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このチャンネルのコメ欄って当時聞いてた人のコメント読めたりするのほんと貴重だよね。
それ若い人からしたら結構うれしい
日本のポピュラー音楽史、歌謡を中心に据える事に賛成です。はっぴいえんどにしても内田裕也にしても基本的にはサブカルチャー・カウンターカルチャーの立場にいる事が多かった(松本隆はメインの人になった?)と思うので、そこばかり見ていると、その当時一番聴かれていた音楽を把握できなかったりすると思います。やはり日本のポピュラー音楽の一番大きな幹は「歌謡曲」とそれに連なる音楽のように感じます。
はっぴいえんど中心史観って、音楽そのものより人脈図に依存してる気がしてるんですよねみのさんが上げてたシュガーベイブを中心にしようとすると、達郎さんと大瀧さんの師弟関係的なところとか、大貫妙子-坂本龍一-細野さんの関係とか考えるとやっぱりはっぴいえんど、みたいなどこかに中心点を置こうとするとはっぴいえんどにならざるを得ないけれど、みのさんの提唱する歌謡史観って面白くて、点じゃなくて線になってる線で考えると、例えば細野さんの線であるはっぴいえんど-ティン・パン・アレー-YMOが中心線かと言われると違うかもしれない例えば沢田研二や松田聖子が中心線にいる史観って、凄く興味深いです
結局、「勝者の歴史」なんですよね🥴
はっぴいえんどのおかげで、邦楽の本来の楽しみ方みたいなのがわかって、より邦楽を掘り下げたいと思えたのはほんとにうれしい
私も、同じです👏
今日は1日みのさんの動画を徘徊してます。歌謡中心史観、私もそう思います。はっぴいえんどの面々もそちらに擦り寄っていったわけですし。
内田裕也、大瀧詠一らが参加した座談会の記事は、宝島特別編集『永久保存版 1970年大百科 サイケから仮面ライダーまで』に掲載されています。
細野さんの音楽を最近沢山聞くようになったから嬉しいです。ありがとうございます!
こんな濃いチャンネルないぜたまんないよ
みのさん、歌謡曲を史観の中心軸に据えることに大いに同意! 私は1952年生まれ。出来立てのフジテレビのザ・ヒットパレードは第1回から欠かさず観ていましたし、家は八百屋でしたが店で毎日流しているラジオは父親の好みでFEN。したがって、欧米のポッポス主体で聴いていたことになりますが、近所の商店街(品川区)で流れているのは歌謡曲。盆踊りは東京音頭や炭坑節(このあたりは邦楽の伝統が入っている)。という事で、古来の邦楽からポップスまで、日常生活の上ではずっと繋がってきたと思います。例えば1961年のヒット曲「上を向いて歩こう」は「・・・あーるこおぉぉ」と、ロックのリズムに上手く日本語を乗せています。はっぴいえんどがやるまでもなく、「さきがけ」は沢山あったと思いますよ。
古来の日本音楽から今のJーPOPへ「リニアに行ける」という言葉をみのさんから聴けて感動した。切り捨てず自文化の中にごちゃ混ぜにして生きていたからこそ、”どんな音楽にも触れられる日本”がある気がする。
大瀧詠一氏はかなり奥深く日本の音楽史を探求してましたね。それこそ、明治~大正の演説歌やら、松井須磨子・藤原義江・二村定一など大衆歌謡のの源流から考察してました。みのさんの「歌謡曲史観」は言い得て妙だと思います。
大瀧詠一の日本ポップス伝めっちゃ勉強なる
歌謡はめちゃくちゃ納得できる。宇多田ヒカルも米津玄師もよくこれを理解していると思う。
小沢健二さんが「戦中であれば軍歌・戦時歌謡を製作したであろうミュージシャンが戦後も活動していただろうから、例えば『ウルトラセブン』のテーマあたりに軍歌のフィーリングを覚える」みたいな旨のことをエッセイに書いていました。(朝日新聞 '17年2月21日号)戦争や政令で公文書上(?)の断絶はあるけど、市井の人々の生活は連続しているわけで、そう考えると日本の生活に根差した歌謡文化もまた明治以前から連続的に存在するという仮説はつよく頷けます。
めっちゃ面白いお話でした♪歌謡軸アリだと思います
はっぴいえんど中心史観って、はっぴいえんどの作品自体の影響ってよりは、その周辺のアーティスト含めての影響が絶大すぎて唱えられてるものだと思ってた
全くその通りです。正しくは、はっぴいえんど人脈中心史観と言うべきです。はっぴいえんど人脈と言えば、山下達郎(大滝詠一がシュガーベイブのプロデビューを後押し)、ユーミン(ティンパンアレイが編曲・演奏)吉田美奈子(ティンパンアレイが編曲・演奏)、大貫妙子(シュガーベイブに参加)矢野顕子(ティンパンアレイが編曲・演奏)坂本龍一(元々、大滝詠一によるナイアガラレーベルのスタジオミュージシャン→YMO参加)高橋幸宏(高校生(細野は大学生)の時から細野と知人→YMO参加)佐野元春(ナイアガラトライアングルVol2)シーナ&ロケット(元々細野のファン→¥レーベル)松田聖子(松本隆のはっぴいえんど人脈で揃えた豪華作曲陣)これだけじゃないけど、これら全てのとてつもない影響力をもって、はっぴいえんど人脈中心史観
@@MrThe13825 もうソレで良いや🤩
@@MrThe13825 改めてみるとえげつないなマジで
フォーク、クルセイダースが大好きです。加藤和彦、北山修、端田のりひこ3人が解散後もいい曲沢山
素晴らしい史観のアイディアだと思います。 浅学菲才ではありますが、明治維新以降に色々なものが西洋風に置き換わっていく中で、国内では和洋折衷の概念が成立して洋風と和風の混在が認められて新たな様式が発展したり、また戦前のパリ万博ではオッペケペー節などある意味で泥臭い日本らしい部分をそのまま出展して国外にアピールしたこともあったり、急激に変化こそしましたが和がすべて捨てられたということは決してなく、グラデーションで地続きであるというのはおっしゃる通りだと思います。
日本ポップス・ロック史の正史はムッシュかまやつ史観が一番丸く収まるかとムッシュなら戦前ジャズ界~GS・歌謡界~フォーク~渋谷系まで網羅できるし
はっぴいえんどは当時岡林信康や高田渡といった、いわゆるフォーク(に分類されるシンガー・ソング・ライター)の人たちと接点があって、その影響もあると思う。フォークは外国では「民謡」の流れがあるにしても日本では輸入文化なわけで、訳詞や自作詞で模索していた。そんな60年代にロック(特にビートルズ革命)を体験したミュージシャンが日本語ロックに意識的に取り組んだのだと思う。その後岡林が演歌に傾いたり、エンヤトットを始めたり、遠藤賢司が「純音楽」を掲げたりするのは邦楽を考える上で興味深い。
ソロの作品も聴いてみると良いアルバム、良い曲本当に多いですよね。
大滝詠一のロングバケーションが大好きです。山下達郎のベスト竹内まりあのベストもよく聴いています。
鈴木茂さんのBAND WAGONは本当に捨て曲のない名盤だと思います
細野さんのトロピカル三部作とモナド観光4部作、ホソノハウスも良いよね
歌謡史観は考えてなかったなぁみのさん素晴らしい観点…やっぱ様々な芸術の視点を取り込んでる人は思考の深さもあるなぁと感動しています欧米、ブラックミュージックの変遷とかに準えて日本の音楽史を見ていくとまた面白そう。
歌謡曲中心史観はずっと思ってた!現在に至るまで日本のポップミュージックは歌謡曲の影響下(メロディや言葉の乗せ方)にあるのは明白だから
田植え唄とか炭坑節とか歌謡の中に労働歌要素もあったのがいつの間にか断ち切られてる感なんなんだろ
ARBの石橋凌なんかは精神的にはそういうのやろうとしてたんじゃないかな、と思いました。歌詞だけど。
個人的に日本の民謡は労働歌と祝い唄くらいしか残ってないのが弱いなあと思ってます。現代人に第一次産業の苦難や喜びを歌えと言ってもピンとこないだろうし与作が限界かなと。英国等の民謡=トラッドフォークは吟遊詩人系なんでバラエティに富んでるしロックまで地続きになってるのも納得です。日本も琵琶法師や瞽女の歌を残す努力をすべきだったと思わんでもないというか。
柳田国男の「民謡の今昔」でそれは詳しく語ってる
労働歌要素のある曲と言えば、山谷ブルース!五木ひろしも歌っている。
今年のクリスマスプレゼントにはっぴいえんどの風街ろまんのCD買いました。最高です
歌謡中心史観、同感です。20年くらい前から密かにそう思ってました。
日本のロックにおける風街ろまん神格化現象に、切り込んでくれるのかっこいいです
歌謡中心史観というのは言い得て妙ですね! はっぴいえんど(僕は大ファンです)が後になってから評価され始めたのは事実ですし、阿久悠さん筒美京平さん他、高度成長期からの歌謡ポップスを作った人々の力は偉大だったと思います。
本動画の本題からは逸れますが話題に挙がったフラワー・トラベリン・バンド、はっぴいえんどの陰にどうしても隠れがちだけど70年代初期の日本ではかなり異質と思われるドギツいハードロックやってます。聴いたことない人にはぜひ聴いて欲しい!
