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私はYou Tubeに溢れている哲学系の解説動画は極力見ないようにしてきました。それは、そのような解説動画の殆どが哲学の一般的な価値を語って終わりだからです。理科系の学問であればそれで構わないと思います。語り手と関係なく自然法則は客観的に存在しているのですから。しかし哲学に至っては、デカルトの考えやサルトルの考えを客観的に解説することにどれほどの価値があるのか、私はそのことに対して懐疑的です。語り手は客観的にその学問に触れ、自分はサルトルやデカルトの影に隠れ、自分自身の問題として受け止めていないからです。しかし、偶然あなたの動画を拝聴して衝撃を受けました。それは、あなたが動画の中でサルトルの考えを丁寧に解説しながらも、サルトルの考えに対する自分の違和感を堂々と語っていたからです。哲学者たちの考えを他人に語ることなど、学校で倫理を覚えたての高校生でもできると思っています。要は言葉の受け売りだからです。(勢いでこんな偉そうなことを書いていますが、私は哲学者の言うことを理解するだけでもすごいと思います。ヘーゲルやハイデガーはもちろん、仏教も私にはチンプンカンプンです。発言が矛盾しててすいません。)哲学を解説するだけでなく、その哲学に対する自分の立ち位置を(自分の言葉で)語るとなると、そのような動画は殆ど見かけなくなります。しかし面白いことに、例えばサルトルについて客観的な解説をされるよりも、サルトルに対する主観的な意見を聞いたほうが、聞き手には遥かにサルトルの思想が鮮明に映るのです。そのような哲学者の思想に対する意見を自分の言葉で語るあなたの動画は、大変貴重なものであると感じて登録させて頂きました。今後、あなたの作る動画を楽しみに待っています。活躍を祈ります。
私の場合、専門は文学なので、哲学に関しては自分の解釈を述べるしかないという悲しい事情もあるのですが、それがかえって幸いすることもあるのだな、これでいいのだなと思えました。本当にありがとうございます。マイペースでやっているので更新頻度は高くないですが、のんびり楽しんでいただけましたら幸いです😊
史上最強の哲学入門からサルトルを知り、このチャンネルに辿り着きました。サルトルの実存主義をここまで多角的に解説、評価できるなんて素晴らしいです!非常に参考になりました!全く別件ですけど、成田悠輔さんみたいな語り口で聞きやすいです笑
御視聴並びにコメント、誠にありがとうございます。どなたかの返信に書きましたが、サルトルは読者に対して親切な哲学者だと思います。結構、解りやすく書いてくれてるんですよ(翻訳者の方々の努力の賜物というのは言うまでもないとして)。成田さんについては初めて言われました。あまり詳しくないので、出演されてる動画をチェックしてみます。
とんでもないチャンネルを見つけてしまった....
編集も音質も内容も自分に刺さりすぎる
御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます。
本当に自由というものがあるのだろうか。限られた選択の自由はあるかもしれないがそれすらあやしい。人生を振り返ってターニングポイントがいくつもあったけれど、その時点では行きたくない方向に向かわされることもありました。振り返ってみるとそれでよかった・危ない所だったかもしれない、と納得することのほうが多いです(記憶として強く残っているから?)先の見えない人生だからこそ哲学したいと思うのかもしれません。ところで音声が以前より明瞭に録音されているようで聞きやすくなりました。今年も動画楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。ベンジャミン・リベットの研究結果が科学的な反証によって覆されない限り、サルトルの唱える自由の妥当性はあやういと私は思います。リベット自身、いまこの瞬間の判断に重きを置いた思想の信ぴょう性があやぶまれるようになったと書いていたはずなので、またいずれ引用してみます。機材を変えてはいないのですが、機器や体調のコンディションがよかったのかも知れません、ありがとうございます(*‘ω‘ *)
明けましておめでとうございます。今年も動画の更新を楽しみながら、少しずつ自分でも勉強していきたいと思います。今年も一年、無理なさらずに頑張ってください!
明けましておめでとうございます(*´ω`*)そのようにおっしゃっていただけるので、今年も楽しくやっていけそうです。いつも本当にありがとうございます!
