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確かに自分が小学生の頃はクリスマスが終わると街や近所が正月に向けての装いになって、それこそ「あぁ~もういくつ寝るとお正月~」って感じがしたものですね。これもある意味時代の変化と言う事ですかね😢
フジカラーの『お正月を写そう』のCMに『良かった』と思っていた昔の正月の名残を感じます。
昭和40年生まれです。自分が幼稚園児から小学三年生位までのお年玉の相場が自分の周りでは一人1000円でした。なかにはお年玉をもらいポチ袋を覗くと青い紙幣が見えて500円札が入ってる時もありました。近くに親戚は住んでなかったけど同じアパートのおっちゃん、おばちゃんや近所のお姉さん、アパートの裏に住んでるおばあちゃん達からお年玉をもらい一万円位になりました。ほとんどプラモや超合金のおもちゃに消えたけど今思えば昭和の風情と親の近所付き合いが良かったからだと思います。本当に良い時代でした。
お正月が1年で1番特別なイベントだった時代を子供の頃に経験できて良かった
漫画雑誌の付録付きの新年号、人気漫画特別編のある増刊号が楽しみだった。
非日常感がなくなったのは同感ですね。クリスマスイブから大晦日、そして年が明け正月三が日くらいまでワクワク感が続いた…ああ今は淋しいなあ😢
昭和時代、子供の頃はおじいちゃんの家で餅つきしてたのが懐かしいです!また、餅つきしたいなぁ…
お年玉を貰ったから買い物したいのに、商店は休みだから何も買えないという異世界感。
両親が亡くなってからは親戚で一堂に会する事も無くなりコロナを契機に姉達が家に来る事も無くなり盆を含めて年間通して平常運転ですねえ
まさに私のうちがそうですね😅すでに両親が他界し姉はコロナを機に実家である私の家にも足が遠のきました。2年位連絡を取ってなく疎遠になりました😢
そうですね。しかし今度は自分達がその両親の立場になり子供たちが孫を連れて帰ってくるのさ。
12:47 ボクは環七の近くに住んでいるので、非日常性はいまでも感じます。正月の3が日、環七はガラガラ。空も青くてきれい。「正月くらい、みんな、ゆっくり休んでよ」と思いますね。
ここ数年は『ニューイヤー駅伝』と『箱根駅伝』で 正月気分を味わっています。元旦も営業していた近所のスーパーは コロナ禍以降 逆に三が日は休むようになりました。
私も福岡天神岩田屋や福岡三越の初売りの列に並ぶ時には箱根駅伝をインターネットラジオで聞いて開店を待ちます。
正月明けにATMでお金を下ろすと三つ折りした跡がある新札が多く出てくる。おそらく「預かっておいてあげる」と子どもたちから没収されたお年玉と思われる……
特にゆうちょとか
三が日を過ぎると日々すごい勢いで正月が去っていく感覚がイヤだったなw
おせちが苦手なので貰ったお年玉1番目に買うのがレトルトカレーだった!「おせちに飽きたらカレーもね」ってキャンデーズCMもあった事ですしww
去年辺りから年賀状も届かなくなり正月っていう独特の雰囲気が年々無くなってきているように感じますね。自分も大晦日と正月は普通に仕事ですし。
お正月は、商店街のお店は休みが当たり前でした。最低でも三が日、長いところだと七草粥の日までは普通に休みでした。今みたいにイオンとかの大型店舗やコンビニは無かった。有っても、私鉄沿線だとその系列の中規模スーパーがあるくらいだった。
年末年始の特別感とか非日常感って本当になくなりましたねただ最近はニューイヤー駅伝や箱根駅伝見ながら何か食べたり酒飲んだりダラダラしてるのが、お正月の過ごし方でそれはそれで悪くない
三が日はお店が休みだったので街が静かで良かった。今じゃ元日から渋滞で外出もイヤになる。コンビニの元旦営業ってエコノミックアニマルジャパンの極みじゃん!年が変わっても12月31日の次が1月1日という漠然とした空しさ。
実際にカレンダーが変わるだけですしね。最近はスマホがあるから、カレンダーも見なくなってます。
確かに正月は昭和の方が良かったと言える数少ないものの一つですね。年賀状だって当時は先生や友人達に一枚一枚書いていて楽しかったくらい。大晦日なんか徹夜イベントだったし、そのまま正装して初参りから親戚周りと楽しかったの一言。それが今やどんど焼きも除夜の鐘も中止という信じ難い有様に…。
我が家では正月にはブラウン管テレビの上に鏡餅を置いてたけど初めて薄型テレビを買った年はどこに鏡餅を置くか悩んだなあ(`A`)
ちびまる子ちゃんでも前田さんが大晦日におばあちゃんからお年玉を前借りして爆買いする話があったな。本人曰く「お正月はどこも閉まってて買えないから」
実際、5日くらいお店やってなくて大晦日までに、食料品、買いだめしていた。前田さんは、わがままだなぁ
@mrksyskhrk 大晦日にお年玉を前借りし爆買いしたことを前田さんは「うらやましいだろ」とまる子に自慢するも、まる子がうらやましがらなかったうえ、まる子から「バカなんだよ」って言われて逆ギレ・大泣きしたんだよね(そのせいでまる子は小麦粉を買い忘れ、母に叱られた)。
祖父母が亡くなって、正月に親戚が集まらなくなった。
これあるあるだよな 没落のきっかけになりやすい遺産相続で揉めた日にゃね
父母が死んだら全く正月どころか会わない。兄二人、全く悪妻をもらったものだ。侵略者裕子4寝や!呪ってやる。
松飾りと鏡餅、お節を用意して大晦日に年越しそばを食べ、年明けに初詣へ行き帰ってきたらお雑煮を食べるのはやってます。
婆ちゃんが10年ぐらい前に亡くなってから、どれもなりました。
おせち、栗きんとんしか食べなかったような……🌰😅年賀状はお年玉付きはがきの当せん番号を照合する作業が楽しみだった🎯🥰
スマホもパソコンもなくて、プリントゴッコだって持ってなかったのに何十枚も年賀状を手書きしていた頃の方が豊かな時間が流れていた気がします😊今は便利になったのになんだか忙しい😅
