Это видео недоступно.
Сожалеем об этом.

【ゆっくり解説】昭和時代の「奇妙すぎる仕事」12選

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 16 авг 2024
  • いつもご視聴ありがとうごいざます。
    今回は「昭和時代の「奇妙すぎる仕事」12選」
    について
    ゆっくり解説していきます。
    ▼目次▼
    00:00 オープニング
    00:26 し尿汲み取り人
    03:20 畳屋
    05:24 押し屋
    06:39 タイピスト
    08:00 薬売り
    09:25 チンドン屋
    10:56 ロバのパン屋
    12:44 万屋
    14:12 タコ部屋労働者
    16:00 血液銀行
    18:38 倒産屋
    20:08 占有屋
    よろしければコメントお待ちしております。

Комментарии • 74

  • @user-wd8pf4dn4g
    @user-wd8pf4dn4g 7 месяцев назад +6

    押し屋は駅によっては今でも朝ラッシュにいる。千歳烏山とか

  • @user-bs5eb8ys2s
    @user-bs5eb8ys2s 8 месяцев назад +4

    小学生の頃は、一般家庭は まだ汲み取りトイレが大半だったので、バキュームカーがし尿を汲み取る光景を、下校時などに毎日といっていいほど見かけていた。近くにバキュームカーがいるかは、臭いで分かったものだった。鼻をつまんで汲み取り作業の横を通り過ぎたのは、懐かしい思い出の一つだ。小学生から中学に入る頃、昭和末期だが、この頃から時代にバキュームカーを見る機会が減ったように記憶している。

  • @haruru5871
    @haruru5871 7 месяцев назад +2

    後期高齢者です。み-んな懐かしい。チンドン屋、くみ取り、そして万屋。万屋は今のコンビニだね。24時間営業ではないけど。
    「爆弾アラレ」というのもあった。大昔の大砲のような装置で口から米を入れる。砲身のようなところを加熱すると、やがて「バァーン」と大きな音がして米がアラレになっている。あれはどんな仕掛けだったのかな?

  • @user-qp6tx8kv6e
    @user-qp6tx8kv6e 8 месяцев назад +6

    畳屋は令和の今でも普通にありますよ。流石に昨今、和室が少なくなったけど新築の戸建てにタタミコーナーを設けたり、古民家を改築して琉球畳に替えたり、タタミだけでなくオシャレな障子や襖など内装の仕事もしているようです。

    • @user-ck5vq5ke1p
      @user-ck5vq5ke1p 6 месяцев назад +2

      柔道場や茶道・華道なんかは、基本、畳敷きですもんねー。あと、旅館とか古い時代の文化財建築なんかもあるし。

  • @user-ql5sx1um8k
    @user-ql5sx1um8k 8 месяцев назад +4

    生活は確実に現在の方が豊かなんだけど、こういう動画は実際に経験したことないのに感じられるノスタルジックがいいよね。

  • @user-oo4kx6wk8n
    @user-oo4kx6wk8n 7 месяцев назад +2

    汲み取りは今でも存在しますね。田舎に行くと下水道の整備が進んでなくて簡易水洗トイレと言うタンク貯めるタイプのトイレになっている。タンクにある程度溜まったら、汲み取ってもらう。
    また、東京でも古い建物でも汲み取りが入っているのを見かけますね。震災以降の建築基準の改正でビルなどは建て替えが進んでいるのでいずれ無くなるかもしれないけど。

  • @hayatokanekon6339
    @hayatokanekon6339 8 месяцев назад +2

    今でもし尿のバキュームカーは走っていますよ。昔はタンクが丸わかりだったけどいまは普通のトラックの荷台の中にタンクを入れてあります。
    チンドン屋さん昔商店街で見たなぁ(昭和50年代) 万屋も田舎にはあったな
    今はコンビニ店になって、この間久しぶりに帰ったら無くなってた😢

