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私の曾祖父は柔道が達者で、シゴキをしてきた一等兵上等兵を相撲や白兵戦の訓練時に受け身の取れない投げをして報復したらいじめられなくなったそうです
これを経験した祖父世代、マジで尊敬する。
良い例が水木しげる先生。漫画でその凄まじさを垣間見る😅
誰かが陸軍消灯ラッパに「初年兵はかわいそうだね~また寝て泣くのかね~」と歌詞を付けた。海軍では新参水兵が古参水兵に海軍精神注入棒の私的制裁の嵐
戦後は痛めつけた元上官たちを日本中探し回って報復した人もいましたね。
引揚船で今まで下級兵をいじめていた下士官をボコボコにしてから海に突きを出したって話よく聞くけど、下に行けば行くほどその時の痛快さは想像とできないんだろうな
その話は父もしていました。一般兵や軍属から下士官がやられたみたいですね。父は将校だったので何もなかったのですが焼きを入れられた下士官が将校用船室に助けを求めて飛び込んでくるみたいです。父も軍隊が亡くなったので命令は出来ないので注意をして船室に帰らせたみたいですがその後は不明。
@@非理法権天-t4o 士官は管理職でいわば課長や係長だから兵隊たちの生活環境と区別されててかかわりあいがないからな
福島県いわき市の祖父は何故か衛生兵(近所は皆 歩兵)として二師団に招集され開戦から南方の独立に寄与し終戦から一年後に復員しました⭐ 補充のない南方では階級は上がっても後輩が来ないから しんどかったんだなと思いました😢
現役海上自衛隊員ですが、平成に入隊した時でも扱きや体罰は、日常茶飯事でした😅上に如何に気に入られるかが日常生活を楽しく過ごす手でした。コミュニケーション能力が1番必要な職業かも今は、扱きや体罰は少なく成りましたが、一部でわまだ残ってます
軍人は要領を旨とすべし。
終戦になって上下関係がなくなった南方からの引揚げ船の中でそれまで威張り散らしていた上官を取り囲んでフルボッコにして身ぐるみはいで海へ放り投げたって聞いたことがあります😱
これがもっと極端だったのは、シベリア抑留の帰還時で、ソ連の手先になって仲間を密告したり、いじめたりしたした人は、母国を目前にして海に放り投げられたと聞きました。同じ話はドイツでもあり、こちらは帰還列車の窓から放り出されたそうですね。
@@DB-eq4hd 終戦時にハルトマンの直接の上司だったグラーフも収容所で裏切者になったから戦後ずっと退役パイロットの連中からシカト扱いされてたけど食料や家族の手紙を交渉材料にされて突っ張っていられるほどタフな人間はそうそういないと言ってた
兵を鍛えるのではなく怒れる口実や殴れる口実を探していただけの上官。
投稿お疲れさまでした。この話は記憶が薄れないうち、記録が散逸しない間に正確に残しておきたいですね。さて、軍隊が理不尽なのは世界中全く共通ですが、各種の記録を見る限り、この初年兵の理不尽さでは、日本が抜きん出ているように感じます。本動画では説明がありませんでしたが、本制度を語る際に不可欠なのは、軍隊には階級が2つあるということです。すなわち一等兵、二等兵という表向きの階級と入営からの経験年数です。星の数よりメンコの数といい、少なくとも下士官までは、階級よりも経験年数の方が遥かに重いものであり、まさしく兵営を完全に支配していた掟でした。実際、成績優秀で昇進した伍長が、階級が下の一等兵に殴られるという、軍ではあってはならない事態が当たり前のように起きてます。太平洋戦争における日本軍の兵士は世界でも最強クラスだったことは間違いないでしょう。他の国なら絶対に降伏するような戦況でも頑強に戦い続けました。しかし、本動画のようにその精強の原因がどこにあるのか、考えてみることは重要ではないかと個人的には痛感します。
人権蹂躙と精神主義と恐怖支配が根本の旧日本陸海軍。物量や兵器の質、戦場医療はそっちのけ。山縣有朋が作った軍人勅諭が悪しき旧日本陸海軍の根本。米英軍とは180度違う。戦闘では更にバンザイ突撃や特攻など一般兵士は日本では消耗品扱い。物量や兵器無くても理不尽すぎる恐怖支配は終戦まで健在は不快極まりない。特に第二次大戦の日本陸軍は上から下までレベル低い上に野蛮で頭が弱いと言わざるを得ない。日本陸軍は最後まで徹底抗戦主張するバカぶりだったから。
勝新太郎が主演の「兵隊やくざ」はその暗いい実態をオーバーに描いていて面白いです。実は自衛隊でも私的な制裁を、夜間にこっそりとやっていたと元自衛隊員から聞いたことがあります。
19世紀までのイギリス海軍や現在にいたるソ連陸軍も私的制裁が横行していたときいた。
散々酷い目に遭って無謀な戦場行かされて亡くなるって余りにも酷い、理不尽過ぎる…。
私的制裁が一切なかったとされる「歩兵16連隊」新潟県新発田しかし日清・日露・シベリア出兵・日中・ノモンハン・太平洋の激戦地域に参戦し死者率は高かった
私の祖父は徴兵で入隊し曹長まで経験してます。ガダルカナル島等の激戦地を多数経験した戦闘工兵でした。極限状態の激戦地が多かったそうですが入隊から終戦で除隊迄、私的制裁の類いは一切経験した事もないし噂の類いも聞いた事は無かったそうです。
@@真-m1y 陸兵や前線部隊だと余裕が無いからまったくやらないようだね
投稿お疲れ様です空母赤城の話を思い出しますね
「♪嫌じゃありませんか~軍隊は、鉄(かね)の茶碗に鉄(かね)の箸、仏様でもあるまいに、一膳飯とは情け無や。」と、陰で歌っていた当時の私の父親は、当然、上官から、顔が変形するほど殴られたと、よく聞かされました。😂😂
『日本軍兵士』『はだしのゲン』『遠い接近』『総員玉砕せよ!』『戦争と人間』は一見する価値があると思う。
想像するだけで「ぞっと」する。日本人って残酷なんですかね!
