Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
切符切りといえばリアルで電車ごっこができるよう切符ハサミと紙切符とおもちゃお札と笛のセットで遊んだなあ
今でも通勤中や帰宅時に秋葉原駅のミルクスタンド利用してるで色んな地方の牛乳が置いてあったりフレーバーの種類も豊富になってるし飲むヨーグルトも置いてあるわ(`A`)
そのうち『みどりの窓口』も懐かしい物になりつつあるかも。秋葉原駅総武線ホームの『ミルクスタンド』が まだ現役なのはほっとします。
みどりの窓口削減は合理化の一環でしょう。また、大きな駅にはみどりの窓口と並んで『びゅうプラザ』などの旅行代理店がありましたね(国鉄時代は『旅行センター』という名称でした)海外のツアーも扱っているのがみどりの窓口との違いでしょうか。JR各社でそれぞれニックネームがあったこの旅行センター、近年閉鎖が相次いで今どのくらい残っているんでしょうかね?🤔ちなみに、かつて仙台駅にはなぜか『JR北海道プラザ』があって、北海道旅行の切符をそこで買い求めていました。
あのスタンドで、コーヒー牛乳飲みながら餡パンかじる事…これがアキバ行った時の楽しみの一つです。
@@kamimiso9 さま調べてみたら『びゅうプラザ』は全て閉鎖し『駅たびコンシェルジュ』に名を変えて北東北・南東北に各3店舗 新潟・長野圏に2店舗 関東圏に16店舗の 合計24店舗が営業中のようです。面白いのは羽田空港のモノレール駅構内にもあり 東京モノレールが子会社だからこそでしょうね。『JR北海道プラザ』は 関東圏にも東京駅丸の内中央改札口や 幕張・横浜にも店舗がありましたが こちらも今は 全部閉めちゃいました。
今では、ネットで予約できたり、指定席を予約出来てJR全線の切符も買える多機能切符販売機がありますからねぇ(大多数の一般的なJRの切符販売機は、100㎞以下の切符とグリーン券・自由席特急券、一部のトクトク切符しか買えない(ただし、100㎞を少々超え、需要の多い区間は買える(東京―熱海間、上野―高崎間など)))。
自分は昔、鉄道部品の販売があった際に改札鋏と車内補充券に印の穴を開ける際に使うパンチを今でも持って、時々カチンカチンと音を楽しんでいます(笑)
田舎暮らしなので「通勤ラッシュ」は知りません。但し一度だけ、休日にイベントが重なった時間に出くわしました。身動きが出来ない。かばんも落ちない。←経験しました。
列車のタレ流しトイレはなかなか厄介なものでしたね…。幼い頃、飛散してくることがあるので踏切では線路近くに立ってはダメだと教えられたものです。保線作業の人達や沿線の家々など言わずもがなで、「黄害ハンタイ!」なんて手描き看板を目にした事もありました。
停車中は使わないで。
ミルクスタンドは今でも秋葉原駅の総武緩行線のホーム両側にあるんじゃないのかな…
満員電車って大変だったなあ…新聞読んでたおっちゃん、綺麗に細く折り畳んで読んでいましたね!私もその隣にいて読むつもりもないけど、満員で人と人との距離が近いから自然と目に入る。それがスポーツ新聞のHな紙面だった時にこちらも困る…😅
隣客の新聞を眺めてると 知らないうちに記事を熟読してて、読み終わる前に捲られると 腹が立った🤭😂
懐かしいーまだ小学生だったころ北海道だったけど、電車の通ってない地区だったんで、バスのちょっと大きい停留所にミルクスタンドあってじいちゃんとよく行ってた。瓶のコーヒー牛乳もアンパンも10円だったわ!
