Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
これは一回だけじゃ終われませんね正に底なし沼、ネタの宝庫、メジャーな旧客まで辿り着くにはまだまだ先の様な感じですね❗️私の知らない旧客の事が知られてとても楽しませていただきました😊👍‼️ゆっくりでいいですからシリーズ化期待しております👍
ご視聴頂き有難う御座います。昔から客車と貨車は無限地獄の蜜の味と言われてました。あまりに多すぎるのですが、何故か惹かれるのですね。今回登場させなかったものも多く、時間切れもありましたが、覚える事多すぎて燃え尽きたと言うのもあります。また必ずやりますのでよろしくお願いします。
旧客って無骨な感じがこれまたカッコイイんだよなぁ〜、SLとも似合うしEF58などの旧型ELとも素晴らしく合うんだよなぁ〜(惚れ惚れ)
ご視聴頂きありがとうございます。私が一番ワクワクして幸せを感じたのが、ELやDLで牽引された客車列車が蒸気に交換され出発するときでした。デッキでテンダーを眺めたり、煙いですけど楽しかったです。
それめちゃくちゃ幸せだね、最高の時間だよね〜
例えば EF58からC62へ?三國連太郎さん主演作の大いなる驀進の一場面で登場しておりました!
大役者の機関車交代場面ですね。
ディーゼル機関車にも合う
私の大好きな旧型客車、たっぷり堪能できました。私の親の実家が羽越線沿線で、かつて旧型客車の宝庫でした。いつも客車列車に乗ると、わざわざ一番古い車両に乗りたがる変わった小学生でした。
佐藤さん、ご視聴いただき有難うございます。コメント頂きありがとうございます!旧型客車が好きな方にとって、この動画が楽しめたことをうれしく思います。また、羽越線沿線がかつて旧型客車の宝庫だったとのこと、とても興味深いですね。小学生の頃から一番古い車両に乗りたがるというエピソードも、思い出深いものがあるのではないでしょうか。今後も、より良いコンテンツをお届けできるよう努めてまいりますので、引き続きご覧いただけますと幸いです。
ワイも変わったガキだった。旧国・旧客大好きで、中央線乗ると、中野・三鷹・武蔵小金井で旧国事業用車見て喜んでた😁
冬の大井川鐡道 スチーム暖房の効いたオハ35で呑んだ冷えた缶ビールは最高でした。SLを追いかけて50年以上(最初の遠征はC62ゆうづる)、先月は磐越西線へ行きました。旧客も興味があり、模型も30両以上あります。次の動画を期待しています。
ご視聴頂きありがとうございます。客車は不勉強だったのでこれからも勉強しないとと思っています。当時は旧型という見分けもしなかったのですが、九州で12系を見た時にはかなり違和感感じました。旧客あっての蒸気機関車という思いはその頃からかもしれません。
小窓のスハフ32は只見線でSL列車が運転された時に乗車しました。(ニス塗り、蛍光灯、鎧戸の日除け)大窓のオハフ33には大井川鐵道のSL列車で乗車しました。(ニス塗り、白熱灯、幕式の日除け)このような貴重な旧型客車に乗れた事に感謝ですね。動画配信ありがとうございます。色々参考になりました。
ご視聴頂きありがとうございます。関心抱いていただきうれしいです。かなり動画作成で消耗して紹介し残している内容も多いので、次作も企画したいと思います。
どんな動画になるのか楽しみにしてましたが流石ですね。知らなかった事も多く興味深く拝見致しました。混合列車用のストーブ又は温風暖房機に二重窓などの北海道仕様旧客にも興味があります。
いつもご視聴頂きありがとうございます。今回は最初なのでノスタルジックな部分は省きました。というより蒸気でもノスタルジックな内容はやっていませんね。飯山線の混合列車をネタに作りたいなぁと思ったことがありましたが、視聴率を考えると中々難しいですね。次の客車はちょっとコツをつかんだ気持がするので、うまくまとめたいです。
小中学生時分に上野口の客車をかろうじて目の当たりにした世代です。鉄友達とは「ボロ客」と呼んでいましたね。東北線は43系主体で35系やたまに32系が混じり、高崎線方面は43系軽量形のオハフ45・オハ46が多かったように記憶してます。季節によっては電暖無しの茶色が繋がっていたり、運用も考えると客車はホントに底なし沼ですね。続編期待してます!
ご視聴頂きありがとうございます。いつの時代でも若いファンは新しい格好いい鉄道車両にほれ込みますよね。私も意識して客車を撮ったことはほとんどなかったです。まぁ、一方で無くなるから撮影に出かけるというのはいつの時代でも同じことですが、蒸気がある時代は客車までなくなるとは思わなかったですね。
↑尾久→上野だけよく乗ったオッサン😁
旧型客車、見るより乗って楽しい。揺れや響きが楽あれば苦ありの旅を支えてくれました。
ご視聴頂きありがとうございます。私は高千穂・桜島に乗って南九州何回か往復しましたが、25時間は厳しいですね。楽しくはありましたが。上りの帰りでは一度耐えられなくなって大阪から新幹線にしたことありました。まぁ、横になれないというのがつらいです。12時間が限度化と。ちょうど欧米に行く飛行機の時間ですね。
いや、見て楽しく乗って楽しく舐めれば…😵
9:24 車号がスハフ32 49と読み取れます。手持ちの鉄道ピクトリアルNo.778(スハ32特集)を確認した所、最終配置は大阪鉄道管理局管内で1966年にオハネ17に改造された模様です。所属表記の「大」も判別出来ます。。。それにしてもこの頃は葡萄色の客車が全盛期ですよね・・・。是非Nゲージで再現したい物です(´・ω・`)
ご視聴頂きありがとうございます。そのように細かい所属や改造が分かる資料があるのですね。Wikiだけかと思っていました。旧型客車は実際に旅をする場合はトイレがちょっとですね。デッキは楽しいのですが。
@@Yukkuri-Lab ちなみにスハ32系列はシングルルーフ,ダブルルーフが混在してる形式なんですよ奥が深すぎるw
旧客はスハ32を選んで乗ってました、小さい窓、塗り重ねたニス、蓋の無い灰皿、座席番号が数字のみ、(13・14)暗い電灯、色々思いだします。(ああ~旧客は楽しい。)
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。スハ32いいですね。高崎のスハフですが煙除けになるサンシェードってちゃんと装備しているのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん、高崎のは、ちょっと知らないですね。私のは50年前の札幌、旭川区の車輌ですから。
いつも、良い企画ありがとうございます😊旧型客車大好き❤です 特に合造車が良いですね😍同じモノが無いのがイイ❣️第二弾期待しています。あと、リクエストですが、貨客混成列車の特集観たいです🤗ローカル線独特の列車ですがココ、RUclipsは勿論Yahoo! 画像でも殆ど無いのがかなしい😢 宜しくお願いします🙇
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車は第2、3をやりたいです。リクエストですが、混合列車のことをおっしゃっていますか?あまり人気がないようですが、組み込んでみたいです。
↑リアルSLは乗った事ないが混合列車は乗ったオッサン😁
旧型客車もこれはこれで 味わいがあっていいものですオシ17も急行きたぐにが青森に向けて走行中に 北陸トンネル内で火事が発生して死者が出てしまい メシ箱がはずされしまった悲しいこともありましたこの事故が起きる前の年にも 同じことがあって そのときの機関士はマニュアルを無視して列車をトンネルから全て出してから 停車して死者は出なかったそうです その時の教訓がいかされて要れば 北陸トンネルの事故も最小限ですんだかもしれません
いつもご支援、ご視聴頂きありがとうございます。北陸トンネル事故の再発防止を検証するためにC58を北海道のトンネルで火をつけた客車でテストしたことがありましたね。それで走り切ってトンネルを抜けよとなったと記憶してます。
あくまで推測ですが…日本海の小火の際其れを発見した機関士氏はおそらく旧線時代の蒸機の経験からトンネル内で停まったら大変なことになると思って咄嗟に駆け抜けたのでしょう。ただ、事情も現場も知らない頭でっかちの上層部が[規定違反]として事もあろうにその[殊勲]の機関士氏を処分した由。それもあって[きたぐに]はManual通りにその場で停車。然し深夜のトンネル内で切り離し作業に手間取る内に架線溶断停電!自走不能(幾ら高性能のEF70と雖も、電機は停電したら唯の鉄塊です)、そしてオシ17の内装には所謂新建材が使われていてこれが一酸化炭素を撒いたのも悲劇でした。当初石炭レンジが問題視されましたが原因は電気暖房の配線の不備でした。若しもこの時そのまま南今庄駅辺りまでそのまま逃げていれば恐らく死者は出さずに済んだのでは?後年被災車輌が戦前製の老朽車なんて[ふざけた]表現が公式にもありますが戦前製な部分はフレームのみ、車体も台車も後年のモノで同じ編成内のB寝台車と同世代。否オシ17を戦前製というなら同じ編成内のスロ62の立場は?グリーン車は大正生まれってなるぞ?と違和感が拭えません。
9:15で登場するダブルルーフのスハフ32について。私が小学校高学年の1969年夏、長野から親に連れられ柏崎まで行く途中の直江津まで乗った客車がスハ32系でした。勿論直江津までは電化(その年の10月に宮内<長岡>まで全線電化完成)でEF62の牽引でした。その時に機関車の直後から1~2輌目がスハ32系で、1輌目がダブルルーフ、2輌目は普通のアーチ屋根でした。座席の背もたれもこの画像の通り傾斜のついたベージュ色の板張りで、内装全体が非常に古めかしかったのでオハ35系に近い内装のアーチ屋根の方に乗車しました。その時は客車の歴史的な知識が殆ど無かったものですから、やはりあの時にダブルルーフ の方に乗っておけば良かったと、その後現在はホテルメトロポリタン裏の業務用自動車の駐車場になっている所にいつも置かれていた救援車スエ30 26号車のダブルルーフを見る度に後悔が募ったものでした。その時の2輌目の客車が❝必殺垂直板張り背もたれ❞のオハ61系であったならダブルルーフのスハフ32の方を選択していたかも分かりません。新型のEL・EF62にダブルルーフのスハフ32とくれば、実車は勿論鉄道模型のモチーフとしても大変に面白い取り合わせだっただろうと思います。SLのD50とかなら当たり前過ぎますが、まさに近代化途上、時代の過渡期というべき光景でしたから。
ご視聴頂きありがとうございます。お話を伺っていて、軽井沢からの信越本線を走っているD61でダブルルーフのを出した記憶があります。あとで探してみます。あったらコミュニティでアップしますね。投稿も増えて、どの動画に入れたか?ハッキリしてないですが、碓氷峠の関係でWループが残ったのかな?と思います。
小学生だった昭和57、58年頃、日豊本線でも、夜都城から買い物帰りに乗る列車は赤色のDL、ELに引かれた旧型客車が来てました。室内も全部木製で古い汽車だなと思ってましたが、今となっては貴重な体験です。
ご視聴いただきありがとうございます。そうですか良い経験ですね!私はその丁度10年前都城に何度か足を運びました。多くのC55, C57が客車を牽引していました。吉都線はD51も客車を牽いていました。今都城の客車の車両基地だったところは、Google Mapで見ると太陽発電パネルで覆い尽くされているみたいですね。
ご返信ありがとうございます。都城をご存じで、なおかつ来られたことがあるというこでとても感激です。都城駅は規模があるので、子供の頃都城駅に行くのが楽しみでした。ですが現在はソーラー発電用地に転用され、寂しいかぎりです。この辺りのSLは昭和49年に廃止になったそうです。僕はSLの記憶がないです。吉都線は中2の修学旅行で都城から乗りスイッチバックも通りました。隣の西都城駅は小4ぐらいの時に平屋から高架駅へ改築され格好いい外観に興奮した記憶があり、新幹線が来ると本気で思ってました 笑
東京から行くのですが、いつも急行高千穂でした。25時間掛かって宮崎着いて戦闘開始という具合です。夏だと駅で寝させてもらえて九州は好きでした。北海道は追い出されますから。吉都線の小林で列車を待っている最中にでっかい蚊に刺され、50年以上たってもまだ傷跡あります。南九州の蚊はデカいですね。スイッチバックは肥薩線ではないですか?あちらも良いですよ。ただしハブが出るから三脚を前にして歩けと言われました。
8:10 恐らく3輌目のWルーフ車は、窓天地寸法が狭い31系で特徴的な三連窓が食堂車由来のようなので、スシ37700改のグループ、マハ29 20番台だと思われます。大体のマハ29が昭和40年位で廃車になってしまったので、末期の写真(近代化改修済みのオロ35orスロ43の緑帯より年代判別)はかなりレアですね。
ご視聴頂きありがとうございます。マハ29ですか。長い事しまっていたネガを復活させて出てきたもので、皆さんに教えて頂きとてもうれしいです。ただEF58-116の色は青大将だと思うんですよね。でも記録を読むとそれは無いということで、色を仕上げたんですが。
ああやっぱり前側のあの部分は3連窓でしたか…然し如何にローカル(普通)列車と雖もまさか東京駅に堂々とマハ29が顔を出すとは思えなかったのでマハ29やオハ31の可能性は無視していました(^^);
@@Yukkuri-Lab 拙発言でも触れたようにEF58116はブルトレカラーで正解です。カニパンスイッチ用ジャンパ栓がその証です。元青大将機でブルトレカラーになったカマはいません。また大窓・庇付きもブルトレカラーにはいません。但し、後年のMR管増設の所謂P型機には元青大将機がいます(38・39・62~66等)。EF58116に関してちょっと可哀想なエピソードを一つ。同機は製造元メーカーでキリ番だったので特別にステンレス製の握り棒を用意して貰ったのですが、その輝きと光沢がお召し機に相応しいとされ折角の握り棒が何と!EF5861に召し上げられてしまいました…orz(当時は在来機にも握り棒取り付け工事真っ最中だったので116号機はその予備Parts=汎用品=を宛がわれました)
SleeperExpressJNR 様、いろいろご教授いただきありがとうございます。EF58は昔から好きで、蒸気のついでに撮影することも多かったですが、写真の整理はしたことがありません。保存もいい加減なので修正も大変です。
床下の巨大な水タンクが特徴なのと、左の窓とテールライトから緩急車の名残もありますね。
平成産まれで実際見たことないけど編成がバラバラで見てて飽きないしどういう組み合わせがあったか調べる考古学的な何かと思ってる
ご視聴頂きありがとうございます。確かに考古学的と言うのは当たっていますね。
4:50〜の一等車のくだり、ちょっと違います。一等が廃止になったのはあってますが二等が一等に、三等が二等にそれぞれ変更になってます。マロネ29は二等寝台から一等寝台、スロ60は二等車(特別二等)から一等車に変更になってます。
ご視聴頂きありがとうございます。ご指摘もありがとうございます。はい、そのように認識していたのですが、うまく説明の時にこんがらがっていますね。また認識違い等ありましたら、よろしくご教授いただけると大変ありがたいです。
@@Yukkuri-Lab 一等はなしで二等と三等だけ、にしてくれた方がわかりやすかったですけど、そうもいかなかったのでしょうね。旧型客車の世界は一歩踏み入れたらどんどんはまっていく底なし沼です。続編を大いに期待します。チャンネル登録もしましたので他の動画も拝見させていただきます。
ご登録ありがとうございます。これから是非ともごひいきにしていただき、いろいろ教えていただきたいです。
貴重な映像、情報をありがとうございます🙇すこし懐かしい旧式のゆっくりボイスも相まって非常に興味を惹かれました。80年代には旧型客車の列車が各地で運行されていたようですが、おそらくこちらで取り扱われている客車の中でも新しい部類になるのでしょうね。今では「旧型客車」といえばそちらの方がメインとなっているのでしょう。それらの車両、SL含め、末永い活躍を願います🙇客車列車のファンより
Yorkersさん、ご視聴頂きありがとうございます。素敵なコメントもうれしいです。ゆっくりボイスがRUclipsの規約に引っかかって収益化剥奪されたので(現在復活)、最近のは地声でやっています。そうしたらいきなり視聴率が下がって...私はDC/DLが苦手なので、蒸気と旧客と旧型電気でやっていきますので、よろしく絶大なご声援をお願い致します。
マハ37……存在すら知らなかったです見た目からして食堂車からの改造かと思ったら寝台車の改造だったんですね。(3軸荷物車カニ38を思い出します)旧客の緩急付き車掌室がデッキ内寄りタイプ(現存している車両ではスハフ32)って旧客らしくて好きです。確かマシフ?って緩急室付き食堂車が居たような…
ご視聴頂きありがとうございます。お詳しそうで羨ましいです。私も負けずに学習していきたいです。今日アップする動画にもメインではありませんが超旧型客車も出てきますのでご覧ください。
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!昔私のところの北陸本線は旧型客車ばかりでした。とくにオハ35系が多くたまに急行型のスハ43系が連結されていると嬉しくなった思い出があります。やがてゴウマルサンダイヤ改正で4往復が471系になり急行くずりゅうや北陸快速との共通運用になり1982年11月ダイヤ改正では2往復を残して電車化され、1985年3月改正で全て電車化されました。そのときにおなじみ食パン電車の419系が運用されるようになりました。最初は小豆色にクリームの警戒色でしたがのちに北陸色になりました。旧型客車からは少し逸れましたがすみません。とにかく旧型客車の思い出は少し油臭く感じたものでした。それと電気機関車は蒸気機関車に比べて停車、発車時衝撃が大きいように感じるのは私だけでしょうか?
もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございました。蒸気が無くなって私も日本にいなかった時期もあって、旧型客車にはどうでしょう、昭和49年以降乗っていないと思います。国鉄の客車に乗ったのは羽越線の50系が最後だったような記憶です。大井川やイベント保存機の列車は別ですよ。上野駅でたまに旧客を見たりすると、蒸機の時代が頭をぐるぐる回っていました。おっしゃる通り客車列車の一番嫌なのは発進時のショックですね。中国でもかなり嫌でした。
ワイにとって北陸本線の旧客と言えば10系😉
こんばんは、定宿だったのはもう少しあとのスハ43でしたね。10系ナハは昼間は車内が明るくてよかったのですが、夜間シートに横にになったときはあの重量の有るTR47系の台車のほうが寝やすい振動でしたね。八甲田、臨時のほうは数回利用しましたが、毎年グレードがUPし最後の時はオハ14になってました。
ご視聴頂きありがとうございます。スハ43系は時間切れもありましたが、今回は見送りました。それにしても動力分散化と夜行廃止は行きつくところまで来ましたね。ということで私は今のJRの列車の撮影をする気はさらさらありません。逆に私鉄の方が潔いかな?それでも蒸気はたまに行ってます。
@@Yukkuri-Lab 様写真を最後に写しに行ったのは、息子が連れ出してくれた京津線の部分廃止の時ですね。勿論フィルムです。家庭の事情で十数年外出もままならず時代は何時の間にかデジタルに。今の時代Cの影響もあり、又色んな状況でちょっと恐ろしさを感じる時も。((ホームとか)現在はカメラを持たず、東海道線の線路際の公園でカンガルーの観察など楽しんでます。
10系は満員の3倍を想定していたバネレートの為に跳ねる様な乗心地乗れるだけでも有難い昭和30年代の帰省です
マシ38とオシ17 も火災を起こしているので 昔は大変でしたね
ご視聴頂きありがとうございます。なんでまた火事になるんでしょうね。風が入るからでしょうか。
石炭ストーブが原因だとか、ポイ捨てタバコだそうですよ
この食堂車の列車火災について、石炭ストーブが原因とされることもありますが、正確な原因は特定されていません。また、ポイ捨てタバコが原因で発生する火災は過去に実際に発生しているため、それが原因であった可能性は否定できませんね。
EF58-116の先台車に、カニ22パンタ下げ回路用ジャンパ栓受が付いてるので、そこからもブルトレ色だということがわかりますねあと、115か116号機の先台車掴み棒はステンレス製だったので、後にロクイチへ取り付けたらしいです
ご視聴いただきましてありがとうございます。その識別方法皆さんご指摘いただきました。116号のつかみ棒が61号に取られたそうです。
昔・常磐線で旧客車を使った仙台行の普通列車が走っていたのを思い出す!
ご視聴頂きありがとうございます。常磐線は東北や北海道に行く時の十和田や北上等でよくお世話になりました。昭和49年ごろ12系に変わったのに乗りました。冷房が効いていて驚いたのを覚えています。
ロングシート!これは懐かしいモノを拝見しました。私が3~4歳くらいで鉄道に乗ることも滅多に無かった頃でしたが、それでも何度か広島から席が横向き(…用語としては「縦」座席…)になった列車にスシ詰めで乗った記憶はあります。夕刻だったと思いますが、暑いしキツいし煙たいし…しかし、今になって見れば、旧客のロングシート車に乗車経験アリ、って超レア体験だったんですねぇ(笑)。電車になって以降は全部セミクロで、自分が通学で乗るようになってからは、ホント不便でした。
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車のロングシートは地域限定でしたね。それに乗られたのはレア体験ですね。今でもJRの東京近郊の中距離電車に乗りますが、ボックスシートは気恥ずかしいのと狭苦しいので、いつも避けています。
こんにちは。二度通し見しましたが、魔理沙の客車クイズが全然わかりません……(苦笑でも、冒頭と最後のC61 20号機に続く客車たちも、丸屋根が揃って手入れも行き届いているとなかなかに綺麗です。旧型客車には系列も脈絡もなく場当たり的に製造改造型番変更を繰り返していてワケワカランというイメージしか持てていなかったですが、機関車と合わせた編成美が意外と強く意識されていたことがわかった、気がします。続編も期待しています!
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。2度見ていただきただただ感謝です。おっしゃる通り客車趣味って間口は狭いのですが、広大な海が広がっている感覚ですね。皆さんに開設できるためにも勉強しないとと思ってます。
自分も昭和53年に初めて鉄道ファンになったわけですが、あの当時私が追い求めていたのは旧型国電なので、旧型客車には目もくれてなく全くにもって客車はわからないのですが、確かに魅力はあるのでしょうね。私は本当に変わり者だったので、客車には目を向けず、上越線や信越本線の旧型国電ばかり追いかけていたのが今思うと恥ずかしい。あの当時ですら蒸気機関車は既に絶滅危惧種、旧型国電だって、主要幹線にはほとんどいない時代だったので、私が始めたのは遅すぎる訳でしたね。もう少し早くやっていればと後悔があります。
幸宏 さん、私は全く客車にも電車にも興味なくて、蒸気だけでした。写真を撮る時にたまたま映ったり、蒸気の前のテスト撮影で撮ったものをRUclipsでアップするときに勉強している具合です。
ワイは両方乗った😉
オハ61の一族が好きでC58に引かせたいと思っています。北海道など寒冷地向け2重窓はオハ62で、和田岬線専用としてオハ63で、それらは初期にオハ60ベース、後でオハ61ベースの中間扉増設になりました。それ以外の旧客はあまり詳しくないですが戦災復旧車は地元伊勢市駅に救援車のスエ71が居たので色々調べました。
ご視聴頂きありがとうございます。今回62,63両方登場しましたね。RUclipsで当時の鋼体化改造を紹介する記録映画を見て、乗せることにしたものです。動画内で呉~広島のオハ63がありますが、先頭の機関車はC59です。そちらは登場させませんでした。
自分の方が勘違いしてましたね(笑)63と6/4を間違えてました(笑)
ちょくちょく見させてもらってましたが初めてコメントします。旧客、とりあげてくださって大変うれしく思っています。まだまだ「はまる」ところまで行っていませんのでぜひともどっぷりはまってください。寝台車も合造車が多くて楽しいですよw「マイ“ロネ”フ」と「マイ“ネロ”フ」の違い。・・・なんてのも掘り下げて欲しいところです。
頻繁に来ていただきご覧いただいた由。大変ありがとうございます。旧客は自分の知識が乏しいので、模型の人たちにコテンパンにされるのが怖かったため今までできませんでした。ですから動画作成に当たり勉強しました。機関車も客車も貨車も好きか嫌いかでやってきたので、RUclipsでは好きな蒸気機関車だけやってきました。でもネタ切れだから客車をやったのではありません。幅広い鉄道趣味全般に飛躍したいと考えたからです。今後も蒸気中心で様々取り組みたいと思いますので、よろしくご支援賜りますようお願いいたします。
どちらも戦後のスハ32系れつの20m鋼体車ですね。採算見込めなないから合造車になったとか。
マイメロの方がかわいい😁
3軸台車といえば、映画『皇帝のいない八月』の外シーン用のセットとして14系に化けさせられた旧型客車というのもありましたなあ。
ご視聴頂きありがとうございます。皇帝のいない八月はちょっと楽しかった映画ですが、そのようなセットがあったことは気が付きませんでした。後で見てみようと思います。
↑三菱石炭鉱業でスハニ6乗ったオッサン😁
旧客とEF58といえば昭和29年の第一作目のゴジラで品川駅でゴジラの足に衝突するシーンですね。ゴジラの足元に旧客が流れ込んでゴジラが旧客をくわえてEF58を踏み潰していきますね。
ご視聴頂きありがとうございます。はい、そのシーンは一体何回見た事でしょう。初めて見た時は怖くて震えたのを覚えています。今は特撮の荒さが分かりますが、まだまだ見れる素晴らしい映画です。もうすぐあの鉄橋も無くなりますね。
エンディングの「シーン」過去に何処にでも目にした茶色の客車を牽引するSLいいネ👍私的には、昭和40年代の宗谷本線。や、室蘭本線を、思い出しました🎵
こちらもご覧いただきありがとうございます。、エンディングは上越の動態保存のC61のことですね。この姿が今でも簡単に見られることってすごいことかも知れませんね。もうすぐ青も入る様です。そう言えば室蘭本線って、、ブドウ色と青の客車が混じっているのが多くありませんでしたか?
末期では〜色々と混じってましたネどの線区も❗で、牽引機もCテンダーからD51に、更にDD51に、って感じでしたネ〜
幼少期、中央線沿線(当然オレンジの電車)に住んでいたけど、小学校の時に札幌に転校。当時の函館本線はまだ客車ダイヤで、床は板。ドアが手動だったのはカルチャーショックでした。
ご視聴頂きありがとうございます。それよくわかります。自分を取り巻く環境のグレードが下がることは基本的に人間は嫌がりますから。
質問です17m級の旧型客車と20m級の旧型客車は混結する事って組成のルール的に大丈夫なんでしょうか?自分の調べた方が悪いのか画像検索でもそれらしい結果がほぼ出てこないんですよね…(オハニ30と形式不明のたぶん20m級が繋がってるのは確認したんですが)
チャンネル横鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。17mと20mを繋げていけないことは無いと思うのですが。古い北海道の私鉄等ではあったのではなかなぁ?微妙な例としてコミュニティに写真アップするので、ご覧ください。皆さんの回答を期待しましょう。
@@Yukkuri-Lab ありがとうございます!
八甲田、十和田、函館本線の普通列車には乗車経験があります。もう50年前のことですが、青森から上野までの八甲田はともかく長かったです。お尻が痛かったのを覚えています。43系だったのでしょうね。旧国と並び旧客は趣味の対象としては実に多彩で面白いです。ですが、乗るのなら今の快適な車両の方がいいですね。
こちらもご覧いただきありがとうございます。九州行くと25時間ぶっ通しで乗ったりできたのは若かったからでしょうか?それともワクワク感からかな?その意味では今の鉄道はそのような感覚を覚えないので、快適なシートでも早く降りたくなっちゃうんでしょう。
例の4両の客車。1両目はTR-11台車なのでオハ56では?2両目はオハ35で3両目と4両目はスハフ32。またオハニ36はオハ35系では無く綱体化改造車(オハ35系のそれならスハニ32)。元はオハニ63を名乗っていたけれど、折角スハ43同等の客室で急行運用に就けようとしても、TR-11台車だと高速走行時にきついのでTR-52台車に交換。形式変更になったモノ。マロネ29は3等級時代から2等寝台で所謂ツーリスト型。車内ロングシート!2等級制以降は1960/昭和35年だけど、その前の1955/昭和30年に、旧1等寝台(イネ)が料金高過ぎと民間航空の台頭に対抗するため全て2等寝台(ロネ)に格下げ。その際車に設備の違いからAロネ(個室)・Bロネ(プルマン)・Cロネ(前述以外)と分けられそのまま1等寝台へ。そして1969/昭和44年にA寝台に。尚、2等級制移行は旧1等が廃止、旧2等を1等に、旧3等を2等にしたもの。付記:冒頭で触れたオハ56はスハ32のTR-23台車を取り上げマニ60のTR-11と取替えたモノ。何故そんなことをした?マニ60は荷物車として一大勢力になったが、東海道筋の急行列車などに編成されるとその高速運転から結構揺れが酷いと言われ、それでなくても発言権の強かった労働組合から言われては当局も無視できず、既にローカル運用に就いていたスハ32から台車を召し上げたもの。TR-23台車を貰ったマニ60はマニ61に形式変更。台車がグレードダウンした形になったオハ56だけど、やはりローカル用では一大勢力のオハ61と同じ台車であり比較的低速なら然程問題にならないこと、更にス級→オ級で換算0.5両浮くのは亜幹線や支線区の非力なカマには福音だったので結構な数が登場就役。EF58116のブルトレ塗装は其れで正解。端梁機関士席側に見えるカニパンスイッチ用ジャンパ栓がその証。カマ次位はスハフ32、その次のロザは或はオロ35かも?(オロ35とスロ43の違いは電暖の有無のみ。電暖乗っけておもくなったので形式変更。電暖の必要の無い東海道筋の客レならオロ35の可能性もあり)。3両目は単純にスハ32のWルーフ車?オハ27はオロ31の改修車ではなく格下げ車。優等列車のロザは基本特ロ化、ローカル列車へのロザ連結の原則廃止に伴い多くの並ロや初期の特ロが余剰になり格下げされたもの。オハ27は恐らく経年の関係でロザ時代の内装のまま使われたと推測。そして20m級の並ロ・初期特ロは詰込み用ロングシートのオハ41へ。マハ2925のタネ車は旧マロネ37(後のマロネ29)。マハ29自体元はマハ47。1953/昭和28年の称号改正で形式変更。客車はかつて1万7千両の在籍があり形式改定も多くまた[公式]自体結構アバウトな運用をしていたので今となっては神のみぞ知るとしか思えない案件多々あるけれど、その代わり嵌まれば嵌まるほど面白い底なし沼。魅惑のFantasy世界、さあ、貴方も是非、このWonderfulWorldへ(^^)/
ご視聴頂き有難う御座います。とてもお詳しくて尊敬いたします。道を極められていますね。私も形を見て、台車、付属フィーチャーで直ぐ見分けがつくようになりたいです。蒸気は大方わかりますが、客車とELは関心が低かったのでまだまだです。DLは嫌いなので覚える気はおりませんが。これからもよろしく御指南頂けますようお願い致します。
スハ32系の二重屋根車も末期(昭和6年度~)には溶接が導入されてリベットが減ってます。
@ 春葛様 やはりそうなのですね。リベットの有無で同じ型式でも二種類の外観があるわけですね。教えていただきありがとうございます。
昭和28年の称号改正では、三軸ボギー台車が形式一の位7〜9を8、9のみに変更した関係で、一の位7の形式が一斉に改番されて、よりいっそうわけがわからなくなりましたね。
旧型客車は子供の頃オハ61系に乗った位ですぐレッドトレインの50系に置き換わりましたね。
ご視聴頂きありがとうございます。オハ61ですね。良いですよね!50系は私は大の苦手で、まず色です。なんかコストダウンが見え見えで車輛に魂を感じないんですよね。
@@Yukkuri-Lab 殿へ全く同感であります!DD51牽引の客車列車が最後まで残ってましたがあの色何とかならんのかとブツクサ言って乗る気がしなかったのは確かです!
