セクシー田中さん問題 / 芦原妃名子先生とドラマ制作側とのトラブル/脚本家の主張
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- Опубликовано: 15 фев 2024
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原作クラッシュが二度と繰り返されませんように!
あの脚本家のインスタグラムを読んだら、先生のような解釈をするのはかなり苦しい。
百歩譲っても、ドラマ化するにあたって出した条件を、一方が勝手に「良かれ」で軽視するなんて事がそもそもお門違いかと。色々な漫画家さんが苦悩を吐露していますが、原作者が権利を行使して脚本に注文を付けると相当な圧力が掛かるみたいですね。人格否定すらされるとか。そういう背景をご察し下さい。人一人が亡くなっている。故人が遺した言葉を都合よく解釈し企業が責任を免れる事など絶対にあってはならないと、日々心を痛めております。
脚本家のオリジナリティは不要だと思います。
性善説過ぎると思う。
原作者の思いを尊重すべき!
「脚本家」の思いもあるだろう。
でもこの件については“相沢友子”が悪い
仲間内で居酒屋で云々言うのはいいだろう身内内の話だから、わざわざみんなが見れるインスタにて愚痴の言い合いを公表する事はなんか公開処刑公開イジメにしか感じない。
二度と相沢友子の書いたドラマや作品は見ない。胸糞悪い
芦原氏の思いは「攻撃するつもりはなかった。ごめんなさい」です。あなた方はこの言葉の意味を考え尊重すべきです。
少なくとも相沢氏を攻撃することは芦原氏の思いを踏みにじっています。
@@okimunet脚本家のインスタは原作者を攻撃する気満々でしたけどね。意地の悪い女の人の攻撃の仕方そのものでした。
@@okimunet 中学生のころ酷いイジメにあっている同級生がいたのでイジメている当人を注意したところ、後になってイジメられていた子から「助けて欲しいなんて頼んでない、私が我慢すれば良いことなので事を荒立てないで欲しい」と懇願されたので私は彼女の気持ちを理解して彼女の目の前では何もアクションを起こさない様になりました。
そして、彼女に見えないところで担任やイジメた当人の親を巻き込んで大騒ぎしてイジメた本人、加担していた取り巻き連中などを追求してイジメの事実を認めさせて今後二度とイジメをしないという念書まで書かせました。そして虐められていた本人に謝らせるようなことは一切させずに何事もなかったように卒業まで迎えました。
私は別にイジメられていた彼女のために行動をしたのではありません
イジメをしている人間が許せないだけです。
@@churoa1477 あなたの体験とこの件がどういう関係があるのかよくわかりません。もしかして芦原氏はドラマ制作陣から受けた一種のイジメで自殺したと思っていませんか?そのストーリーは推測であって事実だとは確認されていませんよ。芦原氏が嫌な思いをしたことは間違いありませんが、それが自殺の原因だとするのは憶測に過ぎません。私は芦原氏の自殺の原因は炎上にあると思っています。芦原氏の最後の言葉「攻撃するつもりではなかった」の「攻撃」は図らずも自分のブログが起こしてしまった炎上が相沢氏に向かって襲いかかっていることを指していると思います。原作改変問題では芦原氏は戦いに疲弊したとは言え結果的にはその戦いに勝利しています。それが自殺の原因だとはとても考えにくい。それに対して自分が起こしてしまった炎上は対処しようとしても火に油を注ぐ結果になってしまい、芦原氏はこっちの問題には全く無力です。戦うこともできない。しかもその炎上は感謝しているドラマスタッフである脚本家に向かっている。
そんな事態を自分の発言が招いてしまったことを絶望したのが自殺の原因ではないか?原作改変問題では戦い抜いた芦原氏はコットの問題では全く無力になってしまい責任を取ることすら出来ない。責任感の強い人間であればこっちの方が遥かに辛いことだと思える。芦原氏の最後の発言からはそう考えるのが順当だと思う。もちろんこの考えも推測に過ぎないが、「原作改変は芦原氏を殺した説」も推測に過ぎない以上同等に扱われるべきです。ただし同等と言っても、それぞれの推測がもたらす結果は違いがありすぎる。「原作改変説」は新たにもっと巨大な炎上となって脚本家やドラマ制作スタッフに襲いかかって殺してしまいかねない。この説を採ることはこの説が正しかろうが間違っていようがこの炎上に加担することです。あなた方がどんなに善意で行動していても脚本家を殺してしまうかもしれないんですよ。炎上とはそういうもんです。脚本家を攻め立てている人は「攻撃したかったのではない。ごめんなさい」という芦原氏の意を踏みにじっていることは確実です
この「攻撃」はテレビ局をさしていると思いますし。
テレビ局の反撃と出版社の裏切りによって死に追いやられたと思います。
このダイイングメッセージの読み込みが大切です。
時系列にそって、もっと良いリサーチャーなりアシスタントなり資料なり集めた方が宜しいかと思います
死人に口なし、には絶対にしてほしく無い。
死ぬ程に苦しまれた現実を、
他の作者の方々、目指している方々、素晴らしい日本の文化を守る為、膿を出し切らないと駄目だと思う。
あの、なんだか根本的な部分で誤解されているようですが
原作者の芦原先生はドラマ化の希望を一切しておらずにどうしてもと頼まれたので渋々「原作に忠実に」という条件をつけてOKしたんですよ。
そこを蔑ろにしてドラマとして面白くもくそもないでしょう。
満足の行く修正もせず無駄に時間を経過させ最後にはタイムリミット限界になって原作者に責任を押し付け脚本を丸投げしたというのが正解でしょう。
もう一度いいます、原作者の芦原先生は頼まれたので仕方なく条件をつけてOKにしたんです。
その条件を全うせずに反故にしたのは小学館、日テレ、表にでてこないプロデューサー、そして嫌味を書き込んだ脚本家でしょう。
確かに言えることは今回の件がなければ芦原先生は死んでいないということです
人が死んでます、小学館、日テレ、脚本家、プロデューサーは問題点を検証する責任があります。
脚本が要求と違ったものであれば、それを認めないという権利はあるみたいやからね。これ欲しい、こっちの方がおススメですというようなやり取り自体が何か問題に問えるのかという事でしょう。気に入らなければ、買わなければ良いわけやからね。
@@user-wj3er6dz1g それ権利自体はあるけど実際の行使は厳しいんじゃね?
@@michiakiisida9268
保証人とかをイメージすれば分かりやすいけど、実際になったが為に後にトラブルに巻き込まれても、頼まれたら断れないよねなんて話をしてる人を見たらどう思いますかという事よね。
実際に保証人に関する法律に私も詳しいわけではないけど、そういうトラブルに巻き込まれる人を減らそうと思ったら、安直に考えてそういうのになるなというしかないからね。
そうです。
「原作通りに!」と不可能なことを言って断り文句とした。
テレビ局は原作通りにする、とウソをついて契約した。
だいたいそのような進行でしょうね。
何が言いたいのか良く分からない。原作ありきの作品なら原作者を何よりも最大限に尊重するのが脚本家の正しい姿なんじゃないの?
