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この47人の内の1人がばあちゃんの祖先で当時使われた武器が家の倉庫に眠ってます笑見た目が宝戟ぽくてどっかから仏さんからパクってきたやつかと思ってたらまさかこの事件で使われたものとは…最初聞いた時はほんとにびっくりでした😅
2:39全く関係ないけど現代にありそうな靴下だね
着眼点草
戦国鍋でこれを知りどんなものなのか調べていましたが歌詞との点と線が繋がり初心者にもわかりやすかったです。
有名な討ち入り。改めて勉強になりました。
年末になると見たくなりますね最近はテレビでも忠臣蔵をやらなくなって寂しいです
武士の切腹はこの頃は扇腹(短刀の代わりに扇を腹に当てる振りをする)などが流行り、切腹は形式だけになってたそうです。因みに…武士が切腹する前に食べたものとして鮗(このしろ)が挙げられますがこれ『この城(鮗)を食べる』という意味や、焼くと死体の死体がするという意味で武士に忌み嫌われたからそうです(鮗の別名…腹切魚)武士が嫌った食べ物として秋刀魚や鰯などの下魚、マグロ(別名シビ(死日))、フグ(ふぐの毒で死なないように。伊藤博文が明治時代に解禁した)、きゅうり(断面が葵の紋に似てるため)が有名です。
しっかり荻生徂徠に触れるのは流石ですね!今から見ると全然美談には思えないですが、あの荻生徂徠でさえも斬首を主張しなかったのは興味深いですね。
義経の話もそうだけど、何百年も後世の日本人を勘違いさせる訳だから江戸時代の歌舞伎脚本家がいかに優秀だったかがわかりますね。
私の歴史好きはこの事件の本からでした。歴史の事件の中でも特に感慨深いです。先日も東京へ行った折、泉岳寺に立ち寄りました。最初に述べられたとおり、最近ではこの事件を知らない若者が多いような気がします。残念です。
俵星玄蕃ってどんな内容なのかよく分からず調べていくうちにここへ辿り着きました!分かりやすかったです!
受験のときにめっちゃ見てました!おすすめに出てきたので久しぶりに見てみた…!
この話、何度聞いても美談に聞こえない
正解です。内匠頭と赤穂浪士はただの乱暴狼藉です。歌舞伎から始まる『忠臣蔵』に日本国中洗脳されてますから。
あくまでも、儒学の考え方での話です。 今は美談に思えないのは当たり前と言えば当たり前ですね。
昔、年末になるとたいてい2時間ドラマで『忠臣蔵』が放送されていたのものです。自分は子どもでしたがむちゃくちゃ感動しましたし年末の楽しみのひとつでしたね。最近はあまり放送されなくなって寂しいです。今年の年末はどうかな‥。
最近の教科書にも載ってることほとんどないしねぇ
毎年同じ内容でやってたんですか?
@@モカ-y3c 同じ内容、というか、各局でそれぞれぜんぜん違うキャストで制作されていたと思います。内容も少しずつ違っていたとは思いますがラストの討ち入りのシーンはどのバージョンも迫力があったと思います。
@@macfut502 各局やってたんですね!いろいろ教えて下さりありがとうございます🙇♀️
吉良はかつて今川の支配下であったためめちゃめちゃ影響でたかもしれませんね~
吉良さん実は良い人説あるから何とも言えないよなこれ。あと、テレビで赤穂浪士やらなくなったのは何で何だろう
今までの説では吉良はクズ!みたいな感じだったけど、最近は吉良って別にクズじゃなくね?みたいになって只々浅野がぶっ壊れただけだから、やりづらくなったんじゃね?
めちゃくちゃお金がかかるんですって。松の廊下とか、吉良邸とかのセット。一方で昔みたいに「豪華です!」だけでは視聴率が取れるわけでもない…。「忠義!」に共感する人も減ってるでしょうしね。
実際は老中の前でボロカスに言われ面目を潰されたからなんだけど、今年(だったと思う)フィリピンで同じことがあり日本人がパキューンされましたw
ありがとう。久しぶりにお話を聞いて涙がでました。
因みに吉良家というのは、あの足利家の分家です
91年NHK大河ドラマ「太平記」で足利尊氏が爺と頼った三河分家の山内明さんが演じた吉良貞義ですね。
いきなり浅野にキレられて切られて、そののち隠居して、平和に過ごしていたら、夜中にテロにやられてしまったおじいちゃん(´・_・`)
一緒にいるとき上司にボロカスに言ってた浅野にムカついた。面目を潰されたので遂にキレた。赤穂藩士からすると親分が切腹なのは当たり前だが「喧嘩両成敗」にならなかったので自分たちで成し遂げた。・・・そんなお話です。
@@taroyamada6685 ボロカスにいわれてムカついていた、というのは記録に残った事実なんでしょうか?
浅野長矩が「遺恨があった」と言ってるので間違いなく遺恨はあった。それが何なのか本人は語っていない。いろんな文献にいろいろ書いてあるので消去法で最後に残るのがソレしかないかなと。理由とされていることの中で「された側は覚えていて、した側は覚えていないこと」って何があると思う?
