昭和の熱狂: C62重連急行の魅力と記憶~Showa Era Enthusiasm: The Charm and Memories of JNR C62 Double-Header Express

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  • Опубликовано: 20 авг 2024
  • howa Era Enthusiasm: The Charm and Memories of C62 Double-Header Express"
    まりも、ていね、ニセコの名前を聞くだけで、今でも心は52年前の北海道にタイムスリップします。あらためて凄い列車が走っていたものだなぁと感心するとともに、それ以上の迫力と興奮を与えてくれる乗り物(それだけに限りませんが)は現れないのです。
    中国の前進型の重連は近いものがありましたが、スマートさに欠ける点ではC62急行の比ではなかったと感じています。
    私は糸崎から15,16号がやってくると聞いたとき、これで2年は残る!と小躍りしたのを覚えています。その前は昭和45年に無くなる、その次は昭和46年3月廃止だとか、都度冷や冷やしていたのですが、結局全検費用節約の関係という理由で昭和46年9月廃止確定を知った時はかなりがっかりしました。ですから昭和46年の8月までは必至にC62を追いかけました。まぁ、悔いのない写真は撮れたのではないかなと思います。
    三重連のお別れも、翌年の夏に走った復活重連ニセコも行きませんでした。私は昭和46年8月で燃え尽きたのですね。すべてを犠牲にしてまで行くものじゃないという論理が先に建って、その他の蒸気を追っかけようと思ったのでした。
    #蒸気機関車
    #C62
    #D51
    #重連
    #ニセコ
    #9600
    #山線

Комментарии • 158

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 11 месяцев назад +8

    1:27懐かしい!貯木場や石炭桟橋もある、海も道路(臨港線)になって無い、小樽港や浜小樽駅の路線も...。
    (写真ありがとうございます。機関区で佇むC62は神々しかった。😢)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。築港機関区や操車場まわりの変貌は、私よりずっと感じられていると思いますが、扇形庫があのような駐車場になってしまうくらいなら、梅小路のような使い方を模索したほうが文化的に充実したと思うんですよね。

    • @user-df3fg3jj1u
      @user-df3fg3jj1u 11 месяцев назад +2

      @@Yukkuri-Lab さん、バブルの頃、巨大商業施設、巨大マンションを造ってしまいましたからね~。

    • @user-wb3wg3we8w
      @user-wb3wg3we8w 11 месяцев назад +2

      ​@@Yukkuri-Lab様、
      おっしゃる通りだと思います。
      所詮、バブルの頃の浮かれた浅知恵だったのだと思います。石原裕次郎記念館も無くなってしまいましたね。😢

    • @user-xf3nc3ic9b
      @user-xf3nc3ic9b 10 месяцев назад

      ​@@Yukkuri-Labああたつああ

  • @jw1today110
    @jw1today110 11 месяцев назад +8

    シロクニ重連ニセコを追い続けて、
    その貴重な記録を現代に伝えて
    頂いた事に敬意を評します。
    また、追い続けていた列車の引退を
    機に撮り鉄から遠ざかるという話は
    よく分かります。
    私は大阪出身のため、幼少時から
    寝台特急「日本海」が大好きでした
    下手くそなフィルム写真から、
    引退までに良い記録を残そうと、
    足繁く敦賀や青森に通った記録は
    今となっては良き思い出です。
    また「日本海」を追いかけていく
    中で知り合いになった方々も沢山
    おります。中でも同じくシロクニ
    重連ニセコを追いかけておられた
    先輩は冬の上目名撮影は吹雪いたり
    黒煙が風に煽られて列車が隠れて
    しまったり、中々満足のいく記録は
    残せなかったそうです。それでも
    遠方まで何度も挑み続ける勇気を
    与えてくれたのは「今後シロクニ
    重連に優る列車は永遠に現れない」
    と感じたからだそうです。
    冬の「日本海」撮影も悪天候に
    見舞われることが多く、中々満足の
    いく記録は残せなかったですが、
    その先輩の苦労に比べれてみれば、
    おこがましいです。
    「日本海」引退後は時折気が向いた
    日に撮影に行くことがありますが、
    撮り鉄と呼べるような技ではあり
    ません……
    「日本海」はもう帰ってきませんが
    追い続けた思い出は今も忘れません
    シロクニ重連、一度でいいから、
    実際に見て見たかったです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      さやかさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      特急日本海はEF81のブルトレですよね。一度羽越本線の酒田でスナップしたことがありました。
      蒸気が無くなって、EF57とかブルトレ、旧型電車とかの方向に趣味誌が持っていこうとしたのですが、まぁ良いかなとほとんど行きませんでした。
      今にして思えば、それらも撮影しておけばなと思っています。
      煙に巻かれるC62重連ですが、今回の動画後半で使ったカットの前のカットが全部本務機が隠れていて、お見せできるものではないです。

    • @jw1today110
      @jw1today110 11 месяцев назад +2

      @@Yukkuri-Lab
      「日本海」は大阪〜青森の長距離を
      結ぶ寝台特急でEF81や24系客車に雪を
      乗せたまま帰阪する姿に興奮したもの
      です。
      動画でD51ニセコがハズレの様に
      紹介されていましたが、「日本海」
      でもトワイライト色のEF81が牽引
      する時はハズレでした…
      今思えば、その姿もきちんと記録
      しておくべきだったのかとは思い
      ますが、私個人的な見解としては
      国鉄原色でないと満足できません
      でしたね…
      よくSLを追いかけておられた方々は
      DD51に関心が向かないといった
      お話は聞きますし、やはりその方が
      追い求めていた理想の列車、機関車
      というのはかけがえのない存在なの
      だと思います。
      私はイベント列車のSLしか知りません
      が、このチャンネルを通じて日本の
      成長を支えてきた現役のSLを垣間見る
      ことができ、感謝しております。
      これからも楽しみにしております!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      ご期待の沿うよう製作頑張ります。
      DD51やDE10は関心ないというより親の仇みたいなものでして。これはもうどうしようもないです。

