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諸葛亮が仕事をやりすぎてたってのは確かにあるんでしょうけど、だからこそ人民や兵士も「あの人がこれだけ頑張ってるんだから…」って、異常ともいえる北伐にもついていけたのかもしれませんね。
関羽の北伐…諸葛亮の隆中策は呉との同盟の亀裂で崩れ、滅亡寸前だったところでどうにか復活させたのに、北伐では凉州制圧まであと一歩の所で、時間稼ぎを任命したお気に入りの部下が勝とうとして失敗し(しかも責任放棄して逃げるし)、第4次では司馬懿の軍に勝ったのに郭淮の兵糧補給と長雨で敗戦となり、第5次でも陽動に成功したのに川の増水に阻まれる。大国の魏にワンちゃんイけるところまでは持ってけるのにどこかで必ず失敗の原因(ミスとか不運)が出てしまっている。「主君を得ても時を得ていない」というのは演義の言葉だけど、こういう史実があるからそんな言葉もできたんかなって思いました。
今回も地図を利用して当時の軍の展開を想像しやすく、かつ分かりやすい解説で大変おもしろかったです!次の動画楽しみにしています。
司馬懿さすがの忍耐力。仮病を貫いて、針で刺されても微動だにしなかった逸話を思い出しました。
やはり魏が油断していた第一次北伐が最大のチャンスだったんだな。
バショクよ
唯一にして最大のチャンスでしたね。夷陵であれだけの被害を受けていなければもっと有利に戦えたでしょうが…。
@@atushiogawa4489 まあ、あそこまで再起不能レベルのボコボコになってたからこそ魏が油断してくれたとも言える。何にせよ、第一北伐のガイ亭だけがチャンスだったのは間違いない
結果的に馬謖が街亭を守り切って、隴西を手に入れても維持できるかどうか。新手の兵を次々に繰り出せる魏に対して、蜀の兵は限られてる。隴西に兵を出して持久戦をさせ、別働隊を漢中に出せば守り切れるかどうか。漢中を失えば退路を断たれる。諸葛亮の性格なら、隴西を捨てて漢中に引き返すだろう。やっぱり北伐は無理ゲー。
とにかく馬謖。首切られるだけのことはしてる
諸葛亮のすごいところは、5度も北伐を行えたところにある。全滅することもなく。
もう第5次北伐まで泣また三国志でもいろいろな戦いを取り上げてくださると幸いです
これだけでも、ハンニバルのすごさがわかる。
秋風五丈原…季節も相まって悲しい響きですよね…
アップから40秒で視聴できたことに感謝。あの蒼空極みはいずこであろうのう・・・
楽しみにしてました!!ありがとうございます!!
長安と隴右との連絡を断つと見せかけた陽動によって魏軍の隙を誘い、一気に中央突破を図る戦術眼に加え、呉軍との連携によって魏の兵力を分散させる政治含みの巨視的な戦略眼ミクロとマクロのどちらの計略でも卓越していた諸葛亮は、最期まで運に恵まれなかったのだな……しかも死後のことまで計算に入れている辺り、もはや自分のことを蜀を支える部品の一つとでも思っていたのかもしれんね
高祖の時みたく有能な家臣が綺羅星の如く集まり敵が暴君とかならまだだだけど乗っ取った田舎の蜀で魏相手にするのは中々厳しいよね、、蜀は守るには適してると思うけど打って出るには地形がどうにもきついね蜀はよく戦ったとは思うけど
蜀軍に限らないけど有能な軍師、宰相が早世すると残されたものに負担がのしかかるね龐統と法正がいてくれたら諸葛亮ももしかしたら・・・
魏側から仕掛けなくても良いことに気づかれてしまったのが季漢の悲しみ
スリキンの司馬懿と曹叡のやり取り好き、蜀は荊州さえ失わなければ…とどうしても考えてしまう、後諸葛亮は1人で背負い込みすぎなんだよ
孔明没後の様々な戦役も取り上げて頂けたら嬉しいです😊
魏の層の厚さよ
応援してます!
