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豊臣政権末期に制定された五大老五奉行は結構、採り上げられるので馴染みがあるようですが、実はこの五大老と五奉行の間には三中老と呼ばれる五大老と五奉行との間で意見調整や仲裁役を担った三名が存在した。生駒雅楽頭親正、堀尾帯刀先生吉晴、中村式部少輔一氏です。なお、五大老には小早川権中納言隆景も加わっていて6人の大老の時代もあったが、隆景が亡くなったため、五人の大老となる。
真田丸の話はどこでやってたんですか 教えて下さい 武藤より、
きりゅうさんの博識ぶりに目を奪われがちですけど、歴史に詳しくない人の目線で分かりやすい話に置き換えてくれるラットさん、手数は少ないけどピンポイントでのツッコミの威力が強いくーさんがいてこそでのチャンネルですよね
三成が「戦のしくじりは…」と黒田長政らに言った時には「アホっ!空気読め!」と思ったのですが、良くも悪くも真っ直ぐ過ぎる三成のこと、家康に助けられて素直に感謝したんだろうな〜(刀進呈とか)。家康が黒幕だったらと思うと、切なくなった。
いやいや楽しい~中学、高校ぐらいでこういう話 聞きたかったです♪もっと成績上がって 歴史大好きになっただろうなぁ大河初視聴ですが もう 家康殿が素敵に年老いちゃって毎回見惚れております♪3人さんのおしゃべりを聞いて またどうする~を見返すのが楽しみです
ちょうど大河を見た後に大老と奉行ってなんだっけ?と思って調べましたがよく分からなくて、解説助かりました。石田三成が私は間違っていないと主張していたのも理解できた気がします。
なるほど~五大老(閣僚)、五奉行(事務次官)と考えたらすんなり納得😊
黒田基樹先生が「家康の正妻築山殿」(平凡社新書)で家康の研究は意外と進んでないとお書きになられてましたが、秀吉や豊臣政権の実態も意外と研究がまだまだ進んでないと思っております。プロフェショナルの先生方の今後のご研究の進展を楽しみにしております
『合議制、ダメ絶対』というワードがX界隈を賑わせていましたが、実際は合議制を目指してはいなかったのですね。そういえば、ドラマ人物相関図で、シレッと、茶谷四郎次郎がグレーになっていましたが、なくなってしまってたんですね。ちょっと残念です。
日本史の授業なんかを受けてると、秀吉死去→関ヶ原の戦い、みたいな感じですぐ切り替わってしまうのですが、関ヶ原の戦いに至るまでにもいろんなことがあったんですね。とても勉強になります!
俺もそう思う、下手な歴史チャンネルよりも勉強になった
❤歴史、大好き💕な、私…わかりやすい説明、もう〜本当に、愉しすぎ、皆様方、大好き❤です。
私も五大老、五奉行は大臣と事務次官のイメージでした。岸田総理も親戚がみんな財務官僚で、親類からは東大法学部に入れずキャリア官僚になれなかった出来損ないだから、仕方なく政治家やってるという話しを聞いたことあります。大臣と事務次官だと名目上は大臣が上位のはずですが、大臣は事務次官に頭が上がらないということがあるようですね。
今回の大河で実務の五奉行を大老達が見守る、支える感が見えたのできりゅうさんの解説に納得です!秀吉亡きあと、ここぞとばかりに家康がやりたい放題(大名家同士の婚姻とか)になって三成と対立してたと思ってたけど、ドラマではヤンチャになりそうな大名達を抑えるために家康が婚姻を結んでましたよね、三成の為に。周囲の言動に左右されていた三成には家康の思いが届かず、結局敵対することになりましたね😢
7:01 かつては威光をもってヨソの大名をひれ伏せさせたお家が、円滑な政のためにそのヨソの権威を借りなければいけないのは中々皮肉では
ついさっき見た別の方の動画では、秀吉の遺言みたいな書状があって、そこには家康&利家を2トップとして他の者はそれに従うよう書かれていたとありました。全ての決定権が家康&利家にあったと。いやぁまだまだいろんな説がありそうですねぇ。
近畿、美濃、伊勢、尾張、三河くらいは豊臣直轄領にしといたらよかったですね。
全てを通知してくれる黒いベルのマーク、ナハナハマーク🔔というのだそうです😂ナハナハって若者には通じひんと思うんやけど、わかってしまうオトシゴロです。