韓国軍はもっとだよ 私的制裁・いじめに怒り狂って銃を持ち出し 兵舎で乱射 10年前、20年前に起きている
ウチの親父まで軍歴有るから、まぁ上のおじさん達は、秋田歩兵第十七連隊でしごかれたのかなぁ😅中には再度召集されて、終戦後も国民党政府軍と無理やり戦争させられた叔父も居ましたから、家も女も世話するから、ぜひとも残ってくれ❗と言われた叔父も今じゃ兄弟共々鬼籍に入りました😅フィリピンで未だに野ざらしに成っている叔父も居ます😢因みに私も元陸上自衛隊員で、三等陸曹の階級章付けた制服着て帰省した時には😊おじさん達は、二選抜の下士官❗喜びすぎて散々呑まされました😅
丹波哲郎氏が新兵だったか士官として新しく入った時の先輩が川上哲治で物凄くいじめられたらしいです、川上哲治という人は少しでも上の相手にはへらへらして下の相手には辛くあたり評判は最悪だった様です。しかも戦後あの時はああするしかなかったと謝って周り丹波氏は人間の本性を見たと言っていたそうです。そして巨人ではライバルを次々と蹴落とし監督でい続けました。
森 昌彦(森 祇晶)はその川上のそういう部分を受け継いでますね新たに入ってきた捕手を追い落とす 実力でなく告げ口などで 場合によっては相手チームにアイツはこのコースが弱いとか教えるそれなりの管理能力はあったので 監督にはなったけど 優勝しても 人望がないのでオーナーからお好きにどうぞと言われ切られてしまう
@@asaichban9842 南海の鶴岡は野村監督とは確執あったけど割と面倒見良かったみたいやな。さすがに大隊長は器が違う
兵隊作家であった棟田博さんは、その著書「陸軍新兵よもやまはなし」中で、毎年、満期除隊の時期が近づくと、夕食後の酒保では、古参兵が新兵を招待して、ご機嫌を取り結ぶ光景が見られたそうです。これは、新兵が除隊兵に対する「お礼参り」防止の意味があった見たい!だそうです。古参兵に目を付けられ、ビンタの洗礼を受けた新兵が立場を一変して奢られ頭に変貌する訳ですね。その新兵が、古参兵になれば、どんな古参兵になるか?凡そ想像が付きますよね!そして、奢り奢られる!無限ループが、軍隊が続く限り!不死鳥のように続いて行くんですよね。
棟田博さんが原作の映画「拝啓天皇陛下様」でそういうシーンありましたね古兵は二代目黄門様・西村晃、イジメられた兵は渥美清と長門裕之、西村に酒保でおごられた渥美はいざお礼参りのとき腰が引けてしまって
日本の学校教育にも悪影響与えた。私的制裁、イジメは理不尽な軍隊生活受けたり影響受けた教員の児童や生徒への体罰や私的制裁にも繋がった。
戦死した伯父が上官から部下を叩くように命じられたがどうしても思いきり叩けなかった。理不尽だと思ったからだ。したら今度は自分が上官から見本をみせてやると言われしたたかに叩かれ何日も便所でしゃがめなかったというドラマの様な話を親から聞いた事があった。
大東亜戦争最晩年には多くの部隊で兵2,3人で小銃一丁だったそう。どない戦えっていうね。
物資も兵器も食糧もないのに過酷な制裁やしごきは健在…野蛮でバカで理不尽。だから戦争に負けた。
それを言えばバルバロッサ作戦時のソ連兵は2人で1丁がデフォルト。戦友が撃たれてからが相棒の戦争、
11:23~10年前の陸上自衛隊の新隊員教育隊もこのような感じでした。入隊2週間後の引率外出ですっかりシャバの空気を忘れてしまいました……
今日の日本の労働環境で常識とされている規律、作法、思考、言動等の源流が旧軍内務班にあったということですね。人権という面から、今日の日本人も今一度この過去を振りかえり、うつになって電車に飛び込むというようなことの起きない、精神面でも健康な人々が住める国になってほしいと思っています。
暴力こそ無くなったものの、有休は取れない、残業はサービス、ノルマ地獄で鬱病を発症する現代の会社も同じようなものだな。社員の命はやはり300円くらいかな…
いくらなんでも同じじゃないでしょう😭
@@PARIS-JAPAN 旧日本陸海軍の体質は今のブラック企業と変わらない。初年兵の中には過酷な制裁やイジメで自殺も軍は病死と偽り隠蔽…学校でもイジメ隠蔽してるし。今の日本の職場も学校もあの時代とブラックさは同じ
すべての男は消耗品です😅
わかります!私も同じ理不尽さを感じ、上の方にコメントさせて頂きました。日本社会のサラリーマン社会や体育会系の力押しな日本の理不尽さは、私は旧日本軍に根があった気がしてならないと若い時から思っていました。
@@クロコダイルパンティー同感です‼️
