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私の祖父は日露戦争で黒木第一軍に従軍して生還を果たしました。あの大きな露助をやっつけたからいかに勇敢だったかわかる。
「ロスケ」が差別語だというのは間違っています。ロシア人自身が自分たちのことを「ロスキー」と呼んでいるのですから。
なんとなぁく知ってはいたけどゴールデンカムイ読んでもっと日本史について知りたくなって辿り着きました。この動画を見て、自分の無知に恥ずかしくなりましたが、もっと勉強しようと思えるきっかけになりました。これからも見させていただきます!
東郷平八郎元帥もピークはここまでで、その後海軍に関することの全てを東郷元帥にお伺いを立てなきゃならないなど独裁色が強くなっていく。
私の母方の 高祖父 は 白襷隊でした本土に帰還ご勲章を頂戴いたしました。
映画二百三高地は名作です
大変興味深く見させて頂きました。当時のロシア革命についても、軽く触れると更にわかりやすくなると思います。
とてもわかりやすい内容。学生時代にこういう動画を見ていたらもっと歴史に興味を持てていたかも。
小中高とテストのためだけに勉強してて全く興味なかったけど、はだしのゲン読み始めてから戦争に興味を持ち、そこから日本史、次に世界史ってどんどん興味が広がっていった
3:00「当時の国際法では宣戦布告前の国際法は違法とされていなかったので大きな問題にはならなかった」との点は、昔受けた反日史観に基づく日本史の授業では全く欠落していたところ。目から鱗。参考文献読んでみたいです。というか、日清・日露戦争を当時適用されていた国際法の観点から見るのも面白いかも。
1907年のハーグ国際条約で、宣戦布告なしの先制攻撃は国際法違反と規定されました
ロシア戦艦の砲弾:直接当たると徹甲榴弾の炸薬が貫通爆発して、敵艦を爆破範囲で破壊し破片で乗員を殺傷。上手く当たれば敵砲弾を誘爆させて被害拡大。日本戦艦の砲弾:直接当たるか張線に触れると伊集院信管が触発起動して(時限信管としては上手く働かなかった上、信管無しでも衝撃で鋭敏な下瀬火薬は起爆したとも言われる)爆発し破片殺傷の後、発生した超高温火球が敵艦上部構造物を爆発範囲の内外を問わず焼夷破壊し尽くす。当然、敵艦上の準備中砲弾は高温で連鎖的に誘爆炎上し被害甚大。この使用炸薬の違いの結果として、練度による命中率・砲口径からの威力質量と有効射程・装甲厚と速力には差が無い英仏設計の最新式戦艦同士だった両艦隊の戦果に大きな差が生まれ、ロシア艦隊は一方的に「海上に浮かぶ松明の列」と化したのが日本海海戦だったかと。
15:32付近、誤「距離600m」。正「距離6,000m」ですね。
この時代の600mだと、水雷艇が魚雷を発射する距離かしらね。
す😂@@江戸親鸞
良く纏まっていて分かりやすいです。勝てた理由は…最強の兵・参謀・将、三拍子揃ったからだと思います。結局は「人」、ですから。当時の軍は創世記→完成期へ移行中。以降、将・参謀の中に保身主義者が少しずつ増えて行く事に…
イギリス・アメリカからの莫大な融資と、主にイギリスからの武器供与がなかったら戦争なんてできなかったことを忘れてはいけないと思いますよ。途中で弾薬不足になりイギリスやドイツに緊急発注して助かったなんていうのもあります。そこまでさせといて「戦果は日本のものだから口出し無用」って態度をとって恨みを買い、太平洋戦争の敗戦につながってるんですから・・・。
指導者が戊辰戦争で実戦経験があったのが大きい。
@@hiroyukiohishi8524 現在のC国の融資政策に似たものを感じますね。融資を受けたら言う事を聴く。株主の言う事は聞け。現代の日本破壊に通ずる「力」の存在。優秀な指導者の力で江戸時代までは鎖国で耐えていたんですがねぇ。(個人の感想です。
@@インクのない筆ペン当時は、別に米英は日本を飲み込むつもりはなく清国に勝った実績を認めて、極東側のロシアの抑えとして期待されてたと思います。でなければあれほどの援助はしないでしょう。たとえばイギリスから戦艦を売ってもらわなければ(帝国主義真っ盛りなので誰にでも売るわけじゃない)日本海海戦なんて成立してないですし、アメリカが講和のテーブルを用意してくれずに奉天会戦後も戦が続けば日本陸軍はもしかしたら一度の反撃で瓦解し、大陸から裸足で逃げ出してた可能性だってありました。それなのに戦後の大陸の共同開発は拒否、その後第一次大戦の苦境に陥ったイギリスからの陸軍派兵の要請も拒否した挙句、各国が大戦で余裕がない状態なのに中国に過酷な租借条件を突き付けて利権を確保しようとしました。そんな多額の援助の恩をあだで返した結果が第二次世界大戦の敗北です。ほんと日本の外交音痴にはあきれるばかりです。
@@インクのない筆ペン それでも、最初のコメで指摘されてる通り「人的に」最高の状態で戦えたのは確かだと思います。激動の維新とその後の混乱を絶妙なバランス感覚で乗り越えたリーダーと、それをフォローしつつ海外で最新の知識・技術を学んだ参謀、最新の兵器を装備した兵で臨んだのですから。ただ、日露戦争に勝利した後、これらすべてを自らの手で喪失させて大敗しました。他国とのバランスを考えられないリーダー、情報軽視で勢いだけの参謀、貧乏で最新兵器を手にできない兵士・・・・。残念です。
OPカッコイイ👍
太平洋戦争に勝っていたらっていうたらればの話はたまにあるけど、日露戦争に負けていたらってなかなか無いよね。負けててもおかしくなかっただろうけど、それだとどうなってたんでしょうね。
家は焼け、畑はコルホーズ〜君はシベリア・・・(以下略)
東郷はバルチック艦隊を破ったのは兵の練度もあるが偶然の幸運もあったと述べて、勝って兜の緖を締めよと言っている。又秋山真之も天佑の連続だったと言っている。兜の緖を締めなかったのは奢り高ぶった昭和の日本軍。😮
それもあるが⁉️やはり科学が発達しすぎた⁉️誰が日露戦争後・・・・飛行機や、潜水艦や、空母や戦車や原爆が開発されると予想出来ようか・・・・
日露戦争初戦で主力艦2隻を触雷で失うもドイツの旧式艦2隻を購入して第三艦隊に入れバルチック艦隊の後方から追撃させたんだけど旧式艦とはいえ戦費の圧縮に繋がると反対する者も多かったそこで山本権兵衛と西郷従道が強権を発動したんです失敗したらオイとオハンが腹を切れはよかwww結果的に見れば山本権兵衛達の先見が正しかった訳ですね
未だ嘗てない新しい始まりでちょっと感慨深い、かっこいい歴史書の一節を読んで始まるやつ、地味に史料問題に役立ってます!
それ歴史書じゃないが、戦争中に出版され、相当に物議を醸した。戦争してるのに「反戦歌」だから。
ま、ぎりぎり勝ったのが事実だし、乃木将軍はずっと多くの将兵が亡くなったことを自責していた
日露戦争によって、陸軍記念日と海軍記念日が制定されました。
日本海海戦の時のbgmってなんですか?
