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103系や113系を整備していた者からすると鋼板が薄くて錆びやすかったと言うのは当たってるかもですね裾が真っ直ぐの103系は厚さ2.3ミリそれに対して腰から曲げて有る113系は1.6ミリしかありません末期の113系はパテで外装が保たれてました便所の小窓のは下あたりは普通に50ミリ以上のパテが盛られてました
2.3mmと1.6mmでは歪度合いが倍以上違うでしょうね。それにして50mmとは元の板はどこに行ってしまったのか?薄くするならサビ防止に亜鉛メッキでも買えておいてほしいですね。やってるのはEF210以降ぐらいでしょうか?
9:18 62系が新性能化されなかった大きな理由は、台枠部分の車体が原因だそうです。旧型国電の台枠に合わせるために車体を無理矢理曲げてしまったため、元の車体に直すのが難しかったようです。
そうなんですね……。車体を無理やりひん曲げた結果、なにか不都合が生まれたのでしょうかね……。
105系車体みたいな垂直ならまだ出来そうだが
@@user-ve5rr9bl4iさん一説には72系970番台は台枠も新造したと言われてるし、台枠流用でも戦後復興後良い材料で丁寧に作られた500番台以降だから長期使用に耐えられるが、62系は元がロクサン型で材料は焼けた鋼材を磨いて使用した上にとにかく数第一なので工作も手抜き(実際これにより東武では台枠折損事故が新造後半年たらずで起きた例もある。)だったからね。
@@古家武史-f5d 東急の焼け電もS30年頃には車体交換したものもあるので焼け台枠は避けた可能性もあります。
@@古家武史-f5d 相模鉄道3050形「ウチの台枠は63形台枠だけど大改造に耐えました。77「
E257系のサイドビューを見て 「なんか既視感があるなぁ〜。」と思っていたら こいつと車体の形が同じじゃないの!62系は 車体が新しかったにも関わらず 廃車の数年前からは車体が汚れて艶もなく あまり大切に使われていなかったようにも見えたので 現場でも厄介者扱いされていたんでしょうね。ベースが 新製73形ではなく『ロクサン』だったから古すぎてダメだったというのもあるのだろうけど それを考えると オリジナル『ロクサン』の半鋼製3段窓中間車(台車もロクサン由来のDT13)の両端に新たに運転台を拵えて 『交流牽引車』となり 『車体も載せ替えず 新性能化もされない』状態で 103系3000番台よりも長い2008年12月まで生き永らえた『クモヤ740-2』(元を辿れば モハ63 596)は まさに奇跡の車両かもしれません。
あ〜!確かにE257に似てますね〜!クモヤ740-2、直流対応の旧型国電が改造されて交流区間を走っている地点で最早ワケワカメなのですが、2000年代まで生き永らえた最強の車両ですよね……。
同じく63形生まれ→東武移籍6300形は、まさにプレハブ造りの車体を1960年代前半には自社版の7800形同等の車体載せ替えで7300形になりました。…がそれとて戦前形同様の時代遅れなもので、ほんの数年後に新造8000系や更新車3000系の登場をみるとおかしなタイミングだったったと言わざるをえません。それでも1983年頃まで爆走していましたし、国鉄でもクモユニ・クモニへ改造されたグループは長らく使われました。ポンコツになりきってからの載せ替えではなく、もう少し早いうちなら歴史が違っていたろうに惜しいことです。
確かに、車体更新車の多くは登場タイミングがおかしいですよね……笑やはり、会社にそれだけお金がなかった、ということなのでしょうか。登場が数年ズレただけで、運命が変わっていた車両もあったでしょうに……そう考えると残念ですね……。
あくまで一時しのぎみたいな苦肉の策…車体も手抜き満載の点から、少ししたら115系などの新性能を入れるから、輸送できればよし程度だった
確かに、115系導入までの繋ぎと考えれば、しっかりと役目を果たしてくれたのかもしれませんね!
これで機器類を115系のものに換装していたら長生き出来たんだろうか?(そして迷列車の仲間入り)
@@気まぐれトラック一人旅 115系以降では東海道線直通運用や東海道線内運用(間合い運用?のするがシャトルに充当)が増えていった感じなので機器だけでなく貫通幌を合わせるため顔面すげ替えしないといけなかった可能性も。
72系を103系化する際には、103系1000番代を105系500番代に改造した際の余剰品が流用できたが、62系を113系や115系に改造したくても、当時の余剰品は101系の廃車発生品くらい。これでは近郊型編入は出来ない。あと車体を台枠に無理矢理合わせたので、集中型冷房装置の搭載には耐えられないと判断されたのかも。こっちは分散型冷房装置で対応出来た可能性はあるが。
やはり、115系と同等の部品新製をする余力がなかった&予備部品がなかったことも要因の一つかもですね!
@@tourin_205 四国電化用に新車が全て用意できず、111系が四国に行きましたが、ひょっとしたら62系が新性能化されて行ったかも…とか勝手に想像しちゃいます。
@@591kumoha MT54なら181系や165系とかから廃車発生あるし111系廃車始まりならそのあたりから部品寄せ集めは可能冷房はAU13分散型搭載なら耐えられるか
懐かしい題材…昔の迷列車で観たなあ
いつもご視聴ありがとうございます(*^^*)昔からかなり取り上げられてるネタではありますが、103系3000番台をネタにした手前避けて通れるはずもなく……笑
@@tourin_205 ですよね〜今回もありがとうございます!
載せ替えるなら70系や80系の台枠に113 115系車体をダメか垂直な台枠変わりない
旧型はブレーキパッドが鋳鉄製で制動時に鉄粉が出るので、それが車体に付着して風雨にさらされて錆びるので新しい車体に乗せかえても錆び汚れが酷くて汚ならしくなってましたね
現役時代の写真がどれもくたびれて見えるのは、そのせいかもしれませんね💦
@@tourin_205 旧型国電がぶどう色2号等の暗めの色を採用していた理由は錆び汚れを極力目立たなくする為です80系の湘南色や70系のスカ色では窓周りには明るめの色が採用されましたが、ブレーキダストの汚れが目立ちやすい車体下部には暗めの色が使われています関西地区では1958年頃から京阪神緩行線以外の路線を走る72系等の旧型国電がオレンジ色に塗り替えられましたが、時間経過とともに赤茶けた錆び汚れで非常に汚ならしくなり、1960年から同じオレンジ色で城東線(→大阪環状線)に投入された101系とは雲泥の差になってたようです
野田線に、東武5050系が入ったとき、新車が来たと思った。特に真夏に導入されたから、冷房車なのがでかい。あと、吊り掛けでも、東武3000系より乗り心地良かった。
冷房車というのは、サービス面からするとかなり大きいですね!やはり、同じ吊り掛け車と言えど、後期に製造された車両の方が、乗り心地は良くなるんですね…。
ボルスターありなしで違います3000.3050系はボルスター付きはありません(3070系は一部ありました)
身延線の62の問題をここまで深く掘り下げた動画は他いないですね。素晴らしい。62を廃車にした本当の理由は、「めんどうくさかったから。」がほんとのところだと思う。当時の国鉄は何か「ヤケクソのクソ焼け的」なところがあったような印象があった。補助電源や連結面の改造など、やろうと思えば簡単にできるからだ。583系などの他の改造車などを見ればわかる。103系化されたものにも実際に乗ったが、こちらは正真正銘の103系オリジナルのカルダン車と何ら変わりがなかった。身延線の62に乗ったときは、まさに、吊り掛け式の旧性能車の音がしたが、ボディーの方は115系や113系のような感じだったので違和感があった。ゆっくり走っていたのが印象に残っている。当時の身延線、飯田線、大糸線には旧性能車が集結していた。吊り掛け車大好きな私は、よく乗りに行ったが、62には奇妙な印象を持っている。夏は冷房もなく、窓全開で、山の空気は涼しかった。吊り掛け音が響くが、車体は新品だった。その後、廃車になったと聞いて、がっかりした記憶がある。新製後10年程度のボディーだったので、どうせ廃車にするなら、山の中の観光用電車にでも改造すればよかったじゃないかなんて思った記憶がある。もっと古い車両や他の改造車も多数走っていた当時、改造できないことはないことは、確かだったからだ。
嬉しいコメントありがとうございます^^本当に、やろうと思ったら改造できたはずなんですが……面倒くさくなったのか改造を放棄してしまったんでしょうね……。(鶴見線のモハ72970も然り)身延線62系、タイムマシンがあったら乗りに行きたいです……。笑
@@tourin_205 さん62は、115系や113系の力強い強力ながっしりした感じではなく、はじめはそう思わせておいて、実際に走り出すと、重低音の吊り掛け音が入って、その後しばらくすると、よろよろと走っている感じでした。何か拍子抜けしました。奇妙な電車だなぁ~という感じでした。
う…ん本物115系があったからな!115でやったほうが、て長野の鉄道会社てやってるけど😂東海がやらんでしょう!🤣そんな面倒くさいこと🎉
佐久間レールパークに保存されていた62系電車。建物は残されているため、建物内に残されている可能性あり。
いつかその姿を拝んでみたいですね……!
