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クラシックの世界に限らず、どの分野でも売れるかどうかが重要で、本当の良し悪しは二の次にされてしまう。人々はメディアでもてはやされるものを素晴らしいと信じ込んで、その価値を自分で判断しようとはしない。日頃嘆かわしいと感じていることです。早く結果を求める、というのは、おっしゃる通り時代がそうなのですね。若い才能、外見の美しさが良しとされる時代です。そんなですから尚更、本物の分かる耳を持てるように一人一人が勉強するしかありません。いつも核心をついたお話、有難うございます🙇😊🦉🌌
こちらこそありがとうございます😊😊
浅く広く曲が良ければどんなジャンルも聞いていくタイプの者です。このチャンネルは、実際にご指導や活躍、活動されている方の話でもあるので評論家より興味深い内容ばかりです。これまでのクラシックに関する疑問が解決されるかのお話で嬉しくなりますね。ありがとうございます。
「今の音楽の世界は、何が良いのか、判断が難しくなっている」、、。考えさせられます。情報や音源が飛躍的に多いだけに、何が良いのか、軸が定まらない…。私は音楽家ではないですが、音楽はなくては生きていけません。初めてクラシック音楽を聴き始めた高校生の時は、CDを買えるのは月に一枚で、それこそ真剣勝負でした。その時聴き込んだクナッパーツブッシュとか、ラジオで聴いた一期一会のチェリビダッケとかが、魂に刻み込まれている感じです。少し余裕ができた今、彼らの音をもう一度徹底的に聴き込んでみようと、今日のお話を聴いて思いました。
違った切り口からの音楽の今昔のトピックものすごく興味深いです!
😊😊😊
とてもとても考えさせられるお話でした。クラシック界のみならず広く様々な分野で共通する問題だとも思いました。歌舞伎でも昔はかなりの年齢の名人がお姫様や若衆を演じてらして子どもの頃などは一瞬ぎょっとする事もあったりするんですが 見ているとほんとにお姫様に見えてきて芸の力だなぁとか思いましたが今はまず初見のビジュアルが昔より重視されてるようにも思います。ある大工さんは今は一人で家一軒建てられる職人が減った。一人前なる前に皆独立するとも言われてました。昔を懐かしんでばかりでは進歩はないんでしょうが芸術分野でも未来が明るいといいなぁと思います。
大工の話は通じる部分があるかもしれません😊
ま~なんてったらイイか !「素晴らしい音楽評論」でしたね。あちこちと配慮が行き届いていて感激致しました。若い頃聞いてた「世は歌につれ歌は世につれ」って言い方想い出してましたが「車田さん」のおっしゃる「良いものってなんなのかを知ってほしい・・・」結びの言葉でホッとしました。愛と思いやりに充ちたトークを有り難う御座いました(90歳です)
今回の動画のように、車田さんの解説は結論から入るというスタイルが日本人の私にはとても分かりやすく参考になります。有名な人有名だと全てが正しいと思ってしまう。自分のことのように響きました。いいものと悪いものがわかるようになります。教育の大切さ。これがもしかしたらもう一つの動画チャンネル「歌の翼に」を立ち上げられた理由にもなるのではないかな?などと勝手な想像をしてしまいました。色々な意味でこれからの自分の生き方のヒントとなる気づきがあました。ありがとうございます。感謝です。😂
いいお話をありがとうございました。こんなお話を音楽大学の経営陣と教授は議論されてるのかなとふと思いました。技術は自分で考えて磨くものだと、ただ違うと言って黙り込んでしまったり、へたくそ!とだけ言ってレッスン終わり!なんてザラ!とよく聞きました。車田さんのようなかたが日本の音楽界には大変必要だと思います。
この件は、去年の暮に楽器職人とそんな話をしたところでした。私的には実にタイムリーなテーマ。今は天才はゴロゴロいますが、巨匠はいません。巨匠がいなくなったことを嘆くより、巨匠がゴロゴロ存在した時代があって、録音や映像が残ってることに感謝ですね。
とてもよいお話をありがとうございます。もう何十年か前の話でわたくしが日本にいたころホロビッツのコンサートに行った事があります。ホロビッツの若い頃の演奏でシュウマンのクライスレリアーナのレコードを持っていてその演奏の巧みさにとても惹かれていて年老いたホロビッツが来たときはとても嬉しくよい席を選んで聴きに行きましたよ。でもその頃のホロビッツの演奏は若い時のよい時期に演奏されていた音色とは違ったものに感じてしまいましたが、このビデオの中で車田さんがおっしゃっていたとおりの盲信して大大ファンという位置付けは変わりませんでした。落とした音も構わない、存在そのもので価値があるという事なんでしょうね。幸い日本には巨匠と言われる指揮者や演奏家は多く来日されていましたので今は亡くなってしまっている、それらのすごい方々の演奏は鑑賞することができた事をいい思い出として大切にしています。今はサンフランシスコにいますので若い演奏家の方々の演奏を楽しんでいます。あ、そういえば何年かまえにヨーヨーマを聴きに行きました。クラッシック音楽は素晴らしいですね。貴方のお話を聞いていると日本での懐かしい事を色々と思い出します。これからも楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊😊
たまには、こんなお話もいいですね。いろいろ考えさせられました。日本の若いピアニストさんたちも、いずれ巨匠と呼ばれる人が現れますように!私は、それを見ることができないのは残念ですが…^ ^
最近のクラシック音楽について、モヤモヤを感じていたことの原因がよくわかりました。そして私たち聴衆にも出来ることがあると知って、嬉しかったです。
素晴らしい話でした‼️考え方の正しい方法を学んで行かなければならないですね‼️
音楽に限らず、政治、文学、あらゆることに言えるのでは。
的確なお話だなぁと感じながら最後まで見入ってしまいました。日本でクラシック音楽のステージ等の撮影で生計しているものです。現場に入る機会は一般の音楽ファンより多いと思います。ビジネスのために周りが作り上げるスター化に懸念しています。国際コンクールで上位入賞したソリスト。ルックス優先はまったくその通りだと思います。もちろん決して下手ではありませんが引っ張りだこの共演とRUclipsなどの表現活動に忙殺されてしまっているのでしょうか?えっ?ピッチカートそれでいいの?高音域きちっと伸ばして!っていうように感じることが近年はとても増えてきました。それでもファンは大喝采を送ります。ご本人はそれで納得していらっしゃるのか、あるいはご自分の演奏に不満で研鑽に向かうのかは人次第だと思いますが、おっしゃるように聴衆の方々が盲目的にならずにしっかりなにがしかのメッセージを送る(もちろん悪口を言えとうことではありません)ことがその音楽家の成長のために必要なことなんだと思います。これからもいろいろなお話、楽しみにしています。
😊😊
なるほど!巨匠・学習者・聴衆・音楽ビジネス界、それぞれに巨匠が減った理由があるのですね!日常生活より高みにある「芸術」を残していくためにも、巨匠をつくっていくための努力が必要ですね!
興味深い話をありがとうございます。私は少し車田さんと異なる意見です。ピアノに関して言うと、昔の巨匠より今の若いピアニストのほうが、技術的に劣っているとは思いません。昔に較べて幼少の時からピアノに時間を集中できる環境が、格段に良くなっているからです。昔のショパンコンクールでルービンシュタインはポリーニのことを、審査員の誰よりも技術的に優れていると褒めました。ポリーニのショパン練習曲集は一世を風靡しましたが、今聞くとテクニックでバリバリ弾いているだけと感じます。昨年のショパンコンクールでは、各参加者が練習曲をポリーニ並みのテクニックで、かつ音楽性豊かに演奏していました。音色も人により様々で豊かな個性を感じました。ポリーニは大家扱いされていますが、私は疑問です。ショパンのソナタ3番は聞いても感動しません。全体のレベルが底上げされたので、大家が目立たないのかもしれません。その中で大家の予感がするのはアヴデーエワだと思います。演奏家の価値は、大家であるかではなく、聴衆をどれだけ感動させるかにあると思います。サンソン・フランソワは技術的には欠点もありますが、音楽性は素晴らしいものがあり、聞くたびに感動します。私が最も好きなピアニストの一人です。大家の条件は、技術だけでなく音色・音楽性・陶酔性・カリスマ性・人間的魅力などを総合したところにあると思います。以上、あくまで私の独自の意見です。
いや全く同じ見解です。ピアノを弾くと言う技術は昔と比べ物にならないぐらい今は洗練されている。ハッキリ言ってポリーニは腕は硬く今のピアニストには到底及ばず表現もクレシェンドスビトピアノばかりで単調ですよね。音も硬く伸びない。苦しさを感じる。現在技術はレベルアップしたのにハートの燃焼はイマイチ感じないのは何故か?何の為の技術かが問われると思います。教えすぎて良くない可能性も有るのではないか?教える事の究極は教えない事と思います。ヒントだけ出して考えさせて悩ませる事が大事と思います。オリジナリティ、自身の表現に対する勇気は教え過ぎると育たないと思います
私の習った大変優雅な演奏をされるペルルミュテールの弟子だった先生がポリーニがショパン国際ピアノコンクールで世界を騒がせていて私も子供だったのでポリーニを良く聴いていた時に私に言われた言葉に驚いた記憶があります。「硬いし表現がワンパターンだよ」でした。ポリーニ神様の時代に凄い事言う人と思っていました。確かにソコロフの若い時のショパンのエチュードと前奏曲なんかを聴いた時物が違うと子供心に感じました。それから20年後ベートーヴェンプログラムを聴きましたが、音が伸びないし響きがないのでガッカリした記憶があります。(途中で帰りました)なかなか痺れる様な演奏はないですね
技術は若い時は良くても年齢と共に硬さも、故障も出てくる。そこで大事になるのはやはり響き音色もだが歌い回しや間合いが大事になると思います。
「今の演奏家の方が技術レベルが高い」ことは賛同します。ピアノだけでなくオーケストラもそうで、カラヤンのレコードがなぜあれほど売れたかと言うと、カラヤン指揮のベルリンフィルが当時ずば抜けて巧かったからですよ。今のベルリンフィルも巧いですが、周りのオケが全て向上したので今はそれほど抜きん出てません。ポリーニについては賛同いたしかねます。彼のピアノはあくまで地中海的な明朗さとイタリアの歌心なので、彼のショパンにスラブ的な憂鬱は薄いですし、ベートーヴェンにはドイツ的な内面性はありません。明確に好き嫌いの分かれるピアノだと思いますが、だからと言って技術だけの二流の演奏家のように批評するのも適当ではありません。芸術は、「趣味の合わないもの」については語るべきではないと思います。カレー自体が嫌いな人がカレーについて語っても、意味をなさないからです。
僕も、幸福の情景さんに賛成です。数十年前にポリーニの演奏を生で聴きましたが、ガッカリしました。演奏にファンタジーがないんですよ、ファンタジーが。語弊があったらお許しください。
所謂、巨匠という言い方が余り好きではありません。勿論バーンスタイン、カラヤン、リヒテル、グールドは好きな演奏家ですが、録音に残したものの中には、特に晩年に近い頃の録音には首を傾げたくなる様な演奏も少なくありません。マスコミやレコード会社が付けた、巨匠とか帝王とかになる前の純粋に音楽をしていた若い頃の演奏の録音に好感がもてます。彼らにも良い物もあれば、好ましくないものもある普通の人間であると自分は思っています。
巨匠でも良い時もあれば悪い時ありますね。
演奏家も歳をとれば故障がでたりすることが多いある程度の歳が来て故障などで思った様にならない場合は引退するべきと思う。ただアルゲリッチやミルシティンなんかは歳を重ねて以前より素晴らしい演奏家と思う
@@fukutomemasayuki7164 特に故障までいかなくても、指揮者の場合は鋭敏な運動神経と聴力、オケをコントロールする能力が不可欠でその上に芸術が成り立つ訳で、歩行も困難な指揮者にオケをコントロールする事は出来ないと思います。日本人はそういう老巨匠が大好きで長年のキャリアに対して拍手を送っているにしても、肝心の演奏の方は危なっかしい演奏になっている様に思います。ただ、それをだからいけないとも思いません。感動している人に対してそれは違うとは言えません。それは僭越というものです。バーンスタインの回で彼のマーラー復活を批判されている方がいました。後年の録音を聴いたのでしょう。本当にもったいないと思いました。彼の壮年期の録音を聴いて欲しいと思いました。
そうなのよね。素晴らしい演奏家も本当に油が乗っている時期はそれほど長くないのよね。よく枯れた良さとか言うけど枯れる前の方が良いに決まっているわね。
私も最近のクラシック界に巨匠が減った。技術的(機械的)には凄いけれど、魂を震わせてくれる若い演奏家が出てきてくれない、と疑問に思っていたところなので、先生のご説明で凄く納得いたしました。バイオリニストのアイザック・スターンの伝記を読みましたが、演奏活動もフルにされていましたが、後進の指導にも凄く熱心でした。バイオリンは、弾くものではなく、音楽を伝えるもの、作曲家の魂に触れたときに最高の喜びを感じる、という彼の言葉にいたく共感したのを覚えております。私は、そんな音楽を伝えてくださる演奏家を待ちのぞんております。聞く立場で応援することしかできませんが、これからもクラシック音楽を愛してゆきます。でも、ショパンコンクールの覇者チェソンジンさんやブルースリウさん、辻井伸行さんは巨匠になってくださるのでは、と思います。
