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「グループAで勝つためだけに作られた車」これだけでカッコイイよね
それを現在やってるのがTOYOTAのGRヤリス
本物のバトルマシン
インプレッサ、ランサーエボリューションもWRCで勝つために開発された車というところで、通じるものがあるなと思いました。いずれも、90年代を代表する高性能4WDスポーツというところも。
@@maedamaeda2089セリカぁぁぁぁぁ...。
@@私を呼んだかいあれはもう別物や... 市販車のヤリスとは違いすぎる...
92年のオーストラリア、バサースト12時間耐久でも優勝して現地で『ゴジラ』と言われてましたね
2015年のバサースト12時間でGTRが優勝した時もゴジラと言われた激アツ展開
高橋国光さんが『完全に乗りこなせてない。これを分かりきっていない。もっと練習したい』って言ってたのが印象的
戦績もやばいけど、それ以上に市販車が4万台も売れたという事実がすごい。あのトヨタですら匙を投げた市場なのに。
やはりこの時期のGT-Rの伝説は素晴らしかったようですね。そのレースを生で見れた方が羨ましいです。素晴らしい動画をありがとうございます。もし機会があれば、海外でのレースについての動画を出していただけると嬉しいです。R32はマカオGPのサポートレースであるギアレースやスパ24時間耐久レース、オーストラリアのバサースト耐久など名だたるレースで総合優勝をしており、世界の一流メーカーのワークスなどを相手に確固たる成績を残しています。そして、その後各カテゴリーの様々な追い出し策を受けたり、DTMマシンなどと戦う羽目になっても善戦した経緯について教えていただきたいです。また、R32が出た時点で世界的にグループAは下火になっていたといいますがその点との兼ね合いも気になる所ですね…
あるカテゴリーで、あまりにも強すぎるレースマシンが登場すると、他チームが撤退してカテゴリーが衰退する事が一般的ですが、ポルシェ956/962やこのR32型スカイラインGT-R Gr.Aの様に、他チームが「マシンを乗り換えてくる」状態になると、ワンメイク化は起きるけど、カテゴリー自体はより活性化する場合もあるんですよね。オンタイムで見てはいませんでしたが、恐らく観客は「どの車が速いのか?」は二の次で、「GT-RはGr.A最強である」の追認をするために観戦していたのでは?と思います。だって、日本人って昔からそうじゃないですか。「巨人大鵬卵焼き」って。絶対的に強い存在が好物なんですよ。
バブル期は日本が輝いていました。あのような時代はもう来ないでしょうが、日本企業にはレース活動を継続し続けて欲しい💪
32のGTRが出た時は、衝撃でしたよね。当時の若者には憧れの車でしたね。この時代の自動車がいちばんかっこいいですよ、レースもラリーもグループAの時代が親近感があってよかったなあ😢
やっぱりR32は第二世代GT-Rでは別格の存在…
中学生の頃、この車が見たくて、チャリで1時間半かけて筑波サーキットまでレース見に行きました😅 パドックで星野さんとカルソニックカラーのGTRの実物みて感動したなぁ😆
動画UPお疲れ様です。R32 GT-Rの衝撃は凄かったです。グループAで全く海外勢に歯が立たない状態から、何とかたまにレースになるかな、ってところからのここまでの無双。世界中がGT-Rに諦め、ハイパワー4WDに諦め、グループAというカテゴリー自体の衰退につながってしまいましたが、日本が世界に誇れるモンスターマシンです。
R32スカイラインは父親の愛車でいつか自分でハンドルを握りたいと思った思い出のクルマ。そしてその中でもGT-Rは世界のレースで規制を受けるほどの脅威とみなされたGODZILLA。いつ見てもこのスカイラインは格好いいよ
当時では考えられないパワステ付きで全車周回遅れというねオーストラリアでは直6ツインターボ4WDが禁止される自体になったし本当に完璧なGr.Aマシン
発売当時、国産スポーツカーの水準を遥かに超える戦闘力を持っており、走り屋や車好きからは「公道に舞い降りたレーシングカー(諸説あり)」の通り名で呼ばれていたそうです✨マジで凄い車だな〜😍😍😍
おほー!!R32GTRの音ぉ!!(恍惚)
グループAの良い所はGTRのみならずシビックやレビンや、セリカやランエボやインプレッサ等々ホモロゲの対象モデルをユーザーが買う事で直接メーカーのレース活動の応援ができた事なんだよねユーザーも自分の車と同じ姿の車が好成績を残したら嬉しくなるし応援のしがいもあったまあバブル崩壊で他メーカーはGTRに対抗できる車を作れず、市販車ベースとはいえGTRは隅々まで開発していてプロトタイプのグループCカー並みに高コストだったらしくてメーカーは参戦コストの安いJTCCへ移りWRCも高性能ターボ四駆が年間で何万台も売れるのは日本メーカーぐらいだったからグループAは終わって改造範囲の広いWRカーへ移行しちゃったけど
今のWRCで使われてるラリー2/ラリー3とかもグループAの発展型扱いでグループA公認を取得しなきゃいけないんだよね確か
GRヤリス本来はWRカー規定に最適化したベース車として開発・販売しホモロゲは満たしたけど、肝心なWRカー規定が消滅したりコロナ禍でテストカーは作っても実戦投入しなかったな・・・一応ラリー2の方は予定通り来年から活躍するね
グループA全盛期に筑波サーキットと富士スピードウェイヘ観戦に行きましたが、観客数の多さグループA仕様のスカイラインGT-Rの速さに圧倒されたあの頃が懐かしいですね!!外観は市販車ベースで中身は別物だったのであの時代に観戦出来たのは幸せでした!!楽しい動画ありがとうございました!!🙂👃
福野礼一郎さんの書籍で、ポルシェ959とのつながりを紹介されたのを読んで、思わず納得してしまった記憶があります。
はじめまして、実際日産はポルシェ959を購入して基礎研究をなさっていたとある書籍で読んだ事があります!!
