Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
80年の成績を見れば、92年がマトモに見えてくる・・・
実際、相対的な成績で見ても1992年 全16チーム中4位1980年 全15チーム中10位(ワースト)2020年 全10チーム中6位(ワースト2位)ですから、1992年はだいぶマシですね……というかどんだけひどかったんだ、SF1000。
92年のフェラーリよりひどい跳ね馬があったとは・・・
最悪のマシンでも持てる限りの力を出したからジルはすごいと思う。特にモナコで他より二秒遅いのに雨が振り始めると他のマシンよりも二秒速く走り5位入賞した。
なんとなくプロゴルファー猿的なマンガ主人公感があるんだよな 😉ワイはジルや!スノーモービルチャンプのジルや!雨のモナコがナンボのモンじゃい!!
やはり伝統的にエンジンありき…っていうのが足枷になったのかな…?と感じますね。シャシーの部分は過去にもミッドシップ車への移行が遅れたりフルモノコックへの対応も遅かったですよね…エンジンが全て…的な体質というかエンツォの考えだったのでしょう。ホンダも似たような所がありますよね。宗一郎の考えが強烈に反映されるような感じ…ありましたからね。80年のフェラーリとウイリアムズ…92年のマクラーレンとウイリアムズ…トレンドを掴んだチームと掴みそこねたチームの今昔物語…時代は繰り返されますね。因みに私は…T4、T5は見た目的にはとても好きなマシンです!!個性的!!
成績最悪だしマシンはゲテモノ感なデザインだけどジルとシェクターの組み合わせが最高に好き伝説の3輪ドリフトで周回したり(しかも他のドライバーと余り変わらないタイムとか⁉️)(*´▽`*)
チャンピオンチームが翌年外すケースは何度かみてきたけどT5はずば抜けてひどい。突き抜けてる。
コレを見ると90年代のアレジ、ベルガー、カペリ、そしてシューマッハとアーバインが手を焼き悩ませたあの低迷期が如何に未だマシな方だったかと言うのが痛い程良く分かりますね。(汗)
予選落ちしたシェクター「まあでもグダグダな走りを決勝で見せることがなくてよかったよ」
そんなマシンでも最大限のパフォーマンスを引き出そうとしたジルが健闘するも、イモラでの大クラッシュがT5の限界を示していました。
いつも楽しませていただいてます。追加の情報ですが大切なので。この年のT5はT4とはスライディングスカートの機構を変更していたのですが、実はそれがすごい改悪だったんです。想定通りにスカートが動かず、上がったまま降りなかったり動作が非常に悪いフリクションの多いスカートだったんですね。早い段階で他チームのデザイナーは「あのスカートは謎だよな」と噂するほど酷かったらしいです。まスカートがマトモでもとてもじゃないけどタイトル争いするクルマでなかったことは確かですけど。それをいえばT4もたまたま端境期でタイトル獲れただけで、ウィリアムズがFW07を開幕から走らせていたり、リジェがシーズン4戦目からサイドポッドを改悪して気が付かない状態が続かなければどちらかがタイトルを獲っていておかしくないシーズンでしたしね。 それと後予選落ちの件ですが、71年にモナコでアンドレッティが喫していたような気が。
312T5もF92Aもどちらもエンジンがカスだったのに、エンジンがダメ!とは言えなかったんだろうなぁ。
79年はシェクターがドライバーズを取ったのに。それからミハエルが黄金時代を作るまでドライバーズタイトルはゼロだったわけだ。
覚えていますよ。312T4の正常進化型の触れ込みでデビューしたT5でしたが前年度の前半にデビューしてタイトル争いを繰り広げたFW07や前年度シーズン最終盤に登場して速さを見せたBT49、前年度初頭から速かったリジェに全く付いて行けず、同じく80年から迷車を連発して迷走期に入ったマクラーレンと熾烈な入賞争いを繰り広げてましたね。ひときわ印象的だったのがロングビーチGPで(ピケット初優勝のレース)、5位を走るヴィルヌーヴのT5が海岸沿いのバックストレートと高速コーナーの1/3近くを走っていた時にトップを独走していたBT49が高速セクションに進入、ヴィルヌーヴが高速セクションの半分くらいに到達した頃には差が半分に。