【能勢電鉄公式】のせでん今昔物語〜あの頃の面影を探して〜【平野駅・一の鳥居駅編】
HTML-код
- Опубликовано: 16 сен 2024
- ▶はじまりを、のせて
「のせでん今昔物語」シリーズ 一覧はこちら
• のせでん今昔物語
昔の写真を見ながら旧線を辿る!旧線シリーズ。
今回は【平野駅~一の鳥居駅】
川西能勢口駅から平野駅までの複線化は昭和44年に完了!
その後、平野駅から北の線形改良が始まりました。
複雑な線形に加え、資金難で、複線化など夢物語であった区間。
しかし見事複線化を果たした背景には、とある奇跡のような事象があったのです。
三ツ矢サイダー発祥の地である川西市平野。
のせでんとの深い関係も!?
ぜひ、実際に足を運んでみてください♪
オリジナルグッズ販売中!のせでん公式オンラインショップはこちら↓
www.noseden-sh...
チャンネル登録・グッドボタン!よろしくお願いいたします!
#能勢電鉄#廃線跡#旧線#平野駅#一の鳥居駅
撮影協力:車両課 鉄道営業課
動画制作:田中(鉄道統括課)
待ってました♪
今回いつものようにお話を楽しみながら、ふと「のせでんの歴史を体に染み込ませたこの方たち世代が何年かして引退されたら、会社の雰囲気もだいぶ変わるんだろうな」と想像してしまいました。そのこと自体が良い悪いとかではないのですが、生きた記憶がそこにあるのとないのとでは大きな違いです。
そう考えると、もちろん社内でそれを引き継ぐことは今もされてると思いますが、このチャンネルの動画の数々もこれから年を経るごとに貴重な資料としての意味を持っていきそうだなって気がしてきました。
広岡課長補佐と神原係長のベテランコンビはとても息びったりですね。
これからも応援📣致します。
貴重な平野〜一の鳥居の複線の開通式の
貴重なレア写真が溜まりませんね。
平野〜一の鳥居の鉄橋は撮影スポットに
とても良いですね。
平野駅は昭和時代は田舎駅だったのですね。
温泉♨があったのも驚きと三ツ矢サイダーの製造している聖地ですね。
610系、320系車両も懐かしいですね。
広岡課長補佐のおやじギャグはいつ聴いても笑ってしまいます。
今年定年されるので最後まで能勢電鉄での
体調に気を付けて頑張ってください。
路線図をアニメ化してRUclipsで歴史の動画を作っている者です。能勢電さんのも作っています。
こちらの動画に行き着いて、ものすごい復習になりました。私の動画では到底表現できない工事中のエピソードを聴くことができ、曲線改良の苦労を感じ取ることができました。
そして何よりも、温かさのこもった動画ですね。危険な場所も、なぜか安心して見られます。
相変わらずお二人ともお元気そうで何よりです☺️
そしてやっぱりナレーションの方のお声、めっちゃ好きです!
安全猫出てきたところで腹筋崩壊したw いいセンスしてる
毎度面白いコントの様な会話に笑いながら視聴しています。
この様な複線化工事が有ったことを初めて知りました。これからも愉しみに待っています。
私がグリーンハイツに引っ越してきたのが1974年3月で、平野から先、
一の鳥居への単線になっていることを記憶しています(旧駅舎の売店で
ラムネを買って飲んでいました)。懐かしい写真、ありがとうございます。
今回も非常に興味深い内容でした。三ツ矢サイダーの工場跡から国道173号線に降りて
塩川鉄橋の下を走行してたのは驚きでしか有りません。これは貴重な資料になりますね!
次の動画も楽しみにしてます!