グループサウンズ中心史観でいいんじゃないかな。GSのバンドマンからは作曲家や演奏家が多く出たからその影響力は大きい。なによりGSはよく売れたから、それだけ露出の機会も多かった。もちろんGSには工業製品的な歌謡曲の側面もあったけど、レコード会社や作曲家が育成した歌手ではなく素人が舞台に立てるようになったのは大きい。また編曲・演奏の主導権が座付きオーケストラからバンドに移っていく第一歩になったと思う。はっぴいえんどはかなりフォーク寄りの西海岸風サウンドで、あれは日本では主流になれなかったスタイルだから同時代への影響力は少ない。
日本のロックの原点はスパイダース~かまやつひろしだろうと思います。ジャックスやはっぴいえんどはセールスではさっぱりだったしロックというには肉体性に欠ける。
はっぴいえんど大好きだけど、最初に聴いたのはジャズ喫茶だったから、純粋なロックというより実験音楽寄りのイメージ。
鈴木茂が以前言ってたけど「はっぴいえんど」はロックバンドといっても音楽工房みたいだったと。
この動画でみのの意見を聞いてたら日本人ルーツをバッサリ切り捨てすぎでは…?って思っちゃった米ならブルース、英ならカントリーってちゃんとルーツあって歴史を語られるほどしっかり残されてるのに日本だけルーツは歌謡曲、じゃあそれの誕生に関わった人は?いつからあるの?…ってハッキリしてないしあんまり語られていない気がするだからこそ、みののやろうとしてることはとても偉大だし重要なことだから是非頑張って欲しい
@ああ 叩かれてるんですか?確かにセイキンの人によっては怖く見えるかもしれないけど
カントリーはアメリカですよ。
@@George-zg1jm あらカントリーもアメリカでしたか!けどここでは分かりやすい例えってことでお願いします
@@neyouu 初めて耳にしました… 歌謡曲のルーツもどんどん調べてみます
個人的にすげぇ興味深いのはどんとやソウルフラワーやBOOMなんかが民謡を「再発見」していく流れなんだよなもちろんルーツを辿ろうとした結果じゃなくて、たぶん沖縄くらいにしか残ってなかったという必然なのかもしれないけど…
民謡は、研究してみると面白いんじゃないかなあ。日本独特のメロディーで、リードボーカルとはやしことばがあり、コーラスのようでもある。私はときどき、ビートルズが日本の民謡をやってくれる場面を想像する。ジョンがヴォーカルをやり、ポールとジョージがはやしことば(バッキングコーラス)をつける。想像するだけでも、なかなか楽しい。
いやー、面白かった。アーティストを軸に据えるのではなく媒体を軸に据えれば、幅広く1本の幹と放射状に広がる枝葉になるのかもしれないね。TV中心史観とかラジオ中心史観とか。
自覚的に日本語ロックを作ったことと、(後から評価して)日本語ロックであったといえることは区別されるべきだと思うけど、前者の代表格がはっぴいえんどであったのはある程度事実なんだろうなあと思うよねかつ、日本語ロックを自覚的に作るには、作詞作曲・編曲・演奏を同一グループが行う必要があったんだということだと思う
くるりとか浪漫革命とかyogee new wavesとか、はっぴいえんどの系譜だなあと思います大好きです
Never young beachもですね☺️ みんな最高です
岸田さんがTwitterで言ってたんですけど デビュー当時は、はっぴいえんどを全く聴いたこと無かったらしいです。巡り巡ってルーツになったのかもしれないですね
数年前のBRUTUSサンソン特集において、タツローさんは、日本は戦争に負けたときに一度文化が分断されてしまったが、戦争がなければつながっていたのではと思うと残念、というようなことを言ってたのを思い出しました。
確かに日本語ロック論争は宝島の記念号での復刻で呼んだ記憶がある。内田裕也や鈴木ヒロミツが「ロックのリズムに日本語は乗らない」と言い切っているのに対し、はっぴいえんど側が「俺達はそれに挑んでいる」と反論した感じだったと記憶しています。
今度はスティーヴィーレイヴォーン入門とかやってみて下さい!お願いします!
音楽の事を全く知識ないけど、古来の音楽を掘り下げるという考えは非常に面白いと思った
吉田拓郎が作詞作曲面で与えた影響はそれこそ計り知れないわけですが、この人、基本的にメディアからの紹介に恵まれてなくて、後追いだとそれがわかりづらくなっているように思えますね。井上陽水はじめとした横のつながり、さらには同時代から現代にいたるまでのファンやフォロワーの多さでいえば、一人ではっぴいえんどに匹敵する人物に思えます。
ま、リアルタイムでの影響力であれば日本では最恐かもしれませんね。
GSグループサウンズなつかしい❗タイガース、テンプターズ、スパイダーズ、ブルーコメッツのブルーシャトーは日本レコード大賞、ワイルドワンズ等沢山居ました。
はっぴいえんど、というより細野さんが中心として丁度いいのだと思います。というのも、大滝さん=音頭 ~ ニューオーリンズ坂本さん=アンビエント ~ クラシックという2人と共作し、両方の要素に惹かれ、それをアルバムで体現し、そのうえ今に至るまで半世紀、現役なのですから。
濃いなーこの話チューリップとかゴダイゴとか、70年代の売れていたアーティストを取り上げるのも面白いですね。
歌謡曲中心史観、目からうろこです。個人的に「日本のポップロック」のひとつの完成形はナイアガラトライアングルVol.2だと思っていていますが、確かにそれさえも「日本の音楽」を考えた場合ひとつの側面でしかないんだよな、といろいろ音楽を楽しんできた自分としては納得です。音楽ってジャンルを越えて様々にスゴイです。そこには好みがあるでしょうし大滝さんやこの動画でも名前が上がってる沢山の卓越した感性を持っている人達は目立ちますが日本の音楽の歴史、ジャンルを考えた場合「ここスゴイ」「この部分いいじゃん」ってのが沢山ある。狭義の歌謡曲は特に歌手の歌の表現力が圧倒的で音楽を「曲」と「声や演奏」と切り離して考えていいのかとも思わせます。歌詞だって古池やかわず飛び込む・・ですからねwこういう感性が日本の民謡やその他で使われてるかもしれません(詳しくないですw)いい音楽があふれていたのは80年代90年代だと思いますが多かったというだけで今だっていい曲は生まれてるし大滝さん達の功績は日本の音楽史上かけがいのないひとつの大きな業績と言ったほうがいいのかもしれませんね。
”歌謡中心史観”ってすごいしっくりきます。はっぴいえんどにしても、シュガーベイブにしても突然出てきたわけではなくて、日本のポップスである歌謡曲を聞いてきた人たちがやってたわけで。雑な言い方ですが、ブルースとカントリーがくっついたのがロックで、ブルースにクラシックの楽器や方法論を持ち込んだのがジャズだと個人的には思っていて、やっぱりブルースに当たるのが歌謡曲なんじゃないかなと。よくある話ですが、洋楽ばっかり聞いてた人間がJ-POPばっかり聞いてきた人間とバンドやると曲作りの際に、7thやブルーノートやテンションの使い方に原因があるんだろうけどしっくりこないことが多いし。歌謡の延長で考えると、ロック的な意匠を持ってるけど、明らかに異なものである最近のアニソンも説明がつくし。
本当の意味で日本のお茶の間までロックを認識させたのは宇崎竜童のダウタウンブギウギバンドじゃないかな⁈確か紅白にも出てた!「あんたあの子のなんなのさ?」って台詞当時小学生の間でも話してた!
@@まちもち-c5d さんいやいや、「カリキュラマシーン」は日テレで「ポンキッキ」はフジテレビの番組だし、ほぼ同時期に放送されていたから、その2つの番組は無関係ですよ。
はっぴいえんどが元祖みたいに言われるのは、これより以前のバンドは、海外のロックをカバーしてるときはカッコいいバンドなのに、日本語で作曲したらどうして歌謡曲や演歌みたいになるの?という例が結構多かったから、英語しかダメだという論調が、内田裕也さんを中心に形成されたところに、内田裕也さんがイチャモンつけたのが、たまたま、はっぴいえんどだったというところもあるかな。
とても共感します。わたしは、カントリーが好きなので、日劇ウエスタンカーニバルに出ていた方も気になります。大瀧さんが演歌や音頭にアンテナをはってるのも無視出来ないし、戦前の音楽も掘っていったらとてもバランスのとれた歴史感が持てそうですね!
