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井上さんの質問「どういう欲求の耕し方があり得る?」に対する答えは、 ”広い受け手を持ち、且つ、中立の立場であるメディアが、各論壇人の論説を意味を噛み砕いて解説する”だと思いますよ。論壇人に書かせて責任を押し付けるのではなく、メディア編集が恐れることなく意味付けを行い、言語化して自ら発信するのです。一般人の感覚は 「目立つ人が目立つ持論を各々言ってる」というところ止まりなんです。一風変わっていてオモロイなとは思っても、自分でコンテクストの意味付けまでは行おうとしない。だから、言論人の応戦はただのエンターテイメントとしてしか消費されていない訳です。なので、言論人なる”偏った”意見ではなく、中立(中立であるからこそ一般人まで降りてきていて一般人に近い)である立場のメディアが「A氏の話の意味付けはX、B氏の話の意味付けはY、XとYを対立させたり組合わせたりするとZが演繹されるかも知れない」みたいな意味付け解説をすることで、ようやく一般人へエンターテイメントを越えた知として染み入って行くのではないかと思います。
間違っちゃいけないのは医学とか工業系とかは初めからそれで仕事をするつもりで勉強してるんだよね。だから食えるんだよ。興味の向くまま、趣味で勉強したら食えないのは当たり前。知的探求心なんてのは、仕事しながらライフワークとして死ぬまでやればいいだけの話で、仕事と結びつけないならモラトリアム暇つぶしにやったって、リタイア後の楽しみでやっても違いなんてない。ブルーカラーを馬鹿にして、大卒のホワイトカラーとして、人を動かし、上澄みで暮らしたいとか思うから、おかしなことになる。エッセンシャルワーカとして、現場で汗して、家に帰ったら文学や哲学にふける。それだって立派な学者じゃないか。でも、それじゃ承認欲求が満たされないんでしょ。おかしな労働観と他人の目を気にするレベルの貧弱な知的好奇心を何とかしない限り、何かを生み出せるようにはならないんじゃないのかな。
これはある層にはクリティカルヒットする禁句だぞw
納得しかけたけど工業とか医学ってブルーワーカーじゃないし、ブルーワーカーがホワイトワーカーよりえらいという根拠もなくない??それに趣味で哲学をやる人がいる限りはプロの哲学者も需要があってエッセンシャルなんじゃ
@@shima2051 ブルーとホワイトを再定義して良いなら、それは頭の中だけで完結できるかどうかだけど、ホワイトは間違いなく優先的にAIに代替される。偉いとか偉くないは置いておいて、ホワイトは本当に上澄み以外人が必要なくなる。
@@shima2051 えらい根拠なんてあるわけない。そもそもどちらが偉いなんてないもん。ただ、大学に行く理由がホワイトカラーになりたいからという人はたくさんいるよ。親がそういって子育てするんだもの。大きな会社に入って、良い仕事に就き、出世して管理職になりなさい。そのためには大学に行きなさいってね。工業はものをつくるため、医者は医療で人を救うために学ぶという直接的な動機が入学前からある。人文系の人が躓く数学だって、その職業に就くために必要だから学ぶのであって、好きとか嫌いとかそういうレベルで取り組んだりはしない。豊かな人生を送るために何を学ぶかを選択するのは何であっても良いけれど、学んだことを使って何かを生み出すという事に関していえば、最初から目的をもって学ぶのとそうでないのとでは結果が違うのは当たり前ですよね。あと、エッセンシャルワークについては世の中的にそういわれている仕事というのがあって、常に人手不足が問題となっているという問題が別にありますので、まずはそちらを確認いただければと思います。あと、私が思うに良質なプロがいないのは、仕事をしながら研究する良質なアマチュアがいないからだと思ってます。
食える食えないで言ったら、顧客や市場を見つけて、そこに訴求する商品を自分が生み出せるか、だけが大事。タピオカ屋とお堅い商売の違いは、市場に恒常性があるか否かだけ。だからバフェットは髭剃り会社に投資する、100年後も髭剃りはあるはずだから。なぜ学歴が重視されるかと言えば、それが職業選択の自由度を高めるからで、ブルーカラーを馬鹿にしているから、というのは必ずしも正しくない。現にとび職などはかなり稼いでいる。
長らく左右、文系理系等々分かれて小さな理、狭い陵域に閉じこもって済む時代が続いた。昨今は子供たち学生たちのの教育も生きる力、リベラルアーツ等々、越境し思いもよらないメタ止揚活力を交互間に生み出し続ける時代に入ってきた。東さんのように理論と実践のサイクルを、むき出しの、身も蓋もない現実の前でバタバタしながら途方に暮れながら面白がっている姿はようやくやってきた健全な時代の姿に思える。
人文学系の大学院生ですが、自分の分野ばかりやってると脳が平べったくなってくることを感じます。たまに他分野の本を読んだり、簡単なものですが数学の問題集を解くと脳みそを立体的に使えてる感覚になってきます。私自身の感覚ですが、他分野に触れることは大事だなぁと。
自分はAI(数理統計系)の専門ですが、新しい発想には違う分野からの影響が多々ありますよね。最近では、物理の平均場の考え方が応用されました。とても共感します。
哲学の知識を得てそれを語るだけなのは哲学者じゃない気がする。おそらく読書家が小説家を名乗るようなもの。昔の哲学者はパイオニアだったのでは
実際そのとおりだと思う
得た知識を語る人は哲学学者か哲学研究家でしょう。哲学者は哲学を実践する人であり推し進める人のこと。芸術家と学芸員が違うのと一緒かと。
そうですね。これだ。
昔のっていうかフランス現代思想の人らはそうじゃないですかね
最近の哲学は特に、あらゆる学問と繋がってるよね
40年程前大学で哲学をやっていた冒頭の言葉は身をもって感じることと相容れる
あずまんは「エラそうなこと散々言ってきたケツを拭く」って言ってゲンロン始めて、そこで四苦八苦しててカッコ良かった
ほんと、大好き
社会ってもんを分かってきた人文学者な感じがして労働者階級の自分からしても好感が持てる
学問は必ずしも現実社会に役立つ、反映されるわけでもないからそれで良いのではと思う。特に大学レベルの専攻なんて、端から見たら何故それに興味を持つのかわからないものを研究してる人も多くいるし、全てのものを現実とリンクしなくてもいいんじゃないかと…哲学なんて人の数だけ種類がある思うし、机や書物から得られるものもあれば人生の経験からしか得られないものもあるし、人と相容れない、わからないという感性も含めて哲学だと思う。
社会の役にたたないなら自費で趣味でやれよって話だね
シリコンバレーのITを牛耳ってる人間って哲学に造詣が深いわたしはITの人間だけど、彼らに影響されて哲学を学び始めた
哲学者がそれ以外の社会人とちゃんと交わって、現実や他人の経験から哲学に落とし込むのが必要じゃないかなぁと思う
就活の時に「何故就職に役立たないのに哲学科に入ったんですか」と聞かれたけど、就職する為に学問やってないからな。大学は職業訓練学校じゃない。現行の世界において「価値がある」「意味がある」という言葉は資本主義の評価軸だし、「金が稼げる」という意味合いと結び付いてる。世の中はもっと雑多なのだから一つの世界観を押し付けられると困る。資本主義のシステムに染まり切っているから、そのルールの元でしか思考できない。
今は何をされてるんですか?
東氏の言動に説得力を感じる一つは、続ける(続く)のが大事とか地道にやってくしかないとか、泥臭かったり見栄えしないから有識者が言いづらいことでも率直にいうのがあるかな実際に象牙の塔から抜け出して一人で道作ってきたとかそういうのがバックにあるからこそなんだとも思うけど
人文社会科学系の学生から、テクノロジ系の企業に就職したけど、ビジネスパーソン向けの自己啓発本や組織論などで頭ができていて、企業の為、お客様の為、みたいなことを言う人が重宝されるけど、そこには人文社会科学的な高度な議論などなにもない。誰もデリダやフーコーを知らないし、ロラン・バルトも知らないし、浅田彰など読んでいないし、東浩紀も知らない。日夜行われるあらゆる議論は、哲学ほど論理の道筋が難解ではなく、議論の整理役を任されることも多いので哲学的な議論がそういう場で生きてくることはある。ただし、人文社会科学、特に人文科学は、「ビジネス文書」をテクストとする研究を殆ど行わないから、人文系の学生から頭を切り替える時に、「こんな俗流な議論が金科玉条のようにありがたがられているのか」と思って乗り切れないことが多い。そうしたらテクストが人文書としてアカデミズムに批評されているかというと、認識さえされていないし、東さんのいう「視野が狭い」がそれを対象として見ていないという意味であれば得心が行く。
テクストって言いたいだけなんじゃないの?君のコメント見ててやっぱ薄っぺらいなと追認するしかないよ。「知らない」「知らない」って君が知らないことを理系、技術者はいっぱい知ってるんだよ。視野狭いよね?