やっぱり国力と人材の差は大きいよね。五丈原以降、魏には郭淮が引き続き対蜀方面に居座り続け、以降、陳泰やら、鐘会、鄧艾等名将が続々と輩出。蜀は呉懿、呉班、王平、馬忠、鄧芝、張嶷といった良将たちが次々と没して、以降は将が小粒な人材しか出てこない。これじゃいくら姜維が有能だろうが国力が貧弱だし、外様が故に人望も乏しく北伐なんて無理ゲーだったね。やっぱり関羽が荊州を失陥したこと、劉備が夷陵で派手にやらかした事が後々になってボディブローの如く効いてきてるわな。
諸葛亮が自分が何でも出来てしまってやってしまうが為に下の者が育たず、それまでいた武将達がなくなると小粒の者しかいなくなくなったのでは。加藤清正の故事にもあるが、清正が何でも自分で片付けてしまう為加藤家の藩士は育たず、加藤家改易後は役立たずばっかだと仕官にも苦労したという。度重なる北伐の失敗の繰り返しで国力を疲弊させたことと後継の武将達の育成失敗と。生きている間は良かったが、諸葛亮は自分がいなくなった後のことに関しては失敗の種を残し過ぎた。
@@ねこのしっぽ-r9p 馬謖や李厳、魏延らの運用方法を見るに、諸葛亮は劉備や曹操、あるいは司馬懿のように人を見る目も育てる力もなかったんだろう。諸葛亮の場合は自分でもそれをわかっていたから自分が生きている間に何度失敗しても北伐を敢行した感じもあってせつない。
横山三国志の知識しか無いけど関羽が没してから確かにボロボロ感ありましたね
国力、兵站の面で不利な蜀が魏を討つというのは蜀の成り立ちを考えれば必要不可欠な訳で。それでも夷陵のように大敗すれば如何に天然の要害で守られてるとはいえ一気に存亡の危機になる。難しい舵取りをおこなっていたのだろうなと思います。孔明が思い切って成都を離れる事が出来たのは孔明のバランス感覚は勿論ですが蒋琬、費禕、董允と優秀な政治家達がいたからで孔明の没後、更に言えば費禕が暗殺された後姜維が軍事権を握り北伐を度々起こしたが政治的な面を顧みず蜀は疲弊しとうとう滅亡したのを考えれば孔明は現実をしっかり見れていて、それでも亡き先帝劉備の願いを叶える為に戦い続けたんやなと、やはり傑物です。
諸葛亮も劉備が大軍溶かしたり関羽が荊州奪われたりしなかったら 万全の状態で北伐に向かえたのにな。辺境の蜀から進軍となれば行くだけで多大な労力。
なるほど詳しい😊
位置関係が分かると 戦略も分かり易いですね🥺💦 ありがとうございました😊☀️🇯🇵
第4次北伐で司馬懿をコテンパンにやっつけたのもそうだが、魏は蜀側の攻撃に弱く、孔明が攻めに転じた時は必ず負けていると歴史研究家が言っていたが、もし孔明が極端な慎重さを捨てて積極攻勢に出ていたら、歴史は少し違うものになっていたかもしれませんね。もし龐統が生きていて、孔明ではなく戦略家の龐統が指揮を執って北伐をやったらどうなっていたのかなと。司馬懿や曹真とどんな戦いをしたのだろうかと考えてしまいます。まぁたらればの話しになるけど。
解説わかりやすいです。ありがとうございます。
蜀にとって諸葛亮の死は星が落ちたのと同然のようなものだろうな
蜀は諸葛孔明の存在ひとつで魏を恐れさせていたもんな。よくやったよ。合掌。
実際に五丈原に行って見てみると、すごい良い位置に陣を構えてるんだよな蜀軍はでも明らかに持久戦の構えだから、自分の病気のことをどう思ってたんやろ
実際に分析すると当時の蜀戦力では要所を押さえても魏軍進行を止める術はなく馬謖の戦略や布陣は正しかったらしいで。力負けだと蜀の士気に関わるから馬謖のせいにして首を切ったという見方が最新の見解らしい。それなら処罰した事やその後に身内を優遇するとかもそうだし、歴戦の将軍ではなく馬謖に任せた事等はかなり道理。泣いて馬謖を斬るの意味合いは変わるけど表現としても正しい。諸葛亮という人物や蜀の状況を考えると個人的にはこの説が1番道理にあってると思う。
諸葛亮は劉備とかいうハズレ君主を抱えながら良く三国鼎立を成し遂げたよなあ……その後は道理を曲げてでも荊州手放したくなかったのに関羽くんのチョンボ+やっぱり余計なことする劉備くんの自滅によって、無理ゲーオブ無理ゲー状態の中よく戦ったよ
劉備じゃなかったら重くもちいられてないだろ
相変わらず北伐といいそれ以前といい呉は役に立たない癖に態度だけ一丁前だからなぁ
まあ、諸葛亮の活躍は多大な戦果でしょう。もし全てが上手く行けば蜀は拡大の領地が与え、魏が痛手になります。でも問題はここからで、呉の領地も拡大し蜀の脅威になります。まあ、予想だけど。
諸葛亮は武官とは対立してたとはいえ、人心掌握術はすざまじいな
秋風五丈原
曹操が無理やり司馬懿を引っ張り出さなければ歴史は変わったかも😅
何が凄いって、孔明は丞相なのに、ずっと前線にいた事だよ。日本で言えば家康みたいなもんだ。でも維新の島津も毛利もそうなんだが、英雄の源頼朝も秀吉ですらも出世してからは中々前線までは行かなかったからね。
曹操がそもそも前線で戦う丞相
@@lemonsoup1920 曹操は後半生は前線に出なかったでしょ。孔明は具合悪くなっても成都に戻らなかった。
@@ak47ja 定軍山の戦い、曹操はもう少し生きた。諸葛亮は現場でなくなった。親征しない傀儡の皇帝いれば丞相がするのがシステムです。真面目だけど曹操の劣化コピーが諸葛亮。蒼天航路の諸葛亮なんかそんな描き方
死せる孔明、生ける仲達を走らすって言うのも演義なんですか?
