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中学生が作った迷列車です。温かい目で見てね色々と間違いがあると思いますがご了承くださいm(_ _)m
すげー同じ中学生が作った動画だと思えない😆😆😆チャンネル登録しましたこれからも頑張ってください僕は受験だなぁ
懐かしいです。おおとり号は、時には新製品当時の183系500番台が充当されて、グリーン車の食堂車の代わりの簡易販売の売店で、暖かいご飯にイクラを盛られた弁当を買った思い出があります。暫くして、おおとり号は札幌で北斗号とオホーツク号に系統分離されて、オホーツクへ系統分離された使われる車輌は古い初期の183系の車輌ばかりになり、グリーン車の簡易販売の売店は指定席に改造しつつ、最後は北斗号から転属のNNシリーズの183系になりながらグリーン車はグレードアップしても、かつて簡易販売の売店は締め切りで寂しい限りでした。その後は、283系に代わり3両編成(場合により、時には増結)されても、旅の楽しさを盛り上げる車内販売が無くなったのは、時代と共に寂しい限りです。
コメントありがとうございますこれもまた時代についていけなかったおおとりの見誤った部分でしょうね
特急おおとり号の基本編成が1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正から1986年11月国鉄最後の全国ダイヤ改正前まで間合い運用で札幌ー網走間の特急オホーツク5・2号と共通運用していました。オホーツク5・2号とおおとり号に北海道で最後の食堂車が連結されていた特急列車です。ちなみに札幌ー網走間の特急オホーツク5・2号は特急おおとりの基本編成1ー7号車が使われていました。特急オホーツク5・2号で使用した際に札幌運転所に回送して車両整備と燃料タンクに軽油の補給作業が行なわれていました。キハ80系気動車時代の特急おおとり号の付属編成2両が途中の北見駅🚉で切り離し及び連結作業が行なわれていました。
コメント・補足説明ありがとうございます✨
青函連絡船接続列車で昼前に函館を発車する時刻でキハ82系の特急「おおとり」室蘭・千歳線経由網走行と、続行キハ56系の急行「宗谷」倶知安・小樽経由稚内行と豪華な時代でした、「おおとり」は函館~長万部間はノンストップで函館行は森から砂原線経由でした、実際に「おおとり」を全線利用して3食を食堂車で済ませましたね、札幌~函館間を利用も良くしてましたが食堂車を利用しなくても食堂車で作られた温かいカレーライスの車内販売もあり確か¥350~¥400位で美味しかったですね、国鉄末期に特急「まつかせ」の米子~博多の区間廃止の余剰車が向日町運転所からの函館運転所に転属して来ましたね。
コメントありがとうございます車内販売は今より格段と安いですね…
@@takomita 食堂車調理のうなぎ御飯もありましたがこちらはS59年当時で¥900でした、ちなみに森駅のいかめしは¥350で消費税も無かった時代です。
いかめし良いですね〜
函館市民ですが子供の頃は国鉄時代で、おおとり、おおぞら、北海、北斗の4種類の特急が発着していて賑やかでした。今は函館駅は寂しい限りです…
コメントありがとうございます函館に当時の活気はもう戻らないのでしょうか…
大昔の鉄道ジャーナルにキハ82時代の乗車記があったのを読んだ記憶食堂車のメニュー写真も一部あったような
コメントありがとうございますそんなものがあったんですね
その記事覚えてます!2回の方向転換の話とか、北見での切り離しは網走の車庫長が7両分だからとか、終着近くになると窓枠にディーゼル油がポツポツとくっつき出すとか。。。当時、九州在住で行くことはかないませんでしたが、熱心に読んだ記憶があります😊
6:37「おおとり」がスイッチバックして折り返していたのは札幌と遠軽で、滝川(折り返し)は間違いですね。7:56 青函トンネル開通で寝台特急日本海(1号・4号)は函館まで運転が延長された。つまり札幌までは来ていない。
失礼いたしました札幌まで運転していたのは北斗星でしたね
遠軽駅は、線路の構造上、石本本線で旭川から来たら、前の方が廃止された名寄本線で、石本本線は、北見、網走へ向かう場合、どうしても遠軽で進行方向を変える必要があった。
仕方ないだろ我々昔からやってる人間にネット知識で斬り掛かってくるんだけど浅いから簡単に返り討ちしちゃうんです🤣