高校生の時に、山陰本線まで乗りに行きました、最後尾の連結面側床面に足を外にして座って乗ってたのが良い想い出。下関5時台発、福知山23時台着の旧型客車に通しで乗ってみたかった。
@CE176260 様 旧客はその楽しみがあるんですよね。日本じゃないですが旧客は中国で現役ですから、それも楽しいと思いますよ。寝台でも安いし。
@@Yukkuri-Labワイも最初はそんな事言うてましたが、じきに客車列車自体が少なくなった50系をありがたがって乗るように…😁
私の田舎広島県呉市広町駅から、広島行きの客車列車がC59,C62牽引して、10両牽引してました。たくさんの撮り鉄が来たそうです。一日呉線をあちこち移動して、撮りまくりしたそうです。
ご視聴いただきありがとうございます。広町駅?と思い調べましたら、やはり広駅でした。最近私の動画の字幕のミスが多いんです。さて広駅。今でも広駅と広島の間は特定区間で電車が多い様ですね。広駅は転車台が無いので、ここ発着だとC62とC59の逆行運転であまり格好の良いものではありませんでした。単線ですが線路規格は高いんです。同じ様なことは、参宮線もあって、C59を転属させる話もありました。
最近 某鉄道雑誌の特集記事に旧型客車が取り上げられる頻度が目立っております。個人的には内心またかよと思いつつも買ってしまう…幼少期からアラサーの頃に乗る機会に恵まれたことを改めて感謝する次第です!
いつもご視聴頂きありがとうございます。私は鉄道雑誌は「蒸気機関車」が廃刊になって以来何も買っていないし立ち読みもしないので、全然最近の内容を知らないのです。でも高崎の旧客でまとめたらスカを引いてしまうと思ったので、不足分は古い撮影仲間に写真を借りて意気込んで製作してみました。蒸気と違ってストーリーのまとめ方がよく分からず苦労しました。是非2回見てくださいね。
@@Yukkuri-Lab 殿へキネマ旬報社の月刊誌蒸気機関車ですね!😄久しぶりに聞きました!僅かながら私の手元にも健在であります!
最後は隔月刊、その前季刊、始めた頃は月刊誌でした。最後のほうは殆ど買いませんでした。インクのにおいが良かったんですよね。
流石に一般型客車(旧客とは言いたくない)は末期しか乗車した事が無いですが、全検を担当した工場によっては工場のメンツの為にコストをかけてピッカピカに仕上げていた個体もあり徹底的に修繕され新品同様にレストアされた個体に遭遇した時は驚愕したものです。後で本職の方に聞いたところ工場及び職員が持つ技量をアピールする事で、民営化を控えて工場存続に有利にする為だったと。オリジナル台車を使用した43系客車のドッシリとした乗り心地が好きでした。
ご視聴いただきありがとうございます。43系客車とはスロフ51がありましたよね?急行北上でC62が上野から牽引していたものですよね。車両メーカーも日本の客車がこれほどまでに無くなってしまうとは思わなかったでしょうね。
@@Yukkuri-Lab スロ51及び緩急車改造されたスロフ51は車体構造に共通点が多いので43系一族に加えることが多いですね。20系登場以前であり固定編成の概念がない時代なので、どこまで一緒にするかは見解が分かれるかもしれません。弱い地盤と運行に多くの人員を必要とする機関車牽引列車は動力分散方式に比べると不利ですね。今後は重量級貨物列車用に細々と残る程度でしょうか。
弱い地盤というのは目うろこですね。
旧客は複雑なので敬遠していましが今度模型を入手しようと思います。
いつもご視聴頂きありがとうございます。旧客は私も同じです。でも今回動画作るために学習してみると、なかなか楽しいし、奥が深すぎるぐらいですね。格好をみて自分の好きなものから入っていくとピンと来やすいと思いました。
@@Yukkuri-Lab もっと勉強しなきゃいけませんね。形から入るのも1つの手ですね。頑張ります。((φ(>ω
旧型客車もはまりだすとかなりの沼になりますな実のところ、模型でも旧型客車は扱っているメーカーが少なく、SL牽引列車の再現が難しくなっていますそのため、10系か43系でごまかすしかなというのが現状です
ご視聴頂きありがとうございます。10系は私は好きです。安芸や十和田の影響かな?スハ43より貧乏くさくないですしね。Wルーフは肥薩線の混合に入っていたのが最後だったと今回調べていて知りました。私は大畑ループに行った時には出会えなかったので、今考えるととても惜しいことしたなと思いました。20系のC62も良いですが、C51のオハ31系の優等客車ってのも良いですね。
うぽつです。個人的には32系や35系初期の、張り上げ屋根、車端絞り、妻絞り、狭窓が好きです!高崎でスハフ32が生き残ってるのが大変ありがたいです。ですが旧客は一般の人気は43系より前はあまりないようで…
いつもご視聴頂きありがとうございます。43系ははつかり、ニセコ等出そうかと思ったのですが、まず古いのを出していたら時間切れとなりましたので次回にまわします。やはり窓が一杯あるスハ32が良いですねぇ。鉄の網戸が降りてくるのが良いんですよ。汚いですけど。高崎のもちゃんと装備されていますか?
@@Yukkuri-Lab すみません、好き好き言ってる割にまだ乗ったことないんですよね…
指定席撮るの難しいようですし、夏場は走らないので、安芸になったら是非どうぞ。大井川は無かったですか?
@@Yukkuri-Lab 大井川も行ってみたいと思ってます行きたいところだらけですが、お金もないし持病があって体が弱く、すぐ疲れてしまうので中々行けてません…
魔理沙ももう111歳になるので、昨日上野の山に出かけるだけでひぃひぃでした。だからバイクを直して乗ろうかな?と思ってます。
旧客は、無骨でカッコいいですね。20系寝台車も現実的には、旧客に思います。
こちらもご視聴頂きありがとうございます。20系は蒸気とのつながり深いので旧客扱いですが、時間切れで登場させませんでした。次回ご期待ください。
山陰地方に住んでおり旧客は本当に当たり前に乗った世代でしたが、今や残っておらず、奥出雲おろち号だけが12系客車とはいえ、山陰における唯一の客車列車です。2023年11月には老朽化で引退のため、いま、頻繁に乗り鉄しています。これが無くなると気動車のみになります😢💦
ご視聴頂きありがとうございます。奥出雲おろち号、私は存在を知りませんでした。木次線走るんですね。昔C56とスイッチで有名でしたね。山陰本線は遅くまで旧客が残っていましたが、イベント列車とはいえ無くなるのは残念です。
奥出雲おろち号はDE10が牽引しており、日曜祝日は出雲市始発になり、山陰線の宍道を経由して木次線に入ります。今や12系客車も貴重で、かつての急行だいせんの生き残りです。
教えていただきありがとうございます。思い出したのですが山口戦ではオハ35をはじめとした複製の出来の良い客車がありますよね!羨ましいです。
旧客思ったよりも面白いかな次回に期待もし資料有れば旧客時代の白山度外視やって欲しい所かな✨
ご視聴頂きありがとうございます。ご期待に沿えましたら嬉しいです。白山度外視?すみません教えてください。
珍しいのはスヘ30ですね。端が通路で畳敷になっていたのでそこで負傷兵が寝たのでしょう。中でもレアなのはスヘセ30.これは発狂した兵士を閉じ込める部屋があったそうですがネット検索しても見つかりませんでした。アメリカにも病客車があって若い看護婦さんが看護にあたっていました。
ご視聴頂きありがとうございます。戦時中、戦後のGHQ専用車は変わった客車や呼び名が多かったですね。これらを全て対象にすると客車というは最も奥深い鉄道対象じゃ無いかなと思います。
🚇️『ぼくらのゴハチ』という、童謡があります(🚂ブラッチャーのビデオ)。😢懐かしい❗👀‼️🚇️ゴハチは、tomix model worldのビデオでも、何度も見ました❗懐かし過ぎ😢。
『♪いつも悠々線路を走る🛤️、お父さんみたいなゴハチ🚇️♪』『🚂列車や貨物を沢山連れて♪』『🏋️♂️頑固そうで(力持ちで)♪🏋️♂️強そうで♪👦お伽噺もしてくれそうさ♪🧔お髭を生やし走ってく♪』
🚇️『オレは機関車(🚂童謡)』も、おすすめ。
秀記さん、ご視聴いただきありがとうございます。楽しい情報をありがとうございます。探してぜひ見てみますね。
DD51牽引の筑豊線経由の急行列車に、ダブルルーフの食堂車がいたのは!写真を見て驚いた事があります。
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51の急行ですとD60の補機が付く天草が有名ですが、12系ですので、DD51牽引のWルーフの食堂車がつく急行とは何でしょう?
鳥栖機関区に、DD51が転入する前後に訓練で蒸気機関車とペアを組んでました。なお、天草は43年のダイヤ改正前後。一時期、鹿児島線経由になった事もあります。
木造車輌・・・中も完全に「木造」・・・懐かしい(^^)
ご視聴いただきありがとうございます。木造客車は私鉄で乗られたのでしょうか?私は流石に国鉄では乗ったことが無かったと思います。
昭和50年代までは、普通に「国鉄」で乗れましたよ。
Wikiにも”1955年度末までに、国鉄では旅客営業用の木造客車は消滅した”とありますがいかがなのでしょうか?
間違ってますね。昭和50年代、車輌数は減少してましたが、門司~下関、下関~山陰本線、飯塚~門司、門司港間で木造車輌に乗車できました。
ちなみに、私が最後に木造電車に乗ったのは、昭和42年、長府~小郡(現在、新山口駅)間です。私が5歳の時です(^^)
旧型客車を編成で牽引してるのはいまではJRのSL群馬か大井川鐵道ぐらいしかありませんが味があって好きです
あるだけましなのか、動力分散化は趣味的につまらないと私は思っています。機関車が不要ですからね。JR東は機関車を0にするとか言っているそうですね。でも貨物がありますからね。
@@Yukkuri-Lab貨物って格好いいけど乗れないのよね😵(乗り鉄のオッサン)
津軽鉄道のスットブ列車もよろしく😉
鋼体化を新造ではなく改造なのは、戦後GHQが鉄道車両の新造を禁止していたかららしいです。蒸気機関車でもC61やC62が該当します
ご視聴頂きありがとうございます。客車の鋼体化の経緯でそのような話が合ったと今回知りました。木造客車が粉々になるのは本当に怖いですね。
旧型客車沼、楽しい!🤗改造により生まれた、三軸台車の荷物車など、初めて知りました。👀自分個人的に興味深いのは、合造車、特に、改造により生まれた合造車ではなく、新製合造車です。😂1両に、複数の役割を最初から持たせて有るので、無理なくまとめられた設計に美学を感じます。😌それから、やっぱり食堂車ですね。🥰🥰🥰安芸のマシ38で食事してみたかったです。🙏また旧型客車動画、期待しています。💓
ご視聴頂きありがとうございます。三軸ボギー台車にはまる方って多いそうですね。今の鉄道にはないから、模型でやろうとされるからでしょう。客車の食堂車では八甲田に連結されていてお腹がすいたから行ってみようとしましたが、あまりに高いのでやめました。それから新幹線で社費で食べられるようになるまで一度も食堂車で食事したことありません。
@@Yukkuri-Lab 様、返信ありがとうございます。三軸ボギーの客車、乗り心地を実体験してみたかったです。😢走る列車の中に食堂が有り、流れ行く景色を見ながら、温かい出来立ての料理を食べることが出来る。ということに、幼少期から特別な興味が有りました。😂もっと早く生まれていたらなぁ。😅
近場でしたら中国で思う存分体験できます。上海~ウルムチだと40時間以上乗っていられます。風光明媚なところもありますし、運賃今の為替でも激安です。
4:53 戦前由来の1等寝台は1955年にまずそのすぐ下の2等寝台に格下げ統合。ただ写真のマロネ29は元から2等なのでこの時は扱いに変化無し。1960年それまでの3等級制が2等級制に変わり、車両の記号はそのまま、旧2等が新1等に繰り上がったのでマロネは1等寝台となって「1」の表示が付いた(写真の時点はここ)
都留山八さん、ご視聴頂きありがとうございました。白とか薄いグリーンの帯が無くなったのは、ちょっと残念でした。
苗穂工場にオヤ31が留置されていたのを数回見た。確か占領軍専用列車に徴用されていたものを改造した筈。JR九州のオヤ31は二重屋根だったとか
冨山さん、ご視聴頂きありがとうございます。花魁客車ですね。昔はへんなのあるな?ぐらいにしか思っていませんでした。というか客車・貨車には全く興味なかったです。次回登場させたいです。
中学時代オハ61に乗って、背もたれのクッションがなくて背中の痛さを楽しんだ覚えがあるw
ご視聴いただきありがとうございます。鋼体化改造だったので元が3等車だったのでしょうか。私は板剥き出しの座席の客車は残念ながら乗ってません。
オハ61は長野でも1971年頃までは見られました。あの❝必殺垂直板張り背もたれ❞では流石に当時でも「乗りたい」という気にはなれなかったですね。
オハ63と同じ繋がりで、オハ41というロングシートの客車が、四国に配置されていた。
ご視聴頂きありがとうございます。スハ43のグループですね。窓がとても大きいのがロングシートなのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab さん元々は、スロ54の改造車だったと思うんですが
そうなんですね。教えていただきありがとうございます。
@@原田寛-e3u オハ41のタネ車にスロ54はいません。ただ、良く似たスロフ53を改造したものは存在します。四国にいたのは恐らくスロ51改造の350番台では?あれもタネ車によって細かい番台区分がありました。ローカルの、其れも朝夕の輸送力列車用に身をやつしてはいても、窓割りなどにタネ車の面影を見つけるのがまた楽しみでした。
すごいです!色々教えてくださいね。
旧客といえば、中学まで常磐線はしっていたんだよなあ・・ 最寄りの柏は客レ(笑)
石井さん、コメントありがとうございます。どうでしょう、東北本線のほうが旧客は後まで残っていたと思ってますが。
@Yukkuri-Lab路線的には常磐線も東北本線も旧客完全消滅は60-3 っつーか、その改正で函館~札幌・上磯、福知山~出雲市、和田岬線以外の旧客は消滅😵
最初に登場した、C61形蒸気機関車カッコ良いですね。旧形客車、乗ってみたいです。SLやまぐち号の客車もいいですね…。
ご視聴頂きありがとうございます。今度ヒロの音声を少しの間隔貸していたけますか?