正史に記載されている蜀漢撤退の報を司馬懿に伝え、司馬懿は軍を率いて追撃する。姜維は、楊儀に行軍の方向を変えるように頼み、司馬懿を攻撃するつもりであるかのように見せかけた。その後、司馬懿は前進する勇気を持たずに後退した。楊儀らも軍を率いて撤退し、謝谷まで撤退して初めて諸葛亮の死が知らされた。人々は司馬懿に対して「死孔明走生仲達」(死んだ諸葛亮が生きている司馬懿を怖がらせた)と笑い、誰かが人々の嘲笑の言葉を司馬懿に告げ、司馬懿 「私が予測できるのは生者の出来事だけであり、死者のことは予測できない」
木牛くらいで兵站問題解決するかね
何でも否定するしか能のない上司を思い出したわ
自分がもし魏延の立場に立たされたらと思うと、自分は魏延の事は悪くは思えない。
寡兵でよく何度も北伐したよなぁ。しかも王手をかけてたとは・・長安を陥落させ司馬懿が失脚してたら歴史も変わったかも。
今回もわかりやすい解説ありがとうございました。そしてこれは某アニメではありますが孔明はこの後に渋谷へ転生することに。
5:00韓信だったら背水の陣を張っただろうね。
文字を読みながら聞けば聞き取りやすいかもです
登山家があまりにも戦犯すぎる……
まあそもそも赤壁で関羽か曹操の首持ってくればこんな苦労をしなかった。と思う
元々投降してきた魏延を召し抱えるのに反対し処刑すら進言していたんだから、反りなんぞ合おうはずがない。魏延の取り扱いの難しさは孔明の過労死の原因の一つだったな。
五条川の闘い
ガチブラック企業 蜀
そもそも呉が戦下手すぎるんよな関羽切ったり余計なことしかしねぇ上に同盟してもさっさと負けて退却
パリピ孔明もダメか。
ぜひ興勢の役もお願いします
この動画を含め本シリーズ全般の内容はすごく良いのですが、メインで喋っている左の方早口で聞き取りづらく何回も聞き直します。尺の関係でしょうが無いのかもしれませんがタイトル通りもう少しゆっくりでもいいのではないでしょうか。そんなこんだでチャンネル登録に二の足を踏んでおります。
再生速度設定じゃだめなんですか?
@@user-346 ご教示頂き誠に有難うございました。そのような事が出来るとはつゆ知らず貴殿並びに動画UP主様にも不快な思いをさせてしまったかもしれず大変申し訳けございませんでした。確かに設定(歯車マーク)をクリックすれば再生速度変えられますね。ちなみに0.75にしたら格段に聞きやすく成りました。ご親切に本当に有難うございました深く御礼申し上げます。P.S.UP主様遅ればせながらチャンネル登録致しました。
@@signal39jp 再生速度設定の弊害は、元の速さで丁度いい右の方も遅くなるという点がありますが、気にならないのであれば力になれてよかったです。
孔明ってなんでも一人でこなしちゃう人だったんだね仕事遅いとイライラしちゃう上司みたいだ魏延みたいな優秀な武官とも合わなかったみたいだし コミュ力低いのかも
魏延を切ったの馬岱なの演義だけなのかな?