吉良上野介が小刀を抜いていれば喧嘩になりますが、抜いていないので内匠頭が乱心して一方的に斬りつけた(通り魔に襲われたのと同じ)と幕閣は裁定しています吉良が小刀を抜いていないと証言したのは内匠頭を押さえつけた梶川そのため喧嘩両成敗は成り立たず、内匠頭は切腹、吉良はお咎め無しとなっています
乱心じゃないことは幕府の公式記録に記載されています。事件の時に近くにいて取り押さえた梶川頼照(日記がある)によると「遺恨ありと叫んでいた」「大声で叫ぶなと注意したら黙った」幕府の取り調べ記録も「遺恨の為と言っていたが内容は語らず」とされています。乱心説については遺恨とは何かを吉良上野介に確認したところ「身に覚えがない。乱心したのではないか。」と答えたとあります。
忠臣蔵の話はおかしい。浅野を処刑したのは幕府なんだから赤穂浪士の仇は幕府、綱吉としか思えないのになぜ吉良が仇なんだ。浪士はやり場のない怒りを、幕府は感情任せに裁定を下した落ち度を認めたくないために、庶民は権力者に逆らえないために吉良を悪役に祭りげてしまっていると思うと一番の被害者は吉良であるとしか思えず、忠臣蔵の話はとても美談と思えず好きにはなれない。
三権が幕府にある時代に江戸城内で刀を抜くと切腹と決まっていましたね! つまり裁判長は将軍の綱吉でした!何もおかしくありません。この民主の時代に裁判官に判決の文句を言うようなものです。
事の発端は老中の前で浅野の面目を潰した吉良にある。切腹覚悟で刃傷沙汰を起こしたのだから相当なことを言われたのでしょう。刃傷沙汰は切腹と言うのは藩士も同意しているので藩主の切腹は理解しているが片方が刀を抜いた時点で喧嘩成立な決まり。なのに「喧嘩両成敗」じゃなく「片落ち」になってるので自分たちで成立させた。道理をとおした感じですね。
日本史bのテスト範囲がちょうどここら辺だから助かってます。
いつも楽しみにしていて、大変助けられます‼︎浅野がなんかイケメンですねw
松の廊下の刃傷事件はこの後も起きました。松本藩水野家の水野忠恒が長府藩世子の毛利師就に切りかかった事件がありました。これにより松本藩は改易になりましたが、この赤穂事件のこともあり、一族により旗本として存続が許されました。後にその旗本の一族が大名になり沼津藩として残ることになりました。ちなみに俳優の鶴見辰吾さんの祖先はこの松本藩の水野家の家臣であり、水野家が改易された後も残りました。そして沼津藩の家臣として残ったようです。
次は曽我兄弟をして欲しいです!
3:08 風さそう花よりもなお我はまた
あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の橋にかかる雲なし
不思議ですが本当に 涙が出て出て 若いときは深く心読めず 還暦となりまたより深くかんじお墓参りに行く決意 家族はそれがいいと納得する😂もしどこかに時代に後縁があったら 共に心して男として武士として仕えていたのでしょうか😢
無駄な知識かも知れないけど大河ドラマの主人公で一番取り上げられているのは大石内蔵助。2作目赤穂浪士 長谷川一夫20作目峠の群像 緒形拳38作目元禄繚乱 18代目中村勘三郎
このサムネの絵は誰が書いたものでしょうか…
吉良邸襲撃は軍事作戦として見たらかなり緻密に練られていると聞いたことがありますし、幕府の要人達も復讐の矛先が自分達に向かわなくてよかったと胸を撫で下ろしたかもしれませんまた、吉良家の親戚であった米沢藩上杉家も吉良上野介義央護衛のため援軍を出す予定だったそうですし(幕府の説得で無しに)対応次第では江戸の街が大坂の陣以来の本格的な戦闘の戦場になる恐れもありかなりヒヤヒヤしたと思われます
山鹿素行の兵法ですね。討ち入り作戦には“一向二裏”の教えも活用されていたとか。
大石内蔵助は30年前にあった浄瑠璃坂の仇討ちを、そっくり真似していますよ集団で歩いていても怪しまれない火事装束を着て、寝入っている未明に屋敷に斬り込んでいるのは、浄瑠璃坂とまったく同じです赤穂浪士と浄瑠璃坂の違いは、浄瑠璃坂は仇討ち後、多数が他家に再士官していますそのため切腹して果てた赤穂浪士の影に隠れてしまい現代では、ほとんど忘れられてしまっています討ち入りとしては浄瑠璃坂のほうが見どころが多いんですよね屋敷に斬り込み、10数人を斬るも仇は不在、「くやしければ追ってこい」と書き残して、ゆっくりと引き上げているところに仇が手勢をひきいて追ってくる江戸城の牛込御門前で斬り合いになり、仇を討ち取るという赤穂浪士よりも派手な仇討ちでした興味のある方はぜひ調べてみてください
なんで最近テレビは恒例の赤穂浪士年末ドラマやめちゃったんでしょうね。
浅野が吉良を斬りつけるに至った背景やお咎め無しの理由を何故説明しないのだろうか?
「いろは」の話とかも欲しいですよね
空港から都内まで、いつも素通りしてた泉岳寺がかの有名な浅野内匠頭のお墓があるお寺だったとは...
今年八月六本木の美術館に行った時泉岳寺に寄り、義士達の墓に手を合わせて来ました。
地元が赤穂の隣町なので、赤穂義士の方の生家とか井戸が近所にあります12月14日は赤穂義士祭で赤穂の学校は休校になってお祭りいけるのが楽しかったです
この事件もいろんな角度で描かれてるね食べ物の視点で見るのも面白いよ浪士たちは討ち入りの直前に蕎麦を食べて腹ごしらえ泉岳寺までの道中会津の殿様から甘酒を貰ったとか泉岳寺の住職から梅干し入りの茶漬けとナスビのぬか漬けをご馳走になったとか浪士の1人の赤垣源三は仲良しの女中に仏壇には冷えた酒と素麺を供えてほしいと遺言を
吉良義央は浅野になんかしたの?何故お咎めなしで怒る人たちがいるの???
7ヶ月前のコメに失礼この時代は「喧嘩両成敗」が当たり前だったから、吉良へのお咎めなしという判決に怒ったのではないでしょうか
百冊くらい本を読めば。読めれば自分のアホの発言がわかるよ
先祖の浅野長政も結構気性荒かったらしいしそういう意味では先祖返りだったんだろうか…?w「舐められたら殺す」の自力救済の中世気質最後の残り火ってやつかな(綱吉時代になって殉死も抑制されたし)
赤穂浅野家の御家断絶に関しては国元と江戸で違う動きを見せていました。国元は赤穂浅野家の再興を考えており、江戸の家臣たちは次の就職先を考えていたようです。ところが、浅野内匠頭の弟の浅野大学が本家’(広島藩)預かりとなったことで討ち入りと言う結論に至ったようです。
文楽、歌舞伎の忠臣蔵では塩冶判官として描かれている浅野内匠頭、吉良上野介は高師直、大石内蔵助は大星由良之助、その中でも斧九太夫、斧定九郎のモデルって誰だろう?寅さんの啖呵売の一部に(家業三年の煩いと思って諦めます!浅野内匠頭じゃないが腹切ったつもりでマケましょう!)と出て来ます!