@@Yukkuri-Lab いいですよ。
それでは、今度ヒロの音声をおかりしますね!どこ使おうかな?
@@Yukkuri-Lab 「汽笛、私はヒロだ。」と、「わっはっはっはっはっは、この日がくる事を長~いこと待っていたんだ。」と、「わっはっはっはっは、もちろんだとも……。」と、「私は、伝説の英雄と呼ばれていたんだ。」を、使って欲しいです。
承知しました。
旧客という言葉で馴染んだ世代……ワイド周遊券世代でもあるかな。周遊エリアまでは急行使えたし。夜行急行列車も数多かった。旧客の夜行急行は昭和57年11月で、ほぼ全滅した記憶。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですか、意外にもかなり早くに旧客の急行が無くなったのですね。夏はエアコン当然となってきていましたからね。サービス向上のためには必須でしょう。
@@Yukkuri-Lab さんサービス面の見劣りはあるけど、最大の要因は東北上越新幹線の大宮開業(東北は6月に暫定開業)の影響ですね。開業延期が続き、国鉄の財政悪化もあって、中々置換え出来ず新幹線開業で大量に余剰車両が出るまで引っ張った。ここで余剰となった旧客はあちこちに疎開し、何故か旧型客車とはとっくに縁が無くなった東海道線の川崎駅に一時期留置も。当時の最新型であった185系と並ぶ事も。
なるほど、新幹線の開業が影響していたわけですね。185系でなく旧客で新幹線リレー号やればよかったのに。
@@Yukkuri-Lab さん。旧客リレー号、面白そう。ゴハチのプッシュプル、シルバーカーはスロ62とかで。
8:09 3両目のダブルルーフ客車、前から4枚目当たりの窓は閉まっているだけなのか、それとも幅広の柱なのかがわかればどうにかでしょうか。ピラーならマハ29系列、窓ならスハ33系列かなと予想しました。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りですね。オリジナルのネガを見ていますが、前方より、小窓+小窓+小窓+ピラー+小窓+小窓+ピラー+以下小窓となっていると判断しました。
3軸客車なんて三菱石炭鉱業くらいしか知らなかった国鉄にもあったんだ
ご視聴頂きありがとうございます。最初のスハフ32赤帯は国鉄のイベント用意匠です。昭和35年にグレードが二段階階層になり、二等車に統合されました。
その三菱石炭の3軸も元々は国鉄車😉
オハ35かオハ47だったかな?旧客って窓の上下に長い板が付いてるけど、上だけな無い奴やそもそも付いていない異形も存在したらしいです。
ナキさん、ご視聴頂きありがとうございました。今週の動画にもちょっと珍しい旧型客車が出てきますので、是非ご視聴ください。
@user‐pp7jx2・・様35系客車のオハ35ですね。大井川鐵道に健在です。残念ながら、トーマス仲間入りして現在オレンジ色ですが、デッキ部分が張上げでその部分だけ屋根の色も違っています。トーマス色ながら、43系主体のトーマスの編成には基本、加えてもらっていませんので、最近のC10の動画を探すと見かける車ですね。
1:33の東横浜駅は中学生時代の自分が写っている可能性がある。現在は桜木町駅前広場のエアーキャビンの発着場の場所ですね。
ご視聴頂きありがとうございます。この場末の雰囲気からよくあそこ迄変化したものですよね。桜木町は仕事で良く行くので変化が凄かったです。扇形庫が無くなってしまったのは本当に残念です。
扇型庫は原鉄道博物館の少し南にありました、今は影も形もありませんが転車台だけは本牧市民公園のD51516の隣に保存されています。
あっ、そう言えばそうでしたね。あの辺りは昔の面影は恥とばかりに全て消し去りましたね。
内装も特集すると楽しいかもね。
そうですね!内装だと動画も撮りに行けるのでとても良い案ありがとうございます,
サムネ画像で思い出したのですが〜ÈF58の全面って湘南電車の初期みたいで、運転席の窓枠の突き出た形が、EF66に進化❓したのでは❓(実際には違うケド)更に、その系譜を辿ると現在 活躍して居る機関車に受け継がれて居るのでは❓なんて、「妄想」してました (汗💦)
湘南電車がEF58のオマージュではないでしょうか?
了解しました。参考に成ります❗
旧型客車を使用した急行列車は北海道では、ていね後のニセコ、大雪、宗谷など、東北では、八甲田、津軽、おが、天の川など、東海道本線の銀河や九州へ向かう夜行急行列車としては、熊本、鹿児島行の薩摩、高千穂、天草、肥後、長崎・佐世保行の雲仙、九十九里、博多行の筑紫などがあった。広島行の安芸や大阪行の夜行普通列車まで存在した。ヨンサントウで、東海道本線鈍行客車列車は消えたが、大垣城夜行普通列車としては、平成19年待てば存在した。
旧型客車の楽しいところに、走り出しても飛び乗れるところがありますね。危ないでしょうが、自己責任の時代ですから。窓から乗車する人も多く、これは整列乗車無視ですね。窓が開くのは写真を撮るのに最高です。ただしトイレは勘弁して欲しかったです。使用する側も、外から見ている側もです。あれはひどい。
@@Yukkuri-Lab 様:旧型客車のトイレは、垂れ流しトイレで、線路は黄色く、臭い臭いが充満していた。今のトイレは、汚物処理機能付きの簡易水洗トイレ。
停車中は使用しないでくださいと大都市近郊区間は合ったと思いましたが、生理現象ですからお構いなしで、ジャーっと流れるのを駅のホームの向かいで見ていて、あーあと思うこと何度もありますね。
@@Yukkuri-Lab↑飛び降りてコケたオッサン😁
ちなみに私の場合は現役客車はあんまり撮影しなかったかな特にマイネ40型とナハネ10型とナハフ10型とオシ17型客車列車を撮影しなかったかなただし横川鉄道文化村で客車が保存車で展示していたので撮影をしたかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
Hidekazuさん、ご視聴頂きありがとうございます。日本で旧型客車を現実に動かしているのが、JR東とJR北海道の1編成と1輌しかないというのは、驚きですね。まだ上野辺りを走っているような感覚に襲われます。
秩父鉄道のSLパレオエクスプレスて最初の運行の頃は旧客なんだよな。また、高崎から旧客を借りて走ってくれないかな?
ご視聴頂きありがとうございます。当時は普通に旧客ありました。そちらは良かったのですがパレオのC58装飾がかなり派手で、遠方から取ったりしてました。
@@Yukkuri-Lab あのテンダー車のその塗装の写真が浦山口でとった写真が前持っていて、なんかオリエント急行感がすごいなと思ったの未だに覚えてるんですよね。んで前に一回だけまたテンダー車の塗装したんですよね。
一度変形デフをつけましたよね。南九州や北海道でのC58を思い出し懐かしかったので、行こうとおもったらすぐに元に戻されてしまいました。ところで秩父では客車ばかりでなく貨物との混合列車をやってほしいな。
@@Yukkuri-Lab ですよね。けどこの場合、影森駅で停車していれ替えの時間がかかるから無いかな?後、運行30周年の際には、鳳凰と、お召し仕様になりましたしね。
お召仕様は存じていませんでした。WebでみるとC59-108のに似ていますね。梅小路のC51に今ついている。その前はC58-1号機に着いていたかと。せっかく鳳凰つけるなら、デフの点検窓を塞いでほしかったなと思いました。
マシ38が、燃えて、オシ17に替えられ、そのオシ17すら、きたぐに で燃える。なんという皮肉
ご視聴いただきありがとうございます。食堂車や寝台車がなくなったということで、輸送手段の鉄道というものの一時代が終わったように感じます。新幹線というのはあれは航空機に近い性格だろうと思ってます。
客車はねぇ..... まったく解りません(キリッ!)コ.ホ.ナ.オ.ス.マ.カの自重記号に、電車、気動車と同じ用途記号を付加。しか解りません(泣)形式番号も、同世代の旧形国電みたいに明確な付番ルールがあるんだか無いんだか....旧形国電であれば、2桁の数字でどんな車輌かはすぐに判るのに.... トホホただ、70番台客車には手を出さないように! 戦災復旧車で、同じ形式でも見た目がバラバラ、まさに「沼」でしゅ。←この70番台だけは「戦災復旧車に付く番号」と理解できています。蒸気機関車には、ブドウ色の旧形客車が良く似合います!5年前に私の地元をD51が走りましたが、12系客車で、とっても違和感がありました。
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも列車の識別記号って苦手です。だいたい興味ある車両ならば頭に入りますが、客車でも好き嫌いあるので、全然だめです。嫌いな客車は12,14,24系、50系ですね。12系は蒸気が現役時代に九州でたまに見かけました。その時から嫌いです。乗る分にはエアコンがあって嬉しいですが。なんか安っぽくて。人の魂というのが感じられないんですね。
付番に関しては思いっきり大まかに分ければ10~軽量20~固定編成30~40~50~以上鋼製60~綱体化70~戦災復旧80~和式90~試作末尾0~7は2軸ボギー台車、8・9は3軸ボギー台車です。尚~系と言う概念は厳密には12系以降です(20系初代ブルトレですら登場当時に~系の概念はありませんでした)オハ31の緩急車がオハフ30、半室荷物車がオハニ30スハ32・スハフ32・スハニ31オハ35・オハフ33・スハニ32スハ44・スハフ43・スハニ35この組み合わせが電車などと全く違う分慣れるまでは大変かと…(^^);また1941/昭和16年、1953/昭和28年に大規模な称号改正があり形式の変わった車種も多々あり、また優等車輌も色々あるので複雑怪奇…其れが客車の世界ですがその代わり嵌まればWonderlandです(^^);
色々詳細に教えていただきありがとうございます。車輛を見てすっと理解できるようになるように勉強します。
東海道本線のEF58の次位の客車ですが、スハフ32だろうと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。先頭車だからフ付きとご判断されたのですね。多分そうでしょう。
旧客いいなあ。でも俺にとって旧客は、ぶどう色2号じゃなく、青15号なんだよな
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも急客の色にはあまりこだわりません。10系好きですし。
郵便車や荷物車は更に奥の深い世界で底無し沼にハマり込んだら最後、抜けれんくなる( ̄▽ ̄;)
ご視聴頂きありがとうございます。郵便車・荷物車の思い出は急行ニセコの函館行きが2輌先頭に付く1号がどうしても嫌いで、札幌行ニセコ3号は客車が直後なので嬉しかったというどうしようもないものです。
殊に他形式から改造されたマニ35・マニ36・マニ37辺りは複雑怪奇!その分デッキや窓割りにタネ車の面影を探す楽しみもありました。
高校時代通学していた時に乗って通学していた。
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車に乗ることが日常だったのは羨ましいですね。きっと今の車両に対する見る目は厳しいのだろうなと思います。
この車両のトイレが苦手でした。今はないけど。
冬が寒いんですよねぇ。
1両目オハ60 2両目オハ47 3両目 スハフ32 4両目 スハフ32溶接試験車かな。ベンチレーター撤去してるハコもいた。
ご視聴頂きありがとうございます。客車お詳しくて羨ましいです。今後も様々教えてください!
ちなみに私の場合は大宮鉄道博物館でタブルルーフオハ31型客車と特急つばめ号展望客車マイテ39型客車を撮影したかな今はコロナがあるので行けないかなそのかわり下今市駅で国鉄型客車14系客車があるので満足しているかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
Hidekazuさん、たまには駅のホームや客車区に並べて見せてもらいたいです。博物館ではなくて。
オシ17=北陸トンネル
ご視聴頂きありがとうございます。10系が新しかったばかりに中毒で事故が拡大したそうですね。
旧客で気になってたことがあるけど...10系客車などに使われるTR50系列と43系列に使われるTR47,32,35系列に使われるTR23って乗り心地どうなんだろう?
これからも色々教えてください。
@@利-y8w そうなんですね!!ということは80系電車のDT20と101系などに使われたDT21も乗り心地はあまり変わらないのですかね?
@@利-y8w ありがとうございます1年くらい前からずっと気になってたことなので助かりました!
線路規格って乗り心地に重要ですよね。車も一緒です。
旧型客車の独特の匂いが忘れられません。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。ワックスとか防虫剤とかあれやこれや混ざっていて。今の列車は無臭がとうぜんですからね。
床ワックス+トイレの防臭剤+若干の汚水臭+SLの煤煙の匂い+煙草臭(当時は車内喫煙可)
旧型客車列車は、郵便車や荷物車も存在した。
いつもご視聴頂きありがとうございます。今回の動画内の新潟のEF58の後ろが荷物車ですね。
@@Yukkuri-Lab 様、これはおそらく、東京発西鹿児島(鹿児島中央)行急行桜島と思われます。急行桜島は、鹿児島本線経由の夜行急行列車でした。
この年の時刻表とネガの前後を見ると午前中ですから、桜島か霧島、雲仙なんかも候補ですね。
@@Yukkuri-Lab EF58116の牽く列車はおそらくローカル列車ですね。臨時・不定期列車と雖も流石に長距離急行ともなると、ハザは寄せ集めでもロザは特ロでした。[桜島]もハザはスハ43・スハフ42が入れば御の字、オハ35・オハフ33・スハ42辺りなら許容範囲でした。スハ32辺りは流石に避けられていたようでオハ61に至っては出来るだけ入れないように…とはいえ本当に車輌需給が逼迫した時には駆り出されることもありました(急行券返せ!)(^^);
116の列車は複雑怪奇ですねぇ。
オハフ32はスハフ32が正解ですよね?
クイズの場面ですよね。画面でオハフ32と書いていますが、スハフ32の間違えです。失礼いたしました。
旧型客車を判別出来る人は、何を見て判別してるんでしょうか。編成を組む時に何か規則は有るのでしょうか。私は、興味は有りますが知識が有りません。
ご視聴いただきありがとうございます。私も同じでした。この動画を作るまでそのように考えていましたし、難しいなぁと思っていたものです。意外に入りやすいなと思いましたが、台車を見て判断するという点が抜けていました。速度制限がある客車は別にして、牽引定数内ならば組み合わせは自由ではないかと思います。
問題の1問目って台車がTR11だからオハ61じゃないかな...、
合造車に関してはオハニ36では?