北伐の失敗の一因は諸葛亮の安全第一の常識的な戦略にもあったと思います。歴史上寡兵が大軍を破るためには常識を覆す戦略的奇襲しかありません。しかし、諸葛亮はそれを選択する勝負所の勘という類のものは持ち合わせてはいなく、従来の軍を強くして常識的な戦略で挑むという闘いになりました。常識的な戦法はリスクは少ないのですが読まれやすく相手を打ち破るという功績を得にくいという欠点も持ち合わせています。
諸葛亮が奇策は得意ではないってのは陳寿の評に引っ張られぎでしょう陳寿と同時代の西晋の張輔は諸葛亮を評して奇策泉涌、智謀從橫 謀謨弘遠と評してる第一次北伐も、囮の擬兵に曹真は引っかかって大軍を派遣してしまってるその間に電撃戦で3郡を降されてる第二次、第三次も短期間のうちに、軍を陳倉から武都、陰平とすぐ動かして制圧してるし郭淮は後手に回ってるし諸葛亮との会戦も避けてる第四次は完全に司馬懿を手玉に取ってる、撤退の際は宿将の張郃を伏兵で討ち取ってる第五次も自ら持久戦のために屯田という手段をとり、現地の民も帰服させてる諸葛亮にあと少し寿命があれば、収穫期を迎え、魏は雍州統治にかなりの痛手を負っただろう挑発、陽動に関しても、魏の緒将は出撃を主張したと記録したあり曹叡の命じた「砦の防備を固め、守備に徹するべし。敵の食料がつきて撤退したとき、追撃するのが、遠来の敵を迎え撃って勝利を得る方法である」と言う戦略も結局、追撃は失敗しグダグダの蜀軍を無傷で帰還させてる陳寿の評は直後の東晋期から評判が悪く、諸葛亮を恨んでたからだろうという説が生まれてるし東晋の郗融はその評価に不満で怒ったという逸話が残ってる史書から見ると曹真郭淮司馬懿等を翻弄する名将としか見れない
@@卯金刀-n1q諸葛亮の文書集をまとめた本を三国志の前に書いて評価されてるんだから陳寿が諸葛亮を恨んでたというのはあり得ない。むしろ当時トップレベルの諸葛亮オタクと言っていい。あと、曹叡の命令も呉の進行を自ら鎮圧した後に「もう諸葛亮は何もできないから守備に徹するだけでいいよ」と司馬懿に送ったもので、実際諸葛亮は完全に打つ手がなくなった上での死なのでそりゃ陳寿も戦術の評価はできませんわ。
@NY-cz5to 諸葛亮集をまとめたのは上司からお前の故国で名高い宰相諸葛亮の事跡を編纂しろという命令があったからオタクだからとかじゃなくて仕事んでその司馬懿に引きこもらせたことをもって数の多い方が守り少ない方が守る正常ではない状況だったとむしろ諸葛亮の能力を評価してるんだが
@@卯金刀-n1q諸葛亮集の校訂を通じて「当時の中華トップレベルの諸葛亮オタク」だった人が三国志を書いたという事実に間違いはないあと、情報収集を通じてあとは待ってれば撤退するか死ぬかする相手と戦う必要はないとトップの曹叡と現場の司馬懿が判断し、その敵の判断を知っていながら状況の打開も撤退もできなかった諸葛亮の能力のことを「応変の将略に欠けている」と陳寿は評価しているのではなかろうか
@@NY-cz5to 「壽字承祚,巴西安漢人。好學,善著述。仕至中庶子。初,壽父為馬謖參軍,諸葛亮誅謖,髡其父頭。亮子瞻又輕壽。故壽撰蜀志,以愛憎為評也。」諸葛亮を恨んで曲筆したというのは俗説ではなく同時代の歴史家にはっきり言明されて、正史晋書でもそれが踏襲されてる。華陽国志陳寿伝、晋書陳寿伝どちらも曲筆が触れられてる、評価された点は正確性ではなく「辭多勸誡,明乎得失,有益風化。」晋朝の統治を強化するのに有益と書かれてる、そしてその内容は考証学者の劉知幾に「記言奸賊、戴筆凶人」とキツく曲筆を批判されてる。陳寿が数が多い方が守り、少なく方が攻めるという異常な状況だったこと、また最終的には天命であり、人知が及ぶところではなかったと断定、だいたい武を輝かせたと陳寿自身も軍事能力を評価している諸葛亮と同時代人の傅幹は傅幹:「諸葛亮達治知變変,正而有謀,而為之相。」陳寿と同時代人の張輔は張輔:「樂毅諸葛孔明之優劣。奇策泉涌,智謀從橫。」と真逆の評価だ
蕭何と韓信を参戦させますので
韓信はしれっと魏に付いてそう
呉に頼んで、荊州から進軍すれば良かったんでは?
