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現在46歳。小学生時代位の年末年始は本当にワクワクして楽しかった。店は開いてなくシーンとしていたけど何か特別感があった。母が初売りでリカちゃんハウスを買ってきてくれたことを今でも覚えてます。除夜の鐘を聞きながら、夜中に神社の初詣に行きぜんざいの振る舞いがあったのも本当に楽しかった。今は除夜の鐘すらうるさいと言う理由で聞かれなくなったのは寂しくなりますね。風物詩ですら苦情を言うとか、心に余裕がなさすぎですね。
自分も46才だけどあの頃に戻りたいよね今はなんだか楽しくないよね!
ただ、年が変わるというだけで何の充実感も無いですよね😅47ですが、昔は正月には不便さがあった。お店も開いて無い。だからこそみんな家に籠もって居たんでしょうね。今じゃ正月を味わえるのは一部の勝ち組。失礼を承知で云えば、勝ち組の優越感を全うさせる為に、勝ち組の為に正月勤務をする…先ずコンビニが悪い。365日24時間なんてやるから店員も配送も休みが無くなる。
「お年玉は預かってあげる」は信じてはいけない。
家では自分名義の通帳に貯金をしてくれていました。
うん、ほんとにそれ(笑)うちは、母親が 全部パチンコに使ってた( ̄▽ ̄;)昭和の時代から パチンカスって居たのよねー𐤔𐤔
引き出し不可能の『お母さん銀行』🥺。
@@ビールデッパーラー 草
@@ビールデッパーラー 郵便局の通帳ないしは口座は母が牛耳っており今では引き落とし専用口座しています。
確かに今のお正月は特別感がない!
サラリーマンなら4月の新年度、特定アジアなら旧正月がありますからね。
自分が歳を重ねて両親もいなくなると、本当に正月が大事でもなくなりつつあります。子供の頃に盛大に祝ってくれていた両親、親戚には感謝しかありません。☺️
昭和の正月にやってたテレビ番組は面白いのが多かった! 新春かくし芸大会は毎年観てたなぁ😊
かくし芸大会も最後のほうは視聴率良くなかったようです😵まあ紅白だって全盛期ほどの視聴率はもう取れないようですし❗ただ今でも司会や出場者は誰なのかという話題性はあります。
@@二五三二年壬申九月十 様紅白は露骨なかの国グループ推しが多くて辟易としています、それでも毎年見ていますが。昔は夜9時からのスタートだったのが未成年者のグループが多くなったので(労働基準法で未成年者の夜9時以降の就労が禁止されているため)7時30分からと早くなったのも変化でしょうか。あと輝く!日本レコード大賞も昔は大みそかの夜7時頃に放映されていたのが紅白とのブッキングになってきたので12月30日放映に変わりましたね。
@@古澤修-b1m 様年末年始の特番にはとっくに飽きてます❗
大晦日は、よく格闘技興行番組を見ていたが、正月特番は、飽きた。RUclipsrか箱根駅伝しか見ない。
@@大坂孝幸 様ガキ使の「笑ってはいけない」もやらなくなりました😣
昭和30年〜40年代の正月はそれはそれは三日間は静かでひっそりしていました。お店と言っても八百屋さん、お肉屋さん、床屋さん、果物屋さんと当時は皆んな個人営業ですのでバッチリ三日間休業です。世の中静かでしたよ。正月元旦は10時頃になるとあちこちから羽根突きの音、ビー玉遊び、独楽回し、家では百人一首、トランプ等で遊びが始まる。親はお屠蘇気分で本格的にお酒を飲み始める。特に元旦だけは親も子供もお咎めなしの自由時間だったな。落ち着いて二日目に神社に初詣、この時代はほんとに良かった。ただそれだけです。
子供の頃放送してた芸能人の「かくし芸大会」は面白かった👍
昭和時代はお正月になるとテレビ番組は、1月7日くらいまでお正月番組が続いたが、今は三賀日くらいで通常番組に戻るようになったなぁ
平成でも午前中のアニメですね。
正月3が日でも、通常番組のスペシャル版ってわけですね。ただ、連続テレビ小説は年末年始はお休みです。
各局「新春○○」だらけでどこまでが新春かわからなくなるよね。
昭和の正月は、商店街のお店は最低限三が日は絶対にお休み、長いところは七草粥の日まで休みというのが当たり前だったから、年末の大晦日に食材を買い込んであったのが普通でした。
大晦日は買いだめだったね。新巻鮭も風物詩だった。
年末になるとガソリンスタンドは大混雑タバコのカートン買いにビールのケース買い灯油も多目に買ったりして年末は慌ただしかったイメージですパック餅なんかないから鏡餅やのし餅が届くのが嬉しくてワクワクしていたな♬
みかん箱の買いだめで最後は青かびが生えていた。御神酒は今でもやっている。
祖父母の時代は子どもの数が多いから、正月になると祖父母宅にみんなが集まる一大行事でしたね。いつの間にか自分の親も親の兄弟もほぼ他界して、あの時代にいたのがなんたか不思議に思えてきます。
元日は大都会でもゴーストタウンみたいに不気味に静まり返っていました。お年玉を握りしめつつ3日の初売りを今か今かと待っていたのもいい思い出。越年番組「ゆく年くる年」は今ではNHKだけになってしまったけど、昔は民放でも放映されていてしかも全国民放共同制作だったからNHK以外どこのチャンネルに変えても同じ「ゆく年くる年」が放映されていたのが面白かったものです。車ばかりでなく電車の車内にしめ飾りが付けている私鉄がありました。もうひとつ馴染みが無くなったのは「祝い魚(年取り魚ともいう)」、大みそかの年越しの膳とかおせちと一緒に供されていました。魚は東日本が鮭,西日本が鰤となっており、その境界線は富士・糸魚川構造線(フォッサ・マグナ)と一致している事が調査結果で明らかになってます。岐阜県飛騨地方の塩鰤の競り市は中京地区の年末の風物詩となっています。
民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに姿を消しました(1988年が最後の放映)。
ボードゲームやトランプや百人一首や花札で遊ぶ昭和のお正月も楽しかったな。
百人一首はいいよね、最近はテレビでも見なくなった。
1/2に親戚の家に🏠集まって杵と臼でついたお餅をたべるのが楽しみでした😊 お年玉🧧も嬉しかったです😊
今のお正月は店舗が長期に休まないので食料品も買いだめしなくてよくなった。
特にコンビニエンスストアは、正月も営業しているためお正月っていう気が全くしません。
正月こそコンビニやファストフード店は稼ぎ時でしょう。
お年玉袋や年賀状や鏡餅子供の頃は不思議で特別な感覚を味わいワクワクしたのを思い出しました。もういくつ寝るとお正月って歌ったりね。
職業上、土日祝日が全く無い為、暮れのせわしさからのマッタリした正月時間が懐かしい。
今は正月でもお店は開いてるし、街は福袋等を買い求める人達で騒がしく正月らしくないのが寂しいわね。テレビ番組も今でも箱根駅伝はあるけどかくし芸大会は無いし、家族そろってまったりと観るような番組が無くなったわね・・・今の正月の方が便利なんだけど不便だった頃の方が好きだわ。
テレビのオワコン化は規制や芸能界の劣化
私が子どもの頃は、箱根駅伝も完全放送ではなかったですねッ♪
筋肉番付(現サスケ)とか高校サッカーや高校ラグビーのテレビ観戦のほうが熱い今日此の頃です!
