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大晦日は毎年午前中から正月用の食材買い出しに家族総出で出掛けていましたお昼は大体同じ駅前の食堂で食べて、帰ったらすぐに夕食を食べてお風呂に入ってレコード大賞を見る為に備え、レコード大賞の後はもちろん紅白✨夜更かししてもいい時なんて滅多になかったから、それも楽しかったー✨✨✨
クリスマス→冬休み突入→正月のお年玉によって懐が潤うという子供にとって一番嬉しい時期
クリスマス(キリスト教)→除夜の鐘(仏教)→正月(神道)1週間で3つの宗教行事。日本人のイベント好きがよく分かる時期w
@@citydeep2000 12,1月と誕生日の人達は、お年玉,クリスマスプレゼント,バースデープレゼントと集中しているけど、、後は一年間待ちですね‼️笑笑草🎁🎁🎅🧧その中でも辛い人達は、バースデーが、クリスマスイブ(12月24日)と元旦(1月1日)の人達じゃないかなぁ❣️(。・_・。)ノ😭親は、プレゼント代節約できるし❓❓( ⊃👛⊂ )ギュ🎁🎁🎅
@@citydeep2000 日本が多神教、八百万の神々の国だという証拠だよね。海外だったら唯一無二の神が、元来の神の中に加わってしまうのだから、海外から見たらショックだよ。
お年玉は結局親に取られる。
友人が11月30日誕生日で親がたまりかねて「すまんが全部にパーティーやプレゼントは忙しいし苦痛だから総額3万円のこずかいで誕生日やクリスマスはいつも通りでいいか?」言われたヤツ居たw
レコード大賞の会場から紅白の会場へ急いでいく歌手がなんか懐かしいです。
ああああ懐かしい!ほんと!
TV視聴もそれが鉄板でその選択肢以外は無いに等しかった感じですね。
昔、レコ大のラストに宇津井さん以下ガードマンが全員舞台に上がり「此の後はザ・ガードマンを観て下さい❗」と挨拶していたよ‼️
昭和末期だけど、30日と31日の2夜連続の年末時代劇スペシャルは楽しみだったな。白虎隊は泣ける。
私も🙋日テレで放送された時代劇私も白虎隊は胸に熱く刺さりました!初めて白虎隊の存在を知り出演された俳優、女優も役にはまってましたよね🤗鶴ヶ城、飯盛山、日新館、卸薬園……実際に会津に行って来ました!
俺も見た。
私は五稜郭が良かった。渡哲也の土方歳三が格好良い
NHK以下民放も全てゆく年くる年を放送していた時代が懐かしい
昔は民放のゆく年くる年は、放送局によって中継をする場所が違っていたので、チャンネルをくるくる回していた記憶があります。
+えすま様特に1975年大みそかの民放「ゆく年くる年」はSL運転最後の年だった事もあり、京都梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)のターンテーブル上で山本直純氏(故人)が指揮して扇形機関庫の保存機関車の汽笛で「蛍の光」を演奏していたのが今でも印象に残っています。
@@nabe9215 さまもっと昔の民放の「ゆく年くる年」は全部同じ内容でした
民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに姿を消した(1988年が最後の放映)。
あったなあ。懐かしいですね。
平成初期、29日は家族総出で大掃除、30日はお節の食材やお年賀を買いに家族で市街地のデパート(ダイエー)お出掛け、そして31日は母親はお節作り、父親は正月飾り付け、夜は紅白歌合戦見てた。元日は離れの祖父母が来て、父親の家族がきてみんなで宴会!だった
小学生の頃はとにかくワクワクしてました。昼過ぎに親父と自転車に分乗してミカンをダンボールごと買って来たり。あとはレコ大と紅白。あの頃の紅白は良かったですよね。今でも極たまに『北の宿から』とか『津軽海峡・冬景色』なんかを聴くと、何だか大晦日を感じるんですよ。
あとなぜか「365歩のマーチ」が毎年あるっていうw
あと、「風雪ながれ旅」とかでも紅白思い出しますねぇ。今思い返せばまだ演歌歌手が全体の半数いた昭和の紅白が一番最高でした。小学生だった頃は半分退屈だったけど…。
除夜の鐘に苦情か・・寂しい時代になったもんだ
そういう人たちは煩悩の塊なんだから、さっさと浄化させればいいんだよ。
聴力奪ったほうが話が早い。
今は風鈴の音がうるさい、花火大会がうるさいと警察に苦情を入れるデコ助野郎が結構居る
耳栓知らないfool なんだろ🥱除夜の鐘うるさいと思うなら、引っ越せ🤪
何とも自己中な人が増えましたね。あれダメ、これダメ😅自分も子どもの頃を忘れたか、淋しい子ども時代をした淋しい可哀想が結構いるんですね。😢😢😢😢
昭和時代の大晦日の過ごし方は、午前中は正月休みに備えて母は商店街へ食材の買い出しに行き、父は掃除道具の準備係でした。午後は夕方までに家中の掃除が定番でしたね。夜は7時からレコード大賞、9時から紅白歌合戦を家族で見るのが当たり前でした。紅白歌合戦が終わったら年越しそばを年内の内に食べるのが我が家のルーチンでした。
嘗ては、高視聴率の国民的番組だったNHK紅白歌合戦。年間のテレビ📺️番組視聴率のトップを走っていた時代があった。ちなみに番組の最高視聴率は、昭和38年 (第14回) の81.3%。
紅白歌合戦の、色々な施設からの応援メッセージが好きだった。「昭和基地は雪で真っ白、白組がんばれ!」みたいなやつ。
確か、電報でしたね。😂
そういえば大みそかは日本は冬だけど南半球の南極は真夏で実際は雪がないそうです。昭和基地からの応援電報にヤラセの疑惑が・・・。ポケ戦のバーニィの大ポカミスみたいだ。(クリスマスにシドニー生まれと言っておいて「今頃雪で真っ白だろうな」とやらかした)
@@古澤修-b1m !?となると、6~8月(北半球の夏)は北極にも雪はないのか?
除夜の鐘は煩悩を振り払う意味があるそうですが「音がうるさい」という煩悩的意見に除夜の鐘自体が掻き消されるというのは皮肉な現実😵
今年も終わりだなとイベントの一つの除夜の鐘つきに「うるさい」と理不尽な理由で除夜の鐘もなくなるなんて寂しいですね😔
日本の風情を大事にできない人はキライだよ😫
@@ino3desu2君に嫌われても、全く困らないよ
@@Schwarz-Rose wwwww
日本の文化に対する破壊工作員の仕業かな?
昭和の元旦はどこもお店開いていなくて街に静けさがあったけど今はどこも元旦から開いていますね。
スーパーでお年玉袋とか買いに行きます。
@@tatewaki84 様 昔さいたま市に住んでいた頃、蕨市にイトーヨーカドー錦町店がありました(2・3年前にスーパービバホーム錦町店に変わりました)毎年新春恒例の千本引きの長い列に並びました😊その後に初売りの靴下や肌着などを買い、フードコート・ポッポでたこ焼きとラーメンを食べで帰ったのを思い出します。
正月って感じしなくなりましたね
正月3日までほとんどの店が休みでコンビニすらなかったので駅前の商店街はゴーストタウンのようでした。伯母や伯父の家に行きお年玉をもらうのが正月の楽しみでした。病院も休みなので風邪もひけない時代でした。
賑やかな紅白が終わって、厳かな除夜の鐘が鳴るゆく年くる年が流れる瞬間が好きだった
大晦日はやっぱり大晦日だよドラえもんを観てたなぁ。特別な時代劇もやってた。
ドラえもんも今年は午前中の1時間だけになってしまった。
昨年もそうでした😢😢😢
お米屋さんから届く大きなのし餅を父親が苦労して切る。紅白なますの甘酢にむせる。家中にただようお煮しめとお雑煮の匂い。伊達巻の端っこをめぐって姉弟との仁義なき戦い。酒屋から届いたビールを冷蔵庫に入れるもスペースがなくて悩む。祖母が味醂でお屠蘇を仕込む。食いもんの思い出ばっかり😅
あはは、なんかわかる😂😌
大晦日の除夜の鐘の音がうるさく感じる人がいたとは、驚くばかりです。嘆かわしい!
昔は大晦日とお盆はお爺さんお婆さんの家に親戚一同集まってたけど、亡くなってからは親戚が集まる事なんて全く無くなったな。
結構長い間大晦日: レコ大 → 紅白 → ゆく年くる年 (民放合同制作)元日: かくし芸だったなぁ...