@@user-impul134ame959だけでなくベンツ190e2.3やBMW m3、果てはアウディクワトロs1まで購入して研究をやってました、実は日産がもっとも開発に金をかけてたのはターボの開発、一説にらよると1兆超えの金額を掛けてたらしいです。
やはりハイパワーターボ+4WDしかかたんね、ハコ車は
9:21 海外でもこんな音は出せませんヨw
やっぱRB26DETTは最強エンジンやな😂
ここまで無双できたスカイラインGTーRってハコスカとR32くらいしかいないんじゃないかな…。R35も高性能ではあったけど圧倒的ではなかったし。
勝つために生まれたクルマ。めちゃくちゃカッコいい。当時生まれてたらな〜、見たかった
アテーサE-TSは4WDと言っても普段は後輪駆動で後輪が滑った時だけ前輪にも駆動を掛けるって所が凝ってますよね。一流ドライバーがサーキットでしごいても最初は「めちゃめちゃ駆動掛けられるとても良く出来たFR」と思ってたそうなので、当初から充分完成されたシステムだったんでしょう。JTCでは耐久性重視&ライバルメーカーのヤル気を削がない様にチューンを控え目にしてたけどそれでもライバルに逃げ散られて、結局ガチの本気チューンで走ったのは海外のスパ24時間レースとマカオのギアレースだけだったとか。
ストリート(公道向け)では、いろんな改造ショップからアテーサE-TSを駆動配分固定する装置出てたな(笑)
@@宮澤実-o2fコントローラーは出てましたね、あとETSのヒューズ抜くだけでFRなるんですよ。
知ってる、林徳利さんが(ザウルス)ビデオoptionの企画ストリートゼロヨンでバーンナウトや相手がFR車相手だっけ?ヒューズ抜いて相手したりしましたね、
カルソニックスカイラインやアドバンスカイラインのイメージ強いです!
俺も最終戦見にいったんだが、もう駐車場が無い状態であのバンクに停められた。ものすごい人だった。
開発段階では「サーキットで四駆なんてラリーカーじゃないんだから。何を考えてるんだ」って否定的な意見が多かったんだよね
グループA仕様のR32GTRは幾度かあらゆるイベントで実物を見たことがあります。やはり格好いいですね。
日産といえば98年のR390 gt1もありますよね 自分的にトップクラスに好きなストーリーなのでぜひいつかお願いしたいです
昔、富士で序盤から後続を29秒差って聞いた時はビビったわぁ。
9:12みたいにレブガンガン当ててピットアウトしている時は星野さん、超ブチ切れモード(汗)(92年の鈴鹿500km)
この動画を待ってた!
90年当時トヨタもレギュレーションに合わせた2.51jzに変更したスープラでテストはしていましたが、GTRが出る事を事前にキャッチして1クラスは不参加、実際ウェイトハンデがなければ7mgのスプーラでもGTRと良い勝負ができたと言われています。gtrは、当時ニスモデリバリーで5500万販売、n1はディーラー販売、graは市販のボディーの板厚から別物です、単体で200k近く軽くて市販のヤツアンダーコート剥がして軽量化しても1200kg代にはならない エンジンは日産工機、GT.a終了後に余ったパーツがレイニックから一般にも手に入るようになりました。24uよりも強度な『rrr』のブロックは後にブースト2、5に耐えるGTブロックとして販売、ターボもgr.aタービンと呼ばれニスモから販売してましたが耐熱が200度以上違うのて市販限定ニスモとは別物、 a/rやトリムも市販ニスモより大きいです、ちなみにブーストも2.5以上可能のちにNISMOからLMタービンとして販売、 ちなみ93年に自分が乗ってたRは禁断の、2.8L だったが24uが思ったらより強くてクラックはなかった、ブースト1.5 .ちなみ93年にgr.a終了事に数台の車両がチューニングショップに流れました、今は日産本社にカルソニック91年が展示されてます。270/18の650サイズのタイヤを納めるために特注のフェンダーフレアが明らか市販ゆより広いです、レギュレーション上では確か2cmまでokだったけどみたら明らかに超えてます。
本当の速さを見れたのはスパとマカオだけだった。富士のストレートで前が浮き上がる怪物
GT-R!!初代の50勝。伝説となったスカイラインに新たなGT-R。それはレース好きではなくても一度は見たいと思わせるに十分でしたね!!!今では海外で大人気になっていて、1000馬力にアップしたGT-Rが走っている所を見ます。日本の車でGT-RはNo.1の知名度ではないでしょうか??ちなみに幼少期に箱スカを、青年期に鉄仮面のレースを観てました!!!