実は諸葛亮の後継者である蔣琬がそれをやろうと大船団を建設しようとしてたが頓挫したのよ頓挫した理由は蔣琬が亡くなったから
諸葛亮は個々の実務能力には長けていたが人を動かすことは案外苦手だったように見える。大組織の仕事を一人の人間がすべて行うと負担が過大で非効率だから人を適材適所に配置して分業にするべきところそれができないのは一国のトップとして適格だったかどうか疑問が残る。やはり諸葛亮は劉備という人を動かせる君主の下で参謀として働いたからこそ力が発揮できたのではないかと思う。
諸葛亮が仕事をやりすぎてたってのは確かにあるんでしょうけど、だからこそ人民や兵士も
「あの人がこれだけ頑張ってるんだから…」って、異常ともいえる北伐にもついていけたのかもしれませんね。
関羽の北伐…諸葛亮の隆中策は呉との同盟の亀裂で崩れ、滅亡寸前だったところでどうにか復活させたのに、北伐では凉州制圧まであと一歩の所で、時間稼ぎを任命したお気に入りの部下が勝とうとして失敗し(しかも責任放棄して逃げるし)、第4次では司馬懿の軍に勝ったのに郭淮の兵糧補給と長雨で敗戦となり、第5次でも陽動に成功したのに川の増水に阻まれる。
大国の魏にワンちゃんイけるところまでは持ってけるのにどこかで必ず失敗の原因(ミスとか不運)が出てしまっている。
「主君を得ても時を得ていない」というのは演義の言葉だけど、こういう史実があるからそんな言葉もできたんかなって思いました。
今回も地図を利用して当時の軍の展開を想像しやすく、かつ分かりやすい解説で大変おもしろかったです!次の動画楽しみにしています。
司馬懿さすがの忍耐力。仮病を貫いて、針で刺されても微動だにしなかった逸話を思い出しました。
やはり魏が油断していた第一次北伐が最大のチャンスだったんだな。
バショクよ
唯一にして最大のチャンスでしたね。
夷陵であれだけの被害を受けていなければもっと有利に戦えたでしょうが…。
@@atushiogawa4489
まあ、あそこまで再起不能レベルのボコボコになってたからこそ魏が油断してくれたとも言える。
何にせよ、第一北伐のガイ亭だけがチャンスだったのは間違いない
結果的に馬謖が街亭を守り切って、隴西を手に入れても維持できるかどうか。
新手の兵を次々に繰り出せる魏に対して、蜀の兵は限られてる。
隴西に兵を出して持久戦をさせ、別働隊を漢中に出せば守り切れるかどうか。
漢中を失えば退路を断たれる。
諸葛亮の性格なら、隴西を捨てて漢中に引き返すだろう。
やっぱり北伐は無理ゲー。
とにかく馬謖。首切られるだけのことはしてる
諸葛亮のすごいところは、5度も北伐を行えたところにある。
全滅することもなく。
もう第5次北伐まで泣
また三国志でもいろいろな戦いを取り上げてくださると幸いです
これだけでも、ハンニバルのすごさがわかる。
秋風五丈原…
季節も相まって悲しい響きですよね…
アップから40秒で視聴できたことに感謝。
あの蒼空極みはいずこであろうのう・・・
楽しみにしてました!!
ありがとうございます!!
長安と隴右との連絡を断つと見せかけた陽動によって魏軍の隙を誘い、一気に中央突破を図る戦術眼に加え、呉軍との連携によって魏の兵力を分散させる政治含みの巨視的な戦略眼
ミクロとマクロのどちらの計略でも卓越していた諸葛亮は、最期まで運に恵まれなかったのだな……
しかも死後のことまで計算に入れている辺り、もはや自分のことを蜀を支える部品の一つとでも思っていたのかもしれんね
高祖の時みたく有能な家臣が綺羅星の如く集まり敵が暴君とかならまだだだけど
乗っ取った田舎の蜀で魏相手にするのは中々厳しいよね、、
蜀は守るには適してると思うけど打って出るには地形がどうにもきついね
蜀はよく戦ったとは思うけど
蜀軍に限らないけど有能な軍師、宰相が早世すると残されたものに負担がのしかかるね
龐統と法正がいてくれたら諸葛亮ももしかしたら・・・
魏側から仕掛けなくても良いことに気づかれてしまったのが季漢の悲しみ
スリキンの司馬懿と曹叡のやり取り好き、蜀は荊州さえ失わなければ…とどうしても考えてしまう、後諸葛亮は1人で背負い込みすぎなんだよ
孔明没後の様々な戦役も取り上げて頂けたら嬉しいです😊
魏の層の厚さよ
応援してます!