私も同じでした……過去形ですが昨今は、レコ大も紅白も見てません!だって出場者に魅力を感じないしなんかね正月は今まで放送したドラマの再放送やくだらないお笑いばかり年末年始の雰囲気が今では感じなれない😢
今なんか、総合格闘技興行がなくなり、RUclipsばかり見るようになった。
天皇杯サッカー選手権決勝戦と全日本実業団駅伝と東京箱根間関東大学対抗往復駅伝競走(箱根駅伝)を忘れている。
かくし芸放送局が少ないせいで毎年7日くらいにやってた
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️を忘れている。志村けん所ジョージの戦うお正月や格付けチェックこれが世界の一級品だ‼️新春スペシャル‼️もあるぞ。
最近は、「紅白」の時間帯にはようつべを見て、「ゆく年くる年」だけ見て年越ししてる。
昭和の大晦日はゆく年くる年の寺の鐘つきと美空ひばりだった。懐かしい。
祖母が生きていた頃は大晦日はご馳走たっぷり
昔は30日から1月7日まで休んでいた店もあったな。子供はお年玉貰って欲しい物買いたいのに店がやってないジレンマがあった。スーパーも5日から始まってた。
店のほとんどが閉まっているから真っ暗なイメージ。とにかく元旦から3日くらいまでどこも閉まっていたから(コンビニが無かった頃)年末は買い溜めするのが当たり前だった。
大晦日は年越し初詣&初日の出で遊びに行ってたなぁ。でも、昔は夜中に開いている、お店が少なくて初詣の後、初日の出まで外で寒いのを我慢した記憶が…。ファミレスが出来たときは嬉しかった😸
年末はスーパーも店じまいしてるから食料品を買い込んで、31日早朝から婆ちゃんと母さんは御節の仕込みに追われ、爺ちゃんや父さんは玄関の掃除、玄関や車にしめ飾りを付けたり門松を作ったりと忙しい。それが終わると父さんと子供達で31日迄に家の大掃除してた。31日は簡単な掃除が終わったら年越しそば食べてたな。ストーブの上で餅焼いて食べてたな。書いてて凄く懐かしい気持ちになった。
懐かしい光景ですね!「障子の貼り替え」は、古い障子を「破く」のが楽しかったです!最近は「カップそば」に海老天をトッピングしていますが、以前はちゃんとしたそばを作っていました…※家内は鹿児島県の島の出身ですが、年末は親戚が集まって「すき焼き」が恒例だったそうです!
今でもシャッター商店街を見てワクワクするのは、大晦日の印象が 刷り込まれていただけかもしれない
民放ゆく年くる年の、SEIKOドラマ仕立てTVCMが感動的だった。数分間くらい有った様な気がする。去年はTVを観ない年越しだったから、今年は又、さださんの変な年越し番組観ようかな。
サムネの年越しそば旨そうだ😋家庭により(というよりお母さん次第)個性が出ますねエビ天そば+蒲鉾+ほうれん草もあれば緑のたぬきやどん兵衛の家もあるし蕎麦屋の出前(注文多すぎてプラスチックのケースのざる蕎麦)もありました
あと数年もすると「どうして昼に鳴らすのに除夜の鐘っていうの?」っていう疑問を持つ子供が出て来そうだ。
紅白、トリは演歌でした。ここ最近は演歌とは限らず、MISIAさんとか若者?の曲。
テレ東の年忘れ日本の歌演歌祭りの視聴率が高まってきた。紅白歌合戦第一部の視聴率を上回る結果が出ている。しかし、第二部の視聴率が紅白歌合戦が逆転した。
除夜の鐘絡みで子供の頃に印象深い想い出があります。マンガ「巨人の星」で主人公星飛雄馬が(多分、プロ入り間もない頃)父一徹と共に実家で年越しを迎えるエピソードでの一場面。除夜の鐘を聞きながら一徹が飛雄馬に語り掛けます。「飛雄馬、知っておるか。野球のボールに縫い目が幾つあるか。」「!?」「ふふっ、知らぬようじゃな百八つなんじゃよ。」「それじゃぁ、父ちゃん!」「そう、人間の煩悩の数を表すと言われる除夜の鐘の数と同じ・・・・奇妙な偶然じゃがな。」当時の日本人の良くも悪くも‘’野球もあらゆる芸事と同じく、精神修養、人間修行の一環である‘’とする所謂「精神野球」全盛期のメンタリティを如実に反映する中々良く練られた展開で、当時小学中級だった僕のお気に入りの好シーン、名台詞でした。因みに実際に縫い目の数が本当に108かどうか、自身で確かめた事は今に至るも一度もありません(笑)
これは私も記憶があります。野球のボールの縫い目と除夜の鐘の不思議な共通点。川崎のぼる先生さすがだなぁ。
@@悦子高野-x5b私も巨人の星の1巻を昔持っていて、大みそかの星親子のエピソードは懐かしいですね。
「当たり前田のクラッカー」・・・昭和30年代のギャグ😂
大晦日は、大掃除に買い物に行ったり大変でしたが、楽しかったです。
年末といえば忠臣蔵
浅野殿!殿中でござる!殿中でござるぞ!
母:「あんたのせいで、大晦日もあったものじゃなかった」妹:「・・・」私:(それは間違いなく、あんたのせいです) 妹は1月1日生まれ。 母
自分も1月1日生まれです。ちなみに姉は8月15日生まれです…
私の父も元日生まれです、そこから「元旦(はじめ)」と命名され「私の秘密」に出演しました。
知り合いの子は12月31日の夜なんだが大変だったらしい(笑)
ほとんどテレビを見なくなり、年越しは、孤独のグルメで、五郎さんが年越しそばを食べているのを見て、そのあとは「東急ジルベスター」です。テレ東ばかりです(((^^;)
毎年楽しみにしている、東急ジルベスターのラデツキー行進曲最高です。
年忘れ日本の歌演歌祭りも、紅白並の生放送。
今やこの時期の風物詩になった感の孤独のグルメイッキ見。
平成というか、二千0年代あたりは、大晦日のテレビ番組は猪木ボンバイエ、PRIDE、k1などの格闘技が凌ぎを切らしてましたね。
俺も見てました。2003年大晦日のナゴヤドーム(バンテリンドーム)での曙🆚ボブ・サップ戦。
除夜の鐘懐かしい😊いつからか夜中の初詣しなくなったなぁ😅
昭和35年頃の年末、今はとうに亡き父母が元気に息を合わせ「餅」をついたできたてのアンコロ餅が懐かしい。年が開けておせち料理というほどの料理は無いがお雑煮が美味しく今も思い出す。
そういや昔は年明け後しばらくはNHK以外の局ですら「先の紅白歌合戦で勝ったのは・・・」って話題を割とちょいちょい出してたような…
日テレで「絶対に笑ってはいけない…」の代わりにまた野球拳をやって欲しい…無理だな…😢
ちょうど30年前の1994年にやっていました、日テレの「裏番組をぶっ飛ばせ」。今じゃ放送は無理でしょうか。
コンプラだかドンブラだか知らん奴がうるさいからなぁ……😢
@@ジャムじじぃ 野球拳はもう御法度でしょうかね。平成は遠くになりにけり‥。
昭和の時代は、アレルギーなんて言葉もなく、無理矢理年越し蕎麦食べさせられてました。アナフィラキシーショックで、死ななくてよかった(笑)今は、蕎麦アレルギーの私に合わせて、家族全員年越しうどん食べてます。
香川県なら、年越しウドンはアリだな。
レコード大賞見て、紅白歌合戦見て初詣で行ってた頃が懐かしい。
大晦日は今でも年越し蕎麦と寿司を食べてます。もっぱらカップ蕎麦とスーパーのパック寿司ですが。除夜の鐘は、昔は結構はっきり聞こえてたけど、今は遥か遠くの方から微かに聞こえてくる程度で少し寂しくなります。
大掃除、きんぴらごぼうや煮豆作りなどおせち料理作りの手伝いなどしてました。
除夜の鐘が疎まれるのは元旦でもあちこち営業してる事の影響も受けてるような気がする次の日が休みじゃない人たちが増えすぎなのでは…
我が家の年末の恒例行事は正月用の餅つきだ☁️父親の兄弟が集まり、女性は竈で餅米を蒸し、男性は蒸し上がった餅米を杵でついて餅を作り☁️お婆ちゃんが四角い板の上で角餅の形にしていた🔲終わると皆でご飯を食べ、出来上がった餅を各自持ち帰って終了😊
学生時代は夕方6時まではバイトで、帰ってすぐ愛機(ホンダMTX-50Rでした)の掃除。夕食を挟んで自分の部屋を猛スピードで掃除し夜9時の紅白のオープニングに「やっべー!」とスピードアップし間に家族と年越し蕎麦を食べて年明け30分前に掃除完了。着替えて「ゆく年くる年」で年越しして初詣に行くというヘビーローテーションでした。ちなみに除夜の鐘は昔は年内に107回を撞き年が明けて108回目を撞くという様式だったが「ゆく年くる年」の影響で夜11時45分~午前0時に撞き始めるという様式に変わっています。昨年の大みそかは檀家のお寺で除夜の鐘を夫婦揃って撞き、住職とノリノリでカウントダウンをしました。
我が家には「おおみそかだよ ドラえもん」のVHSのテープがあります。それ観たくて先日中古のテープデッキ買いました😅
平成初め頃まで、年末にはドラえもんスペシャルが二つ三つはありましたよね。
昭和の時代の大みそかはレコード大賞、紅白歌合戦、そして行く年来る年はかかせない三大番組だった。沢田研二さんや寺尾聰さんがそれぞれレコード大賞を受賞したのが強く印象に残っている。レコード大賞の司会と言えば、昭和の頃は高橋圭三さんが印象深い。
確かに 昔は31日迄お店は開いていましたが、逆に1日~3日はスーパー、個人商店も含めて全てが休みましたから、お正月は朝はお雑煮とおせち、昼、夜は焼き餅(醤油につけて海苔を巻いて)を食べる感じでした。しかし、3日目になるとだんだんと普段のご飯も恋しくなり、我が家では3日目の夜は普通にご飯を炊いて、それにおかず類を食べていました。今はコンビニがあり、年末、年始も困らなくなりました。便利な反面年々正月らしさがなくなって、一抹の寂しさを感じる次第ですね😉
年が明けて、五木ひろしが東京タワーで歌っていた懐かしい思い出。司会は徳光さん😎
歌謡曲全盛期は紅白もレコ大も面白かった。ちあきなおみ、黛ジュン、弘田三枝子、伊東ゆかり、奥村チヨetc 心のひだをくすぐる名曲ばかりだったなあ🎶それとニューイヤーロックフェス 連続射殺魔が出たのは衝撃だったわ!
