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奈良には何回か行っているのですが、甘橿丘に行ったことなかったです。今度行きます。
甘橿丘、ちょっとしたハイキングに最高です。木々の向こうに目をこらすと、入鹿首塚が見えたりします。ぜひお出かけください♪
以前 明日香村に行ったのですが甘橿丘には登らなかったので動画で様子が分かって行った気分になれてよかったです 甘橿丘の標高が147mで飛鳥寺が100mですので散歩にはちょうどいい高さですね
甘橿丘、とてもいい散歩コースですよね。標高差は飛鳥寺から47mなのですね!ご教示ありがとうございます。ゆったり上るのにはちょうどいい高さだと思います(^-^)
この動画のおかげで、甘樫丘に登るという念願が叶いました。大きなハチはブンブン飛んでましたが、マムシには遭遇せず、また、お散歩中のおじさまに教えを乞いながら、無事に展望台についた時の達成感‼️古代の人達が眺めたであろう景色を満喫でき、退院1年の良い記念となりました。ありがとうございました😂その後も、このシリーズをたどりたかったけど、あまりの暑さに、途中でくじけてしまいましたが、涼しくなったらきっとまた訪れようと思います。本当にありがとうございました🙏
私の動画をご覧にいただいて甘橿丘に上られたなんて感激です。こちらこそありがとうございました♪暑い時期はキツいですが、秋になったらぜひまた飛鳥にお出かけください😊
甘樫の丘からの三山の眺めは何度見ても素晴らしいです。最近のレンタルサイクルは電動なので飛鳥巡りが楽になりました。先週は八木から耳成山香具山雷丘までだったので、大好きな眺めを見せていただいてありがとうございます。
甘橿丘、本当にいい眺めですよね!何度でも行きたくなる場所です。
甘樫丘…明日香に行くと必ず行きます!何度行っても素敵な景色ですね。
いいところですよね。次回は別の展望台にも行ってみたいです。
甘橿丘は、樫の木が数多繁りたる丘ということでしょうか。熱湯に手を入れるのは『押すなよ! 本当に押すなよ!』の芸に継承されているかも知れませんね。
熱湯芸のルーツは盟神探湯!(≧▽≦) 素晴らしい説です!
@@umemaeSakiko お早うございます。昭和20年8月16日の昼過ぎに、早々と看板を付け替え、秘匿された国の重要施設・機関がふたつあり、ひとつは東京陸軍病院が国立第一病院、もうひとつは陸軍参謀本部陸地測量部が国土地理院となりました。問題は後者で、戦前の地図は総て後者が作成し、管理しました。外敵に知られたくない地域は白地図で残したりする操作がし易かったためです。問題なのはそこで、明治時代に地名を確定するために担当官が日本中の村や山などの名称を古老などに聞き、記すのですが、古老が漢字表記を即答できないと担当官は音読み(当て字)で書き記しました。よって、詳しい研究者にすると噴飯物の地名が日本中にもの凄い数で出現します。またそれを鵜呑みにして、いい加減なことを言う人達もいて、歴史研究には障害です。例えば、アタシの家の近くを流れる多摩川の支流に大栗川があります。この川の説明に物知り顔の古老がかつて、「上流に大きな栗の木があった」などと言って、市が記録に残す有様。正しくは、八王子市鑓水を源としており、流路が多摩市和田辺りで山に突き当たり右に直角に曲がるところがあります。山の下部が浸食される度にその上の火山灰地が下に落ちます。つまり大栗川とは、途中大きくえぐれた川(大刳川)という意味です。それは今、襟ぐりなどの言葉に繋がっています。このコンテンツの主題・甘橿丘の場合、甘の発音のアマは研究する価値があります。古代中国語・朝鮮語にそれに似た発音・意味の言葉はないかなど。甘いという漢字はどう見ても古代の音読み・当て字です。
初めまして、私は橿原神宮前駅近くに在住するものです。最近こちらの動画を知りまして拝見させていただだいております。私はよく友人を明日香村に案内することがあり、大変役に立っております。ありがとうございます。 ところで、動画に内容につきまして疑問点があります。動画中では「甘樫丘」を「甘橿丘」と表示されておりますが、どちらが正しいのでしょうか?