キハ82時代の「おおとり」(4:26 のところ)で10両編成となっていますが、後3両(動画で言う手前側)は函館~北見間の「回転編成」ですね。何でも、網走駅併設の車庫が7両までしか入れない為に、増解結を行う必要があったようです。時期によっては基本編成が6両になったり、回転編成が2両になったりしたそうですが。
コメントありがとうございますなるほど…良い情報を教えてくださりありがとうございます
高校の修学旅行が特急おおとりで函館まで行って、函館から連絡船に乗って、青森から夜行列車で東京まで行ったよ。遠軽と札幌でスイッチバックの座席をくるりんぱ2回するんだよね。ボックスシート状態で乗ってたから、あんまり関係なかったけどね。10時間も列車に乗ってるとケツが痛くてたいへんだったよ。さらに連絡船で船酔いで踏んだり蹴ったり。とっても辛い思い出だな。
コメントありがとうございますやはり昔は移動もかなり長時間掛かるようで、お疲れ様です
平成時代ではあるものの飛行機乗り遅れで函館-南千歳-釧路-厚床と地獄旅をさせられた苦い思いでを思い出した
10時間以上かかる旅路ですか・・・
函館生まれです函館~厚床はきつい……
特急おおとり号で使用されていた函館運転所所属のキハ80系は函館駅🚉まで戻るまで3日がかりで使用されていました。途中の札幌駅🚉と遠軽駅🚉で2回進行方向が変わる列車でした。特急おおとりとオホーツクに使用されていた函館運転所のキハ80系気動車に1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正でイラストマークが初めて採用されました。
寝台特急日本海は函館止まりですね。函館で「北斗」に乗り換えなくては札幌に辿り着けませんね。大阪から札幌は「トワイライトエクスプレス」でしたね。直江津で北に向かうトワイライトに出会ったことがあります。20系寝台の日本海は50年前に札幌の高校の修学旅行で奈良、京都からの帰路で京都、青森間を乗りました。
コメントありがとうございます日本海が札幌までというのは私のミスですそれと修学旅行で寝台特急、今では考えられないですね…
@@takomita 様修学旅行の往路は東北本線or常磐線の寝台特急(はくつるorゆうづる)で上野に着いて山手線で東京駅に移動、新幹線に乗り換えで米原です。そこからバスで奈良入りです。奈良、京都がメインですから東京は素通りでしたよ。公立校でしたから・・・。私立の高校は飛行機とかもあったようですが海外はまだなかったですね。今は寝台特急自体が「サンライズ瀬戸、出雲」しか残っていないですものね。昔、北斗星に乗っておいて良かったです。
昔の修学旅行は鉄道移動が主流だったんですね私は小学校の修学旅行がコロナで無くなるという苦い思い出が……
キハ183系オホーツクに食堂車が存在していた様な気がしますが2000〜2003年頃 5〜7両編成で日に4往復していた頃…勤務先の裏が石北本線だったので何度も見かけた様な気がします😅昔、食堂車に乗って旅をしたくて眺めてたんです
コメントありがとうございます食堂車が当たり前にある時代・・・今を生きる者としては羨ましい限りです…
夏季の臨時列車では北海も網走まで脚を伸ばしていましたね。方向転換は一回だったのでしょうね。
コメントありがとうございます北海も網走まで行ってたんですね
だね😉
「おおとり」にそのような経緯があったのは知りませんでした。「おおとり」に乗車した時、食堂車でカレーを食べたのを思い出しました。
コメントありがとうございます私にとってはもう乗ることの出来ない列車での経験は羨ましい限りです…
東海道のおおとりを取り上げるのは斬新ですね。なお、北海道の特急おおとり釧路行は廃止というよりは特急おおぞらに分離したといった方がいいでしょう。ちなみに特急おおとりの前身は急行「摩周」「オホーツク(先代)」で、急行宗谷と三階建ての列車でした。函館を特急おおぞらが11時40分、特急おおとりが11時45分、急行宗谷が11時50分と5分おきに発車していたのはその名残です。
コメントありがとうございます釧路行き廃止の背景にはおおぞら号が代替として走ってますからね〜あとそんなヤバイ急行列車が走っていたんですね
食堂車さえあれば回転クロスシートでも10時間は十分耐えられるはまなす編成やラベンダー編成の中間にも食堂車造って組み込んでほしい
北見から大阪まで帰省する時、14時台発のオホーツク4号〜札幌20時台発の北斗8号〜連絡船深夜便〜白鳥号が最速でしたが、道内特急を乗り継ぐと高くつくので、函館で4時間待つ(函館山麓の行きつけの喫茶店まで歩いて、コーヒーを啜ってました。)ことを覚悟して、10時台発のおおとりに乗りました。リクライニングしない席はキツく、古い車両だったのですが、新型よりもエンジン音は穏やかでした。食堂車も駅弁も廉価なメニューが多くて、良い気分転換でした。40年近く昔の話です。