★市場に買い出し行ったり〜👍元旦にはすべてのお店が閉まるから、食料は買っておかないとな〜⤴️⤴️👍👍😅24時間コンビニも、なかったし🥲
大晦日は親戚のおじさん家族が横浜から帰ってきて、レコード大賞、紅白、ゆく年くる年見て近所の神社に行き、元旦に百人一首等して遊んだな夜はすき焼きやおせちなんか食べながらお爺さんおじさん連中は酒を飲みお爺さんは浪曲を歌ってたな昭和の正月は楽しかったな懐かしいね昭和の正月
年末年始は昭和の頃は殆どの店が閉まってたのでその前の日に買い物に出かけて数日分の食料を買い占めるのが普通でした大掃除を大晦日にしても上手くいかなかったので30日までに終わらせてましたね、実際何度掃除が間に合わなかったか...お年玉の為に田舎に帰ってたのがなんか申し訳なかったなw あの頃だけ子供でも小金持ちになれるイベントだから許してほしい...今では滅多に見られなくなったおせち料理、あれ作ってたのは主婦(夫)が年始だけでも楽する為の配慮と知って苦労させてたんだなと理解しました
大晦日に年越しそば食べてたけど…今は、カレーライス食べたり、ラーメン食べたりそばにはこだわらなくなった…
昭和後期ですが、雪国地方なので、大掃除は年末でなくクリスマス以降の晴れた日と決まってました😊ずっと雪で室内の簡単な掃除しか出来ない年もありました😅寒すぎるから
自分が小学生の頃は30日に親族で大量の餅つき。前日から石臼、米の準備もあったなぁ。31日は大掃除後年越しそば。日が変わる頃のテレビは全てのチャンネルが除夜の鐘しか映って無かったなぁ。
うちも杵と臼で餅つきやってました。子供だったから参加はできなかったけど、大人達が餅を付く様子を見てましたね。
昭和時代に放送された民放テレビのゆく年くる年(当回は、80年~81年の日テレ制作)で、飲食店が年越し営業していたのをやっていました。最も、子どもは当然外出禁止ですからこのことを知る筈もありませんが。
昔の商店街は年末年始がシャッター通りになってたんだ。今の商店街は年がら年中シャッター通りになってる
家は大晦日は婆婆と親戚と年越し寿司と鍋を食べながら紅白を見るのが風習でした。後買い出しにデパート🏬に毎年行きました。凄く混んでいますが。デパ地下凄くワクワクしました。とても混んでましたが、婆婆と買い物楽しかった、
栗田貫一、清水アキラ、コロッケ、ビジーフォーノートものまね四天王が出演していたフジテレビの新春特番‼️オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️も懐かしい。
畳み上げて出てきた、古新聞読んでる父ちゃんが居た
現在の俺にとっての大晦日は、コミケに行き、年越しそばを食べ、MXでやってるアニメのスペシャルとかを見ながら戦利品を鑑賞する。そして(今は4日目ではない)コミケ4日ならびに黒澤ダイヤ様や角谷杏元生徒会長の誕生日に備える。だから大掃除にならない様にちょこちょこできるうちにやる。ああそうだよ!煩悩しかないさ!しかし、除夜の鐘に苦情が入るのかよ。年末の長さんとカトちゃんのドリフ のコントとかでも散々笑ったな。年越しそばより、お節のが個人的には食べられなくなってる気もする。
うどん派なワイ、年越しそばでしかそばを食べない年もあったり大晦日はおっさんが飯を食うだけのドラマが安定してて
五郎さ~ん😆
僕にとってはそれはかなり新しい記憶w
小学生まで、大晦日は、ファミリーパックの寿司が有りレコード大賞を誰が取るか家族でワイワイしながら観てました。おかんは、おせちの最終仕上げ、大賞を受賞した歌手がパトカー先導でNHKホールに行き紅白歌合戦、ゆく年くる年を始まると神社に初詣に行きました。中学生に成ると早く年越し蕎麦を食べ。連れと集まり初詣に行きました。高校生に成ると、ナンバのDISCOに行ってました。
昭和のコンビニが普及する前は、年末年始の商店はほぼ休業、いろいろ買い溜めしたものだ。
おふくろが、美容院をしていたので大晦日は忙しく働いていて、特に、昭和時代は年を越してもまだ仕事をしていた。だから、一緒に年越そばを食べた記憶がない。ばあちゃんと妹とで食べた。ちなみに、おやじは外国航路の船員だった。おやじとも食べた記憶がない。
家で搗いたデッカイのし餅が粉まみれで置かれてる部屋があった3日くらいまでガチでどこの店も閉まってるので、うま煮とかの大なべが寒い玄関とかに置かれるクリスマスの残りのケーキまであって、テレビで香港映画の再放送とかあったらもう年末モードだった。
昭和50年代はスーパーとか29や30日で営業を終わらせて年始は1/4からってお店が意外と多く、大みそかまでやっているのは大手のスーパーやアメ横の様な大きい商店街位でしたねコンビニもそんなになかった時代で食材等の買い忘れは死活問題でしたテレビ番組は、「レコード大賞」→「紅白歌合戦」が基本的なルートでしたね出演者がタクシーで移動するドキュメントをやっていたのも思い出されますしかし、地味に東京12チャンネルでは「歳忘れにっぽんの歌」やってたり、逆に特番ではなく通常にアニメやってたりしていた昭和時代…その他では、現在では冬のコミックマーケットが29~31の3日間開催になっているものの、当時は冬コミはクリスマス付近の土日の2日間開催。平成元年では有りますが、私が初めて行った冬コミは幕張メッセで、2日目の日曜日当日はオグリキャップが2回目に勝った有馬記念の日で、幕張メッセから中山競馬場迄タクシー飛ばしました競馬と言えば、廃止された高崎競馬場では「高崎大賞典」という有馬記念の高崎競馬版でファン投票で出走馬を選定するという高崎競馬最大のレース(交流重賞が始まったらGWの高崎記念が賞金的には最大になった)。私も平成に入ってからでは有りますが3~4回ほど年末とは言え見に行ったことが有りますこんな昭和から平成初期の年末は、結構慌ただしい反面、正月早々は何もないまったりと過ごせたなあ~って思い出します
半世紀以上生きてるが紅白は1度か2度位しか観た記憶ないほぼほぼ裏番組のバラエティーとか観てたな大河に至っては1回も視聴した事ないかも正月の「新春スターかくし芸大会」はホントよー観てたな🎍 これは大好きでしたね年末特番や正月特番の映画とかも好きでした当時の子供はTV漬けでしたからね📺❇️👦
大晦日と言えば「大みそかだよドラえもん」😊今も放送してるみたいだけど昭和に比べたら視聴率かなり低いでしょうね!