引き出し不可能の『お母さん銀行』にお年玉を預けてしまった子供時代の俺🥺。
私が子供の頃は近所の数件と共同で臼と杵で餅つきしてました。近所の子供も同年代だったので楽しかったし、出来立ての餅をその場で納豆やきな粉で食べるのは凄く美味しかった。子供が大きくなるとそんなイベントのようなものから餅つき機に、でももち米を蒸かすのは近所合同。でも徐々に買って済ませるようになると近所付き合いも少なくなってきました。おせち料理も○○は家が作るから、××はお願いみたいな事が結構あったみたい。近所付き合いが希薄になった時代と言われてますが、このような機会がなくなったのなら仕方ないのかもしれませんね。
クリスマスから年末年始と子供のために盛り上げて楽しませてくれた親に改めて感謝。本当にワクワクして楽しかった。お父さんお母さんありがとう!
昔は正月に開いている店もなかったなぁ
そうでしたね。でも初詣客が集まる神社の近くの喫茶店やレストランなんかは普段やっていないオールナイト営業していて、その上ちゃっかり正月料金で割り増ししていましたww 昔は謎の正月料金がありました!
@@dolcegabbana21 様熱田神宮とかの有名寺社仏閣近くの駐車場は正月料金が健在でこれでもかとぼったくります!(苦笑)
年末年始のソバ屋などの飲食店は、仕入れの関係でメニューが限られてたりする。
小学生の頃は冬休みとクリスマスお正月とイベント目白押しだったクリスマスはケーキ、クリスマスプレゼントお正月前は年末のテレビ番組のチェック。何を見るか予定立ててた。家にお風呂が無かったから銭湯に行って身体綺麗にして大晦日の夜は近くの神社に並んでお詣り。甘酒(酒粕)の振る舞いを貰って帰宅。朝眠い目を擦り新しい下着に着替えて新年の挨拶。お年玉を頂いて、テレビでお正月番組を家族で見ながら御節とお雑煮食べてコタツでうたた寝。コタツ台の上のみかんをねっ転がりながら食べて母親に怒られる😊懐かしい記憶が蘇る。
私の家も年末になるとTVジョンを買って年末~正月の番組を何を見るかOしてましたよ風呂もなかったので正月は早朝から営業したので朝風呂に…昨今の年末~正月のTV番組もつまらなくなりましたね
年末にはバァちゃん家でみんな集まって餅つきしてたなぁ。紅白餅や草餅、芋餅、あんこ餅、色々作ってた。バァちゃん亡き今は正月に餅食べたりしなくなっちゃった。
確かに年賀状を書かなくなったね。やっぱり、電子メールよりも手書きの方が有難みがあると思う。親戚の家にも集まらなくなったなぁ…なので滅多に逢わなくなってしまった😓 玄関や車にもしめ縄を付けなくなったから昔の様に正月って感じがしなくなった😩
おせちは店が開いてない正月三が日を持たせる為に傷まないような料理ばかりでしたもんね現代では敢えて食べる必要もなくなりますよね
それぞれの料理に目出度い意味があるんだよね。おせち料理だけでも話題は尽きない。
そういえば、おせち料理の売れ残りが廃棄されているっていうの以前に聞いたみたいですね。食品ロス根絶の意味合いもあります。
本当に正月は無くなってきたよな、元日から空いてるコンビニや飲食チェーンがあるしな、海外に遊び行く家あるしな
特に、サラリーマンや特定アジア人にとっては正月の意味が無くなっています。
昔の正月は道路で寝そべっても平気だ位に人がいなかったのに、今は普通の休日より休み感がある程度ですもんね。イオンもGEOも普通に営業してるし。
元日の初売りは正月の雰囲気を完全に崩壊させてしまった。
新年が来たっていう気がしなくなったのは、当然時代の流れですね。よく歳のせいだと言われますが、今では子どもでさえ新年が来たっていう感じしていません。
近所のスーパーとかでお年玉袋を買いに行く、ラグビー雑誌を行きつけの書店で手に入れたりと。
正月は稼ぎ時だから店閉めてることが勿体ないんじゃないかな。
まったく店の開いてない商店街を歩くのが非日常感あって好きだったなあ。ゲーセンだけは空いてたから意味なくゲームだけして家に帰ってたw
小・中学生はまず入店できませんね。他にも、80年代のテレビのゆく年くる年では、レストランが年越し営業していたのをやっていました。
@@ラブリーショータイム さん「ゆく年くる年」って、確か民放連各社共同制作だったんで、スポット (CM) 含めて、全部同じ内容、画面でしたよね♪
@@hiromichifukino4186 その民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに無くなりました。
@@ラブリーショータイム 様1985年2月13日の改正風俗営業法施行までは小中学生の独りでの入店禁止はありませんでした。2016年6月23日施行の改正で保護者同伴でも16歳未満の入店時間制限が定められました。(都道府県ごとに異なります)
いつだったか「サザエさん」で、年末にカツオが机に向かって何か一生懸命やってるので、勉強かと思ったら「正月にお年玉くれそうな人リスト」なるものを作っていて、波平が頭を抱えてたという話にはワロタ❗🤣
同じくサザエさんの正月ネタで、波平が書初めで「禁煙」と書き、それを眺めながらタバコ吸ってるのがあった。喫煙シーンのため、もはや放送されないけどね。
@@tagucr 最近のサザエさんでも喫煙シーン見なくなった気がする🚬
大人がタバコを吸ってもなんら問題ないのに、そのシーンを規制する現在が異常。
年末年始か…。ガキの頃は母方の実家に集まったのが楽しかったな。その時、お袋の姉弟側の従姉弟が同年代だったのもあって和気藹々だった。ただ、ウチの家族と他の従姉弟家族とでは、すき焼きの肉が牛肉だった(ウチは豚肉)事と玉子を溶いた仕様で驚いた経緯が…。今じゃ、その従姉弟達とも出会う事も無くなってしまったけど。親父の実家はちょっとねぇ…。
元旦から営業してたプラモ屋には「お年玉もらった?」「お正月退屈だよね。」と貼り紙をしていた....。😒😅
お年玉:ほとんどお札五百円だった、千円くれるヒトまれ凧上げ:紙の凧を上げてた
凧はプラスチック製になりましたね。
@@鹿熊美佐子 ちょうど五十年前、ゲイラカイトが上陸しました😊
@@徳田幸治-v5g ゲイラカイト!私はそれを西洋凧と呼んで近所の田んぼ(今や高層マンションとコンビニ)で上げていました!