日テレと小学館が合同調査するそうで…まるで容疑者が裁判官やるみたい
なんか北村さんの解説違うように思う。
脚本家の他の投稿見たらとても北村さんの解説通りとは思えない。
脚本家の方は「原作者の思いを汲んだ上で」書いてないと思います。
もしそれを感じられる発言や文章や文言が、この脚本家の方から発信されているならそれを示してください。
個人的には、原作者の思いを汲まないことで有名な方だという認識です。
その点は脚本家は「初めて聞いた、知らなかった」と言っています。先生にはこっちの情報が伝わっていないのかもしれません。
@@okimunetさん
北村さんほどの方がその情報を得ずに動画を配信するとは思えませんし、ご存知であろうとなかろうと関係ありません。
「脚本家は、原作者の思いを汲んで視聴者に喜んでもらうためにプロ意識で作っていたはず」と発言するに至った根拠は何か?を示してほしいだけです。
脚本家、といってもスタイルや能力などは様々です。できるだけ原作者の思いを汲みつつ視聴者を喜ばせる脚本を執筆する方は大勢いるはずです。
が、この脚本家の方のこれまでの発言や過去作品からは、「原作者の思いを汲んで」脚本を書かれていたことがわかる根拠は、自分一人の情報収集力では見つけることができていません。
ですから、北村さんがこのような発言をなさった根拠を知りたいんです。弁護士という職業の方が、根拠もなく、また「脚本家」と主語を大きくして憶測だけで動画配信されてるとは思いたくないです。
お言葉ですが、北村先生は脚本家の立場を好意的に解釈し過ぎておられるのではないかと思いますよ。
先生もTVの世界で色々なことを見聞きされてこられたが故の感想かと思いますが。
ことは今回の「田中さん」のことだけでなく、このドラマに関わった脚本家とプロデューサーには過去に本件に類似するようなことをやって来た過去もあります。
思想信条は別として、筋道を大切にする弁護士さんだと思っていたのですが、脚本家と原作者の対立の問題なのでしょうか。組織人・社会人としての最低限のルールを守れば避けられたと思いますよ。双方が創造者としてぶつかることはあると思いますが、その内部の問題をSNSで公開する、しかも身勝手極まりない都合のイイ言い分を一方的に主張し、暗に原作者を攻撃し、原作者攻撃の犬笛を吹く。このことが、まさに対立構造を作ってしまったのではないですか。本来、日テレと小学館は即座に脚本家のSNSを削除し、4者での協議の上、公式見解を出すべきだったのではないですか。原作者に説明責任を押し付けたこのやり方が、最も非難されるし、正しい対処をしていれば、芦原さんもSNSで説明する必要もなく、亡くなることもなかったのではないですか。
「確定情報に対して動画内で開示した内容」「情報や発言に対する解釈」
どちらにおいても非常に"アンフェア"に感じる動画でした
ダメ出しを散々した挙句、最後は9、10話の脚本をしゃしゃり出てきて書いたのではなく、コミックスの7巻で作者が今度ドラマ化されるにあたり9、10話は自分で脚本を書きますと言っており、最初から決まっていたのではないかと思うのですが。
あと、脚本家のインスタは、主演女優とのツーショットで、明らかに原作者にマウントを取る目的で挙げているとしか思えません。
そんな素晴らしい脚本がかけるならオリジナルの脚本を堂々と書いたらいいのではないでしょうか。この方の代表作はほとんどが原作有で、唯一のオリジナルも盗作疑惑のあるものです。
オリジナルだけど盗作疑惑ってM氏が暴露してましたよね。
歴史の奴らしいけど
元アイドルにそんな知性なんかないし、シンガーソングライター時代の作品も盗作してたんじゃない?
枕してゴーストライターを子飼にしてたりして😁😁
漫画ではまだ完結してない物語だったから、ドラマを原作から逸れない形で着地させるには、最後の2話は芦原さん自ら話を作らなければならなかったのは当然だったと思います。
その話も当然最初の段階で双方で打合せていたはずだったのに、脚本家の方の認識が違っていて、それを誰でも見られるSNSで吐露されたせいで、芦原さんが弁明せざるを得なくなったのが事の発端ですよね。
今まで原作の方が飲まされていた煮え湯がこういった形で表に出てしまったのはとても悲しく非常に残念ではありますが、芦原さんの死を無駄にしないよう、当然の権利が守られる業界になっていってほしいと思います。
第一回目の脚本が大幅にダメ出しされて直されているのだから。
それ見れば、マトモな頭なら不合格なことがわかるはず。
北村先生大好きだけど今回はなんか違う〜悲しい〜😭
作品は100%原作者のものであり脚本家には面白くするための改変権などはありません。
原作に忠実にする約束が守られず、繰り返し抗議しても改めないので、脚本家を変えてくれとまで申し入れています。
ドラマを面白くするために脚本家も一生懸命やっているなどというのはこの問題には全く関係のない話です。
北村先生、失望しました。
行列のできる法律相談所への出演で日テレさんに肩入れしたい気持ちでもあるんでしょうか?
今回の騒動の問題点は原作者がドラマ化には乗り気でなく最低限の条件としてだした「原作に忠実に」という大前提が反故にされたことが発端です。
その契約を蔑ろにして何度も脚本の修正を余儀なくされ心身ともに疲弊させられた
最終の2話についても原作者が書くというのは最後の保険としての最終手段であって脚本家に頼んでいても埒が明かないとの判断があったのだろうと思われます。
それに対して脚本家はSNSで原作者を除け者にして「原作者」という表現をして中傷しているように見えました。
原作者が亡くなったことで今回の騒動が明るみなり大騒ぎとなった言い訳をした際に初めて「芦原先生」という書き方をされていました。
芦原先生の作品を守りたいお気持ち、騒ぎにはしたくないお気持ちの葛藤を思うと悔しくてたまりません。
北村先生にお伺いしたいです。
芦原先生が亡くなられるまでに至った発端の原因は何なのでしょうか?
そういえば「行列」って日テレでしたね
この動画が"強烈な不自然さ"を帯びている原因に、合点がいきましたよ
頑張って頑張って最大限に良いように解釈したらこんな感じなのかな
芦原先生の削除済みのブログの全文を入手されたほうがいいかな、と思いました。
北村先生のお話はちょっとズレてる気がします。
脚本家というより、脚色家じゃないですか
絶望なんだよ絶望 自らが大事に大事に育ててきた我が子のような作品をテレビドラマ製作陣がむちゃくちゃにしてあまつさえそのむちゃくちゃにされたドラマの結末の尻拭いを自らさせられたんだぞ いわば大事に育てた我が子の首をテレビドラマ製作陣によって自らの手で締めさせられたようなもんだぞ しかもだ最悪なことにテレビドラマは望まぬ結末を向かえたのちに改めて育てた漫画の完結のための続きを原作者は描かなければならなかったんだぞ もはや純粋にセクシー田中さんという作品に対峙して次のコマを描く精神も気力もなかったんだろ 心がポキリと折れたんだよ 絶望だよ絶望 原作者の絶望を理解しろよ
全然抑えた言い方では無いですよ
明らかに“原作者が原因”と言わんばかりの文言
あの文章を見て気分が悪くならない人は居ないと思います
脚本家はファンの集い的な内輪での発言のつもりだったんでしょう。事件の後から見ると軽率であったと言えますが、この程度のことは誰でもやっていますよ。先生が言われるようにファンに経緯説明、お詫びをした際に「無念の思いが漏れた」というのが的確な解釈だと思います。
@@okimunetさん
公開アカウントで投稿してたのに「内輪での発言のつもり」はないでしょう。
あと、仕事上の不満を相手が特定できる状態で発信することは「誰でもやっていること」ではないです。
それともあなたはやっているんですか?
