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勉強になりましたありがとう。自己評価で理解したとは思えませんが、存在の何が問題なのか?を説明していただき、問題の難しさに触れたような気がします。
「存在は概念である。むしろ、存在こそ概念である。」昔ある先生にこのように言われて納得しました。
ハイデガーは挑戦したことあるのですが多用される「現存在」の定義を確認せず読んでいたので理解できなかったです。この動画で存在と時間のコンセプトみたいなものを確認できたことが嬉しく後編も楽しみにしています!
例え話が面白くて、理解が進み本当にありがたいです。続き、楽しみにしています!
今ハイデガーの『存在と時間』とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいるので大いに役立ちました。ありがとうございます。
まあ、そうなる感じがあるよね・・・ただ私もあなたも人間ですwww私が金魚ならこういう話にはならないでしょうねwww残念ですね・・・
本気で勉強していないとここまで砕いた説明はできない。脱帽です。
これまさかとは思うけど……存在と時間の後編が出なかったことをオマージュして、この解説シリーズの後編を出していないとかないよな……?
くそわろた
あり得過ぎて笑うwww
これが書かれた時コメ数が25くらいしかなくて、同じことを何か月も前に言ってる人がいるのに、そっちはいいねが5つしかついてなくて、こっちは88もついてる上にコメまでついてる。人々がいかにコメツリーを開いてまで他人の話を聞こうとしていないかが分かる。
@@meroppa1ネットなんてそんなもんだ……..全部運だよ運……
存在と時間が上巻のみで終わったのは、時間の部分を言語化してしまうと、個人が手にするはずだった「体験」についても言及してしまうことになるからそれはまずいということですね。
あら、17分11秒で完結すると思ったら、この動画は前半部分なのですね。。まってますー
無茶苦茶おもしろい。岩波文庫の存在と時間を購入したので、ロシュフコーさんの解説動画と一緒に読み進めていきたいと思います。
以前「存在と時間」をとりあえず読み終えましたが、何度も途中でもうやめたいと思いました。さっぱり内容が理解できませんでした。大きな森をさ迷っているようでした。森全体は勿論木一本さえも理解できず、結局森から生還できませんでした。
それは、あなたが悪いのではなく、すべてを具体的なことを説明しようとする。ハイデガーのせいです。ハイデガーは中途半端に抽象化します。すべてを説明したい衝動は、ウィトゲンシュタインも同じです。言葉を置き換えてるだけです。しかもうまく置き換えれてません。読む必要はないです。
ハイデガーが「存在」ということで何を念頭に置いているかを理解するには、いくら『存在と時間』なんて読んでもわかんないと思う。同時代の論理実証主義や分析哲学のアンチテーゼとしてハイデガーを捉えるとスッキリする気がする。つまり、まず現代で一番ホットな哲学である分析哲学から始めるととっつきやすいってこと。
ありがとうございます!次待ってます!
めっちゃくちゃ続きが楽しみ
ロシュフーコーさんこんにちはウン十年前箴言を読んで以来です楽しみにしています
最近、視聴し始めました。面白いです。今後ともよろしくお願いします。
ハイデガーは師匠のフッサールの現象学を方法論として用いています。 しかしハイデガーは結構フッサールを批判しています。 フッサールの現象学では、分析の根拠となるのは、現象学的な還元を施した後のわたしの純粋な自我であり、 これはすべての学の根拠となる「超越論的な自我」です。 自我・自己を根拠としている点では、「我思う、ゆえに我あり」のデカルトと似ていますね。 しかしハイデガーはそういう根拠となる自我・自己に対し、懐疑的でした。 自己って何だかよくわからないじゃないですか。 ハイデガーはこれとは違い、世界のうちでの日常的に生きる現存在のあり方を分析することにしました。 それがフッサールとハイデガーの大きな違いです。
哲学とは、何か? そして、ある歴史上の人が、どう言う哲学を呈示したか? 私は、それに、一番目を向けています。そして自分は、どう思い、どう考えるかに、留めています。
とってもわかりやすいです! ありがとうございます!
他の動画も見させて頂きます。ありがとうございます。
続き待ってます
待っていてください!
めっちゃわかりやすいまとめですね!ありがとうございます!!
nagasakireo先生から社会学の動画でオススメいただいたのでチャンネル登録しました。
ハイデガー哲学は結局は未完に終わってしまうが、それは存在の意味を解き明かすことは不可能であることを示唆してるのかもしれない。だがその不可能性こそが哲学の魅力でなのであろう。
「人は、自分がどこへ向かっているか分からない時ほど、高みに昇ることはない」は、ナポレオン語録だったか。
Advaita Vedanta の入り口まで来て、その周辺をうろうろしているのがハイデッガーという印象を私は受けました。存在=ある=純粋意識=awareness=ほんとうの私=アートマン。ノンデュアリティーはハイデッガーを超えています。
ポップなミュージックとは裏腹に内容難しい😂
わかりやっす
昔読んだ。私は文学が好きなので、19世紀~20世紀文学に至る過程でハイデッガーは読んだ。
下巻を書かなかったのは、語り得ないと気がついたんだろうが、そんな事を言い始めたら、何一つ語れない。「語りたかった」、、、ただそれだけでいいんだよ。誰もが自分が好きなことしかするべきじゃない。早く気がつくべきなんだ。
完璧主義だと何一つ形にできないけど、自身で納得行ってないものを世に出して後悔したくないのならそれは書きたくない・好きじゃないって事だし、自身で完璧だと思った事を書けても少なくとも誰かにケチつけられるし、暫くして自分自身があれは間違いで黒歴史と恥じる事もある。俺も人生で一番好きな専門分野があるが(こんなに難しいものではないけど)何も形にできてないのは形にしたり語る事が好きじゃないのかも。でもそこを好きにならないと専門的能力を何にも役立てられないジレンマ。
@@meroppa1 というかおそらく、何かしらの超えられない壁があるんでしょうね。超えられないということは、おそらく今のところ公に答えがなく前例がないということだろうから、壁を超えることの重要度が備わっているということでしょうね。超えた時には語りたくて仕方なくなるかも。
ハイデガー続編早く見たいゾ〜!ヘーゲル終わったら製作おねがいちまちゅ〜!