電線が張り巡らしているため、凧揚げができなくなったこともありますね。電力会社のCMでも、凧が絡まったら電力会社に連絡せよっていうのありました。
書き初めで、ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんがぶっ壊れた最爆笑シーンを思い出した。おとし王
「お年玉」を、書き初めで、まる子が練習していてお姉ちゃんに見せたら「おどし王」になっていたのでお姉ちゃんが大爆笑してたやつですね(*^^*)最後は友蔵じいさんにお手本見せてもらって書いたら「おとーむ」になっていたオチ。永沢君に「さくら〜。お前なんで「おとーむ」なんて書いたんだよ?」周り(山田、はまじ、藤木の三人も「おとーむおとーむ。(クスクス……。⟵はまじか山田が声に出して言ってた。藤木はクスクス笑ってるだけ。)」)
大晦日におせち料理に出す煮物や煮豆などを作ったりしてましたね、母の手伝いさせられました😢
確かに、学生時代は『吉野家』『マクドナルド』やコンビニとかファミレスとかしかやってなかったよな…
京都の神社に初詣した帰りにマックに立ち寄り更にベビーカステラも駅中の専門店で買うのが私の元日。
少し違うけど、お餅の美味しい食べ方、鍋物用のしゃぶ餅を魚焼きの網で焼くと10秒位で膨らんで食べれる、これを海苔で巻いたり、きな粉をつけて食べたりすると楽しくて美味しい、お餅丸1個だと一つで大分お腹ふくれるけどこれなら幾つも食べれる、おせち料理に飽きたら、鍋料理してこれで締める
大晦日は「レコード大賞」「紅白歌合戦」を立て続けに見て(演歌絶頂期、北の宿から 津軽海峡冬景色)年明けて「隠し芸」(堺正章のテーブルクロス引き)が定番。鏡餅はカビを削って食べた。今の自分は年越しは平日と全く変わりない。、隔絶の感があります。
昔の人からすると今は毎日がご馳走の連続で毎日がお正月みたいに思うんだろうと思う。それだけ豊かになったんでしょうね。感謝して食べなければ🍚
テレビ番組以外はあまりお正月を感じなくなった。
そのテレビ番組でさえ、通常番組のスペシャル版に。
@@ラブリーショータイム 様へ 確かに、「相棒」などいい例ですね。
大晦日の格闘技や筋肉番付みたいなものはよく見ます。高校ラグビーや高校サッカーは毎年テレビ観戦しているので飽きません。
うちも3家族が正月に集まってお年玉やら挨拶しに集まってたけど、子供達が結婚,出産していくようになると自然とスケジュールが合わなくなって集まりがなくなったなぁ。それに集まっても人数が入りきれない問題も出てくるし。住んでる家が核家族に合わせて小さくなったのも要因の一つだと思ってる。
私の住んでいたライオンズマンションは管理部の方針なのか年末に各ポストにしめ縄飾りのポスターが配られていました(独り暮らしというよりファミリー層向け)各ドアのレンズ穴の下にクリスマスのリースなど引っ掛ける金具がありそこに貼っていましたまた入り口の両端には門松が設置されクリスマスシーズンにも1階共有施設(公園)には植木にイルミネーションと雰囲気だけでもと盛り上げてました
今はお正月でもお店屋さんほとんど開いてる。コンビニとか、24時間営業だし。(駅ナカのコンビニ🏪は、例外あり。)TSUTAYAとかやってるしGEOとか。
今は便利すぎる😅
昭和50年代、正月には親父の実家に親戚集まって餅つき大会もらったお年玉をオイチョカブで増やすのが楽しかったな大人たちはお年玉の追加感覚でわざと勝たせてくれてたんだろうが
しめ縄は一般家庭で見かけることがほとんどなくなった。今は企業かお店で見かけるくらいです。
+Ro san様最近ではクリスマスリース形のしめ縄が多くなってますね。前の年に家の人が亡くなった(喪中)正月はしめ飾りは付けないですけど。(年神様が死の「穢れ」を嫌うとか、故人を偲び慎ましくするという事から)
お正月が待ち遠しい。
親戚会で歳の離れたちっちゃいイトコにせがまれて、変な警察手帳みたいなオモチャを持たされて、対ナントカ法なる謎の条文を何度も何度も読み上げさせられたことを思い出しました。キャッキャ喜んでいたのが不思議でした。オモチャってどんどん凄くなってますよね。今のライダーベルトはしゃべるのビックリしました。
でもね昭和の仮面ライダー変身ベルトは光る回るシンプルなギミックも最高ですよ😁😁😁
友達がライダーベルト買って貰って高い所から「ライダー変身!トウッ」飛び降りて足を挫いて泣きながら、家に帰ってその子の母親に友達共々怒られた思い出
それは、1989年に放映された「機動刑事ジバン」でしょうか。
祖母の作ってくれた、 16:25 揚げ餅美味しかった😊
地域で餅つき大会とかもうやらんなあ
年賀状は、年々販売数落ちてきてます。しかも一番売れるのは年始にはなってから…つまり、届いた年賀状に返事を返す的な感じで買っていく人が多い。あと最近の若い人は、ハガキや切手の値段を知らない人が多い気がする。それほど利用する頻度が減ったんだなと。
正月過ぎてからの年賀状多いですよねぇ、昔コンビニで働いてたとき買いに来る人が多くて元日当日にはなくなってましたそのくせ無いことを伝えると「つかえねぇな」的な顔をされて最初から郵便局いけやって思いました
賞品もしょぼくなった(末等の切手シートは昔も今も変わってないが・・・)。1等:30万円2等:ご当地小包3等:切手シート
小学校の頃は、元旦は登校日で紅白の饅頭をもらいました。
TOMAさんこんばんは今回のおさんぽコースは、私が沖縄に行った最初の頃に歩いて廻ったコースとそっくりです😄県庁前のコンフォートホテルから旭橋駅 明治橋渡って護国神社に沖宮 漫湖公園から壺川の裏通りから国際通りへだったかなぁ🤔懐かしく思います🎶何時も配信ありがとうございます🤗
現在は元日も単なる年初めに変わりつつあり、サラリーマンなら4月の新年度、特定アジアなら旧正月が重要視されていますね。
正月はいつもと違う社会活動。お年玉を貰って、1月3日にプラモデルを買いに行った事が思い出されました。ある年末、前の年末家族が揃って鮨やオードブルを買い込み食べ切れず捨てた事を反省し、揃って皆んな何も買ってこなかった大晦日があった。食べるものがない!兄が慌てて何処ぞへと出て行きカップラーメンを10個程買って来た。そんな年越しもありました。(田舎なので80年代前半にまだ、コンビニは無かった筈です)
昔、年賀状のアルバイトを2回だけやった事がある。当時は大量の年賀状がやりとりされていた時代。あまりの年賀状の重さで自転車がウィリーした時はあせった。
左義長ってなんだろう?と思ったら、地域によって名前がバラバラなんですね(○口○*) 私が小さい頃は「どんどや」と言ってました!お正月の残りのお餅をアルミホイルで巻いて、針金で吊るして焼くのが楽しみだったなぁ。婦人会の方々が善哉作ってくれてて。
昭和の正月は車にしめ縄よく飾ってた、今は族車ぐらいなもんですw お節も今や予約注文だもんな~
かき初めは、1月2日の初湯のあとに、一番お気に入りのグラビアで w😅
昔は三が日はどこのお店も休みでした。デパートは元旦休み。今は元旦もイオンは営業しています♪現在はスーパービバホーム蕨錦町店になったイトーヨーカドー蕨錦町店の千本くじは寒い中朝早くから待っていたのを思い出します。
10:13の[もちっ子]…実家じゃ今でも現役ですw
神社近くの喫茶店だけは初詣客を当て込んで開いてたね。
来年のお正月には無職になっている予定です
車のフロントグリルにお飾りを付け続けてるけど逆に変人扱いされて悲しいグリルは近くで見るとお飾り付けるところだけキズだらけだけど、そういうもんって感じ
お年玉付きの年賀はがきは、中国でも発売されているそうです(あちらでは旧正月の時期に合わせて年明けに発売される)。
紅白に当たるテレビ番組も旧正月に放映され日本や台湾のように勝敗は競わず韓国でさえ青白戦方式(反共が国是だったからサンタ衣装も青か黄色)だったとか。
企業から年賀状が廃止になったのは虚礼だからです。昔と違って、お得意様へ礼状、お歳暮、お中元も無くなっています。
お歳暮、お中元のCM見ないね。
コスト削減もありますね。お年賀、お歳暮、お中元だけでもそれだけコストがかかりますよね。
おせちも良いけどカレーもね、のCMはキャンディーズが今も思い出す。あと、お正月を写そう、ってCMも覚えてる。
書き初めは、TVで、仙人みたいな習字の先生のオッサンが体育館みたいな所で4帖位の半紙におめでたい寿て書いていた
私が子供の頃は、元旦に学校に行って、校長先生の話しを 聞いて、紅白まんじゅうもらって帰って来た。
母よ。亡くなる前に一方的に預かったお年玉を私に返して欲しかった。うちの地方では、広い場所だと釣竿で凧揚げしてるのを見かける。糸が200mくらい巻かってますからね。
おせち食べて祖父母の実家に泊まりに行くのが恒例だったなぁ。父方の実家の側にプラモ屋あって、自分みたいなお年玉貰った子供で賑わってたの懐かしい
年賀状は毎年 ニュースで印刷枚数が減ってる事を伝えてるよね⤵️昔は正月はお店は休みって言うのが当たり前なのでお正月用品や食料品の買い出しは 一家総出で行ったよ何せ親戚が来たり3日分の食料を買い込むんだから 冬休みの子供達も荷物持ちに使われる😅これを手伝わないとお年玉が減ってがっかりする事も……(これは我が家だけだったのか?)