日産「伊藤さん!R31に好き放題言ってた奴らを見返してくれ!開発費に糸目はつけん!櫻井さんの無念も晴らしてくれ!好き放題してくれ!究極のレーシングカーを作ってくれ!プリンスの魂!あんたらの真骨頂を見せてくれ!」中川さん「頼むぞ!」櫻井さん「すまん…伊藤…頼む…」伊藤さん「っしゃあ!お前ら!櫻井さんの弔い合戦だ!絶対負けられん!準備いいか!」エンジニア「オー!」こんなノリで作ってそう…
これががかっこいいんだよなー!
気がついたらグループAがGT-Rだらけになってシビックとか下位クラスの方を注目していたような
JTCはクラス1がGT-Rワンメイク、クラス2がM3ワンメイク状態だったのに対してクラス3はレビン/シビック/ミラージュの三つ巴だったんで盛り上がってましたね。
スープラ1JZターボもスカイラインRB26ターボと張り合うくらいの性能だったが、2WDと4WDの違いによるタイヤの摩耗に大きな違いがありタイヤ交換回数に差ができるため勝負にならないと判断しスープラ1JZでの出場はしなかった。
トヨタのJZだとGR.Aのレギュレーションで対抗するのは無理ですね、全く次元が違います。 ポート、水回りバルブ小径がネックですね、グループAではこれを変更する事は認められてないので、エンジンだけのポテンシャルで見ても全く太刀打ち出来ないです。むしろGT500のように3sの503eと言うエンジン搭載した方が有利でしたね。
現在では希少価値がある為に数千万円以上で取り引きされてる1台でもある
やっぱりGT-Rと言えばコイツでしょ!絶対王者にして、最強の王。若い頃にロータリーに乗って峠攻めてた時、コイツがいつも目の前にいて、いつもベンチマークだった。未だにコイツが欲しいし、他のGT-Rなんて要らない。僕の人生の中でコイツが一番だし、車と言うと乗っていたFCとR32GT-Rしか連想しないね。コレ以降の日産には期待も希望も無くなったし、現行GT-Rは乗りたいとも思わない。
r33
RWD車も多かったN1耐久ではコースアウトしても簡単に復帰してしまう事から『戦車』とか言われた事があったらしいw
Godzilla!🦖🦖🦖
訂正1 4:28のはNISMOチューンであって、ホモロゲ用のR32 NISMOとは違う訂正2 R32 NISMOはノーマルでは400psもない 補足1 7:25 カーボン製の強化シャフトを使っていても、それが捩れるほどのパワーで、ヒールアンドトゥがしにくかったという訂正3&4 15:00の画像は1993シーズンのものまた、よく勘違いされているが92年以降は"チームタイサン"としての出場はない。91年こそチームタイサンとして、プライベーターとして参戦したものの、ワークスとはコンピューターのマップが違ったため、92年からは新設の"チーム国光"としてワークス参戦、タイサンはスポンサーという形になる訂正5 "このタイサンGT-R"と言っているが、画像の1993シーズンのものは(ワークスの為)NISMOからのレンタルであり、レストアの後、日産ヘリテージコレクションに保管されている(自走可能)で、出品されたのは1991のチームタイサンのGT-R
マカオに参戦した際の『本来の実力(※ブースト1.7k)』は、国内では一度も試されなかったんだよね…制限(※ブースト1.4k)掛けた状態で『あの戦績』だったから、その必要が無かったのもあるけど。
マカオはアブガスだったから2.3とかかけてた
マカオの時は航空機用燃料入れていたんだよ‼️\(^_^)/
@@LASREPLASMAたしかそうだね、最初の所詮から確か1.5程度に下げたんだ。 当時うちの2.8Lも1.5かけてたが。
@@ddi-w7v 日本では速すぎてレースが消えるかもということで550PS耐久性重視仕様に
全日本JGTC選手権を全日本GT-R選手権に変えてしまったマシンですなカルソニックカラーはやはり今見てもかっこいいですねこの頃の日産はCカーでもエグいマシン作ってましたねw
日産は昔は良かったげど今は、、、といわれることが多いですね
土屋圭市によると…富士スピードウェイのストレートで時速300㌔越えると…重いRB26DETTを積んでいるフロントが浮いていた…とかw
250超えるとやはりハンドリングが甘くなりましたね、そのためにリヤスポ外したりしましたが。
グループA車両では、アテーサをオミットして直結4WDだったそうです。テストでフロントのドライブシャフトを抜いて富士でテストしたらラップタイムが2秒も速くなったそうで、4WDの駆動抵抗は馬鹿にできなくて、グループAのレギュレーションでの限られたタイヤサイズでの駆動輪の摩耗を抑える効果の方が大きかったそうです。因みにN1耐久の車両もアテーサの制御を書き換えて常時直結にしていたそうです。トルクスプリット4WDって便利に感じるけどドライブフィールが極端に変化するので速さを競う競技ではNGだったそうです。
それは初めて聞きましたね、一様コントローラはついていたのと構造的に直結は出来ないです、正確には直結ではなく常時と言う意味、n1はそのま枚使ってたはずですよ。 あと2躯でテストしたのは初期のGTでは?