初めてコメントさせて頂きます。質が高い素晴らしい動画を、日々繰り返し見聞きして楽しんでおります。ありがとうございます。今回の動画を見て、三島由紀夫がサルトルを批判していたエピソードを思い出しました。自己の保身をしつつ政治的・社会的主張を行うサルトルに対し、ダンディズムの欠如であると三島が切って捨てたことが、今回の動画を拝見し、アンガージュマンの意味を知ったことにより、納得がいきました。これからも動画更新を楽しみにしております。失礼致します。
繰り返しの御視聴ならびに初コメント、誠にありがとうございます(*´ω`*)三島由紀夫が東大全共闘との討論でサルトルが大嫌いだと表明していたのは映画で見たのですが、「ダンディズムの欠如」だと批判していたのは初めて知りました。大好きな「葉隠」などと比べて中途半端に感じられたのかも知れませんね。こちらこそ勉強になります、改めてありがとうございます(*‘ω‘ *)
サルトルは三島が自決するや『家の馬鹿息子』を発表することになったのである。
あけましておめでとうございます😄今年もご自身のペースで構わないので動画を上げ続けていただきたい、と思っております。今年もよろしくお願いします!
明けましておめでとうございます😊旧年中は本当にお世話になりました。紳士さんのおかげで、ちょっとですが、行動的になることができました。いつも、ありがとうございます。文学の他にも色んな動画を上げていく予定とのことで、楽しみにしております。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします😁
明けましておめでとうございます。祖父(70代)に勧められたこともあり、一時期キルケゴールの『死に至る病』を始めとする実存主義に傾倒していたので、興味深かったです。結局のところ、有神論的実存主義を、実践者たりうるほど理解することはキリスト教信者ではないと難しい。また無神論的実存主義単体で見れば、かなりの危険性を孕んでいる、と個人的には考えています。超越性を自己のうちに志向する(神に成り代わる)行為は、主体性の回復につながる一方で、行きすぎると独善的で偏狭になってしまう。様々な哲学を、背景にある時代や、社会的条件と共に評価して、いいとこ取りしていく相関主義的な捉え方が大切だと最近考えています。長くなりましたが、今後も動画を楽しみに待ってます。
明けましておめでとうございます(*´ω`*)おじいさまの世代で実存主義を勧められるということは、相当に教養のある方ですね。大学教授でもされていたのではないかと妄想してしまいます。サルトル、息抜きのつもりで動画にしたのですが、文学やサブカルより反響がありますので、次回は『死に至る病』やります。【有神論的実存主義を、実践者たりうるほど理解することはキリスト教信者ではないと難しい。】おっしゃる通りで、福田恆存などは西洋文学の輸入を論じる際にそこのところ的確に衝いています。原書を読めればそれでよしというわけでもないんですよね。物心つく前から周囲はみんなキリスト教徒で、教会があちこちに立っていて、教養ある大人が聖書の内容をそらんじていて……という環境で暮らしていて、ようやく分かるかどうか、という話なのだと思います。分からないということ前提で、ではそういったものを如何に血肉化していくかというところをテーマにまとめてみるつもりですが、たぶん上手くいかないので期待せずに待っていてください(;'∀')
実存主義はカッコいいんだけど、齢とってくると厳しい。べき論で言いくるめられているような不本意さがあって、段々疲れてくる。元気な時には元気をブーストしてくれるから良いけど。
今年も楽しくじっくり拝見させて頂きます。サルトルをあげられたので、今年はカミュや大江あたりを読んでいこうかなと思います。ちなみに今「死に至る病」をよんでいますが、難解で悪戦苦闘しています💦
今年もよろしくお願いします(*´ω`*)私は相性がよかったのか、『死に至る病』は割とすらすら読めた記憶があります。『不安の概念』はチンプンカンでしたが、そろそろ読めるんじゃないかという感じですね。『死に至る病』は年内にはやるつもりですので、お待ちいただければと思います(*^-^*)
あけましておめでとうございま~す。最近思うのですが、「自由」って「関係がない」ことだと思うのです。何かに対して行為を行うと行為者と被行為者(物)があるわけでそれぞれ影響を与え、受ける。これは関係ができることで、どちらも、もう「自由」ではいられなくなる。肉体自体が縁起の結果であることから生きているうちには何かしらに影響を受け与える(関係する)ので完全な「自由」にはならないのだと最近よく考えます。なので、少しでも「自由」になろうとすれば孤独にならざる得ない気がしてますが実際はむづかしい。仏陀は完全なアウトサイダーだったし。いつも動画楽しみにしてます。ことしもよろしくおねがいします。
