量面で不利。軌道が脆弱な我が国には必ずしも合っていません。それでもDF50が大量増備されたのは推測するに…やはり旅客列車の無煙化促進があったのでは?まだ冷房が普及していない当時、殊に夏場窓を開けて涼風を呼び込もうにも蒸機牽引では煤煙から逃げることは不可能でした。明かり区間はまだしも、トンネルに入ると逃げ場無し!せめて急行旅客列車だけでも無煙化したい!貨物は取敢えず蒸機でもイイから…性能的にはまだ物足りない部分があったとはいえ蒸機の煤煙からの解放は非電化区間には福音だったことでしょう。ただ、より高性能でより汎用性の高い液体式機、DML61Engine一派の登場はDF50に引導を渡してしまいました。後にDF50は紀州・山陰・四国・東九州に集中したのは車種統一によるMaintenanceCost削減があったものと愚考します。閑話休題。0:23DF50前位で次位が蒸機、1両目の客車が青塗ですがこの客車、オハフ61ですね。同車で青15号塗装は千葉局に少数いたものの他地区では寡聞にして存じません(近代化改装対象外だったので基本的にぶどう色2号のまま)が、イレギュラーは在来一般型客車あるあるネタ(^^);若しかしたら他地区でもそんなイレギュラーがあったのかも知れません(^^);重量面で不利とされ日本では潰えたと思われていた電気式内燃車輛、然し技術革新は面白くかつ恐ろしいもので、新世代の電気式内燃機関車(DF200)や電気式内燃動車(HC85系)すら登場し本邦の環境でも実用に供せる電気式が登場したことには隔世の感ひとしおです。それにしてもHC85系、[公式]が敢えて[電車]と呼ぶことに一抹の違和感が拭えないのは還暦過ぎて頭が錆付いたオジンの愚痴でしょうか?(^^);
SlepperExpressJNRさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。矢立のDF50xC61の客レですが、これネガカラーの退色補正の過程でどうするか悩んで青15号に塗ったものです。補正の方法を変えたトライしました。それをコミュニティにアップしますので、ぶどう2号で間違いありません。教えていただきありがとうございます。
最も電子機器がコンパクトサイズになったことが電気式ディーゼルが復権した大きな理由だと思われます...
exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。動画でもコメントしていますが、パワー半導体の一般化と低コスト化ですね。
DF50の時代のディーゼルエンジンは、エンジン始動が大変ですし出力調整も難しいですからね。気動車用のDMH17は北海道で冬場の場合、一旦エンジンを止めた上にエンジンを冷やすと再起動が大変だったから一晩中アイドリングしていました。
チーヤンさん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなんだぁと思い、調べてみたらDMH17の燃焼室の表面積が広すぎて、グロープラグが役不足のようなんですね。最近のディーゼルは自動車用には欧州でも激減しましたが、自動車では素晴らしいなと思っています。
国鉄時代、ディーゼル機関車では珍しい箱型のスタイルで非常に貫禄あって好きでした。ブルートレインから貨物列車まで、いずれを引く姿も絵になっていた。今も津山や四国などで保存されているのは嬉しい事だ。
ヒストレインさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。DF200の後継機が2027年頃から投入されるようですが、電気式でしょうけど、まさか凸なんかになったら私は酷いショックを受けるでしょう。
まあ、電気式の説明するのは結構大変ですが、DF50のころはきほんてきに直流発電機で直流電動機を駆動する方式ですが、速度の調整には基本的にエンジンの回転数を変えて発電量を両制することで行うワードレオナード方式が採用されていましたこれに対してDF200では三相交流発電機を使用して発生した三相交流電気で三相交流電動機を駆動させるのですが、実は発電した三相交流では誘導電動機の駆動には使えませんそこで一旦直流に整流してからVVVFインバータを使用し、電圧と周波数を変更して制御を行う三相交流として誘導電動機を駆動しますDF50では直流電源がそのまま使えるので、搭載した抵抗器によって発電ブレーキが使えますが、実はDF200では回生電力が三相交流となるのでそのままでは発電ブレーキが使えず、架線がないので回生ブレーキも使えませんそのため、DF200では常に必要な量の発電のみを行うようにし、抵抗器を別に搭載して直流に整流してから発電ブレーキを使うことになります
電光刑事さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。Web文献をやWikipediaを読み、Chatgptと問合せしながらやったわけですが、この制御の違いを示すにはあまりに尺が足りないことが分かって、次回送りにしました。DF200は貨物用なので、かなりうるさいそうですね。名古屋で見かけるのですが、DD51のほうがうるさかったようにも思うのですが。
@@Yukkuri-Lab DD51のエンジンがV型12気筒で排気量が61100㏄であるの対し、DF200は同じV型12気筒のエンジンでありながら排気量が46300㏄ですからな
ディーゼルエンジン、Rollingsttock用だけでなく、トラックや船舶にも供用されるのが多いですね。
大分のDF50は遅れていた日豊本線南部区間の電化完成までブルトレを牽いていましたそして時を置き非電化路線をも走るななつ星牽引機にDF200を採用した事で電気式が大分に再び帰ってきました
ヌケサクさん、ご視聴頂きありがとうございます。7000番台格好良いですね。愛知の機関車も倣えばよいのにと思っちゃいます。
液体式は伝達装置でトルクコンバーターを速度域に合わせて2つないし3つ組合せオイルなやフルードの潤滑と冷却対策が必要なこととそれを細かく制御する部分で部品点数が増えることがデメリット。初期の電気式が非力なのは電動機の問題だけでなくディーゼルエンジンそのものが低出力で重かった。最近の電気式はエンジンを高出力コンパクト化し誘導モーターで半導体を使って速度調整は細かく制御できるようになったのも大きい。