@@ddi-w7v GrA時代の話ですよ、シャフトで直結していたんです、これは、日産のスポーツ車両実験部に人から聞いたから確か、N1は当時走っていたドライバーに話を聞きましたよ、直結と言うか常時50:50の駆動配分であ走っていたそうです。その人ヒルクライムで自分のR32のアテーサをいじって同じ様に50:50の常時4駆で走っていましたよ、たまにトラブってFRになったましたけど。
グループAを取り上げられたなら、ぜひともBTCCもやって欲しいです!
まあ当時のエンジニアの主軸はスカイライン産みの親プリンスの「プリンスのエンジニア」とその愛弟子が主軸で日産の財力で作った強化したマシンだからな。スカイラインの産みの親たちが「日産に入って窮屈に感じることは全くなかった(そりゃVIP待遇だから)。強いて言って変わったことと言えば開発にお金がたくさん使える様になったことくらいですかねえ…」第3回日本グランプリで凄まじいダントツでR360を作った凄まじいマシンとピットクルーだった。
動画最後のエンジン音が当時の雰囲気を感じてビックリした
ブレーキペダルが過熱して足の裏を火傷したとか、シューズのソールが溶けたとかの話を聞いたのはこの車が最初だった覚えがある。J-WAVEのピストン西沢さんの番組で、星野さんはレーシングスーツを着る際インナーは着ずしかも暑いときは上半身のファスナーを閉めないから、窓を開けて走るのが普通だったグループAのときに星野さんの胸毛がそよぐとネタにされてたw石浦宏明選手は星野さんのその姿が憧れだったらしいw
NISMOにはマニュアルエアコン付いてた気がするが
長谷見チームの「ブレーキランプを遅らせて点灯させる」という魔改造が好き‼️\(^_^)/
排気量専用設計だったため、いちいち排気量ごとに専用設計を出さねばならなかった1S~5SやJZエンジンと違い、レース専用設計でRXX(XXは排気量の上2桁の数字が入る)など排気量ごとにバリエーションを分けれた。しかしトヨタのエンジンに負けないため鋳鉄クローズドで作らざるを得なかったが、R26エンジン(2600ccツインターボ)は3SGTE(トヨタ2000ccターボ)と同じ重量に納めた。櫻井さん…やはりあんたらプリンスチームは化け物集団としか言えんで…櫻井さんが入院したから日産がプリンス時代からの櫻井さんの愛弟子で別車両の設計してた伊藤さんを急遽チームリーダーにした日産の「プリンスエンジニアに好き放題させる」スタイルは間違ってなかった。
『R R R』通称グループAブロック、のちにGTブロックとしてNISMOから販売 タービンもNISMO Gr.aタービン、のちにLMタービンとして販売、 ターボの耐熱なんか200°以上高いヤツねブロックはそのまま使ったら割れるよ。
有名すぎてスペックとか詳しく知らない車でした解説は有難いです^^
アフターファイアの音がもう銃声みたい
この時代、レースで無敵を誇ったRX-7とスカイラインGTR
個人的に26より20DET-Rの方が音好き
そろそろDTMをがっつり見たいですね。特に93’~96’、アルファvsメルセデス、オペルの解説を是非❤
この4連テールライトがこの時期の「スカイライン」よ!
カルソニックのホイールデザインってこんなだっけ?
GT-Rデビュー時メッシュタイプ(カルソニック)でしたね、ベスモの動画では、
@@宮澤実-o2fスピードスターがスポンサーだったからね。後にレイズ テストではパナ
カルソニックスカイラインにイエローペイントのホイール装着してた時期なんてあったっけ?
デビュー戦はBBSのメッシュ
@@LASREPLASMAメッシュホイールのカラーはブロンズゴールドだし…動画のは完全なるイエローでなおかつ5本スポークよ?実際にあるのかネットで調べてみたが記事すら出てこない
@@him172 5スポークはないからキャプションミスとか?
GT-R.....すべてを変えるために生まれて規制とともに死ぬ名前......いつか必ず帰ってきます、信じましょう追記: BNR32 NISMO,父親の愛車です、アルバムを見るたびに憧れます
ザウルスチャンプGTRがない…
林さん商売っけなさすぎて
やっぱりGTR(スカイラインGTR)はR32>R33>R34だな!
80スープラとR32は300ps以上を280psと逆鯖よんで発売してた模様(R32だけだったかな?)
出荷状態でR32は300馬力程度、R33は330馬力程出ていたとか。所詮は「自主規制」なんで別に問題無いんですけどね。三菱GTOも明らかにトルクモリモリだったんで怪しい。
BNR32NISMO限定車はリヤワイパー無いのよね(グループA車両もリヤワイパー無し)
よく売れたマシンのせいか、近所で2台(二人)所有者が居る🤣
動画投稿お疲れ様でした、次回の動画も楽しみにしてますね(*・ω・)*_ _)ペコリ
エボリューションモデルと言っても年間500台か。今では無理だ。
32だよね💕︎GTRは⸝⸝- ̫ -⸝⸝ダイナモかけると400近く出てるよ(/// ^///)国には自主規制⸝⸝- ̫ -⸝⸝実際は400近く出てる
Gr,A時代にHKSはシーケンシャルなんか使ってたんや(੭ ᐕ))?
