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自分の経験から、甘利先生の件に関して思うことは、研究はねちっこく継続的に行う必要があるということです。何か良いアイデアをおもいついて論文を書いても、それ一発だけではダメで、続けて同じような論文をたくさん書いていくことが重要です。そうすると世間はその問題に関しては、その人が権威者であると認めるようになります。私も若い頃は研究に関する美学があり、いろんな良いアイデアをたくさん出すのが良いと思っていました。しかしそれは線香花火のようなものです。後年は同じようなテーマの論文をたくさん書きました。結果的には後者が認められて、前者は他人に成果を取られてしまいました。
普遍のブラフマンの位置から観ると、個的なアートマンはどのようなものでも構わないことになると思います。 ただ人間社会共同体における現実の科学science=scientia知識・情報の集合集積過程としてみると、その過程を継続した成果が求められるということでしょうか・・。
気になっていた点を言語化してくださってとても共感しました。研究者にはそれぞれ重要な役割があると思いますが、種を蒔くだけでなく継続して育てていった人が権威として認められるものだと思います。我々日本人としては福島さんや甘利さんが忘れられているように感じますし、schmidhuber氏のいうこともわからなくはないのですが、アイデアの源を辿っていけばどこまでも歴史を遡れてしまいます。Hinton氏は第二次AIブームが終わった冬の時代も研究チームを動かし続け、複数のアイデアを花開かせました。論文において引用を正しく書いていないのだとすればその点は引っかかるものがありますが、ノーベル財団側の判断に関しては間違っているとは言えないと思います。
おお、やはりこの人の話が来ましたか。非常に公正な主張をしている一方で、やはり全ての話を聞いていくと相当にこだわりの強い人のようですねschmidhuberさんは。甘利先生が弾き出されてしまったのは非常に残念です。
甘利氏を入れなかったのは自分もやはり日本人、と言うか結局アジア人は下なので、そのバイアスは強くかかった、特にAIの発展のような重要なものは日本人は入ることは出来ない、ガラスの天井なんだろうなとは思っています。日本で何かちゃんと表彰してあげたら(甘利ネットワークの始祖として)良いんじゃないかなと思いました😅
甘利先生、福島先生の貢献は多大だと思います。 とはいえ、さすが甘利先生、今回の受賞に関し祝辞を出されるとともに、以下の様に、さらに先のお話をされていました。「私たちはこの快挙に喜ぶだけでなく、AIの発展が社会の、そして人類の文明に及ぼす影響にこれから心を砕かなくてはならない。」 理研の記事より引用
アイザック・アシモフがロシア人はノーベル賞から排除されているとエッセイに書いていました。(アシモフはロシア系)
そう言えば、特殊相対性理論の創設者に関して色々異論があるようだが、当時のこの分野の研究の歴史を遡ると、どうやら18世紀に色々な変換式が考案されていたが最終的にローレンツが所謂ローレンツ変換式を導出そ、それに大いに刺激されたアンリ・ポアンカレが特殊相対性論を作り上げたことは19世紀後半から20世紀1906年辺りまでのポアンカレの論文を読むと実に自然と分かる。この分野の最終後継者が正にアインシュタインであることも明白になる!同時性の議論を始めて行ったのもポアンカレです。しかしながら、世の中相対論は全てアインシュタインがやったかのようにな評価になっている。実際、有名な1905年の論文にはほとんど引用文献が見当たらない!これ立派な印象操作???当時ポアンカレはフランス語論文のみ!なんだかな?
上記訂正:前半部にある「18世紀」は「19世紀」の誤り!
ディープラーニングの方も福島さんのネオコグニトロンが先では?、という声はありました。ただ、色々な業績は再発見や再発明になっている事が後から分かる事も多い様に感じます。委員会の方は、恐らくは、関連した業績集めて総合的に、学会の意見も聴いてやっているのでしょう。今年は同時に平和賞を日本の団体へ出しているので、政治的な立場もあるのではないか、と解釈される事も回避しにくいように思います。
北里柴三郎がノーベル賞もらえなかったあたりから続いてる議論だろう。日本の場合、小柴さんあたりはなぜ貰えたのか意外だった。巨額な施設で偶然の新発見は単なるラッキー賞なわけでその施設長が貰えるっておかしいと思った。
甘利先生本人はノーベル賞受賞しなかったことに何か言及されてるのかしら
ノーベル賞受賞者の歴史が物語っている!🤣🤣🤣
この動画とは関係ありませんが、最近anthropicのCEOからエッセイが出ました。「Dario Amodei - Machines of Loving Grace」山川先生の共生論や、特に5、仕事と意義については、私のこだわる「価値の意味」、そして松田先生の竜宮城とも関連がありそうです。
これについてはすでに収録しました。
大谷がMVPとれなかったら、そのせい。アメリカは正しい評価をしてほしい
日本人はアジア人なので差別されているので、中国も孔子賞を設立したのだから日本も空海賞作ったらいいのにと冗談で思います(笑)
京セラ稲盛財団の京都賞があります。第1回特別賞にノーベル財団を選びました。「ノーベル賞に賞をやる」
