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フェラーリ以外全車フォード・コスワース・DFVエンジンの時も。弱小チームでも、アイデア次第で優勝を狙えた古き良き時代でしたね。
小学生の頃に初めてF1中継を見てティレルP34のかっこ良さに一目惚れしましたプラモデルまで作って飾っていたのが懐かしいです
このぐらいの自由度のあるF1も見たいよな~色々あっても良いのに。
ライオンGPってエンジンの選択まで含めて、デザイナーが『グランプリの鷹』を全話通して観て頭がおかしくなった状態でブチ上げた企画みたいに見える。そのくらいトドロキスペシャルやF0マシンみたいに見えてしまう。というか『グランプリの鷹』って改めて観ると結構リアルな要素が詰まっているところがあるから、現実に似たような企画が出てきても不思議じゃないってとこなんだよな。
オジサン世代だとティレルは“たいれる”と読むほうが違和感ない。あと 確かロータスが“4WD”マシンを開発していましたね。
俺も“たいれる”と呼んでいました
ロータスやマクラーレン、マトラ、コスワースなどが60年代後半〜70年代初頭に4WDのF!を開発していましたね。
「ティレル」ちゃうで「タ・イ・レ・ル」よ。
右にしか曲がらないラジコン。
まだハタチですけど、タミヤのプラモの影響でタイレル読みの方がしっくり来ます
45年前のアニメ「グランプリの鷹」には8輪のマシンが出ていましたね。
ピットイン時のタイヤ交換大変そう😅
@@黒べえ-g8r 2時間くらいかかりそう。
@@黒べえ-g8r サスペンションセッティングに苦労しそう。6輪タイレル(当時はタイレル)ですらタイヤが高い、サスペンションが複雑だったから。
12輪マシンは知りませんでした!解決しなきゃいけない技術的問題が山積みで絶対成功しなかったと思いますが、テストカーでもいいので実写が見てみたかった!
ペダルレスでステアリングコラムとジョイスティックで操車するLion Grand Prix。レースカーとして奇抜すぎる設計仕様は読んでいて本当に面白い。故David Coxは鬼才です。
「あぐら」のようなドライビングポジションだったそうですね笑
"スポンサーがちゃんと入ったライオンF1想像図"初めて見た!(ネットでずっと流れて居たのが”ライオン歯磨のロゴ入り”でしたので)立体物は"模型雑誌のF1特集"でオマケ程度のフルスクラッチなんてのがありました(ボディカラーは流石に無地の白)
日本グランプリ仕様の「たいれる」は知ってたけど、「しぇくたぁ」は今初めて気づいたw
もう一台は「どぱいぇ」です
ファミリーサーキットみたいw
ファミリーサーキット、懐かしいですね!ピケやマンセルが速かっですね😄@@LOW-KUSHI
アニメのグランプリの鷹に出て来る轟スペシャルのマシンのタイヤ配列は実際に他メーカーで実験されていたんですね。制作スタッフの熱の入れようを改めて感じます、子供番組故の制限が惜しまれます。
今回も勉強になる動画ありがとうございますライオングランプリ実現して欲しかったですが厳しいかなー‥でもコックスのあらゆるアイデアは好感が持てます
自分は「ナイトライダー」や「サイバーフォーミュラー」世代なので、今のみんな同じ様な形よりも昔の各チーム個性豊かなマシンが色々出てるほうが好きです。
12輪マシンの設定から溢れ出る「ぼくのかんがえたさいきょうの」感がすごい。というか、10輪操舵ってどう動かすんだ?8輪操舵なら「中央4輪不動の4WS的な?」という想像がつくのだが……
あと1stドライバーがニキ・ラウダ起用予定って😅
@@11wildboys 大風呂敷広げ過ぎ(笑)!😅😅
もう信地旋回でいいよ
最高の環境で試行錯誤する姿勢は素晴らしいし面白いと思うけど地道に時に奇抜とも思えることの積み重ねが技術というものでしょう「ぼくのかんがえた」思い付きレベルで実戦投入まで行くわけないし少し考えてみたらそれこそ自明で分かること
12輪のF1って…………、芋虫じゃないんだから😅
1976年のティレルは確かに開幕戦で2位に入りましたが、マシンはP34ではなく007ですね😄p34のデビューは第4戦スペインGPですね😄 シーズン中にニューマシン投入とか普通にあった時代ですね😄
F1マシンは4輪だけではなかったんですね。それを知ってからは、アニメのサイバーフォーミュラに登場する6輪マシンがカッコよく感じるようになりました
スーパーアスラーダとかファイヤースペリオンですね。
月刊自家用車で連載されていたF1漫画の最終回は、悪い意味で凄かったです。タイヤが1つ外れて3輪走行なのに安定している秘密が「もともと車体内部にもう一輪隠れている5輪車だから、まだ4輪で走行できている」という内容でした。中学生だった当時ですら「フォーミュラじゃ無い!」と思いましたが最後は、主人公がなぜかそのまま直進し続けてコースを飛び出して激突して爆発というラスト。
あ、それ読んだ記憶があります!まったく作品名を覚えてませんが、よかったら教えてください^^
@@user_eksz 残念ながら、自分も作品名・作者名は覚えていないのです。
@@bakemonomoke2642 おっけです^^懐かしい思い出をちょっとだけ共有できるかたがいてうれしかったです。
フェラーリはかつて4月1日にエイプリルフールネタとして「8輪車を開発した」といって、8輪車に加工したマシンの写真をマスコミに公開したことがあったw
後輪4タイヤのF1マシンと言えば激走ルーベンカイザーに出てきたルーベンカイザーF1とかもありましたね。ほぼ同時期に放送していたグランプリの鷹と比較すると派手さが無い作品でしたが
グランプリの鷹は俺も見てましたあの頃は8輪のマシンに憧れていました
ルーベンカイザーは某麦わら帽子のゴム人間の中の人のデビュー作品だったはず
個人的にはF-0規格でのレースが観たい。全ての規制を無くして(ゼロにして)F-1カーの全長と全幅のみ規制しその機構、エンジン、車輪数、などはメーカーに任せるレースが観たいです。
ウィリアムズは6輪車はFW08のベース車となったと考えれば成功と考えても良いと思いますよ。FW07Dの4輪verがFW08という認識です。偶然の可能性もありますけどショートホイールベースになった事で旋回性も上がり、結果的に82年にチャンピオンを獲る事が出来ました。
よく話に出るグランプリの鷹は8輪車は出てくるは、ドライバーの名前がニックラムダだったし、しまいにはFゼロというカテゴリーが出てきてソビエトのチームは出るは良くできた作品でした😆
鷹スペシャルでしたっけ?1から3まであったような。うろ覚えですがw
おまけに可変ウイング付いてた。轟スペシャルだったような。なんにしろ子供の事だったんでうろ覚え
轟スペシャル2でしたね😆ステアリングで切り替えてましたね、たしか🤣
針埋め込むタイヤとかあったような
F 0のエンジンはガスタービンだった。車名が『サムライ』でしたからね‥胸熱🤣💨