シーケンシャルはないよ。
4発の方がバランスは良さそう
北野さんは前作の4気筒マシンを絶賛している‼️(^o^)/
「グループAで勝つためだけに作られた車」これだけでカッコイイよね
それを現在やってるのがTOYOTAのGRヤリス
本物のバトルマシン
インプレッサ、ランサーエボリューションもWRCで勝つために開発された車というところで、通じるものがあるなと思いました。
いずれも、90年代を代表する高性能4WDスポーツというところも。
@@maedamaeda2089
セリカぁぁぁぁぁ...。
@@私を呼んだかいあれはもう別物や... 市販車のヤリスとは違いすぎる...
92年のオーストラリア、バサースト12時間耐久でも優勝して現地で『ゴジラ』と言われてましたね
2015年のバサースト12時間でGTRが優勝した時もゴジラと言われた激アツ展開
高橋国光さんが『完全に乗りこなせてない。これを分かりきっていない。もっと練習したい』って言ってたのが印象的
戦績もやばいけど、それ以上に市販車が4万台も売れたという事実がすごい。あのトヨタですら匙を投げた市場なのに。
やはりこの時期のGT-Rの伝説は素晴らしかったようですね。そのレースを生で見れた方が羨ましいです。素晴らしい動画をありがとうございます。
もし機会があれば、海外でのレースについての動画を出していただけると嬉しいです。R32はマカオGPのサポートレースであるギアレースやスパ24時間耐久レース、オーストラリアのバサースト耐久など名だたるレースで総合優勝をしており、世界の一流メーカーのワークスなどを相手に確固たる成績を残しています。そして、その後各カテゴリーの様々な追い出し策を受けたり、DTMマシンなどと戦う羽目になっても善戦した経緯について教えていただきたいです。
また、R32が出た時点で世界的にグループAは下火になっていたといいますがその点との兼ね合いも気になる所ですね…
あるカテゴリーで、あまりにも強すぎるレースマシンが登場すると、他チームが撤退してカテゴリーが衰退する事が一般的ですが、ポルシェ956/962やこのR32型スカイラインGT-R Gr.Aの様に、他チームが「マシンを乗り換えてくる」状態になると、ワンメイク化は起きるけど、カテゴリー自体はより活性化する場合もあるんですよね。
オンタイムで見てはいませんでしたが、恐らく観客は「どの車が速いのか?」は二の次で、「GT-RはGr.A最強である」の追認をするために観戦していたのでは?と思います。
だって、日本人って昔からそうじゃないですか。「巨人大鵬卵焼き」って。絶対的に強い存在が好物なんですよ。
バブル期は日本が輝いていました。あのような時代はもう来ないでしょうが、日本企業にはレース活動を継続し続けて欲しい💪
32のGTRが出た時は、衝撃でしたよね。当時の若者には憧れの車でしたね。この時代の自動車がいちばんかっこいいですよ、レースもラリーもグループAの時代が親近感があってよかったなあ😢
やっぱりR32は第二世代GT-Rでは別格の存在…
中学生の頃、この車が見たくて、チャリで1時間半かけて筑波サーキットまでレース見に行きました😅 パドックで星野さんとカルソニックカラーのGTRの実物みて感動したなぁ😆
動画UPお疲れ様です。
R32 GT-Rの衝撃は凄かったです。
グループAで全く海外勢に歯が立たない状態から、何とかたまにレースになるかな、ってところからのここまでの無双。
世界中がGT-Rに諦め、ハイパワー4WDに諦め、グループAというカテゴリー自体の衰退につながってしまいましたが、日本が世界に誇れるモンスターマシンです。
R32スカイラインは父親の愛車でいつか自分でハンドルを握りたいと思った思い出のクルマ。そしてその中でもGT-Rは世界のレースで規制を受けるほどの脅威とみなされたGODZILLA。いつ見てもこのスカイラインは格好いいよ
当時では考えられないパワステ付きで全車周回遅れというね
オーストラリアでは直6ツインターボ4WDが禁止される自体になったし
本当に完璧なGr.Aマシン
発売当時、国産スポーツカーの水準を遥かに超える戦闘力を持っており、走り屋や車好きからは「公道に舞い降りたレーシングカー(諸説あり)」の通り名で呼ばれていたそうです✨マジで凄い車だな〜😍😍😍
おほー!!R32GTRの音ぉ!!(恍惚)
グループAの良い所はGTRのみならずシビックやレビンや、セリカやランエボやインプレッサ等々
ホモロゲの対象モデルをユーザーが買う事で直接メーカーのレース活動の応援ができた事なんだよね
ユーザーも自分の車と同じ姿の車が好成績を残したら嬉しくなるし応援のしがいもあった
まあバブル崩壊で他メーカーはGTRに対抗できる車を作れず、市販車ベースとはいえGTRは隅々まで開発していてプロトタイプのグループCカー並みに高コストだったらしくてメーカーは参戦コストの安いJTCCへ移り
WRCも高性能ターボ四駆が年間で何万台も売れるのは日本メーカーぐらいだったからグループAは終わって改造範囲の広いWRカーへ移行しちゃったけど
今のWRCで使われてるラリー2/ラリー3とかもグループAの発展型扱いでグループA公認を取得しなきゃいけないんだよね確か
GRヤリス本来はWRカー規定に最適化したベース車として開発・販売しホモロゲは満たしたけど、肝心なWRカー規定が消滅したりコロナ禍でテストカーは作っても実戦投入しなかったな・・・
一応ラリー2の方は予定通り来年から活躍するね
グループA全盛期に筑波サーキットと富士スピードウェイヘ観戦に行きましたが、観客数の多さグループA仕様のスカイラインGT-Rの速さに圧倒されたあの頃が懐かしいですね!!外観は市販車ベースで中身は別物だったのであの時代に観戦出来たのは幸せでした!!楽しい動画ありがとうございました!!🙂👃
福野礼一郎さんの書籍で、ポルシェ959とのつながりを紹介されたのを読んで、思わず納得してしまった記憶があります。
はじめまして、実際日産はポルシェ959を購入して基礎研究をなさっていたとある書籍で読んだ事があります!!