Mr. Yattsun、ご視聴頂きありがとうございます。電気式ディーゼル機関車も時代の変化とともに進化を続けていることが良く分かりました。DF200はタービン回す蒸気機関車に改造できそうです。
DF50は四国の鉄道史を語る上で欠かせません。亜幹線での活躍を目的としていたDF50、実は軸重の関係上予讃本線の伊予市以南に入線できないという弱点がありました。その影響で、DE10の開発まで予讃本線の無煙化はお預けになっていました。動画の途中、3:59 で高知区にいた48680のように、四国の旧型蒸気はゴシック体ナンバーながら形式入りという変わった仲間が多かったのも特徴的です。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。以前、大垣行の夜行のグリーン車(よく使って撒いた)で名古屋から乗ってきた方が撮り鉄で四国のDF50のすばらしさを力説してくれて、長いこと拝聴していたことを思い出します。私は聞きながら、相槌打つだけですが、四国にはまだ居るんだぐらいの感想でした。ですから蒸機が無くなって、それらを撮影に行くことも無く、いつの間にか消えていました。ざっとですが、DD51よりは撮った枚数は多いですね。私はかなり好きなほうです。
逆にDD51の大出力液体変速機のほうが貴重ですね
OKはん、ご視聴頂きありがとうございます。もう発展を止める技術と言う意味ではDD51はレアですね。でもDE10はまだまだ現役で当面生き延びるでしょう。
電気式ディーゼル機関車を見たことがない。常磐線にいたのですね。さすがに乳児時代で記憶の欠片も…。DF90は日立製作所で製作され国鉄が借り入れて常磐線で使用…とネット記事にはあります。確かに松下電器や東芝のデザインに比べて(田舎臭さ)がポイントな日立製作所製品には間違いなく。勝田駅に隣接する水戸工場には戦前のバッテリー機関車がありました。ある日、ヤードで整備中に遭遇。技師によれば『この機関車はコイルさえ巻き直せば、ずっと使えるから』と。ディーゼルより電気、創業以来モーターに強い日立製作所らしい。
HMS HOODさん、いつもご覧いただきありがとうございます。以前DD54の特集やった際に、タイのDLを出そうと思ったら今は電気式ばかりなんですね。色遣いは文化の違いですが、日常的に昔の日本の鉄道の感覚が味わえます。中国も似ていますが標準機だからみんなあデカくて、ちょっと違いますね。
うぽつです!DF50って確かに欠点があったっぽいですけど、当時の機関士たちの意見(親戚)はどれも「運転が簡単だし、補給がほとんどいらないから嬉しい」と言っていました
少尉の塹壕さん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気機関車より面倒な辛い運転をする機関車は無いですからねぇ。
1962年11月29日 国鉄羽越本線DF50 548 は21両の貨物列車を牽引中にD51 637と正面衝突したそうです。
KElSEIさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。DF50-548はラッキー罐なのでしょうね。事故で廃車もされず修繕され、お召列車までけん引。なかなか居ないですね。
RUclipsで初期型のDF50のエンジン音を初めて聞いた時、昔の漁船の様だなと思いましたでもなんかのどかで好ましい音、非力で一生懸命さがいい味を出してますねそしてDF50は茶色が似合うと個人的に思います。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。確かに機関車のエンジンは漁船や自衛隊の艦艇にも使われます。というか鉄道のほうがそちらから選び使うんでしょう。
すぎづでは無く、すいづ後、ディーゼルエンジンが予熱室から直噴式に変わった事による燃焼効率の変化を示さないと意味無い
ごめんなさい。ご指摘ありがとうございます。地名に駅を入れると正しい読みを示すんですが。ディーゼルエンジンの進化はこの動画の要素には関係ないと思ってます。
タイ国鉄の133快速列車でラオスのビエンチャンへやってきました。50系もどきの3等座席車の車端で天井が低く、車掌室を改造したシートのようでした。ロングレールをゴロゴロと。レールの継ぎ目を渡るリズミカルなカタンカタンという音がしないと郷愁はありません。そして乗降には不便でも低いプラットホームは歴史を感じさせてくれますね。昭和50年4月東能代の駅前旅館に泊まりましたが、古いDLのことは知らず残念です。TVでサイゴン陥落の報道をやってました。
motohisa ochiaiさん、ご視聴頂きありがとうございます。タイは以前良く行っていましたが、SRTはあまり乗りません。線路がヘロヘロで怖いというのが最大の理由ですね。ラオス行の線路は立派になっているのですね。
@@Yukkuri-Lab SRTもたぶん20年くらい前とは様変わりして軌道強化が進んでいます。始発駅を変更したことで以前のように北、東北方面の遅れも少なくなりました。
DF50は失敗作の機関車でもあり傑作の機関車であった。保存機はかつては3台だったが大阪の奴は台風のせいで解体され帰らぬ機関車となって残ったのは四国、津山鉄道博物館の2台だけどなった…
kohki Lightningさん、ご視聴頂きありがとうございます。四国の1号機はJR四国で車籍があるわけで、何か計画があるのだろうと期待しています。
根本は機関出力な訳で、伝達機構が液体式でも電気式でも大元の機関出力に余裕があれば減速機(システム)の効率が多少アレでもなんとか実用になったと思います(古来電気式の方が高効率との評価があり、重いけど漁船のようなエキゾーストノートのDF50がキツかったのはヤッパ出力が小さかったから?)狭軌の車両限界に収まるディーゼル機関で、かつ所定の出力を出せるエンジンの開発、熟成には工業力のある日本でも 優秀な開発者の知見と、すっごい時間、お金が必要だったって事ですかね。
