Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ご覧頂きありがとうございます。歴史は謎だらけ。「本当はどうだったのか?」、想像してしまいますね。暑い日が続きますね、台風も来ますね。更に引きこもってしまいます。引きこもって、夜、ビールを飲むことが最大の楽しみになってしまっている夏、生活改善を使用と思っていますが、夏が終わってしまいそうです。皆さまの夏の楽しみ方も教えてください。
呂布=周倉説はなかなか面白いですね。記述ミスか別人なんでしょうが、ワクワクしてしまうところが歴史考察の醍醐味です。
誤植のひとつで後世まで考察されてしまう、歴史ってすごいですよね。
歴史モノは大概そうだけど、未だに解明されていない部分を少しずつ紐解いて、それをいろんな人の意見を聞くのが本当に面白いな。自分では気付けない事を聞けるし、自分と同じ意見があれば納得できるし、三国志に対する気持ちは冷めないなぁ。
劉備は有能だけど人間性に問題がある輩たちを後世に残る武将としてまとめ上げてたことが凄い。張飛、法正、魏延、楊儀、ついでに蔣琬、龐統はほかの陣営だと問題を起こす未来しか見えないw逆に賈クは曹操じゃないと扱えなかったと思う。
司馬懿~軍師連盟~のドラマで曹丕と曹叡の微妙な関係が描かれていましたね。三国志 Secret of Three Kingdomsのドラマは曹操と荀彧の関係を上手く表現されていました
軍師連盟!面白いドラマでしたね!
昔から思ってたけど、荀イクって張良というよりショウカ(字がわからん)だと思うんだよね。
歴史の謎は解くのが難解じゃなくて、記録がないからわかりようもないものだから、確かな記録が出るまで永遠に解けることはない
三国志に限らずあの時代にあれだけ身体を鍛える為にどんなトレーニングをしたのか、また歴史に名を残した英雄達の武術の師匠は誰なのかそれも謎ですよね!特に呂布は武芸百般(剣、槍、弓)とも言われていますから!
首を斬るための剣を送る、首を吊るための白い布を送る、毒の入った酒を送るのは分かるけど、空の弁当は不可解だ
そうですね、とんちですね。
自分(弁当)の中身(具)が荀彧だったからだと思ってました。2人で協力して弁当を完成させよう。転じて戦乱を終わらせよう、と。もし荀彧が戻って来たとしたら、曹操の性格的にも魏公にならなかったかも。
弁当(曹操)の中身(具)は荀彧だったからと単純に考えてました。俺にはお前が必要だ、と。もし荀彧が自分の元にまた帰って来たとしたら、、 妄想が捗ります。
@@にら-x8q ロマンがあって面白い説だ!そうであって欲しい…個人的には「早く元気になってお前の思う弁当(国)を自由に作ってみよ!」みたいな励ましの謎かけを、荀彧が悪い方向に誤解しか出来ないほどの鬱に陥っていた為に誤解した、曹操もそれを見抜けないほどに離れてしまっていた…みたいに解釈してた
@@にら-x8q 深い信頼を感じられて素敵ですねそういう意味だったらいいなと思います
ほぼ皆様のコメントに返信されてますよね。内容云々はさておき凄いなと思います。
ありがとうございます。励みになります。
裴松之さんのおかげでだいぶわかっているとはいえ1800年前のことですからね🤔個人的には徐州に敵討ちで攻め込んだ孟徳さんが何故地元の名士を斬ったか?士元さんの流れ矢?いろいろ文献掘ったりしましたが分からないことはまだありますね😅自分が生きてるうちに新史料とか出てきたら面白いですが☺️
新資料!夢がありますね。
もしも周倉が本物の呂布だったら。実は呂布が劉備に登用されていたら。それもまた良いなあと思います。ハン城の戦いの時期まで生き残っていたなんて夢があります。
夏侯惇伝の呂布は盧弼によって添削されてるから『二十四年、太祖軍于摩陂』となっている。早い話が集解後の夏侯惇伝では呂布の部分は消されている。周倉のモデルと思われるのは関羽の都督を務めた趙累。趙累は関羽親子と最後まで逃亡をした人物。『關平娶鎮東将軍女趙氏、生子關樾。』(江陵県志)↑江陵県志に関平の子である関樾は趙雲の娘が母とされてるが趙雲が鎮東将軍となるのは関平の死後なので、ここで言う鎮東将軍は趙雲では無い事が確定している。そこで同時期の趙氏となれば都督の趙累の他が無く、趙累(鎮東将軍?)の娘が関平に嫁いでいた事を考えると趙累が関羽親子に最後まで付き従った事にも合点がいく。この趙累が周倉のモデルと言うのが私の考察。周倉=趙累説。
ありがとうございます。勉強になります。
たしか演技では玉璽は劉備の手にも渡ってましたがあれは嘘だったのか
呂布のそっくりさんが周倉だったとか?