あけましておめでとうございます(*´ω`*)確かに文脈を無視して、あらゆるものから孤立することって絶対に不可能ですね。キルケゴールなどは自分との関係について『死に至る病』で考察していますし、それこそ社会的文脈を扱ったものから、わたしとあなたという関係性にスポットを当てたものまで色々あります。今年も地道に読み進めていきたいと思います(*‘ω‘ *)
いつも楽しい動画をありがとうございます。なんというか、プロテスタンシズムの倫理と資本主義の精神に出てくる天職(与えられた仕事を勤勉にこなすみたいな話だったような)を思い出しました。天職=実存=本質みたいなイメージですが(違ったらすいません)、サルトルは天職(神)を否定し、実存的な自由を、人は自分が何者かを選べる自由を得ている。それは希望であると同時に刑罰であり、自由の孤独と不安の中で神を必要としない天職(実存)を目指していたのかなと思いました。
こちらこそ、御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます(*´ω`*)『プロテスタンティズムの倫理と……』は過去動画で何回か言及しましたが、天職観念とはルターの手掛けた聖書翻訳によって初めて登場する概念です。謂わば遅れて発明された概念なので、プリミティブな本質ないし使命とは異なると申しますか、分けて考えた方が無難だというのが私の解釈です。しかし、だからこそ「自由に作れる」という無神論的実存主義と重なるというのは面白いですね。実存と本質をイコールで結ばない方が整理しやすいと思いますよ。実存は人間という器(入れ物)だと思ってください。スピノザやヘーゲルは入れ物にもともと本質(使命)が入っていると考えます。サルトルは入れ物に本質(天職)をあとから注ぐと考える、といった感じですかね。新年早々いい刺激になりました、改めてありがとうございます(*^-^*)
存在論(存在とは何か?)について調べていったら実存主義、サルトルに出会ったのですがあまりにも自己啓発的側面が強くてギャップで笑ってしまいましたアドラーとも重なる部分を感じますし、ニーチェのような力強さもあったりして日本で人気になりそうだなー(既に人気?)と思いました動画面白かったです 主の救いになったキルケゴールもかじってみようと思います
ありがとうございます。分かりやすくなるよう、動画内では「使命」という言葉を使っていますが、これは本文中に出てきませんので御注意ください(*'ω'*)キルケゴールの『死に至る病』について動画にしたので、リンクを貼らせていただきます。お時間ありましたら、是非ご覧くださいませ。ruclips.net/video/-QNPpM62IlI/видео.html
01:20 人間は善でも悪でもなく自由であるという態度は、性善説とかいう薄気味悪い決定論よりは、ずっとマトモに見えるけど。
人間は遺伝子の乗り物だとか、構造の奴隷だとか言うよりも。
門外漢の疑問ですが、20世紀半ばくらいまではサルトルとかハイデガーとかいわゆる「哲学者」が闊歩して哲学哲学してたと思いますが、そのレールは今現在も続いてるのでしょうか、それとも哲学哲学はもう終焉し古典として読みつがれてるだけでなのでしょうか。物理や数学で言えば、アインシュタインやラマヌジャンは過去の偉人ですが、現代にもホーキングやグロモフと言った偉人級の人は未だに出現し続けていますが、私の知らないだけで現代の哲学者にもサルトルやハイデガー級の大物は出現し続けているのでしょうか。
私も門外漢ですが、文学よりいくらか勢いが良いように感じますね。サルトルの後にはレヴィ=ストロースやフーコー、デリダ、ドゥルーズなどが続きました。最近だと、メイヤスーや新実在論のマルクス・ガブリエルなどの名前をよく見聞きしますね。柄谷行人さんは齢80を超えて大きな賞を授与されただけでなく新刊を上梓されましたし、國分浩一郎さんや千葉雅也さんなど、日本の若き哲学者も元気な印象です。
お金払ってでも詳しく聞きたい話ばかりだし、動画より双方向性の強い質疑とか相談とか出来る場があったらいいのになあ、、主に家庭教師やってほしい
ありがとうございます。ちょいちょいそういうお声をいただきますので、検討してみます。
ありがとうございます、楽しみにしてます
あ〜ちょうどこの前買った。