スポーツの世界では名選手が必ずしも名指導者ではないことがよく言われます。日本ではようやくコーチ学の重要さに気づきました。音楽の世界はまだまだと思います。技術の指導は時間がかかりますね。それを本気で教える先生が少なくなったのは事実です。自分の仕事のほうが忙しいのですから。車田さんのこの説は非常に共感できます。
どうもありがとうございます😊😊
音楽を教えるというのは、とても難しい事だと思うのです。スポーツにしても職人が技術を教えるにしても、教える側の指導の仕方と教わる側の受け止め方は各々なので何の分野でも難しいとは思います。でも、音楽は技術を教える、というだけではありませんから、寧ろ、技術ではない部分が大きくて、それこそが重要なので、しかも言葉で言えない事も多いので、はっきり申し上げて教えたくても教えられないのです。受け止める側が、はっ、と分かることは勿論ありますが、色々言われて頭で分かっても本当に分かった、と言えない事も多いと思います。音楽を教えるのも学ぶのも、上質を求めれば求める程難しい事だと思います。
今は「演奏」の部分だけ切り出して評価される時代ですから、巨匠といった大人物にはなりにくいのかなと思います。あと、生活が楽だとなかなか大きくはならないかもしれないですね。昔は良くも悪くも一人ひとりにのしかかるプレッシャーが大きくて、それを跳ね返す力のある人がたまたま生き残って巨匠と呼ばれていた、という感じではないでしょうか。
ある巨匠と呼ばれるピアニストは言っていました。「今の新しい演奏家についてどう思いますか?」「私は解らない、でも いい演奏家より、問題なのは コンポーザー・クライスト 作曲家の危機じゃないのかね。」この言葉が私には、いつまでも心に残っています。😂
最近のオケの演奏技術力は一昔と比較すると遥かに高い。良く聞く言葉ですが、それなのにどうして一昔の様にコンサートで感動する事が無くなったのでしょうか?高い技術力での演奏=感動!でない所が悩ましいですね。私は再生装置には拘っていますが、所謂オーディオマニアではありません。私が求めているのは良い音を出す機械ではなく、良い音楽を聴かせてくれる装置だからです。演奏家にも通ずる所があるのではと考えています。
外国のオケはみんなソリストの様に弾き一人一人が楽しんでいる様に思える。そのかわり荒くバランスも崩れている事も有るが心に響く演奏も多い日本のオケはバランスや和を大事にして一人一人が目立たない事が美徳の様に見える。だけどスケールが細いね
日本のクラッシックの歴史において、巨匠としては、朝比奈隆さんを挙げなければならないと思いますが、彼も、大変苦労しておられたみたいです。彼の後を継いで日本のクラッシック界を引っ張っていく人が今後現れることを期待します。
カザルスのバッハはやっぱり凄い。荒々しい弾きかた、揺れ動くテンポ、引き込まれて聴いてしまった🎶過去の演奏の賛美は懐古趣味ではありません😊
「巨匠」の定義って何でしょう。この動画を見て一番に感じました。調べてみると後世に残るほど各分野で際立って優れた実績を持つ人。とあります。書店で現在の巨匠と呼べるピアニストを特集したある音楽雑誌を見ましたがえーこの人が?と思う人が挙っていました。リヒテルは最後の巨匠と呼ばれるようですね。納得しますが思うに「巨匠」というのは、ビートルズが凄かったことがその当時分からなかったようにもっと先にならないとわからないんじゃないでしょうか。そういう意味では今の若いピアニストや活躍している人の中から先々「巨匠」と呼ばれる人が出てきてもおかしくないと思います。下の方同様それが見られないのがちょっと残念ではあります。
なるほど...いろいろあるんですね。その問題についてこちらは「メディアやジャンルの拡大で才能が分散している現象」と捉えてました。たとえば文豪時代たる夏目漱石あたりの時代は小説というジャンルで才能が開花していました。が、こうした文豪となるべきだった才能が今やマンガ、アニメ、映画という方面に向かっている結果だと考えてました。どうなんでしょう?音楽文化については特にクラシックとポピュラー音楽との軋轢に不満を感じます。
どの分野でも、ファンが減っているという背景にはジャンルの拡大があると思います😊
ここ35年くらい聴いてないからわからないんだけども、、。ピアニストだと当時若手だったアシュケナージ、ジメルマン、ポリーニあたりは巨匠かな??指揮者だとメータ、バレンボイム、ムーティあたりは巨匠ですか?コンクール、メディアで推しな演奏家って、辻井さんも入るのでしょうか。自分は彼のピアノのピアノと一体化したような美しい音色が好きで、涙が溢れてくるし、大好きです。
録音技術と巨匠の関係を考えてみたいですね。録音が一般的ではない時代には、生の演奏を聴いて聴衆が評判を立てたのではないでしょうか?でも、現代の人々は、評判を耳にしても、生演奏を聴きに行かず、録音されたモノを聴いて満足するのでは?そして、録音された演奏どうしならば、巨匠級もかけだし級も差が少なくなりがちではないでしょうか? 作曲部門では、現代においてたとえベートーベンの交響曲級の新曲を作曲した人がいたとして、それを録音して売り出そうと言うレコード会社は、果たして、あるのでしょうか?感覚的には、ない気がします。もっと手っ取り早く「もうけにつながる」短い新曲を、売り出すのではないでしょうか?商業主義、資本主義との関係も、考えてみたいです。
お金が優先的になると文化は廃れる、という例だと思います。科学の世界でもそうだということです。常に結果を求められるので研究の質が低下するのだそうです。
レベルが高いとは何をもって言うのか?まずピアニストのテクだけ取れば今はレベルは上がったでしょう。ただ人を感動させる魂を持った凄みとカリスマ性を持った芸術家は確実に減ったと思います。1つはコンクール自体が学校の試験の延長のようになっていると思います。同じ様なマニュアルで弾き同じような演奏が多くなる。
自分がピアノが好きになったきっかけは子供の頃ギレリスとソコロフを聴いた時でした。まず音が違う!とにかく凄いと思ったのにソコロフなんかは技術の化け物で音楽性が無い様な評論をみた時何を信じれば良いのか?と思っていました。その当時オペラにもハマりモナコ、コレッリ、クラウス、ドミンゴ等等聴きましたがそれぞれ持ち味がありました。美術の方ですが岡本太郎氏がいつも芸術は爆発だ!と叫んでいましたが、今その部分が欠けている様に思えます
@@fukutomemasayuki7164 巨匠の音には深みがありますね。そしてその深みはそのまま音楽の深みとなっているように思います。
演奏科学の貢献もあり、技術的な面は昔よりも発展しているように思いますが、ポゴレリッチの様な個性派が少なくなってきたように思います。現代のピアニストはコンクール向きというか、正統派が目立ちますね。皆、あくまで再現者であり、『自分はこうなんだ』というのを表現する根っからの芸術家タイプが少ない気がします。
まさにそうだよね。マニュアルを超えた所が大事奇想天外な発想を期待出来ない。「自分は何が何でもこの様に弾く」みたいなものが足らないね。ただ優等生でない場合はパフォーマンス過多はいるけど
私もそのとうりだと思います、かつての演奏家は聞けば誰の演奏かすぐわかりました、たぶん今なら先生に怒られるだろうという人も。真似をするなとか言われる人もたくさんいます、ただ平均値は各段にうまくなっていると思います、まず音大の数が半端なく増えています、音楽専用のホールも地方の隅々にまで建てられて、ママさんコーラスとベルリンフィルが同じホールで演奏なんてことも珍しくなくなりました、演奏会の数も半端なく増えました、しかし観客はそれほど増えていない、不思議なことに同業者が聞きにいかない、なぜだと思います?
確かに平均値は上手くなっている。観客が増えないのは感動しないから。と言うか昔なら夜になったらテレビもないしする事ないから寝るか奥さんと仲良しするぐらいだったから社交も兼ねて楽器の弾ける家やホールに足を運んだが、今は色々娯楽があり、しかもRUclipsなんかでベローナのオペラ迄観る事が出来る。勿論生ではないが、わざわざ金を払って時間をかけて観に行く必要が無い。そう言う意味では昔より遥かに魅力の有る演奏でなければ、誰も足を運ばないわね。
個人的な意見ですが今はもう巨匠を必要としない時代なのかなあと思います。昔よりも演奏のレベルが上がりレコードやCDの普及で皆がいつでも音楽を聴けるようになった。音楽そのもののありがたみが下がったのかなあと思います。繰り返しますがあくまで個人的な意見です。
それあると思います。クラシックだけでなくてポピュラー音楽においても聴取がカリスマでなくアイドルを求めるようになったって考察を読んだことがあります。
私も、それあると思います。昔は、音楽のコンサートを聴くのに、一週間も旅行して、遠路はるばる出かけたが、今は家で寝転がって、音楽がいつでも聴ける。ありがたみは薄れますね。しかし一方、ピアノを弾いてみたい人は増えて、アマチュアピアニストは、ゴロゴロいる。何でも、いつでも手に入るようになると、貴重さが認識されなくなるのは、音楽に限った話ではないと思います。
むしろCDやレコードが無かった時代は遠い国の巨匠を知ることなんて困難ですし、さらに言えば高いコンサート代を払える裕福な人間を除けばクラシックを知ることは難しいので、クラシック趣味の人口は今よりかなり少数だったはずです。その当時は鑑識眼を持った少数の裕福なパトロンがクラシックを支えていたはず。
また、レコードやCDはいわば生演奏の広告塔ですので、それらを聴いて本物を聴きたいという人は少なからず出るはずです。クラシックに限らず熱心な音楽ファンは生演奏を聴きたがるものですし、そういう熱心な音楽ファンを数多く獲得するためには、CDやレコードといった録音が生演奏の広告塔として、普通ならクラシックを聴かない大衆層まで幅広く流通することが重要になるはずです。恐らくCDや録音の発明はむしろクラシック演奏会に行く人口を増やしたのではないかと思います。
巨匠とか、大演奏家とか、売れっ子の音楽家とか、、、わたしは、本当に自分の心を打ち、魂を揺さぶり、琴線に触れる演奏が好きです。聴く側からすれば、それは、その時聴いた曲と、演奏家の渾身の演奏そのもの、自分の今の心の状態と置かれた状況など、数々の化学的融合によって、一期一会の感動が得られるような演奏です。演奏する立場の方々は、やはり一流の音楽家になる勉強は大変だし、生活の糧も必要だから、ビジネスマインドに振り回されるのは、仕方がないですが、他人のフィルターを通してではなく、「良い演奏とは何か?」自分で聴いて判断することが大切かなぁと個人的には思います。いつも、色々考えるヒントを与えてくださる車田先生に感謝申し上げます。
巨匠も「技術」の伝承が大事なんですね。個々の精神性だけではないのですね。素人の音楽鑑賞で楽しむだけのお爺さんですが、その事を心して音楽を聴いていきたいと思います。
やはり録音技術の普及の影響は大きいと思います。普及途上であれば、例えばリヒテルの初見能力は伝説的です。あの世代までの演奏家は、レコードよりもまずは、様々なスコアに目を通してから楽曲に取り組むのが当たり前で、例えばリヒテルは初演したプロコフィエフの7番のソナタでは、僅か4日で全曲を習得したそうです。ところが同曲をアメリカで初演したホロヴィッツは1日(徹夜)で全曲の暗譜を済ませたと言います。ホロヴィッツは最晩年まで、ユニークなプログラムを組み、取り上げた曲が度々他の演奏家たちのトレンドになりました。それはやはり、青年時代に養われた広範な学習能力と、潜在的なレパートリーの奥行きに負っていると思われます。他方、レコードが普及してから音楽界全般に、ミスの少ない、正しい演奏が求められ、結果的に個性の乏しい、面白味のない名手や秀才か、音以外の付加価値のパーソナリティが目立ちます。革新的演奏が時々注目されても、音楽的資質が抜きん出たところがなければ、限られた人たちからの評価に留まる。そうして私らのような年寄りは、面白いことは皆グールドやアーノンクールあたりがやり尽くした…などと懐かしむのです。更には、ワルターやシューリヒトの時代のウィーンフィルの録音を聴いて、ベームやカラヤンは何か、大事なものを失ってしまったように思えて仕方ない…などと恨み言を言い出す。歳を取ったせいでしょうか。
音楽業界内において、センシティブな論点を取り上げられたことに敬意を表します。巨匠が少なくなっていることは残念なことです。私は、演奏家サイドよりも作曲家サイドの小粒化がより本質的な問題かと思います。(若干ホローヴィッツの意見の受け売りですが。)巨匠カール・ベームに親交を通じて大きな影響を与えたRシュトラウス。同時代に生きて、何でも語り合えたことはベームにとって珠玉の時間だったでしょう。現代のトップクラスの名演奏家をしても巨匠というには足りない気がします。ポリーニ、アルゲリッチ、バレンボイム。リヒテルの域にはかすってもいませんね。ポリーニに生き方は大変尊敬します。ショパンコンクールの後、すぐデビューせずに何年も練習を重ね、満を持してデビュー。あくなき高みへの挑戦でしたが、あそこまでストイックな生き方は現代の優等生っぽい若手ピアニストには無理な世界でしょう。現代は巨匠と呼べる演奏家を生み出しにくい環境なのでしょうね。すいません、素人考えですが。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り昔の演奏家はベームのように作曲家と非常に近い存在でしたね!