正月にカレーというのを流行らせたのはボン(大塚)だと思い込んでたけどククレ(ハウス)だったのか。ホームベーカリーにどうしたわけか餅搗き機能が付いてるのがあって不思議に思ってたんだけど、アレって餅搗き機から派生した製品だったんですね。納得です。
+みつる様レトルトカレーは大塚食品(ボンカレー)が最初でしたけど、正月にカレーのCMを出したのはハウス食品(ククレカレー)が最初となり、先を越されたって感じでボンカレーも王選手(当時)を起用して「お正月にはカレー」のCMを作ってました。ホームベーカリーは残りご飯と強力粉でパンが作れる機種があり、うちでは昨年のパンの軒並み値上げからフル稼働しています。小麦の香ばしさはないですけどもちもちした食感が最高です。
@@古澤修-b1m 様なるほど、そういうことだったんですか。ククレの後追いでボンも類似のCMを。それも昭和のおおらかさですね。今やったら「マネすんなや!」と広告の差止め訴訟に発展しそうです。
小学生時代の頃の年末TV、戦うお正月という番組が好きだった😊特に車好きなのでペーパードライバー対決はヒヤヒヤしながら見ていた😮その後の和田アキ子さんのコーナー?のパチンコ対決はつまらなかったので毎年とばして見てました😅いつの間にかこの番組も無くなったな…
和田アキ子vs黒柳徹子のパチンコ対決の番組は謎だった。
所々に挟んでくる霊夢の昭和ワードが好きw
「かくし芸大会」も無くなったなあ、「爆笑ヒットパレード」は健在だが。
年末年始はおばあちゃんちに行って、元旦にはファミリーランドに連れてってもらうのが毎年楽しみだったなぁ
昭和の終わりの頃から三が日でもスーパーが営業するように成った昭和62の大晦日~昭和63年の元旦に食品加工の会社で年を越したよ
昭和のお正月のテレビ番組はスペシャル番組は数えるほどで、夜9時以降の番組は普通にレギュラー番組を放送していたり😊午後はスポーツ中継とか映画とかを放送。
昭和の頃のお餅ってちゃんとカビが生えたから、鏡餅なんて食べる頃にはカビだらけだったのよね。現代は保存料が大量に入っているから、鏡餅がホームセンター等の早いところでは11月頃から並びだす。林家彦六のお正月の名言『お餅って何でカビが生えるんですか?』彦六『早く食わねぇからだ!』
5:15「年末に食材のまとめ買い」だよねw
昭和の小学生低学年の頃、元旦に母方のおばあちゃんの家に行って、親戚が大勢集まるのでお年玉を回収w3日頃デパートが開いて玩具買いに行き、高島屋の最上階の大衆レストランで食事して、その帰りに横浜岡田屋(横浜モアーズ)の屋上の小さい遊園地で遊んで帰るのが恒例だった
コメントさせて下さい。僕の家では、昭和のお正月に家族、親戚が集まってダイヤモンドゲームをしたりドラえもんの特番をいとこと見ていました。失礼します。
盆 正月がはっきりしていた。なんとなく正月は楽しかった。
「おせちもいいけどカレーもね」のCMはキャンディーズだった😄
幼少期の自分家の正月ルーティンは、先ずは菩提寺に行って御先祖様に挨拶してから親戚(叔父・叔母)の挨拶回りして、お年玉を貰ってゲームショップに行って家庭用ゲーム機(WillやDSシリーズ)やソフトを買って午前中は1/1か1/2に行ってました。家庭用餅つき機も叔父さん家にあって今も使ってます(叔母さんがJAで働いているので)。p.s. 知人は祖父母宅で臼杵を使って餅つきを今年もしてきたと言っていました。
お年玉でファミコンソフト買いたいけどおもちゃ屋さん(当時はゲームショプなどまだ無い)が正月3が日休んでるからお金持ってて欲しいゲーム買えるのに買えなくてヤキモキしてじれったくてしかたなかったな。だから3が日にを安泰に過ごすためクリスマスに買って貰えるゲームに何を選ぶかが非常に選重要だった。
私も年賀状は書かなくなったな!代わりにLINEやメールをしてる。七草粥は食べなくなったのか!?私は七草粥は好きだ!これを食べないとしまらない!
西城秀樹がバーモントカレーのコマーシャルで言ってた様な気がするwww
+パービリー様「おせちもいいけどカレーもね」を初めて言ったCMはキャンディーズでした。後になって西城秀樹さんもククレカレーの「おせちもいいけど」のCMに出演するようになりました。
@@古澤修-b1m そうだったのですね~アリです。
正月と言えばお笑い番組で📺️昭和の爆笑王・初代林家三平は、3日間で51本の番組出演の記録を持っていると思う☝️
お年玉は家族に預けると「もしものため」「あんたが大きくなってから(大人になってから)」と言いながら(その頃は私名義の通帳がないので(当時はキャッシュカード等もなかったはず。私の生まれた昭和43年って確か通帳しか無かったからハンコと通帳を窓口持っていくパターン。預かり入れ、入金、記入、出金))
最近は正月でもお店やってるから、全然正月気分を味わえないね。便利なんだけど、物足りないかな。テレビも面白く無いし
うちは元旦に風呂に入らず2日の朝に入る習慣がありました。元旦はお雑煮以外に火を使わないからと母が言っていたような記憶があります
朝風呂ありました。
正月もお盆も今年は自宅(父の実家)、母の実家へと行ったり来たりで、両家でご馳走食べまくったわwやはり寿司と刺身は定番で!けど、父が亡くなった時に両家の親戚が、ほぼほぼ集まって以来は集まらなくなっちまった
商店街に住んでいました!近所のおもちゃ屋さん、レコード屋さんは元日も営業していました!
11:48 そうなると本当にク○レカレーが食べたくなる(今でも正月限定クク○カレーのCMやってるのかな?)
時代の流れ!ネット社会!淋しいね〜😭
スターあつあつ大会、新春スターかくし芸大会などがあった。 これが正月番組の定番だった。
元日には吉本興業の初笑いも。
スター水泳大会があった。謎の女子の騎馬戦はヤバかった。
今では元日の実業団駅伝と2・3日の大学箱根駅伝が定番。
しめ縄は、三重県伊勢地方では、年中してる家が風物詩ですね‼️笑笑🏠
+前田伴樹様「笑門来福(笑う門には福来る)」の札を付けてますね、1年の後半に差し掛かると橙が真っ黒になってるという。(苦笑)
現在46歳。小学生時代位の年末年始は本当にワクワクして楽しかった。店は開いてなくシーンとしていたけど何か特別感があった。母が初売りでリカちゃんハウスを買ってきてくれたことを今でも覚えてます。除夜の鐘を聞きながら、夜中に神社の初詣に行きぜんざいの振る舞いがあったのも本当に楽しかった。今は除夜の鐘すらうるさいと言う理由で聞かれなくなったのは寂しくなりますね。風物詩ですら苦情を言うとか、心に余裕がなさすぎですね。
自分も46才だけどあの頃に戻りたいよね今はなんだか楽しくないよね!