「糧」という随筆の雰囲気がめっちゃいいですし、註釈も面白かったですよ(*‘ω‘ *)
いつも楽しい動画をありがとうございます✨今回はあくまで私の解釈なので批判ではありません。サルトルの最後の解釈についてruclips.net/video/BlRrEXT8pTs/видео.htmlのように究極 抽象度マックス(すべての矛盾かなくなった視点)の全てを包摂する空の視点から(全員が空の視点を知り、活用する)だと理論上サルトルのいうように善しか選び得ないといいますか、ただ在る、ただ体験するにつき、他者を否定する世界は有り得なくなるのかな?と感じてます。起こること全て赦し、赦され、ただただ美しいと喜ぶ。サルトルの視点の抽象度が高いと感じました。すでに縁起という完璧なブロックチェーンで私達は結ばれ、望んだ完璧な体験をしてるのであろうと思っています。だから目の前の用意された体験できる事を楽しむだけ。それに気づいた各々の世界には平和が在るのみ?…だと…多分💦私はあくまで体験からの解釈で哲学書を解析しているわけではないので、気分悪くされてほしくないなと思います🙏いつも素敵で心地良い声で様々な解釈を楽しませて頂いているファンです。こらからも動画楽しみにしています✨長文失礼しましたm(_ _)m
実存主義は、蛾の子ではない計算ですよね。
サルトルを読んだことはありませんが、「結果の如何によらず、行動したら即、自己実現」が楽観的であるというのは、サルトルが価値判断を認めないという立場である以上一貫性を感じる主張であると思いましたそれは「上手くいったら」という観測自体が無意味化した地平に立っていることを前提にしているからであって、結果の如何によらず、当人と密接に関係していることであれば、たとえそのことが後悔という形で訪れたとしても、それすら当人にとって望ましいものである、ということなのではないでしょうか?つまり、あらゆる価値判断を認めないとしながら、人生の主体性を維持するべきという当為のみを許した理論を展開しているように見えますまた、「選択が常に善である」という意味合いの部分は、例えばある人物がよくないことと知りながらも罪を犯してしまうといった場合、善悪に対する主体的選択の優越を認めているという意味ではないでしょうか?人間の本来性に目覚めれば、他人を尊重せざるを得なくなる、という部分については、大江健三郎が「願いを持たないものの祈り」という講演の中で、障がい者である息子の延命のために手術を行うか医者に問われた際、「手術を断って生まれたばかりの息子の命をなかったことにしてしまうことが、自分の命も同じようになかったことに出来てしまうことを認めることになると気づいた」と話していましたが、このような感覚の芽生えの過程の逆処理を指しているのではないでしょうか?
無神論って、そこに神が居るんじゃねーの?神が居ないと無神論成り立たない。
最近サルトルについて勉強し始めたのですが、彼は構造主義によって批判されていると聞きました。それはなぜなんでしょうか?
サルトルの実存主義はマルクス主義と結び付き、だからこそアンガージュマンとは社会運動への参加と訳されがちなわけですが、アンガジェすべき状況は西欧人による恣意的な(都合のいい)歴史観に支えられたものだとレヴィ=ストロースは未開人の文化風習を引き合いに出して批判したというのがよく言われることですね。三浦雅士さんが『青春の終焉』で分かりやすくまとめられていたので、時間があるとき該当箇所を引用しますね。
構造主義は反歴史主義であり、実際、文化人類学者レヴィ=ストロースによる親族の基本構造の分析は、時間を捨象して、世代を空間化、図式化しなければ成立しなかったのである。サルトルはレヴィ=ストロースの反歴史主義を政治的反動として批判したが、レヴィ=ストロースはサルトルの歴史主義を観念論として退けている。歴史は時代の目盛りを恣意的に設定しないかぎり成立しない、批判はこれで十分というのである。――三浦雅士『青春の終焉』(講談社学術文庫 p97)「世界史」とはイデオロギーであり、マルクス主義はこれを宗教にまで高めさえしたものの、構造主義は結果的にこのイデオロギーが機能しないことを告げたという言い方もされています(p98-99)。参考にしてください。
@@read- サルトルは歴史を「主義」にするほど馬鹿ではないと思うがな。恣意性というのは、何も信じない客観主義の死んだ世界が好きな合理主義者が嫌悪するものだが。
小林秀雄は哲学に真面目な時は、サルトルは決して軽く言わなかったがな。対談で、小説はドストエフスキーの焼き直しみたいな言い方をしてるけど。
全然自由じゃないじゃんね?