コメントありがとうございます大昔のそんな時代のお話ありがとうございます〜
おおとりは上野から夜行寝台で青森そこから早朝初の青函連絡船で函館そこから北海道内陸部へ行けるように発車ダイヤが組まれていたので詳細は色々ググってみてくださいな
コメントありがとうございますかつての日本の鉄道網を感じられますね
1970年ダイヤ改正のときには、食堂車は非連結だったはず。理由は、網走の車庫が6両分の屋根しかなかったためだったと聞いています。ただ1972年の3月白紙ダイヤ改正のときにめでたく食堂車の連結が再開されました。何故網走の車庫が問題かというと冬期に青空駐車だとエンジン凍結など始動に問題があったようです。
コメントありがとうございますエンジン凍結・・実に北海道らしい理由ですね〜
82系おおとりに10回位乗車。函館〜網走長かった。2回方向転換。食堂車よかった。網走➡️函館は札幌まで夜行列車にしてました。
コメントありがとうございます昔の北海道は夜行列車の運行も盛んでしたね
今の南千歳駅から函館駅までを、🚃北斗🚃ではなく、🚃おおとり🚃に乗りました。白地にオレンジ色のラインの塗色時代のキハ183だったと思います。
コメントありがとうございますやはり国鉄カラーはいいですよね
北海道ワイド周遊券があった時代(昭和末期)に函館〜網走を通しで乗りました。車内で駅弁を2回食べたのを覚えています・・途中で乗り合せた二人組の女性にも網走まで行くと言ったら、ビックリされましたね。
コメントありがとうございますやはり乗り通し需要は少なかったのでしょうか・・・
食堂車🍽️2回にしとけば良かったのに…😁
2:01 この頃は「大垣夜行」ないけど(夜行普通列車が東京~大垣になったのは43-10 更に、厳密に言うと直後は美濃赤坂行き)😉オッサンだから「おおとり」は深川→札幌等の区間利用しかしてないけど「おおぞら」は函館→釧路(滝川経由)完乗したぞ😁
コメントありがとうございます特急おおぞら号に完乗とはすごいですねぇ
サンロクトウ以前、国鉄は名古屋〜東京間を全車指定席の準急「新東海」号を走らせ、名古屋〜東京間の特急需要がどれだけあるのか調べていた。これはイケると踏んで、名古屋〜東京間に特急「おおとり」を設定した。1964年10月の東海道新幹線開業で、昼行の東海道本線の電車特急は全廃。おおとりは北海道に渡った。
コメントありがとうございますまぁ新幹線パワーですよね
@@takomita 様へ。新幹線が開業し、東京〜名古屋が2時間で結ばれると、地元マスメディアが「名古屋沈没論」を唱え始めました。曰く、名古屋に支店、支社を置く必要が無くなり、経済的に沈没すると言うものです。
@@鵺屋敷の管理人鵺太郎むしろ東京が近くなって発展したのではないでしょうか…?(とは言ってもその時代を生きていない私の偏見ですが・・・)
小学生のとき、石勝線ができる前滝川経由で札幌に行ったことをよく覚えてます。食堂車ありましたね。滝川でスイッチバックなので席を皆ぐるっと回してました。滝川経由で釧路~函館間の特急おおぞらも結構な距離走ってましたけど、おおとりの方が長くてなんか悔しかったですね。でもそのころ、急行宗谷が函館~稚内で距離はこっちの方が長かったと思います。
コメントありがとうございます北海道は昔急行などの運行も盛んでしたからね
滝川は向き変わらんぞ😁
コメントありがとうございますすいません、僕のミスです
懐かしいな 私が子供の頃ですねおおぞらも函館~釧路間で走ってましたよ(^^)
コメントありがとうございますそうですよね運行区間が被ったからおおぞらが補完する形になったんでしょう(たぶん
「おおぞら」は走行中にエンジンから出火事故を起こしたことがありましたねえ。
コメントありがとうございますそんな事故があったんですね・・・
網走→函館を乗りました!(^o^)めちゃくちゃ長かったけど、良かった!(^o^)
コメントありがとうございます10時間以上もお疲れ様です〜
@@takomita さんありがとうございます(^o^)もう35年も前ですが、乗ったのはキハ183-500で網走10:00→函館19:27頃です札幌から折り返したあとが長く感じました(笑)
私はその時代を生きていないのでなんとも言えませんが、やはり北海道だけは地図の縮尺が桁違いですね(函館ー札幌や札幌ー旭川など)
@@takomita さんありがとうございます(^o^)遠軽駅の[蟹めし]が美味かったです!(^o^)
停車駅に千歳空港があったのですね?