私の祖父は長い間兵士として従軍しましたが部下には優しく同僚や上官にも好かれてましたね。敵との撃ち合いで部隊の同郷の若い兵士が戦死した時は敵の追撃が激しく持って行けないから置いて行かなければならなくなった時に私の祖父は不憫に思い右腕を切り取りカバンに入れて持って退却しましたが退却の途中に敵に見つかるかもしれない、部隊を危険に晒し上官に処罰されるかもしれない危険性が頭をよぎりながら焼いて骨にしたそうです。戦争が終わると収容所に入れられたが戦友の遺骨だけは大事に持ち続け日本に帰って来ましたが港へ着くと急いで遺骨を届けに遺族の家に行きましたが家の中から数人の人達が出て来てボロボロの軍服を見て乞食と思われた様で祖父を囲み食い物でも盗りに来たか?と言われ◯◯君の遺骨を戦場から連れて来ましたと言っても信用されず追い返されてしまった。急いで来た道を港まで戻り同じ部隊の事情を知ってる同僚の兵士が帰って来るまで野宿しながら二、三日待ってたら偶然同僚の兵士を見つけ一緒に家族の元へ行き説明をして貰い、ようやく信じて貰えたそうです。港で待ってる時に殆ど飲まず食わずだったから死ぬかと思ったが何としても遺骨を届けたかったと祖父は言ってましたね。
今でも自衛隊 警察 消防 海保‥の任用時教育は厳しいですよ。叔父は旧制中学から海軍に入り後に空自で幹部で定年退官しました。僕も陸自叩き上げ幹部で定年まで勤務しました。平成一桁の営内はデタラメで楽しかった。今で言うなんちゃらハラスメントは日常。新隊員でも30km 幹部候補生学校だと100km行軍もあります。
そういまでも元自衛隊員のユーチューバーさんが有事のときのためにしごきは必要なんていってますからね
娑婆っ気を抜いて戦闘員に養成しなきゃならないから大変…2年目に一等兵になると対番の二等兵が身の回りの世話をしてくれるので少しは楽になるとか…甲幹や乙幹に選抜された人はまだよいほうかも。成績が良ければ除隊時に上等兵に進級のうえ下士官適格証が交付されるよう。
「布団に寝られて白い飯を食える。天国かと思った。」という証言もあるなw
ただ、棟田博さんの「陸軍よもやま物語」によると、軍隊生活が過酷だったのは戦争が激しくなってきた頃で、昭和初期のまだ戦争がなかった平和な時代には、厳しくもどこか牧歌的な生活だったようです。
日中戦争が始まって父の連隊は大陸に派兵された。訓練期間を終了して除隊するはずがそのまま大陸に向かう船に。ゲリラ攻撃をしかけてくる中国軍を討伐していた頃で駐屯地での楽しい思い出やクリークを挟んでの機関銃の撃ち合いなど戦闘経験を話してくれた。でも晩年に死体が転がってる中で飯を食ったとか斬首を目撃したとか生々しい体験を漏らした。大陸での軍隊勤務は北支を舞台にした戦前の映画や『兵隊やくざ』のような世界だったのだろう。日本軍に余裕があった頃で連戦連勝。無事帰って来れて良かったが日米開戦で横須賀海軍工廠に勤務。初の本土空襲を目撃している。その時「海軍のヤロー 何してんだ!!」と叫んだと言う。
降伏せず死ぬまで戦う兵士、というとカッコいいが、こういう洗脳で作られた面も多いんではないかと思う。ただ、こんな軍隊よりひどい、農村で小作人で差別され飢えに苦しむ毎日だった人には軍隊は食うに困らない天国だったとも・・・。今とはずいぶん違う世界。とりあえず、低所得者にはなるが今の生活に感謝しかない。
ソ連も死守命令させて全滅させて時間稼ぐすきに新部隊をそこに配置するの繰り返すのを基本戦術にしてたからべつにおかしくはない。米軍でも劣勢時はしょっちゅうそんなのあるし。兵隊は死ぬのが仕事だからな
降伏(日清戦争)したら、どの様な拷問をされたか、、その後 4 。
米軍も基本捕虜をとらない方針だったのよ。一万人が玉砕なんてそういうことだよ
これはヒトをロボット化するのにとてもいい方法。いまでも自衛隊に残っているし伝統の長い大学の体育会系や相撲などの格闘技系にも残っているそれどころか私がいた大学の吹奏楽部にも残っていた。とにかく軍隊か寺の修行しているようで半年で半分の1年生が辞めていった。よくまあこういう指導方法がいまでも残っていること。なんせ考えなくて済むしヒトを簡単に服従させるのに便利なんだろう。この方法暴走族もかつては取り入れていたからね硬派集団ということで、その代わり反発も激しいからね。
平成も令和も、平時でありながら続いている文化ですね。
今の北朝鮮やな。 まぁ独裁でなくて良かった。
プロ野球の選手の学生時代の話や昔のPL野球部なんかの話も全く同じ。残念ながらこれが日本の文化の一つ。もちろん醜悪な文化。何の反省もないしまた日本文化の一旦である以上同じようなことになれば年数の経過とは関係なくまた簡単に復活するのは明らかだろう。韓国あたりでは軍隊で酷い扱いを受けると母親が抗議に来ることが最近は日常化して酷い扱いはだいぶ減ったらしいが日本では考えられないと思う。また大和魂の炸裂なんてのが語られるのがオチ。
初年兵いじめと言えば、勝新の【兵隊やくざ】が想起される。痛快な映画だ!ところで、大宮には 虚構で無く モデルが実在した。
