【秋田の名城】横手城と払田柵をゆく【古代の城柵】
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- Опубликовано: 23 май 2024
- 先日、秋田県横手市で用がありましたので、時間を作って「横手城」と、お隣の大仙市と仙北郡美郷町にまたがる古代の城柵「払田柵」に行ってきましたので、今回はその報告をいたします。
【参考文献】
・「横手御城下絵図 嘉永二年(一八四九)」秋田県公文書館蔵
(「横手城巡検資料」横手市教育委員会教育総務部文化財保護課)
・「HOTTA「払田柵跡」発掘半世紀」秋田県埋蔵文化財センター
※この動画は、AI動画編集ソフト【Vrew】で製作しました。
#横手城
#佐竹義宣
#神籠石
一国一城の例外が、在りますね。
横手城は模擬天守が建てられ公園になっているので観光もしやすそうですね、払田柵跡も石塁は高くはないですがちゃんと組まれていますね。
ハイキングで目覚める処女という曲の動画をアップしたので、ご覧ください。
先生が、古代城柵解説なさるのは、珍しいと思いました。神籠石がなぜ、戦国石垣に伝わらなかったのか?興味深いです。
他の城TUBEで見たのですが、九州には、神籠石のあった山が、後に、山城になった例があるようです。
たしかにーーー、古代山城における石垣の技術が安土桃山時代まで継承されなかったか?不思議ですよね。私も全く疑問に思っています。今流行りのチャットGPTで聞いてみると1.「古代山城の主な目的は、外敵からの防御や見張り台としての役割でした。しかし、戦国時代に入ると戦術が進化し、火薬の使用や攻城戦の技術が発展しました。」2.「平安時代から室町時代にかけては比較的平和な時代が多く、山城の必要性が低下したため、石垣技術の需要が減少し、技術が失われたと考えられます。」3.「戦国時代に入ると、各地で頻繁に戦闘が行われるようになり、短期間で効率的に築城することが求められるようになりました。そのため、古代の大規模な石垣構築技術は採用されず、より迅速に構築できる方法が選ばれるようになった」4.「安土桃山時代においては、新しい築城技術が再発見され、または新たに開発されました。この新技術は、古代の技術とは異なる発展を遂げたため、直接的な継承関係がなかったと見なされます。」結論としては「これらの要因が複合的に作用し、古代山城の石垣技術が安土桃山時代に直接的に継承されることがなかったと考えられます。」との回答でした。私は2の理由は結構ありかなという気がします。
可哀想だね、勘違いで城、領地を没収だなんて…。