最高すぎる
現象学は例えば、キリスト教ではイエスキリストは人間か神かと問うときに使うと利用価値があると思う。ハイデガー、ビトゲンシュタインもナチスドイツ、ヒットラの存在なくしてあり得ないかもしれない。存在と時間の三部作は後半になるほど平凡な内容になったように思いました。〈半年かけて全部読み精根尽きた。一回しか読んだだけでです〉大したこと言えませんが、ビトゲンシュタインの生き方は男らしいので共感してます。
わかりやすすぎてスライドが欲しい
【目次】0:00 この動画の目的3:06 存在問題の難しさ4:17 同時期の哲学者はどうしたか?5:25 ハイデガーは哲学をどう捉えたか?7:54 ハイデガーの現象学的アプローチとは?13:15 そもそも実存って何?15:32 「存在と時間」の構成
私の時代は哲学科の学生は自己紹介をする際、「人的存在中○○的様態」という形式の○○の中に姓名を入れました。例えば私はFrancescoと申しますので「人的存在中Francesco的様態ですが、Call me just Frankie」とか自己紹介します。今の哲学科の学生もそうかしら?
めちゃくちゃキモいけど(悪口じゃないです)すごい好き、使っていきたい
とても面白く聞かせて頂きました。できましたら、BGMをもう少し小さくしていただきたかったです。内容に集中しにくくなりまして…
ついでに前歯の隙間をなんとか😅
ラプラスの悪魔が存在しない理由は、原始の崩壊もあるが、それはともかくとして。この世の全てをデータに収めようとすると、自分の存在分のデータハードを含めなければならず、そのデータをハードに入れようとすると、また新しいハードができてしまうみたいなものと、数学の無矛盾ではないことの証明とかを思い出した
『オントロギー(事実性の解釈学)』というハイデッガーの著作はあるが、ハイデッガー的存在論の真芯を付いたタイトルだな。読むと、詩人のギュンター・グラスが「犬の年」でハイデッガーを冷やかした表現主義的文章そのものに遭遇して、げんなりして終わったんだが。グラスについては木田氏が『ハイデッガーの思想』で触れてる。グラスはミレニアムになってから、ナチ告白で物議を醸してたが。ハイデッガーのドイツ的表現主義には、シェストフ的影響はあるだろうな。
ハイデッガーは「神」ではなく、アリストテレス的な普遍主義で「神なるもの」とか言いたがる方だった、かな? 二十世紀的な知的水準というのは、そういうものだろう。
認識はAからisを通ってBに行くまでに絶対時間かかるしとかかな。。
存在とは、実感(リアル)を感じることである。形而下?=生きて、存在を続けていること。死んだ時点で、実存が変化をもたらすこと?
6ヶ月経っていますが,後編はまだでしょうか
ハイデガーリスペクトで後編は出さないのです
ごめんさない。ハイデガーリスペクトで後編出さない説が浮上していますが、必ず出します!
ハイデッガーは現代哲学の第一人者と言われるらしいが「存在と時間」は中古本屋で見つけて物理学の解説書かと思って買い読んだ事があるが何を言ってるのか理解 出来なかった。主観と客観 客観的である事で他人と共有 出来る、人の目に映った事は幻像か実像かの判断に問題あるかも?。そもそも何故 目と耳があると映像が見え声が聞こえるのだ?全く解ってないし心の仕組みは尚更 不明だ、だから精神疾患 治療薬は無く副作用代償に症状 抑える薬だけで麻薬を含む薬が少なくない。
語りえないものあるある:語ろうとすると循環論法になる存在の説明には存在の概念を使うし、論理形式の説明にも論理形式を使う(絶望)
突然のひろゆきの登場に吹いてしまったw
呼吸心臓血管等は自然界の力だ。人間は死を自覚出来ないので意識が時間と存在の主人公で学習する事で神を超える。
この本はマジでヤバいけど何を言ってるのか?が良くわからないwww哲学書で初めて読んだ本がこれだったwwwこれじゃ絶対に理解できないが、慣れていない奴が四苦八苦して時間をかけて読んだ経験がこれほどまでに恐ろしいものなのか?と今は感じています
ハイデガーが当時世界に深い影響を与えた事自体は確かなのでしょうが現代においては最早こういう純粋に思索のみで哲学を作る正統派の哲学者って殆ど注目されずに「ちょっと博識なポエマー」くらいにしか評価されてない気がするけどもしそれが事実だとしたら原因はなんだろう
そもそも科学が進みすぎて哲学の需要が低下してるのに、哲学教育がされないから理解されないんだろうねインフルエンサーの人生哲学みたいなのには飛びつくから皆実は求めてはいるんだろうけど
いきなりの「バルティン・ハイテガー」に噴飯鼻呼吸できてるか心配
ハイデガー哲学と物理学現存在≒確率の波存在者≒観測されたものまったく別と思われる量子力学と哲学が繋がってるのが逆に恐ろしい。
正法眼蔵の解説を期待します
ヴィトケンシュタイン「ほらやっぱ論理的表現には限界があるやろ?」
全くの門外漢に言わせてもらうと、そもそもエポケーという行為自体が主観の最たるものに思えてしょうがないのですが...