このテーマ、非常に興味深くて嬉しいです。実は、クラッシック音楽の名曲といわれるものはクラッシックと言われるだけあって、古い年代の音楽に限るのか、もしくはクラッシック音楽というジャンルだから現代でも作曲家はいるのだろうか?いるなら、現代の作曲家が作った名曲とは何があるのだろうか?と数年前から疑問でした。 なんとなく、自分の疑問が少しほぐれました。ありがとうございます!
いつも、楽しいお話をありがとうございます😊難しいみ
指揮者の場合、やはり歌劇場での下積みの経験がないのが大きいのでは?20世紀の大指揮者と言われる巨匠はほとんど歌劇場での下積みの経験があります。現代は人気が出そうだからとすぐにスターダムに。実力が追いついていかないのかも。
確かにカラヤンが歌劇場出身かどうかは知らないがオペラを振る時は気合いが違うと思う
コメントありがとうございます😊😊
演奏技術の伝承という側面からの解説でしたが、もうひとつ大きな点について触れられなかったと思います。それは伝説や神話には欠かせない要素『神秘』あるいは『幻想』という要素。現代では情報が氾濫し、プライベートや個人の人間性、そして過去の言動といったものが簡単に暴かれてしまいます。巨匠と呼ばれるためには神秘性も重要な要素だと思います。今ほど情報が出回らない時代においては『あの素晴らしい演奏をする人は普段どんな生活をしているのだろうか?』と想像したり、わずかに聞こえてくる情報のみを頼りに推理するしかない という状況であればあるほどカリスマ性が発揮しやすくなると思います。今はその点において音楽に限らずあらゆる分野で巨匠が現れにくい状況なんだと思います。
でも昔からクラシック演奏家は美人、ハンサムでしたよ。車田さんもハンサムです。ステージに上がるので美しい方がよろしい。
失礼しました。難しい問題であり、何がいいのか判断も様々な問題ですよね?演奏技術は遥かに昔より高くなってるのに、個性が低くなってるからじゃないかなぁ?なんて思います。クラッシックよりロックの世界で考えた方がピンと来る人も多いかも!昔のメジャーなロックギタリスト演奏って、音とか弾き方だけで誰の演奏かすぐにわかったけど、今はみんなうま過ぎて誰が誰やらわからないです。そんな強烈な個性が少なくなって来てるのど、偏屈な変人みたいな人が減ってきてるってのも、ありますね。メディアのせいも大きいし、聴く方も悪いとこいっぱいあると思います。ベームやチェリビダッケ、ムラビンスキーみたいな人は今時だとすぐに批判されたりするんじゃないかなぁ?そう言う変人の登場はまだこれからもあると信じてます。
パワハラとか言って性格的に批判される事はあるかも・・
何が正解とは一概に言えない、答えの出ない問題だと思います。大阪在住者の個人的な体験から言えば、朝比奈時代終盤から大阪フィルの定期に通うようになり、朝比奈氏の実演もいくつか体験することができました。確かにそれらは素晴らしかったですが、個人的には大植体制以降の飛躍的なオケの演奏能力の向上の方が目覚ましく、今の大阪フィルの方が好きです。ちなみに全く話題が変わりますが個人的なお遊びでフルトヴェングラー等のモノラル録音を疑似ステレオにしていた時にわかったのですが、あの独特の生々しさの一因として当時の録音システムも大いに関係しているように思います。音の強弱に合わせて自動で録音レヴェルが上下するため、弱奏時になると録音レヴェルが上がり、細部が生々しく聴こえるということです。その辺りを補正した音源を作成してみたところ、むしろ演奏の良さが更に引き立つ結果になりました。
何かそういう危惧をお感じの方も多いと察する一方、一音楽愛好者として大演奏家は増えていると思います。巨匠と呼ぶかはメディアと我々聴衆の思いでしょう。我々が聴ける演奏家は多くなり、それだけ玉石混交で技術レベルも解釈のレベルも様々と思いますが、かつての巨匠を超えたレベルの人も多くなって、かつての人と今の人の両方を鑑賞出来ることは良い状況という気がしています。
今 現在 私は チェロを弾きますが 高校、大学は音楽専門のところに行ったのですがやはり チェロで言えば パブロ・カザルス、エマヌエル・フォイアマンなど巨匠の演奏は今でも 色あせないと考えてますが、今は癖のない端正(淡泊?)な演奏家(チェリスト)を音大時代の仲間たちは好んでましたね。
良い面悪い面ありますが、ソ連が独自の価値観に基づいて芸術に力を入れた影響も大きいと思っています。(非共産圏の名演奏家もいますが、やはり突出しているのはソ連だと思います。)また、グレングールドやホロヴィッツレベルの巨匠は、あの時代であっても奇跡みたいなもので、昔の環境を同じように繰り返しても生まれてこないかもしれません。
ちなみに、個人的にランランは自分的には巨匠クラスだと思って聞いてます。(好き嫌いあるでしょうけど)
クラシック音楽界の現場でプロとして活躍されている方の貴重なチャンネルをありがたく拝視聴しております。本テーマについてですが、以前拙考したことがあります。単純に考えるとクラシック音楽を熱心に聴く一般大衆が減った、需要が少なくなった結果ではないかと思います。プロサッカー界では100年以上前から名選手、名監督(名将)と称される人が連綿と輩出されていますし、昔ほどの栄華はないにしても映画界でも名優、名監督(巨匠とされる人も)が続々と現れています。これらは巨大なマーケットが存在し続けているからです。仰る通り、クラシック演奏家を志す人にとって障壁や雑音、誘惑、或いは逃げ道といったものが昔より格段に増えただろう事は想像できます。本題とは少し逸れますが、現代においてクラシック音楽の“聴衆”という概念は存在するのでしょうか?日常的に演奏会に行く人?私はほぼクラシック音楽ばかり聴いていますが自身は“聴衆”とは違うように感じます。こういう所にコメントした時点で“聴衆”になれるのかな?いずれにしても、技術的な問題ではないと思います。
今生きている音楽家で,巨匠を知る人にたくさん教えてほしい。その一人がズービン・メータさん。彼は巨匠時代を肌で感じた一人だ。ブロムシュテットさん,でも高齢すぎるかな。ロシアのフェドセーエフさんは92歳でもバリバリだ。次世代はムーティさんと秋山さん。ずっと活躍して教え続けてほしい人だ。いわゆる最期の巨匠時代の人々だ。
こんにちは、オーケストラの場合労働組合ができたりして指揮者が色を出しにくくなったのも一つの流れだと考えています。実際初めて組合ができたオケはフリッツライナーのいたとこみたいです。怖い指揮者や経営者に対抗するためなんでしょうが聴衆としては複雑な気分ですね。
たいへん面白いお話と思いました。たとえば、「夏目漱石」と同じレベルの小説を書ける人は、今ならいくらでもいるし、もっとすごい小説が書ける人もいます。でも、当時は、「夏目漱石」しかいなかった。というのと、同じことではないでしょうか?夏目漱石が、今の時代に現れても、ただの凡小説家で終わるでしょうし、カラヤンやホロヴィッツが、今の時代に出てきていたら、ただの凡演奏家かもしれませんね。
昔の演奏家が好きです。テクニック的に上手い人は沢山いらっしゃいますが、心に響くが少ないような。。ホルショフスキーが未だ大好きですが、教えるのも素晴らしい人は『天才』より『努力出来る天才』でしょうか。最初から出来たら出来ない人の感覚わからないですね。わかりやすい解説いつもありがとうございます。
たしかにカラヤン、レナード・バーンスタインが亡くなって巨匠がいなくなったとは思いません。小澤征爾先生がいま、必死にお弟子さんたちと一緒にものすごいご高齢になられても、熱心に若いお弟子さんに必死になってタクトをとってどう感情を伝えるか、お教えしていま娘が習ったタカヒロ・ホシノ(干野宣大)先生は辻井伸行くんのお弟子さんですが、ブラームスピアノ5重奏曲を聴いて背筋がぞくっとなりました。彼はハレでマスタークラスを持っていて、海外で演奏家になれるように今でも努力を欠かしません。ソレニ、彼はベートーヴェンコンチェルト弾き振りを内田光子さんに負けない演奏をなさいます。教えること、そして演奏も神様の贈り物であるホロヴィッツが愛したニューヨークスタンウェイで奏でるショパン、ベートーヴェン、ショパン、モーツァルトはほんとうにすごいです。辻井伸行くん、イングリッド・フジコ・ヘミングさん、マルタ・アルゲリッチさん、ダン・タイソンさん、(まだご存命なら)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチさん、ルドルフ・ゼルキンさん、レナード・バーンスタインさんの最後のお弟子さんである佐渡裕さんがどこまで成長していくか、サイモン・ラトル、ズービン・メータ、ダニエル・バレンボイム、ホセ・カレーラスさんたちがこれからどう評価されていくか楽しみでなりません。
為になる話ですね。
最近、車田さんのフォロワーになったクラシック音楽ファン歴40年強のオジサンです。車田さん説明はとても分かりやすいですし、何より語り口がソフトで素晴らしい👏 さて今回の動画の内容についてですが、仰る通り通りネームバリューのフィルターがかかって、特定の演奏家の作品なら無批判で全肯定したり全否定したりされる方もいらっしゃいますネ。私はカラヤンは好きですが、シベリウスはいいけどチャイコフスキーはちょっと… とか、ベートーヴェンの交響曲の奇数番号は好きだけど偶数番号はイマイチとか、全部を好きになることは絶対にないです。同じ作品でも年代によって全然違いますし。結論としては、聴く側は柔軟であるべきだと思います。誰が演奏していようが、その音楽を聴いて「いいなぁ〜」と思ったら、それが真実なんだと思います。個人的には、誰が演奏してるかを忘れさせるほどその音楽に没入させてくれて、喜びと感動を与えてくれる演奏が良い演奏だと思います😌 これからも車田さんの動画を楽しみにしております♬
少し前に、美人演奏家が流行った頃に、奥村愛を買いましたよ。自分の記憶ですけど、父親が海外の楽団に所属していた用な記憶が有ったので、娘のCDを買ったけど何か、思っていたより普通?ハイフェッツやクレーメルなんかのインパクトが無い、新しく出て来た人に手を出すのって難しいですね。最近は、ヒラリー・ハーンが凄く気になっています。
「モスクワ音楽院の1番の目的は、『良い聴衆を育てる事』だそうですね」という話をしていたら、音大出身の知人が、「あら、ウチの大学もそうなんですよ」って言っていたのを思い出しました。聴衆は育っていないんでしょうか?