かつて田舎のローカル線の交換可能駅にはタブレット授受器があった。急行列車などが徐行で通過しながらその授受器に放り投げ、腕を伸ばしてタブレットを受け取る一連の動作はまさに職人技💪腕木式信号機も懐かしい🚦🚞今の若い人たち、このタブレットのことを知ってるかな?🤔今やタブレットといえば、携帯端末の一つだからね📱
タブレット・通票乗務員さんが駅員さんから受け取ると「〇〇(駅名)サンカク〜▲」とか確認してましたね。
信号機は腕木式信号機がありました。
自動券売機は、金額を固定された1種類の金額の切符だけが買える券売機もありました。
それは古いタイプの切符販売機ですな。
ここで紹介されている要素、昭和時代の漫画「キップくん(現在絶版、植田まさし氏著)でネタになっていました。①ホームのタバコ=喫煙していた男性が線路にポイ捨て、駅員が水鉄砲で消火。②駅そば=子供「駅そば食べたい」母「あんなもんまずいわよ」そこで駅員がそばを食べてる音をマイクで流す。③きっぷの鋏=両手塞がっている駅員、口で鋏を入れたらキスみたいに、などです。
昔の券売機はボタンが丸で大人切符と子供切符が別れていた基本的に大人用ボタンがあってその下に赤いカバーがあり子供用はそのカバーをめくってボタンを押す仕様だったお母さんとお出掛けする時に切符のボタンを押すのが楽しみだった
古いタイプの切符販売機には印刷に乾燥が遅い油性インクが使われていて、インクが乾かないうちに手でこするとインクが手に付くことがあって、結婚式場とか神社・仏閣などが近くにある駅では「晴れ着が汚れた」と苦情が出ることが多かった。そこで、国鉄は、リコーとオムロンに湿式コピー機と同じ構造の切符販売機を開発させて1970年1月に東京駅・上野駅・新宿駅・渋谷駅・有楽町駅に設置した。また、同時期にパイロット万年筆と沖電気が共同でカプセルインキの原理を応用したキレート式切符販売機を開発し、国鉄がこれを試用して1970年5月にキレート式切符販売機を大塚駅に設置し、最終的に国鉄はコストなどを考慮してキレート式を採用して全国の駅に設置した(参照:国鉄乗車券類大事典(JTBパブリッシング))。
昭和の駅で真っ先に思い出すのは、改札のあのカチャカチャ鋏の音だ。幼稚園の頃、まだ改札で切符切るのが当たり前だった頃、我が地元の横浜の地下鉄はすでに自動改札になっており、駅員もおらずに切符が機械に吸い込まれて、ポンと出てくるのが珍しくも少し怖くも感じた。
どれも懐かしいですね😄弁当売り復活してほしいですね😄
私が生まれる前、SLが全国各地に走っていた頃は、主要駅に給水塔やターンテーブルがあった🚂今や絶滅しかけているが、僅かに残っているものはSL時代を今に伝える、貴重な鉄道遺産✨
★弁当売りは、またやって欲しいで〜‼️若くてかわいい子が売ったら売れるんやない⁉️
券売機の表示がニキシー管だった。 冷水機、ペダルを踏んで冷水飲んでたっけ。0系にも冷水機、あったなぁ。
冷水機の水はブルートレインのほうが冷たくて美味しかった記憶が根強い😆ペダル式の冷水機、銀行や郵便局、病院などにありましたね(今ではウォーターサーバーが主流)
私は新幹線の往復切符を買ってました。つい前の事新幹線ホームを見たら若い人たちが 携帯で、ヒョッってやるだけでびっくりしました👀👀い つ の ま に時代が変わったと思いましたね😅😅
昭和の時代にあったもの 駅に限らず街の中からもどんどん消えていつか映像の中でしか残らないものになることでしょうね飛行機は早く行くもの 汽車はのんびりと行くものの棲み分けもなくなり列車の移動も点から点へのものになったし 駅は減り続け何かを楽しむためのものではなくなったのは本当に寂しいことです