コメントありがとうございます千歳空港駅は今の南千歳なので停車してましたよ〜
千歳空港駅(現南千歳駅)は1980年開業ですのでそれ以降の8年間ですね。
人生唯一の食堂車経験をした特急
コメントありがとうございますこれはいい経験ですね
鉄道を使う移動が主流の時代ならではです。大泉洋さんではありませんが、乗り通すとおしりが大変なことになりそうです。BGMとナレーションのバランスを見直してください。何といっているか聞き取りにくいです。
コメントありがとうございますナレーションはアプリの問題が少しあるのであれですが見直してみます
@@takomita BGMの音量が大きくて、せっかくのナレーションが聞き取りにくいと言いたかったのです。ナレーションそのものではございません。
了解です
滝川では折り返しません。折り返すのは遠軽です。
コメントありがとうございますご指摘ありがとうございます
乗りましたけど、滝川で折り返しなんかしませんでしたよ
コメントありがとうございます私のミスです折り返ししたのは遠軽です
迷列車シリーズいずれにも言えてますけど 時代が列車に求めたものの変遷かも知れません おおとりに限らす御座敷列車 ジョイフルトレインもテンションが高く日本人の平均年齢も若い時代の要請を受けて存在した列車達だったと今思います
コメントありがとうございますやはり時代に合っていたとしてもいつかはその時代は終わってしまうのが悲しいですねただ、その一方で新しい楽しい列車が生産されないのが虚しいところです
名古屋ビジネス特急おおとりの時代から静岡飛ばしされてたんか。今の川勝知事のリニアゴネゴネはこの時代からの静岡人の怨念かもしれない。恐ぎゃー。
別に静岡県民の人ははやくリニア作って欲しいと思ってるらしいですけどね
おおぞらも、旭川行きだったんですね😅
函館ですか・・・?
確か36-10の登場時は函館~旭川(東室蘭経由)😉
そうなんですね〜
13両のうち3両だけ旭川
札幌中心ダイヤじゃなく青函連絡船接続を基準にしたダイヤだからお前なんかまだオタマジャクシの時代だ🤣
内容は面白いけど、機械音声が聴き取りにくくて聞くに堪えない感じでした。
コメントありがとうございますこれから改善してみます、、
返信ありがとうございます!応援してます!がんばってください!!
ありがとうございます!とても励みになります!
おおとりの件なのになぜ南紀の画像が?これだけが、残念です。他はよかったです。
コメントありがとうございますおおとりの素材がなかった為に同系列のキハ82系の画像を使わせていただきましたご迷惑おかけします
道内最長距離って函館発着時代のおおぞらとどっちが長いんやろ?それまで上野から札幌までA寝台とグリーン車の乗り継ぎでも航空運賃より安かったから北海道へのアクセスは圧倒的に鉄道が勝ってたのに国鉄の赤字が嵩んで運賃50%値上げっちゅうとんでもない暴挙に出て一気にシェアが逆転、、、結果的に道内の各方面へのアクセスの拠点が函館から札幌に移ってしまい多くの列車が札幌発着になったそういった時代背景、知らんヤツが多すぎるわどっちにせよ、道内最長距離を走っておおぞらもおおとりも勝てへん急行があるの知ってるんか?ちなみに最長距離の運用やったら大阪から青函連絡船で航送されて根室まで直通する大航2運用の荷物車がナンバーワンやろな
コメントありがとうございますおおとりはどちらにしろ釧路まで行っていた時代もあるのでおおぞらとは同じような立ち位置でしょうねあと函館始発稚内行きなどの急行列車があるのは存じていますよ
「無理やり直通DC特急」って意味では、キハ81、82時代のくろしおや博多行きだった頃のまつかぜと並ぶ三巨頭ですよね。電車特急でこれに当たる存在は思いつかないですよね。白鳥がそうちゃうん?とは言わないでください(大阪・弘前間を所用で乗った人間としては)
コメントありがとうございます昔は列車単体の走行距離が長かったですよね。
中学生が作った迷列車です。
温かい目で見てね
色々と間違いがあると思いますがご了承くださいm(_ _)m
すげー同じ中学生が作った動画だと思えない😆😆😆
チャンネル登録しましたこれからも頑張ってください僕は受験だなぁ
懐かしいです。
おおとり号は、時には新製品当時の183系500番台が充当されて、グリーン車の食堂車の代わりの簡易販売の売店で、暖かいご飯にイクラを盛られた弁当を買った思い出があります。