ご視聴頂きありがとうございます。台車で攻められるのですね。私はまだご回答するだけの知見無く申し訳ございません。
ロングレールつまらん。
カタンカタンと音がしませんよね。
これは一回だけじゃ終われませんね
正に底なし沼、ネタの宝庫、メジャーな旧客まで辿り着くにはまだまだ先の様な感じですね❗️
私の知らない旧客の事が知られてとても楽しませていただきました😊👍‼️
ゆっくりでいいですからシリーズ化期待しております👍
ご視聴頂き有難う御座います。昔から客車と貨車は無限地獄の蜜の味と言われてました。
あまりに多すぎるのですが、何故か惹かれるのですね。今回登場させなかったものも多く、時間切れもありましたが、覚える事多すぎて燃え尽きたと言うのもあります。また必ずやりますのでよろしくお願いします。
旧客って無骨な感じがこれまたカッコイイんだよなぁ〜、SLとも似合うしEF58などの旧型ELとも素晴らしく合うんだよなぁ〜(惚れ惚れ)
ご視聴頂きありがとうございます。私が一番ワクワクして幸せを感じたのが、ELやDLで牽引された客車列車が蒸気に交換され出発するときでした。
デッキでテンダーを眺めたり、煙いですけど楽しかったです。
それめちゃくちゃ幸せだね、最高の時間だよね〜
例えば EF58からC62へ?
三國連太郎さん主演作の
大いなる驀進の一場面で
登場しておりました!
大役者の機関車交代場面ですね。
ディーゼル機関車にも合う
私の大好きな旧型客車、たっぷり堪能できました。私の親の実家が羽越線沿線で、かつて旧型客車の宝庫でした。いつも客車列車に乗ると、わざわざ一番古い車両に乗りたがる変わった小学生でした。
佐藤さん、ご視聴いただき有難うございます。
コメント頂きありがとうございます!旧型客車が好きな方にとって、この動画が楽しめたことをうれしく思います。また、羽越線沿線がかつて旧型客車の宝庫だったとのこと、とても興味深いですね。小学生の頃から一番古い車両に乗りたがるというエピソードも、思い出深いものがあるのではないでしょうか。今後も、より良いコンテンツをお届けできるよう努めてまいりますので、引き続きご覧いただけますと幸いです。
ワイも変わったガキだった。旧国・旧客大好きで、中央線乗ると、中野・三鷹・武蔵小金井で旧国事業用車見て喜んでた😁
冬の大井川鐡道 スチーム暖房の効いたオハ35で呑んだ冷えた缶ビールは最高でした。
SLを追いかけて50年以上(最初の遠征はC62ゆうづる)、先月は磐越西線へ行きました。
旧客も興味があり、模型も30両以上あります。
次の動画を期待しています。
ご視聴頂きありがとうございます。客車は不勉強だったのでこれからも勉強しないとと思っています。当時は旧型という見分けもしなかったのですが、九州で12系を見た時にはかなり違和感感じました。旧客あっての蒸気機関車という思いはその頃からかもしれません。
小窓のスハフ32は只見線でSL列車が運転された時に乗車しました。(ニス塗り、蛍光灯、鎧戸の日除け)
大窓のオハフ33には大井川鐵道のSL列車で乗車しました。(ニス塗り、白熱灯、幕式の日除け)
このような貴重な旧型客車に乗れた事に感謝ですね。
動画配信ありがとうございます。
色々参考になりました。
ご視聴頂きありがとうございます。関心抱いていただきうれしいです。
かなり動画作成で消耗して紹介し残している内容も多いので、次作も企画したいと思います。
どんな動画になるのか楽しみにしてましたが流石ですね。知らなかった事も多く興味深く拝見致しました。混合列車用のストーブ又は温風暖房機に二重窓などの北海道仕様旧客にも興味があります。
いつもご視聴頂きありがとうございます。今回は最初なのでノスタルジックな部分は省きました。というより蒸気でもノスタルジックな内容はやっていませんね。
飯山線の混合列車をネタに作りたいなぁと思ったことがありましたが、視聴率を考えると中々難しいですね。次の客車はちょっとコツをつかんだ気持がするので、うまくまとめたいです。
小中学生時分に上野口の客車をかろうじて目の当たりにした世代です。
鉄友達とは「ボロ客」と呼んでいましたね。
東北線は43系主体で35系やたまに32系が混じり、高崎線方面は43系軽量形のオハフ45・オハ46が多かったように記憶してます。
季節によっては電暖無しの茶色が繋がっていたり、運用も考えると客車はホントに底なし沼ですね。
続編期待してます!
ご視聴頂きありがとうございます。いつの時代でも若いファンは新しい格好いい鉄道車両にほれ込みますよね。私も意識して客車を撮ったことはほとんどなかったです。まぁ、一方で無くなるから撮影に出かけるというのはいつの時代でも同じことですが、蒸気がある時代は客車までなくなるとは思わなかったですね。
↑尾久→上野だけよく乗ったオッサン😁
旧型客車、見るより乗って楽しい。揺れや響きが楽あれば苦ありの旅を支えてくれました。
ご視聴頂きありがとうございます。私は高千穂・桜島に乗って南九州何回か往復しましたが、25時間は厳しいですね。楽しくはありましたが。上りの帰りでは一度耐えられなくなって大阪から新幹線にしたことありました。まぁ、横になれないというのがつらいです。12時間が限度化と。ちょうど欧米に行く飛行機の時間ですね。
いや、見て楽しく乗って楽しく舐めれば…😵
9:24 車号がスハフ32 49と読み取れます。手持ちの鉄道ピクトリアルNo.778(スハ32特集)を確認した所、
最終配置は大阪鉄道管理局管内で1966年にオハネ17に改造された模様です。
所属表記の「大」も判別出来ます。。。
それにしてもこの頃は葡萄色の客車が全盛期ですよね・・・。是非Nゲージで再現したい物です(´・ω・`)
ご視聴頂きありがとうございます。そのように細かい所属や改造が分かる資料があるのですね。Wikiだけかと思っていました。旧型客車は実際に旅をする場合はトイレがちょっとですね。デッキは楽しいのですが。
@@Yukkuri-Lab ちなみにスハ32系列はシングルルーフ,ダブルルーフが混在してる形式なんですよ
奥が深すぎるw
旧客はスハ32を選んで乗ってました、小さい窓、塗り重ねたニス、蓋の無い灰皿、座席番号が数字のみ、(13・14)暗い電灯、色々思いだします。
(ああ~旧客は楽しい。)
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。スハ32いいですね。高崎のスハフですが煙除けになるサンシェードってちゃんと装備しているのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん、高崎のは、ちょっと知らないですね。私のは50年前の札幌、旭川区の車輌ですから。
いつも、良い企画ありがとうございます😊旧型客車大好き❤です 特に合造車が良いですね😍同じモノが無いのがイイ❣️第二弾期待しています。あと、リクエストですが、貨客混成列車の特集観たいです🤗ローカル線独特の列車ですがココ、RUclipsは勿論Yahoo! 画像でも殆ど無いのがかなしい😢 宜しくお願いします🙇
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車は第2、3をやりたいです。リクエストですが、混合列車のことをおっしゃっていますか?
あまり人気がないようですが、組み込んでみたいです。
↑リアルSLは乗った事ないが混合列車は乗ったオッサン😁
旧型客車もこれはこれで 味わいがあっていいものです
オシ17も急行きたぐにが青森に向けて走行中に 北陸トンネル内で火事が発生して
死者が出てしまい メシ箱がはずされしまった悲しいこともありました
この事故が起きる前の年にも 同じことがあって そのときの機関士はマニュアルを無視して
列車をトンネルから全て出してから 停車して死者は出なかったそうです
その時の教訓がいかされて要れば 北陸トンネルの事故も最小限ですんだかもしれません
いつもご支援、ご視聴頂きありがとうございます。北陸トンネル事故の再発防止を検証するためにC58を北海道のトンネルで火をつけた客車でテストしたことがありましたね。それで走り切ってトンネルを抜けよとなったと記憶してます。
あくまで推測ですが…日本海の小火の際其れを発見した機関士氏はおそらく旧線時代の蒸機の経験からトンネル内で停まったら大変なことになると思って咄嗟に駆け抜けたのでしょう。ただ、事情も現場も知らない頭でっかちの上層部が[規定違反]として事もあろうにその[殊勲]の機関士氏を処分した由。それもあって[きたぐに]はManual通りにその場で停車。然し深夜のトンネル内で切り離し作業に手間取る内に架線溶断停電!自走不能(幾ら高性能のEF70と雖も、電機は停電したら唯の鉄塊です)、そしてオシ17の内装には所謂新建材が使われていてこれが一酸化炭素を撒いたのも悲劇でした。
当初石炭レンジが問題視されましたが原因は電気暖房の配線の不備でした。
若しもこの時そのまま南今庄駅辺りまでそのまま逃げていれば恐らく死者は出さずに済んだのでは?
後年被災車輌が戦前製の老朽車なんて[ふざけた]表現が公式にもありますが戦前製な部分はフレームのみ、車体も台車も後年のモノで同じ編成内のB寝台車と同世代。否オシ17を戦前製というなら同じ編成内のスロ62の立場は?グリーン車は大正生まれってなるぞ?と違和感が拭えません。
9:15で登場するダブルルーフのスハフ32について。私が小学校高学年の1969年夏、長野から親に連れられ柏崎まで行く途中の直江津まで乗った客車がスハ32系でした。勿論直江津までは電化(その年の10月に宮内<長岡>まで全線電化完成)でEF62の牽引でした。
その時に機関車の直後から1~2輌目がスハ32系で、1輌目がダブルルーフ、2輌目は普通のアーチ屋根でした。座席の背もたれもこの画像の通り傾斜のついたベージュ色の板張りで、内装全体が非常に古めかしかったのでオハ35系に近い内装のアーチ屋根の方に乗車しました。
その時は客車の歴史的な知識が殆ど無かったものですから、やはりあの時にダブルルーフ の方に乗っておけば良かったと、その後現在はホテルメトロポリタン裏の業務用自動車の駐車場になっている所にいつも置かれていた救援車スエ30 26号車のダブルルーフを見る度に後悔が募ったものでした。その時の2輌目の客車が❝必殺垂直板張り背もたれ❞のオハ61系であったならダブルルーフのスハフ32の方を選択していたかも分かりません。
新型のEL・EF62にダブルルーフのスハフ32とくれば、実車は勿論鉄道模型のモチーフとしても大変に面白い取り合わせだっただろうと思います。SLのD50とかなら当たり前過ぎますが、まさに近代化途上、時代の過渡期というべき光景でしたから。
ご視聴頂きありがとうございます。
お話を伺っていて、軽井沢からの信越本線を走っているD61でダブルルーフのを出した記憶があります。あとで探してみます。あったらコミュニティでアップしますね。
投稿も増えて、どの動画に入れたか?ハッキリしてないですが、碓氷峠の関係でWループが残ったのかな?と思います。
小学生だった昭和57、58年頃、日豊本線でも、夜都城から買い物帰りに乗る列車は赤色のDL、ELに引かれた旧型客車が来てました。室内も全部木製で古い汽車だなと思ってましたが、今となっては貴重な体験です。
ご視聴いただきありがとうございます。そうですか良い経験ですね!私はその丁度10年前都城に何度か足を運びました。多くのC55, C57が客車を牽引していました。吉都線はD51も客車を牽いていました。今都城の客車の車両基地だったところは、Google Mapで見ると太陽発電パネルで覆い尽くされているみたいですね。
ご返信ありがとうございます。
都城をご存じで、なおかつ来られたことがあるというこでとても感激です。都城駅は規模があるので、子供の頃都城駅に行くのが楽しみでした。ですが現在はソーラー発電用地に転用され、寂しいかぎりです。この辺りのSLは昭和49年に廃止になったそうです。僕はSLの記憶がないです。吉都線は中2の修学旅行で都城から乗りスイッチバックも通りました。隣の西都城駅は小4ぐらいの時に平屋から高架駅へ改築され格好いい外観に興奮した記憶があり、新幹線が来ると本気で思ってました 笑
東京から行くのですが、いつも急行高千穂でした。25時間掛かって宮崎着いて戦闘開始という具合です。夏だと駅で寝させてもらえて九州は好きでした。北海道は追い出されますから。吉都線の小林で列車を待っている最中にでっかい蚊に刺され、50年以上たってもまだ傷跡あります。南九州の蚊はデカいですね。スイッチバックは肥薩線ではないですか?あちらも良いですよ。ただしハブが出るから三脚を前にして歩けと言われました。
8:10 恐らく3輌目のWルーフ車は、窓天地寸法が狭い31系で特徴的な三連窓が食堂車由来のようなので、スシ37700改のグループ、マハ29 20番台だと思われます。大体のマハ29が昭和40年位で廃車になってしまったので、末期の写真(近代化改修済みのオロ35orスロ43の緑帯より年代判別)はかなりレアですね。
ご視聴頂きありがとうございます。マハ29ですか。長い事しまっていたネガを復活させて出てきたもので、皆さんに教えて頂きとてもうれしいです。
ただEF58-116の色は青大将だと思うんですよね。でも記録を読むとそれは無いということで、色を仕上げたんですが。
ああやっぱり前側のあの部分は3連窓でしたか…然し如何にローカル(普通)列車と雖もまさか東京駅に堂々とマハ29が顔を出すとは思えなかったのでマハ29やオハ31の可能性は無視していました(^^);
@@Yukkuri-Lab 拙発言でも触れたようにEF58116はブルトレカラーで正解です。カニパンスイッチ用ジャンパ栓がその証です。元青大将機でブルトレカラーになったカマはいません。また大窓・庇付きもブルトレカラーにはいません。但し、後年のMR管増設の所謂P型機には元青大将機がいます(38・39・62~66等)。
EF58116に関してちょっと可哀想なエピソードを一つ。同機は製造元メーカーでキリ番だったので特別にステンレス製の握り棒を用意して貰ったのですが、その輝きと光沢がお召し機に相応しいとされ折角の握り棒が何と!EF5861に召し上げられてしまいました…orz
(当時は在来機にも握り棒取り付け工事真っ最中だったので116号機はその予備Parts=汎用品=を宛がわれました)
SleeperExpressJNR 様、いろいろご教授いただきありがとうございます。EF58は昔から好きで、蒸気のついでに撮影することも多かったですが、写真の整理はしたことがありません。保存もいい加減なので修正も大変です。
床下の巨大な水タンクが特徴なのと、左の窓とテールライトから緩急車の名残もありますね。
平成産まれで実際見たことないけど編成がバラバラで見てて飽きないし
どういう組み合わせがあったか調べる考古学的な何かと思ってる
ご視聴頂きありがとうございます。
確かに考古学的と言うのは当たっていますね。
4:50〜の一等車のくだり、ちょっと違います。一等が廃止になったのはあってますが二等が一等に、三等が二等にそれぞれ変更になってます。マロネ29は二等寝台から一等寝台、スロ60は二等車(特別二等)から一等車に変更になってます。
ご視聴頂きありがとうございます。ご指摘もありがとうございます。はい、そのように認識していたのですが、うまく説明の時にこんがらがっていますね。また認識違い等ありましたら、よろしくご教授いただけると大変ありがたいです。
@@Yukkuri-Lab
一等はなしで二等と三等だけ、にしてくれた方がわかりやすかったですけど、そうもいかなかったのでしょうね。
旧型客車の世界は一歩踏み入れたらどんどんはまっていく底なし沼です。続編を大いに期待します。チャンネル登録もしましたので他の動画も拝見させていただきます。
ご登録ありがとうございます。これから是非ともごひいきにしていただき、いろいろ教えていただきたいです。
貴重な映像、情報をありがとうございます🙇すこし懐かしい旧式のゆっくりボイスも相まって非常に興味を惹かれました。
80年代には旧型客車の列車が各地で運行されていたようですが、おそらくこちらで取り扱われている客車の中でも新しい部類になるのでしょうね。今では「旧型客車」といえばそちらの方がメインとなっているのでしょう。
それらの車両、SL含め、末永い活躍を願います🙇
客車列車のファンより
Yorkersさん、ご視聴頂きありがとうございます。素敵なコメントもうれしいです。
ゆっくりボイスがRUclipsの規約に引っかかって収益化剥奪されたので(現在復活)、最近のは地声でやっています。そうしたらいきなり視聴率が下がって...