    • @jw1today110
      @jw1today110 11 месяцев назад +1

      @@Yukkuri-Lab
      やはり、そうですよね……
      DD51はSLにとってヒール役ですよね…
      私はDD51やDE10は好きなのですが、「DLやまぐち号」は違和感があります。
      個人的には「やまぐち号」は貴婦人
      であると思います。

  • @user-vr7um7ul8y
    @user-vr7um7ul8y 11 месяцев назад +6

    函館山線、この頃が懐かしい‼️🐈😽🚂

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      草木の手入れ、ハエたたきの有無とか、後年のC62ニセコの時と変わりました。その後C11は行きませんでしたが、今はどうなっているんでしょう。上目名駅も無いですね。

  • @user-xd5cp8zp9k
    @user-xd5cp8zp9k 11 месяцев назад +8

    懐かしいですね。
    C62は小樽築港機関区、乗務員は小樽から長万部が長万部機関区、長万部から函館は函館機関区が担当したと…。私は昭和43年8月に急行ていねに乗りましたね、マシ35で食事した思い出が。上りていねの本務機が2号機でした。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      よしえもんさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C62急行に乗られたんですね。私は一度も乗っていないんです。後年カーブでの車窓からの重連写真を見て、かなり悔しい思いをしました。

    • @user-wb3wg3we8w
      @user-wb3wg3we8w 11 месяцев назад +3

      マシ35で食事🍴をされたのですね!🤗
      めちゃくちゃ羨ましいです。🤤

  • @YOSHIKI2006
    @YOSHIKI2006 7 месяцев назад +2

    8:12
    D51型がニセコ号を牽引した事があったとは。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  7 месяцев назад +1

      よしきさん、ご視聴頂きありがとうございます。C62も4輌で回らないときにD51登場なんですね。

  • @user-gv3rv7vf7v
    @user-gv3rv7vf7v 5 месяцев назад +2

    北海道ではC62とキハ80系が神様的な存在。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +1

      ご視聴いただきありがとうございます。
      キハ80は古くから重宝されていましたね。

  • @flexwind057
    @flexwind057 11 месяцев назад +6

    夏の山線の草木がうるさく同行者必須はリアル感が50年の月日を越えて伝わってきます。動画ありがとうございます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      flexwind057さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      冬が道床も山も綺麗なので、夏のもさもさ感丸出しの写真ですね。かえって迫力出るかなと思い使いました。
      私は面倒なの好きではなく、基本駅撮りだったのですが、同行者に頼り山線と大畑は良く歩きました。

  • @keiito2293
    @keiito2293 11 месяцев назад +6

    中学生のお時に撮り鉄でもない父親が偶然、札幌駅で撮ったC62-2の写真を大きく引き伸ばしてくれました。
    東海道の特急牽引を知らない私は山線で重連で頑張るC62が大好きでした。
    両親が小樽出身で小樽築港が近かったからってのもあると思いますが・・・。
    今も好きですが腰が重くどうしても梅小路へとはならないのが不思議です。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +5

      Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      札幌駅の2号機の写真は、おそらくC62サヨナラ列車でしょうね。梅小路に行く前にやったと思います。
      梅小路のC62良いのですが、スチーム号をみるとがっかりするんですよねぇ。

  • @user-gs7ow3rv3c
    @user-gs7ow3rv3c 11 месяцев назад +8

    ヘッドマーク付きロクニの最後の重連なんてイベント列車だから見に行かないし興味が
    湧かないというのは、ホントに良く分かります。SLの末期には多くの重連イベントがありましたが私も知らんふりしてました。本気で山坂を登るSLを多く見ましたが、迫力が違います。熱郛上目名間のロクニの札幌行き重連の壮絶な轟音は今でも耳に残っております。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      広瀬さん、ご視聴頂きありがとうございます。ニセコのプレート梅小路で付けて皆さん大喜びでしたね。スチーム号が12系客車使っていました。
      急行安芸のようにニセコにトレーンマーク会ったら、これほど燃えなかったでしょうね。翌年2回ニセコは復活したのですが、今思うと行っておけば良かったなと思います。奥中山も3重連やりました。

  • @user-xf9yc5em7k
    @user-xf9yc5em7k 9 месяцев назад +2

    7:58 D51補機のニセコも意外とかっこいいです

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  9 месяцев назад +1

      今見るとレア感満点ですね。

  • @user-kj6rh4nf9v
    @user-kj6rh4nf9v 11 месяцев назад +6

    今回も色々と勉強させていただきました。
    比較的早い時期に廃車されたC62についても取り上げて下さった事に感謝です。
    C62が運転されていた頃が函館本線山線が一番輝いていた時だと言うのは間違い無いですね。
    動画配信ありがとうございます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      特急日本海 さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      出来上がって見て30号も入れればよかったかな?と思いましたが、それは次回にという事で勘弁ください。
      C62ニセコが無くなるまでは山線にはDD51は入っていなかったと思います。海線ー>室蘭本線でいっぱいいっぱいだったんですね。