電気式ディーゼル機関車が現役時代、富士重工はトルコンのスクーターを造っていたなぁ~
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。ラビットですか?遠心クラッチ使っていないんですね。
スーパーフローというトルコンモデルがあります。私は、出だしの加速重視でクラッチ付きのラビットに乗ってました。
静岡でPiaggioの2ストスクータで遠心ベルトきれて何キロも押して歩いたことがありました。スノーモービルでも2回切りました。
2:34北陸本線杉津峠は「すぎづ」峠でなく「すいづ」峠と読んでくださいネ
ご視聴頂きありがとうございました。他の視聴者様からご指摘もいただきました。IMEがあまり賢くなくて、修正追いつかず見逃しました。地名に”駅”と入れると間違わない事見つけました。
DF50や90って魂に響くカッコ良さなんだよなぁ〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。私もそう思います。旧型客車と違和感がないのは四角いからでしょう。
だから旧客とマッチするんだね、違和感が全くないもん
でも、若い方からしたら意外中の意外だが、DF50+50系が松山エリアにあったのよね😉
DF91の金太郎塗装、これも80系電車の塗り分けの影響が大きいのだろうな。
C62-3さん、ご視聴ありがとうございました。DLを朱色にしたこと、凸にした事が、私をDLから遠ざけた原因の一つです。
トルコンを搭載した液体式DLをAT車にたとえるのはよく見聞きしますが、そうかDF50はミニ四駆だったのか・・・霊夢はかしこいです(笑)ありがとうございます。しかし、ミニ四駆に馴染みがあるのは40代以下の年齢層かと思うので、魔理沙と主様がお幾つなのか、ますます分からなくなってしまいました!以前の動画で私が「銀座線カラー」とコメントしたタイのDLはアルストム製の電気式なんですね。5:06からはエンジンが車体の中央に鎮座している様子もわかり、なかなかに貴重なシーンかと思います。そして今日は2024年最後の日曜日、数日後には初詣で霊夢に会えるかも知れませんね??今年もありがとうございました、来年も宜しくお願いします!
成田さん、いつもご覧いただき、メンバーシップも継続支援いただきありがとうございます。ミニ四駆ですが、係累と良く大会に行きました。私のほうが熱くなりかなり研究したり投資しましたね。(ですからユザワヤが私の動画には出てくるんです)タイは殆ど電気式のDLですが、気動車はトルコンばかりと言うのが面白いそうです。客車が多く、狭軌ですから中国より親しみやすい鉄道です。霊夢は巫女のバイトで忙しいようですが、私は宗教上の理由で初詣と言う行いはしません。今年はまともな休みなので、もう一つぐらい動画を年内に作りたいです。これからもよろしくお願いします。
幼少の頃は、DD50とEH10が二輌連結でDとHの違いが謎だった..😅
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。EH10は東海道で良く見ましたが、何故かDD50は見たことが無いんですよね。触手が伸びる車輛でもないですね。最近は重連電機多いですね。
6:20 2両目ブルーの客車(オハ35❓)の窓から見ている女性は合成❓こんなに鮮明に映るかな❓
gimba_さん、ご視聴頂きありがとうございます。オハ35と判断できませんが、オでしょうね。女性はAIが乗客として挿入したものです。
@@Yukkuri-Lab やっぱりAIでしたか。車両はオハ47の可能性もありますが、切妻では無いのでオハ35の可能性が高そうですが。
カラー化作業で疲れるので、最近そうやって癒しの時間を入れ気合いを掛けるようにしています。
@@Yukkuri-Lab なるほど。
@@Yukkuri-Lab 2両目に客車はオハ35でも初期ロット(スハ33650)のおそらく2桁オーダー辺りのハコですね。ウインドシル・ヘッダー・車体裾のリベットがその証(地元広トマにいたオハ3579がそんな形状でした)。ただ台車はコロ軸受け化改造されたTR-23D(E?H?)辺りを履いてますね。
海坊主は海難事故で亡くなった人の魂が作り上げたものらしいです。
トワイライトさん、ご視聴コメントありがとうございます。あれ?そういういきさつがあったのですね。お知らせいただきありがとうございます。
この時代は『電気式』でやるしかなかった訳だけど せめて高出力エンジンと 高効率発電機があればDLの歴史も変わった事でしょう。技術が進歩した今では DLだけでなくDCも『電気式』の時代。
トリリサービスさん、ご視聴頂きありがとうございます。タイのDLは電気式にトルコンはほぼ駆逐されてしまいましたが、気動車は逆にトルコンばかりだそうです。
@@Yukkuri-Lab さまタイ国鉄は 電化区間が無く複雑怪奇な現代のECのメンテナンステクノロジーも無いので DCもローテクなトルコン式が好まれるのでしょうね。
6:20 見っけ🤩
こどおじさん、ご視聴頂きありがとうございます。カラー化は大変しんどい作業で、息抜きをしないとやってられないんですよね。まだほかにもありますから見つけてみてください。
1:59東能代の扇形庫側線に留置されたDF90の写真懐かしいです。自分が見た時も同じ側線でした。8620が目的でしたが珍しいので撮影しましたがボロボロでした。国鉄はディーゼル機関には苦労したと思います。DLでは動画のDD50から後年のDD54又DCではキハ80から後年のキハ181までトラブルの連続でした。
Kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。日本メーカーは船舶のエンジンで実力があるので、エンジンはとても良いのですが、補機類や制御類がいまいちという印象かな。
外国だったら道路予算削ってでも予算国が出して軌道強化するレベル。これがお召専用機だったらそうしてただろうね。
日産のe-POWER方式を国鉄、しかも蒸機が現役の頃に実装していたとは…
ご視聴頂きありがとうございます。鉄道の技術はかなり面白いですね。産業的にどうなのでしょう。レッドオーシャンなのかな?