全国高校ラグビー選手権大会ハイライト。
放送時間も変わりましたよね。
テレビ離れが進んでますよね自分もテレビ離れの人間ですが
私が小さい頃は近くのお寺に除夜の鐘を鳴らしに行ってましたね~男の子は我先にと闘っていましたね そして終わったらおてがきと言ってお菓子を貰っていましたね~今ではそんな事も無くなっているみたいですね!😂
昭和63年までは民放各局の共同制作による「ゆく年くる年」が放送されていた
リース型の注連飾りが流行りあの頃は注連縄風のものが自動車にも付いていました!紅白やレコ大は普通に見ていて花園の高校ラグビーとかは関西ではあの頃から風物詩でした。平成は高校サッカー高校ラグビー、K-1、PRIDE男祭りが楽しみでした。 9:33
最近では、RIZIN大晦日頂上決戦‼️😠やSasuke大晦日頂上決戦‼️が何よりも楽しみでした。今は、サッポロビール新春スポーツスペシャル東京箱根間関東大学対抗往復駅伝競走(箱根駅伝)だけになった。
わが家は7年前まで3人家族で、両親と私でした。30日には総出で買い出し、さらに年越しそばのスープ作り、31日は朝から大掃除→母が料理、私はアシスタント→ふろ→食事。忙しかった。ところが7年前、突然のごとく母が白血病で突然死。3 人から2 人世帯に。生活は激変した。そばのスープについては私が2代目として作っていますが、料理できないから簡単に済ませるようになりました。さらに今年2月には頼ってきた父も亡くなり、さらに家族は減り単独世帯に。私が世帯主になりました。めんどくさくなり、そばつゆは彼氏に食べさせるために作っていますが、あとはケンタッキーフライドチキン、サーモンのさしみを買い切るだけ、になりました…
お風呂屋さんに通っていた頃、夕方から紅白が始まるまで凄く混雑していました。そこで紅白が始まってからお風呂屋さんに行くとガラ空きになるので、毎年紅白が始まってからお風呂屋さんに行ってました。正月2日、お風呂屋さんが朝風呂をしてくれました。
小学校低学年の頃、『午前零時』と言うのは未知の世界だった。うちは年越しそばを食べるのが23時30分以降なのでその習慣は一人暮らしになった今も続いている。
年越しの時報で年が変わる瞬間にジャンプして、冬休みが明けたら「俺は年が変わった時、地上にはいなかった」とか言う子いたよね
年末になると凧を売りだすってことで、季節を感じてた( ´∀`)ちなみにうちの近所では、低学年向きのおもちゃやプラモも売ってた文房具屋さん( ´∀`)
昭和の大晦日といえば、昼間は宝くじの当選発表を見て、夕方頃にその年の1年のダイジェスト。そして藤子不二雄アニメスペシャルを。紅白歌合戦は、結構遅く始まり、その前にマジックショーをやってました。コンビニなんかほとんどなく、スーパーも元日すべて休みだったので、前もってパンなど食材を買って、比較的寒い部屋に保管していた。ゆく年くる年は昔あまり見てなかったけど、受験があった昭和62年→63年になったときは、「未来の時代にやってきた」と感動したもの…
仙台生まれ・育ちだけど、元旦の朝に神社仏閣にお参りする事を元朝参りって言うんだけど他のとこでは通じなかったw ただ、茨城県の人には通じてたな(使うって言ってた)
オレら子供のころは正月、営業してたのはおもちゃ屋だけだった。お察しの通り子供たちがお年玉もって買いに来るから。
大掃除で障子に穴開けて喜ぶなんて、今どきサザエさんぐらいでしかやってない😵
カツオ達がおもちゃの刀で破いてましたね。
そして間違えて張り替えた方の障子に穴を開けて大目玉をくらうのも定番のオチ。
年末年始の特番にテレビに齧り付くように見ていたのが懐かしい今はもう全然見ない
年明けの箱根駅伝ぐらいは観ますけどね。
確か漫画「美味しんぼ」に岡星の主人と👩奥様冬美さんとの結構エピソードに「年越しうどん」があったな❤❤❤。
昔は、親の年末の買い出しに、荷物持ちにつきあわされたな。年末年始、店が空いてなかったからな。デパートの初売りが1月3日か4日だったな。
最近では、2日初売りやいきなり元日初売りバーゲンのショッピングモールが出るなどしている。
20代はじめの頃1月4日までカップ麺と缶詰で食いつないだことあります。今は営業してくれるスーパーやコンビニがあって良い時代になった。
今は老人ですら紅白よりも年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)のほうが見てる人が多い。老人ホームで介護施設で働いていたときの経験です。
大晦日ねぇ~。やはり昭和30〜40年頃が一番大晦日らしかったな。もちろん私は小学生。12月20日に冬休みに入り、24日までに冬休みの友の宿題をするフリをしてクリスマスを迎える。買って貰うサンタさんからの贈り物を何気なく親に伝え、自分の好きなおもちゃに当たった時の喜びは何とも言えませんでした。そして第二弾の大晦日。これが実に楽しい、親ははちまき巻いて畳を庭に干したり、天井や日頃やらない押入れ開けて大掃除、私達、子供は親の指図に従って床の間や本棚、玄関掃除。よく頑張りました。夕方の年越しそばはあまり記憶にありません。ただ親父が赤い顔して気持良さそうにお酒をたしなめていた顔は覚えています。昭和30年代の大晦日ですからね、紅白歌合戦はアイ・ジョージとか橋幸夫、弘田三枝子、こまどり姉妹等、子供達にとってあまり親しみの湧く感じではありませんでしたね。そして、せっかくの除夜の鐘の時間には多分布団に寝てました。でもこの大晦日と言う一年間の締めくくり、明日からの新しい年が明けると言う「あぁ今年も終わりかぁ」と言う寂しさ、新しい年が来る「さぁ来年はどんな年にしようか」と言う楽しみはありましたね。今の時代には味わえない世の中の平和や静けさはこの時代だけだったのでしょうか。
子供の頃はだいたい30日頃から両親と祖父母の家に帰省していました。お年玉貰えるのは嬉しかったけど、何せ田舎で何もない(笑)お店も閉まってるし、友達もいないし…で、暇を潰すのに子供ながらに苦労していました。大晦日は大掃除してまだ明るいうちにお風呂に入って、年を越したら近所に初詣に行って元旦は朝寝、お昼前からぼちぼち起きてお節を頂いてその日はお風呂には入らない。うちだけかな。
なんじやかんじや言ってもNHK紅白歌合戦を見ないと年が越せない。TBSのレコード大賞は6年か7年前から12月30日になった。それまでは紅白歌合戦出場歌手が移動が激しかった。ゆく年くる年は今は民放テレビがやらなくなり、NHK総合テレビのみになっている。2024年令和6年12月23日
昭和の銭湯は大晦日、時間延長してた。
ホント時代は変わりましたね。我が家の年末年始は子供達が小さい頃から昭和の年末年始です。みんな帰省して年越しそばの用意して、だいたい23時ごろになったらみんなで食べます。これは私のわがまま。1年に一度の年末年始は家族が集まろうと。
大晦日は父と叔父たちで我が家はお餅つき。ごちそうは無かったなあ。
大昔はテレビ番組は特番なんか無くて通常通りの番組放送してたよね。大晦日でも正月でも。
除夜の鐘も聞こえるけど、年明け5分前になると花火が上がる
大みそかは昼間は巨人軍この1年、夜はレコード大賞、紅白歌合戦、レコード大賞はノミネートと本番と2回別れ、10人の誰がとるかだったが今は30日に本番!受賞者も決まっているかんじ!紅白も五木、森、細川、北島、八代。和田、聖子、マッチ、トシちゃん、いまはほとんどテレQの年忘れ歌合戦に行っしまった!