14:25からの編集かっこよゲームみたい
仁平 仁平 対バルチック艦隊戦を有利にした、日英同盟に就いて語っていないぞ!! 此れに言及せずに語れば、飛んだ無敵意識を植え兼ねないぞ!! 日本勝利は勿論、喜ばしいが、「真実」を確り見極める事からのみ、次の勝利も考え得る事を、お忘れ無く‼ 有り難う!!スレ主! では又
わかりやすく、おもしろい、、
ついこの前まで田畑耕してた純朴な青年が帰りみはせじと身を粉にしたのは皇国の荒廃はと思うたにと思う。皇国とは父母妻子の国と思い粉になったと思っております合掌。
日露戦争当時は武器の運搬能力が低くて日本が有利で勝機があった露から歩兵は中央アジアを越えて、軍艦はケープタウンを越えて、です戦闘地域が極東で、兵力の補充は圧倒的に日本に有利で、特に陸軍は被害が酷くても諦めずに進軍した海軍は、砲弾の進化が決定した・・・歴史好きで研究の結果は当時の日本の努力です露は、徹甲弾で、甲板に穴が空いても沈まない(・・喫水に近い処でなければ)日本は、榴弾を活用していた、砲弾に火薬を詰めて(下瀬火薬)、先端にスイッチを付けて(伊集院信管)、甲板でも、海に落ちても、着弾の瞬間に砲弾は炸裂して破片が火の玉になって降り注いだ燃える構造物がない露艦が炎に包まれた(日本艦に乗船していた観戦武官アルゼンチンのガルシア大佐の談)(榴弾は打ち出す砲筒の中で爆発する危険があってこれの進化改善に成功していた)有名な東郷元帥の敵前回頭は、露艦の砲は当たっても被害は少ない、って事の自信だったのでしょう太平洋戦争になると様相が違ってきます飛躍的に武器の運搬能力が上がって・・・真珠湾まで行けた、東京まで来れた・・・後は・・国力=産業の持続力です、これを見誤ったか無視したかの日本が馬鹿な事だったで、その進化でいえばミサイルで運ぶ核は10分、15分で到着する現実があります(ご注意)
思いもよらずイケイケの戦闘民族
飛鳥から明治初期まで紛争してた国だからね
小さな島国 日本。鎌倉時代といい明治時代といい本当に日本は世界最強だった。日本人として誇りです。現代アメリカが日本に核を持たせないように骨抜きにしているのがわかる。
日本に核兵器を持たせないのは、核保有レースが始まらないようにするためじゃないの
いまだにアメリカに支配されてるじゃ無いですか。未来永劫アメリカが同盟国と思い込んだら亡国の道まっしぐらですね。
いつの時代も国民は情報に踊らされてるんだな。
中国を侵略する日本と中国を守るロシアとの戦争
日本側(脚気 ビタミンB不足)VSロシア側(壊血病 ビタミンC不足) 多くの患者が出て亡くなっています。森 林太郎医師(東京大学医学部史上最年少入学 作家名 森鴎外)は、脚気の原因を軍部に伝えましたが、相手にされなかったですね。1905年 日本はバルチック艦隊を破り、日本はアメリカと協定(桂・タフト協定を結ぶ)をかわし、アメリカのフィリピンを配を認め、次に第二回日英同盟を結んで、イギリスがインドの支配権を認める。日本は、韓国の保護国家を認めさせたい ロシアの戦争を長引くことはしたくない(財政的に厳しいので)1905年に 日本はアメリカの仲介によってロシアとのあいだに 日露講和条約(ポーツマス条約)を結ぶ。賠償金が取れないので、日比谷焼き討ち事件が起き、国民が激怒し、小村寿太郎の家も燃やされたと記憶があります。小村はアメリカに当時おり、数年後に ポーツマス条約結んだ ロシアのサンクトペテルブルクで小村寿太郎 ウィッテ出会う。お互いが国の代表で 厳しい交渉の中で戦ったかなと思います。東郷平八郎が「日露戦争の勝利は幕臣・小栗上野介のお陰」が印象的な言葉だなと個人的に思います。小栗上野介は横須賀造船所を作った方です。 司馬遼太郎先生が「明治国家の父」と名付けました。ロシアも クリミヤ戦争 露土戦争 今回の日露戦争など ずっと戦っている印象があります。与謝野晶子の弟は無事に日本に帰国した記憶があります。
違います。鴎外は東大医学部派閥で脚気はウィルス原因説に固守しました。その結果日露戦争で多くの陸軍軍人を死なせました。これに対して海軍は麦飯やカレー等に兵食を改善し脚気の死者は出ませんでした。
@@masao750 森鴎外は脚気の原因報告を受けたが、握り潰した側でしたね。因みに、清の軍艦は甲板に洗濯物を干していただけでなく、新鮮な野菜確保のため、畑まで作っていたそうです。ビタミン対策バッチリ。
脚気については陸軍軍医森鴎外vs海軍軍医高木兼寛で海軍に軍配
乃木大佐に代わって?
司馬遼太郎が「昭和」を「鬼胎の時代」と定義し、その始まりと位置付けた日露戦争ですね。「昭和」が「鬼胎」かはよくわかりませんが、以後日本が軍国主義化していくことに悪影響を及ぼしたという見解には同意します。3:50 のところは太平洋戦争を起こしたことを想起させますね。山本五十六らは日露戦争に学んでいるか、学んでいるとしたら、日露戦争の勝因はロシアの内部事情にもあったことをどれくらい考慮に入れたかはよくわかりませんが、、、勝てない戦争に勝って、その勝ちに陶酔してまた勝てない戦争を起こし、敗北する、これも「塞翁が馬」かなと思います(笑)大変興味深い動画見させていただき、ありがとうございます。
日露戦争はロシアがガトリング砲を使って歩兵が穴に落ちてそこをロシアに狙い撃ちされて負けたと思ってましたが海軍の戦艦の後方攻撃が優秀だったイメージがあります
日本人の対馬戦に対する見方は、かなり歪んでいますね。バルチック艦隊は、多数の旧式艦からなるほとんど戦闘能力のない艦隊であり、東アジアへの航海中にその数はさらに減少した。 したがって、この艦隊の意図は日本海軍を脅かすことではなく、ただウラジオストクに到達することであった。日本人は対馬での勝利を革命的なものとして語るが、実際にはそれほど大きなものではなかった。
あの数の艦隊を、地球半周して到着しただけでも実は凄いですね。途中、英国紳士の嫌がらせありつつも。
ヴァッハハハハ 「実際にはそれほど大きなものではなかった。」が、和平交渉を導き、勝つために必要だったわけよ。講和条約結ばねば戦争は終わらない。それが「実際にはそれほど大きなものでなかった」かね。そういうのを事実に反するという。つまり100%嘘っぱちの感想どころか妄想だ。歴史に学べないってそういうこと。つまりあなたのような考えが昭和の戦争に負けた原因。
草
戰爭は人殺しです❤運が良かっただけです❤
そんなわけわからないこと言ってるようなら、げんこつしてあげましょうか?
日露戦争前に、北京の55日の日本陸軍の柴五郎中在武官の活躍をイギリス大使のロナウドマグロナルドがイギリス政府に働きかけた事も大事なことだと思いますよ!