@@tourin_205 シミュレータユニットごと静岡運転所に移設して運転所まつりのアトラクションに……なったらいいなぁ。
62系は高校生の頃通学で乗っていました。旧型国電オンリーの身延線にも新車が来たと思いましたが非冷房車でした。甲府駅で乗り換えた115系は冷房車でした。
当時の身延線をご存知なんですね……!羨ましいです✨やはり、当時の乗客の方も62系を新車と思われていたんですね。貴重なお話ありがとうございます^^
東武5000系:「足回り流用」と聞いて名鉄7300系:同じく※高評価押した👍️
高評価ありがとうございます😊吊り掛け足回り流用車を集めたら、ほぼほぼ東武と名鉄で占拠されそう……笑
5000系のせいで脱吊り掛け駆動が関東私鉄で一番遅かったからな()
お知らせのチャイムが仙石線のチャイムなのたまに仙石線使う民としてちょっと嬉しい
あ、気づきました!?そこら辺、川越線と仙石線と絡めて見た結果です笑
仮に62系を115系化するとなると、電装品は廃車の出始めた165系から、台車は101・111系からの転用となるだろうか。編成もMcMTTcとなり身延線閉じ込めだったと推測する。
小田急旧4000系も同じような車生をしてましたね。
08:30 全車廃車とかいう重みのありすぎる四字熟語
72系970番台は工事を請負った富士重工が工期短縮の為に台枠ごと新製したという説がありますよね
その説もありましたね……。ですが、当時の文献?から、その説は否定されているようで……。台枠は新品みたいです笑
戦時設計のため台枠の強度が足りず、72・73形の台枠下垂や破損が多発し、そのため62形にする際は種車の台枠を補強の上で使用したのがあの裾の本当の理由です。モハ72の近代化改造車や荷電改造種車も台枠が危なそうなものを優先していましたね。
@@tourin_205 オリジナルの103系と比べ、72形970代は側扉下の寸法が長い(ドアレール下から裾下まで)ので、種車の台枠流用でしょうね。103系3000番台のサハ103が青梅線で運用時にオリジナルと裾寸法が違うのが判りました。
よくよく考えれば、豊田の103系3000番台、従来裾と台枠流用の特徴的な裾の車両が混結した唯一の例……なのかもしれませんね!笑
73系970番台は「72系」として昭和27年頃製造されたものをベースにしているのに対して62系は63系として戦時設計で作られたものをベースにしていたから寿命が短かかったんです。あと、「ハリボテ」第3弾でクモハ84を!!
クモハ84……民営化後に生まれた唯一の旧型国電形式ですよね??迷なハリボテをまとめて紹介する回でも作ろうかな……笑(迷列車で行こう ハリボテ編になっちゃうw)
@@tourin_205 9.84話にすればいいのでは()
いつも楽しく拝見しております。今回もありがとうございます。
いつもご視聴ありがとうございます!是非これからも見ていただけると嬉しいです(*^^*)
62系はDT13出自もあったからなあ鶴見線72970は転用考えずだからスクラップ
モハ72970、直流電源云々で引き通し線の改造がめんどくさかったらしいですね笑
個人的には、動画内でも話されていた「貫通幌の大きさ」や、「115系と比べて床の高さが違う」などが、62系が廃車になった原因ではないかと思いますほかの115系との互換性がないため、併結を伴う運用が複雑になるかといって、そのために3本しかない車両の運用を分けるのはあまりにも効率が悪すぎるそのため、純粋な115系でそのまま置き換えちゃったほうが楽なんだと思います72系970番代改めて103系3000番代は、そもそも併結を伴う運用がなかったため、新性能化改造を行うことができたのだと思います
貫通扉の問題だけなら、通り抜け出来ないって言えば済む話なんだよな
@@exige4xz 乗客の移動以前に車掌巡回(車内検札)の問題があったんじゃない?10両や15両の編成なら常時車掌2人乗務でもいいだろうけど6~7両くらいの編成で常時2人乗務は割に合わないかと。
東武では更新した10000系がマリオカート8DXオンラインレベルの悪質行為で未更新車よりも先に廃車になった。
首都圏の電車は、8〜10両の長編成にラッシュ帯で増結編成を繋げる運用に対して、東海管内の短編成を需要に合わせて増結する運用で違いが大きいと思います。
確かに、その通りですね!東海管内で併結出来ないとなると……致命的ですね💦
その運用方法が旧国仕様の62系だど幌受け含めて各種改造が必要だった。当時、新規の電化路線が岡多線と関西線で、岡多線は3セク化と同時に新型車両の導入予定だった。関西線は玉突き転属で既に車両がいた。民営化直前に、短編成運用と製造からある程度老朽化してたり、冷房化しても意味なさそうな車両は廃車か転属していたので、62系は全廃になったと思います。・クハ111-1も民営化前に廃車・静岡のG車付き10両の113系を国府津に転属させてた・115-2000は一部が新潟に転属させて静岡残存組は冷房設置していた。
8:56 しかも法定耐用年数(減価償却年数)の13年を過ぎなかったしね。
そうですね笑台枠をそのまま車体を載せ替えた場合、償却期間とかは書類上どうなるんでしょうか……。
@@tourin_205 確かに
62系が同じように113系か115系化改造されていたら113系なら福知山線、115系なら新潟地区に転属してたかもしれませんね
そうですね……!もし新性能化されていたら、どうなっていたか……想像するのは楽しいですよね笑
鶴見線にいた72系970番台は活用されずに廃車になってしまいましたね。
サンパチくんになっていた可能性も
新潟は300番台の配置は無かったので62系改造のキムワイプ色などが有ったら面白かったでしょう。
やっぱり出しちゃいましたか、103系3000番台の対義語さん!素材が素材故に短命であぼーんしちゃったのが今でも良くも悪くも印象的な車両です・・・。7:29115系!113系!72系!カモ-ン!キメラキメラキメラァ!!(幻聴)11:13迷列車特有の滅茶苦茶字幕好きw
やっぱり103系3000番台を取り上げたので、避けて通れるはずもなく……笑滅茶苦茶字幕、しっかり突っ込んでくれて嬉しいです笑
103系3000番台・62系と「63系の亜種からの改造(72系自体が63系の設計をベースにした半鋼製車だった)」となれば、72系970番台が103系3000番台時代に大宮や川越で川越線の近くの線路を走っていた(?)東武5000系(種車の東武7800系(旧称6330系)は7300系(旧称6300系)をベースに作った亜種で73系と78系は併結可能できた)もお忘れなく 笑
@@江川貴洋 東武の車体更新車はほんとに沼ですよ…爆笑浸かったら絶対に抜け出せない(もう既に片足突っ込んでるw)
@@tourin_205 でも、東武が旧型国電から車体更新したのは7300系1形式のみで、他は【特急車両などの優等種別用車両】デハ10形→5300系(形式称号変更①のち通勤車格下げ改造)→初代5000型(車体更新)→3000型70番台(形式称号変更②=後述する7800系の車体更新車に2代5000型系列へ称号を譲った為の変更)1700・1710系→1720系(DRC=車体更新)1720系(DRC)新造車→200型(車体更新)1800型→通勤車格下げ改造または300・350型(事実上の形式称号変更)【通勤車】3200系→3000型0番台&50番台(車体更新)7800系→2代5000型(車体更新)系列と自社による外部発注車両が多いんですよね。旧型国電からの車体更新で有名なのはむしろ西武かと。クモハ11やモハ50などの戦災焼け電を買い取って、自社所沢工場で鋼体化車体に更新した311・371系やモハ60形などから鋼体化改造により車体更新されたクハ1411系や三鷹事故などの事故廃車となった63系(72系に改造・称号変更されたのは三鷹事故よりはるかに後の為)を買い取って所沢工場で車体復旧した初代401系などがありますし、運行機器や台枠を前述した車両と共通化するため、国鉄の大量生産品を購入し、初代501系(17m級先頭車に中間20m級車のモハを挟んで落成。のちに20m車体の先頭車が新製されて中間モハをそれに譲る形で初代411系→351系に2度の形式称号変更歴あり)から701系列(2代411系・601系・701系・801系)までそれらを使用して自社生産した車両もありますからね。HSC化された後の701系列(2代401系は除く)の一部や5000系レッドアローはのちに10000系NRA製造時に台枠や運行機器の一部を流用(事実上の車体更新)、旧101系は9000系や4000系に車体更新されるなど、「古い車両(部品)を末永く大切に・・・(以下略)」が堤帝国時代の西武では東武以上に良く発動してましたね。(E31電機の廃車の際、新101系2連(Mc-Mc)の中間に他編成(4両編成)の中間モハ(M1-M2)を挟み(この編成の両先頭車(Tc-Tc)は廃車された)事実上4M(Mc-M1-M2-Mc)化した牽引兼任の旅客車両253Fを爆誕させましたし。この編成の出力はE31どころかE851並みにあるとか・・・)西武に関しては253F以外の黄色い電車に代わり今後は「他社の古い車両(部品)を末永く大切に・・・(以下略)」が発動する予定の模様ですが・・・笑
