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近所に住んでいました。歴史の発掘ありがとうございます。
幼稚園だったか、小学校時代に、電車を使って遠足で能勢電沿線の栗拾いに行きました。福知山線で、川西池田駅まで行き、臨時電車で能勢口駅までゆきました。小さくカワイイ電車と、すぐに能勢口駅に着いたことが、記憶に残っています。妙見線の古い阪急の車輌も、子供ながらに懐かしかったです。肝心の栗拾いは、ただ拾い難かったことしか覚えていません。(笑)
確か、高校の同級生が三田に引っ越して、国鉄からこの50形に乗り換えて、また能勢口で乗り換えて日生中央駅まで、Uの字を描いて通学してたなぁ。バーガーロックで売ってたフライドチキン、味がケンタッキーそっくりだった記憶があります🍗w
小学生の頃、宝塚ファミリーランドに行く時に、川西能勢口駅の横に、白青の小さな電車が止まっていたのを覚えています。懐かしいです。
能勢電鉄さんは元々は山間を走る路面電車だったんですねその時代から三ツ矢サイダーを国鉄駅まで運んでたんですね線路の幅が国鉄福知山線と違うので製品の積み替えは重労働だったと思います4:00の復刻塗装は昔の阪神電車みたいな色ですね
能勢電鉄の60系ですね。昔は国鉄川西駅まで走っていましたね。三ツ矢サイダーと関係があるのは驚き😱❕ました。今は5100系の5125F が復刻塗装で走っていますね。50、60系は能勢電鉄のオリジナル車両の原点ですね。能勢電鉄の歴史もいい勉強になりますね。
昭和50年代の終わりころ関西の列車やバスが載っている写真集を親に買ってもらって見てたけどその中に川西国鉄前って表示板の青と白の電車があった。物心ついたときにはすでに能勢口までしか走ってなかったので乗ってみたかった車両の一つです。
そういえば昔、国鉄川西池田駅に向かって国道176号のアスファルトに線路が埋まっていました
自分が最初に見たときは埋まってましたけども敷石を敷いた踏切状でした。ここから、一時期阪急の新車や能勢電への譲渡車両を送り込んだり受け取ったりしたらしいですよ。地上駅だった頃の川西能勢口駅の西側の踏切あたりに両社をむすぶ渡り線があったらしいです。渡り線が撤去されてからは、能勢電への受け渡しに、ここが池田車庫から近かったためでしょうね。
動画の4:42あたりの西友前の写真、懐かしい!!!私が川西に越したころには、もう廃線になっていましたが、線路は残っていました。この金網の前(山ほど自転車が留まっていました)を母と歩いて、ジャスコ~西友間をよく往復しました。ジャスコ7階のエレクトーン教室に行くのに、西友のパーキングが便利だったのです。動画のおかげで、はっきり思い出しました(笑)
子供頃走っていたのに、乗れないまま終わってしまいました。
残念ながら乗車の機会はありませんでしたが、たった1両の電車、それも妙見線のマルーンとはまったく違うツートンカラーで別会社のような印象がありました。まったく縁がなかったのですが、他にない車両が消えるということで、廃止時のさよなら乗車券を購入しました。3枚セットの券面には古いながらもきれいに整備された51形のカラー写真が使われ、今も手元で大切に保管しています。
続きを早く見たいですぅ😄
最初の「昭和38年頃」と言っている写真ですが、旧川西能勢口駅西側にあった「西友」の看板が見えるので、もしかしたらそれから後の時代かもしれないと思うのですが……。
西友の開店は1974年(昭和49年)だそうなので、それ以降に撮影されたものでしょうね。
小学生になる前に祖母に連れられて姉と一緒に3人で一度だけ乗った記憶があるなぁ・・・。
廃線1週間前の12月12日に写真を撮りに行きました。とても懐かしい想い出です。当時は阪急宝塚線の「岡町駅」に住んでいましたが、その後1年間「鶯の森駅」に住み、能勢電に乗って通勤していました。
小さな時から能勢電に乗る時に気になっていました。そこで高校生の頃、わざわざ乗りに行った思い出があります。朝夕僅かしか走らない電車でしたよね。
この電車に一回だけ乗車しました。朝と夕方だけ走ってましたよね。川西能勢口駅周辺は再開発ですっかり変わってしまいましたがこの頃は下町情緒がありました。懐かしいです。
懐かしいなぁ、廃止直前に写真を撮りに行きました。写真はどこに行ったかわからないけれどwかなりの急カーブをゆっくりと走っていたのを覚えています。歩いてもたかが知れている距離です。実際、全線を歩いて往復しました。朝のラッシュ時に2往復する程度のダイヤだったと思います。その運行終了後、そそくさとZパンタを降ろして留置状態になってしまいました。台車はブリル風の板バネ付きで路面電車や山岳鉄道にたまにある仕様で吊り掛けモーターを外吊りにしていました。当時の川西国鉄前駅は周囲に本当に何もなく、存在意義がわからない路線でした。国鉄前と名乗ってはいるけれども国鉄側は線路があるだけで駅はなく、当然乗り換えもできずその意味で鉄ちゃんの間では有名な駅でもありました
福知山線電化で駅が移動してくるまでは、西へ100m余り歩かないといけなかったんですよね。ホーム上屋も改札もあった話は聞いたことがありますが、自分が行き始めたときにはなにもなかったです。そういえば小さな上屋があるホームが南側の国鉄の敷地内にありましたがいつの間にかなくなりました。ほんとうに貨物輸送のための駅でしたね。森田敏生さんの著書「川西鉄道小史」にもくわしくかかれてありますね。
昭和42年に大阪から川西に越してきました。まだ高校生だったので多田か鼓滝の駅からトロリーポール能勢電で大阪と京都の学校に通いました。社会人になってからも最近は改善されましたがバスの運行が悪く、ずっと能勢電を利用していました。とても懐かしいです!
