【F1】フェラーリF1史に残る伝説の大失敗車がヤバい【解説】【F92A】
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- Опубликовано: 3 окт 2024
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◆動画について
長きにわたりF1に参戦を続けるフェラーリの歴史の中で、高い期待度とは裏腹に大失敗に終わってしまった伝説の駄馬と言われるマシンをご存知でしょうか。
今回はフェラーリが1992年に投入したマシン、「F92A」について解説します。
◆その他の動画もぜひご覧ください!
見た目は最高なのに…
あのモナコの時ガードレールに乗り上げて三宅アナが叫んで、そのおかげで居眠りから醒めてあの最後のバトルを見逃さずに済んだので感謝感謝
「 ァ~、ラデェフォ、、、、、、
カペリ➡️😥🎤😓⬅️リポーター」
(ダメだこりゃ❕💢 🤥byカペリ)
懐かしいなぁ~
モナコGPの
激闘って
BBSホイールを初めて採用したマシンがこのF92A。
走らんかったけど、スタイルと黒と赤のリムが似合ってた。
マシンの評価は悪いけど、デザインはものすごくかっこいいし、ドライバーラインナップも自分としては最高で、若手の星だったジャン・アレジにレイトンハウスの秘蔵っ子だったイヴァン・カペリだった。
成績はともかく一番好きなシーズンだったなー笑
速いマシンはカッコいいが、カッコいいマシンが速いとは限らないという事を証明してしまったマシン・・・
でもホント、形は最高にカッコいい。
本当に格好は良かったんすけどね〜(-_-;)
昔のプロレスラーに例えたら高野俊二
みたいなマシン(見掛け倒し!w)w
昔は同じメーカーのエンジンでもワークスかそうじゃないかで型式が違うとか、ホンダみたく気筒数が違うとか、面白かったなぁ。
フォードV8のゼテックRとHBの何が違うのか?
ガキの頃の私にはよくわかりませんでした(笑)
今宮さんが中継で「メーカーが同じで形状がV8であると言うこと以外は系統的にも性能的にも全くの別物です。」とおっしゃっていたような‥。
カペリも後年同じことを言っていた。
F92Aは感触は良かった。エンジンが足を引っ張っていたと。
この戦闘機みたいなフォルム、好きです
当時のF1プラモは実車デビュー年内もしくは翌年までにはキット化されるのが普通だったのに対し
F92ATがモデラーズによりキット化されたのは3~4年後だったと記憶している
担当者によると、
何年経過しようが、ミニチュアの立体物として後年に残していくマシンだと思ったから
と語っていたのが印象に残っている
あのキットは良かった。
素晴らしく美しかった。
遅かったけど、史上最高に美しかった跳ね馬。イワンカペリは可哀想だったな。
レイトンハウスのファンとしては、苦労人のイワン・カペリが夢のフェラーリに移籍して、心の底から喜んでいたのですが…😢
当時から、ダブルデッキのせいでカペリの選手生命が短くなったと憎んでいましたが、まさかエンジン側に原因があったとは…
フェラーリだからエンジンは完璧!という先入観がありました😅
エンジンを昨シーズンの物に載せ変えたら、久々にレースらしいレースができたなんてサーキットがありました。5バルブエンジンはコーナーでオイルが片寄り、潤滑不足に陥る難癖がありました。アレジが資金不足のティレルイルモアのチェザリスにストレートであっさりとかわされる有り様。しかも捨てバイザーを剥がしながら片手運転。
F92Aの特集があった雑誌も読んだりしたが、とにかく人事とエンジンだわな、責任のなすり合いで終わった92年、チーム批判はタブーなチームで、エンジンは5バルブの存在意義は全く無かったし、93年のホンダ技術供与があるまで進化せずバーナードが「ハートV10を使いたい」とかグチってたり、エンジンが悪けりゃ車体の評価は難しい。
ピットの雰囲気は常に悪く91年にレース・エンジニア担当が92年にリジェに移籍してブーツェン担当になった人が、フェラーリ時代グラサン斜めにして気難しそうにして91年には無かった明るさがあったとか。
カペリも車を批判した途端に冷遇され、本当にかわいそうだった。 92年のフェラーリは何一つ良い話が無かったよね。
コンセプトは間違えていなかったが、当時の技術では空力を制御しきれなかったんじゃないかな。
リアの絞り込み部分に積極的に空気を流すのは約20年後に当たり前となるし、ディフューザーはブラウンGPでも似たコンセプトでが採用され成功している。
92年はエンジンが俺たち…
22年は戦略が俺たちですねぇ…
確かにウィリアムズに行ってればもっと勝てたかもしれないが個人的にはフェラーリに行きあれだけガッツのある走りされたらティフォシだって応援したくなると思う、勝てなかったがドライビングスタイル&F92Aにはシビれてショウエイから出たアレジレプリカヘルメットを買ったよ!