ちゃんと見る前に自分のイメージ書くと存在とは数学では無限に小さな点でそれを表現する事は無限に続くモノで素粒子が量子力学の数学上無限に小さい点でも干渉して存在する調べれば構造が無限に出てくるかも知れない今わかってる範囲で人が記号化したモノで、時間は振動波動回転周期と繰り返すモノが生み出したモノでエネルギーによって違ってくるモノ。般若心経にあるけど、形は壊れて消えるモノで原子核の壊れる。原子核はボールに例えると電子が地球くらいのスケールで回っていて波動の状態で他を弾いてるから存在している。それで構成された物質が電子のやり取りから接着摩擦で構成される世界が壊れる事からスケール極小の原子核と言う実質の高エネルギー球体が何兆円もかかる電子加速器で衝突してブラックホールやビッグバンをも起こす可能性がある程のエネルギー体がある。そのエネルギー球体が振動していて世界宇宙に無数にあり突如ブラックホールやビッグバンを起こしえるのに、そんな現象は見た事が無いし、爆弾が爆発するレベルですらない。素粒子は360度の方向で無くアップダウンの上下しかない様に可能性は逆に微小構造世界で存在していないかもしれない。ホントの存在は哲学で考えられるのか見てみます。
存在を定義することは出来る。『複数の存在者が同意すること』がそれである。例を挙げる。1.私はいる、貴方はいる。ゆえに私(貴方)はいる。2.私は電子マネーはあると思う。僕も電子マネーはあると思う。1.は実際に触ったり話たり、お互いに認め合ってぶつかれば痛い。2.は世界のどこにも実在はしない。しかし多くが認めて実際に効果を及ぼす。両者はどちらも存在していると言える。逆のケースでは1.の片方が片方を認めなかった(同意しなかった)場合、両者がぶつかれば認めなかった側が認めた方を弾き飛ばす。認めなかった側には一切の影響はない。もし、影響があるならばそれは他方を認めたということである。2.の同意が認められないケースではどちらか一方、あるいは両方のお金は移動せずお金としての存在も効果も成立しない。ゆえに「存在には二者以上の存在者の同意が必要である」と言える。
下巻が書かれていたとして、以下だったら一寸がっかり。 (結論)「存在の意味が時間である」=(推測結論)「エゴの意味は記憶である」分野は違うけれど、「現存在」って都市伝説のエアルの語る”Is-Be”みたいな感じが。。。
結局「存在と時間」は失敗でハイデッガーは存在を論証することを諦めたんですよね?「存在と時間」は上巻だけの未完に終わっている。読まなくていいでしょう。「存在=物質=質量とは力(フォース= force)である」とアインシュタインが解き明かしましたよね。
存在=今有る
つまり、存在ってなんですか?
名俳優が自分を失って私って誰だっけ?となったときに、その問いを発した主体
@@rest-affection-inorganic 名俳優や記憶喪失者やデカルトは、私とは何か?という問いに答えられず、私は何者でもない、敢えていうならば、私とは無であると答えるわけです。確かですか?と聞くと、私が無で在るのは確かだと答える。存在は無で尚在るものですね。これは輪廻転生という考えに通じてます。私たちは無である存在だからこそ、無であった生前から、誕生したのであり、死んでも無で在り続け、また誕生すると。
変化しない物は無いので、存在はその時の現象です。
ハイデッガー自身、自分がどこに到着するのかも分からないまま考察を進めてるようなことを書いてなかったかな? 回答を得るとは、即ち正しく問いを立てることに他ならないという『存在と時間』の態度からすると尤もなことではあるが。
ウィトゲンシュタインも論考で、この世界は解決のためではなく、課題のためにあるとか言ってなかったかな? 執筆年代からすると、論考の方が先になるが。
無宗教的で世俗的な近代人種ってのは、自分が何を求めているのかすら曖昧なまま、ぼんやりと空を眺めながらゴドーを待ってるだけ、みたいなところはあるからな。カフカ的世界で。
カフカはキルケゴールにシンパシーを抱いてた方で、ヤスパースがキルケゴールの『現代の批判』をナチズム時代に読んで「まるで昨日書かれたよう」と感想を漏らしたのは有名な話。まあ、キルケゴールは『現代の批判』をフランス革命期のナポレオン時代とヘーゲル時代の社会の保守的大衆化との対比を背景に書いたわけだが。ナポレオンもキルケゴールも、パスカル的なところは共通してるしな。
『現代の批判』は、大衆主義的な群衆心理批判なところはあるからな。
19世紀半ばのダーウィン論争の始まりで、ローマカトリックの歴史的権威が後退して、19世紀進歩主義の時代が始まった。これに伴ってキリスト教も「近代化」すべきという時代が続いたが、これが崩れたのが第一次世界大戦だ。大戦の終わりと共にカール・バルトが19世紀前半の人物であったキルケゴールの影響を受けて、危機神学の流れを作った。ハイデッガーはそういう時代の影響を当たり前に受けている。
むっず
鼻声が気になって内容が入ってこない(泣)
哲学は揚げ足をとるものではないんのよ☺︎b
こんにちわ→こんにちは
『A is Bと考えるのは人間だけ』についての論証を知りたいな。犬猫が考えている内容とかいう記述不能な対象に触れずして間接的に論証できてしまうのか甚だ疑わしい。
犬や猫とは会話が成立しないので明白では?