浅野内匠頭が吉良に対して怒った理由は、他の城主たちは、小判などの金目のものをくれるのに、浅野内匠頭は鰹節を渡したので、赤穂馬鹿にしたことです。それだけ自分の民を思っていたと思います。
浅野殿!浅野殿!松の廊下で袴引っ張ったら舌を噛むであろう!
忠臣蔵を全然知らずにたまたま読んだ雑学本に浅野がとても無能だったと書かれていました。あの時代に47人が東京へ行き死罪覚悟で復讐をしている時点でそれ以上のものがあったと想像力をかき立てられますね
史実はそうではないようですね。
浅野内匠頭、勅旨の仕事2回目です。
スナイパー映画「極大射程」の原作のシリーズの中に「四十七人目の男」という赤穂浪士の討ち入りをモチーフにした小説があります。ぶっちゃけ外国人の描く変な日本ですが、海外でも結構知られているのかな?
鬱屈した時代にエンタメ化したから有名なんですね。現代で言うスキャンダルってことでしょうか。
ワンピの赤鞘九人男と似てますよね笑
よく言われるのが、徳川家にとって三河時代以来、今川の名代で矢作川利権の仇敵だった、高家の吉良家をこれ幸いと言い掛かりを付けて取り潰しただけの事件。ついでにやはり憎き関ヶ原の上杉家に圧力をかける理由にもなったので、一石二鳥どころか、四鳥、五鳥並みの美味しいイベントだった。
逆に浅野本家は豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の実家筋だから、赤穂分家だから改易になったが浅野本家が相手ならば家格から浅野が勝っていたでしょうね。
「本当は参加したくなかったなぁ」ってやつもいたのかなぁ?
赤穂時代からかなりの脱落者が発生してるから、それはない
ドラマは中の物語創作が多く事実浅野内匠頭は精神不安定だった可能性濃厚との事で今の令和では若い年層には忠義とは何かピンと来ないと思います
皆さんの言う"諸説"を全然知らないんですが、確度の低い憶測を排し、複数の証拠から確度が高いと思われる話をまとめたら、本動画のようになるのでしょうか。人物の気持ちや背後にあった事実があまり描かれていない本動画だと、赤穂浪士たちに感情移入がしにくいですね。
Samuras have to be grown up & mature. Beyond loyalty, we have to adopt independent individuality.
赤穂事件は、歴史的には小さな出来事だが、看過できない史実である。その理由は「大石内蔵助の情勢判断と意思決定の的確性」にある。江戸からの第一報を聞いてから最後の討ち入りに至る過程で、諸々の戦略的・戦術的要素を含む複雑な状況下において、大石はその都度合理的かつ最善の行動を選択したと思う。この大石の頭脳と胆力は、真似できない。尊敬に値する。
忠臣蔵はあくまでも後世の創作。事実は闇の中だが最近の研究では浅野内匠頭錯乱による逆恨み説が浮上。吉良上野介はとんだとばっちりで悪者扱い。
吉央の実の娘が父は強欲と書き残してますよ
「この間の遺恨、覚えたるか」ではなく、「上野介め」と言って切りかかりました。大勢の前で「田舎者」と罵られて頭に来て切りかかったのが真相です。後から聞いた関白近衛基弘は、「珍事、珍事」と日記に書いていますし、当時の東山天皇も面白がりました。朝廷の人間は、みんな吉良が嫌いでしたので、そういう事になったのでしょう。身内からは、「切りつけられたのは、身から出た錆」と酷評されていますし、はるかに奥は深いです。古文書に目を通されると、もっと面白い話題が出て来ますから、一度は目を通される事をお勧めします。
大石 良雄の「良雄」は「よしお」と読むのではなく「よしたか」と飲むのが正しいです。以前TVで大石内蔵助の直系子孫の男性が系図を見せて「よしたか」が正しいと述べてましたので間違いないです。系図にも「よしたか」とふりがながふってありました。
吉良が死亡したならば、浅野内匠頭への切腹命令も赤穂の藩士達は納得はしてましたが、後は吉良の浅い傷なので、内匠頭は弟と領地交換させたら良かったのですがね!
完全に逆恨みでしょ今の時代だったらなんで被害者がお咎めを受けないといけないんだよって言うやつがほとんどだろうけど昔は被害者にも非はあるだろうって考えだったんだな
👍👍👍
忠臣蔵の話は美談とされているが自分は全くそうは思わない。吉良が悪役とされているのは完全な物語上の創作でどちらが悪いのかはわからない。幕府が当初にきちんと理由をはっきりさず感情任せの裁定を下したのが一番悪いと思うが赤穂浪士も庶民も権力者である幕府は非難せず、幕府も己の過ちを認めず吉良を悪役に祭り上げてしまっている。
まぁまぁ日本人はこの手の話が好きなんだよ昭和の時代は映画で平気でヤクザものが大ヒットしてたその全てが義理人情の話忠臣蔵も日本人向けにアレンジされたのは周知の事実さ
@@正大定時なるほど
吉良が賄賂を受けとっていたというものの、トヨタ自動車の担当者が下請けに夜の費用をつけてくるレベルの話でしょう。
浅野内匠頭の赤穂浅野家は分家で、芸州(広島)が浅野本家、元々は紀州(和歌山)を治めていて豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の実家にあたるのですね。この高家吉良家vs赤穂浅野家の戦いが吉良の息子米沢藩上杉家Ⅴ浅野本家となっていれば浅野本家が無条件で勝って吉良・上杉は負けていたと言われてますね。足利一門で祖先は上杉謙信の吉良・上杉も「秀吉ゆかりの家系」浅野家には勝てなかったようです。
浅野長政の子孫?
浅野内匠頭が接待役だったというのは誤解で、接待にかかった費用を払うだけの役だったそうです。二人接点はほとんど無く、実際上野介は何故斬られたのか本当に分からなかった、らしいです。上野介が隠れて見つかってから命乞いしたのも全く嘘で、実際は自ら刀をもって斬りあったと言うのが、正しい。と言う人もいます。諸説有るようですが、本当のところはどうなんでしょうか?
信頼のおける本を読みなさい、自分で
これはテレビで学者が言ってた説です。
ならそれを、明記しろ卑怯者が
日本人の思い違い『義士』の主君は『名君』『義士』は『暗君』に仕えても『義士』だから『義士』と呼ばれるんだよね。
殿中でござる!