うちの地方の広い広場ではゲイラカイトを釣竿で揚げてる光景が見られますよ。ゲイラカイトは上に揚がるし、リールには糸が200mくらい巻かってるので。
飛べ~飛べ~て~んまで飛べ~フ~ってCMソングを思い出します😂
昔の正月三が日の別世界感はすごかった。開いてる店なんかどこにもなく、完全に社会活動が停止する3日間。そして4日になって社会が動き出すとお正月にもらったお年玉を握りしめつつ親に初売りのデパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうのであったw
個人の多様性を求めながら孤独の寂しさを感じる、舌が肥えた分だけ口さみしい、というのは皮肉か。
あの当時はお正月に「芸能人隠し芸大会」を見るのが楽しみの一つでした。
欽ちゃんの仮装大賞
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️
マチャアキは今年何をやるのかと毎年ワクワクでした
あの頃は芸能人の特番がてんこ盛りだったなあ。生き残ってるのはフジの爆笑ヒットパレードぐらいか。
大相撲プロ野球対抗歌合戦なんてのも
働き方改革の影響なのか、自分の近くのお店は数年前から元旦はお休みのところが多くなりましたね😅
合理化で何でも良くなる!などというのは幻想でしたね。実際今は幸せ感が無いんですから。元旦の朝起きるとお雑煮の香りがして、コタツの上におせち料理、TVも新年ですよ!っていう特別感満載の番組ばかり。外に出てもほとんどのお店は休みだから、新聞といっしょに入ってくるたくさんのチラシを眺める。あっ、と思ってポストを見て年賀状を回収、これはお母さんに、コレはお父さん、あっこれはオレにだ、と選り分ける。幸せな記憶がある分、我々はまだ良いのかも。
今もだけど年末のスーパーでの買い物は本当に苦労する!便乗で値上がりするし普段買い求める商品も正月商品に追いやられ姿消すし、三ヶ日過ぎてようやく日常を取り戻した時は本当にほっとします、売れ残り値引きされたカニやら数の子買ってようやく自分なりの正月迎えられます
正月の遊びで言えば凧上げ、コマ、負けたら顔に墨を塗られる事も有る羽根突き、かるた、すごろく、福笑いとかかな。今やってる子供はかなり少ないでしょうね…
自分は50代ですが、子供のころにはもうそういう正月遊びは廃れてましたね。ゲームウォッチをクリスマスプレゼントに買ってもらったのは小学校3年生ぐらいだったか。
1月1日夕方までの何とも説明できない特別な感じがした外の空気が好きでした
元日朝からヤマザキ新春スポーツスペシャル全日本実業団駅伝、2日から3日のサッポロビール新春スポーツスペシャル東京箱根間大学対抗往復駅伝競走選手権大会、通称箱根駅伝。総合優勝争いとベスト10入りしないと地獄の予選会落ちとなるシード権争いがドキドキする。
年金生活者です。小学校三・四年生の頃かな? 近所でも親戚の家でも臼を持ってる所があって餅をついては振る舞ってた。楽しかったよ。人生も終わりに入った今でも良い思い出だ。 現在では考えられないねぇ。さて、元々の里帰りと言うのは都会へ出稼ぎに行ってる者が帰省するという意味。ベビブーム時の子供が就職時期に成った辺りからの言葉としてよく使われる。其の彼らも出稼ぎ先で家庭を持ち居着いて久しい今、里帰りの意味も変わるよね。其の必要性も含めて。
親戚なんてこの世で一番顔合わせたくない生き物だからなむしろ今の方がいいわ
実家は貧乏だったらクリスマスプレゼントで欲しかった物をお年玉で買う感じだった50過ぎだけど高校の時スーパーでバイトしてたから大晦日15時まで働いて年明け4日からバイトだった大晦日午後から掃除で社員もバイトもパート全員で大掃除 子供の頃は年末年始は特別感有ったけど大人になって帰省しなくなったら年末年始もただの365日の1日になったねぇ
地元の商店街も大晦日までは買い物客でごった返して、活気に溢れていたのに、翌日の元日から3ケ日までは商店街は街灯も消えて、誰もいなくて。真っ暗で1年の中でこの3日間がやけに別世界で子供の頃は好きだった思い出。
兄弟の子供らが小さいうちは、正月に兄の家に集まって飲み会してました。子供らが高校受験や大学受験と成ると、正月も受験勉強の追い込み中だから…集まれ無く成りました。甥や姪の成績が良ければお年玉も『合格祝の前渡しや!』と笑ってられるけど…・・。それと経済成長の鈍化でサラリーマンも正月休み のほほんとしてられ無い。学生時代の友人ら と 新年会してもブラック職場の愚痴や会社業績悪化の ため息ばかり…に成る。正月から 悪酔する。
年末年始も仕事。休みは気分が抜けてから。味気無いなあ。
ここ最近は紅白が終わったあとの「ゆく年くる年」を観てる時間が一番年末年始を感じるかもしれません。我が家は祖母の誕生日が1月4日なこともあり家族が集まる習慣が残っていますが、それでも幼い頃に感じていた正月らしい空気感って最近は殆どないなぁと気付かされました。寂しいなぁ…
お金が結構かかる割にすごく美味しいわけもなく独り者なんか面倒で作らないし、主婦を休ませるならそれこそ出来合いを旦那が作る流れになってきた。私はお雑煮だけは作ります、酒飲めないので後は普通の食事あと20年もすれば、お正月文化が無くなりそう。
昭和の時代の凧揚げも和凧がほとんどで、新聞紙を細く切って凧の足にしていましたよ。その後、ゲイラカイト等、欧米凧が増えて行きましたね(和凧より上げるのが簡単だったと言う事もあったのかも)お正月は銀行では窓口の女性行員は振袖を着ていたな~、私が勤めていた会社も受け付けは振袖の女性社員を配置していましたけどね。かつては兜町の大発会も振袖姿が多くみられましたね。
後に後悔したくなければ「顔を見せ見る事の大切さ」「手書きの挨拶の大切さ」などを改めて考えた方が良い。今の時代は世知辛い日常の生活に疲れ、非日常(正月)すら考えなくなっている。労働環境も生活環境も昔の方が厳しかった。故に伝統文化を大切にしてきたのかも知れません。