日劇ウエスタンカーニバルとジャンルとしてのカントリーミュージックはあまり関係ないのでは?
@@capersville 日劇ウエスタンカーニバルはロカビリーのイメージかもですが、カントリーテイストのアーティストさんもいると思っています。ロカビリーの受け取りかたも変わっていくのではないのかな、と思います。
はっぴえんども過去の音楽を勉強して取り入れたりしていますね、ゆでめんと呼ばれるファーストのデディケーションには歌謡曲の人もいるし、広沢虎造のような浪曲師もいる。大滝さんはそのへんは得意で、「その3つと、あと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」の言葉は有名だと思います。それぐらい過去の楽曲を大滝さんも細野さんもリスペクトしてる。彼らがやったことはささやかな事だったけど、今普通の事が当時は珍しかったと思う。レコード会社はURC,ベルウッド、エレックはインディーズレーベルだったしセルフプロデュース、バージョン違いをたくさん作った「12月の雨の日」、レコーディングに長時間かける、ミキサーはフリーのエンジニア(吉野金次さん)、変名をつかう、自主レーベル、めしが食えないからCMソングに手を出す。
フォークをカウンターカルチャーからポップな物にした吉田拓郎はJPOPの元祖な気がします
そういえば、「フォークが売れたコト」を皆忘れているよな。
おれが音楽をより楽しめるようにしてくれたのはやっぱりはっぴいえんどの影響がつよいかな
細野大好きやわ
それでも俺ははっぴいえんどを聴くぞ単純に好き
評論家のスージー鈴木さんは、はっぴいえんど中心史観に対して日本語ロックの流れは萩原健一→矢沢永吉・ジョニー大倉(キャロル)→桑田佳祐(サザン)佐野元春→岡村靖幸の流れを提示してて新鮮だった。
キャロルですよねえ。桑田佳祐は矢沢の影響というかほとんどモノマネしてたよね。 サザンの1st大好き
@@fontono うろ覚えですがブルーハーツの甲本さんが昔NHKの番組で、清志郎さんと矢沢さんと桑田さんは今までにない日本語の乗っけかたをしたから、この三人に関してはROCKってインタビューで答えてました。インテリぶった音楽評論家の意見より名のあるアーティストの発言の方が自分には説得力あります。
国会図書館に置いてないのかな。
「史観」はそもそもが「運動」でありムーブメント。わかりやすいのは民藝運動。ブルースなんかも白人か発掘したからそれがあるんだよね。
ロックと歌謡をつなぐエピソードとしてその昔テレビ番組のリハーサルで田畑義雄のギターをルイズルイス加部が勝手にめちゃくちゃ歪まして弾いてたらガチギレされたって話好き
素晴らしいと思いました。私自身は、アフロアメリカンミュージックばかりなのですが、はっぴいえんどは大好きでそれしか聞かない日もありました、
Macの画面に Supergrass の I Should Cocoこのアルバム好きだったなぁ
ユーミンのデヴュー盤「ひこうき雲」は演奏がキャラメルママだ、ということで聴いてみたら凄かったので友達呼んで一緒に聴いた、という記憶がある。それにしてもフォロワーの量と質の高さを考えたらそういう評価は有力だと思いますね。
ティンパンアレー
日本古来の音楽は近代発明の「レコードの力」に、包括されなかったために本来の音楽の姿である「プロ専用」を保てた。BLUESもJAZZもレコードによって身近な存在となって急変化を遂げたが、雅楽類はそうならなかったし、そのお陰で民謡は良くも悪くも敷居も質も高水準を保っている。
いい意味でガラパゴス化?
うわー!歌謡中心史観はめっちゃ面白そう!ずっと自分が引っ掛かっていたトコなので是非やってほしいです!書籍にしてもらえても絶対購入します!
中心史観が合ってようが間違ってようが、はっぴいえんどが偉大なのは間違いない!
I love Happy End and I love your channel. I wish my japanese was better so I could understand everything. Thank youuuuuu
こういうのって滝廉太郎→山田耕作って流れで続いてると思います
一般人が誰も気にも留めない部分に切り込んでいく姿勢好き。みんながこれを機に興味もつと良いしね。
大瀧さんが指摘しているように、明治時代から外国の歌を日本語で歌っている。更にロカビリーも日本語で歌っていたし、アメリカンポップスも日本語。ビートルズに影響されたGSもそうだった。自作か他作は別にして、150年近く日本語で外国の歌を歌っている。はっぴいえんどが新しかったのは、譜割だと思う。それまでの日本語ベースの譜割ではなく、全く違ったものだった。特に大瀧さんは、日本語詞をローマ字に直して譜割をしていたから、独特のものになった。残念ながら、はっぴいえんどは売れなかった。その為、売れた吉田拓郎の字余り譜割の方がよく使われている。はっぴいえんどの凄さは、音楽に造詣の深いすご腕のミュージシャンが四人集まって、全曲を自ら作詞作曲し歌い、しかも高い音楽性で、誰も追いつけない領域だったことだと思う。はっぴいえんどは、後にも先にもはっぴいえんどなんだと思う。因みに、大瀧さんはあのロンバケを歌謡と言っているのです。
フォーク・クルセイダースからの流れってあんまり語られなくなっちゃったんだねロックの持ついかがわしさ満開だったのになぁ加藤和彦→サディスティック・ミカ・バンド北山修→自切俳人とヒューマンズはしだのりひこ→シューベルツ→クライマックス
ほんそれ!現役時代はレコードも売れず、知る人ぞ知るレベルの存在に留まっていたジャックスやはっぴいえんどとは対照的に、メジャーデビュー早々、日本のレコード産業史上初のミリオンセラー達成という快挙を成し遂げ、僅か1年間の活動でエンタメ界に大きな爪痕を残したのに、昨今の甚だしい過小評価は何とかしてもらいたいわガチで❗️
歌謡中心史観、もしかしてさらに掘り下げるなら万葉集とか白氏文集とか平家物語とかの古典文学をディグってみるのはどうでしょうか?歌謡に表れて現在も日本人が重視するのは歌/唄であり歌詞だと思うのですが、その歌詞やリズムの源流を遡っていくとそこにたどり着くやもしれません
史観論議からは外れますがグループ・サウンズのアウト・キャストは重要なバンドだと思います十代メンバーがちゃんと自分たちで作曲してますし洋楽模倣もあるものの日本語フィールドで戦う意思が強くそれがある程度成功してます。1967年という時代を考慮すれば凄い。
時代の流れの中ではっぴいえんどという偉大なバンドが出てきたと思っています。GS以前は洋楽の歌詞を漣健児さん等が日本語に訳して当時は歌われていました。そう意味で、はっぴいえんどは偉大と思います。明治から大正の時代には波多野オーケストラが活躍していました。私の大好きな作曲家に中山晋平がいます。その明治、大正、唱和、平成、令和という時代の流れの中で名前はいろいろ変わりましたが、一本の線でつながっているのだと、私自身は思っています。
活動中のはっぴいえんどが影響を与えられるほどの知名度があったのか?というのはこの史観を見かける度に思う疑問ですねYMOのブレイクなどがはっぴいえんどが広く知られるようになったきっかけでしょうから、はっぴいえんどが同世代に直ちに影響を与えているとは思えませんね
ただちにではないというだけで、再評価の始まった1990年代からのはっぴいえんどの風街ろまんのセールスは、累計100万枚以上ぐらい行くんじゃないかな。今の現役のバンドで、はっぴいえんどが好きとか言ってるのは山の様にいるしね。
@@MrThe13825 現役バンドの話ではなく、はっぴいえんどの直後に登場した日本語ロックを培った人達(70-80年代)は全く影響を受けていないだろうという話でしょう。90年以降のバンドは多かれ少なかれはっぴぃえんどを聞いてるでしょうが、70-80年代のはっぴぃえんどを聞いていない層も同様に聞いていて、その影響も混ざっているはずなので日本のロックの出発をはっぴいえんどのみにするとそこの説明がつかないということでしょう。はっぴいえんどからストレートに影響を受けたと言えるのはシティポップくらいですし。
そんなに行ってないです。村八分の「ライブ村八分」も再発を繰り返しても5万枚に満たないです。だいたいそこまで売れるタイプの音楽じゃないから。せいぜい10万枚がいいとこでしょう。リアルタイムだと1万枚ですよ。
コメ主と全く同じ事思ってた。