楽しく視聴させて頂きました! ありがとうございます。2:22 この説明ですが若干間違いがありますね・・・。まず1972年に新製モハ72(モハ72587)を郡山工場で試験的に103系の車体へ更新した「モハ72970」が、鶴見線での走行で一定の実績を残していました。それに味を占めた国鉄が身延線と仙石線の近代化の為に余っている72系を車体更新し、身延線では115系の車体へ更新した「モハ62」、「クハ66」からなる4両固定編成を3本導入。仙石線では103系の車体へ更新した「モハ72971~976」及び、「クハ79601~606」の4両固定編成を3本導入し、何れも1974年度に改造が落成しています。で、仙石線へ導入した72系の方が好評だった為、更に1975年度に「モハ72977~980」、「クハ79607~610」からなる4両×2編成が落成し、仙石線へ導入されております。103系3000番台は何度か乗りましたが、モハ62系は乗れず仕舞いでした(´・ω・`)是非乗ってみたかった車両ですね・・・。
是非、鶴見線にいた兄弟も取り上げて欲しい...
今度、取り上げようと思います……!いつになるかは分かりませんが、お楽しみに〜^^
あれが元祖ですもんね
6:00の写真、もしかしたら2両目以降に72系新制車グループが入ってるかもしれないが少なくとも先頭のクモハ73はモハ63改造車。72系として製造されたのはモハ72とクハ79のみで、クモハ73の72系新制車はモハ72500番代を先頭車化したクモハ73600番代しかない。72系新制車グループは旧ロクサンより屋根が浅いからすぐわかる。
まさかの身延線…今は最新電車が試運転で来たようですよ😊
ゲテモノの巣窟だった路線に、315系が乗り入れる……。民営化されてから、劇的に変化していった印象があります。
国鉄時代はなんでもありだった😮東武とか名鉄もね😅
車体更新車が何系列も誕生していましたね!東武に至っては平成になってもなおしていた模様……笑
東武は沼になるからなぁ😂なんなら沿線の京成も魔改造やってたね✋
未だに因子を持つ200系りょうもうがまだ現役だからなぁあの会社・・・。(沿線住民)
西の京阪にもいたような😭
@@内海貴郎 京成は平成になってからも3400形とかいうゲテモノを作っています。あれ、初代AE車と車籍がつながった「改造車」ですから。しかも通勤形に化けてからの方がずっと長い期間、長い距離を走りました。
62系が近鉄特急になる瞬間8:06
確かに色が似てるwww
まま、どーせ東海のことですから継承されても即日廃車されてたでしょうね
確かにw
旧国の車体載せ替えは鶴見線にもありましたね。中間車だけで先頭は旧国で色もチョコレート色。
モハ72970のことですね!製造時はオレンジ色で出場したらしく、武蔵野線への投入を予定していた説と、工場の担当者が塗り間違えた(!?!?)説がありますが、真相は分からずです……w
@@tourin_205 鶴見線導入から2年くらいはオレンジ色で走っていました。両端の車は茶色です。
@@tourin_205武蔵野線開業時、73系車体更新車導入を計画したのは、事実のようです。
@@tourin_205塗り間違えと言えば62系置き換え用の本物の115も茶色に塗ったとか!誰か茶色の115見たことない?イベントで品川で茶色の元総武線113系なら見たことあるけど😂
お疲れさまです。続編楽しみにしてました。幼い頃に佐久間レールパークに行ったことがありますが、あのシミュレータがハリボテ車両だったとは…。色も含めてまさにトウカイエレジーですね。トウ〇イテイオーに怒られそうな名前ですが。
怒られちゃいますよ笑佐久間、私は一回も行ったことないまま閉館になってしまって……。機会があればシュミレーターに残る特徴的な車体裾を拝みたいのですが、叶うでしょうかね……。
2:12 色が反転してるから昔の近鉄汎用特急色みたいになっとる
72系アコモ車は103系の置き換えにより一時休車状態になっていたが川越線に投入される車両が不足したため改造で103系化62系の方は新性能車置き換えのつなぎに過ぎなかった足回りが古いため故障がよく起きたこのため115系に置き換えられてしまった。
やはり、62系は63系譲りの足回りが故障の原因だったのでしょうかね……。
東武3000・5000系列が走り回っていた野田線沿線で育ちました。走り方に無理がなければ、古い足回りに近代的な車体を載せて更新するのは良いアイデアだったと思うのですが、国鉄は東武や名鉄等に比べると場当たり的な取り組みだったのでしょうか?
そのようですね。少しの間だけ持てば良い、という一時凌ぎ感覚で作った感じは否めないですね……。あとは、そもそも車体更新車の絶対数が東武や名鉄と比べて少なく、整備や部品確保の面で難があったのかもしれません……。
62系は整備屋泣かせの車体だったと推察できます、現状のJR東海も殆どの車輛を313系化して積極的な(金銭、人的負担の両面から)整備コストの低減を図っている事を考えると静岡車輛区自体が飯田線同様にジャンク部品の塊の様な旧型国電同等車をいつまでも置いておくのを嫌がったんでしょうね。貴重な車輛とは言うモノの、JR東海側に言わせれば「だったら毎日佐久間まで観に来いや」って事になったかと。
なるほど、さすが合理化を図る(?)JR東海ですね……。佐久間、見に行けなくなってしまって久しいので、再公開してくれるとありがたいのですが……。
名鉄5000系も足回りと機器は元1000系パノラマスーパーだった。😮
名鉄は現代でも機器流用をやってのけるので、本当にすごいと思ってます……笑
7:51色が711系な件…
確かに……言われてみればそれにしか見えないw
@@tourin_205 実際には帯色と先頭車両(顔面~運転席部)の帯デザインが違うんですが映像・写真の場合アングルの影響(正面に近い向きで撮った場合にできる死角)とホワイトバランスの加減で同じように見えちゃうんですよねw
62系、もうちょっと運用離脱が遅ければ、クハだけ他地区での運転台付き車両の不足に対応して、改造されたかもしれないのにね。
7:37 キメラ?今風に言えばハイブリッドかな。
確かに、ハイブリッドですね笑
新製車体約10年しか使ってないのはもったいない
ハリボテとはいえ、かなり勿体なく感じてしまいますよね……。
もったいないと言えば山の手線231系の中間車😂
62系は貫通幌を115系用に交換するのも断念するくらい老朽化していたのではないかと思います。62系がもし成功していたら80系を165系車体に載せ替えて飯田線とかで使おうとか考えていたのかもしれません。
やはり、車体を無理やりひん曲げたのが災いしたのでしょうか……。62系同様、115系仕様の車体を載せ替えた旧型国電が誕生していたかも……と想像すると、面白いですよね笑
やるなら70系全金属タイプを113系車体更新なら座席流用可能だし
@@tike2435確かになんでこっちでやらなかっただろ?