今思えば日本海海戦の戦果化け物で草
曾爺は日露、大石橋の戦いで戦死しました。新婚半年でした。火薬の香りの村田銃だけが帰って来ました。どこかに写ってないかと映像を漁っています。
私の大伯父(祖父の兄)も第二回旅順総攻撃で戦死しています。歩兵だったので突撃時に機関銃で撃たれたようです。先人には感謝と心からの哀悼の誠を捧げたいです。
日本の戦術も確かに強かったけどやっぱイギリスのおかげなところはある気がするなあイギリスがスエズ運河閉鎖したのと世界中にあるイギリスの軍事基地がバルチック艦隊の様子を日本に伝えてたことあと日本にだけ煙が出ない石炭を売ってたとかイギリスのお膳立てなしで戦ってたらどうなったんだろうか
日英同盟を結んだ政府は大殊勲だったと思います
戦術的勝利と戦略的勝利がどちらも大事
そのイギリス製石炭が日本の船を早く走らせることができた。ロシアの船は遅かったから日本に有利だったんですよね。戦争は外交ですね。(「坂上の雲」司馬遼太郎 より)
日英同盟を結んでいた事もあり、日本の軍艦は、当時皆、英国製でした。有名な戦艦「 三笠 」も英国製です。
世界最強と言われたバルチック艦隊、蓋を開けてみれば日本海軍がいるとは考えずらいイギリス海峡でイギリス漁船を間違えて破壊したり、スエズ運河を通れなくて大きく迂回したり、名前だけの艦隊になっていたな。
令和5年1月17日に日露戦争中の軍属などの関連者、一般人は勿論、産まれたての赤ちゃんも地球上に居る人間は全員が亡くなった。日露戦争の白黒写真に写ってる人は当時、生き延びても令和の現在は誰もいないんだよなと思うと悲しい。日露戦争中に生まれた最後の人間は明治37年2月11日生まれだから、旅順港閉塞作戦の時は既に生まれてた。奉天会戦の時は既に1歳。乃木希典や児玉源太郎、東郷平八郎も現役だったとは。こんな時代から岸田内閣の時代まで生き延びるとかスゴすぎる。
露助の自滅と、地味ながらもバルチック艦隊の航海を散々お邪魔虫したイギリスの功績も大きい。
バルチック艦隊は全滅したはずなのに、現代にシレっと復活してますね。
@@syakuyumiko2012 そもそも黒海艦隊は無傷だったし。日本はイギリスのお膳立てで知ってて戦争に乗った。結果イギリスはただでロシア海軍2/3を海の藻屑にした。おまけにロシアの衛星国を「極東のサルだって勝てるんだからおメーラも」と言って焚き付けた。当時世界の通信網を握ってたのはイギリスの通信社だ。
@@syakuyumiko2012 保守派が多いからな、あの国は…
日英同盟出来た日本の力でしょ
@@もふもふ信者 もちろん黄色いサルとしてできる限りの貢献をした。これは無力では出来ない。と同時に、それ以上の継戦は無理だったから、イギリスとアメリカに講和仲介を依頼した。日本国内の英語のできる「インテリ」はイギリスによる周辺国への煽りを、国内で反政府活動に利用した。「大勝利だー」「なのになんで賠償金取れねーんだよ」っていうわけだ。イギリスにはイギリスの都合があって、つまり、ロシアの周辺国を焚き付けるためにそう言ってただけだった。今もそうだがメディアにはメディアの都合が在るってだけのこと。
与謝野晶子のこの歌は、日露戦争を反対したのではなく、士農工商の身分制度で「商人」に生まれ、そういった教育を一切受けていない弟が戦争に行くことを反対していた。(そういう教育を受けた「華族」「士族」が行き、それ以外の身分の人間は教育を受けていないので行く必要はないとの考え方。)
白タスキ隊は犬死ではないと主張したい。白タスキは非常に目立つ。だから撃たれやすい。彼らの屍が前進するごとに屍を盾として敵の守備隊を制圧せしめた。
この頃が日本の国民と政府が一番強かった頃では無いでしょうか、現代の日本には自衛戦争を継続する力はありませんし、安保条約で頼みの綱のアメリカも直接的な援護攻撃は行わないことが周知されつつあります。本来は少子化を食い止めて国力を上げる事で防衛と外交力を付ける事すが、岸田は増税しか頭になく国の将来像は考えていないようです。早く辞めて欲しいですね。
ロシアは、日本を甘く見ていたって聞きました。当時の日本はアジアの小国。楽勝だと思ったらしい。がしかしこの戦争に勝利したことにより、アジアに日本ありきって思ったらしいとのこと
はじめまして、大変解りやすく面白かったです。私は山口県の日本海側に住んでおりますが、若い頃郷土史の先生に日本海海戦のエピソードを聞きました。砲声は山口県から島根県の日本海沿岸各地に轟き、沿岸に住んでいる方々は砲声が聞こえる度に太鼓を打ちならして日本軍を応援していたそうです。ただ、日本海海戦が終了した直後には、海岸におびただしい数の戦闘中に使用されたごみや人糞が打ち上げられたとか。
俺のじいちゃん戦艦「敷島」に乗艦していました。志願兵です。じいちゃんが生きて帰ったから今の自分もいます。😅バルチック艦隊の砲撃は連合艦隊の手前で着弾することが多く届かなかったらしい。連合艦隊の砲撃性能がバルチック艦隊より良かったらしい。
今生きてるって結構奇跡なことなんだな~生き延びた先祖様達に感謝
日本海海戦の演出がたまらん
司馬遼太郎は乃木将軍を能無しの様に書いてたが偏見も酷いモノ。当時乃木に与えられた情報が間違っていたので全滅の危機だったのを立て直し対戦してた。
司馬さんの小説を歴史的事実と勘違いしている日本人の多い事😢あくまでも歴史小説ですから。
曽祖父が駆逐艦艦長で、様々な資料が家に残されています。ロシア艦艇がタイタニック号のように垂直になり沈没する有様、沈没する敵艦と撃沈時刻(日も明けぬ早朝に多数の敵艦を撃沈しているようです)。東郷元帥以下全艦長の血判状(勝利の誓い)です。相当な覚悟で日本海海戦に臨んでいたようです。
分かりやすくまとめてあるので飽きず見ました。この話しから大東亜戦争しっかり義務教育として教えて欲しい❗明治神宮がある様に乃木神社あります。負けていれば、ロシアの植民地になっていたでしょう。それは大東亜戦争の時もロシアは北海道を分断するつもりでいたのですから。それらの事含めて日本国は一つの島として存在してるか教えて欲しい。
回頭を終え日本艦隊が発砲したのは距離600メートルではなく、6000メートルでした。
軍神 廣瀬武夫帝國海軍中佐軍神 橘周太帝國陸軍中佐日本騎兵の父 秋山好古帝國陸軍大将智謀如湧 秋山真之帝國海軍中将
分かりやすく丁寧で素晴らしい動画ですね是非学校の授業でも流してほしいレベル
バルチック艦隊は誤って英国漁船を攻撃してしまい、英国世論激昂。各地で寄港拒否され、寄港できても石炭渋られ、英国海軍にストーカーされたり、身も心もぼろぼろにもかかわらず事故ひとつ起こさず対馬にやってきたら東郷ターン...
日本海海戦圧勝の要因は「自分たちの撃った弾がよく当たったからだ。」とは現場兵士の回想にありますよね。
新しい日本軍の弾薬も相当効果的だったようですね。
@@快舟下瀬火薬
@@ryochang0810 あんがと名前でてこんかった
実際にはロシア革命を扇動したからこそ勝てた。もしそれがなかったら一度は勝てたとしても継戦能力でロシアは意地でも日本にせめてきたろう。そして日本が大東亜戦争で負けたときに復讐された北方で。
日本海海戦の勝利はイギリスの存在も大きいよね。日英同盟を結んでいたのでロシアはイギリスが支配する地域に寄港できず燃料の補給や乗組員の休息が取れなかったとか
それと赤道を2回も通らなければならなかったこと。
😂
明治村のガイドさんの話しだと何も賠償が得られなかった。しかし大陸から線路を沢山もって来てその線路で国内鉄道が普及したそうですよ。国内産業に何が必要か明治の人々は考えてたんですね。
15:30 さすがに「距離 600 メートル」まで待つことは危険すぎるかと。6,000 メートルの誤りでは?
日露戦争というとどうしても、戦争前に強行された「八甲田山行軍遭難事件」を思い出してしまう・・・。今でも日本史に残るあの悲惨な遭難事件が本当にこの戦争に活かされたのか?。未だに考えさせられる。
これは素晴らしい。のっけから軍艦マーチにのせた「君死にたまふことなかれ」が戦争の苦渋の二面を表している。軍の動きを動画で簡潔に見せるのが圧巻。戦局の進捗が随時表されていて、何気なくやってるが、そう簡単に簡単にできるものではない。もし可能なら年月は入れてほしかったが。これほどの動画があれば、入門編としてはもはや紙に書いた歴史教科書は必要ない。ただし、米英の腹芸はキチンと書物で伝える必要が在る。日本は当に露敵に好都合な米英の将棋の駒だった。法・カネ・情報・補給がなければ戦争は出来ない。
児玉は乃木さんに代わって指揮をとってない。
自分のご先祖様居て草
地図をうまく使い、大変分かりやすかったです❗
この戦いに関する異説として、旅順に来た児玉源太郎が指揮をとって203高地を攻略したというものがある。この異説は、作家の司馬遼太郎が著した小説が初出で世に広まり、以降の日露戦争関連本でも載せられるほどとなった。しかし、司馬作品で発表される以前にはその様な話は出ておらず、一次史料にそれを裏付ける記述も一切存在しない。203高地は児玉が来る前に一度は陥落するほど弱体化しており、再奪還は時間の問題であった。(Wikipediaより)
一番の被害は、当時の清政府、遼東半島や満州地域、余所者が、自国で、バトってだから、迷惑この上無かったでしょうね。
その通りらしい。今の中国の「日露戦争」の教訓は「自分のウチの庭で戦争させるな」と聞いたことがある。
非常に分かりやすく、尚且つ見易い動画です。有り難う御座いました。
この戦費調達のために、相続税が作られたんですよね。八甲田山死の彷徨とかも、この戦争に関係してますね。
歷史上能夠擊敗俄國的國家不多。
私の先祖は戦艦石見の副艦長で、日露戦争で活躍し少将となりました。
この時代は中国も韓国も存在感なかったのになーw
日本海海戦がむっちゃ面白くてここの範囲の勉強が楽しくなりました。
当時の海戦では画期的だったんよね。今はミサイル技術で廃れたが各国の海軍士官学校などで習うらしい。
この戦争の勝利で一番重要なのは、個々の戦闘ではなく戦争のための準備をどのようにしたのかだと思う。日清戦争直後から続く異常な軍事費(一番多い時は国家予算の55%)とそれに耐えた国民がロシアと戦える戦力を作り出した。
あと、明石元二郎大佐による諜報活動も役に立ったそうですね。
だから賠償金なしの反動がデカかったわけだ増税の挙句国民のリターンがないのはいつの時代でもブチ切れ案件
@@ゴルディン 戦争ビジネスは現在進行形だしね…
我々の祖先が子孫のため未来のために寝食を惜しんで努力し戦って日本を守ってくれたおかげで我々の今の暮らしがあることを忘れてはならない。
学校の授業もこれほどに面白かったなら成績もかなり良かっただろうに過去、戦っていただいた英霊には感謝の極みです
別に面白かないけどな…人何人死んでると思ってる?