小学生の頃だったと思いますが、一度だけ川西能勢口→川西国鉄前まで片道のみ乗車したことがあります。川西能勢口の片隅に止まっていた1両の車両にいずれは乗ってみたいなと思っていたので、廃止までに一度だけでも乗れてよかったとつくづく思います。
懐かしいですね。駅で何度か見かけていたのに残念ながら乗る機会がありませんでした。手元に置きたかったのでプラレールの都電をそれっぽい色に塗った記憶があります
懐かしいなあ。子供の時に友達と乗りに行きました。朝夕にしか走ってなかったけど、以外と乗客が多いのにびっくりしました。
西友の横のバーガーロックなつかしすぎ
山本に住んでいるのでよく見に行きました。まだ国鉄川西池田駅が満願寺方面(旧阪急花屋敷駅)に向かう坂道の入り口にあった頃、国鉄前の駅前ではダイハツの自動車の積み込みを行っていたのでク5000がたくさん止まっていた頃に、国鉄の敷地の端にうらびれた短いホームがあってそこから国道を渡って国鉄前の駅の中に入っていっていたのを覚えています。このころにはもう使っていませんでしたね。東隣は日通の倉庫だったかな?これも使われていなくて廃屋になっていましたね。映像の中で運転手の方が、50型60型を本線回送していた話がでてきましたが、この光景を撮影されていた方はいらっしゃらないのでしょうか?いままで見たことがないのでできれば。
おそらく廃止になる直前くらいだった思いますが、川西能勢口駅で青と白の電車が止められているのを見て、これなんだろ?って思ってました(他の区間は元阪急のマルーン電車だったので違和感がすごかった)1駅だけの電車だと知ったのはもっと後になってからでした。サイダー輸送との繋がりも興味深かったです
宝塚線から見下ろす日通倉庫群も懐かしい。吊り掛け駆動音も懐かしい。
2:44飲まれてる
昭和50年に池田市民化してサイクリングがてら川西池田駅に行ったことがあり、貧弱な駅に単行の車両があったのを写真で覚えています。さらに滅多に運転してない車両を市道の遮断器のところから見たのも覚えています。
他の能勢電鉄の区間と直通ではなく、一旦乗り換えが必要だったのですね!初めて知りました。現役の社員さんの中に当時従事されていた方がいらっしゃったのですね!昭和56年(1981年)から今年(2021年)で40年。この世代を知る社員さんも年々減っていくのでしょうね。良い機会に企画されましたね!続きを楽しみにしています。
軟券の往復乗車券に川西能勢口駅←→川西国鉄前駅間廃線さよなら試乗券昭和56年12月19日のスタンプ押されていたのですね。スタンプの色も赤色と紺色があるみたい。そのスタンプは今もあるのかな?
ジャスコの最上階からミックスジュースを飲みながら見てましたよ👍今や愛知県民です!!(笑)
ジャスコのところは、昔は「シロ」と「能勢口ショッピングセンター」でしたね。「シロ」はめぐりめぐって「イオン」になりましたけど。
栄町に住んでます、なるほどw
京成千葉線の旧「国鉄千葉駅前駅」をほうふつさせる駅名…
伊予鉄にも「国鉄駅前」あったぜ!