いつもありがとうございます。実存主義(というよりサルトルの思想)は、散々言われたことですが、やっぱり無責任に見えますよね笑それでも日本では依然として人気が高いようで不思議です。たしかに少年ジャンプ的な「難しいことを考えなくても、正しい心を持って全力でぶつかればなんとかなる」みたいな精神とサルトルの親和性は高いのかもしれませんが……。このタイミングでサルトルの動画をあげられたということは、サブカルチャーにサルトル思想との関連を見出されたということなのでしょうか。
こちらこそ、いつもありがとうございます(*´ω`*)「少年ジャンプ的な無責任さ」というのは言い得て妙ですね。思わず、噴き出しちまいましたよ(笑)サルトルを扱ったことに深い意味はなくて、同じテーマを続けていると、ちょっと息苦しくなるので気分転換に選びました(;'∀')キルケゴールを続けてやる予定でしたが、柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』を読み直してます。お分かりだと思いますが、70年代後半に上梓され、近代文学の終焉と向き合われているんですよね。過去動画をリメイクしたり、リアリズムに関する考察とサブカルを絡めて何か動画にできないかなと模索しています(*‘ω‘ *)
@@read- なるほど、気分転換でしたか笑。ありがとうございます。次の動画も楽しみにお待ちしております。
私はYou Tubeに溢れている哲学系の解説動画は極力見ないようにしてきました。それは、そのような解説動画の殆どが哲学の一般的な価値を語って終わりだからです。理科系の学問であればそれで構わないと思います。語り手と関係なく自然法則は客観的に存在しているのですから。
しかし哲学に至っては、デカルトの考えやサルトルの考えを客観的に解説することにどれほどの価値があるのか、私はそのことに対して懐疑的です。語り手は客観的にその学問に触れ、自分はサルトルやデカルトの影に隠れ、自分自身の問題として受け止めていないからです。
しかし、偶然あなたの動画を拝聴して衝撃を受けました。それは、あなたが動画の中でサルトルの考えを丁寧に解説しながらも、サルトルの考えに対する自分の違和感を堂々と語っていたからです。
哲学者たちの考えを他人に語ることなど、学校で倫理を覚えたての高校生でもできると思っています。要は言葉の受け売りだからです。(勢いでこんな偉そうなことを書いていますが、私は哲学者の言うことを理解するだけでもすごいと思います。ヘーゲルやハイデガーはもちろん、仏教も私にはチンプンカンプンです。発言が矛盾しててすいません。)
哲学を解説するだけでなく、その哲学に対する自分の立ち位置を(自分の言葉で)語るとなると、そのような動画は殆ど見かけなくなります。
しかし面白いことに、例えばサルトルについて客観的な解説をされるよりも、サルトルに対する主観的な意見を聞いたほうが、聞き手には遥かにサルトルの思想が鮮明に映るのです。
そのような哲学者の思想に対する意見を自分の言葉で語るあなたの動画は、大変貴重なものであると感じて登録させて頂きました。
今後、あなたの作る動画を楽しみに待っています。活躍を祈ります。
私の場合、専門は文学なので、哲学に関しては自分の解釈を述べるしかないという悲しい事情もあるのですが、それがかえって幸いすることもあるのだな、これでいいのだなと思えました。本当にありがとうございます。
マイペースでやっているので更新頻度は高くないですが、のんびり楽しんでいただけましたら幸いです😊
史上最強の哲学入門からサルトルを知り、このチャンネルに辿り着きました。
サルトルの実存主義をここまで多角的に解説、評価できるなんて素晴らしいです!
非常に参考になりました!全く別件ですけど、成田悠輔さんみたいな語り口で聞きやすいです笑
御視聴並びにコメント、誠にありがとうございます。
どなたかの返信に書きましたが、サルトルは読者に対して親切な哲学者だと思います。結構、解りやすく書いてくれてるんですよ(翻訳者の方々の努力の賜物というのは言うまでもないとして)。
成田さんについては初めて言われました。あまり詳しくないので、出演されてる動画をチェックしてみます。
とんでもないチャンネルを見つけてしまった....
編集も音質も内容も自分に刺さりすぎる
御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます。
本当に自由というものがあるのだろうか。限られた選択の自由はあるかもしれないがそれすらあやしい。人生を振り返ってターニングポイントがいくつもあったけれど、その時点では行きたくない方向に向かわされることもありました。振り返ってみるとそれでよかった・危ない所だったかもしれない、と納得することのほうが多いです(記憶として強く残っているから?)
先の見えない人生だからこそ哲学したいと思うのかもしれません。
ところで音声が以前より明瞭に録音されているようで聞きやすくなりました。今年も動画楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
ベンジャミン・リベットの研究結果が科学的な反証によって覆されない限り、サルトルの唱える自由の妥当性はあやういと私は思います。リベット自身、いまこの瞬間の判断に重きを置いた思想の信ぴょう性があやぶまれるようになったと書いていたはずなので、またいずれ引用してみます。機材を変えてはいないのですが、機器や体調のコンディションがよかったのかも知れません、ありがとうございます(*‘ω‘ *)
明けましておめでとうございます。
今年も動画の更新を楽しみながら、少しずつ自分でも勉強していきたいと思います。
今年も一年、無理なさらずに頑張ってください!
明けましておめでとうございます(*´ω`*)
そのようにおっしゃっていただけるので、今年も楽しくやっていけそうです。いつも本当にありがとうございます!
初めてコメントさせて頂きます。
質が高い素晴らしい動画を、日々繰り返し見聞きして楽しんでおります。ありがとうございます。
今回の動画を見て、三島由紀夫がサルトルを批判していたエピソードを思い出しました。
自己の保身をしつつ政治的・社会的主張を行うサルトルに対し、ダンディズムの欠如であると三島が切って捨てたことが、今回の動画を拝見し、アンガージュマンの意味を知ったことにより、納得がいきました。
これからも動画更新を楽しみにしております。
失礼致します。
繰り返しの御視聴ならびに初コメント、誠にありがとうございます(*´ω`*)
三島由紀夫が東大全共闘との討論でサルトルが大嫌いだと表明していたのは映画で見たのですが、「ダンディズムの欠如」だと批判していたのは初めて知りました。大好きな「葉隠」などと比べて中途半端に感じられたのかも知れませんね。こちらこそ勉強になります、改めてありがとうございます(*‘ω‘ *)
サルトルは三島が自決するや『家の馬鹿息子』を発表することになったのである。
あけましておめでとうございます😄
今年もご自身のペースで構わないので動画を上げ続けていただきたい、と思っております。
今年もよろしくお願いします!