忠臣蔵は、仮名手本忠臣蔵が原点のいわゆる創作作品。忠臣蔵の時代は、五代将軍綱吉の時で、この頃は元禄時代のバブル景気真っ只中。江戸は好景気に湧き、庶民の暮らしは、長い江戸時代でも多分屈指の良かったはず。だから、赤穂浪士の敵討ちに庶民の同情を引く事は、ほぼ考えられません。暮らしが良くて、楽しいのに、幕府の政策に反発する事はありえないと思います。もしかしたら、刃傷松の廊下も、赤穂浪士の討ち入りも、無かったのかも。吉良上野介公は、幕府の命に逆らい、幕府から手討ちにされたような気がします。もちろん、私個人の身勝手な解釈ですけど…。
大石内蔵助良雄の良雄はよしおじゃなくてよしかつです
忠臣蔵っていえば津軽と上杉!
現代の立場から見ると、「固定観念vs固定観念」を見せられてるだけのような…ただただ苦痛。でも今気づいたんですけど、江戸城内って国家の中枢なのに、武器持ち込み可なのね。
ネクタイと同じで正式な場には必須なものという感覚で良いかと。刀を抜いた時点で社長は命を取られて副社長含む全社員は職を失い、退職金は株主に返還した後に余ったものを分配するだけなので普通はそんなことはしませんが
この話は今の若者は知らない。時代劇がなくなったから。いつもの動画に比べると少しもの足らない。吉良が受け取っていた賄賂の問題は重要。綱吉が母親菩提の日の刃傷沙汰に感情的になっていたこと。林信篤と荻生徂徠の対決も外せない。さらに、事後の幕府による赤穂浪士の遺児たちへの連座報復も重要。
当時は幕府の公認ですよ、賄賂と言うよりは顧問料に近いかな。逆に送っていない赤穂浅野家はお前に教わる事など無い‼️と啖呵を切るのと一緒です。(内匠の頭の方が当時としては非常識です)後、連座制は当時は有りました(連座制が無くなるのは吉宗時代)。特に赤穂浪士の子供達だけに適用された訳ではありません。ただ子供達を士分として流刑にしているのは幕府の温情かな。
歴史事実を現代の倫理観・習慣で語るほど愚かしいことは無い歴史歪曲の第一歩だね
@@56513haruka 私のコメントに言っているのかな? だったら江戸幕府の仕組みをを理解してから言って欲しいな❗忠臣蔵と呼ばれる物語は八割以上創作の結晶だとお分かりだとは思うけど、それに引きずられる様に赤穂事件も創作の話がいつの間にか真実とされているのもご存知では?
@@ならかなら 君は※欄の仕組みを知るのが先だねあと、不確かな事でケンカ売るのはやめたほうが良いよ二重に恥を掻いていることを認識した方が良い
塩の利権で吉良と浅野は揉めていたという一説を親から聞いたが。
それはウソ。まず自分で勉強しなさい
「この間の遺恨おぼえたか」と、言って切り付けた…なんですが、これは羽交締めにした梶川の日記にだけ記されています。しかも松の廊下刃傷事件から数年後に書かれたもの。本当にそう言って切り付けたのか⁉️⁉️⁉️なんです。推測だが無言で…が、正しいと思われます。
ある識者が昔、語っていたの思い出した。アメリカの大学で、日本で年末になると放映される大人気の赤穂浪士のあらましを客観的に講演したら大半の学生はダーティーなのは浅野、大石達。悲劇の被害者は吉良であり、何で日本人が此の事件を美談と語り継ぐのか理解に苦しむと言われたそうです。欧米には騎士道精神があります。そのバックボーンはフェアー精神で、「不意打ち、背後から襲う、丸腰の者を撃つ」は末代まで笑いものにされるそうです。根拠は 1、浅野の非常識「物覚えが悪いので吉良に嫌味を言われる。刃傷ご法度の城中で背後への切りつけ 」 2.大石の非常識「事件の裁定が不服なら幕府に向けるべき。相手を油断させ寝込みを襲った(宣戦布告無しのパールハーバーの奇襲をほうふつさせる )」 3.吉良の悲劇「規約を守って刀を抜かずに一方的に切りつけられた。自身は殺され、関係無い養子義周は深手を負い若死にした。事件のせいでお家断絶になった」
killer上野介!Σ( ̄□ ̄;)💧
ストーリーは分かりやすくて面白かったけど、馴染みが無い世代だと江戸で起きたのか赤穂で起きたのかサラッと流されてて、分かりにくかったです。地理や地名知ってるのが前提の作りでしたね。
歌舞伎の演目でもてはやされる話しは、大概が大犯罪者のエピソード…正雪とか忠治とか
でも、それにしても・・大石内蔵助始め国元の家臣達は江戸城内での主君内匠頭の刃傷の一報に接した時「殿はとんでもない事をしでかしてくれた、これで藩はとり潰しは免れまい」と言うのが正直な感情だったのではないか?いくら封建制社会、武家社会とは言えそれが人間としては当然の感情だと思う。
この当時に「ニンゲン」はいない。武士と凡下と言う庶民≒農民・町民と極少数の公家・僧侶神職など自分の勉強不足を棚に上げて好き勝手なこと言わない
そもそも、わずか数週間の接待役業務すら耐えられなかった内匠頭は中2病か?吉良さん程度の上司からのパワハラなど、いくらでもあるぜさらに自国・赤穂藩士たちの暮らしを忘れて、独りでキレてしまった殿中・松の廊下!この行為こそ、主君としてはあってはならないことではあるが、ひとたび刃を抜いてからも武人として33歳で60歳の吉良(現代換算だと80歳相当の老人)に不意打ちでありながら撃ちもらすなんて、剣スキルが稚拙すぎる「脇差し」って刃渡り30-60センチで、ダガーナイフよりよっぽと殺傷力あるっしょ→ その結果、47名の藩士が翌年に尻拭いをしなくてはならなくなった
いちこめ!!!
松の廊下で切りつけでなく刺していれば、また止めに入らなければ、後の討ち入りは無かった?か?
