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今から60年ほど前、父のはじめての転勤先が北母子里駅でした。当時は車が通れる道は何処にも通じておらず国鉄(深名線)が外界との唯一の交通手段でした。小学校5~6年の2年間を複式学級の小中学校で過ごした思い出はいまでもとても貴重なものです。道を隔てて学校の隣にあった北大演習林事務所の建物は今と違ってログハウス風の風情のある建物で同級生の親御さんが管理人をされていました。娘が小学校低学年まで、寝付けさせる際によく「ムーミン・シリーズ」読み聞かせていましたがそのムーミン谷のイメージは満水期の湖水が遠く白樺林越しに見える山に囲まれた母子里の風景です。訪れていただいて有り難うございました。
母子里って商店とかあったんですか?
@@TV-by3kw 私がいた今から60年前には個人の雑貨屋さんが一軒と、農協の事務所兼売店がありました。雑貨屋さんは北母子里駅から現在の国道にぶつかるT字路までの中間、駅に向かって道路の右側にありました。そこのお宅の息子さんも私と同学年でした。農協の事務所兼売店は例のT字路の角、駅に向かって左側にありました。50年ほど前に訪れたことがありますが農協事務所はすでに廃屋になって今にも壊れそうなほどかしいでいました。あと、そのT字路から名寄側に数十メートルいったところ、農協との並びにお寺もありました。そのお寺の息子さんも同級生でした。(あんな辺鄙なところでも団塊の世代は存在していたということでしょうか・・・)今から9年前にも訪れましたがこれらの家や建物はすべて跡形もなくなっていました・・・・・。
@@cygnustori ありがとうございます。昔は小さな集落でも商店などはあったんですね
寺の子と雑貨屋の子が同級生私も同級生でした、父は日通に勤務していました。もしかしたら貴方とも同級生かな。
@@佐々木精一-r5fSさん、すみません。あなたのコメントに何度も返信を入れのですが入っていない様です。連絡をとらせていただきたいのですが私のチャンネルにコメントいただけますか?
深名線。離村が進んだ後も平成の世まで生き延びたのが奇跡ですよね・・・乗車は当時は子供で叶わずでしたが、他のローカル線と一線を画す神秘的な雰囲気を持った路線だったのだと思います。レンタカーで深川から廃線跡を辿ってみましたが、幌加内中心部の旭川から一山隔てただけとは思えないほど広大な美しい農村・朱鞠内湖畔の原生林の様相。心を掴んでやみませんでした。しかしながらやはり人の流動という観点ではとても厳しいものを肌で感じました。札幌が肥大化する一方で幌加内や歌志内等、どんどん過疎化していくのはとても切ないですね・・
北海道は広いけど気候変動激しいからね。冬は相変わらず寒いが夏は近年は沖縄の気象台で測った温度まで上昇するからね。
蕗の台や白樺は、熊の聖地ですよね。歩いておまけに泊まるってスゴい勇気としか言えません😅
蕗の台駅跡を歩いて散策ですか〜とても貴重な動画ですね
真っ暗になったらヒグマ大丈夫なんですか?蕗の台駅跡でのキャンプ凄いですね。こんな山奥に多くの人が住んでたのが信じられないです。
そうそう、朱鞠内湖のキャンプ場近くで狐を見かけました。深名線の線路の場所、よくわかりましたね。行きたくなりました。キャンプしたんですか。凄いですね。
私も昨年9月初旬に朱鞠内湖から少し歩いた三股というバス停から名寄駅までJRバスに乗りましたが、乗客は私一人でした。ちなみに、朱鞠内湖がある幌加内町は人口密度は2人以下(1キロ四方)で全国3位、道内1位の少なさ。ソバの作付面積・収穫量ともに日本一らしいです。
すごくいい、行きたい
この辺りは羆多いのに怖くないんか
ぼっち系youtuber って俺のことじゃないかい!