大晦日は毎年午前中から正月用の食材買い出しに家族総出で出掛けていました
お昼は大体同じ駅前の食堂で食べて、帰ったらすぐに夕食を食べてお風呂に入ってレコード大賞を見る為に備え、レコード大賞の後はもちろん紅白✨
夜更かししてもいい時なんて滅多になかったから、それも楽しかったー✨✨✨
クリスマス→冬休み突入→正月のお年玉によって懐が潤うという子供にとって一番嬉しい時期
クリスマス(キリスト教)→除夜の鐘(仏教)→正月(神道)
1週間で3つの宗教行事。日本人のイベント好きがよく分かる時期w
@@citydeep2000 12,1月と誕生日の人達は、お年玉,クリスマスプレゼント,バースデープレゼントと集中しているけど、、後は一年間待ちですね‼️笑笑草🎁🎁🎅🧧
その中でも辛い人達は、バースデーが、クリスマスイブ(12月24日)と元旦(1月1日)の人達じゃないかなぁ❣️(。・_・。)ノ😭
親は、プレゼント代節約できるし❓❓( ⊃👛⊂ )ギュ🎁🎁🎅
@@citydeep2000 日本が多神教、八百万の神々の国だという証拠だよね。
海外だったら唯一無二の神が、元来の神の中に加わってしまうのだから、海外から見たらショックだよ。
お年玉は結局親に取られる
。
友人が11月30日誕生日で親がたまりかねて「すまんが全部にパーティーやプレゼントは忙しいし苦痛だから総額3万円のこずかいで誕生日やクリスマスはいつも通りでいいか?」言われたヤツ居たw
レコード大賞の会場から紅白の会場へ急いでいく歌手がなんか懐かしいです。
ああああ懐かしい!ほんと!
TV視聴もそれが鉄板でその選択肢以外は無いに等しかった感じですね。
昔、レコ大のラストに宇津井さん以下ガードマンが全員舞台に上がり「此の後はザ・ガードマンを観て下さい❗」と挨拶していたよ‼️
昭和末期だけど、30日と31日の2夜連続の年末時代劇スペシャルは楽しみだったな。白虎隊は泣ける。
私も🙋
日テレで放送された時代劇
私も白虎隊は胸に熱く刺さりました!
初めて白虎隊の存在を知り出演された俳優、女優も役にはまってましたよね🤗
鶴ヶ城、飯盛山、日新館、卸薬園……
実際に会津に行って来ました!
俺も見た。
私は五稜郭が良かった。渡哲也の土方歳三が格好良い
NHK以下民放も全てゆく年くる年を放送していた時代が懐かしい
昔は民放のゆく年くる年は、放送局によって中継をする場所が違っていたので、チャンネルをくるくる回していた記憶があります。
+えすま様
特に1975年大みそかの民放「ゆく年くる年」はSL運転最後の年だった事もあり、京都梅小路蒸気機関車館
(現在の京都鉄道博物館)のターンテーブル上で山本直純氏(故人)が指揮して扇形機関庫の保存機関車の汽笛で
「蛍の光」を演奏していたのが今でも印象に残っています。
@@nabe9215 さま
もっと昔の民放の「ゆく年くる年」は全部同じ内容でした
民放版「ゆく年くる年」は、昭和の終焉とともに姿を消した(1988年が最後の放映)。
あったなあ。懐かしいですね。
平成初期、29日は家族総出で大掃除、30日はお節の食材やお年賀を買いに家族で市街地のデパート(ダイエー)お出掛け、そして31日は母親はお節作り、父親は正月飾り付け、夜は紅白歌合戦見てた。元日は離れの祖父母が来て、父親の家族がきてみんなで宴会!だった
小学生の頃はとにかくワクワクしてました。昼過ぎに親父と自転車に分乗してミカンをダンボールごと買って来たり。あとはレコ大と紅白。あの頃の紅白は良かったですよね。今でも極たまに『北の宿から』とか『津軽海峡・冬景色』なんかを聴くと、何だか大晦日を感じるんですよ。
あとなぜか「365歩のマーチ」が毎年あるっていうw
あと、「風雪ながれ旅」とかでも紅白思い出しますねぇ。
今思い返せばまだ演歌歌手が全体の半数いた昭和の紅白が一番最高でした。
小学生だった頃は半分退屈だったけど…。
除夜の鐘に苦情か・・寂しい時代になったもんだ
そういう人たちは煩悩の塊なんだから、さっさと浄化させればいいんだよ。
聴力奪ったほうが話が早い。
今は風鈴の音がうるさい、花火大会がうるさいと警察に苦情を入れるデコ助野郎が結構居る
耳栓知らないfool なんだろ🥱
除夜の鐘うるさいと思うなら、引っ越せ🤪
何とも自己中な人が増えましたね。あれダメ、これダメ😅自分も子どもの頃を忘れたか、淋しい子ども時代をした淋しい可哀想が結構いるんですね。😢😢😢😢
昭和時代の大晦日の過ごし方は、午前中は正月休みに備えて母は商店街へ食材の買い出しに行き、父は掃除道具の準備係でした。午後は夕方までに家中の掃除が定番でしたね。
夜は7時からレコード大賞、9時から紅白歌合戦を家族で見るのが当たり前でした。紅白歌合戦が終わったら年越しそばを年内の内に食べるのが我が家のルーチンでした。
嘗ては、高視聴率の国民的番組だったNHK紅白歌合戦。年間のテレビ📺️番組視聴率のトップを走っていた時代があった。ちなみに番組の最高視聴率は、昭和38年 (第14回) の81.3%。
紅白歌合戦の、色々な施設からの応援メッセージが好きだった。
「昭和基地は雪で真っ白、白組がんばれ!」みたいなやつ。
確か、電報でしたね。😂
そういえば大みそかは日本は冬だけど南半球の南極は真夏で実際は雪がないそうです。
昭和基地からの応援電報にヤラセの疑惑が・・・。
ポケ戦のバーニィの大ポカミスみたいだ。
(クリスマスにシドニー生まれと言っておいて「今頃雪で真っ白だろうな」とやらかした)
@@古澤修-b1m
!?
となると、6~8月(北半球の夏)は北極にも雪はないのか?
除夜の鐘は煩悩を振り払う意味があるそうですが「音がうるさい」という煩悩的意見に除夜の鐘自体が掻き消されるというのは皮肉な現実😵
今年も終わりだなとイベントの一つの除夜の鐘つきに「うるさい」と理不尽な理由で除夜の鐘もなくなるなんて寂しいですね😔
日本の風情を大事にできない人はキライだよ😫
@@ino3desu2
君に嫌われても、全く困らないよ
@@Schwarz-Rose wwwww
日本の文化に対する破壊工作員の仕業かな?
昭和の元旦はどこもお店開いていなくて街に静けさがあったけど今はどこも元旦から開いていますね。
スーパーでお年玉袋とか買いに行きます。
@@tatewaki84 様 昔さいたま市に住んでいた頃、蕨市にイトーヨーカドー錦町店がありました(2・3年前にスーパービバホーム錦町店に変わりました)毎年新春恒例の千本引きの長い列に並びました😊その後に初売りの靴下や肌着などを買い、フードコート・ポッポでたこ焼きとラーメンを食べで帰ったのを思い出します。
正月って感じしなくなりましたね
正月3日までほとんどの店が休みでコンビニすらなかったので駅前の商店街はゴーストタウンのようでした。伯母や伯父の家に行きお年玉をもらうのが正月の楽しみでした。病院も休みなので風邪もひけない時代でした。
賑やかな紅白が終わって、厳かな除夜の鐘が鳴るゆく年くる年が流れる瞬間が好きだった
大晦日はやっぱり大晦日だよドラえもんを観てたなぁ。
特別な時代劇もやってた。
ドラえもんも今年は午前中の1時間だけになってしまった。
昨年もそうでした😢😢😢
お米屋さんから届く大きなのし餅を父親が苦労して切る。
紅白なますの甘酢にむせる。
家中にただようお煮しめとお雑煮の匂い。
伊達巻の端っこをめぐって姉弟との仁義なき戦い。
酒屋から届いたビールを冷蔵庫に入れるもスペースがなくて悩む。
祖母が味醂でお屠蘇を仕込む。
食いもんの思い出ばっかり😅
あはは、なんかわかる😂😌
大晦日の除夜の鐘の音がうるさく感じる人がいたとは、驚くばかりです。嘆かわしい!
昔は大晦日とお盆はお爺さんお婆さんの家に親戚一同集まってたけど、亡くなってからは親戚が集まる事なんて全く無くなったな。
結構長い間
大晦日: レコ大 → 紅白 → ゆく年くる年 (民放合同制作)
元日: かくし芸
だったなぁ...