当時はミュージシャン村も小さかったから、はっぴいえんども当時のミュージシャンに聞かれてたと思いますよ。『へえ、こいつらこんな音楽作るんだ』と言う感じで、どれだけ影響を与えられたかはわかりませんがね。
歌謡中心史観熱くないか日本人がプログレが大好きなのは7と5でリズムが構成されてさらに字余り字足らずが許容されるという音楽観が根底にあるからなんじゃないかっていうね、思うわね
和歌.短歌.俳句からリズム面が受け継がれて趣向に接続していくと言う考え方ですね、素敵です。トラディショナルなこれらの大和文化的な歌は、西洋音楽的に再解釈すると極限まで一拍を引き伸ばした座って聞くダンスミュージックじゃないかと個人的には思っています。
内田さんと、細野さんの対談ってどんな感じだったんだろう。キャラが違い過ぎて、確かにとても興味がわく。「君が代」のアレンジも、プロイセン人のフランツ・エッケルトだし。将来みのくんの、日本音楽史みたいな本が出るのが楽しみ。
みのさんの影響で民謡のアルバムを聴いたりしてます。61年に発売された『TRADITIONAL FOLK SONGS OF JAPAN』という当時の民謡音源コレクターの方によるレア音源集があるのですが、これは面白いです。生々しい民謡のリズムが心地よくて。歌謡は音楽的に、民謡はビート要素として影響が残っているのではないかとより思うようになりました。
みのチャンの説に激しく同意🎵古関裕而さんとかもルーツに貢献していそう。
猫じゃ猫じゃは江戸時代の曲だけど楽しいし、いいなーって思うもんね・
歌謡中心史観興味深いです🤣音楽を"大衆向けの商業音楽"として捉えると歌謡曲から派生しているという説は有力ですね。取りこぼしがない様にするのは難しいですが、はっぴいえんど中心史観よりは広範囲だと思います。僕ははっぴいえんどのメンバーの活躍というストーリーが好きなので、はっぴいえんど中心史観を支持してます😋松田聖子最高〜〜
メロディ中心の日本人の感性は大昔から脈々と受け継がれてそう(小並感)
ニッポン戦後サブカルチャー史って番組で日本語ロック論争ちょっとだけ紹介してた原文の映像か読み上げのナレーションあったと思う
大瀧詠一が唱えていた古賀派と服部派の歌謡曲とポップスの両方の流れから続いており、個人的には二つが融合した最初の完成形はゴールデンカップスだと思っております。そこからサウンド面で細野晴臣と加藤和彦、リリック面で井上陽水、忌野清志郎、中島みゆき、松任谷由実などの影響を経て、80年代後半の近田春夫や見岳章などの作編曲作品からはJ-POPの匂いを感じます。
はっぴいえんど、ぼくのなつやすみでしったけど、まじ好き
絶対おすすめの音楽聴いても、ピンって来ない事多いよね
はぴいえんどには注目するのにバッファロー・スプリングフィールドやバーズに掘り下げる人が少ないのは嘆かわしいことです
まってました!
歌謡中心史観、支持します。個人的には歌謡中心史観を用いて演歌の成立を説明してほしいです。歌謡曲・流行歌の中から美空ひばりさん等が歌っていた曲のジャンルをポップス等と違うことを明確にしていく必要性が出てきて、「男と女」「酒」等をテーマとし、民謡・浪曲等の日本古来の歌謡とAOR的なモノが混ざって演歌が出来たのかなと思ってます。
当時はっぴいえんど聴いていた人はヒップ。
当時先端すぎて理解不能な人もたくさんいたでしょうね。
ソンナコトナイヨ。1958年生まれです。自分はストーンズやツェッペリン聴いてたけど、お兄さんのいる友人は普通にはっぴいえんど聴いてました。中学の給食の時間に放送部が流したりしてましたよ
@@asahinag5861 自分は76年生まれです。僕もストーンズ、ツェッペリン聴いてます。95年にはっぴいえんど聴き始めましたが当時小室系が流行っていて誰も良さに気付いてくれなかった事を思い出しました。当時も似た状況かもっと偏った情況下だったのかなあと思ったんですよね。
@@modfunky6830 当時の中学生には、難しい顔してJazz喫茶に出入りしてるお兄さんたちが最先端に見えてましたね。ちょっと近寄りがたいというか……。あとラジオでFEN聴いてる人たちも「すげー!」って思ってました(笑)いわゆる「欧米信仰」がありましたね
@@asahinag5861 今もJazzを難しい考えで聴く人いますよね。その心理がよく解らないんですよ。日本特有の文化なんでしょうかねぇ、、、
もっと深掘りした動画を見たいです❗
はっぴぃえんど は “お囃子ロック”な曲もあると思う。
キャロルから矢沢の日本語ロック中心史観もおねがいします!
歌謡中心史観いいですね。歌謡曲って言っても作詞作曲編曲陣はロックフォーク系の人も多いというか、松本隆は言わずもがな、都倉俊一はフォーク出身、平尾昌晃も元ロカビリー歌手だしね。その平尾氏はTVドラマ必殺シリーズ初期の劇伴もやってて、スパニッシュジャズロック的とてもいう感じのかっこいいインスト曲も結構書いてたり。そういや日本の場合、劇伴というかアニメ/ドラマ/映画音楽ではっちゃける傾向があるようで、キャプテンウルトラ(1967)の主題歌(冨田勲)ではストラヴィンスキーばりのポリリズムをイントロに混ぜ込んだりしてるし大江戸捜査網のテーマ(玉木宏樹)は変拍子バリバリだし井上大輔はマッハバロンの主題歌でハードロックやったりガンダム劇場版でクリムゾンパクったりwしてます。そっち方面も面白そうですがまぁ傍系としてね。
映画音楽と言えば伊福部昭も外せませんね、わんぱく王子の大蛇退治の曲なんかはストラヴィンスキーの春の祭典の日本的解釈のような趣もあります。
他の方も書いてるけど、日本のエルビスプレスリー的存在は、加山雄三氏でしょうねぇ。代表曲を作曲している点では、エルビス以上のところも。美輪明宏さんが「すでに私が居たから、日本人にとって(中性的な美貌の)デビッドボウイは新しくなかった」のようなことを言ったらしいけど、「加山雄三氏がすでに居たから、自作曲で大ヒットを飛ばすロックスターには、新鮮味が無かった」のかも
シンガーソングライターという言葉が日本に定着する遥か以前から、それを実践していたという点でも、加山さんは、それ以前のいわゆる歌う映画スターとは別格の存在ですよね。「ブラック・サンド・ビーチ」、「蒼い星くず」、「旅人よ」、「君のために」など、今聴いても名曲ばかりです。
名曲揃いですね。たぶんgsブームは、加山雄三&ランチャーズの成功を引き継いでのものだと思うんですよねランチャーズとの活動に集中していれば、「日本のビートルズ?ストーンズ?」になれたかも。でも加山雄三は加山雄三だった、という
歌謡中心主観、なんかわかる。
「唱歌誕生 - ふるさとを創った男」という本を読まれましたか。歌謡史観の参考になると思います。
みのさんがやろうとしているのはいわば日本音楽のルネッサンスみたいなものですねある日突然J-POPが誕生したなんてことはありえないそこに行き着くまでの経緯や土壌が不明なまま今日まで来てしまった感がありますねみのさんの挑戦はすごい新発見があると思います雑誌のバックナンバーに関しては神保町か国会図書館に行ってみてはどうでしょうか?当時は西洋列強と戦うために仕方なかったとは言え機会的に江戸以前の文化風俗をバッサリ切ってしまった後遺症が令和になっても糸を引いてるように痛切に思います
日本人て器用だから海外の文化を自分たちのものにするの上手ですよね。日本語ロックもなるべくしてなったものだと思います。
日本の戦後の歌謡曲は海外のポップスの日本語訳から始まり、GSもその影響下にある。その後GSの頃から活動してた職業作家たちがビルボードヒット系の曲を吸収して昭和歌謡が発展する。その横でキャロル時代のジョニー大倉がサビをカタカナ英語で歌ういわゆるチャンポン歌詞を用いてそれが広まり桑田佳祐が更にそれを発展させる表現で物議をもたらしたが、結局は今のJ-Popのプロトタイプになる。これが日本のポップスのメインストリームだと思う。はっぴいえんどの人たちは解散後四人の活動までを俯瞰したときに、いわゆるシティーポップスやアイドル歌謡に於いて多大な功績を残し、影響を与えたが松本隆以外は中心ではなかったと思う。はっぴいえんどの何が偉大かっていうとウエストコースト系のアメリカンロックの音に日本語で歌う事で日本の情景を描き出した事じゃないかなと思う。その辺に関してはくるりやサニーデイサービスも超えられ無かった。
Good to see Albert doing a great job on RUclips.
