ブラウンGPのエピソードで1番印象にあるのは、やはりバトンが自身初のワールドチャンピオンになったとき。 チャンピオンとなりウイニングランに入ったバトンとピットクルーの無線を聞くと、テンションが振り切れたバトンが歓喜のあまり絶唱していたから腹抱えて笑ったw 下記のがその内容だけど、比喩でもネタでもなくマジでこんな感じだから、気になったら調べてみてw 「うぃぃぃぃぃぃあぁぁぁざ ちゃんぴおぉぉぉぉんず まいふれえぇぇぇぇぇんど!オッホッホッホウ!!We are World Champion!World Champion!POW!」
日本人として、「チームスーパーアグリ」を忘れてはならない。
周囲の雑音にもめげず、僅かな期間しか参戦して無かったけど、その心意気は称賛に値する。
同感です👍☺️
当時のホンダの迷走に巻き込まれた感も否めないですね。
亜久里さんが外国語にがてでコミュニケーションとれないとか。琢磨さんの走りはマシンの限界越えてました。下位チームから認められる存在に。
それもありだ!!
ブラウンGPは逃げ出した訳でもなく撤退でもない
ホンダからメルセデスにチームを渡す為にブラウンが仲介しただけ。
ブラウンGPの様なおとぎ話はもうあり得ないとロス・ブラウン本人も語っていました。あのチームは資金繰りが訳が分からなかったけどよくあんな奇跡が起きたと思います。強かったですから、あのチームは。
どーしようもないアンドレア・モーダのマシンを操って、モナコで予選を突破して決勝に出場したロベルト・モレノの凄さよ!
マシンの見た目はカッコいいと思った。中身はF3000より低いかも?アンドレア・モーダ、F1モナコ15周の夢と言われているがモレノさんは本物の鉄人。
去年からF1見始めたのでこういう過去の経緯とか知ることができて面白い!
2017年に見に行ったスズカサウンドオブエンジンのゲストにロベルト・モレノが来ててトークショーでアンドレアモーダの思い出を話してて
「アンドレアモーダで唯一決勝に進出できたモナコではリタイアしてピットに戻ってきたとき全チームのスタッフが拍手で迎えてくれた。あれは私にとって鈴鹿で2位表彰台に上がった時以上の素晴らしい経験でした」
って語ってましたね。
その時のトーク相手が片山右京で「俺こんなチームのマシンに負けたんだぜ!?」って笑ってました(右京はモナコ予選落ち)
主催者的には鈴鹿で2位に入った時の事話してほしかったんだろうけど、時間オーバーしてもアンドレアモーダの事話してましたw
コローニの個人スポンサーのお礼の腕時計が凄く当時は魅力的でした♫
フォースインディアの破産云々では確かペレスもチーム存続のために一肌脱いでたよね。
チーム存続の恩人であるはずのペレスをベッテル獲得のために放出。そのペレスはシートを失うかと思いきやレッドブルのシートをゲット。
セルジオ・ペレス選手は何処のチームに行っても、どんなマシンに乗っても活躍できる稀少な名F1パイロットだと思う。
判官贔屓というと経験不足な若者を庇う為の言葉のように感じるけど、彼に対してこの感情を抱く。
ブラウンGPは本当にびっくりしたなぁ
マシンのカラーリングとか好きだったけどね
モデナは初戦のアメリカGPでラリーニが7位になった事で後半戦は予備予選免除にもなってたんだけどね。
ブラウンGPから格が急激に上がる気が・・・。コロー二とライフは論外として、モデナランボは何度か入賞目前まで行きましたよね?
あと80年代~90年代のAGS、オゼッラ(フォンドメタル)、オニックス、ザクスピード、リアルとか見事に3流チームながら実際何ポイントか稼いで何年もしぶとく生き残ったチームも地味に凄いですね!