大宮一等兵の勝新太郎さん、有田上等兵の田村高廣さん、芸者の音丸の淡路恵子さん。全員鬼籍に入ってしまいました。有田上等兵は大学出のインテリなんだけど(ちなみに戦前の大学進学率は同年代の5%前後。卒業すれば近所から学士様扱い)、大宮一等兵に理不尽な制裁を加えた黒鉄伍長に「おい!伍長!!軍隊は階級じゃねぇ、メンコ(年季)の数なんだよ」と上官に向かって啖呵を切るのが格好良かった。
つくづく〜〜〜〜今の、世の中で良かった~~~😮💨😮💨😮💨‼️🍢
陸軍では戦場での私的制裁は無かったようです。そんなことをすれば友軍に後ろから撃たれるからです。また、中国戦線においてはあまりに苦しい行軍のため「戦闘が起こらないかな」と期待していたようです。なぜなら戦闘が起きれば伏せて休むことが出来るからだと聞きました。
戦艦とかは戦う時間が少ないからいうなれば余裕あるのでいじめやってただけだ。だから戦う機会がむっちゃ多い駆逐艦は家族的とか言うやつもいるけど実質的にそんなことしてる暇がないんだ。陸軍の歩兵なんかそんな気力すらなく眠たい食いたいしか頭に無いからな。
その代わり戦場においても初年兵は古参兵のお世話をしなくてはなりませんでした。伊藤桂一氏著書に多数記載があります。氏の作品は単純な善悪論では無い軍隊の一つの姿を生き生きと描き出していますね。やまり聞いただけではなく、ご自身が中国戦線で苦戦したからでしょう。
苦労して兵隊になっても、初の戦場で2~3発撃って突撃で〇んでちゃ浮かばれんよね
日本軍が、そんなだから負けんだヨ😤😤😤‼️アッタマワリ―――😞😞😞‼️🍢
そもそもの制度が問題であるこの時代以前までに生きた人達はこの自由が許されている現代からみて本当に過酷である上下関係でしばられた中で生き続けなければならない弱者の命などどうでもよいとされていた。人間でありながら人権や心を持つ事を否定され階級制度の枠組みにはめ込まれていた。当時は選択肢なく従わない者は非国民で生活を許されずただこういう時代があってこその現代…過去の事実を知る必要がある
軍隊での厳しさは今も同じではないでしょうか?入隊時に自尊心を削ぎ落されます。映画「愛と青春の旅立ち」を観てもわかりますね。
何処の国の軍隊でも初年兵は地獄だ。しかしノモンハン事件の戦記を読むと、戦場の苛烈さは、初年兵訓練など問題にならなかった、と記されている。当たり前だ弾丸が飛び交い、大砲の砲弾が炸裂するのだから。
精神主義がよくも悪くも負けた要因かも知れませんね
精神主義は日本軍の問題点ではあるが、負けた原因ではないだろう。仮に日本軍の体質が精神主義でなくても負けてた。
物資が限られた軍ほど精神主義によりいわゆる戦力の質を保とうとする様な発想はある、という話を聞いたことがあります。精神主義に走っても、善戦こそしますが、結果的には物量に押されるケースもよくありますね。これは現代武術や格闘技でもありますが、体が小さい者は体が大なる者に質として精神の代わりに技を磨いて対抗しようとしますね。
軍事で負けるのは単に経済力だろ。金があれば何でも余裕で別に精神論なんかいわないし
嗚呼!日本陸軍が腐った😭これじゃあ負けるわな、明治の陸軍は規律取れて格好良いです🤔
ただ国を守るって考えるとあっても良いのかなと、減税されるのならと思う。そう思う位今の日本どうかと思う。
コレ😰😰😰‼️ブラックだろ😓😓😓😓🍢
コレを、喜ぶ気が〜〜知れん😔😔😔‼️🍢
人間を、人間とも思わない〜〜〜😓😓😓‼️犬、畜生並みの~~~扱い😭😭😭🍢
隊内イジメはどこの国でもあるよごく普通ザラ精神主義が原因なんて日本独自みたいに言ったら誤解を招くよ体育会系って言った方が確かだよ
米軍も訓練兵に先輩が根性焼きとかやるしなw 映画であったらふつうにあるよなと現役のやつが言う位には頻繁
😅
おいは少年航空兵になるとです。おいは予科練ば入りたばです。うん、でもな君達が行かんでよかごと兄ちゃん達が行くとたい。
【細かく時間で区切られている】これは非常に重要な部分で、「時間に厳格」なことは近代化に伴う工業の発展で工場労働者にとって必要なスキルでもあった。英国で起こった産業革命による近代化は、日本では軍隊を通して行われたと言えるかも知れない。確かに初年兵にとって軍隊は厳しかったかも知れないが、ソレを言うなら現在社会でもサラリーマンとして就職する学生だった若者達だって同じこと。日本だけでなく世界各国の軍隊でも─程度の差はあれ─同じだったのだから、日本の軍隊を必要以上にを悪く言うのは左派活動家や日本共産党の宣伝に乗せられているようなもの(←日本共産党は日本国防軍は否定するが、「共産党赤軍」は肯定するのだから呆れる)
辞めればイイ
憧れて兵士になった人間などごくわずかだ。誤った動画はやめよ。
内容はともかく、背景の音楽がうるさく耳障りで途中鑑賞を放棄しました。
ご意見ありがとうございます!