このチャンネルのコメ欄って当時聞いてた人のコメント読めたりするのほんと貴重だよね。
それ
若い人からしたら結構うれしい
日本のポピュラー音楽史、歌謡を中心に据える事に賛成です。はっぴいえんどにしても内田裕也にしても基本的にはサブカルチャー・カウンターカルチャーの立場にいる事が多かった(松本隆はメインの人になった?)と思うので、そこばかり見ていると、その当時一番聴かれていた音楽を把握できなかったりすると思います。やはり日本のポピュラー音楽の一番大きな幹は「歌謡曲」とそれに連なる音楽のように感じます。
はっぴいえんど中心史観って、音楽そのものより人脈図に依存してる気がしてるんですよね
みのさんが上げてたシュガーベイブを中心にしようとすると、達郎さんと大瀧さんの師弟関係的なところとか、大貫妙子-坂本龍一-細野さんの関係とか考えるとやっぱりはっぴいえんど、みたいな
どこかに中心点を置こうとするとはっぴいえんどにならざるを得ない
けれど、みのさんの提唱する歌謡史観って面白くて、点じゃなくて線になってる
線で考えると、例えば細野さんの線であるはっぴいえんど-ティン・パン・アレー-YMOが中心線かと言われると違うかもしれない
例えば沢田研二や松田聖子が中心線にいる史観って、凄く興味深いです
結局、「勝者の歴史」なんですよね🥴
はっぴいえんどのおかげで、邦楽の本来の楽しみ方みたいなのがわかって、より邦楽を掘り下げたいと思えたのはほんとにうれしい
私も、同じです👏
今日は1日みのさんの動画を徘徊してます。歌謡中心史観、私もそう思います。はっぴいえんどの面々もそちらに擦り寄っていったわけですし。
内田裕也、大瀧詠一らが参加した座談会の記事は、
宝島特別編集『永久保存版 1970年大百科 サイケから仮面ライダーまで』に掲載されています。
細野さんの音楽を最近沢山聞くようになったから嬉しいです。ありがとうございます!
こんな濃いチャンネルないぜ
たまんないよ
みのさん、歌謡曲を史観の中心軸に据えることに大いに同意! 私は1952年生まれ。出来立てのフジテレビのザ・ヒットパレードは第1回から欠かさず観ていましたし、家は八百屋でしたが店で毎日流しているラジオは父親の好みでFEN。したがって、欧米のポッポス主体で聴いていたことになりますが、近所の商店街(品川区)で流れているのは歌謡曲。盆踊りは東京音頭や炭坑節(このあたりは邦楽の伝統が入っている)。という事で、古来の邦楽からポップスまで、日常生活の上ではずっと繋がってきたと思います。例えば1961年のヒット曲「上を向いて歩こう」は「・・・あーるこおぉぉ」と、ロックのリズムに上手く日本語を乗せています。はっぴいえんどがやるまでもなく、「さきがけ」は沢山あったと思いますよ。
古来の日本音楽から今のJーPOPへ「リニアに行ける」という言葉をみのさんから聴けて感動した。切り捨てず自文化の中にごちゃ混ぜにして生きていたからこそ、”どんな音楽にも触れられる日本”がある気がする。
大瀧詠一氏はかなり奥深く日本の音楽史を探求してましたね。
それこそ、明治~大正の演説歌やら、松井須磨子・藤原義江・二村定一など大衆歌謡のの源流から考察してました。
みのさんの「歌謡曲史観」は言い得て妙だと思います。
大瀧詠一の日本ポップス伝めっちゃ勉強なる
歌謡はめちゃくちゃ納得できる。
宇多田ヒカルも米津玄師もよくこれを理解していると思う。
小沢健二さんが「戦中であれば軍歌・戦時歌謡を製作したであろうミュージシャンが戦後も活動していただろうから、例えば『ウルトラセブン』のテーマあたりに軍歌のフィーリングを覚える」みたいな旨のことをエッセイに書いていました。(朝日新聞 '17年2月21日号)
戦争や政令で公文書上(?)の断絶はあるけど、市井の人々の生活は連続しているわけで、そう考えると日本の生活に根差した歌謡文化もまた明治以前から連続的に存在するという仮説はつよく頷けます。
めっちゃ面白いお話でした♪
歌謡軸アリだと思います
はっぴいえんど中心史観って、はっぴいえんどの作品自体の影響ってよりは、その周辺のアーティスト含めての影響が絶大すぎて唱えられてるものだと思ってた
全くその通りです。正しくは、はっぴいえんど人脈中心史観と言うべきです。はっぴいえんど人脈と言えば、
山下達郎(大滝詠一がシュガーベイブのプロデビューを後押し)、ユーミン(ティンパンアレイが編曲・演奏)
吉田美奈子(ティンパンアレイが編曲・演奏)、大貫妙子(シュガーベイブに参加)
矢野顕子(ティンパンアレイが編曲・演奏)
坂本龍一(元々、大滝詠一によるナイアガラレーベルのスタジオミュージシャン→YMO参加)
高橋幸宏(高校生(細野は大学生)の時から細野と知人→YMO参加)
佐野元春(ナイアガラトライアングルVol2)
シーナ&ロケット(元々細野のファン→¥レーベル)
松田聖子(松本隆のはっぴいえんど人脈で揃えた豪華作曲陣)
これだけじゃないけど、これら全てのとてつもない影響力をもって、はっぴいえんど人脈中心史観
@@MrThe13825 もうソレで良いや🤩
@@MrThe13825 改めてみるとえげつないなマジで
フォーク、クルセイダースが大好きです。加藤和彦、北山修、端田のりひこ3人が解散後もいい曲沢山
素晴らしい史観のアイディアだと思います。 浅学菲才ではありますが、明治維新以降に色々なものが西洋風に置き換わっていく中で、国内では和洋折衷の概念が成立して洋風と和風の混在が認められて新たな様式が発展したり、また戦前のパリ万博ではオッペケペー節などある意味で泥臭い日本らしい部分をそのまま出展して国外にアピールしたこともあったり、急激に変化こそしましたが和がすべて捨てられたということは決してなく、グラデーションで地続きであるというのはおっしゃる通りだと思います。
日本ポップス・ロック史の正史はムッシュかまやつ史観が一番丸く収まるかと
ムッシュなら戦前ジャズ界~GS・歌謡界~フォーク~渋谷系まで網羅できるし
はっぴいえんどは当時岡林信康や高田渡といった、いわゆるフォーク(に分類されるシンガー・ソング・ライター)の人たちと接点があって、その影響もあると思う。フォークは外国では「民謡」の流れがあるにしても日本では輸入文化なわけで、訳詞や自作詞で模索していた。そんな60年代にロック(特にビートルズ革命)を体験したミュージシャンが日本語ロックに意識的に取り組んだのだと思う。
その後岡林が演歌に傾いたり、エンヤトットを始めたり、遠藤賢司が「純音楽」を掲げたりするのは邦楽を考える上で興味深い。
ソロの作品も聴いてみると良いアルバム、良い曲本当に多いですよね。
大滝詠一のロングバケーションが大好きです。山下達郎のベスト竹内まりあのベストもよく聴いています。
鈴木茂さんのBAND WAGONは本当に捨て曲のない名盤だと思います
細野さんのトロピカル三部作とモナド観光4部作、ホソノハウスも良いよね
歌謡史観は考えてなかったなぁ
みのさん素晴らしい観点…
やっぱ様々な芸術の視点を取り込んでる人は思考の深さもあるなぁと感動しています
欧米、ブラックミュージックの変遷とかに準えて日本の音楽史を見ていくとまた面白そう。
歌謡曲中心史観はずっと思ってた!
現在に至るまで日本のポップミュージックは歌謡曲の影響下(メロディや言葉の乗せ方)にあるのは明白だから
田植え唄とか炭坑節とか歌謡の中に労働歌要素もあったのがいつの間にか断ち切られてる感なんなんだろ
ARBの石橋凌なんかは精神的にはそういうのやろうとしてたんじゃないかな、と思いました。歌詞だけど。
個人的に日本の民謡は労働歌と祝い唄くらいしか残ってないのが弱いなあと思ってます。現代人に第一次産業の苦難や喜びを歌えと言ってもピンとこないだろうし与作が限界かなと。英国等の民謡=トラッドフォークは吟遊詩人系なんでバラエティに富んでるしロックまで地続きになってるのも納得です。日本も琵琶法師や瞽女の歌を残す努力をすべきだったと思わんでもないというか。
柳田国男の「民謡の今昔」でそれは詳しく語ってる
労働歌要素のある曲と言えば、山谷ブルース!五木ひろしも歌っている。
今年のクリスマスプレゼントにはっぴいえんどの風街ろまんのCD買いました。最高です
歌謡中心史観、同感です。
20年くらい前から密かにそう思ってました。
日本のロックにおける風街ろまん神格化現象に、切り込んでくれるのかっこいいです
歌謡中心史観というのは言い得て妙ですね! はっぴいえんど(僕は大ファンです)が後になってから評価され始めたのは事実ですし、阿久悠さん筒美京平さん他、高度成長期からの歌謡ポップスを作った人々の力は偉大だったと思います。
本動画の本題からは逸れますが話題に挙がったフラワー・トラベリン・バンド、はっぴいえんどの陰にどうしても隠れがちだけど70年代初期の日本ではかなり異質と思われるドギツいハードロックやってます。聴いたことない人にはぜひ聴いて欲しい!