モデナ・ランボといえば、ヴァン・デ・ポールが唯一決勝まで行ったレースで終盤まで5位を走っていながら最後にガス欠で惜しくもリタイア(完走扱い)…というレースがあったな。
もう一人のラリーニも5回決勝に出走して最高位7位(当時は6位までが入賞)。
ユーロブルンも入れてあげてください
モデナ・ランボルギーニは、これまでの数あるF-1チームの中でも好きなマシンだった。
遅かったけど、カラーリングもマシンデザインも大好きだったなぁ。
あと他に好きなチームは、カペリが居たレイトンハウスと、非力なエンジンだったけど空力の優れたマシンで上位争いしてたアレジのティレル。
ティレルでの活躍が認められて、アレジはすぐフェラーリに移籍しちゃったけど(苦笑)
あ、ジョーダングランプリもかっこよかった!
7upカラーの初年度ジョーダンのマシン。
ミナルディラルースは資金がなかったけれどミナルディはオーナーが交代がよくありました非力なマシンでも予選で上位にいました決勝レースでも入賞しました
日本人として馴染みのあるケータハムF1も短命だったよね
個人的にはレイトンハウスが好きでした。ベネトンと並んで車体のカラーがとても印象的だったのを覚えてます。
マルボロホンダマクラーレンのセナ・プロスト黄金期に16戦15勝だった年に、唯一ストレートで前に出たのがレイトンハウスのイヴァン・カペリ選手だった。リタイアに終わるも称賛に値する出来事でした。
元々は老舗のマーチでしたね。
1989.1990の予備予選あったころのチームはひどいところが多すぎるw
逆に言えば、それだけF1参戦のハードルが低かったともいえる。
今じゃ必要資金の桁が上がっちゃって、プライベーターの入り込む余地がもうない。
マルシャ・ヴァージン、マノー、ヒスパニア[カンポス]辺りも資金に、苦しめられてた…。
弱小チームはいずれもイタリア系。ダメチームはイタリア系が多かった
今のアルファタウリとフェラーリも...
ブラウンGPは撤退というよりメルセデスに売り飛ばしてウハウハというイメージ
ライフの予備予選記録を見ると、シーズン途中から彼等だけ「ブービーのユーロブルンに何秒差まで食らいつけるかレース」になってます。
アンドレアモーダ、当時も話題で毎戦のように酷いニュースばかりで辟易してたんですが、マシンのハイノーズすぎないデザインと漆黒のカラーリングはめちゃかっこよくて、1992年イチかっこいいまであったんだよなあ。
たしか自社で設計できずFIAの仲介でシムテックからBMW用に設計された図面を買い取って製作してました。のちに設計者ニック・ワースはそれを発展させたS941でシムテックとして参戦しデザインの美しさは高評価でした。ただ戦績はパシフィックがいたから最下位にならなかった程度の遅さだったみたいですが。
4:36 色を変えたら1988年モデルのベネトンにそっくり
ブラウンはメルセデスでも要職に就いてたし、逃げ出したは少し違う気がする。
コローニ、遅かった。弱かった。懐かしい。
バブル期にはフットワークやレイトンハウスのような日本企業も参戦し、それなりの活躍をしていましたね。
多数の弱小チームが予備予選を競い合ってた頃それはそれで面白かったです。
創意工夫して予備予選からポイント獲得するようなチームもあれば かつて名門と呼ばれながら予備予選組に没落したり。
それにしてもライフはある意味伝説のチームですね。W12エンジンは夢がありましたよ。
夢で終わりましたがw
個人的にはモレノさんの職人気質で腕のたつドライバーが好きですが、前半で成績を残せなかったフォンドメタルチームをしっかりと予備予選から抜け出して決勝を走る、ガブリエルタルキーニさんもすごいなあと思います。予備予選落ちは最終戦アデレードのみ。90年代初頭。あの?AGSのマシンでもポイントゲットしました。ファブリツィオバルバッツァ選手も何気にすごい弟子。
@@スーツインナー
モレノさん、弱小ユーロブルンからのベネトン抜擢で日本GPで輝きましたね。(頭部の事ではない)
