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面白い。ネガティブではなく、カラヤンの才能と実績を評価する好意的な視点がもちろん一貫しているが、と言って決してノンキな肯定や賛辞に終始はしてない。事実がどうであったかーという興味や好奇心が誠実に持続され、履行されている印象の強い、優れたドキュメンタリーであり、ルポルタージュになっている。
これは、いつのドキュメンタリーでしょうか。とても見応えがあります。
日本での放送は1994年ですが、いつ製作されたかは分かりません。ただドイツかオーストリア、またはその両方に他にもあるかもしれませんが、ヨーロッパの番組による製作ですね。再放送はなかったように思います。
カラヤンの動画にいつもいますね
1993年の製作です。
はーからやんかっこいい
ナチの件で干されていた時は、ものすごく勉強したらしい。彼は、常に努力家ではあったとは思うがヴァントのように自家薬籠中の作品であっても新しい発見を求めて楽譜を見直すことはなかったと思う。初演の作品は、まずは若いものに自分のオーケストラを振らせてみてそれからという用意周到さもあったようだ。
年代毎に聞いていくだけでも解釈に変化があるのが分かるのに、「……自家薬籠中の作品であっても新しい発見を求めて楽譜を見直すことはなかったと思う」と、なぜ言い切れるのかが不思議です。
@@joustinos自分で聞いていてもそう思いますし、楽団員、カラヤンの側近の人たちも同様の発言をしています。ウォルターレッグの目が行き届いていた時は違ったようですが70年代に向けて彼が変わったのは糸を引くようなレガートだけではないですか?でも個人的に80年台のカラヤンは本当に素晴らしかったと思います。聴いていて涙が止まらなくような演奏がいくつかあります。
でっち上げはやめましょう。VPOは最後までカラヤンと共演したがアバドとは縁を切っただろう?
人のことを嘘つき呼ばわりする前に文献等、読んでみたらいかがですか?カラヤンを完璧主義者というような人も多いようですが結構録音ではいい加減でミスを指摘されても誰もわからないからそのままでいいというようなこともあったようですよ。アンネゾフィームターも言っていますしね。ウォルターレッグがついていた時は決して許されなかったと思います。
カラヤンの音楽はすごいと思っていた頃もありましたが、後に私はクラウディオ•アバドや小澤征爾の方へ惹かれていきました。カラヤンの ”演奏“ には、光栄に満ちた輝きと陶酔の中にも鋭く巧妙で一瞬たりとも隙のない冷ややかさのようなものを感じるようになっていきました。人物そのものからきていたのですね。いつか来日した時、ベートーヴェンの第九のリハーサルで自分の要求に応えられない合唱団に腹を立てて団員の一人の胸ぐらを掴んで怒鳴ったようなこともありましたから、このドキュメンタリーを見ると、然もありなん、でした。また、他のリハーサルではマリア•カラスが今生きていれば「ミートゥー」と訴えてもいいぐらいの、ちょうど先日(2023年の)女子サッカー世界選手権の金メダリストがやられたようなスキャンダルも起こしていますし…それでも彼が確固たる世紀の音楽家であることには変わりありませんが。
胸ぐらを掴む? 「ミー・トゥー」?この同じ番組で「人一倍自制心が強い」と言われているのに?同じ番組でアンネ=ゾフィー・ムターが「信じられないほど思いやりのある優しい人」と評しているのに?あまり適当なことは言わない方が良いですね。
@@joustinosさま ご返信ありがとうございました。私も以前はカラヤンの大ファンでした。彼の醸し出すダイヤのような煌めきと透明感と隙のないアゴーギクは今でも他に比類ないものです。ただ、40年以上昔に彼が来日した時の第九のリハーサルには私自身がその場面を目撃していますので、「適当なこと」ではありません。マリア・カラスの逸話は、以前に見た彼女のドキュメンタリーで、オペラの舞台稽古のとき相手のテノール歌手が見せかけの接吻をしたのに憤って、「いいか、接吻とはこういうものだ」とカラスを抱きしめて熱烈な接吻をして見せたと言うのです。当のテノール歌手が、そのときのマリアの顔色は蒼白だった、と語っていました。無論これはドキュメンタリーを制作した方が「適当なこと」を報じたのかもしれませんので、第九のリハーサルのように確実には申し上げられませんけれど。アンネ=ゾフィー・ムターは14歳でベルリンフィルと初共演するという天才児で、カラヤンからは我が子のように可愛がられていたであろう人です。そのコンサートにはたまたま聴衆として居合わせました。「今からあんなに上手なら、将来どんなにすごくなるか楽しみ」と皆が騒ぎ立てているのに対して、当時のコンマスをなさっていた方が「いや、もうこれ以上の完璧はあり得ない」と仰っていたのが印象的でした。話が少しズレてすみませんでした。
でっち上げはやめましょう
@@オボットマンさま ご意見有難うございます。真実をでっち上げることはできません。一方真実を疑うことはいくらでもできるものです。
@@joustinos何か盲目なカラヤン信奉者がいるようですね。素晴らしいところ、そうでないところ、どちらも見ることができないようですね。