  • @syouki980404
    @syouki980404 10 месяцев назад +1

    ごめんなさい。
    かっこよすぎて、
    天賞堂 カンタム C62 2号機を買いました😢

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  10 месяцев назад

      マッツー さん、ご視聴いただきありがとうございます。
      いいですね!天賞堂のNゲージもHOゲージも憧れです。

  • @homarejumo2134
    @homarejumo2134 11 месяцев назад +5

    たしか急行大雪が6両位に現車された時は、山線でもC62一両で頑張ったようですね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      動態復帰した3号機のC62ニセコ号はスハフの5輌編成でしたので、大雪6輌だと単機でいけるのでしょうね。

  • @user-ni8nf7fy9l
    @user-ni8nf7fy9l 11 месяцев назад +8

    C62が黒煙を上げて重連で北の大地を驀進する迫力有るこの姿は
    もう幻となりましたね😵3号機の復活も幻と消え寂し限り復活蒸気の重連とは迫力も違いますね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      塚越さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      そうなんです。幻とか伝説になりました。2号機が現役時代「つばめ」牽引というのが伝説でしたが、2つも伝説を持つ機関車という事になったわけなんですね。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 11 месяцев назад +1

      函館本線山線長万部ー小樽間も北海道新幹線札幌延伸で廃止バス転換の運命にある。

  • @user-xf9yc5em7k
    @user-xf9yc5em7k 11 месяцев назад +5

    5:04 32号の廃車を多くの乗務員が惜しんだ話しは聞いた事があります

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      一方30号は真っ先に廃車になったのが不調のせいとか。今回動画で唯一載っていないのが30号です。

    • @user-xf9yc5em7k
      @user-xf9yc5em7k 11 месяцев назад +1

      逆にもっとも乗務員が嫌がった不調機が44だったとか 長万部の乗務員さんが大体そんな感想を述べておられました 27号は操作面で癖のある機関車だったそうでした 築港C62で唯一副灯無しで最期を迎えた機関車でした それぞれ運命がありますね

  • @pupo2298
    @pupo2298 3 месяца назад +2

    いつもありがとうございます。C62重連ニセコは強いですね。やはり32号機は好調だったのですね。惜しい限りです。とはいえあとを受け継いだDD51の方が函館早着だったというのは皮肉です。給水給炭必要ないですからね😂

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  3 месяца назад +1

      ご視聴いただきありがとうございます。
      蒸機の運用上の最大の弱点は、水の補給でそれを省くだけでもかなりの時短になりますね。

  • @TASUKUNAHO
    @TASUKUNAHO 10 месяцев назад +2

    7:42 大カーブ、10年ほど前に行きました。ニセコが走ってるころに行ってみたかったです。生まれてないですが・・・

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  10 месяцев назад

      たけちんさん、ご視聴頂きありがとうございました。
      当時よりずっと木が成長していると聞きましたが、どうでしたか?

    • @TASUKUNAHO
      @TASUKUNAHO 10 месяцев назад +1

      @@Yukkuri-Lab 木々の成長が凄いですね。昔のように、開けてなかったです。
      線路脇はどこもかしこも伸びてます。架空の通信ケーブルが木々に取り込まれていて通信障害が起きてます。
      散弾の痕もありました。
      伐採もしないので、木がケーブルに倒れてたりしています。
      昔の撮影地は今でも撮れるかなをって思って行くと撮れないですね。
      重連のニセコ、みたかったです。
      仕事でお世話になった人が北海道総局の人がいまして、その方は国鉄に入社して間もなくの頃に、研修と称してC62のキャブに乗ったそうです。うらやましい。

  • @user-fs3lp3ox4w
    @user-fs3lp3ox4w 11 месяцев назад +5

    C6215はC6244の炭水車、従台車、給水ポンプなどを移設して山線仕様になりましたがその後の検査時に動輪のタイヤ厚が薄いため動輪一式も交換したようです。すると東京駅の動輪は15号?44号?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      15号が44号から動輪は譲られていませんので、東京駅のは15号のですね。11月に工事をやって翌年11月には廃車になり、その間タイヤを交換する大掛かりな作業は無かったはずです。

  • @Royal_Locomotive
    @Royal_Locomotive 11 месяцев назад +6

    いつも貴重な写真をありがとうございます。
    確かC62 15、16号機が糸崎から小樽築港に転属しても僅か10ヶ月程度の活躍だったんですよね。
    糸崎にいた既に軸重軽減済みの元水戸機の23、37号機を持っていかずにわざわざ軸重軽減までやって若番かつ連番で揃えたのも意図的な意味があるのかなと思っております。
    聞いた話だと東京駅の動輪の広場の15号機の動輪には44号機の刻印があるとか…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      ダバさん、ご視聴頂きありがとうございます。23,37を糸崎から築港に持って行かなかったのは全検切れるので取り直しになるからでしょう。日立の陰謀ではないです。
      東京駅の動輪ですが、44号の刻印がある動輪があるそうですが私は確認できていません。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 11 месяцев назад +7

    やっぱカッコイイなぁ〜、あと逆にD51のニセコはレア感があってなんか気に入ったよ

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      D51の急行ニセコあまり見ないですね。みなさん失敗!と感じたのでしょうか。気持ちは分かります。

    • @bakayarou4545
      @bakayarou4545 11 месяцев назад +4

      レア感を楽しむのもこれまた一興かなぁって

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      後部補機だったら良かったのにって思います。

    • @bakayarou4545
      @bakayarou4545 11 месяцев назад +3

      確かに

    • @user-gv3rv7vf7v
      @user-gv3rv7vf7v 11 месяцев назад +1

      D51先頭のニセコは逆にレアシーンだと思いました。
      大抵の人はガッカリしたらしいですが。

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.2300 11 месяцев назад +7

    D51は自動給炭機が無かったので前補機の機関助士はさぞ大変だったのでしょう...