テクノロジー系っていっても、理学部出身か工学系か、製造系か設計・研究系かでも全然違うと思うけどね。うちは理系、設計・研究系だけど、さすがにデリダ、フーコー、バルトは周りの誰でも知っとるしバシュラールとかビュイダンとかも普通に読んでる人多いけどなぁ。むしろうちに多い人種:自己啓発本とかビジネスマニュアル本読んでる奴をバカにしとるw
@@zero-east-23 素敵な環境ですね。バシュラールとかビュリダンとか、むしろ人文社会科学系だとまず名前が出てこないし、科学論系の思想に興味ある人じゃないと知らないと思う。少なくとも国内では、デリダやフーコーと比べると100分の1とか1000部の1くらいのレベルで論文もなさそうだし。マイナーな思想家を読んでるとか知ってるとかではなく、大家や思想の大きな流れをどれだけ精読して、論じて、価値化していけるか、という議論を無限にやり続ける人が多く、人よりもその「議論」に焦点があるので、そこらへんも含めて人文系の世界とは違うかなぁという印象です。人文系だと、もっぱら哲学上の系譜に連なる膨大な研究領域の議論が中心なので、ビュリダンとか研究はほぼされていないし、ほぼ見向きもされないと思います。リナックスチョットデキル、みたいなもので、デリダ周りの研究をがちがちにやってる人が「デリダ、ちょっと知ってる」とぎりぎり言える、みたいな感覚ですね。
面白かったです。
18そこいらで大学入って哲学一本ってのは視野狭窄しちゃうでしょう。って同じビジネスマンも視野が実学に寄りすぎちゃう。でも仕事してると、仕事に関係ないと思っていた知識がインスピレーションを生んで、何か大きな事を成し遂げられる。かもしれない。実際、僕は19で大学入って4年行って3年ニートやって、1年働いて、またニートやってるけど、それぞれで学んだ内容があるおかげで今の自分が形作られてるのが実感できる。今は起業準備中で、その知識が生かせています。
仮にその起業が成功してチヤホヤされて年取ると、「視野狭窄しちゃう『でしょう』」から、「視野狭窄してるに『違いない』」とか、「かもしれない」が、「(俺はそうだったから)そういうものだ」に、いつしか認知が変わってしまう人もいるんだよねそして他人の意見が聞けなくなるあなたがそうなるとは言わないが、いつまでも素敵な人のまま年を重ねるのは難しいのだなと思う
人文書・哲学書が読まれないのは、仕事も勉強も目的合理主義に忙殺されているからでしょう。「人文書・哲学書=教養」が二十歳頃までに刷り込まれないと、中々読む機会はないと思います。難解な説明よりもハウツー本を「正解」として生きる人がほとんど。しかし「正解」は1つではないし、「真理」とも限りません。ちなみに東さんの『郵便的不安たちβ』面白いのでおすすめです。
大事なのは権威を疑い「なぜ」と問う感性ですね。それがないといくら情報を摂取しても空しいです。ところで、「正解」は1つではない、というのは唯一の正解でしょうか?
@@abc0to1 確かに私の意見そのものが「唯一の正解」を述べているようですね。自家撞着です。
@@msato692 正解は1つではない、というのは唯一の正解か?と言った時の1回目の正解と2回目の正解の意味とか指示内容が別だと考えると、矛盾は解消されそうです。
その畑の人がこれを言ってくれるのは有り難い。自分が見た社会学系の教授とか、虐め気質の教授が多くて、一般社会的な感覚を持ってないような人が多かった。寧ろそうじゃない方がかっこいいとでも思ってるのか、"一般人"とは違う=特権意識のような。公開で学生を虐めても、本人にはその自覚?がなかったり。その光景を見て、自分は社会学系の教授に対しては思い切り偏見が形成されましたね。東さんも「そっち側の人間」と思ってましたがw、このような事を言ってくれるのは嬉しいです。
俺工学系の人間だけど、逆の理系ができてるとは思わない方がいいぞ。理系は便利だが人格者ではない。
人文学=哲学、ビジネス≠哲学、ビジネス>人文学ゆえにビジネス>哲学というニュアンスを冒頭に感じました。ビジネス≠哲学のようなニュアンスの前提がよくわかりませんでした。言葉を使っている以上、全て哲学としか僕は思えないのです。しかしビジネスはばくぜんと偶像崇拝(具体的な生産物、数字、幸福感)な傾向を感じるので、言葉を使う絶対量が人文学に比べて少ない傾向があると思いました。つまりビジネスの時間は哲学でない時間が割合多く、作業の大半は言葉を扱う思考はそれほど必要ないと思いました。多くの時間は与えられた規則に盲信盲従することにあると思いました。一方で哲学の時間は具体的な生産を伴わず、実質無資源で、言葉をどれだけ使っても腹の足しにはならないので、その意味では哲学自体は物質的な豊かさを最初から見込めないと思いました。しかし生きるために必要な最低限の衣食住を確保するために一日に必要な時間は少なくとも起床時間より短いと思うので、余った時間をどうするか?という余暇に、言葉を扱う全ての人間は何かしらの哲学をせざるを得ないと僕は思いました。
思うに、人文知って「利害関係の調整に必要な知恵」だと思うんですね。人々が互いをより理解し合って協働していくための知恵。でも、1960年代以降は資本経済が大きくなっていく過程だったから利害関係の調整はそれほど必要では無かった。よって、人文知はあまり必要とはされず、活用されるのはもっぱら商売道具としての心理学(マーケティング)ぐらいだった。でも、昨今はその経済成長が鈍化している。新しく開発される技術は多様性に欠き、一部の事業者に資産が集中しがちだ。このような世界の変容においては、人文知の復権と社会への還元としての活躍が大いに期待されるであろう。
これは面白い仮説
なんかずっと思ってた事が綺麗に言語化された気がする。利益を産む機能というより、利益をより多くの人にとって最大化したり、不利益を防いだりする力が人文知にある気がする。人それぞれにとって利益が違うという多様化社会で「調整する」胆力みたいなものは必要不可欠だと感じる。
もともと哲学なんてものも ある特権階級の人間達が 言いたい放題やりたい放題やってたのを 戒めるため生じたものだろうからね つまり人文学進める社会的意義となると 道徳や倫理的役割しかないと思われますね
人文系て、文字化されたものをてががりに、単に日常を送っていて得られる洞察なんかとは、違った知に到達しようとする営みなので、ツアーに参加したり、会社経営したりすることで宝のような知恵に至るということがあっても、それは別のことだろう。 また、何事かを文字化する事はそれがなんであっても貴いことだろうが、文字化されていない個人的な経験や洞察、ビジョンがあってそれを言い表すということは、人文系ではなくて、創作という芸術活動に寄せて見るべきだと思う。
哲学は人生を豊かにするための学問であってビジネススクールで学ぶ経営学ではないと思う。さらに世の中からビジネスが無くなったとしても、そこに人生は存在するので哲学は無くならない。
人文系の知というのは知というより言語(用語とか表現集)だし、言語はネットワーク効果の原則で、多人数が使えるものが独り勝ちする。それを踏まえると日常語やネットスラングのほうがずっと有用。さらに大学にはこもって小さな世界小さな経験してると自分と巨大な社会の2個の要素しかイメージできないけど、経営者は社員1人1人の人生や立ち振る舞いを追体験することが多く発見が多い。
学問って余裕ないとできないから、景気が悪いままなら学者も育たないと思う
知らんけど、日本の文系のシステムを見直す時期に来てると思う。文系だけじゃなく、総合的に、だろうけど。
衣食足りて礼節を知る、との言葉の通りで、浅田彰が登場した当時と比べ日本の経済力は右肩下がりを続けている、これが知識人である事で生活が成り立つ層の縮小の原因。東氏の発信は例えば自説の補強として本来全く異なる主張をしているポパーをつまみ食いしたり、およそ肯定的に捉えられるものにお目にかかった事がないが、今回日本における自分を含む人文科学系言論人の質的低下・量的減少の現状認識を語るのを聞いて、多分初めて「そうだよね」と思えた。
うちは割と成功してる方の会社にいるけど、会長が普通にディープステートを信じてたりするので、ビジネスマンの方が哲学的というのはケースバイケースだとおもう。
凄い会社ですね。実際に信じてる人に会ったことないので見てみたいです。
@@pythonian-xp3vi 大麻が流行ってるのはディープステートのせいだし、歴史の出来事は全てユダヤ含めたディープステートが関わってるって言ってましたわ。
トランプの言ってるDSと、メディアが使っているDSが違うという事に気付けない情弱って多いからな〜。
日本人はディープステートを馬鹿にはできないよ官僚が政治家をコントロールしてる日本こそディープステートの塊みたいなものと外人から馬鹿にされるよと高橋洋一さんが言ってました
学者って視野が狭い方が学者としての能力高かったりするからなんともいえんな
理系なんかそうなんだよな。その点文系が補填してくるんだけど、最近だといやに文系が批判されてるから視野の広さに欠ける奴が増えるだろうね。
人気付き→任期付き 7:38
実生活を持っている人間のほうがクールなんだよね人生経験の分厚さに勝る教養ってなかなか無い
自分が研究タイプだから無いものねだりなのだろうけど、お互い様だと思うんで色んな人が手を組んでも良い社会になってけばいいね
日本じゃ年間二万人ほどその実生活すらままならず死んでるけどな。
@@石井一郎-x9j ガチで論点がズレまくってるから何も言うことがないわ
@@user-ejit353fere 視野が狭くて限定的な論点でしか語れません。だけど自分の高過ぎる自尊心的に正直にそう言えないから論点ズレてると言って片付けたい。の間違いやろ。 でなけりゃズレてるのかそうでないのか判断する前に内容聞いてくるはずだからな。
@@石井一郎-x9j 実生活の体験をとおして、書物から学ぶような教養を自力で見つけていく人はクールだね。なぜなら本と睨めっこして得る学問としての教養と違って、実体験がともなっているから。↑これが元のコメントの意味なんだけど、そもそもなんで生活出来なくて亡くなってしまう人の話が出てくるの?「貧乏生活から教養を得る」なんて一言も言ってないからね。RUclipsのコメント欄で他人に噛みついて賢ぶってもしょうがないから、まじで読解力とか地道に伸ばしましょう。頑張って。
もともと哲学なんて 社会の権力者や支配層にとっては 疎ましいものだからね 哲学が社会に広まるのは困るわけだ 社会に広まらないように うまく大学の中に取り込んだ
今生きてる人をみてるからね、
無論専門を持つことは大切だが,それだけになってしまうとよろしくない。野菜ソムリエは基本雑食が望ましく,ベジタリアンではよろしくないように。
哲学、ばりばり勉強します!