質問です。どうする家康の中で、髷の先端が、前を向いてシュッとつぼまっている人と、後ろを向いてモフモフの人がいますが、何か違いがあるのでしょうか?身分?ファッションセンス?第40回では、秀頼と五大老はシュッとしており、五奉行など若手と徳川臣団はモフモフしていたような気がします。
今回の大河ドラマは、家康の”狸親父ぶり”が随所に描かれていました。禁止されていた大名間の婚姻を責められた時は、うっかりしていたとのらりくらりとかわし、自分の家臣には血の気の多い者がいると暗に脅しをかけ、三成には褒め殺しをした後、自分に政権を渡すように促し、三成を激高させる。その後に、”また一緒に星を見よう!”と誘う。どの口が言ってるんだい!!とツッコミを入れてしまったほどです。三成の”私達は違う星を見ていた!”というセリフと家康の”後戻りできない修羅の道を行くことになる!”は、互いへの宣戦布告であったと感じました。
かしまし歴史チャンネルは(ほぼ)月・水・金が定期発信です。おまけで、日曜日の「追って沙汰する」のコーナーがあります。
え〜、そうだったんた😮‼️ 五大老と五奉行の解説には驚きでした。五大老の方が偉いものと思い込んでいました。ドラマも関ヶ原へと着々と向かっていますね。今回のお話も、とても勉強になりました。ありがとうございました🙏
またも最新の学説なんですね。大老の下で奉行が行政を担っていた、全員で合議していたわけではなく、当時大老とは呼ばれていなかったとは!!驚きました。歴史学も、日進月歩なんですね!!実際の行政役である五奉行は、自分らが実務を担う豊臣家の要であると感じ、五大老は石高からも格上であり、自分達がいなければこの政権は回って行かないと思っていたでしょう。確かに五大老の権威があるからこそ、政権の重みが増し他大名も従っていたわけで、五奉行だけの力では無理だったでしょうね。この2大勢力が拮抗し、互いに自分達が政を担っているという自負があったことが、政権内部での確執の原因ですね。これが、結果として関ヶ原の戦いの遠因ともなる背景ですね!納得です。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁五大老と五奉行秀吉さんが死んだ時点で機能しなくなるよねと思ってたのですが五大老、五奉行と言う呼び方自体が無かったとは😅勉強になりました。後ろのは人形?中国の人形かな😁
「豊臣幕府」として理解して、「江戸幕府」に置き換えると、五奉行は徳川四天王+本多正信など譜代の家臣団、五大老は島津や前田など外様の大大名、というような感じだったが、五奉行が失敗して五大老がでしゃばってきた、と理解すればいいのかな?
最近は定説と言われてたことが、結構覆されるパターン多くありませんか?三成が清正や長政らから襲われた時に家康が匿ったことも否定されてるのは斬新てした。そりゃあ、ラットさんじゃなくても、あらあらあらそうですか💦ってなりますわ☝️😅
五大老と五奉行、どちらが植えというわけではなかったとしても、前田利家のセリフじゃないけど、戦国を生き抜いてきた海千山千のレジェンドである家康や利家を前にしたら「ははーっ」と一歩下がってしまう圧は感じていたでしょうね。
建前:五大老>五奉行実態:五奉行>五大老
まぁそうですよね。例えばトヨタの秘書室と、下請け業者の社長みたいな関係ですかね。下請けは文をわきまえてものを言いますが、対等だとは思っていませんもんね。もっと差があったのかな?メルセデスやBMWのCEOとトヨタの重役とでは話にならないもんね^ ^
昔の大河の家康では、三成、家康を暗殺しょうとしてました。昔のは、ここらへん時間かけてドラマにしてますよね。なんか、今回の三成は、むちゃまわりから洗脳されて家康の事嫌っていく感があって可哀そうに思いました。
ラットちゃん おでこ広い~‼️
五奉行と五大老の考え方がちがったのは知りませんでした。新しくなっていくから昔習った人は困りますね。
先生の後ろのお人形可愛いい、ラットちゃんの髪型も眉目秀麗で素敵です💖
どうしても、石田三成、頭固いなぁ、融通効かないなぁ、もう少し上手く出来なかったのかなぁ、真面目過ぎるのもどうかなぁ、のイメージが未だに払拭出来ません(^_^;)))
石田三成っていつの時代に生きてもいきにくそうですね😅
通知さんたまに仕事しないことがあるんですよ!