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      そうですね。連続投炭必須で大変な作業だったことでしょう。でもC62が来る前はD51重連だったんですよ。

    • @exp.m.k.2300
      @exp.m.k.2300 11 месяцев назад +1

      @@Yukkuri-Lab さん
      その話聞いたことあります。それこそ機関助士が大変だったことにより自動給炭機付きのC62に変更されたとのことだったので、D51が代打で前補機になったことがあったのは驚きでした...

    • @user-my2zx7wc6h
      @user-my2zx7wc6h 11 месяцев назад +2

      D51が補機運用に入ると、自動給炭装置がないため助士が二人必要になりますが、
      上りニセコは長万部区の乗務員が担当だったため、急遽非番や予備の助士を召集し下り列車の便乗で小樽まで送り込んでいたそうです。
      ただ、D51の代走は急遽決まることが多く、助士の送り込みが間に合わないときは途中の駅まで一人の助士が投炭、タブレット授受、助士側の信号確認等全てこなさなければならない重労働だったそうです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      蒸気機関車の運転は想像を絶するものがありますね。
      国鉄が55歳定年だったことがよく分かります。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 5 месяцев назад +2

    魔理沙さん、霊夢さんこんにちは!32号機と44号機が好調だったのにもかかわらず廃車になったのは、全般検査を受けるよりも軸重軽減改造のほうが費用が安く、糸崎から小樽築港までの輸送は、国鉄お手のものだったそうです。同じことは、青森機関区から宮崎機関区へC57型の代替機として性能のよく似たC61型にも言えることです。なぜなら前年10月ダイヤ改正で鹿児島機関区のC61型が同じ6両廃車になっています。なにせ当時の国鉄は大赤字でしたから!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад

      ご視聴いただきありがとうございます。
      おっしゃる通りですね。
      同じ機関車でも違う機関区のC62はどうだったのでしょうか。かなり使われてはいましたが。

    • @user-mg4oo7mx3f
      @user-mg4oo7mx3f 2 месяца назад

      このようなことはヨンゴウトウダイヤ改正後に国鉄本社で決まったそうです。鉄道ジャーナル誌の列車追跡シリーズに載っていました。C62型15号機と16号機が小樽築港機関区へ転属する様子も載っています。それまでは2号機が廃車になる予定だったみたいですが、苗穂工場で全検を受けたので、本社に問い合わせて分かったそうです。

  • @user-lm7hd6wt6c
    @user-lm7hd6wt6c 11 месяцев назад +2

    テーマは逸れますが 9633号(キューロク) はNHK連ドラ「旅路」で有名になったんですよね(’67年)。
    煙を高く舞上げた機関車が近づいて来るシーンで始まる最高のオープニング。連ドラでは「おしん」に次いで歴代二位の視聴率。幼稚園の頃見てました。「おはなはん」の後番組としてNHKが威信をかけたようです。この「旅路」でコケてたらNHKの連ドラなんて今なかった。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      及川さん、ご視聴いただきありがとうございます。旅路、新日本紀行、大いなる旅路、、みんな見ていました。マスコミこぞって蒸気を取り上げ出した頃ですね。地方で写真撮っているとNHKか?と聞かれたことありました。

  • @user-do8wk3mx9k
    @user-do8wk3mx9k 11 месяцев назад +5

    C11特集の本でC62が牽く山線客レの後部に瀬棚線用C11がついて自力回送されている写真があった。
    日付は1971年9月16日。
    この日付が正しければ、前日104レを牽いたC62は小樽まで自力で戻っていったことになる。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      春葛 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      動画の後半で9月15日に箱館に着いたC62-15がどうなったんでしょうか?の質問へのご回答を頂けたと思います。ありがとうございます。
      瀬棚線は長万部の機関車で山線には入りません。長万部から海線をちょっと通って瀬棚線に入ってました。
      ご紹介いただいた9月16日の山線ですが、小樽築港~長万部は16日から1往復C62の普通列車のスジがありました。それにC11がぶら下がっていたとすると、苗穂への検査の回送ではないかと思います。

    • @user-do8wk3mx9k
      @user-do8wk3mx9k 11 месяцев назад +1

      ありがとうございます。
      その運用はC62 2がついていたと仄聞します。小樽午後発、長万部駐泊、翌朝発なので、C62 15は15日中に長万部入りしたと推測します。
      恐らくはそれが15号機最後の運用だったのでは?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      なるほど、鋭い推理ですね。
      不思議なのは、だれも15号機の動向を発表されていないし、噂話でも出てこないことなんですよね。