勘違いする脚本家多いな。
人の仕事の上で偉そうにしてもらっては困りますな。
放送できるように橋渡ししてあげる程度で良いんだよ。
なんで自分が表に出ようとする。
テレビという中で歪な仕組みが出来上がったんだな。
作り手の端くれとして申しますに、あらゆる制約を呑んで原作から逸脱せずに書いても滲み出てしまうのが作家性です。脚本家自身のオリジナリティなんぞを殊更に出そうとするのは僭越であることと思われます。
原作の改変を当然のことと認識するのは、自由と自分勝手を混同しているのではありますまいか。
当初は主要な登場人物のキャラクター・性格が変更されたり、王道のラブストーリーに改変され、重要なセリフなどもカットされたた脚本が上がってきていたとのことです。
それについて芦原先生が理由を聞いても明確な答えが返ってこなかったそうですが、ドラマ化するにあたって必要な改変であれば、きちんと説明すればよかったと思いますし、やむを得ない改変であれば芦原先生も受け入れられたのではないでしょうか。
実際、終盤の核になるストーリーで主人公が、原作では「キスを受け入れる」だったのが、ドラマでは「他の人のことが頭をよぎってキスを拒む」に改変されたものが放送されています。
それは芦原先生が脚本のチェックをされてますから、必然性を感じて受け入れられた改変だったのではないでしょうか。
原作に無い登場人物がドラマの相関図に4人もいて、そのキャラクターの詳細まで設定されてましたが、登場人物の性格や核になるストーリーを変えたり、芦原先生が原作に出してないキャラを付け加えてまで表現する必要のあるドラマって何なんでしょうか。
俳優の事務所への忖度とか無かったんでしょうか。
第三者機関を通じて解明していただきたいものです。
その上で、脚本家が何も聞かされてなくて、ただプロデューサーの指示に従っただけなら、それも明らかにすればいいと思います。
え!?
これで終わり!?
先生!
結論が欲しかったです💦
多分、続くんでしょうけれど、、
変なところで切り過ぎですね。。
全くのオリジナルならね
で、重要なのは「原作に忠実に」を聞いててやったのかどうかなんだけどね
その点は前回の解説で語っています。「原作に忠実に」やろうとしても原作者と改作者との間に必ず解釈のズレが生じる。だから毎回原作者がチェックを入れて修正を加える体勢をとったということです
全面に出し過ぎだと思いますけど。
だからと言って殺しちゃダメだよ。
運営さん、怖いのはわかるけど、北村さんを守るためなんでしょうけど、さすがに日照れに忖度し過ぎでは?
このコメント「も」削除する前に、ちょっと立ち止まってみて下さい。
先生なんだかちゃんと事態を把握していないようですね。
わかりやすい解説ありがとうございます。
テレビドラマ制作の場では、原作は客寄せパンダの看板にすぎず、
俳優のイメージ、俳優のファンが喜ぶ、大衆迎合、タレント事務所の意向、視聴率確保、
を目的とした脚本という名のオリジナルのつもりで作ってるのでは?
それが脚本家の腕なんだ、テレビで宣伝してやるんだから原作者は黙ってろ、的な。
そもそもの出発点が完全に違うのだと思います。
この問題、北村先生に語って欲しかったです。いつもフェアな語り口でありながら、心情面も組みとってくれる、北村先生を尊敬しております。
私は脚本家、プロデューサー、など日テレ側の人間は絶対許せずヘイトに近い感情すらあります。北村先生の冷静な口調で、奴らの欺瞞を逃げれないように追求して欲しいです。
私は100%芦原さんを擁護しますが、さすが弁護士でおられる北村先生、相対する立場の人の気持ちや考え方、状況などを客観的な視点から捉えられていてなるほどと思います。
それは違うと思います。
北村弁護士に初めて反論します。
それは北村弁護士が最新刊を読んでないからそんなことが言えるのですよ。脚本家は最後のSNSで「知らなかった」というのは、結局、脚本家は原作をよんでなかったのです。読んでればわかるはず。そこに書いてあるから。北村さんも読めばわかりますよ。読んでない人が話してはいけない。
この脚本家はテレビで取り上げるところだけしか読んでないのです。発売されてる最新刊まで読んでないんですよ。なのに、あのSNS発言。最後の「知らなかった」なんで言えるんです。最初から原作を尊重して理解しようとしていなかったことがわかりますよ。これには「いいね」はつけられません。初めてです。
特に約束を破ってるところがよくないですよね
北村先生こんにちは。
大変興味深く理解に役立つ見解をありがとうございます。
現在バッシングの只中にある脚本家の方をなるべく悪く言わないようにとの配慮が素晴らしいと思いました。
この動画撮影時には上がっていなかった記事だと思いますが、下記の記事を読んで、この脚本家の動機について、先生が考慮に入れていない点があると思いました。
元テレビ朝日法務部長・弁護士 西脇亨輔さんによると(2月16日)、「原作ではほとんどセリフもなく名前もない4人のキャラクターに、ドラマにおいては名前と詳細な人物設定が付加され、しかもその役にネームバリューのある俳優が当てられていた。しかし、原作者の断固とした脚本訂正によってその4人の俳優はセリフも見せ場もほとんどなくなり出番を失った(要約)」という件があります。
株式会社東京スポーツ新聞社(2月16日)によると、「事情を知るフジ関係者の話。として「相沢さんはフジ上層部にかわいがられました。愛嬌があり、取り入るのがうまいです。脚本には俳優や女優のセリフだけでなく、カメラ映りなどをト書き(キャストの動作などの指示書き)として書き込み、それにより俳優や女優の魅力をより引き出した。これを目の当たりにした俳優や女優の所属事務所が大喜びし、『脚本は相沢さんで!』と指名してくるようになったんです」「芦原さんは改変と戦ったんだと思っています。相沢さんはここまで抵抗されたのは初めてだったことでしょう」とのことです」
これらのことから、この脚本家は、「自分が活躍させたいと思っている特定の俳優が、作品内で目立つ活躍をし、好感を持って視聴者に記憶されることを目指して脚本を作っていた」と私は推測します。
それは特定の俳優、特定の俳優の事務所、脚本家自身にとっての「良いもの」であって、「視聴者」にとって良いものとは限りません。つまり脚本家は「第3者から見ての良いもの」だけを目指しているわけではないということです。そしてそれは原作者にとっての良いものでもありませんでした。だから原作者は1話から8話まで、作品の根源に関わるような改変を許さず、自分で脚本を訂正し続けた訳です。
この脚本家には「特定の俳優をドラマ内で活躍させ、彼らが好感を持って視聴者に記憶されるような脚本を書く」という使命があった。
それが「この脚本家の存在意義」の重要な一つであったと思われます。
したがって、この脚本家の方が、苦い経験をして「脚本家の存在意義」を考えさせられたということは、この脚本家ご本人のためにはかえって良かったのではないでしょうか。
脅されたからって忖度はいけませんな。こういうのだからみんな日テレにはダンマリだよねと言われる。組織的に個人を既得利権を犯されてで攻撃しただけでしょう?
脚本家は良かれと思っての中で、原作者の思いを受け取るをどの程度重視しているのだろう?
これは脚本家だけでなく、プロデューサーやスタッフ演者も含めてだけど
オリジナルがあるのにそれと異なるストーリーにするのはやってはいけない事だと思う。脚本家は、原作に忠実に実写版を作るべきで、思い上がってはいけないと思う。
日本では、脚本と脚色が、しっかり分けられていないのも、問題だな~っとも感じました。脚本家は、オリジナルなドラマやアニメの為の台本を書く人、原作をテレビ用、映画用、アニメ用に台本化するのは脚色家として、分けていく必要もあると、この2つの作業には求められるスキルも異なる部分が多いですからね。ビジネスと芸術との違いにおける齟齬について上手く折り合いつけていく為に必要な事についても考えていく必要はあると、あらためて感じさせられます。
自分も脚本家の方も困惑されているんだろと思いました。本能寺ホテル等のお話を聞くまでは。
この脚本家はまともに原作を読んでいなかったという話も出てきてますから、
事実ならプロとしてそれ以前の話だと思います。
北村先生こんにちは
北村先生はテレビ出演もあるので取り上げにくい話題かと思いますが動画をありがとうございます
芦原先生のファンという立場で
セクシー田中さんが読めなくなった責任や読めないことに対する精神的苦痛を理由に日テレと小学館を相手に集団訴訟をすることは可不可で考えたときいかがなものですか?