ゲンロンのユーザーってそれこそ「ファスト教養」レベルの人が多いように思う。コメント見てると完全にずれてるし。
すっかり駄目なものの代名詞と化した社会学をやってましたが、少なくとも自分が学生だった2000年代前半は違ったんすよ…とSNS見ながら密かに嘆くこの頃温室育ちが学級会やってるみたいな今の人文系の空気感をみるに、全く違う場所から別の人文知が立ち上がるしかないんだろうなと思ってます
7:38 「人気付け」じゃなくて「任期付き」じゃない?
現代哲学が数学を必須としてないことがそもそもの問題である、ギリシア哲学は幾何学を必須としたが現代哲学は幾何学もルネサンス以降の代数学も解析学も必要とせずに戦前の哲学者の本を擦ってるだけで現代ならではや新たな課題に取り組むんでる哲学者はいない、哲学者が抽象化したものが古いものばかり
現代の哲学は数学的なことやってるよ出版社に持ち上げられてるだけのポエマーのことを哲学者だと勘違いしてない?例えばマルクスガブリエルとか
まさしく現代哲学を学んでいる若者ですが、たしかに(特に英米圏の)現代哲学では数学を学んでいない人の方が少ないと思います。少なくとも大学数学程度の知識は持っていないと、現代哲学に十分に参入することは困難です。一方で、@benikariudo さんの仰っていることも完全な誤りではなく、部分的な理があると私は思っています。というのも、「解析学や代数学についての知識を持っている」というレベルと、「それらの知識を(哲学に活かせる程度に)自由に使える」というレベルの間には明確な差異があり、残念ながら後者のレベルに達している現代哲学者はごく少数だからです。(つまり、数学が用いられた論文を読む能力は持っているが、数学を用いて自らの哲学を構築ないし表現することはできないというレベル感の人が圧倒的多数なのです。)私は「数学を使える哲学者」と呼べるようになるためには後者のレベルが必要だと、実際に哲学をしながら(自己-反省的に)感じていますし、大抵の現代哲学者の持っている数学のレベルはまだ低すぎるのではないかと(やはり自己-反省的に)思います。
論理学はともかく、アリストテレスは数学に対して批判的だったようですが……(耳学問なので定かではない)
@@ばぎゃぼん 私の知る限りではありますが、「アリストテレスは数学に対して批判的だった」という話は誤りです。おそらく、「アリストテレスがプラトンの数学観を批判した」という話が曲解されて伝わったのではないかと思います。(プラトンの数学観とは、私の理解では「数学的な事実がイデアとして存在し、そのような事実を用いることで現実世界の全ての事象を完全に・網羅的に説明できる」というものです。これに対して、アリストテレスは数学的な事実は経験的なものであって、イデアとして存在するようなものではないと説きました。)
「哲学が数学を必須としてない」と仰っているのが、何を指しているのかが判然としませんでした。ウィトゲンシュタインやゲーデルは数学的な哲学、数理論理学だと思うのですが。数学を哲学に使うとは、具体的にどういった使い方を想定されているのでしょうか?例えば、統計学を使って対象調査をしたとすれば、それは哲学と言うよりは心理学のように感じますが。
人文学批判もいいねえそういう視点が大事よなあ
大学で哲学をやっています。ここで問われている「哲学」に関して言うなれば「大学の学者より、ビジネスマンのほうがよほど哲学的」というよりかは、「大学の学者もビジネスマンもどっかのガルバのねーちゃんもバイトの学生も誰もが等しく哲学的」ですよ。等しくすらないかもしれませんね、上も下もないです。同等でもなければ上も下もない矛盾が哲学です。それぞれの宇宙があることが問題なんです。スティーブンホーキングが書いた本もコムドットヤマトが書いた本もそこらを歩いてる猫が語るかもしれない人生論も同じ価値、これらを普遍的視点で比べることはできないんです。ここから現代社会に礫を打っていく創造的問題が生まれるのではありませんか。資本主義的な範疇だけに哲学があるわけではありませんよ、哲学の大学教員は理解しています。むしろ一般化した対象に視野が狭いと言うこと自体、とても視野が狭いものではありませんか。まあ反応してしまう私は見事にこの人の挑発にのせられてしまっているわけなんですがね笑
仰るような哲学の普遍性、遍在性とうのには納得し、目を開かされました。ですが、それではノーベル賞のようなこれまでの蓄積の結果生まれる最先端の研究は現れないのではないでしょうか。ハイデガーも、アリストテレスやヘーゲル、フッサールの上に、先に、あり、我々はハイデガーやマルクスガブリエルの上に行かなければいけないのではないでしょうか。哲学の普遍性、非専門性をいうとき、社会で哲学を立ち上げる方向とは逆の、哲学を液状化させ、崩壊させる方向の議論になっていないでしょうか。
んー、問われているのは「一般市民から『言葉遊び』と言われないためにはどうするか?」ということだと思うのですが。決して実学に徹せよということでも無いのですよ。でも、紡がれる言葉が人々の日常感覚から断絶されてしまったら、それは人文学では無くなってしまうように思うんですね。
「大学教員の哲学と普通の学生の哲学が食い違うのはなぜか」というような構造的分析を哲学はやれるのだから、「普遍的視点で比べられない」というのは間違いだと思います。
> これらを普遍的視点で比べることはできないんです。絶対的価値基準がないことくらい少し賢い小学生でも理解してるよ。> ここから現代社会に礫を打っていく創造的問題が生まれるのではありませんか。これができたらすごいけど、理系のエンジニアやビジネスマンが社会を変え続けてるのに対して、大学の哲学者の貢献なんてここ数百年くらいゼロでしょ。
@@ninniku_abura 「絶対的価値基準がない」のに「絶対的価値基準がない」と、なぜあなたは断言できるんですか?
本当の知力は、状況に右往左往されるのでなく、誤まらない原則が有るという事を知っていると信念で思ってることである。アカデミアは、ここができない。
それはほんまに思う
SNSの功罪の一つは、社会にとって有益とは言えない役立たずな人文学者や社会学者の声を、広く発信し結びつきやすくしてしまった点にある。欧米でトランスジェンダリズムというカルト思想が蔓延しているのも、SNSの出現により人文学系研究者がコミュニティを容易に形成できるようになった結果の一面であろうと考えられる。
こういう種の問題の根本的原因は「文系」「理系」なんていう分け方を教育に導入してしまってること。この分け方の最大の問題は「私は文系なんだから理数系の機械的な思考はできなくていい」みたいな勘違い野郎が大量に生まれること。
人文社会学のテロップが,「人文,社会学」となっていて社会学を指しているようになってしまっている。人文社会は,主に文系と言われる学問に属するものを指しているので誤解を受けないようなテロップをお願いしたい。
私はアメリカで留学斡旋会社を35年もやってました。そして絵描きです。人文系ですね。ビジネスって言うのは金を儲けるってのが、コアで、儲けないとどんなビジネスでも継続は無理なのは誰でも知ってる。そこで、人文系の私はどうしたか?請け負った仕事は皆こなした。テクノロジィは使えるだけ使い、それ専門の人を雇った。仕事が観光業、また教育で、人文系だったからだろうか、人文系の人への理解や、世界観は大分役だった。コンピューターをテクノロジィというなら、あの頃出てきた携帯電話をテクノロジィと言うなら、普通に使いこなした。ソフトでわからんのは専門家や、アシスタントで理科系の人に頼んだ。
つまりどういう意味ですか?
つまりってコメントに書いてるまんまやろw
@@石井一郎-x9j 読解力高いですねつまり、文系だけど当時のテクノロジーに頑張ってついて行ったって話?