お正月は親戚が遊びに来た。お年玉貰ったり、テレビゲーム•ファミスタしたり‥まあまあ楽しかったなぁ~。お節で一番好きだったのは、かずの子。
来客が盛んだった地方の正月は最悪だった💦😰正直、面倒だし準備する方は大変だった…。しかもお節料理が材料が高い‼️正月感が薄れた今の方が良い‼️
酒も飲まないのもあってお節料理苦手でした😅実家は三が日はお雑煮&お節料理だったから4日目からの夕食の唐揚げが待ち遠しかった
高校生の時は毎年年賀状配達のバイトしてた時給550円だった
自分のころは850円ぐらいだったかな。郵便局の近所のファミレスのランチとほとんど同じ金額だったから、昼休みに時給1時間分のつもりでファミレスのランチを食べるのが楽しみだった。食べ終わったら午後の配達。
大晦日と元日もズームイン朝を放送していた(今のZIPの前番組)。大晦日は年末の人がごった返ししているところを放送、元日は全国の局からのお年玉とか言って、いろいろプレゼントしていた。それで、2日・3日は何か再放送していた(箱根駅伝中継は平成以降)。
正月用の餅つくために集まって大量の餅ついたりしてたわでっかいせいろで米蒸すからね
私が住んでいるところのスーパーやクルマ屋は年末から初売りのチラシが入りセールをしています😊 従業員が可哀想…😢
小学生の頃は、お正月になるとすぐ近くに通っていた小学校のグラウンドに出向いて凧上げした😊
今や小学校の校庭には一般人は入れない😢馬鹿な児童殺害者犯罪者のせいだ!😠母校の思い出に昔の遊具の写真すら撮りに行けない😢
三が日はどこのお店も休みだった。「ジャムパンが食べたい」とわがまま言って、叱られたのは笑える想い出。今は朝昼はおせち、夜は焼き肉へ…どちらも楽しいお正月。
静岡県民、適当に家の近くで撮った富士山を年賀状にして送ってた、割と喜ばれた
私も静岡で、当たり前のように富士山みていたけど、県外の人は富士山🗻喜ぶよね
サービス業だと今は正月も平日扱いだよなぁ……
正月の朝食はおせち料理とお雑煮です。これは日本人として守っていきたい。でも昼からはマクドナルドのハンバーガー食べてますね。
昔はコンビニが無かったからねえ。
カウントダウンはなくならないと思う😊🎉
昭和生まれには日本のお正月の思い出があってよかった今の若い子は何もなくて可哀そう
20代の頃商業施設に勤務してました、80年代てしたが正月は4日から初売りで、入口で鏡割りして振る舞い酒をやりました、店員まで一杯やって赤い顔して仕事してましたね、女性は晴れ着や着物姿でお客様を迎えていました、もうそんな事もなくなりましたね
お年玉が減ったは各家庭によると思う渡す人の各自に額は任せるという感じで小学生時代は下は300で上は10000貰えた今は各家庭の均衡を保つために年齢によって値段を決めていたからポチ袋を開ける前に金額が分かって楽しみが減ったらしい
おせち、年賀状、三が日の商店街の休み。正月飾り。年始の挨拶回りも相手も面倒くさいと感じ。紅白、レコード大賞も視聴率下落、大体全世代が今年はこの歌とみんなが思う事はない。子供の頃午前0時を寝てしまった事を悔しく思った。各家族化、忙しない世の中、地上波、BS、4K放送とメディアも多彩。加えてSNS、ネット。各個人が正月であろうが自分の楽しみを選択できる。家族で改めて正月、一年の出発に抱負を持つこともなくなった。
🚕のバイトをしてた頃、🎍勤務は、🚕が少ないせいか、意外に稼げた😂
絵文字の使い方から察するに70代ぐらいの方だろうか。昔は車が少なかったですもんね。
大人になるとお年玉やる側に回るのだが収入に余裕すら無い大人が増えて小さい親戚に会う事が辛いお年玉の代価どうすべきか考えたくない
甘い味付けの料理が嫌いだから、お節は地獄だった
正月のテレビCMもローカル企業の止め絵にナレーションだけのシンプルなものがよく流れていた。
おせちは食べるけどここ数年「紅白かまぼこ」「伊達巻き」「数の子」オンリーです 3種類とも大好物だから良いんだけどさ😢
大分県民は年末にオードブル食べて年始はオードブルの残り物に雑煮
お節に一万円以上かける位なら唐揚げやハムや手羽先やらがドッサリ載ったオードブル3000円を3皿買った方がマシに思えます😅
主催は祖父ですが11年前まで昭和パターンのお正月でしたラジオ局まで取材に来てましたしご近所さんも杵つき餅を見学に来てました
それでも正月らしいことをするようにしてるよ
最近は三が日休みが出始めてる。スーパーとか。
そんなに変わらない、馬鹿みたいに正月番組見てたのが今はネットを正月中見てるのに変わっただけだし
天皇杯サッカー選手権大会が元日国立競技場決戦から年内決戦に変わった。ワールドカップアジア地区予選の影響もありか❔
クリスマスからお正月までの空気感が大好きです😊。
S40生まれの呟きです↙学校の飼育動物達が心配だった正月、町中に日の丸、鼻水がパリパリに乾いて(鼻と袖口)遊んでいる帰省しない子供達、シャッター商店会、ガラガラになった道路、焦げたニオイ(パンor餅)の近所、破魔矢とべっ甲アメやわた菓子を持ってる初詣帰りの家族、蝋石でケンパの女の子達(車が来ないから道路で遊べる)、家々の門松、やたら道路に落ちているお飾りのエビ、神社と川崎大師辺りにウジャウジャいるドカジャンマン(テキ屋さん?)やっぱ、昭和って良かったよ・・
そぉやね!昭和の時代なら!元旦には和装で正装して神様に初詣!そんな時代でした♪で!初詣終わったら!年末に作り溜めたおせち!〆は、これまた年末についた、お餅♎大人は初詣以降、呑み三昧🍺🍶wwwとにかく三が日は子供にはツライ期間やたねwwwカレー🍛食べたーい!言うてwww
お節料理はな、正月休みたけりゃ年末3倍働け(屮 oДº)屮ってことだと、動物のお医者さんで言ってました🤣
昔は正月って独特の雰囲気があってまさにもういくつ寝るとお正月だった。今はそういえば正月になったぐらい程度にしか感じなくなった。特別感はもうないね
子供の頃に、正月旅行で県内の温泉に泊まることをしたのはうちぐらいか!?