ヴィルヌーヴが3/4くらいに到達した頃にはピケットのBT49は高速セクションエンドのコーナーに飛び込んでました。まばたきを忘れる光景でした。ヴィルヌーヴはブロックしませんでしたよ。ピケット初優勝、2位にはアローズA3のパトレーゼ。これも速かったですが相手が悪かった。3位はストレートの際立った遅さに定評のあったフィッティパルディF7を駆るエマーソン。周回遅れを取り戻しての表彰台。エマーソン嬉しそうだったなぁ。シェクター?前年度タイトルを取ってすっかり脂っ気が抜けてましたよ。開幕当初から引退確定の雰囲気で、カーNo1のクルー共々シーズン通して愉しそうでした。最終戦にはシェクターを胴上げしてましたね。ドライバー以下全員血圧300くらいありそうなカーNo2チームとは好対照でした。
T5は、シェクターを引退に追い込んだ駄作。引退せずにフェラーリに残っていたら、どうなっていたんだろうね。
写真に1枚だけ貴重な126C(81年型126CKではない)が紛れ込んでてちょっとうれしい
312シリーズの失敗を640シリーズで再びやってしまったフェラーリ。プロストも「このクルマはカミオンだ!」と捨て台詞を吐いてチーム離脱でしたね。80年のシェクターと同じ様な台詞。
プロスト先生、頑張ったんすけどね~、本当に頑張ったんすがね〜σ(-_-;)
@@bookue65 この年のフェラーリはお家騒動頻発で、監督の更迭や熟成が進まないシャーシとエンジンという三重苦に囚われてましたね。プロスト先生も頑張ったんですが力及ばずってところでしょうか。
@@hiro901x74さんフィオリオ体制末期でF1御得意の御家騒動も盛んでしたからね。ま、これに関してはプロスト先生は積極参戦していた所も有りましたからね~σ(-_-;)
@@bookue65 で、この混乱は93年にジャン・トッドが加入するまで続くと。教授からすれば、91年は積極果敢にチーム批判したら、チーム崩壊の上に自らは解雇と。
T5はウイングカーコンセプトにおける空力パッケージングの限界、という印象でしたね。モノコックは細くしてるのにアンダーベンチュリーは大きくできずリアタイヤ前にエアを抜かなきゃならないとか。まあ当時のジルのコメントによると新型の126CKも褒められたハンドリングじゃなかったようですが。あと79年のタイトルは312T4の信頼性の高さとともに、ウィリアムズが最速マシンFW07を開幕戦から投入しなかったことにも助けられたと思います。
T4出た当時、美しいT2、T3のデザインをよくここまで貶してくれたなとびっくりしたけど、思いの外よく走ってるのを見て見直した記憶が……。翌年からF1見る機会が無くなったのでT5の事は知らなかった。ターボから暗黒時代が始まったと思ってたら実はT5からだったのね。ビルヌーブが不憫だ(ノД`、)
77年から登場したグラウンドエフェクトカーの熟成が進み、フラット12を使用するフェラーリの疑似グラウンドエフェクトカーではどうしようもない状況。頼みの綱であるフラット12もデビューから10年も迎え開発の限界に達していました。そしてアルミモノコックから翌81年にはカーボンモノコックが登場する中で、フェラーリはセミモノコック構造。80年は全てにおいて時代遅れとなっていた事が露呈するシーズンでした。それは同時に先日亡くなられたフォルギエーリ氏がされていたようなシャシーとエンジンを1人の責任者が開発する時代の終焉でもありました。フェラーリにとって転換期となったシーズンなのは事実でしょうね。
T4はめちゃ高性能で馬鹿っ速なマシンだったのにT5ではジルも「これは鉄くず(ガラクタという説もあり)だ」と酷評するほどシェクターをサポートして80年は自分が・・・という想いだっただけに落胆も大きかったはず
ラウダ曰くタイトルはマシンの信頼性と俺の腕のお陰ですと T4も似たようなもんかもしれません
312Tシリーズって通算27勝だったのか……そして、この年にウィリアムズに負けたことで交換されたナンバーが27……何か呪いのようだな。
1979年の活躍はどこへ行ったの❓と疑いたくなるような失敗作でした。
312T4大好き!