物心就いて数年間「有人改札」でしたね🚉懐かしいなぁ😺
「伝言板に君のこと 僕は書いて帰ります」という「♪私鉄沿線」歌詞が懐かしい😊
切符売り場の中に行く先別の切符棚があり駅員がその中から取り出して売っていた。
駅の行き先案内は、アナログテレビ画面だった地元駅、画面焼けが酷かった。
東武浅草駅が ブラウン管テレビを使っていました。国鉄名古屋駅も確かそうでしたが 駅員さんがテレビカメラの前に 列車名・行き先・発車時刻を書いたシートを置いて表示する方式だったと記憶しています。
硬券ってやつですね窓口で駅員さんが売ってましたっけか子供用は右端を斜めに切り落とすんですよね
キオスク。大きな駅だと赤帽。
赤帽はとうの昔に絶滅しました。
幼少の頃うっすら覚えてるのが駅のホーム付近に線路のポイントを手動で切り替える大きなレバーが有った気がします… あと昭和の駅と言えば「幸福駅ブーム」も思い出します…
西武池袋線池袋の1番線の横にあったミルクスタンド瓶の牛乳をオーダーすると店員さんが蓋開けでサッ!と開けてスーッ!と差し出し…グッと一気に飲んで去っていく😝更に時短のため牛乳は白・コーヒー牛乳は黒とオーダーしていた
キヨスクの販売員は、全ての商品の価格を記憶していて、瞬時に計算する能力が要ると、TVで見た記憶
特急列車の車内の公衆電話も姿を消しましたな。新幹線が開業する前の151系電車特急「こだま」「つばめ」「はと」「うずしお」「富士」「おおとり」には車内公衆電話があり、特等席「パーラーカー」では車掌に電話を頼むと車掌が受話器を座席まで持ってきて、受話器を窓の横のジャックにつないで自分の席から電話を掛けることができた。また、ビュッフェ(立ち食い式簡易食堂)にも公衆電話が設置されていた。さらに、「パーラーカー」ではヘッドホンを貸し出すサービスがあり、ヘッドホンを窓の横のジャックにつないでラジオを聴くことができた。
映画『天国と地獄』でも 三船敏郎さん演じる権藤が モハシの電話室で電話を受けているシーンがありましたね。尚 シートラジオのイヤホンジャックは『サロ・モロ』にも付いていました。(但し当時故 NHKしか 聴けなかった)後の『スーパービュー踊り子』には 普通車にもイヤホンジャックが付いていて(手持ちのステレオイヤホン使用可能)FM放送等を聴くことが出来ました。
ちょい田舎だと時刻表は今でもある。ただ、見上げるものじゃなくて立て看板形式になった。
JRになってもしばらくは駅のホームに吐き捨てられたガムが点々とあったなぁたまに新しいやつ踏んじゃったりして最悪だった🤮
やっぱり、「有人改札」がトップバッターになりますよね。次に「ボタン式券売機」と「駅員が改札に立って鋏をパチパチ音を立てながら切符に切り込みを入れてた」ヤツですね。ほとんどの駅(主に首都圏などの主要駅)ではもう見られない光景になりましたね。一応、時刻表は駅のホームにありますね(全部の駅じゃないかもだけど)
有人改札は昔だと切符切りハサミでパチンパチンと切る。後にスタンプ押印に代わってやがて無人化した。
駅の切符売り場の時刻表は、国鉄時代はJTB、JRになってからは弘済出版社→交通新聞社のものが置かれています。