お年玉のポチ袋に書かれた名前が読み方は同じでも漢字が違う事がよくあったな…家にはお婆ちゃんがいたので親戚はかなり来ていました亡くなってからぴったりと来なくなり、子供の私達は収入激減だったよ😣💦
お母さん銀行にちゃんと貯金して貰える人は勝ち組。大抵は親戚の子供にあげるお年玉は、お母さん銀行から出る。そうやってお年玉は廻るのだトホホ・・・(-.-)
凧揚げ、本当に見なくなりましたね。奴凧あげて楽しんでいたらゲイラカイトを隣であげてる子がいて羨ましくなったとかあったなぁ。
めんどくささは減りましたけどなんか寂しくもありますね。まあ今の方がいいからそのように変わってきたんでしょうけど
私の家は貧乏だから正月はいつも寝正月だった所為か正月期間の食事はおせち料理と雑煮を朝昼晩だったから食に関しては苦痛でした。しかも?歳を重ねるたびにおせち料理独特?の濃い味について行けずにカップラーメン生活が多かった。またテレビではテレ東系の12時間超ワイドドラマ(新春ワイド時代劇?)の時代劇が楽しみでした。しかも全作品必ずって訳では無いけど女優のお色気シーンがよくあったので若かった私はとても楽しみでしたw
昭和から平成初期は荒川土手の正月は凧揚げで混雑。凧の糸が絡んで喧嘩した人もいたっけ。羽子板をやっている人も見なくなった。書初めももうしている人もいないかな。レコードは元旦発売が意外と多かった。アリスとかアバのアルバムはお年玉を目当てにしてか元旦発売。お年玉を握りしめてレコードを買いに行った。そう言えば、仕事始めの銀行の窓口のお姉さんは振袖だった。今は店舗の統廃合も進んでそんなこともなくなったのかな。普通の家でもちょっと大きな家では門松を飾っていたが今では銀行や大きな会社ぐらいか。いつもあの門松はどこに保管しているのかが疑問だったがその疑問は解決されないままだ。ご祝儀相場なんてのもそろそろ死語になりそうだ。初セリのマグロのご祝儀相場が話題になるが、いつまで続くやら。年を越すことが一つの大きな山場だった考えがもう無くなってきたのは悲しいかな。
3:08 これ、タモリさんも「スマスマ」で指摘していました。味のあるものと、味のあるものを同時に食べると、味同士がケンカする場合があるって。
今は一周回って働き方改革で、デパートでもお正月は休むところも増えてますね
自分のバイト先、今年は30日まで営業して、年始は2日から営業するとかいう訳のわからない休みの短さのせいで、実家に殆ど入れないのが残念で仕方ない…
昔はお店が空いてなかったな。普通の商店は松の内は休んでいたよ。正月が変わったと思ったのは、セブンイレブン等のコンビニがあちこちに出来て、正月でも食料品が買えるようになった事。後はファミレスが出来て、初詣後ご飯が食べられるよう(洋食)になった事かな😊
今は多様化しているから、それぞれお正月を楽しめたら良いと思う😊
★おせちは高いもん😅😅自分で作ろうという気はないで〜⤴️⤴️👍👍🤣🤣雑煮くらいしか作らん😆
正月もコンビニや飲食店開いてるから尚更おせちの需要低いしな雑煮だけでも充分正月気分味わえるで(`A`)
@都こんぶ.Ver.0 ☺️★そうやな‼️餅だけでいいで~😃⤴️⤴️👍👍❤️❤️餅‼️
醤油付けて、焼き餅食らう。
@@大坂孝幸 🌟★いいね~👍👍美味いよ❤️餅=正月🎍
@bba7508 砂糖醤油付けて、焼き餅食らう。
今の車に正月飾りを付けたら傷だらけになり、出来合いのお節料理は足元をみてやたらと値段が高い、おせち料理の具材やクリスマス商戦の為にメーカーが夏から準備をしているのを知っている。保存料がたっぷり入った食材を高い金だして食べようとは思わないだろう。蒲鉾や黒豆の煮付けがこの時期だけ値段が跳ね上がる、消費者はもうメーカー商戦に飽き飽きしてきたのだろう。少し経てばバレンタイン、バレンタインの方に若者は予算を向けると思われる。年賀状小学校の頃はクラス全員に出した事もあったなぁ、緊急連絡簿を渡されていたのでクラス全員の住所や電話番号が載っていた、今ではそんな名簿は個人情報なのでないであろう。福袋の販売は福の日の語呂合わせで2日の日だった、現在では1日から売る店もある、大体が商品の余り物格安販売だったものが「特別あしらえで用意された物に変わった、お店での梱包ではなく福袋用に専用に発注依頼をかけて用意するまでエスカレートした、今や通信販売で福袋を買えるしまつだ、何もかもメーカーの商戦の陰謀とかしてしまい行事ではなくなってきている。神社のお焚き上げの日が限定されて自分で焚き火も出来ない様になった正月飾りを焼ける場所もなくゴミとして捨てるには忍びない、ならいっその事買わない、そうなっていった。月々の子供用のスマホ代払っているだけで親は負担になり、与える玩具の負担額も高い、そんな中でお小遣いの額を上げずらい、進学校に行くようなら更に負担額はあがる。昔は年末年始のTVで放送される映画の深夜放送が楽しみだったなぁ。芸能人の隠し芸大会も始めは楽しかったけどわざわざ練習した芸を隠し芸とは言わないので段々くだらなく思えてきてからヤラセに気付きみなくなっていったかな。箱根駅伝も選手生命を潰すだけの日テレの視聴率稼ぎだけだと知った時からどうでも良くなった。毎年変わる樹木希林さんの富士カラーの恒例でしたね、希林さんがなくなられてフィルムカメラも一般的でなくなり富士カラーもフィルム事業からの縮小を余儀なくされた、一部の年齢層に写るんですが好評らしいけど、大生産の工場を動かすには至らないので外注発注品、中身はどこ製か分からない。
2000年代から年越しフェスCDJをやるようになった平成後期以降年の瀬新年早々千葉周辺が混むから困る😢
元日から営業する商業施設が増えたのが便利だけどいけない。
3:01 え?若い子で和食で白米を食べれない人がいるんですね。驚きです。
かくし芸と言いながらテレビ局が用意した指導者に習う芸能人って大変だなって思ったひねくれた根性の自分。
正月休みがあるから初売りってイメージで盛り上がるんだよなあ。31日まで営業してて次の日がそのまま初売りって何?って客の側でも思うわ。元日はのんびり酒飲んで家でゆっくりさせろと。
寂しい限りです・・・。
昔は商店組合が強かったのと横のつながりの関係もあって、年末仕事納め後から正月三が日までは休業が基本だった。唯一の例外は神社仏閣の参道沿いのお店。商店組合が独特で物流網も独自なので紅白が終わったあたりに開店して夜通し営業が基本。流石に明け方に少し休むらしいけど・・・三が日で通常の売り上げ二月分だからな。
お正月は絵馬を買い⛩️に行くのが日課だな😁ゴジラ映画🎥を楽しだったな😁餅を食べる
確かに自分が小学生の頃はクリスマスが終わると街や近所が正月に向けての装いになって、それこそ「あぁ~もういくつ寝るとお正月~」って感じがしたものですね。
これもある意味時代の変化と言う事ですかね😢
フジカラーの『お正月を写そう』のCMに『良かった』と思っていた昔の正月の名残を感じます。
昭和40年生まれです。自分が幼稚園児から小学三年生位までのお年玉の相場が自分の周りでは一人1000円でした。なかにはお年玉をもらいポチ袋を覗くと青い紙幣が見えて500円札が入ってる時もありました。近くに親戚は住んでなかったけど同じアパートのおっちゃん、おばちゃんや近所のお姉さん、アパートの裏に住んでるおばあちゃん達からお年玉をもらい一万円位になりました。ほとんどプラモや超合金のおもちゃに消えたけど今思えば昭和の風情と親の近所付き合いが良かったからだと思います。本当に良い時代でした。
お正月が1年で1番特別なイベントだった時代を子供の頃に経験できて良かった
漫画雑誌の付録付きの新年号、人気漫画特別編のある増刊号が楽しみだった。
非日常感がなくなったのは同感ですね。クリスマスイブから大晦日、そして年が明け正月三が日くらいまでワクワク感が続いた…
ああ今は淋しいなあ😢
昭和時代、子供の頃はおじいちゃんの家で餅つきしてたのが懐かしいです!