  • @user-ch9hj9py6b
    @user-ch9hj9py6b 8 месяцев назад +5

    我が家は昭和40年代初めから水洗トイレだったが、まだ下水道が通っていなかったので浄化槽に溜めていた。水分は消毒浄化してドブに流して固形分のみバキュームカーに吸い取ってもらっていたが、ボットンに比べて回数は少なかったな。

  • @73thunderroad
    @73thunderroad 8 месяцев назад +3

    ボットン便所・・汲み取った直後に入るの天に昇る気分だったな!
    うちはなぜか汲み取り屋が一番に来るからいつも学校へ行く前に
    汲み取られていく。だから何分息を止められているのかが勝負だったな
    息が切れると・・途端に地獄~

  • @user-tb6zy7jk2y
    @user-tb6zy7jk2y 8 месяцев назад +5

    ワープロが登場、夜間講座に通ってタイピングを覚えて本体買って......。
    数年でpcに取って代わられてしまった。

    • @user-ck5vq5ke1p
      @user-ck5vq5ke1p 6 месяцев назад +2

      最初に入社した会社には、日本初のワープロJW-10が2台も鎮座してましたw。
      キーボード・ディスプレイ・プリンタ一体型で、大きめの事務机と同じくらいの大きさでした。8インチフロッピーで、1分くらいかけて起動させるんですよw。

    • @user-tb6zy7jk2y
      @user-tb6zy7jk2y 6 месяцев назад

      @@user-ck5vq5ke1p
      >8インチフロッピーで
      私も会社で使っていました、懐かし~。

  • @aosi77
    @aosi77 8 месяцев назад +7

    >畳屋 って奇妙な仕事なのかよ?w ドカベンの家も畳屋だった訳だけど
    元は身近な普通の仕事だった思い出強いんだがw
    畳屋が奇妙だったら駄菓子屋なども今となっては奇妙に思うぞ?
    東京都の最低時給は現在1,113円だそうだけど
    駄菓子屋で1時間で1113円の純利益をあげるとしたらいくらくらい駄菓子を販売すれば可能なのだろう?
    そう考えると駄菓子屋の存在も奇妙だよな。

    • @prc148mbitr
      @prc148mbitr 8 месяцев назад +3

      駄菓子屋さんは年金貰ってるお婆ちゃんの趣味レベルの仕事のイメージですね😅

  • @user-tb1re6wn8p
    @user-tb1re6wn8p 8 месяцев назад +4

    混雑する電車で押し屋がいましたが乗り切れない乗客にはがし屋という人達もいましたよ。

    • @user-ck5vq5ke1p
      @user-ck5vq5ke1p 6 месяцев назад +1

      宮脇俊三氏のエッセイか何かに、「この電車に乗れないと、俺は・・!!」と懇願する人が居て、剥がし屋さんはそれが辛かったと書いてあったな。

  • @hiroyukimoja-kunhayashi3562
    @hiroyukimoja-kunhayashi3562 24 дня назад

    汲み取りは今でも細々と存在しますし、浄化槽を使う家では浄化槽汚泥をバキュームカーで引き抜く必要があるので、汲み取り屋さんは今でも活躍しています。

  • @user-fg2uv2th5e
    @user-fg2uv2th5e 8 месяцев назад +2

    昭和時代 学校の学生寮に日赤から献血のバイト依頼が度々ありました。大至急大量の輸血が必要な緊急患者さんへ10人の若者のA型とか。人助けですからね、9人で間に合っても10人全員が同じバイト代金をもらえたり。

  • @nabe9215
    @nabe9215 8 месяцев назад +3

    今は亡き祖母の家が1970年代初頭までは汲み取り便所だったので、バキュームカーで定期的に汲み取りに来てたのを覚えてます。

    • @user-yl5hv9ew7g
      @user-yl5hv9ew7g 8 месяцев назад +2

      うちの親戚の家はまだ汲み取り式です(´・ω・`)

  • @suiseibank
    @suiseibank 8 месяцев назад +4

    30年後にはRUclipsrという仕事も奇妙な仕事と言われるかもしれない。視聴回数を増やす為に犯罪すれすれのことをしたり、関係のない一般市民を犯罪者に仕立て上げたりして撮影するなど・・・。