でも翌年Mシューにシート獲られちゃってもう・・・
ジョーダンもたった2戦で解雇とかもう・・・
それでも件のアンドレアモダを1回だけですが決勝グリッドに並ばせたりした実力者でした。
タルキーニさんはスパイダーマンヘルメットが印象的でしたねぇ。
それこそ弱小チームを渡り歩いて最後は片山右京の代役でティレルでしたか。
ツーリングカーではチャンピオンになったりして間違いなく彼も実力者でした。
正に苦労人を絵に描いたようなお二人ですね。(;´∀`)
日本人としては、スーパーアグリをお願いします😆是非🤨
スーパーアグリは何だかんだで2年以上持ったからな。
たった1戦で撤退したマスターカード・ローラを筆頭にライフもアンドレア・モーダも1年もたなかったし、その他にもオニックス(モンテベルディ)やシムテックやフォルティ・コルセなどのように2年もたなかったり、リアルやパシフィックなど2年で撤退しているチームはけっこうある。
最近になってアンドレア・モーダのスポンサーに夕刊フジがあった事を知りました、泣かせますね…かつてのマクラーレン・ホンダの少年ジャンプ並みの大きさでしたけど…。
レッドブルが2チーム持って今のF1を20年近く支えてるって言っても過言ではない、彼らがいなきゃ8チームでレースをするって思うだけで魅力が半減するわ。それがエンジンで苦労してるって酷な話だよ。
『金があるけど撤退』ってするってあまり前例のない話になったりして。
フォースインディアのベルギーgpは凄い印象に残ってるなー
唯一のポールポジション確定しましたね。あのサーキットはジョーダンのバリチェロがポールポジションとったり、パワーより空力勝負な面が見えてきます。ジョーダンはチェザリスが2位走行した場所でもあります。
F1創成期の50年代に出てた英国のヴァンウォールも。58年に新設されたコンストラクターズタイトルを獲得した最初のチームだったけど、同年のモロッコ戦で同チームから出てたスチュワート・ルイス=エバンスが事故で亡くなった事からチームオーナーがショック受けて参戦を止めたってのは聞いた事ある(その後車両はプライベーターに売却されて参戦は続いてたみたいだけど)
ホンダの売却額はおそらくジャガー・レーシングからレッドブルへの売却額をもとにしたんだろう。そしてどっちも売却後のほうがはるかに成績がいい。
ミナルディというのもありましたね
チャンピオンが作ったチームと言うとスチュアートとプロストが有ったけど何百億で買収されてジャガーに成ったスチュアート(そのジャガーも結局1ドルで売られてRed Bullへ)
方や母国からもまたもや見捨てられて消滅したプロストとか
ペリー・マッカーシーと言えば予算がなくてチームが全リソースをロベルトモレノに注いでいたあおりで
予備予選でドライなのにレインタイヤでモナコを走ったときの写真を見ると
ジルビルニューヴデザインのヘルメットをかぶってるのが見れるというw
そして彼は引退後BBC Top Gearの初代Stig、通称黒Stigになりました
マキF1、日本のコンストラクターチームもおましたなぁ。
1年フル参戦を全うしていないチームもたくさんあるぞ。そもそも主催者は審査もしてないじゃん。詐欺師や殺人犯でも補償金さえ払えば歓迎されたんだから。
2:32 「体たらく」は「有り様」とか「ざま」とかいう意味だから「体たらくな状態」だと全然意味が通らないんですが…
ローラは画像だけか・・・
あの一件でマスターカードを警戒するようになった。
アンドレア・モーダは逃げ出したでは無く追い出された、ですね。
それと、このチームのドタバタはこの動画内では収まらないくらい色々とありましたね。
アンドレアモーダのシムテック製マシンはかっこよかったですね♡ モデナランボもユニークなボディカウルがかっこよかったです。最終型になる、オーソドックスなサイドポンツーンの画像ってあまり見かけませんね。
逃げ出したという表現が一番しっくりくるのはトヨタだと思うけど・・・。