コメントありがとうございます。橿原神宮前駅近くにお住まいなのですね。(羨ましいです!)甘樫丘なのか、甘橿丘なのか、というご質問ですが、これは、私も気になって調べたことがあるのですが、印刷物によって異なり、どちらが正解というわけではないようです。国営飛鳥歴史公園のサイトでは「甘樫丘」となっており、一部の論文では「甘橿丘」となっています。私は以前から「甘橿丘」と表記してきましたが、最近は東麓遺跡も甘樫丘ですし、先日発売された「飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック」でも、お手伝いした校正段階では「甘橿丘」だったのですが、完成版は「甘樫丘」となっていました。なので、そろそろ「甘樫丘」に変更したほうがいいのかな?と思っている日々です。
@@umemaeSakiko さん ご返事ありがとうございます。5月にはサイクリングの友人10名近くを伴って飛鳥巡りをします。私が案内役です。梅前さんから教えてもらったことが役立ちます。 それから、甘樫丘ですが、2024年7月中旬まで展望台部分が立ち入り禁止になっています。(5月3~6日を除く)www.asuka-park.jp/news/anagashi_kiseiannai202405/
NHKの乙巳の変の番組で甘樫丘は蘇我入鹿宅の裏山と言っていたと思うのですが私の記憶違いですね。今月12日に明日香村に伺います。
蘇我入鹿の邸宅は甘橿丘の麓に建てられていたとされているので、邸宅の裏が甘橿丘というのは間違いではないと思います(^-^) 入鹿の父・蝦夷の邸宅は甘橿丘の上にあったという記録が残っています。
遂に登場「甘橿丘」❗リモート登山(って程でもないか😅)出来て最高です、ありがとうございました👍蘇我の邸宅があっと言うことなので、もう少し低い丘のイメージでした😁頂上から飛鳥の地を一望したいものです‼️まむしに要注意で⚠️
甘橿丘、結構な上りで、あの頂上に邸宅を構えた蘇我蝦夷は当時かなりな高齢だったはずなのに大丈夫だったのかなと心配になりました。あと、頂上までお水とか食料とか運んだ召使い?たちは大変だっただろうなと😅
ママチャリに乗って~♪❤
ママチャリ、気持ちよかったです♪
先日ここにも行きました。先生とは反対のほうから登りました。階段だったので、結構きつかったですね。本当にこんな丘に蘇我氏の邸宅があったんでしょうか。通勤、大変ですよね(^^♪さらなる発掘調査が気になりますね!
階段ルートはキツいですよね。お疲れさまでした。蘇我の邸宅は、上に蝦夷の邸宅があったとのこと、蝦夷本人はあまり上り下りしなかったかもですが、働く人たちは大変だったでしょうね。特に水を運ぶ人たちとか( ;∀;)
「令和の案内板」の中ですが、エビノコ郭の西の広場(前庭)に、塀に囲まれた建物が増築されてますが、あれなにかご存知ですか。勝手に書き足したのでしょうか?