@@user-impul134ame959だけでなくベンツ190e2.3やBMW m3、果てはアウディクワトロs1まで購入して研究をやってました、実は日産がもっとも開発に金をかけてたのはターボの開発、一説にらよると1兆超えの金額を掛けてたらしいです。
やはりハイパワーターボ+4WDしかかたんね、ハコ車は
9:21 海外でもこんな音は出せませんヨw
やっぱRB26DETTは最強エンジンやな😂
ここまで無双できたスカイラインGTーRってハコスカとR32くらいしかいないんじゃないかな…。R35も高性能ではあったけど圧倒的ではなかったし。
勝つために生まれたクルマ。めちゃくちゃカッコいい。当時生まれてたらな〜、見たかった
アテーサE-TSは4WDと言っても普段は後輪駆動で後輪が滑った時だけ前輪にも駆動を掛けるって所が凝ってますよね。一流ドライバーがサーキットでしごいても最初は「めちゃめちゃ駆動掛けられるとても良く出来たFR」と思ってたそうなので、当初から充分完成されたシステムだったんでしょう。
JTCでは耐久性重視&ライバルメーカーのヤル気を削がない様にチューンを控え目にしてたけどそれでもライバルに逃げ散られて、結局ガチの本気チューンで走ったのは海外のスパ24時間レースとマカオのギアレースだけだったとか。
ストリート(公道向け)では、いろんな改造ショップからアテーサE-TSを駆動配分固定する装置出てたな(笑)
@@宮澤実-o2fコントローラーは出てましたね、あとETSのヒューズ抜くだけでFRなるんですよ。
知ってる、林徳利さんが(ザウルス)ビデオoptionの企画ストリートゼロヨンでバーンナウトや相手がFR車相手だっけ?ヒューズ抜いて相手したりしましたね、
カルソニックスカイラインや
アドバンスカイラインのイメージ
強いです!
俺も最終戦見にいったんだが、もう駐車場が無い状態であのバンクに
停められた。
ものすごい人だった。
開発段階では「サーキットで四駆なんてラリーカーじゃないんだから。何を考えてるんだ」って否定的な意見が多かったんだよね
グループA仕様のR32GTRは幾度かあらゆるイベントで実物を見たことがあります。やはり格好いいですね。
日産といえば98年のR390 gt1もありますよね 自分的にトップクラスに好きなストーリーなのでぜひいつかお願いしたいです
昔、富士で序盤から後続を29秒差って聞いた時はビビったわぁ。
9:12みたいにレブガンガン当ててピットアウトしている時は星野さん、超ブチ切れモード(汗)(92年の鈴鹿500km)
この動画を待ってた!
90年当時トヨタもレギュレーションに合わせた2.51jzに変更したスープラでテストはしていましたが、GTRが出る事を事前にキャッチして1クラスは不参加、実際ウェイトハンデがなければ7mgのスプーラでもGTRと良い勝負ができたと言われています。
gtrは、当時ニスモデリバリーで5500万販売、n1はディーラー販売、graは市販のボディーの板厚から別物です、単体で200k近く軽くて市販のヤツアンダーコート剥がして軽量化しても1200kg代にはならない エンジンは日産工機、GT.a終了後に余ったパーツがレイニックから一般にも手に入るようになりました。24uよりも強度な『rrr』のブロックは後にブースト2、5に耐えるGTブロックとして販売、ターボもgr.aタービンと呼ばれニスモから販売してましたが耐熱が200度以上違うのて市販限定ニスモとは別物、 a/rやトリムも市販ニスモより大きいです、ちなみにブーストも2.5以上可能のちにNISMOからLMタービンとして販売、 ちなみ93年に自分が乗ってたRは禁断の、2.8L だったが24uが思ったらより強くてクラックはなかった、ブースト1.5 .
ちなみ93年にgr.a終了事に数台の車両がチューニングショップに流れました、
今は日産本社にカルソニック91年が展示されてます。
270/18の650サイズのタイヤを納めるために特注のフェンダーフレアが明らか市販ゆより広いです、
レギュレーション上では確か2cmまでokだったけどみたら明らかに超えてます。
本当の速さを見れたのはスパとマカオだけだった。富士のストレートで前が浮き上がる怪物
GT-R!!初代の50勝。伝説となったスカイラインに新たなGT-R。それはレース好きではなくても一度は見たいと思わせるに十分でしたね!!!今では海外で大人気になっていて、1000馬力にアップしたGT-Rが走っている所を見ます。日本の車でGT-RはNo.1の知名度ではないでしょうか??ちなみに幼少期に箱スカを、青年期に鉄仮面のレースを観てました!!!
