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素敵なチャンネルに出会えて嬉しく思います。この時代の鉄道写真を解説して下さるチャンネルは凄く貴重です。ありがとうございます。一瞬...どこかに川西池田駅という同名の駅があるの?と錯覚するくらい現在と違いすぎて驚愕しました。元々はあんなかっこいい駅だったんですね。国鉄前線も全く知らなかったので、とても面白かったです。これからも新動画楽しみにしております!
コメントありがとうございます。変貌の激しい福知山線の中でも、川西池田駅の変わり方は劇的ですね!貨物ヤードが広がり、能勢地方から木炭やサイダーを積んだ貨物電車がやってきて、最近ではダイハツのクルマが出荷されていました。
大変懐かしく拝見させて頂きました。有難うございます。川西池田駅は腕木式信号機で閉塞をコントロールしていましたね。尼崎港までの普通列車の始発駅にもなっていた記憶が有ります。普通列車は旧型客車の客車列車ばかりでDD51、DD54、DF50が牽引機として活躍していました。能勢電の国鉄前行は、車体の色がマルーンではない為すごく惹かれるものが有りました。
川西池田駅は福知山線の近代化で最も大きく変わった駅だと思います。(あ、武田尾駅のほうが上かも・・)阪急川西能勢口駅からも近いため、気軽に行けて、のどかなローカル駅の風情をカメラに収めることができました。
1:16 懐かしい旧川西池田駅。ちょうど寺畑1の交差点ドンつきにある改札で、常に阪急ユーザーだったため、地元民でありながらココを利用した記憶はほぼ無い(あるとしたら、修学旅行で伊勢に行った時くらいか)💦跡地には跨線橋(アルテア橋)が架けられたため、何も残されてませんね🙄💦
giantnio_inoba2023さん、コメントありがとうございます。阪急豊中から梅田に行くのに、雲雀丘花屋敷→川西池田経由で福知山線を利用した物好きがここにいます!
今回も貴重な写真の数々をアップして頂きありがとうございます。私は数年前に能勢電国鉄前線の廃線跡を歩いて辿ったことがあります。今回の動画は、その時に見た景色を思いだし、比較しながら拝見しました。街の歴史を感じながらの動画視聴となりました。
ウォーリー.さん、コメントありがとうございます。川西能勢口から川西池田まで、歩行者デッキを通らずに国鉄前線跡を辿るのは感慨深いです。あ、あのカーブ通りの道路になっているんだ、とか想い出に浸れますね。
2:32左側の空き地部分を靴で少し掘ってみると、レールが埋まったままになっていましたね。川西国鉄前駅の駅舎はもともとあったらしいのですが、かなり前から荒屋状態で、台風で倒壊してからなくなったと聞いていますね。
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。能勢電の電動貨車が炭やサイダーを積んで走っていたころを見てみたかったですね。
何気に、『ク5000』が写っていましたね。
当時はク5000なんて珍しい存在ではなかったので、意識して撮ったわけではありません。
親が喜んでました❗️ありがとうございます😊
よかったです。ありがとうございます。
よくある車両と線路だけの写真じゃなくて、生活感まで伝わる画像に郷愁を覚えます。解説付きで資料的価値がありますね。
Tommyさん、コメントありがとうございます。好評価いただいて嬉しいです。生活の匂いがする鉄道風景を感じていただければ幸いです
元川西市民で川西池田駅から徒歩10分くらいのところで高校生まで住んでおりました。このスライド写真の通り複線電化前の川西池田駅を存じております。小学校の修学旅行は近隣の小学校と2校でキハ58を貸し切って川西池田駅から草津線経由で鳥羽まで行ったのが思い出です。普段、梅田に行くのは国鉄は不便過ぎたので阪急一択でした。また能勢電国鉄川西前も懐かしいです。朝夕だけ、1両が川西能勢口から出ていくのを覚えております。また、写真左側の西友付近にバーガーロックというハンバーガー屋が写っていたのも懐かしいです。高校生の頃でしたが、同級生がバーガーロックでアルバイトしておりました。とても懐かしく観させていただきました。
成光さん、コメントありがとうございます。国鉄の貸切列車で修学旅行、素敵ですね。私もキハ58の貸切列車で信州へ修学旅行に行きました。中間運転台に入り込んで景色を見ていると先生に叱られました。そのくせ、先生の一人は助手席に座り込んでハンドルをいじり回していて、うらやましく思った記憶があります。
バーガーロックで売ってたフライドチキンて、ケンタッキーの味に似てませんでしたっけ?🍗
今川西池田まで徒歩5分ほどの場所に住んでます!