明日香村役場のあたりですね? 不勉強でよくわからないのですが、あのような公式の説明板に根拠のないことを書くとは思えないので、何か発掘成果があったのだと思います。何か判明しましたらお知らせしますね。
あのポスター何年も前から使われていたみたいで、謎の建物は「明日香村役場」を表現しているようです。でも、あの庭自体が遺跡と思うのですが・・。お騒がせしました。
そうなんですね! ご教示ありがとうございます(^-^)
地元の歴史好きな方が以前から有る路を通って山頂へ歩く動画を出していらっしゃいました。途中には万葉集で歌われた万葉の植物園路が有って「磐代の浜松が枝を 引き結び。。云々」歌われてる樹木を当てるクイズ形式になっていて少しだけ勉強出来ました。頂上付近でやっと梅前さんの遠った道と合流出来るルートでしたが仕掛けが有って良かったですよ。梅前さんが悪いとは決して言っておりませんので誤解ない様に願います
そうなんです、甘橿丘はいろいろな登り道があるんですよね♪ 急登だったり明るかったり暗かったり。これからもいろいろご紹介していきたいと思っています。
奈良には何回か行っているのですが、甘橿丘に行ったことなかったです。今度行きます。
甘橿丘、ちょっとしたハイキングに最高です。木々の向こうに目をこらすと、入鹿首塚が見えたりします。ぜひお出かけください♪
以前 明日香村に行ったのですが甘橿丘には登らなかったので動画で様子が分かって行った気分になれてよかったです 甘橿丘の標高が147mで飛鳥寺が100mですので散歩にはちょうどいい高さですね
甘橿丘、とてもいい散歩コースですよね。標高差は飛鳥寺から47mなのですね!ご教示ありがとうございます。ゆったり上るのにはちょうどいい高さだと思います(^-^)
この動画のおかげで、甘樫丘に登るという念願が叶いました。大きなハチはブンブン飛んでましたが、マムシには遭遇せず、また、お散歩中のおじさまに教えを乞いながら、無事に展望台についた時の達成感‼️
古代の人達が眺めたであろう景色を満喫でき、退院1年の良い記念となりました。
ありがとうございました😂
その後も、このシリーズをたどりたかったけど、あまりの暑さに、途中でくじけてしまいましたが、涼しくなったらきっとまた訪れようと思います。
本当にありがとうございました🙏
私の動画をご覧にいただいて甘橿丘に上られたなんて感激です。こちらこそありがとうございました♪
暑い時期はキツいですが、秋になったらぜひまた飛鳥にお出かけください😊
甘樫の丘からの三山の眺めは何度見ても素晴らしいです。最近のレンタルサイクルは電動なので飛鳥巡りが楽になりました。先週は八木から耳成山香具山雷丘までだったので、大好きな眺めを見せていただいてありがとうございます。
甘橿丘、本当にいい眺めですよね!
何度でも行きたくなる場所です。
甘樫丘…明日香に行くと必ず行きます!何度行っても素敵な景色ですね。
いいところですよね。次回は別の展望台にも行ってみたいです。
甘橿丘は、樫の木が数多繁りたる丘ということでしょうか。熱湯に手を入れるのは『押すなよ! 本当に押すなよ!』の芸に継承されているかも知れませんね。
熱湯芸のルーツは盟神探湯!(≧▽≦) 素晴らしい説です!
@@umemaeSakiko お早うございます。昭和20年8月16日の昼過ぎに、早々と看板を付け替え、秘匿された国の重要施設・機関がふたつあり、ひとつは東京陸軍病院が国立第一病院、もうひとつは陸軍参謀本部陸地測量部が国土地理院となりました。問題は後者で、戦前の地図は総て後者が作成し、管理しました。外敵に知られたくない地域は白地図で残したりする操作がし易かったためです。問題なのはそこで、明治時代に地名を確定するために担当官が日本中の村や山などの名称を古老などに聞き、記すのですが、古老が漢字表記を即答できないと担当官は音読み(当て字)で書き記しました。よって、詳しい研究者にすると噴飯物の地名が日本中にもの凄い数で出現します。またそれを鵜呑みにして、いい加減なことを言う人達もいて、歴史研究には障害です。例えば、アタシの家の近くを流れる多摩川の支流に大栗川があります。この川の説明に物知り顔の古老がかつて、「上流に大きな栗の木があった」などと言って、市が記録に残す有様。正しくは、八王子市鑓水を源としており、流路が多摩市和田辺りで山に突き当たり右に直角に曲がるところがあります。山の下部が浸食される度にその上の火山灰地が下に落ちます。つまり大栗川とは、途中大きくえぐれた川(大刳川)という意味です。それは今、襟ぐりなどの言葉に繋がっています。このコンテンツの主題・甘橿丘の場合、甘の発音のアマは研究する価値があります。古代中国語・朝鮮語にそれに似た発音・意味の言葉はないかなど。甘いという漢字はどう見ても古代の音読み・当て字です。
初めまして、私は橿原神宮前駅近くに在住するものです。最近こちらの動画を知りまして拝見させていただだいております。私はよく友人を明日香村に案内することがあり、大変役に立っております。ありがとうございます。 ところで、動画に内容につきまして疑問点があります。動画中では「甘樫丘」を「甘橿丘」と表示されておりますが、どちらが正しいのでしょうか?