ただ、年が変わるというだけで何の充実感も無いですよね😅
47ですが、昔は正月には不便さがあった。
お店も開いて無い。
だからこそみんな家に籠もって居たんでしょうね。
今じゃ正月を味わえるのは一部の勝ち組。失礼を承知で云えば、勝ち組の優越感を全うさせる為に、勝ち組の為に正月勤務をする…
先ずコンビニが悪い。
365日24時間なんてやるから店員も配送も休みが無くなる。
「お年玉は預かってあげる」は信じてはいけない。
家では自分名義の通帳に貯金をしてくれていました。
うん、ほんとにそれ(笑)
うちは、母親が 全部パチンコに
使ってた( ̄▽ ̄;)
昭和の時代から パチンカスって
居たのよねー𐤔𐤔
引き出し不可能の『お母さん銀行』🥺。
@@ビールデッパーラー 草
@@ビールデッパーラー 郵便局の通帳ないしは口座は母が牛耳っており今では引き落とし専用口座しています。
確かに今のお正月は特別感がない!
サラリーマンなら4月の新年度、特定アジアなら旧正月がありますからね。
自分が歳を重ねて両親もいなくなると、本当に正月が大事でもなくなりつつあります。子供の頃に盛大に祝ってくれていた両親、親戚には感謝しかありません。☺️
昭和の正月にやってたテレビ番組は面白いのが多かった! 新春かくし芸大会は毎年観てたなぁ😊
かくし芸大会も最後のほうは視聴率良くなかったようです😵
まあ紅白だって全盛期ほどの視聴率はもう取れないようですし❗ただ今でも司会や出場者は誰なのかという話題性はあります。
@@二五三二年壬申九月十 様
紅白は露骨なかの国グループ推しが多くて辟易としています、それでも毎年見ていますが。
昔は夜9時からのスタートだったのが未成年者のグループが多くなったので(労働基準法で
未成年者の夜9時以降の就労が禁止されているため)7時30分からと早くなったのも変化でしょうか。
あと輝く!日本レコード大賞も昔は大みそかの夜7時頃に放映されていたのが紅白とのブッキングに
なってきたので12月30日放映に変わりましたね。
@@古澤修-b1m 様
年末年始の特番にはとっくに飽きてます❗
大晦日は、よく格闘技興行番組を見ていたが、正月特番は、飽きた。
RUclipsrか箱根駅伝しか見ない。
@@大坂孝幸 様
ガキ使の「笑ってはいけない」もやらなくなりました😣
昭和30年〜40年代の正月はそれはそれは三日間は静かでひっそりしていました。お店と言っても八百屋さん、お肉屋さん、床屋さん、果物屋さんと当時は皆んな個人営業ですのでバッチリ三日間休業です。世の中静かでしたよ。正月元旦は10時頃になるとあちこちから羽根突きの音、ビー玉遊び、独楽回し、家では百人一首、トランプ等で遊びが始まる。親はお屠蘇気分で本格的にお酒を飲み始める。特に元旦だけは親も子供もお咎めなしの自由時間だったな。落ち着いて二日目に神社に初詣、この時代はほんとに良かった。ただそれだけです。
子供の頃放送してた芸能人の「かくし芸大会」は面白かった👍
昭和時代はお正月になるとテレビ番組は、1月7日くらいまでお正月番組が続いたが、
今は三賀日くらいで通常番組に戻るようになったなぁ
平成でも午前中のアニメですね。
正月3が日でも、通常番組のスペシャル版ってわけですね。ただ、連続テレビ小説は年末年始はお休みです。
各局「新春○○」だらけでどこまでが新春かわからなくなるよね。
昭和の正月は、商店街のお店は最低限三が日は絶対にお休み、長いところは七草粥の日まで休みというのが当たり前だったから、年末の大晦日に食材を買い込んであったのが普通でした。
大晦日は買いだめだったね。新巻鮭も風物詩だった。
年末になるとガソリンスタンドは大混雑
タバコのカートン買いにビールのケース買い
灯油も多目に買ったりして年末は慌ただしかったイメージです
パック餅なんかないから鏡餅やのし餅が届くのが嬉しくてワクワクしていたな♬
みかん箱の買いだめで最後は青かびが生えていた。御神酒は今でもやっている。
祖父母の時代は子どもの数が多いから、正月になると祖父母宅にみんなが集まる一大行事でしたね。
いつの間にか自分の親も親の兄弟もほぼ他界して、あの時代にいたのがなんたか不思議に思えてきます。
元日は大都会でもゴーストタウンみたいに不気味に静まり返っていました。
お年玉を握りしめつつ3日の初売りを今か今かと待っていたのもいい思い出。
越年番組「ゆく年くる年」は今ではNHKだけになってしまったけど、昔は民放でも放映されていて
しかも全国民放共同制作だったからNHK以外どこのチャンネルに変えても同じ「ゆく年くる年」が
放映されていたのが面白かったものです。
車ばかりでなく電車の車内にしめ飾りが付けている私鉄がありました。
もうひとつ馴染みが無くなったのは「祝い魚(年取り魚ともいう)」、大みそかの年越しの膳とか
おせちと一緒に供されていました。
魚は東日本が鮭,西日本が鰤となっており、その境界線は富士・糸魚川構造線(フォッサ・マグナ)と
一致している事が調査結果で明らかになってます。
岐阜県飛騨地方の塩鰤の競り市は中京地区の年末の風物詩となっています。
民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに姿を消しました(1988年が最後の放映)。
ボードゲームやトランプや百人一首や花札で遊ぶ昭和のお正月も楽しかったな。
百人一首はいいよね、最近はテレビでも見なくなった。
1/2に親戚の家に🏠集まって杵と臼でついたお餅をたべるのが楽しみでした😊 お年玉🧧も嬉しかったです😊
今のお正月は店舗が長期に休まないので食料品も買いだめしなくてよくなった。
特にコンビニエンスストアは、正月も営業しているためお正月っていう気が全くしません。
正月こそコンビニやファストフード店は稼ぎ時でしょう。
お年玉袋や年賀状や鏡餅
子供の頃は不思議で特別な感覚を味わいワクワクしたのを思い出しました。
もういくつ寝るとお正月って歌ったりね。
職業上、土日祝日が全く無い為、暮れのせわしさからのマッタリした正月時間が懐かしい。
今は正月でもお店は開いてるし、街は福袋等を買い求める人達で騒がしく正月らしくないのが寂しいわね。
テレビ番組も今でも箱根駅伝はあるけどかくし芸大会は無いし、家族そろってまったりと観るような番組が無くなったわね・・・
今の正月の方が便利なんだけど不便だった頃の方が好きだわ。
テレビのオワコン化は規制や芸能界の劣化
私が子どもの頃は、箱根駅伝も完全放送ではなかったですねッ♪
筋肉番付(現サスケ)とか高校サッカーや高校ラグビーのテレビ観戦のほうが熱い今日此の頃です!