外資コンサルや大企業のマーケティング担当や広告代理店の人は人文系学問とテクノロジーライクな書籍を読む人がいる私感はあります。
ホリエモンとか川上さんは、社会に実装までする立派な哲学者ですね。
現代思想入門が売れた理由は、まさに自己啓発と哲学の中間だったからだろうな。
>「人文系学者は視野が狭すぎる」こいつもその例外ではない
典型的なブーメランなんですよね
ちゃうねん、特に人文やけど文系学部の穴で、先輩や教授の研究の引き継ぎとかがなくて、さらに研究が軽視され進んでいない結果クローズなのよ
科学の祖先である哲学は学問が細分化された現代ではより高度になっている現実的な哲学においては今さら学者が出てくる段階ではないだろう最先端の哲学はより高次元で複雑な現象を解釈する試みに至っている
最後の音楽で耳がちぎれそうになった😂
口コミに期待しようていうのはそうなんだけど、なんかスグアズマンおもしろいよ~に、え~アズマン嫌いだし~で帰ってきてそこで終わりそう。好き嫌いで選んでんじゃないよ!みたいな。
哲学教えてる大学の教授は、そもそも哲学者ではないと思ってます。もちろん、哲学者っぽいことをやってる人もいるが、それはビジネスパーソンも同じ話ですよね。
大学院で物理学を専攻し、その傍ら哲学書を読み漁りました。現在とある大手メーカーに就職して感じたのは、ビジネスのシーンでは哲学の知識は役に立たないということです。そもそも学問する(skholeというギリシャ語で暇を意味する)とビジネス(busy)は言葉からして相反しています。哲学は世界の真相=深層をあばく学問だが、ビジネスは表層的な生にすぎない。両者が噛み合うことは皆無にちかいと言ってよいだろう。
学問(条件付き再現性や理想論)とビジネス(生身の総合現実)のどちらが良いという議論はイマイチと思います。少なくともダニング・クルーガーである時点では同じかと。一方、学者の方が偉いと思われ過ぎている傾向に一石を投じた姿勢は凄いと感じました。
昔から大学にはいないんだよ。しかしyou tubeには東より優れた人はいっぱいいるぜ。お前の視野に入らないだけ。
一昨日学んだのですが、アメリカの金融街から求められる人材に、文学、哲学、人文学の知見のある人という流れに切り替わったようです。まさにですね!
学者は学問やってるから学者なのであって、普通の社会人常識があればサラリーマンと大差ない。
ビジネスはゴールまでのプロセスを最短で具体化して埋めていく作業なのでこうやって右往左往やっていると失敗してしまいますね。この議論そのものがビジネスならそれで良いですが。
それは傲慢だ。
ところどころネラー臭いコメントがあるんですがそれは...
理系の人間からみると人文系や社会学系など文系全般が言語の問題に拘泥しなければいけないので効率の悪さ、経済性の悪さを感じてしまいます。
俺工学系の人間だけど、最近の理系のやる事考える事ってスペック上げる事ばかりで退屈ではあるけどな。
言語の問題取り扱うのが 文系の本質だからね 効率悪いと言われてもね
人間が考えてきた歴史みたいなのは必要ですよね。人が自分の人生で考えられることは限りがあるけど、先人がある程度答えを出してることもあるし。
宮だいとかおでんメガネとかが天然だ?
日本の文系は法律も人間関係も社会システムも複雑に放置して海外みたいにシンプルにしてくれないからわかりずらい。
つまり象牙の塔で閉じこもっている学者共なんか大海を知らない井の中の蛙ということですねと一般人はよく言っていますね
井の中の蛙ではないでしょうけど街の雑踏とは無縁なのかもしれません。
結果じゃなくて過程の面白さ自体が商品足りえる仕組みって云うかエンタメって云うか明白な常識をわざわざ難しく語ると、常識に別の面が現れる、みたいな崩し方はそっちな気がします。ゲンロンか(笑)00年代。ビジネス書が真ん中に置かれる事になった背景には徹底した有効性、実用性の称揚があったと思うし、ソレは「1分で解る」「サルでも解る」に象徴されてた体験や作品は商品に、数値に置き換わった
生まれて遊んでしんだらいいじゃんみたいなかんかくがあるからな、だからめんどさいでみんなやめる。
車で言えば、アクセルはテクノロジーと経済、ハンドルは政治、ブレーキが哲学と宗教。ブレーキがなければ暴走して大変なことになってしまう。
文系の大学よりも理系や経済学部の方が役に立つように思われ推奨されていますが、今の社会が面白くなくなっているのは、若者が自分の生活・生活圏内のことだけしか考えなくなってしまっていて、知識欲を満たすことを止めてしまったことにより起こっていると思います。進化するのを止めてしまったとも言えます。インターネットをしていると自分に興味のあるものばかりが表示され、それ以外の情報に触れることが少なくなり、それまでの情報源だったテレビは色んなことを取り上げて見ていましたが、ネット社会になって世界中の情報に触れることができるようになったのに、逆に人間の視野は狭くなってしまっているように感じます。日本で理系学生を多くして技術力を高めたとしても営業できる人材なしでは利益を拡大することは難しい。日本の企業・日産は、技術力はあっても売る力がなくてカルロスゴーンを呼び寄せることになって失敗してしまった。東さんの話を聞くと日本の今の哲学の教授は過去の哲学者についての知識は多くあるのかもしれないけど、現在の問題をどのように解決していくか自分の頭で考えようとする人は少ないのかなと。人文学は自分の頭で物を考えることができるようになる学問でないと、人文学部が存在する意味がないと思います。今の人文学系の大学は意味のないことばかりしていて、国民の税金を無駄に使ってしまっている。営業が自分の哲学も持たず自分の頭で考えることができずに、上司の言うことだけ聞いていては会社の利益を高めることは難しいのではないかと日本の未来を心配します。
これ言葉おかしいからな。会話だから仕方ないが、影響力あるんだからまともに話して欲しい。人文系の学者は(そのほかの分野の専門よりも広い視野も持つべきであるにも関わらず、その理想に比べて)視野が狭いということ。一般の人達に比べたらそもそも視野は広い。勘違いしないように。
そんなことねえぞ?笑
資本主義の枠の中のみで哲学を考える資本主義者の限界。今の東浩紀は反面教師として使おう。
「任期付き」を「人気付け」と誤るのかNPは
アベマTVに出てる人たち😂あんなん論客じゃねえよ
人気付け→任期付きだと思います!
単純にウジウジ色々考える行為自体が、女々しくてあんまり色気が無くてカッコよくないから憧れない、というのはあるかもしれない。男でも女でもつい好きになっちゃうような頼もしさと包容力と色気を感じるロックミュージシャンのような魅力がない感じ。その点成田氏は何が良かったかというと、何より身長が高くて声が太くて渋いのが良かった。ちょっと憧れる要素がある。仮に細くて高い声、ダサい声だったら、同じこと言っててもあんまり聞く気になれない。
草 7:07生きろ。🐕😺
曲がりなりにも、その人文系でメシを食ってきたような人がその事実を認めたのか。ずーーっと前からそう思ってたよ。
訂正可能性の哲学の訂正性が、口コミなのおもろい。
こういうのは学者本人が言うと全部ブーメラン刺さるからなあ…
孫子の兵法がやたら流行ったがあんなもん結果論
稲盛和夫とか昭和の頃のビジネスパーソン(誰か忘れた)の語録とか一時期流行ったけど、「人を大事にしろ」「日本式ビジネスが大事」と説きながら、日本経済は昔式のビジネススタイルに足を取られて落ちていった。ビジネス書とか流行りのフレーズとかやたら持ち上げられる逆が正解なんやろなと思う。
かなり隠岐さや香のことを念頭において言ってるんだろうな
このチャンネルに相応しいキャストですね。ダメな社長が見る動画かな?