P 34 それすなわち男のロマン。
ティレルのP34はF1史に未来永劫語れる名車ですね!!もし、グッドイヤーの小径フロントタイヤの開発が順調に進んでいたらもっと勝っていたかも知れませんね。それにしてもライオングランプリの12輪車のアイデアは凄すぎです!ガスタービンエンジン車は確か実際にレースに出ていますが、DFVより77キロも軽いとは・・・。
実際77年型のP34をクラッシックレースに出場させた時エイボンが開発した専用タイヤを使用したら好成績だったのでグッドイヤーもミシュランとの開発競争がなければ開発継続していた可能性はありそうですね。ただP34は前輪サスペンションの硬性不足に悩まされていたから現在のカーボン製でも厳しいかもしれませんね。
この動画では触れてないけど、P34の失敗はティレルがどうにもできない不運が重なった結果起きた部分もあるからね。最初の不運は、77年にミシュランが参戦がF1に参戦したこと。グッドイヤーは76年にワンメイク用のコントロールタイヤを供給していたが、77年はミシュランに勝つため、絶えずタイヤ開発をしなければならなくなった。そうなると、リアタイヤのグリップは急激に上がっていく一方で、フロントタイヤは動画で触れているようにまともに開発ができない状態だったから、マシンのバランスが崩れてしまったんだ。次の不運は、76年に好成績を出したのに、77年に6輪車を開発する新しいチームが出てこなかったこと。10インチフロントタイヤの開発が後回しになった一番の理由は、ティレル以外のチームが使用しなかったからだ。もし、他チームも使用をしていたら、グッドイヤーも優先順位を考え直したかもしれないし、開発データが増えるメリットも得られただろう。だが、そうならなかったことを見るに、6輪車を開発するメリットが、デメリットやリスクを上回ることはないと、他のチームは考えていたのだろうな。
@@lightning-r3572 後にフェラーリ、マーチ、ウィリアムズが開発していた6輪車は前輪ではなく後輪4本でした。空気抵抗減らす目的は同じでも前輪用のタイヤを流用することでタイヤ開発の恩恵をうまく取り込めることも考えていたかもしれませんね。最もこの事態をよく思わなかったのかFIAがタイヤは4本までとするとともに4輪駆動も禁止にしたのですべてお蔵入りになりました。だけどその中でウィリアムズのFW08がショートホイールベースを武器にケケをチャンピオンにしたのは結構有名な話ですね。
日本GP、富士スピードウェイでのP34の走りを記憶しています。当時はスーパーカーブームも相まって小学生ながら興奮してTVにかじりついてました。
ライオングランプリって初めて聞いたいくらエンジンが軽くても12輪で10輪駆動だとかなり重くなったのでは?タイレルは異形でもすごくかっこいい傑作マシンですね!
小学生の頃。スーパーカーがブームになってた時に雑誌でF1の事を知り、中でも6輪車のティレルは当然印象に残ってたし、カッコ良かったのですが、後に「赤いペガサス」を見てから、4輪車も悪くはないなと思うようになりました。
タイレルP34は世代が違いますが、初めて見た時には、衝撃的過ぎてタミヤのプラモデルやラジコンカーを買って作って(ラジコンは)走らせてました。スウェーデンGPで優勝した個体ですが、タミヤ本社のショールームに展示されています。しかしライオンGPの12輪には驚きました。
このティレル6輪の登場は、当時は本当に衝撃だった。性能云々以前に、カッコ良かったというのが一番大きい。だから、当時今までにない『グランプリの鷹』のようなアニメも登場した。あのアニメじゃ6輪8輪は普通だったからな(笑)
タイレル.ティレルP34を知ったのはタミヤRCカーグランプリと言う番組を見て初めて知りました。タミヤ本社所有のマシンで、模型化の為にタミヤが購入したらしいです。形やカラーが個性的で私も好きなF-1マシンになりました。その後P34の様な6輪車を見なくなってどうしたのかな?と子供ながらに思っていましたが、エピソードを知りなるほどと思いました。当時のF-1マシンはアイデアが沢山あったり、見る側を楽しくワクワクさせたと思いますが、それをつまらなくさせたのはFIAなのかなと思います。
してタイヤは4つでいいとの事で、時代は空力によるマシン性能の向上としてウィングカーへと。ガスタービンは通常の四輪車でも葉巻型の時代にインディーでもあったので、こちらはまた復活し走り続けのを少し見たい気もします。
ウイリアムズFW08は6輪前提で設計されたせいか実戦投入された4輪仕様がチョロQに見える超ショートホイールベースに…
タイヤメーカーが協力していたら、今頃6輪と4輪が入り交じった面白い対決が見れたのかな?空力的にどっちが良いのかな?昔、F1スタイルが「一番速い」形と思ってたけど、タイヤが剥き出しのF1は、空力的に「あり得ない」形状と知ってショックだったな!
12輪の幻のマシンはスゴいなwヌシさんの情報網にはいつも驚かされるなんだか8輪の電気自動車ユリーカを思い出したティレルのタイヤの発熱問題はグッドイヤーのバイアス構造から来てるんだろうか?結局ミシュランとのタイヤ戦争終了後ようやく1985年からようやくラジアル構造化した
6輪というとアニメサイバーフォーミュラのアスラーダシリーズを思い出す。天井知らずに上がるエンジン出力を電子デバイスでねじ伏せる方向にF1が進化していたら6輪マシンも別に珍しくない未来もあったかもしれない。
エアロの可変(というかもはや変形も)ありだもんね。レギュレーション厳しいF1とは別に、なんでもありのカテゴリーを見てみたいとか思う。
ず~っと[たいれる]だと思ってたので、中嶋が乗ってた頃ティレルが同チームだと暫く気づかなかった思い出。
ラジコンで12輪F1作った動画ありましたが意外と安定してよかったとか
12輪か……ピットのタイヤ交換が地獄となりそうだ。
Wピットストップとかとんでもない事になりそうww
ライオングランプリは、当時のオートスポーツ誌にも取り上げられていて、ちょっとした話題になっていましたね。ライオン歯磨きのスポンサーロゴが載ったマシンは、シャレとして面白かったですね。
ライオン歯磨はGC(グランチャンピオンレース)で歯科医が本職の清水正智のマシーンのスポンサーになってました(マシンのカラーリングはピンク色に青のストライプでフロントノーズにZACTLIONのロゴ)ZACTLIONはライオンのタバコのヤニ取り歯磨きですね。
ライオングランプリは初めて知りました。いやあ流石ですね。それにしても、12輪のF1マシンが見たい、見たすぎる!
ピットインの時タイヤ交換時間に12時間くらいかかりそうww
昔のアニメ「グランプリの鷹」を思いだした。四~八輪までコックピットはそのままで換装できるヤツ。
12輪ライオングランプリのデヴィッド・コックス氏の写真に、静電式の名スピーカー「クワッドESL」が写ってた!