面白い。
ネガティブではなく、カラヤンの才能と実績を評価する好意的な視点がもちろん一貫しているが、と言って決してノンキな肯定や賛辞に終始はしてない。事実がどうであったかーという興味や好奇心が誠実に持続され、履行されている印象の強い、優れたドキュメンタリーであり、ルポルタージュになっている。
これは、いつのドキュメンタリーでしょうか。とても見応えがあります。
日本での放送は1994年ですが、いつ製作されたかは分かりません。
ただドイツかオーストリア、またはその両方に他にもあるかもしれませんが、ヨーロッパの番組による製作ですね。
再放送はなかったように思います。
カラヤンの動画にいつもいますね
1993年の製作です。
はーからやんかっこいい
ナチの件で干されていた時は、ものすごく勉強したらしい。彼は、常に努力家ではあったとは思うがヴァントのように自家薬籠中の作品であっても新しい発見を求めて楽譜を見直すことはなかったと思う。初演の作品は、まずは若いものに自分のオーケストラを振らせてみてそれからという用意周到さもあったようだ。
年代毎に聞いていくだけでも解釈に変化があるのが分かるのに、「……自家薬籠中の作品であっても新しい発見を求めて楽譜を見直すことはなかったと思う」と、なぜ言い切れるのかが不思議です。
@@joustinos自分で聞いていてもそう思いますし、楽団員、カラヤンの側近の人たちも同様の発言をしています。ウォルターレッグの目が行き届いていた時は違ったようですが70年代に向けて彼が変わったのは糸を引くようなレガートだけではないですか?でも個人的に80年台のカラヤンは本当に素晴らしかったと思います。聴いていて涙が止まらなくような演奏がいくつかあります。
でっち上げはやめましょう。VPOは最後までカラヤンと共演したがアバドとは縁を切っただろう?
人のことを嘘つき呼ばわりする前に文献等、読んでみたらいかがですか?カラヤンを完璧主義者というような人も多いようですが結構録音ではいい加減でミスを指摘されても誰もわからないからそのままでいいというようなこともあったようですよ。アンネゾフィームターも言っていますしね。ウォルターレッグがついていた時は決して許されなかったと思います。
カラヤンの音楽はすごいと思っていた頃もありましたが、後に私はクラウディオ•アバドや小澤征爾の方へ惹かれていきました。カラヤンの ”演奏“ には、光栄に満ちた輝きと陶酔の中にも鋭く巧妙で一瞬たりとも隙のない冷ややかさのようなものを感じるようになっていきました。人物そのものからきていたのですね。いつか来日した時、ベートーヴェンの第九のリハーサルで自分の要求に応えられない合唱団に腹を立てて団員の一人の胸ぐらを掴んで怒鳴ったようなこともありましたから、このドキュメンタリーを見ると、然もありなん、でした。また、他のリハーサルではマリア•カラスが今生きていれば「ミートゥー」と訴えてもいいぐらいの、ちょうど先日(2023年の)女子サッカー世界選手権の金メダリストがやられたようなスキャンダルも起こしていますし…
それでも彼が確固たる世紀の音楽家であることには変わりありませんが。
胸ぐらを掴む? 「ミー・トゥー」?
この同じ番組で「人一倍自制心が強い」と言われているのに?
同じ番組でアンネ=ゾフィー・ムターが「信じられないほど思いやりのある優しい人」と評しているのに?
あまり適当なことは言わない方が良いですね。
@@joustinosさま ご返信ありがとうございました。
私も以前はカラヤンの大ファンでした。彼の醸し出すダイヤのような煌めきと透明感と隙のないアゴーギクは今でも他に比類ないものです。
ただ、40年以上昔に彼が来日した時の第九のリハーサルには私自身がその場面を目撃していますので、「適当なこと」ではありません。マリア・カラスの逸話は、以前に見た彼女のドキュメンタリーで、オペラの舞台稽古のとき相手のテノール歌手が見せかけの接吻をしたのに憤って、「いいか、接吻とはこういうものだ」とカラスを抱きしめて熱烈な接吻をして見せたと言うのです。当のテノール歌手が、そのときのマリアの顔色は蒼白だった、と語っていました。無論これはドキュメンタリーを制作した方が「適当なこと」を報じたのかもしれませんので、第九のリハーサルのように確実には申し上げられませんけれど。
アンネ=ゾフィー・ムターは14歳でベルリンフィルと初共演するという天才児で、カラヤンからは我が子のように可愛がられていたであろう人です。そのコンサートにはたまたま聴衆として居合わせました。「今からあんなに上手なら、将来どんなにすごくなるか楽しみ」と皆が騒ぎ立てているのに対して、当時のコンマスをなさっていた方が「いや、もうこれ以上の完璧はあり得ない」と仰っていたのが印象的でした。話が少しズレてすみませんでした。
でっち上げはやめましょう
@@オボットマンさま ご意見有難うございます。
真実をでっち上げることはできません。一方真実を疑うことはいくらでもできるものです。
@@joustinos何か盲目なカラヤン信奉者がいるようですね。素晴らしいところ、そうでないところ、どちらも見ることができないようですね。