あの頃のフェラーリは4強の最下位。93年ベルガーが戻ってマシンもかつての70年代カラーで挑んだけどまだトンネルの中だったな。。
しかも92年は鈴鹿の時点ではロータスにも完全に負けていて93年も信頼性の差でコツコツリジェにポイントさらわれていて両方とも4強から陥落していてもおかしくなかった。
92年は鈴鹿でロータス表彰台の可能性もあったし93年はモンツァでプロストがタイヤシケインで、セナがブランドルにやらかさなかったらとかね。
今宮純さんの92年F-1大百科でエンジンの剛性不足でオイル消費量が酷い事を書いていたけど、良く取材出来たなと思いますね。当時フェラーリは車がピットに戻ってくるとシャッター降ろして見れなくしていたもんね
漫画「F」(エフ)ではなかなか活躍していましたけどねぇ?まー、乗ってたのが半分人間じゃなかったけど。翌年の93年に
「歴史的に残したいから今、敢えて出しておきたい!」という事で模型化したメーカー、モデラーズさんの英断に感謝です!
いつもF1のレアな情報がいっぱいで勉強になります。
編集大変だと思いますが頑張って続けてください。💪💪
90年代の低迷は完全に重たいv12エンジンにこだわったせいだね
F92Aは一番の被害者
後にマシンの下に空気を取り入れるアイディアは当たり前になったからね
個人的にフェラーリF1でもF92ATとF93Aはミニカーコレクションの中でもお気になマシンですが、この時期のF91からF93Aあたりのマシンはいろいろ大変そうなイメージでした。
その後94年以降はだんだんと名門性を回復しだしますが。
チャンピオン争いまではしんどい思いをしたでしょう。
駄馬だったF92Aでしたが、それでも雨のスペインGPでのアレジのキレた走りでの
3位表彰台はお見事でした👍
残念な事に当時のフェラーリはアレジのようなドライバーだとチーム事情もあるから技と速くしなかったと言われていた。当時は政治的なイメージもあったけど親会社のフィアットが自動車会社のライバルであるフランスのルノー・プジョーと関係あるドライバーだと改善はしなかった。マンセル・ベルガー・シューマッハー辺りのドライバーでないとフェラーリはマシンを速くしない。フェラーリは仮に93年マンセルが戻って来たらアレジは放出していただろうしチームはマンセルのフェラーリ復活を望んでいた。マンセルもフェラーリを強くしたい想いがあったみたいだけどね。
前年の643も好きだったんですが、このF92Aがオフシーズンに発表された時は、これは来たかな!?と
大いに期待したけど、見た目と結果がこれ程かけ離れたマシンも珍しかったですね、、、
でも、未だに印象深いマシンです。
確かに戦績だけならば成功例とは言えないマシンだが、F1はここまで洗練出来るのかと言う外観の美しさに惹かれた。私にとってはティレル・019やベネトン・B192と並ぶ空力学を追求したマシンであると信じている。これで641/2並の戦闘力を備えていたらどうなっていたか。
駄馬と言われたF92Aですが外見は間違いなく美しいです👍
91年の途中で出たのは、643だった様な覚えが。
正解👍
ダブルデッキ発表当初から重心上昇によるローリングやピッチング、ラジエーター周辺の気流の変化による冷却不足なんかが懸念されてたけど、やっぱり一番の問題は重く非力ですぐに壊れるエンジンだね。
でもね、開幕前のF1雑誌にこのマシンが披露された当時は、それはそれはときめいたものさ。戦闘機のようなルックス、アレジカペリの有望若手コンビ、F92Aはたしかに夢を見させてくれたマシンだったよ。まあ悪夢だったけど・・でもトキメキを与えてくれたこのマシンは今でも大好きなマシンだよ