  • @user-dg4hw5cr5k
    @user-dg4hw5cr5k 8 месяцев назад +37

    おいおい、畳屋はまだあるし、べつに奇妙な仕事じゃないだろ。

    • @user-wk3vl2rh8p
      @user-wk3vl2rh8p 8 месяцев назад +6

      私の祖父は畳屋に丁稚で入り畳職人でした。他の仕事に就いても自宅や知人宅の畳は祖父自身が施工していました。自宅には畳の馬や道具一式有り大きな針にオレンジの糸を通すのが私のお仕事でした。

    • @TomyyodiunGeagatcha-
      @TomyyodiunGeagatcha- 8 месяцев назад +11

      それは言えてる。少なくとも和室等は畳が
      常識なので、需要は尽きる事が無い。

    • @user-bp9tq4yw3t
      @user-bp9tq4yw3t 7 месяцев назад +2

      畳屋を木明だなんてどこからそんな…😢、失礼よ。

    • @user-bp9tq4yw3t
      @user-bp9tq4yw3t 7 месяцев назад

      木明でなく奇妙でした。

  • @abbtk14
    @abbtk14 8 месяцев назад +3

    都市部の急激な人口増に対し化学肥料の登場で肥料としての需要は減り、し尿処理が追い付かなくなった時期はそれはもう酷かったそうですね。海が遠く運搬しきれないとあって業者が勝手に川や山野に投棄していたとか。でもそういう川の下流で今も水道用の水を取水しているんですよね…。

  • @syoronpor
    @syoronpor 8 месяцев назад +3

    鬼太郎に血液銀行が単語だけ出ていましたが意味を知らなかったので驚きました。

  • @user-no2ev5st2t
    @user-no2ev5st2t 8 месяцев назад +3

    ボットン便所わ臭いですね🙀 跳ね返りの お釣わ まぢ恐怖でした(笑)それに 便💩がたまってくるのも怖かった(笑) やばくなってきたら 電話すると バキュームカー来てくれた そんな時わ バキュームのオッチャンたちが 神や仏に見えたなあ😂

  • @garisan7476
    @garisan7476 8 месяцев назад +3

    よろず屋と言えばアパッチ野球軍を思い出す。奇妙じゃないけど幼少の時近所に何度か来た事が有る「ポンポン菓子屋」家から米を持って行って作ってもらう💥

    • @user-df3fg3jj1u
      @user-df3fg3jj1u 8 месяцев назад +3

      私の地方では、「ドン」と言ってました。
      (北海道😋)

  • @user-uh3yn1jw9c
    @user-uh3yn1jw9c 8 месяцев назад +1

    置き薬はまだ有りますけどね。富山の置き薬。
    押し屋が居なくなったら、乗れない人出てこないのかな?
    人口減少で要らなくなったのかな?
    良い時代になりましたね……

  • @toriri-service
    @toriri-service 8 месяцев назад +1

    映画『新幹線大爆破』で 町工場の社長 沖田が 沖縄から出てきた大城 浩と出会った場所も『売血』の現場でしたね。
    「馬鹿野郎 こんな(フラフラ)になるまで血売りやがって。」

  • @user-jl2cw4hh2y
    @user-jl2cw4hh2y 8 месяцев назад +1

    昔の学校は昭和54年頃まではボットン便所は都会を除く地方では普通にありましたよ。それ以降徐々に日本中の学校が水洗トイレになっていきました。ロバのパン屋さんは私達の地方ではロバではなく木曽馬でしたね。道端で馬糞をしても当時は特に問題にもされませんでした。パンを買ってるときに 馬が用足し してドン引きした事もありました! 今では到底考えられない事でした。