  • @user-wb3wg3we8w
    @user-wb3wg3we8w 11 месяцев назад +4

    「でも普通のファンは気にしなかったよ。」🤣
    自分が「普通のファン」ではないことは重々自覚しておりましたが、改めて再確認させて頂きました。😂
    ニセコのみならずていね、まりもまで見せて頂き、しかも編成表やマシ38までも登場させて頂き、めちゃくちゃ嬉しいです。🎶
    ありがとうございます。🙇
    いやぁ、何だかんだ言ってもやっぱりC62は日本蒸気機関車界のスーパースター。💖✨
    しかもそれが重連牽引する急行ともなれば、興奮するなというのは酷な話ですよね。💓💓💓💓💓
    主様の動画を拝見する度に思うのですが、今回は特に「もっと早く生まれて乗ってみたかった。」との思いが強いです。😌
    NHKの、C62の番組をRUclipsで見るだけでも相当な迫力ですが、実物はさぞや凄かったのでしょうね。😲
    小樽築港の扇形庫、庫部分が約270度分くらいも有り壮観ですね。この庫も実際に見てみたかったなぁ。😢
    C62重連を見たくてはるばると北海道まで行って、それ見ることが出来なかった方の心中お察ししますね。😅
    当時は今みたいに、簡単に北海道へは行けなかったでしょうからね。🤔
    いやぁ、10回以上見させて頂き、めちゃくちゃ堪能させて頂きました。😚
    ありがとうございました。🙇

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      あいうえおさん、ご視聴、コメントありがとうございます。
      私は鉄道写真の撮り方の基本みたいなものはいつも気にしておらず、当時は英国の鉄道写真は編成全体を入れることが必須であるとか程度でしたし、ニセコの写真のポイントはC62重連とか貴重なC62の記録ですから編成美をどうのこうのじゃないと当時は皆さん思っていたと思います。逆にニセコになって短くなったので、全体を入れるには良かったのかも知れません。
      本当はマシ35を載せるべきだったのですが、適当な写真がなく、火災事故を起こしたマシ38ー2を載せました。
      D51ニセコですが、おそらく連日通いのつもりで出かけている方ばかりでしょうから、翌日には重連は撮影できたことでしょうね。
      ところでC62重連以降心が燃えるような被写体に出会っていないと言いましたが、以前ヒースローの滑走路の横でコンコルドの離陸を間近にみたことがあり、その神々しさに震えました。
      強いて言えば、あれがC62重連に近い感覚だったです。しばらくしてコンコルドは退役して見ることも乗ることも叶わなかったです。

    • @user-wb3wg3we8w
      @user-wb3wg3we8w 11 месяцев назад

      @@Yukkuri-Lab 様、
      返信ありがとうございます。
      鉄道写真というものは(鉄道写真とは限りませんが😅)、プロであれば買ってもらえる写真でなければ商売として(仕事として)成り立ちませんよね。ですが、趣味であればどのような写真スタイルであろうと、撮る人の自由だと思います。🤔
      前補機がD51の写真は、マシ35と形式確認出来るわけではありませんが、荷物車次位がロザ(1号車)で、4号車が食堂車であることは確認出来ます。ですので、おそらくていねのマシ35だと思われます。🧐
      マシ35は正真正銘C62と相性抜群の食堂車だとは思いますが、マシ38も戦前製最新最上級の食堂車であり、戦後長きにわたりGHQに大事にされ重用された名車だと思います。おそらくマッカーサー元帥もマシ38の冷房が効いた車内で食事🍴をされたのではないか?などと妄想するのも楽しいです。🎶
      自分が仕事でアメリカ🇺🇸駐在中に、実は私もコンコルドのことは何度となく考え、悩みました。😂
      既にワシントンD.C.発着便は無く、ニューヨーク↔ロンドンとニューヨーク↔パリ便だけになっていた頃です。今乗らなければ一生乗れない。そう思いながらも果たせませんでした。😢
      せめてJFKまで行き、見て、音を聞くだけでもやっておけば良かったなぁ、と今更ながらに思います。😌

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      今も昔も撮り鉄いるのですが、皆さん写真を綺麗に撮って売るつもりですか?誰が買うんでしょうかね?今でも疑問に思っています。
      D51急行ニセコは昭和41年のていねです。お借りしてきたものです。
      コンコルドですが、LHRのレンタカーオフィスが滑走路の真横にあった時、たまたま離陸を至近距離で見てぶったまげたのです。カメラ持参しておらず写真撮れなかったのが悔やまれましたが、また次でいいやと思っていて結局撮影できずじまいでした。確かヒルトンホテルのポイントが溜まっていて片道乗れたのですが、使う前に無くなりました。

    • @user-wb3wg3we8w
      @user-wb3wg3we8w 11 месяцев назад

      @@Yukkuri-Lab 様、
      コンコルドの離陸シーンを見られたなんて羨ましいです。😌
      想像するだけでテンションが上がります。🎶

  • @user-gv3rv7vf7v
    @user-gv3rv7vf7v 11 месяцев назад +3

    やっぱり函館本線山線(小樽~倶知安~長万部間)のC62は伝説の永遠のスターとして君臨してますね❗️
    スワローエンジェルの2号機と3号機は絶対的な存在。北海道の誇りです❗️

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      快速いしかりライナー全車自由席さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62はどこ走っても同じということは決してないですね。
      山線重連のとどめを刺したという気持ちです。

  • @okhan
    @okhan 11 месяцев назад +9

    現役時代時代の蒸機を知らない世代からしたら
    グルメすぎる発言ですなあw

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      OKはん、ご視聴頂きありがとうございます。
      そうですかぁ。以前江戸時代生まれの人が周りにいましたが、凄い!と思ったことがあり、その感覚なんでしょうね。

  • @mkep82da
    @mkep82da 11 месяцев назад +6

    貴重な写真ありがとうございます。
    好調機を本務機それ以外を前補機として運用して一足早く小樽築港に戻ってくるようにしてたからC622号機は調子の悪い機関車だったという噂もあるが本当のところはどうだったのか気になります…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      Mr. Yattsunさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。たしかに2号機は不調で長万部までの前補機仕業が多かったです。
      しかし昭和45年夏に全検を受け、好調機になってからは函館までの本務機に充てられることも多くなったのも事実です。
      私がニセコが昭和47年まで大丈夫と思った根拠一つもそこにあります。

  • @KS-zc9fs
    @KS-zc9fs 11 месяцев назад +3

    煙が動いてる!!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      動きが少ないとRUclipsに怒られるので、対処したものです。
      いかがでしょうか?