グループサウンズ中心史観でいいんじゃないかな。GSのバンドマンからは作曲家や演奏家が多く出たからその影響力は大きい。なによりGSはよく売れたから、それだけ露出の機会も多かった。
もちろんGSには工業製品的な歌謡曲の側面もあったけど、レコード会社や作曲家が育成した歌手ではなく素人が舞台に立てるようになったのは大きい。また編曲・演奏の主導権が座付きオーケストラからバンドに移っていく第一歩になったと思う。はっぴいえんどはかなりフォーク寄りの西海岸風サウンドで、あれは日本では主流になれなかったスタイルだから同時代への影響力は少ない。
日本のロックの原点はスパイダース~かまやつひろしだろうと思います。ジャックスやはっぴいえんどはセールスではさっぱりだったしロックというには肉体性に欠ける。
はっぴいえんど大好きだけど、最初に聴いたのはジャズ喫茶だったから、純粋なロックというより実験音楽寄りのイメージ。
鈴木茂が以前言ってたけど「はっぴいえんど」はロックバンドといっても音楽工房みたいだったと。
この動画でみのの意見を聞いてたら日本人ルーツをバッサリ切り捨てすぎでは…?って思っちゃった
米ならブルース、英ならカントリーってちゃんとルーツあって歴史を語られるほどしっかり残されてるのに日本だけルーツは歌謡曲、じゃあそれの誕生に関わった人は?いつからあるの?…ってハッキリしてないしあんまり語られていない気がする
だからこそ、みののやろうとしてることはとても偉大だし重要なことだから是非頑張って欲しい
@ああ
叩かれてるんですか?
確かにセイキンの人によっては怖く見えるかもしれないけど
カントリーはアメリカですよ。
@@George-zg1jm
あらカントリーもアメリカでしたか!
けどここでは分かりやすい例えってことでお願いします
@@neyouu
初めて耳にしました… 歌謡曲のルーツもどんどん調べてみます
個人的にすげぇ興味深いのはどんとやソウルフラワーやBOOMなんかが民謡を「再発見」していく流れなんだよな
もちろんルーツを辿ろうとした結果じゃなくて、たぶん沖縄くらいにしか残ってなかったという必然なのかもしれないけど…
民謡は、研究してみると面白いんじゃないかなあ。日本独特のメロディーで、リードボーカルとはやしことばがあり、コーラスのようでもある。私はときどき、ビートルズが日本の民謡をやってくれる場面を想像する。ジョンがヴォーカルをやり、ポールとジョージがはやしことば(バッキングコーラス)をつける。想像するだけでも、なかなか楽しい。
いやー、面白かった。アーティストを軸に据えるのではなく媒体を軸に据えれば、幅広く1本の幹と放射状に広がる枝葉になるのかもしれないね。TV中心史観とかラジオ中心史観とか。
自覚的に日本語ロックを作ったことと、(後から評価して)日本語ロックであったといえることは区別されるべきだと思うけど、前者の代表格がはっぴいえんどであったのはある程度事実なんだろうなあと思うよね
かつ、日本語ロックを自覚的に作るには、作詞作曲・編曲・演奏を同一グループが行う必要があったんだということだと思う
くるりとか浪漫革命とかyogee new wavesとか、はっぴいえんどの系譜だなあと思います大好きです
Never young beachもですね☺️ みんな最高です
岸田さんがTwitterで言ってたんですけど デビュー当時は、はっぴいえんどを全く聴いたこと無かったらしいです。巡り巡ってルーツになったのかもしれないですね
数年前のBRUTUSサンソン特集において、タツローさんは、日本は戦争に負けたときに一度文化が分断されてしまったが、戦争がなければつながっていたのではと思うと残念、というようなことを言ってたのを思い出しました。
確かに日本語ロック論争は宝島の記念号での復刻で呼んだ記憶がある。内田裕也や鈴木ヒロミツが「ロックのリズムに日本語は乗らない」と言い切っているのに対し、はっぴいえんど側が「俺達はそれに挑んでいる」と反論した感じだったと記憶しています。
今度はスティーヴィーレイヴォーン入門とかやってみて下さい!お願いします!
音楽の事を全く知識ないけど、古来の音楽を掘り下げるという考えは非常に面白いと思った
吉田拓郎が作詞作曲面で与えた影響はそれこそ計り知れないわけですが、この人、基本的にメディアからの紹介に恵まれてなくて、後追いだとそれがわかりづらくなっているように思えますね。
井上陽水はじめとした横のつながり、さらには同時代から現代にいたるまでのファンやフォロワーの多さでいえば、一人ではっぴいえんどに匹敵する人物に思えます。
ま、リアルタイムでの影響力であれば日本では最恐かもしれませんね。
GSグループサウンズなつかしい❗タイガース、テンプターズ、スパイダーズ、ブルーコメッツのブルーシャトーは日本レコード大賞、ワイルドワンズ等沢山居ました。
はっぴいえんど、というより細野さんが中心として丁度いいのだと思います。というのも、
大滝さん=音頭 ~ ニューオーリンズ
坂本さん=アンビエント ~ クラシック
という2人と共作し、両方の要素に惹かれ、それをアルバムで体現し、そのうえ今に至るまで半世紀、現役なのですから。
濃いなーこの話
チューリップとかゴダイゴとか、70年代の売れていたアーティストを取り上げるのも面白いですね。
歌謡曲中心史観、目からうろこです。
個人的に「日本のポップロック」のひとつの完成形はナイアガラトライアングルVol.2だと思っていていますが、確かにそれさえも「日本の音楽」を考えた場合ひとつの側面でしかないんだよな、といろいろ音楽を楽しんできた自分としては納得です。
音楽ってジャンルを越えて様々にスゴイです。そこには好みがあるでしょうし大滝さんやこの動画でも名前が上がってる沢山の卓越した感性を持っている人達は目立ちますが日本の音楽の歴史、ジャンルを考えた場合「ここスゴイ」「この部分いいじゃん」ってのが沢山ある。狭義の歌謡曲は特に歌手の歌の表現力が圧倒的で音楽を「曲」と「声や演奏」と切り離して考えていいのかとも思わせます。歌詞だって古池やかわず飛び込む・・ですからねwこういう感性が日本の民謡やその他で使われてるかもしれません(詳しくないですw)
いい音楽があふれていたのは80年代90年代だと思いますが多かったというだけで今だっていい曲は生まれてるし大滝さん達の功績は日本の音楽史上かけがいのないひとつの大きな業績と言ったほうがいいのかもしれませんね。
”歌謡中心史観”ってすごいしっくりきます。はっぴいえんどにしても、シュガーベイブにしても突然出てきたわけではなくて、日本のポップスである歌謡曲を聞いてきた人たちがやってたわけで。雑な言い方ですが、ブルースとカントリーがくっついたのがロックで、ブルースにクラシックの楽器や方法論を持ち込んだのがジャズだと個人的には思っていて、やっぱりブルースに当たるのが歌謡曲なんじゃないかなと。よくある話ですが、洋楽ばっかり聞いてた人間がJ-POPばっかり聞いてきた人間とバンドやると曲作りの際に、7thやブルーノートやテンションの使い方に原因があるんだろうけどしっくりこないことが多いし。歌謡の延長で考えると、ロック的な意匠を持ってるけど、明らかに異なものである最近のアニソンも説明がつくし。
本当の意味で日本のお茶の間までロックを認識させたのは宇崎竜童のダウタウンブギウギバンドじゃないかな⁈確か紅白にも出てた!「あんたあの子のなんなのさ?」って台詞当時小学生の間でも話してた!
@@まちもち-c5d さん
いやいや、「カリキュラマシーン」は日テレで「ポンキッキ」はフジテレビの番組だし、ほぼ同時期に放送されていたから、その2つの番組は無関係ですよ。
はっぴいえんどが元祖みたいに言われるのは、これより以前のバンドは、海外のロックをカバーしてるときはカッコいいバンドなのに、日本語で作曲したらどうして歌謡曲や演歌みたいになるの?という例が結構多かったから、英語しかダメだという論調が、内田裕也さんを中心に形成されたところに、内田裕也さんがイチャモンつけたのが、たまたま、はっぴいえんどだったというところもあるかな。
とても共感します。わたしは、カントリーが好きなので、日劇ウエスタンカーニバルに出ていた方も気になります。大瀧さんが演歌や音頭にアンテナをはってるのも無視出来ないし、戦前の音楽も掘っていったらとてもバランスのとれた歴史感が持てそうですね!