P34こと6輪ティレル、模型イベントで展示してたので観に行って細部とか撮影しました。あと差し出がましいですがでP34デビュー戦は76年第4戦スペインGPでシェクターは007でデュパイユのみP34で出走、結果はリタイアです。(2位になったのは第6戦モナコでシェクターがございます(^_^;)「アローエンブレム グランプリの鷹」のトドロキスペシャルや「激走!ルーベンカイザー」のルーベンカイザー等当時のレース系アニメはかなり影響与えたマシンですね
こんにちは。他の方も仰られていますが...昔のアニメ グランプリの鷹 に八輪車が登場していましたよね?①片側四輪で計八輪②フロント前後に二輪、両サイドで四輪、リア片側横並びに二輪、計四輪 全部で八輪実際にモデルとなったテスト車があったのですねwwwティレル(私が幼少の頃はタイレルと言っていた?)の六輪車がカッコ良かったですが...活躍しているイメージは無かったです
" 荒らし " にあったので再度7:50 改正ですがGPカー ストーリーズによると。合同テストでの Williamsの高性能ぶり脅威に思った 各チーム。それ等の訴えを聞き入れたと記載されてました。
グランプリの鷹のF0を彷彿させるマシンの計画もあったんだ
12輪マシンは走ってるところ見たかったけど、タイヤ交換が大変そう
12輪F1ですが、童夢で働いてた方が設計に参加されてたはずです。その方から直接聞いた話ですので・・・。w元ネタはオートスポーツですかね?
昔に日本で展示された「たいれる」の実車が見た事がありますが前輪がまるでレーシングカートのリアタイヤみたいだなーって思った記憶があります😊
いつも面白い動画をありがとうございます😀 最近は似たようチャンネル(?🤔) が増えてますが、これからも期待してます!😀
この頃の日本オートスポーツ誌を一式持っていますが、ライオンGPの12輪マシンは読者投稿の自作ラジコンで実現していましたよ笑
どうせなら100輪車くらい作って欲しかったねぇ。
マーチ2-4-0が元ネタか分かりませんがアニメ「激走ルーベンカイザー」(テレビ朝日)の主人公が乗っていたマシンによく似てますが当時はバンダイ模型からモーターライズのプラモも発売されてましたね。
12輪って凄いなぁ、なんかサンダーバードに出てきそうだ(^_^;)
一瞬 戦車かと思いました
マーチは完全にスポンサーを狙ったアドバルーン ティレルは専用タイヤの開発が遅れるのが問題だった
実現してたらライオングランプリのピット作業はさぞ壮観だったでしょうねえ、、
12輪F1計画 あったんですね 実現してもマンパワーとタイヤとかその他諸々の資金難でスグにたち行かなくなると思いますけど。
自分、タイレル・フォードのP34のミニカー買いました。もちろん、このかたちで楽しむのでは無く、後輪に接着剤でタイヤを付けて、当時のアニメ、『グランプリの鷹』に出てくる『轟スペシャル』にするために(笑)。
「ルーベンカイザー」も大概でしたね。
轟スペシャルのポピニカ持ってました本体の前後を差し替えて3つのマシンにしてました
@@にゃむ-q9o さん。はい。自分もです。ただ、T1の前、T3の後ろとしてみたり自分もしました。しかし、その時、幼かったので、やっぱり、それぞれの色に合わせていました。
私もすごく勉強になりました、P34しか知りませんが、他のチームもいろいろ試行錯誤していたのですね。そのなかで、車の様々な特性にからむ蘊蓄はとても興味深かったです。グランドエフェクトカーの時代ですもんね、懐かしくもあり、今のようなレギュレーション縛りがあまりない、自由な発想があって楽しいです。
まだCFDなどのコンピューターシミュレーションによる空力解析など夢のまた夢の時代。それ故タイヤの小径化など様々なアイデアを『カンピューター』で編み出さなければならない時代故の発想と言えますね。今なら既に空力特性が数値的に可視化されて理想の形状が導き出しやすく形状が収斂していくレベルにまで技術が進化しているので、こんな奇抜なマシンは二度と現れないでしょう。にしても12輪マシンは流石に奇抜すぎというかネタ枠にしか見えませんが(動くスポンサーロゴはマクラーレンが試験的に投入しましたね)それにしても、1年だけとはいえ、いかにティレルP34が斬新だったかが分かるフォロワーエピソードです。
自分が小学生の時にティレルP34が登場してあまりのカッコ良さに感動したのを覚えてますプラモも買って作ったなぁ
フェラーリの312T6について補足すると、今のF1マシンは前後のタイヤの直径が同じになるようにレギュレーションで決まっているけど、その規則ができたのは1982年。70年代は小径フロントタイヤと大径リアタイヤの組合せが当たり前で、フロントタイヤと同じ直径のリアタイヤを使用できれば、動画であったように空気抵抗や重心高の面でメリットがあったというわけだ。ここからは個人的な感想ただ、このマシンを初めて聞いたときは、ホイールの重量増や、P34同様に専用タイヤが必要なことに気がついて、なぜお蔵入りになったのか、すぐ察しがついた。いくらタイヤサイズが一緒だからって、駆動力のかかるリアタイヤにフロントと同じコンパウンドや構造が使えるわけがないんだ。低コスト化でローテーションを組むこと前提で作られた市販車のタイヤと、使い捨てのレーシングカーのタイヤは考え方が根本から違う。90年代にこんな話がある。まだ片山右京がティレルにいた頃、当時超高速だったホッケンハイムで空気抵抗を減らすため、練習走行でリアにフロントタイヤを装着して走ったことがあった。しかし、供給元のグッドイヤーにすぐ止められたそうだ。単純にグリップが低いのもそうだが、フロントタイヤは駆動力がかかることを前提とした設計をしていないので危ないというのが一番の理由だったらしい。
10:51 うちの兄がこれ好きでした!!