信頼性を含めた「結果」としては80年が最低ですが、マシンパフォーマンスなら81年も変わりはない。「赤くて速いキャデラック」と評された126ckは、2勝はしていますがあまり高評価してはいけないマシン。
ハーベイ博士「あの車が優勝なんてしてはいけないんだ。あの車がどれだけ酷いかは私が一番良く知っているんだからね。」
いゃ~よくT5を取り上げてくれた ジルとシェクター揃えててダメダメってどこまでヒドいマシンだったかT4からモーターボートのような醜い外見 でも速かった T5は弁護の余地全く無し フェラーリ史上最低だと思いますジルがパドックでいつもしょんぼりとマシンの上に腰かけていたのが不憫でなりません
@@aresama5942 様 楽しいコメントありがとうございます A2のチョイスは間違いなく変態(褒め) 私は①312T2(後期型でNACAダクトが小さくなったヤツ)②ブラバムBT46B(ゴードン・マーレイも一緒にプレゼントして欲しい)③ウィリアムズFW14B(鬼に金棒 マンチャンにFW14B)
@@aresama5942 私と全く同じ変態がこの世にいるとは。ちなみに④はマーチ751or761です。まぼろしの771も紹介してほしいな。
@@aresama5942 Oh変態兄弟シリーズ開幕前AS誌でブラバムBT45Cのぺらぺらスポーツカーノーズ見て衝撃受けたの思い出した!
未勝利跳ね馬シリーズ面白いですね!ただ、シェクター以外にもフェラーリF1で予選落ちはあったので歴史上唯一は違うかも。F186やF93Aも期待します!
日本のF1ブームの時期もあって駄馬=F92Aのイメージが日本のF1ファンには着いてしまったけど312T5はまじで救いようがない駄馬だよね
SF1000が一番ひどかった気が
312とモンテゼーモロ監督で黄金期をつくったフェラーリにもこんな時期があったんですね…。盛者必衰の理ですね(T . T)
1979年初頭の312T4のローンチ時は、ウィングカーの混迷期にあっても「なんだこれ!?」という異形なフォルムにちょっと驚き、しかも走り出せば圧倒的ではなかったもののしっかり速く、「やっぱフェラーリすごいや」と感動しました。で、312T5のローンチ時には「シュッとして今年もそこそこ走りそう。でもウィリアムズに勝てるかな?」などと思ってたら、この無残さ。まだ空力の最適解をだれも知らないままに開発を進めていた頃でしたね。
T5デビュー時は「今年もヤッてくれそう!!」と、思ったんすがね〜σ(-_-;)
@@aresama5942 さん おっしゃる通りですね。79年のシェクター/ヴィルニューヴのコンビは、速さもチームワークもフェラーリ最高の一年でしたね。
@@bookue65 さん 私は骨の髄からチャプマン・ロータスのファンだったので、T5のローンチ時に「今年もヤヴァいかも」と思いつつ、ウィリアムズの爆勝とルノーの活躍もなんとなく予感し恐れていました。。。
@@user_ekszさんコーナーリングマシンvs直線番長ォ!!この時分のF1は楽しめる要素満載でしたね(-_-;)
@@aresama5942さんとりあえずウイングカーっぽいのをフェラーリも造ってはみたモノの、あのエンヂンじゃ正直何とも。1シーズンで圧力中心の重要性もハッキリしだしたT5の頃じゃこの中途半端なウイングカーの出る幕皆無だったんすね(-_-;)
シェクターがタイレルP34を個人所有している理由が分かった気がするw
最も悲運なカーナンバー1
ナンバー1のマシンが予選落ちというのは唯一だったのかな?
マシンデザインの時点で既に終わってるの草生える
このお話しとは直接関係ない事で申し訳ないのですが、時代背景が「赤いペガサス」と言うF1漫画と重なりますね。懐かしいです!