はじめまして(^^)
コメントは初めてですが、いつも楽しく視聴させて頂いています。
短命というほどでは無いかもですがレイトンハウスのカラーリングが好きでした。
自分のバンドの紹介のバックのカラーや、バンドでの個人のアイコンのバックのカラーはレイトンカラーっぽい色を今も使っています。
1年どころかスポンサーに逃げられて1戦だけの参加に終わったローラ
あまりに撤退が早すぎてこの動画でもチョイだけの登場に終わったという。
もっともローラそのものは古くからいろんなチームにシャシーを供給していたが、1993年のスクーデリアイタリアで失敗したことに業を煮やしてローラ自ら参戦しようとして、マスターカードをスポンサーにして(マスターカード会員の賛同者から寄付を集めて資金調達する計画だった)1997年に急遽参戦を図ったが、これまた無様な結果に終わってわずか1戦でマスターカードが降りてしまったために、参戦資金の調達が頓挫してそのまま姿を消してしまった。
アンドレア・モーダですら、ロベルト・モレノの頑張りで決勝のグリッドにマシンを並べてグランプリの歴史に名を残したが、マスターカード・ローラ(便宜上こう呼ぶ)はそれすらかなわなかった。
オニクスも2年くらいで撤退してましたよね。2年目にはポルシェエンジンの獲得を、アロウズと争って負けて、結局コスワースで走ってたけど。
モデナは大混戦になった91年のサンマリノGPでヴァンデ・ポールが5位を走行するも、ファイナルラップでガス欠(と聞いています)でマシンストップして9位認定完走だった。
当時は5位は2ポイントだったのでこの2ポイントが有ったらどうなっていたのかな?と思う事がありました。
まぁ結局は短命だったでしょうが………。
footworkも忘れないで下さい。大橋さん今はなにしてるかな?
ブラウンのマシンはイギリスのホンダではなく日本の栃木のホンダスペックBってやつで2009年のレギュレーション改変のスーパーアグリ向けの車って雑誌で書いてあったがその話は本当にだったのか....よくわからん
スーパーアグリF1
「ブラウンGP」のマシンは「ホンダが設計」した様なモンなので、エンジンがメルセデスじゃなくても
撤退前のホンダエンジンは速かったから、ホンダが「後1年」撤退しなければ、ホンダがチャンピオンになれた筈。
ブラウンGPはホンダから直接メルセデスへ譲渡するのはさすがにまずいから、1クッション挟んだための産物っぽい。スポンサーがほとんど無いのにちゃんと参戦できたのは、そういうことだと思う。
事実上のメルセデスみたいなものかね
1ドル売却は制裁金逃れだったと、ブラウンもホンダの中の人もおっしゃってます。
参戦の登録を済ませたチームがドタキャンした場合、多額の制裁金が発生してしまいます。ホンダ的には制裁金を払って、人員整理の費用も出してチームをたたむつもりだったようですが、ロスブラウン側から働きかけて、形だけでもチームの譲渡が行われ参戦が継続されれば、制裁金は発生しないためあの1ドル譲渡になったわけです。
ロスブラウンに言わせると、手形に手数料がかかってるので、費用は1ドルより多いとの事ですが😅
ライフ懐かしい
ドライバーはブルーノ・ジャコメリ。結構な年齢だったんだよね。
皮肉にもBARからホンダになってから転落の一方だったんだよな。06年はBARの残り物だしホンダ自身のチーム運営力は高くない
ホンダは持ち上げられ過ぎ
ブラウンGPになってようやく歯車が噛み合いましたね。
この時期のホンダは他にもジョーダンやスーパーアグリにもエンジン供給以外にも様々なサポートをしていましたがかなり迷走していたのだけはハッキリ分かりました。
あのシーズンはホンダのままだったらおそらくレッドブルが制していただろう。
1997年MasterCard LOLA は
開幕戦で予選落ちした後
MasterCardが撤退したため、チームは完全撤退した
>>え!?撤退したチームがあるなんて、知らなかったわ!