全然そんなことありませんよ。心地よく聞こえてます。
甲種合格で入隊、兵役期間を修了した年に支那事変が勃発。そのまま大陸に派兵された父。いろいろ軍隊時代の思い出を語ってくれたが悲惨な状況を晩年にぼそり。大東亜戦に興味を持っていた私をどう思っていたのだろう?中学時代に戦記書物の購入を援助してくれた父。戦争反対の思いがあったのかも知れないが平和憲法下で日本が狙われていると知って戦後史を勉強。GHQの洗脳に感化された日本人が多いと愕然とした。先人の考えは間違っていなかった。天皇陛下の下で平和国家を目指すスタイルは王室と皇室の違いに表れている。戦後の感覚で当時を断じてはならない。日本人として恥ずかしいコメを見るたびについ反論をしてしまう。残念ながら人としての心を失っている幼稚なコメが目立つ。
😄
勝手に決めるな😑😑😑😑👎👎👎👎👎
私の曾祖父は柔道が達者で、シゴキをしてきた一等兵上等兵を相撲や白兵戦の訓練時に受け身の取れない投げをして報復したらいじめられなくなったそうです
これを経験した祖父世代、マジで尊敬する。
良い例が水木しげる先生。
漫画でその凄まじさを垣間見る😅
誰かが陸軍消灯ラッパに「初年兵はかわいそうだね~また寝て泣くのかね~」と歌詞を付けた。海軍では新参水兵が古参水兵に海軍精神注入棒の私的制裁の嵐
戦後は痛めつけた元上官たちを日本中探し回って報復した人もいましたね。
引揚船で今まで下級兵をいじめていた下士官をボコボコにしてから海に突きを出したって話よく聞くけど、下に行けば行くほどその時の痛快さは想像とできないんだろうな
その話は父もしていました。一般兵や軍属から下士官がやられたみたいですね。
父は将校だったので何もなかったのですが焼きを入れられた下士官が将校用船室に助けを求めて飛び込んでくるみたいです。
父も軍隊が亡くなったので命令は出来ないので注意をして船室に帰らせたみたいですがその後は不明。
@@非理法権天-t4o 士官は管理職でいわば課長や係長だから兵隊たちの生活環境と区別されててかかわりあいがないからな
福島県いわき市の祖父は何故か衛生兵(近所は皆 歩兵)として二師団に招集され開戦から南方の独立に寄与し終戦から一年後に復員しました⭐ 補充のない南方では階級は上がっても後輩が来ないから しんどかったんだなと思いました😢
現役海上自衛隊員ですが、平成に入隊した時でも扱きや体罰は、日常茶飯事でした😅
上に如何に気に入られるかが日常生活を楽しく過ごす手でした。コミュニケーション能力が1番必要な職業かも
今は、扱きや体罰は少なく成りましたが、一部でわまだ残ってます
軍人は要領を旨とすべし。
終戦になって上下関係がなくなった南方からの引揚げ船の中でそれまで威張り散らしていた上官を取り囲んでフルボッコにして身ぐるみはいで海へ放り投げたって聞いたことがあります😱
これがもっと極端だったのは、シベリア抑留の帰還時で、ソ連の手先になって仲間を密告したり、いじめたりしたした人は、母国を目前にして海に放り投げられたと聞きました。同じ話はドイツでもあり、こちらは帰還列車の窓から放り出されたそうですね。
@@DB-eq4hd 終戦時にハルトマンの直接の上司だったグラーフも収容所で裏切者になったから戦後ずっと退役パイロットの連中からシカト扱いされてたけど食料や家族の手紙を交渉材料にされて突っ張っていられるほどタフな人間はそうそういないと言ってた
兵を鍛えるのではなく怒れる口実や殴れる口実を探していただけの上官。
投稿お疲れさまでした。この話は記憶が薄れないうち、記録が散逸しない間に正確に残しておきたいですね。さて、軍隊が理不尽なのは世界中全く共通ですが、各種の記録を見る限り、この初年兵の理不尽さでは、日本が抜きん出ているように感じます。本動画では説明がありませんでしたが、本制度を語る際に不可欠なのは、軍隊には階級が2つあるということです。すなわち一等兵、二等兵という表向きの階級と入営からの経験年数です。星の数よりメンコの数といい、少なくとも下士官までは、階級よりも経験年数の方が遥かに重いものであり、まさしく兵営を完全に支配していた掟でした。実際、成績優秀で昇進した伍長が、階級が下の一等兵に殴られるという、軍ではあってはならない事態が当たり前のように起きてます。太平洋戦争における日本軍の兵士は世界でも最強クラスだったことは間違いないでしょう。他の国なら絶対に降伏するような戦況でも頑強に戦い続けました。しかし、本動画のようにその精強の原因がどこにあるのか、考えてみることは重要ではないかと個人的には痛感します。
人権蹂躙と精神主義と恐怖支配が根本の旧日本陸海軍。物量や兵器の質、戦場医療はそっちのけ。山縣有朋が作った軍人勅諭が悪しき旧日本陸海軍の根本。米英軍とは180度違う。戦闘では更にバンザイ突撃や特攻など一般兵士は日本では消耗品扱い。物量や兵器無くても理不尽すぎる恐怖支配は終戦まで健在は不快極まりない。特に第二次大戦の日本陸軍は上から下までレベル低い上に野蛮で頭が弱いと言わざるを得ない。日本陸軍は最後まで徹底抗戦主張するバカぶりだったから。
勝新太郎が主演の「兵隊やくざ」はその暗いい実態をオーバーに描いていて面白いです。実は自衛隊でも私的な制裁を、夜間にこっそりとやっていたと元自衛隊員から聞いたことがあります。
19世紀までのイギリス海軍や現在にいたるソ連陸軍も私的制裁が横行していたときいた。
散々酷い目に遭って無謀な戦場行かされて亡くなるって余りにも酷い、理不尽過ぎる…。
私的制裁が一切なかったとされる「歩兵16連隊」新潟県新発田
しかし日清・日露・シベリア出兵・日中・ノモンハン・太平洋の激戦地域に参戦し死者率は高かった
私の祖父は徴兵で入隊し曹長まで経験してます。ガダルカナル島等の激戦地を多数経験した戦闘工兵でした。極限状態の激戦地が多かったそうですが入隊から終戦で除隊迄、私的制裁の類いは一切経験した事もないし噂の類いも聞いた事は無かったそうです。
@@真-m1y 陸兵や前線部隊だと余裕が無いからまったくやらないようだね
投稿お疲れ様です
空母赤城の話を思い出しますね
「♪嫌じゃありませんか~軍隊は、鉄(かね)の茶碗に鉄(かね)の箸、仏様でもあるまいに、一膳飯とは情け無や。」と、陰で歌っていた当時の私の父親は、当然、上官から、顔が変形するほど殴られたと、よく聞かされました。😂😂
『日本軍兵士』『はだしのゲン』『遠い接近』『総員玉砕せよ!』『戦争と人間』は一見する価値があると思う。
想像するだけで「ぞっと」する。日本人って残酷なんですかね!