@@yourfacehyde790戦略が興味深いってことでしょ。人が死んで面白いわけないでしょ。
@@かなの-x3k人が死んでるからこそ戦略の面白さを感じんだろ😅😅😅
日本は本当戦闘民族だよなぁ。戦後70年は戦争してない稀有な期間でわいはこの時期に生存しててラッキーやと思うわ。もうちょいずれてたら、即おさらばしてる自信しかない。
人類の歴史を知らない貴方へ。核兵器ができるまで人類はずっと戦争してたんだよ
せやから稀有な時期っていってるやんか
今も世界の25%の地域で戦争してるが。米英除く先進国が消極的なだけで。
人類の歴史を知らない貴方へ、とかめちゃくちゃ偉ぶってるわりに日本語読めてないの笑う
@@yy-cq4rbこいつ、、、
日本の間諜がモスクワで革命を煽ってたって言う話も有った様な。
明石元ニ郎大佐の事ですね。1人で20万人の働きをしたと言われるスパイマスターです。戦後はオフラーナの監視が厳しくまともな活動出来ず確か台湾総督になったと思います。彼の活躍なくしてジャイアントキリングはなかった筈です。樋口季一郎少将と共に是非現代日本人に伝えたい歴史の一つです。
ノンフィクションでこんなに面白いってアリかよ🤣
明石元二郎と高橋是清、日英同盟がないと、負けていた戦争ですね。
距離600メーターでなく、距離6000メーターだと思いますよ。6000メ-ターでも艦橋からみたら近い。600メーターでは三笠も生きては帰れなかったと思います。
ロシアの軍人は命の危険を感じると逃げるというのが大きい
不意打ち→スピーディに占領→講和ってww2でやろうとしたことと同じなんやね。成功例に囚われるアルアルや
米国及び英国の応援により戦ことができました!
このポーツマスのあとに小村寿太郎とセオドアルーズベルトの超側近のエリフ・ルートで日露戦争後の日米満州開発を巡る話し合いが纏まらず、エリフからごめんなさい(_ _;)失敗しましたと聞いたセオドア・ルーズベルトがマジ切れて、40年掛けて作った日本侵略植民地化戦争計画のオレンジ計画が推し進められる。
児玉将軍は3軍の指揮をとったわけではなく作戦指導をしただけなはずです。
児玉源太郎総参謀長は大山巌総司令の威厳を借りて作戦指導の助力をしたとあります後に第三軍参謀長になった一戸兵衛少将が乃木司令官と伊地知参謀長の作戦指導計画を見て納得したとあります近代要塞攻略戦の魁になったのが旅順攻囲戦だったのです
ルーズベルト大統領が日本が勝ったことに喜び興奮しすぎて、会う人ごとに日本海軍のことを一々説明して公務が手に付かなかったエピソード好き
ルーズベルト可愛すぎて草
『興奮しすぎて』
なお、フランクリンは‥😢
しかし、ポーツマス条約成立後、ルーズベルト大統領は大の嫌日家に変わってしまいました
🗽米国🐒🐒ヤバイぞ⇒日本潜在的に敵視〜🍊オレンジ作戦作る以降日本警戒し始める😂
めっちゃおもしろかったです。19分があっという間でした
日比谷焼打事件は、日本がもう戦えない状況を伏せていたために起きたものだが、もし本当の状況を国民に説明すれば、ロシアは「何!そういう状況なのか、ならばもう一戦!」となり、兵力の尽きた帝国陸軍は間違いなく惨敗した。ロシアは予備として100万人の兵力があり、ロシア革命に備えるために40万人国内に残していなければならなかったが、それを除いても60万人の兵力を動員できた。日本軍は大陸にいる10数万人が全兵力だった。日本軍はいかなる作戦を用いても戦えば必敗だった。だから大本営は「まだまだ陸軍は兵力十分で戦える。」とウソを言わなければならなかった。本当の事を言えない当時の軍人の苦衷と、調子に乗り扇動されやすい日本人の国民性が日比谷焼打事件の本質だった。
受験勉強として、ドライヤーしながら見ようと思ったのですが、面白くてハマりました!
今のウクライナみたいなもんやろ。ロシアは学ばんなあ
連合艦隊は、対馬側に艦隊を全て集め、太平洋側を捨てるという博打に出たが、これが運良く当たり全兵力でバルチック艦隊を迎入れることができた。
海軍は全兵士の努力とイギリスのおかげ、バルチック艦隊はスエズ運河通過不可、補給補修ができず暴動がおこり海戦どころではなかった。陸軍は色々あるが、クロパトキン大将の無能消極的な作戦のおかげ。日本軍の愛国心もある。
この韓国攻めた事を韓国がまだウダウダ言ってるんか
映画「日本海大海戦」では三船敏郎さん、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」では渡哲也さんが東郷平八郎を演じていました。
こーゆーのを義務教育でキチンと教えて欲しい。嘘ではない。ここまでして日本を守ろうとしたことを教えてもらいたいと思います。
でも理解して吸収できないのが殆どだろうから意味ないと思われ。義務教育でこう言うって習わなかったかい?
@@あらいくま-t9f そんな事をいまだに言ってる輩がいる。だから歴史教育がいつまで経っても改善されない。
@@TN-ju3px この動画でワカランのは戦争の「動機づけ」だ。動画主には確かな制作能力が在るが、見えないものを見えるようにするには至っていない。動画では見えるものしか説明できんのだよ。まずそっから。まぁプレゼンしたことがないやつにはワーワー「義務教育ガー」とか言うだけで無理だけどね。
覚えること増やしてどうするんですか?学校の勉強は専門的なものではなく、あくまで進学や実生活に役立てるものなのですからあの程度で充分ですよ。
静岡県製品不買運動して、リニア早期開業応援しよう。日本凡人
昔の日本のお偉いさん有能すぎんか
戊辰戦争、西南戦争の際、直に現場で戦い、指揮した人達ですからね。
その頃は明治維新前からの武士道が生きてた時代ですからやわな現代人とは肚の座り方がそもそも違いますね。「勇将の下に弱卒無し」で士官自ら突撃した為その死亡率が極端に高かった戦いでしたね。
岸田政権では戦えないだろうな^^;
やはり戦は薩摩だ!! 天才!無敵、歴史が証明!! 14:40
バルチック艦隊を敗れた一因は日英同盟→ブリカスがスエズ運河航行規制→露助喜望峰ルートになり暑さで士気壊滅
この文面でブリカスは草
ブリカスさんフランス資本でエジプト人働かせて最終的に何もせずスエズ運河ゲットするの最強すぎるね
ドッガーバンク事件でイギリスを本気で怒らせたから
そもそもスエズ運河は浅い所通らないといけないから主力は希望峰周りで第三艦隊と別動艦隊はスエズ運河通ってるよ
あと良質の石炭の買付けをイギリスが邪魔しまくり。悪質な石炭を使わざる得なかった事もデカいわな。さらに当時のインド洋なんかほとんどイギリスの庭みたいなもんだったから、マダガスカルから先の寄港地にも苦労したみたいだし、その情報も日本に流れる。露助にしてみりゃ、このブリカス野郎ってところだね。
私の祖父は日露戦争で黒木第一軍に従軍して生還を果たしました。
あの大きな露助をやっつけたからいかに勇敢だったかわかる。
「ロスケ」が差別語だというのは間違っています。
ロシア人自身が自分たちのことを「ロスキー」と呼んでいるのですから。
なんとなぁく知ってはいたけど
ゴールデンカムイ読んでもっと日本史について知りたくなって辿り着きました。
この動画を見て、自分の無知に恥ずかしくなりましたが、もっと勉強しようと思えるきっかけになりました。これからも見させていただきます!