暫くして、おおとり号は札幌で北斗号とオホーツク号に系統分離されて、オホーツクへ系統分離された使われる車輌は古い初期の183系の車輌ばかりになり、グリーン車の簡易販売の売店は指定席に改造しつつ、最後は北斗号から転属のNNシリーズの183系になりながらグリーン車はグレードアップしても、かつて簡易販売の売店は締め切りで寂しい限りでした。
その後は、283系に代わり3両編成(場合により、時には増結)されても、旅の楽しさを盛り上げる車内販売が無くなったのは、時代と共に寂しい限りです。
コメントありがとうございます
これもまた時代についていけなかったおおとりの見誤った部分でしょうね
特急おおとり号の基本編成が1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正から1986年11月国鉄最後の全国ダイヤ改正前まで間合い運用で札幌ー網走間の特急オホーツク5・2号と共通運用していました。オホーツク5・2号とおおとり号に北海道で最後の食堂車が連結されていた特急列車です。ちなみに札幌ー網走間の特急オホーツク5・2号は特急おおとりの基本編成1ー7号車が使われていました。特急オホーツク5・2号で使用した際に札幌運転所に回送して車両整備と燃料タンクに軽油の補給作業が行なわれていました。キハ80系気動車時代の特急おおとり号の付属編成2両が途中の北見駅🚉で切り離し及び連結作業が行なわれていました。
コメント・補足説明ありがとうございます✨
青函連絡船接続列車で昼前に函館を発車する時刻でキハ82系の特急「おおとり」室蘭・千歳線経由網走行と、続行キハ56系の急行「宗谷」倶知安・小樽経由稚内行と豪華な時代でした、「おおとり」は函館~長万部間はノンストップで函館行は森から砂原線経由でした、実際に「おおとり」を全線利用して3食を食堂車で済ませましたね、札幌~函館間を利用も良くしてましたが食堂車を利用しなくても食堂車で作られた温かいカレーライスの車内販売もあり確か¥350~¥400位で美味しかったですね、国鉄末期に特急「まつかせ」の米子~博多の区間廃止の余剰車が向日町運転所からの函館運転所に転属して来ましたね。
コメントありがとうございます
車内販売は今より格段と安いですね…
@@takomita
食堂車調理のうなぎ御飯もありましたがこちらはS59年当時で¥900でした、ちなみに森駅のいかめしは¥350で消費税も無かった時代です。
いかめし良いですね〜
函館市民ですが子供の頃は国鉄時代で、おおとり、おおぞら、北海、北斗の4種類の特急が発着していて賑やかでした。今は函館駅は寂しい限りです…
コメントありがとうございます
函館に当時の活気はもう戻らないのでしょうか…
大昔の鉄道ジャーナルにキハ82時代の乗車記があったのを読んだ記憶
食堂車のメニュー写真も一部あったような
コメントありがとうございます
そんなものがあったんですね
その記事覚えてます!2回の方向転換の話とか、北見での切り離しは網走の車庫長が7両分だからとか、終着近くになると窓枠にディーゼル油がポツポツとくっつき出すとか。。。当時、九州在住で行くことはかないませんでしたが、熱心に読んだ記憶があります😊
6:37「おおとり」がスイッチバックして折り返していたのは札幌と遠軽で、滝川(折り返し)は間違いですね。
7:56 青函トンネル開通で寝台特急日本海(1号・4号)は函館まで運転が延長された。つまり札幌までは来ていない。
失礼いたしました
札幌まで運転していたのは北斗星でしたね
遠軽駅は、線路の構造上、石本本線で旭川から来たら、前の方が廃止された名寄本線で、石本本線は、北見、網走へ向かう場合、どうしても遠軽で進行方向を変える必要があった。
仕方ないだろ
我々昔からやってる人間に
ネット知識で斬り掛かってくるんだけど
浅いから簡単に返り討ちしちゃうんです🤣
キハ82時代の「おおとり」(4:26 のところ)で10両編成となっていますが、後3両(動画で言う手前側)は函館~北見間の「回転編成」ですね。
何でも、網走駅併設の車庫が7両までしか入れない為に、増解結を行う必要があったようです。時期によっては基本編成が6両になったり、回転編成が2両になったりしたそうですが。
コメントありがとうございます
なるほど…
良い情報を教えてくださりありがとうございます
高校の修学旅行が特急おおとりで函館まで行って、函館から連絡船に乗って、青森から夜行列車で東京まで行ったよ。