韓国軍はもっとだよ 私的制裁・いじめに怒り狂って銃を持ち出し 兵舎で乱射 10年前、20年前に起きている
ウチの親父まで軍歴有るから、まぁ上のおじさん達は、秋田歩兵第十七連隊でしごかれたのかなぁ😅中には再度
召集されて、終戦後も国民党政府軍と
無理やり戦争させられた叔父も居ましたから、家も女も世話するから、ぜひとも残ってくれ❗と言われた叔父も
今じゃ兄弟共々鬼籍に入りました😅
フィリピンで未だに野ざらしに成っている叔父も居ます😢因みに私も元陸上自衛隊員で、三等陸曹の階級章付けた
制服着て帰省した時には😊おじさん達は、二選抜の下士官❗喜びすぎて
散々呑まされました😅
丹波哲郎氏が新兵だったか士官として新しく入った時の先輩が川上哲治で物凄くいじめられたらしいです、川上哲治という人は少しでも上の相手にはへらへらして下の相手には辛くあたり評判は最悪だった様です。しかも戦後あの時はああするしかなかったと謝って周り丹波氏は人間の本性を見たと言っていたそうです。そして巨人ではライバルを次々と蹴落とし監督でい続けました。
森 昌彦(森 祇晶)はその川上のそういう部分を受け継いでますね
新たに入ってきた捕手を追い落とす 実力でなく告げ口などで 場合によっては相手チームにアイツはこのコースが弱いとか教える
それなりの管理能力はあったので 監督にはなったけど 優勝しても 人望がないのでオーナーからお好きにどうぞと言われ切られてしまう
@@asaichban9842 南海の鶴岡は野村監督とは確執あったけど割と面倒見良かったみたいやな。さすがに大隊長は器が違う
兵隊作家であった棟田博さんは、その著書「陸軍新兵よもやまはなし」中で、毎年、満期除隊の時期が近づくと、夕食後の酒保では、古参兵が新兵を招待して、ご機嫌を取り結ぶ光景が見られたそうです。
これは、新兵が除隊兵に対する「お礼参り」防止の意味があった見たい!だそうです。
古参兵に目を付けられ、ビンタの洗礼を受けた新兵が立場を一変して奢られ頭に変貌する訳ですね。その新兵が、古参兵になれば、どんな古参兵になるか?凡そ想像が付きますよね!そして、奢り奢られる!無限ループが、軍隊が続く限り!不死鳥のように続いて行くんですよね。
棟田博さんが原作の映画「拝啓天皇陛下様」でそういうシーンありましたね
古兵は二代目黄門様・西村晃、イジメられた兵は渥美清と長門裕之、西村に酒保でおごられた渥美はいざお礼参りのとき腰が引けてしまって
日本の学校教育にも悪影響与えた。私的制裁、イジメは理不尽な軍隊生活受けたり影響受けた教員の児童や生徒への体罰や私的制裁にも繋がった。
戦死した伯父が上官から部下を叩くように命じられたがどうしても思いきり叩けなかった。理不尽だと思ったからだ。したら今度は自分が上官から見本をみせてやると言われしたたかに叩かれ何日も便所でしゃがめなかったというドラマの様な話を親から聞いた事があった。
大東亜戦争最晩年には多くの部隊で兵2,3人で小銃一丁だったそう。
どない戦えっていうね。
物資も兵器も食糧もないのに過酷な制裁やしごきは健在…野蛮でバカで理不尽。だから戦争に負けた。
それを言えばバルバロッサ作戦時のソ連兵は2人で1丁がデフォルト。戦友が撃たれてからが相棒の戦争、
11:23~
10年前の陸上自衛隊の新隊員教育隊もこのような感じでした。
入隊2週間後の引率外出ですっかりシャバの空気を忘れてしまいました……
今日の日本の労働環境で常識とされている規律、作法、思考、言動等の源流が旧軍内務班にあったということですね。人権という面から、今日の日本人も今一度この過去を振りかえり、うつになって電車に飛び込むというようなことの起きない、精神面でも健康な人々が住める国になってほしいと思っています。
暴力こそ無くなったものの、有休は取れない、残業はサービス、ノルマ地獄で鬱病を発症する現代の会社も同じようなものだな。社員の命はやはり300円くらいかな…
いくらなんでも同じじゃないでしょう😭
@@PARIS-JAPAN 旧日本陸海軍の体質は今のブラック企業と変わらない。初年兵の中には過酷な制裁やイジメで自殺も軍は病死と偽り隠蔽…学校でもイジメ隠蔽してるし。今の日本の職場も学校もあの時代とブラックさは同じ
すべての男は消耗品です😅
わかります!