タイヤメーカーがワンメイクだった時代の多輪化は空力が着目点でしたが、その後はメーカー間のタイヤ開発競争が始まり、アイテム数を増やすと開発スピードが落ちて負けるので結果的に4輪に集約されたという話1サイズ縛り、構造もコンパウンドも1種類のワンメイクタイヤを何個使ってもいい、レース中のタイヤ交換不可、という世界なら、タイヤ多い方がパンクのリスク下がり摩耗も気にせず走れるので有利になりそうだけど、走行距離や車体重量(=燃費)による最適解はあるはず、なので6輪とか8輪とかになってたかも。
ブラバム、というかゴードン・マレーは14輪をデザインしていたとバブル期の本で読んだ記憶があります乗用車のような細いタイヤをフロントは左右に3つ、リヤは4つずつ装着して、見た目は比較的通常の4輪に近いものだったとか
タイレルP34のインパクトは色あせないなぁ。詳しくない人でも見たことありそう…フジテレビのF1放送オープニングCGに、時のメジャーマシンだけでなく、コイツがいるのが嬉しかったよ。
12輪マシンwロマンを通り越してもはや伝説のマシンだなw
あぁ、懐かしいすね、当時の日本国内では、こういう情報が全然入ってこずにそれらを報じる新聞や専門誌も無かったんで(ほんの少しauto sport誌が書くぐらいか)自分が、この情報を得たのも1か月以上遅れてで、しかも、その情報源は当時放送されてたアニメの、アローエンブレム・グランプリの鷹の主人公轟鷹也がファンからの質問に答えたり、F1の情報を教えてくれるっていうテイで記載されてた(たぶん当時のテレビランド誌上とかテレビマガジン誌上)コーナーでだったよ当時のF1はフジテレビではなくて、TBSで年間数戦を録画編集したものを数週間遅れで、月に1回ぐらい土曜日か日曜日の午後ぐらいに放送してた(たしか解説を写真家の間瀬明さんがしてたように記憶してる)
それも首都圏に住んでいた方ならではのお話で、当時北陸の地方在住者は、TVでF1情報に触れる機会はほんの時々のNHKニュースぐらいのもので、一ヶ月遅れのオートスポーツの紙面が大正義でした^^なつかしいですね。
やっぱりタイレルが一番しっくりくる
アローエンブレム・グランプリの鷹では6、8輪車も有りました。真面目にコメントすると4輪車以上だとタイヤ交換でタイムロスは不可避です。
タイレル6輪はタミヤさんがラジコンで初めて作ったやつです。今も持っていますよ。
タイヤ温めるの💦大変だろうな😅管理も大変❗有償だと資金も大変12輪なんて、大変すぎる😱
生まれて初めてF1カーという言葉を聞いた時、それは6輪車の事だと思ってた。動画を見てなんとなく納得。
12輪見たかった😏😏でも頓挫するんだろうな😩
サムネの12輪マシンの出落ち感がハンパないwところで、フロントタイヤをリアで使うのって弊害はなかったんだろうかと気になる。駆動輪の役割を担う以上強力なエンジンパワーを受け止めなければいけないワケだけど、タイヤメーカーはそんな使い方を想定して設計してないだろうし絶対無理があったはず。
1970年代当時はバイアスタイヤだったので構造に違いがあったか分かりませんが、1990年代に片山右京が曲がらないティレルに業を煮やして、前後タイヤを付け替えて予選走ったことがありますよ。当時のタイヤは既にラジアルタイヤでしたが、外径はほぼ一緒だったようです。解説の川井チャンが「リヤタイヤはトラクションかかるからフロントと構造違うんだけど大丈夫かな〜」とコメントしてたのを覚えてます。結果は焼け石に水、という感じでした。
まあそのときのティレルはそもそもマシンの戦闘力が低すぎましたから効果があったのか見極めが難しいですよね。フロントタイヤをリアで使うことに川井ちゃんも懸念を示していたんですね。情報ありがとうございます。
マーチ2-4-0は実車が残っているようで何年か前のFESTIVAL OF SPEEDに出ていましたよね。現役のレーシングカーにも劣らないようなタイムで走っていて驚きました。おそらくレストアだけでなくレーシングスピードで走れるよう仕上げたんでしょうけど、あれなら当時ちゃんと熟成させていれば結構いい線行ったんじゃないかと思いますね。
轟鷹也の8輪マシン、現実じゃ重くて曲がらなそうだ、F-0とかニック.ラムダとか懐かしいね。
確かアメリカチームのマシンが1000馬力で、そんなん無理やろ!って思ってたらターボ時代は余裕で1000馬力超えでしたね!
夢がありましたね。大型トラックはダブルタイヤ普通だし16式戦闘車もあるしでも日本の少年は「グランプリの鷹」なのだそして後番組が「999」機関は特急仕様の6輪 C62車両だ
ピットクルー「ええっ!?」
ライオングランプリの話はコックスの娘さんが当時のエピソードを語っていますね。フェラーリは312を前後4輪にした312T8の白黒写真がたった一枚出回っていますが合成なのか不明ですね。ドライバーはレガツォーニ。海外の方がアセコルで作成した走行動画があります。ruclips.net/video/ml6XBkeD22M/видео.html
後輪ダブルタイヤの6輪車は、相当な開発能力を持つあのカルロス・ロイテマンでさえ強大なトラクションを抑える事が出来ずお手上げ。どこに吹っ飛んで行くか分からないマシンの開発をフェラーリは諦めるしかなかったw
「トレブロンF1」という93年くらいにちょこっと噂があったプロジェクトがあった。エンリケスカラブローニというフェラーリとかウィリアムズでも働いて直前までロータスのデザイナーやってたお方が関わっててそれが四輪なんだけど前に一輪、後ろに三輪という一風変わった形状のマシンが設計図に書かれてたらしい。もちろん頓挫したけれど試しに一度見てみたい気もしたマシンだった。
この流れが進んでいったとしたら、オートバイは二輪、クルマは四輪、という今でも当たり前のような呼び方はどうなってたのか、、、そう言えば鈴鹿2&4も、、、2&4&6&、、、いやいや、オートバイも2輪を飛び越えて3輪に??あれ?そう言えばヤマハのトリシティのことは二輪って呼んでええのか??考えれば考えるほど収拾がつきませんね💦4輪に規制かけてくれてよかったです。
P 34はシーズン途中からの登場なのでデビュー戦はブラジルではないんですよ(^^)
実際、フロント4輪、リア4輪は物理的に速く走れると感じます。しかしタイヤ交換(ピット作業)には時間を要すかと😅🐶💦ましてそれを市販車にフィードバックするとなれば、コストがかかり過ぎるデメリットは避けられないでしょう。マシンをメンテナンスする資金と技術さえあれば、またF1で復活しても良い素晴らしいアイデアだと考えます。
イアン・シェクターは1979年F1チャンピオンのジョディー・シェクターのお兄ちゃん。
子供の頃に、P34っぽい8輪F1のミニカーを持ってんだけどな〜。どこいったんだろ。
新しいことを具現化するのは、並大抵の労力や、時間、資金を必要とするでしようけど、中々うまくいかないんでしょうね…
アニメのサイパーフォミュラーの6輪は格好良かった
アスラーダは別格ですね。
めっちゃ見てましたハヤトくんw
6輪が無くなったのは効果が薄いからじゃなくレギュレーション変更の為だったのか。進化したらどうなったのか見てみたかった。
マーチ・フェラーリ・ウィリアムズの6輪車はトラックのシステムをF1に活かした形やね。ライオンF1はF1のアニメを見てる感がして頭がクラクラするw
もし六輪車が主流になった世界線があったならF1はどんな姿になっていったのだろうか
77年ぐらいのオートスポーツによく掲載されていた写真ですね、結局タイヤの開発がポシャたので残念なことになりました。
12輪のドライバーちょんと座ってステアリングを押したり引いたりしてアクスルコントロールしてた記憶が😂
ティレルが開発しました6輪車がF1で実戦で投入し結果を残しましたこの活躍でティレルの名前を知らしめました
76年開幕ブラジルのティレルのマシンは前年の007。
12輪ピット作業つらすぎるw
今回のアメリカGPでついに登場したディスプレイ式広告、こんなに前から構想してる人がいたんだな…
アローエンブレム グランプリの鷹の轟SPを彷彿とさせますね。
ここまで来ると最早、サイバーフォーミュラの世界
流石に12輪のタイヤ交換はタイム良くても台無しになりそう
フェラーリ以外全車フォード・コスワース・DFVエンジンの時も。
弱小チームでも、アイデア次第で優勝を狙えた古き良き時代でしたね。
小学生の頃に初めてF1中継を見てティレルP34のかっこ良さに一目惚れしました
プラモデルまで作って飾っていたのが懐かしいです
このぐらいの自由度のあるF1も見たいよな~
色々あっても良いのに。
ライオンGPってエンジンの選択まで含めて、デザイナーが『グランプリの鷹』を全話通して観て頭がおかしくなった状態でブチ上げた企画みたいに見える。そのくらいトドロキスペシャルやF0マシンみたいに見えてしまう。
というか『グランプリの鷹』って改めて観ると結構リアルな要素が詰まっているところがあるから、現実に似たような企画が出てきても不思議じゃないってとこなんだよな。
オジサン世代だとティレルは“たいれる”と読むほうが違和感ない。
あと 確かロータスが“4WD”マシンを開発していましたね。
俺も“たいれる”と呼んでいました
ロータスやマクラーレン、マトラ、コスワースなどが60年代後半〜70年代初頭に4WDのF!を開発していましたね。
「ティレル」ちゃうで「タ・イ・レ・ル」よ。
右にしか曲がらないラジコン。
まだハタチですけど、タミヤのプラモの影響でタイレル読みの方がしっくり来ます
45年前のアニメ「グランプリの鷹」には8輪のマシンが出ていましたね。
ピットイン時のタイヤ交換大変そう😅
@@黒べえ-g8r 2時間くらいかかりそう。
@@黒べえ-g8r サスペンションセッティングに苦労しそう。6輪タイレル(当時はタイレル)ですらタイヤが高い、サスペンションが複雑だったから。
12輪マシンは知りませんでした!