私はDC/DLが苦手なので、蒸気と旧客と旧型電気でやっていきますので、よろしく絶大なご声援をお願い致します。
マハ37……
存在すら知らなかったです
見た目からして食堂車からの
改造かと思ったら寝台車の
改造だったんですね。
(3軸荷物車カニ38を思い出します)
旧客の緩急付き車掌室が
デッキ内寄りタイプ
(現存している車両ではスハフ32)
って旧客らしくて好きです。
確かマシフ?って
緩急室付き食堂車が居たような…
ご視聴頂きありがとうございます。お詳しそうで羨ましいです。私も負けずに学習していきたいです。
今日アップする動画にもメインではありませんが超旧型客車も出てきますのでご覧ください。
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!昔私のところの北陸本線は旧型客車ばかりでした。とくにオハ35系が多くたまに急行型のスハ43系が連結されていると嬉しくなった思い出があります。やがてゴウマルサンダイヤ改正で4往復が471系になり急行くずりゅうや北陸快速との共通運用になり1982年11月ダイヤ改正では2往復を残して電車化され、1985年3月改正で全て電車化されました。そのときにおなじみ食パン電車の419系が運用されるようになりました。最初は小豆色にクリームの警戒色でしたがのちに北陸色になりました。旧型客車からは少し逸れましたがすみません。とにかく旧型客車の思い出は少し油臭く感じたものでした。それと電気機関車は蒸気機関車に比べて停車、発車時衝撃が大きいように感じるのは私だけでしょうか?
もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございました。蒸気が無くなって私も日本にいなかった時期もあって、旧型客車にはどうでしょう、昭和49年以降乗っていないと思います。国鉄の客車に乗ったのは羽越線の50系が最後だったような記憶です。大井川やイベント保存機の列車は別ですよ。上野駅でたまに旧客を見たりすると、蒸機の時代が頭をぐるぐる回っていました。おっしゃる通り客車列車の一番嫌なのは発進時のショックですね。中国でもかなり嫌でした。
ワイにとって北陸本線の旧客と言えば10系😉
ワイにとって北陸本線の旧客と言えば10系😉
こんばんは、定宿だったのはもう少しあとのスハ43でしたね。
10系ナハは昼間は車内が明るくてよかったのですが、夜間シートに横にになったときはあの重量の有る
TR47系の台車のほうが寝やすい振動でしたね。
八甲田、臨時のほうは数回利用しましたが、毎年グレードがUPし最後の時はオハ14になってました。
ご視聴頂きありがとうございます。スハ43系は時間切れもありましたが、今回は見送りました。それにしても動力分散化と夜行廃止は行きつくところまで来ましたね。ということで私は今のJRの列車の撮影をする気はさらさらありません。逆に私鉄の方が潔いかな?それでも蒸気はたまに行ってます。
@@Yukkuri-Lab 様
写真を最後に写しに行ったのは、息子が連れ出してくれた京津線の部分廃止の時ですね。
勿論フィルムです。家庭の事情で十数年外出もままならず時代は何時の間にかデジタルに。
今の時代Cの影響もあり、又色んな状況でちょっと恐ろしさを感じる時も。((ホームとか)
現在はカメラを持たず、東海道線の線路際の公園でカンガルーの観察など楽しんでます。
10系は満員の3倍を想定していたバネレートの為に跳ねる様な乗心地乗れるだけでも有難い昭和30年代の帰省
です
マシ38とオシ17 も火災を起こしているので 昔は大変でしたね
ご視聴頂きありがとうございます。なんでまた火事になるんでしょうね。風が入るからでしょうか。
石炭ストーブが原因だとか、ポイ捨てタバコだそうですよ
この食堂車の列車火災について、石炭ストーブが原因とされることもありますが、正確な原因は特定されていません。また、ポイ捨てタバコが原因で発生する火災は過去に実際に発生しているため、それが原因であった可能性は否定できませんね。
EF58-116の先台車に、カニ22パンタ下げ回路用ジャンパ栓受が付いてるので、そこからもブルトレ色だということがわかりますね
あと、115か116号機の先台車掴み棒はステンレス製だったので、後にロクイチへ取り付けたらしいです
ご視聴いただきましてありがとうございます。その識別方法皆さんご指摘いただきました。116号のつかみ棒が61号に取られたそうです。
昔・常磐線で旧客車を使った仙台行の普通列車が走っていたのを思い出す!
ご視聴頂きありがとうございます。常磐線は東北や北海道に行く時の十和田や北上等でよくお世話になりました。昭和49年ごろ12系に変わったのに乗りました。冷房が効いていて驚いたのを覚えています。
ロングシート!これは懐かしいモノを拝見しました。私が3~4歳くらいで鉄道に乗ることも滅多に無かった頃でしたが、それでも何度か広島から席が横向き(…用語としては「縦」座席…)になった列車にスシ詰めで乗った記憶はあります。夕刻だったと思いますが、暑いしキツいし煙たいし…しかし、今になって見れば、旧客のロングシート車に乗車経験アリ、って超レア体験だったんですねぇ(笑)。電車になって以降は全部セミクロで、自分が通学で乗るようになってからは、ホント不便でした。
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車のロングシートは地域限定でしたね。それに乗られたのはレア体験ですね。
今でもJRの東京近郊の中距離電車に乗りますが、ボックスシートは気恥ずかしいのと狭苦しいので、いつも避けています。
こんにちは。二度通し見しましたが、魔理沙の客車クイズが全然わかりません……(苦笑
でも、冒頭と最後のC61 20号機に続く客車たちも、丸屋根が揃って手入れも行き届いているとなかなかに綺麗です。旧型客車には系列も脈絡もなく場当たり的に製造改造型番変更を繰り返していてワケワカランというイメージしか持てていなかったですが、機関車と合わせた編成美が意外と強く意識されていたことがわかった、気がします。続編も期待しています!
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。2度見ていただきただただ感謝です。おっしゃる通り客車趣味って間口は狭いのですが、広大な海が広がっている感覚ですね。皆さんに開設できるためにも勉強しないとと思ってます。
自分も昭和53年に初めて鉄道ファンになったわけですが、あの当時私が追い求めていたのは旧型国電なので、旧型客車には目もくれてなく全くにもって客車はわからないのですが、確かに魅力はあるのでしょうね。私は本当に変わり者だったので、客車には目を向けず、上越線や信越本線の旧型国電ばかり追いかけていたのが今思うと恥ずかしい。あの当時ですら蒸気機関車は既に絶滅危惧種、旧型国電だって、主要幹線にはほとんどいない時代だったので、私が始めたのは遅すぎる訳でしたね。もう少し早くやっていればと後悔があります。
幸宏 さん、私は全く客車にも電車にも興味なくて、蒸気だけでした。
写真を撮る時にたまたま映ったり、蒸気の前のテスト撮影で撮ったものをRUclipsでアップするときに勉強している具合です。
ワイは両方乗った😉
オハ61の一族が好きでC58に引かせたいと思っています。
北海道など寒冷地向け2重窓はオハ62で、和田岬線専用としてオハ63で、それらは初期にオハ60ベース、後でオハ61ベースの中間扉増設になりました。
それ以外の旧客はあまり詳しくないですが戦災復旧車は地元伊勢市駅に救援車のスエ71が居たので色々調べました。
ご視聴頂きありがとうございます。今回62,63両方登場しましたね。RUclipsで当時の鋼体化改造を紹介する記録映画を見て、乗せることにしたものです。
動画内で呉~広島のオハ63がありますが、先頭の機関車はC59です。そちらは登場させませんでした。
自分の方が勘違いしてましたね(笑)63と6/4を間違えてました(笑)
ちょくちょく見させてもらってましたが初めてコメントします。旧客、とりあげてくださって大変うれしく思っています。まだまだ「はまる」ところまで行っていませんのでぜひともどっぷりはまってください。寝台車も合造車が多くて楽しいですよw「マイ“ロネ”フ」と「マイ“ネロ”フ」の違い。・・・なんてのも掘り下げて欲しいところです。
頻繁に来ていただきご覧いただいた由。大変ありがとうございます。旧客は自分の知識が乏しいので、模型の人たちにコテンパンにされるのが怖かったため今までできませんでした。ですから動画作成に当たり勉強しました。機関車も客車も貨車も好きか嫌いかでやってきたので、RUclipsでは好きな蒸気機関車だけやってきました。でもネタ切れだから客車をやったのではありません。幅広い鉄道趣味全般に飛躍したいと考えたからです。今後も蒸気中心で様々取り組みたいと思いますので、よろしくご支援賜りますようお願いいたします。
どちらも戦後のスハ32系れつの20m鋼体車ですね。採算見込めなないから合造車になったとか。
マイメロの方がかわいい😁
3軸台車といえば、映画『皇帝のいない八月』の外シーン用のセットとして14系に化けさせられた旧型客車というのもありましたなあ。
ご視聴頂きありがとうございます。皇帝のいない八月はちょっと楽しかった映画ですが、そのようなセットがあったことは気が付きませんでした。後で見てみようと思います。
↑三菱石炭鉱業でスハニ6乗ったオッサン😁
旧客とEF58といえば昭和29年の第一作目のゴジラで品川駅でゴジラの足に衝突するシーンですね。
ゴジラの足元に旧客が流れ込んでゴジラが旧客をくわえてEF58を踏み潰していきますね。
ご視聴頂きありがとうございます。はい、そのシーンは一体何回見た事でしょう。初めて見た時は怖くて震えたのを覚えています。
今は特撮の荒さが分かりますが、まだまだ見れる素晴らしい映画です。もうすぐあの鉄橋も無くなりますね。
エンディングの「シーン」
過去に何処にでも目にした
茶色の客車を牽引するSL
いいネ👍
私的には、昭和40年代の
宗谷本線。や、室蘭本線
を、思い出しました🎵
こちらもご覧いただきありがとうございます。、エンディングは上越の動態保存のC61のことですね。この姿が今でも簡単に見られることってすごいことかも知れませんね。もうすぐ青も入る様です。そう言えば室蘭本線って、、ブドウ色と青の客車が混じっているのが多くありませんでしたか?
末期では〜
色々と混じってましたネ
どの線区も❗
で、
牽引機も
Cテンダーから
D51に、更に
DD51に、って
感じでしたネ〜
幼少期、中央線沿線(当然オレンジの電車)に住んでいたけど、小学校の時に札幌に転校。
当時の函館本線はまだ客車ダイヤで、床は板。ドアが手動だったのはカルチャーショックでした。
ご視聴頂きありがとうございます。それよくわかります。自分を取り巻く環境のグレードが下がることは基本的に人間は嫌がりますから。
質問です
17m級の旧型客車と20m級の旧型客車は混結する事って組成のルール的に大丈夫なんでしょうか?
自分の調べた方が悪いのか画像検索でもそれらしい結果がほぼ出てこないんですよね…(オハニ30と形式不明のたぶん20m級が繋がってるのは確認したんですが)
チャンネル横鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。
17mと20mを繋げていけないことは無いと思うのですが。
古い北海道の私鉄等ではあったのではなかなぁ?
微妙な例としてコミュニティに写真アップするので、ご覧ください。皆さんの回答を期待しましょう。
@@Yukkuri-Lab ありがとうございます!
八甲田、十和田、函館本線の普通列車には乗車経験があります。もう50年前のことですが、青森から上野までの八甲田はともかく長かったです。お尻が痛かったのを覚えています。43系だったのでしょうね。旧国と並び旧客は趣味の対象としては実に多彩で面白いです。ですが、乗るのなら今の快適な車両の方がいいですね。
こちらもご覧いただきありがとうございます。九州行くと25時間ぶっ通しで乗ったりできたのは若かったからでしょうか?それともワクワク感からかな?その意味では今の鉄道はそのような感覚を覚えないので、快適なシートでも早く降りたくなっちゃうんでしょう。
例の4両の客車。1両目はTR-11台車なのでオハ56では?2両目はオハ35で3両目と4両目はスハフ32。またオハニ36はオハ35系では無く綱体化改造車(オハ35系のそれならスハニ32)。元はオハニ63を名乗っていたけれど、折角スハ43同等の客室で急行運用に就けようとしても、TR-11台車だと高速走行時にきついのでTR-52台車に交換。形式変更になったモノ。
マロネ29は3等級時代から2等寝台で所謂ツーリスト型。車内ロングシート!2等級制以降は1960/昭和35年だけど、その前の1955/昭和30年に、旧1等寝台(イネ)が料金高過ぎと民間航空の台頭に対抗するため全て2等寝台(ロネ)に格下げ。その際車に設備の違いからAロネ(個室)・Bロネ(プルマン)・Cロネ(前述以外)と分けられそのまま1等寝台へ。そして1969/昭和44年にA寝台に。
尚、2等級制移行は旧1等が廃止、旧2等を1等に、旧3等を2等にしたもの。
付記:冒頭で触れたオハ56はスハ32のTR-23台車を取り上げマニ60のTR-11と取替えたモノ。何故そんなことをした?
マニ60は荷物車として一大勢力になったが、東海道筋の急行列車などに編成されるとその高速運転から結構揺れが酷いと言われ、それでなくても発言権の強かった労働組合から言われては当局も無視できず、既にローカル運用に就いていたスハ32から台車を召し上げたもの。TR-23台車を貰ったマニ60はマニ61に形式変更。
台車がグレードダウンした形になったオハ56だけど、やはりローカル用では一大勢力のオハ61と同じ台車であり比較的低速なら然程問題にならないこと、更にス級→オ級で換算0.5両浮くのは亜幹線や支線区の非力なカマには福音だったので結構な数が登場就役。
EF58116のブルトレ塗装は其れで正解。端梁機関士席側に見えるカニパンスイッチ用ジャンパ栓がその証。カマ次位はスハフ32、その次のロザは或はオロ35かも?(オロ35とスロ43の違いは電暖の有無のみ。電暖乗っけておもくなったので形式変更。電暖の必要の無い東海道筋の客レならオロ35の可能性もあり)。3両目は単純にスハ32のWルーフ車?