1:36 ガソリンスタンドは2015年くらいまでは営業していたようですね。今もガソリンスタンド当時の壁が弁当屋の裏に残ってます。
もう、ねき(近く)は50代でも言わなくなりましたね。80代の父は今でも言いますが、お二人より少し下の世代の私は使いませんw
平野から先の単線は、小学生の頃なのでわかります。ただ、旧畦野駅は何とか覚えてますが、一の鳥居あたりは忘れてます💦なので、次回はスゴく楽しみです☝️😆
お二人の列車技術談義も楽しみに待ってます
こんにちは😀
平野水かどうか知らないのですが、昔駄菓子屋に「シャンペンサイダー」という飲み物が売ってましたね。
300形、500形、、、懐かしい😆👍
下をくぐっていたのはビックリ‼️
神原係長、お家バレはあかんよー。
登録者さんは大丈夫やと思うけど、そうやない視聴者が特定してTwitterなんかに上げたりされてまうよ~。
この区間も、鼓滝付近に負けない大工事が行われたんですね。
予算と技術の限界で、とにかく山は迂回して川は最短で渡るとかでは、曲がりくねるのは当然。開業時の先人の苦労は致し方ないものだったんですが、後の人々も線形改良という苦労をすることになっちゃった。
御三方の絶妙なやり取り、楽しく見させて頂いています😊三ツ矢サイダーの平野工場の建物が、そのまま「サンシャイン」というホームセンターになっていたと記憶していますが、その時にサンシャインの方に無理を言って、源泉を見せていただいたことがありました。ワタシも少し飲ませていただききましたが、神原係長がおっしゃる通り、アクが強いというかとても飲めたものではありませんでした😅懐かしい想い出です。
おこんばんは、お二人さんの楽しいトーク待ってました、
三ツ矢サイダーの工場があった事知りませんでした、
最後に大阪万博の話で、阪急電車千里線が新線、千里山駅から万博まで走ってた話、もっと聞きたいです、
敦子Oharaさん
三ツ矢サイダーは、最初三ツ矢平野水と言う無糖炭酸水から始まっていますからね。
今日課長を山下で見ました!とってもカッコよかったです😊
待ちわびた続きが来た。
方言ですが山の反対側の丹波篠山市民ですがぐるり以外はわからんですわw
まあ篠山は俗にいう丹波弁なので京都のほうが方言近いからかもしれないけど・・・
三、四十年今の風景があると思うと感動する。
あと方言は沿線やけど使ってんの聞いたことないw
のせでんはかれこれ38年ほど利用しております。特にこの一の鳥居~平野の旧線や工事の様子という超貴重な写真を見れて声をだして驚いておりました。この先もとても楽しみにしております!
いつも楽しみにしてます。9月20日に一の鳥居駅前の国道173号線を走行中、ホームで撮影しているのを拝見しました。声を掛けたかったですが、車なので無理でした。今編集中かと思いますが楽しみにしてます。
線形改良前、電車が塩川沿いのくねくね曲がる線路を通る時、つり革が激しく揺れて網棚の外枠にぶつかってカンカンと音を鳴らしていたのを懐かしく思い出しました。
塩川橋梁が完成した昭和49年当時は、平野~一の鳥居間は単線、無人駅(売店なし)でした。
現在高槻市在住の私、広岡さんと同世代(54歳)で、10歳(昭和53年)まで滝山に在住していました。
今現在、亡き父方の親戚が一の鳥居に住んでいますので、よく覚えています。
昭和46年に平野↔️妙見口の旧線を通りました。平野を境に全く別世界で新猪名川鉄橋にはビックリ❗️
万博中央まで線路伸ばしてたのは北大阪急行ですね。阪急は今の山田のあたりに万博西口を作っての対応でした。
毎度勉強になり楽しく見させていただいております。国道173は長らく片側1車線で、軌道跡が道路に拡張されることなくなぜか無駄に広い歩道スペースでした。
グリーンハイツから下ってきた突き当たりに2代目バスターミナルがありました。今は掬水もバスターミナルも面影がなくなり三ツ矢の塔とサンシャインへの橋は
存在してるんですね。
ruclips.net/video/RgAnG_CbFEc/видео.html
新名神高速道路の工事の警備を一時期担当してましたが、塩川橋梁の付近を担当した日には能勢電鉄の警笛を聞き放題でした。
近所すぎて、二人のやりとりがさらに爆笑すぎる。
あ、チャンネル登録しておこ。
一の鳥居~光風台が超楽しみ
12:05 「ほめく」…落語ネタ「青菜」で知った大阪弁です。「今日はほめいてどもならん…。」
※川西・猪名川語の解説ありがとうございます。
鉱泉裏踏切は誰のためにあるの?
9:13 1704が!
貴重な映像!
揺れたおす妙見線、朝4両を2両にしたの 無茶苦茶やで 学校始まったらいっぺん乗ってみたらええわ、せめて3両やで。朝でも0人か1人のデジタル駅笹部 上下200本 電車が来て乗降者150人以下やのにいつまで残してるの、合理化 改正 推し進めてるんやろ 親方の命令で 笹部駅からあと5分歩いたら山下駅やんか わしら駅まで激坂20分歩いてるで。
人に歴史あり、町に歴史あり、会社に歴史あり
デジタルデータばかりかき集めて“撮った、撮った”と自慢するのが能じゃない
古きを訪ね新しきを知るだろ
カメラ担当及びナレーターは関西人ではないの???
セメントは人間の死体から出来てるんだよ