某雑誌でF92Aを取り上げたとき、当時の関係者のインタビューも掲載されていたけど、一番印象的だったのはカペリのインタビューだね。
当時のフェラーリの内情が怒りの感情と共に色々語られてたけど、あのチームは報連相すらまともにできていなかったんじゃないかと思う。
確かに、他のインタビューを読んでも、みんながみんな失敗を他の誰かのせいにしている節はあった。
しかし、責任の擦りつけ合い以上にヤバかったのは、あるスタッフから戦犯扱いされた別のスタッフのインタビューを読むと、実はそのスタッフもチームの首脳部や人事に振り回されて本当にやりたい仕事ができていなかったという話が相当数出てきたことだね。
つまり、チームのスタッフたちは自分たちの技術を最大限に活かすための人や施設や時間に恵まれず、みんながみんな自分の仕事の完成度が低くなり、結果何も上手くいかなかった。
そして、どうやっても失敗する環境でしか仕事できなかった以上、自分に責任はなく、他の部署の事情を知らないままそちらの失態を咎めることでしか不振の理由を説明できなくなっていたのだろうと感じた。
フェラーリの首脳部は組織や人を扱うのが相当下手だったんだろうなと思う。人を変えなくても解決できる事柄や、明らかに解決にもっと時間がかかるだろう事柄に対しても人事異動を平気で何度も行うんだもの。
新加入したチーフエンジニアに全くの他人が作ったマシンの製作や改良を毎年のようにさせるチームなんてこの頃のフェラーリくらいしか知らないよ。そりゃあ、再建に必要な一貫性や継続性を長年得られなかったわけだ。
某雑誌=レーシングオンですかね?
@@aln90125
GP CAR STORYだよ。
発行元が同じだから、レーシングオンにも同じ記事があるかもしれないな。
ジャン・アレジがテストで褒めちぎったF92Aはダブルデッカーの2枚シャーシと先見性はあったものの完成度は低く、またエンジン不振が足を引っ張り、しかも同僚のカペリの方に不具合多発・・・。個人的に見た目は好みだけど、何だかんだでレーシングカーは結果=カッコ良さなんだよね。
F92Aはかっこよくて当時モデル買ったわ
でもフェラーリ史上最悪の駄馬は312T5だと言いたいわ
このころフェラーリの親会社フィアットは国から多額の資金援助を受けていたためイタリア国会でもフェラーリの低迷を槍玉にあげられていた
ラジエーター持ち上げる設計を始めた時点で間違いに誰か気付かなかったのか
まあ、メカニカルグリップ
低迷対策で「ゲルハルト・ベルガー の復帰」というのが素敵ですね。そして、すぐに…ではないですが優勝してみせましたからね。
当時のフェラーリは政治的なイメージもあったからアレジのようなドライバーだとマシンは速くしてくれなかった。当時はイギリス人ナンバー1ドライバーのマンセル復活をチームは望んでいたからね。仮にマンセルが93年古巣のフェラーリに復活したらセナを上回る成績を残していたかも知れない。マンセルVSプロストの対決だったかも知れないね。シューマッハーが1年早く95年にフェラーリに移籍していたかもね。マンセルは94年に本当の引退をしていたかも知れないですね。
結果は良くなかったけど、凄いチャレンジングなマシンで凄いワクワクさせてもらいました。
プロストのフェラーリ在籍時とこのマシンの頃が一番自分のf1熱が高かったです。
タイヤのワイドサイズも最後の年で1番映えるマシンだと思う。
格好は良かったんだよね。ラジコン、プラモ、ミニカー等かなりの数が商品化されてる。
あと、カペリ、アレジに速さで敵わんのか・・ってのが印象に残ってる。単純な比較は出来ないかもしれないけど。
メキシコのストレートで、アレジがティレルのチェザリスに抜かれたのは屈辱以外の何物でもありませんでしたね。