サイダーを全国に輸送するために設立された鉄道が能勢電鉄。意外でしたね。
YASUTO YOSHIMIZUさん、コメントありがとうございます。能勢電の車庫がある平野駅には、炭酸水の源泉があり、三ツ矢サイダー工場がありました。能勢電の引き込み線から、サイダーを積んだ貨物電車が川西池田駅へ走っていったようです。
三ツ矢サイダー運搬と能勢妙見山の参拝客目的で造られた路線ですもんね。今はれっきとした通勤通学路線。昔、美園に住んでた同級生が猪名川高校入学した後に、三田へ引っ越し。わざわざ国鉄前線で乗り継ぐ朝通学してたなぁ💦
懐かしい写真をありがとうございます。福知山線の変貌ぶりには驚くばかりです。宝塚までの電化開業後は鳴かず飛ばずでしたが、電化区間が伸びる従って、こんなになるかとびっくりです。黄色の103系6連が試運転をしていたのを思い出しました。
Zenjirooさん、コメントありがとうございます。黄色の103系、とても電車区間とは思えない閑散ダイヤで、客車列車と合わせてやっと使える運転頻度になっていました。そういえば、鉄道雑誌に「福知山線のカナリアは歌えず」という題名でルポが掲載されましたね。
これは『川西鉄道小史』からですが、開通当初の川西池田駅は、小花の呉服橋の近くにあったそうで、宝塚方面に延長するときに、寺畑の旧駅舎の位置に移転してきたそうです。それから現駅舎に移ってますので、やや元の位置に戻った感じになりますね。1:37で写っている跨線橋の柱の部材の一部分は保存されていると聞きましたが場所は失念してしまいました。余談ですが旧阪鶴鉄道の蒸気機関車は流転の末、遠く東京の東品川公園に元西武鉄道7号機として保存されているそうです。
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。跨線橋の柱はいまの橋上駅の改札階に保存されています。「鐵道院」と書かれたプレートの「鉄」の字が風格ありますね。
1:17 ロケットサニーが懐かしいです。
B Bさん、コメントありがとうございます。ああいうクルマは今は見かけないですね・・・
私は川西国鉄前行きの61しか知りませんが、川西池田駅、当時は無茶良い雰囲気だったのですね!!典型的な国鉄時代の駅!!近代化での高架化、今では面影も無いのでしょうが、所有されている貴重な写真、これがかつてあったのですね。やはり記録は大切ですね。日常が非日常になる・・・・私にとっては福知山線はディーゼルや客車時代です。有難うございました!!