巨匠でなくても音楽は楽しめます私は巨匠たちの時代に生きて無かったのはかえって良かった。札響と生きたチェコの指揮者エリシュカ。マエストロは遅れて来た巨匠等言われてもてはやされ札幌北海道ではね。だけど私はエリシュカさんを巨匠ともちあげる違和感彼はお国物以外はペケだとか看做す方もいたですか私はエリシュカのチャイコフスキーを聴いてそう思ったしかし札響とのブラ1は最後でした世界的巨匠と言われて無い指揮者と地方オケでも。
リヒテルは実際の演奏会で聴いたが巨匠といえる演奏だったが巨匠バックハウスやホロヴィッツの晩年のライブ演奏録音では技術水準は高くなかった。ベーム/ウィ-ン歌劇場は巨匠といえる演奏会だったがカラヤン/ベルリンフィルの運命は空虚な美しさ、バーンスタイン/NYフィルの幻想交響曲の演奏会はフランス音楽の美感はなく巨匠?の演奏だった。特にバーンスタインは幻想交響曲後半で何度も指揮台をジャンプし見てはいられないマナ-だった。過去の巨匠は最盛期には巨匠の演奏だったのかもしれないしあるいはLPやCDの演奏は実際は何回もとり直ししたつぎはぎだらけの録音でなされた虚像も含まれているかもしれない。現在のピアニストではアルゲリッチとポリ-ニは全盛期は過ぎたと思うが、ツィメルマンそしてケフェレック、ヴァイオリニストではギルシャハム、レーピン、指揮者ではブロムシュテット、ムーティ、シャイ-、ティ-レマンなど現在の巨匠と認めれば巨匠は少ないわけでもないだろう。2021年ショパンコンク-ルの多数の演奏者が若い感覚で自分の感じた音楽を自分なりの演奏で表現したことにクラシック演奏の未来を感じた。多様性の時代には巨匠の存在も必要性も既にないかもしれない。
巨匠は、自分たちのコピーされる事が、嫌だったかな?「コピーは所詮コピー」でしょ?誰かは、いくら同じ楽譜で演奏しても、「全く同じ様な演奏はできない!」「その人のマネをしても、その人の味と言うか独特なセンスはマネ出来ない」から。と思う。(音楽は初心者です。)
カラヤンもバースタインもある意味ではレコード会社のプロモーションの影響大で、大巨匠と呼ばれてはいるものの、彼等のパーフォーマンスが決して全て素晴らしかったとは言い難い。日本ではそういう売り方でクラシック音楽業界が成り立ってきた部分が大きいと思う。聴衆の耳と感性が成長してきたとも思わない。日本では著名ではなくても、世界中のクラシック愛好家が芸術的表現者と認め、賞賛するアーティストが沢山いる。昔、ショパン国際ピアノコンクールで優勝したディーナヨッフェにインタビューしたことがある。愛知県立芸術大学で教鞭をとっていらした時期で、強く印象に残ったのは、音楽家を目指す学生たちが、自分の専科のみに限定して音楽を聴くことはあっても、総合的に凡ゆる音楽を聴くことをしないと。日本の音楽家にもそういう過程しか経ず、演奏家や指揮者になっている人が多いと感じてます。
技術というのをそのまま伝統に置き換える事もできると思う。それは技術力の高さを求めすぎた代償のような気もする。ex.ベルリン・フィル"良い演奏"ということもできるけど、昔の"多様な演奏"を絶やさないようにしなければいけないとも思う。音大生とかの盲目さは人によるけど、確かに一つの何かに囚われている風潮は一部あるかも知れない。でも、それは日本の音楽業界そのものにも当てはまると思う。
不便さやアナログ生活、緊迫した世界観等時代背景故に昔の人の方が精神年齢が今より高く、どんどん軽薄な社会に成っているというのも関係してそうですね。これは音楽の世界に限った話では無いかも知れませんが。
じっくり教育いうても、、、プロスポーツ選手と同様に人生で最も吸収力のある10代20代を不意にする可能性も捨てきれないですよね。雇用の安定化と競争原理のバランスについてクラシック界ってどうなっているのか聞いてみたいです。あとは音大を卒業するまでのコストとか、、、トップクラスは医大と大差ないのかなと思ったりもしますが、日本と欧米では事情が違うかも知れませんし、できればそのあたりもよろしくお願いします。
いつも自分も疑問に感じていたテーマのご解説有難うございました。 間違っているかもしれませんが、最近はクラッシックが商業化してきたのかなと、RUclipsの人気で決まる傾向なのだろうかと、残念におもっております。メディアが作り上げた「有名な」アーティストもいると私は感じていて、リヒテルやホロビッツ、オストラフ、マリヤ・カラスが生きていて見たらどう思うんだろうと思ったりもします。オペラも、最近は、その個人の独特な美しい「声」よりも、外見の良さで舞台女優・男優を選んでいるように感じています。オペラ好きと論争(笑)になってしまうと、外見や演技も大事だそうで、声だけに重きをおく私とは対立して、論破されましたが。。。
音楽とビジネスの関係についての動画、興味深く拝見しました。ソ連が崩壊して資本主義に変化したことでボリショイ劇場のオペラ歌手の質が格段に落ちたという話を思い出しました。ソ連時代には格下だったマリインスキーの方が今や評判は高いですし、あのソ連嫌いで有名なヴィシネフスカヤでさえロシアの声楽家のレベルは落ちたと言っているくらいですからね。ちなみにソ連時代は加齢で声が落ちれば一流ソリストでも引退して後進の教育に専念していたようです。今の日本ではどんな分野でもビジネス化して自由競争を進めれば質が上がるというのが世間の常識となっています。しかし、買い手(聴衆)で良い物を見抜く鑑賞眼を持つ者は少数です。従って即製できる紛い物(未熟で技術や音楽性は平凡でも容姿に優れたり、何か人を感動させるストーリーを持つ)を良い物のように見せかけて高く売りつけたり、実力如何に関わらず、コンテスト優勝など素人にも分かりやすい指標を持つ音楽家や、安定して集客が見込まれる有名音楽家だけにチャンスを与えるといったことが最適解になってはびこってしまうのでしょうね。
芸術とビジネスは目指す方向が違うので基本相性が悪いです。ヨーロッパだとまだ国が守っているんですが・・。
@@kazuhisakurumada 日本は基本的に芸術に税金を掛けませんからね…。税金に頼らずとも戦前なら名門財閥一家や地方の名士がパトロンとして芸術にお金を掛けて支えていましたが、今やそういう酔狂な金持ちは少数ですからね。ましてや財政赤字解消が叫ばれる今、芸術に掛ける税金を増やすなんて夢の話ですし…。結局日本は役に立つもの、身近なもの、勉強しなくても分かるものばかりが人気で、芸術といった崇高なものは貴族趣味だとか「鼻につく」として嫌悪されがちです。おそらくヨーロッパでは、最近はイスラム教徒や無信仰者も増えましたが、キリスト教信仰があって、聖なるもの、崇高なものを貴ぶ文化があり、また特にカトリックでは宗教が芸術を積極的に利用していたという事情もあって、芸術といった崇高なものを保護し伝えていこうとする文化があるのでしょうね。イスラム教に関してもキリスト教より禁欲的ですが素晴らしい美術を持っています。宗教と芸術は崇高さの感覚を通じて繋がっているのかもしれません。(芸術の定義に関する美学芸術学的議論は勘弁していただければ幸いです)個人的にこの前の東京オリンピック開会式は日本の芸術軽視の集大成ではないかと思います。テレビスター声楽家も出演していましたし、ドラクエのように日本でしか流行っていないゲームの音楽を使ったり、訳の分からない寸劇が出てきたり、出来の悪いテレビ番組を見せられたようでした。国の顔を世界に発信するオリンピック開会式こそ世界に通じる芸術を前面に押し出すべきなのですが…。同じ東アジア圏の中国が2008年に大物映画監督のチャン・イーモウを起用して中国の歴史文化芸術を総合的に表現した素晴らしいオリンピック開会式を作り上げたことを考えると、何とも侘しい気持ちになります…。
@@alexa-lc2gx 近々それについての話もしたいと思います!
@@kazuhisakurumada 是非お願いします!このままだと日本は数十年後には芸術的砂漠になるのではないかと危惧しておりますので…
面白かったです。良い演奏が良い教師ではないと聞いておもい浮かんだのはカルロス・クライバーでした。おそらく教える事も真似する事も出来ない。故に天才なのかなと思います。psいままではチャンネル登録せずにつまみ食い的に視聴してましたがこの度チャンネル登録しました。
巨匠が育った19世紀後半、20世紀前半には録音、再生する技術がなかった。標準となる演奏がない中で、楽譜から自分なりの解釈や想像を働かせることができたのだと思います。またそれ以外の方法がなかったのでしょう。
私はアバドがベルリンフィルの首席指揮者になった頃あたりから、クラシックがつまらなく感じるようになりました。個人的な意見です。
バイオリニスト渡辺茂夫氏の悲劇を思いだしました。
私にとってはヨーヨーマも立派な巨匠ですが、やっぱりロストロポービッチはなんか最後の巨匠感がハンパないですね。
「有名な人が言う事なら正しいに違いない」・・・日本人は特にそう思う傾向が強いよね。(。>_
しかしよくよく考えたら、巨匠もまたビジネス的現象ではないでしょうか。そもそも巨匠という現象はレコードやCDの発明で巨匠の演奏が世界中で聴けるようになったから成立したのだと思います。みなさんCDやレコード時代の巨匠は知っていても、レコード発明以前の巨匠は知らないですよね。CDやレコードは演奏会と違って比較的安価な原価で世界中に大量に販売できる点で金儲けの良い手段になる訳ですし、巨匠という銘があれば実際に売れるわけです。音楽界の巨匠という現象は、巨匠の演奏を複製技術でグローバルに売って儲けようとするビジネスによって、グローバル規模で幅広い階層の人間に巨匠が知られることで初めて成立します。つまり優秀な音楽家+ビジネスによる金儲け=世界中に知られる巨匠となる訳です。やはり巨匠もまたビジネス的な現象であるかと思います。
初めまして。メジャーレーベルのプロモーションと、大手のマネジメント会社にとっても「巨匠」は好都合だったんでしょうね。
匠がいっぱい居過ぎて突出した人がいないのかもしれない。コンクールの数が多過ぎるのも原因かもしれないな。ユニークな演奏する人は落とされるからね。グールドみたいな演奏家はなかなか出て来ない。
コンクールが入口になっているという事もあるでしょうね!
巨匠や大スターが減ったのは、クラシック音楽だけに限らずジャズやロックなど他のジャンルの音楽でも同じですね。時代が巨匠や大スターを必要としていたのかも知れません。マイルス・デイヴィスみたいなプレイヤーや、ビートルズみたいなバンドは第三次世界大戦終了後でないと再び現れないと思います😅
ジャズはよく言われていますね。3No とか言って、ノー・スモーク、ノー・ドリンク、ノー・ドラッグなんですと。要するに健全な音楽をやりましょうと、言っていました。
2021年にショパンコンクールで2位だった反田恭平は、卓越した技術や音楽的魅力はさる事ながら、ジャパンナショナルオーケストラを自ら立ち上げたり、将来は音楽家のための学校を作る事を見据えていたりなど、新しい価値を創造していく積極性のある人のように思えます。今後彼こそが巨匠とも呼べる器を持つ音楽家になってくれるのではないかと個人的に期待しています。熱意がとてつもない人みたいですし。
私はピアノを本気でやってます。よく様々なピアニストのレコードや録画を聴いてます(20世紀も21世紀も)。特に感覚的にホロヴィッツの演奏がしっくりきます。色んな巨匠からインスピレーションを受け、自分なりに徹底的に追求もしています。それくらいの本気度です。しかし、同世代(20代前後)のピアノしてる人に「好きな演奏家っているの?」と聞くと「ドビュッシー!」と返されました(彼自身の演奏レコードは存在しない)。私は念の為「作曲家じゃなくて演奏家は?」と聞くと「ごめん、あんま知らない…」と気まずい雰囲気になりました。私は異常ですか?他の人にも同じことを聞くと、決まって似たような返答が返ってきます。
若い世代の人たちは、昔の演奏家を知らない人は多いと思いますよ。でも音楽を勉強する人なら聴くべきだと思います。
ショパンコンクールで知名度がある人が落選した時を思い出したファンが陰謀だのなんだの言い出しておかしいと思ったなあ
バレンポイムが指揮界の巨匠と言われたのにはビックリした。私は認めません。
コンテスト、青田刈り、技術の底上げ、グローバル化。 アートの世界を見ていると変人、変わり者が、あっと言うものを生み出している気がしています。
巨匠の指導を受けられなかったとか色々と原因が考えられのはご指摘の通りですが、小生は、クラシックの世界は現代の技術革新に応じた対応が為されて来たのだろうかと疑問を感じます。世界には優れた音楽的才能を持つ若者が一定数必ず存在すると推測しますが、その中でクラシックに目を向けてくれた若者は何割いるのでしょう。他のジャンルの音楽分野に優れた音楽的才能を持つ若者を奪われてはいないでしょうか。歴史的に見れば、クラシックの世界でも過去に新たな楽器の登場に伴い発展してきたように、色々と難しい面もあるかと思いますが、新しい音を取り入れた様々な冒険をし、才能ある若者の目を振り向かせることに注力していかなければ、将来の巨匠の登場は難しいと考えます。又、その動きを推進する為にレコード会社やマスコミも巻き込むことも必要と思います。こんなことを書くと、それはクラシックの変質である、そんなものはクラシックでない、素人が何を戯言を言うかと叱責されるかもしれません。しかし、過去の栄光を追う世界ではなく、クラシックは可能性に富んだ魅力的な世界であることを知らしめることこそが最優先課題ではないかと考えます。
クラシックの世界に限らず、どの分野でも売れるかどうかが重要で、本当の良し悪しは二の次にされてしまう。人々はメディアでもてはやされるものを素晴らしいと信じ込んで、その価値を自分で判断しようとはしない。日頃嘆かわしいと感じていることです。
早く結果を求める、というのは、おっしゃる通り時代がそうなのですね。若い才能、外見の美しさが良しとされる時代です。
そんなですから尚更、本物の分かる耳を持てるように一人一人が勉強するしかありません。
いつも核心をついたお話、有難うございます🙇😊🦉🌌
こちらこそありがとうございます😊😊
浅く広く曲が良ければどんなジャンルも聞いていくタイプの者です。
このチャンネルは、実際にご指導や活躍、活動されている方の話でもあるので
評論家より興味深い内容ばかりです。
これまでのクラシックに関する疑問が解決されるかのお話で嬉しくなりますね。
ありがとうございます。
「今の音楽の世界は、何が良いのか、判断が難しくなっている」、、。考えさせられます。情報や音源が飛躍的に多いだけに、何が良いのか、軸が定まらない…。
私は音楽家ではないですが、音楽はなくては生きていけません。初めてクラシック音楽を聴き始めた高校生の時は、CDを買えるのは月に一枚で、それこそ真剣勝負でした。その時聴き込んだクナッパーツブッシュとか、ラジオで聴いた一期一会のチェリビダッケとかが、魂に刻み込まれている感じです。
少し余裕ができた今、彼らの音をもう一度徹底的に聴き込んでみようと、今日のお話を聴いて思いました。
違った切り口からの音楽の今昔のトピックものすごく興味深いです!