(笑)
間違ってももう一人の呂布が呂布カルマでは無いことは間違いない
最近、黄皓もいますよね・・・
もう一人の呂布は、少なくとも狼に育てられたオッドアイではないことは確かだろう(意味の分からない方は『覇ーLORD』を読んでみよう)。
読んでみます!
趙雲が女になってしまう…
陳寿が三国志を書いた当時、荀氏は晋において強大な権力を握っており、古文書の発掘と整理など文化的な事業に大きく貢献した荀勗からも三国志は注目されていたので、当然ながら荀彧の死に関しては陳寿も気を遣う部分は大きかったと思います。もし曹操と荀彧との間に噂にあるような軋轢があったのなら明記しなければ陳寿の身が危うい所、陣中で病に倒れ憂いの中で没したとしか書かなかったのは、荀勗の検閲を前提にしてもそれ以上書くことが無かったからでしょう。空弁当は悪意のある創作なのでは。
へーそんなん信じれるんや、嘘だらけ中国のことやのに
動画中、、、「一節」を「ひとふし」と読まれてますが、「一節」は「いっせつ」と読んでいただいた方が自然かと思いました。
ご指摘、ありがとうございます。
関羽の元に呂布、もしくはそう呼ばれた武将?兵士長?が居たとしても、史実に名前しか描かれていない人物が、演技の周倉と同一人物というのは無理があるのでは?歴史書には名しか書かれず、演技で知られる活躍も創作でしかなく、名前も違うのに彼の字かも?となっても、それは皆の知る周倉では無くなっていそうやはり周倉には「関羽様の部下になりたいと思っておりました!」のシーンや、関羽のボディーガードのシーンは欲しいしw
周倉あっての関羽ですよね。
横山劉備の邢道栄に対する謎の冷たさは当時笑った
荀彧の死(空の弁当)でこんな説聞いたことある。病気が治った時曹操はお見舞いに送った弁当はどうだったと聞くだろう。そうした際もし本当の事(弁当は空だった)を言えば「儂がそんな事するはず無いだろう」と曹操は怒り処刑する。もし嘘を言えば「そんな物は入れていない。さては中身を見ずに捨てたな」と言われやはり処刑される。そう荀彧は考えていずれにせよ処刑されるならいっそ自ら・・・という訳で自害したのではないか?という説(考察)があるらしい
荀彧、頭が良すぎて考えすぎですかね。
奥深い、奥深い。
歴史は深いですね。
『周倉=呂布』説に1票
清き1票、ありがとうございます。
歴史書そのものが近世以外ほぼ謎みたいなもん
曹丕の娶りの話おもしろい!笑つーと魏の二代皇帝は袁紹の孫の可能性もあるってわけかヾ(=д= ;)マジで草
もし、真実だったら本堂に驚きですよね!
今更新事実が出てくるかは怪しいから謎は解かれず
そうですね、謎は謎のまま。想像するが面白いですね。
呂布=周倉説おもろい
面白いですよね!
廖化は蜀が滅ぶ時何歳だったのか?
アホみたいに長生きの廖化ですが荊州争奪戦時に呉に捕らえられ自分のタヒを偽って蜀へ帰還する際に別人と入れ替わった説があります
別人説!謎ですね。
荀攸は真相を知っていたのでしょうかね?
知ってたんじゃないでしょうか。
劉岱公山が同時期に二人いたほどだから、呂布が二人居てもおかしくは無い
呂布が二人いたら最強ですね!
劉備の人間性や人徳といった話は眉唾
なんでも嘘にする
曹叡の父親が袁熙なら曹芳からの家系は袁家の系譜になるのか?呂布=周倉はロマンがある(笑)
ロマンがありますね!
曹叡は始皇帝のようなスキャンダルで貶めようとしてたんじゃないかなぁ。あとは曹嵩の出自も謎ですね。
曹嵩!謎ですね!