一応同じチームが毎年勝ちさらうとはいかに大変だということですな…たとえワークスでも💦
@@aresama5942 そこで、はまったのが新たなニューヒーロー時代となった、ウィリアムズとブラバム、リジェなどの苦労人組なチームの出番ですね。
@@aresama5942 リジェのマシン達って特別速くはないけど、見た目が個性的でかっこいいからグッズのほうでも人気ありますよね☺️👍
@@aresama5942当時のリジェのエンジンといえば コスワースDFVのとフランスのマトラV12のそれぞれですね。マトラも葉巻型から参戦してましたが…この時期がもう潮時ようでしたね💦濃い色の時代は最終的にはメガトロンやジャットとワークス級エンジンから遠ざかってしまった時期がありましたね。90年代はようやく〜💦
1970年から10年間頑張りました。1981年からターボエンジン。時代の流れには逆らえなかったですね
赤い掃除機ともいわれていましたね
暗黒の、80s,の幕開けですね😢
フェラーリって、不振が続くと、何年もダメってイメージありました。「皇帝」は立派でした。あ、シェクターのミニカー持ってます(笑)
ここからカーナンバー27が始まるのかな?
F92Aも駄作と評されましたね。
フェラーリ、予選落ち?本当か?
312シリーズに乗ったことがあるドライバーでもうシェクターしかいないのか
126乗りもマリオとアルヌーの2人になってしまいました。
もともと180度12 気筒でウイングカーと言うパッケージに無理が有りすぎだからね。むしろT4の成績が不思議。でもこの車、実は俺は好きなんすよ♪(-_-)ノシ
@@aresama5942さんごまかせた最後の年、と言う事なんすかね…(-_-;)
@@aresama5942さんT4デビュー当時、正直ナンジャコリャ?と餓鬼心に思ったモンすが半年もたてばこれは中々、と思いチャンピョン取得でカッコいい!!となってました。エボリューション版たるT5には期待したモンです…σ(-_-;)
@@aresama5942さんこの時分の180度v12のハイトーンは本当にシビレますからね。残念した(-_-;)
@@aresama5942さんそれは何より(-_-)ノシ
80年の成績を見れば、92年がマトモに見えてくる・・・
実際、相対的な成績で見ても
1992年 全16チーム中4位
1980年 全15チーム中10位(ワースト)
2020年 全10チーム中6位(ワースト2位)
ですから、1992年はだいぶマシですね……というかどんだけひどかったんだ、SF1000。
92年のフェラーリよりひどい跳ね馬があったとは・・・
最悪のマシンでも持てる限りの力を出したからジルはすごいと思う。特にモナコで他より二秒遅いのに雨が振り始めると他のマシンよりも二秒速く走り5位入賞した。
なんとなくプロゴルファー猿的なマンガ主人公感があるんだよな 😉
ワイはジルや!スノーモービルチャンプのジルや!雨のモナコがナンボのモンじゃい!!
やはり伝統的にエンジンありき…っていうのが足枷になったのかな…?と感じますね。シャシーの部分は過去にもミッドシップ車への移行が遅れたりフルモノコックへの対応も遅かったですよね…エンジンが全て…的な体質というかエンツォの考えだったのでしょう。ホンダも似たような所がありますよね。宗一郎の考えが強烈に反映されるような感じ…ありましたからね。80年のフェラーリとウイリアムズ…92年のマクラーレンとウイリアムズ…トレンドを掴んだチームと掴みそこねたチームの今昔物語…時代は繰り返されますね。
因みに私は…T4、T5は見た目的にはとても好きなマシンです!!個性的!!