人文的なものに興味を持てなきゃ「識者」なんて言えないでしょ。世の中変わったね……
いやぁ数学できないやつの方がよっぽど識者とは思えません私は
数学できる奴なんかそうそうおらんぞ。いるのは計算が早いだけなのを数学ができると言われてる奴なだけ。
ピボットの竹下さんと井上さんでメディア作ってほしいな
東さんは、ゲンロン創設者なんですね。だから茂木さんとか、ホリエモンとかと出ているんですね。早く世の中を変えて下さい
カメラ設定が酔うな
私のガールフレンドは太っているので、私を刑務所に送らないでください
川勝知事 お笑い哲学 良い例です
話者が人生哲学を構築されたのは尊重しますが学者に自分のほうが哲学をわかってるってマウントした言い方は傲慢な印象をうけましたが
それはビジネスが下手くそだからそう思うんじゃないのw
ソクラテスや老荘思想や達磨も知らない人達ばかり。実利だけで世の中は成り立ちません。失われた五十年です
自己紹介乙
アズマンは大学人に未練たらたらすぎ
人気付け→任期付き ですね
おおー
ぶっちゃけ日本の文系大学は学部ではなく出身大学でその後のキャリア、つまり人生設計がほぼ決定づけられますからねよほどの金持ち暇人、仙人でもない限り食える大学行くのか最も現実的
おもしろい!けど、右の人Tシャツのホコリ目立つなぁ笑
それ東お前にも言えるぜ。津田大介や三浦瑠璃と同調したりして、後で責任も取らないのがお前だろ。それお前の哲学がお前のコミニーケーション能力や人を見る能力や生きる力に全く役に立たないと言うことだ。
👇番組のフル視聴はこちらから
bit.ly/3y2rhvg
井上さんの質問「どういう欲求の耕し方があり得る?」に対する答えは、
”広い受け手を持ち、且つ、中立の立場であるメディアが、各論壇人の論説を意味を噛み砕いて解説する”
だと思いますよ。論壇人に書かせて責任を押し付けるのではなく、メディア編集が恐れることなく意味付けを行い、言語化して自ら発信するのです。
一般人の感覚は 「目立つ人が目立つ持論を各々言ってる」というところ止まりなんです。
一風変わっていてオモロイなとは思っても、自分でコンテクストの意味付けまでは行おうとしない。だから、言論人の応戦はただのエンターテイメントとしてしか消費されていない訳です。
なので、言論人なる”偏った”意見ではなく、中立(中立であるからこそ一般人まで降りてきていて一般人に近い)である立場のメディアが「A氏の話の意味付けはX、B氏の話の意味付けはY、XとYを対立させたり組合わせたりするとZが演繹されるかも知れない」みたいな意味付け解説をすることで、ようやく一般人へエンターテイメントを越えた知として染み入って行くのではないかと思います。
間違っちゃいけないのは医学とか工業系とかは初めからそれで仕事をするつもりで勉強してるんだよね。だから食えるんだよ。興味の向くまま、趣味で勉強したら食えないのは当たり前。知的探求心なんてのは、仕事しながらライフワークとして死ぬまでやればいいだけの話で、仕事と結びつけないならモラトリアム暇つぶしにやったって、リタイア後の楽しみでやっても違いなんてない。ブルーカラーを馬鹿にして、大卒のホワイトカラーとして、人を動かし、上澄みで暮らしたいとか思うから、おかしなことになる。エッセンシャルワーカとして、現場で汗して、家に帰ったら文学や哲学にふける。それだって立派な学者じゃないか。でも、それじゃ承認欲求が満たされないんでしょ。おかしな労働観と他人の目を気にするレベルの貧弱な知的好奇心を何とかしない限り、何かを生み出せるようにはならないんじゃないのかな。
これはある層にはクリティカルヒットする禁句だぞw
納得しかけたけど工業とか医学ってブルーワーカーじゃないし、ブルーワーカーがホワイトワーカーよりえらいという根拠もなくない??
それに趣味で哲学をやる人がいる限りはプロの哲学者も需要があってエッセンシャルなんじゃ
@@shima2051 ブルーとホワイトを再定義して良いなら、それは頭の中だけで完結できるかどうかだけど、ホワイトは間違いなく優先的にAIに代替される。
偉いとか偉くないは置いておいて、ホワイトは本当に上澄み以外人が必要なくなる。
@@shima2051 えらい根拠なんてあるわけない。そもそもどちらが偉いなんてないもん。ただ、大学に行く理由がホワイトカラーになりたいからという人はたくさんいるよ。親がそういって子育てするんだもの。大きな会社に入って、良い仕事に就き、出世して管理職になりなさい。そのためには大学に行きなさいってね。工業はものをつくるため、医者は医療で人を救うために学ぶという直接的な動機が入学前からある。人文系の人が躓く数学だって、その職業に就くために必要だから学ぶのであって、好きとか嫌いとかそういうレベルで取り組んだりはしない。豊かな人生を送るために何を学ぶかを選択するのは何であっても良いけれど、学んだことを使って何かを生み出すという事に関していえば、最初から目的をもって学ぶのとそうでないのとでは結果が違うのは当たり前ですよね。あと、エッセンシャルワークについては世の中的にそういわれている仕事というのがあって、常に人手不足が問題となっているという問題が別にありますので、まずはそちらを確認いただければと思います。あと、私が思うに良質なプロがいないのは、仕事をしながら研究する良質なアマチュアがいないからだと思ってます。
食える食えないで言ったら、顧客や市場を見つけて、そこに訴求する商品を自分が生み出せるか、だけが大事。タピオカ屋とお堅い商売の違いは、市場に恒常性があるか否かだけ。だからバフェットは髭剃り会社に投資する、100年後も髭剃りはあるはずだから。
なぜ学歴が重視されるかと言えば、それが職業選択の自由度を高めるからで、ブルーカラーを馬鹿にしているから、というのは必ずしも正しくない。現にとび職などはかなり稼いでいる。
長らく左右、文系理系等々分かれて小さな理、狭い陵域に閉じこもって済む時代が続いた。
昨今は子供たち学生たちのの教育も生きる力、リベラルアーツ等々、越境し思いもよらないメタ止揚活力を交互間に生み出し続ける時代に入ってきた。
東さんのように理論と実践のサイクルを、むき出しの、身も蓋もない現実の前でバタバタしながら途方に暮れながら面白がっている姿はようやくやってきた健全な時代の姿に思える。
人文学系の大学院生ですが、自分の分野ばかりやってると脳が平べったくなってくることを感じます。たまに他分野の本を読んだり、簡単なものですが数学の問題集を解くと脳みそを立体的に使えてる感覚になってきます。私自身の感覚ですが、他分野に触れることは大事だなぁと。
自分はAI(数理統計系)の専門ですが、新しい発想には違う分野からの影響が多々ありますよね。最近では、物理の平均場の考え方が応用されました。
とても共感します。
哲学の知識を得てそれを語るだけなのは哲学者じゃない気がする。
おそらく読書家が小説家を名乗るようなもの。
昔の哲学者はパイオニアだったのでは
実際そのとおりだと思う
得た知識を語る人は哲学学者か哲学研究家でしょう。哲学者は哲学を実践する人であり推し進める人のこと。
芸術家と学芸員が違うのと一緒かと。
そうですね。これだ。
昔のっていうかフランス現代思想の人らはそうじゃないですかね
最近の哲学は特に、あらゆる学問と繋がってるよね
40年程前大学で哲学をやっていた
冒頭の言葉は身をもって感じることと相容れる
あずまんは「エラそうなこと散々言ってきたケツを拭く」って言ってゲンロン始めて、そこで四苦八苦しててカッコ良かった
ほんと、大好き
社会ってもんを分かってきた人文学者な感じがして労働者階級の自分からしても好感が持てる
学問は必ずしも現実社会に役立つ、反映されるわけでもないからそれで良いのではと思う。
特に大学レベルの専攻なんて、端から見たら何故それに興味を持つのかわからないものを研究してる人も多くいるし、全てのものを現実とリンクしなくてもいいんじゃないかと…
哲学なんて人の数だけ種類がある思うし、机や書物から得られるものもあれば人生の経験からしか得られないものもあるし、人と相容れない、わからないという感性も含めて哲学だと思う。
社会の役にたたないなら自費で趣味でやれよって話だね
シリコンバレーのITを牛耳ってる人間って哲学に造詣が深い
わたしはITの人間だけど、彼らに影響されて哲学を学び始めた
哲学者がそれ以外の社会人とちゃんと交わって、現実や他人の経験から哲学に落とし込むのが必要じゃないかなぁと思う
就活の時に「何故就職に役立たないのに哲学科に入ったんですか」と聞かれたけど、就職する為に学問やってないからな。大学は職業訓練学校じゃない。現行の世界において「価値がある」「意味がある」という言葉は資本主義の評価軸だし、「金が稼げる」という意味合いと結び付いてる。世の中はもっと雑多なのだから一つの世界観を押し付けられると困る。資本主義のシステムに染まり切っているから、そのルールの元でしか思考できない。
今は何をされてるんですか?
東氏の言動に説得力を感じる一つは、続ける(続く)のが大事とか地道にやってくしかないとか、泥臭かったり見栄えしないから有識者が言いづらいことでも率直にいうのがあるかな
実際に象牙の塔から抜け出して一人で道作ってきたとかそういうのがバックにあるからこそなんだとも思うけど
人文社会科学系の学生から、テクノロジ系の企業に就職したけど、ビジネスパーソン向けの自己啓発本や組織論などで頭ができていて、企業の為、お客様の為、みたいなことを言う人が重宝されるけど、そこには人文社会科学的な高度な議論などなにもない。誰もデリダやフーコーを知らないし、ロラン・バルトも知らないし、浅田彰など読んでいないし、東浩紀も知らない。
日夜行われるあらゆる議論は、哲学ほど論理の道筋が難解ではなく、議論の整理役を任されることも多いので哲学的な議論がそういう場で生きてくることはある。ただし、人文社会科学、特に人文科学は、「ビジネス文書」をテクストとする研究を殆ど行わないから、人文系の学生から頭を切り替える時に、「こんな俗流な議論が金科玉条のようにありがたがられているのか」と思って乗り切れないことが多い。
そうしたらテクストが人文書としてアカデミズムに批評されているかというと、認識さえされていないし、東さんのいう「視野が狭い」がそれを対象として見ていないという意味であれば得心が行く。
テクストって言いたいだけなんじゃないの?
君のコメント見ててやっぱ薄っぺらいなと追認するしかないよ。
「知らない」「知らない」って君が知らないことを理系、技術者はいっぱい知ってるんだよ。
視野狭いよね?