hassiemozartさん、コメントありがとうございます。スライドショーには使いませんでしたが、トイレの写真も残っていました。昔のローカル駅の雰囲気そのままです。
以前の川西池田駅、今の場所から少し福知山寄りに有ったんですね。阪急/能勢電 川西能勢口駅と共に再開発により今の場所に移動する為、能勢電の川西国鉄前は廃線になったと聞きます。市街化した今とはまったく違う風景ですね。
railmanさん、コメントありがとうございます。国鉄前線も情緒がありました。夕方、黄色い前照灯をともして、警笛をワンワン鳴らしながら走る姿は東南アジアを思わせました。
旧川西池田駅正面の急坂を登るとちょうど旧阪急花屋敷駅にでます。最終的には清和源氏由来の満願寺に至ります。ここには有名な坂田金時の墓とされるものがあります。駅前には路線バス用の小さなロータリーと、坂の登り口には小さな駅前食堂と派出所があった記憶があるんですが、うろ覚え。駅の跡はいまでは、加茂(南花屋敷)から大鹿を通って阪急伊丹駅に向かう道路の入口になってしまいましたが、道は駅のあったときのまま湾曲しています。。
川西池田駅は、自宅に近い小荷物取扱駅として仕事で何度か利用したことがあります。鹿屋にいる知り合いの盆栽業者に山野草の苗を送ってもらう(当時の郵便小包ではたしか重量制限があったと思う)のですが、駅留なので連絡をもらってもいつ到着するかわからないので、日参した覚えがあります。荷物は間違いなく手鉤で引っ掛けて投げられるので、箱が壊れないように厳重に荒縄でくくって送って来ていたのも、遠い思い出😌
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。国鉄小荷物のサービスは、いまから思えばお役所仕事的で荒っぽかったと思います。宅〇便が登場してあっという間にシェアを奪われたのも、ある意味仕方ないことだったかもしれません。
京阪神エリアに、DD51や旧客、貨物、国鉄型気動車が日常でみられた時代があったなんて…現在では想像もつかない。タイムマシンで確かめに行きたい。
ヒストレインさん、コメントありがとうございます。当時もタイムマシンのようだと思いましたよ。阪急電車を降りて5分歩けば、ローカル線の世界に飛び込めるんですから・・・
小花1交差点から尼方面に行くと、今では立体交差で難なく行けますが、ローカル線時代は踏切がカーブになってて、当然カントにもなっているから、通るたびに凸凹状態でした💦
今とは全然ちがうんですね、でも国鉄の時代がなつかしいですね。
たかちゃんさん、コメントありがとうございます。国鉄時代は旅情は満点ですが、交通機関としては不便この上ない。今の様に快適な快速や区間快速が高頻度で走っているのは、利用者の目で見ればありがたいです。
川西池田駅は元々もう少し宝塚寄りにあって、1980年に現在地に移転したそうですね。翌年に川西国鉄前駅が廃止になりますが、廃止されるまでの一年ちょっと、この両駅は離れ離れになってたんでしょうか?川西池田駅の移転で川西能勢口駅までやや近くなったので、元々激減していた利用者はほとんど居なくなっていたとは思いますが。
するがまなぶさん、コメントありがとうございます。川西池田駅が移転して、国鉄前駅のすぐ近くになりました。今日21:00に公開予定の「補遺・川西池田駅1980年」に写真を載せてますのでよろしければご覧ください。
この頃から電化工事をしていたんですね。
ゆうゆう東海さん、コメントありがとうございます。0:07の写真を写したのが1980年4月16日、宝塚駅まで電化開業が1981年3月31日ですので1年前ということになりますね。
私奴は………、非電化の昔の川西池田駅しか知らない。そこは、国鉄亜幹線らしい、地方の駅。ホームの植え込みや樹木の手入れが印象的な覚えが。建設中の新駅、その後に変貌を遂げる沿線の先駆けだったのか?2:32~能勢電の線路を散歩する、アッパッパを着た(古い表現!笑)中年女性と犬、緩い時間が流れていたのでしょうね~!3:31~派手なハンバーガーの看板、これを盛り場で見たならば、どう見てもストリップの看板を連想してしまう。私奴も昭和30年代生まれの立派なジジィということですね。(苦笑)
利さん、コメントありがとうございます。国鉄前線の線路は住民の散歩道、兼 子供の遊び場でした。事故がなかったのが幸いです。ハンバーガー店や焼き肉屋、西友もあって、生活感満載でした。
素敵なチャンネルに出会えて嬉しく思います。この時代の鉄道写真を解説して下さるチャンネルは凄く貴重です。ありがとうございます。一瞬...どこかに川西池田駅という同名の駅があるの?と錯覚するくらい現在と違いすぎて驚愕しました。元々はあんなかっこいい駅だったんですね。国鉄前線も全く知らなかったので、とても面白かったです。これからも新動画楽しみにしております!