なんと!
そうそう。さらには、何日も前のアップを通知してくれたりもする。
私も中学生の時に江戸時代を習った際に、『老中』『大老』『年寄』はすごい年配の方を指しているのかと思っていました!😆漢字のイメージにもっていかれちゃってました(笑)
本社の役員達とグループ企業の社長達、みたいな関係性だったんですね!どちらも内心は我々が上って思ってるあの感じ。収入だけ見たら社長の方が上なんだけども。
毎回楽しみにしています。
ありがとうございます💖
家康がついに皆が知ってる家康になってましたね😮タヌキ化した家康と純粋過ぎる真面目な三成で対立するフラグで関ヶ原フラグが避けられなくなった最初の五大老と五奉行のシーンが圧倒的に例えがすごく良かったね…もう弱い家康はいなくて、これからは家康の時代なんで、大河ドラマも後半クライマックス近くなりましたね😊
今回の回、家康のタヌキ化というよりも三成がキツネ(淀殿、輝元、景勝)に化かされていくホラーものに思えました(^^。
長束正家は「なつかまさいえ」ではありませんでしたか。
江戸幕府の大老・老中は譜代大名からなって、前田・毛利・伊達なんかの外様の大大名はなれなかったことを思えば、豊臣政権も譜代の三成達が《年寄り》扱いされてるのは自然なのかもですね。
黒田如水は有能だったために秀吉に殺される前に自ら隠居したと言われています。秀吉亡き後の関ヶ原では息子の長政が大半の兵と共に戦ったので如水は近隣の農民などで兵を組織してあっという間に九州を制圧し関ヶ原の勝者と戦う気だったと言われています。もし関ヶ原の戦いが一月とかかかっていたら黒田如水VS徳川家康が見れたかもしれない。
なんとなく秀吉死後の豊臣政権が、頼朝死後に頼家が2代目鎌倉殿になった頃の状況に被るような…
三成に武力がもっとあったなら義時になれたかも?でも忠義の人だから孔明みたいに幼君秀頼を支えるかな?
五大老も五奉行の存在も知りませんでしたが、昨日の大河で五奉行は五大老が入ってくる時頭を下げてたので、五大老の方が偉いのかと思ってました!聞き取れなかったんですが石田三成の呼ばれ方って色々あるんですね!関ヶ原の前に石田三成のことでわちゃわちゃがあったのも知りませんでした😂なんであんなに石田三成は嫌われたんでしょうか?エピソード含め詳しく教えてもらえたら嬉しいです😊💕
五大老・五奉行は今後「豊臣殿の10人」で😆でもそう考えると石田三成は、力の弱い北条義時で、徳川家康は、暗殺されなかった上総介広常かも⁉️
よく大大名と聞きますが、大名とどう違うのでしょうか?小大名と中大名もいるのでしょうか?
まあ、江戸時代の老中、大老と、各藩の大大名(加賀の前田とか、仙台の伊達とか)とどっちが偉いか、みたいなもんですかね
秀吉さんの部下(五奉行)と重役(五大老)みたいな関係だったのかな、と考えました。
義演准后日記では、石田三成を襲撃したのは福島正則 加藤清正 池田輝政 細川忠興 浅野幸長 加藤嘉明 黒田長政+藤堂高虎 脇坂安治 蜂須賀家政になっていて、石田三成襲撃=失脚を画策したのもこの10名と考えた方が客観的と言えるのです
五大老五奉行のシステムは、平常時は良いんだけとこの時期にはちょっと無理があるかな?
官兵衛にもし官兵衛がいたとしてその官兵衛を抑えられない 令和五年十月二十三日
長束正家は「なつか」?「ながつか」? どっちが正解?
石田三成が豊臣本社の重役で、徳川家康が子会社の社長みたいな感じかな?
大老イコール傅役?