嘘つけwwwwyww
あれ⁉️
サムネに載ってる、たった1レースでスポンサーに逃げられて撤退したマスターカード・ローラは⁉️
一口2万円スポンサーのうちの1人ですw後日にコローニからスポンサーになった証明カードとスポンサーになった1人1人の名前が書かれたポスターが届きました。
えー、それはすごいですね‼️
コメントありがとうございます🙇♂️
ま、まさかコメントをいただけるなんて光栄です!
昔にはいろいろ逸話の多いチームがいくつかありましたね。スポンサーの契約の関係で2戦で撤退したローラや、ドライバーの父親の豊富な資金で資金はあったがマシンが遅く、2台ともチェッカーを受けながら周回数不足で非完走になりドライバーの移籍でオワタになったフォルティ・コルセ、有名デザイナーが設計した図面を入手できたと思ったらほぼ写真しかなくデザイナーが想像で補ったパシフィックなどネタは多いですね。
ブラウンGPカラーリング個人的に好みです( ´ ▽ ` )
撤退したチームなんて5選じゃ足りないだろ
ライフって
当時のF1中継で古舘に
サーキットの幽霊
って言われてた
逃げ出した・・・
なら1997年の「マスターカード・ローラ」かな。開幕戦オーストラリアGPに出場するも戦闘力無さすぎで予選落ちし、その1戦だけで撤退したという
当時でも突然現れた謎のチームと言われていたシムテックが入りませんかね?
セナの亡くなる前日にはシムテックから参戦開始した、ローランド・ラッツェンバーガーが予選中にトサコーナー手前でウィング脱落から、大クラッシュして亡くなっている。
アンドレアモーダは追放処分された後、次のイタリアGP懲りずに参戦しようとしてたそう(門前払いされたのは言うまでもない)
あぐりが在籍してたフットワーク、ヴェンチュリとかは?
90年ごろはC級チームがバンバン生まれてバンバン消えた時代があったな。
アンドレアモーダ・・・F1史上最悪のチームですな。まぁ、元々税金対策として始めたチームともいわれ、F1雑誌にはキャンペンガールの写真しか載ってなかったチームですから、怪しさ満点ではあったけど・・・。
でもそれ以上に、金はあるが、やる気はゼロのBAR。さすが、ブリティッシュアマチュアレーシングと言われたチームは違いますなぁ。
個人的にはスパイカーは結構好きで、戦闘力のないマシンでよく頑張ってるもんだと思ってました。そして、スパイカーと言えば、07ヨーロッパGPのマルクス・ヴィンケルホックを思い出す・・・彼は大雨の中ラップリーダーになったんだ。それを某局が中継で笑ったのは許せなかった・・・下位チームとは言え、ラップリーダーを笑うとは何事か。と・・・。
ジョーダンの持ち主の変わり用がすごい。そしてそこそこ成績を残しているんだよな。ただレッドブルみたいな親会社に巡り会えればもっといい成績を残せるだろうに
モデナのランボルギーニエンジンは90年に亜久里さんが鈴鹿で3位に輝いたエンジン。ラルースはゴタゴタからエンジンを失いフォードエンジンに。モデナランボによいことは起こらなかった。
ランボルギーニはこの年リジェにもエンジンを供給していたが、
当のリジェは翌年からルノーエンジンを搭載することが決まると
早くもそちらのマシン開発に着手してしまった
@@miceli2363 ブーツェン選手は新型ランボルギーニエンジンのテスト断りました。なぜなら壊さないように全開で走らせてデータが欲しいと言われたので。ある時にはエンジンだって疲れているんだろうよとか、
高木虎之助がいたチームはなんでしたっけ?
アロウズのことですかね??