諸説を語ると曹嵩は曹萌の甥の曹瑜の子です。曹萌の子の曹騰と曹瑜は従兄弟の関係にある。曹騰は従兄弟の曹瑜の子である曹嵩(定義として族子)を養子に迎えた事になる。となると曹嵩は夏侯氏の出では無くなる。もし曹嵩の妻が夏侯氏で有れば夏侯惇は曹嵩の外甥となり、曹操がその夏侯氏を母としていた可能性があれば曹操と夏侯惇は従兄弟の関係として成立するんですよ。
そういう説があるんですね。まあ、曹嵩が夏侯氏の出身てのは『曹瞞伝』に記されてるから信じてなかった。
これ元の時代に正史として扱われてるんだけど、話半分で憶えておいてください。
個人的な意見としては荀彧と曹操の対立は「漢朝の再建と覇権主義の対立」ではなくて、「儒教肯定派と儒教否定派」の対立だったと考えています。当時の儒教は「罪を犯した者や卑しい身分の者はどんなに才能があっても評価しない」とか「肩書・経歴至上主義」であり、曹操が推し進めた「唯才主義」は「ただ(唯)さい(才)のみ、これ(之)を挙げよ」という当時の儒教中心の思想でみればトンでもない政策。能力や才能があればたとえ馬泥棒であっても取り立てて採用するというこの政策には儒者からの強い反発があった。曹操が孔融を処刑したのもこの儒教を中心的思想から追い落とす為だったのでは?と思っています。(孔融は孔子の子孫で、いうなれば儒教のシンボルの子孫)しかし、当時の名士と呼ばれる人々はコミュニティを持っていて様々な情報共有をしていたり、交友関係を広げていた為、勢力を持った諸侯はこの名士を抱えることでその情報ネットワークや人材紹介の恩恵を受けていた。(劉備陣営は名士を軽視していた節があり、これが人材難の遠因とも考えられる)儒教肯定派の荀彧としては「本来、皇帝の血族がなるべき王、公、候の位に曹操が就くのはNG」という意見だったのでしょう。一方、曹操から見れば「自分の覇権主義的な行動に異論を唱える荀彧」よりも「政策の足かせになる儒教的な思想を展開する荀彧」を嫌がっていた。と感じます。空器事件に関しては弁当箱ではなく、「病で静養中の荀彧に曹操が送った見舞い品」しかし、見舞い品の箱を開けると中身は入っておらず空だった。これでは、荀彧は曹操に出すべき見舞い品に対する返礼が出来ない。(中身がなんだったかも説明できないので返礼の手紙すら出せない)これは曹操からの「自決せよ」というメッセージである。と解釈した荀彧は「もう曹操からは完全に疎まれてしまった」と落胆してそのまま亡くなった。というのが私見です。個人的に思っているのは曹操は老子の言葉をもじって空の箱を送ったのではないか?という事。(器は空の時がもっとも有用である。という言葉)曹操は荀彧に思想も立場もすべて忘れて「空の荀彧」になって欲しかったのではないかな、と。
おお、詳しくありがとうございます。勉強になります。
劉備は拠点が定まらなかったので名士を抱えたくても抱えられなかったという事情がありますね陳登や陳羣など徐州の名士は劉備を徐州の主として迎えましたがその後徐州を去る劉備にはついてきてくれませんでした
漫画「蒼天航路」で描かれる曹操と荀彧の関係性がそうでしたね。荀彧は曹操に心酔している一方で漢王室の復興を願っていたが曹操が儒教は王道の障害と考えているのがわかっていた。儒教信者であった荀彧は孔融の処刑後も儒教、漢王室、曹操の鼎を成立させる困難さに相当ストレスがあったんでしょう。その上で慣れない行軍に病を患い精神が病んでいったんではないでしょうかね。
曹丕と曹叡の件、まるで2chのサレとシタのネタみたいwww
曹操が漢王朝に忠実だったとは思えないですし、曹操の近くにいた荀彧も当然それは分かってて仕えてたと思いますから、漢を守るために魏公就任に反対したとはやっぱり思い難いですね。新国家でも儒教を中心にしてほしいと思ってたけど曹操にその気が無かったので反対したってのがしっくりきます。漢王朝云々はただの口実として採用しただけ
口実だけですか!なるほど。
荀彧は尊皇派で、曹操が乱世を統一して、再び皇帝の支配が行われると信じていたとする説は、沢山あります。ところが、曹操が皇帝の座を狙い始め、当時の皇帝を蔑ろにし始めてから、関係がおかしくなった。との話しもあります。なので荀彧は、病と称して出仕しなくなり、とうとう曹操に疎まれて空の容器を賜って自⚪。というのが、一般説ですね。ただ、荀彧は尊皇派で間違いないと思います。例えば、青洲黄巾党100万(後の青洲兵)を相手に、一地方領主であった曹操のために、説き伏せるなんて芸当はできないと思います。国家の威信をかけたからこそ、できたのではないかと、個人的には考えます。
某人形劇には呂布の弟が出てきたような・・・、決して人形の使いまわしと書いちゃだめだぞ。
空の弁当箱を棺と連想したからとか?知らんけど(笑)
なかなかの連想ゲームですね。
まだまだ結構謎も多いんだろうけども脚色や盛ってのも有るだろうしな~( ´△`)
呂布と項羽と北斗の拳と拝一刀誰が一番強いの?