明けましておめでとうございます😊
旧年中は本当にお世話になりました。紳士さんのおかげで、ちょっとですが、行動的になることができました。いつも、ありがとうございます。
文学の他にも色んな動画を上げていく予定とのことで、楽しみにしております。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします😁
明けましておめでとうございます。
祖父(70代)に勧められたこともあり、一時期キルケゴールの『死に至る病』を始めとする実存主義に傾倒していたので、興味深かったです。
結局のところ、有神論的実存主義を、実践者たりうるほど理解することはキリスト教信者ではないと難しい。
また無神論的実存主義単体で見れば、かなりの危険性を孕んでいる、と個人的には考えています。超越性を自己のうちに志向する(神に成り代わる)行為は、主体性の回復につながる一方で、行きすぎると独善的で偏狭になってしまう。
様々な哲学を、背景にある時代や、社会的条件と共に評価して、いいとこ取りしていく相関主義的な捉え方が大切だと最近考えています。
長くなりましたが、今後も動画を楽しみに待ってます。
明けましておめでとうございます(*´ω`*)
おじいさまの世代で実存主義を勧められるということは、相当に教養のある方ですね。大学教授でもされていたのではないかと妄想してしまいます。サルトル、息抜きのつもりで動画にしたのですが、文学やサブカルより反響がありますので、次回は『死に至る病』やります。
【有神論的実存主義を、実践者たりうるほど理解することはキリスト教信者ではないと難しい。】おっしゃる通りで、福田恆存などは西洋文学の輸入を論じる際にそこのところ的確に衝いています。原書を読めればそれでよしというわけでもないんですよね。物心つく前から周囲はみんなキリスト教徒で、教会があちこちに立っていて、教養ある大人が聖書の内容をそらんじていて……という環境で暮らしていて、ようやく分かるかどうか、という話なのだと思います。
分からないということ前提で、ではそういったものを如何に血肉化していくかというところをテーマにまとめてみるつもりですが、たぶん上手くいかないので期待せずに待っていてください(;'∀')
実存主義はカッコいいんだけど、齢とってくると厳しい。
べき論で言いくるめられているような不本意さがあって、段々疲れてくる。
元気な時には元気をブーストしてくれるから良いけど。
今年も楽しくじっくり拝見させて頂きます。サルトルをあげられたので、今年はカミュや大江あたりを読んでいこうかなと思います。
ちなみに今「死に至る病」をよんでいますが、難解で悪戦苦闘しています💦
今年もよろしくお願いします(*´ω`*)
私は相性がよかったのか、『死に至る病』は割とすらすら読めた記憶があります。『不安の概念』はチンプンカンでしたが、そろそろ読めるんじゃないかという感じですね。『死に至る病』は年内にはやるつもりですので、お待ちいただければと思います(*^-^*)
あけましておめでとうございま~す。最近思うのですが、「自由」って「関係がない」ことだと思うのです。何かに対して行為を行うと行為者と被行為者(物)があるわけでそれぞれ影響を与え、受ける。これは関係ができることで、どちらも、もう「自由」ではいられなくなる。肉体自体が縁起の結果であることから生きているうちには何かしらに影響を受け与える(関係する)ので完全な「自由」にはならないのだと最近よく考えます。なので、少しでも「自由」になろうとすれば孤独にならざる得ない気がしてますが実際はむづかしい。仏陀は完全なアウトサイダーだったし。いつも動画楽しみにしてます。ことしもよろしくおねがいします。
あけましておめでとうございます(*´ω`*)
確かに文脈を無視して、あらゆるものから孤立することって絶対に不可能ですね。キルケゴールなどは自分との関係について『死に至る病』で考察していますし、それこそ社会的文脈を扱ったものから、わたしとあなたという関係性にスポットを当てたものまで色々あります。今年も地道に読み進めていきたいと思います(*‘ω‘ *)
いつも楽しい動画をありがとうございます。
なんというか、プロテスタンシズムの倫理と資本主義の精神に出てくる天職(与えられた仕事を勤勉にこなすみたいな話だったような)を思い出しました。天職=実存=本質みたいなイメージですが(違ったらすいません)、サルトルは天職(神)を否定し、実存的な自由を、人は自分が何者かを選べる自由を得ている。それは希望であると同時に刑罰であり、自由の孤独と不安の中で神を必要としない天職(実存)を目指していたのかなと思いました。
こちらこそ、御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます(*´ω`*)
『プロテスタンティズムの倫理と……』は過去動画で何回か言及しましたが、天職観念とはルターの手掛けた聖書翻訳によって初めて登場する概念です。謂わば遅れて発明された概念なので、プリミティブな本質ないし使命とは異なると申しますか、分けて考えた方が無難だというのが私の解釈です。