また、餅つきしたいなぁ…
お年玉を貰ったから買い物したいのに、商店は休みだから何も買えないという異世界感。
両親が亡くなってからは親戚で一堂に会する事も無くなり
コロナを契機に姉達が家に来る事も無くなり
盆を含めて年間通して平常運転ですねえ
まさに私のうちがそうですね😅すでに両親が他界し姉はコロナを機に実家である私の家にも足が遠のきました。2年位連絡を取ってなく疎遠になりました😢
そうですね。しかし今度は自分達がその両親の立場になり子供たちが孫を連れて帰ってくるのさ。
12:47 ボクは環七の近くに住んでいるので、非日常性はいまでも感じます。正月の3が日、環七はガラガラ。空も青くてきれい。「正月くらい、みんな、ゆっくり休んでよ」と思いますね。
ここ数年は『ニューイヤー駅伝』と『箱根駅伝』で 正月気分を味わっています。
元旦も営業していた近所のスーパーは コロナ禍以降 逆に三が日は休むようになりました。
私も福岡天神岩田屋や福岡三越の初売りの列に並ぶ時には箱根駅伝をインターネットラジオで聞いて開店を待ちます。
正月明けにATMでお金を下ろすと三つ折りした跡がある新札が多く出てくる。おそらく「預かっておいてあげる」と子どもたちから没収されたお年玉と思われる……
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三が日を過ぎると日々すごい勢いで正月が去っていく感覚がイヤだったなw
おせちが苦手なので貰ったお年玉1番目に買うのがレトルトカレーだった!「おせちに飽きたらカレーもね」ってキャンデーズCMもあった事ですしww
去年辺りから年賀状も届かなくなり正月っていう独特の雰囲気が年々無くなってきているように感じますね。自分も大晦日と正月は普通に仕事ですし。
お正月は、商店街のお店は休みが当たり前でした。最低でも三が日、長いところだと七草粥の日までは普通に休みでした。
今みたいにイオンとかの大型店舗やコンビニは無かった。有っても、私鉄沿線だとその系列の中規模スーパーがあるくらいだった。
年末年始の特別感とか非日常感って本当になくなりましたね
ただ最近はニューイヤー駅伝や箱根駅伝見ながら何か食べたり酒飲んだりダラダラしてるのが、お正月の過ごし方で
それはそれで悪くない
三が日はお店が休みだったので街が静かで良かった。今じゃ元日から渋滞で外出もイヤになる。コンビニの元旦営業ってエコノミックアニマルジャパンの極みじゃん!
年が変わっても12月31日の次が1月1日という漠然とした空しさ。
実際にカレンダーが変わるだけですしね。最近はスマホがあるから、カレンダーも
見なくなってます。
確かに正月は昭和の方が良かったと言える数少ないものの一つですね。年賀状だって当時は先生や友人達に一枚一枚書いていて楽しかったくらい。大晦日なんか徹夜イベントだったし、そのまま正装して初参りから親戚周りと楽しかったの一言。それが今やどんど焼きも除夜の鐘も中止という信じ難い有様に…。
我が家では正月にはブラウン管テレビの上に鏡餅を置いてたけど
初めて薄型テレビを買った年はどこに鏡餅を置くか悩んだなあ(`A`)
ちびまる子ちゃんでも前田さんが大晦日におばあちゃんからお年玉を前借りして爆買いする話があったな。本人曰く「お正月はどこも閉まってて買えないから」
実際、5日くらいお店やってなくて
大晦日までに、食料品、買いだめしていた。前田さんは、わがままだなぁ
@mrksyskhrk
大晦日にお年玉を前借りし爆買いしたことを前田さんは「うらやましいだろ」とまる子に自慢するも、まる子がうらやましがらなかったうえ、まる子から「バカなんだよ」って言われて逆ギレ・大泣きしたんだよね(そのせいでまる子は小麦粉を買い忘れ、母に叱られた)。
祖父母が亡くなって、正月に親戚が集まらなくなった。
これあるあるだよな 没落のきっかけになりやすい
遺産相続で揉めた日にゃね
父母が死んだら全く正月どころか会わない。兄二人、全く悪妻をもらったものだ。侵略者裕子4寝や!呪ってやる。
松飾りと鏡餅、お節を用意して大晦日に年越しそばを食べ、年明けに初詣へ行き帰ってきたらお雑煮を食べるのはやってます。
婆ちゃんが10年ぐらい前に亡くなってから、どれもなりました。
おせち、栗きんとんしか食べなかったような……🌰😅
年賀状はお年玉付きはがきの当せん番号を照合する作業が楽しみだった🎯🥰
スマホもパソコンもなくて、プリントゴッコだって持ってなかったのに何十枚も年賀状を手書きしていた頃の方が豊かな時間が流れていた気がします😊
今は便利になったのになんだか忙しい😅
うちの地方の広い広場ではゲイラカイトを釣竿で揚げてる光景が見られますよ。
ゲイラカイトは上に揚がるし、リールには糸が200mくらい巻かってるので。
飛べ~飛べ~て~んまで飛べ~フ~ってCMソングを思い出します😂
昔の正月三が日の別世界感はすごかった。開いてる店なんかどこにもなく、完全に社会活動が停止する3日間。そして4日になって社会が動き出すとお正月にもらったお年玉を握りしめつつ親に初売りのデパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうのであったw
個人の多様性を求めながら孤独の寂しさを感じる、
舌が肥えた分だけ口さみしい、
というのは皮肉か。
あの当時はお正月に「芸能人隠し芸大会」を見るのが楽しみの一つでした。
欽ちゃんの仮装大賞
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️