北斗の拳でしょうか。。。。
荀彧の就いていた尚書令は、皇帝の詔や臣下からの上奏文を書き記す役職です。これは言い換えれば、詔や上奏文を都合よく書き換えたり気に入らなければ握り潰せるほど強力な役職です。曹操と荀彧はそれを利用して勢力を安定させてきたのであり、表向きは漢の再興を謳いながら、皇帝を傀儡としてきました。散々皇帝の権力を削いでおきながら、それでいて「漢の忠臣です」は有り得ないと思います。それこそ、盗人の為に壁を破り金庫を開けておきながら無実を訴えるようなもの。第一、荀彧は曹操を劉邦(漢建国の祖)に例え、曹操は荀彧を張良(劉邦の右腕)に例えるなど、曹操を新たな世の祖と想定しているのは明らかですし。曹操と荀彧の確執は、赤壁での敗北によって「生きてる内の天下平定は無理っぽい。魏公へ登って俺が死んだ後の為の地盤固めの方向へシフトするわ」という曹操と、「馬鹿野郎!表向きは漢の再興を謳ってたから今までやって来れたのに、ここで出世欲出しちゃったら反感買うやろがい!」の荀彧で、今後のプランに違いが出てしまったからかなと思います。事実、魏公就任で曹操は反乱起こされてますし、魏の未来を思えばこそ荀彧は反対したのだと思いますね。とはいえ曹操にしてみれば、実績のある自分ならまだしも、自分の子供達には何の実績もありません。自分亡き後、息子の世代になった時。それこそ朝廷を牛耳り、自分の息のかかった者達を次々と推挙して勢力の中核へ送り込んだ荀彧ら、名士層に取って代わられてしまうでしょう。文学を推したり、曹植を推したりした辺りから見ても、曹操としては儒の名士層の力を少しでも削ぎたかったのではないかと思います。まぁ結局、名士層に推されていた曹丕が跡を継いで、魏は荀彧シンパが権力を握る国になってしまう訳ですが……
儒教排他するために行動してたとか荀彧のどの点で書いてんの?
まあ、呂蒙とか、呂のつく武将がいたわけだから、呂布という武将がいてもなんらおかしくわないですよね~😅
そうですね、呂は意外に多いですね。
高順の経歴とかじゃないんか
それも不明ですね。
合点「がってん」→「がてん」
ご指摘ありがとうございます。
俗語として「ガッテン」も正しい筈。
古井戸の中で劉備の尻に敷かれる白龍。なんか少し可哀想な。
頑張ってささえたんでしょうね。
玉璽の行方の謎は三国志関係ない
確かに!