72系970番台を103系3000番台に改造した時にホロ枠を交換してますのでホロ枠の線は無関係でしょう。今は使い捨て一択のJR東日本ですがこの頃は車体更新に熱心で通勤型から急行型までの車体更新を行なっていたので72系の103系化も行ったと思われます。JR東海に関してはそのような話を聞いた事が無いので当初から使い捨ての方針だったのでしょう。それに車体裾の形状が影響していると思います。
12:08 美濃太田で放置のキハ85、103系「俺達、東海から存在忘れられてね?」
ハリボテ・・・曲がれぇぇ!!
おーっとハリボテ、故障か〜!国鉄プライドの禿げる音〜!(103-3000の動画に頂いたコメントをパクリましたw)
次回予告エヴァ風にやったらカッコ良さそう
それ、私もやりたかったんですけど……。しっかり曲が著作権に引っかかることが判明し、断念しました笑
@@tourin_205 ゆっくりボイスで 鼻歌風にやればいい説
できるかな…爆笑
そういえば阪神にも車体だけを8000系仕様に載せ替えて足回りを廃車発生品から流用したハリボテジェットカーが存在したなあっちは電機子チョッパに換装されたけど8000系とは異なり故障がひどく、早いもので27年、長くて38年で全廃させられた。一方の8000系は完全新造やからまだまだ第1線で活躍し続けている。逆に赤胴車には車体は旧型車なのに8000系並みの足回りに換装した車両が存在した。
阪神9300系も元を辿れば5201形の台枠や足回りを流用してるから来年から再来年にかけて一気に廃車されるであろう。
え、薄いって聞いてますけど違うんですかね……でも寸法とかが違うから使えないのは有力ですね
車体の外板が薄い説……。かなり有力なようですが、どうやら外板の厚みは115系と一緒なようです。個人的には、寸法違い説と車体の裾曲げてダメになった説が有力だと思います……笑
2:14 近鉄汎用型特急車かな?
0:51睨むなよww
|•'-'•)ジーッwwww
115系の色が近鉄特急旧ビスタカーみたいな色になってるw
うぽつですー仮に115や113と仕様を合わせて新性能化したところで、東海に行ったらすぐ置き換えられそうだし。東日本に行ったとしても末期の状態のいい車両で状態の悪い車両を置き換えることがずっと新車が来るまで繰り返されてた現状を見ると、旧型国電譲りの台枠を持つ車両が長生きできたとはあまり...2:12 逆 ス カ 色
いつもご視聴ありがとうございます😊確かに、そう考えると新性能化しても62系は長く生き延びれなかった可能性が高いですね……。逆スカ色wwww
でJR四国に来そうだな62系改造した113系
485系の廃車発生部品を使って415系に魔改造されて今も北陸地方で走っている・・・なんてJR西日本ならやってそう。
名鉄ならテレレレッレレー幌幅変換幌ーこれは62系と115系をホロで繋げることができるんだ()
そんなものが存在するんですかw
いや 名鉄ならやりそうなこと
なるほどw
実際この浜松工場で展示したときに見てきたけど床がボコボコだったんだよね 特に老朽化しててあの時点で経年10年とは思わなかった写真なんかもまあ機関がいっぱいあったので車内なんかは撮ってなかったわ
300系は700系が入ってきたから廃車なっちゃったのかねぇ…
まだ。名鉄6750なんか?足回りは?吊り掛けでしたから。飯田線も車体は新しく、足回りはあちこちからの品なので。半自動式でしたから。
まさかのE231も「はあああああああああ??」
国鉄62系、鎌倉車両センターにいそうな色だ。
鎌倉車セ「こんなゲテモノ持ってきて貰っても困る!スジに乗らない!」
スカ線113系も困るわな😂
しかも本物によって置き換えた😅
迷列車でもハエ28編成の詳しい内容も取り上げて欲しいです。
ハエ28ですね……!いつか採り上げたいですね💕︎ですがあまりにも有名すぎるので、どう言った形で紹介しようかな……笑
@@tourin_205 取り敢えず登場から富士山麓に譲渡されるまでを知りたいのですが、特に何故譲渡されたのかが気になりますね。
なるほど、いい観点ですね〜笑完成するかは分かりませんが、台本作ってみます笑
@@tourin_205 完成楽しみにしております。
ちなみに私の場合は東武5155ー5255ー5355ー5455と5156ー5256ー5356ー5456と5157ー5257ー5357ー5457と5160ー5260ー5360ー5460と5161ー5261ー5361ー5461と5162ー5262ー5362ー5462はすべて新栃木検車区だったのでよく新栃木駅で東武5050系電車は撮影していたかなまあ東武5050系電車を来るたんび撮影をやつていたかな特に5160系電車はレアな感じ特にモハ5260系は中間貫通扉無しあとはすべて中間貫通扉付いてたあと5161系と5162系は最初から七光台検車区配置された車両かなそれ以外はすべて春日部検車と七光台検車区転々移動していたかなすべて新栃木駅で5050系電車4両編成6編成を撮影して良かったかな今はいい思い出かな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
都電7700型「呼んだ?」(昭和時代に吊りかけ駆動車の車体をワンマン対応に載せ換え、平成末期にVVVF化されて同僚の7000型を置き換えたゲテモノ車両)
都電7700……あれはとんでもないですね笑一応新型車扱いなので、都電の広告等にもしっかり掲載されていたらしいので笑
相鉄にも旧6000系の車体に吊り掛けの3000系がありましたが、VVVF化&冷房改造されました。旧6000系全廃後も走っていましたが、相模大塚の脱線事故で廃車。
西のサンパチよりも凄いな。
サンパチもサンパチでthe.迷列車という感じですが……こいつもなかなかですよね笑
この続きはハリボテ編へ。
415系800番台『俺なんか50年以上も走ったんだぞ』
結局115系2000番台入れたよな
結局115系が導入されて、62系は要らない子になってしまいましたよね...。
ちょっとだけ蘊蓄を。62形は車体以外にも、床下の電動発電機も115系(中には153、113系のもあり)の冷房改造で捻出した物が使われていました。身延線に115系を入れなかったのは、「新車を入れたら合理化だなんだと、されたくもない事をされてしまう。」という、わけワカメな、まぁ、国チン鉄ピラのどうでも良い組合の反発があったためらしいです。悪名高い千葉でよく113系をすんなり入れたなぁ。と思います。
やはりあの時代の国鉄車両導入には、組合の意向が色濃く反映されていたんですね……。千葉動労、平成生まれの私でもその悪名を知っております故、相当だったんでしょうね笑
う…ん🤔結局本物入れるしな?まあ当初115をぶどう色に塗ったらしいが😂身延色と湘南色はあるけどぶどう色は見たことないなぁ!誰か見たことない?
拡幅車体(笑)
おデブちゃんですw
鉄オタってこういうことを気にする代わりに、古い車両をずっと使い続ければ文句言うからなぁ。
旧型国電で新車が来るまでお茶を濁せば良かったのでは?!