引き出し不可能の『お母さん銀行』にお年玉を預けてしまった子供時代の俺🥺。
私が子供の頃は近所の数件と共同で臼と杵で餅つきしてました。
近所の子供も同年代だったので楽しかったし、出来立ての餅をその場で納豆やきな粉で食べるのは凄く美味しかった。
子供が大きくなるとそんなイベントのようなものから餅つき機に、でももち米を蒸かすのは近所合同。
でも徐々に買って済ませるようになると近所付き合いも少なくなってきました。
おせち料理も○○は家が作るから、××はお願いみたいな事が結構あったみたい。
近所付き合いが希薄になった時代と言われてますが、このような機会がなくなったのなら仕方ないのかもしれませんね。
クリスマスから年末年始と子供のために盛り上げて楽しませてくれた親に改めて感謝。本当にワクワクして楽しかった。お父さんお母さんありがとう!
昔は正月に開いている店もなかったなぁ
そうでしたね。でも初詣客が集まる神社の近くの喫茶店やレストランなんかは普段やっていないオールナイト営業していて、その上ちゃっかり正月料金で割り増ししていましたww 昔は謎の正月料金がありました!
@@dolcegabbana21 様
熱田神宮とかの有名寺社仏閣近くの駐車場は正月料金が健在でこれでもかとぼったくります!(苦笑)
年末年始のソバ屋などの飲食店は、仕入れの関係でメニューが限られてたりする。
小学生の頃は冬休みとクリスマスお正月とイベント目白押しだった
クリスマスはケーキ、クリスマスプレゼントお正月前は年末のテレビ番組のチェック。何を見るか予定立ててた。家にお風呂が無かったから銭湯に行って身体綺麗にして大晦日の夜は近くの神社に並んでお詣り。
甘酒(酒粕)の振る舞いを貰って帰宅。朝眠い目を擦り新しい下着に着替えて新年の挨拶。お年玉を頂いて、テレビでお正月番組を家族で見ながら御節とお雑煮食べてコタツでうたた寝。コタツ台の上のみかんをねっ転がりながら食べて母親に怒られる😊
懐かしい記憶が蘇る。
私の家も年末になるとTVジョンを買って年末~正月の番組を何を見るかOしてましたよ
風呂もなかったので正月は早朝から営業したので朝風呂に…
昨今の年末~正月のTV番組もつまらなくなりましたね
年末にはバァちゃん家でみんな集まって餅つきしてたなぁ。紅白餅や草餅、芋餅、あんこ餅、色々作ってた。
バァちゃん亡き今は正月に餅食べたりしなくなっちゃった。
確かに年賀状を書かなくなったね。
やっぱり、電子メールよりも手書きの方が有難みがあると思う。
親戚の家にも集まらなくなったなぁ…
なので滅多に逢わなくなってしまった😓
玄関や車にもしめ縄を付けなくなったから昔の様に正月って感じがしなくなった😩
おせちは店が開いてない正月三が日を持たせる為に傷まないような料理ばかりでしたもんね
現代では敢えて食べる必要もなくなりますよね
それぞれの料理に目出度い意味があるんだよね。おせち料理だけでも話題は尽きない。
そういえば、おせち料理の売れ残りが廃棄されているっていうの以前に聞いたみたいですね。食品ロス根絶の意味合いもあります。
本当に正月は無くなってきたよな、元日から空いてるコンビニや飲食チェーンがあるしな、海外に遊び行く家あるしな
特に、サラリーマンや特定アジア人にとっては正月の意味が無くなっています。
昔の正月は道路で寝そべっても平気だ位に人がいなかったのに、今は普通の休日より休み感がある程度ですもんね。
イオンもGEOも普通に営業してるし。
元日の初売りは正月の雰囲気を完全に崩壊させてしまった。
新年が来たっていう気がしなくなったのは、当然時代の流れですね。よく歳のせいだと言われますが、今では子どもでさえ新年が来たっていう感じしていません。
近所のスーパーとかでお年玉袋を買いに行く、ラグビー雑誌を行きつけの書店で手に入れたりと。
正月は稼ぎ時だから店閉めてることが勿体ないんじゃないかな。
まったく店の開いてない商店街を歩くのが非日常感あって好きだったなあ。ゲーセンだけは空いてたから意味なくゲームだけして家に帰ってたw
小・中学生はまず入店できませんね。
他にも、80年代のテレビのゆく年くる年では、レストランが年越し営業していたのをやっていました。
@@ラブリーショータイム さん
「ゆく年くる年」って、確か民放連各社共同制作だったんで、スポット (CM) 含めて、全部同じ内容、画面でしたよね♪
@@hiromichifukino4186 その民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに無くなりました。
@@ラブリーショータイム 様
1985年2月13日の改正風俗営業法施行までは小中学生の独りでの入店禁止はありませんでした。
2016年6月23日施行の改正で保護者同伴でも16歳未満の入店時間制限が定められました。
(都道府県ごとに異なります)
いつだったか「サザエさん」で、年末にカツオが机に向かって何か一生懸命やってるので、勉強かと思ったら「正月にお年玉くれそうな人リスト」なるものを作っていて、波平が頭を抱えてたという話にはワロタ❗🤣
同じくサザエさんの正月ネタで、波平が書初めで「禁煙」と書き、それを眺めながらタバコ吸ってるのがあった。
喫煙シーンのため、もはや放送されないけどね。
@@tagucr
最近のサザエさんでも喫煙シーン見なくなった気がする🚬
大人がタバコを吸ってもなんら問題ないのに、そのシーンを規制する現在が異常。
年末年始か…。
ガキの頃は母方の実家に集まったのが楽しかったな。
その時、お袋の姉弟側の従姉弟が同年代だったのもあって和気藹々だった。
ただ、ウチの家族と他の従姉弟家族とでは、
すき焼きの肉が牛肉だった(ウチは豚肉)事と玉子を溶いた仕様で驚いた経緯が…。
今じゃ、その従姉弟達とも出会う事も無くなってしまったけど。
親父の実家はちょっとねぇ…。
元旦から営業してたプラモ屋には
「お年玉もらった?」
「お正月退屈だよね。」
と貼り紙をしていた....。😒😅
お年玉:ほとんどお札五百円だった、千円くれるヒトまれ
凧上げ:紙の凧を上げてた
凧はプラスチック製になりましたね。
@@鹿熊美佐子 ちょうど五十年前、ゲイラカイトが上陸しました😊
@@徳田幸治-v5g ゲイラカイト!
私はそれを西洋凧と呼んで近所の田んぼ(今や高層マンションとコンビニ)で上げていました!