恐らくできても負けが見えてると思っていますが世間への更なる問題提起と訴訟の過程で事実を明らかにすることを1番の目的として両社を訴えたい時に引受けてくださるような弁護士さんはいるものでしょうか?
1:32 騒動を受けて、原作のセクシー田中さん読んでみたけど、そのうえで脚本家が原作者の想いを汲んだかは怪しいと思った
ドラマの「本当になりたい自分を解き放て!!」というコピーからして、原作の雰囲気からだいぶかけ離れてるように感じた
これは、プロデューサーとか制作現場の意向かもしれないから、脚本家だけの責任ではないかもしれないけど
ドラマ版は原作者の想いを汲む努力はしてなかったんんじゃないかな
今回の問題はわかりやすくいえば、
たとえば某ネズミの国でいうなら、ネズミが銃乱射するような変更をしておいて、
演者や身内では盛り上がり、その原作者はうるさいクレーマーだと断じたことにあると思います。
この動画のような温厚な解釈は、かなり何かに忖度したように感じられますね。
相沢某が“よかれと思って”やってる事は
他人様が描いた蛇の画に脛毛ボーボーな足描き添えて
ドヤァ❗してるようなモンです💨
行列ってまだやってるの?
もしやってて北村弁護士がまだ出演してるとすりゃ利害関係者なんだし全く当てにならんわな
芦原妃名子先生、周りに追い詰められていたんじゃないかと思えるんだけど!!!
原作クラッシャーの弁護士ですか?原作者の弁護士ですか?法律ではどちらが悪いのですか?
単純に想像すると、世間のビジネスでは約束や契約は知らなかったでは済まないです。だから、作者の意図は意識的に無視したのと同じです。これによって作者は今後の原作を作るのに影響が出るほどの変更が生じて、自身の活動に影響が出るほどの労力が割かれ、精神に影響が出るほどの輩から非難を受け、耐えられなくなった…と推測されます。やりたい放題の輩に幾つも罪になる事をやられたい放題されたのではないでしょうか。どこまで当たっているか分かりませんが、テレビ局、プロデューサー、脚本家には、かなり重い責任があるはずです。
原作者と小学館の関係は下請け、元請けとなると思いますか?
確かドラマ化の条件に、脚本は原則に忠実に、そうでなければ加筆修正しますよ、場合によっては自ら脚本を書きますよと伝えていた。にもかかわらず脚本家の嫌味な投稿に腹が立つ。条件通りに仕事をしていれば最終話まで脚本家が仕事出来たはず、自らが招いた事態なのに原作者が無理やり仕事を奪った様な言いがかりを投稿したなんて信じがたい。
今度はたーたんがこのプロデューサーの指揮の元、日テレで制作されるらしいですね。
小学館・日テレ・三上絵里子プロデューサー達の、人の生命の軽視が、ここ、はっきり現れてますよね・・・
ドラマ自体は過程はともかく最終的に成立したのだから満足はしないまでもそれで良かった。
問題はその後のSNSでのやり取りでしょう。
相沢氏による攻撃的なインスタコメント。
それに対する芦原氏のXでの事情説明。
一方は放置で一方は削除。
誰かが芦原氏に圧力をかけて投稿を削除させたとしか思えない。
小学館は芦原氏がなぜ投稿を削除したのか説明する必要がある。
「 私が向き合うのは原作であって原作者じゃない。原作者には会いたくない」
なんて平気で言える業界だからなぁ・・・
未必の故意、いずれ起きても不思議でないとは誰もが思っているはず
私はあの言葉は理解できますよ。作品という物は一旦作者の手を離れたら読者の物になる。読者ひとり一人に違った解釈があって、無数の解釈がその作品の豊かさになります。脚本家もそういう読者のひとりであって、その作品を読んだ時点でその人独自の解釈で新たな作品として生まれ変わってしまっている。脚本家はそこからそれをどうドラマに変換するかを考えるわけで、そこで原作者と会って、あらためて原作者から「この物語はこう読め」と解釈を押し付けらるとしたら「それは作品を創る者としてはいかがなものか?原作者と言えど読者の中に生まれた新たな物語に注文をつけることなどするべきではない」と(私は)思うわけです。あと、原作者と改作者の間の解釈の違いがどこにあるかは全編にわたって細かく付き合わせなければわかりません。それなしに「この部分はこれで解釈は合っているだろうか・・・?」などといちいち考えながら脚本化などできませんよ。(原作者の思いを想像して書いても、その想像が当たっているかどうかわからないのです。そこが間違っていた場合「誰も望んでいない作品」を作ることになってしまいます)そんなことを考えながら慎重に置きに行くような作り方をしたら面白くなるわけがないし。それよりもまずは自分なりの解釈で、誰にも遠慮しない自分なりのフルスイングでその仕事に取り組もうとするはずです。それがあの言葉の意味だと思います。脚本家が自分なりのフルスイングで原作者に自分の解釈をぶっつけ、原作者はそれを修正する権利があるから修正した。それが今回起ったことでしょう。
(ちなみに私は原作のあるドラマを見る時は、どうアレンジ(改変・改作)したかを楽しみに見ます。原作のままがいいなら、原作を読んでいれば良い。原作の劣化コピーなんかより、空振りでも良いからドラマ制作者のフルスイングの方を見たいです。そっちの方が絶対面白い。原作を大幅に改変しながら、原作の精神性を大事にすることで、原作以上に感動できるドラマになった成功例もありますよ)
脚本家が第一に向かい合うべきは視聴者であって、原作者ではありません。視聴者に良い作品を届けることを考えたら、ああいう考え方はありだと思います。脚本家が作品を面白くするために自分なりのフルスイングをするのが視聴者に対する誠実な姿勢だと思います。
もちろん「原作者と会って徹底的に話したい」というような別の考え方の人もいるとは思います。どの方法がベストかは人それぞれでしょう。
@@okimunet
私は理解できないな。なぜ原作と原作者を切り分けられるのか
発言の意味を理解するのに発言者の意図は不要と言っているかのよう
作品のストーリーはいくら改変してもいいし、いっそオリジナルにしてもぐらいだろう。ただ、それの基になるテーマ、世界観、キャラクターを壊したら別の作品。同一性の侵害だろう。そこを変えるのは改変ではない
@@gochuui1 「発言の意味を理解するのに発言者の意図は不要と言っているかのよう」それが受け手(読者)の当然の感覚です。少なくとも私は自分が作品から読み取れることが全てで、作者の意図がどこにあるかなどはいちいち考えません。(あなたはどんな作品に触れても、自分が感じ取れる以上の作家の意図が知りたくなるのでしょうか?そういう人がいても良いとは思いますが、そういうのが一般的だとも思えません)これは受け手の感性が足りないとちゃんと作品を受け止められないとか言う話ではありません。作者が考えた以上の重要なメッセージを受け取る(ある意味受け手が勝手に創造する)ことだってありますよ。
テーマ、世界観、キャラクターそれらも全て解釈にズレが生じますから同一性は絶対保てません。漫画のキャラを生身の役者が演じて同じにできるわけがないでしょ。実写に変換するにあたって必ずアレンジが必要になり、アレンジのしかたは人によって無限のバリエーションがあります。
映画の「シャイニング」「ティファニーで朝食を」など原作者が激怒するほどの改変をしながら歴史に残るような作品にしてしまった例はいくらでもありますよ。アニメでは宮崎駿作品などはほとんどが「原作レイプ」と言ってもいいほどの改変をしており、実際原作者を怒らせています。「君達はどう生きるか」に至っては残っているのはタイトルだけで内容は完全に宮崎オリジナルです。漫画の実写ドラマ化については先にも書いた通り思いっきり改変して別物として楽しめる方を期待します。もちろん改変により失敗した例も無数にあるはずですが、それでも「原作の劣化コピー」を見せられるよりはずっとマシだと思いますね。
(漫画のアニメ化については「進撃の巨人」のように何年かけても原作に依って行く覚悟を持って作られるなら、原作に忠実でありながらも原作を超えることも可能になってきているので、今は改変なしのアニメ化に期待しています)
@@okimunet
それでは私とあなたでは
「理解」ということばの重みが違うのです
解す理は唯一無二です。解釈は分かれるでしょうが
根本の理を無視するからこそ話がこじれてるのですよ。解釈は変えていいですが
@@okimunet それ原作者が改変オールOK出している場合のみじゃない?