自分の経験から、甘利先生の件に関して思うことは、研究はねちっこく継続的に行う必要があるということです。何か良いアイデアをおもいついて論文を書いても、それ一発だけではダメで、続けて同じような論文をたくさん書いていくことが重要です。そうすると世間はその問題に関しては、その人が権威者であると認めるようになります。私も若い頃は研究に関する美学があり、いろんな良いアイデアをたくさん出すのが良いと思っていました。しかしそれは線香花火のようなものです。後年は同じようなテーマの論文をたくさん書きました。結果的には後者が認められて、前者は他人に成果を取られてしまいました。
普遍のブラフマンの位置から観ると、個的なアートマンはどのようなものでも構わないことになると思います。
ただ人間社会共同体における現実の科学science=scientia知識・情報の集合集積過程としてみると、その過程を継続した成果が求められるということでしょうか・・。
気になっていた点を言語化してくださってとても共感しました。
研究者にはそれぞれ重要な役割があると思いますが、種を蒔くだけでなく継続して育てていった人が権威として認められるものだと思います。
我々日本人としては福島さんや甘利さんが忘れられているように感じますし、schmidhuber氏のいうこともわからなくはないのですが、アイデアの源を辿っていけばどこまでも歴史を遡れてしまいます。
Hinton氏は第二次AIブームが終わった冬の時代も研究チームを動かし続け、複数のアイデアを花開かせました。
論文において引用を正しく書いていないのだとすればその点は引っかかるものがありますが、ノーベル財団側の判断に関しては間違っているとは言えないと思います。
おお、やはりこの人の話が来ましたか。
非常に公正な主張をしている一方で、やはり全ての話を聞いていくと相当にこだわりの強い人のようですねschmidhuberさんは。
甘利先生が弾き出されてしまったのは非常に残念です。
甘利氏を入れなかったのは自分もやはり日本人、と言うか結局アジア人は下なので、そのバイアスは強くかかった、特にAIの発展のような重要なものは日本人は入ることは出来ない、ガラスの天井なんだろうなとは思っています。
日本で何かちゃんと表彰してあげたら(甘利ネットワークの始祖として)良いんじゃないかなと思いました😅
甘利先生、福島先生の貢献は多大だと思います。 とはいえ、さすが甘利先生、今回の受賞に関し祝辞を出されるとともに、以下の様に、さらに先のお話をされていました。
「私たちはこの快挙に喜ぶだけでなく、AIの発展が社会の、そして人類の文明に及ぼす影響にこれから心を砕かなくてはならない。」 理研の記事より引用
アイザック・アシモフがロシア人はノーベル賞から排除されているとエッセイに書いていました。(アシモフはロシア系)
そう言えば、特殊相対性理論の創設者に関して色々異論があるようだが、当時のこの分野の研究の歴史を遡ると、どうやら18世紀に色々な変換式が考案されていたが最終的にローレンツが所謂ローレンツ変換式を導出そ、それに大いに刺激されたアンリ・ポアンカレが特殊相対性論を作り上げたことは19世紀後半から20世紀1906年辺りまでのポアンカレの論文を読むと実に自然と分かる。この分野の最終後継者が正にアインシュタインであることも明白になる!同時性の議論を始めて行ったのもポアンカレです。しかしながら、世の中相対論は全てアインシュタインがやったかのようにな評価になっている。実際、有名な1905年の論文にはほとんど引用文献が見当たらない!これ立派な印象操作???当時ポアンカレはフランス語論文のみ!なんだかな?
上記訂正:前半部にある「18世紀」は「19世紀」の誤り!
ディープラーニングの方も福島さんのネオコグニトロンが先では?、という声はありました。ただ、色々な業績は再発見や再発明になっている事が後から分かる事も多い様に感じます。委員会の方は、恐らくは、関連した業績集めて総合的に、学会の意見も聴いてやっているのでしょう。
今年は同時に平和賞を日本の団体へ出しているので、政治的な立場もあるのではないか、と解釈される事も回避しにくいように思います。
北里柴三郎がノーベル賞もらえなかったあたりから続いてる議論だろう。日本の場合、小柴さんあたりはなぜ貰えたのか意外だった。
巨額な施設で偶然の新発見は単なるラッキー賞なわけでその施設長が貰えるっておかしいと思った。
甘利先生本人はノーベル賞受賞しなかったことに何か言及されてるのかしら
ノーベル賞受賞者の歴史が物語っている!🤣🤣🤣
この動画とは関係ありませんが、最近anthropicのCEOからエッセイが出ました。
「Dario Amodei - Machines of Loving Grace」
山川先生の共生論や、特に5、仕事と意義については、私のこだわる「価値の意味」、そして松田先生の竜宮城とも関連がありそうです。
これについてはすでに収録しました。
大谷がMVPとれなかったら、そのせい。
アメリカは正しい評価をしてほしい
日本人はアジア人なので差別されているので、
中国も孔子賞を設立したのだから日本も空海賞作ったらいいのにと冗談で思います(笑)
京セラ稲盛財団の京都賞があります。第1回特別賞にノーベル財団を選びました。「ノーベル賞に賞をやる」