地元の駅にまだキップ切るハサミは置いてあるって言ってたな名目上は記念品みたいなんだそうですが残す事になった当時の事を知る駅員さんの話だといつ必要になるか分からないって事だったそうです(なお30年以上出番無し)あと今と昔で無い物って公衆電話に貼り付けられたダイヤルQ2とかの張り紙かなぁ駅構内の電話は比較的おとなしかったけど電話BOXだと中が見えないくらい貼り付けられてたなそれと辞書みたいな厚さのタウンページでしたっけ?あれもいつの間にか消えてましたね
駅の灰皿、昭和末期に駅の灰皿に棲みついた猫のマンガがありました。もし現実にいたら、今では住む所が無くなっちゃってますねぇ。
鉄道のぎゅうぎゅう詰めは昭和だけじゃなく平成時代の時にもなかった!?😅
俺の実家に何故か改札鋏があるんですよね。鉄道関係者の知り合いとかいないのに。
駅の売店🚉ですね🚉
痰壺は担任が「昔は痰壺があってそれが不気味だったんだ」と言っていたので覚えた固有名詞です。担任が若い頃だから昭和20年代の話です。鉄道の垂れ流しトイレというか開放式トイレは70年代最後の年に旭川から稚内行きのディーゼルカーに乗った時見ましたよ。気持ち悪かったですよ。
ケンちゃんは、カーコーペッ!てどこにでも痰を吐くんだよ😂
大井川鐵道では、未だに有人でしかも券売機はなく窓口で硬券です。遠州鉄道も券売機こそあるものの、改札は有人です…
国鉄時代の列車は走行中でも出入口のドアは開閉できていた。今思うと怖い❗️
駅構内から時計も消えましたよね。時刻表のすぐ隣にありましたから、便利だったんですが。今はいちいちスマホを確認しなければならない。6:23の列車の窓から駅弁を買っている画像。これはAIで作られた画像ですね。あんなに一度に多くの人が窓から顔を出すはずもないし、みんな笑顔で気持ち悪いです。当時こんな光景はなかった。
昔 営団地下鉄では 駅員さんになって最初の仕事は『痰壺掃除』だったそう。スネークマンショーでも『た◯つ◯小僧』とネタになりました。
皆、普通に痰はいてるけどね。駅で、傘を使ってゴルフのスイングの練習する人がいなくなった。網棚の雑誌や新聞が無くなった。
ホームに新聞を広げて酒盛りするオヤジ😂
都市伝説で痰壺をストローで吸って回ってる男の話がありましたな。
それ筒井康隆の作品にあった話だな
フラップ式のアプリとかパソコンのプログラムとか出ないかな❤
駅には「押し屋」の他にも無理に乗り込もうとして発車を遅らせる原因になる人を阻止する「剥がし屋」もいたらしい。恨まれそうな商売だねえ
突然、西鉄の時刻表が写って福岡民びっくり
何と言っても無愛想だったり偉そうな態度の「国鉄職員」ですなトイレだと地下水が湧く所だと水が流れっ放しの小便器が並んでる駅があった
伝言板の左の端へ今日もまた一つ忘れ物をしたと誰にともなく書いたものよ、
キヨスクじゃなくて「キオスク」なんだよなぁ
公衆電話。
静岡駅発券の切符🎫だ!準急か〜どこに旅行行ったんだろ子供用券みたいだし家族で出かけたのかな?今はIC主流だし発券機で券買う人すら珍しくなりつつあるよね、、、隣町の私鉄電車まだ切ってくれるよ!鈍行も鈍行時間一本程度くらい?の私鉄電車🚃記念用にも頼めば切ってくれる!券だけ買って切ってくださいもしてくれる!それも今になくなるのかな下手すれば電車や駅ごと、、、田舎の鉄道だから、、、一度しか乗りに行かなかったけど、、、車両の形も昭和レトロかわいい電車🚃また乗りに行こうかな、、、うちの街の私鉄電車は車両総入れ替えで新型になったからJRと同じ感じ切符は券売機であとは私鉄鉄道会社専用ICか共通ICだから
山口のド田舎ぶりとして、新山口駅のトイレにトイレットペーパーが設置されたのは、ほんの7〜8年前。入口の自販機で専用のティッシュペーパーを買うのを忘れたら…オワタwww。涙もチョチョ切れるクソ田舎。ちなみに、投稿主さまはどちらの方ですか?モロに福岡の西鉄天神大牟田線の風景が写ってましたが。