😊😊😊
とてもとても考えさせられるお話でした。クラシック界のみならず広く様々な分野で共通する問題だとも思いました。歌舞伎でも昔はかなりの年齢の名人がお姫様や若衆を演じてらして
子どもの頃などは一瞬ぎょっとする事もあったりするんですが 見ているとほんとにお姫様に見えてきて芸の力だなぁとか思いましたが今はまず初見のビジュアルが昔より重視されてるようにも思います。ある大工さんは今は一人で家一軒建てられる職人が減った。一人前なる前に皆独立するとも言われてました。昔を懐かしんでばかりでは進歩はないんでしょうが芸術分野でも未来が明るいといいなぁと思います。
大工の話は通じる部分があるかもしれません😊
ま~なんてったらイイか !「素晴らしい音楽評論」でしたね。あちこちと配慮が行き届いていて感激致しました。
若い頃聞いてた「世は歌につれ歌は世につれ」って言い方想い出してましたが「車田さん」のおっしゃる「良いものってなんなのかを知ってほしい・・・」結びの言葉でホッとしました。愛と思いやりに充ちたトークを有り難う御座いました(90歳です)
今回の動画のように、車田さんの解説は結論から入るというスタイルが日本人の私にはとても分かりやすく参考になります。
有名な人有名だと全てが正しいと思ってしまう。自分のことのように響きました。いいものと悪いものがわかるようになります。
教育の大切さ。これがもしかしたらもう一つの動画チャンネル「歌の翼に」を立ち上げられた理由にもなるのではないかな?などと勝手な想像をしてしまいました。
色々な意味でこれからの自分の生き方のヒントとなる気づきがあました。
ありがとうございます。感謝です。😂
いいお話をありがとうございました。こんなお話を音楽大学の経営陣と教授は議論されてるのかなとふと思いました。技術は自分で考えて磨くものだと、ただ違うと言って黙り込んでしまったり、へたくそ!とだけ言ってレッスン終わり!なんてザラ!とよく聞きました。車田さんのようなかたが日本の音楽界には大変必要だと思います。
この件は、去年の暮に楽器職人とそんな話をしたところでした。私的には実にタイムリーなテーマ。
今は天才はゴロゴロいますが、巨匠はいません。
巨匠がいなくなったことを嘆くより、巨匠がゴロゴロ存在した時代があって、録音や映像が残ってることに感謝ですね。
😊😊😊
とてもよいお話をありがとうございます。もう何十年か前の話でわたくしが日本にいたころホロビッツのコンサートに行った事があります。ホロビッツの若い頃の演奏でシュウマンのクライスレリアーナのレコードを持っていてその演奏の巧みさにとても惹かれていて年老いたホロビッツが来たときはとても嬉しくよい席を選んで聴きに行きましたよ。でもその頃のホロビッツの演奏は若い時のよい時期に演奏されていた音色とは違ったものに感じてしまいましたが、このビデオの中で車田さんがおっしゃっていたとおりの盲信して大大ファンという位置付けは変わりませんでした。落とした音も構わない、存在そのもので価値があるという事なんでしょうね。幸い日本には巨匠と言われる指揮者や演奏家は多く来日されていましたので今は亡くなってしまっている、それらのすごい方々の演奏は鑑賞することができた事をいい思い出として大切にしています。
今はサンフランシスコにいますので若い演奏家の方々の演奏を楽しんでいます。あ、そういえば何年かまえにヨーヨーマを聴きに行きました。クラッシック音楽は素晴らしいですね。貴方のお話を聞いていると日本での懐かしい事を色々と思い出します。これからも楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊😊
たまには、こんなお話もいいですね。いろいろ考えさせられました。
日本の若いピアニストさんたちも、いずれ巨匠と呼ばれる人が現れますように!
私は、それを見ることができないのは残念ですが…^ ^
😊😊😊
最近のクラシック音楽について、モヤモヤを感じていたことの原因がよくわかりました。そして私たち聴衆にも出来ることがあると知って、嬉しかったです。
ありがとうございます😊😊😊
素晴らしい話でした‼️考え方の正しい方法を学んで行かなければならないですね‼️
ありがとうございます😊😊😊
音楽に限らず、政治、文学、あらゆることに言えるのでは。
的確なお話だなぁと感じながら最後まで見入ってしまいました。日本でクラシック音楽のステージ等の撮影で生計しているものです。
現場に入る機会は一般の音楽ファンより多いと思います。ビジネスのために周りが作り上げるスター化に懸念しています。国際コンクールで上位入賞したソリスト。ルックス優先はまったくその通りだと思います。もちろん決して下手ではありませんが引っ張りだこの共演とRUclipsなどの表現活動に忙殺されてしまっているのでしょうか?
えっ?ピッチカートそれでいいの?高音域きちっと伸ばして!っていうように感じることが近年はとても増えてきました。それでもファンは大喝采を送ります。
ご本人はそれで納得していらっしゃるのか、あるいはご自分の演奏に不満で研鑽に向かうのかは人次第だと思いますが、おっしゃるように聴衆の方々が盲目的にならずにしっかりなにがしかのメッセージを送る(もちろん悪口を言えとうことではありません)ことがその音楽家の成長のために必要なことなんだと思います。
これからもいろいろなお話、楽しみにしています。
😊😊
なるほど!巨匠・学習者・聴衆・音楽ビジネス界、それぞれに巨匠が減った理由があるのですね!日常生活より高みにある「芸術」を残していくためにも、巨匠をつくっていくための努力が必要ですね!
興味深い話をありがとうございます。私は少し車田さんと異なる意見です。ピアノに関して言うと、昔の巨匠より今の若いピアニストのほうが、技術的に劣っているとは思いません。昔に較べて幼少の時からピアノに時間を集中できる環境が、格段に良くなっているからです。
昔のショパンコンクールでルービンシュタインはポリーニのことを、審査員の誰よりも技術的に優れていると褒めました。ポリーニのショパン練習曲集は一世を風靡しましたが、今聞くとテクニックでバリバリ弾いているだけと感じます。昨年のショパンコンクールでは、各参加者が練習曲をポリーニ並みのテクニックで、かつ音楽性豊かに演奏していました。音色も人により様々で豊かな個性を感じました。ポリーニは大家扱いされていますが、私は疑問です。ショパンのソナタ3番は聞いても感動しません。
全体のレベルが底上げされたので、大家が目立たないのかもしれません。その中で大家の予感がするのはアヴデーエワだと思います。
演奏家の価値は、大家であるかではなく、聴衆をどれだけ感動させるかにあると思います。サンソン・フランソワは技術的には欠点もありますが、音楽性は素晴らしいものがあり、聞くたびに感動します。私が最も好きなピアニストの一人です。
大家の条件は、技術だけでなく音色・音楽性・陶酔性・カリスマ性・人間的魅力などを総合したところにあると思います。
以上、あくまで私の独自の意見です。
いや全く同じ見解です。ピアノを弾くと言う技術は昔と比べ物にならないぐらい今は洗練されている。ハッキリ言ってポリーニは腕は硬く今のピアニストには到底及ばず表現もクレシェンドスビトピアノばかりで単調ですよね。音も硬く伸びない。苦しさを感じる。現在技術はレベルアップしたのにハートの燃焼はイマイチ感じないのは何故か?何の為の技術かが問われると思います。
教えすぎて良くない可能性も有るのではないか?
教える事の究極は教えない事と思います。ヒントだけ出して考えさせて悩ませる事が大事と思います。オリジナリティ、自身の表現に対する勇気は
教え過ぎると育たないと思います
私の習った大変優雅な演奏をされるペルルミュテールの弟子だった先生がポリーニがショパン国際ピアノコンクールで世界を騒がせていて私も子供だったのでポリーニを良く聴いていた時に私に言われた言葉に驚いた記憶があります。「硬いし表現がワンパターンだよ」でした。ポリーニ神様の時代に凄い事言う人と思っていました。確かにソコロフの若い時のショパンのエチュードと前奏曲なんかを聴いた時物が違うと子供心に感じました。それから20年後ベートーヴェンプログラムを聴きましたが、音が伸びないし響きがないのでガッカリした記憶があります。(途中で帰りました)なかなか痺れる様な演奏はないですね
技術は若い時は良くても年齢と共に硬さも、故障も出てくる。そこで大事になるのはやはり響き音色もだが歌い回しや間合いが大事になると思います。
「今の演奏家の方が技術レベルが高い」ことは賛同します。ピアノだけでなくオーケストラもそうで、カラヤンのレコードがなぜあれほど売れたかと言うと、カラヤン指揮のベルリンフィルが当時ずば抜けて巧かったからですよ。今のベルリンフィルも巧いですが、周りのオケが全て向上したので今はそれほど抜きん出てません。
ポリーニについては賛同いたしかねます。彼のピアノはあくまで地中海的な明朗さとイタリアの歌心なので、彼のショパンにスラブ的な憂鬱は薄いですし、ベートーヴェンにはドイツ的な内面性はありません。明確に好き嫌いの分かれるピアノだと思いますが、だからと言って技術だけの二流の演奏家のように批評するのも適当ではありません。芸術は、「趣味の合わないもの」については語るべきではないと思います。カレー自体が嫌いな人がカレーについて語っても、意味をなさないからです。
僕も、幸福の情景さんに賛成です。数十年前にポリーニの演奏を生で聴きましたが、ガッカリしました。演奏にファンタジーがないんですよ、ファンタジーが。語弊があったらお許しください。
所謂、巨匠という言い方が余り好きではありません。勿論バーンスタイン、カラヤン、リヒテル、グールドは好きな演奏家ですが、録音に残したものの中には、特に晩年に近い頃の録音には首を傾げたくなる様な演奏も少なくありません。マスコミやレコード会社が付けた、巨匠とか帝王とかになる前の純粋に音楽をしていた若い頃の演奏の録音に好感がもてます。彼らにも良い物もあれば、好ましくないものもある普通の人間であると自分は思っています。
巨匠でも良い時もあれば悪い時ありますね。
演奏家も歳をとれば故障がでたりすることが多い
ある程度の歳が来て故障などで思った様にならない場合は引退するべきと思う。ただアルゲリッチやミルシティンなんかは歳を重ねて以前より素晴らしい演奏家と思う
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特に故障までいかなくても、指揮者の場合は鋭敏な運動神経と聴力、オケをコントロールする能力が不可欠でその上に芸術が成り立つ訳で、歩行も困難な指揮者にオケをコントロールする事は出来ないと思います。日本人はそういう老巨匠が大好きで長年のキャリアに対して拍手を送っているにしても、肝心の演奏の方は危なっかしい演奏になっている様に思います。ただ、それをだからいけないとも思いません。感動している人に対してそれは違うとは言えません。それは僭越というものです。
バーンスタインの回で彼のマーラー復活を批判されている方がいました。後年の録音を聴いたのでしょう。本当にもったいないと思いました。彼の壮年期の録音を聴いて欲しいと思いました。
そうなのよね。素晴らしい演奏家も本当に油が乗っている時期はそれほど長くないのよね。よく枯れた良さとか言うけど枯れる前の方が良いに決まっているわね。
私も最近のクラシック界に巨匠が減った。技術的(機械的)には凄いけれど、魂を震わせてくれる若い演奏家が出てきてくれない、と疑問に思っていたところなので、先生のご説明で凄く納得いたしました。バイオリニストのアイザック・スターンの伝記を読みましたが、演奏活動もフルにされていましたが、後進の指導にも凄く熱心でした。バイオリンは、弾くものではなく、音楽を伝えるもの、作曲家の魂に触れたときに最高の喜びを感じる、という彼の言葉にいたく共感したのを覚えております。私は、そんな音楽を伝えてくださる演奏家を待ちのぞんております。聞く立場で応援することしかできませんが、これからもクラシック音楽を愛してゆきます。
でも、ショパンコンクールの覇者チェソンジンさんやブルースリウさん、辻井伸行さんは巨匠になってくださるのでは、と思います。
😊😊😊
スポーツの世界では名選手が必ずしも名指導者ではないことがよく言われます。日本ではようやくコーチ学の重要さに気づきました。音楽の世界はまだまだと思います。技術の指導は時間がかかりますね。それを本気で教える先生が少なくなったのは事実です。自分の仕事のほうが忙しいのですから。車田さんのこの説は非常に共感できます。
どうもありがとうございます😊😊
音楽を教えるというのは、とても難しい事だと思うのです。スポーツにしても職人が技術を教えるにしても、教える側の指導の仕方と教わる側の受け止め方は各々なので何の分野でも難しいとは思います。
でも、音楽は技術を教える、というだけではありませんから、寧ろ、技術ではない部分が大きくて、それこそが重要なので、しかも言葉で言えない事も多いので、はっきり申し上げて教えたくても教えられないのです。受け止める側が、はっ、と分かることは勿論ありますが、色々言われて頭で分かっても本当に分かった、と言えない事も多いと思います。