  • @user-cn5yg8oq6d
    @user-cn5yg8oq6d 8 месяцев назад +1

    昭和時代に住んでいた家の前を唐草模様の風呂敷包みを担いでいた人が良く通っていた。サザエさんなんかに出てくる泥棒さんみたいだったので、「泥棒さんだ!」と思っていたけど、親に「あの人は担ぎ屋といって頼まれた荷物を駅まで運んでいるんだよ。」と言われた。今でいる徒歩の宅配便屋さんだったんだ。

  • @ooutsuke1560
    @ooutsuke1560 8 месяцев назад +6

    便器は水洗だが汲み取りが必要な地域は現在でも多い
    畳屋さんは減ってはいるがまだまだ有る
    生業にしている人たちに
    「奇妙過ぎる」でかたずけるのは
    あまりにも失礼

    • @user-mw9pg2jn8u
      @user-mw9pg2jn8u 8 месяцев назад +2

      水栓便所=汲み取り不要ではないですからね。
      水栓便所の場合、浄化槽に貯めてバキュームカーが汲み取りに来るわけで。
      県によっては下水道の普及率が50%以下のところもまだまだありますからねえ。

    • @user-wk3vl2rh8p
      @user-wk3vl2rh8p 8 месяцев назад +1

      畳屋さんより今は建具屋さんの方が少ないかもしれませんね。私の祖父は畳屋に丁稚で入り技術を付けて職人でした。私の誇りです。

  • @user-vw7yu3js5x
    @user-vw7yu3js5x 8 месяцев назад +1

    和室の部屋好きよ

  • @vtec2200P
    @vtec2200P 7 месяцев назад

    地方だと20~30年前まではまだまだバキュームカーを見かけたが現在は完全に消えましたね。

  • @user-gj6ye6ei6j
    @user-gj6ye6ei6j 8 месяцев назад +1

    畳屋も薬屋もチンドン屋は令和の今でも見る
    でもそこのお店?会社?しか見たことないわ…

  • @user-cd2fw4st1n
    @user-cd2fw4st1n 8 месяцев назад +1

    まだ長屋で寝起きしてた小学生の頃はポットン便所で、たまに汲み取り屋さんが来てた。ナニを思うたかオフクロがオッサンにショッポ1個をあげよった。次にオッサンがホースを引きずりながら路地裏に現れるトキは、ポッポッポッ〜♪鳩ポッポッ〜♪と歌いながら現れるようになった😮

  • @user-sy8pk8er6e
    @user-sy8pk8er6e 8 месяцев назад

    子供の頃、ちんどん屋は見たことありますね😅後、実家はボットン便所だったので定期的にバキュームカー来てましたね😅

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 8 месяцев назад +1

    私の小学校は、水洗で流した排泄物を一ヵ所のタンクに集め業者が汲み取りに来てた。
    (10:56
    「ロバを使えば、子供喜ぶんでねぇ?」
    「おっ、やるべ、やるべ。」)

  • @prc148mbitr
    @prc148mbitr 8 месяцев назад +1

    ピエール瀧氏の実家は畳屋で昔は畳(たたみ)って名前で活動していました。

    • @user-uh3yn1jw9c
      @user-uh3yn1jw9c 8 месяцев назад +2

      知らなかった。
      だから、なんかの歌で「俺の名前はピエール畳だ」って言ってるのか。

  • @user-ct6vx4vw5y
    @user-ct6vx4vw5y 8 месяцев назад +5

    自分ん家16年前までボットン式でしたので、汲み取りに来てくれた係の人には必ず冬場は暖かい飲み物を、夏場は冷たい飲み物を渡していましたよ(‘ε ’)
    皆に嫌われる御仕事をしている人に感謝しないとね😶
    日本語は複雑だからワープロが出てからはかなり便利になったね☆
    まぁ…今はタブレットやPCに変わったが🎵
    チンドン屋(街頭宣伝業)はもう無いのかな?
    昨今さすがにタコ部屋労働的なのは無いだろうな( ゚ー゚)

    • @user-arashi-yama1
      @user-arashi-yama1 8 месяцев назад +1

      2016年に東大阪でチンドン屋さんが歩いてるのを見たよ。

    • @user-ct6vx4vw5y
      @user-ct6vx4vw5y 8 месяцев назад +2

      @@user-arashi-yama1 さんへ
      そうですか、自分地元で見たのが30年くらい前だったからねぇ😶
      まぁ…頼む機会も無いけれど(^_^)