切符切りといえばリアルで電車ごっこができるよう切符ハサミと紙切符とおもちゃお札と笛のセットで遊んだなあ
今でも通勤中や帰宅時に秋葉原駅のミルクスタンド利用してるで
色んな地方の牛乳が置いてあったりフレーバーの種類も豊富になってるし飲むヨーグルトも置いてあるわ(`A`)
そのうち『みどりの窓口』も懐かしい物になりつつあるかも。
秋葉原駅総武線ホームの『ミルクスタンド』が まだ現役なのはほっとします。
みどりの窓口削減は合理化の一環でしょう。
また、大きな駅にはみどりの窓口と並んで『びゅうプラザ』などの旅行代理店がありましたね(国鉄時代は『旅行センター』という名称でした)
海外のツアーも扱っているのがみどりの窓口との違いでしょうか。
JR各社でそれぞれニックネームがあったこの旅行センター、近年閉鎖が相次いで今どのくらい残っているんでしょうかね?🤔
ちなみに、かつて仙台駅にはなぜか『JR北海道プラザ』があって、北海道旅行の切符をそこで買い求めていました。
あのスタンドで、コーヒー牛乳飲みながら餡パンかじる事…これがアキバ行った時の楽しみの一つです。
@@kamimiso9 さま
調べてみたら『びゅうプラザ』は全て閉鎖し『駅たびコンシェルジュ』に名を変えて北東北・南東北に各3店舗 新潟・長野圏に2店舗 関東圏に16店舗の 合計24店舗が営業中のようです。
面白いのは羽田空港のモノレール駅構内にもあり 東京モノレールが子会社だからこそでしょうね。
『JR北海道プラザ』は 関東圏にも東京駅丸の内中央改札口や 幕張・横浜にも店舗がありましたが こちらも今は 全部閉めちゃいました。
今では、ネットで予約できたり、指定席を予約出来てJR全線の切符も買える多機能切符販売機がありますからねぇ(大多数の一般的なJRの切符販売機は、100㎞以下の切符とグリーン券・自由席特急券、一部のトクトク切符しか買えない(ただし、100㎞を少々超え、需要の多い区間は買える(東京―熱海間、上野―高崎間など)))。
自分は昔、鉄道部品の販売があった際に改札鋏と車内補充券に印の穴を開ける際に使うパンチを今でも持って、時々カチンカチンと音を楽しんでいます(笑)
田舎暮らしなので「通勤ラッシュ」は知りません。
但し一度だけ、
休日にイベントが重なった時間に出くわしました。
身動きが出来ない。かばんも落ちない。←経験しました。
列車のタレ流しトイレはなかなか厄介なものでしたね…。幼い頃、飛散してくることがあるので踏切では線路近くに立ってはダメだと教えられたものです。保線作業の人達や沿線の家々など言わずもがなで、「黄害ハンタイ!」なんて手描き看板を目にした事もありました。
停車中は使わないで。
ミルクスタンドは今でも秋葉原駅の総武緩行線のホーム両側にあるんじゃないのかな…
満員電車って大変だったなあ…
新聞読んでたおっちゃん、綺麗に細く折り畳んで読んでいましたね!私もその隣にいて読むつもりもないけど、満員で人と人との距離が近いから自然と目に入る。それがスポーツ新聞のHな紙面だった時にこちらも困る…😅
隣客の新聞を眺めてると 知らないうちに記事を熟読してて、読み終わる前に捲られると 腹が立った🤭😂
懐かしいー
まだ小学生だったころ北海道だったけど、電車の通ってない地区だったんで、
バスのちょっと大きい停留所にミルクスタンドあってじいちゃんとよく行ってた。
瓶のコーヒー牛乳もアンパンも10円だったわ!