この47人の内の1人がばあちゃんの祖先で当時使われた武器が家の倉庫に眠ってます笑
見た目が宝戟ぽくてどっかから仏さんからパクってきたやつかと思ってたらまさかこの事件で使われたものとは…
最初聞いた時はほんとにびっくりでした😅
2:39全く関係ないけど現代にありそうな靴下だね
着眼点草
戦国鍋でこれを知りどんなものなのか調べていましたが歌詞との点と線が繋がり初心者にもわかりやすかったです。
有名な討ち入り。
改めて勉強になりました。
年末になると見たくなりますね
最近はテレビでも忠臣蔵をやらなくなって寂しいです
武士の切腹はこの頃は扇腹(短刀の代わりに扇を腹に当てる振りをする)などが流行り、切腹は形式だけになってたそうです。
因みに…武士が切腹する前に食べたものとして鮗(このしろ)が挙げられますがこれ『この城(鮗)を食べる』という意味や、焼くと死体の死体がするという意味で武士に忌み嫌われたからそうです(鮗の別名…腹切魚)
武士が嫌った食べ物として秋刀魚や鰯などの下魚、マグロ(別名シビ(死日))、フグ(ふぐの毒で死なないように。伊藤博文が明治時代に解禁した)、きゅうり(断面が葵の紋に似てるため)が有名です。
しっかり荻生徂徠に触れるのは流石ですね!今から見ると全然美談には思えないですが、あの荻生徂徠でさえも斬首を主張しなかったのは興味深いですね。
義経の話もそうだけど、何百年も後世の日本人を勘違いさせる訳だから
江戸時代の歌舞伎脚本家がいかに優秀だったかがわかりますね。
私の歴史好きはこの事件の本からでした。歴史の事件の中でも特に感慨深いです。先日も東京へ行った折、泉岳寺に立ち寄りました。最初に述べられたとおり、最近ではこの事件を知らない若者が多いような気がします。残念です。
俵星玄蕃ってどんな内容なのかよく分からず調べていくうちにここへ辿り着きました!分かりやすかったです!
受験のときにめっちゃ見てました!おすすめに出てきたので久しぶりに見てみた…!
この話、何度聞いても美談に聞こえない
正解です。内匠頭と赤穂浪士はただの乱暴狼藉です。
歌舞伎から始まる『忠臣蔵』に日本国中洗脳されてますから。
あくまでも、儒学の考え方での話です。 今は美談に思えないのは当たり前と言えば当たり前ですね。
昔、年末になるとたいてい2時間ドラマで『忠臣蔵』が放送されていたのものです。自分は子どもでしたがむちゃくちゃ感動しましたし年末の楽しみのひとつでしたね。
最近はあまり放送されなくなって寂しいです。今年の年末はどうかな‥。
最近の教科書にも載ってることほとんどないしねぇ
毎年同じ内容でやってたんですか?
@@モカ-y3c 同じ内容、というか、各局でそれぞれぜんぜん違うキャストで制作されていたと思います。内容も少しずつ違っていたとは思いますがラストの討ち入りのシーンはどのバージョンも迫力があったと思います。
@@macfut502 各局やってたんですね!
いろいろ教えて下さりありがとうございます🙇♀️
吉良はかつて今川の支配下であったためめちゃめちゃ影響でたかもしれませんね~
吉良さん実は良い人説あるから何とも言えないよなこれ。あと、テレビで赤穂浪士やらなくなったのは何で何だろう
今までの説では吉良はクズ!みたいな感じだったけど、最近は吉良って別にクズじゃなくね?みたいになって只々浅野がぶっ壊れただけだから、やりづらくなったんじゃね?
めちゃくちゃお金がかかるんですって。
松の廊下とか、吉良邸とかのセット。
一方で昔みたいに「豪華です!」だけでは視聴率が取れるわけでもない…。
「忠義!」に共感する人も減ってるでしょうしね。
実際は老中の前でボロカスに言われ面目を潰されたからなんだけど、今年(だったと思う)フィリピンで同じことがあり日本人がパキューンされましたw
ありがとう。久しぶりにお話を聞いて涙がでました。
因みに吉良家というのは、あの足利家の分家です
91年NHK大河ドラマ「太平記」で足利尊氏が爺と頼った三河分家の山内明さんが演じた吉良貞義ですね。
いきなり浅野にキレられて切られて、そののち隠居して、平和に過ごしていたら、夜中にテロにやられてしまったおじいちゃん(´・_・`)
一緒にいるとき上司にボロカスに言ってた浅野にムカついた。
面目を潰されたので遂にキレた。
赤穂藩士からすると親分が切腹なのは当たり前だが「喧嘩両成敗」にならなかったので自分たちで成し遂げた。
・・・そんなお話です。
@@taroyamada6685 ボロカスにいわれてムカついていた、というのは記録に残った事実なんでしょうか?
浅野長矩が「遺恨があった」と言ってるので間違いなく遺恨はあった。
それが何なのか本人は語っていない。
いろんな文献にいろいろ書いてあるので消去法で最後に残るのがソレしかないかなと。
理由とされていることの中で「された側は覚えていて、した側は覚えていないこと」って何があると思う?