東郷平八郎元帥もピークはここまでで、その後海軍に関することの全てを東郷元帥にお伺いを立てなきゃならないなど独裁色が強くなっていく。
私の母方の 高祖父 は 白襷隊でした本土に帰還ご勲章を頂戴いたしました。
映画二百三高地は名作です
大変興味深く見させて頂きました。当時のロシア革命についても、軽く触れると更にわかりやすくなると思います。
とてもわかりやすい内容。
学生時代にこういう動画を見ていたらもっと歴史に興味を持てていたかも。
小中高とテストのためだけに勉強してて全く興味なかったけど、はだしのゲン読み始めてから戦争に興味を持ち、そこから日本史、次に世界史ってどんどん興味が広がっていった
3:00「当時の国際法では宣戦布告前の国際法は違法とされていなかったので大きな問題にはならなかった」との点は、昔受けた反日史観に基づく日本史の授業では全く欠落していたところ。目から鱗。参考文献読んでみたいです。というか、日清・日露戦争を当時適用されていた国際法の観点から見るのも面白いかも。
1907年のハーグ国際条約で、宣戦布告なしの先制攻撃は
国際法違反と規定されました
ロシア戦艦の砲弾:直接当たると徹甲榴弾の炸薬が貫通爆発して、敵艦を爆破範囲で破壊し破片で乗員を殺傷。上手く当たれば敵砲弾を誘爆させて被害拡大。
日本戦艦の砲弾:直接当たるか張線に触れると伊集院信管が触発起動して(時限信管としては上手く働かなかった上、信管無しでも衝撃で鋭敏な下瀬火薬は起爆したとも言われる)爆発し破片殺傷の後、発生した超高温火球が敵艦上部構造物を爆発範囲の内外を問わず焼夷破壊し尽くす。当然、敵艦上の準備中砲弾は高温で連鎖的に誘爆炎上し被害甚大。
この使用炸薬の違いの結果として、練度による命中率・砲口径からの威力質量と有効射程・装甲厚と速力には差が無い英仏設計の最新式戦艦同士だった両艦隊の戦果に大きな差が生まれ、ロシア艦隊は一方的に「海上に浮かぶ松明の列」と化したのが日本海海戦だったかと。
15:32付近、誤「距離600m」。正「距離6,000m」ですね。
この時代の600mだと、水雷艇が魚雷を発射する距離かしらね。
す😂@@江戸親鸞
良く纏まっていて分かりやすいです。勝てた理由は…
最強の兵・参謀・将、三拍子揃ったからだと思います。結局は「人」、ですから。
当時の軍は創世記→完成期へ移行中。以降、将・参謀の中に保身主義者が少しずつ増えて行く事に…
イギリス・アメリカからの莫大な融資と、主にイギリスからの武器供与がなかったら戦争なんてできなかったことを忘れてはいけないと思いますよ。途中で弾薬不足になりイギリスやドイツに緊急発注して助かったなんていうのもあります。そこまでさせといて「戦果は日本のものだから口出し無用」って態度をとって恨みを買い、太平洋戦争の敗戦につながってるんですから・・・。
指導者が戊辰戦争で実戦経験があったのが大きい。
@@hiroyukiohishi8524 現在のC国の融資政策に似たものを感じますね。融資を受けたら言う事を聴く。株主の言う事は聞け。現代の日本破壊に通ずる「力」の存在。優秀な指導者の力で江戸時代までは鎖国で耐えていたんですがねぇ。(個人の感想です。
@@インクのない筆ペン当時は、別に米英は日本を飲み込むつもりはなく清国に勝った実績を認めて、極東側のロシアの抑えとして期待されてたと思います。でなければあれほどの援助はしないでしょう。たとえばイギリスから戦艦を売ってもらわなければ(帝国主義真っ盛りなので誰にでも売るわけじゃない)日本海海戦なんて成立してないですし、アメリカが講和のテーブルを用意してくれずに奉天会戦後も戦が続けば日本陸軍はもしかしたら一度の反撃で瓦解し、大陸から裸足で逃げ出してた可能性だってありました。
それなのに戦後の大陸の共同開発は拒否、その後第一次大戦の苦境に陥ったイギリスからの陸軍派兵の要請も拒否した挙句、各国が大戦で余裕がない状態なのに中国に過酷な租借条件を突き付けて利権を確保しようとしました。そんな多額の援助の恩をあだで返した結果が第二次世界大戦の敗北です。ほんと日本の外交音痴にはあきれるばかりです。
@@インクのない筆ペン それでも、最初のコメで指摘されてる通り「人的に」最高の状態で戦えたのは確かだと思います。激動の維新とその後の混乱を絶妙なバランス感覚で乗り越えたリーダーと、それをフォローしつつ海外で最新の知識・技術を学んだ参謀、最新の兵器を装備した兵で臨んだのですから。ただ、日露戦争に勝利した後、これらすべてを自らの手で喪失させて大敗しました。他国とのバランスを考えられないリーダー、情報軽視で勢いだけの参謀、貧乏で最新兵器を手にできない兵士・・・・。残念です。
OPカッコイイ👍
太平洋戦争に勝っていたらっていうたらればの話はたまにあるけど、日露戦争に負けていたらってなかなか無いよね。
負けててもおかしくなかっただろうけど、それだとどうなってたんでしょうね。
家は焼け、畑はコルホーズ〜
君はシベリア・・・(以下略)
東郷はバルチック艦隊を破ったのは兵の練度もあるが偶然の幸運もあったと述べて、
勝って兜の緖を締めよと言っている。
又秋山真之も天佑の連続だったと言っている。
兜の緖を締めなかったのは
奢り高ぶった昭和の日本軍。😮
それもあるが⁉️やはり科学が発達しすぎた⁉️
誰が日露戦争後・・・・飛行機や、潜水艦や、空母や
戦車や原爆が開発されると予想出来ようか・・・・
日露戦争初戦で主力艦2隻を触雷で失うもドイツの旧式艦2隻を購入して第三艦隊に入れ
バルチック艦隊の後方から追撃させたんだけど旧式艦とはいえ戦費の圧縮に繋がると反対する者も多かった
そこで山本権兵衛と西郷従道が強権を発動したんです
失敗したらオイと
オハンが腹を切れはよかwww
結果的に見れば
山本権兵衛達の先見が正しかった訳ですね
未だ嘗てない新しい始まりでちょっと感慨深い、かっこいい
歴史書の一節を読んで始まるやつ、地味に史料問題に役立ってます!
それ歴史書じゃないが、戦争中に出版され、相当に物議を醸した。戦争してるのに「反戦歌」だから。
ま、ぎりぎり勝ったのが事実だし、乃木将軍はずっと多くの将兵が亡くなったことを自責していた
日露戦争によって、陸軍記念日と海軍記念日が制定されました。
日本海海戦の時のbgmってなんですか?
14:25からの編集かっこよ
ゲームみたい
仁平 仁平
対バルチック艦隊戦を有利にした、日英同盟に就いて語っていないぞ!!
此れに言及せずに語れば、飛んだ無敵意識を植え兼ねないぞ!!
日本勝利は勿論、喜ばしいが、「真実」を確り見極める事からのみ、次の勝利も考え得る事を、お忘れ無く‼
有り難う!!スレ主!