やっぱり国力と人材の差は大きいよね。
五丈原以降、魏には郭淮が引き続き対蜀方面に居座り続け、以降、陳泰やら、鐘会、鄧艾等名将が続々と輩出。蜀は呉懿、呉班、王平、馬忠、鄧芝、張嶷といった良将たちが次々と没して、以降は将が小粒な人材しか出てこない。これじゃいくら姜維が有能だろうが国力が貧弱だし、外様が故に人望も乏しく北伐なんて無理ゲーだったね。
やっぱり関羽が荊州を失陥したこと、劉備が夷陵で派手にやらかした事が後々になってボディブローの如く効いてきてるわな。
諸葛亮が自分が何でも出来てしまってやってしまうが為に下の者が育たず、それまでいた武将達がなくなると小粒の者しかいなくなくなったのでは。
加藤清正の故事にもあるが、清正が何でも自分で片付けてしまう為加藤家の藩士は育たず、加藤家改易後は役立たずばっかだと仕官にも苦労したという。
度重なる北伐の失敗の繰り返しで国力を疲弊させたことと後継の武将達の育成失敗と。
生きている間は良かったが、諸葛亮は自分がいなくなった後のことに関しては失敗の種を残し過ぎた。
@@ねこのしっぽ-r9p 馬謖や李厳、魏延らの運用方法を見るに、諸葛亮は
劉備や曹操、あるいは司馬懿のように人を見る目も育てる力もなかったんだろう。
諸葛亮の場合は自分でもそれをわかっていたから
自分が生きている間に何度失敗しても北伐を敢行した感じもあってせつない。
横山三国志の知識しか無いけど関羽が没してから確かにボロボロ感ありましたね
国力、兵站の面で不利な蜀が魏を討つというのは蜀の成り立ちを考えれば必要不可欠な訳で。それでも夷陵のように大敗すれば如何に天然の要害で守られてるとはいえ一気に存亡の危機になる。難しい舵取りをおこなっていたのだろうなと思います。
孔明が思い切って成都を離れる事が出来たのは孔明のバランス感覚は勿論ですが蒋琬、費禕、董允と優秀な政治家達がいたからで孔明の没後、更に言えば費禕が暗殺された後姜維が軍事権を握り北伐を度々起こしたが政治的な面を顧みず蜀は疲弊しとうとう滅亡したのを考えれば孔明は現実をしっかり見れていて、それでも亡き先帝劉備の願いを叶える為に戦い続けたんやなと、やはり傑物です。
諸葛亮も劉備が大軍溶かしたり関羽が荊州奪われたりしなかったら 万全の状態で北伐に向かえたのにな。
辺境の蜀から進軍となれば行くだけで多大な労力。
なるほど詳しい😊
位置関係が分かると 戦略も分かり易いですね🥺💦 ありがとうございました😊☀️🇯🇵
第4次北伐で司馬懿をコテンパンにやっつけたのもそうだが、魏は蜀側の攻撃に弱く、孔明が攻めに転じた時は必ず負けていると歴史研究家が言っていたが、もし孔明が極端な慎重さを捨てて積極攻勢に出ていたら、歴史は少し違うものになっていたかもしれませんね。
もし龐統が生きていて、孔明ではなく戦略家の龐統が指揮を執って北伐をやったらどうなっていたのかなと。
司馬懿や曹真とどんな戦いをしたのだろうかと考えてしまいます。
まぁたらればの話しになるけど。
解説わかりやすいです。ありがとうございます。
蜀にとって諸葛亮の死は星が落ちたのと同然のようなものだろうな
蜀は諸葛孔明の存在ひとつで魏を恐れさせていたもんな。よくやったよ。合掌。
実際に五丈原に行って見てみると、すごい良い位置に陣を構えてるんだよな蜀軍は
でも明らかに持久戦の構えだから、自分の病気のことをどう思ってたんやろ
実際に分析すると当時の蜀戦力では要所を押さえても魏軍進行を止める術はなく馬謖の戦略や布陣は正しかったらしいで。力負けだと蜀の士気に関わるから馬謖のせいにして首を切ったという見方が最新の見解らしい。それなら処罰した事やその後に身内を優遇するとかもそうだし、歴戦の将軍ではなく馬謖に任せた事等はかなり道理。泣いて馬謖を斬るの意味合いは変わるけど表現としても正しい。諸葛亮という人物や蜀の状況を考えると個人的にはこの説が1番道理にあってると思う。
諸葛亮は劉備とかいうハズレ君主を抱えながら良く三国鼎立を成し遂げたよなあ……
その後は道理を曲げてでも荊州手放したくなかったのに関羽くんのチョンボ+やっぱり余計なことする劉備くんの自滅によって、無理ゲーオブ無理ゲー状態の中よく戦ったよ
劉備じゃなかったら重くもちいられてないだろ
相変わらず北伐といいそれ以前といい呉は役に立たない癖に態度だけ一丁前だからなぁ
まあ、諸葛亮の活躍は多大な戦果でしょう。
もし全てが上手く行けば
蜀は拡大の領地が与え、魏が痛手になります。
でも問題はここからで、
呉の領地も拡大し蜀の脅威になります。
まあ、予想だけど。
諸葛亮は武官とは対立してたとはいえ、人心掌握術はすざまじいな
秋風五丈原
曹操が無理やり司馬懿を引っ張り出さなければ歴史は変わったかも😅
何が凄いって、孔明は丞相なのに、ずっと前線にいた事だよ。日本で言えば家康みたいなもんだ。でも維新の島津も毛利もそうなんだが、英雄の源頼朝も秀吉ですらも出世してからは中々前線までは行かなかったからね。
曹操がそもそも前線で戦う丞相
@@lemonsoup1920 曹操は後半生は前線に出なかったでしょ。孔明は具合悪くなっても成都に戻らなかった。
@@ak47ja 定軍山の戦い、曹操はもう少し生きた。諸葛亮は現場でなくなった。親征しない傀儡の皇帝いれば丞相がするのがシステムです。真面目だけど曹操の劣化コピーが諸葛亮。蒼天航路の諸葛亮なんかそんな描き方
死せる孔明、生ける仲達を走らすって言うのも演義なんですか?