今後は電気式DLも別な発電システムを導入したりするのだろうか?燃料電池とか。
日本は戦後アメリカに統治されていたにもかかわらず、鉄道技術は米国ではなく欧州のものを参考にした場合が多かったのが少し謎です。戦後日本の米国式の鉄道車両といったら釧路のハイフードやDD12などのGE製スイッチャーが少数と東急7000系くらいしか思いつきません。
架空製作所さん、ご視聴頂きありがとうございます。米国も狭軌鉄道相手にして小さい機関車で勝負するのはつまらないと思ったんでしょうか。
@ それがインドネシアなどの東南アジアは米国製の電気式ディーゼル機関車で溢れかえってるんですよね。軌間は1067mmです。
営団300系もアメリカ🇺🇸由来じゃない?😋
Df501本線復帰しないかな😢
ビューンさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。DF50-1ですが、何年も走らせないと免許持つ人がいなくなっちゃいますね。
DF50形。電気式ディーゼル機関車で、高性能で、動力近代化に貢献した。寝台特急列車では紀勢本線で紀伊、日豊本線では富士を牽引した。晩年は四国で客車列車で終焉。トップナンバーDF501号機が保存されている。交通科学博物館に保存されていたDF50は津山扇形庫に保存されている。
大坂さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。一コメありがとうございました。DF50-1は車籍が残っているのは何か将来に期待できることなんだろうと思っています。
@Yukkuri-Lab さん、ワンコメです。かつての寝台特急列車紀伊は、短命でしたが、東京ー名古屋間は寝台特急出雲と併結運転していました。東京ー名古屋間がEF58形、名古屋ー紀伊勝浦間がDF50形又はDD51形。名古屋駅構内の寝台特急紀伊衝突事故は、機関士の飲酒運転が原因だった。
大坂さん、急行紀伊はいわくがあって、名古屋で乗ろうとしたら、車掌が絶対に乗せてくれなかったんです。ほかにも何人か乗りたい人がいて、私は参宮線に行くスケジュールが大きく崩れちゃいました。
@Yukkuri-Lab さん、伊勢神宮に行こうとして急行紀伊に乗ろうとしたら、隣の急行伊勢に乗れ❗と乗車拒否されたのかな?
寝台列車だったからだったと記憶しています。自由席なかった。
電気式ディーゼル機関車は、DF50形の後のDF200形が出るのは、30年以上後の事。
その空白期間でトルコンの進化は止まったので、電気式に向かったとも言えるのでしょうか?
@Yukkuri-Lab さん、DD51形やDE10形などが多数を占めて、環境負荷が強まっていった中に久しぶりの電気式ディーゼル機関車がJR貨物によって開発された。次世代電機EF200形や交直流電機EF500形とED500形がその例。実用化されたのは、EF200型で、EF500とED500形は量産されなかった。交直流電機はEF500形とED500形の改良を加えたEF510形と重連電機EH500形が開発された。
EF200が生きていれば、桃太郎ばかりでつまらないJR貨物にも花を添えたのにと思います。
@Yukkuri-Lab さん、さらにこれに改良を加えたのがEF210形と重連電機EH200形。東海道山陽本線の貨物列車牽引はEF210形オンリーになってしまった。EF200形が短命に終わった要因は、変電所容量を越えた事。6000KWhのハイパワーが鉄道変電所をパンクさせた。
大坂さん、東海道はM250電車が居ますね!
鷹司平通氏はDF50のことを[火力発電所を積んだ電気機関車]と評していました。内燃車輛には大きく分けて機械式・電気式・液体式があることはココに御集りの諸賢には釈迦に説法もいい所ですが…小型軽量の気動車なら機械式でも対応できても、本線用の大型機にそれは難しい。かといって液体式はまだ開発途上(本線用大型機に液体式を採用し実用化出来たのは日本とドイツだけとのこと)、となると電気車のknow-howが応用できる電気式が選択肢に上がるのは自明の理。実際諸外国ではカマに関しては電気式が主流です。然しこの方式は重量面で不利。軌道が脆弱な我が国には必ずしも合っていません。
それでもDF50が大量増備されたのは推測するに…やはり旅客列車の無煙化促進があったのでは?
