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映像解説ありがとうございます。甘樫丘って、響きかいい名前。自分もいつか行ってみたいです♪
ご視聴ありがとうございます♪甘橿丘、とてもいいところです。頂上からの眺めも最高です。ぜひ一度お出かけください (^-^)
ありがとうございます!
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
今度奈良県に歴史探訪で旅行しようと思っているので参考にしようと思います、ありがとうございます!
ぜひぜひ飛鳥にもおいでください♪ お待ちしてます。
いよいよ飛鳥の中心部(私にとって殆ど未知のエリアです😁) 実に実に愉しそうですね❗発掘調査結果も心待ちですし‼️今回も興味深い動画をアップしていただきありがとうございました🙇次回も楽しみです‼️
ありがとうございます♪明日香村の撮影許可を久しぶりに取ったので、ここぞとばかりに撮影しまくってみました😊 結構長いシリーズになるかもです💦
先生のおっしゃる通りですね。町名は重要ですよね。
そうなんです! 地名って古い記憶を伝えるものだと思います。
水落の地名が残っていたということにロマンを感じます。時代が違いますが、神庭や神岡といった地名のところから銅鐸が出土したりするので、地名ってあなどれないです。
おっしゃる通りです。荒神谷遺跡なんてのもありましたよね。東日本大震災の時にも、津波が到達した地点にはそれらしき地名があったと聞きました。地名は先人たちの記憶とともに、警告をも伝えるものだと思います。
先日、行けたのですが、水落をみさおちと表記されてる文章を見かけました。謂われが気になりました。
>水落をみさおちと表記されてる文章を見かけました。みさおち、、初めて聞きました。通常は「みずおち」ですが、そうした読み方があるのかもしれません。
「飛鳥水落遺跡」は飛鳥寺と一緒にNHKの「ブラタモリ」で紹介されていましたね。推古朝の御墾田宮が見つかるといいですね。大ニュースになり再び飛鳥ブームが来るかもですね。
ブラタモリ、やってましたね! ハリボテの須弥山石に笑った覚えがあります!
いつも興味深く拝見しています。水時計なるものが飛鳥にあったのですか。びっくりです。しかしこの水時計はどこから伝わったのか、またその技術を持った人々がどこからきたのでしょうか。同じようなものが同時代に大陸や朝鮮半島で見つからないのですかね。前方後円墳も伽耶国などでは発見されたそうですが、それは倭人がいたからで、半島から伝わったわけではなさそうですよね。でも、その元になる方墳とか円墳とかはどこからきたのでしょうか。そう言うことを考え出すと寝れなくなりますね。(笑)
コメントありがとうございます。漏刻は、斉明6年(660)に中大兄皇子が造ったと日本書紀に記されており、それがこの水落遺跡と推測されています。天智10年(671)にも漏刻設置の記事があります。水時計の技術がいつ日本に伝わったのは正確な記事がないのではっきりとはわかりませんが、時期的に考えると、白雉5年(654)の遣唐使が持ち帰った可能性も考えられます。朝鮮半島南部の前方後円墳についてはさまざまな意見があります。正確な発掘調査が待たれますが、墳型の改竄もあるとのことで、なかなか難しいのではないでしょうか。
映像解説ありがとうございます。甘樫丘って、響きかいい名前。自分もいつか行ってみたいです♪
ご視聴ありがとうございます♪
甘橿丘、とてもいいところです。頂上からの眺めも最高です。ぜひ一度お出かけください (^-^)
ありがとうございます!
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
今度奈良県に歴史探訪で旅行しようと思っているので参考にしようと思います、ありがとうございます!
ぜひぜひ飛鳥にもおいでください♪ お待ちしてます。
いよいよ飛鳥の中心部(私にとって殆ど未知のエリアです😁) 実に実に愉しそうですね❗発掘調査結果も心待ちですし‼️
今回も興味深い動画をアップしていただきありがとうございました🙇
次回も楽しみです‼️
ありがとうございます♪
明日香村の撮影許可を久しぶりに取ったので、ここぞとばかりに撮影しまくってみました😊 結構長いシリーズになるかもです💦
先生のおっしゃる通りですね。町名は重要ですよね。
そうなんです! 地名って古い記憶を伝えるものだと思います。
水落の地名が残っていたということにロマンを感じます。時代が違いますが、神庭や神岡といった地名のところから銅鐸が出土したりするので、地名ってあなどれないです。
おっしゃる通りです。荒神谷遺跡なんてのもありましたよね。東日本大震災の時にも、津波が到達した地点にはそれらしき地名があったと聞きました。地名は先人たちの記憶とともに、警告をも伝えるものだと思います。
先日、行けたのですが、水落をみさおちと表記されてる文章を見かけました。謂われが気になりました。
>水落をみさおちと表記されてる文章を見かけました。
みさおち、、初めて聞きました。通常は「みずおち」ですが、そうした読み方があるのかもしれません。
「飛鳥水落遺跡」は飛鳥寺と一緒にNHKの「ブラタモリ」で紹介されていましたね。
推古朝の御墾田宮が見つかるといいですね。大ニュースになり再び飛鳥ブームが来るかもですね。
ブラタモリ、やってましたね! ハリボテの須弥山石に笑った覚えがあります!
いつも興味深く拝見しています。
水時計なるものが飛鳥にあったのですか。びっくりです。
しかしこの水時計はどこから伝わったのか、またその技術を持った人々がどこからきたのでしょうか。
同じようなものが同時代に大陸や朝鮮半島で見つからないのですかね。
前方後円墳も伽耶国などでは発見されたそうですが、それは倭人がいたからで、半島から伝わったわけではなさそうですよね。
でも、その元になる方墳とか円墳とかはどこからきたのでしょうか。
そう言うことを考え出すと寝れなくなりますね。(笑)
コメントありがとうございます。
漏刻は、斉明6年(660)に中大兄皇子が造ったと日本書紀に記されており、それがこの水落遺跡と推測されています。
天智10年(671)にも漏刻設置の記事があります。水時計の技術がいつ日本に伝わったのは正確な記事がないのではっきりとはわかりませんが、時期的に考えると、白雉5年(654)の遣唐使が持ち帰った可能性も考えられます。
朝鮮半島南部の前方後円墳についてはさまざまな意見があります。正確な発掘調査が待たれますが、墳型の改竄もあるとのことで、なかなか難しいのではないでしょうか。