吉良上野介が小刀を抜いていれば喧嘩になりますが、抜いていないので内匠頭が乱心して一方的に斬りつけた(通り魔に襲われたのと同じ)と幕閣は裁定しています
吉良が小刀を抜いていないと証言したのは内匠頭を押さえつけた梶川
そのため喧嘩両成敗は成り立たず、内匠頭は切腹、吉良はお咎め無しとなっています
乱心じゃないことは幕府の公式記録に記載されています。
事件の時に近くにいて取り押さえた梶川頼照(日記がある)によると「遺恨ありと叫んでいた」「大声で叫ぶなと注意したら黙った」幕府の取り調べ記録も「遺恨の為と言っていたが内容は語らず」とされています。
乱心説については遺恨とは何かを吉良上野介に確認したところ「身に覚えがない。乱心したのではないか。」と答えたとあります。
忠臣蔵の話はおかしい。浅野を処刑したのは幕府なんだから赤穂浪士の仇は幕府、綱吉としか思えないのになぜ吉良が仇なんだ。浪士はやり場のない怒りを、幕府は感情任せに裁定を下した落ち度を認めたくないために、庶民は権力者に逆らえないために吉良を悪役に祭りげてしまっていると思うと一番の被害者は吉良であるとしか思えず、忠臣蔵の話はとても美談と思えず好きにはなれない。
三権が幕府にある時代に江戸城内で刀を抜くと切腹と決まっていましたね! つまり裁判長は将軍の綱吉でした!何もおかしくありません。この民主の時代に裁判官に判決の文句を言うようなものです。
事の発端は老中の前で浅野の面目を潰した吉良にある。
切腹覚悟で刃傷沙汰を起こしたのだから相当なことを言われたのでしょう。
刃傷沙汰は切腹と言うのは藩士も同意しているので藩主の切腹は理解しているが片方が刀を抜いた時点で喧嘩成立な決まり。
なのに「喧嘩両成敗」じゃなく「片落ち」になってるので自分たちで成立させた。
道理をとおした感じですね。
日本史bのテスト範囲がちょうどここら辺だから助かってます。
いつも楽しみにしていて、大変助けられます‼︎
浅野がなんかイケメンですねw
松の廊下の刃傷事件はこの後も起きました。
松本藩水野家の水野忠恒が長府藩世子の毛利師就に切りかかった事件がありました。
これにより松本藩は改易になりましたが、この赤穂事件のこともあり、一族により旗本として存続が許されました。
後にその旗本の一族が大名になり沼津藩として残ることになりました。
ちなみに俳優の鶴見辰吾さんの祖先はこの松本藩の水野家の家臣であり、水野家が改易された後も残りました。
そして沼津藩の家臣として残ったようです。
次は曽我兄弟をして欲しいです!
3:08 風さそう花よりもなお我はまた
あら楽し
思いは晴るる身は捨つる
浮世の橋にかかる雲なし
不思議ですが本当に 涙が出て出て 若いときは深く心読めず 還暦となりまたより深くかんじお墓参りに行く決意 家族はそれがいいと納得する😂もしどこかに時代に後縁があったら 共に心して男として武士として仕えていたのでしょうか😢
無駄な知識かも知れないけど大河ドラマの主人公で一番取り上げられているのは大石内蔵助。
2作目赤穂浪士 長谷川一夫
20作目峠の群像 緒形拳
38作目元禄繚乱 18代目中村勘三郎
このサムネの絵は誰が書いたものでしょうか…
吉良邸襲撃は軍事作戦として見たらかなり緻密に練られていると聞いたことがありますし、幕府の要人達も復讐の矛先が自分達に向かわなくてよかったと胸を撫で下ろしたかもしれません
また、吉良家の親戚であった米沢藩上杉家も吉良上野介義央護衛のため援軍を出す予定だったそうですし(幕府の説得で無しに)対応次第では江戸の街が大坂の陣以来の本格的な戦闘の戦場になる恐れもありかなりヒヤヒヤしたと思われます
山鹿素行の兵法ですね。
討ち入り作戦には“一向二裏”の教えも活用されていたとか。
大石内蔵助は30年前にあった浄瑠璃坂の仇討ちを、そっくり真似していますよ
集団で歩いていても怪しまれない火事装束を着て、寝入っている未明に屋敷に斬り込んでいるのは、浄瑠璃坂とまったく同じです
赤穂浪士と浄瑠璃坂の違いは、浄瑠璃坂は仇討ち後、多数が他家に再士官しています
そのため切腹して果てた赤穂浪士の影に隠れてしまい現代では、ほとんど忘れられてしまっています
討ち入りとしては浄瑠璃坂のほうが見どころが多いんですよね
屋敷に斬り込み、10数人を斬るも仇は不在、「くやしければ追ってこい」と書き残して、ゆっくりと引き上げているところに仇が手勢をひきいて追ってくる
江戸城の牛込御門前で斬り合いになり、仇を討ち取るという赤穂浪士よりも派手な仇討ちでした
興味のある方はぜひ調べてみてください
なんで最近テレビは恒例の赤穂浪士年末ドラマやめちゃったんでしょうね。
浅野が吉良を斬りつけるに至った背景やお咎め無しの理由を何故説明しないのだろうか?
「いろは」の話とかも欲しいですよね
空港から都内まで、いつも素通りしてた泉岳寺がかの有名な浅野内匠頭のお墓があるお寺だったとは...
今年八月六本木の美術館に行った時泉岳寺に寄り、義士達の墓に手を合わせて来ました。
地元が赤穂の隣町なので、赤穂義士の方の生家とか井戸が近所にあります
12月14日は赤穂義士祭で赤穂の学校は休校になってお祭りいけるのが楽しかったです
この事件も
いろんな角度で
描かれてるね
食べ物の視点で
見るのも面白いよ
浪士たちは
討ち入りの直前に
蕎麦を食べて腹ごしらえ
泉岳寺までの道中
会津の殿様から
甘酒を貰ったとか
泉岳寺の住職から
梅干し入りの茶漬けと
ナスビのぬか漬けを
ご馳走になったとか
浪士の1人の赤垣源三は
仲良しの女中に
仏壇には冷えた酒と素麺を
供えてほしいと遺言を
吉良義央は浅野になんかしたの?何故お咎めなしで怒る人たちがいるの???
7ヶ月前のコメに失礼
この時代は「喧嘩両成敗」が当たり前だったから、吉良へのお咎めなしという判決に怒ったのではないでしょうか
百冊くらい本を読めば。読めれば自分のアホの発言がわかるよ
先祖の浅野長政も結構気性荒かったらしいしそういう意味では先祖返りだったんだろうか…?w「舐められたら殺す」の自力救済の中世気質最後の残り火ってやつかな(綱吉時代になって殉死も抑制されたし)
赤穂浅野家の御家断絶に関しては国元と江戸で違う動きを見せていました。
国元は赤穂浅野家の再興を考えており、江戸の家臣たちは次の就職先を考えていたようです。
ところが、浅野内匠頭の弟の浅野大学が本家’(広島藩)預かりとなったことで討ち入りと言う結論に至ったようです。
文楽、歌舞伎の忠臣蔵では塩冶判官として描かれている浅野内匠頭、吉良上野介は高師直、大石内蔵助は大星由良之助、その中でも斧九太夫、斧定九郎のモデルって誰だろう?寅さんの啖呵売の一部に(家業三年の煩いと思って諦めます!浅野内匠頭じゃないが腹切ったつもりでマケましょう!)と出て来ます!