まだ冷房が普及していない当時、殊に夏場窓を開けて涼風を呼び込もうにも蒸機牽引では煤煙から逃げることは不可能でした。明かり区間はまだしも、トンネルに入ると逃げ場無し!せめて急行旅客列車だけでも無煙化したい!貨物は取敢えず蒸機でもイイから…
性能的にはまだ物足りない部分があったとはいえ蒸機の煤煙からの解放は非電化区間には福音だったことでしょう。
ただ、より高性能でより汎用性の高い液体式機、DML61Engine一派の登場はDF50に引導を渡してしまいました。後にDF50は紀州・山陰・四国・東九州に集中したのは車種統一によるMaintenanceCost削減があったものと愚考します。
閑話休題。
0:23DF50前位で次位が蒸機、1両目の客車が青塗ですがこの客車、オハフ61ですね。同車で青15号塗装は千葉局に少数いたものの他地区では寡聞にして存じません(近代化改装対象外だったので基本的にぶどう色2号のまま)が、イレギュラーは在来一般型客車あるあるネタ(^^);若しかしたら他地区でもそんなイレギュラーがあったのかも知れません(^^);
重量面で不利とされ日本では潰えたと思われていた電気式内燃車輛、然し技術革新は面白くかつ恐ろしいもので、新世代の電気式内燃機関車(DF200)や電気式内燃動車(HC85系)すら登場し本邦の環境でも実用に供せる電気式が登場したことには隔世の感ひとしおです。
それにしてもHC85系、[公式]が敢えて[電車]と呼ぶことに一抹の違和感が拭えないのは還暦過ぎて頭が錆付いたオジンの愚痴でしょうか?(^^);
SlepperExpressJNRさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
矢立のDF50xC61の客レですが、これネガカラーの退色補正の過程でどうするか悩んで青15号に塗ったものです。補正の方法を変えたトライしました。それをコミュニティにアップしますので、ぶどう2号で間違いありません。教えていただきありがとうございます。
最も電子機器がコンパクトサイズになったことが電気式ディーゼルが復権した大きな理由だと思われます...
exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。
動画でもコメントしていますが、パワー半導体の一般化と低コスト化ですね。
DF50の時代のディーゼルエンジンは、エンジン始動が大変ですし出力調整も難しいですからね。
気動車用のDMH17は北海道で冬場の場合、一旦エンジンを止めた上にエンジンを冷やすと再起動が大変だったから一晩中アイドリングしていました。
チーヤンさん、ご視聴頂きありがとうございました。
そうなんだぁと思い、調べてみたらDMH17の燃焼室の表面積が広すぎて、グロープラグが役不足のようなんですね。最近のディーゼルは自動車用には欧州でも激減しましたが、自動車では素晴らしいなと思っています。
国鉄時代、ディーゼル機関車では珍しい箱型のスタイルで非常に貫禄あって好きでした。ブルートレインから貨物列車まで、いずれを引く姿も絵になっていた。今も津山や四国などで保存されているのは嬉しい事だ。
ヒストレインさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
DF200の後継機が2027年頃から投入されるようですが、電気式でしょうけど、まさか凸なんかになったら私は酷いショックを受けるでしょう。
まあ、電気式の説明するのは結構大変ですが、DF50のころはきほんてきに直流発電機で直流電動機を駆動する方式ですが、速度の調整には基本的にエンジンの回転数を変えて発電量を両制することで行うワードレオナード方式が採用されていました
これに対してDF200では三相交流発電機を使用して発生した三相交流電気で三相交流電動機を駆動させるのですが、実は発電した三相交流では誘導電動機の駆動には使えません
そこで一旦直流に整流してからVVVFインバータを使用し、電圧と周波数を変更して制御を行う三相交流として誘導電動機を駆動します
DF50では直流電源がそのまま使えるので、搭載した抵抗器によって発電ブレーキが使えますが、実はDF200では回生電力が三相交流となるのでそのままでは発電ブレーキが使えず、架線がないので回生ブレーキも使えません
そのため、DF200では常に必要な量の発電のみを行うようにし、抵抗器を別に搭載して直流に整流してから発電ブレーキを使うことになります
電光刑事さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
Web文献をやWikipediaを読み、Chatgptと問合せしながらやったわけですが、この制御の違いを示すにはあまりに尺が足りないことが分かって、次回送りにしました。
DF200は貨物用なので、かなりうるさいそうですね。
名古屋で見かけるのですが、DD51のほうがうるさかったようにも思うのですが。
@@Yukkuri-Lab DD51のエンジンがV型12気筒で排気量が61100㏄であるの対し、DF200は同じV型12気筒のエンジンでありながら排気量が46300㏄ですからな
ディーゼルエンジン、Rollingsttock用だけでなく、トラックや船舶にも供用されるのが多いですね。
大分のDF50は遅れていた日豊本線南部区間の電化完成までブルトレを牽いていました
そして時を置き非電化路線をも走るななつ星牽引機にDF200を採用した事で電気式が大分に再び帰ってきました
ヌケサクさん、ご視聴頂きありがとうございます。7000番台格好良いですね。愛知の機関車も倣えばよいのにと思っちゃいます。
液体式は伝達装置でトルクコンバーターを速度域に合わせて2つないし3つ組合せオイルなやフルードの潤滑と冷却対策が必要なこととそれを細かく制御する部分で部品点数が増えることがデメリット。