では又
わかりやすく、おもしろい、、
ついこの前まで田畑耕してた純朴な青年が帰りみはせじと身を粉にしたのは皇国の荒廃はと思うたにと思う。皇国とは父母妻子の国と思い粉になったと思っております合掌。
日露戦争当時は武器の運搬能力が低くて日本が有利で勝機があった
露から歩兵は中央アジアを越えて、軍艦はケープタウンを越えて、です
戦闘地域が極東で、兵力の補充は圧倒的に日本に有利で、特に陸軍は被害が酷くても諦めずに進軍した
海軍は、砲弾の進化が決定した・・・歴史好きで研究の結果は当時の日本の努力です
露は、徹甲弾で、甲板に穴が空いても沈まない(・・喫水に近い処でなければ)
日本は、榴弾を活用していた、砲弾に火薬を詰めて(下瀬火薬)、先端にスイッチを付けて(伊集院信管)、
甲板でも、海に落ちても、着弾の瞬間に砲弾は炸裂して破片が火の玉になって降り注いだ
燃える構造物がない露艦が炎に包まれた(日本艦に乗船していた観戦武官アルゼンチンのガルシア大佐の談)
(榴弾は打ち出す砲筒の中で爆発する危険があってこれの進化改善に成功していた)
有名な東郷元帥の敵前回頭は、露艦の砲は当たっても被害は少ない、って事の自信だったのでしょう
太平洋戦争になると様相が違ってきます
飛躍的に武器の運搬能力が上がって・・・真珠湾まで行けた、東京まで来れた・・・
後は・・国力=産業の持続力です、これを見誤ったか無視したかの日本が馬鹿な事だった
で、その進化でいえばミサイルで運ぶ核は10分、15分で到着する現実があります(ご注意)
思いもよらずイケイケの戦闘民族
飛鳥から明治初期まで紛争してた国だからね
小さな島国 日本。鎌倉時代といい
明治時代といい
本当に日本は世界最強だった。
日本人として誇りです。
現代アメリカが
日本に核を持たせないように骨抜きに
しているのがわかる。
日本に核兵器を持たせないのは、核保有レースが始まらないようにするためじゃないの
いまだにアメリカに支配されてるじゃ無いですか。未来永劫アメリカが同盟国と思い込んだら亡国の道まっしぐらですね。
いつの時代も国民は情報に踊らされてるんだな。
中国を侵略する日本と中国を守るロシアとの戦争
日本側(脚気 ビタミンB不足)VSロシア側(壊血病 ビタミンC不足) 多くの患者が出て亡くなっています。
森 林太郎医師(東京大学医学部史上最年少入学 作家名 森鴎外)は、脚気の原因を軍部に伝えましたが、
相手にされなかったですね。
1905年 日本はバルチック艦隊を破り、日本はアメリカと協定(桂・タフト協定を結ぶ)をかわし、
アメリカのフィリピンを配を認め、次に第二回日英同盟を結んで、イギリスがインドの支配権を認める。
日本は、韓国の保護国家を認めさせたい ロシアの戦争を長引くことはしたくない(財政的に厳しいので)
1905年に 日本はアメリカの仲介によってロシアとのあいだに 日露講和条約(ポーツマス条約)を結ぶ。
賠償金が取れないので、日比谷焼き討ち事件が起き、国民が激怒し、小村寿太郎の家も燃やされたと記憶があります。
小村はアメリカに当時おり、数年後に ポーツマス条約結んだ ロシアのサンクトペテルブルクで小村寿太郎 ウィッテ出会う。
お互いが国の代表で 厳しい交渉の中で戦ったかなと思います。
東郷平八郎が「日露戦争の勝利は幕臣・小栗上野介のお陰」が印象的な言葉だなと個人的に思います。
小栗上野介は横須賀造船所を作った方です。 司馬遼太郎先生が「明治国家の父」と名付けました。
ロシアも クリミヤ戦争 露土戦争 今回の日露戦争など ずっと戦っている印象があります。
与謝野晶子の弟は無事に日本に帰国した記憶があります。
違います。
鴎外は東大医学部派閥で脚気はウィルス原因説に固守しました。その結果日露戦争で多くの陸軍軍人を死なせました。
これに対して海軍は麦飯やカレー等に兵食を改善し脚気の死者は出ませんでした。
@@masao750
森鴎外は脚気の原因報告を
受けたが、握り潰した側でしたね。
因みに、清の軍艦は甲板に
洗濯物を干していただけでなく、
新鮮な野菜確保のため、
畑まで作っていたそうです。
ビタミン対策バッチリ。
脚気については
陸軍軍医森鴎外vs海軍軍医高木兼寛
で海軍に軍配
乃木大佐に代わって?
司馬遼太郎が「昭和」を「鬼胎の時代」と定義し、その始まりと位置付けた日露戦争ですね。「昭和」が「鬼胎」かはよくわかりませんが、以後日本が軍国主義化していくことに悪影響を及ぼしたという見解には同意します。
3:50 のところは太平洋戦争を起こしたことを想起させますね。山本五十六らは日露戦争に学んでいるか、学んでいるとしたら、日露戦争の勝因はロシアの内部事情にもあったことをどれくらい考慮に入れたかはよくわかりませんが、、、勝てない戦争に勝って、その勝ちに陶酔してまた勝てない戦争を起こし、敗北する、これも「塞翁が馬」かなと思います(笑)
大変興味深い動画見させていただき、ありがとうございます。
日露戦争はロシアがガトリング砲を使って歩兵が穴に落ちてそこをロシアに狙い撃ちされて負けたと思ってましたが海軍の戦艦の後方攻撃が優秀だったイメージがあります
日本人の対馬戦に対する見方は、かなり歪んでいますね。バルチック艦隊は、多数の旧式艦からなるほとんど戦闘能力のない艦隊であり、東アジアへの航海中にその数はさらに減少した。 したがって、この艦隊の意図は日本海軍を脅かすことではなく、ただウラジオストクに到達することであった。日本人は対馬での勝利を革命的なものとして語るが、実際にはそれほど大きなものではなかった。
あの数の艦隊を、地球半周して到着しただけでも実は凄いですね。途中、英国紳士の嫌がらせありつつも。
ヴァッハハハハ 「実際にはそれほど大きなものではなかった。」が、和平交渉を導き、勝つために必要だったわけよ。講和条約結ばねば戦争は終わらない。それが「実際にはそれほど大きなものでなかった」かね。そういうのを事実に反するという。つまり100%嘘っぱちの感想どころか妄想だ。歴史に学べないってそういうこと。つまりあなたのような考えが昭和の戦争に負けた原因。
草
戰爭は人殺しです❤運が良かっただけです❤
そんなわけわからないこと言ってるようなら、げんこつしてあげましょうか?
日露戦争前に、北京の55日の日本陸軍の柴五郎中在武官の活躍をイギリス大使のロナウドマグロナルドがイギリス政府に働きかけた事も大事なことだと思いますよ!