解決しなきゃいけない技術的問題が山積みで絶対成功しなかったと思いますが、テストカーでもいいので実写が見てみたかった!
ペダルレスでステアリングコラムとジョイスティックで操車するLion Grand Prix。レースカーとして奇抜すぎる設計仕様は読んでいて本当に面白い。故David Coxは鬼才です。
「あぐら」のようなドライビングポジションだったそうですね笑
"スポンサーがちゃんと入ったライオンF1想像図"初めて見た!(ネットでずっと流れて居たのが”ライオン歯磨のロゴ入り”でしたので)
立体物は"模型雑誌のF1特集"でオマケ程度のフルスクラッチなんてのがありました(ボディカラーは流石に無地の白)
日本グランプリ仕様の「たいれる」は知ってたけど、「しぇくたぁ」は今初めて気づいたw
もう一台は「どぱいぇ」です
ファミリーサーキットみたいw
ファミリーサーキット、懐かしいですね!ピケやマンセルが速かっですね😄@@LOW-KUSHI
アニメのグランプリの鷹に出て来る轟スペシャルのマシンのタイヤ配列は実際に他メーカーで実験されていたんですね。
制作スタッフの熱の入れようを改めて感じます、子供番組故の制限が惜しまれます。
今回も勉強になる動画ありがとうございます
ライオングランプリ実現して欲しかったですが厳しいかなー‥
でもコックスのあらゆるアイデアは好感が持てます
自分は「ナイトライダー」や「サイバーフォーミュラー」世代なので、
今のみんな同じ様な形よりも昔の各チーム個性豊かなマシンが色々出てるほうが好きです。
12輪マシンの設定から溢れ出る「ぼくのかんがえたさいきょうの」感がすごい。というか、10輪操舵ってどう動かすんだ?8輪操舵なら「中央4輪不動の4WS的な?」という想像がつくのだが……
あと1stドライバーがニキ・ラウダ起用予定って😅
@@11wildboys 大風呂敷広げ過ぎ(笑)!😅😅
もう信地旋回でいいよ
最高の環境で試行錯誤する姿勢は素晴らしいし面白いと思うけど
地道に時に奇抜とも思えることの積み重ねが技術というものでしょう
「ぼくのかんがえた」思い付きレベルで実戦投入まで行くわけないし
少し考えてみたらそれこそ自明で分かること
12輪のF1って…………、芋虫じゃないんだから😅
1976年のティレルは確かに開幕戦で2位に入りましたが、マシンはP34ではなく007ですね😄
p34のデビューは第4戦スペインGPですね😄 シーズン中にニューマシン投入とか普通に
あった時代ですね😄
F1マシンは4輪だけではなかったんですね。それを知ってからは、アニメのサイバーフォーミュラに登場する6輪マシンがカッコよく感じるようになりました
スーパーアスラーダとかファイヤースペリオンですね。
月刊自家用車で連載されていたF1漫画の最終回は、悪い意味で凄かったです。
タイヤが1つ外れて3輪走行なのに安定している秘密が「もともと車体内部にもう一輪隠れている5輪車だから、まだ4輪で走行できている」という内容でした。
中学生だった当時ですら「フォーミュラじゃ無い!」と思いましたが最後は、主人公がなぜかそのまま直進し続けてコースを飛び出して激突して爆発というラスト。
あ、それ読んだ記憶があります!まったく作品名を覚えてませんが、よかったら教えてください^^
@@user_eksz
残念ながら、自分も作品名・作者名は覚えていないのです。
@@bakemonomoke2642 おっけです^^懐かしい思い出をちょっとだけ共有できるかたがいてうれしかったです。
フェラーリはかつて4月1日に
エイプリルフールネタとして
「8輪車を開発した」といって、
8輪車に加工したマシンの写真
をマスコミに公開したことが
あったw
後輪4タイヤのF1マシンと言えば激走ルーベンカイザーに出てきたルーベンカイザーF1とかもありましたね。ほぼ同時期に放送していたグランプリの鷹と比較すると派手さが無い作品でしたが
グランプリの鷹は俺も見てました
あの頃は8輪のマシンに憧れていました
ルーベンカイザーは某麦わら帽子のゴム人間の中の人のデビュー作品だったはず
個人的にはF-0規格でのレースが観たい。
全ての規制を無くして(ゼロにして)F-1カーの全長と全幅のみ規制し
その機構、エンジン、車輪数、などはメーカーに任せるレースが観たいです。
ウィリアムズは6輪車はFW08のベース車となったと考えれば成功と考えても良いと思いますよ。
FW07Dの4輪verがFW08という認識です。
偶然の可能性もありますけどショートホイールベースになった事で旋回性も上がり、結果的に82年にチャンピオンを獲る事が出来ました。
よく話に出るグランプリの鷹は8輪車は出てくるは、ドライバーの名前がニックラムダだったし、しまいにはFゼロというカテゴリーが出てきてソビエトのチームは出るは良くできた作品でした😆
鷹スペシャルでしたっけ?1から3まであったような。うろ覚えですがw
おまけに可変ウイング付いてた。轟スペシャルだったような。なんにしろ子供の事だったんでうろ覚え
轟スペシャル2でしたね😆
ステアリングで切り替えてましたね、たしか🤣
針埋め込むタイヤとかあったような
F 0のエンジンはガスタービンだった。車名が『サムライ』でしたからね‥胸熱🤣💨
P 34 それすなわち男のロマン。
ティレルのP34はF1史に未来永劫語れる名車ですね!!