発想はよかったのですが、シャーシー剛性がかなり低くてたわむことにより、効果を発揮しなかったのがマズかったですね。
フロントモノショックも接地性が悪く、「とりあえず組んでみた」終盤のアクティブサスにも合わず、悪かったと思います。
フロントモノショックの車はやっぱりダメですね…。
まあ翌年のティレル021なんかは血迷って、リアもモノショックにしましたが…。あれは素人が見ても、まともにタイヤが路面に接地するわけがない。
あとはリアウイングなんかもまさかのT型で、細部の設計はかなり古臭かったですね。
エンジンは700~710馬力と実パワーはそこそこあっても、使えるパワーバンドがありませんで、オイルを食いまくるので、補助オイルタンクを追加する始末でした。メリットよりもトラブルのほうが多い「5バルブ」にこだわったのも完全に失敗でしたし、ギアが7速というのも相性がダメで、93年に6速に戻して、さらにイタリアから後藤治のホンダの技術提供を受けて4バルブとしてからは、ようやくまともになっていきました。
ただ、走らないマシンを無理やりねじ伏せるというタイプのアレジのドライビングにはよく合っていましたね。
一方の感覚派レーサーのカペリは、アレジのようにキレた走りが出来ず、「新しいパーツが1台分しかない。じゃあアレジだ」という感じに、横置きギアボックスなどはアレジに優先されていました。
とにかく90年から91年にかけて、レギュレーションが変わってからフェラーリはどんどんおかしくなりましたが、その最たる年が92年でしたね。新任のモンテツェモーロ社長が現場に現れ、監督を飛び抜かしてメカニックに直接激しい口出しをするというのも、萎縮してしまって仕事場としては最悪の環境でした。
確か当時のフェラーリはF1雑誌で記載されていたけどチーム内の分裂で人間関係があまり良くなかったと言われていた。
82年はあくまでもヴィルヌーヴの事故死とピローニの離脱による代行でしたね。
このマシンのサイドに大穴開けて雨の中スライドしながら表彰台登ったアレジに惚れたんだよねー。
フラットボトム時代Df獲得の為のコークボトル形状の採用とダブルデッキフロアの解説はもう少し原理を突っ込んで頂きたいですが、F92Aのシャシー素性が良かった事はレインコンディションでのバルセロナでの好走に現れています。但しストレートが遅すぎて(中継でも上空からの映像で確認できます)結果に現れませんでしたが…
実に惜しいコンセプトの車でした。
アンダーフロアーを支えるアルミ支柱が細すぎて振動で簡単に折れてしまいダウンフォースを失ってしまうトラブルや、サイドポンツーンの容積不足による冷却能力が低いとか、ダブルフロアー部の気流の摩擦抵抗が大きくてうまく空気が流れず、単にドラッグになっていたなんて話も聞いたことあります。
まあ、エンジンも難ありでしたがデザイン的には640を初めて見たとき以上のインパクトはありましたし、個人的にはカッコいいと思ったんですけどね。
しかし、そもそも政治的な問題で勝てる体制にないのに野心的で熟成不足なマシンを投入したことも、当時のフェラーリらしいなと今考えると微笑ましく思います。
ウィリアムズのようなアクティブサスがあればもうちょっといい成績を残せたかもしれませんね。
フェラーリに限らずF1史上最も美しいマシンだと思う
一番の犠牲者はカペリでしたね。当時のフェラーリのマネージメントはまさにカオスでしたから…彼に責任を押し付け、あからさまな邪魔者扱いまでした首脳陣への怒りは未だに覚えてます。
2:05
91'シーズン途中で投入されたのは、フェラーリ643ですね。
マクラーレンMP4/6にそっくりなマシンでした。
MP4/6に似ているかなぁ。643がパクったの、はむしろウイリアムズFW14では?