少なくとも原作者が満足できる作品作らないと著作者人格権上まずい
北村先生、弁護士としてお話になるなら大事な以下2点を疎かにしてませんか?
【①今回ドラマ化するにあたっての絶対の条件】
・原作に忠実に、そうでない場合加筆修正するを条件にドラマ化承諾したこと
【②原作者が消耗してしまった争点】
・①の契約のはずが、上がってきた脚本の改変がひどいので何度も修正依頼をかけていた。
契約が守られなかったことは1番重要な点だと思います。
消耗した原作者は①の契約が守られないならドラマ中止したいと一時小学館に訴えてます。
意図的に日テレが伝えなかったとしたら【重大な契約反故】にならないでしょうか??
あと事実誤認が少しあるようなので、パナマ文書さんがXでまとめた時系列がわかりやすいので、語る上では是非一度ご覧下さい。
コメント消さないで下さいね♪
おはようございます。バスの中から
どのテレビ局でも同じ論理のような。
法律を学べば
シンプルで、中身まではわからないんです。田畑も一応財産なのだけども、選挙とはまた違う。と思って、政治家のめいしを渡されてすぐに
4:26のところ、原作者の方ではなく脚本家ですよね。
この件の発端は、脚本家が自身のインスタで身勝手な主張を繰り広げ、太鼓持ちの脚本家がそれを持ち上げたことに端を発しています。最重要箇所なので、テロップで修正されるべきかと。事実誤認を拡散されることになりますので。
脚本家の思いをいいように解釈して擁護しているが、脚本家がそう思っていたという証拠でもあるのですか? 例えば裁判で、「被告はきっと良かれと思ってしたはずです、根拠ないけど」なんて弁護が通るわけないと思いますよ。
北村先生、ゴルフうまっ
この問題に関しては主張が煮えきらないね
原作者、脚本家、編集者、出版社のそれぞれの発表が嘘のないものだったとしても、
トラブルがあったことを脚本家が蒸し返しさえしなければという気持ちは残ります。
原作の改変度をしっかり調整したうえで行えばいいけど、今回は調整失敗かつ死者も出してしまった。
今後のテレビドラマの在り方が良い方向に行って欲しいと思う。
公平に見ないといけないお立場なのはわかります
でも、未完の作品を原作者の意図を無視してドラマ化なんてご本人も原作ファンも望んでました??
この場合、どう取り繕っても日テレ側に問題ありです
先生がどんな思いをされたのか…
思い詰めてしまったお気持ちを良く考えて欲しいです
生きて闘う気力もそがれたこの事実にドラマ製作者陣は 背を向けてはいけないと思います
色々なことのすれ違いがあって、それを纏める人が下手だったんでしょうね。。
纏める人=プロデューサーになったつもりで、この場合自分ならどうしたかを考えてみました。(映像制作関係の仕事をしていたもので、企画立案・制作などがどういう感じで進むかはいくらか知っています)
まず「原作を完全に変えない」これは不可能であることは大前提。これは原作者も出版社もプロである以上わかっていることです。なので「何を変えないか」という話し合いが必要です。ここでかなり具体的で細かい取り決めをしない限り解釈のズレが必ず生じます。例えば「キャラクターを変えるな」の場合「キャラクターとはなんぞや?」の解釈は人それぞれ違います。ドラマ制作側が「変えていない」つもりでも、原作者から見たら「変わっている」ということが普通に起ります。なので毎回原作者がチェックをして修正するという体勢を敷きます。そこで、どうせチェックが入って修正するなら、最初に出すたたき台はできるだけ自分たちの意向を反映したものをぶつけて、それにがっちりチェックを入れてもらうのが最も効率的で、作品の質を上げることができると考えます。(実際「これで原作者の思いに合っているんだろうか?」と考えながら脚本なんて書けないと思います。原作者の思いを想像して書いても、その想像が当たっているかどうかわからないのです。そこが間違っていた場合「誰も望んでいない作品」を作ることになってしまいます)
こういう考えでこのプロデューサーは作業を進めたのではないでしょうか。で、このやり方がプロデューサーの思惑にはまってうまくいったから、その方法を続けたのではないかと思います。ところが原作者側としては想像していた以上に違うものが上がってくるので不満を募らせていった。それでもプロデューサーとしては原作者の修正を全てきちんと反映させているし、その結果満足できる作品が作れているので、作業は上手くいっていると感じていたのではないか。放映されたドラマがそこそこ評判が良いところを見ると、このプロデューサーは有能であって、それなりに良い仕事はしたのだと思えます。
以上、あくまで想像ですが、あり得ないことではないと思います。
@@okimunet
私自身が基本的にドラマを観ていないし、原作も読んでいないので、どのように脚色されてどのように改変されているのかが殆ど分から無いんですよね。
全てを確認する時間も無い。
ハッキリ言って、原作者さんの事も脚本家さんの事もこの騒動で始めて知りました。
そして、原作者さんが亡くなるという最悪な事が起こってしまった。
ただただ、こんな不幸な事が二度と起きて欲しく無い。
原作を尊重しない脚本家なんか価値がないから尊重する必要ない。
やってることハイエナみたいに他人の手柄に群がってるだけやねんから。
労働問題関係の不法行為に基づく損害賠償請求は、まだまだ法意(発生した損害の公平な分担)に照らして訴訟手続き、立証の難しさがあって被害者側が泣き寝入りしてる状況にある印象。
被害者個人が負う訴訟のハードルを下げたり、少なくとも一定規模の会社には証拠保全義務を負わせたり。実質的に「パワハラ行為等には法的リスクが伴うこと」を顕在化させて、労働者の権利を守り働きやすい環境をつくる仕組みが必要だと思う。
この「原作クラッシャー」の脚本家の方の、単に力不足とクソ高いプライドでマウント取った結果が、今回の事件のトリガーだと思います。
漫画原作のドラマでも成功している作品もあるわけで、直近で言ったら「昨日、何食べた?」とか。
この脚本家の方は過去に数多くのクラッシャー武勇伝のある人なので、ファンからしたら何でこの人が書くかな?というレベルだし。
そもそもここのスタッフの誰も原作漫画を読んでないのでは?とさえ思います。原作知ってたら、王道の恋愛ドラマにするか?