ら・くようって言い方に抵抗を感じてしまう
すいません、、、
史実と小説の混同、中国と日本の文化の違い、個人的な贔屓等がある上に史実の記述が少ないので解明不可、例えば諸葛亮なんて日本では軍師だけど実際は宰相、わかりやすく表現すると日本だと野球の監督で中国だと総理大臣
演義と史実、ふたつあるのが三国志をややこしくしていますね。
いつも感じる事ですが…イントネーションがヒドい👽(特に男性の方)着眼は良い時もあるんだがね
すいません、気をつけます。
三國無双でも気に入らなかった。曹丕がナンボの者か。父の七光りだろう。
ご覧頂きありがとうございます。
歴史は謎だらけ。「本当はどうだったのか?」、想像してしまいますね。
暑い日が続きますね、台風も来ますね。更に引きこもってしまいます。
引きこもって、夜、ビールを飲むことが最大の楽しみになってしまっている夏、生活改善を使用と思っていますが、夏が終わってしまいそうです。
皆さまの夏の楽しみ方も教えてください。
呂布=周倉説はなかなか面白いですね。
記述ミスか別人なんでしょうが、ワクワクしてしまうところが歴史考察の醍醐味です。
誤植のひとつで後世まで考察されてしまう、歴史ってすごいですよね。
歴史モノは大概そうだけど、未だに解明されていない部分を少しずつ紐解いて、それをいろんな人の意見を聞くのが本当に面白いな。
自分では気付けない事を聞けるし、自分と同じ意見があれば納得できるし、三国志に対する気持ちは冷めないなぁ。
劉備は有能だけど人間性に問題がある輩たちを後世に残る武将としてまとめ上げてたことが凄い。
張飛、法正、魏延、楊儀、ついでに蔣琬、龐統はほかの陣営だと問題を起こす未来しか見えないw
逆に賈クは曹操じゃないと扱えなかったと思う。
司馬懿~軍師連盟~のドラマで曹丕と曹叡の微妙な関係が描かれていましたね。
三国志 Secret of Three Kingdomsのドラマは曹操と荀彧の関係を上手く表現されていました
軍師連盟!面白いドラマでしたね!
昔から思ってたけど、荀イクって張良というよりショウカ(字がわからん)だと思うんだよね。
歴史の謎は解くのが難解じゃなくて、記録がないからわかりようもないものだから、確かな記録が出るまで永遠に解けることはない
三国志に限らずあの時代にあれだけ身体を鍛える為にどんなトレーニングをしたのか、また歴史に名を残した英雄達の武術の師匠は誰なのかそれも謎ですよね!特に呂布は武芸百般(剣、槍、弓)とも言われていますから!
首を斬るための剣を送る、首を吊るための白い布を送る、毒の入った酒を送るのは分かるけど、空の弁当は不可解だ
そうですね、とんちですね。
自分(弁当)の中身(具)が荀彧だったからだと思ってました。2人で協力して弁当を完成させよう。転じて戦乱を終わらせよう、と。もし荀彧が戻って来たとしたら、曹操の性格的にも魏公にならなかったかも。
弁当(曹操)の中身(具)は荀彧だったからと単純に考えてました。
俺にはお前が必要だ、と。もし荀彧が自分の元にまた帰って来たとしたら、、 妄想が捗ります。
@@にら-x8q
ロマンがあって面白い説だ!そうであって欲しい…
個人的には「早く元気になってお前の思う弁当(国)を自由に作ってみよ!」みたいな励ましの謎かけを、
荀彧が悪い方向に誤解しか出来ないほどの鬱に陥っていた為に誤解した、曹操もそれを見抜けないほどに離れてしまっていた…みたいに解釈してた
@@にら-x8q 深い信頼を感じられて素敵ですね
そういう意味だったらいいなと思います
ほぼ皆様のコメントに返信されてますよね。
内容云々はさておき凄いなと思います。
ありがとうございます。励みになります。
裴松之さんのおかげでだいぶわかっているとはいえ1800年前のことですからね🤔個人的には徐州に敵討ちで攻め込んだ孟徳さんが何故地元の名士を斬ったか?士元さんの流れ矢?いろいろ文献掘ったりしましたが分からないことはまだありますね😅自分が生きてるうちに新史料とか出てきたら面白いですが☺️
新資料!夢がありますね。
もしも周倉が本物の呂布だったら。実は呂布が劉備に登用されていたら。それもまた良いなあと思います。ハン城の戦いの時期まで生き残っていたなんて夢があります。
夏侯惇伝の呂布は盧弼によって添削されてるから『二十四年、太祖軍于摩陂』となっている。早い話が集解後の夏侯惇伝では呂布の部分は消されている。
周倉のモデルと思われるのは関羽の都督を務めた趙累。趙累は関羽親子と最後まで逃亡をした人物。
『關平娶鎮東将軍女趙氏、生子關樾。』(江陵県志)
↑江陵県志に関平の子である関樾は趙雲の娘が母とされてるが趙雲が鎮東将軍となるのは関平の死後なので、ここで言う鎮東将軍は趙雲では無い事が確定している。
そこで同時期の趙氏となれば都督の趙累の他が無く、趙累(鎮東将軍?)の娘が関平に嫁いでいた事を考えると趙累が関羽親子に最後まで付き従った事にも合点がいく。
この趙累が周倉のモデルと言うのが私の考察。周倉=趙累説。
ありがとうございます。勉強になります。
たしか演技では玉璽は劉備の手にも渡ってましたがあれは嘘だったのか
呂布のそっくりさんが周倉だったとか?