遠軽と札幌でスイッチバックの座席をくるりんぱ2回するんだよね。
ボックスシート状態で乗ってたから、あんまり関係なかったけどね。
10時間も列車に乗ってるとケツが痛くてたいへんだったよ。
さらに連絡船で船酔いで踏んだり蹴ったり。
とっても辛い思い出だな。
コメントありがとうございます
やはり昔は移動もかなり長時間掛かるようで、お疲れ様です
平成時代ではあるものの飛行機乗り遅れで
函館-南千歳-釧路-厚床
と地獄旅をさせられた苦い思いでを思い出した
10時間以上かかる旅路ですか・・・
函館生まれです
函館~厚床はきつい……
特急おおとり号で使用されていた函館運転所所属のキハ80系は函館駅🚉まで戻るまで3日がかりで使用されていました。途中の札幌駅🚉と遠軽駅🚉で2回進行方向が変わる列車でした。特急おおとりとオホーツクに使用されていた函館運転所のキハ80系気動車に1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正でイラストマークが初めて採用されました。
寝台特急日本海は函館止まりですね。函館で「北斗」に乗り換えなくては札幌に辿り着けませんね。
大阪から札幌は「トワイライトエクスプレス」でしたね。直江津で北に向かうトワイライトに出会ったことがあります。
20系寝台の日本海は50年前に札幌の高校の修学旅行で奈良、京都からの帰路で京都、青森間を乗りました。
コメントありがとうございます
日本海が札幌までというのは私のミスです
それと修学旅行で寝台特急、今では考えられないですね…
@@takomita 様
修学旅行の往路は東北本線or常磐線の寝台特急(はくつるorゆうづる)で上野に着いて山手線で東京駅に移動、
新幹線に乗り換えで米原です。そこからバスで奈良入りです。奈良、京都がメインですから東京は素通りでしたよ。
公立校でしたから・・・。私立の高校は飛行機とかもあったようですが海外はまだなかったですね。
今は寝台特急自体が「サンライズ瀬戸、出雲」しか残っていないですものね。昔、北斗星に乗っておいて良かったです。
昔の修学旅行は鉄道移動が主流だったんですね
私は小学校の修学旅行がコロナで無くなるという苦い思い出が……
キハ183系オホーツクに食堂車が存在していた様な気がしますが2000〜2003年頃 5〜7両編成で日に4往復していた頃…勤務先の裏が石北本線だったので何度も見かけた様な気がします😅昔、食堂車に乗って旅をしたくて眺めてたんです
コメントありがとうございます
食堂車が当たり前にある時代・・・
今を生きる者としては羨ましい限りです…
夏季の臨時列車では北海も網走まで脚を伸ばしていましたね。
方向転換は一回だったのでしょうね。
コメントありがとうございます
北海も網走まで行ってたんですね
だね😉
「おおとり」にそのような経緯があったのは知りませんでした。「おおとり」に乗車した時、食堂車でカレーを食べたのを思い出しました。
コメントありがとうございます
私にとってはもう乗ることの出来ない列車での経験は羨ましい限りです…
東海道のおおとりを取り上げるのは斬新ですね。なお、北海道の特急おおとり釧路行は廃止というよりは特急おおぞらに分離したといった方がいいでしょう。ちなみに特急おおとりの前身は急行「摩周」「オホーツク(先代)」で、急行宗谷と三階建ての列車でした。函館を特急おおぞらが11時40分、特急おおとりが11時45分、急行宗谷が11時50分と5分おきに発車していたのはその名残です。
コメントありがとうございます
釧路行き廃止の背景にはおおぞら号が代替として走ってますからね〜
あとそんなヤバイ急行列車が走っていたんですね
食堂車さえあれば回転クロスシートでも10時間は十分耐えられる
はまなす編成やラベンダー編成の中間にも食堂車造って組み込んでほしい
北見から大阪まで帰省する時、14時台発のオホーツク4号〜札幌20時台発の北斗8号〜連絡船深夜便〜白鳥号が最速でしたが、道内特急を乗り継ぐと高くつくので、函館で4時間待つ(函館山麓の行きつけの喫茶店まで歩いて、コーヒーを啜ってました。)ことを覚悟して、10時台発のおおとりに乗りました。リクライニングしない席はキツく、古い車両だったのですが、新型よりもエンジン音は穏やかでした。食堂車も駅弁も廉価なメニューが多くて、良い気分転換でした。40年近く昔の話です。
コメントありがとうございます
大昔のそんな時代のお話ありがとうございます〜
おおとりは