それしか考えられないようなら、原作ありきのものにはてを出すな❗と言いたい。三谷幸喜さんのようにオリジナルだけで勝負してほしいです。
それもできなきゃ辞めてほしいです。
別名義で活動云々とか噂出てますが、マジで辞めて欲しい。
ならば残りの2話に対しては原作者と脚本家が話し合いをしてくれたら違う結果が出ていたのかもしれない。何故それを示さなかったのか納得出来ないな
原作者が自分が書くと言ったらその通りにするしかない。話し合いの余地はないということでしょう。つまり原作者の権利は完全に守られていたということです。
「原作者の著作人格権が守られていたなら、改変された脚本は出てこないはずだ」という反論があるかもしれませんが、そこは北村先生は前回の動画で説明しています。漫画をドラマに変換するする時に原作者と脚本家には解釈のズレが必ず生じます。ドラマ制作サイドが原作に忠実にやっているつもりでも、原作者から見ると「それは違う」ということは絶対起ります。だから原作者が毎回チェックして修正するということが必要になったのだと思います。
脚本家に原作者に寄り添う気がないことが8話までで分かってしまったからでしょう。人の言葉を聞かずに好き勝手やる人にたたき台になるものを書かせるのは無駄です。どうせ全部やり直しなのですから。提出を待つ時間も惜しいです。
映画のジャイアンは良い奴になります。そのように映画では脚本家に指示が出てるのでしょう。普段の放送でいくら修正してもイジメっ子ではなく良い奴ジャイアンの脚本ばかり書いてくる脚本家がいればお払い箱でしょう。修正する時間がもったいない。
@@murt2286 プロデューサーはあえて脚本家に自由に書かせてみたのではないか?
以下、なぜそう考えるかを解説します。
私は、プロデューサー(あるいはディレクター)になったつもりで、この場合自分ならどうしたかを考えてみました。(映像制作関係の仕事をしていたもので、企画立案から制作までどういう感じで進むかはいくらか知っています)
まず「原作を完全に変えない」これは不可能であることは大前提。これは原作者も出版社もわかっていることです。なので「何を変えないか」という話し合いが必要です。ここでかなり具体的で細かい取り決めをしない限り解釈のズレが必ず生じます。例えば「キャラクターを変えるな」の場合「キャラクターとはなんぞや?」の解釈・認識は人それぞれ違います。北村先生の言う通りドラマ制作側が「変えていない」つもりでも、原作者から見たら「変わっている」ということが普通に起ります。しかし全編にわたって細かく具体的な取り決めをすることは到底無理なので、毎回原作者がチェックをして修正するという体勢を敷きます。そこで、どうせチェックが入って修正するなら、最初に出すたたき台はできるだけ自分たちの意向を反映したものをぶつけて、それにがっちりチェックを入れてもらうのが最も効率的で、双方の意図も最大限反映でき作品の質を上げることができると考えます。(「これで原作者の思いに合っているんだろうか?」と考えながら脚本なんて書けないと思います。原作者の思いを想像して書いても、その想像が当たっているかどうかわからないのです。そこが間違っていた場合「誰も望んでいない作品」を作ることになってしまいます。そして遠慮しながらおそるおそる置きに行くように書いたものが面白くなるわけがありません)
(その変わり幅がどの程度のものだったかは第三者にはわかりませんので、そこは考えないことにします)
こういう考えでこのプロデューサーは作業を進めたのではないでしょうか。このやり方がプロデューサーの思惑にはまってうまくいったから、その方法を続けたのではないかと思います。ところが原作者側としては想像していた以上に違うものが上がってくるので不満を募らせていった。それでもプロデューサーとしては大枠の内容は変えていないつもりだし、約束通り原作者の修正を全てきちんと反映させているし、その結果満足できる作品が作れているので、作業は上手くいっていると感じていたのではないか。放映されたドラマがそこそこ評判が良いところを見ると、このプロデューサーはそれなりに有能であって、良い仕事はしたのだと推察します。
以上、あくまで想像ですが、あり得ないことではないと思います。少なくとも私なら上記のように考えて仕事に取り組みます。(ただ、無用なトラブルは作品の質にかかわるので、相手によってはもっと気を使ってこの通りには実行できないかもしれません。いずれにせよ視聴者を第一に考え「良い作品にしたい」と思ってやっていたことは間違いありません)
【問題①】
原作者はドラマ化の条件として「必ず漫画に忠実に」「終盤はあらすじからセリフまで用意する。原則それを変更しない」としていたが、ドラマのプロットと脚本はそれが守られていなかった。
そのため原作者は度重なる修正を行うことになり9話以降については致し方なく自ら脚本を書くことになった。
※後に小学館はこの条件を日テレに伝えていると表明、だが脚本家は条件を知らなかったと表明。
【なぜ①】
日テレはなぜドラマ化の条件を脚本家に伝えなかったのか?
小学館はなぜ条件が守られないことに対処しなかったのか?
【問題②】
脚本家が第9話以降の脚本を外されたことに関する苦言をSNSに投稿。
【なぜ②】
日テレはこの投稿が不適切だと分かったはずなのになぜ対処しなかったのか?
【問題③】
原作者が編集者に確認した上で事実をブログに投稿。
後に「攻撃したかったわけじゃなくて ごめんさない」とSNSに投稿してブログ投稿を削除。
【なぜ③】
日テレは原作者のブログ投稿にどのような対応をしたのか?
日テレから小学館にブログを消すように要請してないか?
日テレからの要請に対して小学館はどのような対応をしたのか?
【問題④】
日テレと小学館が何一つ公表しない。
【なぜ④】
理由は何か?
あらあら日テレと小学館に火消し依頼をされたのでしょうか?気になるなー🤔
そもそも、弁護士なんだから決めつけて話すわけにはいかない、どちらにも言い分があるからその中間の意見として話してるだけ、片方に寄り添ったら話す意味がない、北村さんはどちらかの味方として話すわけにはいかないのだから
このチャンネルは日◯レ批判のコメントをシ◯ドーB◯Nしてます。されたので。つまり、そういう事です。残念です。
日照れ批判コメントばんばん削除してますね、このチャンネル。。全部消された。やばいぞここ。
@@MAMI-yc6pu どちらの味方もしない。先入観を捨て、巷にはびこる憶測などは排除して、事実だけを元に考察・解説する。今、一番求められる姿勢ですよね。
今時、テレビなんか見るのはご高齢の方が多いだろうから、その方達が理解できないと視聴率が出ないからねえ。
今は日テレの調査発表が待たれる状況ですが、最初の対応に失敗したため何を言っても炎上に燃料を与える状態になっているので、当事者は非常に発言しにくくなっています。なので傍観者である私があえてドラマ制作側に立って「どこにも悪い人はいなかった。ボタンの掛け違いがあっただけではないか?」という推論を書いてみます。(以下長文)
私は、プロデューサー(あるいはディレクター)になったつもりで、この場合自分ならどうしたかを考えてみました。(映像制作関係の仕事をしていたもので、企画立案から制作までどういう感じで進むかはいくらか知っています)
まず「原作を完全に変えない」これは不可能であることは大前提。これは原作者も出版社もわかっていることです。なので「何を変えないか」という話し合いが必要です。ここでかなり具体的で細かい取り決めをしない限り解釈のズレが必ず生じます。例えば「キャラクターを変えるな」の場合「キャラクターとはなんぞや?」の解釈・認識は人それぞれ違います。北村先生の言う通り、ドラマ制作側が「変えていない」つもりでも、原作者から見たら「変わっている」ということが普通に起ります。しかし全編にわたって細かく具体的な取り決めをすることは到底無理なので、おおざっぱな取り決めをしたうえで毎回原作者がチェックをして修正するという体勢を敷きます。そこで、どうせチェックが入って修正するなら、最初に出す「たたき台」はできるだけ自分たちの意向を反映したものをぶつけて、それにがっちりチェックを入れてもらうのが最も効率的で、双方の意図も最大限反映でき作品の質を上げることができると考えます。(「これで原作者の思いに合っているんだろうか?」と考えながら脚本なんて書けないと思います。原作者の思いを想像して書いても、その想像が当たっているかどうかわからないのです。そこが間違っていた場合「誰も望んでいない作品」を作ることになってしまいます。そして遠慮しながらおそるおそる置きに行くように書いたものが面白くなるわけがありません)