日劇ウエスタンカーニバルとジャンルとしてのカントリーミュージックはあまり関係ないのでは?
@@capersville 日劇ウエスタンカーニバルはロカビリーのイメージかもですが、カントリーテイストのアーティストさんもいると思っています。ロカビリーの受け取りかたも変わっていくのではないのかな、と思います。
はっぴえんども過去の音楽を勉強して取り入れたりしていますね、
ゆでめんと呼ばれるファーストのデディケーションには歌謡曲の人もいるし、広沢虎造のような浪曲師もいる。
大滝さんはそのへんは得意で、
「その3つと、あと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」の言葉は有名だと思います。
それぐらい過去の楽曲を大滝さんも細野さんもリスペクトしてる。
彼らがやったことはささやかな事だったけど、
今普通の事が当時は珍しかったと思う。
レコード会社はURC,ベルウッド、エレックはインディーズレーベルだったし
セルフプロデュース、
バージョン違いをたくさん作った「12月の雨の日」、
レコーディングに長時間かける、
ミキサーはフリーのエンジニア(吉野金次さん)、
変名をつかう、
自主レーベル、
めしが食えないからCMソングに手を出す。
フォークをカウンターカルチャーからポップな物にした吉田拓郎はJPOPの元祖な気がします
そういえば、「フォークが売れたコト」を皆忘れているよな。
おれが音楽をより楽しめるようにしてくれたのはやっぱりはっぴいえんどの影響がつよいかな
細野大好きやわ
それでも俺ははっぴいえんどを聴くぞ
単純に好き
評論家のスージー鈴木さんは、はっぴいえんど中心史観に対して日本語ロックの流れは萩原健一→矢沢永吉・ジョニー大倉(キャロル)→桑田佳祐(サザン)佐野元春→岡村靖幸の流れを提示してて新鮮だった。
キャロルですよねえ。桑田佳祐は矢沢の影響というかほとんどモノマネしてたよね。 サザンの1st大好き
@@fontono うろ覚えですがブルーハーツの甲本さんが昔NHKの番組で、清志郎さんと矢沢さんと桑田さんは今までにない日本語の乗っけかたをしたから、この三人に関してはROCKってインタビューで答えてました。
インテリぶった音楽評論家の意見より名のあるアーティストの発言の方が自分には説得力あります。
国会図書館に置いてないのかな。
「史観」はそもそもが「運動」でありムーブメント。わかりやすいのは民藝運動。ブルースなんかも白人か発掘したからそれがあるんだよね。
ロックと歌謡をつなぐエピソードとしてその昔テレビ番組のリハーサルで田畑義雄のギターをルイズルイス加部が勝手にめちゃくちゃ歪まして弾いてたらガチギレされたって話好き
素晴らしいと思いました。私自身は、アフロアメリカンミュージックばかりなのですが、はっぴいえんどは大好きでそれしか聞かない日もありました、
Macの画面に Supergrass の I Should Coco
このアルバム好きだったなぁ
ユーミンのデヴュー盤「ひこうき雲」は演奏がキャラメルママだ、ということで聴いてみたら凄かったので友達呼んで一緒に聴いた、という記憶がある。それにしてもフォロワーの量と質の高さを考えたらそういう評価は有力だと思いますね。
ティンパンアレー
日本古来の音楽は近代発明の「レコードの力」に、包括されなかったために本来の音楽の姿である「プロ専用」を保てた。BLUESもJAZZもレコードによって身近な存在となって急変化を遂げたが、雅楽類はそうならなかったし、そのお陰で民謡は良くも悪くも敷居も質も高水準を保っている。
いい意味でガラパゴス化?
うわー!歌謡中心史観はめっちゃ面白そう!ずっと自分が引っ掛かっていたトコなので是非やってほしいです!書籍にしてもらえても絶対購入します!
中心史観が合ってようが間違ってようが、はっぴいえんどが偉大なのは間違いない!
I love Happy End and I love your channel. I wish my japanese was better so I could understand everything. Thank youuuuuu
こういうのって滝廉太郎→山田耕作って流れで続いてると思います
一般人が誰も気にも留めない部分に切り込んでいく姿勢好き。みんながこれを機に興味もつと良いしね。
大瀧さんが指摘しているように、明治時代から外国の歌を日本語で歌っている。更にロカビリーも日本語で歌っていたし、アメリカンポップスも日本語。ビートルズに影響されたGSもそうだった。自作か他作は別にして、150年近く日本語で外国の歌を歌っている。
はっぴいえんどが新しかったのは、譜割だと思う。それまでの日本語ベースの譜割ではなく、全く違ったものだった。特に大瀧さんは、日本語詞をローマ字に直して譜割をしていたから、独特のものになった。
残念ながら、はっぴいえんどは売れなかった。その為、売れた吉田拓郎の字余り譜割の方がよく使われている。
はっぴいえんどの凄さは、音楽に造詣の深いすご腕のミュージシャンが四人集まって、全曲を自ら作詞作曲し歌い、しかも高い音楽性で、誰も追いつけない領域だったことだと思う。
はっぴいえんどは、後にも先にもはっぴいえんどなんだと思う。
因みに、大瀧さんはあのロンバケを歌謡と言っているのです。
フォーク・クルセイダースからの流れってあんまり語られなくなっちゃったんだね
ロックの持ついかがわしさ満開だったのになぁ
加藤和彦→サディスティック・ミカ・バンド
北山修→自切俳人とヒューマンズ
はしだのりひこ→シューベルツ→クライマックス
ほんそれ!現役時代はレコードも売れず、知る人ぞ知るレベルの存在に留まっていたジャックスやはっぴいえんどとは対照的に、メジャーデビュー早々、日本のレコード産業史上初のミリオンセラー達成という快挙を成し遂げ、僅か1年間の活動でエンタメ界に大きな爪痕を残したのに、昨今の甚だしい過小評価は何とかしてもらいたいわガチで❗️
歌謡中心史観、もしかしてさらに掘り下げるなら万葉集とか白氏文集とか平家物語とかの古典文学をディグってみるのはどうでしょうか?