成績最悪だし
マシンはゲテモノ感なデザインだけど
ジルとシェクターの組み合わせが
最高に好き
伝説の3輪ドリフトで周回したり
(しかも他のドライバーと
余り変わらないタイムとか⁉️)
(*´▽`*)
チャンピオンチームが翌年外すケースは何度かみてきたけどT5はずば抜けてひどい。突き抜けてる。
コレを見ると90年代のアレジ、ベルガー、カペリ、そしてシューマッハとアーバインが手を焼き悩ませたあの低迷期が如何に未だマシな方だったかと言うのが痛い程良く分かりますね。(汗)
予選落ちしたシェクター「まあでもグダグダな走りを決勝で見せることがなくてよかったよ」
そんなマシンでも最大限のパフォーマンスを引き出そうとしたジルが健闘するも、イモラでの大クラッシュがT5の限界を示していました。
いつも楽しませていただいてます。追加の情報ですが大切なので。この年のT5はT4とはスライディングスカートの機構を変更していたのですが、実はそれがすごい改悪だったんです。想定通りにスカートが動かず、上がったまま降りなかったり動作が非常に悪いフリクションの多いスカートだったんですね。早い段階で他チームのデザイナーは「あのスカートは謎だよな」と噂するほど酷かったらしいです。まスカートがマトモでもとてもじゃないけどタイトル争いするクルマでなかったことは確かですけど。それをいえばT4もたまたま端境期でタイトル獲れただけで、ウィリアムズがFW07を開幕から走らせていたり、リジェがシーズン4戦目からサイドポッドを改悪して気が付かない状態が続かなければどちらかがタイトルを
獲っていておかしくないシーズンでしたしね。 それと後予選落ちの件ですが、71年にモナコで
アンドレッティが喫していたような気が。
312T5もF92Aもどちらもエンジンがカスだったのに、エンジンがダメ!とは言えなかったんだろうなぁ。
79年はシェクターがドライバーズを取ったのに。
それからミハエルが黄金時代を作るまでドライバーズタイトルはゼロだったわけだ。
覚えていますよ。
312T4の正常進化型の触れ込みでデビューしたT5でしたが前年度の前半にデビューしてタイトル争いを繰り広げたFW07や前年度シーズン最終盤に登場して速さを見せたBT49、前年度初頭から速かったリジェに全く付いて行けず、同じく80年から迷車を連発して迷走期に入ったマクラーレンと熾烈な入賞争いを繰り広げてましたね。
ひときわ印象的だったのがロングビーチGPで(ピケット初優勝のレース)、5位を走るヴィルヌーヴのT5が海岸沿いのバックストレートと高速コーナーの1/3近くを走っていた時にトップを独走していたBT49が高速セクションに進入、ヴィルヌーヴが高速セクションの半分くらいに到達した頃には差が半分に。ヴィルヌーヴが3/4くらいに到達した頃にはピケットのBT49は高速セクションエンドのコーナーに飛び込んでました。まばたきを忘れる光景でした。ヴィルヌーヴはブロックしませんでしたよ。
ピケット初優勝、2位にはアローズA3のパトレーゼ。これも速かったですが相手が悪かった。3位はストレートの際立った遅さに定評のあったフィッティパルディF7を駆るエマーソン。周回遅れを取り戻しての表彰台。エマーソン嬉しそうだったなぁ。
シェクター?
前年度タイトルを取ってすっかり脂っ気が抜けてましたよ。開幕当初から引退確定の雰囲気で、カーNo1のクルー共々シーズン通して愉しそうでした。最終戦にはシェクターを胴上げしてましたね。ドライバー以下全員血圧300くらいありそうなカーNo2チームとは好対照でした。
T5は、シェクターを引退に追い込んだ駄作。
引退せずにフェラーリに残っていたら、どうなっていたんだろうね。
写真に1枚だけ貴重な126C(81年型126CKではない)が紛れ込んでてちょっとうれしい
312シリーズの失敗を640シリーズで再びやってしまったフェラーリ。プロストも「このクルマはカミオンだ!」と捨て台詞を吐いてチーム離脱でしたね。80年のシェクターと同じ様な台詞。
プロスト先生、頑張ったんすけどね~、本当に頑張ったんすがね〜σ(-_-;)
@@bookue65 この年のフェラーリはお家騒動頻発で、監督の更迭や熟成が進まないシャーシとエンジンという三重苦に囚われてましたね。プロスト先生も頑張ったんですが力及ばずってところでしょうか。
