神なき思考/永劫回帰と子どもの涙

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  • Опубликовано: 7 окт 2024

Комментарии • 8

  • @清水宏城
    @清水宏城 2 месяца назад +1

    面白かったです。難しいですが。神を論理的に思考すればスピノザです。人間の大地に下ろして、神なき日々に永劫回帰すれば、禅になります。禅は今、ここ、己しか問題にしない。そして自他不二の世界の中心としての自己。無神論とも言えます。丁度「カラマーゾフの兄弟」を読んでいたのでイワンの話は面白かったですね。神が何でも決定するとするとやはりギリシャ神話やホメロスまで遡ります。個人的には存在と虚無と現象で世界はできていると思い始めています。現象のみが感覚で感知できます。存在と虚無は思考の範疇です。思考は「思う」と「考える」の合成です。神は思考の中にいます。だから思考の中にいなければ無神論になります。それは個人の選択の自由です。又、存在や虚無が現象するのですが、現象を介せずに感知する者、例えば神を感知する者を古来より預言者といいます。キリストも預言者の一人です。因みに唯物論とか唯識論とか唯◯論はみな方法論で、どれをとってもokです。アプローチの仕方の違いです。キツネ様のコンテンツは考えたり思ったりする個人の自由、余白を感じさせて楽しいです。又、該博な知識と読書量には頭が下がります。ショートも良いけど通常のコンテンツももっと観たいです。

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  2 месяца назад

      素敵なコメントをありがとうございます。思考の自由、余白といったものはキツネがとても大切にしていることなので、この点を評価していただけて大変嬉しく思います。更新頻度の決して高くないチャンネルですが、今後もショートだけでなく通常のコンテンツを作成していきますので、楽しんでいただければ幸いです。

  • @相馬杜宇
    @相馬杜宇 5 месяцев назад

    30秒あたりからの編集技術スゴいですね!他も手練手管の数々です!バズることを願っています!

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  5 месяцев назад

      手練手管をたくさん身につけて、いつかは葉っぱを頭に乗せて化けられるようになりたいです(笑)
      今回も観ていただき、ありがとうございました!

  • @thuglifekay
    @thuglifekay 5 месяцев назад +1

    ニーチェが書いたものを読んでますと、彼がいったいどこから発狂したのかがよく分からなくなってくるんですよね。『悲劇の誕生』以前に書かれた論文はまだ正常な気がしますが『悲劇の誕生』は既に学的に「なにがしかを論証する」つもりさえない感じがしますし。書簡集など読んでいても常にハイテンションだし。ただ残された断想を読んでみるとめちゃくちゃ切れ味鋭い文章にも出くわすので本当に厄介な人です。古代ギリシャを愛するニーチェにとってはキリスト教以降の西洋は堕落の歴史なのでしょう。ナチ党員ハイデガーもまた古代ギリシャオタクなので、ギリシャ以降の歴史は堕落の歴史と思っていましたね。そんな彼らの影響で私も古代ギリシャ好きになってしまいました。ヘラクレイトスかっこいい。すいません脈絡のない話になってしまいました。

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  4 месяца назад

      ニーチェをどこまで真面目に読むべきか、というのは哲学史上、割と重要な論点ではないかと思っています。ニーチェが採用している文学的技法は明らかにメニッペア(風刺文学)の系統に属していて、それは自身が滑稽であることを自覚しているし、パロディストならではの自己否定的な奥行きを備えているからです。『華やぐ知恵』第二版扉の中にもはっきりと「いかなる巨匠であれ、自分自身を嗤わなかった者を嘲笑った」とありますよね。「ここに悲劇が始まるーーと、この怖れるべきでもあり、怖れるべきでもない書物の終わりに書かれている。……ここにパロディが始まる。それは疑うべくもない……」とか。にもかかわらず彼の話を笑えなかった者(過剰な表現を相対化できなかった者)が、ナチに傾いてしまうのではないか? この点、ハイデガーは大真面目以外の何物でもなかったはずです。人間は自身の〈本来性〉を見失って頽落している、という霊感に振り回されてナチに入党した前期。世間に馴染めなくなって、〈昏い人〉ヘラクレイトスの物真似をしていたようにも見える後期。このハイデガーをーー彼自身ではなく彼の思想をーー、うまく笑って、パロディ化してあげることが、まさに彼らの愛した古代ギリシャの系譜を継ぐことではないか、とキツネは思っています。彼らの愛した古代ギリシャとは、一般に芸術史や哲学史で扱われる〈以前〉のもの……資料上は既に断片化され、あるいは散逸してしまった、悲劇成立前夜・哲学成立前夜に躍動していた〈生成〉の力のことですものね。
      で、話が戻るのですが、行き過ぎたパロディストは狂人と見分けがつかない。ニーチェは最初から狂人だったし、最後までパロディストだった、ということでいかがでしょうか🦊✨️

    • @thuglifekay
      @thuglifekay 4 месяца назад

      @@dainashikitsune 「ハイデガーを笑う」というのは、専門家のあいだにはあまり見られない態度ですが、私は実際に読んでいて爆笑してしまったことが何度もあるので、とても共感できます。ヤスパースへの書簡などでも明らかなように、ハイデガーは他者を思いやるという能力が根本的に欠けていた人かなと。でも逆にその欠陥が哲学をやるうえではいい方向に機能したのかなとも思います。「これと決めたらそこに向かって爆走する」というストーカー的な意味で。古代ギリシャオタクの中二病、というのがハイデガーという人かと思いますが、一方で彼が書き残したものに圧倒的な面白さがあるのもまた事実、というのが厄介です。厄介でない人は読んでも面白くない、という面もあるかもしれませんね。
      しかしまさかyoutubeコメント欄でこんな話ができるとは夢にも思っておりませんでした。返信いただき誠にありがとうございます。ハイデガー後期ですぐに「昏い人」に言及できるのは紛れもなくマニアだけです(爆)ほんのわずかしかないヘラクレイトスのテクストを執拗に何百ページも費やして解釈し続けるハイデガー、でも、面白くもあるのよねぇ。😆
      キツネさんのニーチェについての結論に私も一票!

  • @toshiemukomura2846
    @toshiemukomura2846 4 месяца назад

    自身振り返るとやはり表立って信じているとは言えないまでも、神(根源的なものとしての)の存在は否定できず、同時にイワンの論にも賛成でき正直不明確な状況です。
    神を根源的なものと捉えれば、人間がなし得る全ての行為は否定されずただの経験とも言え、時代性や社会性を考慮した善悪や人間的感情の経験であり体験かもしれません(想像するだに吐き気をもよおすものも多いですが)。
    また思考できる人間が神の有無について考えている点も、では大地や風、植物や動物の観点で捉えるとどうなのか、思考を使っては判断できないとしてもやはり神の介在はあるはずであり、もし対象を人間のみに絞ってしまうと片手落ちかも?という気もします。