音楽を教えるのも学ぶのも、上質を求めれば求める程難しい事だと思います。
今は「演奏」の部分だけ切り出して評価される時代ですから、巨匠といった大人物にはなりにくいのかなと思います。あと、生活が楽だとなかなか大きくはならないかもしれないですね。昔は良くも悪くも一人ひとりにのしかかるプレッシャーが大きくて、それを跳ね返す力のある人がたまたま生き残って巨匠と呼ばれていた、という感じではないでしょうか。
😊😊😊
ある巨匠と呼ばれるピアニストは言っていました。「今の新しい演奏家についてどう思いますか?」
「私は解らない、でも いい演奏家より、問題なのは コンポーザー・クライスト 作曲家の危機じゃないのかね。」
この言葉が私には、いつまでも心に残っています。😂
最近のオケの演奏技術力は一昔と比較すると遥かに高い。良く聞く言葉ですが、それなのにどうして一昔の様にコンサートで感動する事が無くなったのでしょうか?高い技術力での演奏=感動!でない所が悩ましいですね。私は再生装置には拘っていますが、所謂オーディオマニアではありません。私が求めているのは良い音を出す機械ではなく、良い音楽を聴かせてくれる装置だからです。演奏家にも通ずる所があるのではと考えています。
😊😊😊
外国のオケはみんなソリストの様に弾き一人一人が楽しんでいる様に思える。そのかわり荒くバランスも崩れている事も有るが心に響く演奏も多い日本のオケはバランスや和を大事にして一人一人が目立たない事が美徳の様に見える。だけどスケールが細いね
日本のクラッシックの歴史において、巨匠としては、朝比奈隆さんを挙げなければならないと思いますが、彼も、大変苦労しておられたみたいです。彼の後を継いで日本のクラッシック界を引っ張っていく人が今後現れることを期待します。
カザルスのバッハはやっぱり凄い。荒々しい弾きかた、揺れ動くテンポ、引き込まれて聴いてしまった🎶過去の演奏の賛美は懐古趣味ではありません😊
「巨匠」の定義って何でしょう。この動画を見て一番に感じました。
調べてみると後世に残るほど各分野で際立って優れた実績を持つ人。
とあります。書店で現在の巨匠と呼べるピアニストを特集したある音楽雑誌を見ましたが
えーこの人が?と思う人が挙っていました。リヒテルは最後の巨匠と呼ばれるようですね。
納得しますが思うに「巨匠」というのは、ビートルズが凄かったことがその当時分からなかったように
もっと先にならないとわからないんじゃないでしょうか。
そういう意味では今の若いピアニストや活躍している人の中から
先々「巨匠」と呼ばれる人が出てきてもおかしくないと思います。
下の方同様それが見られないのがちょっと残念ではあります。
なるほど...いろいろあるんですね。その問題についてこちらは「メディアやジャンルの拡大で才能が分散している現象」と捉えてました。たとえば文豪時代たる夏目漱石あたりの時代は小説というジャンルで才能が開花していました。が、こうした文豪となるべきだった才能が今やマンガ、アニメ、映画という方面に向かっている結果だと考えてました。どうなんでしょう?
音楽文化については特にクラシックとポピュラー音楽との軋轢に不満を感じます。
どの分野でも、ファンが減っているという背景にはジャンルの拡大があると思います😊
ここ35年くらい聴いてないからわからないんだけども、、。
ピアニストだと当時若手だったアシュケナージ、ジメルマン、ポリーニあたりは巨匠かな??
指揮者だとメータ、バレンボイム、ムーティあたりは巨匠ですか?
コンクール、メディアで推しな演奏家って、辻井さんも入るのでしょうか。
自分は彼のピアノのピアノと一体化したような美しい音色が好きで、涙が溢れてくるし、大好きです。
😊😊😊
録音技術と巨匠の関係を考えてみたいですね。録音が一般的ではない時代には、生の演奏を聴いて聴衆が評判を立てたのではないでしょうか?でも、現代の人々は、評判を耳にしても、生演奏を聴きに行かず、録音されたモノを聴いて満足するのでは?そして、録音された演奏どうしならば、巨匠級もかけだし級も差が少なくなりがちではないでしょうか? 作曲部門では、現代においてたとえベートーベンの交響曲級の新曲を作曲した人がいたとして、それを録音して売り出そうと言うレコード会社は、果たして、あるのでしょうか?感覚的には、ない気がします。もっと手っ取り早く「もうけにつながる」短い新曲を、売り出すのではないでしょうか?商業主義、資本主義との関係も、考えてみたいです。
お金が優先的になると文化は廃れる、という例だと思います。科学の世界でもそうだということです。常に結果を求められるので研究の質が低下するのだそうです。
レベルが高いとは何をもって言うのか?まずピアニストのテクだけ取れば今はレベルは上がったでしょう。ただ人を感動させる魂を持った凄みとカリスマ性を持った芸術家は確実に減ったと思います。
1つはコンクール自体が学校の試験の延長のようになっていると思います。同じ様なマニュアルで弾き
同じような演奏が多くなる。
😊😊😊
自分がピアノが好きになったきっかけは子供の頃ギレリスとソコロフを聴いた時でした。まず音が違う!とにかく凄いと思ったのにソコロフなんかは技術の化け物で音楽性が無い様な評論をみた時
何を信じれば良いのか?と思っていました。その当時オペラにもハマりモナコ、コレッリ、クラウス、ドミンゴ等等聴きましたがそれぞれ持ち味がありました。美術の方ですが岡本太郎氏がいつも芸術は爆発だ!と叫んでいましたが、今その部分が欠けている様に思えます
@@fukutomemasayuki7164 巨匠の音には深みがありますね。そしてその深みはそのまま音楽の深みとなっているように思います。
演奏科学の貢献もあり、技術的な面は昔よりも発展しているように思いますが、ポゴレリッチの様な個性派が少なくなってきたように思います。
現代のピアニストはコンクール向きというか、正統派が目立ちますね。
皆、あくまで再現者であり、『自分はこうなんだ』というのを表現する根っからの芸術家タイプが少ない気がします。
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まさにそうだよね。マニュアルを超えた所が大事奇想天外な発想を期待出来ない。「自分は何が何でもこの様に弾く」みたいなものが足らないね。ただ優等生でない場合はパフォーマンス過多はいるけど
私もそのとうりだと思います、かつての演奏家は聞けば誰の演奏かすぐわかりました、たぶん今なら先生に怒られるだろうという人も。真似をするなとか言われる人もたくさんいます、ただ平均値は各段にうまくなっていると思います、まず音大の数が半端なく増えています、音楽専用のホールも地方の隅々にまで建てられて、ママさんコーラスとベルリンフィルが同じホールで演奏なんてことも珍しくなくなりました、演奏会の数も半端なく増えました、しかし観客はそれほど増えていない、不思議なことに同業者が聞きにいかない、なぜだと思います?
確かに平均値は上手くなっている。観客が増えないのは感動しないから。
と言うか昔なら夜になったらテレビもないしする事ないから寝るか奥さんと仲良しするぐらいだったから社交も兼ねて楽器の弾ける家やホールに足を運んだが、今は色々娯楽があり、しかもRUclipsなんかでベローナのオペラ迄観る事が出来る。勿論生ではないが、わざわざ金を払って時間をかけて観に行く必要が無い。そう言う意味では昔より遥かに魅力の有る演奏でなければ、誰も足を運ばないわね。
個人的な意見ですが今はもう巨匠を必要としない時代なのかなあと思います。
昔よりも演奏のレベルが上がりレコードやCDの普及で皆がいつでも音楽を聴けるようになった。
音楽そのもののありがたみが下がったのかなあと思います。
繰り返しますがあくまで個人的な意見です。
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それあると思います。クラシックだけでなくてポピュラー音楽においても聴取がカリスマでなくアイドルを求めるようになったって考察を読んだことがあります。
私も、それあると思います。昔は、音楽のコンサートを聴くのに、一週間も旅行して、遠路はるばる出かけたが、今は家で寝転がって、音楽がいつでも聴ける。
ありがたみは薄れますね。しかし一方、ピアノを弾いてみたい人は増えて、アマチュアピアニストは、ゴロゴロいる。何でも、いつでも手に入るようになると、貴重さが認識されなくなるのは、音楽に限った話ではないと思います。
むしろCDやレコードが無かった時代は遠い国の巨匠を知ることなんて困難ですし、さらに言えば高いコンサート代を払える裕福な人間を除けばクラシックを知ることは難しいので、クラシック趣味の人口は今よりかなり少数だったはずです。その当時は鑑識眼を持った少数の裕福なパトロンがクラシックを支えていたはず。
また、レコードやCDはいわば生演奏の広告塔ですので、それらを聴いて本物を聴きたいという人は少なからず出るはずです。クラシックに限らず熱心な音楽ファンは生演奏を聴きたがるものですし、そういう熱心な音楽ファンを数多く獲得するためには、CDやレコードといった録音が生演奏の広告塔として、普通ならクラシックを聴かない大衆層まで幅広く流通することが重要になるはずです。恐らくCDや録音の発明はむしろクラシック演奏会に行く人口を増やしたのではないかと思います。
巨匠とか、大演奏家とか、売れっ子の音楽家とか、、、わたしは、本当に自分の心を打ち、魂を揺さぶり、琴線に触れる演奏が好きです。聴く側からすれば、それは、その時聴いた曲と、演奏家の渾身の演奏そのもの、自分の今の心の状態と置かれた状況など、数々の化学的融合によって、一期一会の感動が得られるような演奏です。演奏する立場の方々は、やはり一流の音楽家になる勉強は大変だし、生活の糧も必要だから、ビジネスマインドに振り回されるのは、仕方がないですが、他人のフィルターを通してではなく、「良い演奏とは何か?」自分で聴いて判断することが大切かなぁと個人的には思います。いつも、色々考えるヒントを与えてくださる車田先生に感謝申し上げます。
😊😊😊
巨匠も「技術」の伝承が大事なんですね。個々の精神性だけではないのですね。
素人の音楽鑑賞で楽しむだけのお爺さんですが、その事を心して音楽を聴いていきたいと思います。
やはり録音技術の普及の影響は大きいと思います。普及途上であれば、例えばリヒテルの初見能力は伝説的です。あの世代までの演奏家は、レコードよりもまずは、様々なスコアに目を通してから楽曲に取り組むのが当たり前で、例えばリヒテルは初演したプロコフィエフの7番のソナタでは、僅か4日で全曲を習得したそうです。ところが同曲をアメリカで初演したホロヴィッツは1日(徹夜)で全曲の暗譜を済ませたと言います。ホロヴィッツは最晩年まで、ユニークなプログラムを組み、取り上げた曲が度々他の演奏家たちのトレンドになりました。それはやはり、青年時代に養われた広範な学習能力と、潜在的なレパートリーの奥行きに負っていると思われます。他方、レコードが普及してから音楽界全般に、ミスの少ない、正しい演奏が求められ、結果的に個性の乏しい、面白味のない名手や秀才か、音以外の付加価値のパーソナリティが目立ちます。革新的演奏が時々注目されても、音楽的資質が抜きん出たところがなければ、限られた人たちからの評価に留まる。そうして私らのような年寄りは、面白いことは皆グールドやアーノンクールあたりがやり尽くした…などと懐かしむのです。更には、ワルターやシューリヒトの時代のウィーンフィルの録音を聴いて、ベームやカラヤンは何か、大事なものを失ってしまったように思えて仕方ない…などと恨み言を言い出す。歳を取ったせいでしょうか。
音楽業界内において、センシティブな論点を取り上げられたことに敬意を表します。巨匠が少なくなっていることは残念なことです。私は、演奏家サイドよりも作曲家サイドの小粒化がより本質的な問題かと思います。(若干ホローヴィッツの意見の受け売りですが。)巨匠カール・ベームに親交を通じて大きな影響を与えたRシュトラウス。同時代に生きて、何でも語り合えたことはベームにとって珠玉の時間だったでしょう。現代のトップクラスの名演奏家をしても巨匠というには足りない気がします。ポリーニ、アルゲリッチ、バレンボイム。リヒテルの域にはかすってもいませんね。ポリーニに生き方は大変尊敬します。ショパンコンクールの後、すぐデビューせずに何年も練習を重ね、満を持してデビュー。あくなき高みへの挑戦でしたが、あそこまでストイックな生き方は現代の優等生っぽい若手ピアニストには無理な世界でしょう。現代は巨匠と呼べる演奏家を生み出しにくい環境なのでしょうね。すいません、素人考えですが。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り昔の演奏家はベームのように作曲家と非常に近い存在でしたね!