浅野内匠頭が吉良に対して怒った理由は、他の城主たちは、小判などの金目のものをくれるのに、浅野内匠頭は鰹節を渡したので、赤穂馬鹿にしたことです。
それだけ自分の民を思っていたと思います。
浅野殿!浅野殿!松の廊下で袴引っ張ったら舌を噛むであろう!
忠臣蔵を全然知らずにたまたま読んだ雑学本に浅野がとても無能だったと書かれていました。あの時代に47人が東京へ行き死罪覚悟で復讐をしている時点でそれ以上のものがあったと想像力をかき立てられますね
史実はそうではないようですね。
浅野内匠頭、勅旨の仕事2回目です。
スナイパー映画「極大射程」の原作のシリーズの中に「四十七人目の男」という
赤穂浪士の討ち入りをモチーフにした小説があります。
ぶっちゃけ外国人の描く変な日本ですが、海外でも結構知られているのかな?
鬱屈した時代にエンタメ化したから有名なんですね。現代で言うスキャンダルってことでしょうか。
ワンピの赤鞘九人男と似てますよね笑
よく言われるのが、徳川家にとって三河時代以来、今川の名代で矢作川利権の仇敵だった、高家の吉良家をこれ幸いと言い掛かりを付けて取り潰しただけの事件。
ついでにやはり憎き関ヶ原の上杉家に圧力をかける理由にもなったので、一石二鳥どころか、四鳥、五鳥並みの美味しいイベントだった。
逆に浅野本家は豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の実家筋だから、赤穂分家だから改易になったが浅野本家が相手ならば家格から浅野が勝っていたでしょうね。
「本当は参加したくなかったなぁ」ってやつもいたのかなぁ?
赤穂時代からかなりの脱落者が発生してるから、それはない
ドラマは中の物語創作が多く事実浅野内匠頭は精神不安定だった可能性濃厚との事で今の令和では若い年層には忠義とは何かピンと来ないと思います
皆さんの言う"諸説"を全然知らないんですが、確度の低い憶測を排し、複数の証拠から確度が高いと思われる話をまとめたら、本動画のようになるのでしょうか。
人物の気持ちや背後にあった事実があまり描かれていない本動画だと、赤穂浪士たちに感情移入がしにくいですね。
Samuras have to be grown up & mature.
Beyond loyalty, we have to adopt independent individuality.
赤穂事件は、歴史的には小さな出来事だが、看過できない史実である。その理由は「大石内蔵助の情勢判断と意思決定の的確性」にある。江戸からの第一報を聞いてから最後の討ち入りに至る過程で、諸々の戦略的・戦術的要素を含む複雑な状況下において、大石はその都度合理的かつ最善の行動を選択したと思う。この大石の頭脳と胆力は、真似できない。尊敬に値する。
忠臣蔵はあくまでも後世の創作。事実は闇の中だが最近の研究では浅野内匠頭錯乱による逆恨み説が浮上。吉良上野介はとんだとばっちりで悪者扱い。
吉央の実の娘が父は強欲と書き残してますよ
「この間の遺恨、覚えたるか」
ではなく、
「上野介め」
と言って切りかかりました。
大勢の前で「田舎者」と罵られて頭に来て切りかかったのが真相です。
後から聞いた関白近衛基弘は、「珍事、珍事」と日記に書いていますし、当時の東山天皇も面白がりました。
朝廷の人間は、みんな吉良が嫌いでしたので、そういう事になったのでしょう。
身内からは、「切りつけられたのは、身から出た錆」と酷評されていますし、はるかに奥は深いです。
古文書に目を通されると、もっと面白い話題が出て来ますから、一度は目を通される事をお勧めします。
大石 良雄の「良雄」は「よしお」と読むのではなく「よしたか」と飲むのが正しいです。以前TVで大石内蔵助の直系子孫の男性が系図を見せて「よしたか」が正しいと述べてましたので間違いないです。系図にも「よしたか」とふりがながふってありました。
吉良が死亡したならば、浅野内匠頭への切腹命令も赤穂の藩士達は納得はしてましたが、後は吉良の浅い傷なので、内匠頭は弟と領地交換させたら良かったのですがね!
完全に逆恨みでしょ
今の時代だったらなんで被害者がお咎めを受けないといけないんだよって言うやつがほとんどだろうけど昔は被害者にも非はあるだろうって考えだったんだな
👍👍👍
忠臣蔵の話は美談とされているが自分は全くそうは思わない。吉良が悪役とされているのは完全な物語上の創作でどちらが悪いのかはわからない。幕府が当初にきちんと理由をはっきりさず感情任せの裁定を下したのが一番悪いと思うが赤穂浪士も庶民も権力者である幕府は非難せず、幕府も己の過ちを認めず吉良を悪役に祭り上げてしまっている。
まぁまぁ
日本人はこの手の話が好きなんだよ
昭和の時代は映画で平気でヤクザものが大ヒットしてた
その全てが義理人情の話
忠臣蔵も日本人向けにアレンジされたのは周知の事実さ
@@正大定時
なるほど
吉良が賄賂を受けとっていたというものの、トヨタ自動車の担当者が下請けに夜の費用をつけてくるレベルの話でしょう。
浅野内匠頭の赤穂浅野家は分家で、芸州(広島)が浅野本家、元々は紀州(和歌山)を治めていて豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の実家にあたるのですね。この高家吉良家vs赤穂浅野家の戦いが吉良の息子米沢藩上杉家Ⅴ浅野本家となっていれば浅野本家が無条件で勝って吉良・上杉は負けていたと言われてますね。足利一門で祖先は上杉謙信の吉良・上杉も「秀吉ゆかりの家系」浅野家には勝てなかったようです。
浅野長政の子孫?
浅野内匠頭が接待役だったというのは誤解で、接待にかかった費用を払うだけの役だったそうです。二人接点はほとんど無く、実際上野介は何故斬られたのか本当に分からなかった、らしいです。上野介が隠れて見つかってから命乞いしたのも全く嘘で、実際は自ら刀をもって斬りあったと言うのが、正しい。と言う人もいます。諸説有るようですが、本当のところはどうなんでしょうか?
信頼のおける本を読みなさい、自分で
これはテレビで学者が言ってた説です。
ならそれを、明記しろ
卑怯者が
日本人の思い違い『義士』の主君は『名君』
『義士』は『暗君』に仕えても『義士』だから『義士』と呼ばれるんだよね。
殿中でござる!