上野から夜行寝台で青森
そこから早朝初の青函連絡船で函館
そこから北海道内陸部へ行けるように発車ダイヤが組まれていたので
詳細は色々ググってみてくださいな
コメントありがとうございます
かつての日本の鉄道網を感じられますね
1970年ダイヤ改正のときには、食堂車は非連結だったはず。理由は、網走の車庫が6両分の屋根しかなかったためだったと聞いています。ただ1972年の3月白紙ダイヤ改正のときにめでたく食堂車の連結が再開されました。何故網走の車庫が問題かというと冬期に青空駐車だとエンジン凍結など始動に問題があったようです。
コメントありがとうございます
エンジン凍結・・
実に北海道らしい理由ですね〜
82系おおとりに10回位乗車。函館〜網走長かった。2回方向転換。食堂車よかった。網走➡️函館は札幌まで夜行列車にしてました。
コメントありがとうございます
昔の北海道は夜行列車の運行も盛んでしたね
今の南千歳駅から函館駅までを、🚃北斗🚃ではなく、🚃おおとり🚃に乗りました。白地にオレンジ色のラインの塗色時代のキハ183だったと思います。
コメントありがとうございます
やはり国鉄カラーはいいですよね
北海道ワイド周遊券があった時代(昭和末期)に函館〜網走を通しで乗りました。車内で駅弁を2回食べたのを覚えています・・途中で乗り合せた二人組の女性にも網走まで行くと言ったら、ビックリされましたね。
コメントありがとうございます
やはり乗り通し需要は少なかったのでしょうか・・・
食堂車🍽️2回にしとけば良かったのに…😁
2:01 この頃は「大垣夜行」ないけど(夜行普通列車が東京~大垣になったのは43-10 更に、厳密に言うと直後は美濃赤坂行き)😉
オッサンだから「おおとり」は深川→札幌等の区間利用しかしてないけど「おおぞら」は函館→釧路(滝川経由)完乗したぞ😁
コメントありがとうございます
特急おおぞら号に完乗とはすごいですねぇ
サンロクトウ以前、国鉄は名古屋〜東京間を全車指定席の準急「新東海」号を走らせ、名古屋〜東京間の特急需要がどれだけあるのか調べていた。
これはイケると踏んで、名古屋〜東京間に特急「おおとり」を設定した。
1964年10月の東海道新幹線開業で、昼行の東海道本線の電車特急は全廃。おおとりは北海道に渡った。
コメントありがとうございます
まぁ新幹線パワーですよね
@@takomita 様へ。新幹線が開業し、東京〜名古屋が2時間で結ばれると、地元マスメディアが「名古屋沈没論」を唱え始めました。曰く、名古屋に支店、支社を置く必要が無くなり、経済的に沈没すると言うものです。
@@鵺屋敷の管理人鵺太郎むしろ東京が近くなって発展したのではないでしょうか…?
(とは言ってもその時代を生きていない私の偏見ですが・・・)
小学生のとき、石勝線ができる前滝川経由で札幌に行ったことをよく覚えてます。食堂車ありましたね。滝川でスイッチバックなので席を皆ぐるっと回してました。滝川経由で釧路~函館間の特急おおぞらも結構な距離走ってましたけど、おおとりの方が長くてなんか悔しかったですね。でもそのころ、急行宗谷が函館~稚内で距離はこっちの方が長かったと思います。
コメントありがとうございます
北海道は昔急行などの運行も盛んでしたからね
滝川は向き変わらんぞ😁
コメントありがとうございます
すいません、僕のミスです
懐かしいな 私が子供の頃ですね
おおぞらも函館~釧路間で走ってましたよ(^^)
コメントありがとうございます
そうですよね
運行区間が被ったからおおぞらが補完する形になったんでしょう(たぶん
「おおぞら」は走行中にエンジンから出火事故を起こしたことがありましたねえ。
コメントありがとうございます
そんな事故があったんですね・・・
網走→函館を乗りました!(^o^)
めちゃくちゃ長かったけど、良かった!(^o^)
コメントありがとうございます
10時間以上もお疲れ様です〜
@@takomita さん
ありがとうございます(^o^)
もう35年も前ですが、乗ったのはキハ183-500で網走10:00→函館19:27頃です
札幌から折り返したあとが長く感じました(笑)
私はその時代を生きていないのでなんとも言えませんが、やはり北海道だけは地図の縮尺が桁違いですね(函館ー札幌や札幌ー旭川など)
@@takomita さん
ありがとうございます(^o^)
遠軽駅の[蟹めし]が美味かったです!(^o^)
停車駅に
千歳空港があったのですね?