もし、グッドイヤーの小径フロントタイヤの開発が順調に進んでいたらもっと勝っていたかも知れませんね。
それにしてもライオングランプリの12輪車のアイデアは凄すぎです!
ガスタービンエンジン車は確か実際にレースに出ていますが、DFVより77キロも軽いとは・・・。
実際77年型のP34をクラッシックレースに出場させた時エイボンが開発した専用タイヤを使用したら好成績だったのでグッドイヤーもミシュランとの開発競争がなければ開発継続していた可能性はありそうですね。
ただP34は前輪サスペンションの硬性不足に悩まされていたから現在のカーボン製でも厳しいかもしれませんね。
この動画では触れてないけど、P34の失敗はティレルがどうにもできない不運が重なった結果起きた部分もあるからね。
最初の不運は、77年にミシュランが参戦がF1に参戦したこと。
グッドイヤーは76年にワンメイク用のコントロールタイヤを供給していたが、77年はミシュランに勝つため、絶えずタイヤ開発をしなければならなくなった。
そうなると、リアタイヤのグリップは急激に上がっていく一方で、フロントタイヤは動画で触れているようにまともに開発ができない状態だったから、マシンのバランスが崩れてしまったんだ。
次の不運は、76年に好成績を出したのに、77年に6輪車を開発する新しいチームが出てこなかったこと。
10インチフロントタイヤの開発が後回しになった一番の理由は、ティレル以外のチームが使用しなかったからだ。
もし、他チームも使用をしていたら、グッドイヤーも優先順位を考え直したかもしれないし、開発データが増えるメリットも得られただろう。
だが、そうならなかったことを見るに、6輪車を開発するメリットが、デメリットやリスクを上回ることはないと、他のチームは考えていたのだろうな。
@@lightning-r3572 後にフェラーリ、マーチ、ウィリアムズが開発していた6輪車は前輪ではなく後輪4本でした。空気抵抗減らす目的は同じでも前輪用のタイヤを流用することでタイヤ開発の恩恵をうまく取り込めることも考えていたかもしれませんね。
最もこの事態をよく思わなかったのかFIAがタイヤは4本までとするとともに4輪駆動も禁止にしたのですべてお蔵入りになりました。
だけどその中でウィリアムズのFW08がショートホイールベースを武器にケケをチャンピオンにしたのは結構有名な話ですね。
日本GP、富士スピードウェイでのP34の走りを記憶しています。
当時はスーパーカーブームも相まって小学生ながら興奮してTVにかじりついてました。
ライオングランプリって初めて聞いた
いくらエンジンが軽くても12輪で10輪駆動だとかなり重くなったのでは?
タイレルは異形でもすごくかっこいい傑作マシンですね!
小学生の頃。スーパーカーがブームになってた時に雑誌でF1の事を知り、中でも6輪車のティレルは当然印象に残ってたし、カッコ良かったのですが、後に「赤いペガサス」を見てから、4輪車も悪くはないなと思うようになりました。
タイレルP34は世代が違いますが、初めて見た時には、衝撃的過ぎてタミヤのプラモデルやラジコンカーを買って作って(ラジコンは)走らせてました。
スウェーデンGPで優勝した個体ですが、タミヤ本社のショールームに展示されています。
しかしライオンGPの12輪には驚きました。
このティレル6輪の登場は、当時は本当に衝撃だった。
性能云々以前に、カッコ良かったというのが一番大きい。
だから、当時今までにない『グランプリの鷹』のような
アニメも登場した。あのアニメじゃ6輪8輪は普通だったからな(笑)
タイレル.ティレルP34を知ったのはタミヤRCカーグランプリと言う番組を見て初めて知りました。タミヤ本社所有のマシンで、模型化の為にタミヤが購入したらしいです。形やカラーが個性的で私も好きなF-1マシンになりました。その後P34の様な6輪車を見なくなってどうしたのかな?と子供ながらに思っていましたが、エピソードを知りなるほどと思いました。
当時のF-1マシンはアイデアが沢山あったり、見る側を楽しくワクワクさせたと思いますが、それをつまらなくさせたのはFIAなのかなと思います。
してタイヤは4つでいいとの事で、時代は空力によるマシン性能の向上としてウィングカーへと。
ガスタービンは通常の四輪車でも葉巻型の時代にインディーでもあったので、こちらはまた復活し走り続けのを少し見たい気もします。
ウイリアムズFW08は6輪前提で設計されたせいか実戦投入された4輪仕様がチョロQに見える超ショートホイールベースに…
タイヤメーカーが協力していたら、今頃6輪と4輪が入り交じった面白い対決が見れたのかな?
空力的にどっちが良いのかな?
昔、F1スタイルが「一番速い」形と思ってたけど、タイヤが剥き出しのF1は、空力的に「あり得ない」形状と知ってショックだったな!
12輪の幻のマシンはスゴいなw
ヌシさんの情報網にはいつも驚かされる
なんだか8輪の電気自動車ユリーカを思い出した
ティレルのタイヤの発熱問題はグッドイヤーのバイアス構造から来てるんだろうか?
結局ミシュランとのタイヤ戦争終了後ようやく1985年からようやくラジアル構造化した
6輪というとアニメサイバーフォーミュラのアスラーダシリーズを思い出す。
天井知らずに上がるエンジン出力を電子デバイスでねじ伏せる方向にF1が進化していたら6輪マシンも別に珍しくない未来もあったかもしれない。
エアロの可変(というかもはや変形も)ありだもんね。
レギュレーション厳しいF1とは別に、なんでもありのカテゴリーを見てみたいとか思う。
ず~っと[たいれる]だと思ってたので、中嶋が乗ってた頃ティレルが同チームだと暫く気づかなかった思い出。
ラジコンで12輪F1作った動画ありましたが意外と安定してよかったとか
12輪か……ピットのタイヤ交換が地獄となりそうだ。
Wピットストップとかとんでもない事になりそうww
ライオングランプリは、当時のオートスポーツ誌にも取り上げられていて、ちょっとした話題になっていましたね。
ライオン歯磨きのスポンサーロゴが載ったマシンは、シャレとして面白かったですね。
ライオン歯磨はGC(グランチャンピオンレース)で歯科医が本職の清水正智のマシーンのスポンサーになってました(マシンのカラーリングはピンク色に青のストライプでフロントノーズにZACTLIONのロゴ)ZACTLIONはライオンのタバコのヤニ取り歯磨きですね。
ライオングランプリは初めて知りました。いやあ流石ですね。それにしても、12輪のF1マシンが見たい、見たすぎる!
ピットインの時タイヤ交換時間に12時間くらいかかりそうww
昔のアニメ「グランプリの鷹」を思いだした。四~八輪までコックピットはそのままで換装できるヤツ。
12輪ライオングランプリのデヴィッド・コックス氏の写真に、静電式の名スピーカー「クワッドESL」が写ってた!
P34こと6輪ティレル、模型イベントで展示してたので観に行って細部とか撮影しました。
あと差し出がましいですがでP34デビュー戦は76年第4戦スペインGPでシェクターは007で
デュパイユのみP34で出走、結果はリタイアです。(2位になったのは第6戦モナコでシェクターがございます(^_^;)
「アローエンブレム グランプリの鷹」のトドロキスペシャルや「激走!ルーベンカイザー」のルーベンカイザー等
当時のレース系アニメはかなり影響与えたマシンですね
こんにちは。
他の方も仰られていますが...