初期の電気式が非力なのは電動機の問題だけでなくディーゼルエンジンそのものが低出力で重かった。最近の電気式はエンジンを高出力コンパクト化し誘導モーターで半導体を使って速度調整は細かく制御できるようになったのも大きい。
Mr. Yattsun、ご視聴頂きありがとうございます。電気式ディーゼル機関車も時代の変化とともに進化を続けていることが良く分かりました。DF200はタービン回す蒸気機関車に改造できそうです。
DF50は四国の鉄道史を語る上で欠かせません。
亜幹線での活躍を目的としていたDF50、実は軸重の関係上予讃本線の伊予市以南に入線できないという弱点がありました。その影響で、DE10の開発まで予讃本線の無煙化はお預けになっていました。
動画の途中、3:59 で高知区にいた48680のように、四国の旧型蒸気はゴシック体ナンバーながら形式入りという変わった仲間が多かったのも特徴的です。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。
以前、大垣行の夜行のグリーン車(よく使って撒いた)で名古屋から乗ってきた方が撮り鉄で四国のDF50のすばらしさを力説してくれて、長いこと拝聴していたことを思い出します。私は聞きながら、相槌打つだけですが、四国にはまだ居るんだぐらいの感想でした。
ですから蒸機が無くなって、それらを撮影に行くことも無く、いつの間にか消えていました。ざっとですが、DD51よりは撮った枚数は多いですね。私はかなり好きなほうです。
逆にDD51の大出力液体変速機のほうが貴重ですね
OKはん、ご視聴頂きありがとうございます。
もう発展を止める技術と言う意味ではDD51はレアですね。でもDE10はまだまだ現役で当面生き延びるでしょう。
電気式ディーゼル機関車を見たことがない。常磐線にいたのですね。さすがに乳児時代で記憶の欠片も…。DF90は日立製作所で製作され国鉄が借り入れて常磐線で使用…とネット記事にはあります。確かに松下電器や東芝のデザインに比べて(田舎臭さ)がポイントな日立製作所製品には間違いなく。
勝田駅に隣接する水戸工場には戦前のバッテリー機関車がありました。
ある日、ヤードで整備中に遭遇。技師によれば『この機関車はコイルさえ巻き直せば、ずっと使えるから』と。ディーゼルより電気、創業以来モーターに強い日立製作所らしい。
HMS HOODさん、いつもご覧いただきありがとうございます。
以前DD54の特集やった際に、タイのDLを出そうと思ったら今は電気式ばかりなんですね。
色遣いは文化の違いですが、日常的に昔の日本の鉄道の感覚が味わえます。中国も似ていますが標準機だからみんなあデカくて、ちょっと違いますね。
うぽつです!
DF50って確かに欠点があったっぽいですけど、当時の機関士たちの意見(親戚)はどれも「運転が簡単だし、補給がほとんどいらないから嬉しい」と言っていました
少尉の塹壕さん、ご視聴頂きありがとうございます。
蒸気機関車より面倒な辛い運転をする機関車は無いですからねぇ。
1962年11月29日 国鉄羽越本線
DF50 548 は21両の貨物列車を牽引中にD51 637と正面衝突したそうです。
KElSEIさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
DF50-548はラッキー罐なのでしょうね。事故で廃車もされず修繕され、お召列車までけん引。なかなか居ないですね。
RUclipsで初期型のDF50のエンジン音を初めて聞いた時、昔の漁船の様だなと思いました
でもなんかのどかで好ましい音、非力で一生懸命さがいい味を出してますね
そしてDF50は茶色が似合うと個人的に思います。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。
確かに機関車のエンジンは漁船や自衛隊の艦艇にも使われます。というか鉄道のほうがそちらから選び使うんでしょう。
すぎづでは無く、すいづ
後、ディーゼルエンジンが予熱室から直噴式に変わった事による燃焼効率の変化を示さないと意味無い
ごめんなさい。ご指摘ありがとうございます。地名に駅を入れると正しい読みを示すんですが。
ディーゼルエンジンの進化はこの動画の要素には関係ないと思ってます。
タイ国鉄の133快速列車でラオスのビエンチャンへやってきました。
50系もどきの3等座席車の車端で天井が低く、車掌室を改造したシートのようでした。
ロングレールをゴロゴロと。レールの継ぎ目を渡るリズミカルなカタンカタンという音がしないと郷愁はありません。そして乗降には不便でも低いプラットホームは歴史を感じさせてくれますね。
昭和50年4月東能代の駅前旅館に泊まりましたが、古いDLのことは知らず残念です。TVでサイゴン陥落の報道をやってました。
motohisa ochiaiさん、ご視聴頂きありがとうございます。
タイは以前良く行っていましたが、SRTはあまり乗りません。線路がヘロヘロで怖いというのが最大の理由ですね。ラオス行の線路は立派になっているのですね。
@@Yukkuri-Lab SRTもたぶん20年くらい前とは様変わりして軌道強化が進んでいます。始発駅を変更したことで以前のように北、東北方面の遅れも少なくなりました。
DF50は失敗作の機関車でもあり傑作の機関車であった。
保存機はかつては3台だったが大阪の奴は台風のせいで解体され帰らぬ機関車となって残ったのは四国、津山鉄道博物館の2台だけどなった…
kohki Lightningさん、ご視聴頂きありがとうございます。
四国の1号機はJR四国で車籍があるわけで、何か計画があるのだろうと期待しています。
根本は機関出力な訳で、伝達機構が液体式でも電気式でも大元の機関出力に余裕があれば減速機(システム)の効率が多少アレでもなんとか実用になったと思います(古来電気式の方が高効率との評価があり、重いけど漁船のようなエキゾーストノートのDF50がキツかったのはヤッパ出力が小さかったから?)