(その変わり幅がどの程度のものだったかは第三者にはわかりませんので、そこは考えないことにします)
こういう考えでこのプロデューサーは作業を進めたのではないでしょうか。このやり方がプロデューサーの思惑にはまってうまくいったから、その方法を続けたのではないかと思います。ところが原作者側としては想像していた以上に違うものが上がってくるので不満を募らせていった。それでもプロデューサーとしては大枠の内容は変えていないつもりだし、約束通り原作者の修正を全てきちんと反映させているし、その結果満足できる作品が作れているので、作業は上手くいっていると感じていたのではないか。放映されたドラマがそこそこ評判が良いところを見ると、このプロデューサーはそれなりに有能であって、良い仕事はしたのだと推察します。
以上、あくまで想像です。完全に間違っているかもしれませんが、少なくとも私なら上記のように考えて仕事に取り組みます。(ただ、無用なトラブルは作品の質にかかわるので、相手によってはもっと気を使ってこの通りには実行できないかもしれません。いずれにせよ視聴者を第一に考え「良い作品にしたい」と思ってやっていたことは間違いありません)
ついでに日テレが最初なぜあんな他人事のような冷ややかなコメントを出したのか?考察・解説している人がいました。 その人が言うことを意訳すると、「日テレとしては最終的には原作者の意向は全て反映して良いドラマが作れた。途中ゴタゴタがあったがそんなことはままあることだ、きちんと対応し完成させ放映も終えた。終り良ければ全て良し。原作者からも感謝の言葉をいただいている。めでたしめでたしと思っているところに、なぜか下請け業者と原作者がもめているという話が飛び込んで来て「うちはきちんと仕事してきれいに終らせたのに、今頃になってなんで下請けがトラブルおこしてるんだよ!迷惑だ」という意識があった」からだそうな。実際本気で自分たちの仕事に瑕疵はなかったと思っていたんでしょう。(今明らかになっている事実を全部見ても「ここが瑕疵だ」と推察はできても断定できるものは出てきていない)そのせいで状況認識が足りず対応を誤ったということでしょう。これで炎上が大きくなって、向かって来て冷静に発言を聞いてもらえる機会を失ってしまった。言われてみればそうかなと思う。
以上「悪い人はどこにもいなかった。ボタンの掛け違いがあっただけ」説です。全て想像であってこれが当たっているとは言いません。でも可能な推測ではあります。
さらに「誠意ある仕事とは?」を考えてみました。
ドラマ制作側が原作者に案をプレゼンするときに
(1)「ドラマとしてはこうするのが絶対面白い」と信じるものを全身全霊で考えて、原作者にぶつける
(2)自分としては「もっと面白くできるんだけどな、いまいちだな」と思いながら、原作者の意向を反映したものを見せる
どちらが誠意ある仕事だろうか?私は(1)だと思う。
(2)はある意味失礼だし、原作に対するリスペクトもないように感じる。なによりもドラマ制作者が最も大事にすべきである視聴者への誠意が欠けている。原作者は「読者」への誠意として原作を守ろうとしているわけだが、新たな「視聴者」に対して誠意を示す術を知らない。そこを補うのがドラマ制作者だ。もちろんドラマ側にいくら誠意があったとしてもそれが正しいとは限らない。だからジャッジは原作者に任せる。あるいは双方の考えを付き合わせて共同でこのドラマはどうあるべきかを決める。これが双方に対しても読者にも視聴者にも誠実な仕事だと思うのだが。
ちなみに私は漫画のドラマ化に際しては、思いっきり改変した方が絶対面白いと思っています。原作通りが良ければ原作だけ読んでいればいいではないか。遠慮しながら恐る恐る置きに行くように作った「原作の劣化コピー」より、テレビマンなりの遠慮のないフルスイングを見たいですね。それが空振りであっても。
レジェンドである「東京ラブストーリー」は、ストーリーも主人公の赤名リカ(だっけ?)のキャラクターもドラマ向けにかなり改変されている。だけどあれが原作通りだったら絶対ヒットしていない。ドラマのヒットで売れた原作の方もあそこまでヒットしなかったと思う。私はドラマで感動して原作を読み「原作はちょっときついな」と思いつつも、それぞれで違った楽しみ方ができた。こうしたほうが作品が豊かになると思う。(原作者がどう思ってたかは、受け手としては知ったこっちゃないです。作品が面白いことが全て)
こういうの、会社が原作者との契約を気にしていなかったり、原作者と脚本家の両方に嘘ついたりしていないんですかね。先生先生と持ち上げてはいるけど、実は単なる外注先として軽くみているとか。原作者の担当と脚本家の担当は上司と先生の間で苦しんでいたりして。🤔
脚本家の擁護のようなコメントでしたね。テレビのワイドショーでのコメントのようでつまらなかった。
受け取り手の印象でしかないですが、どうも脚本家の方の文面、言い回し等から、私が脚本書いたから面白いドラマになったのよ、9.10話と一緒にしないでよねって感じでとても上からものを言って原作者に対するリスペクトは全く感じませんでした。
〘 私が私が〙って自己主張や自己承認の強い方なんだなと…
人を尊重できない人は共同作業なさらず、縁の下の力持ちは向かないなら前面に出て、ご自身で原作書いてドラマ作られれば良いかと。ご本人含めみんな不幸になりますね
事実誤認がたくさんあるので、もう少しちゃんと調べてから語ってください。
他企業と仕事するんだから契約書とか作ると思うんですがどうなんでしょう
そしてその契約書に作者が原作を使うにあたっての条件とか書かないのでしょうか
TV局側も出版社側もそこら辺の説明をしないので色々と邪推してしまいます
こんばんは。最近思うのは原作ありなら脚色ですよね。そこきちんと分けるべきだと思うんです。少しでもよかれと思っているのなら。
原作者〇〇さん、脚色△△さんというように。オリジナル原作が既にあるのに脚本家と名乗るのがおこがましいと思うんですが。
まあ原作とすり合わせてないんだろうな、原作者とのコミュニケーションよくないんだろうなあは多くの人が思っていると思うんですが。
漫画で映える表現と映像で映える表現は違う。脚本がそこをいじりたい気持ちはわかる。
でも権利者に変えるなと念押しされてたならしっかりと擦り合わせるべきだったし、陰口みたいなことをぶちまけるのは論外。
けれど、どうも漫画家サイドも直接やりとりをせず編集なりを間に挟んでしまっていたらしいから、そこの対応には難があった。
作家と直接やりとりしてても齟齬が出るのに、間に一人挟まったら事故率が跳ね上がるのは当然なんです。
とはいえそこをなんとかするのがプロデューサーのはずなんだけど。
もしこの件について誰か一人が悪いというならプロデューサーに尽きます。
ちょっと極端な例だけど、昔、森進一がおふくろさんを勝手に改編して、作詞家の川内康範氏が激怒し、氏が亡くなるまで歌わせてもらえなかったのと同じじゃないかなあ。
それ、作詞家が大物だったから権利行使できたけど、力が弱い人だったらそれが出来たかと言うのが今回の問題かと
@@michiakiisida9268
脚本の修正など、最低限の権利行使はできてるよ。
原作者からすれば、到底納得できないレベルではあるだろうけど。
問題は、当初の契約と原作者の思いが踏みにじられたこと、そして原作を守るために行った一連の苦労が、さも自分勝手な行為であるかのように一方的に吹聴されたことだと思う。
@@tchang6858 声を上げ続けることが出来れば修正要求も通るだろうけど、問題はそのことによって著しい不利益が発生しないかの恐怖なんだけど。
ここら辺は出版社への必ず自分の味方になってくれるとの信頼か、出版社と喧嘩別れしても大丈夫との自信がないと厳しくない?