忠臣蔵は、仮名手本忠臣蔵が原点のいわゆる創作作品。
忠臣蔵の時代は、五代将軍綱吉の時で、この頃は元禄時代のバブル景気真っ只中。
江戸は好景気に湧き、庶民の暮らしは、長い江戸時代でも多分屈指の良かったはず。
だから、赤穂浪士の敵討ちに庶民の同情を引く事は、ほぼ考えられません。
暮らしが良くて、楽しいのに、幕府の政策に反発する事はありえないと思います。
もしかしたら、刃傷松の廊下も、赤穂浪士の討ち入りも、無かったのかも。
吉良上野介公は、幕府の命に逆らい、幕府から手討ちにされたような気がします。
もちろん、私個人の身勝手な解釈ですけど…。
大石内蔵助良雄
の良雄は
よしお
じゃなくて
よしかつ
です
忠臣蔵っていえば津軽と上杉!
現代の立場から見ると、「固定観念vs固定観念」を見せられてるだけのような…ただただ苦痛。
でも今気づいたんですけど、江戸城内って国家の中枢なのに、武器持ち込み可なのね。
ネクタイと同じで正式な場には必須なものという感覚で良いかと。
刀を抜いた時点で社長は命を取られて副社長含む全社員は職を失い、退職金は株主に返還した後に余ったものを分配するだけなので普通はそんなことはしませんが
この話は今の若者は知らない。時代劇がなくなったから。いつもの動画に比べると少しもの足らない。吉良が受け取っていた賄賂の問題は重要。綱吉が母親菩提の日の刃傷沙汰に感情的になっていたこと。林信篤と荻生徂徠の対決も外せない。さらに、事後の幕府による赤穂浪士の遺児たちへの連座報復も重要。
当時は幕府の公認ですよ、賄賂と言うよりは顧問料に近いかな。逆に送っていない赤穂浅野家はお前に教わる事など無い‼️と啖呵を切るのと一緒です。(内匠の頭の方が当時としては非常識です)
後、連座制は当時は有りました(連座制が無くなるのは吉宗時代)。特に赤穂浪士の子供達だけに適用された訳ではありません。ただ子供達を士分として流刑にしているのは幕府の温情かな。
歴史事実を現代の倫理観・習慣で語るほど愚かしいことは無い
歴史歪曲の第一歩だね
@@56513haruka 私のコメントに言っているのかな?
だったら江戸幕府の仕組みをを理解してから言って欲しいな❗
忠臣蔵と呼ばれる物語は八割以上創作の結晶だとお分かりだとは思うけど、それに引きずられる様に赤穂事件も創作の話がいつの間にか真実とされているのもご存知では?
@@ならかなら 君は※欄の仕組みを知るのが先だね
あと、不確かな事でケンカ売るのはやめたほうが良いよ
二重に恥を掻いていることを認識した方が良い
塩の利権で吉良と浅野は揉めていたという一説を親から聞いたが。
それはウソ。まず自分で勉強しなさい
「この間の遺恨おぼえたか」と、言って切り付けた…なんですが、これは羽交締めにした梶川の日記にだけ記されています。しかも松の廊下刃傷事件から数年後に書かれたもの。本当にそう言って切り付けたのか⁉️⁉️⁉️なんです。推測だが無言で…が、正しいと思われます。
ある識者が昔、語っていたの思い出した。
アメリカの大学で、日本で年末になると放映される大人気の赤穂浪士のあらましを客観的に講演したら大半の学生はダーティーなのは浅野、大石達。悲劇の被害者は吉良
であり、何で日本人が此の事件を美談と語り継ぐのか理解に苦しむと言われたそうです。
欧米には騎士道精神があります。そのバックボーンはフェアー精神で、「不意打ち、背後から襲う、丸腰の者を撃つ」は末代まで笑いものにされるそうです。
根拠は 1、浅野の非常識「物覚えが悪いので吉良に嫌味を言われる。刃傷ご法度の城中で背後への切りつけ 」
2.大石の非常識「事件の裁定が不服なら幕府に向けるべき。相手を油断させ寝込みを襲った(宣戦布告無しのパールハーバーの奇襲をほうふつさせる )」
3.吉良の悲劇「規約を守って刀を抜かずに一方的に切りつけられた。自身は殺され、関係無い養子義周は深手を負い若死にした。事件のせいでお家断絶になった」
killer上野介!Σ( ̄□ ̄;)💧
ストーリーは分かりやすくて面白かったけど、馴染みが無い世代だと江戸で起きたのか赤穂で起きたのかサラッと流されてて、分かりにくかったです。地理や地名知ってるのが前提の作りでしたね。
歌舞伎の演目でもてはやされる話しは、大概が大犯罪者のエピソード…正雪とか忠治とか
でも、それにしても・・大石内蔵助始め国元の家臣達は江戸城内での主君内匠頭の刃傷の一報に接した時「殿はとんでもない事をしでかしてくれた、これで藩はとり潰しは免れまい」と言うのが正直な感情だったのではないか?いくら封建制社会、武家社会とは言えそれが人間としては当然の感情だと思う。
この当時に「ニンゲン」はいない。武士と凡下と言う庶民≒農民・町民と極少数の公家・僧侶神職など
自分の勉強不足を棚に上げて好き勝手なこと言わない
そもそも、わずか数週間の接待役業務すら耐えられなかった内匠頭は中2病か?
吉良さん程度の上司からのパワハラなど、いくらでもあるぜ
さらに自国・赤穂藩士たちの暮らしを忘れて、独りでキレてしまった殿中・松の廊下!
この行為こそ、主君としてはあってはならないことではあるが、ひとたび刃を抜いてからも
武人として33歳で60歳の吉良(現代換算だと80歳相当の老人)に不意打ちでありながら
撃ちもらすなんて、剣スキルが稚拙すぎる
「脇差し」って刃渡り30-60センチで、ダガーナイフよりよっぽと殺傷力あるっしょ
→ その結果、47名の藩士が翌年に尻拭いをしなくてはならなくなった
いちこめ!!!
松の廊下で切りつけでなく刺していれば、また止めに入らなければ、後の討ち入りは無かった?か?