@@hiro901x74さん
フィオリオ体制末期でF1御得意の御家騒動も盛んでしたからね。ま、これに関してはプロスト先生は積極参戦していた所も有りましたからね~σ(-_-;)
@@bookue65 で、この混乱は93年にジャン・トッドが加入するまで続くと。教授からすれば、91年は積極果敢にチーム批判したら、チーム崩壊の上に自らは解雇と。
T5はウイングカーコンセプトにおける空力パッケージングの限界、という印象でしたね。
モノコックは細くしてるのにアンダーベンチュリーは大きくできずリアタイヤ前にエアを抜かなきゃならないとか。
まあ当時のジルのコメントによると新型の126CKも褒められたハンドリングじゃなかったようですが。
あと79年のタイトルは312T4の信頼性の高さとともに、ウィリアムズが最速マシンFW07を開幕戦から投入しなかったことにも助けられたと思います。
T4出た当時、美しいT2、T3のデザインをよくここまで貶してくれたなとびっくりしたけど、思いの外よく走ってるのを見て見直した記憶が……。
翌年からF1見る機会が無くなったのでT5の事は知らなかった。
ターボから暗黒時代が始まったと思ってたら実はT5からだったのね。
ビルヌーブが不憫だ(ノД`、)
77年から登場したグラウンドエフェクトカーの熟成が進み、フラット12を使用するフェラーリの疑似グラウンドエフェクトカーではどうしようもない状況。
頼みの綱であるフラット12もデビューから10年も迎え開発の限界に達していました。
そしてアルミモノコックから翌81年にはカーボンモノコックが登場する中で、フェラーリはセミモノコック構造。
80年は全てにおいて時代遅れとなっていた事が露呈するシーズンでした。
それは同時に先日亡くなられたフォルギエーリ氏がされていたようなシャシーとエンジンを1人の責任者が開発する時代の終焉でもありました。
フェラーリにとって転換期となったシーズンなのは事実でしょうね。
T4はめちゃ高性能で馬鹿っ速なマシンだったのに
T5ではジルも「これは鉄くず(ガラクタという説もあり)だ」と酷評するほど
シェクターをサポートして80年は自分が・・・という想いだっただけに落胆も大きかったはず
ラウダ曰くタイトルはマシンの信頼性と俺の腕のお陰ですと T4も似たようなもんかもしれません
312Tシリーズって通算27勝だったのか……そして、この年にウィリアムズに負けたことで交換されたナンバーが27……何か呪いのようだな。
1979年の活躍はどこへ行ったの❓
と疑いたくなるような失敗作でした。
312T4大好き!
信頼性を含めた「結果」としては80年が最低ですが、
マシンパフォーマンスなら81年も変わりはない。
「赤くて速いキャデラック」と評された126ckは、2勝はしていますが
あまり高評価してはいけないマシン。
ハーベイ博士「あの車が優勝なんてしてはいけないんだ。あの車がどれだけ酷いかは私が一番良く知っているんだからね。」
いゃ~よくT5を取り上げてくれた ジルとシェクター揃えててダメダメってどこまでヒドいマシンだったか
T4からモーターボートのような醜い外見 でも速かった T5は弁護の余地全く無し フェラーリ史上最低だと思います
ジルがパドックでいつもしょんぼりとマシンの上に腰かけていたのが不憫でなりません
@@aresama5942 様 楽しいコメントありがとうございます A2のチョイスは間違いなく変態(褒め) 私は
①312T2(後期型でNACAダクトが小さくなったヤツ)
②ブラバムBT46B(ゴードン・マーレイも一緒にプレゼントして欲しい)
③ウィリアムズFW14B(鬼に金棒 マンチャンにFW14B)
@@aresama5942
私と全く同じ変態がこの世にいるとは。ちなみに④はマーチ751or761です。
まぼろしの771も紹介してほしいな。
@@aresama5942 Oh変態兄弟
シリーズ開幕前AS誌でブラバムBT45Cのぺらぺらスポーツカーノーズ見て衝撃受けたの思い出した!
未勝利跳ね馬シリーズ面白いですね!ただ、シェクター以外にもフェラーリF1で予選落ちはあったので歴史上唯一は違うかも。
F186やF93Aも期待します!