オハ27はオロ31の改修車ではなく格下げ車。優等列車のロザは基本特ロ化、ローカル列車へのロザ連結の原則廃止に伴い多くの並ロや初期の特ロが余剰になり格下げされたもの。オハ27は恐らく経年の関係でロザ時代の内装のまま使われたと推測。そして20m級の並ロ・初期特ロは詰込み用ロングシートのオハ41へ。
マハ2925のタネ車は旧マロネ37(後のマロネ29)。マハ29自体元はマハ47。1953/昭和28年の称号改正で形式変更。
客車はかつて1万7千両の在籍があり形式改定も多くまた[公式]自体結構アバウトな運用をしていたので今となっては神のみぞ知るとしか思えない案件多々あるけれど、その代わり嵌まれば嵌まるほど面白い底なし沼。
魅惑のFantasy世界、さあ、貴方も是非、このWonderfulWorldへ(^^)/
ご視聴頂き有難う御座います。とてもお詳しくて尊敬いたします。道を極められていますね。
私も形を見て、台車、付属フィーチャーで直ぐ見分けがつくようになりたいです。蒸気は大方わかりますが、客車とELは関心が低かったのでまだまだです。DLは嫌いなので覚える気はおりませんが。これからもよろしく御指南頂けますようお願い致します。
スハ32系の二重屋根車も末期(昭和6年度~)には溶接が導入されてリベットが減ってます。
@ 春葛様 やはりそうなのですね。リベットの有無で同じ型式でも二種類の外観があるわけですね。教えていただきありがとうございます。
昭和28年の称号改正では、三軸ボギー台車が形式一の位7〜9を8、9のみに変更した関係で、一の位7の形式が一斉に改番されて、よりいっそうわけがわからなくなりましたね。
旧型客車は子供の頃オハ61系に乗った位ですぐレッドトレインの50系に置き換わりましたね。
ご視聴頂きありがとうございます。オハ61ですね。良いですよね!50系は私は大の苦手で、まず色です。なんかコストダウンが見え見えで車輛に魂を感じないんですよね。
@@Yukkuri-Lab 殿へ
全く同感であります!
DD51牽引の客車列車が
最後まで残ってましたが
あの色何とかならんのか
とブツクサ言って乗る気
がしなかったのは確かです!
高校生の時に、山陰本線まで乗りに行きました、最後尾の連結面側床面に足を外にして座って乗ってたのが良い想い出。
下関5時台発、福知山23時台着の旧型客車に通しで乗ってみたかった。
@CE176260 様 旧客はその楽しみがあるんですよね。日本じゃないですが旧客は中国で現役ですから、それも楽しいと思いますよ。寝台でも安いし。
@@Yukkuri-Labワイも最初はそんな事言うてましたが、じきに客車列車自体が少なくなった50系をありがたがって乗るように…😁
私の田舎広島県呉市広町駅から、広島行きの客車列車がC59,C62
牽引して、10両牽引してました。たくさんの撮り鉄が来たそうです。一日呉線をあちこち移動して、撮りまくりしたそうです。
ご視聴いただきありがとうございます。
広町駅?と思い調べましたら、やはり広駅でした。最近私の動画の字幕のミスが多いんです。
さて広駅。今でも広駅と広島の間は特定区間で電車が多い様ですね。広駅は転車台が無いので、ここ発着だとC62とC59の逆行運転であまり格好の良いものではありませんでした。
単線ですが線路規格は高いんです。同じ様なことは、参宮線もあって、C59を転属させる話もありました。
最近 某鉄道雑誌の特集記事に
旧型客車が取り上げられる
頻度が目立っております。
個人的には内心またかよと
思いつつも買ってしまう…
幼少期からアラサーの頃に
乗る機会に恵まれたことを
改めて感謝する次第です!
いつもご視聴頂きありがとうございます。私は鉄道雑誌は「蒸気機関車」が廃刊になって以来何も買っていないし立ち読みもしないので、全然最近の内容を知らないのです。でも高崎の旧客でまとめたらスカを引いてしまうと思ったので、不足分は古い撮影仲間に写真を借りて意気込んで製作してみました。蒸気と違ってストーリーのまとめ方がよく分からず苦労しました。是非2回見てくださいね。
@@Yukkuri-Lab 殿へ
キネマ旬報社の月刊誌
蒸気機関車ですね!😄
久しぶりに聞きました!
僅かながら私の手元にも
健在であります!
最後は隔月刊、その前季刊、始めた頃は月刊誌でした。最後のほうは殆ど買いませんでした。インクのにおいが良かったんですよね。
流石に一般型客車(旧客とは言いたくない)は末期しか乗車した事が無いですが、
全検を担当した工場によっては工場のメンツの為にコストをかけてピッカピカに仕上げていた個体もあり徹底的に修繕され新品同様にレストアされた個体に遭遇した時は驚愕したものです。
後で本職の方に聞いたところ工場及び職員が持つ技量をアピールする事で、民営化を控えて工場存続に有利にする為だったと。
オリジナル台車を使用した43系客車のドッシリとした乗り心地が好きでした。
ご視聴いただきありがとうございます。43系客車とはスロフ51がありましたよね?急行北上でC62が上野から牽引していたものですよね。車両メーカーも日本の客車がこれほどまでに無くなってしまうとは思わなかったでしょうね。
@@Yukkuri-Lab
スロ51及び緩急車改造されたスロフ51は車体構造に共通点が多いので43系一族に加えることが多いですね。
20系登場以前であり固定編成の概念がない時代なので、どこまで一緒にするかは見解が分かれるかもしれません。
弱い地盤と運行に多くの人員を必要とする機関車牽引列車は動力分散方式に比べると不利ですね。
今後は重量級貨物列車用に細々と残る程度でしょうか。
弱い地盤というのは目うろこですね。
旧客は複雑なので敬遠していましが今度模型を入手しようと思います。
いつもご視聴頂きありがとうございます。
旧客は私も同じです。でも今回動画作るために学習してみると、なかなか楽しいし、奥が深すぎるぐらいですね。格好をみて自分の好きなものから入っていくとピンと来やすいと思いました。
@@Yukkuri-Lab もっと勉強しなきゃいけませんね。形から入るのも1つの手ですね。頑張ります。((φ(>ω
旧型客車もはまりだすとかなりの沼になりますな
実のところ、模型でも旧型客車は扱っているメーカーが少なく、SL牽引列車の再現が難しくなっています
そのため、10系か43系でごまかすしかなというのが現状です
ご視聴頂きありがとうございます。10系は私は好きです。安芸や十和田の影響かな?スハ43より貧乏くさくないですしね。Wルーフは肥薩線の混合に入っていたのが最後だったと今回調べていて知りました。私は大畑ループに行った時には出会えなかったので、今考えるととても惜しいことしたなと思いました。20系のC62も良いですが、C51のオハ31系の優等客車ってのも良いですね。
うぽつです。
個人的には32系や35系初期の、張り上げ屋根、車端絞り、妻絞り、狭窓が好きです!高崎でスハフ32が生き残ってるのが大変ありがたいです。
ですが旧客は一般の人気は43系より前はあまりないようで…
いつもご視聴頂きありがとうございます。43系ははつかり、ニセコ等出そうかと思ったのですが、まず古いのを出していたら時間切れとなりましたので次回にまわします。やはり窓が一杯あるスハ32が良いですねぇ。鉄の網戸が降りてくるのが良いんですよ。汚いですけど。高崎のもちゃんと装備されていますか?
@@Yukkuri-Lab
すみません、好き好き言ってる割にまだ乗ったことないんですよね…
指定席撮るの難しいようですし、夏場は走らないので、安芸になったら是非どうぞ。大井川は無かったですか?
@@Yukkuri-Lab
大井川も行ってみたいと思ってます
行きたいところだらけですが、お金もないし持病があって体が弱く、すぐ疲れてしまうので中々行けてません…
魔理沙ももう111歳になるので、昨日上野の山に出かけるだけでひぃひぃでした。だからバイクを直して乗ろうかな?と思ってます。
旧客は、無骨でカッコいいですね。20系寝台車も現実的には、旧客に思います。
こちらもご視聴頂きありがとうございます。20系は蒸気とのつながり深いので旧客扱いですが、時間切れで登場させませんでした。次回ご期待ください。
山陰地方に住んでおり旧客は本当に当たり前に乗った世代でしたが、今や残っておらず、奥出雲おろち号だけが12系客車とはいえ、山陰における唯一の客車列車です。2023年11月には老朽化で引退のため、いま、頻繁に乗り鉄しています。これが無くなると気動車のみになります😢💦
ご視聴頂きありがとうございます。奥出雲おろち号、私は存在を知りませんでした。木次線走るんですね。昔C56とスイッチで有名でしたね。山陰本線は遅くまで旧客が残っていましたが、イベント列車とはいえ無くなるのは残念です。
奥出雲おろち号はDE10が牽引しており、日曜祝日は出雲市始発になり、山陰線の宍道を経由して木次線に入ります。今や12系客車も貴重で、かつての急行だいせんの生き残りです。
教えていただきありがとうございます。思い出したのですが山口戦ではオハ35をはじめとした複製の出来の良い客車がありますよね!羨ましいです。
旧客思ったよりも面白いかな次回に期待
もし資料有れば旧客時代の白山度外視やって欲しい所かな✨
ご視聴頂きありがとうございます。ご期待に沿えましたら嬉しいです。
白山度外視?すみません教えてください。
珍しいのはスヘ30ですね。端が通路で畳敷になっていたのでそこで負傷兵が寝たのでしょう。中でもレアなのはスヘセ30.これは発狂した兵士を閉じ込める部屋があったそうですがネット検索しても見つかりませんでした。アメリカにも病客車があって若い看護婦さんが看護にあたっていました。
ご視聴頂きありがとうございます。戦時中、戦後のGHQ専用車は変わった客車や呼び名が多かったですね。これらを全て対象にすると客車というは最も奥深い鉄道対象じゃ無いかなと思います。
🚇️『ぼくらのゴハチ』という、童謡があります(🚂ブラッチャーのビデオ)。😢懐かしい❗👀‼️🚇️ゴハチは、tomix model worldのビデオでも、何度も見ました❗懐かし過ぎ😢。
『♪いつも悠々線路を走る🛤️、お父さんみたいなゴハチ🚇️♪』『🚂列車や貨物を沢山連れて♪』『🏋️♂️頑固そうで(力持ちで)♪🏋️♂️強そうで♪👦お伽噺もしてくれそうさ♪🧔お髭を生やし走ってく♪』
🚇️『オレは機関車(🚂童謡)』も、おすすめ。
秀記さん、ご視聴いただきありがとうございます。
楽しい情報をありがとうございます。探してぜひ見てみますね。
DD51牽引の筑豊線経由の急行列車に、ダブルルーフの食堂車がいたのは!写真を見て驚いた事があります。
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51の急行ですとD60の補機が付く天草が有名ですが、12系ですので、DD51牽引のWルーフの食堂車がつく急行とは何でしょう?
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51の急行ですとD60の補機が付く天草が有名ですが、12系ですので、DD51牽引のWルーフの食堂車がつく急行とは何でしょう?
鳥栖機関区に、DD51が転入する前後に訓練で蒸気機関車とペアを組んでました。なお、天草は43年のダイヤ改正前後。一時期、鹿児島線経由になった事もあります。
木造車輌・・・中も完全に「木造」・・・懐かしい(^^)
ご視聴いただきありがとうございます。木造客車は私鉄で乗られたのでしょうか?私は流石に国鉄では乗ったことが無かったと思います。
昭和50年代までは、普通に「国鉄」で乗れましたよ。
Wikiにも”1955年度末までに、国鉄では旅客営業用の木造客車は消滅した”とありますがいかがなのでしょうか?
間違ってますね。昭和50年代、車輌数は減少してましたが、門司~下関、下関~山陰本線、飯塚~門司、門司港間で木造車輌に乗車できました。
ちなみに、私が最後に木造電車に乗ったのは、昭和42年、長府~小郡(現在、新山口駅)間です。私が5歳の時です(^^)
旧型客車を編成で牽引してるのはいまではJRのSL群馬か大井川鐵道ぐらいしかありませんが味があって好きです
あるだけましなのか、動力分散化は趣味的につまらないと私は思っています。機関車が不要ですからね。JR東は機関車を0にするとか言っているそうですね。でも貨物がありますからね。
@@Yukkuri-Lab貨物って格好いいけど乗れないのよね😵(乗り鉄のオッサン)
津軽鉄道のスットブ列車もよろしく😉
鋼体化を新造ではなく改造なのは、戦後GHQが鉄道車両の新造を禁止していたかららしいです。蒸気機関車でもC61やC62が該当します
ご視聴頂きありがとうございます。客車の鋼体化の経緯でそのような話が合ったと今回知りました。木造客車が粉々になるのは本当に怖いですね。
旧型客車沼、楽しい!🤗
改造により生まれた、三軸台車の荷物車など、初めて知りました。👀
自分個人的に興味深いのは、合造車、特に、改造により生まれた合造車ではなく、新製合造車です。😂
1両に、複数の役割を最初から持たせて有るので、無理なくまとめられた設計に美学を感じます。😌
それから、やっぱり食堂車ですね。🥰🥰🥰
安芸のマシ38で食事してみたかったです。🙏
また旧型客車動画、期待しています。💓
ご視聴頂きありがとうございます。三軸ボギー台車にはまる方って多いそうですね。今の鉄道にはないから、模型でやろうとされるからでしょう。
客車の食堂車では八甲田に連結されていてお腹がすいたから行ってみようとしましたが、あまりに高いのでやめました。それから新幹線で社費で食べられるようになるまで一度も食堂車で食事したことありません。
@@Yukkuri-Lab 様、
返信ありがとうございます。
三軸ボギーの客車、乗り心地を実体験してみたかったです。😢
走る列車の中に食堂が有り、流れ行く景色を見ながら、温かい出来立ての料理を食べることが出来る。ということに、幼少期から特別な興味が有りました。😂
もっと早く生まれていたらなぁ。😅
近場でしたら中国で思う存分体験できます。上海~ウルムチだと40時間以上乗っていられます。風光明媚なところもありますし、運賃今の為替でも激安です。
4:53 戦前由来の1等寝台は1955年にまずそのすぐ下の2等寝台に格下げ統合。ただ写真のマロネ29は元から2等なのでこの時は扱いに変化無し。
1960年それまでの3等級制が2等級制に変わり、車両の記号はそのまま、旧2等が新1等に繰り上がったのでマロネは1等寝台となって「1」の表示が付いた
(写真の時点はここ)
都留山八さん、ご視聴頂きありがとうございました。
白とか薄いグリーンの帯が無くなったのは、ちょっと残念でした。
苗穂工場にオヤ31が留置されていたのを数回見た。確か占領軍専用列車に徴用されていたものを改造した筈。JR九州のオヤ31は二重屋根だったとか
冨山さん、ご視聴頂きありがとうございます。
花魁客車ですね。昔はへんなのあるな?ぐらいにしか思っていませんでした。というか客車・貨車には全く興味なかったです。
次回登場させたいです。
中学時代オハ61に乗って、背もたれのクッションがなくて背中の痛さを楽しんだ覚えがあるw
ご視聴いただきありがとうございます。鋼体化改造だったので元が3等車だったのでしょうか。私は板剥き出しの座席の客車は残念ながら乗ってません。
オハ61は長野でも1971年頃までは見られました。あの❝必殺垂直板張り背もたれ❞では流石に当時でも「乗りたい」という気にはなれなかったですね。
オハ63と同じ繋がりで、オハ41というロングシートの客車が、四国に配置されていた。
ご視聴頂きありがとうございます。スハ43のグループですね。窓がとても大きいのがロングシートなのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab さん
元々は、スロ54の改造車だったと思うんですが
そうなんですね。教えていただきありがとうございます。
@@原田寛-e3u オハ41のタネ車にスロ54はいません。ただ、良く似たスロフ53を改造したものは存在します。四国にいたのは恐らくスロ51改造の350番台では?あれもタネ車によって細かい番台区分がありました。ローカルの、其れも朝夕の輸送力列車用に身をやつしてはいても、窓割りなどにタネ車の面影を見つけるのがまた楽しみでした。
すごいです!色々教えてくださいね。
旧客といえば、中学まで常磐線はしっていたんだよなあ・・ 最寄りの柏は客レ(笑)
石井さん、コメントありがとうございます。どうでしょう、東北本線のほうが旧客は後まで残っていたと思ってますが。
@Yukkuri-Lab路線的には常磐線も東北本線も旧客完全消滅は60-3 っつーか、その改正で函館~札幌・上磯、福知山~出雲市、和田岬線以外の旧客は消滅😵
最初に登場した、C61形蒸気機関車カッコ良いですね。
旧形客車、乗ってみたいです。
SLやまぐち号の客車もいいですね…。
ご視聴頂きありがとうございます。
今度ヒロの音声を少しの間隔貸していたけますか?