@@psychedelicraspberry1457 ほう、知らなかった…
@@taka480 JR化時に「松山駅前」になりました。今は「JR松山駅前」みたいやけど…
近所に住んでいました。歴史の発掘ありがとうございます。
幼稚園だったか、小学校時代に、電車を使って遠足で能勢電沿線の栗拾いに行きました。福知山線で、川西池田駅まで行き、臨時電車で能勢口駅までゆきました。小さくカワイイ電車と、すぐに能勢口駅に着いたことが、記憶に残っています。妙見線の古い阪急の車輌も、子供ながらに懐かしかったです。肝心の栗拾いは、ただ拾い難かったことしか覚えていません。(笑)
確か、高校の同級生が三田に引っ越して、国鉄からこの50形に乗り換えて、また能勢口で乗り換えて日生中央駅まで、Uの字を描いて通学してたなぁ。
バーガーロックで売ってたフライドチキン、味がケンタッキーそっくりだった記憶があります🍗w
小学生の頃、宝塚ファミリーランドに行く時に、川西能勢口駅の横に、白青の小さな電車が止まっていたのを覚えています。
懐かしいです。
能勢電鉄さんは元々は山間を走る路面電車だったんですね
その時代から三ツ矢サイダーを国鉄駅まで運んでたんですね
線路の幅が国鉄福知山線と違うので製品の積み替えは重労働だったと思います
4:00の復刻塗装は昔の阪神電車みたいな色ですね
能勢電鉄の60系ですね。
昔は国鉄川西駅まで走っていましたね。
三ツ矢サイダーと関係があるのは驚き😱❕ました。
今は5100系の5125F が復刻塗装で走っていますね。
50、60系は能勢電鉄のオリジナル車両の原点ですね。
能勢電鉄の歴史もいい勉強になりますね。
昭和50年代の終わりころ関西の列車やバスが載っている写真集を親に買ってもらって見てたけどその中に川西国鉄前って表示板の青と白の電車があった。物心ついたときにはすでに能勢口までしか走ってなかったので乗ってみたかった車両の一つです。
そういえば昔、国鉄川西池田駅に向かって国道176号のアスファルトに線路が埋まっていました
自分が最初に見たときは埋まってましたけども敷石を敷いた踏切状でした。
ここから、一時期阪急の新車や能勢電への譲渡車両を送り込んだり受け取ったりしたらしいですよ。
地上駅だった頃の川西能勢口駅の西側の踏切あたりに両社をむすぶ渡り線があったらしいです。
渡り線が撤去されてからは、能勢電への受け渡しに、ここが池田車庫から近かったためでしょうね。
動画の4:42あたりの西友前の写真、懐かしい!!!私が川西に越したころには、もう廃線になっていましたが、線路は残っていました。この金網の前(山ほど自転車が留まっていました)を母と歩いて、ジャスコ~西友間をよく往復しました。ジャスコ7階のエレクトーン教室に行くのに、西友のパーキングが便利だったのです。動画のおかげで、はっきり思い出しました(笑)
子供頃走っていたのに、乗れないまま終わってしまいました。
残念ながら乗車の機会はありませんでしたが、たった1両の電車、それも妙見線のマルーンとはまったく違うツートンカラーで別会社のような印象がありました。まったく縁がなかったのですが、他にない車両が消えるということで、廃止時のさよなら乗車券を購入しました。3枚セットの券面には古いながらもきれいに整備された51形のカラー写真が使われ、今も手元で大切に保管しています。
続きを早く見たいですぅ😄
最初の「昭和38年頃」と言っている写真ですが、旧川西能勢口駅西側に
あった「西友」の看板が見えるので、もしかしたらそれから後の時代かも
しれないと思うのですが……。
西友の開店は1974年(昭和49年)だそうなので、それ以降に撮影されたものでしょうね。
小学生になる前に祖母に連れられて姉と一緒に3人で一度だけ乗った記憶があるなぁ・・・。
廃線1週間前の12月12日に写真を撮りに行きました。
とても懐かしい想い出です。
当時は阪急宝塚線の「岡町駅」に住んでいましたが、その後1年間「鶯の森駅」に住み、能勢電に乗って通勤していました。
小さな時から能勢電に乗る時に気になっていました。そこで高校生の頃、わざわざ乗りに行った思い出があります。朝夕僅かしか走らない電車でしたよね。
この電車に一回だけ乗車しました。朝と夕方だけ走ってましたよね。川西能勢口駅周辺は再開発ですっかり変わってしまいましたがこの頃は下町情緒がありました。懐かしいです。
懐かしいなぁ、廃止直前に写真を撮りに行きました。
写真はどこに行ったかわからないけれどw
かなりの急カーブをゆっくりと走っていたのを覚えています。
歩いてもたかが知れている距離です。
実際、全線を歩いて往復しました。
朝のラッシュ時に2往復する程度のダイヤだったと思います。
その運行終了後、そそくさとZパンタを降ろして留置状態になってしまいました。
台車はブリル風の板バネ付きで
路面電車や山岳鉄道にたまにある仕様で
吊り掛けモーターを外吊りにしていました。
当時の川西国鉄前駅は周囲に本当に何もなく、
存在意義がわからない路線でした。
国鉄前と名乗ってはいるけれども
国鉄側は線路があるだけで駅はなく、
当然乗り換えもできず
その意味で鉄ちゃんの間では有名な駅でもありました
福知山線電化で駅が移動してくるまでは、西へ100m余り歩かないといけなかったんですよね。
ホーム上屋も改札もあった話は聞いたことがありますが、自分が行き始めたときにはなにもなかったです。
そういえば小さな上屋があるホームが南側の国鉄の敷地内にありましたがいつの間にかなくなりました。ほんとうに貨物輸送のための駅でしたね。
森田敏生さんの著書「川西鉄道小史」にもくわしくかかれてありますね。
昭和42年に大阪から川西に越してきました。まだ高校生だったので多田か鼓滝の駅からトロリーポール能勢電で大阪と京都の学校に通いました。社会人になってからも最近は改善されましたがバスの運行が悪く、ずっと能勢電を利用していました。とても懐かしいです!