  • @user-ur7hl5ek6z
    @user-ur7hl5ek6z 8 месяцев назад

    ロバのパンは名鉄岩倉駅前で不定期にワゴン車を駐車して「ロバ~のおじさ~んチンカ~ラリン♪」の歌を
    流して現在も営業してるけど、ロバのパン屋は北海道と京都の2つで別々というのは初めて知りました。
    岩倉駅のは京都の方ですね、今は蒸しパンオンリーだけど(粒あんが美味しい)歌の中に「ジャムパン
    ロールパン~(中略)チョコレートパンもあんパンも~♪」とあるので京都の方も昔は扱ってたのかな?
    畳屋はニッポン行きたい人応援団で畳をこよなく愛するリトアニアの方に畳の技術を伝授してました、
    日本では需要は減る一方ですけど、海外に畳の技術が残る事を願ってやみません。
    あとよろず屋といえば銀魂の銀さんたちですね、こちらは頼まれごとを引き受ける便利屋ですが。

  • @user-bv6pw9ty4n
    @user-bv6pw9ty4n 8 месяцев назад +2

    銭湯で湯を沸かしたり客の体を洗ったりする「三助」は?

  • @user-hd7tz4yv3r
    @user-hd7tz4yv3r Месяц назад

    奇妙奇天烈😢

  • @user-hd7tz4yv3r
    @user-hd7tz4yv3r Месяц назад

    汲み取り式前埋立😢

  • @takapin8814
    @takapin8814 7 месяцев назад +3

    畳屋が奇妙過ぎる仕事ですか?発想が飛躍しすぎというか偏ってますよ
    他に担ぎ屋、交換手、煙突掃除屋等々いっぱいあるでしょうに

  • @user-un4uy7hr6c
    @user-un4uy7hr6c 8 месяцев назад +2

    畳屋も薬売りも健在だよ

  • @KojiWada060724
    @KojiWada060724 7 месяцев назад

    ちんどん屋は2010年代まで地元にあった。主に駅前のぱちんこ店の宣伝。
    でも今はその店もつぶれ、跡地はマンションになっちゃってる。
    あの人たち、今何してるのだろうか…。

  • @user-kq2me8ut4d
    @user-kq2me8ut4d 8 месяцев назад

    「占有屋」から「地上げ屋」を思い出した

  • @musics4u874
    @musics4u874 8 месяцев назад

    売血、怖い(泣)

  • @user-rh7nb5dq4d
    @user-rh7nb5dq4d 2 месяца назад

    タコ部屋と売血はまだあるよ

  • @zetakuro3740
    @zetakuro3740 8 месяцев назад

    ツッキーの家は未だにボットン便所らしいよ

  • @setsunasamidare
    @setsunasamidare 8 месяцев назад

    占有屋は割と近年までいたよ。そういうのを居座らせないために警備員が泊まり込む施設とかがちらそら(笑)。

  • @user-cq1ce6dh4d
    @user-cq1ce6dh4d 8 месяцев назад

    置き薬…幼稚園の頃かな?家にあった置き薬のフィルムを全部はがしてこっぴどく叱られました( ;∀;)

  • @user-nu9gp1rb3e
    @user-nu9gp1rb3e 3 месяца назад

    高円寺で押し屋のバイトしました。

  • @necogalaxy4830
    @necogalaxy4830 8 месяцев назад

    血液銀行の不衛生さと労働不純社会に驚きました

  • @hirosu7612
    @hirosu7612 8 месяцев назад

    献血でカレーが異質すぎる。埼玉以外じゃ普通に有るのか?

  • @user-hd7tz4yv3r
    @user-hd7tz4yv3r Месяц назад

    店をたたむ?

  • @HT-of3li
    @HT-of3li 8 месяцев назад +1

    長過ぎる