しかし、だからこそ「自由に作れる」という無神論的実存主義と重なるというのは面白いですね。実存と本質をイコールで結ばない方が整理しやすいと思いますよ。実存は人間という器(入れ物)だと思ってください。スピノザやヘーゲルは入れ物にもともと本質(使命)が入っていると考えます。サルトルは入れ物に本質(天職)をあとから注ぐと考える、といった感じですかね。新年早々いい刺激になりました、改めてありがとうございます(*^-^*)
存在論(存在とは何か?)について調べていったら実存主義、サルトルに出会ったのですがあまりにも自己啓発的側面が強くてギャップで笑ってしまいました
アドラーとも重なる部分を感じますし、ニーチェのような力強さもあったりして日本で人気になりそうだなー(既に人気?)と思いました
動画面白かったです 主の救いになったキルケゴールもかじってみようと思います
ありがとうございます。分かりやすくなるよう、動画内では「使命」という言葉を使っていますが、これは本文中に出てきませんので御注意ください(*'ω'*)
キルケゴールの『死に至る病』について動画にしたので、リンクを貼らせていただきます。お時間ありましたら、是非ご覧くださいませ。
ruclips.net/video/-QNPpM62IlI/видео.html
01:20 人間は善でも悪でもなく自由であるという態度は、性善説とかいう薄気味悪い決定論よりは、ずっとマトモに見えるけど。
人間は遺伝子の乗り物だとか、構造の奴隷だとか言うよりも。
門外漢の疑問ですが、20世紀半ばくらいまではサルトルとかハイデガーとかいわゆる「哲学者」が闊歩して哲学哲学してたと思いますが、そのレールは今現在も続いてるのでしょうか、それとも哲学哲学はもう終焉し古典として読みつがれてるだけでなのでしょうか。物理や数学で言えば、アインシュタインやラマヌジャンは過去の偉人ですが、現代にもホーキングやグロモフと言った偉人級の人は未だに出現し続けていますが、私の知らないだけで現代の哲学者にもサルトルやハイデガー級の大物は出現し続けているのでしょうか。
私も門外漢ですが、文学よりいくらか勢いが良いように感じますね。サルトルの後にはレヴィ=ストロースやフーコー、デリダ、ドゥルーズなどが続きました。最近だと、メイヤスーや新実在論のマルクス・ガブリエルなどの名前をよく見聞きしますね。柄谷行人さんは齢80を超えて大きな賞を授与されただけでなく新刊を上梓されましたし、國分浩一郎さんや千葉雅也さんなど、日本の若き哲学者も元気な印象です。
お金払ってでも詳しく聞きたい話ばかりだし、動画より双方向性の強い質疑とか相談とか出来る場があったらいいのになあ、、主に家庭教師やってほしい
ありがとうございます。ちょいちょいそういうお声をいただきますので、検討してみます。
ありがとうございます、楽しみにしてます
あ〜ちょうどこの前買った。
「糧」という随筆の雰囲気がめっちゃいいですし、註釈も面白かったですよ(*‘ω‘ *)
いつも楽しい動画をありがとうございます✨
今回はあくまで私の解釈なので
批判ではありません。
サルトルの最後の解釈について
ruclips.net/video/BlRrEXT8pTs/видео.html
のように
究極 抽象度マックス(すべての矛盾かなくなった視点)の
全てを包摂する
空の視点から(全員が空の視点を知り、活用する)だと
理論上サルトルのいうように
善しか選び得ないといいますか、
ただ在る、ただ体験するにつき、
他者を否定する世界は有り得なくなるのかな?と感じてます。
起こること全て赦し、赦され、
ただただ美しいと喜ぶ。
サルトルの視点の抽象度が高いと感じました。
すでに縁起という完璧なブロックチェーンで私達は結ばれ、望んだ完璧な体験をしてるのであろうと思っています。
だから目の前の用意された体験できる事を楽しむだけ。
それに気づいた各々の世界には
平和が在るのみ?…だと…多分💦
私はあくまで体験からの解釈で
哲学書を解析しているわけではないので、気分悪くされてほしくないなと思います🙏
いつも素敵で心地良い声で様々な解釈を楽しませて頂いているファンです。
こらからも動画楽しみにしています✨
長文失礼しましたm(_ _)m
実存主義は、蛾の子ではない計算ですよね。
サルトルを読んだことはありませんが、「結果の如何によらず、行動したら即、自己実現」が楽観的であるというのは、サルトルが価値判断を認めないという立場である以上一貫性を感じる主張であると思いました
それは「上手くいったら」という観測自体が無意味化した地平に立っていることを前提にしているからであって、結果の如何によらず、当人と密接に関係していることであれば、たとえそのことが後悔という形で訪れたとしても、それすら当人にとって望ましいものである、ということなのではないでしょうか?