私も同じでした……
過去形ですが
昨今は、レコ大も紅白も見てません!
だって出場者に魅力を感じないしなんかね
正月は今まで放送したドラマの再放送やくだらないお笑いばかり
年末年始の雰囲気が今では感じなれない😢
今なんか、総合格闘技興行がなくなり、RUclipsばかり見るようになった。
天皇杯サッカー選手権決勝戦と全日本実業団駅伝と東京箱根間関東大学対抗往復駅伝競走(箱根駅伝)を忘れている。
かくし芸
放送局が少ないせいで
毎年7日くらいにやってた
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️を忘れている。
志村けん所ジョージの戦うお正月や格付けチェックこれが世界の一級品だ‼️新春スペシャル‼️もあるぞ。
最近は、「紅白」の時間帯にはようつべを見て、「ゆく年くる年」だけ見て年越ししてる。
昭和の大晦日はゆく年くる年の寺の鐘つきと美空ひばりだった。懐かしい。
祖母が生きていた頃は
大晦日はご馳走たっぷり
昔は30日から1月7日まで休んでいた店もあったな。子供はお年玉貰って欲しい物買いたいのに店がやってないジレンマがあった。スーパーも5日から始まってた。
店のほとんどが閉まっているから
真っ暗なイメージ。
とにかく元旦から3日くらいまで
どこも閉まっていたから(コンビニが無かった頃)年末は買い溜めするのが当たり前だった。
大晦日は年越し初詣&初日の出で遊びに行ってたなぁ。でも、昔は夜中に開いている、お店が少なくて初詣の後、初日の出まで外で寒いのを我慢した記憶が…。ファミレスが出来たときは嬉しかった😸
年末はスーパーも店じまいしてるから食料品を買い込んで、31日早朝から婆ちゃんと母さんは御節の仕込みに追われ、爺ちゃんや父さんは玄関の掃除、玄関や車にしめ飾りを付けたり門松を作ったりと忙しい。それが終わると父さんと子供達で31日迄に家の大掃除してた。31日は簡単な掃除が終わったら年越しそば食べてたな。ストーブの上で餅焼いて食べてたな。書いてて凄く懐かしい気持ちになった。
懐かしい光景ですね!
「障子の貼り替え」は、古い障子を「破く」のが楽しかったです!
最近は「カップそば」に海老天をトッピングしていますが、以前はちゃんとしたそばを作っていました…
※家内は鹿児島県の島の出身ですが、年末は親戚が集まって「すき焼き」が恒例だったそうです!
今でもシャッター商店街を見てワクワクするのは、
大晦日の印象が 刷り込まれていただけかもしれない
民放ゆく年くる年の、SEIKOドラマ仕立てTVCMが感動的だった。
数分間くらい有った様な気がする。
去年はTVを観ない年越しだったから、今年は又、さださんの変な年越し番組観ようかな。
サムネの年越しそば旨そうだ😋
家庭により(というよりお母さん次第)個性が出ますね
エビ天そば+蒲鉾+ほうれん草もあれば緑のたぬきやどん兵衛の家もあるし蕎麦屋の出前(注文多すぎてプラスチックのケースのざる蕎麦)もありました
あと数年もすると「どうして昼に鳴らすのに除夜の鐘っていうの?」っていう疑問を持つ子供が出て来そうだ。
紅白、トリは演歌でした。
ここ最近は演歌とは限らず、MISIAさんとか若者?の曲。
テレ東の年忘れ日本の歌演歌祭りの視聴率が高まってきた。
紅白歌合戦第一部の視聴率を上回る結果が出ている。
しかし、第二部の視聴率が紅白歌合戦が逆転した。
除夜の鐘絡みで子供の頃に印象深い想い出があります。
マンガ「巨人の星」で主人公星飛雄馬が(多分、プロ入り間もない頃)父一徹と共に実家で年越しを迎えるエピソードでの一場面。
除夜の鐘を聞きながら一徹が飛雄馬に語り掛けます。
「飛雄馬、知っておるか。野球のボールに縫い目が幾つあるか。」
「!?」
「ふふっ、知らぬようじゃな百八つなんじゃよ。」
「それじゃぁ、父ちゃん!」
「そう、人間の煩悩の数を表すと言われる除夜の鐘の数と同じ・・・・奇妙な偶然じゃがな。」
当時の日本人の良くも悪くも‘’野球もあらゆる芸事と同じく、精神修養、人間修行の一環である‘’とする所謂「精神野球」全盛期のメンタリティを如実に反映する中々良く練られた展開で、当時小学中級だった僕のお気に入りの好シーン、名台詞でした。
因みに実際に縫い目の数が本当に108かどうか、自身で確かめた事は今に至るも一度もありません(笑)
これは私も記憶があります。野球のボールの縫い目と除夜の鐘の不思議な共通点。川崎のぼる先生さすがだなぁ。
@@悦子高野-x5b私も巨人の星の1巻を昔持っていて、大みそかの星親子のエピソードは懐かしいですね。
「当たり前田のクラッカー」・・・昭和30年代のギャグ😂
大晦日は、大掃除に買い物に行ったり大変でしたが、楽しかったです。
年末といえば忠臣蔵
浅野殿!殿中でござる!殿中でござるぞ!
母:「あんたのせいで、大晦日もあったものじゃなかった」
妹:「・・・」
私:(それは間違いなく、あんたのせいです)
妹は1月1日生まれ。 母
自分も1月1日生まれです。
ちなみに姉は8月15日生まれです…
私の父も元日生まれです、
そこから「元旦(はじめ)」と命名され「私の秘密」に出演しました。
知り合いの子は12月31日の夜なんだが大変だったらしい(笑)
ほとんどテレビを見なくなり、年越しは、孤独のグルメで、五郎さんが年越しそばを食べているのを見て、そのあとは「東急ジルベスター」です。テレ東ばかりです(((^^;)
毎年楽しみにしている、東急ジルベスターのラデツキー行進曲最高です。
年忘れ日本の歌演歌祭りも、紅白並の生放送。
今やこの時期の風物詩になった感の孤独のグルメイッキ見。
平成というか、二千0年代あたりは、大晦日のテレビ番組は猪木ボンバイエ、PRIDE、k1などの格闘技が凌ぎを切らしてましたね。
俺も見てました。
2003年大晦日のナゴヤドーム(バンテリンドーム)での曙🆚ボブ・サップ戦。
除夜の鐘懐かしい😊いつからか夜中の初詣しなくなったなぁ😅
昭和35年頃の年末、今はとうに亡き父母が元気に息を合わせ「餅」をついたできたてのアンコロ餅が懐かしい。年が開けておせち料理というほどの料理は無いがお雑煮が美味しく今も思い出す。
そういや昔は年明け後しばらくはNHK以外の局ですら「先の紅白歌合戦で勝ったのは・・・」って話題を割とちょいちょい出してたような…
日テレで「絶対に笑ってはいけない…」の代わりにまた野球拳をやって欲しい…無理だな…😢
ちょうど30年前の1994年にやっていました、日テレの「裏番組をぶっ飛ばせ」。今じゃ放送は無理でしょうか。
コンプラだかドンブラだか知らん奴がうるさいからなぁ……😢
@@ジャムじじぃ 野球拳はもう御法度でしょうかね。平成は遠くになりにけり‥。
昭和の時代は、アレルギーなんて言葉もなく、無理矢理年越し蕎麦食べさせられてました。
アナフィラキシーショックで、死ななくてよかった(笑)
今は、蕎麦アレルギーの私に合わせて、家族全員年越しうどん食べてます。
香川県なら、年越しウドンはアリだな。
レコード大賞見て、紅白歌合戦見て初詣で行ってた頃が懐かしい。
大晦日は今でも年越し蕎麦と寿司を食べてます。もっぱらカップ蕎麦とスーパーのパック寿司ですが。
除夜の鐘は、昔は結構はっきり聞こえてたけど、今は遥か遠くの方から微かに聞こえてくる程度で少し寂しくなります。
大掃除、きんぴらごぼうや煮豆作りなどおせち料理作りの手伝いなどして
ました。
除夜の鐘が疎まれるのは元旦でもあちこち営業してる事の影響も受けてるような気がする
次の日が休みじゃない人たちが増えすぎなのでは…
我が家の年末の恒例行事は正月用の餅つきだ☁️父親の兄弟が集まり、女性は竈で餅米を蒸し、男性は蒸し上がった餅米を杵でついて餅を作り☁️お婆ちゃんが四角い板の上で角餅の形にしていた🔲終わると皆でご飯を食べ、出来上がった餅を各自持ち帰って終了😊
学生時代は夕方6時まではバイトで、帰ってすぐ愛機(ホンダMTX-50Rでした)の掃除。
夕食を挟んで自分の部屋を猛スピードで掃除し夜9時の紅白のオープニングに「やっべー!」とスピードアップし
間に家族と年越し蕎麦を食べて年明け30分前に掃除完了。着替えて「ゆく年くる年」で年越しして初詣に行く
というヘビーローテーションでした。
ちなみに除夜の鐘は昔は年内に107回を撞き年が明けて108回目を撞くという様式だったが「ゆく年くる年」の
影響で夜11時45分~午前0時に撞き始めるという様式に変わっています。
昨年の大みそかは檀家のお寺で除夜の鐘を夫婦揃って撞き、住職とノリノリでカウントダウンをしました。
我が家には「おおみそかだよ ドラえもん」のVHSのテープがあります。それ観たくて先日中古のテープデッキ買いました😅
平成初め頃まで、年末にはドラえもんスペシャルが二つ三つはありましたよね。
昭和の時代の大みそかはレコード大賞、紅白歌合戦、そして行く年来る年はかかせない三大番組だった。沢田研二さんや寺尾聰さんがそれぞれレコード大賞を受賞したのが強く印象に残っている。レコード大賞の司会と言えば、昭和の頃は高橋圭三さんが印象深い。
確かに 昔は31日迄お店は開いていましたが、逆に1日~3日はスーパー、個人商店も含めて全てが休みましたから、お正月は朝はお雑煮とおせち、昼、夜は焼き餅(醤油につけて海苔を巻いて)を食べる感じでした。しかし、3日目になるとだんだんと普段のご飯も恋しくなり、我が家では3日目の夜は普通にご飯を炊いて、それにおかず類を食べていました。
今はコンビニがあり、年末、年始も困らなくなりました。
便利な反面年々正月らしさがなくなって、一抹の寂しさを感じる次第ですね😉
年が明けて、五木ひろしが東京タワーで歌っていた懐かしい思い出。司会は徳光さん😎
歌謡曲全盛期は紅白もレコ大も面白かった。ちあきなおみ、黛ジュン、弘田三枝子、伊東ゆかり、奥村チヨetc 心のひだをくすぐる名曲ばかりだったなあ🎶
それとニューイヤーロックフェス 連続射殺魔が出たのは衝撃だったわ!