私も同じ理不尽さを感じ、上の方にコメントさせて頂きました。
日本社会のサラリーマン社会や体育会系の力押しな日本の理不尽さは、私は旧日本軍に根があった気がしてならないと若い時から思っていました。
@@クロコダイルパンティー同感です‼️
私の祖父は長い間兵士として従軍しましたが部下には優しく同僚や上官にも好かれてましたね。
敵との撃ち合いで部隊の同郷の若い兵士が戦死した時は敵の追撃が激しく持って行けないから置いて行かなければならなくなった時に私の祖父は不憫に思い右腕を切り取りカバンに入れて持って退却しましたが退却の途中に敵に見つかるかもしれない、部隊を危険に晒し上官に処罰されるかもしれない危険性が頭をよぎりながら焼いて骨にしたそうです。
戦争が終わると収容所に入れられたが戦友の遺骨だけは大事に持ち続け日本に帰って来ましたが港へ着くと急いで遺骨を届けに遺族の家に行きましたが家の中から数人の人達が出て来てボロボロの軍服を見て乞食と思われた様で祖父を囲み食い物でも盗りに来たか?と言われ◯◯君の遺骨を戦場から連れて来ましたと言っても信用されず追い返されてしまった。
急いで来た道を港まで戻り同じ部隊の事情を知ってる同僚の兵士が帰って来るまで野宿しながら二、三日待ってたら偶然同僚の兵士を見つけ一緒に家族の元へ行き説明をして貰い、ようやく信じて貰えたそうです。
港で待ってる時に殆ど飲まず食わずだったから死ぬかと思ったが何としても遺骨を届けたかったと祖父は言ってましたね。
今でも自衛隊 警察 消防 海保‥の任用時教育は厳しいですよ。叔父は旧制中学から海軍に入り後に空自で幹部で定年退官しました。僕も陸自叩き上げ幹部で定年まで勤務しました。平成一桁の営内はデタラメで楽しかった。今で言うなんちゃらハラスメントは日常。新隊員でも30km 幹部候補生学校だと100km行軍もあります。
そういまでも元自衛隊員のユーチューバーさんが有事のときのためにしごきは必要なんていってますからね
娑婆っ気を抜いて戦闘員に養成しなきゃならないから大変…
2年目に一等兵になると対番の二等兵が身の回りの世話をしてくれるので少しは楽になるとか…
甲幹や乙幹に選抜された人はまだよいほうかも。
成績が良ければ除隊時に上等兵に進級のうえ下士官適格証が交付されるよう。
「布団に寝られて白い飯を食える。天国かと思った。」という証言もあるなw
ただ、棟田博さんの「陸軍よもやま物語」によると、軍隊生活が過酷だったのは戦争が激しくなってきた頃で、昭和初期のまだ戦争がなかった平和な時代には、厳しくもどこか牧歌的な生活だったようです。
日中戦争が始まって父の連隊は大陸に派兵された。訓練期間を終了して除隊するはずがそのまま大陸に向かう船に。ゲリラ攻撃をしかけてくる中国軍を討伐していた頃で駐屯地での楽しい思い出やクリークを挟んでの機関銃の撃ち合いなど戦闘経験を話してくれた。でも晩年に死体が転がってる中で飯を食ったとか斬首を目撃したとか生々しい体験を漏らした。
大陸での軍隊勤務は北支を舞台にした戦前の映画や『兵隊やくざ』のような世界だったのだろう。日本軍に余裕があった頃で連戦連勝。無事帰って来れて良かったが日米開戦で横須賀海軍工廠に勤務。初の本土空襲を目撃している。その時「海軍のヤロー 何してんだ!!」と叫んだと言う。
降伏せず死ぬまで戦う兵士、というとカッコいいが、こういう洗脳で作られた面も多いんではないかと思う。ただ、こんな軍隊よりひどい、農村で小作人で差別され飢えに苦しむ毎日だった人には軍隊は食うに困らない天国だったとも・・・。今とはずいぶん違う世界。とりあえず、低所得者にはなるが今の生活に感謝しかない。
ソ連も死守命令させて全滅させて時間稼ぐすきに新部隊をそこに配置するの繰り返すのを基本戦術にしてたからべつにおかしくはない。米軍でも劣勢時はしょっちゅうそんなのあるし。兵隊は死ぬのが仕事だからな
降伏(日清戦争)したら、どの様な拷問をされたか、、その後 4 。
米軍も基本捕虜をとらない方針だったのよ。一万人が玉砕なんてそういうことだよ
これはヒトをロボット化するのにとてもいい方法。いまでも自衛隊に残っているし
伝統の長い大学の体育会系や相撲などの格闘技系にも残っている
それどころか私がいた大学の吹奏楽部にも残っていた。
とにかく軍隊か寺の修行しているようで半年で半分の1年生が辞めていった。
よくまあこういう指導方法がいまでも残っていること。
なんせ考えなくて済むしヒトを簡単に服従させるのに
便利なんだろう。この方法暴走族もかつては取り入れていたからね
硬派集団ということで、その代わり反発も激しいからね。
平成も令和も、平時でありながら続いている文化ですね。
今の北朝鮮やな。 まぁ独裁でなくて良かった。
プロ野球の選手の学生時代の話や昔のPL野球部なんかの話も全く同じ。残念ながらこれが日本の文化の一つ。もちろん醜悪な文化。
何の反省もないしまた日本文化の一旦である以上同じようなことになれば年数の経過とは関係なくまた簡単に復活するのは明らかだろう。
韓国あたりでは軍隊で酷い扱いを受けると母親が抗議に来ることが最近は日常化して酷い扱いはだいぶ減ったらしいが日本では考えられないと思う。
また大和魂の炸裂なんてのが語られるのがオチ。
初年兵いじめと言えば、勝新の【兵隊やくざ】が想起される。痛快な映画だ!ところで、大宮には 虚構で無く モデルが実在した。
大宮一等兵の勝新太郎さん、有田上等兵の田村高廣さん、芸者の音丸の淡路恵子さん。全員鬼籍に入ってしまいました。