日産「伊藤さん!R31に好き放題言ってた奴らを見返してくれ!開発費に糸目はつけん!櫻井さんの無念も晴らしてくれ!好き放題してくれ!究極のレーシングカーを作ってくれ!プリンスの魂!あんたらの真骨頂を見せてくれ!」
中川さん「頼むぞ!」
櫻井さん「すまん…伊藤…頼む…」
伊藤さん「っしゃあ!お前ら!櫻井さんの弔い合戦だ!絶対負けられん!準備いいか!」
エンジニア「オー!」
こんなノリで作ってそう…
これががかっこいいんだよなー!
気がついたらグループAがGT-Rだらけになってシビックとか下位クラスの方を注目していたような
JTCはクラス1がGT-Rワンメイク、クラス2がM3ワンメイク状態だったのに対してクラス3はレビン/シビック/ミラージュの三つ巴だったんで盛り上がってましたね。
スープラ1JZターボもスカイラインRB26ターボと張り合うくらいの性能だったが、2WDと4WDの違いによるタイヤの摩耗に大きな違いがありタイヤ交換回数に差ができるため勝負にならないと判断しスープラ1JZでの出場はしなかった。
トヨタのJZだとGR.Aのレギュレーションで対抗するのは無理ですね、全く次元が違います。 ポート、水回りバルブ小径がネックですね、
グループAではこれを変更する事は認められてないので、エンジンだけのポテンシャルで見ても全く太刀打ち出来ないです。
むしろGT500のように3sの503eと言うエンジン搭載した方が有利でしたね。
現在では希少価値がある為に数千万円以上で取り引きされてる1台でもある
やっぱりGT-Rと言えばコイツでしょ!
絶対王者にして、最強の王。
若い頃にロータリーに乗って峠攻めてた時、コイツがいつも目の前にいて、いつもベンチマークだった。
未だにコイツが欲しいし、他のGT-Rなんて要らない。
僕の人生の中でコイツが一番だし、車と言うと乗っていたFCとR32GT-Rしか連想しないね。
コレ以降の日産には期待も希望も無くなったし、現行GT-Rは乗りたいとも思わない。
r33
RWD車も多かったN1耐久ではコースアウトしても簡単に復帰してしまう事から『戦車』とか言われた事があったらしいw
Godzilla!🦖🦖🦖
訂正1 4:28のはNISMOチューンであって、ホモロゲ用のR32 NISMOとは違う
訂正2 R32 NISMOはノーマルでは400psもない
補足1 7:25 カーボン製の強化シャフトを使っていても、それが捩れるほどのパワーで、ヒールアンドトゥがしにくかったという
訂正3&4 15:00の画像は1993シーズンのもの
また、よく勘違いされているが92年以降は"チームタイサン"としての出場はない。
91年こそチームタイサンとして、プライベーターとして参戦したものの、ワークスとはコンピューターのマップが違ったため、92年からは新設の"チーム国光"としてワークス参戦、タイサンはスポンサーという形になる
訂正5 "このタイサンGT-R"と言っているが、画像の1993シーズンのものは(ワークスの為)NISMOからのレンタルであり、レストアの後、日産ヘリテージコレクションに保管されている(自走可能)
で、出品されたのは1991のチームタイサンのGT-R
マカオに参戦した際の『本来の実力(※ブースト1.7k)』は、国内では一度も試されなかったんだよね…
制限(※ブースト1.4k)掛けた状態で『あの戦績』だったから、その必要が無かったのもあるけど。
マカオはアブガスだったから2.3とかかけてた
マカオの時は航空機用燃料入れていたんだよ‼️\(^_^)/
@@LASREPLASMAたしかそうだね、最初の所詮から確か1.5程度に下げたんだ。 当時うちの2.8Lも1.5かけてたが。
@@ddi-w7v
日本では速すぎてレースが消えるかもということで550PS耐久性重視仕様に
全日本JGTC選手権を全日本GT-R選手権に変えてしまったマシンですな
カルソニックカラーはやはり今見てもかっこいいですね
この頃の日産はCカーでもエグいマシン作ってましたねw
日産は昔は良かったげど今は、、、といわれることが多いですね
土屋圭市によると…富士スピードウェイのストレートで時速300㌔越えると…
重いRB26DETTを積んでいるフロントが浮いていた…とかw
250超えるとやはりハンドリングが甘くなりましたね、そのためにリヤスポ外したりしましたが。
グループA車両では、アテーサをオミットして直結4WDだったそうです。テストでフロントのドライブシャフトを抜いて富士でテストしたらラップタイムが2秒も速くなったそうで、4WDの駆動抵抗は馬鹿にできなくて、グループAのレギュレーションでの限られたタイヤサイズでの駆動輪の摩耗を抑える効果の方が大きかったそうです。因みにN1耐久の車両もアテーサの制御を書き換えて常時直結にしていたそうです。トルクスプリット4WDって便利に感じるけどドライブフィールが極端に変化するので速さを競う競技ではNGだったそうです。
それは初めて聞きましたね、一様コントローラはついていたのと構造的に直結は出来ないです、正確には直結ではなく常時と言う意味、n1はそのま枚使ってたはずですよ。
あと2躯でテストしたのは初期のGTでは?