最初見た時はジェット戦闘機みたいで衝撃を覚えました。カペリにはシーズン最後まで頑張って欲しかったです。
発表当時、デビュー画像見たときには素晴らしくカッコ良いマシンだと感激したっけ。。。
シーズン通して不振だったせいでスケールモデルやミニカーなんかが極端に少なかったんだよな。いまでも好きなマシンではあるけど「伝説の駄馬」とはw
結果こそ残せなかったけど、F92Aは何とも魅力的な1台だったよな。
ナイジェルが悲願のタイトルを勝ち取った30年前のシーズンのフェラーリF1がこの様な物だったとは・・、若しアレジがフェラーリへワークス入りじゃなくウィリアムズルノーへ移籍していればどの様な展開になっていたでしょうかね!?;^^
戦闘機みたいでルックスは1番好きだけどな。F92Aモナコのジャンアレジは最高にカッコイイけどな。
この頃のF1はどの車も美しかった。
マクラーレンもベネトンもティレルもウィリアムズも。
2:25 カミオンは「大型トラクター」ではなくて「大型トラック」です。
間違いでは無いよ、欧米ではトラクターという表現もするからね。
確かフランスGPで投入したマシンは643だったと思います。
ジャン・アレジも今になって証言していますが、シャーシは素晴らしかったが、とにかくエンジンがダメだったと。しかし、フェラーリで「エンジンがダメ」と言うのは重罪であって、当時は誰も言えなかった。
まぁなんともフェラーリらしい。
F92Aは好きな形のマシンだったけどね。最後にアレジも言ってるけど、車体側のデメリットで成績がでないのというより、エンジンが重すぎるのと、トラブルが多く出たイメージがある。ハンドリングの問題は、カペリとアレジならなんとか補えるかもしれないけど、エンジンが止まってしまうレースも多かったから成績が出ない。またV10やV8のエンジンのチームが頑張ってたからV12のホンダとフェラーリは遅れをとってた。まだホンダは最高速が伸びてたから、太刀打ちできてたけど、フェラーリは最高速もそこそこで、中低速でトルクが足りたなかったような気がする。
ハリヤーみたなサイドポーツンが気に入ってたけど低迷期のエースドライバーのジャン.アレジ奮闘記マシン。
私は92年シーズンからF1中継を観るようになったので、フェラーリの低迷ぶりには困惑するばかりでした。それに前年の出来事をあまり良く知らないままF1に興味を持ち始めたから(中嶋さんが引退したことやセナがチャンピオンになったこと位しか知らない)、プロストが居なくなった理由もしばらくの間分からず、92年は少しもの足りない気分で観ていました。
よりによってイタリア人フェラーリドライバーだったI.カペリ選手だったときの車というのが…おかげでカペリのF1キャリアが終わってしまいました(大好きだったのに)。それでもモナコGP予選二日目のJ.アレジの走りは狂気の域の凄まじさで語りぐさ。逆に言うとコレしか語るところが一切無いのがなんとも
ちなみにイタリア人ドライバーで最後のフェラーリのレギュラーとなってしまったカペリ(途中解雇されたが)。
ラリーニいなかったら平成以降フェラーリで表彰台乗ったイタリア人は誰もいなかったんだな…。
駄馬だったF92Aだが、サイドポンツーンのインテークのモノコックから張り出す特徴的な形状は個人的にはイイと思った。
ジェット戦闘機を彷彿させるこのマシンは普通にカッコ良かったけどね…
こういういろんなアイデアが投入されるのがF1の面白さ。
ストレートスピードは、走るシケインよりも遅いとか言われた伝説の黒歴史糞マシンwリアタイで見てたけど、ホント遅かったですね。イヴァン・カペリがやる気なくなるのも致し方ない。
エンジンがよく壊れていたのと、ちょっとマシンが腰高じゃないか気になってたらやはりそうでしたか。見た目は本当に美しいのにね。
モナコ予選とモンツァ予選の激走は今でも覚えている。
元祖俺たちのフェラーリ
「開発」がたまに「かいほつ」と聞こえたのは私だけでしょうか?