★市場に買い出し行ったり〜👍元旦にはすべてのお店が閉まるから、食料は買っておかないとな〜⤴️⤴️👍👍😅24時間コンビニも、なかったし🥲
大晦日は親戚のおじさん家族が横浜から帰ってきて、レコード大賞、紅白、ゆく年くる年見て近所の神社に行き、元旦に百人一首等して遊んだな
夜はすき焼きやおせちなんか食べながらお爺さんおじさん連中は酒を飲みお爺さんは浪曲を歌ってたな
昭和の正月は楽しかったな
懐かしいね昭和の正月
年末年始は昭和の頃は殆どの店が閉まってたのでその前の日に買い物に出かけて数日分の食料を買い占めるのが普通でした
大掃除を大晦日にしても上手くいかなかったので30日までに終わらせてましたね、実際何度掃除が間に合わなかったか...
お年玉の為に田舎に帰ってたのがなんか申し訳なかったなw あの頃だけ子供でも小金持ちになれるイベントだから許してほしい...
今では滅多に見られなくなったおせち料理、あれ作ってたのは主婦(夫)が年始だけでも楽する為の配慮と知って苦労させてたんだなと理解しました
大晦日に年越しそば食べてたけど…今は、カレーライス食べたり、ラーメン食べたりそばにはこだわらなくなった…
昭和後期ですが、雪国地方なので、大掃除は年末でなくクリスマス以降の晴れた日と決まってました😊
ずっと雪で室内の簡単な掃除しか出来ない年もありました😅寒すぎるから
自分が小学生の頃は30日に親族で大量の餅つき。
前日から石臼、米の準備もあったなぁ。
31日は大掃除後年越しそば。
日が変わる頃のテレビは全てのチャンネルが除夜の鐘しか映って無かったなぁ。
うちも杵と臼で餅つきやってました。子供だったから参加はできなかったけど、大人達が餅を付く様子を見てましたね。
昭和時代に放送された民放テレビのゆく年くる年(当回は、80年~81年の日テレ制作)で、飲食店が年越し営業していたのをやっていました。最も、子どもは当然外出禁止ですからこのことを知る筈もありませんが。
昔の商店街は年末年始がシャッター通りになってたんだ。
今の商店街は年がら年中シャッター通りになってる
家は大晦日は婆婆と親戚と年越し寿司と鍋を食べながら紅白を見るのが風習でした。後買い出しにデパート🏬に毎年行きました。凄く混んでいますが。デパ地下凄くワクワクしました。とても混んでましたが、婆婆と買い物楽しかった、
栗田貫一、清水アキラ、コロッケ、ビジーフォーノートものまね四天王が出演していたフジテレビの新春特番‼️オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️も懐かしい。
畳み上げて出てきた、古新聞読んでる父ちゃんが居た
現在の俺にとっての大晦日は、コミケに行き、年越しそばを食べ、MXでやってるアニメのスペシャルとかを見ながら戦利品を鑑賞する。
そして(今は4日目ではない)コミケ4日ならびに黒澤ダイヤ様や角谷杏元生徒会長の誕生日に備える。
だから大掃除にならない様にちょこちょこできるうちにやる。
ああそうだよ!煩悩しかないさ!
しかし、除夜の鐘に苦情が入るのかよ。
年末の長さんとカトちゃんのドリフ のコントとかでも散々笑ったな。
年越しそばより、お節のが個人的には食べられなくなってる気もする。
うどん派なワイ、年越しそばでしかそばを食べない年もあったり
大晦日はおっさんが飯を食うだけのドラマが安定してて
五郎さ~ん😆
僕にとってはそれはかなり新しい記憶w
小学生まで、大晦日は、ファミリーパックの寿司が有り
レコード大賞を誰が取るか
家族でワイワイしながら観てました。おかんは、おせちの最終仕上げ、大賞を受賞した歌手がパトカー先導でNHKホールに行き
紅白歌合戦、ゆく年くる年を始まると神社に初詣に行きました。
中学生に成ると早く年越し蕎麦を
食べ。連れと集まり初詣に行きました。高校生に成ると、ナンバのDISCOに行ってました。
昭和のコンビニが普及する前は、年末年始の商店はほぼ休業、いろいろ買い溜めしたものだ。
おふくろが、美容院をしていたので大晦日は忙しく働いていて、特に、昭和時代は年を越してもまだ仕事をしていた。だから、一緒に年越そばを食べた記憶がない。ばあちゃんと妹とで食べた。ちなみに、おやじは外国航路の船員だった。おやじとも食べた記憶がない。
家で搗いたデッカイのし餅が粉まみれで置かれてる部屋があった
3日くらいまでガチでどこの店も閉まってるので、うま煮とかの大なべが寒い玄関とかに置かれる
クリスマスの残りのケーキまであって、テレビで香港映画の再放送とかあったらもう年末モードだった。
昭和50年代はスーパーとか29や30日で営業を終わらせて年始は1/4からってお店が意外と多く、大みそかまでやっているのは大手のスーパーやアメ横の様な大きい商店街位でしたね
コンビニもそんなになかった時代で食材等の買い忘れは死活問題でした
テレビ番組は、「レコード大賞」→「紅白歌合戦」が基本的なルートでしたね
出演者がタクシーで移動するドキュメントをやっていたのも思い出されます
しかし、地味に東京12チャンネルでは「歳忘れにっぽんの歌」やってたり、逆に特番ではなく通常にアニメやってたりしていた昭和時代…
その他では、現在では冬のコミックマーケットが29~31の3日間開催になっているものの、当時は冬コミはクリスマス付近の土日の2日間開催。
平成元年では有りますが、私が初めて行った冬コミは幕張メッセで、2日目の日曜日
当日はオグリキャップが2回目に勝った有馬記念の日で、幕張メッセから中山競馬場迄タクシー飛ばしました
競馬と言えば、廃止された高崎競馬場では「高崎大賞典」という有馬記念の高崎競馬版でファン投票で出走馬を選定するという高崎競馬最大のレース(交流重賞が始まったらGWの高崎記念が賞金的には最大になった)。私も平成に入ってからでは有りますが3~4回ほど年末とは言え見に行ったことが有ります
こんな昭和から平成初期の年末は、結構慌ただしい反面、正月早々は何もないまったりと過ごせたなあ~って思い出します
半世紀以上生きてるが
紅白は1度か2度位しか観た記憶ない
ほぼほぼ裏番組のバラエティーとか観てたな
大河に至っては1回も視聴した事ないかも
正月の「新春スターかくし芸大会」は
ホントよー観てたな🎍 これは大好きでしたね
年末特番や正月特番の映画とかも好きでした
当時の子供はTV漬けでしたからね
📺❇️👦
大晦日と言えば「大みそかだよドラえもん」😊
今も放送してるみたいだけど昭和に比べたら視聴率かなり低いでしょうね!