マチャアキは今年何をやるのかと毎年ワクワクでした
あの頃は芸能人の特番がてんこ盛りだったなあ。生き残ってるのはフジの爆笑ヒットパレードぐらいか。
大相撲プロ野球対抗歌合戦なんてのも
働き方改革の影響なのか、自分の近くのお店は数年前から元旦はお休みのところが多くなりましたね😅
合理化で何でも良くなる!などというのは幻想でしたね。実際今は幸せ感が無いんですから。元旦の朝起きるとお雑煮の香りがして、コタツの上におせち料理、TVも新年ですよ!っていう特別感満載の番組ばかり。
外に出てもほとんどのお店は休みだから、新聞といっしょに入ってくるたくさんのチラシを眺める。あっ、と思ってポストを見て年賀状を回収、これはお母さんに、コレはお父さん、あっこれはオレにだ、と選り分ける。
幸せな記憶がある分、我々はまだ良いのかも。
今もだけど年末のスーパーでの買い物は本当に苦労する!便乗で値上がりするし普段買い求める商品も正月商品に追いやられ姿消すし、三ヶ日過ぎてようやく日常を取り戻した時は本当にほっとします、売れ残り値引きされたカニやら数の子買ってようやく自分なりの正月迎えられます
正月の遊びで言えば凧上げ、コマ、負けたら顔に墨を塗られる事も有る羽根突き、かるた、すごろく、福笑いとかかな。今やってる子供はかなり少ないでしょうね…
自分は50代ですが、子供のころにはもうそういう正月遊びは廃れてましたね。ゲームウォッチをクリスマスプレゼントに買ってもらったのは小学校3年生ぐらいだったか。
1月1日夕方までの何とも説明できない特別な感じがした外の空気が好きでした
元日朝からヤマザキ新春スポーツスペシャル全日本実業団駅伝、2日から3日のサッポロビール新春スポーツスペシャル東京箱根間大学対抗往復駅伝競走選手権大会、通称箱根駅伝。
総合優勝争いとベスト10入りしないと地獄の予選会落ちとなるシード権争いがドキドキする。
年金生活者です。小学校三・四年生の頃かな? 近所でも親戚の家でも臼を持ってる所があって餅をついては振る舞ってた。楽しかったよ。
人生も終わりに入った今でも良い思い出だ。 現在では考えられないねぇ。
さて、元々の里帰りと言うのは都会へ出稼ぎに行ってる者が帰省するという意味。
ベビブーム時の子供が就職時期に成った辺りからの言葉としてよく使われる。
其の彼らも出稼ぎ先で家庭を持ち居着いて久しい今、里帰りの意味も変わるよね。
其の必要性も含めて。
親戚なんてこの世で一番顔合わせたくない生き物だからな
むしろ今の方がいいわ
実家は貧乏だったらクリスマスプレゼントで欲しかった物をお年玉で買う感じだった
50過ぎだけど高校の時スーパーでバイトしてたから
大晦日15時まで働いて年明け4日からバイトだった
大晦日午後から掃除で社員もバイトもパート全員で大掃除
子供の頃は年末年始は特別感有ったけど大人になって帰省しなくなったら年末年始もただの365日の1日になったねぇ
地元の商店街も大晦日までは買い物客でごった返して、活気に溢れていたのに、翌日の元日から3ケ日までは商店街は街灯も消えて、誰もいなくて。
真っ暗で1年の中でこの3日間がやけに別世界で子供の頃は好きだった思い出。
兄弟の子供らが小さいうちは、正月に兄の家に集まって飲み会してました。子供らが高校受験や大学受験と成ると、正月も受験勉強の追い込み中だから…集まれ無く成りました。
甥や姪の成績が良ければお年玉も『合格祝の前渡しや!』と笑ってられるけど…・・。
それと経済成長の鈍化でサラリーマンも正月休み のほほんとしてられ無い。学生時代の友人ら と 新年会しても
ブラック職場の愚痴や
会社業績悪化の ため息ばかり…に成る。正月から 悪酔する。
年末年始も仕事。休みは気分が抜けてから。味気無いなあ。
ここ最近は紅白が終わったあとの「ゆく年くる年」を観てる時間が一番年末年始を感じるかもしれません。我が家は祖母の誕生日が1月4日なこともあり家族が集まる習慣が残っていますが、それでも幼い頃に感じていた正月らしい空気感って最近は殆どないなぁと気付かされました。寂しいなぁ…
お金が結構かかる割にすごく美味しいわけもなく
独り者なんか面倒で作らないし、主婦を休ませるなら
それこそ出来合いを旦那が作る流れになってきた。
私はお雑煮だけは作ります、酒飲めないので後は普通の食事
あと20年もすれば、お正月文化が無くなりそう。
昭和の時代の凧揚げも和凧がほとんどで、新聞紙を細く切って凧の足にしていましたよ。
その後、ゲイラカイト等、欧米凧が増えて行きましたね(和凧より上げるのが簡単だったと言う事もあったのかも)
お正月は銀行では窓口の女性行員は振袖を着ていたな~、私が勤めていた会社も受け付けは振袖の女性社員を配置していましたけどね。
かつては兜町の大発会も振袖姿が多くみられましたね。
後に後悔したくなければ「顔を見せ見る事の大切さ」「手書きの挨拶の大切さ」などを改めて考えた方が良い。
今の時代は世知辛い日常の生活に疲れ、非日常(正月)すら考えなくなっている。
労働環境も生活環境も昔の方が厳しかった。故に伝統文化を大切にしてきたのかも知れません。
お正月は親戚が遊びに来た。お年玉貰ったり、テレビゲーム•ファミスタしたり‥まあまあ楽しかったなぁ~。お節で一番好きだったのは、かずの子。
来客が盛んだった地方の正月は最悪だった💦😰正直、面倒だし準備する方は大変だった…。しかもお節料理が材料が高い‼️正月感が薄れた今の方が良い‼️
酒も飲まないのもあってお節料理苦手でした😅
実家は三が日はお雑煮&お節料理だったから4日目からの夕食の唐揚げが待ち遠しかった
高校生の時は毎年年賀状配達のバイトしてた