狭軌の車両限界に収まるディーゼル機関で、かつ所定の出力を出せるエンジンの開発、熟成には工業力のある日本でも 優秀な開発者の知見と、すっごい時間、お金が必要だったって事ですかね。
電気式ディーゼル機関車が現役時代、富士重工はトルコンのスクーターを造っていたなぁ~
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ラビットですか?遠心クラッチ使っていないんですね。
スーパーフローというトルコンモデルがあります。私は、出だしの加速重視でクラッチ付きのラビットに乗ってました。
静岡でPiaggioの2ストスクータで遠心ベルトきれて何キロも押して歩いたことがありました。スノーモービルでも2回切りました。
2:34北陸本線杉津峠は「すぎづ」峠でなく「すいづ」峠と読んでくださいネ
ご視聴頂きありがとうございました。他の視聴者様からご指摘もいただきました。IMEがあまり賢くなくて、修正追いつかず見逃しました。地名に”駅”と入れると間違わない事見つけました。
DF50や90って魂に響くカッコ良さなんだよなぁ〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
私もそう思います。旧型客車と違和感がないのは四角いからでしょう。
だから旧客とマッチするんだね、違和感が全くないもん
でも、若い方からしたら意外中の意外だが、DF50+50系が松山エリアにあったのよね😉
DF91の金太郎塗装、これも80系電車の塗り分けの影響が大きいのだろうな。
C62-3さん、ご視聴ありがとうございました。DLを朱色にしたこと、凸にした事が、私をDLから遠ざけた原因の一つです。
トルコンを搭載した液体式DLをAT車にたとえるのはよく見聞きしますが、そうかDF50はミニ四駆だったのか・・・霊夢はかしこいです(笑)ありがとうございます。
しかし、ミニ四駆に馴染みがあるのは40代以下の年齢層かと思うので、魔理沙と主様がお幾つなのか、ますます分からなくなってしまいました!
以前の動画で私が「銀座線カラー」とコメントしたタイのDLはアルストム製の電気式なんですね。5:06からはエンジンが車体の中央に鎮座している様子もわかり、なかなかに貴重なシーンかと思います。
そして今日は2024年最後の日曜日、数日後には初詣で霊夢に会えるかも知れませんね??今年もありがとうございました、来年も宜しくお願いします!
成田さん、いつもご覧いただき、メンバーシップも継続支援いただきありがとうございます。
ミニ四駆ですが、係累と良く大会に行きました。私のほうが熱くなりかなり研究したり投資しましたね。(ですからユザワヤが私の動画には出てくるんです)
タイは殆ど電気式のDLですが、気動車はトルコンばかりと言うのが面白いそうです。
客車が多く、狭軌ですから中国より親しみやすい鉄道です。
霊夢は巫女のバイトで忙しいようですが、私は宗教上の理由で初詣と言う行いはしません。
今年はまともな休みなので、もう一つぐらい動画を年内に作りたいです。
これからもよろしくお願いします。
幼少の頃は、DD50とEH10が二輌連結でDとHの違いが謎だった..😅
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
EH10は東海道で良く見ましたが、何故かDD50は見たことが無いんですよね。触手が伸びる車輛でもないですね。最近は重連電機多いですね。
6:20 2両目ブルーの客車(オハ35❓)の窓から見ている女性は合成❓こんなに鮮明に映るかな❓
gimba_さん、ご視聴頂きありがとうございます。
オハ35と判断できませんが、オでしょうね。
女性はAIが乗客として挿入したものです。
@@Yukkuri-Lab やっぱりAIでしたか。車両はオハ47の可能性もありますが、切妻では無いのでオハ35の可能性が高そうですが。
カラー化作業で疲れるので、最近そうやって癒しの時間を入れ気合いを掛けるようにしています。
@@Yukkuri-Lab なるほど。
@@Yukkuri-Lab 2両目に客車はオハ35でも初期ロット(スハ33650)のおそらく2桁オーダー辺りのハコですね。ウインドシル・ヘッダー・車体裾のリベットがその証(地元広トマにいたオハ3579がそんな形状でした)。ただ台車はコロ軸受け化改造されたTR-23D(E?H?)辺りを履いてますね。
海坊主は海難事故で亡くなった人の魂が作り上げたものらしいです。
トワイライトさん、ご視聴コメントありがとうございます。
あれ?そういういきさつがあったのですね。お知らせいただきありがとうございます。
この時代は『電気式』でやるしかなかった訳だけど せめて高出力エンジンと 高効率発電機があればDLの歴史も変わった事でしょう。
技術が進歩した今では DLだけでなくDCも『電気式』の時代。
トリリサービスさん、ご視聴頂きありがとうございます。
タイのDLは電気式にトルコンはほぼ駆逐されてしまいましたが、気動車は逆にトルコンばかりだそうです。