103系や113系を整備していた者からすると
鋼板が薄くて錆びやすかったと言うのは
当たってるかもですね
裾が真っ直ぐの103系は厚さ2.3ミリ
それに対して腰から曲げて有る
113系は1.6ミリしかありません
末期の113系はパテで外装が保たれて
ました
便所の小窓のは下あたりは普通に
50ミリ以上のパテが盛られてました
2.3mmと1.6mmでは歪度合いが倍以上違うでしょうね。
それにして50mmとは元の板はどこに行ってしまったのか?
薄くするならサビ防止に亜鉛メッキでも買えておいてほしいですね。
やってるのはEF210以降ぐらいでしょうか?
9:18 62系が新性能化されなかった大きな理由は、台枠部分の車体が原因だそうです。旧型国電の台枠に合わせるために車体を無理矢理曲げてしまったため、元の車体に直すのが難しかったようです。
そうなんですね……。
車体を無理やりひん曲げた結果、なにか不都合が生まれたのでしょうかね……。
105系車体みたいな垂直ならまだ出来そうだが
@@user-ve5rr9bl4iさん
一説には72系970番台は台枠も新造したと言われてるし、台枠流用でも戦後復興後良い材料で丁寧に作られた500番台以降だから長期使用に耐えられるが、
62系は元がロクサン型で材料は焼けた鋼材を磨いて使用した上にとにかく数第一なので工作も手抜き(実際これにより東武では台枠折損事故が新造後半年たらずで起きた例もある。)だったからね。
@@古家武史-f5d 東急の焼け電もS30年頃には車体交換したものもあるので焼け台枠は避けた可能性もあります。
@@古家武史-f5d
相模鉄道3050形「ウチの台枠は63形台枠だけど
大改造に耐えました。77「
E257系のサイドビューを見て 「なんか既視感があるなぁ〜。」と思っていたら こいつと車体の形が同じじゃないの!
62系は 車体が新しかったにも関わらず 廃車の数年前からは車体が汚れて艶もなく あまり大切に使われていなかったようにも見えたので 現場でも厄介者扱いされていたんでしょうね。
ベースが 新製73形ではなく『ロクサン』だったから古すぎてダメだったというのもあるのだろうけど それを考えると オリジナル『ロクサン』の半鋼製3段窓中間車(台車もロクサン由来のDT13)の両端に新たに運転台を拵えて 『交流牽引車』となり 『車体も載せ替えず 新性能化もされない』状態で 103系3000番台よりも長い2008年12月まで生き永らえた『クモヤ740-2』(元を辿れば モハ63 596)は まさに奇跡の車両かもしれません。
あ〜!確かにE257に似てますね〜!
クモヤ740-2、直流対応の旧型国電が改造されて交流区間を走っている地点で最早ワケワカメなのですが、2000年代まで生き永らえた最強の車両ですよね……。
同じく63形生まれ→東武移籍6300形は、まさにプレハブ造りの車体を1960年代前半には自社版の7800形同等の車体載せ替えで7300形になりました。
…がそれとて戦前形同様の時代遅れなもので、ほんの数年後に新造8000系や更新車3000系の登場をみるとおかしなタイミングだったったと言わざるをえません。
それでも1983年頃まで爆走していましたし、国鉄でもクモユニ・クモニへ改造されたグループは長らく使われました。
ポンコツになりきってからの載せ替えではなく、もう少し早いうちなら歴史が違っていたろうに惜しいことです。
確かに、車体更新車の多くは登場タイミングがおかしいですよね……笑
やはり、会社にそれだけお金がなかった、ということなのでしょうか。
登場が数年ズレただけで、運命が変わっていた車両もあったでしょうに……そう考えると残念ですね……。
あくまで一時しのぎみたいな苦肉の策…車体も手抜き満載の点から、少ししたら115系などの新性能を入れるから、輸送できればよし程度だった
確かに、115系導入までの繋ぎと考えれば、しっかりと役目を果たしてくれたのかもしれませんね!
これで機器類を115系のものに換装していたら長生き出来たんだろうか?(そして迷列車の仲間入り)
@@気まぐれトラック一人旅 115系以降では東海道線直通運用や東海道線内運用(間合い運用?のするがシャトルに充当)が増えていった感じなので機器だけでなく貫通幌を合わせるため顔面すげ替えしないといけなかった可能性も。
72系を103系化する際には、103系1000番代を105系500番代に改造した際の余剰品が流用できたが、62系を113系や115系に改造したくても、当時の余剰品は101系の廃車発生品くらい。これでは近郊型編入は出来ない。あと車体を台枠に無理矢理合わせたので、集中型冷房装置の搭載には耐えられないと判断されたのかも。こっちは分散型冷房装置で対応出来た可能性はあるが。
やはり、115系と同等の部品新製をする余力がなかった&予備部品がなかったことも要因の一つかもですね!
@@tourin_205
四国電化用に新車が全て用意できず、111系が四国に行きましたが、ひょっとしたら62系が新性能化されて行ったかも…とか勝手に想像しちゃいます。
@@591kumoha
MT54なら181系や165系とかから廃車発生あるし111系廃車始まりなら
そのあたりから部品寄せ集めは可能
冷房はAU13分散型搭載なら耐えられるか
懐かしい題材…昔の迷列車で観たなあ
いつもご視聴ありがとうございます(*^^*)
昔からかなり取り上げられてるネタではありますが、103系3000番台をネタにした手前避けて通れるはずもなく……笑
@@tourin_205 ですよね〜
今回もありがとうございます!
載せ替えるなら70系や80系の台枠に113 115系車体をダメか垂直な台枠変わりない
旧型はブレーキパッドが鋳鉄製で制動時に鉄粉が出るので、それが車体に付着して風雨にさらされて錆びるので新しい車体に乗せかえても錆び汚れが酷くて汚ならしくなってましたね
現役時代の写真がどれもくたびれて見えるのは、そのせいかもしれませんね💦
@@tourin_205
旧型国電がぶどう色2号等の暗めの色を採用していた理由は錆び汚れを極力目立たなくする為です
80系の湘南色や70系のスカ色では窓周りには明るめの色が採用されましたが、ブレーキダストの汚れが目立ちやすい車体下部には暗めの色が使われています
関西地区では1958年頃から京阪神緩行線以外の路線を走る72系等の旧型国電がオレンジ色に塗り替えられましたが、時間経過とともに赤茶けた錆び汚れで非常に汚ならしくなり、1960年から同じオレンジ色で城東線(→大阪環状線)に投入された101系とは雲泥の差になってたようです
野田線に、東武5050系が入ったとき、新車が来たと思った。特に真夏に導入されたから、冷房車なのがでかい。あと、吊り掛けでも、東武3000系より乗り心地良かった。
冷房車というのは、サービス面からするとかなり大きいですね!
やはり、同じ吊り掛け車と言えど、後期に製造された車両の方が、乗り心地は良くなるんですね…。
ボルスターありなしで違います
3000.3050系はボルスター付きはありません(3070系は一部ありました)
身延線の62の問題をここまで深く掘り下げた動画は他いないですね。素晴らしい。
62を廃車にした本当の理由は、「めんどうくさかったから。」がほんとのところだと思う。
当時の国鉄は何か「ヤケクソのクソ焼け的」なところがあったような印象があった。
補助電源や連結面の改造など、やろうと思えば簡単にできるからだ。583系などの他の改造車などを見ればわかる。
103系化されたものにも実際に乗ったが、こちらは正真正銘の103系オリジナルのカルダン車と何ら変わりがなかった。
身延線の62に乗ったときは、まさに、吊り掛け式の旧性能車の音がしたが、ボディーの方は115系や113系のような感じだったので違和感があった。ゆっくり走っていたのが印象に残っている。
当時の身延線、飯田線、大糸線には旧性能車が集結していた。吊り掛け車大好きな私は、よく乗りに行ったが、62には奇妙な印象を持っている。夏は冷房もなく、窓全開で、山の空気は涼しかった。吊り掛け音が響くが、車体は新品だった。
その後、廃車になったと聞いて、がっかりした記憶がある。
新製後10年程度のボディーだったので、どうせ廃車にするなら、山の中の観光用電車にでも改造すればよかったじゃないかなんて思った記憶がある。
もっと古い車両や他の改造車も多数走っていた当時、改造できないことはないことは、確かだったからだ。
嬉しいコメントありがとうございます^^
本当に、やろうと思ったら改造できたはずなんですが……面倒くさくなったのか改造を放棄してしまったんでしょうね……。(鶴見線のモハ72970も然り)
身延線62系、タイムマシンがあったら乗りに行きたいです……。笑
@@tourin_205 さん
62は、115系や113系の力強い強力ながっしりした感じではなく、はじめはそう思わせておいて、実際に走り出すと、重低音の吊り掛け音が入って、その後しばらくすると、よろよろと走っている感じでした。何か拍子抜けしました。奇妙な電車だなぁ~という感じでした。
う…ん本物115系があったからな!115でやったほうが、て長野の鉄道会社てやってるけど😂東海がやらんでしょう!🤣そんな面倒くさいこと🎉
佐久間レールパークに保存されていた
62系電車。建物は残されているため、
建物内に残されている可能性あり。
いつかその姿を拝んでみたいですね……!