昔のアニメ グランプリの鷹 に八輪車が登場していましたよね?
①片側四輪で計八輪
②フロント前後に二輪、両サイドで四輪、リア片側横並びに二輪、計四輪 全部で八輪
実際にモデルとなったテスト車があったのですねwww
ティレル(私が幼少の頃はタイレルと言っていた?)の六輪車がカッコ良かったですが...活躍しているイメージは無かったです
" 荒らし " にあったので再度
7:50 改正ですが
GPカー ストーリーズによると。
合同テストでの Williamsの高性能ぶり
脅威に思った 各チーム。
それ等の訴えを聞き入れた
と記載されてました。
グランプリの鷹のF0を彷彿させるマシンの計画もあったんだ
12輪マシンは走ってるところ見たかったけど、タイヤ交換が大変そう
12輪F1ですが、童夢で働いてた方が設計に参加されてたはずです。
その方から直接聞いた話ですので・・・。w
元ネタはオートスポーツですかね?
昔に日本で展示された「たいれる」の実車が見た事がありますが前輪がまるでレーシングカートのリアタイヤみたいだなーって思った記憶があります😊
いつも面白い動画をありがとうございます😀 最近は似たようチャンネル(?🤔) が増えてますが、これからも期待してます!😀
この頃の日本オートスポーツ誌を一式持っていますが、ライオンGPの12輪マシンは読者投稿の自作ラジコンで実現していましたよ笑
どうせなら100輪車くらい作って欲しかったねぇ。
マーチ2-4-0が元ネタか分かりませんがアニメ「激走ルーベンカイザー」(テレビ朝日)の主人公が乗っていたマシンによく似てますが当時はバンダイ模型からモーターライズのプラモも発売されてましたね。
12輪って凄いなぁ、なんかサンダーバードに出てきそうだ(^_^;)
一瞬 戦車かと思いました
マーチは完全にスポンサーを狙ったアドバルーン
ティレルは専用タイヤの開発が遅れるのが問題だった
実現してたらライオングランプリのピット作業はさぞ壮観だったでしょうねえ、、
12輪F1計画 あったんですね
実現してもマンパワーとタイヤとかその他諸々の資金難でスグにたち行かなくなると思いますけど。
自分、タイレル・フォードのP34のミニカー買いました。もちろん、このかたちで楽しむのでは無く、後輪に接着剤でタイヤを付けて、当時のアニメ、『グランプリの鷹』に出てくる『轟スペシャル』にするために(笑)。
「ルーベンカイザー」も大概でしたね。
轟スペシャルのポピニカ持ってました本体の前後を差し替えて3つのマシンにしてました
@@にゃむ-q9o さん。
はい。自分もです。ただ、T1の前、T3の後ろとしてみたり自分もしました。しかし、その時、幼かったので、やっぱり、それぞれの色に合わせていました。
私もすごく勉強になりました、P34しか知りませんが、他のチームもいろいろ試行錯誤していたのですね。そのなかで、車の様々な特性にからむ蘊蓄はとても興味深かったです。グランドエフェクトカーの時代ですもんね、懐かしくもあり、今のようなレギュレーション縛りがあまりない、自由な発想があって楽しいです。
まだCFDなどのコンピューターシミュレーションによる空力解析など夢のまた夢の時代。それ故タイヤの小径化など様々なアイデアを『カンピューター』で編み出さなければならない時代故の発想と言えますね。今なら既に空力特性が数値的に可視化されて理想の形状が導き出しやすく形状が収斂していくレベルにまで技術が進化しているので、こんな奇抜なマシンは二度と現れないでしょう。にしても12輪マシンは流石に奇抜すぎというかネタ枠にしか見えませんが(動くスポンサーロゴはマクラーレンが試験的に投入しましたね)
それにしても、1年だけとはいえ、いかにティレルP34が斬新だったかが分かるフォロワーエピソードです。
自分が小学生の時にティレルP34が登場してあまりのカッコ良さに感動したのを覚えてます
プラモも買って作ったなぁ
フェラーリの312T6について補足すると、今のF1マシンは前後のタイヤの直径が同じになるようにレギュレーションで決まっているけど、その規則ができたのは1982年。
70年代は小径フロントタイヤと大径リアタイヤの組合せが当たり前で、フロントタイヤと同じ直径のリアタイヤを使用できれば、動画であったように空気抵抗や重心高の面でメリットがあったというわけだ。
ここからは個人的な感想
ただ、このマシンを初めて聞いたときは、ホイールの重量増や、P34同様に専用タイヤが必要なことに気がついて、なぜお蔵入りになったのか、すぐ察しがついた。
いくらタイヤサイズが一緒だからって、駆動力のかかるリアタイヤにフロントと同じコンパウンドや構造が使えるわけがないんだ。
低コスト化でローテーションを組むこと前提で作られた市販車のタイヤと、使い捨てのレーシングカーのタイヤは考え方が根本から違う。
90年代にこんな話がある。まだ片山右京がティレルにいた頃、当時超高速だったホッケンハイムで空気抵抗を減らすため、練習走行でリアにフロントタイヤを装着して走ったことがあった。
しかし、供給元のグッドイヤーにすぐ止められたそうだ。単純にグリップが低いのもそうだが、フロントタイヤは駆動力がかかることを前提とした設計をしていないので危ないというのが一番の理由だったらしい。
10:51 うちの兄がこれ好きでした!!