時給550円だった
自分のころは850円ぐらいだったかな。郵便局の近所のファミレスのランチとほとんど同じ金額だったから、昼休みに時給1時間分のつもりでファミレスのランチを食べるのが楽しみだった。食べ終わったら午後の配達。
大晦日と元日もズームイン朝を放送していた(今のZIPの前番組)。大晦日は年末の人がごった返ししているところを放送、元日は全国の局からのお年玉とか言って、いろいろプレゼントしていた。それで、2日・3日は何か再放送していた(箱根駅伝中継は平成以降)。
正月用の餅つくために集まって大量の餅ついたりしてたわ
でっかいせいろで米蒸すからね
私が住んでいるところのスーパーやクルマ屋は年末から初売りのチラシが入りセールをしています😊 従業員が可哀想…😢
小学生の頃は、お正月になるとすぐ近くに通っていた小学校のグラウンドに出向いて凧上げした😊
今や小学校の校庭には一般人は入れない😢
馬鹿な児童殺害者犯罪者のせいだ!😠
母校の思い出に昔の遊具の写真すら撮りに行けない😢
三が日はどこのお店も休みだった。「ジャムパンが食べたい」とわがまま言って、叱られたのは笑える想い出。今は朝昼はおせち、夜は焼き肉へ…どちらも楽しいお正月。
静岡県民、適当に家の近くで撮った富士山を年賀状にして送ってた、割と喜ばれた
私も静岡で、当たり前のように
富士山みていたけど、県外の人は
富士山🗻喜ぶよね
サービス業だと今は正月も平日扱いだよなぁ……
正月の朝食はおせち料理とお雑煮です。
これは日本人として守っていきたい。
でも昼からはマクドナルドのハンバーガー食べてますね。
昔はコンビニが無かったからねえ。
カウントダウンはなくならないと思う😊🎉
昭和生まれには日本のお正月の思い出があってよかった
今の若い子は何もなくて可哀そう
20代の頃商業施設に勤務してました、80年代てしたが正月は4日から初売りで、入口で鏡割りして振る舞い酒をやりました、店員まで一杯やって赤い顔して仕事してましたね、女性は晴れ着や着物姿でお客様を迎えていました、もうそんな事もなくなりましたね
お年玉が減ったは各家庭によると思う
渡す人の各自に額は任せるという感じで小学生時代は下は300で上は10000貰えた
今は各家庭の均衡を保つために年齢によって値段を決めていたからポチ袋を開ける前に金額が分かって楽しみが減ったらしい
おせち、年賀状、三が日の商店街の休み。正月飾り。年始の挨拶回りも相手も面倒くさいと感じ。紅白、レコード大賞も視聴率下落、大体全世代が今年はこの歌とみんなが思う事はない。子供の頃午前0時を寝てしまった事を悔しく思った。各家族化、忙しない世の中、地上波、BS、4K放送とメディアも多彩。加えてSNS、ネット。各個人が正月であろうが自分の楽しみを選択できる。家族で改めて正月、一年の出発に抱負を持つこともなくなった。
🚕のバイトをしてた頃、🎍勤務は、🚕が少ないせいか、意外に稼げた😂
絵文字の使い方から察するに70代ぐらいの方だろうか。昔は車が少なかったですもんね。
大人になるとお年玉やる側に回るのだが
収入に余裕すら無い大人が増えて小さい親戚に会う事が辛い
お年玉の代価どうすべきか考えたくない
甘い味付けの料理が嫌いだから、お節は地獄だった
正月のテレビCMもローカル企業の止め絵にナレーションだけのシンプルなものがよく流れていた。
おせちは食べるけどここ数年「紅白かまぼこ」「伊達巻き」「数の子」オンリーです 3種類とも大好物だから良いんだけどさ😢
大分県民は年末にオードブル食べて年始はオードブルの残り物に雑煮
お節に一万円以上かける位なら唐揚げやハムや手羽先やらがドッサリ載ったオードブル3000円を3皿買った方がマシに思えます😅
主催は祖父ですが
11年前まで昭和パターンのお正月でした
ラジオ局まで取材に来てましたしご近所さんも杵つき餅を見学に来てました
それでも正月らしいことをするようにしてるよ
最近は三が日休みが出始めてる。
スーパーとか。
そんなに変わらない、馬鹿みたいに正月番組見てたのが今はネットを正月中見てるのに変わっただけだし
天皇杯サッカー選手権大会が元日国立競技場決戦から年内決戦に変わった。
ワールドカップアジア地区予選の影響もありか❔
クリスマスからお正月までの空気感が大好きです😊。
S40生まれの呟きです↙
学校の飼育動物達が心配だった正月、町中に日の丸、鼻水がパリパリに乾いて(鼻と袖口)遊んでいる帰省しない子供達、シャッター商店会、ガラガラになった道路、焦げたニオイ(パンor餅)の近所、破魔矢とべっ甲アメやわた菓子を持ってる初詣帰りの家族、蝋石でケンパの女の子達(車が来ないから道路で遊べる)、家々の門松、やたら道路に落ちているお飾りのエビ、神社と川崎大師辺りにウジャウジャいるドカジャンマン(テキ屋さん?)
やっぱ、昭和って良かったよ・・
そぉやね!
昭和の時代なら!
元旦には和装で正装して
神様に初詣!
そんな時代でした♪
で!初詣終わったら!
年末に作り溜めたおせち!
〆は、これまた年末に
ついた、お餅♎
大人は初詣以降、
呑み三昧🍺🍶www
とにかく三が日は
子供にはツライ期間やたねwww
カレー🍛食べたーい!
言うてwww
お節料理はな、正月休みたけりゃ年末3倍働け(屮 oДº)屮
ってことだ
と、動物のお医者さんで言ってました🤣
昔は正月って独特の雰囲気があってまさにもういくつ寝るとお正月だった。今はそういえば正月になったぐらい程度にしか感じなくなった。特別感はもうないね
子供の頃に、正月旅行で県内の温泉に泊まることをしたのはうちぐらいか!?