このテーマ、非常に興味深くて嬉しいです。
実は、クラッシック音楽の名曲といわれるものはクラッシックと言われるだけあって、古い年代の音楽に限るのか、
もしくはクラッシック音楽というジャンルだから現代でも作曲家はいるのだろうか?
いるなら、現代の作曲家が作った名曲とは何があるのだろうか?
と数年前から疑問でした。
なんとなく、自分の疑問が少しほぐれました。
ありがとうございます!
😊😊😊
いつも、楽しいお話をありがとうございます😊
難しいみ
指揮者の場合、やはり歌劇場での下積みの経験がないのが大きいのでは?
20世紀の大指揮者と言われる巨匠はほとんど歌劇場での下積みの経験があります。現代は人気が出そうだからとすぐにスターダムに。実力が追いついていかないのかも。
確かにカラヤンが歌劇場出身かどうかは知らないがオペラを振る時は気合いが違うと思う
コメントありがとうございます😊😊
演奏技術の伝承という側面からの解説でしたが、もうひとつ大きな点について触れられなかったと思います。それは伝説や神話には欠かせない要素『神秘』あるいは『幻想』という要素。現代では情報が氾濫し、プライベートや個人の人間性、そして過去の言動といったものが簡単に暴かれてしまいます。巨匠と呼ばれるためには神秘性も重要な要素だと思います。今ほど情報が出回らない時代においては『あの素晴らしい演奏をする人は普段どんな生活をしているのだろうか?』と想像したり、わずかに聞こえてくる情報のみを頼りに推理するしかない という状況であればあるほどカリスマ性が発揮しやすくなると思います。今はその点において音楽に限らずあらゆる分野で巨匠が現れにくい状況なんだと思います。
でも昔からクラシック演奏家は美人、ハンサムでしたよ。車田さんもハンサムです。ステージに上がるので美しい方がよろしい。
失礼しました。
難しい問題であり、何がいいのか判断も様々な問題ですよね?
演奏技術は遥かに昔より高くなってるのに、個性が低くなってるからじゃないかなぁ?なんて思います。
クラッシックよりロックの世界で考えた方がピンと来る人も多いかも!
昔のメジャーなロックギタリスト演奏って、音とか弾き方だけで誰の演奏かすぐにわかったけど、今はみんなうま過ぎて誰が誰やらわからないです。
そんな強烈な個性が少なくなって来てるのど、偏屈な変人みたいな人が減ってきてるってのも、ありますね。
メディアのせいも大きいし、聴く方も悪いとこいっぱいあると思います。
ベームやチェリビダッケ、ムラビンスキーみたいな人は今時だとすぐに批判されたりするんじゃないかなぁ?
そう言う変人の登場はまだこれからもあると信じてます。
パワハラとか言って性格的に批判される事はあるかも・・
何が正解とは一概に言えない、答えの出ない問題だと思います。
大阪在住者の個人的な体験から言えば、朝比奈時代終盤から大阪フィルの定期に通うようになり、朝比奈氏の実演もいくつか体験することができました。確かにそれらは素晴らしかったですが、個人的には大植体制以降の飛躍的なオケの演奏能力の向上の方が目覚ましく、今の大阪フィルの方が好きです。ちなみに全く話題が変わりますが個人的なお遊びでフルトヴェングラー等のモノラル録音を疑似ステレオにしていた時にわかったのですが、あの独特の生々しさの一因として当時の録音システムも大いに関係しているように思います。音の強弱に合わせて自動で録音レヴェルが上下するため、弱奏時になると録音レヴェルが上がり、細部が生々しく聴こえるということです。その辺りを補正した音源を作成してみたところ、むしろ演奏の良さが更に引き立つ結果になりました。
何かそういう危惧をお感じの方も多いと察する一方、一音楽愛好者として大演奏家は増えていると思います。巨匠と呼ぶかはメディアと我々聴衆の思いでしょう。我々が聴ける演奏家は多くなり、それだけ玉石混交で技術レベルも解釈のレベルも様々と思いますが、かつての巨匠を超えたレベルの人も多くなって、かつての人と今の人の両方を鑑賞出来ることは良い状況という気がしています。
今 現在 私は チェロを弾きますが 高校、大学は音楽専門のところに行ったのですが
やはり チェロで言えば パブロ・カザルス、エマヌエル・フォイアマンなど巨匠の演奏は今でも 色あせないと考えてますが
、今は癖のない端正(淡泊?)な演奏家(チェリスト)を音大時代の仲間たちは好んでましたね。
😊😊😊
良い面悪い面ありますが、ソ連が独自の価値観に基づいて芸術に力を入れた影響も大きいと思っています。
(非共産圏の名演奏家もいますが、やはり突出しているのはソ連だと思います。)
また、グレングールドやホロヴィッツレベルの巨匠は、あの時代であっても奇跡みたいなもので、昔の環境を同じように繰り返しても生まれてこないかもしれません。
ちなみに、個人的にランランは自分的には巨匠クラスだと思って聞いてます。(好き嫌いあるでしょうけど)
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クラシック音楽界の現場でプロとして活躍されている方の貴重なチャンネルをありがたく拝視聴しております。
本テーマについてですが、以前拙考したことがあります。
単純に考えるとクラシック音楽を熱心に聴く一般大衆が減った、需要が少なくなった結果ではないかと思います。
プロサッカー界では100年以上前から名選手、名監督(名将)と称される人が連綿と輩出されていますし、昔ほどの栄華はないにしても映画界でも名優、名監督(巨匠とされる人も)が続々と現れています。
これらは巨大なマーケットが存在し続けているからです。
仰る通り、クラシック演奏家を志す人にとって障壁や雑音、誘惑、或いは逃げ道といったものが昔より格段に増えただろう事は想像できます。
本題とは少し逸れますが、現代においてクラシック音楽の“聴衆”という概念は存在するのでしょうか?
日常的に演奏会に行く人?
私はほぼクラシック音楽ばかり聴いていますが自身は“聴衆”とは違うように感じます。
こういう所にコメントした時点で“聴衆”になれるのかな?
いずれにしても、技術的な問題ではないと思います。
今生きている音楽家で,巨匠を知る人にたくさん教えてほしい。その一人がズービン・メータさん。彼は巨匠時代を肌で感じた一人だ。ブロムシュテットさん,でも高齢すぎるかな。ロシアのフェドセーエフさんは92歳でもバリバリだ。次世代はムーティさんと秋山さん。ずっと活躍して教え続けてほしい人だ。いわゆる最期の巨匠時代の人々だ。
こんにちは、オーケストラの場合労働組合ができたりして指揮者が色を出しにくくなったのも一つの流れだと考えています。実際初めて組合ができたオケはフリッツライナーのいたとこみたいです。怖い指揮者や経営者に対抗するためなんでしょうが聴衆としては複雑な気分ですね。
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たいへん面白いお話と思いました。
たとえば、「夏目漱石」と同じレベルの小説を書ける人は、今ならいくらでもいるし、もっとすごい小説が書ける人もいます。
でも、当時は、「夏目漱石」しかいなかった。というのと、同じことではないでしょうか?
夏目漱石が、今の時代に現れても、ただの凡小説家で終わるでしょうし、
カラヤンやホロヴィッツが、今の時代に出てきていたら、ただの凡演奏家かもしれませんね。
昔の演奏家が好きです。
テクニック的に上手い人は沢山いらっしゃいますが、心に響くが少ないような。。
ホルショフスキーが未だ大好きですが、教えるのも素晴らしい人は『天才』より『努力出来る天才』でしょうか。最初から出来たら出来ない人の感覚わからないですね。わかりやすい解説いつもありがとうございます。
😊😊😊
たしかにカラヤン、レナード・バーンスタインが亡くなって巨匠がいなくなったとは思いません。小澤征爾先生がいま、必死にお弟子さんたちと一緒にものすごいご高齢になられても、熱心に若いお弟子さんに必死になってタクトをとってどう感情を伝えるか、お教えしていま
娘が習ったタカヒロ・ホシノ(干野宣大)先生は辻井伸行くんのお弟子さんですが、ブラームスピアノ5重奏曲を聴いて背筋がぞくっとなりました。彼はハレでマスタークラスを持っていて、海外で演奏家になれるように今でも努力を欠かしません。ソレニ、彼はベートーヴェンコンチェルト弾き振りを内田光子さんに負けない演奏をなさいます。教えること、そして演奏も神様の贈り物であるホロヴィッツが愛したニューヨークスタンウェイで奏でるショパン、ベートーヴェン、ショパン、モーツァルトはほんとうにすごいです。辻井伸行くん、イングリッド・フジコ・ヘミングさん、マルタ・アルゲリッチさん、ダン・タイソンさん、(まだご存命なら)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチさん、ルドルフ・ゼルキンさん、レナード・バーンスタインさんの最後のお弟子さんである佐渡裕さんがどこまで成長していくか、サイモン・ラトル、ズービン・メータ、ダニエル・バレンボイム、ホセ・カレーラスさんたちがこれからどう評価されていくか楽しみでなりません。
為になる話ですね。
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最近、車田さんのフォロワーになったクラシック音楽ファン歴40年強のオジサンです。車田さん説明はとても分かりやすいですし、何より語り口がソフトで素晴らしい👏 さて今回の動画の内容についてですが、仰る通り通りネームバリューのフィルターがかかって、特定の演奏家の作品なら無批判で全肯定したり全否定したりされる方もいらっしゃいますネ。私はカラヤンは好きですが、シベリウスはいいけどチャイコフスキーはちょっと… とか、ベートーヴェンの交響曲の奇数番号は好きだけど偶数番号はイマイチとか、全部を好きになることは絶対にないです。同じ作品でも年代によって全然違いますし。結論としては、聴く側は柔軟であるべきだと思います。誰が演奏していようが、その音楽を聴いて「いいなぁ〜」と思ったら、それが真実なんだと思います。個人的には、誰が演奏してるかを忘れさせるほどその音楽に没入させてくれて、喜びと感動を与えてくれる演奏が良い演奏だと思います😌 これからも車田さんの動画を楽しみにしております♬
少し前に、美人演奏家が流行った頃に、奥村愛を買いましたよ。自分の記憶ですけど、父親が海外の楽団に所属していた用な記憶が有ったので、娘のCDを買ったけど何か、思っていたより普通?ハイフェッツやクレーメルなんかのインパクトが無い、新しく出て来た人に手を出すのって難しいですね。
最近は、ヒラリー・ハーンが凄く気になっています。
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「モスクワ音楽院の1番の目的は、『良い聴衆を育てる事』だそうですね」という話をしていたら、音大出身の知人が、「あら、ウチの大学もそうなんですよ」って言っていたのを思い出しました。
聴衆は育っていないんでしょうか?
巨匠でなくても音楽は楽しめます私は巨匠たちの時代に生きて無かったのはかえって良かった。札響と生きたチェコの指揮者エリシュカ。マエストロは遅れて来た巨匠等言われてもてはやされ札幌北海道ではね。だけど私はエリシュカさんを巨匠ともちあげる違和感彼はお国物以外はペケだとか看做す方もいたですか私はエリシュカのチャイコフスキーを聴いてそう思ったしかし札響とのブラ1は最後でした世界的巨匠と言われて無い指揮者と地方オケでも。
リヒテルは実際の演奏会で聴いたが巨匠といえる演奏だったが巨匠バックハウスやホロヴィッツの晩年のライブ演奏録音では技術水準は高くなかった。ベーム/ウィ-ン歌劇場は巨匠といえる演奏会だったがカラヤン/ベルリンフィルの運命は空虚な美しさ、バーンスタイン/NYフィルの幻想交響曲の演奏会はフランス音楽の美感はなく巨匠?の演奏だった。特にバーンスタインは幻想交響曲後半で何度も指揮台をジャンプし見てはいられないマナ-だった。過去の巨匠は最盛期には巨匠の演奏だったのかもしれないしあるいはLPやCDの演奏は実際は何回もとり直ししたつぎはぎだらけの録音でなされた虚像も含まれているかもしれない。現在のピアニストではアルゲリッチとポリ-ニは全盛期は過ぎたと思うが、ツィメルマンそしてケフェレック、ヴァイオリニストではギルシャハム、レーピン、指揮者ではブロムシュテット、ムーティ、シャイ-、ティ-レマンなど現在の巨匠と認めれば巨匠は少ないわけでもないだろう。2021年ショパンコンク-ルの多数の演奏者が若い感覚で自分の感じた音楽を自分なりの演奏で表現したことにクラシック演奏の未来を感じた。多様性の時代には巨匠の存在も必要性も既にないかもしれない。
巨匠は、自分たちのコピーされる事が、嫌だったかな?「コピーは所詮コピー」でしょ?