ティレルにもいました。同僚?リカルド・ロセットが鈴鹿で予選落ちとなり虎之助だけが走ることに。というのは鈴鹿が、最終戦でティレルの長い歴史に幕引きするレースだったので。シケイン侵入で追突されて終わった。
この世界は、生き馬の目を抜くとか
朝令暮改とか、物事があっと言う間にひっくり返る。
並大抵の神経じゃ生き残れない。
とんでもなく巨額の金が動く世界でもある。
義兄が本田のF1エンジンの設計チームに居てレース翌日の仕事は問題点の洗い出しとかの会議なので途中リタイアとかしたら凄かったらしい。
で一度TVとかで車からの映像とかって有るけど邪魔じゃないの?😮って聞いたら
カメラは小さいし、車体が軽すぎて飛ばないように砂袋とか入れてるから問題無いって言ってた😊
「カメラは邪魔じゃない?」って疑問は私も抱いていたけど、
知り合いに「カメラの重さなんてナイジェル=マンセルと
中嶋悟の体重差ほどもない」と言われて納得しました。
地球カラー(笑)とGP2エンジン。果たして、どちらがより酷いのだろうか・・・
アンドレアモーダのクソマシンをモナコGP決勝のグリッドに着けた辺り、モレノの実力は凄まじかったんだなぁ。
まあ、右京が予選で自爆したのにも助けられたんだろうけど…。
モレノは本当についてない。”シューマッハ引っこ抜き事件”でベネトンを追われたりして。
ユーロブルンもありましたね。
88年雨のイギリスGPでプロストが名前も知らない車に抜かれたと言ってました。それがユーロブルン?笑
確かブラウンGPはホンダのシャシーにメルセデスエンジン載っけてチャンピオン取ったんだっけ……🤔
前年度はレース捨てて翌年のマシン開発に熱を入れてたみたいだけど、バリチェロが表彰台乗ったり調子が上がってきた中でホンダ撤退の1報を受けて衝撃だった
翌年にブラウンGPがチャンプ取った時も嬉しさと当時に少し複雑な気持ちも残った(当時のオールホンダでチャンピオン取れるわけないだろうけど)
あの名門ロータスも撤退じゃなかったっけ?
F1バブルで参戦した日本企業も大概のもんだぞ
レイトンハウス、フットワーク。
4:00 LIFEはVitaから……PSVitaも失敗したし呪われているネーミングなのか
その鈴木亜久里さんがいたラルースランボルギーニも短命だったんじゃないかな?でも、日本で3位入賞で表彰台活けたし!
ブラウンGPのエピソードで1番印象にあるのは、やはりバトンが自身初のワールドチャンピオンになったとき。
チャンピオンとなりウイニングランに入ったバトンとピットクルーの無線を聞くと、テンションが振り切れたバトンが歓喜のあまり絶唱していたから腹抱えて笑ったw
下記のがその内容だけど、比喩でもネタでもなくマジでこんな感じだから、気になったら調べてみてw
「うぃぃぃぃぃぃあぁぁぁざ ちゃんぴおぉぉぉぉんず まいふれえぇぇぇぇぇんど!オッホッホッホウ!!We are World Champion!World Champion!POW!」
フォースインディアではなくミッドランドとスパイカーをやるべきでは?
コメントありがとうございます🙇♂️
次作にて、検討しております!よろしくお願いいたします🙇♂️
91年に美祢サーキットでモデナのF1を実機を見ました。
あるF3000のチームスポンサーのスタッフだったのだが。
なぜかF3000レースの当日になんかピットレーンの端っこにただポツンと誰も周りに人居なくて。
うおー!ランボルギーニエンジンF1やんかー!
一人で興奮してた。
みんな知らん顔…。なぜ?