かつて田舎のローカル線の交換可能駅にはタブレット授受器があった。
急行列車などが徐行で通過しながらその授受器に放り投げ、腕を伸ばしてタブレットを受け取る一連の動作はまさに職人技💪
腕木式信号機も懐かしい🚦🚞
今の若い人たち、このタブレットのことを知ってるかな?🤔
今やタブレットといえば、携帯端末の一つだからね📱
タブレット・通票
乗務員さんが駅員さんから受け取ると「〇〇(駅名)サンカク〜▲」とか確認してましたね。
信号機は腕木式信号機がありました。
自動券売機は、金額を固定された1種類の金額の切符だけが買える券売機もありました。
それは古いタイプの切符販売機ですな。
ここで紹介されている要素、昭和時代の漫画「キップくん(現在絶版、植田まさし氏著)でネタになっていました。①ホームのタバコ=喫煙していた男性が線路にポイ捨て、駅員が水鉄砲で消火。②駅そば=子供「駅そば食べたい」母「あんなもんまずいわよ」そこで駅員がそばを食べてる音をマイクで流す。③きっぷの鋏=両手塞がっている駅員、口で鋏を入れたらキスみたいに、
などです。
昔の券売機はボタンが丸で大人切符と子供切符が別れていた
基本的に大人用ボタンがあってその下に赤いカバーがあり子供用はそのカバーをめくってボタンを押す仕様だった
お母さんとお出掛けする時に切符のボタンを押すのが楽しみだった
古いタイプの切符販売機には印刷に乾燥が遅い油性インクが使われていて、インクが乾かないうちに手でこするとインクが手に付くことがあって、結婚式場とか神社・仏閣などが近くにある駅では「晴れ着が汚れた」と苦情が出ることが多かった。そこで、国鉄は、リコーとオムロンに湿式コピー機と同じ構造の切符販売機を開発させて1970年1月に東京駅・上野駅・新宿駅・渋谷駅・有楽町駅に設置した。また、同時期にパイロット万年筆と沖電気が共同でカプセルインキの原理を応用したキレート式切符販売機を開発し、国鉄がこれを試用して1970年5月にキレート式切符販売機を大塚駅に設置し、最終的に国鉄はコストなどを考慮してキレート式を採用して全国の駅に設置した(参照:国鉄乗車券類大事典(JTBパブリッシング))。
昭和の駅で真っ先に思い出すのは、改札のあのカチャカチャ鋏の音だ。幼稚園の頃、まだ改札で切符切るのが当たり前だった頃、我が地元の横浜の地下鉄はすでに自動改札になっており、駅員もおらずに切符が機械に吸い込まれて、ポンと出てくるのが珍しくも少し怖くも感じた。
どれも懐かしいですね😄弁当売り復活してほしいですね😄
私が生まれる前、SLが全国各地に走っていた頃は、主要駅に給水塔やターンテーブルがあった🚂
今や絶滅しかけているが、僅かに残っているものはSL時代を今に伝える、貴重な鉄道遺産✨
★弁当売りは、またやって欲しいで〜‼️若くてかわいい子が売ったら売れるんやない⁉️
券売機の表示がニキシー管だった。 冷水機、ペダルを踏んで冷水飲んでたっけ。0系にも冷水機、あったなぁ。
冷水機の水はブルートレインのほうが冷たくて美味しかった記憶が根強い😆
ペダル式の冷水機、銀行や郵便局、病院などにありましたね(今ではウォーターサーバーが主流)
私は新幹線の往復切符を買ってました。つい前の事
新幹線ホームを見たら若い人たちが 携帯で、ヒョッってやるだけで
びっくりしました👀👀
い つ の ま に
時代が変わったと思いましたね😅😅
昭和の時代にあったもの 駅に限らず街の中からもどんどん消えていつか映像の中でしか残らないものになることでしょうね
飛行機は早く行くもの 汽車はのんびりと行くものの棲み分けもなくなり列車の移動も点から点へのものになったし 駅は減り続け何かを楽しむためのものではなくなったのは本当に寂しいことです