  • @京成3050
    @京成3050 11 месяцев назад +6

    3:11 かに目ー!!!!!!79616ー!!!!!!確か、残ってます!ドッカに

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      サハシさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      当時はそれほど騒がれた感覚は無いと思ったのですが、いつの間にかC11とともに人気になりました。

  • @user-lp4vp8cf2y
    @user-lp4vp8cf2y 11 месяцев назад +7

    現役時代を知らない私は、3号機復活で初めてC62を見て速さと迫力に唖然…
    重連だったらどんなに凄かったのでしょうか…
    タイムマシンがあればこの時代に行って生で体験したいですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      ていね、ニセコ(他の大雪、すずらん。。)は普通に時刻表で調べて乗れる列車であるところが、走る迫力と同じ位重要で、つまり特別なものではないところなんですね。そしてその時の最速の移動手段だったってことかなと思います。
      あえて比較すると、コンコルドを間近で見た衝撃が近いかもしれません。

  • @kw6644
    @kw6644 11 месяцев назад +4

    ニセコのC62達は他の蒸気に比べて幸せかなと思います。多くの写真と動画が現存しています。
    資料も豊富で空気作用管の配置/キャブつかみ棒の台座形状など子細な事まで記録があります。これからも語り継がれていくのだと思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      そういえば、直近の梅小路の2号機の運転席の写真を送ってもらったことがあって、現役時代に見たものとかなり違っているんだぁと感心しました。

  • @user-uc8oe6gi5p
    @user-uc8oe6gi5p 11 месяцев назад +3

    よく2号機(スワローエンジェル)が前補機に立っていたが、これは国鉄がファンサービスとしてやっていた、訳ではなく、実はこの機関車宮原時代からそんなに調子が良くなく(調子的には普通を示す黒ナンバープレートで好調機が赤プレート、そんなに良くないこんなの運転するのイヤだというのが青ナンバー)、つばめやはとを牽引するときはだいたい国鉄の広報での撮影が入った時位だったそうな。そして調子がイマイチ(他の好調機に比べて)なのは小樽築港に移っても変わらず、函館まで行って不調になって翌日のていねやニセコは牽引できませんという事態になればそれこそシャレにならないので(それでなくても青函連絡の一翼を担っている)補機運用に優先的に入れていた、というのが真相。SLの場合特急運用には例えば平のゆうづるには23号機と48号機という半ばゆうづる専用機関車みたいに機関区の絶好調機を優先的に入れていた。
    2号機が梅小路蒸気機関車館に「現存する1号機もしくは最終製造機、いずれも該当しない場合は最も若い機関車」という条件を破ってまで保存されたのは、カリスマ的かつ病的に大人気だったためで国鉄もこの人気ぶりは無視できなかった。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      やまうちさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      2号機が性能的に良かったとしたら、おそらく北海道行きはなかったでしょうね。昭和45年の夏に全般検査を受けてから絶好調になったという話も聞き、それから函館までの運用も確かに多かったのも事実です。
      動けるC62が2号機しかないので、いつまでも大事にしてもらいたいのですが、個人的には梅小路に保存するならば東海道仕様が良いです。

  • @green_line
    @green_line 4 месяца назад +2

    動画の内容とは違いますがC54型の写真や資料などはありますか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад +1

      green-line さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      山陰本線の特集とC51の特集の時にC54を登場させていますので、是非ご視聴ください。

  • @abbtk14
    @abbtk14 11 месяцев назад +8

    C62の重連急行とはなかなかの迫力ですね。東海道線のC62と違って黒煙がものすごいですが、石炭の質なのか運行条件なのか北海道ならではでしょうか。この勢いで長いトンネルに入ったら夏など乗客はたまったものではないですね…。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62はカロリーの高い豆炭をストーカでガンガン炊きます。最近は保存機では爆煙出さなくなりました。

  • @7toms786
    @7toms786 11 месяцев назад +5

    C62重連の『爆煙』イイね👍
    目名、上目名は難攻不落『アナコンダ』の『名所』

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +3

      7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございます。肥薩線大畑、常紋、上目名は笛を吹きながら三脚でかき分けて歩かないとと、趣味紙にも書いてあり、いつも緊張していました。

    • @832buuchan
      @832buuchan 11 месяцев назад +1

      配信者様のニセコと共に燃え尽きたと言うのは、凄く共感出来ます。私にとってはそれはC55/c57だったと思います。集煙装置を嫌わないで無理しても参宮線行っておけば良かったと後悔しました。
      その後必死で山口線のC57 1 を追ったのも良い思い出です。山口線は今や素晴らしい画質のビデオがどんどん公開されるので、自分で行く気が失せてしまいました。
      当家には2.3.15号機全て在籍しており、ニセコもていねも再現できるようにしました。明日、レンタルレイアウトで走らせて来ます。
      でもあの音と匂い、汽笛の木霊…やっぱり大井川でも山口線でも良いから営業運転している蒸機に乗りたくなってきました!