@@tourin_205 シミュレータユニットごと静岡運転所に移設して運転所まつりのアトラクションに……なったらいいなぁ。
62系は高校生の頃通学で乗っていました。旧型国電オンリーの身延線にも新車が来たと思いましたが非冷房車でした。甲府駅で乗り換えた115系は冷房車でした。
当時の身延線をご存知なんですね……!
羨ましいです✨
やはり、当時の乗客の方も62系を新車と思われていたんですね。貴重なお話ありがとうございます^^
東武5000系:「足回り流用」と聞いて
名鉄7300系:同じく
※高評価押した👍️
高評価ありがとうございます😊
吊り掛け足回り流用車を集めたら、ほぼほぼ東武と名鉄で占拠されそう……笑
5000系のせいで脱吊り掛け駆動が
関東私鉄で一番遅かったからな()
お知らせのチャイムが仙石線のチャイムなのたまに仙石線使う民としてちょっと嬉しい
あ、気づきました!?
そこら辺、川越線と仙石線と絡めて見た結果です笑
仮に62系を115系化するとなると、電装品は廃車の出始めた165系から、台車は101・111系からの転用となるだろうか。
編成もMcMTTcとなり身延線閉じ込めだったと推測する。
小田急旧4000系も同じような車生をしてましたね。
08:30 全車廃車とかいう重みのありすぎる四字熟語
72系970番台は工事を請負った富士重工が工期短縮の為に台枠ごと新製したという説がありますよね
その説もありましたね……。
ですが、当時の文献?から、その説は否定されているようで……。台枠は新品みたいです笑
戦時設計のため台枠の強度が足りず、72・73形の台枠下垂や破損が多発し、そのため62形にする際は種車の台枠を補強の上で使用したのがあの裾の本当の理由です。
モハ72の近代化改造車や荷電改造種車も台枠が危なそうなものを優先していましたね。
@@tourin_205
オリジナルの103系と比べ、72形970代は側扉下の寸法が長い(ドアレール下から裾下まで)ので、種車の台枠流用でしょうね。103系3000番台のサハ103が青梅線で運用時にオリジナルと裾寸法が違うのが判りました。
よくよく考えれば、豊田の103系3000番台、従来裾と台枠流用の特徴的な裾の車両が混結した唯一の例……なのかもしれませんね!笑
73系970番台は「72系」として昭和27年頃製造されたものをベースにしているのに対して62系は63系として戦時設計で作られたものをベースにしていたから寿命が短かかったんです。あと、「ハリボテ」第3弾でクモハ84を!!
クモハ84……民営化後に生まれた唯一の旧型国電形式ですよね??
迷なハリボテをまとめて紹介する回でも作ろうかな……笑(迷列車で行こう ハリボテ編になっちゃうw)
@@tourin_205 9.84話にすればいいのでは()
いつも楽しく拝見しております。今回もありがとうございます。
いつもご視聴ありがとうございます!
是非これからも見ていただけると嬉しいです(*^^*)
62系はDT13出自もあったからなあ
鶴見線72970は転用考えずだからスクラップ
モハ72970、直流電源云々で引き通し線の改造がめんどくさかったらしいですね笑
個人的には、動画内でも話されていた「貫通幌の大きさ」や、「115系と比べて床の高さが違う」などが、62系が廃車になった原因ではないかと思います
ほかの115系との互換性がないため、併結を伴う運用が複雑になる
かといって、そのために3本しかない車両の運用を分けるのはあまりにも効率が悪すぎる
そのため、純粋な115系でそのまま置き換えちゃったほうが楽なんだと思います
72系970番代改めて103系3000番代は、そもそも併結を伴う運用がなかったため、新性能化改造を行うことができたのだと思います
貫通扉の問題だけなら、通り抜け出来ないって言えば済む話なんだよな
@@exige4xz 乗客の移動以前に車掌巡回(車内検札)の問題があったんじゃない?
10両や15両の編成なら常時車掌2人乗務でもいいだろうけど6~7両くらいの編成で常時2人乗務は割に合わないかと。
東武では更新した10000系がマリオカート8DXオンラインレベルの悪質行為で未更新車よりも先に廃車になった。
首都圏の電車は、8〜10両の長編成にラッシュ帯で増結編成を繋げる運用に対して、東海管内の短編成を需要に合わせて増結する運用で違いが大きいと思います。
確かに、その通りですね!
東海管内で併結出来ないとなると……致命的ですね💦
その運用方法が旧国仕様の62系だど幌受け含めて各種改造が必要だった。
当時、新規の電化路線が岡多線と関西線で、岡多線は3セク化と同時に新型車両の導入予定だった。
関西線は玉突き転属で既に車両がいた。
民営化直前に、短編成運用と製造からある程度老朽化してたり、冷房化しても意味なさそうな車両は廃車か転属していたので、62系は全廃になったと思います。
・クハ111-1も民営化前に廃車
・静岡のG車付き10両の113系を国府津に転属させてた
・115-2000は一部が新潟に転属させて静岡残存組は冷房設置していた。
8:56 しかも法定耐用年数(減価償却年数)の13年を過ぎなかったしね。
そうですね笑
台枠をそのまま車体を載せ替えた場合、償却期間とかは書類上どうなるんでしょうか……。
@@tourin_205 確かに
62系が同じように113系か115系化改造されていたら113系なら福知山線、115系なら新潟地区に転属してたかもしれませんね
そうですね……!
もし新性能化されていたら、どうなっていたか……想像するのは楽しいですよね笑
鶴見線にいた72系970番台は活用されずに廃車になってしまいましたね。
サンパチくんになっていた可能性も
新潟は300番台の配置は無かったので62系改造のキムワイプ色などが有ったら面白かったでしょう。
やっぱり出しちゃいましたか、
103系3000番台の対義語さん!
素材が素材故に短命であぼーん
しちゃったのが今でも良くも
悪くも印象的な車両です・・・。
7:29
115系!113系!72系!カモ-ン!