@@pakuntik1211 僕は友達いないから一人でがデフォルト
今から60年ほど前、父のはじめての転勤先が北母子里駅でした。
当時は車が通れる道は何処にも通じておらず国鉄(深名線)が外界との唯一の交通手段でした。
小学校5~6年の2年間を複式学級の小中学校で過ごした思い出はいまでもとても貴重なものです。
道を隔てて学校の隣にあった北大演習林事務所の建物は今と違ってログハウス風の風情のある建物で
同級生の親御さんが管理人をされていました。
娘が小学校低学年まで、寝付けさせる際によく「ムーミン・シリーズ」読み聞かせていましたが
そのムーミン谷のイメージは満水期の湖水が遠く白樺林越しに見える山に囲まれた母子里の風景です。
訪れていただいて有り難うございました。
母子里って商店とかあったんですか?
@@TV-by3kw 私がいた今から60年前には個人の雑貨屋さんが一軒と、農協の事務所兼売店がありました。
雑貨屋さんは北母子里駅から現在の国道にぶつかるT字路までの中間、駅に向かって道路の右側にありました。
そこのお宅の息子さんも私と同学年でした。
農協の事務所兼売店は例のT字路の角、駅に向かって左側にありました。
50年ほど前に訪れたことがありますが農協事務所はすでに廃屋になって今にも壊れそうなほどかしいでいました。
あと、そのT字路から名寄側に数十メートルいったところ、農協との並びにお寺もありました。
そのお寺の息子さんも同級生でした。(あんな辺鄙なところでも団塊の世代は存在していたということでしょうか・・・)
今から9年前にも訪れましたがこれらの家や建物はすべて跡形もなくなっていました・・・・・。
@@cygnustori ありがとうございます。昔は小さな集落でも商店などはあったんですね
寺の子と雑貨屋の子が同級生私も同級生でした、父は日通に勤務していました。もしかしたら貴方とも同級生かな。
@@佐々木精一-r5fSさん、すみません。あなたのコメントに何度も返信を入れのですが入っていない様です。連絡をとらせていただきたいのですが私のチャンネルにコメントいただけますか?
深名線。離村が進んだ後も平成の世まで生き延びたのが奇跡ですよね・・・
乗車は当時は子供で叶わずでしたが、他のローカル線と一線を画す神秘的な雰囲気を持った路線だったのだと思います。
レンタカーで深川から廃線跡を辿ってみましたが、幌加内中心部の旭川から一山隔てただけとは思えないほど広大な美しい農村・朱鞠内湖畔の原生林の様相。心を掴んでやみませんでした。
しかしながらやはり人の流動という観点ではとても厳しいものを肌で感じました。札幌が肥大化する一方で幌加内や歌志内等、どんどん過疎化していくのはとても切ないですね・・
北海道は広いけど気候変動激しいからね。冬は相変わらず寒いが夏は近年は沖縄の気象台で測った温度まで上昇するからね。
蕗の台や白樺は、熊の聖地ですよね。
歩いておまけに泊まるってスゴい勇気としか言えません😅
蕗の台駅跡を歩いて散策ですか〜
とても貴重な動画ですね
真っ暗になったらヒグマ大丈夫なんですか?
蕗の台駅跡でのキャンプ凄いですね。
こんな山奥に多くの人が住んでたのが信じられないです。
そうそう、朱鞠内湖のキャンプ場近くで狐を見かけました。
深名線の線路の場所、よくわかりましたね。行きたくなりました。キャンプしたんですか。凄いですね。
私も昨年9月初旬に朱鞠内湖から少し歩いた三股というバス停から名寄駅までJRバスに乗りましたが、乗客は私一人でした。
ちなみに、朱鞠内湖がある幌加内町は人口密度は2人以下(1キロ四方)で全国3位、道内1位の少なさ。ソバの作付面積・収穫量ともに日本一らしいです。
すごくいい、行きたい
この辺りは羆多いのに怖くないんか
ぼっち系youtuber って俺のことじゃないかい!
@@pakuntik1211 僕は友達いないから一人でがデフォルト