確かジャック・デリダがそこに問題意識を持って、ハイデガーの理論を拡張してる
ちょとBGM 大きいすね😥ところでこれって文章の読解力、難解な語句の理解から始めないと頭に入ってこないな~まあ大した脳ミソ持ってないんで、、、あと、翻訳の忠実性も問題かと、、、
何言ってるか難しくて分からないって自分で言ってる癖に翻訳どうこう言って他人の粗を探すな。そもそも日本人が日本語で書いた同レベルの難易度の本だってどうせお前読む気ないだろ。読んでも分からない部分があったら「自分にはよく分からない」とか「書いてある事が正しいかどうか問題だ」とか漠然と非難するんだろ。日本語訳もされた上にこうして動画にもされても理解しようとか受け入れようとかしない、当然ドイツ語なんか読める訳でもない、興味ねえなら興味ねえって言えよ。
哲学は自然科学、社会科学等の科学の上部に位置していると思います哲学よりも上が神学、宗教の領域になるでしょう宗教レベルになると正しいかどうか想像、信仰することしかできません 科学は人間の大脳で理解できるレベルで説明されています
音楽を消すボタンが欲しいです
ハイデガーの名前も顔も怖いわ 内容も恐ろしいわ
存在と時間、つまりは生と死と理解しています。
哲学者って、日々、内なるひろゆきと戦ってるのかな?
カントの物自体というのは、ハイデガーの存在なのだろうか?
この前の村上春樹の小説がハイデガーを思い出させた。顔のない奴の肖像画を描け、みたいな。
BGMがうるさい。なんでBGMが必要なのか?気が散ってますますわからなくなる。
少し思い出したわ
思い出せる内容なんてあったかな?もうアレは概念論過ぎて言語レベルの感覚的なものとしか思っていませんけどね・・・まあ、知性や知能みたいな機能は人間以外にも見られますが、「存在と時間」レベルでやり取りを互いにしている生物は今のところ人類は人間しか確認できていないよねwwwっての流れがあってのAI爆誕!!!ですよね?
BGM大きすぎ。途中から全く頭に入ってこなくなった。てかBGM不要では?
客観は主観の延長やねん。ってコト?
厳密な言葉遣いをしてくださいね。これではハイデガーが怒る動画です。
音楽が耳障りです
滑舌どーなってるんや
早口すぎて、初心者には追いつけませんでした。無念です。
「現代は形而上学の復権を進歩の一つとして数えているけれど、存在の根本の問いは相変わらず蔑ろにされている」というような書き出しで始まるのが『存在と時間』だな。形而上学の復権とは、主にダーウィン論争と共に始まった19世紀進歩主義のことを言うんだと思うが。
『存在と時間』の書かれたのは、第一次世界大戦が終わってからしばらくして、1927年、まあ、ソ連でスターリン体制が本格化した頃でもある。緊張感のある時代だと。
日本は昭和に入って間もなく、昭和維新が叫ばれていた時期か? 同じ頃にヘミングウェイは『日はまた昇る』を書いた。レーニンに踊った左派勢力は大いに萎れてた時代だ。小林秀雄がそんな時にランボー詩集を片手に威勢良く文壇デビューを果たした。
ミュンヘン一揆で収監中のヒットラーが『我が闘争』を執筆した頃でもある。まあ、『存在と時間』はハイデッガーの「我が闘争」みたいなところはあると。
19世紀進歩主義といのは、ダーウィン時代になっても継続していた前近代的なヨーロッパの王朝政治を背景にした、進化論的選良主義なところはある。第一次世界大戦で、その王朝政治の残滓が拭い去られると、今度は進化論的選良主義は大衆主義のバックグラウンドで再開されることになった。これがナチズムだ。ハイデッガー自身は、進化論的世界観とはあんまり関係のない地平で哲学をする態度だったが。
ウィトゲンシュタインも第一次世界大戦の終わりにまとめた論考で、一応はダーウィンの名前を上げながらも、これは科学の問題であって、哲学は科学とは無関係という態度を示している。
勉強になります。ありがとう!因みに、「1889年」は「ビッグイヤー」で、歴史上面白い偉人がたくさん生まれています。いま思いつくだけで言っても、この「ハイデッガー」がこの年に生まれただけでなく、こちらの動画の先生が言及されているヴィトゲンシュタインもこの1889年に生まれていたはずです。他に、、、チャップリンもそうだし、ヒットラーもそうだし、ネルーもそうですね。
シュタゲから来ました
「人間は根源的に時間的存在である」
BGMは、必要ありません。かえつて妨害になっています。評価低下になっています。
ん~、こういう考え方は拙速でよくないんだけどあえて言いたい。「ハイデッカーを理解することでこの世のわからなかったことや現世の人々が迷っている事象や現象に対して明確な答えを示せるのか?」投資家ならばそのように考えて問うでしょう。賢くなった気がするとかそんなチャチな物ではなく迷える人々に道を示すような効果が得られるのか?さもなくば理解するための時間を捨てるようなものでしょう。
ゆっくりしゃべってほちいよー
テンポが悪くなる
「設定」で、速度の調整ができます。もっと早くしても構いません 😋 \(^o^;
@@gnomons. かしこまりましたー!!!
ゆっくりに喋ってほしいよー
詩で示そうとしたって…それって呪文と何が違うんだろ?哲学ってあくまでも論理的に物事を理解する手段じゃないのかな?そもそも万人に共通の認識を促すのが学問のはずで、詩で示すってことは各々によって受け取り方が変わるのが当然だし、学問ですらないよね?哲学って突き詰めると哲学自身を否定する結論にみんな行き着いてるように見えるんだけど違うのかな?ウィトゲンシュタインさんも哲学者は黙れって言って終わってるし。
冊サ
勉強になりましたありがとう。
自己評価で理解したとは思えませんが、存在の何が問題なのか?を説明していただき、問題の難しさに触れたような気がします。
「存在は概念である。
むしろ、存在こそ概念である。」
昔ある先生にこのように言われて納得しました。
ハイデガーは挑戦したことあるのですが多用される「現存在」の定義を確認せず読んでいたので理解できなかったです。この動画で存在と時間のコンセプトみたいなものを確認できたことが嬉しく後編も楽しみにしています!