キメラキメラキメラァ!!(幻聴)
11:13
迷列車特有の滅茶苦茶字幕好きw
やっぱり103系3000番台を取り上げたので、避けて通れるはずもなく……笑
滅茶苦茶字幕、しっかり突っ込んでくれて嬉しいです笑
103系3000番台・62系と「63系の亜種からの改造(72系自体が63系の設計をベースにした半鋼製車だった)」となれば、72系970番台が103系3000番台時代に大宮や川越で川越線の近くの線路を走っていた(?)東武5000系(種車の東武7800系(旧称6330系)は7300系(旧称6300系)をベースに作った亜種で73系と78系は併結可能できた)もお忘れなく 笑
@@江川貴洋 東武の車体更新車はほんとに沼ですよ…爆笑
浸かったら絶対に抜け出せない(もう既に片足突っ込んでるw)
@@tourin_205
でも、東武が旧型国電から車体更新したのは7300系1形式のみで、他は
【特急車両などの優等種別用車両】
デハ10形→5300系(形式称号変更①のち通勤車格下げ改造)→初代5000型(車体更新)→3000型70番台(形式称号変更②=後述する7800系の車体更新車に2代5000型系列へ称号を譲った為の変更)
1700・1710系→1720系(DRC=車体更新)
1720系(DRC)新造車→200型(車体更新)
1800型→通勤車格下げ改造または300・350型(事実上の形式称号変更)
【通勤車】
3200系→3000型0番台&50番台(車体更新)
7800系→2代5000型(車体更新)系列
と自社による外部発注車両が多いんですよね。
旧型国電からの車体更新で有名なのはむしろ西武かと。クモハ11やモハ50などの戦災焼け電を買い取って、自社所沢工場で鋼体化車体に更新した311・371系やモハ60形などから鋼体化改造により車体更新されたクハ1411系や三鷹事故などの事故廃車となった63系(72系に改造・称号変更されたのは三鷹事故よりはるかに後の為)を買い取って所沢工場で車体復旧した初代401系などがありますし、運行機器や台枠を前述した車両と共通化するため、国鉄の大量生産品を購入し、初代501系(17m級先頭車に中間20m級車のモハを挟んで落成。のちに20m車体の先頭車が新製されて中間モハをそれに譲る形で初代411系→351系に2度の形式称号変更歴あり)から701系列(2代411系・601系・701系・801系)までそれらを使用して自社生産した車両もありますからね。
HSC化された後の701系列(2代401系は除く)の一部や5000系レッドアローはのちに10000系NRA製造時に台枠や運行機器の一部を流用(事実上の車体更新)、旧101系は9000系や4000系に車体更新されるなど、「古い車両(部品)を末永く大切に・・・(以下略)」が堤帝国時代の西武では東武以上に良く発動してましたね。(E31電機の廃車の際、新101系2連(Mc-Mc)の中間に他編成(4両編成)の中間モハ(M1-M2)を挟み(この編成の両先頭車(Tc-Tc)は廃車された)事実上4M(Mc-M1-M2-Mc)化した牽引兼任の旅客車両253Fを爆誕させましたし。この編成の出力はE31どころかE851並みにあるとか・・・)
西武に関しては253F以外の黄色い電車に代わり今後は「他社の古い車両(部品)を末永く大切に・・・(以下略)」が発動する予定の模様ですが・・・笑
楽しく視聴させて頂きました! ありがとうございます。
2:22 この説明ですが若干間違いがありますね・・・。
まず1972年に新製モハ72(モハ72587)を
郡山工場で試験的に103系の車体へ更新した「モハ72970」が、
鶴見線での走行で一定の実績を残していました。
それに味を占めた国鉄が身延線と仙石線の近代化の為に余っている72系を車体更新し、
身延線では115系の車体へ更新した「モハ62」、「クハ66」からなる4両固定編成を3本導入。
仙石線では103系の車体へ更新した「モハ72971~976」及び、「クハ79601~606」の4両固定編成を3本導入し、
何れも1974年度に改造が落成しています。
で、仙石線へ導入した72系の方が好評だった為、
更に1975年度に「モハ72977~980」、「クハ79607~610」からなる4両×2編成が落成し、
仙石線へ導入されております。
103系3000番台は何度か乗りましたが、
モハ62系は乗れず仕舞いでした(´・ω・`)
是非乗ってみたかった車両ですね・・・。
是非、鶴見線にいた兄弟も取り上げて欲しい...
今度、取り上げようと思います……!
いつになるかは分かりませんが、お楽しみに〜^^
あれが元祖ですもんね
6:00の写真、もしかしたら2両目以降に72系新制車グループが入ってるかもしれないが少なくとも先頭のクモハ73はモハ63改造車。72系として製造されたのはモハ72とクハ79のみで、クモハ73の72系新制車はモハ72500番代を先頭車化したクモハ73600番代しかない。72系新制車グループは旧ロクサンより屋根が浅いからすぐわかる。
まさかの身延線…
今は最新電車が試運転で来たようですよ😊
ゲテモノの巣窟だった路線に、315系が乗り入れる……。民営化されてから、劇的に変化していった印象があります。
国鉄時代はなんでもありだった😮
東武とか名鉄もね😅
車体更新車が何系列も誕生していましたね!
東武に至っては平成になってもなおしていた模様……笑
東武は沼になるからなぁ😂
なんなら沿線の京成も魔改造やってたね✋
未だに因子を持つ200系りょうもうが
まだ現役だからなぁあの会社・・・。
(沿線住民)
西の京阪にもいたような😭
@@内海貴郎
京成は平成になってからも3400形とかいうゲテモノを作っています。あれ、初代AE車と車籍がつながった「改造車」ですから。しかも通勤形に化けてからの方がずっと長い期間、長い距離を走りました。
62系が近鉄特急になる瞬間
8:06
確かに色が似てるwww
まま、どーせ東海のことですから継承されても即日廃車されてたでしょうね
確かにw
旧国の車体載せ替えは鶴見線にもありましたね。中間車だけで先頭は旧国で色もチョコレート色。
モハ72970のことですね!
製造時はオレンジ色で出場したらしく、武蔵野線への投入を予定していた説と、工場の担当者が塗り間違えた(!?!?)説がありますが、真相は分からずです……w
@@tourin_205 鶴見線導入から2年くらいはオレンジ色で走っていました。両端の車は茶色です。
@@tourin_205
武蔵野線開業時、73系車体更新車導入を計画したのは、事実のようです。
@@tourin_205
塗り間違えと言えば62系置き換え用の本物の115も茶色に塗ったとか!誰か茶色の115見たことない?
イベントで品川で茶色の元総武線113系なら見たことあるけど😂
お疲れさまです。続編楽しみにしてました。幼い頃に佐久間レールパークに行ったことがありますが、あのシミュレータがハリボテ車両だったとは…。
色も含めてまさにトウカイエレジーですね。トウ〇イテイオーに怒られそうな名前ですが。
怒られちゃいますよ笑
佐久間、私は一回も行ったことないまま閉館になってしまって……。
機会があればシュミレーターに残る特徴的な車体裾を拝みたいのですが、叶うでしょうかね……。
2:12 色が反転してるから昔の近鉄汎用特急色みたいになっとる
72系アコモ車は103系の置き換えにより一時休車状態になっていたが川越線に投入される車両が不足したため改造で103系化62系の方は新性能車置き換えのつなぎに過ぎなかった足回りが古いため故障がよく起きたこのため115系に置き換えられてしまった。
やはり、62系は63系譲りの足回りが故障の原因だったのでしょうかね……。
東武3000・5000系列が走り回っていた野田線沿線で育ちました。走り方に無理がなければ、古い足回りに近代的な車体を載せて更新するのは良いアイデアだったと思うのですが、国鉄は東武や名鉄等に比べると場当たり的な取り組みだったのでしょうか?
そのようですね。
少しの間だけ持てば良い、という一時凌ぎ感覚で作った感じは否めないですね……。
あとは、そもそも車体更新車の絶対数が東武や名鉄と比べて少なく、整備や部品確保の面で難があったのかもしれません……。
62系は整備屋泣かせの車体だったと推察できます、現状のJR東海も殆どの車輛を313系化して積極的な(金銭、人的負担の両面から)整備コストの低減を
図っている事を考えると静岡車輛区自体が飯田線同様にジャンク部品の塊の様な旧型国電同等車をいつまでも置いておくのを嫌がったんでしょうね。
貴重な車輛とは言うモノの、JR東海側に言わせれば「だったら毎日佐久間まで観に来いや」って事になったかと。
なるほど、さすが合理化を図る(?)JR東海ですね……。
佐久間、見に行けなくなってしまって久しいので、再公開してくれるとありがたいのですが……。
名鉄5000系も足回りと機器は元1000系パノラマスーパーだった。😮
名鉄は現代でも機器流用をやってのけるので、本当にすごいと思ってます……笑
7:51色が711系な件…
確かに……言われてみればそれにしか見えないw
@@tourin_205 実際には帯色と先頭車両(顔面~運転席部)の帯デザインが違うんですが映像・写真の場合アングルの影響(正面に近い向きで撮った場合にできる死角)とホワイトバランスの加減で同じように見えちゃうんですよねw
62系、もうちょっと運用離脱が遅ければ、クハだけ他地区での運転台付き車両の不足に対応して、改造されたかもしれないのにね。
7:37 キメラ?今風に言えばハイブリッドかな。
確かに、ハイブリッドですね笑
新製車体約10年しか使ってないのはもったいない
ハリボテとはいえ、かなり勿体なく感じてしまいますよね……。
もったいないと言えば山の手線231系の中間車😂
62系は貫通幌を115系用に交換するのも断念するくらい老朽化していたのではないかと思います。
62系がもし成功していたら80系を165系車体に載せ替えて飯田線とかで使おうとか考えていたのかもしれません。
やはり、車体を無理やりひん曲げたのが災いしたのでしょうか……。
62系同様、115系仕様の車体を載せ替えた旧型国電が誕生していたかも……と想像すると、面白いですよね笑
やるなら70系全金属タイプを113系車体更新なら座席流用可能だし
@@tike2435
確かに
なんでこっちでやらなかっただろ?