    • @832buuchan
      @832buuchan 11 месяцев назад +2

      ごめんなさい。他の方のコメントにぶら下げてしまいました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      832buuchanさん、ご無沙汰しております。北海道は宗谷のC55と利尻島のカットに拘りました。でも絵葉書写真なんですよね。模型はNゲージなのでしょうか?レンタルだとNゲージでしょうか。次は16号でしょうか?私は27のスポーク先輪が密かに好きです。

    • @832buuchan
      @832buuchan 11 месяцев назад +1

      ご返信ありがとうございます。模型はHOです。今日はニセコ編成と2.3.15号機を色々入れ替えて楽しんで来ました。

  • @user-hw9sc9ti6o
    @user-hw9sc9ti6o 11 месяцев назад +6

    私もイベント列車は嫌いです😀

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      ミーくん、ご視聴頂きありがとうございます。
      最近は開き直って、YouTubの挿入動画の感覚で撮影することがあります。梅小路ですとカラー化したときの色見本とか。
      でも釧路のC11はかなり本物でお勧めです。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 4 месяца назад +2

    魔理沙さん霊夢さんこんばんは!函館本線山線区間が廃止になる前になんとかJR北海道とJR西日本が協力してC62型2号機と3号機の重連が実現しないですかね!客車はSLやまぐち号用とSL冬の湿原号用で区間は本当は長万部折り返しがよいですが長万部には転車台がすでにないので札幌から山線経由函館までとします。函館まで重連だとしたら今まで見ていませんのでかなりの人手も見込まれJR北海道にも収入増加が期待できるのではないか!勿論いろんな障害もあるでしょうが例えばクラウドファンディングをしてみるのもありかなぁって思います。もし実現すればは魔理沙さんはでかけますか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад

      もりわきさん、こちらもご視聴ありがとうございます。
      私も以前はそういう夢をあきらめていなかったのですが、最近になってJR各社が蒸気の運転に熱が入らないところを感じて、もうダメかもしれないなと思うようになりました。蒸機が好きなものにとっては、D51が復活、C623が復活と、これは奇跡だ!と興奮したものです。
      最近ですとC61ハドソンの復活の時ですね。
      でももう期待しません。期待すると後でつらいのですよ。

  • @takahirot6006
    @takahirot6006 11 месяцев назад +4

    初コメです。いつも応援してます。
    D51の前補機は当時は人気なかったですが今見ると中々魅力感じます。
    昔の常磐線のゆうづるでもD51の牽引があつた気がします(6レ(

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      takahiro tさん、ご視聴いただきありがとうございました。
      初コメも嬉しいです。ゆうづるのD51は初めて知りました!

    • @takahirot6006
      @takahirot6006 11 месяцев назад

      @@Yukkuri-Lab
      写真あります。
      モノクロームの残照常磐線で検索するとあります。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      本当ですね!型式プレート入りの32号機です。教えていただきありがとうございます。

  • @user-ym1pv1zy6i
    @user-ym1pv1zy6i 10 месяцев назад +2

    最後まで優等列車を牽引出来たのだから、C62は幸運な機関車ですよね。
    アルバイトで貨物列車も牽引してますから意外と万能な機関車でもあったかも。
    DD51って口が悪いですね。
    偉大な先輩に向かって老いぼれとは…
    そういえばトーマスでもディーゼル機関車は悪役でしたね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  10 месяцев назад

      鉄道模型大好きおじさん、ご視聴頂きありがとうございました。
      DD51がどんどん増えて行って蒸気が減ってきてある日無くなる。その憤りをぶつけてしまってスミマセン。

  • @leaguepacific
    @leaguepacific 11 месяцев назад +3

    有名なD51651と違いDD51651は静かに消えていったのですね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      変質者さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      あれ?と思いしらべたら、以前自分の伯備線の動画でD51-651を登場させていました。教えていただきありがとうございます。

    • @leaguepacific
      @leaguepacific 11 месяцев назад +1

      晩年は伯備線にいたようですが、下山事件で有名ですよね
      その前に土浦で大事故も起こしているらしいです
      C62と関係ない話ですいません

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      おっ!早速調べました。本当に下山事件の機関車が651ではないですか!

  • @user-yc4wv1yz9m
    @user-yc4wv1yz9m 11 месяцев назад +2

    C62復活させて、超高級寝台特急北海道旅行やれば儲かるか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      宮城和也さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      上野から夜行で函館まで行って、そこから長万部までC62がけん引する列車があればいけると思うんです。3号機の復活には10億円かかるそうですが。

  • @user-mt9ll8dr3l
    @user-mt9ll8dr3l 11 месяцев назад +2

    現役蒸気を知らないが模型で急行ニセコや大雪を再現する日々を送っている。(KATO製は高いのでギースルD51ニセコになってしまう(⁠-⁠_⁠-⁠;⁠))

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      ジャッキーチャンネルさん、ご視聴いただきありがとうございます。模型を走らせるのはレンタルなのでしょうか?

    • @user-mt9ll8dr3l
      @user-mt9ll8dr3l 11 месяцев назад

      @@Yukkuri-Lab あの長編成を走らせるとなると家だと物足りなくなるのでレンタルレイアウトですね~

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      生来凝り性なので、模型に手を出すと破産が目に見えていたのでやっていないんです。でもレンタルレイアウトならできるかな?