(笑)
間違ってももう一人の呂布が呂布カルマでは無いことは間違いない
(笑)
最近、黄皓もいますよね・・・
もう一人の呂布は、少なくとも狼に育てられたオッドアイではないことは確かだろう(意味の分からない方は『覇ーLORD』を読んでみよう)。
読んでみます!
趙雲が女になってしまう…
陳寿が三国志を書いた当時、荀氏は晋において強大な権力を握っており、古文書の発掘と整理など文化的な事業に大きく貢献した荀勗からも三国志は注目されていたので、当然ながら荀彧の死に関しては陳寿も気を遣う部分は大きかったと思います。
もし曹操と荀彧との間に噂にあるような軋轢があったのなら明記しなければ陳寿の身が危うい所、陣中で病に倒れ憂いの中で没したとしか書かなかったのは、荀勗の検閲を前提にしてもそれ以上書くことが無かったからでしょう。
空弁当は悪意のある創作なのでは。
へーそんなん信じれるんや、嘘だらけ中国のことやのに
動画中、、、「一節」を「ひとふし」と読まれてますが、「一節」は「いっせつ」と読んでいただいた方が自然かと思いました。
ご指摘、ありがとうございます。
関羽の元に呂布、もしくはそう呼ばれた武将?兵士長?が居たとしても、史実に名前しか描かれていない人物が、
演技の周倉と同一人物というのは無理があるのでは?
歴史書には名しか書かれず、演技で知られる活躍も創作でしかなく、名前も違うのに彼の字かも?となっても、それは皆の知る周倉では無くなっていそう
やはり周倉には「関羽様の部下になりたいと思っておりました!」のシーンや、関羽のボディーガードのシーンは欲しいしw
周倉あっての関羽ですよね。
横山劉備の邢道栄に対する謎の冷たさは当時笑った
荀彧の死(空の弁当)でこんな説聞いたことある。
病気が治った時曹操はお見舞いに送った弁当はどうだったと聞くだろう。そうした際もし本当の事(弁当は空だった)を言えば「儂がそんな事するはず無いだろう」と曹操は怒り処刑する。もし嘘を言えば「そんな物は入れていない。さては中身を見ずに捨てたな」と言われやはり処刑される。そう荀彧は考えていずれにせよ処刑されるならいっそ自ら・・・
という訳で自害したのではないか?という説(考察)があるらしい
荀彧、頭が良すぎて考えすぎですかね。
奥深い、奥深い。
歴史は深いですね。
『周倉=呂布』説に1票
清き1票、ありがとうございます。
歴史書そのものが近世以外ほぼ謎みたいなもん
曹丕の娶りの話おもしろい!笑
つーと魏の二代皇帝は袁紹の孫の可能性もあるってわけかヾ(=д= ;)マジで草
もし、真実だったら本堂に驚きですよね!
今更新事実が出てくるかは怪しいから謎は解かれず
そうですね、謎は謎のまま。想像するが面白いですね。
呂布=周倉説おもろい
面白いですよね!
廖化は蜀が滅ぶ時何歳だったのか?
アホみたいに長生きの廖化ですが荊州争奪戦時に呉に捕らえられ自分のタヒを偽って蜀へ帰還する際に別人と入れ替わった説があります
別人説!謎ですね。
荀攸は真相を知っていたのでしょうかね?
知ってたんじゃないでしょうか。
劉岱公山が同時期に二人いたほどだから、呂布が二人居てもおかしくは無い
呂布が二人いたら最強ですね!
劉備の人間性や人徳といった話は眉唾
なんでも嘘にする
曹叡の父親が袁熙なら
曹芳からの家系は袁家の系譜になるのか?
呂布=周倉はロマンがある(笑)
ロマンがありますね!
曹叡は始皇帝のようなスキャンダルで貶めようとしてたんじゃないかなぁ。あとは曹嵩の出自も謎ですね。
曹嵩!謎ですね!