見た目は良かったですが、サイドポンツーン下がダブルデッキ構造で空気を通すデザインにしたのが失敗と記憶してます。
マシンの重心が上がってしまうし、Gフォースが掛かった時にサイドポンツーンが動いてしい、当てにした気流が乱れてダウンフォースが不安定でハンドリングに悪影響を与えてしまった。
その後、F92Aのエンジンはボアアップ版がF50に使われ、更にプロトタイプの333SPに使われ、1993年のローラ・フェラーリにも使われたりと、汎用エンジンとして影でフェラーリを支えていた。F1では時代遅れだっただけで、信頼性さえなんとかすれば割と悪くないエンジンだったのかも?
ボアだけじゃなくてストロークも伸ばしてますF50用では
94年に後藤治さんが加入して96年にV12からV10エンジンへ変わって良くなってきた記憶が。
鈴鹿のヘアピン立ち上がりでは少しホンダサウンドに近かったような。後藤さんの力かな?
ダブルデッキめちゃくちゃナイスアイデアなのに…
ここ最近だと2014年もポイントはコツコツ取ってましたが失敗のマシンでしたね
チェザーレ・フィオリオとアラン・プロストは友人同士で国籍も同じ。アランとチェザーレがトラブルになったのではなく、一方的にフェラーリからフィオリオが解任された事に
アランが激怒しチームを崩壊して去ってしまった事で、フェラーリ内でのお家騒動が勃発。
この騒動によりマシンの設計者がチームを離れ、エンジン開発も失敗!マシンの熟成が出来ず、好成績が出せなかった。
風洞実験では良いデーターが出ていたと言われ、エンジンの開発が成功していて設計者がチームを離れなければF92Aは大成功していたかもしれません。
あと、お家騒動でチーム内に監督が複数人居たともいわれていて、チームが一つになっていなかったのも失敗の原因だった。
一番辛い思いをしていたのはジャン・アレジで、エース番号の27号車を表彰台に運ぶべく奮闘したがダメだった。
セカンドドライバーのイバン・カペリはイタリア人ドライバーだったというだけで採用されたので、成績が低いのはチームも納得していた。
93年にはこのマシンを改良してホンダからはⅤ12エンジンの性能向上のデーターを貰い奮闘したが、92年同様に勝利しなかった。
F92Aというマシンは本来の性能が発揮されていれば、「大失敗作」なんて言われないでいただろう!
チェザーレ・フィオリオはフランス国籍ではなくイタリア国籍では?
当時のフェラーリの何がダメだったか、それはチームの方針・方向性を握っているのが現場ではなく親会社のFIATだという事。
91年、前年ランキング2位となった名車641/2に新技術を盛り込み改良した642を早々に完成させテストで好タイムを連発。
さらに新設計の新車643(仮)も同時に開発が進められてて、必勝体制で本気でチャンピオン獲得を目指していたフェラーリ。
しかし、642が好調だから643は必要ないと謎の方針転換を(FIATが)した事で643の開発は凍結。
ところが予想以上にウィリアムズが速く、開幕2戦で642ではウィリアムズやマクラーレンにすら対抗出来ない事が明確になったにもかかわらず、むしろ643の開発は中止されたままサンマリノGP前のイモラテストで642の改良をしてたのもFIATの判断。
その地元イモラで散々なレースをしてしまい、チームをまとめられないフィオリオがまず解雇。
しかし、そもそもフィオリオにチームをまとめる権限は与えられてなく、単なるトカゲの尻尾切りだったのは明らか(プロストとの対立は後付け)。
ようやく643の開発が再開されたものの、その間エンジン部門とシャシー部門の責任の押し付け合いにFIATがあれこれ口を出して収拾がつかない状態に。
プロストはそんなチーム状況では良くならないとチーム体制を批判するも、イモラでのフォーメーションラップ中のスピン(今宮氏によるとシフトロックが原因)でFIATはプロストを新人ドライバーだと非難して泥沼化。