豊臣秀長、前田利家といった仲裁出来る豊臣家の柱に居たものの亡き後はギクシャクしていたというふうに思ってました😮
チャンネル登録もせずに質問するとは これは神をも恐れぬ仕業なり
石田三成も明智光秀も総理大臣よりは官房長官とか官僚向きな気がしますねえ。天下人向きではないような感じで。
五大老はお互い牽制して秀頼を支えようと考えただろうとけど、家康さんが石高の方が多いし、官位も上。前田はともかく、毛利は家中がまとまってないし、上杉はかつての戦力はないし、宇喜多はやや力不足を感じちゃう。人望は前田さんが高かったけど、亡くなったあと家康さんのとこに行った人も多かったみたいですし、こう見たら三成ら五奉行に関ヶ原で勝ち目がなかったのは当然の結果に見えた。
『五大老五奉行~五・五で語呂も良いし定着しちゃっているしなぁ・・・(^_^;) 』は同意致しますね😅きりゅうサンのご解説~「三成たちの→我らが政権中枢側で上の存在だ!」は三成の気持ちはわかるけど、少し理想的に過ぎるかなぁ❓宅麻利家公も「道理だけでは政(まつりごと)は出来ん!」でしたから(^_^;)十人衆の呼び方をどこかで聞いた気もします。あと三成側の家康公殺害計画もあったような・・・秀吉公亡き後の豊臣政権は権威の裏付けを喪失してしまい、秀吉公も遺言で家康公に「三年は伏見に居て政務全般の後見をしてくれ!」旨を伝えていたと思います。利家公と家康公の合わせてツートップ体制のバックアップ・権威付けであったと思うのですが・・・他の三大名は合議制の体裁を装う為の何らかの了解事項はあったかも❓しれませんが、実態はやはりツートップが中心かな?私は奉行(としより)と大老(有力大名)のどちらが上か?というよりも⇒江戸幕末のように西南雄藩に実質、政権運営参加を認めざるを得なかった状況に近いのでは?その意味で並列?と思わなくもありません。まぁ、【豊臣公儀体制】はまだ存在するぞ!の意気は分かるけど、江戸幕府で言うなら、次期将軍候補が5~6歳の幼君ではね💦に尽きるのかな❓【豊臣株式会社】の代表権は誰にある?という問いかけであると思います。三成+@の奉行衆にあるとは言えないもんね😅建前は秀頼さんにあるのだけど・・・古今東西、この状況では揉めまっせ!ご解説にちゃちゃ入れるようで相済みません。配信ありがとうございました。
この辺のことあまり知らなかったので家康さんが天下人になっていく様子楽しみです。松潤家康さんもたぬき化してきましたね。笑
どうする家康のドラマは主要人物が老年期に差し掛かって、俳優の実力差が浮き彫りになってますね。本多正信役の松山ケンイチさんは、ちゃんと年をとってて家康さんはピチピチ若いままです。
豊臣政権末期に制定された五大老五奉行は結構、採り上げられるので馴染みがあるようですが、
実はこの五大老と五奉行の間には三中老と呼ばれる
五大老と五奉行との間で意見調整や仲裁役を担った三名が存在した。
生駒雅楽頭親正、堀尾帯刀先生吉晴、中村式部少輔一氏です。
なお、五大老には小早川権中納言隆景も加わっていて6人の大老の時代もあったが、
隆景が亡くなったため、五人の大老となる。
真田丸の話はどこでやってたんですか 教えて下さい 武藤より、
きりゅうさんの博識ぶりに目を奪われがちですけど、歴史に詳しくない人の目線で分かりやすい話に置き換えてくれるラットさん、手数は少ないけどピンポイントでのツッコミの威力が強いくーさんがいてこそでのチャンネルですよね
三成が「戦のしくじりは…」と黒田長政らに言った時には「アホっ!空気読め!」と思ったのですが、良くも悪くも真っ直ぐ過ぎる三成のこと、家康に助けられて素直に感謝したんだろうな〜(刀進呈とか)。家康が黒幕だったらと思うと、切なくなった。
いやいや楽しい~
中学、高校ぐらいでこういう話 聞きたかったです♪
もっと成績上がって 歴史大好きになっただろうなぁ
大河初視聴ですが もう 家康殿が素敵に年老いちゃって毎回見惚れております♪
3人さんのおしゃべりを聞いて またどうする~を見返すのが楽しみです
ちょうど大河を見た後に大老と奉行ってなんだっけ?と思って調べましたがよく分からなくて、解説助かりました。
石田三成が私は間違っていないと主張していたのも理解できた気がします。
なるほど~五大老(閣僚)、五奉行(事務次官)と考えたらすんなり納得😊
黒田基樹先生が「家康の正妻築山殿」(平凡社新書)で家康の研究は意外と進んでないとお書きになられてましたが、秀吉や豊臣政権の実態も意外と研究がまだまだ進んでないと思っております。プロフェショナルの先生方の今後のご研究の進展を楽しみにしております
『合議制、ダメ絶対』
というワードがX界隈を賑わせていましたが、実際は合議制を目指してはいなかったのですね。
そういえば、ドラマ人物相関図で、シレッと、茶谷四郎次郎がグレーになっていましたが、なくなってしまってたんですね。ちょっと残念です。
日本史の授業なんかを受けてると、秀吉死去→関ヶ原の戦い、みたいな感じですぐ切り替わってしまうのですが、関ヶ原の戦いに至るまでにもいろんなことがあったんですね。
とても勉強になります!