コメントありがとうございます。
変貌の激しい福知山線の中でも、川西池田駅の変わり方は劇的ですね!
貨物ヤードが広がり、能勢地方から木炭やサイダーを積んだ貨物電車がやってきて、最近ではダイハツのクルマが出荷されていました。
大変懐かしく拝見させて頂きました。有難うございます。川西池田駅は腕木式信号機で閉塞をコントロールしていましたね。尼崎港までの普通列車の始発駅にもなっていた記憶が有ります。普通列車は旧型客車の客車列車ばかりでDD51、DD54、DF50が牽引機として活躍していました。能勢電の国鉄前行は、車体の色がマルーンではない為すごく惹かれるものが有りました。
川西池田駅は福知山線の近代化で最も大きく変わった駅だと思います。(あ、武田尾駅のほうが上かも・・)
阪急川西能勢口駅からも近いため、気軽に行けて、のどかなローカル駅の風情をカメラに収めることができました。
1:16 懐かしい旧川西池田駅。ちょうど寺畑1の交差点ドンつきにある改札で、常に阪急ユーザーだったため、地元民でありながらココを利用した記憶はほぼ無い(あるとしたら、修学旅行で伊勢に行った時くらいか)💦
跡地には跨線橋(アルテア橋)が架けられたため、何も残されてませんね🙄💦
giantnio_inoba2023さん、コメントありがとうございます。
阪急豊中から梅田に行くのに、雲雀丘花屋敷→川西池田経由で福知山線を利用した物好きがここにいます!
今回も貴重な写真の数々をアップして頂きありがとうございます。
私は数年前に能勢電国鉄前線の廃線跡を歩いて辿ったことがあります。今回の動画は、その時に見た景色を思いだし、比較しながら拝見しました。
街の歴史を感じながらの動画視聴となりました。
ウォーリー.さん、コメントありがとうございます。
川西能勢口から川西池田まで、歩行者デッキを通らずに国鉄前線跡を辿るのは感慨深いです。あ、あのカーブ通りの道路になっているんだ、とか想い出に浸れますね。
2:32左側の空き地部分を靴で少し掘ってみると、レールが埋まったままになっていましたね。
川西国鉄前駅の駅舎はもともとあったらしいのですが、かなり前から荒屋状態で、台風で倒壊してからなくなったと聞いていますね。
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。
能勢電の電動貨車が炭やサイダーを積んで走っていたころを見てみたかったですね。
何気に、『ク5000』が写っていましたね。
当時はク5000なんて珍しい存在ではなかったので、意識して撮ったわけではありません。
親が喜んでました❗️ありがとうございます😊
よかったです。ありがとうございます。
よくある車両と線路だけの写真じゃなくて、生活感まで伝わる画像に郷愁を覚えます。解説付きで資料的価値がありますね。
Tommyさん、コメントありがとうございます。
好評価いただいて嬉しいです。生活の匂いがする鉄道風景を感じていただければ幸いです
元川西市民で川西池田駅から徒歩10分くらいのところで高校生まで住んでおりました。このスライド写真の通り複線電化前の川西池田駅を存じております。小学校の修学旅行は近隣の小学校と2校でキハ58を貸し切って川西池田駅から草津線経由で鳥羽まで行ったのが思い出です。普段、梅田に行くのは国鉄は不便過ぎたので阪急一択でした。また能勢電国鉄川西前も懐かしいです。朝夕だけ、1両が川西能勢口から出ていくのを覚えております。また、写真左側の西友付近にバーガーロックというハンバーガー屋が写っていたのも懐かしいです。高校生の頃でしたが、同級生がバーガーロックでアルバイトしておりました。とても懐かしく観させていただきました。
成光さん、コメントありがとうございます。
国鉄の貸切列車で修学旅行、素敵ですね。
私もキハ58の貸切列車で信州へ修学旅行に行きました。中間運転台に入り込んで景色を見ていると先生に叱られました。そのくせ、先生の一人は助手席に座り込んでハンドルをいじり回していて、うらやましく思った記憶があります。
バーガーロックで売ってたフライドチキンて、ケンタッキーの味に似てませんでしたっけ?🍗
今川西池田まで徒歩5分ほどの場所に住んでます!