アレジはプロストとFIATのケンカがチームの足を引っ張っていると発言するもFIATが聞く耳を持つ訳もなく、643は素性は良かったものの突貫作業での開発だった事もあり、初期トラブルをレースで出してる状態でチーム状況もあって開発は進まない。
643の問題点も早い段階で分かっていたが、643を熟成させるか92年マシンに注力するかでまたFIATが優柔不断で決められない。
しびれを切らしたプロストはフェラーリを去る決断を下し例のトラクター発言につながる。
92年に関してはほぼ動画内で語られてる通り。
アレジがシャシーは悪くなかったから、エンジンがベネトンが使ってたフォードHBのV8だったら一つか二つ勝てたと後に語ってる。
エンジンが最大のネックだったけど、テストが好きじゃない感性派ドライバーのコンビでは熟成も遅れた事でしょう。
プロストがフェラーリを去りましたアレジとカペリの体制になりましたマシンの仕上がりが良いものではありませんでしたアクティブサスペンションの実践投入の為にニコララリーニが日本グランプリで起用されましたダブルデッキのアイディアは素晴らしいものでしたこの頃の技術がフェラーリにはありませんでした
当時F1の開設でミジョーが開発した戦闘機みたいとか?インテークは自衛隊のT-4みたいで、いざ走ったら散々の結果だし、地元イタリア人ドライバーには悪夢だよなぁ~可哀想に…ナニーニは前年不運の事故、カペリは非力なレイトンハウスでNAでフロントロー絡んで大活躍したのに、株下げてしまい可哀想に感じました。結局「空力の天才」エイドリアン・ニューウィーが関わったチームじゃないとチームの資金があっても、馬力のあるエンジン積もうが入賞はおろか完走も出来なかった気がします…😮💨
アレジはフェラーリに対してマシン改善はしてくれなかったと不平不満で愚痴っていたよな。フェラーリは次の年の93年にマンセルをドライブさせる予定だったからな。仮にアレジはチームを出て行くだろうしマンセルが古巣のフェラーリに戻って来たらウィリアムズのスタッフも来てチームは強くなっていただろうね。マンセルのチームメイトだったらパトレーゼかベルガーとも言われていたよね。
初めてこの車をみたときの衝撃は今でも忘れない!開幕までは、
戦闘機のような姿に期待を膨らましながらその写真を眺めていましたが。。。
マクラーレンのMP4/7とともに開幕後は失望した車でした。
最高にイケてるマシンF92A
カペリのモナコGPでのリタイアの仕方が未だに記憶に残ります😃
フェラーリの312Tシリーズも、最後のT5がとんでもない駄馬でした。
前作T4がチャンピオンマシンだったのに
カーナンバー1が、予選落ちする始末
見た目は最高にカッコいい
現在進行形で失敗してんじゃねぇかこいつら
フロントモノショックやエンジンの設計ミス等の色々な問題を理解しないまま責任の擦り付けるチーム内抗争
641でフェラーリのマシンが好きになってF92A出た時は「おぉっ!」と思ってました。見た目は本当にかっこいいのになぁ~・・・生まれてくる時代が早すぎた
このマシンの思い出はモナコGPのラスカス手前でカペリが後ろ向きにガードレールに乗り上げたのが印象的だったなあ〜
それにしても妙な形で止まったものだとナレーション。オス犬の電信柱オシッコかける感じ。
サイドポンツーンの形状が当時どうしても好きになれなかった
正直格好悪いフェラーリの印象しか残ってません。
やはり641/2がフェラーリのマシンでは一番好きです。
いつもレインさんの動画を楽しみにしております。
有難う御座います。
F92Aは美しいんだけどね笑
プラモ作ったな、若い頃
ifの世界ですが・・・
これがもう1年遅く出たら、アクティブサスと相まって結果は違ったでしょうね(アクティブサスも熟成不足だったそうですが)
オンボードカメラを見ても、アレジはコーナリング中にもかかわらず、ステアリングを忙しく動かしていたのが
このマシンの難しさを表現していたと思います。
92年のリアクティブサスを搭載したウイリアムズと比べたら一目瞭然ですよね。
失敗作とはいえ、このマシンは永遠に語り継がれるマシンだと思います。