物心就いて数年間「有人改札」でしたね🚉懐かしいなぁ😺
「伝言板に君のこと 僕は書いて帰ります」という「♪私鉄沿線」歌詞が懐かしい😊
切符売り場の中に行く先別の切符棚があり駅員がその中から取り出して売っていた。
駅の行き先案内は、アナログテレビ画面だった地元駅、画面焼けが酷かった。
東武浅草駅が ブラウン管テレビを使っていました。
国鉄名古屋駅も確かそうでしたが 駅員さんがテレビカメラの前に 列車名・行き先・発車時刻を書いたシートを置いて表示する方式だったと記憶しています。
硬券ってやつですね
窓口で駅員さんが売ってましたっけか
子供用は右端を斜めに切り落とすんですよね
キオスク。大きな駅だと赤帽。
赤帽はとうの昔に絶滅しました。
幼少の頃うっすら覚えてるのが駅のホーム付近に線路のポイントを手動で切り替える大きなレバーが有った気がします… あと昭和の駅と言えば「幸福駅ブーム」も思い出します…
西武池袋線池袋の1番線の横にあったミルクスタンド
瓶の牛乳をオーダーすると店員さんが蓋開けでサッ!と開けてスーッ!と差し出し…グッと一気に飲んで去っていく😝
更に時短のため牛乳は白・コーヒー牛乳は黒とオーダーしていた
キヨスクの販売員は、全ての商品の価格を記憶していて、瞬時に計算する能力が要ると、TVで見た記憶
特急列車の車内の公衆電話も姿を消しましたな。新幹線が開業する前の151系電車特急「こだま」「つばめ」「はと」「うずしお」「富士」「おおとり」には車内公衆電話があり、特等席「パーラーカー」では車掌に電話を頼むと車掌が受話器を座席まで持ってきて、受話器を窓の横のジャックにつないで自分の席から電話を掛けることができた。また、ビュッフェ(立ち食い式簡易食堂)にも公衆電話が設置されていた。さらに、「パーラーカー」ではヘッドホンを貸し出すサービスがあり、ヘッドホンを窓の横のジャックにつないでラジオを聴くことができた。
映画『天国と地獄』でも 三船敏郎さん演じる権藤が モハシの電話室で電話を受けているシーンがありましたね。
尚 シートラジオのイヤホンジャックは『サロ・モロ』にも付いていました。(但し当時故 NHKしか 聴けなかった)
後の『スーパービュー踊り子』には 普通車にもイヤホンジャックが付いていて(手持ちのステレオイヤホン使用可能)FM放送等を聴くことが出来ました。
ちょい田舎だと時刻表は今でもある。ただ、見上げるものじゃなくて立て看板形式になった。
JRになってもしばらくは駅のホームに吐き捨てられたガムが点々とあったなぁ
たまに新しいやつ踏んじゃったりして最悪だった🤮
やっぱり、「有人改札」がトップバッターになりますよね。
次に「ボタン式券売機」と
「駅員が改札に立って鋏をパチパチ音を立てながら切符に切り込みを入れてた」ヤツですね。
ほとんどの駅(主に首都圏などの主要駅)ではもう見られない光景になりましたね。
一応、時刻表は駅のホームにありますね(全部の駅じゃないかもだけど)
有人改札は昔だと切符切りハサミでパチンパチンと切る。後にスタンプ押印に代わってやがて無人化した。
駅の切符売り場の時刻表は、国鉄時代はJTB、JRになってからは弘済出版社→交通新聞社のものが置かれています。
地元の駅にまだキップ切るハサミは置いてあるって言ってたな
名目上は記念品みたいなんだそうですが残す事になった当時の事を知る駅員さんの話だといつ必要になるか分からないって事だったそうです(なお30年以上出番無し)
あと今と昔で無い物って公衆電話に貼り付けられたダイヤルQ2とかの張り紙かなぁ