俺もそう思う、下手な歴史チャンネルよりも勉強になった
❤歴史、大好き💕な、私…わかりやすい説明、もう〜本当に、愉しすぎ、皆様方、大好き❤です。
私も五大老、五奉行は大臣と事務次官のイメージでした。
岸田総理も親戚がみんな財務官僚で、親類からは東大法学部に入れずキャリア官僚になれなかった出来損ないだから、仕方なく政治家やってるという話しを聞いたことあります。大臣と事務次官だと名目上は大臣が上位のはずですが、大臣は事務次官に頭が上がらないということがあるようですね。
今回の大河で実務の五奉行を大老達が見守る、支える感が見えたのできりゅうさんの解説に納得です!
秀吉亡きあと、ここぞとばかりに家康がやりたい放題(大名家同士の婚姻とか)になって三成と対立してたと思ってたけど、ドラマではヤンチャになりそうな大名達を抑えるために家康が婚姻を結んでましたよね、三成の為に。周囲の言動に左右されていた三成には家康の思いが届かず、結局敵対することになりましたね😢
7:01
かつては威光をもってヨソの大名をひれ伏せさせたお家が、円滑な政のためにそのヨソの権威を借りなければいけないのは中々皮肉では
ついさっき見た別の方の動画では、秀吉の遺言みたいな書状があって、そこには家康&利家を2トップとして他の者はそれに従うよう書かれていたとありました。全ての決定権が家康&利家にあったと。いやぁまだまだいろんな説がありそうですねぇ。
近畿、美濃、伊勢、尾張、三河くらいは豊臣直轄領にしといたらよかったですね。
全てを通知してくれる黒いベルのマーク、ナハナハマーク🔔というのだそうです😂
ナハナハって若者には通じひんと思うんやけど、わかってしまうオトシゴロです。
質問です。どうする家康の中で、髷の先端が、前を向いてシュッとつぼまっている人と、後ろを向いてモフモフの人がいますが、何か違いがあるのでしょうか?
身分?ファッションセンス?
第40回では、秀頼と五大老はシュッとしており、五奉行など若手と徳川臣団はモフモフしていたような気がします。
今回の大河ドラマは、家康の”狸親父ぶり”が随所に描かれていました。禁止されていた大名間の婚姻を責められた時は、うっかりしていたとのらりくらりとかわし、自分の家臣には血の気の多い者がいると暗に脅しをかけ、三成には褒め殺しをした後、自分に政権を渡すように促し、三成を激高させる。その後に、”また一緒に星を見よう!”と誘う。どの口が言ってるんだい!!とツッコミを入れてしまったほどです。三成の”私達は違う星を見ていた!”というセリフと家康の”後戻りできない修羅の道を行くことになる!”は、互いへの宣戦布告であったと感じました。
かしまし歴史チャンネルは(ほぼ)月・水・金が定期発信です。
おまけで、日曜日の「追って沙汰する」のコーナーがあります。
え〜、そうだったんた😮‼️ 五大老と五奉行の解説には驚きでした。五大老の方が偉いものと思い込んでいました。ドラマも関ヶ原へと着々と向かっていますね。今回のお話も、とても勉強になりました。ありがとうございました🙏
またも最新の学説なんですね。大老の下で奉行が行政を担っていた、全員で合議していたわけではなく、当時大老とは呼ばれていなかったとは!!驚きました。歴史学も、日進月歩なんですね!!実際の行政役である五奉行は、自分らが実務を担う豊臣家の要であると感じ、五大老は石高からも格上であり、自分達がいなければこの政権は回って行かないと思っていたでしょう。確かに五大老の権威があるからこそ、政権の重みが増し他大名も従っていたわけで、五奉行だけの力では無理だったでしょうね。この2大勢力が拮抗し、互いに自分達が政を担っているという自負があったことが、政権内部での確執の原因ですね。これが、結果として関ヶ原の戦いの遠因ともなる背景ですね!納得です。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁五大老と五奉行秀吉さんが死んだ時点で機能しなくなるよねと思ってたのですが
五大老、五奉行と言う呼び方自体が無かったとは😅勉強になりました。
後ろのは人形?中国の人形かな😁
「豊臣幕府」として理解して、「江戸幕府」に置き換えると、五奉行は徳川四天王+本多正信など譜代の家臣団、五大老は島津や前田など外様の大大名、というような感じだったが、五奉行が失敗して五大老がでしゃばってきた、と理解すればいいのかな?