@@Yukkuri-Lab さま
タイ国鉄は 電化区間が無く複雑怪奇な現代のECのメンテナンステクノロジーも無いので DCもローテクなトルコン式が好まれるのでしょうね。
6:20 見っけ🤩
こどおじさん、ご視聴頂きありがとうございます。
カラー化は大変しんどい作業で、息抜きをしないとやってられないんですよね。
まだほかにもありますから見つけてみてください。
1:59東能代の扇形庫側線に留置されたDF90の写真懐かしいです。自分が見た時も同じ側線でした。8620が目的でしたが珍しいので撮影しましたがボロボロでした。国鉄はディーゼル機関には苦労したと思います。DLでは動画のDD50から後年のDD54又DCではキハ80から後年のキハ181までトラブルの連続でした。
Kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。
日本メーカーは船舶のエンジンで実力があるので、エンジンはとても良いのですが、補機類や制御類がいまいちという印象かな。
外国だったら道路予算削ってでも予算国が出して軌道強化するレベル。
これがお召専用機だったらそうしてただろうね。
日産のe-POWER方式を国鉄、しかも蒸機が現役の頃に実装していたとは…
ご視聴頂きありがとうございます。
鉄道の技術はかなり面白いですね。産業的にどうなのでしょう。レッドオーシャンなのかな?
今後は電気式DLも別な発電システムを導入したりするのだろうか?燃料電池とか。
日本は戦後アメリカに統治されていたにもかかわらず、鉄道技術は米国ではなく欧州のものを参考にした場合が多かったのが少し謎です。
戦後日本の米国式の鉄道車両といったら釧路のハイフードやDD12などのGE製スイッチャーが少数と東急7000系くらいしか思いつきません。
架空製作所さん、ご視聴頂きありがとうございます。
米国も狭軌鉄道相手にして小さい機関車で勝負するのはつまらないと思ったんでしょうか。
@ それがインドネシアなどの東南アジアは米国製の電気式ディーゼル機関車で溢れかえってるんですよね。軌間は1067mmです。
営団300系もアメリカ🇺🇸由来じゃない?😋
Df501本線復帰しないかな😢
ビューンさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
DF50-1ですが、何年も走らせないと免許持つ人がいなくなっちゃいますね。
DF50形。
電気式ディーゼル機関車で、高性能で、動力近代化に貢献した。
寝台特急列車では紀勢本線で紀伊、日豊本線では富士を牽引した。
晩年は四国で客車列車で終焉。
トップナンバーDF501号機が保存されている。
交通科学博物館に保存されていたDF50は津山扇形庫に保存されている。
大坂さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。一コメありがとうございました。
DF50-1は車籍が残っているのは何か将来に期待できることなんだろうと思っています。
@Yukkuri-Lab さん、ワンコメです。かつての寝台特急列車紀伊は、短命でしたが、東京ー名古屋間は寝台特急出雲と併結運転していました。
東京ー名古屋間がEF58形、名古屋ー紀伊勝浦間がDF50形又はDD51形。
名古屋駅構内の寝台特急紀伊衝突事故は、機関士の飲酒運転が原因だった。
大坂さん、急行紀伊はいわくがあって、名古屋で乗ろうとしたら、車掌が絶対に乗せてくれなかったんです。
ほかにも何人か乗りたい人がいて、私は参宮線に行くスケジュールが大きく崩れちゃいました。
@Yukkuri-Lab さん、伊勢神宮に行こうとして急行紀伊に乗ろうとしたら、隣の急行伊勢に乗れ❗と乗車拒否されたのかな?
寝台列車だったからだったと記憶しています。自由席なかった。
電気式ディーゼル機関車は、DF50形の後のDF200形が出るのは、30年以上後の事。
その空白期間でトルコンの進化は止まったので、電気式に向かったとも言えるのでしょうか?
@Yukkuri-Lab さん、DD51形やDE10形などが多数を占めて、環境負荷が強まっていった中に久しぶりの電気式ディーゼル機関車がJR貨物によって開発された。
次世代電機EF200形や交直流電機EF500形とED500形がその例。
実用化されたのは、EF200型で、EF500とED500形は量産されなかった。
交直流電機はEF500形とED500形の改良を加えたEF510形と重連電機EH500形が開発された。
EF200が生きていれば、桃太郎ばかりでつまらないJR貨物にも花を添えたのにと思います。
@Yukkuri-Lab さん、さらにこれに改良を加えたのがEF210形と重連電機EH200形。
東海道山陽本線の貨物列車牽引はEF210形オンリーになってしまった。
EF200形が短命に終わった要因は、変電所容量を越えた事。6000KWhのハイパワーが鉄道変電所をパンクさせた。
大坂さん、東海道はM250電車が居ますね!