駅構内の電話は比較的おとなしかったけど電話BOXだと中が見えないくらい貼り付けられてたな
それと辞書みたいな厚さのタウンページでしたっけ?あれもいつの間にか消えてましたね
駅の灰皿、昭和末期に駅の灰皿に棲みついた猫のマンガがありました。
もし現実にいたら、今では住む所が無くなっちゃってますねぇ。
鉄道のぎゅうぎゅう詰めは昭和だけじゃなく平成時代の時にもなかった!?😅
俺の実家に何故か改札鋏があるんですよね。
鉄道関係者の知り合いとかいないのに。
駅の売店🚉ですね🚉
痰壺は担任が「昔は痰壺があってそれが不気味だったんだ」と言っていたので覚えた固有名詞です。担任が若い頃だから昭和20年代の話です。鉄道の垂れ流しトイレというか開放式トイレは70年代最後の年に旭川から稚内行きのディーゼルカーに乗った時見ましたよ。気持ち悪かったですよ。
ケンちゃんは、カーコーペッ!てどこにでも痰を吐くんだよ😂
大井川鐵道では、未だに有人でしかも券売機はなく窓口で硬券です。遠州鉄道も券売機こそあるものの、改札は有人です…
国鉄時代の列車は走行中でも出入口のドアは開閉できていた。今思うと怖い❗️
駅構内から時計も消えましたよね。時刻表のすぐ隣にありましたから、便利だったんですが。今はいちいちスマホを確認しなければならない。
6:23の列車の窓から駅弁を買っている画像。これはAIで作られた画像ですね。あんなに一度に多くの人が窓から顔を出すはずもないし、みんな笑顔で気持ち悪いです。当時こんな光景はなかった。
昔 営団地下鉄では 駅員さんになって最初の仕事は『痰壺掃除』だったそう。
スネークマンショーでも『た◯つ◯小僧』とネタになりました。
皆、普通に痰はいてるけどね。
駅で、傘を使ってゴルフのスイングの練習する人がいなくなった。
網棚の雑誌や新聞が無くなった。
ホームに新聞を広げて酒盛りするオヤジ😂
都市伝説で痰壺をストローで吸って回ってる男の話がありましたな。
それ筒井康隆の作品にあった話だな
フラップ式のアプリとかパソコンのプログラムとか出ないかな❤
駅には「押し屋」の他にも無理に乗り込もうとして発車を遅らせる原因になる人を阻止する「剥がし屋」もいたらしい。恨まれそうな商売だねえ
突然、西鉄の時刻表が写って福岡民びっくり
何と言っても無愛想だったり偉そうな態度の「国鉄職員」ですな
トイレだと地下水が湧く所だと水が流れっ放しの小便器が並んでる駅があった
伝言板の左の端へ今日もまた一つ忘れ物をしたと誰にともなく書いたものよ、
キヨスクじゃなくて「キオスク」なんだよなぁ
公衆電話。
静岡駅発券の切符🎫だ!
準急か〜
どこに旅行行ったんだろ
子供用券みたいだし
家族で出かけたのかな?
今はIC主流だし
発券機で券買う人すら
珍しくなりつつあるよね、、、
隣町の私鉄電車
まだ切ってくれるよ!
鈍行も鈍行
時間一本程度くらい?の
私鉄電車🚃
記念用にも
頼めば切ってくれる!
券だけ買って
切ってくださいもしてくれる!
それも今になくなるのかな
下手すれば電車や駅ごと、、、
田舎の鉄道だから、、、
一度しか乗りに
行かなかったけど、、、
車両の形も昭和レトロ
かわいい電車🚃
また乗りに行こうかな、、、
うちの街の私鉄電車は
車両総入れ替えで
新型になったから
JRと同じ感じ
切符は券売機で
あとは
私鉄鉄道会社専用ICか
共通ICだから
山口のド田舎ぶりとして、新山口駅のトイレにトイレットペーパーが設置されたのは、ほんの7〜8年前。入口の自販機で専用のティッシュペーパーを買うのを忘れたら…オワタwww。涙もチョチョ切れるクソ田舎。
ちなみに、投稿主さまはどちらの方ですか?モロに福岡の西鉄天神大牟田線の風景が写ってましたが。