日本人はほとんど、下位のチームは知りませんよ。我々のような本気ではまらないと無理と思います。
アンドレア・モーダは1年保たずに追い出されたんじゃん。
かつて、F1ワールドシップインジャパンとしてぐらプリが行われたんだけど、スポット参戦でコジマエンジニアリグからKE007というマシーンが出走したよ。
翌年は、日本GPとして行われたんだけど、ここでもコジマのKE009が参戦した。
ただ、このレースでFISCOの一コーナーで接触事故があり、翌年の日本グランプリは、キャンセルされた。
順調にいっていれば、ケケ・ろずべうぉドライバーとしてフル参戦の計画もあったけど、母国グランプリがない状態では、フル参戦する意味がないとの理由でこっちもキャンセル
この動画の要旨から外れるかも知らないけど、日本のF1の一時代を知ってくだされば、幸いです。
毎年最下位チームのHRT君を忘れるな
っつうか、買収されたチームを逃げたっていうのはどうかと思う
US-F1はどう分類する?
オレンジなのか?サフランじゃ、、
オニキス!
モーダ、モーダ~、アンドレアモ~ダ~ァ~
スチュワートグランプリはジョニー=ハーバートが優勝するなど
チームの力も上向きだった感があったんだけど、
それだけにジャガーレーシングに変わったときは「なんで?」と思った。
よくよく思ったけどジャガーレーシングを取り上げても良かったのでは?
まぁ、F1はカネが全て、とまでは言いませんが、お金が無ければ良いレースはできませんね。亜久里さんが確か、日本のF3を走ってた時のチーフメカニックさんが『数舜のグランプリ』で言ってました。
無限ホンダ❗️
逃げ出したというか投げ出した?かな?
短命だけど鈴木亜久里の財力に驚かされたスーパーアグリは印象があります。
ブラウンGPの優勝マシンはホンダのその年のNEWマシンだったので
前年のシーズン前のテストでも速いタイム出してたマシン
ホンダさん撤退をもう1年延ばしてたら優勝してたと思う
ブラウンGPの速さで実証された悔しい事実。
ホンダの車体にメルセデスエンジン載せてあの速さ
ホンダエンジンならもっと良かったかもね。
ユーロブルンやオニキスはシャシーの出来も秀逸だったしドライバーもわるくなかったけど、"営業"が下手くそでお金持ちのスポンサー引っ張って来れなかったから開発が進まない&資金枯渇して撤退しちゃったな
どちらもとても貧乏な割に戦闘力があるいいチームでオニキスなんかは見た目もカッコよかったのに
細かいことすみませんが、モンテベルディオニックスだったと思います。
@@スーツインナー それはモンテヴェルディがオーナーグループとして参加した、撤退前数戦のみのチーム名ですね!
オイラが好きだったオニキスにはまだモンテヴェルディはチームに参加していませんでした
1989年の1年だけ、
「ザクスピード・ヤマハ」
というドイツのチームがあった。
ドライバーの鈴木亜久里は、全戦予備予選落ちだった…😵
USF1が入ってない、やり直し
申し訳ありません‥泣
てか、USF1は撤退以前に参戦断念だったのでは?
計画をしながらも参戦する前に断念したチームはけっこうたくさんあるからね。
ちなみに動画に出てくるライフも、もともと参戦を計画しながら断念した「ファースト」というチームからマシンを買って参戦していた。
マスターカード・ローラは一応1戦だけではあるがエントリーはした(予選107%ルールに引っかかってしまったため予選落ちで決勝には出ていない)。アンドレア・モーダもわずか1戦ではあるがモナコで決勝のグリッドにマシンを並べ唯一の「出走」を果たした。
ステファンGPもF1参戦できていれば、中嶋一貴選手はもう少しF1で戦えていたのかなと。
童夢を取り上げて欲しかったです。
ブラウンの成功はホンダの功績とは思わん
ホンダがもう一年我慢出来たらって言う人も多いけど、ブラウンがチャンピオンシップ制覇できたのはメルセデスエンジンのおかげでもあるだろう。当時のホンダエンジンでチャンピオンになれただろうか?
いち
ありがとうございます🙇♂️