今思えば日本海海戦の戦果化け物で草
曾爺は日露、大石橋の戦いで戦死しました。新婚半年でした。火薬の香りの村田銃だけが帰って来ました。どこかに写ってないかと映像を漁っています。
私の大伯父(祖父の兄)も第二回旅順総攻撃で戦死しています。歩兵だったので突撃時に機関銃で撃たれたようです。
先人には感謝と心からの哀悼の誠を捧げたいです。
日本の戦術も確かに強かったけどやっぱイギリスのおかげなところはある気がするなあ
イギリスがスエズ運河閉鎖したのと世界中にあるイギリスの軍事基地がバルチック艦隊の様子を日本に伝えてたこと
あと日本にだけ煙が出ない石炭を売ってたとか
イギリスのお膳立てなしで戦ってたらどうなったんだろうか
日英同盟を結んだ政府は大殊勲だったと思います
戦術的勝利と戦略的勝利がどちらも大事
そのイギリス製石炭が日本の船を早く走らせることができた。ロシアの船は遅かったから日本に有利だったんですよね。
戦争は外交ですね。
(「坂上の雲」司馬遼太郎 より)
日英同盟を結んでいた事もあり、日本の軍艦は、当時皆、英国製でした。
有名な戦艦「 三笠 」も英国製です。
世界最強と言われたバルチック艦隊、蓋を開けてみれば日本海軍がいるとは考えずらいイギリス海峡でイギリス漁船を間違えて破壊したり、スエズ運河を通れなくて大きく迂回したり、名前だけの艦隊になっていたな。
令和5年1月17日に日露戦争中の軍属などの関連者、一般人は勿論、産まれたての赤ちゃんも地球上に居る人間は全員が亡くなった。
日露戦争の白黒写真に写ってる人は当時、生き延びても令和の現在は誰もいないんだよなと思うと悲しい。
日露戦争中に生まれた最後の人間は明治37年2月11日生まれだから、旅順港閉塞作戦の時は既に生まれてた。奉天会戦の時は既に1歳。乃木希典や児玉源太郎、東郷平八郎も現役だったとは。
こんな時代から岸田内閣の時代まで生き延びるとかスゴすぎる。
露助の自滅と、地味ながらもバルチック艦隊の航海を散々お邪魔虫したイギリスの功績も大きい。
バルチック艦隊は全滅したはずなのに、現代にシレっと復活してますね。
@@syakuyumiko2012 そもそも黒海艦隊は無傷だったし。日本はイギリスのお膳立てで知ってて戦争に乗った。結果イギリスはただでロシア海軍2/3を海の藻屑にした。おまけにロシアの衛星国を「極東のサルだって勝てるんだからおメーラも」と言って焚き付けた。当時世界の通信網を握ってたのはイギリスの通信社だ。
@@syakuyumiko2012
保守派が多いからな、あの国は…
日英同盟出来た日本の力でしょ
@@もふもふ信者 もちろん黄色いサルとしてできる限りの貢献をした。これは無力では出来ない。と同時に、それ以上の継戦は無理だったから、イギリスとアメリカに講和仲介を依頼した。日本国内の英語のできる「インテリ」はイギリスによる周辺国への煽りを、国内で反政府活動に利用した。「大勝利だー」「なのになんで賠償金取れねーんだよ」っていうわけだ。イギリスにはイギリスの都合があって、つまり、ロシアの周辺国を焚き付けるためにそう言ってただけだった。今もそうだがメディアにはメディアの都合が在るってだけのこと。
与謝野晶子のこの歌は、日露戦争を反対したのではなく、士農工商の身分制度で「商人」に生まれ、そういった教育を一切受けていない弟が戦争に行くことを反対していた。(そういう教育を受けた「華族」「士族」が行き、それ以外の身分の人間は教育を受けていないので行く必要はないとの考え方。)
白タスキ隊は犬死ではないと主張したい。白タスキは非常に目立つ。だから撃たれやすい。彼らの屍が前進するごとに屍を盾として敵の守備隊を制圧せしめた。
この頃が日本の国民と政府が一番強かった頃では無いでしょうか、現代の日本には自衛戦争を継続する力はありませんし、安保条約で頼みの綱のアメリカも直接的な援護攻撃は行わないことが周知されつつあります。
本来は少子化を食い止めて国力を上げる事で防衛と外交力を付ける事すが、岸田は増税しか頭になく国の将来像は考えていないようです。早く辞めて欲しいですね。
ロシアは、日本を甘く見ていたって聞きました。当時の日本はアジアの小国。楽勝だと思ったらしい。がしかしこの戦争に勝利したことにより、アジアに日本ありきって思ったらしいとのこと
はじめまして、大変解りやすく面白かったです。
私は山口県の日本海側に住んでおりますが、若い頃郷土史の先生に日本海海戦のエピソードを聞きました。砲声は山口県から島根県の日本海沿岸各地に轟き、沿岸に住んでいる方々は砲声が聞こえる度に太鼓を打ちならして日本軍を応援していたそうです。ただ、日本海海戦が終了した直後には、海岸におびただしい数の戦闘中に使用されたごみや人糞が打ち上げられたとか。
俺のじいちゃん戦艦「敷島」に乗艦していました。志願兵です。
じいちゃんが生きて帰ったから今の自分もいます。😅
バルチック艦隊の砲撃は連合艦隊の手前で着弾することが多く届かなかったらしい。
連合艦隊の砲撃性能がバルチック艦隊より良かったらしい。
今生きてるって結構奇跡なことなんだな~
生き延びた先祖様達に感謝
日本海海戦の演出がたまらん
司馬遼太郎は乃木将軍を能無しの様に書いてたが偏見も酷いモノ。
当時乃木に与えられた情報が間違っていたので全滅の危機だったのを立て直し対戦してた。
司馬さんの小説を歴史的事実と勘違いしている日本人の多い事😢あくまでも歴史小説ですから。
曽祖父が駆逐艦艦長で、様々な資料が家に残されています。ロシア艦艇がタイタニック号のように垂直になり沈没する有様、沈没する敵艦と撃沈時刻(日も明けぬ早朝に多数の敵艦を撃沈しているようです)。東郷元帥以下全艦長の血判状(勝利の誓い)です。相当な覚悟で日本海海戦に臨んでいたようです。
分かりやすくまとめてあるので飽きず見ました。
この話しから大東亜戦争しっかり義務教育として教えて欲しい❗
明治神宮がある様に乃木神社あります。
負けていれば、ロシアの植民地になっていたでしょう。
それは大東亜戦争の時もロシアは北海道を分断するつもりでいたのですから。それらの事含めて日本国は一つの島として存在してるか教えて欲しい。
回頭を終え日本艦隊が発砲したのは距離600メートルではなく、6000メートルでした。
軍神 廣瀬武夫帝國海軍中佐
軍神 橘周太帝國陸軍中佐
日本騎兵の父 秋山好古帝國陸軍大将
智謀如湧 秋山真之帝國海軍中将
分かりやすく丁寧で素晴らしい動画ですね
是非学校の授業でも流してほしいレベル
バルチック艦隊は誤って英国漁船を攻撃してしまい、英国世論激昂。各地で寄港拒否され、寄港できても石炭渋られ、英国海軍にストーカーされたり、身も心もぼろぼろにもかかわらず事故ひとつ起こさず対馬にやってきたら東郷ターン...
日本海海戦圧勝の要因は「自分たちの撃った弾がよく当たったからだ。」とは現場兵士の回想にありますよね。
新しい日本軍の弾薬も相当効果的だったようですね。
@@快舟
下瀬火薬
@@ryochang0810 あんがと名前でてこんかった
実際にはロシア革命を扇動したからこそ勝てた。もしそれがなかったら一度は勝てたとしても継戦能力でロシアは意地でも日本にせめてきたろう。そして日本が大東亜戦争で負けたときに復讐された北方で。
日本海海戦の勝利はイギリスの存在も大きいよね。日英同盟を結んでいたのでロシアはイギリスが支配する地域に寄港できず燃料の補給や乗組員の休息が取れなかったとか
それと赤道を2回も通らなければならなかったこと。
😂
明治村のガイドさんの話しだと何も賠償が得られなかった。しかし大陸から
線路を沢山もって来て
その線路で国内鉄道が普及したそうですよ。
国内産業に何が必要か明治の人々は考えてたんですね。
15:30 さすがに「距離 600 メートル」まで待つことは危険すぎるかと。6,000 メートルの誤りでは?
日露戦争というとどうしても、戦争前に強行された「八甲田山行軍遭難事件」を思い出してしまう・・・。今でも日本史に残るあの悲惨な遭難事件が本当にこの戦争に活かされたのか?。未だに考えさせられる。
これは素晴らしい。のっけから軍艦マーチにのせた「君死にたまふことなかれ」が戦争の苦渋の二面を表している。軍の動きを動画で簡潔に見せるのが圧巻。戦局の進捗が随時表されていて、何気なくやってるが、そう簡単に簡単にできるものではない。もし可能なら年月は入れてほしかったが。
これほどの動画があれば、入門編としてはもはや紙に書いた歴史教科書は必要ない。ただし、米英の腹芸はキチンと書物で伝える必要が在る。日本は当に露敵に好都合な米英の将棋の駒だった。法・カネ・情報・補給がなければ戦争は出来ない。
児玉は乃木さんに代わって指揮をとってない。
自分のご先祖様居て草
地図をうまく使い、大変分かりやすかったです❗
この戦いに関する異説として、旅順に来た児玉源太郎が指揮をとって203高地を攻略したというものがある。この異説は、作家の司馬遼太郎が著した小説が初出で世に広まり、以降の日露戦争関連本でも載せられるほどとなった。しかし、司馬作品で発表される以前にはその様な話は出ておらず、一次史料にそれを裏付ける記述も一切存在しない。203高地は児玉が来る前に一度は陥落するほど弱体化しており、再奪還は時間の問題であった。(Wikipediaより)
一番の被害は、当時の清政府、遼東半島や満州地域、余所者が、自国で、バトってだから、迷惑この上無かったでしょうね。
その通りらしい。今の中国の「日露戦争」の教訓は「自分のウチの庭で戦争させるな」と聞いたことがある。
非常に分かりやすく、尚且つ見易い動画です。有り難う御座いました。
この戦費調達のために、相続税が作られたんですよね。八甲田山死の彷徨とかも、この戦争に関係してますね。
歷史上能夠擊敗俄國的國家不多。
私の先祖は戦艦石見の副艦長で、日露戦争で活躍し少将となりました。
この時代は中国も韓国も存在感なかったのになーw
日本海海戦がむっちゃ面白くてここの範囲の勉強が楽しくなりました。
当時の海戦では画期的だったんよね。
今はミサイル技術で廃れたが各国の海軍士官学校などで習うらしい。
この戦争の勝利で一番重要なのは、個々の戦闘ではなく戦争のための準備をどのようにしたのかだと思う。日清戦争直後から続く異常な軍事費(一番多い時は国家予算の55%)とそれに耐えた国民がロシアと戦える戦力を作り出した。
あと、明石元二郎大佐による諜報活動も役に立ったそうですね。
だから賠償金なしの反動がデカかったわけだ
増税の挙句国民のリターンがないのはいつの時代でもブチ切れ案件
@@ゴルディン
戦争ビジネスは現在進行形だしね…
我々の祖先が子孫のため未来のために寝食を惜しんで努力し戦って日本を守ってくれたおかげで我々の今の暮らしがあることを忘れてはならない。
学校の授業もこれほどに面白かったなら成績もかなり良かっただろうに
過去、戦っていただいた英霊には感謝の極みです
別に面白かないけどな…人何人死んでると思ってる?