つまり、あらゆる価値判断を認めないとしながら、人生の主体性を維持するべきという当為のみを許した理論を展開しているように見えます
また、「選択が常に善である」という意味合いの部分は、例えばある人物がよくないことと知りながらも罪を犯してしまうといった場合、善悪に対する主体的選択の優越を認めているという意味ではないでしょうか?
人間の本来性に目覚めれば、他人を尊重せざるを得なくなる、という部分については、大江健三郎が「願いを持たないものの祈り」という講演の中で、障がい者である息子の延命のために手術を行うか医者に問われた際、「手術を断って生まれたばかりの息子の命をなかったことにしてしまうことが、自分の命も同じようになかったことに出来てしまうことを認めることになると気づいた」と話していましたが、このような感覚の芽生えの過程の逆処理を指しているのではないでしょうか?
無神論って、そこに神が居るんじゃねーの?神が居ないと無神論成り立たない。
最近サルトルについて勉強し始めたのですが、彼は構造主義によって批判されていると聞きました。それはなぜなんでしょうか?
サルトルの実存主義はマルクス主義と結び付き、だからこそアンガージュマンとは社会運動への参加と訳されがちなわけですが、アンガジェすべき状況は西欧人による恣意的な(都合のいい)歴史観に支えられたものだとレヴィ=ストロースは未開人の文化風習を引き合いに出して批判したというのがよく言われることですね。
三浦雅士さんが『青春の終焉』で分かりやすくまとめられていたので、時間があるとき該当箇所を引用しますね。
構造主義は反歴史主義であり、実際、文化人類学者レヴィ=ストロースによる親族の基本構造の分析は、時間を捨象して、世代を空間化、図式化しなければ成立しなかったのである。サルトルはレヴィ=ストロースの反歴史主義を政治的反動として批判したが、レヴィ=ストロースはサルトルの歴史主義を観念論として退けている。歴史は時代の目盛りを恣意的に設定しないかぎり成立しない、批判はこれで十分というのである。――三浦雅士『青春の終焉』(講談社学術文庫 p97)
「世界史」とはイデオロギーであり、マルクス主義はこれを宗教にまで高めさえしたものの、構造主義は結果的にこのイデオロギーが機能しないことを告げたという言い方もされています(p98-99)。参考にしてください。
@@read- サルトルは歴史を「主義」にするほど馬鹿ではないと思うがな。恣意性というのは、何も信じない客観主義の死んだ世界が好きな合理主義者が嫌悪するものだが。
小林秀雄は哲学に真面目な時は、サルトルは決して軽く言わなかったがな。対談で、小説はドストエフスキーの焼き直しみたいな言い方をしてるけど。
全然自由じゃないじゃんね?
いつもありがとうございます。
実存主義(というよりサルトルの思想)は、散々言われたことですが、やっぱり無責任に見えますよね笑
それでも日本では依然として人気が高いようで不思議です。たしかに少年ジャンプ的な「難しいことを考えなくても、正しい心を持って全力でぶつかればなんとかなる」みたいな精神とサルトルの親和性は高いのかもしれませんが……。
このタイミングでサルトルの動画をあげられたということは、サブカルチャーにサルトル思想との関連を見出されたということなのでしょうか。
こちらこそ、いつもありがとうございます(*´ω`*)
「少年ジャンプ的な無責任さ」というのは言い得て妙ですね。思わず、噴き出しちまいましたよ(笑)サルトルを扱ったことに深い意味はなくて、同じテーマを続けていると、ちょっと息苦しくなるので気分転換に選びました(;'∀')
キルケゴールを続けてやる予定でしたが、柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』を読み直してます。お分かりだと思いますが、70年代後半に上梓され、近代文学の終焉と向き合われているんですよね。過去動画をリメイクしたり、リアリズムに関する考察とサブカルを絡めて何か動画にできないかなと模索しています(*‘ω‘ *)
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なるほど、気分転換でしたか笑。ありがとうございます。
次の動画も楽しみにお待ちしております。