コメントありがとうございます
千歳空港駅は今の南千歳なので停車してましたよ〜
千歳空港駅(現南千歳駅)は1980年開業ですのでそれ以降の8年間ですね。
人生唯一の食堂車経験をした特急
コメントありがとうございます
これはいい経験ですね
鉄道を使う移動が主流の時代ならではです。大泉洋さんではありませんが、乗り通すとおしりが大変なことになりそうです。
BGMとナレーションのバランスを見直してください。何といっているか聞き取りにくいです。
コメントありがとうございます
ナレーションはアプリの問題が少しあるのであれですが見直してみます
@@takomita BGMの音量が大きくて、せっかくのナレーションが聞き取りにくいと言いたかったのです。ナレーションそのものではございません。
了解です
滝川では折り返しません。折り返すのは遠軽です。
コメントありがとうございます
ご指摘ありがとうございます
乗りましたけど、滝川で折り返しなんかしませんでしたよ
コメントありがとうございます
私のミスです
折り返ししたのは遠軽です
迷列車シリーズいずれにも言えてますけど 時代が列車に求めたものの変遷かも知れません おおとりに限らす御座敷列車 ジョイフルトレインもテンションが高く日本人の平均年齢も若い時代の要請を受けて存在した列車達だったと今思います
コメントありがとうございます
やはり時代に合っていたとしてもいつかはその時代は終わってしまうのが悲しいですね
ただ、その一方で新しい楽しい列車が生産されないのが虚しいところです
名古屋ビジネス特急おおとりの時代から静岡飛ばしされてたんか。今の川勝知事のリニアゴネゴネはこの時代からの静岡人の怨念かもしれない。恐ぎゃー。
別に静岡県民の人ははやくリニア作って欲しいと思ってるらしいですけどね
おおぞらも、旭川行きだったんですね
😅
函館ですか・・・?
確か36-10の登場時は函館~旭川(東室蘭経由)😉
そうなんですね〜
13両のうち3両だけ旭川
札幌中心ダイヤじゃなく
青函連絡船接続を基準にしたダイヤだから
お前なんかまだオタマジャクシの時代だ🤣
内容は面白いけど、機械音声が聴き取りにくくて聞くに堪えない感じでした。
コメントありがとうございます
これから改善してみます、、
返信ありがとうございます!
応援してます!がんばってください!!
ありがとうございます!
とても励みになります!
おおとりの件なのになぜ南紀の画像が?
これだけが、残念です。
他はよかったです。
コメントありがとうございます
おおとりの素材がなかった為に同系列のキハ82系の画像を使わせていただきました
ご迷惑おかけします
道内最長距離って函館発着時代のおおぞらとどっちが長いんやろ?
それまで上野から札幌までA寝台とグリーン車の乗り継ぎでも航空運賃より安かったから
北海道へのアクセスは圧倒的に鉄道が勝ってたのに
国鉄の赤字が嵩んで運賃50%値上げっちゅうとんでもない暴挙に出て
一気にシェアが逆転、、、
結果的に道内の各方面へのアクセスの拠点が函館から札幌に移ってしまい
多くの列車が札幌発着になった
そういった時代背景、知らんヤツが多すぎるわ
どっちにせよ、道内最長距離を走っておおぞらもおおとりも勝てへん急行があるの知ってるんか?
ちなみに最長距離の運用やったら大阪から青函連絡船で航送されて根室まで直通する
大航2運用の荷物車がナンバーワンやろな
コメントありがとうございます
おおとりはどちらにしろ釧路まで行っていた時代もあるのでおおぞらとは同じような立ち位置でしょうね
あと函館始発稚内行きなどの急行列車があるのは存じていますよ
「無理やり直通DC特急」って意味では、キハ81、82時代のくろしおや博多行きだった頃のまつかぜと並ぶ三巨頭ですよね。
電車特急でこれに当たる存在は思いつかないですよね。白鳥がそうちゃうん?とは言わないでください(大阪・弘前間を所用で乗った人間としては)
コメントありがとうございます
昔は列車単体の走行距離が長かったですよね。