お年玉のポチ袋に書かれた名前が読み方は同じでも漢字が違う事がよくあったな…
家にはお婆ちゃんがいたので親戚はかなり来ていました
亡くなってからぴったりと来なくなり、子供の私達は収入激減だったよ😣💦
お母さん銀行にちゃんと貯金して貰える人は勝ち組。大抵は親戚の子供にあげるお年玉は、お母さん銀行から出る。そうやってお年玉は廻るのだトホホ・・・(-.-)
凧揚げ、本当に見なくなりましたね。
奴凧あげて楽しんでいたらゲイラカイトを隣であげてる子がいて羨ましくなったとかあったなぁ。
めんどくささは減りましたけどなんか寂しくもありますね。まあ今の方がいいからそのように変わってきたんでしょうけど
私の家は貧乏だから正月はいつも寝正月だった所為か正月期間の食事はおせち料理と雑煮を朝昼晩だったから食に関しては苦痛でした。
しかも?歳を重ねるたびにおせち料理独特?の濃い味について行けずにカップラーメン生活が多かった。
またテレビではテレ東系の12時間超ワイドドラマ(新春ワイド時代劇?)の時代劇が楽しみでした。
しかも全作品必ずって訳では無いけど女優のお色気シーンがよくあったので若かった私はとても楽しみでしたw
昭和から平成初期は荒川土手の正月は凧揚げで混雑。凧の糸が絡んで喧嘩した人もいたっけ。羽子板をやっている人も見なくなった。書初めももうしている人もいないかな。
レコードは元旦発売が意外と多かった。アリスとかアバのアルバムはお年玉を目当てにしてか元旦発売。お年玉を握りしめてレコードを買いに行った。
そう言えば、仕事始めの銀行の窓口のお姉さんは振袖だった。今は店舗の統廃合も進んでそんなこともなくなったのかな。普通の家でもちょっと大きな家では門松を飾っていたが
今では銀行や大きな会社ぐらいか。いつもあの門松はどこに保管しているのかが疑問だったがその疑問は解決されないままだ。
ご祝儀相場なんてのもそろそろ死語になりそうだ。初セリのマグロのご祝儀相場が話題になるが、いつまで続くやら。年を越すことが一つの大きな山場だった考えがもう無くなってきたのは悲しいかな。
3:08 これ、タモリさんも「スマスマ」で指摘していました。味のあるものと、味のあるものを同時に食べると、味同士がケンカする場合があるって。
今は一周回って働き方改革で、デパートでもお正月は休むところも増えてますね
自分のバイト先、今年は30日まで営業して、年始は2日から営業するとかいう訳のわからない休みの短さのせいで、実家に殆ど入れないのが残念で仕方ない…
昔はお店が空いてなかったな。普通の商店は松の内は休んでいたよ。
正月が変わったと思ったのは、セブンイレブン等のコンビニがあちこちに出来て、正月でも食料品が買えるようになった事。後はファミレスが出来て、初詣後ご飯が食べられるよう(洋食)になった事かな😊
今は多様化しているから、それぞれ
お正月を楽しめたら良いと思う😊
★おせちは高いもん😅😅
自分で作ろうという気はないで〜⤴️⤴️👍👍🤣🤣雑煮くらいしか作らん😆
正月もコンビニや飲食店開いてるから尚更おせちの需要低いしな
雑煮だけでも充分正月気分味わえるで(`A`)
@都こんぶ.Ver.0 ☺️
★そうやな‼️
餅だけでいいで~😃⤴️⤴️👍👍❤️❤️餅‼️
醤油付けて、焼き餅食らう。
@@大坂孝幸 🌟
★いいね~👍👍
美味いよ❤️餅=正月🎍
@bba7508 砂糖醤油付けて、焼き餅食らう。
今の車に正月飾りを付けたら傷だらけになり、出来合いのお節料理は足元をみてやたらと値段が高い、おせち料理の具材やクリスマス商戦の為にメーカーが夏から準備をしているのを知っている。
保存料がたっぷり入った食材を高い金だして食べようとは思わないだろう。
蒲鉾や黒豆の煮付けがこの時期だけ値段が跳ね上がる、消費者はもうメーカー商戦に飽き飽きしてきたのだろう。
少し経てばバレンタイン、バレンタインの方に若者は予算を向けると思われる。
年賀状小学校の頃はクラス全員に出した事もあったなぁ、緊急連絡簿を渡されていたのでクラス全員の住所や電話番号が載っていた、今ではそんな名簿は個人情報なのでないであろう。
福袋の販売は福の日の語呂合わせで2日の日だった、現在では1日から売る店もある、大体が商品の余り物格安販売だったものが「特別あしらえで用意された物に変わった、お店での梱包ではなく福袋用に専用に発注依頼をかけて用意するまでエスカレートした、今や通信販売で福袋を買えるしまつだ、何もかもメーカーの商戦の陰謀とかしてしまい行事ではなくなってきている。
神社のお焚き上げの日が限定されて自分で焚き火も出来ない様になった正月飾りを焼ける場所もなくゴミとして捨てるには忍びない、ならいっその事買わない、そうなっていった。
月々の子供用のスマホ代払っているだけで親は負担になり、与える玩具の負担額も高い、そんな中でお小遣いの額を上げずらい、進学校に行くようなら更に負担額はあがる。
昔は年末年始のTVで放送される映画の深夜放送が楽しみだったなぁ。
芸能人の隠し芸大会も始めは楽しかったけどわざわざ練習した芸を隠し芸とは言わないので段々くだらなく思えてきてからヤラセに気付きみなくなっていったかな。
箱根駅伝も選手生命を潰すだけの日テレの視聴率稼ぎだけだと知った時からどうでも良くなった。
毎年変わる樹木希林さんの富士カラーの恒例でしたね、希林さんがなくなられてフィルムカメラも一般的でなくなり富士カラーもフィルム事業からの縮小を余儀なくされた、一部の年齢層に写るんですが好評らしいけど、大生産の工場を動かすには至らないので外注発注品、中身はどこ製か分からない。
2000年代から年越しフェスCDJをやるようになった平成後期以降年の瀬新年早々千葉周辺が混むから困る😢
元日から営業する商業施設が増えたのが便利だけどいけない。
3:01 え?若い子で和食で白米を食べれない人がいるんですね。驚きです。
かくし芸と言いながらテレビ局が用意した指導者に習う芸能人って大変だなって思ったひねくれた根性の自分。
正月休みがあるから初売りってイメージで盛り上がるんだよなあ。31日まで営業してて次の日がそのまま初売りって何?って客の側でも思うわ。元日はのんびり酒飲んで家でゆっくりさせろと。
寂しい限りです・・・。
昔は商店組合が強かったのと横のつながりの関係もあって、年末仕事納め後から正月三が日までは休業が基本だった。唯一の例外は神社仏閣の参道沿いのお店。商店組合が独特で物流網も独自なので紅白が終わったあたりに開店して夜通し営業が基本。流石に明け方に少し休むらしいけど・・・三が日で通常の売り上げ二月分だからな。
お正月は絵馬を買い⛩️に行くのが日課だな😁ゴジラ映画🎥を楽しだったな😁餅を食べる