Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
社会に飲み込まれず、自分だけで積み上げる努力のことを「家庭菜園」と例えていたのは秀逸だと思いました。
確かに料理、絵を描く、DIYのような自分の手を使って「つくる」ような体験は唯一と言っていいほど自分という個体を通した充足感のようなものを与えてくれる気がする。
20代無職です...まさに これからの自分の方向性について、模索しているところです...
哲学者目線で「コスパ偏重いかがなものか」「脱目的性が大事」という話の入りなのに、
2年前に宮崎県に移住し、サーフィンと読書の時間を増やしました。収入は減りましたが人生が大きく変わりました。
cultivate(耕す)とculture(文化)の語源が同じであることを思い出しました。文化が大衆化して商業化してしまうことでその文化的価値が下がってしまうことに苦悩し、大衆から逃走し続けていた私にとって、お二方の言う「耕す」という言葉は深く刺さるものでした。
二十代後半から芸術の道に走ったものです。三十台に突入し、いま正直とても不安があります。それでもかつて、年収が上がるたびにどこか虚脱感があり、思い切って飛び込んでみました。超長期的に見たら、正直どうなるかが分からない(と思ってしまう若者像でしょうか笑)けど、不思議と人生の満足感はあがりました。できれば芸術家として成功したい、でも仕事のペースは落としてもゼロにはしない、そんな選択が中途半端なのではないのかと悩んでいましたが救われました。逃走と耕作、実践中です。だれかどこかで肯定してくれる人がいる。心強いです。
現代のシステムの中で労働しながら、システム内の違う場所に入るための資格取得の勉強のために時間を費やしているような日常で、「これじゃない」という思いが常にめぐっていて、苦しかったのですが、その日のノルマを端に置いて、この動画を見るように自由に自分の時間を作り、学びを取り入れている時間が、求めていた自分の生き方であって、自分の庭を耕しているような体験ができました。本当に豊かな、大事な時間は、既存のシステムや支配的な価値観の場から降りた場所にあり、だけれど世捨て人、厭世的にならないような、現実と対峙する生き方、これを目指すために努力したいと思います。
大学3年生です。最近就職活動を始めたのですが、どうにも社会に対して良いイメージが持てていませんでした。お二人の議論で問題とされていた現代の閉塞的な社会に対する個人的な実感として、いわゆる高偏差値の大学に通っているわけでもないので、大企業に入って周囲に羨まれるわけでもない、閉じられた職場で、誰でもできる代替可能な仕事をだらだらとやっていくのだろうと感じています。ドゥルーズの「逃走線」はそうした閉塞感から逃げてもいけるんだという、楽観的な見方ができるんだという勇気を貰った気がしました。
20代後半会社員ですが、すごく共感しました。
自分の畑を持つ、横の繋がり(リゾーム)結果の出ない努力はない。
リゾーム、懐かしい言葉です。
結局、コスパ思考より、網羅的に没頭しないとスペシャリストにはなれないと言うことですかね。成功だけでなく、失敗も語れる。両方全てを経験しないとイレギュラーに対応出来ないみたいな。
漠然と疑問視していた「本当の豊かさ」とは何か?に私の中で答えに近いものを掴めました。
とても優しさの溢れるお話でした。
例えどこにいても揺るがない自分、自身の根源をもっておくのは大事だな。
聞いている間色々なことが頭に浮かび、お二人の言葉と自分の考えのメモが止まりませんでした。
別のところに結果は出ていることに敏感であってくれというのが勉強になった
最終的に自分を救えるのは国や会社じゃなくて自分自身しかいないんじゃないかと考えてたここ最近の自分からするとほんとに背中を押して貰える内容でした。ありがとうございます。
とても勉強になりました。私は初老の身ですが、まだまだこれからも自分の身も心も耕して行きたいと思います。素晴らしい対談ありがとうございます。
社会に飲み込まれず、自分だけで積み上げる努力のことを「家庭菜園」と例えていたのは秀逸だと思いました。
確かに料理、絵を描く、DIYのような自分の手を使って「つくる」ような体験は唯一と言っていいほど自分という個体を通した充足感のようなものを与えてくれる気がする。
20代無職です...まさに これからの自分の方向性について、模索しているところです...
哲学者目線で「コスパ偏重いかがなものか」「脱目的性が大事」という話の入りなのに、
2年前に宮崎県に移住し、サーフィンと読書の時間を増やしました。収入は減りましたが人生が大きく変わりました。
cultivate(耕す)とculture(文化)の語源が同じであることを思い出しました。文化が大衆化して商業化してしまうことでその文化的価値が下がってしまうことに苦悩し、大衆から逃走し続けていた私にとって、お二方の言う「耕す」という言葉は深く刺さるものでした。
二十代後半から芸術の道に走ったものです。三十台に突入し、いま正直とても不安があります。それでもかつて、年収が上がるたびにどこか虚脱感があり、思い切って飛び込んでみました。超長期的に見たら、正直どうなるかが分からない(と思ってしまう若者像でしょうか笑)けど、不思議と人生の満足感はあがりました。できれば芸術家として成功したい、でも仕事のペースは落としてもゼロにはしない、そんな選択が中途半端なのではないのかと悩んでいましたが救われました。逃走と耕作、実践中です。だれかどこかで肯定してくれる人がいる。心強いです。
現代のシステムの中で労働しながら、システム内の違う場所に入るための資格取得の勉強のために時間を費やしているような日常で、「これじゃない」という思いが常にめぐっていて、苦しかったのですが、その日のノルマを端に置いて、この動画を見るように自由に自分の時間を作り、学びを取り入れている時間が、求めていた自分の生き方であって、自分の庭を耕しているような体験ができました。本当に豊かな、大事な時間は、既存のシステムや支配的な価値観の場から降りた場所にあり、だけれど世捨て人、厭世的にならないような、現実と対峙する生き方、これを目指すために努力したいと思います。
大学3年生です。最近就職活動を始めたのですが、どうにも社会に対して良いイメージが持てていませんでした。お二人の議論で問題とされていた現代の閉塞的な社会に対する個人的な実感として、いわゆる高偏差値の大学に通っているわけでもないので、大企業に入って周囲に羨まれるわけでもない、閉じられた職場で、誰でもできる代替可能な仕事をだらだらとやっていくのだろうと感じています。ドゥルーズの「逃走線」はそうした閉塞感から逃げてもいけるんだという、楽観的な見方ができるんだという勇気を貰った気がしました。
20代後半会社員ですが、すごく共感しました。
自分の畑を持つ、横の繋がり(リゾーム)結果の出ない努力はない。
リゾーム、懐かしい言葉です。
結局、コスパ思考より、網羅的に没頭しないとスペシャリストにはなれないと言うことですかね。成功だけでなく、失敗も語れる。両方全てを経験しないとイレギュラーに対応出来ないみたいな。
漠然と疑問視していた「本当の豊かさ」とは何か?に私の中で答えに近いものを掴めました。
とても優しさの溢れるお話でした。
例えどこにいても揺るがない自分、自身の根源をもっておくのは大事だな。
聞いている間色々なことが頭に浮かび、お二人の言葉と自分の考えのメモが止まりませんでした。
別のところに結果は出ていることに敏感であってくれというのが勉強になった
最終的に自分を救えるのは国や会社じゃなくて自分自身しかいないんじゃないかと考えてたここ最近の自分からするとほんとに背中を押して貰える内容でした。ありがとうございます。
とても勉強になりました。私は初老の身ですが、まだまだこれからも自分の身も心も耕して行きたいと思います。素晴らしい対談ありがとうございます。