例え話が面白くて、理解が進み本当にありがたいです。
続き、楽しみにしています!
今ハイデガーの『存在と時間』とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいるので大いに役立ちました。ありがとうございます。
まあ、そうなる感じがあるよね・・・ただ私もあなたも人間ですwww私が金魚ならこういう話にはならないでしょうねwww残念ですね・・・
本気で勉強していないとここまで砕いた説明はできない。脱帽です。
これまさかとは思うけど……存在と時間の後編が出なかったことをオマージュして、この解説シリーズの後編を出していないとかないよな……?
くそわろた
あり得過ぎて笑うwww
これが書かれた時コメ数が25くらいしかなくて、同じことを何か月も前に言ってる人がいるのに、そっちはいいねが5つしかついてなくて、こっちは88もついてる上にコメまでついてる。人々がいかにコメツリーを開いてまで他人の話を聞こうとしていないかが分かる。
@@meroppa1ネットなんてそんなもんだ……..全部運だよ運……
存在と時間が上巻のみで終わったのは、時間の部分を言語化してしまうと、個人が手にするはずだった「体験」についても言及してしまうことになるからそれはまずいということですね。
あら、17分11秒で完結すると思ったら、この動画は前半部分なのですね。。
まってますー
無茶苦茶おもしろい。岩波文庫の存在と時間を購入したので、ロシュフコーさんの解説動画と一緒に読み進めていきたいと思います。
以前「存在と時間」をとりあえず読み終えましたが、何度も途中でもうやめたいと思いました。
さっぱり内容が理解できませんでした。
大きな森をさ迷っているようでした。
森全体は勿論木一本さえも理解できず、結局森から生還できませんでした。
それは、あなたが悪いのではなく、すべてを具体的なことを説明しようとする。
ハイデガーのせいです。ハイデガーは中途半端に抽象化します。すべてを
説明したい衝動は、ウィトゲンシュタインも同じです。言葉を置き換えてるだけです。しかもうまく置き換えれてません。読む必要はないです。
ハイデガーが「存在」ということで何を念頭に置いているかを理解するには、いくら『存在と時間』なんて読んでもわかんないと思う。同時代の論理実証主義や分析哲学のアンチテーゼとしてハイデガーを捉えるとスッキリする気がする。つまり、まず現代で一番ホットな哲学である分析哲学から始めるととっつきやすいってこと。
ありがとうございます!
次待ってます!
めっちゃくちゃ続きが楽しみ
ロシュフーコーさんこんにちは
ウン十年前箴言を読んで以来です
楽しみにしています
最近、視聴し始めました。面白いです。今後ともよろしくお願いします。
ハイデガーは師匠のフッサールの現象学を方法論として用いています。 しかしハイデガーは結構フッサールを批判しています。 フッサールの現象学では、分析の根拠となるのは、現象学的な還元を施した後のわたしの純粋な自我であり、 これはすべての学の根拠となる「超越論的な自我」です。 自我・自己を根拠としている点では、「我思う、ゆえに我あり」のデカルトと似ていますね。 しかしハイデガーはそういう根拠となる自我・自己に対し、懐疑的でした。 自己って何だかよくわからないじゃないですか。 ハイデガーはこれとは違い、世界のうちでの日常的に生きる現存在のあり方を分析することにしました。 それがフッサールとハイデガーの大きな違いです。
哲学とは、何か? そして、ある歴史上の人が、どう言う哲学を呈示したか? 私は、それに、一番目を向けています。そして自分は、どう思い、どう考えるかに、留めています。
とってもわかりやすいです! ありがとうございます!
他の動画も見させて頂きます。ありがとうございます。
続き待ってます
待っていてください!
めっちゃわかりやすいまとめですね!ありがとうございます!!
nagasakireo先生から社会学の動画でオススメいただいたのでチャンネル登録しました。
ハイデガー哲学は結局は未完に終わってしまうが、それは存在の意味を解き明かすことは不可能であることを示唆してるのかもしれない。だがその不可能性こそが哲学の魅力でなのであろう。
「人は、自分がどこへ向かっているか分からない時ほど、高みに昇ることはない」は、ナポレオン語録だったか。
Advaita Vedanta の入り口まで来て、その周辺をうろうろしているのがハイデッガーという印象を私は受けました。存在=ある=純粋意識=awareness=ほんとうの私=アートマン。
ノンデュアリティーはハイデッガーを超えています。
ポップなミュージックとは裏腹に内容難しい😂
わかりやっす
昔読んだ。
私は文学が好きなので、19世紀~20世紀文学に至る過程でハイデッガーは読んだ。
下巻を書かなかったのは、語り得ないと気がついたんだろうが、そんな事を言い始めたら、何一つ語れない。
「語りたかった」、、、ただそれだけでいいんだよ。誰もが自分が好きなことしかするべきじゃない。早く気がつくべきなんだ。
完璧主義だと何一つ形にできないけど、自身で納得行ってないものを世に出して後悔したくないのならそれは書きたくない・好きじゃないって事だし、自身で完璧だと思った事を書けても少なくとも誰かにケチつけられるし、暫くして自分自身があれは間違いで黒歴史と恥じる事もある。俺も人生で一番好きな専門分野があるが(こんなに難しいものではないけど)何も形にできてないのは形にしたり語る事が好きじゃないのかも。でもそこを好きにならないと専門的能力を何にも役立てられないジレンマ。
@@meroppa1 というかおそらく、何かしらの超えられない壁があるんでしょうね。
超えられないということは、おそらく今のところ公に答えがなく前例がないということだろうから、壁を超えることの重要度が備わっているということでしょうね。
超えた時には語りたくて仕方なくなるかも。
ハイデガー続編早く見たいゾ〜!