テクノロジー系っていっても、理学部出身か工学系か、製造系か設計・研究系かでも全然違うと思うけどね。
うちは理系、設計・研究系だけど、さすがにデリダ、フーコー、バルトは周りの誰でも知っとるしバシュラールとかビュイダンとかも普通に読んでる人多いけどなぁ。むしろうちに多い人種:自己啓発本とかビジネスマニュアル本読んでる奴をバカにしとるw
@@zero-east-23 素敵な環境ですね。バシュラールとかビュリダンとか、むしろ人文社会科学系だとまず名前が出てこないし、科学論系の思想に興味ある人じゃないと知らないと思う。少なくとも国内では、デリダやフーコーと比べると100分の1とか1000部の1くらいのレベルで論文もなさそうだし。マイナーな思想家を読んでるとか知ってるとかではなく、大家や思想の大きな流れをどれだけ精読して、論じて、価値化していけるか、という議論を無限にやり続ける人が多く、人よりもその「議論」に焦点があるので、そこらへんも含めて人文系の世界とは違うかなぁという印象です。
人文系だと、もっぱら哲学上の系譜に連なる膨大な研究領域の議論が中心なので、ビュリダンとか研究はほぼされていないし、ほぼ見向きもされないと思います。
リナックスチョットデキル、みたいなもので、デリダ周りの研究をがちがちにやってる人が「デリダ、ちょっと知ってる」とぎりぎり言える、みたいな感覚ですね。
面白かったです。
18そこいらで大学入って哲学一本ってのは視野狭窄しちゃうでしょう。って同じビジネスマンも視野が実学に寄りすぎちゃう。でも仕事してると、仕事に関係ないと思っていた知識がインスピレーションを生んで、何か大きな事を成し遂げられる。かもしれない。実際、僕は19で大学入って4年行って3年ニートやって、1年働いて、またニートやってるけど、それぞれで学んだ内容があるおかげで今の自分が形作られてるのが実感できる。今は起業準備中で、その知識が生かせています。
仮にその起業が成功してチヤホヤされて年取ると、「視野狭窄しちゃう『でしょう』」から、「視野狭窄してるに『違いない』」とか、
「かもしれない」が、「(俺はそうだったから)そういうものだ」に、いつしか認知が変わってしまう人もいるんだよね
そして他人の意見が聞けなくなる
あなたがそうなるとは言わないが、いつまでも素敵な人のまま年を重ねるのは難しいのだなと思う
人文書・哲学書が読まれないのは、仕事も勉強も目的合理主義に忙殺されているからでしょう。「人文書・哲学書=教養」が二十歳頃までに刷り込まれないと、中々読む機会はないと思います。難解な説明よりもハウツー本を「正解」として生きる人がほとんど。しかし「正解」は1つではないし、「真理」とも限りません。
ちなみに東さんの『郵便的不安たちβ』面白いのでおすすめです。
大事なのは権威を疑い「なぜ」と問う感性ですね。それがないといくら情報を摂取しても空しいです。ところで、「正解」は1つではない、というのは唯一の正解でしょうか?
@@abc0to1
確かに私の意見そのものが「唯一の正解」を述べているようですね。自家撞着です。
@@msato692 正解は1つではない、というのは唯一の正解か?と言った時の1回目の正解と2回目の正解の意味とか指示内容が別だと考えると、矛盾は解消されそうです。
その畑の人がこれを言ってくれるのは有り難い。自分が見た社会学系の教授とか、虐め気質の教授が多くて、一般社会的な感覚を持ってないような人が多かった。寧ろそうじゃない方がかっこいいとでも思ってるのか、"一般人"とは違う=特権意識のような。公開で学生を虐めても、本人にはその自覚?がなかったり。その光景を見て、自分は社会学系の教授に対しては思い切り偏見が形成されましたね。東さんも「そっち側の人間」と思ってましたがw、このような事を言ってくれるのは嬉しいです。
俺工学系の人間だけど、逆の理系ができてるとは思わない方がいいぞ。理系は便利だが人格者ではない。
人文学=哲学、ビジネス≠哲学、ビジネス>人文学ゆえにビジネス>哲学というニュアンスを冒頭に感じました。ビジネス≠哲学のようなニュアンスの前提がよくわかりませんでした。言葉を使っている以上、全て哲学としか僕は思えないのです。しかしビジネスはばくぜんと偶像崇拝(具体的な生産物、数字、幸福感)な傾向を感じるので、言葉を使う絶対量が人文学に比べて少ない傾向があると思いました。つまりビジネスの時間は哲学でない時間が割合多く、作業の大半は言葉を扱う思考はそれほど必要ないと思いました。多くの時間は与えられた規則に盲信盲従することにあると思いました。一方で哲学の時間は具体的な生産を伴わず、実質無資源で、言葉をどれだけ使っても腹の足しにはならないので、その意味では哲学自体は物質的な豊かさを最初から見込めないと思いました。しかし生きるために必要な最低限の衣食住を確保するために一日に必要な時間は少なくとも起床時間より短いと思うので、余った時間をどうするか?という余暇に、言葉を扱う全ての人間は何かしらの哲学をせざるを得ないと僕は思いました。
思うに、人文知って「利害関係の調整に必要な知恵」だと思うんですね。人々が互いをより理解し合って協働していくための知恵。でも、1960年代以降は資本経済が大きくなっていく過程だったから利害関係の調整はそれほど必要では無かった。よって、人文知はあまり必要とはされず、活用されるのはもっぱら商売道具としての心理学(マーケティング)ぐらいだった。
でも、昨今はその経済成長が鈍化している。新しく開発される技術は多様性に欠き、一部の事業者に資産が集中しがちだ。このような世界の変容においては、人文知の復権と社会への還元としての活躍が大いに期待されるであろう。
これは面白い仮説
なんかずっと思ってた事が綺麗に言語化された気がする。利益を産む機能というより、利益をより多くの人にとって最大化したり、不利益を防いだりする力が人文知にある気がする。人それぞれにとって利益が違うという多様化社会で「調整する」胆力みたいなものは必要不可欠だと感じる。
もともと哲学なんてものも ある特権階級の人間達が 言いたい放題やりたい放題やってたのを 戒めるため生じたものだろうからね つまり人文学進める社会的意義となると 道徳や倫理的役割しかないと思われますね
人文系て、文字化されたものをてががりに、単に日常を送っていて得られる洞察なんかとは、違った知に到達しようとする営みなので、ツアーに参加したり、会社経営したりすることで宝のような知恵に至るということがあっても、それは別のことだろう。
また、何事かを文字化する事はそれがなんであっても貴いことだろうが、文字化されていない個人的な経験や洞察、ビジョンがあってそれを言い表すということは、人文系ではなくて、創作という芸術活動に寄せて見るべきだと思う。
哲学は人生を豊かにするための学問であってビジネススクールで学ぶ経営学ではないと思う。さらに世の中からビジネスが無くなったとしても、そこに人生は存在するので哲学は無くならない。
人文系の知というのは知というより言語(用語とか表現集)だし、言語はネットワーク効果の原則で、多人数が使えるものが独り勝ちする。それを踏まえると日常語やネットスラングのほうがずっと有用。さらに大学にはこもって小さな世界小さな経験してると自分と巨大な社会の2個の要素しかイメージできないけど、経営者は社員1人1人の人生や立ち振る舞いを追体験することが多く発見が多い。
学問って余裕ないとできないから、景気が悪いままなら学者も育たないと思う
知らんけど、日本の文系のシステムを見直す時期に来てると思う。文系だけじゃなく、総合的に、だろうけど。
衣食足りて礼節を知る、との言葉の通りで、浅田彰が登場した当時と比べ日本の経済力は右肩下がりを続けている、これが知識人である事で生活が成り立つ層の縮小の原因。
東氏の発信は例えば自説の補強として本来全く異なる主張をしているポパーをつまみ食いしたり、およそ肯定的に捉えられるものにお目にかかった事がないが、今回日本における自分を含む人文科学系言論人の質的低下・量的減少の現状認識を語るのを聞いて、多分初めて「そうだよね」と思えた。
うちは割と成功してる方の会社にいるけど、会長が普通にディープステートを信じてたりするので、ビジネスマンの方が哲学的というのはケースバイケースだとおもう。
凄い会社ですね。実際に信じてる人に会ったことないので見てみたいです。
@@pythonian-xp3vi 大麻が流行ってるのはディープステートのせいだし、歴史の出来事は全てユダヤ含めたディープステートが関わってるって言ってましたわ。
トランプの言ってるDSと、メディアが使っているDSが違うという事に気付けない情弱って多いからな〜。
日本人はディープステートを馬鹿にはできないよ
官僚が政治家をコントロールしてる日本こそディープステートの塊みたいなものと外人から馬鹿にされるよ
と高橋洋一さんが言ってました
学者って視野が狭い方が学者としての能力高かったりするからなんともいえんな
理系なんかそうなんだよな。その点文系が補填してくるんだけど、最近だといやに文系が批判されてるから視野の広さに欠ける奴が増えるだろうね。
人気付き→任期付き 7:38
実生活を持っている人間のほうがクールなんだよね
人生経験の分厚さに勝る教養ってなかなか無い
自分が研究タイプだから無いものねだりなのだろうけど、お互い様だと思うんで色んな人が手を組んでも良い社会になってけばいいね
日本じゃ年間二万人ほどその実生活すらままならず死んでるけどな。
@@石井一郎-x9j ガチで論点がズレまくってるから何も言うことがないわ
@@user-ejit353fere 視野が狭くて限定的な論点でしか語れません。だけど自分の高過ぎる自尊心的に正直にそう言えないから論点ズレてると言って片付けたい。の間違いやろ。
でなけりゃズレてるのかそうでないのか判断する前に内容聞いてくるはずだからな。
@@石井一郎-x9j 実生活の体験をとおして、書物から学ぶような教養を自力で見つけていく人はクールだね。
なぜなら本と睨めっこして得る学問としての教養と違って、実体験がともなっているから。
↑これが元のコメントの意味なんだけど、そもそもなんで生活出来なくて亡くなってしまう人の話が出てくるの?