電線が張り巡らしているため、凧揚げができなくなったこともありますね。電力会社のCMでも、凧が絡まったら電力会社に連絡せよっていうのありました。
書き初めで、ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんがぶっ壊れた最爆笑シーンを思い出した。
おとし王
「お年玉」を、書き初めで、まる子が練習していてお姉ちゃんに見せたら「おどし王」になっていたのでお姉ちゃんが大爆笑してたやつですね(*^^*)最後は友蔵じいさんにお手本見せてもらって書いたら「おとーむ」になっていたオチ。永沢君に「さくら〜。お前なんで「おとーむ」なんて書いたんだよ?」周り(山田、はまじ、藤木の三人も「おとーむおとーむ。(クスクス……。⟵はまじか山田が声に出して言ってた。藤木はクスクス笑ってるだけ。)」)
大晦日におせち料理に出す煮物や煮豆などを作ったりしてましたね、母の手伝いさせられました😢
確かに、学生時代は『吉野家』『マクドナルド』やコンビニとかファミレスとかしかやってなかったよな…
京都の神社に初詣した帰りにマックに立ち寄り更にベビーカステラも駅中の専門店で買うのが私の元日。
少し違うけど、お餅の美味しい食べ方、鍋物用のしゃぶ餅を魚焼きの網で焼くと10秒位で膨らんで食べれる、これを海苔で巻いたり、きな粉をつけて食べたりすると楽しくて美味しい、お餅丸1個だと一つで大分お腹ふくれるけどこれなら幾つも食べれる、おせち料理に飽きたら、鍋料理してこれで締める
大晦日は「レコード大賞」「紅白歌合戦」を立て続けに見て(演歌絶頂期、北の宿から 津軽海峡冬景色)年明けて「隠し芸」(堺正章のテーブルクロス引き)が定番。鏡餅はカビを削って食べた。今の自分は年越しは平日と全く変わりない。、隔絶の感があります。
昔の人からすると今は毎日がご馳走の連続で毎日がお正月みたいに思うんだろうと思う。それだけ豊かになったんでしょうね。感謝して食べなければ🍚
テレビ番組以外はあまりお正月を感じなくなった。
そのテレビ番組でさえ、通常番組のスペシャル版に。
@@ラブリーショータイム 様へ 確かに、「相棒」などいい例ですね。
大晦日の格闘技や筋肉番付みたいなものはよく見ます。
高校ラグビーや高校サッカーは毎年テレビ観戦しているので飽きません。
うちも3家族が正月に集まってお年玉やら挨拶しに集まってたけど、子供達が結婚,出産していくようになると自然とスケジュールが合わなくなって集まりがなくなったなぁ。それに集まっても人数が入りきれない問題も出てくるし。
住んでる家が核家族に合わせて小さくなったのも要因の一つだと思ってる。
私の住んでいたライオンズマンションは管理部の方針なのか年末に各ポストにしめ縄飾りのポスターが配られていました(独り暮らしというよりファミリー層向け)
各ドアのレンズ穴の下にクリスマスのリースなど引っ掛ける金具がありそこに貼っていました
また入り口の両端には門松が設置されクリスマスシーズンにも1階共有施設(公園)には植木にイルミネーションと雰囲気だけでもと盛り上げてました
今はお正月でもお店屋さんほとんど開いてる。コンビニとか、24時間営業だし。(駅ナカのコンビニ🏪は、例外あり。)TSUTAYAとかやってるしGEOとか。
今は便利すぎる😅
昭和50年代、正月には親父の実家に親戚集まって餅つき大会
もらったお年玉をオイチョカブで増やすのが楽しかったな
大人たちはお年玉の追加感覚でわざと勝たせてくれてたんだろうが
しめ縄は一般家庭で見かけることがほとんどなくなった。
今は企業かお店で見かけるくらいです。
+Ro san様
最近ではクリスマスリース形のしめ縄が多くなってますね。
前の年に家の人が亡くなった(喪中)正月はしめ飾りは付けないですけど。
(年神様が死の「穢れ」を嫌うとか、故人を偲び慎ましくするという事から)
お正月が待ち遠しい。
親戚会で歳の離れたちっちゃいイトコにせがまれて、変な警察手帳みたいなオモチャを持たされて、対ナントカ法なる謎の条文を何度も何度も読み上げさせられたことを思い出しました。キャッキャ喜んでいたのが不思議でした。
オモチャってどんどん凄くなってますよね。今のライダーベルトはしゃべるのビックリしました。
でもね昭和の仮面ライダー変身ベルトは光る回るシンプルなギミックも最高ですよ😁😁😁
友達がライダーベルト買って貰って高い所から「ライダー変身!トウッ」
飛び降りて足を挫いて泣きながら、家に帰ってその子の母親に友達共々怒られた思い出
それは、1989年に放映された「機動刑事ジバン」でしょうか。
祖母の作ってくれた、 16:25 揚げ餅美味しかった😊
地域で餅つき大会とかもうやらんなあ
年賀状は、年々販売数落ちてきてます。しかも一番売れるのは年始にはなってから…つまり、届いた年賀状に返事を返す的な感じで買っていく人が多い。
あと最近の若い人は、ハガキや切手の値段を知らない人が多い気がする。それほど利用する頻度が減ったんだなと。
正月過ぎてからの年賀状多いですよねぇ、昔コンビニで働いてたとき買いに来る人が多くて元日当日にはなくなってました
そのくせ無いことを伝えると「つかえねぇな」的な顔をされて最初から郵便局いけやって思いました
賞品もしょぼくなった(末等の切手シートは昔も今も変わってないが・・・)。
1等:30万円
2等:ご当地小包
3等:切手シート
小学校の頃は、元旦は登校日で紅白の饅頭をもらいました。
TOMAさん
こんばんは
今回のおさんぽコースは、私が沖縄に行った最初の頃に歩いて廻ったコースとそっくりです😄
県庁前のコンフォートホテルから旭橋駅 明治橋渡って護国神社に沖宮 漫湖公園から壺川の裏通りから国際通りへだったかなぁ🤔
懐かしく思います🎶
何時も配信ありがとうございます🤗
現在は元日も単なる年初めに変わりつつあり、サラリーマンなら4月の新年度、特定アジアなら旧正月が重要視されていますね。
正月はいつもと違う社会活動。お年玉を貰って、1月3日にプラモデルを買いに行った事が思い出されました。ある年末、前の年末家族が揃って鮨やオードブルを買い込み食べ切れず捨てた事を反省し、揃って皆んな何も買ってこなかった大晦日があった。食べるものがない!兄が慌てて何処ぞへと出て行きカップラーメンを10個程買って来た。そんな年越しもありました。(田舎なので80年代前半にまだ、コンビニは無かった筈です)
昔、年賀状のアルバイトを2回だけやった事がある。
当時は大量の年賀状がやりとりされていた時代。
あまりの年賀状の重さで自転車がウィリーした時はあせった。
左義長ってなんだろう?と思ったら、地域によって名前がバラバラなんですね(○口○*)
私が小さい頃は「どんどや」と言ってました!
お正月の残りのお餅をアルミホイルで巻いて、針金で吊るして焼くのが楽しみだったなぁ。婦人会の方々が善哉作ってくれてて。
昭和の正月は車にしめ縄よく飾ってた、今は族車ぐらいなもんですw お節も今や予約注文だもんな~
かき初めは、1月2日の初湯のあとに、一番お気に入りのグラビアで w😅
昔は三が日はどこのお店も休みでした。デパートは元旦休み。今は元旦もイオンは営業しています♪現在はスーパービバホーム蕨錦町店になったイトーヨーカドー蕨錦町店の千本くじは寒い中朝早くから待っていたのを思い出します。
10:13の[もちっ子]…実家じゃ今でも現役ですw
神社近くの喫茶店だけは初詣客を当て込んで開いてたね。
来年のお正月には無職になっている予定です
車のフロントグリルにお飾りを付け続けてるけど逆に変人扱いされて悲しい
グリルは近くで見るとお飾り付けるところだけキズだらけだけど、そういうもんって感じ
お年玉付きの年賀はがきは、中国でも発売されているそうです(あちらでは旧正月の時期に合わせて年明けに発売される)。
紅白に当たるテレビ番組も旧正月に放映され日本や台湾のように勝敗は競わず韓国でさえ青白戦方式(反共が国是だったからサンタ衣装も青か黄色)だったとか。
企業から年賀状が廃止になったのは虚礼だからです。昔と違って、お得意様へ礼状、お歳暮、お中元も無くなっています。
お歳暮、お中元のCM見ないね。
コスト削減もありますね。お年賀、お歳暮、お中元だけでもそれだけコストがかかりますよね。
おせちも良いけどカレーもね、のCMはキャンディーズが今も思い出す。
あと、お正月を写そう、ってCMも覚えてる。
書き初めは、TVで、仙人みたいな
習字の先生のオッサンが体育館みたいな所で4帖位の半紙におめでたい寿て書いていた
私が子供の頃は、元旦に学校に行って、校長先生の話しを 聞いて、紅白まんじゅうもらって帰って来た。
母よ。亡くなる前に一方的に預かったお年玉を私に返して欲しかった。
うちの地方では、広い場所だと釣竿で凧揚げしてるのを見かける。
糸が200mくらい巻かってますからね。
おせち食べて祖父母の実家に泊まりに行くのが恒例だったなぁ。父方の実家の側にプラモ屋あって、自分みたいなお年玉貰った子供で賑わってたの懐かしい
年賀状は毎年 ニュースで印刷枚数が減ってる事を伝えてるよね⤵️
昔は正月はお店は休みって言うのが当たり前
なのでお正月用品や食料品の買い出しは 一家総出で行ったよ
何せ親戚が来たり
3日分の食料を買い込むんだから 冬休みの子供達も荷物持ちに使われる😅
これを手伝わないとお年玉が減ってがっかりする事も……(これは我が家だけだったのか?)