サイダーを全国に輸送するために設立された鉄道が能勢電鉄。
意外でしたね。
YASUTO YOSHIMIZUさん、コメントありがとうございます。
能勢電の車庫がある平野駅には、炭酸水の源泉があり、三ツ矢サイダー工場がありました。能勢電の引き込み線から、サイダーを積んだ貨物電車が川西池田駅へ走っていったようです。
三ツ矢サイダー運搬と能勢妙見山の参拝客目的で造られた路線ですもんね。今はれっきとした通勤通学路線。
昔、美園に住んでた同級生が猪名川高校入学した後に、三田へ引っ越し。わざわざ国鉄前線で乗り継ぐ朝通学してたなぁ💦
懐かしい写真をありがとうございます。
福知山線の変貌ぶりには驚くばかりです。宝塚までの電化開業後は鳴かず飛ばずでしたが、電化区間が伸びる従って、こんなになるかとびっくりです。
黄色の103系6連が試運転をしていたのを思い出しました。
Zenjirooさん、コメントありがとうございます。
黄色の103系、とても電車区間とは思えない閑散ダイヤで、客車列車と合わせてやっと使える運転頻度になっていました。そういえば、鉄道雑誌に「福知山線のカナリアは歌えず」という題名でルポが掲載されましたね。
これは『川西鉄道小史』からですが、開通当初の川西池田駅は、小花の呉服橋の近くにあったそうで、宝塚方面に延長するときに、寺畑の旧駅舎の位置に移転してきたそうです。それから現駅舎に移ってますので、やや元の位置に戻った感じになりますね。
1:37で写っている跨線橋の柱の部材の一部分は保存されていると聞きましたが場所は失念してしまいました。
余談ですが旧阪鶴鉄道の蒸気機関車は流転の末、遠く東京の東品川公園に元西武鉄道7号機として保存されているそうです。
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。
跨線橋の柱はいまの橋上駅の改札階に保存されています。
「鐵道院」と書かれたプレートの「鉄」の字が風格ありますね。
1:17 ロケットサニーが懐かしいです。
B Bさん、コメントありがとうございます。
ああいうクルマは今は見かけないですね・・・
私は川西国鉄前行きの61しか知りませんが、川西池田駅、当時は無茶良い雰囲気だったのですね!!典型的な国鉄時代の駅!!
近代化での高架化、今では面影も無いのでしょうが、所有されている貴重な写真、これがかつてあったのですね。やはり記録は大切ですね。日常が非日常になる・・・・私にとっては福知山線はディーゼルや客車時代です。有難うございました!!