誰かは、いくら同じ楽譜で演奏しても、「全く同じ様な演奏はできない!」
「その人のマネをしても、その人の味と言うか独特なセンスはマネ出来ない」から。と思う。
(音楽は初心者です。)
カラヤンもバースタインもある意味ではレコード会社のプロモーションの影響大で、大巨匠と呼ばれてはいるものの、彼等のパーフォーマンスが決して全て素晴らしかったとは言い難い。
日本ではそういう売り方でクラシック音楽業界が成り立ってきた部分が大きいと思う。聴衆の耳と感性が成長してきたとも思わない。
日本では著名ではなくても、世界中のクラシック愛好家が芸術的表現者と認め、賞賛するアーティストが沢山いる。
昔、ショパン国際ピアノコンクールで優勝したディーナヨッフェにインタビューしたことがある。
愛知県立芸術大学で教鞭をとっていらした時期で、強く印象に残ったのは、音楽家を目指す学生たちが、自分の専科のみに限定して音楽を聴くことはあっても、総合的に凡ゆる音楽を聴くことをしないと。
日本の音楽家にもそういう過程しか経ず、演奏家や指揮者になっている人が多いと感じてます。
技術というのをそのまま伝統に置き換える事もできると思う。
それは技術力の高さを求めすぎた代償のような気もする。ex.ベルリン・フィル
"良い演奏"ということもできるけど、昔の"多様な演奏"を絶やさないようにしなければいけないとも思う。
音大生とかの盲目さは人によるけど、確かに一つの何かに囚われている風潮は一部あるかも知れない。でも、それは日本の音楽業界そのものにも当てはまると思う。
😊😊😊
不便さやアナログ生活、緊迫した世界観等時代背景故に昔の人の方が精神年齢が今より高く、どんどん軽薄な社会に成っているというのも関係してそうですね。
これは音楽の世界に限った話では無いかも知れませんが。
😊😊😊
じっくり教育いうても、、、プロスポーツ選手と同様に人生で最も吸収力のある10代20代を不意にする可能性も捨てきれないですよね。
雇用の安定化と競争原理のバランスについてクラシック界ってどうなっているのか聞いてみたいです。
あとは音大を卒業するまでのコストとか、、、トップクラスは医大と大差ないのかなと思ったりもしますが、日本と欧米では事情が違うかも知れませんし、できればそのあたりもよろしくお願いします。
いつも自分も疑問に感じていたテーマのご解説有難うございました。 間違っているかもしれませんが、最近はクラッシックが商業化してきたのかなと、RUclipsの人気で決まる傾向なのだろうかと、残念におもっております。メディアが作り上げた「有名な」アーティストもいると私は感じていて、リヒテルやホロビッツ、オストラフ、マリヤ・カラスが生きていて見たらどう思うんだろうと思ったりもします。オペラも、最近は、その個人の独特な美しい「声」よりも、外見の良さで舞台女優・男優を選んでいるように感じています。オペラ好きと論争(笑)になってしまうと、外見や演技も大事だそうで、声だけに重きをおく私とは対立して、論破されましたが。。。
音楽とビジネスの関係についての動画、興味深く拝見しました。
ソ連が崩壊して資本主義に変化したことでボリショイ劇場のオペラ歌手の質が格段に落ちたという話を思い出しました。ソ連時代には格下だったマリインスキーの方が今や評判は高いですし、あのソ連嫌いで有名なヴィシネフスカヤでさえロシアの声楽家のレベルは落ちたと言っているくらいですからね。ちなみにソ連時代は加齢で声が落ちれば一流ソリストでも引退して後進の教育に専念していたようです。
今の日本ではどんな分野でもビジネス化して自由競争を進めれば質が上がるというのが世間の常識となっています。しかし、買い手(聴衆)で良い物を見抜く鑑賞眼を持つ者は少数です。従って即製できる紛い物(未熟で技術や音楽性は平凡でも容姿に優れたり、何か人を感動させるストーリーを持つ)を良い物のように見せかけて高く売りつけたり、実力如何に関わらず、コンテスト優勝など素人にも分かりやすい指標を持つ音楽家や、安定して集客が見込まれる有名音楽家だけにチャンスを与えるといったことが最適解になってはびこってしまうのでしょうね。
芸術とビジネスは目指す方向が違うので基本相性が悪いです。ヨーロッパだとまだ国が守っているんですが・・。
@@kazuhisakurumada 日本は基本的に芸術に税金を掛けませんからね…。税金に頼らずとも戦前なら名門財閥一家や地方の名士がパトロンとして芸術にお金を掛けて支えていましたが、今やそういう酔狂な金持ちは少数ですからね。ましてや財政赤字解消が叫ばれる今、芸術に掛ける税金を増やすなんて夢の話ですし…。
結局日本は役に立つもの、身近なもの、勉強しなくても分かるものばかりが人気で、芸術といった崇高なものは貴族趣味だとか「鼻につく」として嫌悪されがちです。
おそらくヨーロッパでは、最近はイスラム教徒や無信仰者も増えましたが、キリスト教信仰があって、聖なるもの、崇高なものを貴ぶ文化があり、また特にカトリックでは宗教が芸術を積極的に利用していたという事情もあって、芸術といった崇高なものを保護し伝えていこうとする文化があるのでしょうね。イスラム教に関してもキリスト教より禁欲的ですが素晴らしい美術を持っています。宗教と芸術は崇高さの感覚を通じて繋がっているのかもしれません。(芸術の定義に関する美学芸術学的議論は勘弁していただければ幸いです)
個人的にこの前の東京オリンピック開会式は日本の芸術軽視の集大成ではないかと思います。テレビスター声楽家も出演していましたし、ドラクエのように日本でしか流行っていないゲームの音楽を使ったり、訳の分からない寸劇が出てきたり、出来の悪いテレビ番組を見せられたようでした。国の顔を世界に発信するオリンピック開会式こそ世界に通じる芸術を前面に押し出すべきなのですが…。同じ東アジア圏の中国が2008年に大物映画監督のチャン・イーモウを起用して中国の歴史文化芸術を総合的に表現した素晴らしいオリンピック開会式を作り上げたことを考えると、何とも侘しい気持ちになります…。
@@alexa-lc2gx 近々それについての話もしたいと思います!
@@kazuhisakurumada 是非お願いします!
このままだと日本は数十年後には芸術的砂漠になるのではないかと危惧しておりますので…
面白かったです。良い演奏が良い教師ではないと聞いておもい浮かんだのはカルロス・クライバーでした。
おそらく教える事も真似する事も出来ない。故に天才なのかなと思います。
ps
いままではチャンネル登録せずにつまみ食い的に視聴してましたがこの度チャンネル登録しました。
ありがとうございます😊😊😊
巨匠が育った19世紀後半、20世紀前半には録音、再生する技術がなかった。標準となる演奏がない中で、楽譜から自分なりの解釈や想像を働かせることができたのだと思います。またそれ以外の方法がなかったのでしょう。
😊😊😊
私はアバドがベルリンフィルの首席指揮者になった頃あたりから、クラシックがつまらなく感じるようになりました。個人的な意見です。
バイオリニスト渡辺茂夫氏の悲劇を思いだしました。
私にとってはヨーヨーマも立派な巨匠ですが、やっぱりロストロポービッチはなんか最後の巨匠感がハンパないですね。
😊😊😊
「有名な人が言う事なら正しいに違いない」・・・日本人は特にそう思う傾向が強いよね。(。>_
しかしよくよく考えたら、巨匠もまたビジネス的現象ではないでしょうか。そもそも巨匠という現象はレコードやCDの発明で巨匠の演奏が世界中で聴けるようになったから成立したのだと思います。みなさんCDやレコード時代の巨匠は知っていても、レコード発明以前の巨匠は知らないですよね。CDやレコードは演奏会と違って比較的安価な原価で世界中に大量に販売できる点で金儲けの良い手段になる訳ですし、巨匠という銘があれば実際に売れるわけです。音楽界の巨匠という現象は、巨匠の演奏を複製技術でグローバルに売って儲けようとするビジネスによって、グローバル規模で幅広い階層の人間に巨匠が知られることで初めて成立します。つまり優秀な音楽家+ビジネスによる金儲け=世界中に知られる巨匠となる訳です。やはり巨匠もまたビジネス的な現象であるかと思います。
初めまして。
メジャーレーベルのプロモーションと、大手のマネジメント会社にとっても「巨匠」は好都合だったんでしょうね。
匠がいっぱい居過ぎて突出した人がいないのかもしれない。コンクールの数が多過ぎるのも原因かもしれないな。ユニークな演奏する人は落とされるからね。グールドみたいな演奏家はなかなか出て来ない。
コンクールが入口になっているという事もあるでしょうね!
巨匠や大スターが減ったのは、クラシック音楽だけに限らずジャズやロックなど他のジャンルの音楽でも同じですね。
時代が巨匠や大スターを必要としていたのかも知れません。
マイルス・デイヴィスみたいなプレイヤーや、ビートルズみたいなバンドは第三次世界大戦終了後でないと再び現れないと思います😅
😊😊😊
ジャズはよく言われていますね。3No とか言って、ノー・スモーク、ノー・ドリンク、ノー・ドラッグなんですと。要するに健全な音楽をやりましょうと、言っていました。
2021年にショパンコンクールで2位だった反田恭平は、卓越した技術や音楽的魅力はさる事ながら、ジャパンナショナルオーケストラを自ら立ち上げたり、将来は音楽家のための学校を作る事を見据えていたりなど、新しい価値を創造していく積極性のある人のように思えます。今後彼こそが巨匠とも呼べる器を持つ音楽家になってくれるのではないかと個人的に期待しています。熱意がとてつもない人みたいですし。
😊😊😊
私はピアノを本気でやってます。よく様々なピアニストのレコードや録画を聴いてます(20世紀も21世紀も)。特に感覚的にホロヴィッツの演奏がしっくりきます。色んな巨匠からインスピレーションを受け、自分なりに徹底的に追求もしています。それくらいの本気度です。
しかし、同世代(20代前後)のピアノしてる人に「好きな演奏家っているの?」と聞くと「ドビュッシー!」と返されました(彼自身の演奏レコードは存在しない)。私は念の為「作曲家じゃなくて演奏家は?」と聞くと「ごめん、あんま知らない…」と気まずい雰囲気になりました。
私は異常ですか?他の人にも同じことを聞くと、決まって似たような返答が返ってきます。
若い世代の人たちは、昔の演奏家を知らない人は多いと思いますよ。でも音楽を勉強する人なら聴くべきだと思います。
ショパンコンクールで知名度がある人が落選した時を思い出した
ファンが陰謀だのなんだの言い出しておかしいと思ったなあ
バレンポイムが指揮界の巨匠と言われたのにはビックリした。私は認めません。
コンテスト、青田刈り、技術の底上げ、グローバル化。 アートの世界を見ていると変人、変わり者が、あっと言うものを生み出している気がしています。
巨匠の指導を受けられなかったとか色々と原因が考えられのはご指摘の通りですが、小生は、
クラシックの世界は現代の技術革新に応じた対応が為されて来たのだろうかと疑問を感じます。
世界には優れた音楽的才能を持つ若者が一定数必ず存在すると推測しますが、
その中でクラシックに目を向けてくれた若者は何割いるのでしょう。
他のジャンルの音楽分野に優れた音楽的才能を持つ若者を奪われてはいないでしょうか。
歴史的に見れば、クラシックの世界でも過去に新たな楽器の登場に伴い発展してきたように、
色々と難しい面もあるかと思いますが、新しい音を取り入れた様々な冒険をし、
才能ある若者の目を振り向かせることに注力していかなければ、将来の巨匠の登場は難しい
と考えます。
又、その動きを推進する為にレコード会社やマスコミも巻き込むことも必要と思います。
こんなことを書くと、それはクラシックの変質である、そんなものはクラシックでない、
素人が何を戯言を言うかと叱責されるかもしれません。
しかし、過去の栄光を追う世界ではなく、クラシックは可能性に富んだ魅力的な世界である
ことを知らしめることこそが最優先課題ではないかと考えます。