正月にカレーというのを流行らせたのはボン(大塚)だと思い込んでたけどククレ(ハウス)だったのか。
ホームベーカリーにどうしたわけか餅搗き機能が付いてるのがあって不思議に思ってたんだけど、アレって餅搗き機から派生した製品だったんですね。納得です。
+みつる様
レトルトカレーは大塚食品(ボンカレー)が最初でしたけど、正月にカレーのCMを出したのは
ハウス食品(ククレカレー)が最初となり、先を越されたって感じでボンカレーも王選手(当時)を
起用して「お正月にはカレー」のCMを作ってました。
ホームベーカリーは残りご飯と強力粉でパンが作れる機種があり、うちでは昨年のパンの軒並み値上げから
フル稼働しています。小麦の香ばしさはないですけどもちもちした食感が最高です。
@@古澤修-b1m 様
なるほど、そういうことだったんですか。
ククレの後追いでボンも類似のCMを。
それも昭和のおおらかさですね。
今やったら「マネすんなや!」と広告の差止め訴訟に発展しそうです。
小学生時代の頃の年末TV、戦うお正月という番組が好きだった😊特に車好きなのでペーパードライバー対決はヒヤヒヤしながら見ていた😮その後の和田アキ子さんのコーナー?のパチンコ対決はつまらなかったので毎年とばして見てました😅いつの間にかこの番組も無くなったな…
和田アキ子vs黒柳徹子のパチンコ対決の番組は謎だった。
所々に挟んでくる霊夢の昭和ワードが好きw
「かくし芸大会」も無くなったなあ、「爆笑ヒットパレード」は健在だが。
年末年始はおばあちゃんちに行って、元旦にはファミリーランドに連れてってもらうのが毎年楽しみだったなぁ
昭和の終わりの頃から
三が日でもスーパーが営業するように成った
昭和62の大晦日~昭和63年の元旦に
食品加工の会社で年を越したよ
昭和のお正月のテレビ番組はスペシャル番組は数えるほどで、夜9時以降の番組は普通にレギュラー番組を放送していたり😊
午後はスポーツ中継とか映画とかを放送。
昭和の頃のお餅ってちゃんとカビが生えたから、鏡餅なんて食べる頃にはカビだらけだったのよね。
現代は保存料が大量に入っているから、鏡餅がホームセンター等の早いところでは11月頃から並びだす。
林家彦六のお正月の名言
『お餅って何でカビが生えるんですか?』
彦六『早く食わねぇからだ!』
5:15「年末に食材のまとめ買い」だよねw
昭和の小学生低学年の頃、元旦に母方のおばあちゃんの家に行って、親戚が大勢集まるのでお年玉を回収w
3日頃デパートが開いて玩具買いに行き、高島屋の最上階の大衆レストランで食事して、その帰りに横浜岡田屋(横浜モアーズ)の屋上の小さい遊園地で遊んで帰るのが恒例だった
コメントさせて下さい。僕の家では、昭和のお正月に家族、親戚が集まってダイヤモンドゲームをしたりドラえもんの特番をいとこと見ていました。失礼します。
盆 正月がはっきりしていた。なんとなく正月は楽しかった。
「おせちもいいけどカレーもね」のCMはキャンディーズだった😄
幼少期の自分家の正月ルーティンは、先ずは菩提寺に行って御先祖様に挨拶してから親戚(叔父・叔母)の挨拶回りして、お年玉を貰ってゲームショップに行って家庭用ゲーム機(WillやDSシリーズ)やソフトを買って午前中は1/1か1/2に行ってました。
家庭用餅つき機も叔父さん家にあって今も使ってます(叔母さんがJAで働いているので)。
p.s. 知人は祖父母宅で臼杵を使って餅つきを今年もしてきたと言っていました。
お年玉でファミコンソフト買いたいけどおもちゃ屋さん(当時はゲームショプなどまだ無い)が正月3が日休んでるからお金持ってて欲しいゲーム買えるのに買えなくてヤキモキしてじれったくてしかたなかったな。だから3が日にを安泰に過ごすためクリスマスに買って貰えるゲームに何を選ぶかが非常に選重要だった。
私も年賀状は書かなくなったな!
代わりにLINEやメールをしてる。
七草粥は食べなくなったのか!?
私は七草粥は好きだ!
これを食べないとしまらない!
西城秀樹がバーモントカレーのコマーシャルで言ってた様な気がするwww
+パービリー様
「おせちもいいけどカレーもね」を初めて言ったCMはキャンディーズでした。
後になって西城秀樹さんもククレカレーの「おせちもいいけど」のCMに
出演するようになりました。
@@古澤修-b1m そうだったのですね~アリです。
正月と言えばお笑い番組で📺️昭和の爆笑王・初代林家三平は、3日間で51本の番組出演の記録を持っていると思う☝️
お年玉は家族に預けると「もしものため」「あんたが大きくなってから(大人になってから)」と言いながら(その頃は私名義の通帳がないので(当時はキャッシュカード等もなかったはず。私の生まれた昭和43年って確か通帳しか無かったからハンコと通帳を窓口持っていくパターン。預かり入れ、入金、記入、出金))
最近は正月でもお店やってるから、全然正月気分を味わえないね。
便利なんだけど、物足りないかな。
テレビも面白く無いし
うちは元旦に風呂に入らず2日の朝に入る習慣がありました。元旦はお雑煮以外に火を使わないからと母が言っていたような記憶があります
朝風呂ありました。
正月もお盆も今年は自宅(父の実家)、母の実家へと行ったり来たりで、両家でご馳走食べまくったわw
やはり寿司と刺身は定番で!
けど、父が亡くなった時に両家の親戚が、ほぼほぼ集まって以来は集まらなくなっちまった
商店街に住んでいました!
近所のおもちゃ屋さん、レコード屋さんは元日も営業していました!
11:48 そうなると本当にク○レカレーが食べたくなる(今でも正月限定クク○カレーのCMやってるのかな?)
時代の流れ!ネット社会!淋しいね〜😭
スターあつあつ大会、新春スターかくし芸大会などがあった。 これが正月番組の定番だった。
元日には吉本興業の初笑いも。
スター水泳大会があった。謎の女子の騎馬戦はヤバかった。
今では元日の実業団駅伝と2・3日の大学箱根駅伝が定番。
しめ縄は、三重県伊勢地方では、年中してる家が風物詩ですね‼️笑笑🏠
+前田伴樹様
「笑門来福(笑う門には福来る)」の札を付けてますね、
1年の後半に差し掛かると橙が真っ黒になってるという。(苦笑)