@@michiakiisida9268
いろんな人に論点ブレブレで噛み付いたものの、相手にされなくて寂しいみたいねw
あなたがやっているのは、我を通すために揚げ足とりしてるだけ。
あるべき姿を見つけていくための議論ではないのがハッキリわかったので、これ以上は時間の無駄。
マジメに返信して損したわ。
@@tchang6858 ブレブレねぇ?
貴方に対しては権利があるにしてもその行使にはリスクなり閣議があると言っているだけなんだけどね
そもそも著作物人格権って某弁護士が発言する前は私は各ニュースなりスレ欄なりで見たことなかったけれど、有名で実務上原作者が発言すれば簡単に聞き入られる権利なの?
会社側も簡単に行使できないような術仕組んでいるだろうし、原作者もそういう権利があると知っていたのかな?
それと保証人か、保証人ってなりたくないけど人間関係でならざる得ないときなる、なる側は殆どメリットないものだと思っているけど、あなたの中で放送化ってそんなもん?
どうなんでしょう。難しい問題ですね。
自分とすると、日本テレビがもっとしっかり間に入るべきではないのか?なんて思います。
どう間に入るか、どう両者に関与するのか、何が正解なのか、答えが無い問題なのかも。
ただ、マンガの原作者さんがテレビドラマの脚本を書くというのは、かなり異常な事態に感じます。
似たように見えて全く違う”作業”でしょうし。
心情的には、ゼロから物語やキャラクターを作り出した原作者に対して、ゼロからモノを作ってない人が偉そうに言えるのか?とも思います。その両者の落としどころをテレビ局が上手くコントロール出来なかったのか?はたまたやる気がなかったのか?残念でありません。
うーーん、事実関係が違うような。日テレも脚本家も明確に「原作者からの許諾における条件・・・そんな話聞いてない」で一貫してる。 だから原作者のワガママ。という捉え方だった。ところが原作者は「脚本家が約束違反してる」で一貫してる。 どうみても間に入った小学館が「両方にいい顔しちゃった」事案にしかみえん
まだ漫画の連載が続いていくのに、原作の内容を変えてしまうのはあかんでしょう。ましてや原作者が内容は原作通りにしてくれないと困ると最初に伝えてあるのに。
いつも動画を楽しみに拝見しています
さて、先日
広島県安芸高田市の臨時議会を見て疑問に感じたので、法曹のお立場としての見解をお願いしたいのですが…
市の「市側が名誉毀損で訴えられた裁判の控訴についての専決処分」の承認についての臨時議会でした
その場に、「原告側の証人」つまり関係議員が3人も出席していました
原告の議員は退場されてましたが、この3人が参加して原告側に有利と思われる発言をしていたように感じました
これはどうなのでしょう?
北村先生のお考えをお聞かせいただければ幸いです
脚本を担当された相沢さんによると「芦原さんのブログの内容は初耳だった」とのことでした。結局、何があったんでしょうね。
北村先生は弁護士ですから相沢氏の立場ならの発言ですね。感情的にならず考えると。そして彼女の後日の発言は「私は知らなかった」彼女の言葉を信じるならここで言っている「知らなかった」は日テレが先生の原作通りを約束していた事を知らなかった事を指すのならば一応の筋は通る。元凶はプロデューサーと日テレそして先生を守らなかった小学館だろう。でもそもそも相沢氏が幼稚な憂さばらしの投稿をしなければこの悲劇はなかった事は否定できない。
脚本家さんは原作を元に
映像化した場合、いかに
映像の世界で原作の魅力を引き出すか、という事に全力をそそがれてると思いますよ
それで多く視聴者の心を掴めれば任務達成です
今回お一人の尊い命が失われ、痛ましい限りですが
脚本家さんサイドの言い分も騒動が落ち着いたらしっかり述べていただきたいです
状況経過いわれても…北村さんの最終結論や見解きくまえに動画おわってるやん
思いました。動画撮影は終ってるんだから、1回で全てじゃないなら、
タイトルに1/3、2/3とか表記して欲しいですね。
法規上での解説分かりやすく感謝いたします。
この脚本家の主張が 自殺要因に当たるのか 又 執拗に原作者のシナリオを叩いていた NtlWPN2Zと言う存在など 大変に気になっております。
さらに
調べると自殺関与の条文等ありますけど 少々疑問な点もあり
今回のように 追い詰められたものが出たとき 警察が動くべきなのか 法に不備が有るのか この点も気になります
脚本家とは物理的な時間尺の制約のない表現の作品(小説や漫画)を物理的な時間尺のある表現の作品(映画やテレビドラマや演劇)にするのがひとつの仕事 そこで原作のテイストを原則残して如何に取捨選択するかの編集能力が必要 次に脚本家の領分になるのは小説なら行間 漫画ならコマとコマの間 より具体的にはヒトコマ目すれ違う男女 フタコマ目振り返る男 このコマとコマの間にある男女の心境 なぜ男は振り返ったかの動機 それらを原作の意に沿いながら膨らませること まぁ自由裁量に近いこの行間を埋める作業に脚本家の自我の強弱が出やすく黒沢久子のような勘違いバカな脚本家も往々にして出てきてしまうんでしょう しかし ときとして脚本家は原作者すら気づかなかった行間の隠された宝物を掘り出すことがあって それこそが善き脚本家と言うものだろうね 原作の行間をこっちの自由裁量だと調子に乗って原作者の意図をひとつも汲み取れない相沢や日テレPが行間という行間にこれでもかと恋愛関係とかぶちこんでヒットメーカー気取りになってるのが今回のクソな事件の真相だろうよ
漫画家の団結権の話ですが、労働者には団結権や団対交渉権などの権利があります。
しかし、漫画家にはそれはないんですね。 あるのは巨大組織対個人の交渉のみですね。
まあ、巨大組織の人は文系エリートの集団ですので「漫画家風情にはそんな知恵も仲間意識も学歴ないだろう」とタカをくくってるのかも知れません。
脚本家達の発言もそうですけど、差別意識という非常に醜い深層心理があるように見えます。
今までの漫画家さんの体験談ヒアリングからしてもそうかもしれません。
でも、漫画家の行動を見ても、そんな動きは見えませんね。
だから弱い集団とみなされるわけでしょう。
弱い物には手加減しないのが巨大組織でもあります。
どうも著作物をモノとして扱っている思えます。原作者にとって作品は「自分自身」や「自分の子供」なのです。
自分や自分の子供が他人の手によって、改造人間にされてしまったら、そしてそれが社会一般に公開されたら、
もう元へは戻れません。そのための著作人格権だと思います。
原作をちゃんと読んでなさそうな人です
最初の発信で脚本家側が原作者先生への誹謗が多数ある時点で、無理な人になりました
原作者が描いたいものは生きづらさとか人生について。脚本家はどうやら恋愛ヤッホー。相容れないね。
相沢氏の困惑は原作者のテレビドラマ化への条件を全く無視してるか知らないかが所以。慣習的にこの脚本家は原作者クラッシャーなので放置すれば好き勝手に改変する。原作への理解も不足してる。場合によったら原作を読まない。
インスタでの事実の伝え方も厭味ったらしく攻撃的です。わがままな原作者の不当な介入。二度と許さない。って論調。