@@yourfacehyde790戦略が興味深いってことでしょ。人が死んで面白いわけないでしょ。
@@かなの-x3k人が死んでるからこそ戦略の面白さを感じんだろ😅😅😅
日本は本当戦闘民族だよなぁ。戦後70年は戦争してない稀有な期間でわいはこの時期に生存しててラッキーやと思うわ。もうちょいずれてたら、即おさらばしてる自信しかない。
人類の歴史を知らない貴方へ。
核兵器ができるまで人類はずっと戦争してたんだよ
せやから稀有な時期っていってるやんか
今も世界の25%の地域で戦争してるが。米英除く先進国が消極的なだけで。
人類の歴史を知らない貴方へ、とかめちゃくちゃ偉ぶってるわりに日本語読めてないの笑う
@@yy-cq4rbこいつ、、、
日本の間諜がモスクワで革命を煽ってたって言う話も有った様な。
明石元ニ郎大佐の事ですね。1人で20万人の働きをしたと言われるスパイマスターです。戦後はオフラーナの監視が厳しくまともな活動出来ず確か台湾総督になったと思います。彼の活躍なくしてジャイアントキリングはなかった筈です。樋口季一郎少将と共に是非現代日本人に伝えたい歴史の一つです。
ノンフィクションでこんなに面白いってアリかよ🤣
明石元二郎と高橋是清、日英同盟がないと、負けていた戦争ですね。
距離600メーターでなく、距離6000メーターだと思いますよ。6000メ-ターでも艦橋からみたら近い。600メーターでは三笠も生きては帰れなかったと思います。
ロシアの軍人は命の危険を感じると逃げるというのが大きい
不意打ち→スピーディに占領→講和
ってww2でやろうとしたことと同じなんやね。成功例に囚われるアルアルや
米国及び英国の応援により戦ことができました!
このポーツマスのあとに小村寿太郎とセオドアルーズベルトの超側近のエリフ・ルートで日露戦争後の日米満州開発を巡る話し合いが纏まらず、エリフからごめんなさい(_ _;)失敗しましたと聞いたセオドア・ルーズベルトがマジ切れて、40年掛けて作った日本侵略植民地化戦争計画のオレンジ計画が推し進められる。
児玉将軍は3軍の指揮をとったわけではなく作戦指導をしただけなはずです。
児玉源太郎総参謀長は大山巌総司令の威厳を借りて
作戦指導の助力をしたとあります
後に第三軍参謀長になった一戸兵衛少将が乃木司令官と伊地知参謀長の作戦指導計画を見て納得したとあります
近代要塞攻略戦の
魁になったのが旅順攻囲戦だったのです
ルーズベルト大統領が日本が勝ったことに喜び興奮しすぎて、会う人ごとに日本海軍のことを一々説明して公務が手に付かなかったエピソード好き
ルーズベルト可愛すぎて草
『興奮しすぎて』
なお、フランクリンは‥😢
しかし、ポーツマス条約成立後、ルーズベルト大統領は大の嫌日家に変わってしまいました
🗽米国🐒🐒ヤバイぞ⇒日本潜在的に敵視〜🍊オレンジ作戦作る以降日本警戒し始める😂
めっちゃおもしろかったです。19分があっという間でした
日比谷焼打事件は、日本がもう戦えない状況を伏せていたために起きたものだが、もし本当の状況を国民に説明すれば、ロシアは「何!そういう状況なのか、ならばもう一戦!」となり、兵力の尽きた帝国陸軍は間違いなく惨敗した。
ロシアは予備として100万人の兵力があり、ロシア革命に備えるために40万人国内に残していなければならなかったが、それを除いても60万人の兵力を動員できた。
日本軍は大陸にいる10数万人が全兵力だった。
日本軍はいかなる作戦を用いても戦えば必敗だった。
だから大本営は「まだまだ陸軍は兵力十分で戦える。」とウソを言わなければならなかった。
本当の事を言えない当時の軍人の苦衷と、調子に乗り扇動されやすい日本人の国民性が日比谷焼打事件の本質だった。
受験勉強として、ドライヤーしながら見ようと思ったのですが、面白くてハマりました!
今のウクライナみたいなもんやろ。
ロシアは学ばんなあ
連合艦隊は、対馬側に艦隊を全て集め、太平洋側を捨てるという博打に出たが、これが運良く当たり全兵力でバルチック艦隊を迎入れることができた。
海軍は全兵士の努力とイギリスのおかげ、バルチック艦隊はスエズ運河通過不可、補給補修ができず暴動がおこり海戦どころではなかった。陸軍は色々あるが、クロパトキン大将の無能消極的な作戦のおかげ。日本軍の愛国心もある。
この韓国攻めた事を韓国がまだウダウダ言ってるんか
映画「日本海大海戦」では三船敏郎さん、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」では渡哲也さんが東郷平八郎を演じていました。
こーゆーのを義務教育でキチンと教えて欲しい。
嘘ではない。
ここまでして日本を守ろうとしたことを教えてもらいたいと思います。
でも理解して吸収できないのが殆どだろうから意味ないと思われ。
義務教育でこう言うって習わなかったかい?
@@あらいくま-t9f
そんな事をいまだに言ってる輩がいる。だから歴史教育がいつまで経っても改善されない。
@@TN-ju3px この動画でワカランのは戦争の「動機づけ」だ。動画主には確かな制作能力が在るが、見えないものを見えるようにするには至っていない。動画では見えるものしか説明できんのだよ。まずそっから。まぁプレゼンしたことがないやつにはワーワー「義務教育ガー」とか言うだけで無理だけどね。
覚えること増やしてどうするんですか?学校の勉強は専門的なものではなく、あくまで進学や実生活に役立てるものなのですからあの程度で充分ですよ。
静岡県製品不買運動して、リニア早期開業応援しよう。日本凡人
昔の日本のお偉いさん有能すぎんか
戊辰戦争、西南戦争の際、
直に現場で戦い、指揮した
人達ですからね。
その頃は明治維新前からの武士道が生きてた時代ですからやわな現代人とは肚の座り方がそもそも違いますね。「勇将の下に弱卒無し」で士官自ら突撃した為その死亡率が極端に高かった戦いでしたね。
岸田政権では戦えないだろうな^^;
やはり戦は薩摩だ!! 天才!無敵、歴史が証明!! 14:40
バルチック艦隊を敗れた一因は
日英同盟→ブリカスがスエズ運河航行規制→露助喜望峰ルートになり暑さで士気壊滅
この文面でブリカスは草
ブリカスさんフランス資本でエジプト人働かせて最終的に何もせずスエズ運河ゲットするの最強すぎるね
ドッガーバンク事件でイギリスを本気で怒らせたから
そもそもスエズ運河は浅い所通らないといけないから主力は希望峰周りで第三艦隊と別動艦隊はスエズ運河通ってるよ
あと良質の石炭の買付けをイギリスが邪魔しまくり。悪質な石炭を使わざる得なかった事もデカいわな。さらに当時のインド洋なんかほとんどイギリスの庭みたいなもんだったから、マダガスカルから先の寄港地にも苦労したみたいだし、その情報も日本に流れる。
露助にしてみりゃ、このブリカス野郎ってところだね。