有田上等兵は大学出のインテリなんだけど(ちなみに戦前の大学進学率は同年代の5%前後。卒業すれば近所から学士様扱い)、大宮一等兵に理不尽な制裁を加えた黒鉄伍長に「おい!伍長!!軍隊は階級じゃねぇ、メンコ(年季)の数なんだよ」と上官に向かって啖呵を切るのが格好良かった。
つくづく〜〜〜〜今の、世の中で良かった~~~😮💨😮💨😮💨‼️🍢
陸軍では戦場での私的制裁は無かったようです。そんなことをすれば友軍に後ろから撃たれるからです。
また、中国戦線においてはあまりに苦しい行軍のため「戦闘が起こらないかな」と期待していたようです。なぜなら戦闘が起きれば伏せて休むことが出来るからだと聞きました。
戦艦とかは戦う時間が少ないからいうなれば余裕あるのでいじめやってただけだ。だから戦う機会がむっちゃ多い駆逐艦は家族的とか言うやつもいるけど実質的にそんなことしてる暇がないんだ。陸軍の歩兵なんかそんな気力すらなく眠たい食いたいしか頭に無いからな。
その代わり戦場においても初年兵は古参兵のお世話をしなくてはなりませんでした。伊藤桂一氏著書に多数記載があります。氏の作品は単純な善悪論では無い軍隊の一つの姿を生き生きと描き出していますね。やまり聞いただけではなく、ご自身が中国戦線で苦戦したからでしょう。
苦労して兵隊になっても、初の戦場で2~3発撃って突撃で〇んでちゃ浮かばれんよね
日本軍が、そんなだから負けんだヨ😤😤😤‼️アッタマワリ―――😞😞😞‼️🍢
そもそもの制度が問題である
この時代以前までに生きた人達はこの自由が許されている
現代からみて本当に過酷である
上下関係でしばられた中で
生き続けなければならない
弱者の命などどうでもよい
とされていた。
人間でありながら
人権や心を持つ事を
否定され
階級制度の枠組み
にはめ込まれて
いた。
当時は
選択肢なく
従わない者は
非国民で
生活を許されず
ただこういう
時代があってこその
現代…
過去の事実を知る
必要がある
軍隊での厳しさは今も同じではないでしょうか?入隊時に自尊心を削ぎ落されます。映画「愛と青春の旅立ち」を観てもわかりますね。
何処の国の軍隊でも初年兵は地獄だ。しかしノモンハン事件の戦記を読むと、戦場の苛烈さは、初年兵訓練など問題にならなかった、と記されている。当たり前だ弾丸が飛び交い、大砲の砲弾が炸裂するのだから。
精神主義がよくも悪くも負けた要因かも知れませんね
精神主義は日本軍の問題点ではあるが、負けた原因ではないだろう。仮に日本軍の体質が精神主義でなくても負けてた。
物資が限られた軍ほど精神主義によりいわゆる戦力の質を保とうとする様な発想はある、という話を聞いたことがあります。
精神主義に走っても、善戦こそしますが、結果的には物量に押されるケースもよくありますね。
これは現代武術や格闘技でもありますが、体が小さい者は体が大なる者に質として精神の代わりに技を磨いて対抗しようとしますね。
軍事で負けるのは単に経済力だろ。金があれば何でも余裕で別に精神論なんかいわないし
嗚呼!日本陸軍が腐った😭これじゃあ負けるわな、明治の陸軍は規律取れて格好良いです🤔
ただ国を守るって考えるとあっても良いのかなと、減税されるのならと思う。そう思う位今の日本どうかと思う。
コレ😰😰😰‼️ブラックだろ😓😓😓😓🍢
コレを、喜ぶ気が〜〜知れん😔😔😔‼️🍢
人間を、人間とも思わない〜〜〜😓😓😓‼️犬、畜生並みの~~~扱い😭😭😭🍢
隊内イジメはどこの国でもあるよ
ごく普通ザラ
精神主義が原因なんて日本独自みたいに言ったら誤解を招くよ
体育会系って言った方が確かだよ
米軍も訓練兵に先輩が根性焼きとかやるしなw 映画であったらふつうにあるよなと現役のやつが言う位には頻繁
😅
おいは少年航空兵になるとです。
おいは予科練ば入りたばです。
うん、でもな君達が行かんでよかごと兄ちゃん達が行くとたい。
【細かく時間で区切られている】
これは非常に重要な部分で、「時間に厳格」なことは近代化に伴う工業の発展で工場労働者にとって必要なスキルでもあった。
英国で起こった産業革命による近代化は、日本では軍隊を通して行われたと言えるかも知れない。
確かに初年兵にとって軍隊は厳しかったかも知れないが、ソレを言うなら現在社会でもサラリーマンとして就職する学生だった若者達だって同じこと。日本だけでなく世界各国の軍隊でも─程度の差はあれ─同じだったのだから、日本の軍隊を必要以上にを悪く言うのは左派活動家や日本共産党の宣伝に乗せられているようなもの(←日本共産党は日本国防軍は否定するが、「共産党赤軍」は肯定するのだから呆れる)
辞めればイイ
憧れて兵士になった人間などごくわずかだ。
誤った動画はやめよ。
内容はともかく、背景の音楽がうるさく耳障りで途中鑑賞を放棄しました。
ご意見ありがとうございます!
全然そんなことありませんよ。心地よく聞こえてます。
甲種合格で入隊、兵役期間を修了した年に支那事変が勃発。そのまま大陸に派兵された父。いろいろ軍隊時代の思い出を語ってくれたが悲惨な状況を晩年にぼそり。大東亜戦に興味を持っていた私をどう思っていたのだろう?
中学時代に戦記書物の購入を援助してくれた父。戦争反対の思いがあったのかも知れないが平和憲法下で日本が狙われていると知って戦後史を勉強。GHQの洗脳に感化された日本人が多いと愕然とした。先人の考えは間違っていなかった。
天皇陛下の下で平和国家を目指すスタイルは王室と皇室の違いに表れている。戦後の感覚で当時を断じてはならない。
日本人として恥ずかしいコメを見るたびについ反論をしてしまう。残念ながら人としての心を失っている幼稚なコメが目立つ。
😄
勝手に決めるな😑😑😑😑👎👎👎👎👎