「貧乏生活から教養を得る」なんて一言も言ってないからね。
RUclipsのコメント欄で他人に噛みついて賢ぶってもしょうがないから、まじで読解力とか地道に伸ばしましょう。頑張って。
もともと哲学なんて 社会の権力者や支配層にとっては 疎ましいものだからね 哲学が社会に広まるのは困るわけだ 社会に広まらないように うまく大学の中に取り込んだ
今生きてる人をみてるからね、
無論専門を持つことは大切だが,それだけになってしまうとよろしくない。野菜ソムリエは基本雑食が望ましく,ベジタリアンではよろしくないように。
哲学、ばりばり勉強します!
ゲンロンのユーザーってそれこそ「ファスト教養」レベルの人が多いように思う。コメント見てると完全にずれてるし。
すっかり駄目なものの代名詞と化した社会学をやってましたが、少なくとも自分が学生だった2000年代前半は違ったんすよ…とSNS見ながら密かに嘆くこの頃
温室育ちが学級会やってるみたいな今の人文系の空気感をみるに、全く違う場所から別の人文知が立ち上がるしかないんだろうなと思ってます
7:38 「人気付け」じゃなくて「任期付き」じゃない?
現代哲学が数学を必須としてないことがそもそもの問題である、ギリシア哲学は幾何学を必須としたが現代哲学は幾何学もルネサンス以降の代数学も解析学も必要とせずに戦前の哲学者の本を擦ってるだけで現代ならではや新たな課題に取り組むんでる哲学者はいない、哲学者が抽象化したものが古いものばかり
現代の哲学は数学的なことやってるよ
出版社に持ち上げられてるだけのポエマーのことを哲学者だと勘違いしてない?
例えばマルクスガブリエルとか
まさしく現代哲学を学んでいる若者ですが、たしかに(特に英米圏の)現代哲学では数学を学んでいない人の方が少ないと思います。少なくとも大学数学程度の知識は持っていないと、現代哲学に十分に参入することは困難です。
一方で、@benikariudo さんの仰っていることも完全な誤りではなく、部分的な理があると私は思っています。
というのも、「解析学や代数学についての知識を持っている」というレベルと、「それらの知識を(哲学に活かせる程度に)自由に使える」というレベルの間には明確な差異があり、残念ながら後者のレベルに達している現代哲学者はごく少数だからです。(つまり、数学が用いられた論文を読む能力は持っているが、数学を用いて自らの哲学を構築ないし表現することはできないというレベル感の人が圧倒的多数なのです。)
私は「数学を使える哲学者」と呼べるようになるためには後者のレベルが必要だと、実際に哲学をしながら(自己-反省的に)感じていますし、大抵の現代哲学者の持っている数学のレベルはまだ低すぎるのではないかと(やはり自己-反省的に)思います。
論理学はともかく、アリストテレスは数学に対して批判的だったようですが……
(耳学問なので定かではない)
@@ばぎゃぼん 私の知る限りではありますが、「アリストテレスは数学に対して批判的だった」という話は誤りです。おそらく、「アリストテレスがプラトンの数学観を批判した」という話が曲解されて伝わったのではないかと思います。(プラトンの数学観とは、私の理解では「数学的な事実がイデアとして存在し、そのような事実を用いることで現実世界の全ての事象を完全に・網羅的に説明できる」というものです。これに対して、アリストテレスは数学的な事実は経験的なものであって、イデアとして存在するようなものではないと説きました。)
「哲学が数学を必須としてない」と仰っているのが、何を指しているのかが判然としませんでした。
ウィトゲンシュタインやゲーデルは数学的な哲学、数理論理学だと思うのですが。
数学を哲学に使うとは、具体的にどういった使い方を想定されているのでしょうか?
例えば、統計学を使って対象調査をしたとすれば、それは哲学と言うよりは心理学のように感じますが。
人文学批判もいいねえ
そういう視点が大事よなあ
大学で哲学をやっています。ここで問われている「哲学」に関して言うなれば「大学の学者より、ビジネスマンのほうがよほど哲学的」というよりかは、「大学の学者もビジネスマンもどっかのガルバのねーちゃんもバイトの学生も誰もが等しく哲学的」ですよ。等しくすらないかもしれませんね、上も下もないです。同等でもなければ上も下もない矛盾が哲学です。それぞれの宇宙があることが問題なんです。スティーブンホーキングが書いた本もコムドットヤマトが書いた本もそこらを歩いてる猫が語るかもしれない人生論も同じ価値、これらを普遍的視点で比べることはできないんです。ここから現代社会に礫を打っていく創造的問題が生まれるのではありませんか。資本主義的な範疇だけに哲学があるわけではありませんよ、哲学の大学教員は理解しています。むしろ一般化した対象に視野が狭いと言うこと自体、とても視野が狭いものではありませんか。まあ反応してしまう私は見事にこの人の挑発にのせられてしまっているわけなんですがね笑
仰るような哲学の普遍性、遍在性とうのには納得し、目を開かされました。ですが、それではノーベル賞のようなこれまでの蓄積の結果生まれる最先端の研究は現れないのではないでしょうか。ハイデガーも、アリストテレスやヘーゲル、フッサールの上に、先に、あり、我々はハイデガーやマルクスガブリエルの上に行かなければいけないのではないでしょうか。哲学の普遍性、非専門性をいうとき、社会で哲学を立ち上げる方向とは逆の、哲学を液状化させ、崩壊させる方向の議論になっていないでしょうか。
んー、問われているのは「一般市民から『言葉遊び』と言われないためにはどうするか?」ということだと思うのですが。
決して実学に徹せよということでも無いのですよ。でも、紡がれる言葉が人々の日常感覚から断絶されてしまったら、それは人文学では無くなってしまうように思うんですね。
「大学教員の哲学と普通の学生の哲学が食い違うのはなぜか」というような構造的分析を哲学はやれるのだから、「普遍的視点で比べられない」というのは間違いだと思います。
> これらを普遍的視点で比べることはできないんです。
絶対的価値基準がないことくらい少し賢い小学生でも理解してるよ。
> ここから現代社会に礫を打っていく創造的問題が生まれるのではありませんか。
これができたらすごいけど、理系のエンジニアやビジネスマンが社会を変え続けてるのに対して、大学の哲学者の貢献なんてここ数百年くらいゼロでしょ。
@@ninniku_abura 「絶対的価値基準がない」のに「絶対的価値基準がない」と、なぜあなたは断言できるんですか?
本当の知力は、状況に右往左往されるのでなく、誤まらない原則が有るという事を知っていると信念で思ってることである。アカデミアは、ここができない。
それはほんまに思う
SNSの功罪の一つは、社会にとって有益とは言えない役立たずな人文学者や社会学者の声を、広く発信し結びつきやすくしてしまった点にある。欧米でトランスジェンダリズムというカルト思想が蔓延しているのも、SNSの出現により人文学系研究者がコミュニティを容易に形成できるようになった結果の一面であろうと考えられる。
こういう種の問題の根本的原因は「文系」「理系」なんていう分け方を教育に導入してしまってること。
この分け方の最大の問題は「私は文系なんだから理数系の機械的な思考はできなくていい」
みたいな勘違い野郎が大量に生まれること。
人文社会学のテロップが,「人文,社会学」となっていて社会学を指しているようになってしまっている。人文社会は,主に文系と言われる学問に属するものを指しているので誤解を受けないようなテロップをお願いしたい。
私はアメリカで留学斡旋会社を35年もやってました。そして絵描きです。人文系ですね。ビジネスって言うのは金を儲けるってのが、コアで、儲けないとどんなビジネスでも継続は無理なのは誰でも知ってる。そこで、人文系の私はどうしたか?請け負った仕事は皆こなした。テクノロジィは使えるだけ使い、それ専門の人を雇った。仕事が観光業、また教育で、人文系だったからだろうか、人文系の人への理解や、世界観は大分役だった。コンピューターをテクノロジィというなら、あの頃出てきた携帯電話をテクノロジィと言うなら、普通に使いこなした。ソフトでわからんのは専門家や、アシスタントで理科系の人に頼んだ。
つまりどういう意味ですか?
つまりってコメントに書いてるまんまやろw
@@石井一郎-x9j 読解力高いですね
つまり、文系だけど当時のテクノロジーに頑張ってついて行ったって話?