小学生の頃だったと思いますが、一度だけ川西能勢口→川西国鉄前まで片道のみ乗車したことがあります。川西能勢口の片隅に止まっていた1両の車両にいずれは乗ってみたいなと思っていたので、廃止までに一度だけでも乗れてよかったとつくづく思います。
懐かしいですね。
駅で何度か見かけていたのに残念ながら乗る機会がありませんでした。
手元に置きたかったのでプラレールの都電をそれっぽい色に塗った記憶があります
懐かしいなあ。子供の時に友達と乗りに行きました。
朝夕にしか走ってなかったけど、以外と乗客が多いのにびっくりしました。
西友の横のバーガーロックなつかしすぎ
山本に住んでいるのでよく見に行きました。まだ国鉄川西池田駅が満願寺方面(旧阪急花屋敷駅)に向かう坂道の入り口にあった頃、
国鉄前の駅前ではダイハツの自動車の積み込みを行っていたのでク5000がたくさん止まっていた頃に、
国鉄の敷地の端にうらびれた短いホームがあってそこから国道を渡って国鉄前の駅の中に入っていっていたのを覚えています。このころにはもう使っていませんでしたね。
東隣は日通の倉庫だったかな?これも使われていなくて廃屋になっていましたね。
映像の中で運転手の方が、50型60型を本線回送していた話がでてきましたが、この光景を撮影されていた方はいらっしゃらないのでしょうか?いままで見たことがないのでできれば。
おそらく廃止になる直前くらいだった思いますが、川西能勢口駅で青と白の電車が止められているのを見て、
これなんだろ?って思ってました(他の区間は元阪急のマルーン電車だったので違和感がすごかった)
1駅だけの電車だと知ったのはもっと後になってからでした。サイダー輸送との繋がりも興味深かったです
宝塚線から見下ろす日通倉庫群も懐かしい。
吊り掛け駆動音も懐かしい。
2:44飲まれてる
昭和50年に池田市民化してサイクリングがてら川西池田駅に行ったことがあり、貧弱な駅に単行の車両があったのを写真で覚えています。さらに滅多に運転してない車両を市道の遮断器のところから見たのも覚えています。
他の能勢電鉄の区間と直通ではなく、一旦乗り換えが必要だったのですね!
初めて知りました。
現役の社員さんの中に当時従事されていた方がいらっしゃったのですね!
昭和56年(1981年)から今年(2021年)で40年。
この世代を知る社員さんも年々減っていくのでしょうね。
良い機会に企画されましたね!
続きを楽しみにしています。
軟券の往復乗車券に川西能勢口駅←→川西国鉄前駅間廃線さよなら試乗券昭和56年12月19日のスタンプ押されていたのですね。スタンプの色も赤色と紺色があるみたい。そのスタンプは今もあるのかな?
ジャスコの最上階からミックスジュースを飲みながら見てましたよ👍
今や愛知県民です!!(笑)
ジャスコのところは、昔は「シロ」と「能勢口ショッピングセンター」でしたね。「シロ」はめぐりめぐって「イオン」になりましたけど。
栄町に住んでます、なるほどw
京成千葉線の旧「国鉄千葉駅前駅」をほうふつさせる駅名…
伊予鉄にも「国鉄駅前」あったぜ!
@@psychedelicraspberry1457
ほう、知らなかった…
@@taka480 JR化時に「松山駅前」になりました。今は「JR松山駅前」みたいやけど…