@@Yukkuri-Lab
いいですよ。
それでは、今度ヒロの音声をおかりしますね!どこ使おうかな?
@@Yukkuri-Lab
「汽笛、私はヒロだ。」と、「わっはっはっはっはっは、この日がくる事を長~いこと待っていたんだ。」と、「わっはっはっはっは、もちろんだとも……。」と、「私は、伝説の英雄と呼ばれていたんだ。」を、使って欲しいです。
承知しました。
旧客という言葉で馴染んだ世代……
ワイド周遊券世代でもあるかな。
周遊エリアまでは急行使えたし。
夜行急行列車も数多かった。
旧客の夜行急行は昭和57年11月で、ほぼ全滅した記憶。
ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんですか、意外にもかなり早くに旧客の急行が無くなったのですね。夏はエアコン当然となってきていましたからね。サービス向上のためには必須でしょう。
@@Yukkuri-Lab さん
サービス面の見劣りはあるけど、最大の要因は東北上越新幹線の大宮開業(東北は6月に暫定開業)の影響ですね。
開業延期が続き、国鉄の財政悪化もあって、中々置換え出来ず新幹線開業で大量に余剰車両が出るまで引っ張った。
ここで余剰となった旧客はあちこちに疎開し、何故か旧型客車とはとっくに縁が無くなった東海道線の川崎駅に一時期留置も。
当時の最新型であった185系と並ぶ事も。
なるほど、新幹線の開業が影響していたわけですね。185系でなく旧客で新幹線リレー号やればよかったのに。
@@Yukkuri-Lab さん。
旧客リレー号、面白そう。
ゴハチのプッシュプル、シルバーカーはスロ62とかで。
8:09 3両目のダブルルーフ客車、前から4枚目当たりの窓は閉まっているだけなのか、それとも幅広の柱なのかがわかればどうにかでしょうか。ピラーならマハ29系列、窓ならスハ33系列かなと予想しました。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りですね。
オリジナルのネガを見ていますが、前方より、小窓+小窓+小窓+ピラー+小窓+小窓+ピラー+以下小窓となっていると判断しました。
3軸客車なんて三菱石炭鉱業くらいしか知らなかった
国鉄にもあったんだ
ご視聴頂きありがとうございます。
最初のスハフ32赤帯は国鉄のイベント用意匠です。昭和35年にグレードが二段階階層になり、二等車に統合されました。
その三菱石炭の3軸も元々は国鉄車😉
オハ35かオハ47だったかな?
旧客って窓の上下に長い板が付いてるけど、上だけな無い奴やそもそも付いていない異形も存在したらしいです。
ナキさん、ご視聴頂きありがとうございました。
今週の動画にもちょっと珍しい旧型客車が出てきますので、是非ご視聴ください。
@user‐pp7jx2・・様
35系客車のオハ35ですね。大井川鐵道に健在です。残念ながら、トーマス仲間入りして現在オレンジ色ですが、デッキ部分が張上げでその部分だけ屋根の色も違っています。トーマス色ながら、43系主体のトーマスの編成には基本、加えてもらっていませんので、最近のC10の動画を探すと見かける車ですね。
1:33の東横浜駅は中学生時代の自分が写っている可能性がある。現在は桜木町駅前広場のエアーキャビンの発着場の場所ですね。
ご視聴頂きありがとうございます。この場末の雰囲気からよくあそこ迄変化したものですよね。桜木町は仕事で良く行くので変化が凄かったです。扇形庫が無くなってしまったのは本当に残念です。
扇型庫は原鉄道博物館の少し南にありました、今は影も形もありませんが転車台だけは本牧市民公園のD51516の隣に保存されています。
あっ、そう言えばそうでしたね。あの辺りは昔の面影は恥とばかりに全て消し去りましたね。
内装も特集すると楽しいかもね。
そうですね!内装だと動画も撮りに行けるのでとても良い案ありがとうございます,
サムネ画像で
思い出したのですが〜
ÈF58の全面って
湘南電車の初期みたい
で、運転席の窓枠の
突き出た形が、
EF66に進化❓したのでは❓(実際には違うケド)
更に、その系譜を辿ると
現在 活躍して居る
機関車に受け継がれて居るのでは❓
なんて、「妄想」してました (汗💦)
湘南電車がEF58のオマージュではないでしょうか?
了解しました。
参考に成ります❗
旧型客車を使用した急行列車は北海道では、ていね後のニセコ、大雪、宗谷など、東北では、八甲田、津軽、おが、天の川など、東海道本線の銀河や九州へ向かう夜行急行列車としては、熊本、鹿児島行の薩摩、高千穂、天草、肥後、長崎・佐世保行の雲仙、九十九里、博多行の筑紫などがあった。
広島行の安芸や大阪行の夜行普通列車まで存在した。
ヨンサントウで、東海道本線鈍行客車列車は消えたが、大垣城夜行普通列車としては、平成19年待てば存在した。
旧型客車の楽しいところに、走り出しても飛び乗れるところがありますね。危ないでしょうが、自己責任の時代ですから。窓から乗車する人も多く、これは整列乗車無視ですね。窓が開くのは写真を撮るのに最高です。ただしトイレは勘弁して欲しかったです。使用する側も、外から見ている側もです。あれはひどい。
@@Yukkuri-Lab 様:旧型客車のトイレは、垂れ流しトイレで、線路は黄色く、臭い臭いが充満していた。
今のトイレは、汚物処理機能付きの簡易水洗トイレ。
停車中は使用しないでくださいと大都市近郊区間は合ったと思いましたが、生理現象ですからお構いなしで、ジャーっと流れるのを駅のホームの向かいで見ていて、あーあと思うこと何度もありますね。
@@Yukkuri-Lab↑飛び降りてコケたオッサン😁
ちなみに私の場合は現役客車はあんまり撮影しなかったかな特にマイネ40型とナハネ10型とナハフ10型とオシ17型客車列車を撮影しなかったかなただし横川鉄道文化村で客車が保存車で展示していたので撮影をしたかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
Hidekazuさん、ご視聴頂きありがとうございます。
日本で旧型客車を現実に動かしているのが、JR東とJR北海道の1編成と1輌しかないというのは、驚きですね。まだ上野辺りを走っているような感覚に襲われます。
秩父鉄道のSLパレオエクスプレスて最初の運行の頃は旧客なんだよな。また、高崎から旧客を借りて走ってくれないかな?
ご視聴頂きありがとうございます。当時は普通に旧客ありました。そちらは良かったのですがパレオのC58装飾がかなり派手で、遠方から取ったりしてました。
@@Yukkuri-Lab あのテンダー車のその塗装の写真が浦山口でとった写真が前持っていて、なんかオリエント急行感がすごいなと思ったの未だに覚えてるんですよね。んで前に一回だけまたテンダー車の塗装したんですよね。
一度変形デフをつけましたよね。南九州や北海道でのC58を思い出し懐かしかったので、行こうとおもったらすぐに元に戻されてしまいました。
ところで秩父では客車ばかりでなく貨物との混合列車をやってほしいな。
@@Yukkuri-Lab ですよね。けどこの場合、影森駅で停車していれ替えの時間がかかるから無いかな?後、運行30周年の際には、鳳凰と、お召し仕様になりましたしね。
お召仕様は存じていませんでした。WebでみるとC59-108のに似ていますね。梅小路のC51に今ついている。その前はC58-1号機に着いていたかと。せっかく鳳凰つけるなら、デフの点検窓を塞いでほしかったなと思いました。
マシ38が、燃えて、オシ17に替えられ、そのオシ17すら、きたぐに で燃える。
なんという皮肉
ご視聴いただきありがとうございます。食堂車や寝台車がなくなったということで、輸送手段の鉄道というものの一時代が終わったように感じます。新幹線というのはあれは航空機に近い性格だろうと思ってます。
客車はねぇ.....
まったく解りません(キリッ!)
コ.ホ.ナ.オ.ス.マ.カの自重記号に、電車、気動車と同じ用途記号を付加。しか解りません(泣)
形式番号も、同世代の旧形国電みたいに明確な付番ルールがあるんだか無いんだか....
旧形国電であれば、2桁の数字でどんな車輌かはすぐに判るのに.... トホホ
ただ、70番台客車には手を出さないように! 戦災復旧車で、同じ形式でも見た目がバラバラ、まさに「沼」でしゅ。←この70番台だけは「戦災復旧車に付く番号」と理解できています。
蒸気機関車には、ブドウ色の旧形客車が良く似合います!
5年前に私の地元をD51が走りましたが、12系客車で、とっても違和感がありました。
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも列車の識別記号って苦手です。だいたい興味ある車両ならば頭に入りますが、客車でも好き嫌いあるので、全然だめです。
嫌いな客車は12,14,24系、50系ですね。12系は蒸気が現役時代に九州でたまに見かけました。その時から嫌いです。乗る分にはエアコンがあって嬉しいですが。なんか安っぽくて。人の魂というのが感じられないんですね。
付番に関しては思いっきり大まかに分ければ
10~軽量
20~固定編成
30~
40~
50~以上鋼製
60~綱体化
70~戦災復旧
80~和式
90~試作
末尾0~7は2軸ボギー台車、8・9は3軸ボギー台車
です。
尚~系と言う概念は厳密には12系以降です(20系初代ブルトレですら登場当時に~系の概念はありませんでした)
オハ31の緩急車がオハフ30、半室荷物車がオハニ30
スハ32・スハフ32・スハニ31
オハ35・オハフ33・スハニ32
スハ44・スハフ43・スハニ35
この組み合わせが電車などと全く違う分慣れるまでは大変かと…(^^);
また1941/昭和16年、1953/昭和28年に大規模な称号改正があり形式の変わった車種も多々あり、また優等車輌も色々あるので複雑怪奇…其れが客車の世界ですがその代わり嵌まればWonderlandです(^^);
色々詳細に教えていただきありがとうございます。車輛を見てすっと理解できるようになるように勉強します。
東海道本線のEF58の次位の客車ですが、スハフ32だろうと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。先頭車だからフ付きとご判断されたのですね。多分そうでしょう。
旧客いいなあ。
でも俺にとって旧客は、
ぶどう色2号じゃなく、青15号なんだよな
ご視聴頂きありがとうございます。わたしも急客の色にはあまりこだわりません。10系好きですし。
郵便車や荷物車は更に奥の深い世界で底無し沼にハマり込んだら最後、抜けれんくなる( ̄▽ ̄;)
ご視聴頂きありがとうございます。郵便車・荷物車の思い出は急行ニセコの函館行きが2輌先頭に付く1号がどうしても嫌いで、札幌行ニセコ3号は客車が直後なので嬉しかったというどうしようもないものです。
殊に他形式から改造されたマニ35・マニ36・マニ37辺りは複雑怪奇!その分デッキや窓割りにタネ車の面影を探す楽しみもありました。
高校時代通学していた時に乗って通学していた。
ご視聴頂きありがとうございます。旧型客車に乗ることが日常だったのは羨ましいですね。きっと今の車両に対する見る目は厳しいのだろうなと思います。
この車両のトイレが苦手でした。今はないけど。
冬が寒いんですよねぇ。
1両目オハ60 2両目オハ47 3両目 スハフ32 4両目 スハフ32溶接試験車かな。ベンチレーター撤去してるハコもいた。
ご視聴頂きありがとうございます。客車お詳しくて羨ましいです。今後も様々教えてください!
ちなみに私の場合は大宮鉄道博物館でタブルルーフオハ31型客車と特急つばめ号展望客車マイテ39型客車を撮影したかな今はコロナがあるので行けないかなそのかわり下今市駅で国鉄型客車14系客車があるので満足しているかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
Hidekazuさん、たまには駅のホームや客車区に並べて見せてもらいたいです。博物館ではなくて。
オシ17=北陸トンネル
ご視聴頂きありがとうございます。10系が新しかったばかりに中毒で事故が拡大したそうですね。
旧客で気になってたことがあるけど...
10系客車などに使われるTR50系列と43系列に使われるTR47,32,35系列に使われるTR23って乗り心地どうなんだろう?
これからも色々教えてください。
@@利-y8w そうなんですね!!
ということは80系電車のDT20と101系などに使われたDT21も乗り心地はあまり変わらないのですかね?
@@利-y8w ありがとうございます
1年くらい前からずっと気になってたことなので助かりました!
線路規格って乗り心地に重要ですよね。車も一緒です。
旧型客車の独特の匂いが忘れられません。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。ワックスとか防虫剤とかあれやこれや混ざっていて。今の列車は無臭がとうぜんですからね。
床ワックス+トイレの防臭剤+若干の汚水臭+SLの煤煙の匂い+煙草臭(当時は車内喫煙可)
旧型客車列車は、郵便車や荷物車も存在した。
いつもご視聴頂きありがとうございます。
今回の動画内の新潟のEF58の後ろが荷物車ですね。
@@Yukkuri-Lab 様、これはおそらく、東京発西鹿児島(鹿児島中央)行急行桜島と思われます。急行桜島は、鹿児島本線経由の夜行急行列車でした。
この年の時刻表とネガの前後を見ると午前中ですから、桜島か霧島、雲仙なんかも候補ですね。
@@Yukkuri-Lab EF58116の牽く列車はおそらくローカル列車ですね。臨時・不定期列車と雖も流石に長距離急行ともなると、ハザは寄せ集めでもロザは特ロでした。[桜島]もハザはスハ43・スハフ42が入れば御の字、オハ35・オハフ33・スハ42辺りなら許容範囲でした。スハ32辺りは流石に避けられていたようでオハ61に至っては出来るだけ入れないように…とはいえ本当に車輌需給が逼迫した時には駆り出されることもありました(急行券返せ!)(^^);
116の列車は複雑怪奇ですねぇ。
オハフ32はスハフ32が正解ですよね?
クイズの場面ですよね。画面でオハフ32と書いていますが、スハフ32の間違えです。失礼いたしました。
旧型客車を判別出来る人は、何を見て判別してるんでしょうか。
編成を組む時に何か規則は有るのでしょうか。
私は、興味は有りますが知識が有りません。
ご視聴いただきありがとうございます。私も同じでした。この動画を作るまでそのように考えていましたし、難しいなぁと思っていたものです。意外に入りやすいなと思いましたが、台車を見て判断するという点が抜けていました。
速度制限がある客車は別にして、牽引定数内ならば組み合わせは自由ではないかと思います。
問題の1問目って台車がTR11だからオハ61じゃないかな...、
合造車に関してはオハニ36では?
ご視聴頂きありがとうございます。台車で攻められるのですね。私はまだご回答するだけの知見無く申し訳ございません。
ロングレールつまらん。
カタンカタンと音がしませんよね。