外資コンサルや大企業のマーケティング担当や広告代理店の人は人文系学問とテクノロジーライクな書籍を読む人がいる私感はあります。
ホリエモンとか川上さんは、社会に実装までする立派な哲学者ですね。
現代思想入門が売れた理由は、まさに自己啓発と哲学の中間だったからだろうな。
>「人文系学者は視野が狭すぎる」
こいつもその例外ではない
典型的なブーメランなんですよね
ちゃうねん、特に人文やけど文系学部の穴で、先輩や教授の研究の引き継ぎとかがなくて、さらに研究が軽視され進んでいない結果クローズなのよ
科学の祖先である哲学は学問が細分化された現代ではより高度になっている
現実的な哲学においては今さら学者が出てくる段階ではないだろう
最先端の哲学はより高次元で複雑な現象を解釈する試みに至っている
最後の音楽で耳がちぎれそうになった😂
口コミに期待しようていうのはそうなんだけど、なんかスグアズマンおもしろいよ~に、
え~アズマン嫌いだし~で帰ってきてそこで終わりそう。好き嫌いで選んでんじゃないよ!みたいな。
哲学教えてる大学の教授は、そもそも哲学者ではないと思ってます。もちろん、哲学者っぽいことをやってる人もいるが、それはビジネスパーソンも同じ話ですよね。
大学院で物理学を専攻し、その傍ら哲学書を読み漁りました。現在とある大手メーカーに就職して感じたのは、ビジネスのシーンでは哲学の知識は役に立たないということです。そもそも学問する(skholeというギリシャ語で暇を意味する)とビジネス(busy)は言葉からして相反しています。哲学は世界の真相=深層をあばく学問だが、ビジネスは表層的な生にすぎない。両者が噛み合うことは皆無にちかいと言ってよいだろう。
学問(条件付き再現性や理想論)とビジネス(生身の総合現実)のどちらが良いという議論はイマイチと思います。少なくともダニング・クルーガーである時点では同じかと。一方、学者の方が偉いと思われ過ぎている傾向に一石を投じた姿勢は凄いと感じました。
昔から大学にはいないんだよ。しかしyou tubeには東より優れた人はいっぱいいるぜ。お前の視野に入らないだけ。
一昨日学んだのですが、アメリカの金融街から求められる人材に、文学、哲学、人文学の知見のある人という流れに切り替わったようです。
まさにですね!
学者は学問やってるから学者なのであって、普通の社会人常識があればサラリーマンと大差ない。
ビジネスはゴールまでのプロセスを最短で具体化して埋めていく作業なので
こうやって右往左往やっていると失敗してしまいますね。
この議論そのものがビジネスならそれで良いですが。
それは傲慢だ。
ところどころネラー臭いコメントがあるんですがそれは...
理系の人間からみると人文系や社会学系など文系全般が言語の問題に拘泥しなければいけないので効率の悪さ、経済性の悪さを感じてしまいます。
俺工学系の人間だけど、最近の理系のやる事考える事ってスペック上げる事ばかりで退屈ではあるけどな。
言語の問題取り扱うのが 文系の本質だからね 効率悪いと言われてもね
人間が考えてきた歴史みたいなのは必要ですよね。人が自分の人生で考えられることは限りがあるけど、先人がある程度答えを出してることもあるし。
宮だいとかおでんメガネとかが天然だ?
日本の文系は法律も人間関係も社会システムも複雑に放置して海外みたいにシンプルにしてくれないからわかりずらい。
つまり象牙の塔で閉じこもっている学者共なんか大海を知らない井の中の蛙ということですねと一般人はよく言っていますね
井の中の蛙ではないでしょうけど
街の雑踏とは無縁なのかもしれません。
結果じゃなくて過程の面白さ自体が商品足りえる仕組みって云うかエンタメって云うか
明白な常識をわざわざ難しく語ると、常識に別の面が現れる、みたいな
崩し方はそっちな気がします。ゲンロンか(笑)
00年代。ビジネス書が真ん中に置かれる事になった背景には徹底した有効性、実用性の称揚があったと思うし、ソレは「1分で解る」「サルでも解る」に象徴されてた
体験や作品は商品に、数値に置き換わった
生まれて遊んでしんだらいいじゃんみたいなかんかくがあるからな、だからめんどさいでみんなやめる。
車で言えば、アクセルはテクノロジーと経済、ハンドルは政治、ブレーキが哲学と宗教。ブレーキがなければ暴走して大変なことになってしまう。
文系の大学よりも理系や経済学部の方が役に立つように思われ推奨されていますが、今の社会が面白くなくなっているのは、若者が自分の生活・生活圏内のことだけしか考えなくなってしまっていて、知識欲を満たすことを止めてしまったことにより起こっていると思います。進化するのを止めてしまったとも言えます。インターネットをしていると自分に興味のあるものばかりが表示され、それ以外の情報に触れることが少なくなり、それまでの情報源だったテレビは色んなことを取り上げて見ていましたが、ネット社会になって世界中の情報に触れることができるようになったのに、逆に人間の視野は狭くなってしまっているように感じます。日本で理系学生を多くして技術力を高めたとしても営業できる人材なしでは利益を拡大することは難しい。日本の企業・日産は、技術力はあっても売る力がなくてカルロスゴーンを呼び寄せることになって失敗してしまった。東さんの話を聞くと日本の今の哲学の教授は過去の哲学者についての知識は多くあるのかもしれないけど、現在の問題をどのように解決していくか自分の頭で考えようとする人は少ないのかなと。人文学は自分の頭で物を考えることができるようになる学問でないと、人文学部が存在する意味がないと思います。今の人文学系の大学は意味のないことばかりしていて、国民の税金を無駄に使ってしまっている。営業が自分の哲学も持たず自分の頭で考えることができずに、上司の言うことだけ聞いていては会社の利益を高めることは難しいのではないかと日本の未来を心配します。
これ言葉おかしいからな。会話だから仕方ないが、影響力あるんだからまともに話して欲しい。
人文系の学者は(そのほかの分野の専門よりも広い視野も持つべきであるにも関わらず、その理想に比べて)視野が狭いということ。一般の人達に比べたらそもそも視野は広い。勘違いしないように。
そんなことねえぞ?笑
資本主義の枠の中のみで哲学を考える資本主義者の限界。今の東浩紀は反面教師として使おう。
「任期付き」を「人気付け」と誤るのかNPは
アベマTVに出てる人たち😂
あんなん論客じゃねえよ
人気付け→任期付きだと思います!
単純にウジウジ色々考える行為自体が、女々しくてあんまり色気が無くてカッコよくないから憧れない、というのはあるかもしれない。
男でも女でもつい好きになっちゃうような頼もしさと包容力と色気を感じるロックミュージシャンのような魅力がない感じ。
その点成田氏は何が良かったかというと、何より身長が高くて声が太くて渋いのが良かった。
ちょっと憧れる要素がある。仮に細くて高い声、ダサい声だったら、同じこと言っててもあんまり聞く気になれない。
草 7:07
生きろ。
🐕😺
曲がりなりにも、その人文系でメシを食ってきたような人がその事実を認めたのか。
ずーーっと前からそう思ってたよ。
訂正可能性の哲学の訂正性が、口コミなのおもろい。
こういうのは学者本人が言うと全部ブーメラン刺さるからなあ…
孫子の兵法がやたら流行った
があんなもん結果論
稲盛和夫とか昭和の頃のビジネスパーソン(誰か忘れた)の語録とか一時期流行ったけど、「人を大事にしろ」「日本式ビジネスが大事」と説きながら、日本経済は昔式のビジネススタイルに足を取られて落ちていった。ビジネス書とか流行りのフレーズとかやたら持ち上げられる逆が正解なんやろなと思う。
かなり隠岐さや香のことを念頭において言ってるんだろうな
このチャンネルに相応しいキャストですね。
ダメな社長が見る動画かな?
人文的なものに興味を持てなきゃ「識者」なんて言えないでしょ。世の中変わったね……
いやぁ数学できないやつの方がよっぽど識者とは思えません私は
数学できる奴なんかそうそうおらんぞ。
いるのは計算が早いだけなのを数学ができると言われてる奴なだけ。
ピボットの竹下さんと井上さんでメディア作ってほしいな
東さんは、ゲンロン創設者なんですね。だから茂木さんとか、ホリエモンとかと出ているんですね。早く世の中を変えて下さい
カメラ設定が酔うな
私のガールフレンドは太っているので、私を刑務所に送らないでください
川勝知事 お笑い哲学 良い例です
話者が人生哲学を構築されたのは尊重しますが学者に自分のほうが哲学をわかってるってマウントした言い方は傲慢な印象をうけましたが
それはビジネスが下手くそだからそう思うんじゃないのw
ソクラテスや老荘思想や達磨も知らない人達ばかり。実利だけで世の中は成り立ちません。失われた五十年です
自己紹介乙
アズマンは大学人に未練たらたらすぎ
人気付け→任期付き ですね
おおー
ぶっちゃけ日本の文系大学は学部ではなく出身大学でその後のキャリア、つまり人生設計がほぼ決定づけられますからね
よほどの金持ち暇人、仙人でもない限り食える大学行くのか最も現実的
おもしろい!
けど、右の人Tシャツのホコリ目立つなぁ笑
それ東お前にも言えるぜ。津田大介や三浦瑠璃と同調したりして、後で責任も取らないのがお前だろ。それお前の哲学がお前のコミニーケーション能力や人を見る能力や生きる力に全く役に立たないと言うことだ。