全国高校ラグビー選手権大会ハイライト。
放送時間も変わりましたよね。
テレビ離れが進んでますよね
自分もテレビ離れの人間ですが
私が小さい頃は近くのお寺に除夜の鐘を鳴らしに行ってましたね~男の子は我先にと闘っていましたね そして終わったらおてがきと言ってお菓子を貰っていましたね~今ではそんな事も無くなっているみたいですね!😂
昭和63年までは民放各局の共同制作による「ゆく年くる年」が放送されていた
リース型の注連飾りが流行りあの頃は注連縄風のものが自動車にも付いていました!
紅白やレコ大は普通に見ていて花園の高校ラグビーとかは関西ではあの頃から風物詩でした。平成は高校サッカー高校ラグビー、K-1、PRIDE男祭りが楽しみでした。 9:33
最近では、RIZIN大晦日頂上決戦‼️😠やSasuke大晦日頂上決戦‼️が何よりも楽しみでした。
今は、サッポロビール新春スポーツスペシャル
東京箱根間関東大学対抗往復駅伝競走(箱根駅伝)だけになった。
わが家は7年前まで3人家族で、両親と私でした。
30日には総出で買い出し、さらに年越しそばのスープ作り、31日は朝から大掃除→母が料理、私はアシスタント→ふろ→食事。
忙しかった。
ところが7年前、突然のごとく母が白血病で突然死。3 人から2 人世帯に。生活は激変した。
そばのスープについては私が2代目として作っていますが、料理できないから簡単に済ませるようになりました。
さらに今年2月には頼ってきた父も亡くなり、さらに家族は減り単独世帯に。私が世帯主になりました。
めんどくさくなり、そばつゆは彼氏に食べさせるために作っていますが、あとはケンタッキーフライドチキン、サーモンのさしみを買い切るだけ、になりました…
お風呂屋さんに通っていた頃、夕方から紅白が始まるまで凄く混雑していました。そこで紅白が始まってからお風呂屋さんに行くとガラ空きになるので、毎年紅白が始まってからお風呂屋さんに行ってました。
正月2日、お風呂屋さんが朝風呂をしてくれました。
小学校低学年の頃、『午前零時』と言うのは未知の世界だった。うちは年越しそばを食べるのが23時30分以降なのでその習慣は一人暮らしになった今も続いている。
年越しの時報で年が変わる瞬間にジャンプして、冬休みが明けたら「俺は年が変わった時、地上にはいなかった」とか言う子いたよね
年末になると凧を売りだすってことで、季節を感じてた( ´∀`)
ちなみにうちの近所では、低学年向きのおもちゃやプラモも売ってた文房具屋さん( ´∀`)
昭和の大晦日といえば、昼間は宝くじの当選発表を見て、夕方頃にその年の1年のダイジェスト。そして藤子不二雄アニメスペシャルを。紅白歌合戦は、結構遅く始まり、その前にマジックショーをやってました。コンビニなんかほとんどなく、スーパーも元日すべて休みだったので、前もってパンなど食材を買って、比較的寒い部屋に保管していた。ゆく年くる年は昔あまり見てなかったけど、受験があった昭和62年→63年になったときは、「未来の時代にやってきた」と感動したもの…
仙台生まれ・育ちだけど、元旦の朝に神社仏閣にお参りする事を元朝参りって言うんだけど他のとこでは通じなかったw ただ、茨城県の人には通じてたな(使うって言ってた)
オレら子供のころは正月、営業してたのはおもちゃ屋だけだった。お察しの通り子供たちがお年玉もって買いに来るから。
大掃除で障子に穴開けて喜ぶなんて、今どきサザエさんぐらいでしかやってない😵
カツオ達がおもちゃの刀で破いてましたね。
そして間違えて張り替えた方の障子に穴を開けて大目玉をくらうのも定番のオチ。
年末年始の特番にテレビに齧り付くように見ていたのが懐かしい
今はもう全然見ない
年明けの箱根駅伝ぐらいは観ますけどね。
確か漫画「美味しんぼ」に岡星の主人と👩奥様冬美さんとの結構エピソードに「年越しうどん」があったな❤❤❤。
昔は、親の年末の買い出しに、荷物持ちにつきあわされたな。年末年始、店が空いてなかったからな。デパートの初売りが1月3日か4日だったな。
最近では、2日初売りやいきなり元日初売りバーゲンのショッピングモールが出るなどしている。
20代はじめの頃1月4日までカップ麺と缶詰で食いつないだことあります。
今は営業してくれるスーパーやコンビニがあって良い時代になった。
今は老人ですら紅白よりも年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)のほうが見てる人が多い。老人ホームで介護施設で働いていたときの経験です。
大晦日ねぇ~。やはり昭和30〜40年頃が一番大晦日らしかったな。もちろん私は小学生。12月20日に冬休みに入り、24日までに冬休みの友の宿題をするフリをしてクリスマスを迎える。買って貰うサンタさんからの贈り物を何気なく親に伝え、自分の好きなおもちゃに当たった時の喜びは何とも言えませんでした。そして第二弾の大晦日。これが実に楽しい、親ははちまき巻いて畳を庭に干したり、天井や日頃やらない押入れ開けて大掃除、私達、子供は親の指図に従って床の間や本棚、玄関掃除。よく頑張りました。夕方の年越しそばはあまり記憶にありません。ただ親父が赤い顔して気持良さそうにお酒をたしなめていた顔は覚えています。昭和30年代の大晦日ですからね、紅白歌合戦はアイ・ジョージとか橋幸夫、弘田三枝子、こまどり姉妹等、子供達にとってあまり親しみの湧く感じではありませんでしたね。そして、せっかくの除夜の鐘の時間には多分布団に寝てました。でもこの大晦日と言う一年間の締めくくり、明日からの新しい年が明けると言う「あぁ今年も終わりかぁ」と言う寂しさ、新しい年が来る「さぁ来年はどんな年にしようか」と言う楽しみはありましたね。今の時代には味わえない世の中の平和や静けさはこの時代だけだったのでしょうか。
子供の頃はだいたい30日頃から両親と祖父母の家に帰省していました。
お年玉貰えるのは嬉しかったけど、何せ田舎で何もない(笑)
お店も閉まってるし、友達もいないし…で、暇を潰すのに子供ながらに苦労していました。
大晦日は大掃除してまだ明るいうちにお風呂に入って、年を越したら近所に初詣に行って元旦は朝寝、お昼前からぼちぼち起きてお節を頂いてその日はお風呂には入らない。うちだけかな。
なんじやかんじや言ってもNHK紅白歌合戦を見ないと年が越せない。TBSのレコード大賞は6年か7年前から12月30日になった。それまでは紅白歌合戦出場歌手が移動が激しかった。ゆく年くる年は今は民放テレビがやらなくなり、NHK総合テレビのみになっている。2024年令和6年12月23日
昭和の銭湯は大晦日、時間延長してた。
ホント時代は変わりましたね。
我が家の年末年始は子供達が小さい頃から昭和の年末年始です。みんな帰省して年越しそばの用意して、だいたい23時ごろになったらみんなで食べます。
これは私のわがまま。1年に一度の年末年始は家族が集まろうと。
大晦日は父と叔父たちで我が家はお餅つき。
ごちそうは無かったなあ。
大昔はテレビ番組は特番なんか無くて通常通りの番組放送してたよね。大晦日でも正月でも。
除夜の鐘も聞こえるけど、年明け5分前になると花火が上がる
大みそかは昼間は巨人軍この1年、夜はレコード大賞、紅白歌合戦、レコード大賞はノミネートと本番と2回別れ、10人の誰がとるかだったが今は30日に本番!受賞者も決まっているかんじ!紅白も五木、森、細川、北島、八代。和田、聖子、マッチ、トシちゃん、いまはほとんどテレQの年忘れ歌合戦に行っしまった!