諸説を語ると曹嵩は曹萌の甥の曹瑜の子です。曹萌の子の曹騰と曹瑜は従兄弟の関係にある。
曹騰は従兄弟の曹瑜の子である曹嵩(定義として族子)を養子に迎えた事になる。となると曹嵩は夏侯氏の出では無くなる。
もし曹嵩の妻が夏侯氏で有れば夏侯惇は曹嵩の外甥となり、曹操がその夏侯氏を母としていた可能性があれば曹操と夏侯惇は従兄弟の関係として成立するんですよ。
そういう説があるんですね。まあ、曹嵩が夏侯氏の出身てのは『曹瞞伝』に記されてるから信じてなかった。
これ元の時代に正史として扱われてるんだけど、話半分で憶えておいてください。
個人的な意見としては
荀彧と曹操の対立は「漢朝の再建と覇権主義の対立」ではなくて、「儒教肯定派と儒教否定派」の対立だったと考えています。
当時の儒教は「罪を犯した者や卑しい身分の者はどんなに才能があっても評価しない」とか「肩書・経歴至上主義」であり、
曹操が推し進めた「唯才主義」は「ただ(唯)さい(才)のみ、これ(之)を挙げよ」という当時の儒教中心の思想でみればトンでもない政策。
能力や才能があればたとえ馬泥棒であっても取り立てて採用するというこの政策には儒者からの強い反発があった。
曹操が孔融を処刑したのもこの儒教を中心的思想から追い落とす為だったのでは?と思っています。
(孔融は孔子の子孫で、いうなれば儒教のシンボルの子孫)
しかし、当時の名士と呼ばれる人々はコミュニティを持っていて様々な情報共有をしていたり、交友関係を広げていた為、
勢力を持った諸侯はこの名士を抱えることでその情報ネットワークや人材紹介の恩恵を受けていた。
(劉備陣営は名士を軽視していた節があり、これが人材難の遠因とも考えられる)
儒教肯定派の荀彧としては「本来、皇帝の血族がなるべき王、公、候の位に曹操が就くのはNG」
という意見だったのでしょう。
一方、曹操から見れば「自分の覇権主義的な行動に異論を唱える荀彧」よりも「政策の足かせになる儒教的な思想を展開する荀彧」を嫌がっていた。と感じます。
空器事件に関しては
弁当箱ではなく、「病で静養中の荀彧に曹操が送った見舞い品」
しかし、見舞い品の箱を開けると中身は入っておらず空だった。
これでは、荀彧は曹操に出すべき見舞い品に対する返礼が出来ない。
(中身がなんだったかも説明できないので返礼の手紙すら出せない)
これは曹操からの「自決せよ」というメッセージである。と解釈した荀彧は「もう曹操からは完全に疎まれてしまった」と落胆してそのまま亡くなった。
というのが私見です。
個人的に思っているのは
曹操は老子の言葉をもじって空の箱を送ったのではないか?という事。
(器は空の時がもっとも有用である。という言葉)
曹操は荀彧に思想も立場もすべて忘れて「空の荀彧」になって欲しかったのではないかな、と。
おお、詳しくありがとうございます。勉強になります。
劉備は拠点が定まらなかったので名士を抱えたくても抱えられなかったという事情がありますね
陳登や陳羣など徐州の名士は劉備を徐州の主として迎えましたがその後徐州を去る劉備にはついてきてくれませんでした
漫画「蒼天航路」で描かれる曹操と荀彧の関係性がそうでしたね。
荀彧は曹操に心酔している一方で漢王室の復興を願っていたが
曹操が儒教は王道の障害と考えているのがわかっていた。
儒教信者であった荀彧は孔融の処刑後も儒教、漢王室、曹操の鼎を成立させる困難さに
相当ストレスがあったんでしょう。その上で慣れない行軍に病を患い精神が病んでいったんではないでしょうかね。
曹丕と曹叡の件、まるで2chのサレとシタのネタみたいwww
(笑)
曹操が漢王朝に忠実だったとは思えないですし、曹操の近くにいた荀彧も当然それは分かってて仕えてたと思いますから、漢を守るために魏公就任に反対したとはやっぱり思い難いですね。新国家でも儒教を中心にしてほしいと思ってたけど曹操にその気が無かったので反対したってのがしっくりきます。漢王朝云々はただの口実として採用しただけ
口実だけですか!なるほど。
荀彧は尊皇派で、曹操が乱世を統一して、再び皇帝の支配が行われると信じていたとする説は、沢山あります。
ところが、曹操が皇帝の座を狙い始め、当時の皇帝を蔑ろにし始めてから、関係がおかしくなった。との話しもあります。
なので荀彧は、病と称して出仕しなくなり、とうとう曹操に疎まれて空の容器を賜って自⚪。
というのが、一般説ですね。
ただ、荀彧は尊皇派で間違いないと思います。
例えば、青洲黄巾党100万(後の青洲兵)を相手に、一地方領主であった曹操のために、説き伏せるなんて芸当はできないと思います。
国家の威信をかけたからこそ、できたのではないかと、個人的には考えます。
某人形劇には呂布の弟が出てきたような・・・、決して人形の使いまわしと書いちゃだめだぞ。
空の弁当箱を棺と連想したからとか?