ヘーゲル終わったら製作おねがいちまちゅ〜!
最高すぎる
現象学は例えば、キリスト教ではイエスキリストは人間か神かと問うときに使うと利用価値があると思う。ハイデガー、ビトゲンシュタインもナチスドイツ、ヒットラの存在なくしてあり得ないかもしれない。存在と時間の三部作は後半になるほど平凡な内容になったように思いました。〈半年かけて全部読み精根尽きた。一回しか読んだだけでです〉大したこと言えませんが、ビトゲンシュタインの生き方は男らしいので共感してます。
わかりやすすぎてスライドが欲しい
【目次】
0:00 この動画の目的
3:06 存在問題の難しさ
4:17 同時期の哲学者はどうしたか?
5:25 ハイデガーは哲学をどう捉えたか?
7:54 ハイデガーの現象学的アプローチとは?
13:15 そもそも実存って何?
15:32 「存在と時間」の構成
私の時代は哲学科の学生は自己紹介をする際、「人的存在中○○的様態」という形式の○○の中に姓名を入れました。例えば私はFrancescoと申しますので「人的存在中Francesco的様態ですが、Call me just Frankie」とか自己紹介します。今の哲学科の学生もそうかしら?
めちゃくちゃキモいけど(悪口じゃないです)すごい好き、使っていきたい
とても面白く聞かせて頂きました。
できましたら、BGMをもう少し小さくしていただきたかったです。内容に集中しにくくなりまして…
ついでに前歯の隙間をなんとか😅
ラプラスの悪魔が存在しない理由は、原始の崩壊もあるが、それはともかくとして。
この世の全てをデータに収めようとすると、自分の存在分のデータハードを含めなければならず、そのデータをハードに入れようとすると、また新しいハードができてしまうみたいなものと、数学の無矛盾ではないことの証明とかを思い出した
『オントロギー(事実性の解釈学)』というハイデッガーの著作はあるが、ハイデッガー的存在論の真芯を付いたタイトルだな。読むと、詩人のギュンター・グラスが「犬の年」でハイデッガーを冷やかした表現主義的文章そのものに遭遇して、げんなりして終わったんだが。
グラスについては木田氏が『ハイデッガーの思想』で触れてる。グラスはミレニアムになってから、ナチ告白で物議を醸してたが。
ハイデッガーのドイツ的表現主義には、シェストフ的影響はあるだろうな。
ハイデッガーは「神」ではなく、アリストテレス的な普遍主義で「神なるもの」とか言いたがる方だった、かな? 二十世紀的な知的水準というのは、そういうものだろう。
認識はAからisを通ってBに行くまでに絶対時間かかるしとかかな。。
存在とは、実感(リアル)を感じることである。形而下?=生きて、存在を続けていること。死んだ時点で、実存が変化をもたらすこと?
6ヶ月経っていますが,後編はまだでしょうか
ハイデガーリスペクトで後編は出さないのです
ごめんさない。ハイデガーリスペクトで後編出さない説が浮上していますが、必ず出します!
ハイデッガーは現代哲学の第一人者と言われるらしいが「存在と時間」は中古本屋で見つけて物理学の解説書かと思って買い読んだ事があるが何を言ってるのか理解 出来なかった。主観と客観 客観的である事で他人と共有 出来る、人の目に映った事は幻像か実像かの判断に問題あるかも?。そもそも何故 目と耳があると映像が見え声が聞こえるのだ?全く解ってないし心の仕組みは尚更 不明だ、だから精神疾患 治療薬は無く副作用代償に症状 抑える薬だけで麻薬を含む薬が少なくない。
語りえないものあるある:語ろうとすると循環論法になる
存在の説明には存在の概念を使うし、論理形式の説明にも論理形式を使う(絶望)
突然のひろゆきの登場に吹いてしまったw
呼吸心臓血管等は自然界の力だ。人間は死を自覚出来ないので意識が時間と存在の主人公で学習する事で神を超える。
この本はマジでヤバいけど何を言ってるのか?が良くわからないwww哲学書で初めて読んだ本がこれだったwwwこれじゃ絶対に理解できないが、慣れていない奴が四苦八苦して時間をかけて読んだ経験がこれほどまでに恐ろしいものなのか?と今は感じています
ハイデガーが当時世界に深い影響を与えた事自体は確かなのでしょうが
現代においては最早こういう純粋に思索のみで哲学を作る正統派の哲学者って
殆ど注目されずに「ちょっと博識なポエマー」くらいにしか評価されてない気がするけど
もしそれが事実だとしたら原因はなんだろう
そもそも科学が進みすぎて哲学の需要が低下してるのに、哲学教育がされないから理解されないんだろうね
インフルエンサーの人生哲学みたいなのには飛びつくから皆実は求めてはいるんだろうけど
いきなりの「バルティン・ハイテガー」に噴飯
鼻呼吸できてるか心配
ハイデガー哲学と物理学
現存在≒確率の波
存在者≒観測されたもの
まったく別と思われる量子力学と哲学が繋がってるのが逆に恐ろしい。
正法眼蔵の解説を期待します
ヴィトケンシュタイン「ほらやっぱ論理的表現には限界があるやろ?」
全くの門外漢に言わせてもらうと、そもそもエポケーという行為自体が主観の最たるものに思えてしょうがないのですが...