正史に記載されている
蜀漢撤退の報を司馬懿に伝え、司馬懿は軍を率いて追撃する。姜維は、楊儀に行軍の方向を変えるように頼み、司馬懿を攻撃するつもりであるかのように見せかけた。その後、司馬懿は前進する勇気を持たずに後退した。楊儀らも軍を率いて撤退し、謝谷まで撤退して初めて諸葛亮の死が知らされた。人々は司馬懿に対して「死孔明走生仲達」(死んだ諸葛亮が生きている司馬懿を怖がらせた)と笑い、誰かが人々の嘲笑の言葉を司馬懿に告げ、司馬懿 「私が予測できるのは生者の出来事だけであり、死者のことは予測できない」
木牛くらいで兵站問題解決するかね
何でも否定するしか能のない上司を思い出したわ
自分がもし魏延の立場に立たされたらと思うと、自分は魏延の事は悪くは思えない。
寡兵でよく何度も北伐したよなぁ。
しかも王手をかけてたとは・・
長安を陥落させ司馬懿が失脚してたら歴史も変わったかも。
今回もわかりやすい解説ありがとうございました。
そしてこれは某アニメではありますが
孔明はこの後に渋谷へ転生することに。
5:00韓信だったら背水の陣を張っただろうね。
文字を読みながら聞けば聞き取りやすいかもです
登山家があまりにも戦犯すぎる……
まあそもそも赤壁で関羽か曹操の首持ってくればこんな苦労をしなかった。と思う
元々投降してきた魏延を召し抱えるのに反対し処刑すら進言していたんだから、反りなんぞ合おうはずがない。魏延の取り扱いの難しさは孔明の過労死の原因の一つだったな。
五条川の闘い
ガチブラック企業 蜀
そもそも呉が戦下手すぎるんよな
関羽切ったり余計なことしかしねぇ上に同盟してもさっさと負けて退却
パリピ孔明もダメか。
ぜひ興勢の役もお願いします
この動画を含め本シリーズ全般の内容はすごく良いのですが、メインで喋っている左の方早口で聞き取りづらく何回も聞き直します。尺の関係でしょうが無いのかもしれませんがタイトル通りもう少しゆっくりでもいいのではないでしょうか。そんなこんだでチャンネル登録に二の足を踏んでおります。
再生速度設定じゃだめなんですか?
@@user-346 ご教示頂き誠に有難うございました。そのような事が出来るとはつゆ知らず貴殿並びに動画UP主様にも不快な思いをさせてしまったかもしれず大変申し訳けございませんでした。確かに設定(歯車マーク)をクリックすれば再生速度変えられますね。ちなみに0.75にしたら格段に聞きやすく成りました。ご親切に本当に有難うございました深く御礼申し上げます。P.S.UP主様遅ればせながらチャンネル登録致しました。
@@signal39jp 再生速度設定の弊害は、元の速さで丁度いい右の方も遅くなるという点がありますが、気にならないのであれば力になれてよかったです。
孔明ってなんでも一人でこなしちゃう人だったんだね
仕事遅いとイライラしちゃう上司みたいだ
魏延みたいな優秀な武官とも合わなかったみたいだし コミュ力低いのかも
魏延を切ったの馬岱なの演義だけなのかな?