コメントありがとうございます。橿原神宮前駅近くにお住まいなのですね。(羨ましいです!)
甘樫丘なのか、甘橿丘なのか、というご質問ですが、これは、私も気になって調べたことがあるのですが、印刷物によって異なり、どちらが正解というわけではないようです。国営飛鳥歴史公園のサイトでは「甘樫丘」となっており、一部の論文では「甘橿丘」となっています。私は以前から「甘橿丘」と表記してきましたが、最近は東麓遺跡も甘樫丘ですし、先日発売された「飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック」でも、お手伝いした校正段階では「甘橿丘」だったのですが、完成版は「甘樫丘」となっていました。なので、そろそろ「甘樫丘」に変更したほうがいいのかな?と思っている日々です。
@@umemaeSakiko さん
ご返事ありがとうございます。5月にはサイクリングの友人10名近くを伴って飛鳥巡りをします。私が案内役です。梅前さんから教えてもらったことが役立ちます。
それから、甘樫丘ですが、2024年7月中旬まで展望台部分が立ち入り禁止になっています。(5月3~6日を除く)
www.asuka-park.jp/news/anagashi_kiseiannai202405/
NHKの乙巳の変の番組で甘樫丘は蘇我入鹿宅の裏山と言っていたと思うのですが私の記憶違いですね。今月12日に明日香村に伺います。
蘇我入鹿の邸宅は甘橿丘の麓に建てられていたとされているので、邸宅の裏が甘橿丘というのは間違いではないと思います
(^-^) 入鹿の父・蝦夷の邸宅は甘橿丘の上にあったという記録が残っています。
遂に登場「甘橿丘」❗リモート登山(って程でもないか😅)出来て最高です、ありがとうございました👍蘇我の邸宅があっと言うことなので、もう少し低い丘のイメージでした😁頂上から飛鳥の地を一望したいものです‼️まむしに要注意で⚠️
甘橿丘、結構な上りで、あの頂上に邸宅を構えた蘇我蝦夷は当時かなりな高齢だったはずなのに大丈夫だったのかなと心配になりました。あと、頂上までお水とか食料とか運んだ召使い?たちは大変だっただろうなと😅
ママチャリに乗って~♪❤
ママチャリ、気持ちよかったです♪
先日ここにも行きました。
先生とは反対のほうから登りました。
階段だったので、結構きつかったですね。
本当にこんな丘に蘇我氏の邸宅があったんでしょうか。
通勤、大変ですよね(^^♪
さらなる発掘調査が気になりますね!
階段ルートはキツいですよね。お疲れさまでした。
蘇我の邸宅は、上に蝦夷の邸宅があったとのこと、蝦夷本人はあまり上り下りしなかったかもですが、働く人たちは大変だったでしょうね。特に水を運ぶ人たちとか( ;∀;)
「令和の案内板」の中ですが、エビノコ郭の西の広場(前庭)に、塀に囲まれた建物が増築されてますが、あれなにかご存知ですか。勝手に書き足したのでしょうか?
明日香村役場のあたりですね? 不勉強でよくわからないのですが、あのような公式の説明板に根拠のないことを書くとは思えないので、何か発掘成果があったのだと思います。何か判明しましたらお知らせしますね。
あのポスター何年も前から使われていたみたいで、
謎の建物は「明日香村役場」を表現しているようです。
でも、あの庭自体が遺跡と思うのですが・・。
お騒がせしました。
そうなんですね! ご教示ありがとうございます(^-^)
地元の歴史好きな方が以前から有る路を通って
山頂へ歩く動画を出していらっしゃいました。
途中には万葉集で歌われた万葉の植物園路が有って
「磐代の浜松が枝を 引き結び。。云々」
歌われてる樹木を当てるクイズ形式になっていて少しだけ
勉強出来ました。頂上付近でやっと梅前さんの遠った道と
合流出来るルートでしたが仕掛けが有って良かったですよ。
梅前さんが悪いとは決して言っておりませんので
誤解ない様に願います
そうなんです、甘橿丘はいろいろな登り道があるんですよね♪ 急登だったり明るかったり暗かったり。これからもいろいろご紹介していきたいと思っています。