ちゃんと見る前に自分のイメージ書くと存在とは数学では無限に小さな点でそれを表現する事は無限に続くモノで素粒子が量子力学の数学上無限に小さい点でも干渉して存在する調べれば構造が無限に出てくるかも知れない今わかってる範囲で人が記号化したモノで、時間は振動波動回転周期と繰り返すモノが生み出したモノでエネルギーによって違ってくるモノ。
般若心経にあるけど、形は壊れて消えるモノで原子核の壊れる。原子核はボールに例えると電子が地球くらいのスケールで回っていて波動の状態で他を弾いてるから存在している。それで構成された物質が電子のやり取りから接着摩擦で構成される世界が壊れる事からスケール極小の原子核と言う実質の高エネルギー球体が何兆円もかかる電子加速器で衝突してブラックホールやビッグバンをも起こす可能性がある程のエネルギー体がある。
そのエネルギー球体が振動していて世界宇宙に無数にあり突如ブラックホールやビッグバンを起こしえるのに、そんな現象は見た事が無いし、爆弾が爆発するレベルですらない。
素粒子は360度の方向で無くアップダウンの上下しかない様に可能性は逆に微小構造世界で存在していないかもしれない。
ホントの存在は哲学で考えられるのか見てみます。
存在を定義することは出来る。
『複数の存在者が同意すること』がそれである。
例を挙げる。
1.私はいる、貴方はいる。ゆえに私(貴方)はいる。
2.私は電子マネーはあると思う。僕も電子マネーはあると思う。
1.は実際に触ったり話たり、お互いに認め合ってぶつかれば痛い。
2.は世界のどこにも実在はしない。しかし多くが認めて実際に効果を及ぼす。
両者はどちらも存在していると言える。
逆のケースでは1.の片方が片方を認めなかった(同意しなかった)場合、両者がぶつかれば認めなかった側が認めた方を弾き飛ばす。認めなかった側には一切の影響はない。もし、影響があるならばそれは他方を認めたということである。
2.の同意が認められないケースではどちらか一方、あるいは両方のお金は移動せずお金としての存在も効果も成立しない。
ゆえに「存在には二者以上の存在者の同意が必要である」と言える。
下巻が書かれていたとして、以下だったら一寸がっかり。
(結論)「存在の意味が時間である」=(推測結論)「エゴの意味は記憶である」
分野は違うけれど、「現存在」って都市伝説のエアルの語る”Is-Be”みたいな感じが。。。
結局「存在と時間」は失敗でハイデッガーは存在を論証することを諦めたんですよね?
「存在と時間」は上巻だけの未完に終わっている。
読まなくていいでしょう。
「存在=物質=質量とは力(フォース= force)である」とアインシュタインが解き明かしましたよね。
存在=今有る
つまり、存在ってなんですか?
名俳優が自分を失って私って誰だっけ?となったときに、その問いを発した主体
@@rest-affection-inorganic
名俳優や記憶喪失者やデカルトは、
私とは何か?という問いに答えられず、私は何者でもない、敢えていうならば、私とは無であると答えるわけです。確かですか?と聞くと、私が無で在るのは確かだと答える。存在は無で尚在るものですね。
これは輪廻転生という考えに通じてます。
私たちは無である存在だからこそ、無であった生前から、誕生したのであり、死んでも無で在り続け、また誕生すると。
変化しない物は無いので、存在はその時の現象です。
ハイデッガー自身、自分がどこに到着するのかも分からないまま考察を進めてるようなことを書いてなかったかな? 回答を得るとは、即ち正しく問いを立てることに他ならないという『存在と時間』の態度からすると尤もなことではあるが。
ウィトゲンシュタインも論考で、この世界は解決のためではなく、課題のためにあるとか言ってなかったかな? 執筆年代からすると、論考の方が先になるが。
無宗教的で世俗的な近代人種ってのは、自分が何を求めているのかすら曖昧なまま、ぼんやりと空を眺めながらゴドーを待ってるだけ、みたいなところはあるからな。カフカ的世界で。
カフカはキルケゴールにシンパシーを抱いてた方で、ヤスパースがキルケゴールの『現代の批判』をナチズム時代に読んで「まるで昨日書かれたよう」と感想を漏らしたのは有名な話。まあ、キルケゴールは『現代の批判』をフランス革命期のナポレオン時代とヘーゲル時代の社会の保守的大衆化との対比を背景に書いたわけだが。ナポレオンもキルケゴールも、パスカル的なところは共通してるしな。
『現代の批判』は、大衆主義的な群衆心理批判なところはあるからな。
19世紀半ばのダーウィン論争の始まりで、ローマカトリックの歴史的権威が後退して、19世紀進歩主義の時代が始まった。これに伴ってキリスト教も「近代化」すべきという時代が続いたが、これが崩れたのが第一次世界大戦だ。大戦の終わりと共にカール・バルトが19世紀前半の人物であったキルケゴールの影響を受けて、危機神学の流れを作った。ハイデッガーはそういう時代の影響を当たり前に受けている。
むっず
鼻声が気になって内容が入ってこない(泣)
哲学は揚げ足をとるものではないんのよ☺︎b
こんにちわ→こんにちは
『A is Bと考えるのは人間だけ』についての論証を知りたいな。犬猫が考えている内容とかいう記述不能な対象に触れずして間接的に論証できてしまうのか甚だ疑わしい。
犬や猫とは会話が成立しないので明白では?