知らんけど(笑)
なかなかの連想ゲームですね。
まだまだ結構謎も多いんだろうけども脚色や盛ってのも有るだろうしな~( ´△`)
呂布と項羽と北斗の拳と
拝一刀
誰が一番強いの?
北斗の拳でしょうか。。。。
荀彧の就いていた尚書令は、皇帝の詔や臣下からの上奏文を書き記す役職です。
これは言い換えれば、詔や上奏文を都合よく書き換えたり気に入らなければ握り潰せるほど強力な役職です。
曹操と荀彧はそれを利用して勢力を安定させてきたのであり、表向きは漢の再興を謳いながら、皇帝を傀儡としてきました。
散々皇帝の権力を削いでおきながら、それでいて「漢の忠臣です」は有り得ないと思います。
それこそ、盗人の為に壁を破り金庫を開けておきながら無実を訴えるようなもの。
第一、荀彧は曹操を劉邦(漢建国の祖)に例え、曹操は荀彧を張良(劉邦の右腕)に例えるなど、曹操を新たな世の祖と想定しているのは明らかですし。
曹操と荀彧の確執は、
赤壁での敗北によって「生きてる内の天下平定は無理っぽい。魏公へ登って俺が死んだ後の為の地盤固めの方向へシフトするわ」という曹操と、
「馬鹿野郎!表向きは漢の再興を謳ってたから今までやって来れたのに、ここで出世欲出しちゃったら反感買うやろがい!」の荀彧で、今後のプランに違いが出てしまったからかなと思います。
事実、魏公就任で曹操は反乱起こされてますし、魏の未来を思えばこそ荀彧は反対したのだと思いますね。
とはいえ曹操にしてみれば、実績のある自分ならまだしも、自分の子供達には何の実績もありません。
自分亡き後、息子の世代になった時。
それこそ朝廷を牛耳り、自分の息のかかった者達を次々と推挙して勢力の中核へ送り込んだ荀彧ら、名士層に取って代わられてしまうでしょう。
文学を推したり、曹植を推したりした辺りから見ても、曹操としては儒の名士層の力を少しでも削ぎたかったのではないかと思います。
まぁ結局、名士層に推されていた曹丕が跡を継いで、魏は荀彧シンパが権力を握る国になってしまう訳ですが……
儒教排他するために行動してたとか荀彧のどの点で書いてんの?
まあ、呂蒙とか、呂のつく武将がいたわけだから、呂布という武将がいてもなんらおかしくわないですよね~😅
そうですね、呂は意外に多いですね。
高順の経歴とかじゃないんか
それも不明ですね。
合点「がってん」→「がてん」
ご指摘ありがとうございます。
俗語として「ガッテン」も正しい筈。
古井戸の中で劉備の尻に敷かれる白龍。なんか少し可哀想な。
頑張ってささえたんでしょうね。
玉璽の行方の謎は三国志関係ない
確かに!
ら・くようって言い方に抵抗を感じてしまう
すいません、、、
史実と小説の混同、中国と日本の文化の違い、個人的な贔屓等がある上に史実の記述が少ないので解明不可、例えば諸葛亮なんて日本では軍師だけど実際は宰相、わかりやすく表現すると日本だと野球の監督で中国だと総理大臣
演義と史実、ふたつあるのが三国志をややこしくしていますね。
いつも感じる事ですが…
イントネーションがヒドい👽
(特に男性の方)
着眼は良い時もあるんだがね
すいません、気をつけます。
三國無双でも気に入らなかった。曹丕がナンボの者か。父の七光りだろう。