hassiemozartさん、コメントありがとうございます。
スライドショーには使いませんでしたが、トイレの写真も残っていました。昔のローカル駅の雰囲気そのままです。
以前の川西池田駅、今の場所から少し福知山寄りに有ったんですね。
阪急/能勢電 川西能勢口駅と共に再開発により今の場所に移動する為、能勢電の川西国鉄前は廃線になったと聞きます。
市街化した今とはまったく違う風景ですね。
railmanさん、コメントありがとうございます。
国鉄前線も情緒がありました。夕方、黄色い前照灯をともして、警笛をワンワン鳴らしながら走る姿は東南アジアを思わせました。
旧川西池田駅正面の急坂を登るとちょうど旧阪急花屋敷駅にでます。最終的には清和源氏由来の満願寺に至ります。ここには有名な坂田金時の墓とされるものがあります。
駅前には路線バス用の小さなロータリーと、坂の登り口には小さな駅前食堂と派出所があった記憶があるんですが、うろ覚え。
駅の跡はいまでは、加茂(南花屋敷)から大鹿を通って阪急伊丹駅に向かう道路の入口になってしまいましたが、道は駅のあったときのまま湾曲しています。。
川西池田駅は、自宅に近い小荷物取扱駅として仕事で何度か利用したことがあります。鹿屋にいる知り合いの盆栽業者に山野草の苗を送ってもらう(当時の郵便小包ではたしか重量制限があったと思う)のですが、駅留なので連絡をもらってもいつ到着するかわからないので、日参した覚えがあります。
荷物は間違いなく手鉤で引っ掛けて投げられるので、箱が壊れないように厳重に荒縄でくくって送って来ていたのも、遠い思い出😌
脱サラ植木職人さん、コメントありがとうございます。
国鉄小荷物のサービスは、いまから思えばお役所仕事的で荒っぽかったと思います。宅〇便が登場してあっという間にシェアを奪われたのも、ある意味仕方ないことだったかもしれません。
京阪神エリアに、DD51や旧客、貨物、国鉄型気動車が日常でみられた時代があったなんて…現在では想像もつかない。タイムマシンで確かめに行きたい。
ヒストレインさん、コメントありがとうございます。
当時もタイムマシンのようだと思いましたよ。阪急電車を降りて5分歩けば、ローカル線の世界に飛び込めるんですから・・・
小花1交差点から尼方面に行くと、今では立体交差で難なく行けますが、ローカル線時代は踏切がカーブになってて、当然カントにもなっているから、通るたびに凸凹状態でした💦
今とは全然ちがうんですね、でも国鉄の時代がなつかしいですね。
たかちゃんさん、コメントありがとうございます。
国鉄時代は旅情は満点ですが、交通機関としては不便この上ない。今の様に快適な快速や区間快速が高頻度で走っているのは、利用者の目で見ればありがたいです。
川西池田駅は元々もう少し宝塚寄りにあって、1980年に現在地に移転したそうですね。翌年に川西国鉄前駅が廃止になりますが、廃止されるまでの一年ちょっと、この両駅は離れ離れになってたんでしょうか?川西池田駅の移転で川西能勢口駅までやや近くなったので、元々激減していた利用者はほとんど居なくなっていたとは思いますが。
するがまなぶさん、コメントありがとうございます。
川西池田駅が移転して、国鉄前駅のすぐ近くになりました。
今日21:00に公開予定の「補遺・川西池田駅1980年」に写真を載せてますのでよろしければご覧ください。
この頃から電化工事をしていたんですね。
ゆうゆう東海さん、コメントありがとうございます。
0:07の写真を写したのが1980年4月16日、宝塚駅まで電化開業が1981年3月31日ですので1年前ということになりますね。
私奴は………、非電化の昔の川西池田駅しか知らない。そこは、国鉄亜幹線らしい、地方の駅。ホームの植え込みや樹木の手入れが印象的な覚えが。建設中の新駅、その後に変貌を遂げる沿線の先駆けだったのか?
2:32~
能勢電の線路を散歩する、アッパッパを着た(古い表現!笑)中年女性と犬、緩い時間が流れていたのでしょうね~!
3:31~
派手なハンバーガーの看板、これを盛り場で見たならば、どう見てもストリップの看板を連想してしまう。私奴も昭和30年代生まれの立派なジジィということですね。(苦笑)
利さん、コメントありがとうございます。
国鉄前線の線路は住民の散歩道、兼 子供の遊び場でした。事故がなかったのが幸いです。ハンバーガー店や焼き肉屋、西友もあって、生活感満載でした。