確かジャック・デリダがそこに問題意識を持って、ハイデガーの理論を拡張してる
ちょとBGM 大きいすね😥ところで
これって文章の読解力、難解な語句の理解から始めないと頭に入ってこないな~まあ大した脳ミソ持ってないんで、、、あと、翻訳の忠実性も問題かと、、、
何言ってるか難しくて分からないって自分で言ってる癖に翻訳どうこう言って他人の粗を探すな。そもそも日本人が日本語で書いた同レベルの難易度の本だってどうせお前読む気ないだろ。読んでも分からない部分があったら「自分にはよく分からない」とか「書いてある事が正しいかどうか問題だ」とか漠然と非難するんだろ。日本語訳もされた上にこうして動画にもされても理解しようとか受け入れようとかしない、当然ドイツ語なんか読める訳でもない、興味ねえなら興味ねえって言えよ。
哲学は自然科学、社会科学等の科学の上部に位置していると思います
哲学よりも上が神学、宗教の領域になるでしょう
宗教レベルになると正しいかどうか想像、信仰することしかできません
科学は人間の大脳で理解できるレベルで説明されています
音楽を消すボタンが欲しいです
ハイデガーの名前も顔も怖いわ 内容も恐ろしいわ
存在と時間、つまりは生と死と理解しています。
哲学者って、日々、内なるひろゆきと戦ってるのかな?
カントの物自体というのは、ハイデガーの存在なのだろうか?
この前の村上春樹の小説がハイデガーを思い出させた。
顔のない奴の肖像画を描け、みたいな。
BGMがうるさい。なんでBGMが必要なのか?気が散ってますますわからなくなる。
少し思い出したわ
思い出せる内容なんてあったかな?もうアレは概念論過ぎて言語レベルの感覚的なものとしか思っていませんけどね・・・
まあ、知性や知能みたいな機能は人間以外にも見られますが、「存在と時間」レベルでやり取りを互いにしている生物は今のところ人類は人間しか確認できていないよねwwwっての流れがあってのAI爆誕!!!ですよね?
BGM大きすぎ。途中から全く頭に入ってこなくなった。てかBGM不要では?
客観は主観の延長やねん。ってコト?
厳密な言葉遣いをしてくださいね。
これではハイデガーが怒る動画です。
音楽が耳障りです
滑舌どーなってるんや
早口すぎて、初心者には追いつけませんでした。無念です。
「現代は形而上学の復権を進歩の一つとして数えているけれど、存在の根本の問いは相変わらず蔑ろにされている」というような書き出しで始まるのが『存在と時間』だな。形而上学の復権とは、主にダーウィン論争と共に始まった19世紀進歩主義のことを言うんだと思うが。
『存在と時間』の書かれたのは、第一次世界大戦が終わってからしばらくして、1927年、まあ、ソ連でスターリン体制が本格化した頃でもある。緊張感のある時代だと。
日本は昭和に入って間もなく、昭和維新が叫ばれていた時期か? 同じ頃にヘミングウェイは『日はまた昇る』を書いた。レーニンに踊った左派勢力は大いに萎れてた時代だ。小林秀雄がそんな時にランボー詩集を片手に威勢良く文壇デビューを果たした。
ミュンヘン一揆で収監中のヒットラーが『我が闘争』を執筆した頃でもある。まあ、『存在と時間』はハイデッガーの「我が闘争」みたいなところはあると。
19世紀進歩主義といのは、ダーウィン時代になっても継続していた前近代的なヨーロッパの王朝政治を背景にした、進化論的選良主義なところはある。第一次世界大戦で、その王朝政治の残滓が拭い去られると、今度は進化論的選良主義は大衆主義のバックグラウンドで再開されることになった。これがナチズムだ。ハイデッガー自身は、進化論的世界観とはあんまり関係のない地平で哲学をする態度だったが。
ウィトゲンシュタインも第一次世界大戦の終わりにまとめた論考で、一応はダーウィンの名前を上げながらも、これは科学の問題であって、哲学は科学とは無関係という態度を示している。
勉強になります。ありがとう!
因みに、「1889年」は「ビッグイヤー」で、歴史上面白い偉人がたくさん生まれています。いま思いつくだけで言っても、この「ハイデッガー」がこの年に生まれただけでなく、こちらの動画の先生が言及されているヴィトゲンシュタインもこの1889年に生まれていたはずです。他に、、、チャップリンもそうだし、ヒットラーもそうだし、ネルーもそうですね。
シュタゲから来ました
「人間は根源的に時間的存在である」
BGMは、必要ありません。かえつて妨害になっています。評価低下になっています。
ん~、こういう考え方は拙速でよくないんだけどあえて言いたい。
「ハイデッカーを理解することでこの世のわからなかったことや現世の人々が迷っている事象や現象に対して明確な答えを
示せるのか?」
投資家ならばそのように考えて問うでしょう。賢くなった気がするとかそんなチャチな物ではなく迷える人々に道を示すような効果が得られるのか?
さもなくば理解するための時間を捨てるようなものでしょう。
ゆっくりしゃべってほちいよー
テンポが悪くなる
「設定」で、速度の調整ができます。
もっと早くしても構いません 😋 \(^o^;
@@gnomons. かしこまりましたー!!!
ゆっくりに喋ってほしいよー
詩で示そうとしたって…それって呪文と何が違うんだろ?哲学ってあくまでも論理的に物事を理解する手段じゃないのかな?そもそも万人に共通の認識を促すのが学問のはずで、詩で示すってことは各々によって受け取り方が変わるのが当然だし、学問ですらないよね?哲学って突き詰めると哲学自身を否定する結論にみんな行き着いてるように見えるんだけど違うのかな?ウィトゲンシュタインさんも哲学者は黙れって言って終わってるし。
冊サ