@@ddi-w7v GrA時代の話ですよ、シャフトで直結していたんです、これは、日産のスポーツ車両実験部に人から聞いたから確か、N1は当時走っていたドライバーに話を聞きましたよ、直結と言うか常時50:50の駆動配分であ走っていたそうです。
その人ヒルクライムで自分のR32のアテーサをいじって同じ様に50:50の常時4駆で走っていましたよ、たまにトラブってFRになったましたけど。
グループAを取り上げられたなら、ぜひともBTCCもやって欲しいです!
まあ当時のエンジニアの主軸はスカイライン産みの親プリンスの「プリンスのエンジニア」とその愛弟子が主軸で日産の財力で作った強化したマシンだからな。
スカイラインの産みの親たちが「日産に入って窮屈に感じることは全くなかった(そりゃVIP待遇だから)。強いて言って変わったことと言えば開発にお金がたくさん使える様になったことくらいですかねえ…」
第3回日本グランプリで凄まじいダントツでR360を作った凄まじいマシンとピットクルーだった。
動画最後のエンジン音が当時の雰囲気を感じてビックリした
ブレーキペダルが過熱して足の裏を火傷したとか、シューズのソールが溶けたとかの話を聞いたのはこの車が最初だった覚えがある。J-WAVEのピストン西沢さんの番組で、星野さんはレーシングスーツを着る際インナーは着ずしかも暑いときは上半身のファスナーを閉めないから、窓を開けて走るのが普通だったグループAのときに星野さんの胸毛がそよぐとネタにされてたw石浦宏明選手は星野さんのその姿が憧れだったらしいw
NISMOにはマニュアルエアコン付いてた気がするが
長谷見チームの「ブレーキランプを遅らせて点灯させる」という魔改造が好き‼️\(^_^)/
排気量専用設計だったため、いちいち排気量ごとに専用設計を出さねばならなかった1S~5SやJZエンジンと違い、レース専用設計でRXX(XXは排気量の上2桁の数字が入る)など排気量ごとにバリエーションを分けれた。しかしトヨタのエンジンに負けないため鋳鉄クローズドで作らざるを得なかったが、R26エンジン(2600ccツインターボ)は3SGTE(トヨタ2000ccターボ)と同じ重量に納めた。
櫻井さん…やはりあんたらプリンスチームは化け物集団としか言えんで…櫻井さんが入院したから日産がプリンス時代からの櫻井さんの愛弟子で別車両の設計してた伊藤さんを急遽チームリーダーにした日産の「プリンスエンジニアに好き放題させる」スタイルは間違ってなかった。
『R R R』通称グループAブロック、のちにGTブロックとしてNISMOから販売 タービンもNISMO Gr.aタービン、のちにLMタービンとして販売、
ターボの耐熱なんか200°以上高いヤツね
ブロックはそのまま使ったら割れるよ。
有名すぎてスペックとか詳しく知らない車でした
解説は有難いです^^
アフターファイアの音がもう銃声みたい
この時代、レースで無敵を誇ったRX-7とスカイラインGTR
個人的に26より20DET-Rの方が音好き
そろそろDTMをがっつり見たいですね。特に93’~96’、アルファvsメルセデス、オペルの解説を是非❤
この4連テールライトがこの時期の「スカイライン」よ!
カルソニックのホイールデザインってこんなだっけ?
GT-Rデビュー時メッシュタイプ(カルソニック)でしたね、ベスモの動画では、
@@宮澤実-o2fスピードスターがスポンサーだったからね。
後にレイズ テストではパナ
カルソニックスカイラインにイエローペイントのホイール装着してた時期なんてあったっけ?
デビュー戦はBBSのメッシュ
@@LASREPLASMA
メッシュホイールのカラーはブロンズゴールドだし…
動画のは完全なるイエローでなおかつ5本スポークよ?
実際にあるのかネットで調べてみたが記事すら出てこない
@@him172 5スポークはないからキャプションミスとか?
GT-R.....すべてを変えるために生まれて規制とともに死ぬ名前......
いつか必ず帰ってきます、信じましょう
追記: BNR32 NISMO,父親の愛車です、アルバムを見るたびに憧れます
ザウルスチャンプGTRがない…
林さん商売っけなさすぎて
やっぱりGTR(スカイラインGTR)はR32>R33>R34だな!
80スープラとR32は300ps以上を280psと逆鯖よんで発売してた模様(R32だけだったかな?)
出荷状態でR32は300馬力程度、R33は330馬力程出ていたとか。所詮は「自主規制」なんで別に問題無いんですけどね。三菱GTOも明らかにトルクモリモリだったんで怪しい。
BNR32NISMO限定車はリヤワイパー無いのよね(グループA車両もリヤワイパー無し)
よく売れたマシンのせいか、近所で2台(二人)所有者が居る🤣
動画投稿お疲れ様でした、次回の動画も楽しみにしてますね(*・ω・)*_ _)ペコリ
エボリューションモデルと言っても年間500台か。
今では無理だ。
32だよね💕︎
GTRは⸝⸝- ̫ -⸝⸝
ダイナモかけると
400近く出てるよ(/// ^///)
国には自主規制⸝⸝- ̫ -⸝⸝
実際は400近く出てる
Gr,A時代にHKSはシーケンシャルなんか使ってたんや(੭ ᐕ))?
シーケンシャルはないよ。
4発の方がバランスは良さそう
北野さんは前作の4気筒マシンを絶賛している‼️(^o^)/