92年シーズンは散々な結果だったけど、モナコの予選でアレジの切れた走りは痺れたな。
某石油系企業の技術部門で、プラントエンジニアをしている者です。 技術屋が最もやってはならないことは、自分の持つ技術が批判されるのを防ぐために、他者の持つ技術を巧みに批判し、自分の地位や体裁を確保しようとすることです。
このような事をやってしまう技術屋は、必ず周囲の人を悪い方向に巻き込んで、問題をさらに複雑にしたり深刻にします。
しかしながら、本来は既存技術の良し悪しを検証し査定、改良するのも、また技術屋です。 つまり、本来のこのプロセスの中には、策略的な批判はありません。
今はストラテジが問題ですね💦
サイドポンツーンのインテークがジェット戦闘機のように左右に張り出したデザインは格好良くて、F92Aは個人的には好きなマシン。
しかしラジカルな設計のダブルデッキ構造(二重底設計)によりラジエータなどの補器類の搭載位置が高くなった結果、重心位置が上昇してナーバスな操縦性を生むことになった。
加えてエンジン(フェラーリTipo 040)の信頼性不足も相まって、1992年シーズンは最上位3位がたったの2回。
フェラーリ史上において最遅の駄馬だった事は間違いない。
形はこれぞF1マシン!でカッコ良かったんだけど‥
92年はウィリアムズFW14Bが最強過ぎて荒法師と鉄人の独壇場でしたし、
HONDAも第二期最終形態のV12でハイパワーだった。
改めて投稿者様の解説を拝見すると施策が裏目に出たのといい、タイミングの悪さがフェラーリ低迷時代に投入していった原因かなと思います。
フェラーリはなあ、速けりゃ良いってもんじゃないんだよおぉ!
遅くてもカッケーなら許されるんだよおおぉ!😂
Ferrari ファンであっても、なくても、歴代Ferrari のGood looking machineのTop 5に入るのがこのFerrari F92(A)ではないかと個人的に思います。モデラーズとフジミのプラモ、3つ積んであります笑
自分はこのF92を観てカッコ良かったので、フェラーリが好きになったけど、駄目駄目なマシンだったのですね!とうじ模型も購入したけど~。
この年はマシンが•••
今年はチーム指示が•••
切ないのはみんなドライバー達😅
フェラーリのドライバーはものすごい名誉な事だと思って加入したら、これじゃ切ない😅
普通、どんなに不細工でも“速ければ”カッコよく見えてくるのだが、この92と412T1 は“遅いが”カッコいいところが◎。
F-92Aは、例えどんなに遅くても90年代
フェラーリの中では一番カッコ良いマシンだ!
312T2や126C2と共に深いフェラーリ
モデルカーの世界(底なし沼とも云う)に誘って
くれた1台は、ジェット戦闘機を彷彿とさせる
デザインで、今見ても最高に美しい!(あとは
312T3・643・412T1も良い形状。
412T2Bから現在に至る小さいウイングや
整流版をゴテゴテと装着したマシンはどんなに
速かろうが、美しくないので❌❗️)
このマシン、見た目はとっても良かったよなー。活躍できなかったのは重心問題よりも、エンジンが足を引っ張っていたんだな。
このダブルフロア構造、ミハエル移籍初年度(96年)のマシンであるF310でも何故か採用されてたけど最初からオーソドックスな形状の310Bだったらヒルのドライバーズタイトルは危なかったと思う
310はマイケルのコレクションには加えてない車両でしたね。
駄馬な証です。
フェラーリ悪夢の10年と言われる企業体質がマシンにまで及んだ時代でしたね。
フロア構造はフラットフロアからステップドフロアに規定変更ですよ。
F92Aはコンセプトは良かったが、時期尚早でした。
これを生かせる技術がなかったこと、エンジンの信頼性がなかったことが原因。
シューマッハが来てからも、常勝チームになるまでにまだ数年掛かります。
プロストが0勝ってよっぽど酷いマシンだったんだろうな。
プロストはチーム批判して首になったけど長期契約から解放されるためにわざとチーム批判をしたのかもしれないな。
プロストならそのくらい考えそう。