最近は定説と言われてたことが、結構覆されるパターン多くありませんか?三成が清正や長政らから襲われた時に家康が匿ったことも否定されてるのは斬新てした。
そりゃあ、ラットさんじゃなくても、あらあらあらそうですか💦ってなりますわ☝️😅
五大老と五奉行、どちらが植えというわけではなかったとしても、前田利家のセリフじゃないけど、戦国を生き抜いてきた海千山千のレジェンドである家康や利家を前にしたら「ははーっ」と一歩下がってしまう圧は感じていたでしょうね。
建前:五大老>五奉行
実態:五奉行>五大老
まぁそうですよね。例えばトヨタの秘書室と、下請け業者の社長みたいな関係ですかね。下請けは文をわきまえてものを言いますが、対等だとは思っていませんもんね。
もっと差があったのかな?メルセデスやBMWのCEOとトヨタの重役とでは話にならないもんね^ ^
昔の大河の家康では、三成、家康を暗殺しょうとしてました。
昔のは、ここらへん時間かけてドラマにしてますよね。
なんか、今回の三成は、むちゃまわりから洗脳されて家康の事嫌っていく感があって可哀そうに思いました。
ラットちゃん おでこ広い~‼️
五奉行と五大老の考え方がちがったのは知りませんでした。
新しくなっていくから昔習った人は困りますね。
先生の後ろのお人形可愛いい、ラットちゃんの髪型も眉目秀麗で素敵です💖
どうしても、石田三成、頭固いなぁ、融通効かないなぁ、もう少し上手く出来なかったのかなぁ、真面目過ぎるのもどうかなぁ、のイメージが未だに払拭出来ません(^_^;)))
石田三成っていつの時代に生きてもいきにくそうですね😅
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なんと!
そうそう。
さらには、何日も前のアップを通知してくれたりもする。
私も中学生の時に江戸時代を習った際に、『老中』『大老』『年寄』はすごい年配の方を指しているのかと思っていました!😆
漢字のイメージにもっていかれちゃってました(笑)
本社の役員達とグループ企業の社長達、みたいな関係性だったんですね!どちらも内心は我々が上って思ってるあの感じ。収入だけ見たら社長の方が上なんだけども。
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ありがとうございます💖
家康がついに皆が知ってる家康になってましたね😮タヌキ化した家康と純粋過ぎる真面目な三成で対立するフラグで関ヶ原フラグが避けられなくなった
最初の五大老と五奉行のシーンが圧倒的に例えがすごく良かったね…
もう弱い家康はいなくて、これからは家康の時代なんで、大河ドラマも後半クライマックス近くなりましたね😊
今回の回、家康のタヌキ化というよりも三成がキツネ(淀殿、輝元、景勝)に化かされていくホラーものに思えました(^^。
長束正家は「なつかまさいえ」ではありませんでしたか。
江戸幕府の大老・老中は譜代大名からなって、前田・毛利・伊達なんかの外様の大大名はなれなかったことを思えば、
豊臣政権も譜代の三成達が《年寄り》扱いされてるのは自然なのかもですね。
黒田如水は有能だったために秀吉に殺される前に自ら隠居したと言われています。秀吉亡き後の関ヶ原では息子の長政が大半の兵と共に戦ったので如水は近隣の農民などで兵を組織して
あっという間に九州を制圧し関ヶ原の勝者と戦う気だったと言われています。もし関ヶ原の戦いが一月とかかかっていたら黒田如水VS徳川家康が見れたかもしれない。
なんとなく秀吉死後の豊臣政権が、頼朝死後に頼家が2代目鎌倉殿になった頃の状況に被るような…
三成に武力がもっとあったなら義時になれたかも?でも忠義の人だから孔明みたいに幼君秀頼を支えるかな?