    • @user-mt9ll8dr3l
      @user-mt9ll8dr3l 11 месяцев назад

      @@Yukkuri-Lab レイアウト費にお金が余りかからなくなるものの車両で凝ってSLだけで20両近い台数がいた時もありました

  • @user-tb6if5cg4j
    @user-tb6if5cg4j 11 месяцев назад +5

    急行ニセコは有名ですかね~
    D51の前補機はしょうがないことです
    4両配置3使用なので
    必ず予備として1両はとって置かないといかないからです
    前補機がD51だったり
    急病人が出た場合は
    山線回りの鈍行に乗務員を乗せて合流させることにしていたそうです
    なるべくなら長万部のことは長万部でやることにしていました

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      確か三重連の先頭の2号機の乗務員は小樽築港だったんですね。

  • @user-xn4iz2fl1s
    @user-xn4iz2fl1s 11 месяцев назад +3

    煙の加工だけでなくサウンドまで、凄いですね。夏場が冷房なしでキツいのに爆煙でおちおち窓も開けられなかった、撮影には行ったけど乗車はしなかった体験談が蒸機引退後の世代にもリアルに伝わってきます。
    「ていね」から「ニセコ」への変更で食堂車がなくなったのはストーカ使用のC62に特有の事情で仕方なかったのかな?とも思いますが、「まりも」からずっと減車が続いてきて、DD51牽引のニセコも短命に終わり、今や山線じたい廃止に…という流れは実はC62のせいでも何でもなかったところに悲しさを覚えます。
    そして、5:21からのスワローエンゼルとD51 221号機の写真、「僕らはまだまだ昔のようにバリバリやれるのに、出番が少なくなってつまんないな~」ってポケットに手を突っ込みながらボヤいてる感があって、いいモノを残して見せていただいたと思います。毎度ありがとうございます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      コメントありがとうございます。ニセコで食堂車が無くなったことですが、マシ35を廃してオシ17に変えた十和田と違って、北海道ではオシ17を用意できなかったことが要因ではないでしょうか。乗客減少だけではないと思っています。
      今回のボヤキは自分のことを言っているようで、アップして見て見たら少々恥ずかしく思いました。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 11 месяцев назад +5

    C622号機の北海道転籍の前に先行して、小樽築港機関区に転属したC623号機。
    耐寒耐雪の制度は互いにと判断して、C622号機以下10両のC62が津軽海峡を渡って、小樽築港機関区に転属された。
    函館本線山線長万部ー小樽間の急行ていね、大雪、ニセコの重連運行に順当されていた。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      大坂さん、すずらん、大雪はまともな時間帯を走らないし、C62の普通列車みたいなのであまり写真見かけないですね。準急たるまえは函館~長万部までの海線だったかな。
      旭川までの普通列車なんてのもありましたし、D51と山線で普通列車でも使われました。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 11 месяцев назад +2

      @@Yukkuri-Lab さん、C62の前補機がD51形だったら、鉄オタ共がっかりした。と言う話がありました。
      C622号機などの年次検査などの関係もあった。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +2

      望遠レンズのファインダーを除くファンが叫ぶ。”前がD51だぁあああ”
      周囲は一瞬にして期待から絶望に変わり、ためいき、唸り声につつまれるのであった。
      ~これ実際に当時雑誌記事を読んだことです。だからいつもヒヤヒヤしてました。2号機には全然こだわりは無かったですけど。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 11 месяцев назад +2

      @@Yukkuri-Lab さん、絶対にC622号機だ❗と意気込んだ鉄オタカメラ📷マンも多かったはず。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      下りのニセコ3号は前補機が事前に分かりますが、上り函館行きは編成分からないんですよね。築港に電話掛ければ教えてくれたでしょうが。

  • @user-to8tu8tv6i
    @user-to8tu8tv6i 11 месяцев назад +3

    いつも貴重な記録をありがとうございます。
    コンディションの良い機体でも廃車とか、機械的に検査周期だったのでしょうか。
    国鉄ならではのお役所的思考を想像してしまいます。
    後年の「C62ニセコ」号は数多くの動画があり、それは大兄が仰る消化試合の姿かもしれませんが、約30年の時はそれすらも貴重にしてしまいました。
    往時の「急行ニセコ」他と見比べてて思ったのは、復活列車では安全弁を派手に噴き上げてる姿が多いことです。
    JR化直前に駆け込み再乗務で免許取得をさせた経緯があるし、機体のブランクと重なって扱いに難儀したのかなぁ…と。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад

      三丁目分隊員さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      調子が良いのはフリクションが少ない(クリアランス大きい)=壊れるリスク高いというのもあるかもと想像しています。
      後年のC62ニセコの乗務員さんたちは現役蒸気の経験なかったんですね。

  • @hmshood302
    @hmshood302 11 месяцев назад +4

    2 3 15 16の4機が最後になったけですね。お話を伺いながらNゲージで模型的にコレクションしたくなりました。
    草臥れた姿で細々と余命を保つ梅小路の2号機、1号機を眺めながら(日本は産業考古学には冷たいなぁ)と実感します。明治開国以来、産業文化へ学習が根本的に貧乏な発想のか、機械工学への関心が歴史解釈を伴って成立して来ないんですね。
    日本には一機も飛べる零戦や隼がない事を見ても、工業歴史への視点や知識が極めて貧困なのだと思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  11 месяцев назад +1

      HMS HOODさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      欧米由来の技術には日本はコピーで対応した黒歴史がトラウマになっているのでしょうか?