歌謡に表れて現在も日本人が重視するのは歌/唄であり歌詞だと思うのですが、その歌詞やリズムの源流を遡っていくとそこにたどり着くやもしれません
史観論議からは外れますがグループ・サウンズのアウト・キャストは重要なバンドだと思います
十代メンバーがちゃんと自分たちで作曲してますし洋楽模倣もあるものの日本語フィールドで戦う意思が強くそれがある程度成功してます。
1967年という時代を考慮すれば凄い。
時代の流れの中ではっぴいえんどという偉大なバンドが出てきたと思っています。GS以前は洋楽の歌詞を漣健児さん等が日本語に訳して当時は歌われていました。そう意味で、はっぴいえんどは偉大と思います。明治から大正の時代には波多野オーケストラが活躍していました。私の大好きな作曲家に中山晋平がいます。その明治、大正、唱和、平成、令和という時代の流れの中で名前はいろいろ変わりましたが、一本の線でつながっているのだと、私自身は思っています。
活動中のはっぴいえんどが影響を与えられるほどの知名度があったのか?というのはこの史観を見かける度に思う疑問ですね
YMOのブレイクなどがはっぴいえんどが広く知られるようになったきっかけでしょうから、はっぴいえんどが同世代に直ちに影響を与えているとは思えませんね
ただちにではないというだけで、再評価の始まった1990年代からのはっぴいえんどの風街ろまんのセールスは、累計100万枚以上ぐらい行くんじゃないかな。今の現役のバンドで、はっぴいえんどが好きとか言ってるのは山の様にいるしね。
@@MrThe13825 現役バンドの話ではなく、はっぴいえんどの直後に登場した日本語ロックを培った人達(70-80年代)は全く影響を受けていないだろうという話でしょう。90年以降のバンドは多かれ少なかれはっぴぃえんどを聞いてるでしょうが、70-80年代のはっぴぃえんどを聞いていない層も同様に聞いていて、その影響も混ざっているはずなので日本のロックの出発をはっぴいえんどのみにするとそこの説明がつかないということでしょう。はっぴいえんどからストレートに影響を受けたと言えるのはシティポップくらいですし。
そんなに行ってないです。村八分の「ライブ村八分」も再発を繰り返しても5万枚に満たないです。だいたいそこまで売れるタイプの音楽じゃないから。せいぜい10万枚がいいとこでしょう。リアルタイムだと1万枚ですよ。
コメ主と全く同じ事思ってた。
当時はミュージシャン村も小さかったから、はっぴいえんども当時のミュージシャンに聞かれてたと思いますよ。
『へえ、こいつらこんな音楽作るんだ』と言う感じで、どれだけ影響を与えられたかはわかりませんがね。
歌謡中心史観熱くないか
日本人がプログレが大好きなのは7と5でリズムが構成されてさらに字余り字足らずが許容されるという音楽観が根底にあるからなんじゃないかっていうね、思うわね
和歌.短歌.俳句からリズム面が受け継がれて趣向に接続していくと言う考え方ですね、素敵です。
トラディショナルなこれらの大和文化的な歌は、西洋音楽的に再解釈すると極限まで一拍を引き伸ばした座って聞くダンスミュージックじゃないかと個人的には思っています。
内田さんと、細野さんの対談ってどんな感じだったんだろう。
キャラが違い過ぎて、確かにとても興味がわく。
「君が代」のアレンジも、プロイセン人のフランツ・エッケルトだし。
将来みのくんの、日本音楽史みたいな本が出るのが楽しみ。
みのさんの影響で民謡のアルバムを聴いたりしてます。
61年に発売された『TRADITIONAL FOLK SONGS OF JAPAN』という当時の民謡音源コレクターの方によるレア音源集があるのですが、これは面白いです。生々しい民謡のリズムが心地よくて。
歌謡は音楽的に、民謡はビート要素として影響が残っているのではないかとより思うようになりました。
みのチャンの説に激しく同意🎵
古関裕而さんとかもルーツに貢献していそう。
猫じゃ猫じゃは江戸時代の曲だけど楽しいし、いいなーって思うもんね・
歌謡中心史観興味深いです🤣
音楽を"大衆向けの商業音楽"として捉えると歌謡曲から派生しているという説は有力ですね。
取りこぼしがない様にするのは難しいですが、はっぴいえんど中心史観よりは広範囲だと思います。
僕ははっぴいえんどのメンバーの活躍というストーリーが好きなので、はっぴいえんど中心史観を支持してます😋
松田聖子最高〜〜
メロディ中心の日本人の感性は大昔から脈々と受け継がれてそう(小並感)
ニッポン戦後サブカルチャー史って番組で日本語ロック論争ちょっとだけ紹介してた
原文の映像か読み上げのナレーションあったと思う
大瀧詠一が唱えていた古賀派と服部派の歌謡曲とポップスの両方の流れから続いており、個人的には二つが融合した最初の完成形はゴールデンカップスだと思っております。
そこからサウンド面で細野晴臣と加藤和彦、リリック面で井上陽水、忌野清志郎、中島みゆき、松任谷由実などの影響を経て、80年代後半の近田春夫や見岳章などの作編曲作品からはJ-POPの匂いを感じます。
はっぴいえんど、ぼくのなつやすみでしったけど、まじ好き
絶対おすすめの音楽聴いても、ピンって来ない事多いよね
はぴいえんどには注目するのにバッファロー・スプリングフィールドやバーズに掘り下げる人が少ないのは嘆かわしいことです
まってました!
歌謡中心史観、支持します。個人的には歌謡中心史観を用いて演歌の成立を説明してほしいです。歌謡曲・流行歌の中から美空ひばりさん等が歌っていた曲のジャンルをポップス等と違うことを明確にしていく必要性が出てきて、「男と女」「酒」等をテーマとし、民謡・浪曲等の日本古来の歌謡とAOR的なモノが混ざって演歌が出来たのかなと思ってます。
当時はっぴいえんど聴いていた人はヒップ。
当時先端すぎて理解不能な人もたくさんいたでしょうね。
ソンナコトナイヨ。1958年生まれです。自分はストーンズやツェッペリン聴いてたけど、お兄さんのいる友人は普通にはっぴいえんど聴いてました。中学の給食の時間に放送部が流したりしてましたよ
@@asahinag5861 自分は76年生まれです。僕もストーンズ、ツェッペリン聴いてます。95年にはっぴいえんど聴き始めましたが当時小室系が流行っていて誰も良さに気付いてくれなかった事を思い出しました。当時も似た状況かもっと偏った情況下だったのかなあと思ったんですよね。
@@modfunky6830 当時の中学生には、難しい顔してJazz喫茶に出入りしてるお兄さんたちが最先端に見えてましたね。ちょっと近寄りがたいというか……。あとラジオでFEN聴いてる人たちも「すげー!」って思ってました(笑)いわゆる「欧米信仰」がありましたね
@@asahinag5861 今もJazzを難しい考えで聴く人いますよね。その心理がよく解らないんですよ。日本特有の文化なんでしょうかねぇ、、、
もっと深掘りした動画を見たいです❗
はっぴぃえんど は “お囃子ロック”な曲もあると思う。
キャロルから矢沢の日本語ロック
中心史観もおねがいします!
歌謡中心史観いいですね。歌謡曲って言っても作詞作曲編曲陣はロックフォーク系の人も多いというか、松本隆は言わずもがな、都倉俊一はフォーク出身、平尾昌晃も元ロカビリー歌手だしね。その平尾氏はTVドラマ必殺シリーズ初期の劇伴もやってて、スパニッシュジャズロック的とてもいう感じのかっこいいインスト曲も結構書いてたり。そういや日本の場合、劇伴というかアニメ/ドラマ/映画音楽ではっちゃける傾向があるようで、キャプテンウルトラ(1967)の主題歌(冨田勲)ではストラヴィンスキーばりのポリリズムをイントロに混ぜ込んだりしてるし大江戸捜査網のテーマ(玉木宏樹)は変拍子バリバリだし井上大輔はマッハバロンの主題歌でハードロックやったりガンダム劇場版でクリムゾンパクったりwしてます。そっち方面も面白そうですがまぁ傍系としてね。
映画音楽と言えば伊福部昭も外せませんね、わんぱく王子の大蛇退治の曲なんかはストラヴィンスキーの春の祭典の日本的解釈のような趣もあります。
他の方も書いてるけど、日本のエルビスプレスリー的存在は、加山雄三氏でしょうねぇ。代表曲を作曲している点では、エルビス以上のところも。
美輪明宏さんが「すでに私が居たから、日本人にとって(中性的な美貌の)デビッドボウイは新しくなかった」のようなことを言ったらしいけど、「加山雄三氏がすでに居たから、自作曲で大ヒットを飛ばすロックスターには、新鮮味が無かった」のかも
シンガーソングライターという言葉が日本に定着する遥か以前から、それを実践していたという点でも、加山さんは、それ以前のいわゆる歌う映画スターとは別格の存在ですよね。
「ブラック・サンド・ビーチ」、「蒼い星くず」、「旅人よ」、「君のために」など、今聴いても名曲ばかりです。
名曲揃いですね。
たぶんgsブームは、加山雄三&ランチャーズの成功を引き継いでのものだと思うんですよね
ランチャーズとの活動に集中していれば、「日本のビートルズ?ストーンズ?」になれたかも。でも加山雄三は加山雄三だった、という
歌謡中心主観、なんかわかる。
「唱歌誕生 - ふるさとを創った男」という本を読まれましたか。歌謡史観の参考になると思います。
みのさんがやろうとしているのはいわば日本音楽のルネッサンスみたいなものですね
ある日突然J-POPが誕生したなんてことはありえない
そこに行き着くまでの経緯や土壌が不明なまま
今日まで来てしまった感がありますね
みのさんの挑戦はすごい新発見があると思います
雑誌のバックナンバーに関しては神保町か国会図書館に行ってみてはどうでしょうか?
当時は西洋列強と戦うために仕方なかったとは言え
機会的に江戸以前の文化風俗をバッサリ切ってしまった後遺症が令和になっても糸を引いてるように痛切に思います
日本人て器用だから海外の文化を自分たちのものにするの上手ですよね。
日本語ロックもなるべくしてなったものだと思います。
日本の戦後の歌謡曲は海外のポップスの日本語訳から始まり、GSもその影響下にある。
その後GSの頃から活動してた職業作家たちがビルボードヒット系の曲を吸収して昭和歌謡が発展する。
その横でキャロル時代のジョニー大倉がサビをカタカナ英語で歌ういわゆるチャンポン歌詞を用いてそれが広まり桑田佳祐が更にそれを発展させる表現で物議をもたらしたが、結局は今のJ-Popのプロトタイプになる。
これが日本のポップスのメインストリームだと思う。
はっぴいえんどの人たちは解散後四人の活動までを俯瞰したときに、いわゆるシティーポップスやアイドル歌謡に於いて多大な功績を残し、影響を与えたが松本隆以外は中心ではなかったと思う。
はっぴいえんどの何が偉大かっていうとウエストコースト系のアメリカンロックの音に日本語で歌う事で日本の情景を描き出した事じゃないかなと思う。
その辺に関してはくるりやサニーデイサービスも超えられ無かった。
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