72系970番台を103系3000番台に改造した時にホロ枠を交換してますのでホロ枠の線は無関係でしょう。今は使い捨て一択のJR東日本ですがこの頃は車体更新に熱心で通勤型から急行型までの車体更新を行なっていたので72系の103系化も行ったと思われます。JR東海に関してはそのような話を聞いた事が無いので当初から使い捨ての方針だったのでしょう。それに車体裾の形状が影響していると思います。
12:08 美濃太田で放置のキハ85、103系
「俺達、東海から存在忘れられてね?」
ハリボテ・・・曲がれぇぇ!!
おーっとハリボテ、故障か〜!
国鉄プライドの禿げる音〜!
(103-3000の動画に頂いたコメントをパクリましたw)
次回予告エヴァ風にやったらカッコ良さそう
それ、私もやりたかったんですけど……。
しっかり曲が著作権に引っかかることが判明し、断念しました笑
@@tourin_205 ゆっくりボイスで 鼻歌風にやればいい説
できるかな…爆笑
そういえば阪神にも車体だけを8000系仕様に載せ替えて足回りを廃車発生品から流用したハリボテジェットカーが存在したな
あっちは電機子チョッパに換装されたけど
8000系とは異なり故障がひどく、早いもので27年、長くて38年で全廃させられた。
一方の8000系は完全新造やからまだまだ第1線で活躍し続けている。
逆に赤胴車には車体は旧型車なのに8000系並みの足回りに換装した車両が存在した。
阪神9300系も元を辿れば5201形の台枠や足回りを流用してるから来年から再来年にかけて一気に廃車されるであろう。
え、薄いって聞いてますけど違うんですかね……でも寸法とかが違うから使えないのは有力ですね
車体の外板が薄い説……。
かなり有力なようですが、どうやら外板の厚みは115系と一緒なようです。
個人的には、寸法違い説と車体の裾曲げてダメになった説が有力だと思います……笑
2:14 近鉄汎用型特急車かな?
0:51睨むなよww
|•'-'•)ジーッwwww
115系の色が近鉄特急旧ビスタカーみたいな色になってるw
うぽつですー
仮に115や113と仕様を合わせて新性能化したところで、東海に行ったらすぐ置き換えられそうだし。東日本に行ったとしても末期の状態のいい車両で状態の悪い車両を置き換えることがずっと新車が来るまで繰り返されてた現状を見ると、旧型国電譲りの台枠を持つ車両が長生きできたとはあまり...
2:12 逆 ス カ 色
いつもご視聴ありがとうございます😊
確かに、そう考えると新性能化しても62系は長く生き延びれなかった可能性が高いですね……。
逆スカ色wwww
でJR四国に来そうだな62系改造した113系
485系の廃車発生部品を使って415系に魔改造されて今も北陸地方で走っている・・・なんてJR西日本ならやってそう。
名鉄ならテレレレッレレー幌幅変換幌ーこれは62系と115系をホロで繋げることができるんだ()
そんなものが存在するんですかw
いや 名鉄ならやりそうなこと
なるほどw
実際この浜松工場で展示したときに見てきたけど床がボコボコだったんだよね 特に老朽化しててあの時点で経年10年とは思わなかった
写真なんかもまあ機関がいっぱいあったので車内なんかは撮ってなかったわ
300系は700系が入ってきたから廃車なっちゃったのかねぇ…
まだ。名鉄6750なんか?足回りは?吊り掛けでしたから。飯田線も車体は新しく、足回りはあちこちからの品なので。半自動式でしたから。
まさかのE231も「はあああああああああ??」
国鉄62系、鎌倉車両センターにいそうな色だ。
鎌倉車セ「こんなゲテモノ持ってきて貰っても困る!スジに乗らない!」
スカ線113系も困るわな😂
しかも本物によって置き換えた😅
迷列車でもハエ28編成の詳しい内容も取り上げて欲しいです。
ハエ28ですね……!
いつか採り上げたいですね💕︎
ですがあまりにも有名すぎるので、どう言った形で紹介しようかな……笑
@@tourin_205 取り敢えず登場から富士山麓に譲渡されるまでを知りたいのですが、特に何故譲渡されたのかが気になりますね。
なるほど、いい観点ですね〜笑
完成するかは分かりませんが、台本作ってみます笑
@@tourin_205 完成楽しみにしております。
ちなみに私の場合は東武5155ー5255ー5355ー5455と5156ー5256ー5356ー5456と5157ー5257ー5357ー5457と5160ー5260ー5360ー5460と5161ー5261ー5361ー5461と5162ー5262ー5362ー5462はすべて新栃木検車区だったのでよく新栃木駅で東武5050系電車は撮影していたかなまあ東武5050系電車を来るたんび撮影をやつていたかな特に5160系電車はレアな感じ特にモハ5260系は中間貫通扉無しあとはすべて中間貫通扉付いてたあと5161系と5162系は最初から七光台検車区配置された車両かなそれ以外はすべて春日部検車と七光台検車区転々移動していたかなすべて新栃木駅で5050系電車4両編成6編成を撮影して良かったかな今はいい思い出かな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
都電7700型「呼んだ?」
(昭和時代に吊りかけ駆動車の車体をワンマン対応に載せ換え、平成末期にVVVF化されて同僚の7000型を置き換えたゲテモノ車両)
都電7700……あれはとんでもないですね笑
一応新型車扱いなので、都電の広告等にもしっかり掲載されていたらしいので笑
相鉄にも旧6000系の車体に吊り掛けの3000系がありましたが、VVVF化&冷房改造されました。
旧6000系全廃後も走っていましたが、相模大塚の脱線事故で廃車。
西のサンパチよりも凄いな。
サンパチもサンパチでthe.迷列車という感じですが……こいつもなかなかですよね笑
この続きはハリボテ編へ。
415系800番台『俺なんか50年以上も走ったんだぞ』
結局115系2000番台入れたよな
結局115系が導入されて、62系は要らない子になってしまいましたよね...。
ちょっとだけ蘊蓄を。
62形は車体以外にも、床下の電動発電機も115系(中には153、113系のもあり)の冷房改造で捻出した物が使われていました。
身延線に115系を入れなかったのは、「新車を入れたら合理化だなんだと、されたくもない事をされてしまう。」という、わけワカメな、まぁ、国チン鉄ピラのどうでも良い組合の反発があったためらしいです。
悪名高い千葉でよく113系をすんなり入れたなぁ。と思います。
やはりあの時代の国鉄車両導入には、組合の意向が色濃く反映されていたんですね……。
千葉動労、平成生まれの私でもその悪名を知っております故、相当だったんでしょうね笑
う…ん🤔結局本物入れるしな?
まあ当初115をぶどう色に塗ったらしいが😂身延色と湘南色はあるけどぶどう色は見たことないなぁ!誰か見たことない?
拡幅車体(笑)
おデブちゃんですw
鉄オタってこういうことを気にする代わりに、古い車両をずっと使い続ければ文句言うからなぁ。
旧型国電で新車が来るまでお茶を濁せば良かったのでは?!