五大老も五奉行の存在も知りませんでしたが、昨日の大河で五奉行は五大老が入ってくる時頭を下げてたので、五大老の方が偉いのかと思ってました!
聞き取れなかったんですが石田三成の呼ばれ方って色々あるんですね!
関ヶ原の前に石田三成のことでわちゃわちゃがあったのも知りませんでした😂
なんであんなに石田三成は嫌われたんでしょうか?
エピソード含め詳しく教えてもらえたら嬉しいです😊💕
五大老・五奉行は今後「豊臣殿の10人」で😆
でもそう考えると石田三成は、力の弱い北条義時で、徳川家康は、暗殺されなかった上総介広常かも⁉️
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小大名と中大名もいるのでしょうか?
まあ、江戸時代の老中、大老と、各藩の大大名(加賀の前田とか、仙台の伊達とか)とどっちが偉いか、みたいなもんですかね
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義演准后日記では、石田三成を襲撃したのは福島正則 加藤清正 池田輝政 細川忠興 浅野幸長 加藤嘉明 黒田長政+藤堂高虎 脇坂安治 蜂須賀家政になっていて、石田三成襲撃=失脚を画策したのもこの10名と考えた方が客観的と言えるのです
五大老五奉行のシステムは、平常時は良いんだけとこの時期にはちょっと無理があるかな?
官兵衛にもし官兵衛がいたとしてその官兵衛を抑えられない 令和五年十月二十三日
長束正家は「なつか」?「ながつか」? どっちが正解?
石田三成が豊臣本社の重役で、徳川家康が子会社の社長みたいな感じかな?
大老イコール傅役?
豊臣秀長、前田利家といった仲裁出来る豊臣家の柱に居たものの亡き後はギクシャクしていたというふうに思ってました😮
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石田三成も明智光秀も総理大臣よりは官房長官とか官僚向きな気がしますねえ。天下人向きではないような感じで。
五大老はお互い牽制して秀頼を支えようと考えただろうとけど、家康さんが石高の方が多いし、官位も上。前田はともかく、毛利は家中がまとまってないし、上杉はかつての戦力はないし、宇喜多はやや力不足を感じちゃう。人望は前田さんが高かったけど、亡くなったあと家康さんのとこに行った人も多かったみたいですし、こう見たら三成ら五奉行に関ヶ原で勝ち目がなかったのは当然の結果に見えた。
『五大老五奉行~五・五で語呂も良いし定着しちゃっているしなぁ・・・(^_^;) 』は同意致しますね😅
きりゅうサンのご解説~「三成たちの→我らが政権中枢側で上の存在だ!」は三成の気持ちはわかるけど、少し理想的に過ぎるかなぁ❓宅麻利家公も「道理だけでは政(まつりごと)は出来ん!」でしたから(^_^;)十人衆の呼び方をどこかで聞いた気もします。あと三成側の家康公殺害計画もあったような・・・
秀吉公亡き後の豊臣政権は権威の裏付けを喪失してしまい、秀吉公も遺言で家康公に「三年は伏見に居て政務全般の後見をしてくれ!」旨を伝えていたと思います。利家公と家康公の合わせてツートップ体制のバックアップ・権威付けであったと思うのですが・・・他の三大名は合議制の体裁を装う為の何らかの了解事項はあったかも❓しれませんが、実態はやはりツートップが中心かな?私は奉行(としより)と大老(有力大名)のどちらが上か?というよりも⇒江戸幕末のように西南雄藩に実質、政権運営参加を認めざるを得なかった状況に近いのでは?その意味で並列?と思わなくもありません。まぁ、【豊臣公儀体制】はまだ存在するぞ!の意気は分かるけど、江戸幕府で言うなら、次期将軍候補が5~6歳の幼君ではね💦に尽きるのかな❓【豊臣株式会社】の代表権は誰にある?という問いかけであると思います。三成+@の奉行衆にあるとは言えないもんね😅建前は秀頼さんにあるのだけど・・・古今東西、この状況では揉めまっせ!ご解説にちゃちゃ入れるようで相済みません。配信ありがとうございました。
この辺のことあまり知らなかったので家康さんが天下人になっていく様子楽しみです。
松潤家康さんもたぬき化してきましたね。笑
どうする家康のドラマは主要人物が老年期に差し掛かって、俳優の実力差が浮き彫りになってますね。本多正信役の松山ケンイチさんは、ちゃんと年をとってて家康さんはピチピチ若いままです。