北伐の失敗の一因は諸葛亮の安全第一の常識的な戦略にもあったと思います。
歴史上寡兵が大軍を破るためには常識を覆す戦略的奇襲しかありません。
しかし、諸葛亮はそれを選択する勝負所の勘という類のものは持ち合わせてはいなく、従来の軍を強くして常識的な戦略で挑むという闘いになりました。
常識的な戦法はリスクは少ないのですが読まれやすく相手を打ち破るという功績を得にくいという欠点も持ち合わせています。
諸葛亮が奇策は得意ではないってのは陳寿の評に引っ張られぎでしょう
陳寿と同時代の西晋の張輔は諸葛亮を評して奇策泉涌、智謀從橫 謀謨弘遠と評してる
第一次北伐も、囮の擬兵に曹真は引っかかって大軍を派遣してしまってる
その間に電撃戦で3郡を降されてる
第二次、第三次も短期間のうちに、軍を陳倉から武都、陰平とすぐ動かして制圧してるし
郭淮は後手に回ってるし諸葛亮との会戦も避けてる
第四次は完全に司馬懿を手玉に取ってる、撤退の際は宿将の張郃を伏兵で討ち取ってる
第五次も自ら持久戦のために屯田という手段をとり、現地の民も帰服させてる
諸葛亮にあと少し寿命があれば、収穫期を迎え、魏は雍州統治にかなりの痛手を負っただろう
挑発、陽動に関しても、魏の緒将は出撃を主張したと記録したあり
曹叡の命じた「砦の防備を固め、守備に徹するべし。敵の食料がつきて撤退したとき、追撃するのが、遠来の敵を迎え撃って勝利を得る方法である」と言う戦略も
結局、追撃は失敗しグダグダの蜀軍を無傷で帰還させてる
陳寿の評は直後の東晋期から評判が悪く、諸葛亮を恨んでたからだろうという説が生まれてるし
東晋の郗融はその評価に不満で怒ったという逸話が残ってる
史書から見ると曹真郭淮司馬懿等を翻弄する名将としか見れない
@@卯金刀-n1q諸葛亮の文書集をまとめた本を三国志の前に書いて評価されてるんだから
陳寿が諸葛亮を恨んでたというのはあり得ない。むしろ当時トップレベルの諸葛亮オタクと言っていい。
あと、曹叡の命令も呉の進行を自ら鎮圧した後に「もう諸葛亮は何もできないから守備に徹するだけでいいよ」と
司馬懿に送ったもので、実際諸葛亮は完全に打つ手がなくなった上での死なのでそりゃ陳寿も戦術の評価はできませんわ。
@NY-cz5to
諸葛亮集をまとめたのは上司からお前の故国で名高い宰相諸葛亮の事跡を編纂しろという命令があったから
オタクだからとかじゃなくて仕事
んでその司馬懿に引きこもらせたことをもって数の多い方が守り少ない方が守る正常ではない状況だったとむしろ諸葛亮の能力を評価してるんだが
@@卯金刀-n1q
諸葛亮集の校訂を通じて「当時の中華トップレベルの諸葛亮オタク」だった人が三国志を書いたという事実に間違いはない
あと、情報収集を通じてあとは待ってれば撤退するか死ぬかする相手と戦う必要はないと
トップの曹叡と現場の司馬懿が判断し、その敵の判断を知っていながら状況の打開も撤退もできなかった
諸葛亮の能力のことを「応変の将略に欠けている」と陳寿は評価しているのではなかろうか
@@NY-cz5to
「壽字承祚,巴西安漢人。好學,善著述。仕至中庶子。初,壽父為馬謖參軍,諸葛亮誅謖,髡其父頭。亮子瞻又輕壽。故壽撰蜀志,以愛憎為評也。」諸葛亮を恨んで曲筆したというのは俗説ではなく同時代の歴史家にはっきり言明されて、正史晋書でもそれが踏襲されてる。
華陽国志陳寿伝、晋書陳寿伝どちらも曲筆が触れられてる、評価された点は正確性ではなく「辭多勸誡,明乎得失,有益風化。」晋朝の統治を強化するのに有益と書かれてる、そしてその内容は考証学者の劉知幾に「記言奸賊、戴筆凶人」とキツく曲筆を批判されてる。
陳寿が数が多い方が守り、少なく方が攻めるという異常な状況だったこと、また最終的には天命であり、人知が及ぶところではなかったと断定、だいたい武を輝かせたと陳寿自身も軍事能力を評価している
諸葛亮と同時代人の傅幹は
傅幹:「諸葛亮達治知變変,正而有謀,而為之相。」
陳寿と同時代人の張輔は
張輔:「樂毅諸葛孔明之優劣。奇策泉涌,智謀從橫。」
と真逆の評価だ
蕭何と韓信を参戦させますので
韓信はしれっと魏に付いてそう
呉に頼んで、荊州から進軍すれば良かったんでは?
実は諸葛亮の後継者である蔣琬がそれをやろうと大船団を建設しようとしてたが頓挫したのよ
頓挫した理由は蔣琬が亡くなったから
諸葛亮は個々の実務能力には長けていたが人を動かす
ことは案外苦手だったように見える。大組織の仕事を
一人の人間がすべて行うと負担が過大で非効率だから
人を適材適所に配置して分業にするべきところそれが
できないのは一国のトップとして適格だったかどうか
疑問が残る。やはり諸葛亮は劉備という人を動かせる
君主の下で参謀として働いたからこそ力が発揮できた
のではないかと思う。