タイヤメーカーがワンメイクだった時代の多輪化は空力が着目点でしたが、その後はメーカー間のタイヤ開発競争が始まり、アイテム数を増やすと開発スピードが落ちて負けるので結果的に4輪に集約されたという話
1サイズ縛り、構造もコンパウンドも1種類のワンメイクタイヤを何個使ってもいい、レース中のタイヤ交換不可、という世界なら、タイヤ多い方がパンクのリスク下がり摩耗も気にせず走れるので有利になりそうだけど、走行距離や車体重量(=燃費)による最適解はあるはず、なので6輪とか8輪とかになってたかも。
ブラバム、というかゴードン・マレーは14輪をデザインしていたとバブル期の本で読んだ記憶があります
乗用車のような細いタイヤをフロントは左右に3つ、リヤは4つずつ装着して、見た目は比較的通常の4輪に近いものだったとか
タイレルP34のインパクトは色あせないなぁ。
詳しくない人でも見たことありそう…
フジテレビのF1放送オープニングCGに、時のメジャーマシンだけでなく、コイツがいるのが嬉しかったよ。
12輪マシンw
ロマンを通り越してもはや伝説のマシンだなw
あぁ、懐かしいすね、当時の日本国内では、こういう情報が全然入ってこずに
それらを報じる新聞や専門誌も無かったんで(ほんの少しauto sport誌が書くぐらいか)
自分が、この情報を得たのも1か月以上遅れてで、しかも、その情報源は
当時放送されてたアニメの、アローエンブレム・グランプリの鷹の主人公轟鷹也が
ファンからの質問に答えたり、F1の情報を教えてくれるっていうテイで記載されてた
(たぶん当時のテレビランド誌上とかテレビマガジン誌上)コーナーでだったよ
当時のF1はフジテレビではなくて、TBSで年間数戦を録画編集したものを数週間遅れで、月に1回ぐらい
土曜日か日曜日の午後ぐらいに放送してた(たしか解説を写真家の間瀬明さんがしてたように記憶してる)
それも首都圏に住んでいた方ならではのお話で、当時北陸の地方在住者は、TVでF1情報に触れる機会はほんの時々のNHKニュースぐらいのもので、一ヶ月遅れのオートスポーツの紙面が大正義でした^^なつかしいですね。
やっぱりタイレルが一番しっくりくる
アローエンブレム・グランプリの鷹では6、8輪車も有りました。
真面目にコメントすると4輪車以上だとタイヤ交換でタイムロスは不可避です。
タイレル6輪はタミヤさんがラジコンで初めて作ったやつです。今も持っていますよ。
タイヤ温めるの💦大変だろうな😅
管理も大変❗有償だと資金も大変
12輪なんて、大変すぎる😱
生まれて初めてF1カーという言葉を聞いた時、それは6輪車の事だと思ってた。動画を見てなんとなく納得。
12輪見たかった😏😏でも頓挫するんだろうな😩
サムネの12輪マシンの出落ち感がハンパないw
ところで、フロントタイヤをリアで使うのって弊害はなかったんだろうかと気になる。駆動輪の役割を担う以上強力なエンジンパワーを受け止めなければいけないワケだけど、タイヤメーカーはそんな使い方を想定して設計してないだろうし絶対無理があったはず。
1970年代当時はバイアスタイヤだったので構造に違いがあったか分かりませんが、1990年代に片山右京が曲がらないティレルに業を煮やして、前後タイヤを付け替えて予選走ったことがありますよ。当時のタイヤは既にラジアルタイヤでしたが、外径はほぼ一緒だったようです。解説の川井チャンが「リヤタイヤはトラクションかかるからフロントと構造違うんだけど大丈夫かな〜」とコメントしてたのを覚えてます。結果は焼け石に水、という感じでした。
まあそのときのティレルはそもそもマシンの戦闘力が低すぎましたから効果があったのか見極めが難しいですよね。フロントタイヤをリアで使うことに川井ちゃんも懸念を示していたんですね。情報ありがとうございます。
マーチ2-4-0は実車が残っているようで何年か前のFESTIVAL OF SPEEDに出ていましたよね。現役のレーシングカーにも
劣らないようなタイムで走っていて驚きました。
おそらくレストアだけでなくレーシングスピードで走れるよう仕上げたんでしょうけど、あれなら当時ちゃんと熟成させていれば
結構いい線行ったんじゃないかと思いますね。
轟鷹也の8輪マシン、現実じゃ重くて曲がらなそうだ、F-0とかニック.ラムダとか懐かしいね。
確かアメリカチームのマシンが1000馬力で、そんなん無理やろ!
って思ってたらターボ時代は余裕で1000馬力超えでしたね!
夢がありましたね。大型トラックはダブルタイヤ普通だし
16式戦闘車もあるし
でも日本の少年は「グランプリの鷹」なのだ
そして後番組が「999」機関は特急仕様の6輪 C62車両だ
ピットクルー「ええっ!?」
ライオングランプリの話はコックスの娘さんが当時のエピソードを語っていますね。フェラーリは312を前後4輪にした312T8の白黒写真がたった一枚出回っていますが合成なのか不明ですね。ドライバーはレガツォーニ。海外の方がアセコルで作成した走行動画があります。
ruclips.net/video/ml6XBkeD22M/видео.html
後輪ダブルタイヤの6輪車は、
相当な開発能力を持つあのカルロス・ロイテマンでさえ強大なトラクションを抑える事が出来ずお手上げ。
どこに吹っ飛んで行くか分からないマシンの開発をフェラーリは諦めるしかなかったw
「トレブロンF1」という93年くらいにちょこっと噂があったプロジェクトがあった。
エンリケスカラブローニというフェラーリとかウィリアムズでも働いて直前までロータスのデザイナーやってたお方が関わっててそれが四輪なんだけど前に一輪、後ろに三輪という一風変わった形状のマシンが設計図に書かれてたらしい。
もちろん頓挫したけれど試しに一度見てみたい気もしたマシンだった。
この流れが進んでいったとしたら、オートバイは二輪、クルマは四輪、という今でも当たり前のような呼び方はどうなってたのか、、、そう言えば鈴鹿2&4も、、、2&4&6&、、、いやいや、オートバイも2輪を飛び越えて3輪に??あれ?そう言えばヤマハのトリシティのことは二輪って呼んでええのか??考えれば考えるほど収拾がつきませんね💦4輪に規制かけてくれてよかったです。
P 34はシーズン途中からの登場なのでデビュー戦はブラジルではないんですよ(^^)
実際、フロント4輪、リア4輪は物理的に速く走れると感じます。
しかしタイヤ交換(ピット作業)には時間を要すかと😅🐶💦
ましてそれを市販車にフィードバックするとなれば、コストがかかり過ぎるデメリットは避けられないでしょう。
マシンをメンテナンスする資金と技術さえあれば、またF1で復活しても良い素晴らしいアイデアだと考えます。
イアン・シェクターは1979年F1チャンピオンのジョディー・シェクターのお兄ちゃん。
子供の頃に、P34っぽい8輪F1のミニカーを持ってんだけどな〜。
どこいったんだろ。
新しいことを具現化するのは、並大抵の労力や、時間、資金を必要とするでしようけど、中々うまくいかないんでしょうね…
アニメのサイパーフォミュラーの6輪は格好良かった
アスラーダは別格ですね。
めっちゃ見てました
ハヤトくんw
6輪が無くなったのは効果が薄いからじゃなくレギュレーション変更の為だったのか。進化したらどうなったのか見てみたかった。
マーチ・フェラーリ・ウィリアムズの6輪車はトラックのシステムをF1に活かした形やね。
ライオンF1はF1のアニメを見てる感がして頭がクラクラするw
もし六輪車が主流になった世界線があったなら
F1はどんな姿になっていったのだろうか
77年ぐらいのオートスポーツによく掲載されていた写真ですね、結局タイヤの開発がポシャたので残念なことになりました。
12輪のドライバーちょんと座ってステアリングを押したり引いたりしてアクスルコントロールしてた記憶が😂
ティレルが開発しました6輪車がF1で実戦で投入し結果を残しましたこの活躍でティレルの名前を知らしめました
76年開幕ブラジルのティレルのマシンは前年の007。
12輪ピット作業つらすぎるw
今回のアメリカGPでついに登場したディスプレイ式広告、こんなに前から構想してる人がいたんだな…
アローエンブレム グランプリの鷹の轟SPを彷彿とさせますね。
ここまで来ると最早、サイバーフォーミュラの世界
流石に12輪のタイヤ交換はタイム良くても台無しになりそう