日本のF1ブームの時期もあって駄馬=F92Aのイメージが日本のF1ファンには着いてしまったけど312T5はまじで救いようがない駄馬だよね
SF1000が一番ひどかった気が
312とモンテゼーモロ監督で黄金期をつくったフェラーリにもこんな時期があったんですね…。盛者必衰の理ですね(T . T)
1979年初頭の312T4のローンチ時は、ウィングカーの混迷期にあっても「なんだこれ!?」という異形なフォルムにちょっと驚き、しかも走り出せば圧倒的ではなかったもののしっかり速く、「やっぱフェラーリすごいや」と感動しました。
で、312T5のローンチ時には「シュッとして今年もそこそこ走りそう。でもウィリアムズに勝てるかな?」などと思ってたら、この無残さ。まだ空力の最適解をだれも知らないままに開発を進めていた頃でしたね。
T5デビュー時は「今年もヤッてくれそう!!」と、思ったんすがね〜σ(-_-;)
@@aresama5942 さん おっしゃる通りですね。79年のシェクター/ヴィルニューヴのコンビは、速さもチームワークもフェラーリ最高の一年でしたね。
@@bookue65 さん 私は骨の髄からチャプマン・ロータスのファンだったので、T5のローンチ時に「今年もヤヴァいかも」と思いつつ、ウィリアムズの爆勝とルノーの活躍もなんとなく予感し恐れていました。。。
@@user_ekszさん
コーナーリングマシンvs直線番長ォ!!
この時分のF1は楽しめる要素満載でしたね(-_-;)
@@aresama5942さん
とりあえずウイングカーっぽいのをフェラーリも造ってはみたモノの、あのエンヂンじゃ正直何とも。
1シーズンで圧力中心の重要性もハッキリしだしたT5の頃じゃこの中途半端なウイングカーの出る幕皆無だったんすね(-_-;)
シェクターがタイレルP34を個人所有している理由が分かった気がするw
最も悲運なカーナンバー1
ナンバー1のマシンが予選落ちというのは唯一だったのかな?
マシンデザインの時点で既に終わってるの草生える
このお話しとは直接関係ない事で申し訳ないのですが、時代背景が「赤いペガサス」と言うF1漫画と重なりますね。懐かしいです!
一応同じチームが毎年勝ちさらうとはいかに大変だということですな…たとえワークスでも💦
@@aresama5942 そこで、はまったのが新たなニューヒーロー時代となった、ウィリアムズとブラバム、リジェなどの苦労人組なチームの出番ですね。
@@aresama5942 リジェのマシン達って特別速くはないけど、見た目が個性的でかっこいいからグッズのほうでも人気ありますよね☺️👍
@@aresama5942当時のリジェのエンジンといえば コスワースDFVのとフランスのマトラV12のそれぞれですね。
マトラも葉巻型から参戦してましたが…この時期がもう潮時ようでしたね💦
濃い色の時代は最終的にはメガトロンやジャットとワークス級エンジンから遠ざかってしまった時期がありましたね。
90年代はようやく〜💦
1970年から10年間頑張りました。1981年からターボエンジン。時代の流れには逆らえなかったですね
赤い掃除機ともいわれていましたね
暗黒の、80s,の幕開けですね😢
フェラーリって、不振が続くと、何年もダメってイメージありました。「皇帝」は立派でした。あ、シェクターのミニカー持ってます(笑)
ここからカーナンバー27が始まるのかな?
F92Aも駄作と評されましたね。
フェラーリ、予選落ち?本当か?
312シリーズに乗ったことがあるドライバーでもうシェクターしかいないのか
126乗りもマリオとアルヌーの2人になってしまいました。
もともと180度12 気筒でウイングカーと言うパッケージに無理が有りすぎだからね。むしろT4の成績が不思議。でもこの車、実は俺は好きなんすよ♪(-_-)ノシ
@@aresama5942さん
ごまかせた最後の年、と言う事なんすかね…(-_-;)
@@aresama5942さん
T4デビュー当時、正直ナンジャコリャ?と餓鬼心に思ったモンすが半年もたてばこれは中々、と思いチャンピョン取得でカッコいい!!となってました。エボリューション版たるT5には期待したモンです…σ(-_-;)
@@aresama5942さん
この時分の180度v12のハイトーンは本当にシビレますからね。残念した(-_-;)
@@aresama5942さん
それは何より(-_-)ノシ